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目評
A・ヌスバゥム著 ﹂ドルの歴史﹂
﹀謄Z仁ω。・び鍵B℃︾出塁oqo︷聾ΦUo目⇔二一霧N ︵Oo冨ヨぴ冨q巳く①邑¢国Φ沼︶竈.。。OQ。+︿畔片 山
貞 雄
ポンドを始めとする西欧通貨交換生恢復、ドル不足より一転して ドル危機にある現在とはいえ、ドルは世界経済動向の鍵を握ってい るといっても過言ではあるまい。 しかるにドルそのものの研究書は極めて少く、ヌスバウムによる 本書を除き、英国人の立場よりみたものとして、ハロッドによる著 書︵勾●閃6国m﹁﹁O鮎・↓﹃OUO昌固﹃.ドO切ω’東京銀行調査部訳﹃ドル﹄︶を性π っているに過ぎないといって良かろう。本書は米国人の手になるも ので、米国人自身のドルに対する見解を知りえて、興味深い。 二 本書の構成を睦めすと次の如くである。 一章 植民地時代 二章 革命と整理 三章 混乱と粗雑な行動 A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史し十九八七六五四
ホ ぬ ホ ユ ヰ早早早早早早早
本書の内容に入り、 ﹁本書は 米国の貨幣史の基礎にある政治的・経済的・心理的諸要素を示す事 を目的としている﹂︵℃.︿εと云う。 所で、植民地時代︵一章︶ には移民がもって来た少額の鋳貨は母 国たる英国よりの輸入の為流出し、物品貨幣が使用されざるを得な かった。計算単位は英国の貨幣単位が使用されたのである。然し、 対西インド貿易を通じ覧8①oh9σq窪或は飢。=胃。。と呼ばれるスペ イン銀貨が流入し、それが優勢を占め、 ﹁貨幣分野に於いて英国か らの分離が姶まった﹂︵℃.εのである。 紙幣は一六九〇年本国の対仏植民地戦争時に始めて発行された。 それは信用証券︵げ一一一 〇h 6﹃⑦匹一叶︶ と呼ばれ、後程此の種のものが植 民地諸邦により相次いで発行された為、過剰発行・インフレを惹起 した。然しながら、﹁紙幣なくしては植民地は驚くべき発展をとげ なかったであろう﹂と。 ︵噂﹄刈︶だが﹁米国の貨幣講造によ.って長 い間一つの脅威であったインフレショニスト的性向は植民地時代に その源をもったのである。﹂な﹄。。︶ 次いで独立時代に入る。 ︵二章︶著者は独立戦争に際して発行さ ドルの強化 一八三七年一一八六一年 南北戦争 金本位制度への反対闘争 一八六五年一一九〇〇年 金本位制度の強化 ニュー・ディール 第二次世界大戦及び戦争後 結 .論 著者の見解を聞こう。彼は序文にて ニハ三A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史﹂ れざるをえなかった大陸通貨︵8pユロΦ墨鑑ぴ罠︶、及びその減価に触 れ、全国的統一通貨達成への努力、即ち財務長官ハミルトン ︵﹀・ 出国ヨ痒8︶の二報告書にもとすく第一合衆国銀行設立 ︵一七九一︶ ︵その憲法上の問題︶、及び鋳貨立法二七九二︶の制定に言及する。 そしてスペイン・ドルと異った米国の新しい貨幣単位 ︵一ドルー−銀 三七一%グレイソー金二四%グレイン︶が樹立された事を強調する。即 ち一対一五の法定比価、複本位制が採用されたのである。 一七九五∼八三七年の期間はドルの歴史に於いて最も不満足な期 間である。︵三章︶植民地時代の混乱が尾を引き、権威と健全政策が 広く不足していた。金銀法定比価と市場比価の乖離による金貨の消 失、又粗悪な西インド銀貨流入による米国鋳造銀ドルの消失がみら れた。だが第一合衆国銀行は健全であり、乱立気味であった州法銀 行に適切な影響を与えたが、憲法上の問題の為特許更新が認められ, なかった一八一四年対英戦争の勃発、州法銀行の兇換停止が惹起し た。