国立国語研究所学術情報リポジトリ
<講演>辺境から発信する言語学 : シベリアのコ
リャーク語は今
著者
呉人 惠
図書名
日本の方言の多様性を守るために : 国立国語研究
所第3回国際学術フォーラム
ページ
32-45
発行年
2011-03-31
シリーズ
NINJALフォーラムシリーズ ; [1]
URL
http://doi.org/10.15084/00000893
はじめまして。富山大学の呉人と申します。どうぞよろしくお 願いいたします。 私の話はこれまでの狩俣先生、菊先生、ペラール先生の取り組 んでいらっしゃる暖かい地域の言語とは対照的に、とても寒いシ ベリアで話されている言語についてのお話です。 先ほど始まる前に控室で皆さんとお話をしていたら、与論島で は今でも半袖で大丈夫というお話でしたが、私のフィールドは今 の季節はおそらくマイナス 60度くらいに下がる、とても寒いとこ ろです。ちなみに「雪」という単語は与論のことばにはないとお っしゃっていましたが、対照的にコリャーク語では「雪」は降っ ている雪、積もっている雪それぞれに専用の単語があります。だ いぶ地理的・気候的に違うのだなという印象を受けた次第です。 しかし、そういう地理的あるいは気候的な違いがあっても、両 地域の言語の置かれている状況はかなり共通しています。 つまり、 両地域とも言語は危機に瀕していると言うことです。 とはいえ、残念ながら私が取り組んできたコリャーク語という 言語は、南の地域の言語よりもずっとドラスティック(激烈)に 言語の衰退が進んでいます。同時に、人の生命の喪失という非常 に深刻なことも起こっています。 そういう意味で、国 外の危機言語ではこう いう復興の取り組みが 行われているのだとい う 希 望 の あ る お 話 は、 残念ながらコリャーク 語ではできません。 ただ、そうではある のだけれども、私の取 り組んでいるこの小さ なコリャーク語という 言語でも、まだまだや ることはあるぞという お話はできるのではな
呉人
惠
(富山大学教授)講演
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辺境から発信する言語学
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シベリアのコリャーク語は今
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いかと思います。シベリアのトナカイ遊牧民コリャークの言語
さて、今日はシベリアのコリャークというトナカイ遊牧民の言 語を取り上げて、具体的な事例をあげながら、主に次の二点を指 摘したいと思います。 まず第一点は、ことばを話す人の立場に立った指摘です。すな わち、言語の衰退というのは単にコミュニケーションの道具が一 つなくなることを意味するのではなく、その言語を話す民族のア イデンティティ、生業、さらに深刻な場合には生命の喪失とも密 接に結びついているということです。 確かにことばはコミュニケーションの道具だとはよく言われる ①空から見た第13トナカイ遊牧ブリガードことですが、道具であるならば、それは少ないほうが便利でよい わけです。しかし言語というのはそうではないということです。 第二点は、我々言語学者の立場からの指摘です。先ほどペラー ル先生もおっしゃいましたが、コリャーク語のような辺境のあま り知られていない言語には、言語研究の視野を広げることができ る興味深い現象が埋蔵されているということです。けれども、今 のまま放っておいてしまうと、こういう現象の多くは誰にも知ら れることなく朽ち果ててしまう運命にあるということです。 さて、私が対象とするコリャーク語という言語の分布域を、地 図上で確認していただきたいと思います。北海道から北に千島列 島、さらにはカムチャツカ半島と続いています。そのカムチャツ カ半島の付け根一帯で話されている言語がコリャーク語です。 私は一九九三年からこれまでカムチャツカ半島の大陸側の対岸 に あ る、 マ ガ ダ ン 州 と い う と こ ろ で 現 地 調 査 を 行 っ て き ま し た。 話し手の数は二千人余と言われていますが、おそらく現状ではそ れよりもさらに少なくなっていることが予想されます。 