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「子のため」の特別養子縁組 : 民法改正との関連において

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「子のため」の特別養子縁組 : 民法改正との関連

において

著者

川村 隆子

雑誌名

名古屋学院大学論集 社会科学篇

48

4

ページ

55-69

発行年

2012-03-31

URL

http://doi.org/10.15012/00000188

(2)

はじめに  昭和63年(1988年)1月1日に特別養子縁組 制度が施行され,およそ四半世紀という時が流 れた。  様々な事情により実の親の下での生活が困難 となった子に,本来,求められる温かい家庭で の成長を願って検討されたこの制度は,子を迎 える側の幸福よりも養子となる「子のため」に 成立することが強く求められている。法律とし てはまだ若い制度であるが,長期間,検討を要 したこの制度の意義は,一般的な認知度の低さ に反して大きなものだと言えるだろう。  しかし振り返ってみれば,この四半世紀の 間,わが国をはじめ世界は大きな変化を遂げ た。携帯電話はもちろんのこと,各家庭にパソ コンも普及しておらず,様々な物資を,24時 間,手軽に入手することもできなかった時代か ら考えれば,昨今の高速度な情報・流通化社会 は,様々な恩恵を与え続けている。経済面だけ でなく医学的な進歩も目覚ましく発展し,数年 前であれば諦めざるを得なかった病魔に対して 効率的な治療が行えるようにもなった。これか らの高齢化社会を考えたとき,ネットワークに よる繋がりや医療の進歩は,容易な連絡網,情 報の共有,必需品の選択と活用等,様々な面で 新たな可能性を提供してくれるだろう。  ただ,こうした物質的な変化(進化)は,人 の心にも大きく影響を与えるのか,容易に犯罪 に巻き込まれ,または軽い気持ちで加担してし まう社会を作り出している。携帯端末を活用 (悪用)した犯罪に関わる年齢層の低下は男女 を問わず,何よりも「悪いことをしている」と いう意識の低下は留まることを知らない。  こうした人と人との関係が希薄化されながら も複雑化していく中で,最も安定しているはず の親と子の関係さえも時には歪んだ姿をみせる ようになった。幼児の虐待死や放置による死亡 などの報道は,数年に一度見るか見ないかとい う性質のものではなくなっている1)。親が子を 「しつける」ことにより,健全な成長と適切な 社会性を習得させることは重要な親の責任であ り,社会秩序にとっても,子にとっても,掛け 替えのない行為であるが,しつけとは言えない ような行為,つまり,「子のため」であるとは 到底肯定できないような行為が,往々にして問 題となるのである。  このような問題を背景に,「民法等の一部を 改正する法律」が,平成23年(2011年)6月3 日に公布された2)。主要な点として児童虐待防 1) 虐待などは現代的な問題とは言えず,古くか ら存在する行為だと考えられるが,意識の変 化や社会,報道等の取り組みにより表面化す る機会が増えていると言えよう。しかし,そ れは氷山の一角が,ほんの少し姿を見せるよ うになったに過ぎないだろうが。 2) 解説として許末恵「児童虐待防止のための親 権法改正の意義と問題点―民法の視点から―」

「子のため」の特別養子縁組

―民法改正との関連において―

川 村 隆 子

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止等を目的とした親権停止の制度が新設される (民法834条の2が新設)ほか,親権の規定に おいて「子の利益のために」という文言が追加 される(民法820条に追加)など,子の利益や 福祉といった「子のため」3)を狙いとした改正 が行われることになる。  ただ,親権停止の新設はこれまでの膠着的な 親権喪失問題に大きな一石を投じることになろ うが,親の権利とも義務とも考え得る「親権」 が「子の利益のために」成される性質のもので あることは,従来からも認識されていたと考え られるので,実質的な変化が生じるわけではな い4)。そこで,もちろん明文化されることは有 益であるが,問題となるのは,「子の利益のた めに」という文言が必要とされる理由・背景で ある。様々な理由が考えられるだろうが,親と 子の関係がそのような文言の明記を必要とする 関係になってきた,ということが挙げられよ う。つまり,親が子の監護や教育をする,単純 に言い換えれば親が子の面倒を見るという,ご く当たり前の行為に対しても,「子のため」と いう前提を置かなければならないような関係と なり,社会になってきたということである5)  親子の姿・在り方は,各家庭の家族構成や生 活形態,思想や宗教観などにより一様ではない 法律時報83巻7号65頁ほか多数の論考が存在 している。 3) 「子の利益」「子の福祉」といった様々な表現 が可能であるが,本稿では主に「子のため」 という表現を使用したい。 4) 窪田充見「親権に関する民法等の改正と今後 の課題」ジュリストNo. 1430,5頁(2011) 参照。 5) もちろん,親と子に関する様々な研究や法理 論の成熟により,敢えて「子の利益のために」 という文言を追加し,内容の充実を図ったと いう見方などもできる。 上,地域や環境などの影響にも少なからず左右 されるであろうから,一概に何をもって良しと するのかを言い切れるものではない。しかし, 社会性を身に付ける過程にある子は,知識や経 験に乏しいだけでなく,金銭感覚や社会的責任 を負うことができるような段階に無いのが通常 であり,だからこそ社会による(大人によると 言っても良いかもしれない)特別な保護の下に 成長が見守られるのであり,その最も身近な存 在として親の監護教育が重要となるのである。 これは,如何に時代が情報化・高速化されよう とも技術が進歩しようとも関係のない普遍的な 事柄であり,法律上の親権の規定がどのように 改正を加えられようとも,「子のため」の重要 性は変化するはずのないものである。  そこで本稿では,「子のため」に創設され 「子のため」の先駆けの一つとなった特別養子 縁組の現状を概観することにより,改正され 「子の利益のために」という文言が追加される に至った親と子の関係に対して,何らかの示唆 や問題提起が可能ではないかを探求したい。 第1章 親子と養子縁組 1.養子制度  本能的・自然的に,人は生存するために衣食 住などの確保を行い,そして限りある生命を未 来に繋ぐために子孫を残す。近代的な法制度が 婚姻や親子などの要件等を定める以前から,そ うした人としての営みは脈々と続けられてきた のである。当然,婚姻しないという選択も問題 なく認められるが,本能的・自然的な男女によ る夫婦形成の出発は,愛情による繋がりだけで なく様々である。また,少子高齢化が進んでい るとはいえ,一般論として子を欲する願望も強 い。単純に漠然と子を欲する願いもあれば,将

