九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
,,Neuer Mittelstand" und die Arbeiterbewegung
in Deutschland vor und nach dem I. Weltkrieg
(V)
小林, 栄三郎
https://doi.org/10.15017/2235325
出版情報:史淵. 109, pp.75-100, 1972-11-15. Faculty of Literature, Kyushu University
バージョン:
第
次大戦前後のドイツにおける
﹁
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層
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、 、 E ・ ・ ・ 4,
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九 ワイマル共和政第一期における民間ホワイト・カラ!の組織のうち、アl
ファ・プシトに劣らぬ重要性をもつのはDH
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︵ドイツ国民商店員組合﹀である。この組織については本稿悼の五でグェルナ1
・ フp
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チュの見解を紹介したが、そ ハ 叩 ︶ れは一九一九年四月までの外面的な動きのアクトライシをたどったにすぎない。われわれはDHV
の 理 論 武 装 が こ の 第 一 期においていかになされていたかを考察する必要がある。というのは、この組織がドイツ一一月革命の衝撃をくぐりぬけ てその右翼的主張の本質を維持しつつ、商業従業員の組織として第一位の勢力を確保しえたのはなぜか、という問題に答 えなければならないからである。 西ドイツのイl
リ ス ・ ハl
メルの﹁民族的組合と国民的労働組合l
l
一八九三年から一九三三年にいたるドイツ国民商 店員組合﹂︵一九六七年刊︶が一九一八年、一九年、二一年、三二ヰのDHV
の組合員数をあげていることは本稿悼の五で ︵ 山 ︶ 紹介したが、そこではDHV
だ け の 数 字 を あ げ て 、DHV
と競争関係にある他の組織との対比は紹介しなかった。イlp
ス ・ ハl
メルが一九三一||三二年に発行された﹁国際労働組合制度辞典﹂︵F
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ロ臼︶によるとして掲出している組合員数の対比はつぎのとおりである。 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 七 五第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ハ 五 ﹀ ︵ 小 林 ﹀ 七 六 一 九 一 八 年 一 九 一 九 年 一 九 二 一 年 一 九 三 一 年 ア
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ファ・プシト 九 回 、O
三 二 六 六 、O
五 三 一 三 、O
八 一ニ
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三 、 四 八 九GdA
︵GDA
︶ 三OO
、 三 五 七 三 二 七 、 七 回 二DHV
一 四 七 、 六 九 八 二O
七 、 八O
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二 六 回 、 三 六 七 四O
九 、O
二 二 この数字にもと e つ い て イ l リ ス ・ ハ l メルは、ホワイト・カラ l 労働組合という側面からみるとリーダーシ V プはワイ マル共和政の初期にはア1
ファ・プシト︵全自由職員連合﹀ロm
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円 出 ・ 氏 。 円 旨M m
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ロ ロ 門 戸 ︶ に ゐ り 、 そ の 宋 ︵ 山 ︶ 期にはDHV
にあった、と書いている。リーダーシ y プについては確かにそうであるが、厳密にいうと、この比較は正確 ハ ル ト フ ィl
ルはワイマル期のドイツ労働組合を比較検討するとき、社会主義的 でない。本稿伺の六で紹介したように、 労働組合、キリスト教的民族的労働組合、自由主義的民族的労働組合の三陣営に大別し、それぞれの陣営をまたプル1
・ カ ラ l 労働組合、民間ホワイト・カラ l 組合、公務員ホワイト・カラ l 組合の三部門に分けている o そして社会主義的労 働組合のなかの民間ホワイト・カラ l 組合の上部組織たるア l ファ・プシト、および自由主義的民族的労働組合のなかの 民間ホワイト・カラl
組合の上部組織たるGdA
︵GDA
とも書かれる。職員労働組合連合 の 叩 ぎ 問 一 円 ︸ 門 的 n H H R P 白σ
ロ ロ 門 田 門 目 。 吋 −P
ロ 向 。 印 店58
︶ に 対 応 す る も の は 、 キリスト教的民族的労働組合においては民間ホワイト・カラl
組合の上部組織たる ドイツ職員労働組合総連合会 ︵ 出 ︶HV
ではない。このハルトフィl
ルの対応のさせ方が正しいことはいうまでもない。DHV
は単一組合であって上部組織。
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︶ で あ っ て 、D
ではないから、厳密な意味でDHV
と比較するならば、アl
ファ・プシトとではなく、アl
ファ・プシトに加盟している 商業ホワイト・カラl
組合のなかの最も大きい組合と比較すべきであり、またGdA
と で な く 、GdA
に加盟している商 業ホワイト・カラl
組合中の最も大きい組合と比べなければならない。 筆者はDHV
の年次報告書の一九三O
年以降のものを見ていないので、ここでは一九二九年の年次報告書によってDH
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の 組 合 員 数 を あ げ て お く 。 − 八 九 三 年 ︶ 八 九 四 年 七 六 一 六O
一 八 九 五 年 五 七 一 八 九 六 年 二 、 三 五 二 一 八 九 七 年 七 、 七 三 七 一 八 九 八 年 一 八 、 二 七 七 一 八 九 九 年 三 二 、O
一 四 一 九OO
年 四O
、 二O
五 一 九O
一 年 四 五 、 七 四 四 一 九O
二 年 四 六 、 一 九O
三 年 一 九O
四 年 五O
、 二 一 六 五六二二六 一 九O
五 年 七 五 、 六 九 五 一 九O
六 年 一 九O
七 年 一 九O
八 年 九O
、 四 一 三 一O
七 、 六 六 八 一 二O
、 一 三 三 一 九O
九 年 一 九 一O
年 一 二O
、 二 七 五 三 二 、O
一 二 第一次大戦前後のドイツにおける﹁新中間層﹂と労働運動ハ五︶ 一 九 一 一 年 一 九 − 二 年 一 九 一 三 年 一 九 一 四 年 一 九 一 五 年 一 九 一 六 年 一 九 一 七 年 一 九 − 八 年 一 九 一 九 年 一 九 二O
年 − 九 二 一 年 一 九 二 二 年 一 九 二 三 年 一 九 二 四 年 一 九 二 五 年 一 九 二 六 年 一 九 二 七 年 一 九 二 八 年 一 九 二 九 年 ︵ 小 林 ︶ 一 二 二 、 一 一 一 ム ハ 一 = 二 、 一 九 五 一 四 八 、O
