清末蘇州の地主 : 佃戸関係について
17
0
0
全文
(2) . 清末蘇州の地主-佃戸関係について - 一橋大学所蔵地主関係文書の紹介 -. 夏. 井. 春. 喜. 1 )の小作関係の砂本 が 一橋大学図書館(国立本館)に, 『威豊同治年祖冊』と表記された6峡48冊( 所蔵されている, 昭和19年5月 購入の印があり, 戦時中に中国において購入されたものであろう, これらは地域的にみると, 揚子江下流デルタの江南の中心に位置 し, かつ明清時代には経済的◎文 化的先進地域である蘇州のもので, 現在の蘇州市◎呉県の北部・東部に当る, 清代の行政 区画で は. 長洲 ・元和両県のものが大部分を占め, 外に呉県 ◎ 呉江県のが若干混っ ている. 年代的には, 題名 1851~61年) 186 2~7 4年)年代のものはむしろ少数で, 光緒(1 87 5~1 908年) にある威豊( , 同治( ,. 宣統( 19 09~11年)の清代末期から民国初期のものが多い. 後述するように各史料間の関連 は薄く, 幾つかの租機の断片的な史料を上記 の表題をつけまとめたものといえる.. 筆者 は, これまでこれら地主関係文書のうち成豊◎同治及び光緒初の分数件, 冊数では約10冊を とり上 げ分析を行い, 「 19世紀中葉蘇州の一租機 における収租情況--同治減租とそれに至る過程. --」(『史学雑誌』90-7 , 1981年, 以下 A 論文) , 「太平天国後の蘇州 における小作料徴収関係に ついて--租冊史料の分析を通 して--」(『土地制度史学』103号, 1984年, 以下 B 論文) の2編. . を執筆 した, 前者 において, 太平天国進出前, 占領時期, 鎮圧後の三つの時期について, 長洲県黄 壕鎮 に存在したと思われる 「沈恒豊機」 での具体的小作料徴収情況とその意義を考察し, 合せて従. ダイ. 来 「まやかし」 ととらえられがちであっ た徳桂券ら蘇州郷紳の同治減租の実施情況を明らかにしよ うとした, 後者 においては, 太平天国鎮圧後 における小作料徴収方法の特徴を, 折租という貨幣代 納制と小作減免の問題に重点を置いて分析した, この両論文で使用 した租冊史料 は, 一橋大学所蔵. 分でもその3分の1 に過ぎず, 日本国内に限っ ても, 国会図書館, 東洋文庫, 東京大学東洋文化研 究所, 京都大学人文科学研究所, 九州大学 にも多数の地主 関係文書史料 が所蔵されている. これら. の史料を用いて, 村松祐次氏の大著『近代江南の租機--中国地主制度の研究--』(東京大学出版 2 〉 川勝守氏の九州大学所蔵橋林一 会,1970年)をはじめとして, 伊原弘介氏の苑氏義荘租冊の分析( , 3 ) など幾つかの業績 が出されている 正史・会典o実録から私家文集◎地方志・ 機関係租冊の分析{ 。 , 族譜・新聞o雑誌の類まで印刷された文献史料に頼ら ざるをえない日本の中国史研究にあっ て, こ 4 ) 土地契約文書や魚鱗冊等 うした地主関係文書 は, ほぼ清末から民国期の蘇州 に限られてはいる が{ , 5 ( と共に ) 地主-小作関係や田賦納入情況などの中国農村の社会 り 経済の実態を示す貴重な第一次史 ,. 料といえよう。 本小論では, 前記の両論文と多少重複する所もあるが, まず一橋大学所蔵の地主関係文書 につい て簡単な紹介を行い, 次にこうした史料の分析 が, 清末蘇州の地主÷佃戸関係の実態解明 にかなり 49.