話者数の減少に関して一番の問題点は、子どもたちが母語とし て既にこの言語を習得していないことです。子どもたちが母語と くれびと・めぐみ 富山大学教授 東京外国語大学大学院外国語学研究科修了 博士(文学) 専門は言語学、コリャーク語学 地図1:宮岡伯人(編)『北の言語:類型と歴史』 (1992年、三省堂) して習得していないというこ とは、既に未来への継承の道 が断たれてしまっているとい うことに他なりません。これ は裏返せば、ロシア語への同 化が急速に進んでいるという ことです。 さて、先ほどあげた二点に ついて、今日は具体的な事例 をあげながらご説明したいと思います。まず一つめは、生業の衰 退、民族的なアイデンティティや生命の喪失が言語の衰退とどの ように相関しているのかという問題です。これについては、トナ カイの名づけと人の名づけの伝統と変容という観点から考えてみ たいと思います。 二つめは、辺境の危機言語が今後、一般言語学的にどういう貢 献をなしうるのかという問題です。これについては、日本語から 発信した「属性叙述」という研究にコリャークがどのように貢献 していく可能性を持っているのかを紹介しながらお話ししたいと 思います。
自然資源豊かなシベリア
コリャークが置かれ ている自然環境は、ツ ンドラとタイガの移行 帯です。ツンドラとい うのは、一年中永久凍 土に覆われ、植生の乏 しい平原地帯を指しま す。一方、タイガとい うのはシベリアの針葉 樹 林 地 帯 を 指 し ま す。 私がこれまで調査して きた地域はその移行帯 にある地域で、気候区 分ではシベリア亜極北②ツンドラと森林の移行帯 ③夏のトナカイ遊牧 帯 で す。 非 常 に 寒 く、 気候条件のきわめて厳 しい地域です。 たしかに、我々はシ ベリアというと過酷な 自然環境の不毛な土地 と思いがちですね。し かし、実は自然資源が 非常に豊かです。この 地域の人々は、主たる 生業としてトナカイ遊 牧 を 営 ん で い ま す が、 補 完 的 に フ ィ ッ シ ン グ、狩猟、植物採集な どをおこなっています。このように複数の生業を組み合わせた形 は、厳しい自然環境に対処するために、一年中食料確保が可能な 環境を作っておくという、この地域の民族ならではの適応戦略の あり方だと思います。何枚かこの地域の写真をご紹介したいと思 います。
トナカイの遊牧
写真①は、空から見た第 13トナカイ遊牧ブリガードというトナ カイ遊牧キャンプの夏の宿営地です。ご覧になっておわかりのよ うに、ツンドラ地帯にはたくさんの川が蛇行しているのが特徴的 です。 今 度 は 地 上 か ら 見 て み ま し ょ う( ② )。 こ れ は 宿 営 地 の す ぐ 近 くの低い丘から見た写真です。植生がよくわかると思います。コ ケやベリー類、マツの一種であるハイマツという背丈の低いマツ が生えています。そして遠くのほうにはグイマツというカラマツ の一種の木が見えます。ツンドラというには植生が比較的豊かで すし、かといってタイガほどに森林が密生しているわけではあり ま せ ん。 し た が っ て、 「 ツ ン ド ラ と タ イ ガ の 移 行 帯 」 と 呼 ん で い ます。 ここで人々はトナカイ遊牧を営んでいるわけです。これは夏の ト ナ カ イ 遊 牧 の 風 景 で す( ③ )。 写 真 は 夏 の も の が 多 い で す。 な ぜなら、冬は寒すぎて写真が撮れないからです。これは二人の牧 夫がトナカイを捕まえに行っているところです。 これは、トナカイを投げ輪で捕まえているところです(④) 。 これは、雄のトナカイの去勢作業をしているところです(⑤) 。 トナカイ遊牧が主た る生業ですから、トナ カイは生活の様々な場 面 で 利 用 さ れ て い ま す。まず第一に、陸上 の交通手段として利用 されます。二頭立ての トナカイ 橇 そり が、彼らの 主 た る 交 通 手 段 で す (⑥) 。 写真⑦はトナカイを 解体しているところで す。トナカイは殺して その肉を食べると同時④トナカイの捕獲作業 ⑤トナカイの去勢作業 ⑥コリャークの交通手段,トナカイ橇そり に、皮を剥いで衣類に利用します。