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来的に自分の子がいないと不安になる,または 年齢的な世間体ということもあろう。ただ,夫 婦の形成と同じく,子を欲する思いも,人とい う生命体が持つ本能的・自然的なものが,その 背景にあると言える。  このようにして形成されていく家庭の全てが 順調に時を重ねられれば良いが,残念ながら病 気や事故など様々な要素が加わり,幼い子の両 親が自分の子を育てられない状況が生じる。そ してこれもまた様々な要因から,いくら願って も子を授かることができない夫婦も存在する。 子にとってみれば(特に幼少期であれば)自分 を育ててくれる存在は不可欠であるし,子が欲 しい夫婦にとってみれば,不可欠とまでは言え ないまでも,自分たちの家庭に未来ある子を迎 えたいという願いを非難することなどできな い。こうした必要性や願いが合致することによ り新しい家族構成が誕生することになるのであ る。そうしてみれば,血縁関係にはない子を家 庭に迎える養子制度も,人としての自然な思い がその根底にあると言えるのかもしれない。  ただ,同じ養子を迎えると言っても,その動 機は一つではなく,たとえば大戦前によく見ら れた「家のため」の養子縁組というものがあ る。殿様の世継ぎがいない場合や名門家の跡取 りがいない場合に,親戚縁者などから子を迎え て家の継続を目指す養子縁組であるが,多くの 場合,養子となる子の実親に監護教育能力がな いわけではなく(もちろん,経済的困窮が理由 となった場合もある),家の存続を願う者のた めに子を養子として送りだしていた。また,子 の労働力などを狙いとした養子縁組も行われ, これは親側の要求を満たすことに重きが置かれ ていたため「親のため」の養子縁組と呼ばれて いる。これらの縁組は,その動機が家の存続や 親のためのものであったため,時には養子とな る子に酷な場合もあったと推測できよう。  そして大戦後,わが国だけでなく多くの国で 戦災孤児の問題が浮上し,温かい家庭での成長 を願った「子のため」の養子縁組が行われるよ うになった。様々な要因から実親の下で成長す る機会を失い,一般的な表現では不幸な境遇に 置かれた子にとって,「子のため」の養子縁組 は,本来,全ての子に与えられるべき家庭や親 子関係といったものを再構築するための制度と して,その機能を発揮することになったのであ る6) 2.特別養子縁組  わが国には従来から養子縁組制度(普通養子 縁組制度)が存在し,尊属または年長者を養子 にすることはできない(民法793条)などの要 件はあるが,比較的容易に養子縁組を認めてい る。ただ,「子のため」という時代の要請から, より丁寧で詳細な,つまり,より「子のため」 になる制度設計が求められるようになり,原 則6歳に達していない子で(同法817条の5), 「父母による養子となる者の監護が著しく困難 又は不適当であることその他特別の事情がある 6) もちろん,全ての「家のため」「親のため」の 養子縁組が,養子となる子にとって不幸な縁 組であったとは言わない。また,ここでの説 明は特別養子縁組について考察する上での概 略であり,参照すべき良書は多数存在するた め,その全てを挙げることは不可能であるが, たとえば,細川清「改正養子法の解説」(法曹 会,第1版,1993),山本正憲「養子法の研究 Ⅳ」(法律文化社,初版,1989)などが挙げら れる。なお,本稿は全般にわたり特別養子制 度や親権問題に関する数多くの論考・書籍に 負うところ多いが,逐一詳細な参照を掲げる ことも困難であり,不十分さは否めない。こ こで謝辞するとともに御寛容頂きたい。

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場合において,子の利益のため特に必要がある と認めるときに」(同法817条の7,以下,要保 護要件とする)縁組の成立を認めるという特別 養子縁組が創設された。  特別養子縁組が持つ最大の特徴と言えるの が,縁組の成立により特別養子となった子と その実方の血族との親子関係が終了する(同法 817条の2)という効果である。これは普通養 子縁組にはなく,血縁という自然的・生物学的 な親子関係を終了(断絶)する判断を裁判所に 委ね,新たに特別養子と養親による法的親子関 係7)を認めるというものであるから,その判断 には並々ならぬ慎重さが求められると言える。  そして,もう一つの特徴が,戸籍記載の配慮 である。一見するだけでは養子であると判明で きないような配慮がされており8),その上,普 通養子であれば,養親の戸籍に入籍された養子 にとって実親の戸籍をたどることは容易である が,特別養子の場合,容易には実親を知ること はできない仕組みになっている9)。 7) 圧倒的多数の血縁関係にある親子関係も法律 の規定に従う限り法的親子関係と言えるが, ここでは血縁がなく法律によって認められた 関係を法的親子関係と表現する。 8) あくまで一見するだけでは判明できないもの である。養子や養親といった文言が記載され ていないので,戸籍を見たときに養子である ことを即座に読み取ることはできないかもし れないが,注意深く見れば何らかの疑問を感 じるはずである。つまり,特別養子縁組の狙 いは,子が養子であることや子の出自を隠す ためではなく,新しい法的な親子関係を認め, 保護するための制度であることに注意すべき である。 9) 実親と特別養子となる子の戸籍から,その子 が除籍され,その子単独の戸籍が作られる。 そして,その単独戸籍から養親の戸籍へと入  ただ,戸籍記載の配慮は,本来,特別養子縁 組において付随的な効果であるはずのものであ るが,養子を取り巻く環境などから,実質的・ 現実的には,最も望まれる効果として位置付け られることになった。 3.戸籍と藁の上からの養子  特別養子縁組を考える上で避けることができ ないのが「藁の上からの養子」と菊田医師事件 である。  「藁の上からの養子」とは,簡略すれば,他 人の子を自分の実子であるとして出生届を提出 し,戸籍上も実親子関係として記載されること を狙った行為である。養子縁組を結ぶのではな く,直接,他人の子を実子とするわけであるか ら,医師・助産師による虚偽の出生証明書が必 要となる。出産した母親が他人の名を騙り,医 師等が気付かずに作成する場合もあるだろう が,昭和48年(1973年),医師の側から積極 的に虚偽の出生証明書を作成するという事件が 発覚し,大きな社会問題となった。これが菊田 医師事件である。  単なる虚偽であれば粛々と処理されれば良い が,この事件は,個々の理由により人工中絶を 望む女性に対して,母体への影響と生命の尊さ を説き,出産することを勧める一方,そうして 出生した子を,子を欲する者たちの「実子」に するために虚偽の出生証明書を作成し,戸籍 上,その者たちの「実子」としたのである。出 産の事実を秘匿したい母親と「実子」を求める 養親との双方の願いに応じることにより,失わ れる瀬戸際にあった子の命を救うとともにその 籍する。この単独戸籍を除籍簿として公開し なければ戸籍をたどることはできず,また, 必要に迫られれば単独戸籍を開示し,実親を 知ることも可能となる。