七 九 一 六O
、 五 一 六O
、 一 一 七 一 四 二 、 八 三 六 一 一 三 ニ 、O
七 六 一 四 七 、 六 九 八 二O
七 、 八O
二 二 五O
、 四 六 九 二 六 回 、 三 六 七 二 八 五 、 八 七 九 二 四 二 、 四 四 六 二 五 回 、O
三 二 二七て八五二 二九て四八六 二 六 、 五 四 六 、 七O
三 七 九 、 五 九O
七 七第一次大戦前後のドイツにおける﹁新中間層﹂と労働運動︵五︶ ︵ 小 林 ︶ 七 八 ア
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ファ・プシトに加盟している商業ホワイト・カラi
組合のなかで最も大きい組合といえば、 で あ 本 ろ ー 稿 うi15同 o〕の こ 八 れ では 述
一 − "" /¥. Tこ ﹁ドイツ男女商店員中央組合﹂︵N
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︶ 九七年の創立で本部はDHV
と同じくハシプルグ市にある。 が、ヮイマル期の組合員数はわからない。m
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︶ の 組 合 員 数 は 、 名、合計一九九、四五O
名 で あ り 、 ︵ 山 ︶ である。ドイツ国統計年報一九三二年によると、 ︵ 出 ︶ 名︶となっている。上部組織ですらこの程度の組合員数であるのに、DHV
は単一組合であるにもかかわらず下イツ国統 ︵ 山 ︶ 一九=二年末において四O
九 、O
二 二 名 と な っ て い る 。 一九一一年の組合員数は一五、五O
二名︵全部職員︶である この中央組合の上部組織である﹁職員中央連合﹂︵N
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年の年次報告によると、一九二九年末において男一O
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二 名 、 女 九 七 、 六 四 八 一 九 三O
年末において男一O
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五 、 三 七O
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、 三 八O
名 一九コ二年末において男女合計二O
三 、 四 八 九 名 ︵ う ち 女 一O
二 、OO
七 計 年 報 に よ る と 、 一 九 三O
年末において四O
四 、00
九 名 、GdA
に加盟している商業ホワイト・カラl
組合のなかで最も大きいものといえば、 ﹁ 一 八 五 八 年 の 商 業 従 業 員 組 合 ﹂ ︿ 白 色 口 同 位 吋 国 自 己Z
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品 川 白 ︸ 向 。 自 由 目 的 4 0ロ居間∞であろう。この組合は本稿付の二で見たように、 一九一一年の組合員数は D と き に 一 一O
、三六七名︵うち職員九七、五八O
名 ︶ ︵一九一二年のドイツ国統計年報では一三、O
三二名| l う ち 職 員 一 一 回 、 一 一 七 名 ︶ ︵ 国 ︶ で あ っ た 。 であったHV
が一二二、一二六名 一 九 一 九 年 一O
月一白にGdA
が結成されたとき、上記の ご八五八年の商業従業員組合﹂のほかに三組合がこれに加盟した。﹁ドイツ商店員組合﹂ 戸 ロ ロ 問 的 問 叩 FFH 片 品 山 口 ︿ m w 円σ m H
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ロ 岡 山 口 出 。 ロ け 巾 ︵ 本 部 ベ ル リ ン 、 一 九 一 一 年 九 三 、 八 四 三 名 、 う ち 職 員 八 七 、 九 一 九 名 ︶ 、 ﹁ ド イ ツ 商 人 組 合 ﹂ ︿ 号 冊 目 ロ 一 九 一 一 年 一 八 、 六 六 七 名 、 う ち 職 員 一 八 、 二O
二 名 ︶ 、 ﹁ ド イ ツ 職 員 組 合 ﹂ ︵ 本 部 ラ イ プ チ ッ ヒ 、U
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ロロ仏︵本部マグデプルグ︶である。最後の﹁ドイツ職員組合﹂は一九一九年九月一三日に、 ︵m
︶ ﹁ ド イ ツ 民 間 職 員 組 合 ﹂u
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八名、うち職員 約 二 五 、000
︶ と﹁ドイツ鉱山・工場職員組合﹂U
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ロ 門 戸 ︵ 本 部 ボl
フ ム ︶︵ m ︶ との合併によって結成されたものである。﹁一八五八年の商業従業員組合﹂ の組合員数は、一九二四年||二五年のドイ ツ国統計年報によると、一九二
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年および一二年末において一O
八二四六名︵うち職員九九、五七O
名︶であった。﹁ド イツ商店員組合﹂は一九二O
年および一二年末において一二二、二二七名︵うち職員一一五、一O
四名︶である。﹁ドイツ ︵ 国 ︶ 商人組合﹂は同じく一九二O
年および一二年末において三九、八七O
名︵全部職員︶であったという。 以上、組合員数のわからない年次が多いけれども、DHV
が商業ホワイト・カラl
の単一組合としては第一位の勢力をも っていたことは明らかである。このDHV
はワイマル共和政第一期において、どんな理論闘争を展開したのであろうか。DHV
の出版部から一九一九年七月一日に刊行されたヴァルグl
・ラシパ?ハ著﹁社会化と商業職員||ひとつの研 究﹂は﹁文化政策的、民族政策的時事問題﹂と題するパシフレ?ト双書の第二輯であるが、ドイツ一一月革命から半年余 を経過した時点におけるDHV
の理論武装を考察するのに好適の文献のひとつであろう。ラシパッハがこの時期にDHV
の組織のいかなる地位についていたかを筆者はまだ明らかにしていないが、 ︵ 凶 ﹀ ︵ ︿ 巾 円 建 山 口 出 口 問 ︶ の ひ と り で あ る 。 一 九 二 一 年 のDHV
年 報 を 見 る と 、 執行部 おそらく一九一九年七月の時点でも、執行部にいたのではないかと思われる。 ラ ン パ y ハによると||革命後のドイツ政府のト y プに立っているエl
ベルトもシャイデマシも、社会民主党のエルフ ルト綱領を信奉している人物である。この二人の左には独立社会民主党の推進者としてハl
ゼとその同志たちがいるが、 かれらもエルフルト綱領を早急に実現したいと思っている。さらに極左には徹底したコムニストたちがいて、この人たち の立場からすると、エルフルト綱領のなかで要請されている未来国家を実現するための手段としては、ドイツ民族28
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︿。拝︶の徹底的窮之化でさえ、あまりに野蛮すぎるとは考えられないのである。かれらは狂信的な扇動者で、 政府をますます急進的な方面に旋回させようとしている。そもそもエルフルト綱領は統制経済︵ N 4 4 山 口 問 的 看 守z n
町 民 片 ︶ を 意味する。そして、ほとんどすべての公務員は統制経済の信奉者である。かれらは戦時中ラl
テ ナ ワ に よ っ て 訓 練 さ れ 、 実際に統制経済をおこなったのだから戦争責任の問題では﹁有罪﹂︵臼n
