平成4年横審第144号(第1) 平成4年横審第145号(第2) プレジャーボートマリンマリン転覆事件(第1) プレジャーボートたか転覆事件(第2) 言渡年月日 平成6年3月29日 審 判 庁 横浜地方海難審判庁(鈴木健、吉澤和彦、勝又三郎、野本謙作、森田知治) 理 事 官 藤井春三、米田裕 損 害 (第1)船底外板が破壊して転覆。船長とD乗組員が脱出したが船長は行方不明となり、D乗組員は救 助艇に救助され、船内から4名が死体で収容され、船体は沈没した。他の乗組員2名と先に海中に転落 した1名の乗組員とが行方不明となった。 (第2)船体が転覆し、命綱で身体を船につないでいた船長は溺死し6名の乗組員は船体を放棄して救 命いかだに移乗したが漂流中に5名が衰弱死し指海人1名だけが他船に救助された。 原 因 (第1)船殻構造上の不備、修理点検の不十分 (第2)高波により復原力喪失 主 文 (第1) 本件転覆は、バラストキール取付部の船底構造が荷重を分散させにくい構造であったことと、以前座 礁した際に同取付部に生じた緩みが残っていたこととにより、長期にわたり同取付部に繰り返し荷重が 動的荷重として働くうち、船底外板の疲労が進行し、荒天漂泊中に同外板が破壊してバラストキールと 共に脱落し、復原力が著しく低下したことに因って発生したものである。 なお、乗組員に多数の死者、行方不明者を生じたのは、バラストキールの脱落が予測しがたく、転覆 が乗組員の休息中に発生して不意をつかれたこと、転覆速度が速かったこと及び船底の破口により船内 の空気が急激に減少して浸水速度が速かったことによるものである。 (第2) 本件転覆は、荒天下を帆走中、突然船幅を超える高さの砕波を受けたため、復原力を喪失したことに 因って発生したものである。 なお、多数の死者を生じたのは、レース主催者とたかとの通信連格がとられなかったため、たかが転 覆して乗組員が膨張式救命いかだに移乗したことを同主催者が認知できず、捜索が早期に開始されなか ったことによるものである。 理 由 (事実)
(第1) 船 種 船 名 プレジャーボートマリンマリン 総 ト ン 数 7トン 機 関 の 種 類 ディーゼル機関 出 力 14キロワット 指定海難関係人 A校 (第2) 船 種 船 名 プレジャーボートたか 総 ト ン 数 9トン 機 関 の 種 類 ディーゼル機関 出 力 31キロワット 指定海難関係人 C 職 名 乗組員 事件発生の年月日時刻及び場所 (第1) 平成3年12月30日午前3時20分ごろ 伊豆諸島八丈島東方沖合 (第2) 平成3年12月29日午後8時ごろ 小笠原群島聟島北方沖合 1 トーヨコカップシャパン・グアムヨットレース92 トーヨコカップジャパン・グアムヨットレース(以下「トーヨコレース」という。)は、社団法人日 本外洋帆走協会(以下「NORC」という。)が主催する日本とグアム島間の長距離外洋レースで、昭 和58年に第1回が開催され、トーヨコレース92は第7回目に当たっていた。 NORCは、トーヨコレースを外洋帆走国際審議会(以下「ORC」という。)の規則に基づいて運 営し、レース環境を、ORC特別規程のカテゴリー1、すなわち、「長時間にわたって自給自足し、幾 度もの荒天に耐え得る能力か必要とされるほか、他からの援助を期待せずに重大な危機に対する準備と 能力も必要とされる。」に相当するものと認め、レース開催毎にレース委員会を設置してその運営に当 たらせていた。 参加を希望するヨットは、その主要目などから算定される数値を認定したインターナショナルメジャ ーメントシステム(以下「IMS」という。)証書、またはインターナショナルオフショアルール(以 下「IOR」という。)証書を保有していることが条件とされるほか、カテゴリー1に相当するたん航 性を有しているかどうかが審査され、その結果、トーヨコレース92には、IMS証書を有する、たか、
メイセア、キティ、ラッキーレディ5、モアジョイ7世及びコンテッサⅩ世と、IOR証書を有する、 マリンマリン、ハーフタイム及び摩利支天の合計9隻が参加を認められた。 また、レース開始後レースに支障を来たすような事情が生じた場合、レースを続行するかどうかにつ いては、参加する各ヨットのオーナーまたは船長の判断に委ねられていた。 レース委員会は、参加する各ヨットに、通信手段としてSSB短波無線通信機と国際VHF無線機の ほか、非常用位置指示無線標識装置(以下「イーパーブ」という。)を搭載させ、航海中の定時交信と して、毎日午前0時と午後0時の各船位などの報告を、平成3年12月26日から同4年1月5日まで の間義務づけ、これ以後に連絡がない場合には、遭難等の事故発生を考慮して海上保安庁など関係各機 関に捜索の要請を行うことがあるとしていた。 こうして、マリンマリン、たかを含む9隻のヨットは、同3年12月26日午後0時に神奈川県三浦 市小網代沖を一斉にスタートし、グアム島アプラ港に向かった。 2 レース中の気象及び海象 トーヨコレース92が行われた海域のうち、伊豆諸島東方沖合と小笠原群島北方沖合における平成3 年12月26日から同31日までの気象及び海象の概況は次のとおりである。 同26日は、午前3時に本州の東海地方南方沖合にあった低気圧が東北東に進み、午後3時には東方 海上に遠ざかった。 同27日は、九州の西方海上と四国沖に発生した低気圧が発達しながら2つ玉低気圧となって東北東 に進み、四国沖から進んだ低気圧が同日午後には八丈島付近を通過し、伊豆諸島東方沖台では西ないし 南西風か強まり、また、波が高くなってきた。 同28日は、四国沖にあった低気圧が関東の東方海上を北東に進み、午前9時には994ヘクトパス カルに発達し、午後3時には三陸沖に達して984ヘクトパスカルと更に発達し、伊豆諸島東方沖合で は西ないし南西風が更に強まって風力7となり、風浪の高さが約4メートルになっていた。 