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子が成長するための家庭環境をも確保すること を狙った行為であったため,賛否の分かれる問 題となった10)  もちろん,虚偽の出生届となるから「実子」 とはならず,実の親子関係にないことを子が知 ることになれば大きな衝撃を受けることになる 上,後々,実の親子関係がないことが確認され れば,その夫婦の子という地位を失い,子に とって重大な悪影響を及ぼしかねないが11), そのような危険を冒してまで子を欲する理由と して,前述した人としての本能的・自然的な思 いと,養子としての負い目を持つことなく成長 してほしいという願いが潜んでいると考えられ る。  ここで大きな問題となるのは,何故,こうし た状況下において,養子制度が活用されないの かである。養子縁組によって法的に認められる 親子関係が構築されるわけであるから,危険を 冒す必要などないはずであるという論考は,当 然,尊重されるべきものである。しかし ,実 質的・現実的社会を生きる当事者にとって「戸 籍」が絶大な影響力を持っていることも事実で ある。つまり,中絶を望む女性にとっては,戸 籍上,出産の記録が残ることすら望まず,子を 欲する者たちにとっては,戸籍に養子と記載さ れることなく実子として育て,可能であるなら 10) 判例タイムズNo. 681,99頁(1989)など, 菊田医師に関する論説・判例は多数存在する。 11) 将来,相続が発生した際に,親子関係不存 在確認が請求されれば,その子は相続人から 除かれる結果となるのが通例である。しかし, 最高裁平成18年7月7日判決(民集60巻6号 2307頁)では,戸籍上,長期間にわたって嫡 出子と記載されている者との実親子関係につ いて,不存在確認請求をすることが権利の濫 用に当たらないとした原審の判断に違法があ るとして差戻している。 ば,永遠に隠しておきたいと願うのである。そ の背後に,わが国の養子に対するいわれのない 負のイメージがあることは否めず12),戸籍の ための堕胎や戸籍のために藁の上からという将 来的に子の安定した成長や生活を脅かしかねな い行為が行われたと言えるのである。実質的・ 現実的に,戸籍のために本来存在する生命への 尊重やおそらく存在するであろう遵法の精神が 歪められ,親子という存在があり,その記録と して戸籍が存在するにもかかわらず,戸籍が あって初めて親子が存在するかのような強い存 在として影響を与える結果となっている。もち ろん,戸籍には真実の親子関係が記載されるべ きであるという要請は正論であることに疑いは ないが,生命体としての自然に備わる関係を法 的に検証し断絶させるという特別養子制度は, 戸籍記載の配慮という難問の解決をも迫られた のである。結局のところ,養子といった文言を 用いない戸籍記載となってはいるが,これが戸 籍の上でも実親子関係と同様の関係にありたい と願う要望への対応として適切であるのか,ま た,そもそもこのような要望に応えるべきで あるのかどうかは容易な問題ではないのであ る13) 12) 何故このような負のイメージがあるのか も検証すべき重要な課題と言えよう。かつて の家制度であれば,家の存続のために様々な 軋轢は生じても養子縁組は重要な位置付け を持っていたと考えられる。家制度が崩壊し 核家族化が進む中,血縁を重視する思想が起 こったのか,それとも元来存在するわが国特 有の姿勢であるのか。もしくは単純に,小説 や映画,ドラマなどで自分が養子である事実 を知った登場人物の葛藤が悲劇的に描かれる ことによる影響なのだろうか。 13) かつて言われたように「かくそうとする気 持に順応する制度を創設することは『害多く