女性二人が両側から引っ張り 合って皮を剥ぐのですが、これは力も技術も要するなかなかむず かしい作業です。 剥いだ毛皮は加工して衣類にします。写真⑧は毛皮をミヤマハ ンノキという木の皮で染めた冬の毛皮服です。コリャークの人た ちはビーズ刺繍を施して仕上げます。手袋、ブーツもすべてトナ カイ毛皮で作られています。 夏 の 衣 類 も ト ナ カ イ 毛 皮 で 作 ら れ ま す( ⑨ )。 こ れ は ト ナ カ イ 毛皮の何で作られているかおわかりになりますでしょうか。何か のリサイクルです。ヒントは、 あちこち黒くなっていることです。 答えは、住居です。そう、写真⑩のテントは、トナカイ毛皮カ バーで作った夏用住居ですが、これを剥がし、外側についている 毛を全部削いで夏用の衣服にするのです。住居の中で煮炊きをし ますので、煙で燻されて黒くなっているのです。このように燻煙 を施されているというのが、水を通さない、蚊を寄せつけないた めに、夏の衣類としては非常に優れているのです。衣と住をつな いだ究極のリサイクルだと思います。
様々な副業も
先ほども申しましたとおり、コリャークは複数の副業にたずさ わっています。まず写真⑪は秋のフィッシングの様子です。凍っ た川に穴を開け、 そこから魚を獲る、 「氷上穴漁」という方法です。 魚は釣ったらあっという間に凍ってしまうのですが、人間はこう やって凍った川の上に寝転んで2時間でも3時間でも釣りをして いるのです。耐寒性のきわめて高い民族ですね。⑦トナカイの解体・皮剥ぎ作業 ⑩トナカイ毛皮カバーの夏用住居 ⑪秋の氷上穴漁 ⑫秋のウサギ猟 ⑧ハンノキの樹皮で染めた冬のトナカイ毛皮服 ⑨夏用のバックスキンの服
⑬野草茶用の野いばら摘み ⑭松ぼっくりの採集 ⑮ツンドラの幸,ベリー 次 に 狩 猟 で す( ⑫ )。 こ れ は 私 で す が、 ウ サ ギ 猟 に 同 行 し た と きのものです。 次に植物採集。夏になると植物採集をします。これは野いばら を お 茶 を 作 る た め に 採 集 し て い る と こ ろ で す( ⑬ )。 見 て も わ か りますように、根っこから採らないで、茎を途中からハサミで切 って採集します。根を来年に残すためです。 これはハイマツの松ぼっくりを採集しているところです(⑭) 。 これも食用にします。 さらに、ツンドラにはベリーが非常に豊かに生えています。右 はクランベリー、左はブルーベリーです(⑮) 。 以上、コリャークの人々の生活の一端を写真でお見せしました が、これだけご覧になっただけでも、シベリアは意外に自然資源 が豊かだという印象を持たれたのではないかと思います。
コリャーク語とはどんな言語なのか
さて、いよいよ言語の話に入りたいと思います。まずコリャー ク語の言語としての位置づけをしておきたいと思います。シベリ アには、大きく二種類の言語グループがあると考えていただいて よいと思います。 一つはアルタイ諸語と呼ばれている言語グループです。このな かには満州・ツングース語族、モンゴル語族、チュルク語族とい った語族が含まれます。もう一つは古アジア諸語という言語グル ープです。中にはエスキモー・アリュート語族、チュクチ・カム チャツカ語族、孤立的な言語としてユカギール語、ケット語、ニ ヴフ語が含まれます。かつてはアイヌ語もこれに含まれていまし地図2:宮岡伯人(編)『北の言語:類型と歴史』(1992年、三省堂) た。コリャーク語は、このうち、チュクチ・カム チャツカ語族に属しています。 この二つの言語グループのうち、アルタイ諸語 は シ ベ リ ア で は 新 し い 言 語 だ と 考 え ら れ て い ま す。 一 方、 古 ア ジ ア 諸 語 は、 「 古 」 が 付 い て い る ことからわかりますが、アルタイ諸語が進出して くる以前からシベリアで話されていた古い言語で あると考えられています。 この地図を見ていただくと、アルタイ諸語が非 常に広い地域を占めている一方で、古アジア諸語 は小さな辺境地域に押しやられ吹き寄せられた形 で分布しているのがおわかりいただけると思いま す。これは、シベリアでは新参のアルタイ諸語に 古い言語である古アジア諸語が同化吸収されてき たことをうかがわせるものです。
コリャーク語の現状と特徴
