「式微」を歌う詩人 ─ 王維「渭川田家」詩の解釈を手がかりにして ―
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(2) 用い、田園生活に対するあこがれを表現しているところに. 寄せていた。臣は帰国することをすすめた︵黎侯寓于衛。. 其臣勧以帰也︶ ﹂ と 解 説 し て い る。 こ れ に 対 し て 鄭 玄 は 次. ﹁式微﹂という詩語の意味に変化が認められること、そし. ているのだろうか。本論では、王維詩以前と以後において. たが、帰国できる状況になっても帰ろうとしない。し. 二つの邑に住まわせたので、黎侯はそこに安住してい. 方の異民族に逐われ、国を捨て衛に身を寄せた。衛は. ﹁寓﹂とは、身を寄せるという意味である。黎侯は北. のような注をつけている。. てその背景には陶淵明の作品の深い影響があったことを論. たがって臣が帰国をすすめた。. 寓、寄也。黎侯為狄人所逐、棄其国而寄于衛。衛処之. す な わ ち 小 序 と 鄭 注 に よ れ ば、 ﹁式微﹂に見える﹁君﹂と. 以二邑、因安之、可以帰而不帰。故其臣勧之。. ﹁式微﹂とは、﹃詩経﹄の邶風に収められている﹁式微﹂. は衛に亡命している﹁黎侯﹂を指し、﹁胡ぞ帰らざる﹂は. ︵ ︶. を指す。ここではひとまず毛伝鄭箋と魯詩説の解釈に基づ. ︶. ﹃ 春 秋 左 氏 伝 ﹄ 襄 公 二 十 九 年 の 伝 文 に は、 臣 が﹁ 式 微 ﹂. ︵. 臣が﹁黎侯﹂に帰国を呼びかけている言葉だと理解できる。. も. 式微式微 式って微なり、式って微なり. 胡為乎中露 胡ぞ中露に為さんや も も 式微式微 式って微なり、式って微なり 胡不帰 胡ぞ帰らざる あら 微君之躬 君の躬に微ずんば 胡為乎泥中 胡ぞ泥中に為さんや 小序は﹁式微﹂が作られた背景について﹁黎侯は衛に身を. す。誰が君にそむきましょうか﹂と答えた。そこで襄. ずねた。公冶は﹁君が確かにおもちになっている国で. 襄公は公冶に﹁わしは帰国してもよいだろうか﹂とた. にたずねた。. いた。そこに魯から使者の公冶がやって来たので次のよう. 安定になっていることを知り、帰国することをためらって. 国する途中、季武子が卞という邑を勝手に占拠し政情が不. を歌い、君主が帰国した故事が載っている。襄公は魯に帰. 6. 5. 胡不帰 胡ぞ帰らざる あら 微君之故 君の故に微ずんば. も. いて﹁式微﹂の内容を確認しておきたい。. 一、﹁式微﹂│毛伝鄭箋と魯詩説について. じたい。. さて詩人は末句でいかなるおもいを込めて﹁式微﹂を歌っ. ﹁渭川田家﹂詩の特徴があると言える。. 2.
(3) 公謂公冶曰﹁吾可以入乎﹂。対曰﹁君実有国、誰敢違君﹂。. と襄公は帰国した。五月、襄公は楚から帰国した。. えていたが、臣下の栄成伯が﹁式微﹂を歌うと、やっ. 理やり賞与すると受け取った。襄公は帰国しまいと考. 公は公冶に卿の冠と服とを賞与すると固辞したが、無. つです。あの方がわたしに冷たくされても、私がどう. ざる﹂と歌った。夫人は答えて﹁婦人の道は、ただ一. 詩を作って﹁式って微なり、式って微なり、胡ぞ帰ら. どうして別れないのですか﹂と言った。そして乳母は. ものです。今、あなたは思いが満たされていないのに、. いうものは、義があれば結ばれ、義が無ければ別れる. 逸することを心配して、夫人に向かって﹁夫婦の道と. も. 公与公冶冕服、固辞、強之而後受。公欲無入、栄成伯. も. 賦式微、乃帰。五月、公至自楚。. と歌い、最後まで貞順一筋を守り、婦道にそむかず、. 詩を作り﹁微は君の故なるも、胡ぞ中路に為さんや﹂. して婦道を離れてよいでしょうか﹂と言った。そして. けを意味している点において毛伝鄭箋の解釈と合致する。. ﹁式微﹂を歌うという行為が、君主に対する帰国の呼びか 文献の成立年代から考えると、この﹃左伝﹄の故事から毛. 君のお召しを待ったのだった。⋮. 黎莊夫人者、衛侯之女、黎莊公之夫人也。既往而不同. 伝鄭箋が生まれた可能性もあり得る。 これに対して劉向が編んだ﹃列女伝﹄貞順伝に記載され. 欲、所務者異。未嘗得見、甚不得意。其傅母閔夫人賢、. ︶. 公反不納、憐其失意。又恐其已見遣而不以時去、謂夫. 人 曰、﹁ 夫 婦 之 道、 有 義 則 合、 無 義 則 去。 今 不 得 意、. ︵. るが、毛伝鄭箋の解釈と異なっている。劉向は魯詩学派と. ている黎莊夫人の故事にも﹁式微﹂の詩句が引用されてい 目されている学者であり、﹃列女伝﹄に引用されている﹁式 ︶. 胡不去乎﹂。乃作詩曰、﹁式微式微、胡不帰﹂ 。夫人曰、. ︵. 微﹂の解釈は魯詩説を踏まえたものであると考えられる。. 乎﹂。乃作詩曰、﹁微君之故、胡為乎中路﹂ 。終執貞壹、. も. ﹁婦人之道壹而已矣。彼雖不吾以、吾何可以離於婦道. も. 胡ぞ帰らざる﹂を冷遇されている黎莊夫人に里帰りをうな. がした乳母の言葉とし﹁微は君の故なるも、胡ぞ中路に為. ﹃列女伝﹄の故事においては﹁式って微なり、式って微なり、. に思った。さらにすでに嫁入りしており、離婚の機を. れなかった。乳母は夫人が賢明であるのに、荘公が夫. た。いまだ夫にお目どおりできず、思いは全く満たさ. 8. 人を受け入れず、夫人が失意にくれているのを気の毒. 不違婦道、以俟君命。⋮. 黎莊夫人は、衛侯の娘で、黎の荘公の夫人である。嫁. 7. いだものの、夫とは性格が合わず、志向も異にしてい. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 3.
(4) は黎莊夫人の夫の莊公を指すと考えられる。すなわち﹁寂. は黎莊夫人が一人で寂しく暮らしていることを指し、﹁君﹂. さんや﹂を黎莊夫人の返答だとしている。ここでは﹁微﹂. がいかに理解されてきたのかを確認してみたい。. に先行研究において﹁悵然として式微を歌ふ﹂という詩句. 詩人が﹁式微﹂に込めたおもいは判然としない。そこで次. 二、 ﹁悵然歌式微﹂に対する先行研究の解釈. 先行研究によれば﹁悵然として式微を歌ふ﹂という句に. 例えば入谷仙介氏は、﹁式微﹂の毛伝鄭箋を引いた上で﹁こ. ︶. 以上のことをまとめると、毛伝鄭箋は﹁式微﹂の﹁胡ぞ. こは作者が田園生活に帰りたい気持を式微に借りた﹂と解. ︵. は﹁田園生活に帰りたいおもい﹂が込められていると言う。. 帰らざる﹂を君主に対する帰国の呼びかけと解し、魯詩説. 釈している。田口暢穂氏も同じく毛伝鄭箋を引いて﹁ここ. ︶. では新妻に里帰りをうながした言葉と解しており、解釈の. では農村の生活のしずけさを羨んだ作者が﹁式微﹂を吟ず. ︵. 仕方に違いが認められる。そもそも曖昧な歌である﹁式微﹂. ることで、 ﹁胡ぞ帰らざる﹂=どうして自分の居るべきと ︶. ころへ帰らないのか、自分も田園生活に入りたい、という. ︵. は様々な解釈が可能であり、本義は何であったのかをにわ. ︶. かには詳らかにすることはできない。ここでは漢代におい. ︵. 願望を表したのである﹂と説明している。. 中で﹁式って微なり、式って微なり、胡ぞ帰らざる﹂とく. ︵ ︶. り返し詠嘆し、急いで田園に隠遁したい思いを述べている. も. では翻って﹁渭川田家﹂詩の﹁悵然として式微を歌ふ﹂. も. 中国の研究においても、例えば傅如一氏は﹁詩人は、詩. という表現について考えたい。先に確認したように詩中に. の で あ る ﹂ と 指 摘 し、 陳 鉄 民 氏 も、 小 序 の﹁ 式 微 は 黎 侯. . おいて詩人は、日が沈み家路に帰る農民たちの様子を目に. 衛に寓す。其の臣 勧むるに帰るを以てするなり﹂を引い た上で、 ﹁ここでは恐らく﹁思帰﹂の意味を取って、役人. ︶. して田園生活を羨み、﹁悵然﹂として﹁式微﹂を歌っていた。. ︵. 詩人はいかなるおもいを込めて﹁式微﹂を歌っていたのだ. 止めたい。. 12. 11. をやめて田園に帰りたいということをあらわしているのだ. 13. 9. ろうか。今確認した毛伝鄭箋と魯詩説に基づいて考えても. 10. て﹁式微﹂に複数の解釈があったということを指摘するに. 異同が認められる。. ある。なお﹁中路﹂は、毛詩では﹁中露﹂に作り、文字の. いだが、中途では別れられない﹂と返答したということで. 母の言葉に、黎莊夫人は﹁寂しく暮らしているのは夫のせ. しく暮らしているのにどうして里帰りしないの﹂という乳. 4. 14.