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 菊田医師の行為に対する各人の捉え方は様々 であろうが,この事件が明るみにでたことによ り,当時,停滞していた戸籍への配慮を含む特 別養子制度創設の議論は再燃し,大きくその歯 車を加速させた14)。その結果,事件発覚の15 年後,昭和63年(1988年)に,特別養子縁組 制度が施行されたのである。 4.養子制度と親子  親子関係は,本来,本能的・自然的に発生す るものであり,法に組み込まれることによって 権利義務や保護に関する要件や効果が明確にさ れるが,それは親が子を監護教育するといった 人として当然視されるような内容である。その ような親子関係の成立に,血縁であることが, どの程度,担保されているのかは計り知れない が,前提となっている事実は否定しようがな い15)。しかし,子にとって,実際に成長過程 して益少し』ということになりそうである」 ことは正しく,かくそうとする「非合理性を 清算することを教えるべき」ではあるが,現 在においても難しい問題であろう。我妻栄「養 子二題」ジュリストNo. 185,23頁(1959)。 14) 中川高男「実子斡旋事件」ジュリスト 900 号216頁(1988)ほか参照。 15) たとえば,人として男女の本能的・自然的 な反応・行動により共に助け合いながら生活 を営み,子孫を残すという感覚が全く存在し ない状況を想定してみれば,生命体として適 齢期になれば子を産むが,子に対して何らか の責任を負うという感覚はなく,全く無関心 となるだろう。当然ながら,夫婦や親子といっ た言葉すら存在し得ないはずであり,そうし た感覚が存在しないのであるから,そこに夫 婦や生物学上はもちろん法的親子関係といっ た法は作り得ないし無意味となる。   単純な想定社会であるが,このように考えた 場合,現在の家族法が規定する夫婦や親子と に携わり,監護教育を実践した者の与える影響 は大きく,幼少期ではそれが全てであると言っ ても言い過ぎではなかろう。そう考えれば,生 物学的な前提に固執することなく,人が人のた めに法として考え出した養子縁組による法的親 子関係は,「子のため」の制度として,より充 実したものを目指し,広く社会に受け入れられ るべき制度である。ただ,何が「子のため」で あるのかを判定することは難しく「生まれてこ その子の福祉であるという考えさえある」16) とから慎重さは必要であり,しかも,現実的に 影響の強い戸籍のために行われてきたと思われ る藁の上からの養子により求められてきたよう な要求を如何に考えるのかが問題となる。  そうした人間の持つ複雑さが露わになる難問 に対処すべく,血縁関係を断絶してまでも「子 のため」の法的親子関係を創設する特別養子縁 組であるが,今回改正される民法において「子 のため」の親権の行使が求められ,状況によっ いった内容は,あくまで人としての本能的・ 自然的な男女そして親子の繋がりが前提と なっていると言える。だからこそ,親に対す る責任,権利義務が肯定されるのであり,親 もそれに反論することなく当然のこととして 受け入れるのである。また,親(個人)の財 産が同一人物ではない子(個人)に継承され ることに,個人主義や所有権絶対の原則から の批判は容認されないことになる。   このように考えれば,法が血縁を明文により 求めていないとはいえ,その前提として生物 学上の親子関係が想定されていることは否定 しようがない。近代的な法が夫婦や親子といっ た関係を創設したのではなく,元来,存在す る夫婦や親子の関係を法という形に表してい るに過ぎないと言えよう。 16) 石井美智子「生殖補助医療における子の利 益―父は必要ないのか―」法律時報83巻12号 49頁(2011)。

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ては親権の一時停止が「子のため」になされる 親子法との関係はどのようなものになるのであ ろうか。  断絶と親権停止とでは別次元ではあるが,同 じ親子間への法の介入であるため,相互に影響 しあうはずである。たとえば,親権喪失が,血 縁への配慮なのか,ほとんど機能していなかっ たとされる中,2年以内の期間に限り,その後 の親子再統合17)が望まれる親権停止制度は, 親権問題についてハードルを下げる18)ことに なるが,「子のため」の親権停止の判断が繰り 返された結果,年齢制限のある特別養子制度が 活用できなくなる場合もあろう。現状,親権停 止制度は虐待や医療ネグレクトなどへの活用が 期待されるが,特別養子制度でもそれは要保護 要件に該当するだろうし,しかも前述のような 藁の上からでも子を欲する願望と,後述するよ うな様々な形での技術や制度を活用するたくま しさを持つ人間の性を考えたとき,親と子とい う関係は「子のため」という概念を基礎とした 総合的な観点からの対策で対処することが必要 であり,そして,それでも正解が分からないも のである。実際の運用の中で,親権停止が「子 のため」に求められ,親権喪失よりもハードル の下がった判断で停止がされた際に,その期間 中に監護教育した者からの特別養子縁組申し立 ては可能となるのか。仮に親権停止は認められ ても,断絶を伴う特別養子縁組は認められない とすると,虐待などの親権停止の事実が,特別 養子縁組の要保護要件を満たさないとされる結 果,特別養子縁組のハードルが高められること にならないのだろうか。全く別次元の制度とし て運用されるのか,何らかの関連性が導き出さ 17) 許 前掲本稿注2)66頁。 18) 窪田 前掲本稿注4)6頁。 れることになるのかは今後の運用次第となる。  これから運用される前段階で危惧するのは無 益かもしれないが,実際に運用されている特別 養子制度は,新たに考えるべき現存的状況をは じめとして,検証すべき多数の問題を抱えてお り,本能的・自然的に成立する親子関係を法的 に判断することへの難しさを否応なしに露呈し ていることから,その不安が拭えないのである。 第2章 運用により移りゆく判断 1.「子のため」の姿勢  このたびの「民法等の一部を改正する法律」 により親権を停止することにすら決断を要した のであるから,血縁関係を断絶する特別養子制 度の議論には多大な時間が費やされた。「子の ため」の制度として綿密な検討が行われたこと は誇るべき事実ではあるが,しかし,実際に運 用されるに当たって,何が「子のため」になる のかという根本的問題は容易に判断できず,更 に深まるばかりである。  たとえば,名古屋家裁昭和63年4月15日審 判(家月40巻5号97頁)では,妻(実母)の 連れ子を普通養子としている夫(再婚相手)が 特別養子縁組の成立を申し立てた事案に対し て,裁判所は,実母が引き続き子を監護するこ とになるから,民法817条の7に定める「父母 による養子となる者の監護が著しく困難又は不 適当である」および「特別の事情がある」とは 認め難いとして申し立てを却下した(なお,実 父は特別養子縁組に同意している)。  特別養子縁組が「子のため」の養子制度を目 指すに当たり,子が幼少であること(原則6歳 未満)や養親となる者は配偶者のある者で原則 25歳以上でなければならない(同法817条の 3,4)などと規定しているのは,そのような

