2000年度日本オペレーションズ・リサーチ学会 秋季研究発表会
2−C−11
第2次大戦の日本の行動 (その∈i)
日本の停戦幸写力の欠女□と能力の不足 01602334 松LLI大学 湊 晋平 MinatoShimpei まえがき 日本は「いかなる形で戦争終結を得るか」という計画 なしに、漠然とした勝利の幻想を希って戦争を開始した。 そして硬直化した意志決定システムの基で、偏狭な幻想 的観念忙取りつかれて、戦争終結に向けての積極的な手 段をとることなく、漫然と事態の推移を傍観して戦争に 敗れた。 日本の戦争計画は[1] 1.日本は長期的に英米を屈伏させる戦争能力(生産力、 資源、経済力)を持っていない。二年間は充分対等に 戦争できる見込みはある。しかし二年先の見通しは立 たない。 2.緒戦さえ勝てぼ、米国は国内の特殊事情(人種間房、 反戦運動、婦人の力)から、早晩和平の手を差し伸べ るだろう。 3.連合国の一角が、戦意喪失により戦線より崩壊する ときが有利に停戦を得るチャンスである。これには a.ソ連の崩壊 b.独の莫本土上陸・占領 c.重慶政府の脱落 がある。 そして逆に、枢軸国側の崩壊・脱落の可能性は考慮 していなかった。 こうした点、日露戦争時の日本の指導者の行ったよう な慎重な配慮が欠けていた。 日本が行ったとぼしい戦争終結の努力は、主敵である 米・突と直接接触するものではなく、シナの重慶政府と の、統一制のない行動による、混乱した消極的な接触や、 非交戦国であったソ連を通じて行うというものであった。 対シ折衝[2] 日本が第2次大戦lこ参入した主要な要因は巳シ事変の 膠着化によるものであった。これは、偏狭な国防観念に 取り付かれた軍によって、日本政府が合理的な意志決定 能力を失っていった結果である。日米交渉で陸軍はシナ 本土からの撤兵に強行に反対し、これが日米交渉の妥結 の可能性を閉ざし、戦争突入への原因の一つとなった。 緒戦期、決戦期には連合国側の一角、童慶政府の屈伏・脱落を図る武力的手段を考慮していたが、ソロモン群島
をめぐって戦局が日本に不利になるに従って、妥協によって停戦を図り兵力を他に転用する方策が図られた。こ
れは、在シの陸軍を通じて、また日本の塊偽政権である
南京政府を通じてである。一方、また日本政府は南京政
府に対し租界返還、治外法権撤廃を行い(1943.1)、南京
政府は同時に対英米宣戦布告を行った。戦局の衰退期、敗戦期に至り、大勢は急激に枢軸側に
不利になっていったにもかかわらず、日本の対応は複数
の色々なルートから極めて雀慢に進められ、積極的な抜
本的な打開の対策を採らず次第にタイミングを失して最 終の段階に到達した。 対ソ折衝[3] 日本は戦局の有利な展開によっては対り戦争を遂行する意図を秘めていた。しかしながらドイ、ソの二面作戦の
不利を解消するため、幾度かにわたって独ソ和平をドイ
、ソに働き軌ナた。しかしヒトラーを中心に拒否され、逆
に大島駐独大使は幾度かにわたって独の日ソ開戦の要望 を取り次いできた。戦局が衰退期から敗戦期に至り、戦勢が日本にとって
決定的に不利になったとき、ソ連は日本に日ソ中立集約
の破棄を申し入れ、独降伏後は兵力を極東tこ集中して対
日参戦の好機を窺い、日本の停戦希望が連合国へ取次が
れるようとのかすかな希望をふみにじり、日本の敗戦直
前に満州に侵入した。対米英折衝[4],[5]
日本の外務省が積極的に米英と直接接触した記録lまな<、またそのようなもくろみも見られない。敗戦期にス
イスで海軍武宮が米諜報機関と、ス土−デンで陸軍武官
が同国王室を通じて和平を図ったケースはあるが、官僚
制度の壁に阻まれて成就の可能性は困難であった。
まとめ日本が外交的和平の道を探ることなく、徹底した敗北
ー248− © 日本オペレーションズ・リサーチ学会. 無断複写・複製・転載を禁ず.参考文献 [1]防衛庁戦史叢書,「大本営陸軍細く3〉昭和17年 4月まで」.pp20∼25,朝雲新聞,く1970) [2]戸部良一,’’対中和平工作1942∼1945■,「匡l際 政治」109,PP5∼21,く1995) [3]大木 毅,■独ソ和平開票と日本■,「太平洋戦争の 終結」,PP51∼70,柏書房,(1997) [4]大木 毅,一フリードリヒ・柵クと日本海軍■,「国際政治」, 109,PP22∼37,(1995) [5]小野寺百合子,「パルト海のほとりにて」,PP180∼ 206,共同通信社,(1985) にいたったには、幾つかの原因が転検して存在していた. 1.日本の政治的意志決定システムの極度な硬直化であ l る。これに官僚制の壁が拍車をかけた。 2.日本の政治責任者の政治的指導能力の不足。現実の 問題に冷静に分析することなく同素を先送りするとこ ろがあった。 3.戦争の性格の巨大性と複雑性による戦争目的の多様 性。世界が枢軸国側と連合国側忙分れて戦い、イデオ 0ギーや、政治制度が複雑に絡み合い、容易に解決で きなかった。 4.国家総動員による総力戦のため、資源、文化、精神 力、イデオロギーを総動員し、極限まで強い抜かれた 結果、無条件降伏の形で終結した。 表 日本の停戦行動のまとめ 米英の戦略会 開戦前 および 緒戦期 1942.1連合国舅 決戦期 1943.1カサブラ 枢軸側に 最 1943.8 ケベ、シ 1943.9 イタし 1943.11カイ⊂ 1943.11テヘラ 敗戦期 1945.2ヤルタ会 1945.4サンフランシス: 1945.5独降伏 1945:7ポ、ソタと 1945.8日本陣僻 儀 日本の対シ工作 1940.3南京政府設立 焉 1941.3日米交渉開始 1941.12日本第二次 ;同宣言 大戦に参入 重慶政権の屈伏 を図る 1942.9 重慶 進攻作戦 iンカ会談(ル、チ) 1942.12作戦中止 二無条件降伏要求 1943.1南京政府に 租界返還・ 治外法権撤廃 南京政府米共に宣戦 対垂慶工作編榛 南京政府の取扱 ソ 重慶一南京接触 」 柳gルート ロ ラ 日本大東亜宣言 河童慶工作編轄 ≡談(ル、チ、ス) 工作 】会議(国連恵章) シナ派遣軍ルート し会談(ト、ア、ス) ゝ し 日本の対ソ工作 1941.4日ソ中立集約 1941.6独ソ開戦 1941.11日本独ソ和平 を企画 積極派:日本外務省 日本海軍、ド大使館 拒否派:ヒトラー大島 1943.1大島、ヒトラー の対ソ参戦要請連縮 1943,4大島、ヒトラー の対ソ参戦要請連縮 l 1943.10大島ヒトラー の対ソ参戦要語連縮 1945.6ソ連を通じ 和平工作図る 1945.8ソ連対日宣戦 γ両う仙川叩∼伽り −249− © 日本オペレーションズ・リサーチ学会. 無断複写・複製・転載を禁ず.