同29日は、午前9時には2つの低気圧が千島列島付近で1つになり、966ヘクトパスカルとなっ てその後も発達を続け、同低気圧から南西に延びる寒冷前線が伊豆諸島の東方海上を通過し、伊豆諸島 東方沖合と小笠原群島北方沖合では西ないし西北西風が風力6ないし7と依然強く、風浪の高さが5メ ートルないし6メートルに達するようになった。 同30日は、低気圧がカムチャッカ付近まで遠ざかったが、伊豆諸島と小笠原群島付近の海上は北西 風が強く、波も高かった。 同31日は、日本付近は移動性高気圧に覆われるようになり、海上の波も次第に治まってきた。 (第1) 1 指定海難関係人A校 指定海難関係人A校(以下「A校」という。)は、海洋レジャー産業に従事する人材の養成を主な目 的とし、昭和60年にその母体である財団法人尾道海技学院の1部門として設立されたもので、修業年 限2年の専門課程として総合海洋技術学科と総合舟艇技術学科の2学科があり、更に専門課程修了者を 対象に修業年限1年の海洋技術研究学科が置かれているほか、修業年限1年の専門海洋技術学科が設け られており、定員320人の学生の教育訓練用として、ディンギー型ヨット14隻を所有していたほか、
2隻のクルーザー型ヨットを用船していた。 2 マリンマリン 1 船体構造設備等 マリンマリンは、外洋レースに使用する目的でE社において設計され、昭和58年8月にF社で進水 した、登録長10.74メートル幅3.97メートル深さ1.56メートルのFRP製クルーザー型ヨ ットで、上甲板下は船首から後方に順次セールロッカー、洗面所及びキャビンが設けられ、上甲板上に は船体中央部付近にキャビンの1部である上部構造があり、その後方にコックピットが配置され、上部 構造前端付近にマストが取り付けられていた。 キャビンは、中央部付近の左舷側にギャレー、右舷側に寝台兼用のベンチがそれぞれ配置され、その 間にコックピットに通じる斜め階段があり、同階段上部の入口には上下方向の差し板と水平方向のふた からなるスライド式のコンパニオンハッチが設けられ、ギャレーとベンチの前後部舷側寄りに寝台が備 えられていて、前部の寝台の間には箱で覆われた主機関や蓄電池が設置されていたほか、床が取り外し 式となっていた。 2 バラストキールと船体取付状況 バラストキールの船体への取付構造は、別紙1に示すとおりであるが、同キールは、重量約2.5ト ンの鉛を主体とした合金製で満載排水量の約40パーセントを占め、表面がFRP及びコーティング材 で覆われ、側面の形状が上辺約2.1メートル下辺約0.9メートル深さ約1.7メートルのほぼ台形 となっており、水平断面は流線形の翼型で、上辺の最大翼幅が約190ミリメートル(以下「ミリ」と いう。)、下辺の最大翼幅が約86ミリとなっていた。 バラストキールの船底外板への取付要領は、同キールにステンレス製のバラストキールボルトを植え 込み、これを主機関の設置されたところから斜め階段の基部にわたる範囲の船底外板に船体中心線に沿 って貫通させ、ステンレス製ワッシャーを挟んで2重ナットで締め付けるもので、同キールと同外板間 には、両者を密着させる目的と水止めを兼ねた約5層のFRP積層部があり、同積層部の外周に沿って これを覆うように同外板から同キールにかけて約4層のFRPの積層、いわゆるオーバーレイが施され ていた。 また、バラストキールボルトは、合計13本で、船首側から後方へ8列に配置され、第1列目、第7 列目及び第8列目は船体中心線上に各1本、その他の列は同線を挟んで左右に各1本がそれぞれ配置さ れ、ボルトの直径は第8列目が12ミリ、その他は20ミリとなっており、各列のワッシャーは、板厚 が約6ミリ、船の長さ方向の幅が60ミリないし110ミリで、船横方向の幅が各列の位置における翼 幅とほぼ同寸法となっていた。 一方、バラストキール取付部の船底構造は、ほとんど曲面のない厚さ約19ミリの平板状の船底外板 に、幅50ミリ深さ約160ミリの中空断面をもったFRP製の船底肋骨が約500ミリの間隔で2次 接着されており、バラストキールボルトはその2次接着部を貫通して各船底肋骨の前後に配置されてい た。 3 座礁による損傷とその修理状況 マリンマリンは、昭和61年5月4日に前所有者が乗り組んでレースに参加中、兵庫県洲本港付近の マリーナに機走で入航する際、その入口付近においてバラストキールを岩礁に接触させる座礁事故を起
こし、直ちに同マリーナに上架して点検を受けたところ、FRP積層部とオーバーレイ部分が、その前 端から後方へ約80センチメートル(以下「センチ」という。)にわたり亀裂を生じて最大約1センチ の隙間が発生しており、同キール前縁の下端部分にも深さ約2センチの凹損が発見されたが、同キール 付近の船底外販表面には内外とも亀裂等がなく、船内への浸水などの異状も認められなかったので、F RP積層部の隙間にパテを充てんすると共に、オーバーレイ部分を削整して再オーバーレイしただけで 下架され、そのままレースを続け、その後約1年間使用された。 翌62年4月に前所有者は、レース参加のため、ヨットなどの修理を専門に手掛ける兵庫県姫路市内 の修理業者のところで本船を上架したところ、前年修理を施したオーバーレイ部分に亀裂が生じている のが発見されたので、同亀裂部を削整して再度オーバーレイする処置を施し、目視点検やハンマーによ る打音検査で、バラストキール取付部の船底外板やバラストキールボルトの表面に特に異状を認めなか ったが、座礁歴を考慮し、レースにおける安全性を更に確保するため修理業者と相談のうえ補強を施す こととした。 