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要件が「子のため」になると考えられたからで ある。つまり,幼いころから両親のいる家庭で 育つことが「子のため」に良好であると法的に 判断していると言える。そう考えれば,実母と 養父との家庭の中で子が成長し,実父からの不 適当な干渉がなければ,敢えて実父との断絶を 要することもないという方向性も分からなくは ない。ただ,特別養子制度が「子のため」の制 度として創設されたと考えるとき,子が現実的 に成長する家庭という安定した場を作り出すこ とを重視するよりも,血縁の断絶に重きを置き 慎重に判断したと見えなくもない。もちろん, 養父となる者が,実母との婚姻を実現するため に,安易にその連れ子と特別養子縁組をしてし まう19)結果「子のため」にならない場合も生 じるという危惧もあるが,この審判により浮き 彫りとなったのは,実父・実母の要保護要件に 該当する事実が存在するかどうかに重きを置く という姿勢である。つまり,様々な該当事由が 考えられるだろうが,たとえば実父・実母によ る虐待の事実などがなければ,断絶を伴う特別 養子縁組は成立しないと考えられ,「子のため」 に現実的な成長環境を整えるために寄与すると いう方向性よりも,「子のため」に実親が不適 当であるかどうかという方向性が主要な判断材 料とされたのである。  とくに,この審判のように実親子と養親が 関わる特別養子縁組(いわゆる連れ子養子)20) は,片親が実の親であるため,その子が要保護 要件に該当するのかどうかの判断は難しくはな るが,たとえば,大阪高裁平成2年4月9日決 19) 木村要「特別養子縁組の成立要件」判例タ イムズNo. 747,262頁ほか。 20) 他に名古屋高裁昭和63年12月9日決定(家 月41巻1号121頁),名古屋高裁平成元年3月 23日決定(家月41巻12号112頁)など。 定(家月42巻10号57頁)では,未婚長女が出 産した子を監護養育21)している夫婦(未婚長 女の親であり,子は孫に当たる)からの申し 立てに対して,「もともと特別養子制度は,民 法817条の7に定める要件を充足するような恵 まれない子のために,敢えて実父母との法律上 の親子関係を断絶させてまで,普通養子制度の それとは異なる特別な養親子関係を形成させ, もってその健全な育成を図ろうとするものであ る」として,抗告を棄却している。実父が子の 「成長過程に何ら干渉もしていないことが認め られ」,実母も実質的に監護する姿勢を見せて いない上に体調を壊し休職している状況下にお いても子の要保護要件は認められず,しかも, 特別養子縁組を認めれば,実母と子は「姉妹と して法律上の親族関係が存続することになり, 反って不自然な関係となるし,現実の生活交渉 としても切断される」とは考えられないため に,特別養子縁組は認められないとした。  この大阪高裁決定の判断からは,何が「子の ため」になるのか,つまり,どのような状況下 であれば「恵まれない子」とされるのかは,か なり制限されるという印象が強いが,より明確 に姿勢を表した審判として,東京家裁八王子支 部平成2年2月28日審判(家月42巻8号77頁) がある。  幼い子を残して妻に先立たれ,「実方の父の もとでは養育することができない状態が続い て」いた子を,実母の姉夫婦(申立人)が特別 養子として迎えることを願ったこの事案に対し て,戸籍記載の配慮を含め「本児の福祉にとっ 21) 民法 820 条では親権の効力として「監護お よび教育をする権利」とされているため監護 教育という文言が使用されるが,本決定をは じめとする裁判例では監護養育という文言が 使用されている。

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て,申立人らの愛情に満ちた現在の監護・養育 環境に置いておくことが適切なものであること は明らかである」とした上で,「しかしながら, 特別養子縁組は,養親となろうとする者のその ような心情を実現することを目的とする制度で はなく,劣悪な保護環境に置かれた児童を,実 方の父母及びその血族との親族関係を終了さ せることが必要であるとの判断のもとに,養親 のもとでの適切な保護環境に委ね,これを実方 からの影響を排した強固な関係としてうちたて ようとするものであり,だからこそ,戸籍上も 通常の養子とは異なった記載がされるのであっ て」,要保護要件が認められる場合に限り成立 させることができるとして申し立てを却下し た。子が「劣悪な保護環境」に置かれているこ とを要件としたこの判断が,当初,求められて いた「子のため」の特別養子制度の全てを言い 表しているのかどうかは分からないが,この制 度の目指す保護対象児童を明確にしていると言 えよう22)。  また,戸籍について,「実子同様に記載され るものとして理解されがちな戸籍上の記載の配 慮も,養子であることを秘匿することを目的と するものではなく,親族関係を切断することが 養子になるものの利益であると判断された実方 の父母との関係につき,戸籍上にも断絶の事実 を明らかにするとともに,いったん断絶された この関係を,特別の必要がある場合以外には探 22) ただし,東京家裁八王子支部審判について も,先に挙げた大阪高裁平成2年4月9日決定 と同様,親族間による特別養子縁組を避ける 狙いがあるとも言える。実親と断絶しても養 親を通じて関係が継続することにより複雑化 することが理由となる。山本正憲「特別養子 縁組の要件としての『要保護性』の判断三件」 民商104巻1号141頁(1991)参照。 り得ないように秘匿しておくための技術的手段 であるにすぎないと解されるところである」と している。このことからも,この特別養子制度 は,実際に行われていた「藁の上からの養子」 という行為が引き金となって熟慮された制度で はあるが,必ずしもこの行為の撲滅を主として 狙った制度であるというわけではなく,「子の ため」に断絶すべき実方関係から法的に断絶す る制度であり,優先的に「子のため」の適切な 環境の安定を法的に創設するものではないと言 える。子の健やかな成長を願う未来志向の「子 のため」よりも,実親の非難されるべき過去の 行為からの解放を目指す「子のため」の制度で あるという認識があったことが確認できるので ある。  このように実親の子に対する対応や監護状況 が重要な判断材料とされる特別養子制度におい て,もう一つ大きく実親の対応が重視される要 件として,父母の同意(同条817条の6)がある。 実方との関係を終了(断絶)させるという法的 影響の強い決断を成すに当たり,父母の同意が 必要とされることは容認されるが,ここでも「子 のため」を考えたとき,実親の不同意を如何に 取り扱うかが問題となり得る。  大阪高裁昭和63年10月27日決定(家月41 巻3号164頁)では,婚姻破綻につき主たる有 責性のある妻(実母)が子を残して家出をした ため,夫である実父の姉夫婦が子を監護養育し ていた。そこで,姉夫婦が特別養子縁組を申し 立てたが,縁組成立のための要件である実母の 同意がなかったため,その不同意と同法817条 の6ただし書き23)との関係が問題となった。こ 23) 父母の同意を必要としつつ,「ただし,父母 がその意思を表示することができない場合又 は父母による虐待,悪意の遺棄その他養子と なる者の利益を著しく害する事由がある場合