(3) . 夏 井 春 喜. の有効性を持ちうることを, 当該時代の地主-佃戸関係の一般 的情況から考 えてみたい。. 最初 に6峡48冊 に及ぶ一 橋大学所蔵の地主関係文書の各冊について,簡単 にその内容を紹介して. みたい, 峡 内におさめられている各冊には番号が符されておらず, 順不同である, したがっ て本小 論で用いる番号 はあくまでも便宜的なものである. A. 第一 峡 (7冊). 1 8.7cm (以下6までMM . 表紙茶, 藍罫, 表題 「額租簿, 厚字第壱冊, 威豊年玖自立」 , 15.5×1 以外同)10 〉丁( 〈 〉内 は記載のある丁数,〈 〉のないものはそのまま記載のある丁数となる) 0〈84 , 84件. 所 在 : 長 洲 県 東 6 , 11 ,7 , 12 都, 面 積 167.433 畝, 租 米 193.645 石, 力 米 7.326 石.. 2 0〈78 〉丁, 7 8件. 所在:長洲県東6 1 . 表題 「徳字第壱冊」 , 10 , 西6 ,7 ,1 , 12都. 面積194.194 畝, 租 米 214.794 石, 力 米 8.467石,. 3. 表題「豊字第壷冊」 >丁,71件. 所在:長洲県11 14 77 ,100〈71 ,12都. 面積1 .521畝, 租米130.3 石, 力 米 5.024 石.. 4. 表題「盈字第壱冊」 〉丁,66件. 所在:長洲県11 44 ,100〈66 ,12都. 面積1 .683畝, 租米167 .712 石, 力 米 6.531 石.. 5. 表題「既字第壱冊」 〉丁,73件. 所在:長洲県11 84 ,100〈73 .809畝, 租米209.253 ,12都. 面積1 石, 力 米 7.734 石.. 6 . 表題「富字第壱冊」 ,100〈84〉丁,84件. 所在:長洲県上14 .880畝, 租米130.429 ,15都. 面積117 石, 力 米 5.241 石.. 7. 表紙茶, 藍罫, 表題「穀号租冊, 同治拾萱年菊月吉立」 〉丁, 2 8.5cm, 5 0〈29 6件, 同 , 15,5×1 治11年~光緒4年分. 所在:長洲県東18 4畝, 租米4 9,71 0石, 力米1.9 90 , 西18都, 面積49.71. 石. B, 第二 峡 (13冊) , 表紙茶, 青緑罫, 19×19cm. 8. 表題 「守貌租冊」 9件, 光緒25~29年( 1 3まで同) , 90丁, 201~283号分, 8 , 所在:長洲県上 14 , 15 都, 元 和 県 西 22 , 北 31 都. 面 積 173.910 畝, 租 米 178.746 石, 力 米 7.952 石,. 9, 表題「守読租冊」 9丁, 284~351号分, 69件. 所在:長洲県上14 5都, 元和県29 ,6 ,1 , 中31 , 南 31 都. 面 積 145,054 畝, 租 米 156.215石, 力 米 6.719石.. 10 1 09 61畝, . 表題「千副冊」 , 46丁, 45件, 所在:元和県上2 , 下21 , 23 , 24 , 上25都. 面積1 .8 租 米 114.717石, 力 米 4.391 石.. 11 7丁,16件. 所在:長洲県下14 8都. 面積31. 824畝, 租米32.553 . 表題「蔭副冊」 ,1 , 下17 , 中1 石, 力 米 1.272 石.. 1 2. 表題「邦副冊」 2丁, 1 1件, 所在:長洲県上1 4 6畝, 租 ,1 , 下14 , 下17 , 西18都. 面積30 .64 米 29.695 石, 力 米 1.227 石.. 1 3. 表題「祥四副冊」 01.056 ,47丁,46件.所在:長洲県9 ,15都,元和県9都.面積93,382畝,租米1 石, 力 米 3.754 石.. 14. 表題 「勤倹貌租冊」 〉丁, 勤字, 倹字, 4 8件, 光緒2 9~3 3年分. 所在:長洲県西6 , 53〈49 ,7 , 12 , 中 18 都. 面 積 152,061 畝, 租 米 154,788 石, 力 米 6.037 石.. 1 5. 表題「倉箱租冊」 0~34年( 18まで同) 8 . 所在:長洲県東1 , 68丁, 倉字, 箱字, 67件, 光緒3 , 50.