修理業者は、前所有者から座礁歴を知らされたが、バラストキール取付部から船内への浸水がなかっ たことと、バラストキールを取り外すにはFRP積層部にくさびを打ち込んではがさねばならず、その 際船底外板等を傷めるおそれがあるため、同取付部からの浸水がなければ、一般に同キールを取り外し て点検することは行われていなかったこともあって、補強の前に同キールを取り外して点検することま では勧めず、製造者の助言も得て、同取付部の船底外板内側を補強することとし、同キールのナットと ワッシャーをいったん取り外したうえ、船底肋骨の2次接着部と各船底肋骨間の船底外板の塗装を除去 し、その上にFRPを増積層して復旧した。 4 購入及び用船の経緯 マリンマリンは、その後約2年間外洋レースなどに参加し、風力8を超える荒天に何回か遭遇したこ ともあったが何事もなく使用されていたところ、売却されることとなった。 A校は、教育訓練用のヨットをG社(以下「G社」という。)から用船する計画であったので、平成 元年2月同社に代って売買の現場に立ち会い、同校が依頼した本船の設計者と共に船体の目視点検や打 音検査を行ったが、異状を認めず、また、座礁歴があることを知らされなかったうえ、船舶検査手帳に もその記載がなかったことから、船体には特に異状はないものと判断した。 G社は、本船を購入すると日本小型船舶検査機構の検査を受け、同機構の検査員による船体の目視点 検や打音検査などが行われ、特に異状は認められないまま第2回の定期検査に合格し、同年4月1日か ら3年間の期限で、保守管理をA校が行う契約のもとで同校に貸し出した。 5 保守管理及び運航の状況 A校は、保守整備の責任者を置き、年1回の上架整備の際には、船底塗装などのほか、バラストキー ル取付部の目視点検等を行い、また、数箇月毎の浮上中の点検整備や各航海毎に、床板を外して同取付 部を目視点検するなど、亀裂や浸水の有無を点検することに努めていた。 本船は、用船後から本件発生まで2年8箇月の間に、カリキュラム中の海上実習として年間約14日、 校内のクラブ活動として月間4日ないし5日使用されたほか、外洋レースなどに年間4回ないし5回参 加していた。 3 レース参加までの経緯
1 乗組員の決定、訓練等 平成3年8月A校は、元同校職員であったHからレースに参加したい旨の相談を受け、検討の結果、 同校の行事としてではなく、当時同校の学校長であったIが個人の資格でマリンマリンを借り受けてレ ースに参加するという条件で許可した。 I学校長は、乗組員を同人を含めA校の学生などから募集し、同校職員のJを船長として、H元職員 及びいずれもヨット乗船歴のある同校の学生5人のほか、学外から2人を加えた合計10人で乗組員を 編成した。 J船長は、レース参加までに約20日間の訓練航海を行ってチームワークづくりに努め、乗組員全員 がどの部署配置にも応じられるようにしたが、荒天を想定したえい航準備訓練やシーアンカーを使用す る漂泊訓練などは行わなかった。 2 尾道港発航からレース開始まで マリンマリンは、レースに参加するため、平成3年12月13日午後1時広島県尾道港を発し、神奈 川県三崎港に向うため機走で航行中、同7時ごろ瀬戸内海の白石島西方沖合でのり養殖施設に進入し、 航行不能となったが、連絡を受けてA校から派遣された訓練艇によりバラストキールを傷めないよう注 意して同施設から引き出され、そのまま航海を続けて同月17日三崎港の油壷に入港した。 その後、本船は、油壷のマリーナで上架し、乗組員によりバラストキール取付部などの目視点検が行 われたが、異状は認められず、そのまま下架してレース準備に掛かり、同月26日午前10時油壷を発 してレースのスタート地点に向かった。 4 レース開始から転覆まで マリンマリンは、J船長ほか9人が乗り組み、船首尾とも約0.5メートルの等喫水で、シーアンカ ーを装備しないまま、平成3年12月26日午後0時、スタートの合図と共に、神奈川県三浦市小網代 沖を発し、グアム島アプラ港に向かった。 本船は、伊豆諸島に沿ってその東方沖合を南下し、翌27日午前0時に北緯34度1分東経140度 11分、午後0時に北緯32度26分東経140度10分の各地点を航過し、同3時39分ごろ、北緯 32度22分東経140度18分の地点を帆走していたところ、このころから海上がしけ模様となり、 乗組員Kがアンテナ支柱に絡まったランニングバックステーを取り外そうとして海中に転落する事故 が発生した。 J船長は、直ちにセールを降ろして機走に切り替えると共に、レースを断念して転落地点付近を捜索 したが、K乗組員を発見することができず、NORCに対して転落事故の発生を通報し、やがて日没と なったので捜索を中断して漂泊した。 翌28日、J船長は、夜明けと共に捜索を再開し、午前11時ごろ北緯32度26分東経141度2 0分の地点で、マリンマリンから要請を受けて海中転落者捜索のため現場に到着した巡視船うらがに、 船酔いで衰弱していた乗組員1人を移乗させたのち、いったん八丈島に寄せてから再び捜索に掛かるこ ととして同島に向けて帆走したが、途中で日没となったので再び漂泊し、翌29日朝、西寄りの強い風 浪の中を同島へ向かうこととしたが、直接同島に向かう針路では帆走できなかったので南下して荒天海 域から遠ざかることに決め、午後0時30分ごろ北緯33度18分東経141度28分の地点において、 変針のため機関を操作したところ、船外に流出していたメインセールのブーム制御用のプリベンターシ