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の事案に対して裁判所は,実母が子を置いて家 出をしたことは,「その時点における子供に対 する愛情を疑わしめるものがある」としつつも, 「子供に対する愛情のかけらさえもないとまで 断ずることはできないし」,現時点で「悪意で 遺棄しているものとも認め難い」ことから,実 母の不同意は「肉親の情として止むを得ないも のがあり,これをもつて権利の濫用ということ はできない」として,姉夫婦との特別養子縁組 を認めなかった。  この決定においても,「子のため」に創設さ れた特別養子制度ではあるが,未来ある子の安 定した成長という掛け値なしに守らなければな らない現実を背景に,どのような縁組でも認め ざるを得ないというような位置付けは与えられ ず,あくまで実方との断絶を要する,つまり, 実親が子にとって不適当であるからこそ認めら れる制度として認識されていたことが分かる。 ただ,「子のため」を考えたとき,現実的にこ の方向性が正しいのかどうか検討することも, 「子のため」には重要であろう。中には,実親 の虐待などの事実が認められなくても比較的 容易な不適当とされる要件(経済的困窮や結果 的に未認知の非嫡出子を嫡出子にするなど)に よって,特別養子縁組を認めている事案も見受 けられる24)が,「子のため」という大前提が存 は,この限りではない」と規定している。 24) 横 浜 家 裁 昭 和 63 年 3 月 11 日 審 判( 家 月 40 巻7号181頁),東京家裁八王子支部昭和63年 8月12日審判(家月41巻3号177頁),仙台高 裁秋田支部平成元年5月24日決定(家月41巻 11号86頁),宮崎家裁平成2年11月30日審判 (家月43巻10号35頁),東京高裁決定平成8年 11月20日(家月49巻5号78頁)ほか。特に, 里親制度を経由した申し立ては認められる傾 向にある。実親が不明であったり,監護教育 に直接関与しないことに要保護要件が認めら 在しつつも,親の状況や都合が特別養子縁組の 成否に大きく影響していることは否めない。幼 少期からの子の健全な育成と将来への貢献を考 える「子のため」よりも,出生を含めた親から 子に対する方向性を重視した「子のため」の制 度であるという見方が色濃く出ていることが, 本当に「子のため」になるのかどうかの検討が 重要となるのではなかろうか。  そうした中,父母の同意について,実父の 不同意を同意権の濫用であるとして特別養子 縁組を認めた青森家裁五所川原支部平成21年 5月21日審判(家月62巻2号136頁)などの事 案がでてくるようになった。厳密にはこの審判 においても,実父母の監護は「著しく困難又は 不適当であると認め」られるため,実親の状況 が重視されていると言えるが,実父の不同意に ついて,「親としての気持ちの表れである面を 否定はできないものの」,特別養子となる子の 「将来にわたっての安定的な生育環境を阻害す る結果をもたらしかねないもので,いわば同意 権の濫用にあたる」とし,不同意のまま特別養 子縁組を成立させた。断絶すべき実方関係とい う面は多分にあるが,子の将来安定した環境の 保持にふれるなど当事者である子を重視した判 断が見受けられるのである25)。  「子のため」に創設された制度の,より「子 のため」になる運営の方向性とは如何なるもの れるのであろうが,先に挙げた否認例も里親 制度を経由さえしていれば認められたのであ ろうか。 25) 6か月以上の監護状況を考慮(同法817条の 8)するため,養親となる者の家庭で心身とも に健全に成長し続けることが重視されるのは 当然であるが,実方の状況・都合の比重が高 く見られる中,子の将来にふれた点に注目し たい。

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かを摸索し続けなければならないのである。 2.生殖補助医療と特別養子制度  「子のため」に制度が設けられても,親を起 点にする場合や子を起点にする場合など,考え 方の相違により内容は大きく異なってしまう。 自然的な親子関係や法的親子関係,そこに現実 的影響を与え続ける戸籍の問題,そして,今回 新設された親権停止の問題など,まだまだ議論 を尽くして道筋を立てなければならない段階に ある親子関係に,更に大きな問題が突きつけら れている。生殖補助医療について如何に考えて いくかがその難問である。  神戸家裁姫路支部平成20年12月26日審判 (家月61巻10号72頁)は,申立人夫婦(養親 となる者)が,卵子および精子を提供し,養母 となる者の母に代理出産を依頼した。そして出 生した子との特別養子縁組の成立を求めた事案 である。  「女性が自己以外の女性の卵子を用いた生殖 補助医療により子を懐胎し出産した場合におけ る出生した子の母は,その子を懐胎し出産した 女性である」ことは,本審判にも示されてい るとおり,最高裁平成19年3月23日決定(民 集61巻2号619頁)において確認されているた め,本審判においては,申立人(養母)と出生 した子は,両者共に代理出産した者の子とな る。しかしながら,いずれの表現が適当かは分 からないが,生物学的もしくは遺伝子的,血縁 的な関係をみれば,申立人と出生した子は親子 関係にあり,代理出産した者から見れば,親 (代理母),子(申立人),孫(出生した子)と なる。およそ生殖補助医療の技術が確立してい なければ成立し得ない関係が容易に作り出され る時代となったのである。  本審判では「いわゆる代理出産については, 医学的,倫理的・社会的,法的各側面から,そ の是非を含めた様々な議論がされ……法制度と してどう取り扱うか改めて検討されるべき状況 にあり,医療法制,親子法制の両面にわたる検 討を経て,立法による速やかな対応が強く望ま れる」という前提を置きながら,「しかし,出 生した子と,血縁上の親との間にどのような関 係を成立させるかについては,代理出産の是非 と必然的に連動するものではなく,出生した子 の福祉を中心に検討するのが相当」であると し,特別養子縁組の成立を比較的容易に認めて いる。  ここで「比較的容易に」としたのは,代理出 産した実親夫婦は双方とも「稼働して収入を得 ており」経済的不安もなく,その上,出生した 子に対し何ら不適当な対応をしたことも認めら れていない。このような状況で出生した子の要 保護要件が認められたのは,申立人夫婦が出生 した子を責任を持って育てるべきであると考え ている実親夫婦に,出生した子を「自身らの子 として監護養育していく意向」のないことが決 め手となっている。つまり,監護養育していく 意向のないことに要保護要件を認め,しかも, 申立人夫婦が出生した子の「血縁上の親」であ り「監護養育していく真摯な意向を示している」 ことにより特別養子縁組が認められているので ある。  出生した子の福祉や利益という「子のため」 を考えれば,本審判の判断は歓迎されると思わ れる。現実的に生存している子の将来の安定し た家庭環境を考えれば,代理出産した者の下で の成長よりも年齢的な問題をはじめ申立人夫婦 の下での成長が有益な面が多いことは否めな い。しかし,先に見た審判例などと比較した場 合,同じ法制度でありながら,全く異なった制 度の姿を見せていることに一抹の不安を感じず