(5) ていると推測されよう。しかし毛伝鄭箋によれば﹁式微﹂. 吏である詩人の﹁田園生活に帰りたいおもい﹂が込められ. べるように﹁悵然として式微を歌ふ﹂という表現には、官. しで農村の風景を見ていたことからすると、先行研究が述. ﹁渭川田家﹂詩の前半部において、詩人は羨望のまなざ. めに﹂に挙げた釈清潭氏と田部井氏の説をふまえて考察す. もい﹂を表明する詩が続々と作られるようになる。﹁はじ. 詩語を用いて、官吏である詩人の﹁田園生活に帰りたいお. ﹁渭川田家﹂詩以降、後をうけるように﹁式微﹂という. れてこなかったと思われる。. できよう。先行研究では、この違いについて十分に注目さ. 加わることになり、両者には明らかな違いを認めることが. は帰郷を意味するものの、帰隠・帰田・隠遁という含意も. は君主に﹁胡ぞ帰らざる﹂と帰郷を呼びかけた歌であり、. ると、﹁式微﹂が帰隠のおもいをあらわす歌へ受容される. ろう﹂と述べている。. 魯詩説に基づけば新妻に帰郷をうながした歌であり、﹁渭. ようになった背景には、陶淵明の作品、ことに﹁帰去来兮. ︶. 川田家﹂詩における﹁式微﹂の捉え方は毛伝鄭箋とも魯詩 むろん毛伝鄭箋・魯詩説・ ﹁渭川田家﹂詩は、ともに﹁式微﹂. らの問題については後節で詳しく検討することとし、次節. 辞﹂の深い影響があったと結論づけることができる。これ. ︵. 説とも異なると言える。 を﹁帰郷を呼びかけた歌﹂と捉えている点では共通してい. では王維詩以前において﹁式微﹂という詩語がいかに用い. ︶. られてきたのかを確認していきたい。. ︶. みを意味するのに対して、﹁帰﹂の対象を官吏である詩人. なす毛伝鄭箋・魯詩説の場合は、﹁帰﹂があくまで帰郷の. しかし﹁胡ぞ帰らざる﹂の﹁帰﹂の対象を君主や新妻とみ. わっているが、﹁胡ぞ帰らざる﹂の﹁帰﹂に帰郷以上の含. れらの用例は帰郷を呼びかける対象が旅人・出征軍人に代. 場面において﹁式微﹂を歌うという表現が認められる。こ. 王維詩以前の詩では、旅人や出征軍人に帰郷をうながす. がす. 三、 ﹁式微﹂を歌う│旅人、出征軍人に帰郷をうな. 17. 自身とみなす﹁渭川田家﹂詩の場合は、﹁帰﹂が基本的に. しと雖も、帰を意味するにあれば亦妨げず⋮. ︵. る。したがって三者の違いは、帰郷を呼びかける対象の違. 16. いでしかないと言うこともできよう。これについては、﹁は ︵. の後半部においても次のように指摘されている。 15. ⋮⋮田家の題目に於て式微の語を用ふ、聊か恠しむべ. あや. じめに﹂に挙げた釈清潭氏の﹁渭川田家﹂詩に対する解説. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 5.
(6) 意は認められないという点において毛伝鄭箋・魯詩説とは. 郷を呼びかけているのだろう。同じく曹植の﹁臨観賦﹂に. む詩人に向かって﹁式微﹂を歌って﹁胡ぞ帰らざる﹂と帰. だと理解できる。それに対して故郷にいる家族は嘆き悲し. ︵ ︶. 大きな違いはない。ではまずは旅人の苦しみを詠った曹植. 登高墉兮臨四澤 高墉に登りて四澤に臨み 臨長流兮送遠客 長流に臨みて遠客を送る . も次のようにある。. の﹁情詩﹂を見てみたい。 ⋮⋮. かわ. 春風暢兮気通霊 春風は暢にして気は霊に通じ 草含幹兮木交茎 草は幹を含み木は茎を交ふ たか 丘陵崛兮松柏青 丘陵は崛くして松柏は青く はじ. 悽愴内傷悲 悽愴して内に傷悲す 公役のため遠地におもむき一年たっても帰れずに新たに冬. 悲予志之長違 予志の長きに違ふを悲しむ 歎東山之訴勤 東山を歎じて之れ勤むるを訴へ. 南園薆兮果戴栄 南園は薆にして果は戴めて栄ゆ 楽時物之逸豫 時物の逸豫なるを楽しみ. を迎える旅人は歎きながら﹁黍離﹂を歌い、故郷の家族は﹁式 離離たり、彼の稷 之れ苗す。行き . . 微﹂を歌っている。﹁式微﹂と対になっている﹁黍離﹂は﹃詩 経﹄王風の﹁彼の黍. に変わってしまったことを嘆いた歌だと言う。これにした. れば﹁黍離﹂は周の旧都︵鎬京︶の宗廟が禾黍の茂る農地. 生き方を顧みて、出処進退の如何ともし難い現状を歎いて. 物が萌え出ずる春の風物をめでながら、これまでの自身の. 仰無翼以翻飛 仰ぐも翼の以て翻飛する無し 詩人は高い城壁の上から遠方へ旅する人を見送りつつ、万. 邁くこと靡靡たり、中心 搖搖たり⋮︵彼黍離離、彼稷之苗。 行邁靡靡、中心搖搖⋮︶﹂という歌である。毛伝鄭箋によ. がえば﹁情詩﹂における旅人は、旅の途中で荒廃した都の. いる。﹁式微﹂と対になっている﹁東山﹂は﹃詩経﹄豳風. ︵ ︶. 様子を目にし、その嘆きを﹁黍離﹂に託して詠っているの. 退無隠以営私 退くも隠れて以て私を営む無し 俯無鱗以游遁 俯すも鱗の以て游遁する無く. 歌式微以訴帰 式微を歌ひて以て帰るを訴ふ いた 進無路以効公 進むも路の以て公に効す無く. 処者歌式微 処る者は式微を歌ふ 慷慨対嘉賓 慷慨して嘉賓に対し. 今来白露晞 今来れば白露晞く 遊者歎黍離 遊者は黍離を歎じ. 眇眇客行士 眇眇たり客行の士 徭役不得帰 徭役して帰るを得ず 始出厳霜結 始めて出でしとき厳霜結び. 18. 6 19.