ートがプロペラシャフトに絡まり、機走不能となった。 J船長は、諸般の状況を考慮して、海中転落者捜索のため現場に向かっていた巡視船みずほ(以下「み ずほ」という。)に救助を求め、同3時30分ごろ来援した同船と合流し、八丈島までのえい航を依頼 してその準備作業に掛かったが、同船からえい航索を取るためのリード索が送られてきたものの、強風 浪による船体動揺や圧流に妨げられて同索を取り込むことができず、やがて日没となったので同作業を いったん中止して翌朝再開することとし、8人の乗組員全員がキャビンで休息しながら同船監視のもと マスト灯を点灯して漂泊を開始した。 こうして、本船は、動揺を繰り返しながら荒天下を漂泊中、翌30日午前3時20分ごろ北緯33度 21分東経142度の地点において、船底外板がバラストキールのほぼ外周沿いに長さ約2メートル幅 約0.2メートルの範囲にわたって破壊し、同キールと共に脱落して復原力が著しく低下し、瞬時に転 覆した。 当時、天候は雨で風力8の西風が吹き、海上は波高約6メートルの波があった。 5 転覆後の状況 転覆当時乗組員全員は、キャビンにおいて休息中で、転覆後脱出のためコンパニオンハッチを開けた が、船底の破口から船内の空気が急速に抜けて浸水が速かったうえ、転覆速度が急激で乗組員の中には 打撲傷などを負った者もあって、J船長と乗組員Dが脱出しただけで他の乗組員は船内に閉じ込められ、 脱出後J船長とD乗組員は船底にはい上がり船尾の舵板につかまっていたが、まもなくJ船長は波にさ らわれた。 監視中のみずほは、マリンマリンの灯火が消えたことで異変を察知し無線電話で同船を呼んだが応答 がなく、直ちに捜索活動を開始したものの、暗夜と波浪に遮られて同船を見つけることができず、夜明 けと共に出動した航空機によって転覆して漂流中の同船が発見され、知らせを受けたみずほは、直ちに 救助艇を送り、舵板につかまっていたD乗組員を救助し、漂流中の船内から4人の遺体を収容したが、 同30日午後10時55分ごろマリンマリンは、救助作業の途中で沈没した。 その結果、乗組員I、同H、同L及び同Mが死亡し、J船長、乗組員N及び同Oが行方不明となり、 のち死亡と認定され、先に海中に転落したK乗組員が行方不明となった。 (第2) 1 たかの船体構造設備等 たかは、外洋レースに使用する目的でオランダ王国のP社において建造され、平成2年12月に輸入 された登録長11.99メートル幅3.78メートル深さ1.58メートルのFRP製クルーザー型ヨ ットで、上甲板下は船首から後方に順次セールロッカー、フォクスルバース、洗面所、キャビン、クォ ーターバース及び船尾ロッカーが設けられ、上甲板上には船体中央部付近にキャビンの一部である上部 構造があり、その後方にコックピットが配置され、上部構造前端付近に高さ約17メートルの中空のア ルミニウム合金製マストが取り付けられていた。 キャビンは、前部が食堂兼用のサロンとなっていて、両舷側に寝台兼用のソファーが備えられ、後部 には右舷側に無線機器等を設置した海図台、左舷側にギャレーがそれぞれ配置されており、その間に上 甲板のコックピットに通じる斜め階段があり、同階段上部の入口には上下方向の差し板と水平方向のふ
たからなるスライド式のコンパニオンハッチが設けられ、また、船尾ロッカーには跳ね揚げ式のハッチ が設けられていた。 2 レース参加決定から開始まで たかは、Q社によって購入使用されていたものであるが、平成3年11月中旬、同社の代表者である Rが船長としてレースに参加することが決まり、購入後継続して乗り組んでいたR船長を含む3人の乗 組員と他のヨットに乗っていた3人のほか、クルーザー型ヨットの乗船歴4年ないし5年の指定海難関 係人Cを、メインセールの操帆などを担当するミドルマンとして加え、合計7人で乗組員を編成し、数 回の訓練航海を行いトーヨコレース92に臨んだ。 3 イーパーブ イーパーブは、遭難など非常の際、遭難用ビーコン電波を発射し、船舶や航空機、陸上施設などが受 信してその発信位置を知る装置で、NORCが日本国内の輸入業者を介してアメリカ合衆国のメーカー から取り寄せ、搭載していない各ヨットに配布したものであるが、配布される前に同輸入業者によって 作動テストが行われ、その後消耗を避けるため電池の接続が切り離された状態で納入された。 イーパーブを受け取った各ヨットの中には、レーススタート前に電池を接続して極く短時間の作動確 認を行い、航行中使用できる状態にしてレースに臨んだものもあったが、たかは、受け取ったあと作動 確認を行わず、取扱担当者も決めないままキャビン内に保管していた。 4 レース開始から転覆まで たかは、R船長及びC指定海難関係人ほか5人が乗り組み、船首0.42メートル船尾0.49メー トルの喫水で、平成3年12月26日午後0時、スタートの合図と共に、神奈川県三浦市小網代沖を発 し、グアム島アプラ港に向かった。 本船は、伊豆諸島に沿ってその東方沖合を南下し、翌27日午前0時に北緯33度43分東経140 度25分、午後0時に北緯32度5分東経140度32分の各地点を航過し、同3時ごろ青ヶ島東方沖 合を帆走していたところ、このころから海上がしけ模様となり、強風でメインセールが破損し、いった ん帆走を中止してベアポールとし、漂泊しながらしけが治まるのを待ったが、好転する気配がなく、翌 28日午前0時ごろ北緯31度51分東経140度38分の地点でストームジブを揚げて帆走を再開 した。 その後、本船は、同日午後0時に北緯31度29分東経141度15分、翌29日午前0時に北緯3 0度37分東経141度42分の各地点を航過して、西寄りの強風と波高4メートルないし5メートル の風浪の中を南下し、同日午後0時、北緯29度32分東経141度55分の地点に達したとき、針路 をほぼ160度(真方位、以下同じ。)とし、レギュラージブを揚げて約6.3ノットの速力で進行し た。 同5時ごろR船長は、乗組員2人と共に当直に就き、自ら操舵に当たり、右舷側から風波をアビーム ないしクォーターリーの範囲で受けて続航したところ、海上は時折高い砕波が出現する状態で依然しけ ており、同8時ごろ北緯28度44分東経142度16分の地点において、突然、右舷ほぼ正横から船 幅を超える高さの砕波を受け、船体が左舷側に大傾斜し、ほぼ原針路を向首したまま瞬時に転覆して倒