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巳島問︶であり、今ではもはや従来の考え方から 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 巡 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 七 九第一次大戦前後のドイツにおける﹁新中間層﹂と労働運動︵五﹀ ︵ 小 林 ﹀ 八
。
ぬけだせない。したがって、かれらは原理的には、 にひろく使われている標語が﹁社会化﹂S
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ロ 巴 で あ る 。 決定されようとしている。ゆえに、未来の謎を解こうと欲し、未来の形成に参加しようと欲するなら、エルフルト綱領の 根本思想と対決し、この綱領を実現しようとしている権力者たちと対決しなければならない。ところでエルフルト綱領の エルフルト綱領の弁護者たちと全く異ならない。こうした全グループ ドイツの商業職員の未来もまた、この標語によって 重 要 な 部 分 は 、 つ ぎ の よ う に 書 か れ て い る 。 ﹁生産手段の私的所有は、以前には生産者に自分の生産物の所有を確保させる手段であったが、いまでは農民、手工 業者、小手工業者を収奪して、労働しない者||資本家、地主ーーに労働者の生産物を所有させる手段になりかわって いる。生産手段lll土地、鉱山、原料、道具、機械、交通手段ーーにたいする資本主義的私的所有を社会的所有に転化 し、生産を、社会のために社会によっていとなまれる社会主義的生産に転換させることによってはじめて、大経営とた えず増大してゆく社会的労働の収益性とが、これまで搾取されてきた諸階級にとって、貧困と抑圧との源泉から、最高 の福祉と調和のとれた全面的改善との源泉になるようにすることができる。﹂ これは全く有望な話のようにきこえる。しかし、こうした文章の背後に何が潜んでいるか。生産手段を社会的所有に移 す、とはどんな意味か。生産手段とは何か。ラl
テナワも社会民主党も、生産は人聞によっておこなわれ、生産の上昇に は、すくなくとも理論上は最高の限界はほとんどないという想定から出発している。かれらは、機械がますます新しくな れば品物もますます大量につくられると思っている。人聞は発明と組織化との才能によって、これまでと同じように毎年 ひとりあたりの生産量をふやしてゆけるものだと、かれらは考えている。しかし、かれらは物ごとの核心を見ぬいてはい ない。経済活動の形式がすごくこみいっているために、かれらは終局のところまで見とおすことができなくなっているの なぜなら、ヵルヴァl
︵の巳司ゆるが指摘したように、実際には生産は新らしい原生産物︵55
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︶が発 生するところでしかおこなわれないからである。他のものはすべて、この原生産物を変化させ変形させたものにほかなら だ 。ぬ U ところで、原生産物をつくりだすのは、人間ではなくて自然である。鉱脈、炭層、塩堆積は何百万年にわたる自然の 生成活動の結果として、地球の胎内によこたわっているのだ。また野外では大慈悲の自然が年々麓々、畑や牧草地、森や 池、河や海で新らしい収穫をわれわれのために生長させている。なるほど自然は、われわれが勤勉に努力すれば収穫をふ やしてくれることもある。しかし、﹁われわれは生産者だ。ゆえに︵たとえ単に理論的のみにもせよ︶収穫を思うがままに 倍増することはわれわれの手中にある﹂と宣言する権利を、自然は決してわれわれに譲りわたしはしないだろう。われわ れにできることは、農業のばあい自然に協力して自然が原生産物をつくりだすのを容易にすること、限りない労苦を注い で 自 然 が 一
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セジトあるいは二O
パーセントだけ多くつくりだしてくれるようにすること、自然の力の作用が生みだ すものをわれわれが手を伸ばして収納し、あるいは鉱山で掘りだすことにすぎない。したがってエルフルト綱領が﹁たえ ず増大してゆく社会的労働の収益性﹂といっているのは、すくなくとも誇張であり、否、われわれはこれを誤りと考えざ るをえない。人間の労働の収益性には、自然によって定められた狭い限界があることを忘れてはならない。ところでエル フルト綱領は﹁生産手段﹂なるものをいかに理解しているか。原生産物を獲得するため、また原生産物を未製品・半製品 −完成品に変えるために役だっ一切のものを﹁生産手段﹂として理解していることは明らかだ。だからこそエルフルト綱 領は﹁土地、鉱山、原料、道具、機械、交通手段﹂と列挙し、 このように列挙することによって、﹁生産手段﹂ という概 念のもとに理解さるべき一切のものをスケヅチ風に示唆しようとしている。したがって、新しい品物がそれによってつく られる一切のものを指すのだ。主婦の室にあるミシシも、会計係が朝それに乗って市内にゆく自転車も生産手段である。 エルフルト綱領は一語一語よく考えぬいて書かれていて、そこには、生産手段の社会的所有が私的所有に場をゆずるよう な限界については全く述べられていないから、社会民主主義を奉ずる三政党はいずれも、あらゆる生産手段の徹底的な社 会化を目標としていると見なければならぬ。それでは﹁社会化﹂とは何か。現在、﹁社会化﹂と﹁固有化﹂︵︿O
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︶を同一視しがちであるが、革命前には社会民主党はこの同一視につよく反対していたことを忘れてはならない。 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ }\第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ハ 小 林 ︶ 八. かれらによると、国家と社会は閉じものではない。国家がプロレタリア大衆の手中に鐙られた道具となったとき、はじめ て﹁社会化﹂と﹁固有化﹂との同一視に反対する必要がなくなる。現在では革命によって国家がいわば労働者大衆の手中 にある道具となったから、この同一視を黙認しているが、事情が変わって労働者の勢力が低下すると、ふたたび同一視に 反対するというのだ。ところで、エルフルト綱領は﹁生産手段の社会化﹂だけで実現されるのではない。さらに﹁商品生 産を、社会のために社会によっていとなまれる社会主義的生産に転換させること﹂が必要である。すなわち、資本利潤を 目的とすることは許されない。労働者の賃金は、労働によって生ずる剰余価値に正確に対応するものでなければならぬ。 ﹁資本家﹂は収益を得てはならないのだ。いうまでもなくエルフルト綱領は一八九一年エルフルトで開催された党大会で 社会民主党の政治綱領として採択されたもので、 その実現をめざして努力しているという点では、 コムニストを含めて 社会民主党系の三派は一致している。それを実現するための方法について見解がちがうだけである。要するにエルフルト 綱領は私的所有を廃止し、いわゆる﹁公正なる﹂賃金によって資本形成を阻止しようとしているのだ。そうなると商人は 質問する。﹁いったい私の冒険︵当
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宮口︶にたいする補償はどうなるのですか。あらゆる経済的事業には必ず危険がとも なうものですが、その危険を負担する人聞はどうなるのですか﹂と。およそ冒険と利潤は、つきもので、利潤の可能性の ところが商人でない人聞は、五年前からす ないところには冒険心︵当ω常