(7) ゆ. に収録されている歌で﹁我 東山に徂きて、慆慆として帰 ︵ ︶. らず。我 東より来たる、零雨 其れ濛たり⋮︵我徂東山、 慆慆不帰。我来自東、零雨其濛⋮︶﹂というように軍旅の. 常歎詩人言 常に詩人の言を歎き 式微何由往 式微 何に由りてか往かん. 軍旅の苦しみを代弁して﹁東山﹂を吟じ、﹁早く帰ってお. 苦しみが詠われている。﹁臨観賦﹂においては、﹁遠客﹂の. に別れを告げ、馬に飼い葉をやって楚に向かった。沮水や. のふもとの都もすでに崩落した。かくて旅支度をして秦川. が行われて混乱し、伊水や洛水のほとりの都も函谷や崤谷. 周の幽王や厲王、漢の桓帝や霊帝の世のように非道な政治. ⋮⋮. 次に謝霊運の﹁魏の太子の﹃鄴中集﹄の詩に擬す﹂詩を ている八人の建安詩人︵曹丕、王粲、陳琳、徐幹、劉楨、. 見てみたい。この詩は曹丕が編んだ﹃鄴中集﹄に収録され. のように謝霊運は、南方を流浪する王粲の愁いを詠ってい. いており﹁式微﹂を歌っても帰郷するすべはない。. よって晴れるものではない。いつも﹃詩経﹄を読んでは嘆. 漳水のほとりは美しいが、旅人の愁いはこの美しい景色に. ︶. 応瑒、阮瑀、曹植︶の作風に擬した八首の連作であり、次. る。旅人に向かって﹁胡ぞ帰らざる﹂と帰郷を呼びかける﹁式. こ. に挙げる詩は王粲の作風に擬して作られたものである。王. 微﹂は、帰郷したくてもできない王粲の愁いをさらに深め. 日夕郷思多 日夕 郷思多し 霜剪涼階蕙 霜は涼階の蕙を剪り. 杪秋滯三河 杪秋 三河に滯る 沈沈蓬萊閣 沈沈たり蓬萊閣. 首夏別京輔 首夏 京輔に別れ. は次のようにある。. の望郷のおもいを詠った魏徵の﹁暮秋 懷ひを言ふ﹂詩に ︵ ︶. 次は時代を降って唐代の用例を確認していきたい。旅人. │. 粲は、董卓が暗殺され長安が混乱に陥った際に流浪し、劉. るのである。. 伊洛既燎煙 伊と洛とは既に煙を燎き のり 函崤没無像 函と崤とは没びて像無し. 整装辞秦川 装ひを整へて秦川を辞し まぐさか 秣馬赴楚壌 馬に秣ひて楚壌に赴く 沮漳自可美 沮と漳とは自ら美なるべきも すすめ 客心非外奨 客の心は外の奨に非ず . 22. 21. 幽厲昔崩乱 幽と厲とは昔に崩乱し 桓霊今板蕩 桓と霊とは今に板蕩せり や. 表のもと荊州に身を寄せている。謝霊運はこうした史実を. ︵. いで﹂ とのおもいを込めて﹁式微﹂を歌っているのであろう。. 20. ふまえた上で王粲に成り代わって次のように詠っている。. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 7.
(8) かす. 更悲秦楼月 更に悲しむ秦楼の月 . 夜夜出胡天 夜夜 胡天に出づるを 荒涼とした砂漠がはてしなく広がる中にぽつんと出城は築. かれ、落日が祁連山を照らしている。﹁苦寒の奏﹂をきけ. 風捎幽渚荷 風は幽渚の荷を捎む すず 歲芳坐淪歇 歲芳 坐ろに淪歇し. 感此式微歌 此に感じて式微 歌ふ 初夏にみやこを出発し三河に逗留している旅人は、晩秋の. ば悲愴な思いにかられ﹁式微の篇﹂をきけば故郷が懐かし. 次に辺塞詩における﹁式微﹂の用例を確認したい。辺塞. 操の﹁苦寒行﹂には﹁北のかた太行山に上れば、艱きかな . 厳しさを歌った楽府である﹁苦寒行﹂を指す。例えば、曹. も. くなる。この辺境の空に故郷の関中と同じ月が毎夜かかる. 詩では、辺境で苦しむ出征軍人の望郷のおもいを深める歌. も. 夜がふけていく蓬莱閣を前に望郷にかられ﹁式微﹂を歌っ. のを見ると、さらに悲しさが増すのである。. このよう. ている。ここでは﹁式って微なり、式って微なり﹂と歌っ. │. て零落していく晩秋の景物と自己とを嘆き、﹁胡ぞ帰らざ. に陶翰は出征兵士のおもいを詠っている。. として﹁式微﹂が登場する。例えば蕭関︵四関の一つで現. と厳冬の太行山脈を行軍する様子が描かれている。一説に. 何ぞ巍巍たる。羊腸の坂 詰屈し、車輪 之が為に摧く⋮ ︵北上太行山、艱哉何巍巍。羊腸坂詰屈、車輪為之摧⋮︶﹂. ﹁式微の篇﹂と対になっている﹁苦寒の奏﹂は、行軍の. 在の寧夏回族自治区固原県の東南部︶に出征した兵士のお ︵ ︶. うにある。いささか長い詩なので後半のみを挙げたい。 ⋮⋮ 大漠横萬里 大漠は萬里に横たはり 蕭条絶人煙 蕭条として人煙 絶ゆ 孤城当瀚海 孤城は瀚海に当たり 落日照祁連 落日は祁連を照らす. ︵. ︶. の遠征途上の作であると言う。. ︶. くものではなく、 虚構の色彩が強いものとされている。﹁蕭. ︵. みを深く表現している。なお辺塞詩は詩人の実体験に基づ. をかきたてる﹁式微の篇﹂を対にして軍旅の苦しみと悲し. さを歌う﹁苦寒の奏﹂と、出征兵士に帰郷を呼びかけ望郷. まとめると、 ﹁蕭関を出でて懐古す﹂詩では行軍の厳し. 24. 関を出でて懐古す﹂詩は、敢えて時代設定をずらして漢代. 25. 23. 愴矣苦寒奏 愴なるかな 苦寒の奏 懐哉式微篇 懐なるかな 式微の篇 . よると曹操の﹁苦寒行﹂は袁紹の甥、高幹を討伐するため. もいを描いた陶翰の﹁蕭関を出でて懐古す﹂詩には次のよ. ろうと思われる。. る﹂と歌って故郷に帰りたいおもいを吐露しているのであ. 8.
(9) の為政者を諷刺しているが、ここには当時の為政者をそれ. これと対になっている﹁瀚海の波﹂とは、﹁荒れ狂う砂. だろう。すなわち﹁盧龍の塞を売らざれば、能く瀚海の波. 漠の嵐﹂に喩えて、勢い増す異民族の軍を表現しているの. 最後に王維詩以後の中唐の用例になるが、錢起の﹁王使. を消す﹂というのは、盧龍の砦を死守すれば、異民族の勢. となく諷刺せんとの意図があったのかも知れない。 君の太原の行営に赴くを送る﹂という辺塞詩を見ておきた. いを圧することができるから頑張れと励ましていると理解. ︶. い。この作品はこれから異民族を制圧しに太原の陣営に向. ﹁式微の奏﹂と対になっている﹁出師の頌﹂は、後漢の. できよう。. ︵. かう王使君を鼓舞するために贈ったもので、阮廷瑜氏の考. ︶. ﹁出師の頌﹂を指す。つまり﹁須らく出師の頌を伝ふべし、. ︵. 安帝の命により西羌を鎮圧した鄧騭の功を称えた史岑の. 証によると王使君は王縉を指すと言う。この詩も後半部の みを挙げることとする。 ⋮⋮. て功績をあげてこい、とこれから戦場に向かう王使君とそ. . 不売盧龍塞 盧龍の塞を売らざれば 能消瀚海波 能く瀚海の波を消す 須らく出師の頌を伝ふべし 須伝出師頌. 式微の歌を奏する莫れ﹂というのは、 望郷をかきたてる﹁式. 微﹂などを演奏せずに﹁出師の頌﹂を読み鄧騭を手本とし. 言した。田疇の策は的中し烏丸を一掃できた曹操は、田疇. 烏丸討伐の際に、田疇は盧龍から攻め入ることを曹操に進. れている故事に基づく表現である。あらましをまとめると、. 奏︶﹂﹁異民族制圧を称えた歌︵出師頌︶ ﹂であり、苦役や. しみを詠った歌︵東山︶﹂ ﹁行軍の厳しさを詠った歌︵苦寒. ている歌も﹁都の荒廃を歎いた歌︵黍離︶ ﹂ ﹁従軍兵士の悲. ﹁式微﹂が歌われてることが確認できた。 ﹁式微﹂ と対になっ. でいる旅人や出征軍人に帰郷を呼びかける場面において. 以上のことから、王維詩以前においては、異郷で苦しん. の部下たちを鼓舞しているのである。. に褒賞を与えるために夏侯惇を派遣した。しかし田疇は状. 軍旅と関係があるものばかりである。すなわち﹁式微﹂を. ︶. 勢が不利になった時に、大軍をひきつれて一旦退却したこ. 歌って﹁胡ぞ帰らざる﹂と呼びかけられると、旅人や出征. 軍人は強い望郷の念にかられるのであろう。. とを恥とし﹁盧龍の砦を引き渡しておりながら、恩賞を受. と言って恩賞を断る。. け 取 る こ と は で き な い︵ 豈 可 売 盧 龍 之 塞、 以 易 賞 祿 哉 ︶﹂. ︵. 28. 26. 莫奏式微歌 式微の歌を奏する莫れ ﹁盧龍の塞を売る﹂とは、﹃三国志﹄魏志・田疇伝に記載さ. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 9. 27.