立状態となった。 当時、天候は晴で風力7の西ないし西北西風が吹き、海上は波高5メートルないし6メートルの波が あった。 5 転覆後の状況 1 倒立から復原までの経過 当直に就いていなかった4人の乗組員は、倒立した船内に閉じ込められたが、ヨットは容易に復原す るものと思っていたのでしばらく様子をうかがっていたところ、一向にその気配がなく、そのうちコン パニオンハッチや船尾ロッカーのハッチなどからの浸水量が次第に増加し、全員が片舷に移動するなど して復原を試みても効果がなかったので、遭難信号を発信することとし、操作を指示されたC指定海難 関係人が、収納してあったイーパーブを取り出して作動させようとしたところ、発信を表示するランプ が点灯せず、点検のためイーパーブの底ぶたを外して中の電池を取り出そうとしたが、船内にたまった 水の中に落としてはいけないと思って元へ戻した。 同9時ごろ船内の乗組員は、浸水が膝付近まで達したが倒立したまま復原しないので脱出することに 決め、コンパニオンハッチを開けて次々に船外に逃れ、その際、C指定海難関係人が、イーパーブを持 って脱出したけれども、転覆した船体につかまるため泳いでいるうち流失した。 同9時20分ごろ本船は、船内への浸水量が増加して船体が起き上がったが、マストが上甲板から高 さ約2メートルのところで折損しており、R船長は操舵位置において命綱で身体を船につないだまま溺 死していた。 船内より脱出したC指定海難関係人を含む4人の乗組員と当直に就いていた2人の乗組員は、船内の 水を排出しようとしたものの、水位が斜め階段の最上段付近まで達していてほとんど乾舷のない状態と なっており、これほど大量の水を荒天下に人力で排出することは困難と判断して船体を放棄することに し、船上で膨脹式救命いかだを展張させ、移乗して船体から離れようとしたところ、同いかだが転倒し、 すぐに元に戻したものの、たまたま乗組員の1人が飲料水や食料品などが納められた救命用ぎ装品の収 納袋を開けているときだったので、これらのほとんどが流失したまま漂流を開始した。 2 漂流及び救助模様 レース委員会は、たかが平成3年12月29日午後0時の定時交信を最後に連絡を絶っていたが、レ ース中に通信機が故障する例がよくあり、当時ハーフタイムも連絡を絶っていたところから、遭難の可 能性は低いものと判断して捜索要請を見合わせていた。 翌4年1月3日レース委員会は、ハーフタイムがアプラ港に到着し、たか以外の各ヨットの動向が明 らかになったところで、翌4日から航空機をチャーターし、たかの動向を確かめようとしたが、消息が つかめなかったので、越えて6日アメリカ合衆国沿岸警備隊と第3管区海上保安本部に捜索を要請した。 捜索の要請を受けた両機関は、船艇と航空機を動員し、また、海上自衛隊も応援に加わり、小笠原群 島周辺からグアム島に至る広範囲の海域を捜索したが、消息がつかめないまま同月16日をもって捜索 を打ち切った。 一方、漂流中の乗組員は、捜索機と思われる航空機を目撃したものの、発見されないまま漂流を続け るうち、次第に衰弱し、乗組員S、同T、同U、同V及び同Wが次々に死亡した。 独りになったC指定海難関係人は、更に漂流を続け、同月25日午後4時ごろ北緯25度10分東経
143度9分付近において、航行中の貨物船によって救助され、低栄養、肝機能障害などで約1箇月の 入院治療を受けた。 なお、トーヨコレース92においては、マリンマリンとたかのほか、レースに参加したヨットのうち、 コンテッサX世とキティが途中でレースを断念し、残りの5隻が完走した。 (原因等の考察) 1 転覆の原因について (第1) 本件は、マリンマリンが、外洋ヨットレースに参加して途中でレースを断念し、荒天下で漂泊中にバ ラストキールが脱落し、転覆して多数の死者、行方不明者を生じた事件である。 以下、その原因について考察する。 1 バラストキール取付部の状況 バラストキール取付部の船底構造は、別紙1に示したとおりであり、バラストキールに働く荷重が同 船底構造に伝達される場合、バラストキールボルトに使用されているワッシャーの面積が小さいので、 荷重が船底外板に広く分散されないばかりでなく、同ボルトが中空の成型材の船底肋骨に取り付けられ ないで同外板と同肋骨との2次接着部に取り付けられているので、同外板と接する2次接着部が主とし て荷重を受け持つことになり、同肋骨が荷重を受け持つ役目を十分に果たしておらず、全体として荷重 を広く分散させにくくなっていることがわかる。 2 座礁による損傷の影響 マリンマリンが、機走で入航中座礁し、バラストキールと船底外板間のFRP積層部に長さ約80セ ンチにわたり最大約1センチの隙間が発生したことは、事実の項で述べたとおりであり、このことから バラストキール取付部に何らかの緩みが生じたことは明らかである。 しかし、船内への浸水がなかったこともあり、隙間がパテで埋められたただけの修理でその後も使用 されたため、バラストキール取付部に生じた緩みが通常の目視点検や打音検査では発見されない緩みと して残り、この緩みの存在によって、船体が動揺するときにバラストキールに働く荷重は、緩みがない 場合に比べ、大きな動的荷重となってワッシャー横端部の船底外板や船底肋骨の2次接着部に伝達され ることになると考えられる。 3 バラストキール取付部の劣化 バラストキールに働く荷重としては、波浪中で船体が傾斜した際の同キールの自重の分力があり、そ れが最大となるのは、マストがほぼ水平になるまで船体が傾斜した、いわゆるノックダウンと称する状 態で、その大きさは同キールの自重約2.5トンに相当し、設計時の強度計算はこれを静荷重として扱 っている。 前示荷重のほかに、船体が横揺れしているときにバラストキールが受ける荷重として水抵抗と慣性力 とがある。 これらの荷重は、横揺れ角度によってその大きさが異なるが、本船のコックピットの側端が海面に浸 る傾斜角約50度では、水抵抗が約0.6トン、付加水を考慮した慣性力が約1.5トンと計算され、 長期にわたり大小様々な傾斜角の船体動揺が繰り返されるときには、これらの力による様々な荷重が作 用することになる。