一六年第二合衆国銀行が設立され、インフレは下火となった が、これは州法銀行券の兇換を要求する右合衆国銀行の介入が成功 したからである。更に一八一九年半恐慌を契機としてサフォーク制 度︵ω口楠hO一評6n団ωけΦヨ︶の如き新しい銀行方式も生れた。 然し一八二九年ジャクソン︵﹀・冒。冨8︶が大統領に就任し、合 衆国銀行反対闘争を開籍した。彼は連邦政府預金を引上げ、あらゆ る面から圧迫を加え、その特許の更新を認めなかった。彼の硬貨思 想は﹁彼の南部・西部の背景に根ざす偏見により影響された﹂︵P§ のである。彼の誤りは重大な結果に導いた。 一六四 ∼方鋳貨に関しては、一八三四、七年の立法により法定比価は一 対一六に変更され ︵ドルの金含有のみ二一二・ニグレインに変更︶、金貨 の流通が増加した。 所で次の期間即ち、一八三七∼六一年に著者はドルの強化︵↓冨 。。g魯ゆq臣①三筆鼠夢①∪巳一男︶というタイトルを付す。︵四章︶ 一八三七年米国は激しい恐慌に遭遇し、銀行はかなり破産した。 金貨はキャルフォルニアの金ラッシュにより増大した。然し小額銀 貨の不足に悩み、一八五一年及び五三年の立法により、小額銀貨の 名目価値を引上げ補助貨たらしめる措置がとられた。これは﹁米国 貨幣制度への記念すべき新要素の導入を印した﹂︵℃・。。ω︶のである。 此の期間は州法銀行が紙幣の主たる供給源であった。金融上の指 導的地位はニューヨークであり、一八三八年向州で自由銀行法が制 定された。然しω銀行券発行の為には発券全額をカヴァーする適格 公債を通貨監督官︵Ooヨ唱葺色興99桑蚕。︽︶に預託し、②兇換の 為一二%を下らぬ正貨準備を維持せねばならない等の条件が附せら れた。自由銀行制度は各州で採用された臥此の制度は発券が右公債 預託に結付いている為、非弾力的という欠点をもったが、後の国法 銀行法、又連邦準備銀行の立法にざえ影響をもち、大なる歴史的重 要を性有したのである。更に小切手使用は一八五三年の手形交換所 ︵Ω①国﹃冒ぴq国。奮Φ︶の設立により進歩をみせ、恐慌時には手形交換 所証券︵Ω雷ユ渥出。愛器O醇叶漆6塩けΦ︶の発行により困難を切抜けよ うとした。然し、此の期間は﹁金属貨幣の相対的に満足の行く状態 が中央銀行の欠如を補うものではなかった。 一八五七年の恐慌及び
八六〇年の年算は、一八三七年置恐慌程激しくはなかったが、貨幣 制度の危険な不完全性を示したのである、しと。︵娼●$︶ 一八六一年に勃発した南北戦争により、グリーンバンクス︵○触電 魯冨。蓋︶が発行され、︵六章︶.インフレーションを誘発したが、﹁価 格変動の主要因は金で表したグリーンバックスの大衆による評価の 変化によるものであった。﹂︵O.一〇ω︶ 銀行の分野では先述の自由銀行法に依拠して、一八六三年国法銀 行法が議会を通過した。その発展は最初遅々とし、州法銀行から国 法銀行へ転換するものも小数であった。だが六五年、州法銀行券は 重税︵一〇%の畠①段ず富図︶を賦課せられた為、徐々に減少して行っ た。此の処置は最高裁判所により認められ、米国銀行構造の重大な 変化が印るされたのである。即ち﹁陳腐な慣習法の伝統は打破さ れ、典型的な商業銀行はもはや発券銀行と同一ではなく一他国で は長い間知られはている区分1になったのである。﹂︵O﹂一ト。︶ 著者の強調する所では、﹁南北戦争中のドルの不振にもかかわら す、一八三四年及び一八三七年の立法によって決められた金の比率 は変更されなかった。⋮⋮ド.ルの金価値を法定比率に調整する事は 究極に成功し、非常な偉業であった。比較の為、第一次大戦後ポン ド及びギルダーの金価値恢復が想起される﹂︵9這刈︶と。︵六章︶然 し、−米国の状態は遥かに困難であった。即ちドルは半世紀後のポン ドの二倍減価したのみならす、グリーンバックス兇換による旧平価 への復帰に対しては当時経済的にも政治的にも強力な農民の抵抗を 受けた。