次に、コリャーク語の現状と特徴について概観 しておきたいと思います。コリャーク語は先ほど も紹介したとおり、ロシア連邦マガダン州とカム チャツカ州で話されている言語です。二〇〇二年 現在、8743人のコリャークの人口のうち 27・ 1%、2000人余の人がコリャーク語を母語と し て 話 し て い る と い う 統 計 が あ り ま す。 し か し、 この統計から8年も経っていますので、現在では 母語率はさらに減少していると考えられます。地図2でご覧になるとわかるのですが、コリャーク語はちょう ど旧大陸と新大陸のちょうど真ん中辺り、ヒトの旧大陸から新大 陸への移動のルートに分布しています。そのことは言語にも反映 されています。すなわち、コリャーク語は旧大陸の言語と似てい るだけでなく、新大陸のエスキモー語やアメリカ・インディアン 諸言語とも似た特徴をいろいろもっています。 コ リ ャ ー ク 語 の 興 味 深 い 現 象 は 枚 挙 に い と ま が な い の で す が、 こ こ で は そ の う ち 一 つ だ け を ご 紹 介 し た い と 思 い ま す。 そ れ は、 この言語が「能格タイプ」であるということです。 まず、わかりやすいように日本語を見てみましょう。日本語は 自動詞文にしろ、他動詞文にしろ、主語は「が」で表します。た と え ば「 太 郎 が 寝 た 」「 太 郎 が 手 紙 を 書 い た 」 の よ う に で す。 つ まり、自動詞文でも他動詞文でも、主語につけられる格助詞は同 じ「が」で、目的語がこれとは仲間はずれで違う「を」という形 式を取るということです。これに対して能格型では、自動詞の主 語と他動詞の目的語が仲間として同じ格形式を取り、他動詞の主 語 が こ れ と は 違 う 格 形 式 を 取 る の で す。 次 の 例 ( 1a )( 1b )( 1c ) を見てください。 ( 1a ) 子供が(主) 寝ている 「子供が寝ている」 (自動詞文) ( 1b ) 女が(主) 子供を(目) 呼んでいる 「女が子供を呼んでいる」 (他動詞文) ( 1c ) 子供が(主) 女を 呼んでいる 「子供が女を呼んでいる」 (他動詞文) ( 1a ) の「 子 供 が 寝 て い る 」 の「 子 供 」 の 後 ろ に つ い て い る 語 尾(赤字の部分)に注目してください。これは自動詞文の主語で す。 次 に ( 1b ) の「 女 が 子 供 を 呼 ん で い る 」 で は、 「 子 供 」 は 他 動 詞 文 の 目 的 語 に な っ て い る の で す が、 ( 1a ) の「 子 供 」 と 形 が 同じです。 一 方、 ( 1c ) の「 子 供 が 女 を 呼 ん で い る 」 と い う 他 動 詞 文 で は、 「 子 供 」 は 主 語 で す が、 今 度 は ( 1a )( 1b ) の「 子 供 」 と は 語 尾 が違ってくるのです。この語尾が取る格の形式を「能格」と呼ん でいるのです。 このように、自動詞の主語と他動詞の目的語が格標示において 同じようにふるまうのに対し、他動詞の主語が仲間はずれになる ような言語のことを「能格型言語」と呼びます。能格型言語は実 は世界中に散らばっているのですが、なぜかどちらかと言うとマ イナーな言語が多いため、あまり一般には知られていません。
「言語の死」と「民族の死」
さて、ここから本題に入ります。先ほどからのお話にもありま す が、 世 界 中 で 言 語 の 多 様 性 が 失 わ れ て い る と 言 わ れ て い ま す。 ただし、言語がなくなってしまうという「言語の死」は、一般的 には、即「民族の死」にはつながらないわけです。民族自体は別 の優位な言語にシフトすることで生き延びるからです。 そのため、 生物多様性に比べると危機感が少なく、さほど深刻には受け取ら№1 「鼻面の白い」 №11 「橇の敷物」 №28 「平らな山頂」 れていないといわざるをえません。 しかし、たとえばコリャークの現状を見ていると、言語の衰退 というのは、実は重篤な場合には人の死、生業の喪失とも分かち がたくつながっているのだということを実感します。