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︶も生まれないことを商人は知っている。 べての人びとがその高鳴りを意識的あるいは無意識的に待ちのぞんでいた経済活動の巨大なメロディーがとどろきわたる ときに、冒険心がいかに大きな役割を演じねばならないかを知らない。公務員精神、官僚精神は労働生活における原動力 としての官険心を知らないのだ。そして戦争のために公務員、官僚が経済問題の権力までも握った。また、何ものにもと らわれぬ経済活動から五年間も遠ざかっていたために、わが民族のなかで商業に従事していない人びとのあいだでは、以 前に理解しえたことの想い出さえも完全に消えうせたように見える。あらゆる経済的事業は損失の危険をともなうから、 冒険心が必要である。このことを商人は今日のすべてのユl
トピストたちにくりかえし明らかにせねばならぬ。というの︵ 出 ﹀ は、この根本的真理こそ、かれらの知らないことであり、すくなくともかれらが重視していないことだからである。 このようにしてラシパッハは、私的所有の廃止と資本形成の阻止とをめざすエルフルト綱領が商業と両立しえないこと を強調する。さらにランバッハは商業一般との関係から論を進めてエルフルト綱領と商業ホワイト・カラーとの関係にい た り 、 プ ル
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・カラーとの相違を力説している。それによると||一九一八年一一月の革命によって権力の移動がおこっ たとき、商業職員は自分たちの一履一主の権力も制限を受けざるをえないのを見て、ひそかな喜びを感じたものである。幾十 年にわたってかれらは一雇一主と闘争し、きわめて僅かな社会政策的進歩さえも粘りづよい苦闘ののちようやく雇主からもぎ とることができたのだ。だから、一履主の権力がついにうちくだかれるというので、かれらはホ y とした感じをいだいたわ けである。しかし、商業職員が感じたのは喜びだけではなかった。企業家たちがうしなった権力は職員︵ホワイト・カラ − 門 出 。 ﹀H M
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ロ︶の手にではなく、労働者 ︵ プ ルl
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門 問 。 ﹀ 同σ o
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片 付 ︶ の 手 に 移 っ た か ら で 為 る 。 職 員はただ単に、ひとつの従属から他の従属に変わっただけである。否、かれらはひとつの抑圧的従属から、なお遥かに抑 圧度のつよい従属へと移ったのだ。それまで商業職員が従属していた雇主たちは、すくなくともその大部分がみずから商 業職員という地位︵ω
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ロ 円 四 ︶ を 体 験 し た こ と が あ る の で 、 その地位にともなう心配や苦労を理解する能力をもっていた。 ところがプルl
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の労働者はプロレグリアとしてのワヌボレ ︵H V H
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︶をもって﹁たてえり︵立 襟︶カラl
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巴 宮 円 ︶ は肉体労働者 ︵ 出 回 口 円 四 国 円σ
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︶ とは全くちがった生活要求をもっていることを理解する能力を完全に欠いでいる。 = 巳 ベルトーシャイデマシ政府は三月四日に新聞を通じて非公式布告︵ 宅
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冊目︶ を 流 し た 。 これは﹁社会化法﹂に有 利な世論をつくりだす、不ライをもっていたが、そこに出てくる以下のような文章は、経済学、心理学あるいは社会学の学 生の答案なら落第必至のものであろう。 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 八第一次大戦前後のドイツにおける﹁新中間層﹂と労働運動︵五﹀ ︵ 小 林 ﹀ 八 四 ﹁ 経 済 体
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円 切 叩 吋 ︶ は 単 に 再 編 成 ︵ ロ2
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∞店ロ︶され、全体の利益のために変化させられ るだけである。工場その他の経営体の所有者および共存者の主導権2
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昨 日 丘 町 四 ︶ は 従 来 の と お り と す る 。 所 有 者 は、私的利潤がもはや決定的なものでなく全体に交付されるという点においてのみ、内的に環境変化に順応しなければ な ら な い 。 ﹂ ︵ ロ ぽ 同 己g σ
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当 日 片 品 ・ ︶ この文章は全くナンセシスである。経済体はいわば有機体のようなものであるから、育成はされるけれども、﹁編成﹂ ︵ O話
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されるものではなく、固有の生長法則にしたがって自分自身で発展していくものである。それは、もし 思いあがった愚か者たちが何か異質の形式に人工的に押しこもうとすれば、干からびて死んでしまう。このように締めつ けられた経済体のなかで﹁工場その他の経営体の所有者および共有者の主導権﹂がどうして従来どおりに保持されうるの 私 的 利 潤 が も は や : : ; ﹂ と い う 文 章 で あ る 。 か、全くわからない。最もばかばかしいのは、﹁所有者は、 このような要請 がいつか実現されるなどと信じて方策を立てている連中は、自が見えなくなっているのだ。最高価格といったようなもの を決定して私的利潤を﹁規制﹂︵h
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しようとした戦時措置がいかに経済を荒廃させたかを、かれらは全く気づい ていない。子供でも知っていることを、かれらは知らないのである。というのも、かれらが現在行使している組野な暴力 のもつカを愚かにも信じこんでいるために、生活の現実を見る自由な展望をうしなっているからである。﹁私的利潤﹂は 商人にとって自分の全労働のアルファでありオメガである。それは、かれが絶えずおびやかされている損失の危険にたい する補償であるばかりではない。それは、かれがおこなう全労働にたいする賃金であり、何びとの心にもひそむ功名心を 満足させるものであるばかりではなく、かれがとる一切の措置の基準となる尺度でもあるのだ。医師にとっては患者の治 癒で自分のとった処置の正しかったことが証明されるのであって、医師が書く計算書の金額はこの証明と全く無関係であ る。技師の場合にも、技術的成功と財政的成功とは別のものだ。しかし、商人にとっては仕事の成功と財政的成功とはほと ん ど 常 に 同 じ で 為 る 。 ゆ え に 、 りこうぶった社会主義的政府が要求しているように内的に環境変化に順応したりする と、商人は自分の仕事の評価のための尺度をうしなって、商人たることをやめざるをえない。要するにエルフルト綱領は 商人を官僚的な物資分配者に格下げしようとしており、商人本来の仕事を経済生活から排除しようとしている。しかし、 そうなると経済は死滅するほかはないのだ。経済が死滅しないためには商人と商人の仕事を、民族生活