(4) . 清末蘇州の地主-佃戸関係について 中 18 , 西 18 , 北 19 都. 面 積 143,389 畝, 租 米 136,763 石, 力 米 5.732 石,. 16 , 表題「除千租冊」 , 84丁, 徐字, 千字, 82件. 所在:元和県上21 , 下21 , 23 , 24 , 上25 , 下25 , 北 26 都, 面 積 211.760 畝, 租 米 220,516 石, 力 米 8,461石.. 17. 表 題 「留 租 冊」 , 64 丁, 63 件, 所 在 : 長 洲 県 西 6 ,7 , 11 , 12 , 上 14 , 15 都, 面 積 148.160 畝, 米 1 5 4 3 6 2 石 米 9 3 2 石 租 , , , 力 5.. 1 8. 表紙欠損, 21丁, 公字, 21件. 所在:長洲県8 2.64 9石, 力米 , 9都. 面積40.347畝, 租米4 1.616 石.. 1 9, 表題「沈興恒副冊」 0〈5 3 〉丁, 沈字, 慶字, 興字, 恒安号荘錐,169件, 光緒31~34 , 一部朱罫, 6 年 分, 所 在 : 呉 県 1 , 11 , 13 , 14 都, 長 洲 県 1 ,2 ,8 ,9 , 上 14 , 15 , 半 19 都, 元 和 県 半 19 , 23 , 下 積 24 2 2 3 1 中 都 面 3 5 9 北 3 1 7 8 1 6 8 畝 租 米 3 9 4 7 7 9 石 . , . . , , , , ,. 20 〉丁, 福字, 荘字, 徳字, 36件, 光緒3 9〈38 2~34年分. 所在:長洲県1 , 表題 「荘達租冊」 ,5 , 2 ,7 , 11 , 12 , 15 都. 面 積 113,548 畝, 租 米 117,439 石, 租 米 6.394 石.. C 6冊) 9cm, . 第三峡 ( , 表紙茶, 青緑罫, 19×1 「 21 26まで同) 表題 9 9丁 9件 宣統元 租冊萱」 , , 所在:長洲県西6 , , 留字, 9 , , 2年分 ( ,7 , 11 , 東 18 , 中 18 , 西 18 , 北 19 都, 面 積 222,853 畝, 租 米 218,447石.. 2 2. 表題「租冊 弐」 02丁, 留字, 徐字,101件, 所在:長洲県11 ,1 , 12 , 上14 , 15都. 元和県上25 , 下 25 , 北 26 都, 面 積 250.232 畝, 租 米 261.086石,. 23 3 , 表題 「租冊参」 , 101丁, 徐字, 荘字, 公字, 富字, 100件. 所在:長洲県7 ,8 ,9 , 東1 , 西 13 都, 元 和 県 上 21 , 下 21 , 23 , 24 都. 面 積 208,984 畝, 租 米 213.641 石.. 24 3と重複) 4件, 所在:長洲県東13 , 表題「租冊庫」 , 65丁, 大字, 富字(一部2 , 貴字, 6 , 西13 , 下 14 , 下 17 , 西 18 都. 面 積 108,954 畝, 租 米 108.812石。 , 中 18. 25, 表題 「租冊伍」 4と重複) 2丁, 富字, 大字 (以上2 1件, 所在:呉県 , 倹字, 有字, 徳字, 6 ,6. 11 都, 長 洲 県 7 ,9 , 11 , 西 13 , 下 14 , 下 17 , 西 18 都, 元 和 県 上 25 都, 面 積 159.795 畝, , 中 18 租 米 163,290 石.. 26 3 4都, 長洲 , 表紙欠損, 下面 に 「陸」 , 129丁, 元字, 勤字, 永字, 95件. 所在:呉県11 ,1 ,1 県1 ,2 ,3 ,8 ,9 , 15 都, 元 和 県 24 都. 