以上の荷重は、バラストキール取付部に伝達されるとき、前項2で検討したように同取付部の緩みの 存在によって大きな動的荷重となって働く。 更に、バラストキール取付部に伝達される動的荷重は、前項1で検討したように船底外板や船底肋骨 に広く分散されず、主にワッシャー下部の同外板や、同肋骨の2次接着郡の同外板と接する部分等に集 中するので、これか繰り返されると、2次接着部が次第にはく離するようになると共に、最も大きな応 力が発生するワッシャー横端下の同外板に、ポリエステル樹脂の圧壊とガラス繊維の破断、いわゆる白 化などの損傷が生ずる。 前示の損傷が更に進展すると、船底肋骨の2次接着部が船底外板からはく離し、そのため動的荷重が ほとんどワッシャー下部の同外板に集中することになり、やがて動的荷重に耐えきれなくなって、同外 板が破壊に至ることになる。 以上述べたことは、転覆状況写真に認められる船底外板の破壊模様において、同外板がバラストキー ルのほぼ外周に沿って破断していること及び破断跡に各船底肋骨が残されていることから明らかに認 められるところである。 4 その他の原因 バラストキールが船底外板と共に脱落する原因としては、以上のほかに、沈木などの漂流物体との衝 突が考えられるが、その確率は極めて低く、今回これが起きたものとは考えにくい。 また、転覆の途中に波の力を受けてバラストキールが船底外板と共に脱落することについては、漂泊 中に横波を受けて転覆するときは、一般に転覆方向が波の進行方向と同じ方向になるので、同キールに 特に大きな力が働くとは考えられないこと、また、構造強度上同キールを破壊させる荷重よりも小さな 荷重で破壊すると考えられる舵板が損傷を受けずに残っていることなどを勘案すると、波の力による脱 落も考えにくい。 5 まとめ 以上の点を総合すると、バラストキールが船底外板と共に脱落した原因は、バラストキール取付部の 船底構造が同キールから伝達される荷重を分散させにくいものであったことと、同キールが海底に接触 した際の衝撃で同取付部に生じた緩みが残されていたこととにより、船体動揺によって長期にわたり同 キールに作用する荷重が同取付部に動的荷重として繰り返し働くうち、同取付部の同外板や疲労劣化が 進行していたところ、海中転落事故後の長時間の荒天漂泊による繰り返し荷重で急速に劣化が進展し、 同外板に働く動的荷重に耐えきれなくなったためであり、同キールが脱落したことにより、瞬時に復原 力が著しく低下して転覆に至ったものと考えられる。 (第2) 本件は、たかが、外洋ヨットレースに参加して荒天下を帆走中、夜間突然転覆して倒立し、その後多 数の死者を生じた事件である。 以下、その原因について考察する。 1 復原性 鑑定書及びたかのIMS証書写中の各記載並びに乗組員の配置等を勘案してマストに浸水しない状 態における復原力曲線図を作成すると別紙2のとおりであり、これによると、復原てこの値は、横傾斜 角が0度(以下度数は横傾斜角を示す。)から約45度にかけて急上昇するが、約45度で最大約0.
7メートルに達したのち減少し、約90度でマストが没水するとその影響でいったん増加に転じ、約1 00度から再び減少して約130度で復原力が消失し、その後は約160度で魚の復原てこが最大約0. 25メートルとなる。 また、本船のIMS証書写中記載の復原性資料から復原力曲線図を作成したものを別紙2に併記する が、同復原性資料では上部構造やマストなどの浮力が計算から除かれているため、これらの浮力も含め て検討した前示復原力曲線に比べると復原性が少し劣ったものになっている。 次に、本船が転覆した海域を相前後して帆走し、無事にグアム島に到着したメイセア、ラッキーレデ ィ5及びモアジョイ7世並びに本船の復原力曲線図を、各ヨットの1MS証書写中記載の復原性資料に 基づいて作成すると別紙3のとおりであり、これによると、復原力消失角はメイセアが127度で最も 大きく、ラッキーレディ5の120度がこれに続き、最小は本船とモアジョイ7世の108度となる。 本船は、モアジョイ7世と共に他の2隻と比べて復原性が低い方であるが、本船だけが復原性が特に 劣るものではないと考えられる。 鑑定書中の記載によると、模型実験においては、マストが折損した状態で倒立している姿勢から復原 する場合、船内への浸水が増すにつれて負の復原性範囲と負の復原てこが共に減少していき、浸水量が ぎ装品を除いた船内実容積の約40パーセントに相当する約15トンに達するとようやく不安定とな り、わずかな外力で起き上がるようになるという結果が得られている。 このことから、本船は、大量に浸水しないと復原しない性能であったものと認められる。 2 波と転覆の関係 たかが転覆する条件は、鑑定書中の記載によると、模型実験においては、波の進行側が急斜面で頂き が砕けており、その反対斜面がなだらかな形状の波、いわゆる砕波を正横から受けた場合、波高が本船 の船幅に相当する3.8メートルを超えていると転覆の確率は極めて高く、また、追い波の方向と船体 中心線とのなす角度、すなわち波との出会い角が小さくなるにつれて転覆させるのに必要な波高が大き くなるという結果が得られている。 なお、ここで述べる波高とは砕波の谷から頂きまでの高さではなく、進行側の斜面が急に立ち上がる 部分から頂きまでの高さを指す。 別紙4は、前示実験結果を図示したもので、波との出会い角と波高との関係が図中の鎖線より上方に あるときは転覆の確率が極めて高いことを示している。 3 気象及び海象 転覆地点付近の気象及び海象は、気象庁予報部の気象資料中の平成3年12月29日午前9時の外洋 波浪図記載によると、同地点付近は北東進する966ヘクトパスカルの低気圧の後方に入り、同低気圧 から南西に延びる寒冷前線が通過しており、風力7の西ないし西北西風が吹き、波高が5メートルない し6メートルに達していた。 また、レース海域の1部である伊豆諸島東方沖合や小笠原群島北方沖合における砕波の波高と出現頻 度については、当廷において朝河、堤両証人が高い砕波を時折認めた旨供述しているほか、レースに参 加した各ヨットのアンケート回答書各写中にも波高4メートルないし10メートルの砕波を認めた旨 の記載があることから、たかの船幅を超える高さの砕波がしばしば出現していたものと認められる。 4 操船方法 たかは、NORCの回答書中の乗組員名簿記載によると、50代と20代が各1人、40代が2人、