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何 回 ︶ に奉仕する重要な構成要素として残しておかねばならない。特に商業職員の重要性は、 一九一九年三月の初め、中部ドイ ツの鉱山警察管区で実証された G このとき、プルl
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の労働者たちはストをおこなって車を止めてしまった心それ にたいする防衛ストを商業職員がおこなったために、労働者が仕事を再開しようとしても、職員が協力するまでは再開で きなかった υ 三月二一日にはりュl
ベッグでも商業職員がストを開始して三日間続行しただけで、企業家もプルl
・ カ ラ ーの人たちも仕事ができなくなった。これまでの発展の歴史は、プルl
・カラーもホワイト・カラーも被雇用者として雇 主に対立するという点で共通の利害をもっているが、しかし、利害の異なるところも多いために、プルl
・ カ ラ ! と ホ ワ イ ト ・ カ ラ1
、労働者と職員とを包括する一大組織をつくろうとしてもうまくいかないことを教えている。労働者だけの組 織と職員だけの組織とを結ぶ同盟は必要であるし、また実際に存在しているが、両組織の完全な融合は、職員の利益を決定 的に主強することを不可能にするであろうから、かえって有害であろうと思われる。さらにこれまでの発展の歴史は、同じ ホワイト・カラーでも、商業職員と技術職員、事務職員その他の職業グループとのあいだには利害のちがいが大きいために、 それらを包括する単一組織にすると、それぞれの利害を充分に代弁しえないことになる。だから職員も労働者と同じく、 職業グループごとに別の組織をつくってやってゆく必要がある v そして、それらの職業グループ別の組織が連合組織をつ くって共通の問題に対処し、力づよく団結してゆくことができる。DHV
は商業職員組織のなかの最大の組織として、社 会民主党の計画している社会化に反対する υ 社会化は経済生活を破壊するものであり、すべての商人および商業職員の敵 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 八 五第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ﹀ ︵ 小 林 ︶ 八 六 である。商人の仕事は自由を必要とする。 ︵ 同 州 宮 崎 自 m wロ ロ 包 吋
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伊 丹 ・ ︶ ま た 、 あ ら ゆ る 経 済 的 生 成 ・ 生 長 しかし決してカクッキー的処方による 町 宮 崎g m
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︶ は自由を必要とする。自由をもたらす人は救済︵丘四開ユ O 由 民 話 ︶ を も た ら す 。 占 μ、
このような人は社会的進歩をももたらす ﹁ 社 会 化 ﹂ をもたらすことはない。 商業職員という地位2
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片 山 凶 ロ 門 戸門 −
2 1 にとって重要なことは、理性の新時代がくるまで、地位として、また個人の総体と して経済的政治的に力づよく身をささえておくことである。肉体労働と頭脳労働︵出回口仏 zg ロ 品 開 。 切 片 山 岳 色 。 と の あ い だ の距離がさらに大きくなって頭脳労働に害をおよぽすにいたることを許してはならない。自分たちの地位の利益のため に、社会生活のあらゆる分野における一切の進歩に参与するように闘争しなければならぬ。そうすることによってはじめ て 商 業 職 員 は 、 自 分 の 仕 事 ︵ ﹀ 号 色 。 、 商 人 の 仕 事 ︵ 内 田 口 同 自 由 ロ ロ 白 山 号 色 付 ︶ が ふ た た び 高 い 名 誉 を 受 け る 日 に 備 え る こ と ︵ 出 ︶ ができるのだ。そのとき商業職員は自分の全力を全民族2
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︿ O 拝︶にささげることができるであろう。 ラ シ パ y ハはこのように論陣を張っている。そこではエルフルト綱領の要求する社会主義が実現される場合、私的利潤 が否定されるから、商人の冒険心も燃えあがらず、また商業ホワイト・カラーはプルl
・ カ ラl
に抑圧されると強調され ている。すべては商業職員の直接的利益という狭い視点からとらえられていて、 収奪の廃止という大きな視点は当初から棄てられている。 エルフルト綱領の基本的要求たる階級的 ラシパヅハはこのパシフレットでDHV
の基本的主張のひとつである民族主義にあまり触れていないが、DHV
年報にハジス・ベヒリが書いた﹁政治と文化﹂主題する小論は、この時点におけるDHV
の民族主義にかんする理 ︵ 協 ︶ 論を見るのに好適である。なおベヒリは当時DHV
の組合長︵︿2E
ロ 骨4
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るであった。ベヒリによると||文 明︵ N 守 口 宮 山 仲 間0
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と文化︵同己E
円︶は決して同じものでなく、たがいに対立する。文明は富や技術の物質的な外的な発 展によって規定される。文化は外面的な生活形式と内面的な倫理的実行力とが調和しているところに存在する。文明にお いては知識としての倫理的認識は発達するが、倫理を実行しようとする誠実性︵君島与え片山何回8
5
はかえって萎縮し退 一 九 二 一 年 の化しがちである。近代文明は物質的知識、技術的能力を高度に発達させたが、個人生活および職業生活において倫理的認 識を実践に移そうとする意志を萎縮させた。そこでは全生活が誠実性をうしない、倫理的義務は単なる知識に終って利己 的享楽と妥協させられる。そこに大きな生活虚偽争各自
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︶が発生し、民族の全階級官酔B
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がこの虚偽におかされる。この生活虚偽は現在もまた、かつて以上にドイツ民族全体を支配している。戦争の不幸な結末 によって、われわれの高度の生活水準を維持する物質的手段はうしなわれてしまった。しかし、民族の全階級は質素な生 活形式に後帰することに強く抵抗している。誰れもが自分たちこそ他の貧欲な連中とちがって犠牲を払う用意が・あると主 張している。たいていの人が理想主義︵Eg
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戸与を説く。しかし、自分たちの生活にも重大な犠牲を求めることにな るような提案はしない。いまドイツ民族の課題となっているのは、自分自身を制御︵2
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ロ︶することだ。極度に自由 主義的な憲法と極度に広範な権利とだけでは、民族のなかの多数の人びと 意志が利己心の障害を克服しないかぎり、なんの役にもたたない。犠牲を払うノ・ ドイツにはあれほど多くの理想主義的︵広g H