面 積 222.044 畝, 租 米 230,952 石. D. 第 四 峡 (9 冊) , 22,5×18.5cm. 2 7, 表紙藍, 藍罫, 表題なし, 67丁, 6 6件, 光緒5~14年分. 所在:元和県下21 , 上25 , 下25 , 27 , 29 都. 面 積 164.931 畝, 租 米 151,722石, 力 米 6.827 石.. 28 〉丁, 41件, 光緒8年分. 所在:長洲県東1 8 , 表紙欠損, 青緑罫, 下面 に「倉」 , 47〈41 , 中18 , 西 18 , 北 19 都. 面 積 70,520 畝, 租 米 72,636 石, 力 米 2.820 石.. 29 >丁, 46件, 年代不祥 (8号佃戸張 ) 46 , 49〈 , 表紙茶, 藍罫, 表題 「勤続租冊」(中折 「留徐租冊」 五観の項に「此戸廿八年管出与蹄目業排」 とあり, 光緒28年頃か) 1 , 所在:呉県1 , 14都, 長洲 県1 ,2 ,8 , 西13都, 元和県北26 , 29都. 面積116.916畝, 租米122 570 石, 力 米 4.665石. 30. 表紙茶, 朱罫 (以上34まで同) 30 , 表題 「威豊 玖年立」( , 31 は「日収簿」 の紙 が剥離 したと思 「 姑蘇回 妙観正山門勘過天吉紙舗監製 内表紙 われる) に 」 , , 背面 に朱字で 「萱伯伍拾, 拾行, 天. 〈64 >丁, 10月 6 日 ~12月 27 日, 延納入件数47 吉監製」 7件. . 100 「 「 31 百足, 拾行, 協成監製」 3 〉丁. 9月 20 日 . 表題 同治厚年玖月 日立」 , 背面に朱字で 萱イ , 96〈7. ~同治5年9月 6 日, 延納入件数530件. 32 〈85 〉丁. 9月 25 日~同治6 , 表題 「日収簿, 同治伍年拾月 日立」 , 背面 に朱字で「萱伯伍」 , 109 年8月1日, 延納入件数661件. 51.
(5) . 夏 井 春 喜. 33. 表題 「日収簿, 同治陸年拾月 28 日, 延納入件数5 91件. 34. 表題 「日収簿, 同治柴年 玖月. 日立」 , 背面 に朱字で 「壷伯伍」 , 110〈63〉丁. 10月 5 日 ~12月. 〉丁. 9月 29 日 ~12月 27 日, 延納入件数5 日立」 83件, , 95〈78 35 表紙茶 . , うす茶罫 (朱罫の色槌せたも のか) , 表題 「冊費簿, 威豊捌年 分無閏」 , 内表紙に 「姑 蘇国妙観正山門掛過天吉紙舗監製」 「 背面 壷 に朱字で 拾行 天吉監製 6 〈 4 〉丁, 延183件. 値 7 3 」 , , , , 所在:長洲県1 ,2 ,3 ,4 ,5 , 東6 , 西6 ,7 ,8 ,9 , 11 , 12 , 西 13 , 東 13 , 上 14 , 下 14 , 15 , 下 17 中 1 8 西 1 8 北 1 9 都 積 面 8 2 5 7 8 9 畝 , . , , . .. E . 第五 喉 (4冊) , 表紙茶, 藍罫, 中折 「彰味初租冊」 , 30×21cm. 36. 表題 「除琉租冊」 8 5丁 8 5件 元年の印あり ( 3 9まで同 ) , , , . 所在:元和県北26 , 29都, 面積 209.907 畝, 租 米 226.455 石.. 37. 表題 「慶貌租冊, 順読鮒」 1〉丁, 慶字, 順字, 61件, 所在:長洲県3都, 元和県中31 , 63〈6 , 北 31 都. 面 積 144.704 畝, 租 米 155.586 石.. 38. 表題「豊和貌租冊」 〉丁, 豊字, 和字, 45件, 所在:呉県20都, 長洲県4 , 46〈45 ,8 , 11都, 面 積 160.288 畝, 租 米 161.285 石,. 