(10) かに、孟浩然、白居易、賈島、崔璞、貫休の作品中にも認. ︶. めることができる。例えば孟浩然の﹁都下にて辛大の鄂に. ︵. なお余冠英氏が﹁式微﹂を﹁労役に苦しんでいる人の発. 之くを送る﹂詩には次のようにある。この詩は役人になる. ︶. した怨みの声である︵這是苦於労役的人所発的怨声︶﹂と. ︵. 理解し、陳鉄民氏が﹁労役に服する人が故郷に帰りたいお. ために都へ来たが、願いがかなわず鄂州に帰る友人の辛大. 言帰旧竹林 言に帰る 旧の竹林 ととの 未逢調鼎用 未だ鼎を調ふるの用に逢はず わた. 徒有濟川心 徒だ川を済るの心 有るのみ 余亦忘機者 余も亦た機を忘るる者なり. を述べる場面で歌われる﹁式微﹂の用例は、王維詩の他に. ︵負鼎操俎、調五味︶﹂ ︵ ﹁韓詩外伝﹂巻七︶仕事をしていた. 還寄式微吟 還た寄す 式微の吟 ととの ととの ﹁鼎を調ふ﹂とは朝廷で﹁鼎を負ひ俎を操り、五味を調ふ. 田園在漢陰 田園は漢陰に在り 因君故郷去 君の故郷に去るに因りて. どの程度あり、いかにしてこのような意味が定着したのだ. 伊尹が宰相になった故事から、宰相になって国家を治める. 確認する。このような﹁式微﹂の用例は先述の王維詩のほ. 帰隠のおもいを表明する際に歌われる﹁式微﹂の用例を. 四、﹁式微﹂を歌う│帰隠のおもいを表現する. 用汝作舟楫︶ ﹂と述べた故事︵ ﹃書経﹄説命上︶から、君主. さん︵朝夕納誨、以輔台徳。若金、用汝作礪。若済巨川、. 夕 誨を納れて、以て台が徳を輔けよ。若し金なれば、汝 もつ とぎいし わた もつ を用て礪と作さん。若し巨川を済れば、汝を用て舟楫と作. わ. こ と を 指 す。 ﹁川を済る﹂とは高宗が臣下に向かって﹁朝. わた. ろうか。次にこれについて見ていきたい。. ゆ. も い を 詠 っ た 怨 詩 で あ る︵ 這 是 一 首 服 役 者 思 帰 的 怨 詩 ︶﹂. を見送りつつ、自身も故郷の襄陽に帰隠したい詩人のおも. ︵ ︶. と捉えているのは、﹁式微﹂が苦役や軍旅の場面で歌われ. いを詠じたものである。. 微﹂の用例は、﹁胡ぞ帰らざる﹂の﹁帰﹂が帰郷のみを意 味し、それ以上の含意は認められない。この点において毛 伝鄭箋や魯詩説と大きな違いはない。これに対して﹁渭川 田家﹂詩の﹁悵然として式微を歌ふ﹂という句は、先行研 究によれば﹁田園生活に帰りたいおもい﹂が込められてい ると言う。してみると、ここには帰隠、帰田という含意が. 31. 29. 旅人や出征軍人に帰郷を呼びかける際に用いられる﹁式. 30. 認められることになる。では﹁田園生活に帰りたいおもい﹂. 南国辛居士 南国の辛居士 ここ. ることの多い事情をふまえているのであろう。. 10.
(11) に合わせてうまく立ち回ることはせず、恬淡としているこ. を補佐することを意味する。﹁忘機﹂とは、世の中の機微. 決意を詠っている。続いて、詩の後半部を挙げる。. ができよう。このように詩の前半部では蘇州刺史をやめる. とを言い、﹃荘子﹄天地篇に﹁功利機巧は、必ず夫の人の. 五千言裏教知足 五千言裏 知足を教へ 三百篇中勧式微 三百篇中 式微を勧む. 少室雲辺伊水畔 少室 雲辺 伊水の畔 や や 比君校老合先帰 君に比して校々老いたれば 合に先 に帰るべし. 心を忘る︵功利機巧、必忘夫人之心︶﹂とあるのをふまえ 郷 襄陽を指す。すなわち、辛大は君主を補佐したい︵済 川︶との志を持っていたが、宰相になる︵調鼎︶ことがで. 詩の後半では、役人生活をやめて洛陽の伊水のほとりに隠. た詩語である。﹁漢陰﹂とは漢水の南岸にある孟浩然の故. きず鄂州に帰ることになり、詩人も友と同じく帰隠したい. 遁したいとのおもいをのべる際に、これから読むべき詩文. 詩の内容及び、 ﹁式微﹂と﹃老子﹄が対になっていること. として﹃老子﹄と﹁式微﹂をあげている。 ﹁微之に留別す﹂. 蘇州刺史であった詩人が五十五歳の時に病のために官を辞. あるが、 ﹁洛中偶作﹂詩においても伊水や少室山を﹁今は. 青宮の長 為り、始めて来たりて此の郷に遊ぶ。伊澗の上 を裴回し、嵩少の傍に睥睨す︵今為青宮長、始来遊此郷。. 裴回伊澗上、睥睨嵩少傍︶﹂と詠っており、洛陽は詩人の 心の故郷であったようだ。. 晩唐の崔璞の﹁恩を蒙りて除替し、将に京洛に還らんと. し、偶々懐ふ所を敘し、因りて六韻を成し、軍事院の諸公 郡中の一二秀才に呈す﹂詩では、同僚たちに向かって帰隠 ︶. た。身体を働かせることを嫌って、官印をお返ししたのだ. の思いが吐露されている。崔璞は咸通十年に蘇州刺史に任. ︵. から、今さらどうしてお付きのものを従えて登庁すること. 33. 道を悟りこれまでの生き方が間違っていたことを深く知っ. とは明白である。なお白居易の実際の生まれ故郷は鄭州で. から考えると、詩人が﹁式微﹂を帰隠の歌と捉えているこ. もと. 猶厭労形辞郡印 猶ほ形を労するを厭ひ郡印を辞す なん お 那将趁伴著朝衣 那ぞ将に伴を趁ひて朝衣を著けんと. 干時久与本心違 時を干めて久しく本心と違へり 悟道深知前事非 道を悟り深く前事の非なるを知る. 贈った作品である。. し、隠居するために洛陽に向かう際に、江南に残る元稹に. 次に白居易﹁微之に留別す﹂詩を見てみたい。この詩は、. ︵ ︶. と﹁式微﹂を吟じているのである。 32. するや 長い間、本性にそむいて役人生活をおくってきたが、今、. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 11.