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︶ 運 動 が あ る 。 ︵ 品 目 。 冨σ
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︶のもつ倫理的 言 葉 だ ノ ・ これは多くのひとにとっては良からぬ しかし、いつでも言葉だけだ。ドイツの ブルジョアジー ︵ 含 白 色2
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︶は革命のために指導的地位をうしなったが、 そ の 思 想 傾 向 は 徹 頭 徹 尾 、 理想主義的であった。すくなくとも倫理的認識は存在した。しかし、実践にいたらなかった。聖書のなかで救世主が富め る男に、持ちものをすべて売って貧しい人びとに与えよ、といった話は教えるところがきわめて多い。いわれた男は悲し ﹁かれはたいへんカ、不もちだったから﹂と書いてある。すべて所有は人聞を不自由にする。多少とも物質的な く な っ た 。 財にめぐまれると、その人の心は所有にとらわれ、その財を維持し増殖することが主要関心事となり、ついには自分の一 切の動きがこの関心事に従属する。そうなると、もはや純物質的な生活と職業行動とにいたる道は遠くない。ドイツのプ ル ジ ョ ア ジl
も依然として旧権威国家への復帰を期待している。そこには知識としての倫理的認識はあっても実践への意 志が欠けている。もしプルジョアジ l が理想主義的認識から文化的自己抑制へ、理念的な犠牲の覚悟へ到達しないなら、 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 八 七第一次大戦前後のドイツにおける﹁新中間層﹂と労働運動︵五︶ ︵ 小 林 ︶ 八 八 新しい生活形式をかちえるために他のそれぞれの民族階層がたたかっても、 官江口自己
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ゅ の 包 巴 一m
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口 町 巾 ︶ を 否 定 し て い る 。 社会民主党の内部でも、民族性が人類文化にとって唯一の支持しうる下部構造 ︵句ロ宮与一山戸乙であるということは確かに広く認められているが、しかし、ここでも特にリーダーたちのあいだでは誠実性 への勇気が欠けているしリーダーたちはブルジョアジーを憎むあまり、ブルジョアジーの考え方こそわが民族の内的崩壊 を避ける唯一の可能な道であることを知っていながら、敢えて提言しない ι かれらは自分たちの極度にあいまいな純物質 的な文化目的にしがみついているが、その目的はほんとうは決して文化目的の名に値せず、文化なき文明にすぎない。 被雇用者運動には民族的︵ロm w H
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ロ回目︶運動とそうでない運動とがある。民族的でない被雇用者組合︵佳四﹀号巳E
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− ︿ 叩 吋 ぴ 仙 百 円 四 O ︶は、文化の貧困な、文明化された現代の最悪の産物である。こうした組合には、文化的使命の認識もなければ 倫理的目標への意志もない。そこではその日その日の文明的な胃袋的利益のみにとらわれて文化的な精神的使命の自覚が これに反して民族的な被雇用者運動は、一切の不確かな妥協と対立解消とがわが民族︵戸口忠吋︿ O 宗 ︶ を ますます大きな不誠実︵口口当m w F
円 何 回 弘 氏m
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におちいらせることを認識して、わが民族のなかに存在する文化破壊的勢 力と対決しなければならぬ。この運動は精神的には今ようやく生まれたばかりであり、この運動を担う民族的階級︵FZ
存 在 し な い 。 利 益 組 織 で は な く 、 の倫理的使命の認識を深めようと闘っているところである。 階級文化運動ともいうべきもの︵巾E
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︶ で あ る 。 民族的な被雇用者運動は純然たる被雇用者 ︿ 。 −z
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︶ それは諸階級の上昇︵ 仏 日 開
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丘己目指︶のために奉仕するものであり、ドイツ民族の倫理的改新をめざす仕事に奉仕するものだ。この諸 階級上昇と民族の倫理的改新とは、決して両立しないものではない。両者はたがいに結合されうるものであるばかりでな く二方だけでは存立しえないものである。階級運動で倫理的理念から発していないもの、したがって民族全体のなかでの 努力にたいして民族全体のための倫理的目擦を設定しえないもの ︵H W 円 ロ 伺 同z
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由 。 同 N し ゅ ロ 片 山 口P
: ・ ︶ は 、 味気ない物質主義におちいって決して文化建設的作用をおよぽしえない。 他方において職業的基 礎︵σ
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邑 n y 刊 の 円 ロ ロ 門 同 区 間 巾 ︶ の な い 純 然 た る 文 化 運 動 は 、 決 し て 真 の 民 族 運 動 ︵ ︿ O 宗 臼σ
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口 問 ︶ に な り え な い 。 ま た、このような運動は職業志向と職業実施とに直接的影響をおよぼしえないから、思想の実現への影響という大切なことが 欠 け る 。 ゆ え に 職 業 組 織 ︵ 切2
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ロ︶だけが民族運動となりうる。そもそも国家的な民族生活2
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︶については、抽象的解釈などというものは存在しないのであって、あらゆる政治的思考守口2
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︶思考を除くーーは職業思考および階級思考︵切巾E
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ロ︶である。この職業・階級思考からこそ、普遍的な人生観と世界観とが発展する。そして、こうした人生観・ 戸 問 。σ
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︶のもたらすもろもろの障害を克服しうるのである。 ︵ 円 四 戸 内 世界観のなかで自分たちの民族性への愛 ベヒリのこうした論議においても階級的収奪という問題は全く触れられていない。 それどころかドイツのプルジョア ジl
の思想傾向は理想主義的であり、民族的であって、ドイツ民族の内的崩壊を避ける唯一の道はこのプルジョアジl
の 考 え 方 に あ る 、 と ベ ヒ リ は い う 。 ただし、ブルジョアジーは倫理的な正しい認識をもちながら、それを実践する意志をも 台 − h ム 、 。 争 t テ , 、 し V そこで民族的な被一雇用者運動、すなわちDHV
を中心とする運動こそ、 民族的危機にみまわれたドイツを救う運 第一次大戦前後のドイツにおける﹁新中間層﹂と労働運動︵五︶ ︵ 小 林 ︶八