3 9, 表紙欠損, 6 1〈60 〉丁, 寿字, 60件. 所在:長洲県4 5都. 面積1 66 ,5 ,8 , 11 ,1 .149畝, 租米 167.574 石.. F . 第六幌 (9冊) 40. 表紙茶, 青緑罫, 表題 なし, 26.7×15cm, 年己巳 (民国18年 か, 以上41同) 120〈1 14 >丁, ,. 113 件. 所 在 : 元 和 県 上 17 , 半 19 , 上 21 , 東 22 , 23 , 24 , 上 25 都. 面 積 246.983 畝, 租 米 254.512. 石. 41, 100〈93〉丁, 92件, 所 在 : 長 洲 県 7 ,9 , 15 , 半 19 都, 元 和 県 9 , 上 17 , 西 23 都. 面 積 165,255 畝, 租 米 173.337 石.. 42 表紙茶, 朱罫, 表題なし, 背面に 「丁卯年 彰 味初桟 装鎗下冊」 下面 に 「丁卯彰味初機 , , ,. 薩 茂勤原洪盛珊豊街下」 2 × 2 5 5 1 0 1 〈 〉丁 9 2 m 危字 茂字 注源記寄収 c, , , , , 元宝, , 勤字, 洪字, 盛 字, 珊字, 豊字, 文字, 承記(抹消) 推出 抹消 ) 衛記( 3 3 9件 戊辰 丁卵 己巳年( 民国16~18 , , , , , ,. 年) 分, 所 在 : 呉 県 1 ,6 ,8 , 14 都, 長 洲 県 1 ,2 ,3 ,4 , 東6 ,7 ,8 ,9 , 11 , 西 13 , 下 17 , 西 18 都, 元 和 県 上 17 上 下 2 0 2 下 1 2 1 2 上 3 2 4 2 下 南 5 2 5 2 6 2 中 6 北 2 6 2 7 , , , , , , , , , , , , 29 ,. 北31 8 ,中31都,呉江県28都.面積865.360畝,蕩314,800畝と2塩.その外房租1所,租米853.58 石, 租 銀 417.100 両, 90 元.. 43, 表紙茶, 藍罫, 表題 「彰味初」 周六観, 王金 , 21,5×26.7cm, 80丁, 催甲 (翁蘭軒, 酵増宝 キヨ , 宝, 超三梅, 陸友峯, 呉錦祥, 張恵堂換悦雪卿, 樫福堂, 王耕山, 平増寿,,糠松山 梁甫高 挑 , , 介福, 超甫山, 査鳳杢, 凌近賢, 厳春芳, 朱世雄 と不詳の21人) 別 に, 976件 年代不詳 (租冊 , 中己未年の記述あり, 民国8年頃のものか) . 所在:呉県1 ,6 ,8 , 14都, 長洲県3 ,4 , 東6 ,7 , 8 ,9 , 11 , 西 13 , 15 , 西 18 , 半 19 都, 元 和 県 9 , 上 17 , 半 19 , 南 19 , 上 20 , 中 20 , 下 20 , 上 21 下 2 1 東 2 2 西 2 2 上 2 3 2 4 2 下 5 2 5 北 2 6 2 南 中 6 2 6 2 7 2 9 北 3 1 中 3 1 都. , , , , , , , , , , , , , , 面 積 2309.953 畝, 蕩 155.230 畝, 租 米 2402.007石, 租 銀 188.110 両.. 44. 表紙茶, 藍罫, 表題「同治四年分, 文(9 )年換新冊対過, 未対, 翠字坪採蓮租冊」 , 下面に「翠 字好採蓮橋」 0.7cm, 37丁, 37件, 同治4~8年分. 所在:長洲県15都. 面積75.0 27畝, , 20×2 租 米 86.022 石, 力 米 2.217 石.. 45. 表紙茶, 藍罫, 表題「張孝友泳記 日収」 1cm, 30〈14 >丁, 10 , 27,5×2 , 背面及び下面 に「泳」 月 4 日 ~12月 18 日, 延納入件数1 26件, 所在は陸巷, 消(肖)樫 の地名 からみて長洲県東北部と 52.