(12) ぜられたものの、自分の無能を恥じながら政務を執ってお. ︵ ︶. ぜられ、同十二年に刺史を辞任し都に戻っている。おそら. り、故郷を思って﹁式微﹂を歌っていた。故郷に帰ること. ために働き、三年目の春に官を解かれて洛陽に帰ることに. │. たい。. このように詩人は詠っている。 ﹁郷を思ひて式. 微を念ず﹂という表現に、帰隠のおもいが込められている. ことは疑いもないと言えよう。. 五、 ﹁式微﹂と﹁帰去来兮辞﹂. は才能がなく民に恩恵をほどこし、威光を示すことができ. 背 景 に は 一 体 何 が あ る の だ ろ う か。 ﹁はじめに﹂において. を表明する詩が王維詩以降、続々と作られるようになった. ﹁式微﹂という詩語を用いて ﹁田園生活に帰りたいおもい﹂. なかった。このように詩の前半では刺史としての自身の才. かえりなんいざ. 帰去来兮 . 帰去来兮. ︶. 隠のおもいを表明した作品である。. ︵. の通り﹁帰去来兮辞﹂は、彭澤の令を辞めた陶淵明が、帰. た寄す 式微の吟﹂という表現が生まれた背景には、﹁帰 去来兮辞﹂の深い影響があったと言うことができる。周知. り、王維詩、 孟浩然詩のような﹁悵然として式微を歌ふ﹂ ﹁還. 討をすると﹁式微﹂が帰隠の歌として受容されるようにな. 界が描かれていることを確認した。両氏の説をふまえて検. の詩語をふんだんに用い、﹁帰去来兮辞﹂と同じような世. 田部井氏、釈清潭氏の説を引き、 ﹁渭川田家﹂詩は陶淵明. 降を挙げたい。 か. 遽蒙交郡印 遽に蒙る 郡印を交ふるを 安敢整朝衣 安んぞ敢へて朝衣を整へんや 作牧慚為政 牧と作るも政を為すを慚じ 思郷念式微 郷を思ひて式微を念ず も ゆる 儻容還故里 儻し容されて故里に還れば 高臥掩柴扉 高臥して柴扉を掩はん 郡の長官の印を後任者に渡せよとの命を早々に受けたが、 どうして私に朝廷に出仕する勇気などあろうか。刺史に任. 35. にわか. 能のなさを嘆いている。続いて詩の後半部である七句目以. なった。机には帳簿が山積みで仕事は忙しかったが、私に. を許されたならば、世俗から離れ柴の戸を閉ざした生活し. くこの詩は、蘇州刺史を辞任する際に制作されたものだろ. 34. 務繁多簿籍 務繁にして 簿籍多く 才短乏恩威 才短かく 恩威乏し 二年もの間、刺史として、蘇州の人民の苦しみを把握する. 両載求人瘼 両載 人瘼を求め 三春受代帰 三春 代帰を受く. う。. 12.
(13) 田園将蕪胡不帰 田園将に蕪れなんとす 胡ぞ帰ざる 既自以心為形役 既に自ら心を以て形の役と為し 奚凋悵而独悲 奚ぞ凋悵として独り悲しむや 已往の諫むまじきを悟り 悟已往之不諫 . そは措辞面に限られると言うことができよう。. これに対して王維、孟浩然、崔璞、白居易らは、毛伝鄭. 箋・魯詩説といった伝統的な﹃詩経﹄の注釈に基づく﹁式微﹂. の内容よりも、 ﹁式微﹂の措辞を一部用いた﹁帰去来兮辞﹂. の内容︵陶淵明の帰隠を表明した歌︶のほうを強く意識し. て、詩中で﹁式微﹂を歌っており、ここには陶淵明に対す. る並々ならぬ共感と傾倒が認められる。. は間違った生き方だったと反省し、これからは田園に帰っ. 覚今是而昨非 今の是にして昨の非なるを覚りぬ 陶淵明は、精神を肉体の奴隷と化したいままでの役人生活. く王維、孟浩然、白居易、崔璞の詩を見てみると、これら. ることを確認した。氏の指摘をふまえた上でさらに注意深. 摘を引き﹁渭川田家﹂詩には陶淵明の詩句が使用されてい. 知来者之可追 来者の追ふべきを知る 実迷途其未遠 実に途に迷ふこと 其れ未だ遠から ず. て真の人生を歩みたいと帰隠のおもいを表明している。﹁帰. にも陶淵明の詩句がふんだんに用いられており、明らかに. 繰 り 返 し 述 べ る が、 ﹁はじめに﹂において田部井氏の指. 去来兮辞﹂は﹃文選﹄に収録されており、李善は二句目の. 崔璞詩の﹁高臥して柴扉を掩はん﹂という表現は、 ﹁白日. 絶塵想︶﹂ ︵ ﹁帰園田居﹂詩 其二︶や﹁長吟して柴門を掩ひ、 聊か隴畝の民と為らん︵長吟掩柴門、聊為隴畝民︶ ﹂︵﹁癸. 陶淵明のような帰隠を意識していることが分かる。例えば. 胡ぞ帰らざる﹂について﹁式微﹂ も も の﹁式って微なり、式って微なり、胡ぞ帰らざる﹂をふま. にも荊扉を掩し、虚室にも塵想を絶つ︵白日掩荊扉、虚室. ﹁田園将に蕪れなんとす えた表現であると指摘している。. ただし﹁式微﹂と﹁帰去来兮辞﹂の内容を比較すると、. は全体として陶淵明の官途への失意、そして帰隠・帰田を. ︶. 卯歳始春懐古田舎﹂詩 其二︶という詩句をふまえている と考えられる。 ﹁柴扉を掩ふ﹂﹁荊扉を掩ふ﹂ ﹁柴門を掩ふ﹂. ︵. 主題としており、毛伝鄭箋・魯詩説の解釈に基づく﹁式微﹂. 36. 旧林を恋い、池魚 故淵を思ふ︵羈鳥恋旧林、池魚思 . また孟浩然詩の﹁言に旧の竹林に帰る﹂という表現も﹁羈. ここ. というのは俗世間との遮断をあらわしている。. 違いが認められる。したがって大きく見ると、﹁式微﹂と﹁帰. 去来兮辞﹂の継承関係は、内容面においては薄く、おおよ. 鳥. の内容︵君主や新妻に帰郷をうながす歌︶とは、明らかな. 帰 郷 を 詠 じ て い る 点 で は 共 通 す る も の の、﹁ 帰 去 来 兮 辞 ﹂. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 13.
(14) という詩句とぴったり対応している。加えて白詩の﹁郡印. を以て形の役と為し﹂﹁今の是にして昨の非なるを覚りぬ﹂. 前事の非なるを知る﹂という表現も﹁帰去来兮辞﹂の﹁心. 故淵︶ ﹂ ︵﹁帰園田居﹂詩 其一︶という詩句を念頭に置い たものであろう。さらに白詩に見える﹁形を労す﹂﹁深く. いかなるおもいを込めて詩人が﹁式微﹂を吟じているのか. 束をし、風に向かって﹁式微﹂を吟じている。一見すると. 陽の節句︵秋︶と、紅い桃の花が咲く時節︵春︶に会う約. 臨風一長吟 風に臨みて一たび長吟す こ こ で 詩 人 は 王 参 と﹁ 黄 菊 の 節 ﹂ ﹁紅桃の徑﹂すなわち重. ︶. 判然としない。 だが陶淵明の田園生活を象徴する ﹁黄菊﹂﹁紅. 桃﹂という詩語が使用されていることに注意すると、﹁式微﹂. ︵. を辞す﹂という表現も陶淵明が彭澤令をやめる際の﹁潛嘆. が込められていると推測される。. ︵ ︶. じて曰く、﹃我 五斗米の為に腰を折りて鄉里の小人に向 かふこと能はず﹄と。即日 印綬を解きて職を去る︵潛嘆 曰、 我不能為五斗米折腰向鄉里小人。即日解印綬去職︶﹂︵﹃宋 書﹄陶潜伝︶という故事を髣髴とさせるものである。そも. を吟ずるという行為には、田園生活へ帰りたいとのおもい. という言葉自体が、﹁帰去来兮辞﹂の序の﹁是に於ひて悵. そも﹁渭川田家﹂詩の﹁悵然として式微を歌ふ﹂の﹁悵然﹂. 生活に対するあこがれが込められているということができ. を思ひて式微を念ず﹂ ﹁每に式微の篇を把りて 風に臨み て一たび長吟す﹂といった表現には、陶淵明のような田園. して式微を歌ふ﹂ ﹁還た寄す 式微の吟﹂ ﹁式微を勧む﹂ ﹁郷. 以上のことをまとめると、王維らの詩における﹁悵然と. 然として慷慨し、深く平生の志に媿ず︵於是悵然慷慨、深 ︵ ︶. 媿平生之志︶﹂という部分に見えるものである。. 37. 40. 14. ことから、﹁式微﹂を歌うという行為が帰隠をあらわして. これらと逆に、陶淵明を象徴する詩語が使用されている. を通して帰隠の歌として受け入れられるようになったので. を呼びかける際に歌われていた﹁式微﹂が、﹁帰去来兮辞﹂. る。すなわちこれまで君主・新妻・旅人・出征軍人に帰郷. ︶. ある。. ︵. ︶. て帰隠のおもいを次のように詠っている。. ︵. 唐末、五代の詩人である貫休は﹁杜将軍に別る﹂詩におい. を歌うことがそのまま帰隠を表現するようになる。例えば. さらに時代が降ると、 陶淵明の詩句を用いずとも﹁式微﹂. いると判別できる用例もある。例えば賈島の﹁王参に答ふ﹂. 38. 詩には次のようにある。以下に最後の四句を挙げる。 ⋮⋮ 相期黄菊節 相ひ期す黄菊の節 別約紅桃徑 別に約す紅桃の徑 每把式微篇 每に式微の篇を把りて . 41. 39.