民主党はインフレショニスト或は少くとも反デフレショニ A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史﹂ ストの態度をとった。 一八六九年九月の壁p中暑崖亀と呼ばれた 金への過大投機解決後、ドルの価値は上昇を始めたが、それは米国 の経済成長によるものであった。 一八七五年正貨恢復が決定︵七九年一月より実施︶されたが、同年 貿易差額も出超に転じ、充分の金の流入が好都合であった。然し、 欧州各国が金本位制に移行した為、七三年銀の価格は未曽有の下落 を始め自由銀運動が起った。デフレ傾向増大の為、その運動は西部 ・南部の農民・労働者グループにより支持された。 一八九〇年シャ ーマン銀購入法︵QQずΦ円目P餌P ω一一く①畦 勺q唖OげPωΦ︾Oけ︶の通過、金本位へ の不安が高まった。更に一八九三年恐慌が起り、多くの銀行が倒産 した。注目すべきは此の時大衆が欲したのはあらゆる種類の貨幣で あり、いわば通貨飢鯉︵o霞﹁Φg鴇︷Φヨぎ①︶であったという事であ る。恐慌恢復への努力はクリーヴランド︵ρΩΦ︿。豊里︶大統領に よって行われ、彼はあくまで金本位に賛成であり、モルガンQ℃国 ζ。蹟碧︶の勧告に従い四%利付公債発行によひ外国より金を導入せ んと試みた。一八九六年の景気は好転したにもかかわらず、自由銀 賛成者の増加がみられた。然し一八九六年の大統領選挙戦に於ける 極端な銀論者︵OM︵け陛ΦbP① ω一一くΦ吐一酢Φ︶ブライアン︵芝・旨切H看昌︶の敗 北、マソキンレイ︵箋● 言O評一コ一①団︶の勝利は﹁事実上自由銀運動の 決定的敗北を意味した﹂︵℃.鼠ω︶のである。 さて、次の期間のドルの発展︵七章︶は、米国貨幣史上これ迄と 異ってかなり保守的な精神の下にあった。 一九〇〇年金本位立法が制定されたが、統一的中央銀行が存在せ 一六五
A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史﹂ す、国法銀行制度の弾力性欠如の弊が痛感されていた。 一九〇七年 の恐慌を契機として銀行制度改革が試みられた。それは一.九〇八年 の国法銀行法の修正であるアルドリッチーヴリ:ランド法︵≧㌣ 二〇マ<﹃ΦΦ置巳>3によって一商業手形等.弾力的な基礎にもとず く緊急通貨、︵Φ昌P①雲雨四①昌O団 O口腎﹁①昌O団︶の発行 先鞭をつけられ、右 アルドリッチによる新型の発券銀行の提案、大部分それに則れる連 邦準備法︵凋Φα①居〇一 燭ΦωΦ﹃︿Φ ︾∩什︶の通過︵一九一二︶に結実した。 中.心はワシントンの連邦準備局︵司Φα興舘閃窃興く①じdo母画一後年ニ ューディール期に理事会切8agO。︿巽口。謎に代る︶ であり、十二 の準備地区銀行が設立された。それら銀行によって発行される連邦 準備券︵団Φ⊆Φ同国一 菊①ω①村くΦ り40叶Φ︶は連邦準備銀行の務債であるのみ ならず三五政府の債務であり、且つ又商業手形︵後年、公債の使用認 めるi堅急時1︶による裏付け、金︵後年、金証券︶による四〇%を下 らぬ︵後年二五%に変更︶準備を要求された。かくして﹁一中央銀行 に代る此の制度は当時の広い範囲及びその数多い地域の多様性に適 応するすばらしい発明︵ω唇臼げぎく暗点。コ︶であった。﹂︵℃﹄①邸︶ 米思は第一次大戦を契機として債権国となり、世界の金ストック の四〇%を保有し、欧州参戦国の通貨はドルに釘付けされた。即ち ドルは﹁その背後の大なる準備及び米国が得た強い債権国的地位に より、指導的貨幣単位となった﹂︵℃﹂翁︶のである。 戦後の好況の後、未曽有の大恐慌が襲来し、問題はルーズベルト (H c 一︶◎渕OOω①︿Φ一什︶大統領によるニューディール政策へと進む。