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にはいられない。出生した子は基本的には実親 夫婦の嫡出子という身分を持つことになり,特 別養子縁組の成立により断絶されたとしても 祖父母と孫という関係が新たに発生する。何よ りも,監護養育の意向がない26)という一事を もって要保護要件を認めることは,この制度の 主旨に合致していると言い切れるのであろう か。その上,大前提とはされながらも法律上絶 対的に要請されていない血縁関係を「血縁上の 親」である申立人夫婦の適格性を高める要素と して取り入れているところにも不安を禁じ得な い。法的親子関係を創設する特別養子制度であ り,嫡出推定など法が法として判断する法律上 の親子関係において,あたかも血縁重視の姿勢 を前面に押し出したかのような様相を呈してい るのである。  また,代理出産の是非について「連動するも の」ではないとはいえ,わが国において議論を 深めていかなければならない生殖補助医療全般 や代理出産に対して,出生し現実に生存してい るという事実先行に,実質的に法が支援する形 をとることが適切であるかどうかを考えなけれ ばならないのではなかろうか。未成熟な代理出 産などの議論を置き去りにした容易な特別養子 縁組の容認は,危険性などを顧みない代理出産 を助長させることにならないかと危惧するので ある27)。そして,厳しい表現になるが,不適 26) 親と子の関係を認めた上での監護などが不 適当な状況,つまり,虐待や悪意の遺棄や放 置に該当するような状況を表しているのか, それとも親と子の関係さえも認めず,そもそ も無関係な存在であるという状況を表してい るのかは分からない。 27) 国によっては代理出産が容易に認められる が,歴史や思想,宗教観,人生観,責任など について相違する国の制度が,国の基本的部 当な実親からの断絶という方向性であれ,子の 将来のために安定した家庭環境を作り出すとい う方向性であれ,子の要保護要件を検討すべき 状況を作り出したのが,他ならぬ養親となる者 であるという現実的事実を無視した展開により 特別養子制度が活用されているということを忘 れてはならない。そして,もう一つ忘れてはな らないのは,特別養子縁組は「子のため」に労 力を惜しまず作られた制度であって,子を欲す る「親のため」に作られた制度ではないという ことである。「家」から「親」,「親」から「子」 という要請によって作り出された制度の主旨を 逆行させるかのような本審判は,特別養子制度 にどのような影響を与え,親子関係という人と しての根本的な姿に対して,どのような位置づ けが与えられるのか。そして,無批判に受け入 れられても良いものなのであろうか。  ちなみに,この審判は,審判内で参照され ている最高裁平成19年3月23日決定(民集61 巻2号619頁)の影響が大きいと言える。この 最高裁決定は,ある夫婦が海外での代理出産 によって授かった子との実親子関係を認める よう求めた事案であり,当時,報道等で大き く取り上げられたが,最高裁は実親子関係を 認めず,後日,特別養子縁組が成立したよう である28)。わが国の法から言えば実親子関係 分と言える子の出産や成長などについて,わ が国に問題なしに適合するとは考えられない。 よって,より深く議論した後に,その可否を 決定しなければ,事実の先行により容易な特 別養子を増やすことになりかねない。代理出 産等については,一応,出産の事実が重視さ れているが,生物学的な母子・父子の議論は 尽くされているとは言い難く,また,代理出 産自体に伴う様々な危険性についても十分に 議論されているとは言い難いだろう。 28) 多くの解説等が出されているが,たとえば,