そこでここ では、トナカイを伝統的にどうやって名づけてきたのか、そして それが今どのように変わっているのかという側面、そして、人を 伝統的にどうやって名づけてきたのか、そしてそれがどのように 変わっているのかという側面から、言語の衰退が意味することに ついて考えてみたいと思います。 まず、トナカイについて。トナカイはコリャークにとって非常 に重要な家畜ですので、いろいろなトナカイの名称が発達してい ます。たとえば年齢や性別による識別名称、毛色や毛並みによる 識別名称、それから耳に切り込み印を入れ、所有者がわかるよう に す る の で す が、 そ れ も 細 か い 識 別 名 称 を 持 っ て い ま す。 今 回、 私が取り上げたいのは、 橇 そり を引くトナカイに与えられる個別の名 称、すなわち個体名です。つまり人間に「太郎さん」とか「次郎 さん」という名前があるのと同じように、トナカイにも名前があ るということです。 とはいえ、名前は群れの中のすべてのトナカイに付けられるわ けではなく、 橇 そり 用のトナカイだけに付けられます。群れから選ば れて捕まえられ、調教されて、常に乗り物として使われるという 人との関わりの濃さが、個体名を付けるということに反映されて いるのだと思います。 そして、その個体名の付け方がおもしろいのです。右表をごら んください。これは私が現地である牧民から聞き取った、彼が管 理している 橇 そり 用トナカイの個体名のリストです。 個 体 名 と し て 一 般 的 に 考 え ら れ る の は、 ま ず は 体 の 特 徴 で す。 たとえば、 №1のトナカイのように鼻面が白いから 「鼻面が白い」 という名前を付けられる。また、№2のように鼻の下が白いから 「鼻下が白い」という名前が付けられるわけです。それから比喩 によって付けられる場合があります。たとえば、№ 10の「ネジ」 というのは、ネジのようにぐるぐる回るのが好きなトナカイの名 前です。また№ 11の「 橇 そり の敷物」は、 橇 そり の敷物みたいに背中の部 分が擦り切れているという意味です。 それから人の名前が付けられることもあります。これはちょっ と独特ですが、№ 18、 19ではロシア語の名前が付けられています ね。 コ リ ャ ー ク と 隣 接 す る エ ヴ ェ ン と い う 民 族 が い る の で す が、 彼らから贈られたトナカイにはロシア語の名前がつけられること があります。
占い石アーニャペリ (an’ apel’:an’a「おばあさん」 「クモ」, -pel’「小さい」) 占いをする老女 みんな誰かの生まれ変わり! 私が一番注目したいのは、№ 20〜 30までのように、物や地形の 名前が付けられることです。たとえば「ユルト」というのはコリ ャークの住居ですが、その柱を運ぶ 橇 そり とか、トナカイの鼻のとこ ろにつける皮紐とか、 ボタンとかがあります。 地形の名前だと、 峠、 山の斜面、山頂、平らな山頂といったものがあります。 写真をご覧ください。まず、№1の「鼻面が白い」という名前 のトナカイは、実際に鼻面が白いですね。ですから、なるほどそ ういう名前が付いているのだとわかります。それから№ 11の「 橇 そり の敷物」というのは、 橇 そり にトナカイの毛皮を敷くのですが、人が 座っているうちに擦り切れてきます。その敷物のように、このト ナカイの背中も擦り切れたようになっています。これも、見てす ぐになるほどとわかります。ところが、№ 28のトナカイは「平ら な山頂」という名前ですが、どこを見ても「平らな山頂」を想像 させる身体的特徴は見当たりません。では、いったいなぜこんな 名前を付けるのだろうということです。
トナカイの名付け〜出来事を名前に刻む
このような名前は、実は、できごとを刻んでいると理解できま す。つまり、そのトナカイを飼っている人が実際に目撃した、あ るいは関わったストーリーがその名前の背景にあるのです。言っ てみれば、名前はそのできごとを思い出すための記憶誘発装置と いうかラベルみたいなものなのだということです。 たとえば「平らな山頂」というトナカイは、なぜそう名づけら れたかというと、 ある時、群れから逃げ出してしまったそうです。 そして、探していたら、平らな山頂の上で母トナカイと一緒に休 んでいるのが見つかったそうです。つまり「平らな山頂」という 名前によって、そのトナカイ にまつわる過去のできごとが 思い起こされるとともに、そ のトナカイが群れから逃げや すく、群れから逃げるときに はいつも母トナカイと行動す ること、さらに、逃げる時に は、 平らな山頂に逃げること。 そういったそのトナカイの生 態に関する情報とか知識とい う も の が 想 起 さ れ る の で す。 したがって、このような名前 は牧畜技術を支える重要なノウハウの一つであるともいうことが できます。人の名づけ〜生まれ変わりの再生観念