(6) . 清末蘇州の地主-佃戸関係につし・て. 48まで同) 思われる, 年代不詳 ( .. 46, 表 紙 茶, 朱 罫, 19,6×25cm (以 上 48 まで同) , 下面も同, 中折 「聴 , 表題 「揚益福書院日収」 2月 2 4 3 0 日 ~1 揚字 益字 6件, 〈 4 > 福字 寿字 9月 日 訓桟日収冊」 4 9 6 丁 , 延期入件数41 , , , , , ,. 7, 表題 「存徐貌日収, 第拾壷冊三十頁共陸拾濡, 連装一冊, 跡□淑十□, 敦 間銭家業」 4 , 下面 「存 ~1 2月 「 2 4 日 2 2 1丁( 1丁欠損 ) 存字 除字 9月 1日, 残存 鹸読日収」 , , , , , 中折 通恕桟日収冊」 9件, 延納入件数17 「 10丁程欠損) 48 , 叙字, 瑞字, , 29丁 ( . 表題 叙瑞禄啓日収」 , 下面も同, 中折 「通恕機日収冊」 2月 23 日, 残存延納入件数171件. 禄字, 啓字, 10月 1 1日~1. 6 ) ”)小作契約書 (召由◎承塘) 村松祐次氏 は, 地主関係文書の種類を次のように分類 している( , , 「 「 「 「 「 ( 出由冊 ◎ 魚鱗冊 ◎ 等の ◎小作関係の台帳 租簿 ◎ 租籍 租籍便査 ( )租由 (租孫) 」 」 」 」 」 口 , , , 小作地台帳, 的納税関係の簿冊--「漕米冊」◎ 「地丁冊」◎「銀米冊」 , ㈹租桟職員間の通信--「字. 条」 ト )小作人の人身拘束に関する史料, 「切脚」 その他, 粉 「切脚」発行の記 録--「出切備査」冊, ,( ‐ ( 7マ) 包櫨関係の決算記録 )「日入」◎「入巌」◎「鯛流」 --租桟の出納簿. こ ( ) ヌ リ , 「報鉛各号備査」 冊,( の分類 に従っ て一橋大学の地主関係文書を分類すると, その大部分 は◎の小作台帳に当るものであ る, 具 体 的 番 号 で い う と, 1 , 16 , 17 ,6 ,7 ,9 , 10 , 11 , 12 , 13 , 14 , 15 , 18 , 19 , ,2 ,3 ,4 ,5 ,8 4 1 4 2 4 4 で こ 2 2 6 2 2 8 2 9 3 6 3 7 3 8 3 9 4 0 の 3 7 あ る れ 20 2 1 2 2 2 3 2 4 5 7 冊 . , , , , , , , , , , , , , , , , ,. 0 らは小作基本台帳と呼ぶべきもので, 1 , 11等のように「副冊」と名づ けられているものもある が, 他の 「正」 租冊と何ら変る所 がなく, 租機 によって同じ小作台帳が正, 副2本作成されていたと思. われる. これらには普通, 最初に小作地片の位置(県都図坪, 塩も記載しているものもある) , 佃戸 類--官田 地 蕩等の区 民田 小作地の面積( 名(住所が書かれているのも若干ある) 田地の種 , , , , され 4 5で 徴収費用 に付き米4升の割合で徴収 る力米( 別 が あるものも) 小作料額 に当り通常1畝 , ,. 4文徴収) 38文, 以降44 は力銭, 租米1石当り10月 8 日以前4 ,小作料の減免,1~6 には前年までの 租欠額 が記入され, その後に1~数年 (国会図書館蔵の 「王資敬機」租冊, 東洋文化研究所蔵の 「徐. 永安桟」租冊では10年)に亙って各年ごとの徴収情況 が記載されている。 この徴収情況の記載 には, 史料 によっ てかなりの精粗の差異があるが, 普通 は納入月 日, 納入額 (洋銭若干, 銭若干というよ うに記載) , 米への換算額及 び折価, 納入期限なし・し災害等による減免が書 かれ, 完納の場合 には,. 「完詑」◎ 「清詑」 等の印が押されている.. ヌ )の日 収 で あり, 30 小 作 料 の 徴 収 情 況 を 日付 順 に記 載 し た の が, ( , 33 , 34 , 47 , 48 , 31 , 32 , 45. の9冊 がそれに当る. 