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は認められず,本審判と同様に特別養子縁組の 要保護要件が認められるのかどうかも疑問であ るが,この最高裁決定が存在しなければ,本審 判も実親子関係の成立が求められたかもしれな い。審判の判断にも見られるように,「血縁上 の親」であることから,実親子関係を認める要 求の方が直接的であると言えなくもないからで ある29)  結局のところ,藁の上からの養子が行われて いた時代(現在でも行われているかもしれない が)と変わらない要求,つまり,実子への渇望 に対して,わが国での一般的な世論をはじめ綿 密な議論と法的な対応は立ち遅れていると言え るだろう。特別養子制度は,そうした要求に応 える制度となり得るのか,それとも,逆にこの 制度があるが故に藁の上からの養子を行う方が リスクが低いと捉えられてしまうのか30)。何 水野紀子「生殖補助医療を契機に日本実親子 関係法をふりかえる」法曹時報61巻5号1頁 (2009)。余談となるが,この水野論文30頁に は,ある男性の身勝手とも言える代理出産活 用事例について,「出産は,この世への強引な 拉致である」とされている。人の欲深さと生 命への不遜とも言える態度に対して,人はど のような法をもって対処できるだろうか。強 い思いが込められたこの一文に真摯に向き合 う議論がなされることを願うばかりである。 29) 死亡した夫の凍結精子を利用して出生した 子の死後認知問題も,生殖補助医療を考える 上で大きな衝撃を投げかけた。最高裁平成18 年9月4日判決(民集60巻7号2563頁)。 30) 本稿注 11)に挙げた最高裁平成 18 年 7 月 7 日判決(民集60巻6号2307頁)は,実質的に 藁の上からの養子の相続権を認めることにな るため,親としてはリスクを冒して「実子」 とし,隠し続けることにより「子のため」の 思いを満たし,死後の相続への不安は法律に より払拭されるという間違ったメッセージと が「子のため」であるのか不明確ではあるが, 生殖補助医療や戸籍を含めた「親のため」では ない「子のため」の議論が深まることを願って やまない。 おわりに  「民法等の一部を改正する法律」が公布され, 親権停止制度や親権の効果に「子の利益のため に」という文言が追加されることになった。た だ,現実的な適用が開始されたとき,どのよう な視点が重視されるのかにより,特別養子制度 と同じような道筋を歩むことになるのであろう か31)。「子のため」を判断するに当たり,親の 不適当さの有無を重視するのか,子の将来の安 定した環境を優先するのかによって,子に与え る影響は大きい。もちろん,両者は「子のた め」に重要な要素であるため両立すべきであ り,親の不適当さが認められれば子の将来の安 定のためにも容易に認められ,親の不適当さが 無ければ,そもそも問題として浮上することは ないだろう。逆に,子の将来の安定が望まれ, 親の不適当さが認められれば「子のため」の判 断はできる。しかし,子の将来の安定が望まれ るが,親の不適当さが認められない場合,親権 停止制度をはじめ親子に関する法はどのように 機能することになるだろうか。子の将来に対す る判断が差し迫っている間際,千差万別な親と しての思想や能力などを単純に不適当であると 非難できない場合,それでも子の将来を優先す して捉えられれば,その誘惑は大きいものと 言わざるを得ない。 31) 窪田 前掲本稿注4)8頁においても「実際 にどのように運用がなされていくのかが重要 であることはいうまでもない」とされている。

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ることになるのか32)。それとも,特別養子制 度に見られたように「子のため」とはいえ,第 一の監護養育責任者と言える親が重要視される ようになるのか。または,代理出産に対する裁 判例のように「監護養育する意向がない」とい うような単純な都合を認め,不適当であると判 断するようになるのか。断絶により法的親子関 係を創設する特別養子縁組と親権停止の判断と では,その重みの差異は大きく,運用される状 況も異なるが,「監護養育する意向がない」こ とから実親子関係の断絶が可能となり,虐待の 事実で親権が停止されるという「子のため」の 判断のバランスを民法は如何にして保つのだろ うか。そして,実際に運用される際の不透明さ は,より大きな影響を子に与えることを忘れて はならない。  親と子の関係というものは,実に当たり前の ようである反面,想定できない程に複雑なもの と言えるだろう。親権の一時停止を必要とする ような事実が存在した場合,親権喪失や断絶と いった判断が従来以上に求められる社会になっ ていくのかもしれない。その時,如何に「子の ため」を重要視した判断が「大人」にできるの 32) 今回の改正において,親権喪失については 「親権者に対する非難可能性や帰責性が認めら れなくても親権喪失が認められることを明ら かにした」とされているが,実際の運用はど のようになるだろうか。岩志和一郎「子の利 益保護のための親権の制限と児童福祉の連携」 法律時報83巻12号18頁。また,医療ネグレ クトについて親権喪失の申し立てと取り消し により実務的な問題をクリアしていたのと変 わらないような運用しかできなければ,親権 停止制度を新設した意義が薄れるだろう。多 田元「親権法の改正と子どもの虐待―子ども の自立支援・親子の関係修復」法律時報83巻 7号82~83頁参照。 かが問題となる。何をもって「子のため」にな るかが明確でなく,当然ながら,法律によって 個々に明文化できる性質のものではないので, その時々の判断に委ねられてしまうが,年齢制 限のある特別養子の要件や「子のため」に現在 と将来を考慮する中で,現実に存在し成長の手 助けを要する「子」に対する決断は容易なもの ではない。また,厳しい表現になるかもしれな いが,そうした時間制限や温かい家庭を要する という「子のため」の判断を逆手に取る形で, 実質的には「親のため」と考えられる要求がな された場合,法はどのように対応すべきかも真 摯に議論しなければならないのではないか。つ まり,たとえば明らかに「親のため」の特別養 子縁組であっても,目の前に実在する「子」の 利益や福祉が付随することから,縁組を認めな かった場合に「子」が被る不利益を考慮して容 易に縁組が認められることになってしまった場 合,それが本当に特別養子縁組制度の主旨に合 致しているのか,また離縁が制度として認めら れる中で「親のため」と考えられる縁組を認め て良いのか,そして何よりも,親のエゴとも言 えるような状況の中での縁組が,本当に「子の ため」になるのかを考える必要があるだろう。 子が欲しいという親の願いを親のエゴであると は言わないが,明らかな虐待ではない限り,人 により「しつけ」と「虐待」とのボーダーライ ンが明確ではないのと同様に,「親の願い」と「親 のエゴ」のボーダーラインも容易には判断でき ないし,議題としても挙げ難い問題である。た だ,こうしたタブー視されがちな議論し辛い問 題に真摯に向かい合い様々な意見を出し合うこ とが,中心的な当事者であるにもかかわらず意 見を表明する知識や能力を持たない「子」に対 する最低限の礼儀であり,「子のため」を考え る上での盤石な土台となるはずである。

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 生物学的親子関係と法的親子関係の双方が登 場する特別養子制度の実際の運用を参考に「子 のため」の更なる議論が求められる。親権停止 制度の新設で,虐待などに対する特別養子制度 の役割が終わったとは考えられない。両制度が 存在することにより「子のため」に求められる 法機能が充実することが望まれる。そして,そ こで深まった議論により,親子関係に対する判 断は大きくその姿を変化させる結果となるのか もしれない。

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