︵八章︶ 一九三三年三月四日、彼が大統領に就任するや全国銀行休日︵昌餌銘唱 一六六 §巴び碧障ぎ一斗餌鴇三月六日一九日更に一二日迄拡張︶ を実行し、 緊急銀行法︵国ヨ①お9。嗜じdm爵﹀。叶︶を制定した。彼は銀行預金の 重要性を強講し、健全な銀行の再開を認めるのみならずその創造に 従事する事を述べ、国民の信頼と勇気を強調した。更に金の国有化 を宣言し、為替管理を実行し、もって金の逃避、貨幣構造の内乱の 危険を防止せんとした。 然し失業の増大、農産物価格の下落に対処する為、一九三四年一 月、ドル切下げ︵一ボルー金一五㎝鳶一グレイソ、即ち金一オンス三五ド ル︶を強行したのである。更にそれに少し葺き立ち金準備法︵O。匡 幻Φω重く①︾。け︶ を制定し、金貨鋳造を停止した。ここに米国は金本 位制︵∩︸O一α OO一口 ω叶P口α山江α︶から金管理本位制︵O。冠ζきp。﹃q①B①艮 貨。。3民pa︶へと移行し、ドルの金価値は財務者による、管理統制 ︵白豆塑瞬①BΦ暮︶−主として外国中央銀行・政府との取引iに より維持されねばならなかった。 ドルの切下げは貨幣史上特異な事件であった。然し﹁それは如何 とも仕難い貨幣的圧迫の結果ではなくして、自由に活動する国内政 策の結果であった﹂。︵冒﹂。。①︶ 銀も国有化され、銀問題の霊活も大統領の手腕により切抜けられ、 連邦準備制度理事会︵じdO餌﹃α Oh ︵甲O<①﹁口OHω︶の権⋮限拡大等改革が行 われ、財務省の金ストソクも増大し、第二次大戦を向える事となる ︵九章︶。 米国の貨幣・金融上の強力さは第二次.大戦突入と共に現われた。 第一次大戦と比べ、政府支出は数倍増大したにもかかわらず、物価 、
は前大戦時の六〇%に比較し、三三%の上昇に過ぎなかった、それ は政府統制の有効性のみならず、巨額の生産増加によるものであっ た。上述の連邦準備制度理事会の権力増大は通貨統制に改善を加え たのである。 ドルの国際的地位.は国際通貨基金︵言け039自。葛一竃§9母︽局琴臨︶ との関係に限定して述べる。基金は加盟国の出資割当の単位として ドルを選び、ドルは資本主義世界の中心的貨幣単位となった。著者 の強調する所では、加盟国が必要とするのは金よリドルであった。 ﹁金はある程度その卓越性◎容巨器58︶を喪失したようにみえる﹂ ︵Pb。b。一︶と。 ﹁恐く今や金の価値はドルの価値に依存している一 その逆よりも一のだ。一種の国際ドル・金本位制︵ぎ8搬導けδ昌巴 画。ぎでぴqo益鴇き富巳︶が出現したように見える。﹂︵唱・Nb。一︶ スエズ危機後、基金は英国及びポンド地域に対し極めて有効に機 能した。著者は﹁ドルの力は有効である事が証明された﹂︵㍗b。N㎝︶ という言葉で本章を閉Oる。 結論として︵+章︶彼は﹁米国の貨幣史は実際壮観である﹂︵o・B①︶ と述べ、本節混めに引用した序文にも求めされている如く、ドルの 歴史に於ける政治的・法律的問題の結付きを強調する。更に心理的 側面の強い存在を指摘する。即ち、先ず米国の適応性、臨機応変性 ︵巴巷Bσま§話。。o舞∩Φh計器ωω︶ の存在、更に事態を極端に迄.もた らさなかった強き個人主義の存在である。勿論、投機的精神︵αq食・ヨ, げ一ぎ晦ω嘗葺︶という有害な性向もあった。然し常識が究極に支配し たのである。 A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史﹂ ﹁ドルの国内的・国際的歴史を振り返ってみると、その劇的な進 路がすっと上り坂であった物語の筋に出合うのである。その途上の 多くの障害多び退歩は弱点を示してい.るが、それらは究極には克服 され、上昇への基本的趨勢は将来の確信を正当すける﹂︵o●b。ωo︶と。 三 以上が本書の大要である。本書の性質上、その大要を示す為には やや長くならざるをえなかった。 