歴史人物問題①
名前
Ⅰ 以下の説明にあてはまる人物を答えなさい。
① 邪馬台国の女王。239 年に魏に使いを出し、「親魏倭王」の称号と金印
をもらった。
答え
② おばである推古天皇の摂政となり、冠位十二階や十七条の憲法を
制定。法隆寺を建立した。また、厩戸皇子とも呼ばれる。
答え
③ 607 年、②の人物の命により、遣隋使として隋に派遣される。
答え
④ 645 年に中臣鎌足とともに蘇我氏を滅ぼし、様々な改新(大化の改新)
を行った。後に天智天皇として即位する。
答え
⑤ 仏教を厚く信仰し、全国に国分寺・国分尼寺を置き、総国分寺として
東大寺を建立し大仏を造らせた。
答え
⑥ 僧であり、諸国をめぐって橋や用水路などを作り人々に尊敬されていたが、
そのため朝廷に一次弾圧を受けていた。後に朝廷は東大寺の大仏建
立の際に彼の影響力を利用した。
答え
⑦ 唐の僧であり、幾度も失敗し失明しながらも日本に渡航し、唐招提寺を
開いた。
答え
歴史人物問題①
名前 解答
Ⅰ 以下の説明にあてはまる人物を答えなさい。
① 邪馬台国の女王。239 年に魏に使いを出し、「親魏倭王」の称号と金印
をもらった。
答え 卑弥呼
② おばの推古天皇の摂政となり、冠位十二階や十七条の憲法を制定。
法隆寺を建立した。また、厩戸皇子とも呼ばれる。
答え 聖徳太子
③ 607 年、②の人物の命により、遣隋使として隋に派遣される。
答え 小野妹子
④ 645 年に中臣鎌足とともに蘇我氏を滅ぼし、様々な改新(大化の改新)
を行った。後に天智天皇として即位する。
答え 中大兄皇子
⑤ 仏教を厚く信仰し、全国に国分寺・国分尼寺を置き、総国分寺として
東大寺を建立し大仏を造らせた。
答え 聖武天皇
⑥ 僧であり、諸国をめぐって橋や用水路などを作り人々に尊敬されていたが、
そのため朝廷に一次弾圧を受けていた。後に朝廷は東大寺の大仏建
立の際に彼の影響力を利用した。
答え 行基
⑦ 唐の僧であり、幾度も失敗し失明しながらも日本に渡航し、唐招提寺を
開いた。
答え 鑑真
歴史人物問題②
名前
Ⅰ 以下の説明にあてはまる人物を答えなさい。
① 894 年に遣唐使の廃止を提言した。のちに太宰府に左遷され、現在では
学問の神様として知られている。
答え
② 11 世紀の初め摂関政治を行い繁栄した。
「此の世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることも 無しと思へば」と
自分の繁栄をうたっている。
答え
③ ②の人物の子どもで、宇治の平等院に鳳凰堂をつくった。
答え
④ 平安初期の僧であり、遣唐使として唐に渡る。帰国後、比叡山に延暦寺
を建て、天台宗を開いた。
答え
⑤ 平安初期の僧であり、④の人物とともに遣唐使として唐に渡る。
帰国後、高野山に金剛峯寺を建て、真言宗を開いた。
答え
⑥ 平安中期の女流文学者であり、随筆「枕草子」を執筆した。
答え
⑦ ⑥の人物と同じころの女流文学者であり、「源氏物語」を執筆した。
答え
⑧ 平安前期の歌人であり、「古今和歌集」を編纂した。また、かな書きの
日記である「土佐日記」を執筆した。
答え
歴史人物問題②
名前 答え
Ⅰ 以下の説明にあてはまる人物を答えなさい。
① 894 年に遣唐使の廃止を提言した。のちに太宰府に左遷され、現在では
学問の神様として知られている。
答え 菅原道真
② 11 世紀の初め摂関政治を行い繁栄した。
「此の世をば 我が世とぞ思ふ望月の かけたることも 無しと思へば」と
自分の繁栄をうたっている。
答え 藤原道長
③ ②の人物の子どもで、宇治の平等院に鳳凰堂をつくった。
答え 藤原頼通
④ 平安初期の僧であり、遣唐使として唐に渡る。帰国後、比叡山に延暦寺
を建て、天台宗を開いた。
答え 最澄
⑤ 平安初期の僧であり、④の人物とともに遣唐使として唐に渡る。
帰国後、高野山に金剛峯寺を建て、真言宗を開いた。
答え 空海
⑥ 平安中期の女流文学者であり、随筆「枕草子」を執筆した。
答え 清少納言
⑦ ⑥の人物と同じころの女流文学者であり、「源氏物語」を執筆した。
答え 紫式部
⑧ 平安前期の歌人であり、「古今和歌集」を編纂した。また、かな書きの
日記である「土佐日記」を執筆した。
答え 紀貫之