次に人の名づけにいきたいと思います。現代のコリャークは大 きく二種類の名前を持っています。まず、公に使うロシア式の名前 を 持 っ て い ま す。 た と え ば、 「 Gejko Vladimir Vasil'evich 」 と いう知り合いの男の子がいますが、 「 Gejko 」は苗字、 「 Vladimir 」 は 名 前、 そ し て「 Vasil'evich 」 は 父 称 で す。 そ の 一 方、 コ リ ャ ーク式の名前も持っています。たとえば、この男の子は、なんと 5つもコリャーク語の名前を持っています。ロシア語の名前があ ればそれでいいじゃないかと思いますが、コリャークたちは、コ リャーク語の名前を失うことは、自分たちの魂を失うことと同じ だ と 言 っ て、 コ リ ャ ー ク 語 の 名 前 に こ だ わ り ま す。 な ぜ な ら ば、 コリャーク語の名前には、彼らの人生観が映し出されているから です。 どのようにこの名前を付けるのかというと、アーニャペリとい う占い石で占って命名するのです。年寄りの女性が木に吊るした この占い石の前に座り、祖先の名前を次から次へと言っていくの です。もし、その石が揺れたら、揺れた時に言った祖先の名前が 新生児の名前に付けられるのです。 この占いの名づけの背景にあるのは再生観念です。人は死んで もまた生まれ変わるのだという再生観念がその背景にあるという ことです。祖先の魂をコリャーク語では「ウジージット」と言う のですが、この魂が死後、新生児に乗り移り、再生するという信 仰があるのです。ですから、この写真の子供たちもみな祖先の名 前が付いていて、誰かの生まれ変わりなのです。さきの男の子が 5つもコリャーク語の名前を持っているのは、その占いで正しい 祖 先 を 特 定 で き ず、 何 度 も 繰 り 返 し 占 い を お こ な っ た 結 果 で す。 このような占いの失敗は、新生児の身体的な異変として顕現する と考えられています。
廃れゆく伝統的な名づけ
以 上、 ト ナ カ イ と 人 の 名 づ け の 両 方 を 見 て き ま し た が、 現 在、 このような名づけに何が起きているのかを最後にご紹介したいと 思います。まずトナカイですが、コリャーク語が話せない若い牧 民たちの 橇 そり 用のトナカイは、今やロシア語からの借用語による名 前になっています。たとえば「ムィショーノク(仔ネズミ) 」、「ス ニケルス(チョコバー) 」、 「ボーイング(ボーイング) 」、 「ストゥ レロク(弓を射る人) 」、 「カバン(イノシシ) 」などです。 本来、 トナカイは種を増やしていくための家畜です。ですから、 コリャーク語の個体名には、そのために必要なトナカイの生態な どの知識が埋め込まれていたのです。ところが、コリャーク語が 話せず、またそのような名づけの原理を知らない若者たちは、あ たかも愛玩動物に対するかのようなロシア語の名づけに頼らざる を得なくなったというわけです。ここでは、個体名をつけるとい う枠組みだけが残され、その中身である伝統的な命名原理は失わ れてしまっています。 実 際 に ペ レ ス ト ロ イ カ 以 降、 ト ナ カ イ 遊 牧 が 非 常 に 衰 退 し て、 ト ナ カ イ 頭 数 も 激 減 し ま し た。 私 が 通 っ て い る の は、 「 第 13ト ナ カイ遊牧ブリガード」という遊牧キャンプですが、本来あった のブリガードのうち、今では唯一この第 13ブリガードだけが残さ れています。つまり、上でみたような名づけの変容は、生業の衰 退と並行して起きていることなのです。 それから人の名づけの方ですが、トナカイ遊牧キャンプのよう な伝統的な生業がかろうじて行われている地域ではまだ残ってい ますが、村ではロシア語化が進んでおり、コリャークの子どもた ちの中には自分のコリャーク語の名前を知らなくなってしまったような子どもがでてきています。コリャーク語の名前を失うこと は、単に自分につけられたラベルを失うということではありませ ん。人は死んでも新たに生き返ることができる、再生することが できるという、いってみれば非常に楽観的な世界観、人生観をも 一緒に失ってしまうということを意味するのです。