(15) なに. 伊余本自胡為者 伊れ余は本より自ら胡をか為す者ぞ す 採蕈鋤茶在窮野 蕈を採り茶を鋤きて窮野に在り なげう 偶抛簑笠事空王 偶々 簑笠を抛ち空王に事ふ 餘力為文擬何謝 餘力 文を為りて 何謝に擬す. 少年心在青雲端 少年 心在り 青雲の端 知音動地皆龍鸞 知音 地を動かし 皆 龍鸞 遽逢天歩艱難日 遽かに天歩艱難の日に逢ひ 深蔵溪谷空長歎 深く溪谷に蔵れて空しく長歎す 詩の前半には、苦難に満ちた世において仏道に帰依し、と. 詩の後半では、杜将軍に取り立てられ厚遇を受けていたも. のの、春になって深い雲がかかる山から僧侶が迎えに来る. ともとの生活に帰ることにした詩人の様子が描かれてい. る。このように詩人は杜将軍のもとを離れ、もとの隠遁生. 活に帰ろうとする際に﹁式微﹂を歌っており、ここでは陶. 淵明の詩句を特に用いてはいないが﹁式微﹂を歌うことで. そのまま帰隠のおもいを表現していると考えられる。. 以上の検討から、君主や新妻、旅人や出征軍人に帰郷を. まとめ. 子が描かれている。詩人は若い時は出世の志を持っていた. 呼びかける際に歌われていた﹁式微﹂が、﹁渭川田家﹂詩. きおり詩文を綴るという隠遁生活をおくっていた詩人の様 が、 混乱した世に生まれその志は挫かれてしまったようだ。. として受容されるようになったのである。こうした ﹁式微﹂. 識して﹁式微﹂を歌うという表現を詩中で用い、帰隠の歌. 明に深く傾倒した詩人が登場し、 ﹁帰去来兮辞﹂を強く意. けられるようになった。そして王維、孟浩然といった陶淵. たことにより、﹁式微﹂と﹁帰去来兮辞﹂が密接に関係づ. 兮辞﹂の起句は﹁式微﹂の措辞を一部用いていると指摘し. な段階を経て行われたと推測される。まず李善が﹁帰去来. こうした﹁式微﹂の内容面における受容の変化は次のよう. 歌として受容されるようになったことを確認できた。なお. を嚆矢として、﹁帰去来兮辞﹂の影響を強く受け、帰隠の. 濛濛花雨兮鶯鶯飛 濛濛たる花雨 鶯鶯は飛ぶ 一汀楊柳兮同依依 一汀の楊柳 同じく依依たり . 深雲道人召来帰 深雲の道人 召し来たりて帰る 燕辞大廈兮将何為 燕 大廈を辞し将た何をか為さん. 身隈玉帳香満衣 身は玉帳に隈し 香は衣に満つ 夢歴金盆雨和雪 夢は金盆を歴て雨は雪に和す 東風来兮歌式微 東風 来たりて式微を歌ひ. 偶出重囲遇英哲 偶々重囲より出でて英哲に遇ひ 留我江楼経歳月 我を江楼に留めて歳月を経. 続いて詩の後半部を挙げる。 「式微」を歌う詩人(秋谷). 15.
(16) の受容のされ方の変化は盛唐以後、﹁帰去来兮辞﹂におけ る陶淵明の帰隠のイメージがかなり深く浸透していたこと. ︵. 4. を証明するものだと言える。. ︵. 5. ﹃詩経﹄の歌をうたうという行為は、古くから知識人の. ︵. 6. おもいを表現する一つの手段と見なされていた。例えば﹃春. ︵. こ の 作 品 の 中 に も、 淵 明 の 詩 に 基 づ く 表 現 が 次 の よ う に 見 られる﹂と述べ、﹁渭川田家﹂詩中で用いられている陶淵 明詩の詩語を次のように列挙している。○墟落・依依=曖 曖遠人村 依依墟里煙︵ ﹁帰園田居﹂其一︶ ︵ただしこの﹁依 依﹂と王詩のそれとは、意味は同じではない。︶○﹁候荊扉﹂ =僮僕歓迎稚子候門︵﹁帰去来辞﹂ ︶○﹁荷鋤﹂=晨興理荒 穢帯月荷鋤帰︵﹁帰園田居﹂其三︶ ︵田部井文雄﹃唐詩三百 首詳解﹄上巻、大修館書店、一九八八年︶︹一〇一頁︺ 。 ︶ 釈 清 潭﹃ 陶 淵 明・ 王 維 全 詩 集 ﹄︵ 国 民 文 庫 刊 行 会、 一九二九年︶︹九四頁︺を参照。 ︶﹃詩経﹄の底本は、 ﹃標点本 十三経注疏 毛詩正義﹄ ︵北 京 大 学 出 版 社、 二 〇 〇 一 年 ︶ ︹ 一 八 〇 頁 ︺ を 用 い た。 解 釈 す る に 当 た っ て は、 高 田 眞 治﹃ 詩 経 ﹄ 上︵ 集 英 社、 一九六六年︶︹一五六頁︺を参照した。 ︶ ﹃春秋左氏伝﹄の底本は、 ﹃標点本 十三経注疏 春秋左 伝正義﹄︵北京大学出版社、二〇〇一年︶︹一二五三頁︺を 用いた。解釈するに当たっては、鎌田正﹃春秋左氏伝﹄ ︵三︶ ︵明治書院、一九七七年︶ ︹一一三四頁︺を参照した。 ︶ ﹃列女伝﹄の底本は、梁端校注﹃列女伝﹄︵台湾中華書局、 一九七三年︶を用いた。解釈するに当たっては、山崎純一. ︵. 7. 秋左氏伝﹄には、状況、立場、目的に応じてしなやかに解. 2. 3. ︶ 近年では民俗学的手法を用いて﹃詩経﹄の原義を求める. ︶ 王 先 謙 撰、 呉 格 点 校﹃ 詩 三 家 義 集 疏 ﹄︵ 中 華 書 局、 一九八七年︶︹一八〇頁︺を参照。. ﹃列女伝﹄中︵明治書院、一九九七年︶ ︹四三六頁︺を参照 した。. ︵. 8. 釈の仕方を変えて﹃詩経﹄の詩句を歌い、外交・政治のや りとりをしている故事がふんだんに見える。本論で考察し た魏晋南北朝から唐代にかけての詩人たちも、こうした伝 統をふまえた上で﹁式微﹂を歌っていたのであろう。唐詩 中に使用される他の﹃詩経﹄の歌についても、﹁式微﹂の ような現象が認められるのだろうか。これについては稿を 改めて論じたい。. 注 ︵ ︶ 底 本 は、 陳 鉄 民 校 注﹃ 王 維 集 校 注 ﹄ ︵ 中 華 書 局、 一九九七年︶ ︹五六一頁︺を用いた。なお宋蜀本、 明十巻本、 ﹃全唐詩﹄等は﹁歌式微﹂を﹁吟式微﹂に作る。. 1. ︵ ︶ 蕭 滌 非 ほ か﹃ 唐 詩 鑑 賞 辞 典 ﹄ ︵ 上 海 辞 書 出 版 社、 一九八八年︶ ︹一三九頁︺を参照。 ︵ ︶ 田 部 井 文 雄 氏 は﹁ 王 維 は、 政 府 の 高 官 で あ る と 同 時 に、 晋末宋初の田園詩人陶淵明の流れを継ぐ自然詩人である。. 9. 16.