)1,第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ハ 小 林 ︶ 九 0 動 で あ る と い う の だ 。 こ の 場 合 、 ベヒリの用語法で注目に値するのは、 階 級 ︵ 同
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器 開 ︶ の 前 に 民 族 ︵ ぐ O H W ︶をつけて ︿ O H W 白 E 自 由 。 ︵ 複 数 ︿ O H W ω E M W ω 白B
ー﹀といっていることである。そこには、階級といっても閉じ民族の構成体にほかなら ぬという主張があらわされているように思われる。すなわち階級よりも民族のほうが一段と高い次元にあると考えている の だ 。。
ワイマル期のドイツ労働組合を社会主義的労働組合、キりスト教的民族的労働組合、自由主義的民族的労働組合に三大別 してそれぞれのなかの民間ホワイト・カラ l 組合について理論武装を考察すべきであるが、第一の社会主義的傾向の組合 は社会民主党系なので理論も比較的によく知られているから本稿では第二のキリスト教的民族的傾向の組合、特に DHV についてその理論構成をかえりみた。第三の自由主義的民族的傾向の民間ホワイト・カラ l 組合の上部組織は GDA 職 員 労 働 組 合 連 合 ︶ であるが、この GDA が一九二二年ワイマルで開催した﹁第一回ドイツ職員大会﹂の記録を見ると、そ の 理 論 が よ く わ か る 。 GDA の下部組織については本稿同の六で一九二九年一月刊の﹁公生活綱要﹂によって民間職員組合の傾向別の状況を ︵ 協 ︶ 見たときに触れたが、そこでは商業職員組合の下部組織が述べられていないので、ここで補足しておく。 GDA が 一 九 三O
年に出版した﹁職員運動の諾時代︵一七七四||一九三O
年︶﹂によると、一九一九年一O
月一日に GDA は統一的指 ︵ 別 ︶ 導部のもとに発展を開始したと書かれているが、東ドイツで一九七O
年に出版した﹁ドイツのプルジョア的諸政党﹂によ れば、創立委員会が GDA の結成を公表したのは一九一九年七月二二日であった。いずれにせよ、実際の創立大会は一九 ︵ 叩 ︶ 二O
年一一月二O
日と一二日にマグデプルグ市でおこなわれた。下部組織は創立当初つぎの四組合であった。コ八五八年の商業職員組合﹂岡宮崎
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に 加 盟 し た 。 ﹁ ド イ ツ 職 長 組 合 ﹂u
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同 旨 宮 口 広 島 常 ︿ 向 。 山 口 F ロ 弘 司 広 島 民 自 ﹁ドイツ生活保護制度出納係組合﹂︿R
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の記録﹁第一回ドイツ職員大会﹂によると、連合会長︵国民丘0
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は つ ぎ の よ う に 述 べ て い る 。 | |GDA
の 先 駆 者 た ち は 、 日 曜 も 休 め ず 、 一 日 の 労 働 時 間 も 長 い 商 業 職 員 の た め に 、 日 曜 休 業 、 八 時 閉 店 、 最低休息時間などを要求して何十年もたたかってきた。それは利己主義︵何百四B
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︶ 、 無 識 見 ︵ 何 日g
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︶ と の 闘 争 で あ っ た 。GDA
加盟組合の機関誌、大会報告などを見れば、この闘争 の実情がよくわかるはずだ。それはまさしく受難の歴史である。社会政策的進歩をかちとろうとして努力すればするほ ど、企業および当局がわの抵抗はますます強くなった。このことは職員法︵﹀恒m
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︶の発展にもあらわれて いる。経済事情が全く変わったのにもかかわらず、これに適応しようとする姿勢は見られず、依然として古いものにしが スイスやオーストリアでは、すくなくとも新情勢に適応しようとする試みがなされたのに、ドイツでは企 業がわの圧力によってあらゆる改善が阻止された。商法六三条による疾病時の給与支払にあたっても、矛盾だらけの判決 み つ い て い る 。 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 九第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ﹀ ︵ 小 林 ︶ 九 がおこなわれた。われわれの組合からの提案はかえりみられず、政府のおこなう提案は退歩的なものにすぎなかった。そ のほか商業職員が独立して勤務先の商業の競争者となることを制限しようとする競争禁止約款︵問。ロ
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臼 冊 目 ︶ の 問題、商事雇用裁判所︵問自同5
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︶ の 問 題 、 経 営 に た い す る 労 働 組 合 の 共 同 決 定 権 ︵ 冨 片 付σ
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︶ の問題、社会保険、徒弟教育、婦人労働など、これらのすべての問題について討議するなかでいよいよ明らかになったの ﹁ 一 八 五 八 年 の 商 業 職 員 組 合 ﹂ は、経済と政治、経済と国家との結びつきの深さであった。 そ こ で と ﹁ ド イ ツ 商 店 員 組 合 ﹂ と は い ず れ も こ の 結 び つ き か ら 教 訓 を 学 び と り 、 一 方 は 政 党 政 策 と 地 位 政 策 ︵ω
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商業ホワイト・カラ!という地位がとるべき政策︶をとりあげ、他方は国家公民としての教育︵島市ω E
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何 日 目 。 ゲ ロ ロ 肉 ︶ の 問 題 を と り あ げ た 。 こ れ に よ っ て 、 そ れ ま で 職 業 別 組 合 ︵ 切 巾E
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与 吉 弘 ゆ ︶ が 自 分 の な か 一 九 一 一 年 の 組 合 大 会 で 、 に眠っている力を自由に発展させるのを妨げていたいろいろの束縛が破砕された。当時ケルンにおける組合大会で私は ﹁われわれは職業別組合としてまさしく国家の公民らしくなEE
与 一 岱 詔 ・2
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︶活動せざるをえない c と い う の は 、 われわれは国家公民としての経験︵己E
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阿 見 山 宵 口 出 向 。 ロ ︶ の 総 体 か ら 出 発 し て こ そ 、 われわれ自身の利 益を立派に適切に主張しうるからである﹂ と論じた w 当時はまだこうした見解は、とやかくいわれたが、今日では職員の共通見解となっている、それぞれの民族 ︵ ︿ 。 拝 ︶ は ひ と つ の 運 命 共 同 体 ︵σ