言語の喪失は何をもたらすのか
現にコリャークの人たちはアルコール中毒や様々な病気などの 生命にかかわる深刻な問題を抱えており、若い人たちも例外では なく、非常に急激に亡くなっています。たとえば私が滞在してい た 村 に は 二 〇 〇 一 年 当 初 60人 く ら い の 住 民 が い ま し た。 そ れ が、 今ではおそらく3分の2くらいになってしまいました。若い人も 含めてたくさんの人が亡くなっているのです。名づけに見られる ような人生観の喪失と、このような事態は決して無関係ではない でしょう。 言語の死と生業の喪失、さらには民族的なアイデンティティの 喪失は、このようにすべて並行して起こっているのです。言語と は単なる記号のセットではありません。言語をなくしてしまうと いうことは、その記号にすり込まれている民族固有の知識とか情 報なども一緒に失くしてしまうことなのです。さらに言えば、生 とか死という人の経験に対する固有の解釈の仕方も失くしてしま うことなのです。非常に恐ろしいことです。 私自身、コリャークが直面しているそのような急激な言語の変 容に今なす術もない状態ですが、一方、言語学者としては、私は 未だコリャーク語に非常に大きな魅力を感じています。なぜなら ば、コリャーク語にはまだまだ掘り起こすべき宝がたくさんある と思うからです。言語学の見地から考える
一例を挙げれば、所長の影山太郎先生のご研究ともかかわって い ま す が、 日 本 語 研 究 発 信 の 叙 述 類 型 論 と い う 理 論 が あ り ま す。 人間の言語の根幹には、時間軸に沿った出来事を叙述する叙述の 仕方と、時間の流れを超越した恒常的な属性を叙述する属性叙述 との区別があるという考え方です。 ただ、具体的にそういう区別をはっきりと形の上でする言語は 今まで見つかっていなかったのですが、どうやらコリャーク語に はそれがありそうだということがわかってきました。言い換えれ ば、日本語から発信した叙述類型論という理論研究は、コリャー ク語のデータを通して、世界に発信していく可能性を得つつある と言っても過言ではないと思います。もちろん、このような類型 論的研究はスタートラインに着いたばかりですが、コリャーク語 のような小さな言語にも理論研究に貢献する道があるのです。 このように知られていない言語を丁寧に掘り起こしていくこと によって、言語学の研究にはより実りある豊かな将来が約束され ていることが期待されます。 最後になりましたが、言語話者から見ても、言語学者から見て も、これまで知られることの少なかった言語の消滅は、極めて大 きな損失であるということをもう一度強調しておきたいと思いま す。やはり、私たちは言語の多様性を守るために精一杯、努力を していかなければならないと思います。ある言語学者がこういう こ と を 言 い ま し た。 花 は、 桜 の 花 で も チ ュ ー リ ッ プ で も 美 し い。 しかし、世界中の花が桜の花だけ、あるいはチューリップだけになったらどうだろう。本当につまらなくなってしまう。花もいろ いろな花があるから美しいのと同じように、やはり言語もいろい ろな言語があるから素晴らしいのだというメッセージです。 こ の な か に も 若 い 言 語 研 究 者 の 方 が い ら っ し ゃ る と 思 い ま す が、もしその方たちが私に「どんな言語を研究したらよいか」と いうアドバイスを求めるとするならば、私は、もし日本語である な ら ば、 ぜ ひ 方 言 の 研 究 を や っ て ほ し い と 勧 め た い と 思 い ま す。 それから外国の言語であるならば、マイナーな言語をぜひやって ほしいと勧めたいと思います。以上、ご清聴ありがとうございま した。 (拍手)