(17) りたいという思い﹂が託されていると解釈していると言う。. ︵. 研究が盛んである。例えば牧角悦子氏は﹁式微﹂を﹁祭祀 において祖霊の降臨が実現しなかった際に、更に祭りを徹 底させて降臨を希求する祭礼歌﹂と解している︵石川忠久 ﹃詩経﹄ ︵上︶明治書院、一九九七年︶ ︹一〇七頁︺ 。これに 対して本論は、唐代の詩人 王維が﹁式微﹂を歌うという 行為をいかに捉え、詩の表現としているのかを考察するも のである。したがって﹁式微﹂の原義が何であるのかにつ いては問題としない。 ︵ ︶ 焦贛﹃易林﹄巻十四では﹁式微﹂を﹁高い障壁を設けて、 夫 婦 が 別 れ 住 む︵ 隔 以 嵓 山、 室 家 分 散 ︶﹂ こ と を 刺 る 詩 と みなしており、王先謙によると、これは斉詩説に基づく解 釈だと言う︵前掲注 書﹃詩三家義集疏﹄及び前掲注 書 山崎純一﹃列女伝﹄中を参照︶ 。 ﹁式微﹂を夫婦の不仲をう ︵ たった歌と捉えている点において、魯詩説と斉詩説は共通 し て い る よ う で あ る。 ︵ ﹃ 易 林 ﹄ の 底 本 は、 ﹃易林﹄台湾中 華書局、一九六五年を用いた︶ ︵ ︵ ︶ 小 川 環 樹・ 都 留 春 雄・ 入 谷 仙 介 選 訳﹃ 王 維 詩 集 ﹄ ︵岩 波書店、一九九九年︶ ︹一四〇頁︺ 。 ︵ ︵ ︶ ︵大 ︵ 松浦友久編著﹃続 校注 唐詩解釈辞典︹付︺歴代詩﹄ 修館書店、二〇〇一年︶ ︹二六頁︺ 。執筆者の田口氏の調査 7. によると、十七種に及ぶ王維詩の訳注書は、 ﹁悵然歌式微﹂ の句について﹁ ︵心の故郷であるしずかな︶田園生活に入. 8. ︵秋谷は①④⑪⑮⑯⑰については未確認︶. ︹一八八四︺序本︶②釈清潭﹃陶淵明集・王右丞集﹄ ︵国民 文 庫 刊 行 会 ︶ ③ 都 留 春 雄﹃ 王 維 ﹄︵ 岩 波 書 店 ︶ ④﹃ 唐 詩 三百首﹄ ︵台湾正言出版社︶⑤小川ほか﹃王維詩集﹄︵岩波 書 店 都 留 春 雄 執 筆 ︶ ⑥ 吉 川 ほ か﹃ 唐 詩 選 ﹄ ︵ 筑 摩 書 房 入谷仙介執筆︶⑦目加田誠﹃唐詩三百首 ﹄︵平凡社︶⑧ 入谷仙介﹃王維﹄ ︵筑摩書房︶⑨入谷仙介﹃王維研究﹄ ︵研 文 出 版 ︶ ⑩ 金 性 尭﹃ 唐 詩 三 百 首 新 注 ﹄︵ 上 海 古 籍 出 版 社 ︶ ⑪ 陳 貽 焮﹃ 王 維 詩 選 ﹄ ⑫ 蕭 滌 非 ほ か﹃ 唐 詩 鑑 賞 辞 典 ﹄ ︵上 海 辞 書 出 版 社 傅 如 一 執 筆 ︶ ⑬ 田 部 井 文 雄﹃ 唐 詩 三 百 首 詳 解上﹄ ︵大修館書店︶⑭深沢一幸﹃唐詩三百首﹄ ︵角川出版︶ ⑮鄧安生ほか﹃王維詩選訳﹄⑯王達津﹃王維孟浩然選集﹄ ⑰﹃言文対照唐詩三百首﹄ ︵宏智書局︶ ︶ 原 文 は﹁ ⋮ 詩 中 反 復 詠 嘆 ﹁ 式 微, 式 微, 胡 不 帰?﹂ 詩 人 借 以 抒 発 自 己 急 欲 帰 隠 田 園 的 心 情, ⋮﹂︵ 前 掲 注 書 ︶ ︹一三九頁︺。 ︶ 原文は﹁此処蓋用其思帰之意,表示自己欲棄官帰隠田里﹂ ︵前掲注 書︶︹五六二頁︺。 ︶ 前掲注 書︹九四頁︺を参照。 ︶ ﹁ 帰 ﹂ 一 字 で、 帰 郷 と い う 意 味 の み な ら ず、 帰 隠・ 帰 田 という含意も込められていると思われる王維詩の詩題に 13. 14. 4 1. :. 1. 2. ︶ 范之麟・呉庚舜主編﹃全唐詩典故辞典﹄ ︵湖北辞書出版社、 二〇〇一年︶には﹁式微﹂の項目︹五四七頁︺があり、七. ﹁帰嵩山作﹂詩、 ﹁帰輞川作﹂詩がある。両詩には隠遁生活 のたのしみが詠われている。. 16 15. つの例句が示されている。︵ ︻ ︼は﹃全唐詩典故辞典﹄に. 17. 10. 11. 12. ︵ 文 源 堂 版、 光 緒 一 〇 ① 清、 章 燮﹃ 唐 詩 三 百 首 注 疏 ﹄. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 17.
(18) ︵. 19. 20. 21. ︵. ︵. ︵ ︵ ︵. 諸 々 の 解 釈 が あ る と 言 う︵ 伊 藤 正 文 注﹃ 曹 植 ﹄ 岩 波 書 店、 一 九 五 八 年︹ 五 三 頁 ︺ を 参 照 ︶。 本 論 で は﹁ 情 詩 ﹂ 制 作 に おける歴史的背景についてはひとまず置いておき、伊藤正 文氏の訳に従い、旅人の望郷と留守を守る家族の思慕の情 を詠んだ詩と解しておく。 ︶ ﹁ 黍 離 ﹂ の 小 序 に は 次 の よ う に あ る。﹁ 黍 離、 閔 宗 周 也。 周大夫行役至於宗周室、過故宗廟、宮室尽為禾黍。閔宗周 之顛覆、彷徨不忍去、而作是詩也﹂。 ︶ ﹁東山﹂の小序には次のようにある。﹁東山、周公東征也。 周公東征、三年而帰。労帰士、大夫美之、故作是詩也。一 章言其完也、二章言其思也、三章言其室家之望女也、四章 楽男女之得及時也。君子之於人、序其情而閔其労、所以説 也。説以使民、民忘其死、其唯東山乎﹂。 ︶ 底本は、胡刻本李善注﹃文選﹄第三十巻 雑擬上︵藝文 印 書 館、 一 九 九 八 年 ︶ ︹ 四 四 五 頁 ︺ を 用 い た。 解 釈 す る に 当 た っ て は 花 房 英 樹﹃ 文 選 ﹄ ︵ 詩 騒 編 ︶ 四︵ 集 英 社、 一九七四年︶ ︹ 四 七 〇 頁 ︺ を 参 照 し た。 な お 王 粲 の 伝 記 に つ い て は﹃ 三 国 志 ﹄︵ 中 華 書 局、 一 九 七 五 年 ︶︹ 五 九 七 頁 ︺ を参照した。 ︶ 底本は、﹃全唐詩﹄ ︵中華書局、一九八五年︶ ︹四四一頁︺ を用いた。 ︶ 底本は、前掲注 書︹一四七五頁︺を用いた。 ︶ 底 本 は、 前 掲 注 書 胡 刻 本 李 善 注﹃ 文 選 ﹄ 第 二 十 七 巻 楽府上︹三九八頁︺を用いた。解釈するに当たっては前掲 注 書花房英樹﹃文選﹄ ︵詩騒編︶四︹八一頁︺を参照した。 21 22. おける解説︶ 感此式微歌﹂ ︵魏徴﹁暮秋言懐﹂詩︶ ︻冬 ①﹁歲芳坐淪歇、 が来て、木々が枯れたということを歌っている︼②﹁即此 羨 閑 逸、 悵 然 吟 式 微 ﹂ ︵ 王 維﹁ 渭 水 田 家 ﹂ 詩 ︶ ︻ ﹁式微を吟 ずる﹂ことによって田園に帰隠したい思いを述べている︼ ③﹁愴矣苦寒奏、 懐哉式微篇﹂ ︵陶翰﹁出蕭関懐古﹂詩︶ ︻ ﹁式 微の篇﹂によって行役から帰りたい思いを述べている︼④ ﹁因君故郷去、 遙寄式微吟﹂ ︵孟浩然﹁都下送辛大夫之鄂﹂詩︶ ︻﹁式微の吟﹂は帰隠したい思いを詠った詩篇を指す︼⑤﹁作 牧 慚 為 政、 思 郷 念 式 微 ﹂ ︵ 崔 璞﹁ 蒙 恩 除 替 将 還 京 洛 偶 敘 所 懐因成六韻呈軍事院諸公郡中一二秀才﹂詩︶ ︻ ﹁式微﹂は﹁胡 ぞ帰らざる﹂の隠語であり、故郷に帰りたい作者の思いを 表 示 し て い る ︼ ⑥﹁ 東 風 来 歌 式 微、 深 雲 道 人 召 来 帰 ﹂ ︵貫 休﹁ 別 杜 将 軍 ﹂ 詩 ︶ ︻ ﹁式微を歌う﹂ことによって帰りたい 思いを表示している︼⑦﹁雨気濛濛草満庭、式微吟劇更誰 聴 ﹂︵ 貫 休﹁ 別 魯 使 君 帰 東 陽 二 首 ﹂ ︶ ︻作者は魯使君に別れ を告げ、 ﹁式微を吟ずる﹂ことによって帰りたい思いを述 べている︼ ﹃全唐詩典故辞典﹄の例句とその解説にもとづくと、 ﹁式 微﹂は唐詩中において、苦役・軍旅の歌︵①③︶と帰隠の. にいかなる曹植のおもいが込められているのかについて、. 21. 歌︵②④⑤⑥⑦︶として受容されていたことが分かる。 ︵ ︶ 曹植の作品の底本は、夏伝才主編・王巍校注﹃建安文学 ︵ 河 北 教 育 出 版 社、 二 〇 一 三 年 ︶ 全 集 曹 植 集 校 注 ﹄ ︹一二八、二三二頁︺を用いた。伊藤正文氏によれば﹁情詩﹂ 18. 22. 24 23. 18.