所で、ハロッドの﹁ドル﹂が髪容︵ωマ○①。﹁σqΦ≦口。房。コ冨g舞Φ田︶ をもととしたものであり、純粋の研究書とはいえないが、又議論の 展開がやや選択的ではあるが、彼の鋭い経済理論による分析が随処 にみられる。一方、本書は、掌上ッドのそれと対照的である。著者 ④ が経済理論を専攻する人でない為、鋳貨・紙券の種類等の説明、更 ② に貨幣立法等法律面の説明は精しいが、ハロッドのそれと異り。7 ③ Ho三。δ的印象を受ける。然し後半に進むにつれ、その様な傾向は かなり弱まっているといえよう。 本書はポンドを始めとする西欧通貨交換性恢復前、更には最近の ドル危機前i後者については云う迄もなくトリフィンの権威的著 童日︵菊.↓﹃簾旦Oo置国立停①Uoぎ﹃〇二面ω−一80小島・村野監修訳﹃金 とドルの危機﹄︶が参考になろう一に書かれたものであり、著者の ドルに対する信頼は並々ならぬものを伺えるが、著者は現在のドル 危機を如何に考えているのであろうか。勿論彼が云うように第二次 大戦後、金よりドルが選好されて来た。それは強大な生産力に支え 一六七
A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史﹂ られたドルが安定し、ドルは金に等しいとみられていた為である。 然し、各国の生産力も恢復し、ドル不足が解消し、対外.援助等の為 米国の国際牧支が悪化、金の流出が起り、ド〃の安定.化が損われる ⑤ や、金が選好されざるを得ない。一.方、ドルは又ドル不足の時代に は﹁硬すぎる﹂︵80ゴ碧自︶と云われて来た。当る通貨が国際通貨と ⑥ して機能する為には、デェイの表現を借用すれば、 ﹁入手可能であ る﹂ ︵国く僧一一国げ一Φ︶と同時に﹁有用である﹂︵塁陳三︶事を心要とす る。ドルは後者の資格をもったが、前者の資格に欠けていた。既述 の如く、著者はドルが選好されたと云うのみであって、右の点に関 する彼の見解は聞かれない。 本書はむしろドルの国内的側面に重点がある。特に本書の六章迄 はドル・の整備の過程の分析と云って良いであろうが、米国の貨幣・ ⑦ 金融思想の発展との関運は殆んど触れられていない。 ともあれ、ドルの発展に興味をもつ者にはハロッドのそれと共に 一読の価値があろう。 ①本書のh冨唱に記るされている所ではA・ヌスバゥム博士は勾Φ。。Φ霞9 中Oh①沼O﹁O喘℃¢亀ざピ国≦︵菊①侍貯①山︶讐OOピヨび冨αロ一く①話律くと の事である。彼は法律の種々の側面及び経済学を論じた数冊の重要な書 物の著者であり、貨幣的な諸問題に関する法律のすぐれた権威者として 知られている、と。 ②筆者はあまり触れなかっ.たが、著者はドルの歴史における最高裁判所 の地位を強調する。詳細な貨幣立法の故のみならず、最高裁の地位の為 に他国の貨幣史よりもドルの歴史は法律史と密接に結付いている、と。 ︵毛●b。b﹂刈1。。︶ 一六八 ③ハロッドは国。08日ざ五霞口羽︵ζ帥﹃O﹃噂 一㊤切㊤︶のヌスバウムの本書 に対する書評の中で.、<①蔓営叶山霧けぢ瞬。耳。コ一〇δ..といっている。 ︵Uo二二.=ω︶︵猶、後述参照︶ ④更にρ炉﹀叶899、.津oh霧ωo巴↓轟hぎgぎ什①ヨ四二8鮎=ρ腎 一9曙きα9①菊oH①oh一三閃口口9二即日コhロP 、.﹀しdコ①hho﹁導Φ UohΦ冨900鼠駿℃巷①﹁ω−護p<一〇窪.渡辺太郎﹁ドル危機とその対策﹄ ︵大阪大学経済学十の三︶が参考となろう。 ⑤ クロプストックの指摘するところでは、第二次大戦後対外準備として ドル資産を圧倒的に所有した国はドイツ、カナダ、日本等相対的に小数 国であった。 ︵閃噸寓.閑Ho唱。α昨06置↓ぴΦHコ骨。量動鉱。ロ巴ω鐙εωoh3① Uo一一鋤ひ国。。o。餌冒ω冒一口8丹口β。葛。ロ巴句ぎ餌口oρZp卜oQ。層]≦四唄一㊤駅メ戸 お.