30代が3人の年齢構成となっており、荒天となってから転覆するまでの約2日間、メインセールの1 部を破損した程度で、ノックダウンの状態となることもなく帆走していた。 当時、小笠原群島北方沖合では時折高い砕波が出現しており、当廷において朝河証人が夜間は高い波 でも至近にならないと発見できず、ノックダウンも何回か経験した旨供述し、また、3隻のヨットがレ ースを断念していることから、たかの操船方法について特に問題があったとは認められない。 たかは、右舷側から風波をアビームないしクォーターリーの範囲に受けながら進行していたところ、 突然右舷ほぼ正横から砕波に襲われたもので、砕波を発見してこれを真横から受けないように操舵する 余裕はなかったものと考えられる。 5 まとめ 以上の点を総合すると、たかが、レースに参加したヨットの中で復原性が特に劣っていたとは認めら れず、また、操船方法に問題があったとも認められず、その転覆原因は、夜間、当時レース海域にしば しば出現していたものの発見が困難で、波高が自船の船幅を超える高さの砕波を、突然右舷ほぼ正横か ら受けたためであると考えられる。 多数の死者、行方不明者を生じた原因について (第1) 本件における死者、行方不明者は、レースの途中で海中に転落して行方不明となった1人を除けば、 いずれも転覆の際に生じている。 乗組員は、バラストキールの脱落が予測しがたいものであったから、転覆時全員がキャビンで休息し ていて不意をつかれた状態であり、脱出したD乗組員が船外で見かけたのはJ船長だけであったこと、 漂流する船内から収容された4人の各死体検案書写中の記載によるといずれも死因は溺死であるが、鼻 骨骨折などの打撲傷を負っていた者もいたことなどの事実は、脱出に余裕がなかったことを示しており、 遺体が収容されなかったほかの2人も救助作業中に沈没した船内にいたものと考えられる。 以上のことから、バラストキールの脱落が予測しがたく、転覆が乗組員全員の休息中に発生して不意 をつかれたこと、転覆の際に同キールが無く回転速度が速かったこと、このため乗組員の中には打撲傷 などを負った者もいたこと及び船底外板に生じた大破口により船内の空気が急激に減少して浸水速度 が速かったことが、乗組員の脱出を妨げ、多数の死者、行方不明者を生じた原因と考えられる。 (第2) 1 倒立時の復原性と浸水量 たかは、転覆後船内に浸水して起き上がるまで約1時間20分を要し、復原したときには船内の水位 が斜め階段の最上段付近まで達していた。 乗組員は、復原後船内の水を排出しようとしたものの、これほど大量の水を荒天下に人力で排出する ことは困難と判断し、船体を放棄することを余儀なくされ、膨脹式救命いかだを使用することになった ものであるが、この時点では6人の乗組員が生存していたことから、大量に浸水しないと復原しない性 能であったことが多数の死者を生じた原因となったものとは認められない。 また、膨脹式救命いかだに移乗の際、同いかだに備え付けの飲料水や食料品などの大部分が流失した ことについては、仮にこれらの流失がなかったとしても、漂流を開始してから発見されるまで約1箇月
かかっており、所定の搭載量では全員の生命を維持することは困難であったと考えられるから、このこ とが多数の死者を生じた原因とは認められない。 2 事故発生時の連絡 たかにおいては、転覆後イーパーブによる遭難信号の発信を試みたが、その取り扱いについてレース スタート前にイーパーブの作動確認を行っていなかったので、電池の接続が切り離された状態で格納さ れ、転覆時の混乱でイーパーブが使われないまま、脱出の際に流失させてしまったものである。 前示の事情から、レース主催者は、本船の乗組員が膨脹式救命いかだで漂流していることを認知でき ず、転覆後8日を経て、あらかじめ定めていた手順に従って関係各機関に捜索を要請したものである。 参加したヨットの中にはレーススタート前にイーパーブの作動確認を行っていたものもあることか ら、本船がイーパーブの作動確認を行って使用可能の状態で格納しておけば、イーパーブの遭難信号が 発信されて、転覆の事実を早期に認知することができ、捜索範囲は極く狭い範囲に絞られることから、 救助される確率は極めて高かったものと考えられる。 以上のことから、多数の死者を生じた原因は、レース主催者と本船との通信連絡がとられなかったた め、本船が転覆して乗組員が膨脹式救命いかだに移乗したことを同主催者が認知できず、捜索が早期に 開始されなかったことによるものと考えられる。 3 指定海難関係人の所為について (第1) 1 レース参加のための準備 A校は、同校職員らのレース参加を同校の行事としてではなく個人の資格で参加するものとしたが、 マリンマリンの貸し出しに当たっては、編成された乗組員がいずれも同船を含めてヨットの乗船歴があ り、同船による約20日間の訓練航海を終えたのちにレースへの使用を許可していることから、貸し出 しに問題があったものとは認められない。 2 保守管理 A校は、マリンマリンの保守管理を同校が行うという契約で同船を用船したが、本件発生までに、年 1回の上架整備のほか、数箇月毎の浮上中の点検整備や各航海毎にバラストキール取付部も含めた目視 点検をするなど、保守管理として通常必要とされている点検整備を実施していた。 また、一般に、バラストキール取付部に浸水などが認められなければ、バラストキールと船底外板間 のFRPをはがしてまで同キールを取り外して点検することは、これによる損傷が新たに生ずるおそれ があって一般に行われておらず、ましてA校は座礁歴を知らなかったのであるから、同キールを取り外 して点検しなかったことについて問題があったとは認められない。 (第2) 指定海難関係人Cは、ミドルマンとしてたかに乗り組み、メインセールの操帆などに従事していたも のの、運航の指揮に携わる立場になく、また、イーパーブの操作については、レーススタート前から取 扱担当者に指定されていたわけではなく、転覆後にその取り扱いを指示され、脱出時の混乱の中でこれ を流出させたものであり、同人の所為について特に問題かあったとは認められない。 4 その他について