(19) ︵. 21. 21. I. 二〇〇五年︶ ︹四二二頁︺及び同書︵二上︶ ︵二〇〇七年︶ ︹四二三頁︺を参照した。. ︵ ︵ ︵. ︵. ︵ ︵. ︶ 底本は、前掲注 書︹七二三九頁︺を用いた。 ︶ 周祖譔主編﹃中国文学家大辞典・唐五代巻﹄︵中華書局、 一九九二年︶︹七一五頁︺を参照した。 ︶ 陶 淵 明 の 作 品 の 底 本 は、 袁 行 霈 撰﹃ 陶 淵 明 集 箋 注 ﹄︵ 中 華 書 局、 二 〇 〇 三 年 ︶ を 用 い た。 解 釈 す る に 当 た っ て は、 松 枝 茂 夫・ 和 田 武 司 訳 注﹃ 陶 淵 明 全 集 ﹄ ︵ 岩 波 書 店、 一九九八年︶を参照した。 ︶ ﹁柴扉﹂ ﹁荊門﹂ ﹁柴 陶淵明詩と王維詩に見られる﹁荊扉﹂ 門﹂表現の継承関係と、その違いについて考察した論文に 三枝秀子氏の﹁王維詩に見える﹃悠然﹄│唐代における陶 淵明詩受容研究の一環として│﹂ ︵ 日 本 橋 学 館 大 学﹁ 紀 要 ﹂ 第一〇号、二〇一一年︶がある。三枝氏によると、陶淵明 詩、 王 維 詩 に 見 ら れ る﹁ 荊 扉 ﹂ 等 は、 ﹁外界と内界とを遮 断するものではあるが、外界の一切を遮断するという強固 な門ではなく、 また常に閉ざされている﹂わけではなく﹁作 品中の主体の意志に従って意識的に開閉されている﹂と言 う。崔璞詩の﹁柴扉を掩はん﹂という表現を捉える上にお いても、三枝氏の指摘は参考になろう。 ︶ 底本は、 ﹃宋書﹄ ︵ 中 華 書 局、 一 九 七 四 年 ︶ ︹二二八七頁︺ を用いた。 34 33 35 36. ︵. ︵. ︵ ︵ ︵ ︵. ︶ ︵大修館書店、一九九九年︶ 松浦友久編著﹃漢詩の事典﹄ ﹁辺塞﹂の項目︹五八六頁︺を参照。 ︶ ︵ 新 文 豊 出 版、 底 本 は、 阮 廷 瑜 校 注﹃ 錢 起 詩 集 校 注 ﹄ 一九九六年︶ ︹五四七頁︺を用いた。なお﹁雲龍﹂は、 ﹃全 唐詩﹄に従って﹁盧龍﹂に改めた。 ︶ 底 本 は、 前 掲 注 書﹃ 三 国 志 ﹄ ︹ 三 四 五 頁 ︺ を 用 い た。 解釈するに当たっては、今鷹真・井波律子訳﹃三国志﹄ ︵筑摩書房、一九七七年︶ ︹三三二頁︺を参照した。 ︶ ﹃文選﹄第四十七巻に所収。前掲注 書花房英樹﹃文選﹄ 六︹四一〇頁︺を参照。 ︶ 余 冠 英 選 注﹃ 詩 経 選 ﹄ ︵ 中 華 書 局、 二 〇 一 二 年。 初 版 は 人民文学出版社、一九五六年︶ ︹四〇頁︺を参照した。 ︶ 前掲注 書を参照。 ︶ 詩 の 本 文 の 底 本 は、佟培 基 箋 注﹃ 孟 浩 然 詩 集 箋 注 ﹄ ︵上 海 古 籍 出 版 社、 二 〇 〇 〇 年 ︶ ︹ 二 五 九 頁 ︺ を 用 い た。 詩 題 については劉本・凌本・嘉靖本等に従って﹁都下送辛大之 鄂﹂に改めた。典故の確認に当たっては、屈守元箋疏﹃韓 詩外伝箋疏﹄ ︵ 巴 蜀 書 社、 一 九 九 六 年 ︶ 、 ﹃ 標 点 本 十 三 経 注 疏 尚 書 正 義 ﹄ ︵北京大学出版社、二〇〇一年︶ 、王先謙 ﹃荘子集解﹄ ︵中華書局、一九八七年︶を用いた。 1. す る に 当 た っ て は、 岡 村 繁﹃ 白 氏 文 集 ﹄ ︵九︶ ︵ 明 治 書 院、. 32. 22. ︶ 陶淵明の詩語を用い、官途の失望や帰隠のおもいを表現 するのは王維詩に多く見られる特徴のようである。例えば 陣内孝文氏は﹁輞川に帰りて作る﹂詩について﹁陶淵明詩. 37. に用いられた表現が再一ならず見受けられることから推せ ば、当該の詩は、実は陶淵明を念頭に置いて詠じられたの. 38. 25 26 27 28 29 31 30. ︵ ︶ 白詩の底本は、謝思煒撰﹃白居易詩集校注﹄四︵中華書 局、 二 〇 〇 六 年 ︶ ︹ 一 九 三 六、 七 〇 六 頁 ︺ を 用 い た。 解 釈. 「式微」を歌う詩人(秋谷). 19.
(20) ではないだろうか。そして、陶淵明が辞職し故郷に隠棲す る こ と を 詠 じ た﹁ 帰 去 来 兮 辞 ﹂ に も、 ﹁惆悵﹂が用いられ ているのである。そうであれば、 ﹁帰輞川作﹂詩の背景に、 ﹁帰去来兮辞﹂との関連を考えずにはおけないように思わ れ る ﹂ と 分 析 し て い る。 ︵ 陣 内 孝 文﹁ 王 維 詩﹃ 惆 悵 ﹄ 考 │ 輞川荘における理想と現実│﹂﹃日本中国学会報﹄第六〇集、 二〇〇八年︶ ︵ ︶ ︵ 巴 蜀 書 社、 底 本 は、 黄 鵬 箋 注﹃ 賈 島 詩 集 箋 注 ﹄ 二〇〇二年︶ ︹四八頁︺を用いた。 ︵ ︶ 七︶に見える詩語であり、﹁桃﹂ ﹁菊﹂は﹁飲酒﹂詩︵其五、 は﹁桃花源﹂を連想させる詩語である。 ︵ ︶ ︵ 巴 蜀 書 社、 二 〇 一 二 年 ︶ 底 本 は 陸 永 峰﹃ 禅 月 集 校 注 ﹄ ︹一二三頁︺を用いた。. 20 39. 40. 41.
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