納入日の早い順に佃戸 とその納入額, 米への換算額, 完納か否 か等 が記載さ れている が, 小作台帳と は異 なり小作地片の位置, 面積, 小作料額等 は書かれておらず, 減免の情 況も不明である。 しかし小作台帳の副本として作成されただ けに, 各納入時期 ごとの納入情況を見. るには極めて便利である. この日収と同じく小作台帳の副本として作られ, 催甲別に並べたのが43 で, 「催甲冊」 とも呼べるもので, 外 に国会図書館蔵の呉胎経桟装錆29冊, 東洋文庫蔵の越守成機 装鉛1冊 がある。 これは催甲の小作料徴収での成績をみるために作成されたと思われる が, 21人の 催甲 ごと に, 彼らの掌握する佃戸の納入情況 が記載されている。43では1人の催甲が掌握する佃戸 9人まで, 平均47 は2人から13 ,4人とかなりのばらつきがある。 催甲 は, その租桟の管轄する佃戸. が兼ねる場合(例 えば, 8の守号2 01~217号の催甲陸大杢 は同21 3号で5.19 9畝を小作する佃戸で ( 7 ) もある)もある が, 催甲を専門の生業としているものもいたと思われる , 彼らは, 例 えば7 の第1 丁 に 「催甲戴錦華, 住戴家角, 寄信在婁門外陸巷夜船, 送至陸巷鎮中市樫泰南貨店転交. ……催甲. 施彩華, 副恭相茂賢, 住唐家港西首, 寄信航船在北街跨塘橋日船, 送至相城鎮小橋頭馬錦良茶室内. 53.
(7) . 夏 井 春 喜. 転交」 とあるよう に, 蘇州城から夜船, 日船等の定期船 が出ている鎮市の商店, 茶館等を連絡先 茶館等を速, 、 に 8 } 催 甲 の 収 入 に つ い て は 30~34 の「沈 恒 豊 穣」の 日 収 簿 が参 考 と なる 使 っ て い た よ う で あ る{ . ,. 豊9年分の厚字 の催甲王栄春の例を挙げると次のよう になる, 看田. 全完. 成. 167.433畝 99.472畝. 該 力 米2.980石. 全欠. 27 .596畝 力米無 開倉日上桟米92.4 81石 毎石酒銭14文 総共計. 8折. 実銭 1035文. 9780文. 除開倉日結欠銭 又借洋銭3元. 2760文 合銭4 14 0文. 又上年 借銭. 又9年9月18日借銭. 2000文. 200文. 除浄該我銭. 68 0文. 12月23日 借 銭. 1000文. 技詑. これによると, 「沈恒豊桟」の催甲の収入には, 徴収 した小作料1畝当り3升の割合で支払われる 力米と, 開倉日以前 に租桟に納入された小作米1石 に付14文(実際にはその8掛)の酒銭があっ た. ことになる, 力米 は普通1畝当り4升程度の割合で佃戸から徴収される徴収手数料であるが この , うち3升が催甲に支払われている。 徴収した小作料1畝に付3升を催 甲 が受 けとるということは , ) (四 { 七) ( 一 ) (四 ) ) (九 } {九 ) (一 かなり一般的らしく, 7の催甲施彩華も「経看田嘩拾畝 柴分 壷厘庫墓, 力米萱石玖斗玖升 力米萱石 玖斗玖升, 経催毎畝 分壱厘庫墓 三 ) ( 9 ) 酒銭 は 開倉日以前 に佃戸の小作納入を促すため に 得参升」と, 1畝に付3升の力米を得ている{ ,. 設 けられた奨励金 というべきも のである。 例 に挙げた催甲主栄春の威豊9年 分の収支 は 結局借り , 入れ金のため320文の赤字となっ ており, 催甲が佃戸から何がしかの酒代等の強要行 っていたので. はと推測させられる. 村松氏の的の分類 に当るのが35の「冊費簿」 である. この「冊費簿」所蔵の田地は, 1~6の額租 簿のそれと は一致せず, また業戸が1件を除いてすべて沈姓 であることから 「沈恒豊機」を含む黄 , 0 1 } 球沈氏一族の田賦納入を記載 したものといえよう( . 