1 レースの運営 トーヨコレース92では、レースの途中で荒天となり、参加したヨットのうち3隻がレースを断念し、 そのうちの1隻を含む2隻が転覆しているところから、事故発生防止上レース主催者がレースを中止す べきであったか否かの問題が生じているが、沿岸レースと違って外洋レースにおいては、レース中の各 ヨットから遠く離れているレース主催者にとって、現場の気象、海象を的確に把握することは困難であ ること、レースに参加しているヨットはいつでもオーナーまたは船長の判断でレースを断念し危険を回 避する行動がとれること、危険の程度は各ヨットによって相違があること、たとえレース主催者が中止 指令を出しても各ヨットの置かれている状況が好転することにはならないことなどを考慮すると、長距 離の外洋レースの途中で中止指令を出したとしても、レース中の各ヨットの海難防止に直接役立つとは 考えにくい。 前示の考え方は、外洋ヨットレースにおいては、ORCをはじめ国際的に慣行として定着しているも のである。 なお、雑誌「KAZI」平成6年1月号の「大荒れのミニトランサット93途中でレース中止が決定 される」と題する記事写によれば、平成5年9月にフランス共和国で行われた外洋レースにおいては、 レース途中から荒天となってレースの中止が指令された旨を報じているが、それと同時にレース中止決 定後において6隻が遭難していることも報じているのである。 2 最近の外洋レース用ヨットの船型及び構造と安全性との関連 最近の外洋レース用ヨットと旧来型のヨットの船型及び復原性の相違は別紙5に示すとおりであり、 これによると、旧来型のヨットは、船体中央断面が、船側外板からバラストキール下面にかけて緩やか な曲面をなしており、幅が狭くて深さが大きく、船底の平坦部がほとんどない船型が用いられているが、 最近の外洋レース用ヨットは、一般に、幅が広く、深さが小さく、船底が平たくなった形状で、喫水を 浅くさせて排水量を小さくしたものが多く、これによって航行時の抵抗を減じると共に、復原力曲線の 立ち上がりを大きくとり、初期復原力を大きくしているので、帆面積を増すことによって速力の増加を 図っている。 しかしながら、このような船型及び構造を採用することによって以下に述べる問題点が生じている。 ① バラストキールは重心降下と横流れ防止の目的で設けられるが、喫水が浅く風圧面積の大きい最近 の外洋レース用ヨットでは、旧来型に比べて同キールの深さを大きくとっているので、同キールに作用 する荷重の中心点が船底外板から遠くなり、バラストキール取付部に働くモーメントが大きく、荷重条 件がより厳しいものになっている。 従って、バラストキール取付部の船底構造は、集中荷重とならないよう、バラストキールボルトを船 底肋骨を貫通して取り付けるとか、ワッシャーの面積を広くとるなど、荷重を外板と骨材に広く分散さ せる必要があること。 ② 旧来型のヨットは、復原力曲線の立ち上がりが小さく、大きな帆面積をとることができないものの、 復原性範囲が大きく、転覆後の負の復原力曲線で囲まれた面積が小さいので、転覆しにくく、また、転 覆しても起き上がり易い性能となっている。 一方、幅が広く喫水が浅い最近の外洋レース用ヨットの船型は、旧来の船型に比べて、復原力曲線の 立ち上がりが大きいが、最大復原力を生ずる角度と復原性範囲が小さく、転覆後の負の復原力曲線で囲 まれた面積が大きくなる傾向にあり、転覆すると起き上がりにくい性能になっていること。
これらの問題点は、本件の直接の原因ではないとしても、その重要な背景をなすものと認められる。 (原因) (第1) 本件転覆は、バラストキール取付部の船底構造が伝達される荷重を分散させにくい構造であったこと と、以前座礁した際に同取付部に生じた緩みが残っていたこととにより、船体動揺によって長期にわた り同取付部に繰り返し荷重が動的荷重として働くうち、船底外板の疲労が進行し、八丈島東方沖合にお いて荒天漂泊中、同外板が破壊してバラストキールと共に脱落し、復原力が著しく低下したことに因っ て発生したものである。 なお、乗組員に多数の死者、行方不明者を生じたのは、バラストキールの脱落が予測しがたく、転覆 が乗組員の休息中に発生して不意をつかれたこと、転覆の速度が速かったこと及び船底の破口により船 内の空気が急激に減少して浸水速度が速かったことによるものである。 (第2) 本件転覆は、夜間、荒天下の小笠原群島聟島北方沖合を帆走中、突然右舷ほぼ正横から船幅を超える 高さの砕波を受けたため、復原力を喪失したことに因って発生したものである。 なお、多数の死者を生じたのは、レース主催者とたかとの通信連絡がとられなかったため、たかが転 覆して乗組員が膨脹式救命いかだに移乗したことを同主催者が認知できず、捜索が早期に開始されなか ったことによるものである。 (指定海難関係人の所為) (第1) 指定海難関係人A校の所為は、本件発生の原因とならない。 (第2) 指定海難関係人Cの所為は、本件発生の原因とならない。 よって主文のとおり裁決する。