拙稿﹁F・H・クロプストック﹃弗の国際的地位﹄﹂本誌四十四号参 照︶此の事実は注目すべぎであろう。 ⑥ ﹀・ρい●Upざ↓冨司亡母Φohω8≡5αq−一㊤経唱℃℃b一lN. ⑦例えば閏.国.言旨Φひ切9口三口αq目ぽ①。注的ぎ夢Φd巳審Ωω蜜8。・ げΦ馬。﹁o一Q。8、一露幽い≦﹂≦一暮ω、︾国一ω8腎賓。隔三選ぎδoq↓ず8﹁矯 ぎO﹁o卑しロ葺四ぎp昌α夢。¢巳8自ω訂3Pδ翫陰等が参考になろう。 猶、本誌拙稿﹁ギャラティンの国内・国際金融思想﹃ドル﹄研究上の一 餉﹂参照。 、 苦 * * * * ハロッドは閏85。巳。冒弩コ巴︵ζ餌﹁げしO巳︶誌上にて本書の 書評を行っている。参考になる点が大であったが、やや英国人的 見解が強く出ている。彼のヌスバゥムに対する批判点の内、次の 二点についてはヌスバゥムも触れているので、その批判は強すぎ るように思える。 ︵1︶ 既述の如く、米国は一七九二年、一五対一の法定比価で
複本位制度を採用したが、その後法定・市場比価乖離の為、過少 評価ざれた金貨の流出をみた。ハロッドの批判はこうである。此 の流出をヌスバゥムは貿易牧支円頓によるとする。だが鋭い理論 家は此の様な逆超はその問題を解決するよりむしろ休止するもの とみる。彼はグレシャムの法則に体化される鋳貨理論等に関心を もっていない、と。︵]円.一こ一び凶αこO.一門ω●︶ 然しヌスバゥムはグレンヤムの法則によるとは述べていないが ︵その語は著書の他の箇所では使用。 ω①ρ︾.Z二ω。αげ鋤ロ彦−o㍗o一けら 熔﹂ω刈・︶﹁金貨は名目価値より高価になった場合、その程度はわか らぬが、輸出され保蔵された。﹂︵︾。.2灯ωロ。び餌¢ヨ鳩 一び一二.−℃’①一.︶と 述べている。従って鋳貨理論に全く無関心なわけではなかろう。 ︵2︶ ハロッドはヌスバゥムが一八七三年の銀の価格の未曽有 の下落に触れた時﹂︵︾・ワ例口ωωげ国ニヨ”一び一山二b.潮鳴ω・︶五世紀程続いて きた複本位比価の瓦解︵﹃ξけ霞⑦oh瓢ヨ①け巴鵠。℃鋤﹁︶がその年姶め .て起った事一その比価は世界のみならず米国に於いても金銀貨 幣の運命に大なる影響を与えて来た事一に触れていない、とい う。︵閏ど H二 〇℃. O一汁.− 娼●一きω■︶ヌスバゥムはハロッドの云う程では ないが、続いて﹁此の下落は銀の生産増大に附加するに、ドイツ 及び他の欧州諸国の金本位への移行による、﹂ ︵﹀’2塁ωび碧日1 8・6一什二戸一ωら・︶と述べているゆ又銀の価格.下落につづいて起っ た銀運動にも触れている。 ︵本稿一六五頁参照︶筆者はハロッドの 含意を明瞭に解しえぬが、別にヌスバゥムが不知であったという 事ではなく、重点の置き方の相違ではなかろうか。 A・ヌスバゥム著﹁ドルの歴史﹂ 猶、ヌスバゥムが本著書でハロソドの ﹁ド〃﹂ に於ける見解・ ︸九三四鉦,のドルの金価値維持はロンドンの金地金市場の維 持によるものである︵図・難点。。霞09日冨θ亀9Nり。戸鼻こ署.㊦。。 1り︶1に対し、次の批判を行っている。即ち、一九三四年の大 統領宣言によって樹立されたドルの価値は英国の四、五倍の金準 備をもった米国自体によって維持された。金地金市場がロンドン で開かれていたとしても、それはドルの所有者のみならず他の外 国通貨の所有者にとっても真実ではないか ︵﹀.Z話ωび鴛B”。や 。律二〇・一。。ごと批判す.る。ハロッドは自説をまけず、﹁九四〇年 代のド〃の減価は金地金市場が.存在しなか.つたからだ、と反論 している。︵国’ 臼二 〇”. O一け二 噂●Hら爵﹂︶ 両者何れが正しいか即断しえないが、夫々米国人・英国人的見 解が伺えて興味.深い。 付記 一九三〇年代の大恐慌期を中心にドルを論じたものとし て、﹃σ.国虫ρUo=呂9︵吋巴⑦q菖く・勺おωω︶6ω弁がある。 一六九