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、 階 級 ︵ 何 回 口 O H 内z
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︶もこの共同体を侵犯する ︵ 白 日 n V ︿ O 吋 巴 ロ 門 出 向 何 回 ー ︶ こ と は で き な い 。 われわれはひとつの全体をなしてい る。私はケルンで﹁全体とひとつになっていると感じる者だけが全体のなかで自由に活動しうる﹂︵Z
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・ ︶ と語ったが、この言葉は今でもあてはまる。 九一八年一一月の革命によって、それまで組合が要求し闘争してきたことはすべて貫徹されたか。貫徹されたと信じるの し か し 、 は全くまちがっている。たとえば日曜休業とか労働時間の問題についても、そうだ。ワイマル憲法一三九条には﹁日曜および国家的に承認された祝祭日は、休業および精神的向上の日として法律によって保護されるものとする﹂とあるが、現 在でも完全には守られていないから、われわれは闘争している。労働時間の問題では、八時間労働制の導入によって確か に進歩が達成された。しかし真実は、たとえいやなことでも、いわなくてはならぬ。あなたがたは皆、困窮している。労 働の収益にたいするあなたがたの分け前はあまりにもすくない。ところで、 いかなる国民経済も生産する以上のものを分 配することはできない、ということを明言する勇気をわれわれはもたねばならぬ。もっと得たいと思えば、もっと多くの ことをせねばならぬ。いつでも他人から要求するだけではいけない。まず自分が良い手本を示さねばならぬ。現在、石炭 がわれわれの経済にとっていかに重要であるかは誰れでも知っている。幾千万人の運命は石炭産出量にかかっている。炭 坑の職員も労働者︵岳巾﹀ロ
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円︶もこのことを知っているからこそ、かれらは時間外労働をしてい るのだ。ここからわれわれは皆学ばねばならぬ。六千万人の民族の生死がかかっている場合には、ほかの考慮はすべてあ とまわしにならざるをえない。祖国と国家へのわれわれの信仰告白宮口∞R
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片山同印公刊︶ は口先だけの信仰告白でなく、生み出す行為︵印 n y m 同σ
ロ 円 四 ゆ 寸 m E ︶であることを示そうではないか。公共の福利 が要求し、ほかにいかなる救済の道もありえない場合には、われわれはすべて、時間外労働をする覚悟がなければならぬ 。総じてわれわれは政党聞の争いに介入することを拒否する。政党の政策問題についてわれわれはあくまで中立の立場を 堅持する。われわれの組合員各人は政治的には自由である。しかし、かれは自分がみずからの意見にしたがって加盟した 政 党 の 内 部 で は 、GDA
の精神的ならびに経済的要求の実現のために努力する義務がある。そうでない態度をとれば、そ れ はGDA
の打撃力を弱め、究極においてはその打撃力を崩壊させることになろう。われわれは組合員各自の政治的確信 またわれわれは多くの経済理論のうちのどれかひとつをわれわれ自 身のものとすることを拒否する。われわれはわれわれの行動の自由がいずれのがわからも制限されるの許さない。階級闘 を尊重するとひとしく、宗教的立場をも尊重する。 第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ JL第 一 次 大 戦 前 後 の ド イ ツ に お け る ﹁ 新 中 間 層 ﹂ と 労 働 運 動 ︵ 五 ︶ ︵ 小 林 ︶ 九 四 争の学説、および資本と労働の対立は﹁和解のできない﹂ ︵ 沼 ロ ロ 己 ︶ ゆ 吋
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︶ も の で あ る と す る 学 説 も 、 わ れ わ れ は 拒否する。それはわが民族︵︿ O 再︶にグサピをうちこんで分裂させ、われわれの意欲の統一を妨げるからである。われわ ︵ 岳 ゅ のo g
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・ れはただ一つの道だけが現在の悲惨さから脱出させると確信している。E
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戸日目白︶、これである。われわれの仕事はこの共同体を目的としている。この共同体によってこそ、われわれは へ と 生 長 す 全民族の共同体 義務を自覚した、責任感旺盛な国家公民な自の宮σ
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︶ るのである。かるがゆえにわれわれにとって政治は、聖書にある七つの封印をした書物︵内容をうかがえない本︶ で あ っ てはならないし、また単なる日曜日のたのしみごとであってもならない。それは厳粛な義務たるべきだ。政治は、たがいに 争っている経済グループを束ねるしっかりした一本の紐帯である。政治は国家を維持するもの2
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色 。 ︶ であるから、政治はわれわれを義務づけるのだ。それどころか共同体精神︵仏向。o
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色旦︶をもつようにわ れわれを強制するのだ。もし各人がひたすら自身の動物的な経済本能︵臼巳日σ
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︶ の み に よって行動すれば、なにもかも総崩れになるからである。かるがゆえにわれわれは政治的自由︵岳ゆ匂 O 日 比 Z n y o 司25
冊 目 同 ︶ を労働組合闘争における強力な武器と考える。政治的自由によってわれわれは、法外な資本主義 ︵ 仏 四 円 回 。 げ 巾 円 一E M u
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ロ ヤ 百戸与を抑えて国家の福祉︵合的自g
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︶ という限度を超えないようにすることができるからである。もちろんわ れわれは、われわれの最も固有な利益を強力に主張する。またわれわれは経済の財貨、および文化財にたいするわれわれ の分け前のためにたたかう。だからといって、なにびともわれわれの行為を慈くとってはならない。しかし、われわれは 経済と文化と政治が民族性の三大生命源 れない。われわれがこの三つの大きな生命源を統一して単一の大きな流れとするときにはじめて、わが民族の共同体生活22
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︶は栄えることができるのだ。統一・自由・正義︵岳印刷百円m
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︶であるということを忘 同 州 内 角 川 町 付 ︶ の精神で民族の物的心的なあらゆる力を結集するとき、 われわれは古来のドイツ的不和 ︵ 門 回 目σ
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