以上のように, 一橋大学所蔵の地主関係文書 は, 小作関係の台帳が中心で, その外 にその副本と して作成された日収, 催甲の帳簿が若干あり, 地主÷佃 戸間の小作料徴収関係 については ある程 , 度解明できるが, 租桟のもう一つの側面である田賦の包櫨や租機の経営実態を解明するの に手掛と. なる史料 は殆 ど存在 しないといえる. ただ帳簿の中に若 干のメモ書きが挟っ ており, その大部分は , 催甲が催租の控 えや租桟への通知のためものらしく, 佃戸と都図を記 したものであるが, 租桟の経 営や小作関係 の解明の参考となるものもある. 例えば30の威豊9年 分の日収の中に 「沈恒豊穣」 , が沈氏から長洲県11都4図黄字好7 1 2塩の官 「 4 3 0畝を典得 が挟 っ ている. 田2 した 典田合同 」 , . 後述するように, これら帳簿を作成した租機の特定には, これらのメモ書 きが決め手 になることが. 多し、.. 次にこれら地主関係文書の年代をみてみたい. 年代が確定できるのが33冊あるが, そのうち威豊. 年間のものが1~6(9年) 8年) の8件, 同治年間のものが7( 9年~光緒4年, , 30(9年) , 35( 1部 は5年) 3 1( 4年) 4~8年) の6件, 光緒年間のもの , , 32(5年) , 33(6年) , 34(7年) , 45( が, 8~1 3(25~29年) 1 4 勤字2 ( 9 ~ 3 1年 倹字2 9 ~ 1 3 3年 ) 5 8( 30~3 4年) 9(3 1~34年) , , , ~1 ,1 , 54.
(8) . 清末蘇州の地主-佃戸関係について 20(32~34年) の 13 件, 宣 統 年 間 の も の が, 21~26(元, 2年) の 6 件 で あ る。 こ の 外, 27 は5年. か ら14 年,28 は8年とだ けあり,年号 が記されていないが,米価等から考 えて光緒年代と思われる, 9「沈興恒副冊」へのつ ながりからみて, ま た29 は上記 した如く2 8年云々と書かれていることと, 1. 光緒28年から30年までに作成されたと考 えられる,更 に干支のみ記入されている40~43の4冊 に. 定 しう る し, 42 つ い て み てみ る と, 40 , 41 は1石 =10500 文 の米 価 か らみ て, 己 巳 は民 国 18 年 に措. の丁卯も民国16年 に当る。 43 は庚申換佃という記事があり, 42と対照してみると, それより少 し 00文キ7 早く民国10年代前半のもの と推定される, 45 は1石=73 .7元 の米価からみて民国 年代,. 000文キ3 46 2元, 1石=5 .8元から清末から民国初め,47 は1 石 =2500 文 . , 48 はそれぞれ1石=4. から光緒末以前 と考 えられる, 残る36~39 は,36,37 に元年の印 があるだ けで年代は全 く不詳であ る が, ただ37の慶字18号江升祖◎元章の項に 「丙辰年分由」 とあり, この丙辰年 が威豊6年であ. 3 へのつ ながりから考 えて, 威豊以前とは考 えにくい. 以上のように, るとすれ ば同治以降となる,4 一橋大学所蔵の地主関係文書を年代別に分 けてみると, 太平天国進出前の1850年代8件, 鎮圧後の. 6 0~80年代 が8件, 光緒末◎宣統年間の1900年代 が20件, 民国以降 が5件, 不明 が7件の5 つの グ ル ー プ に なる.. 最後にこれらの地主関係文書の相互関係及びこれらを作成した租機の特定を行ってみたい, 史料 0~35の「沈恒豊穣」関係, 8~20の第二 峡, 21~26の第三 峡, は, 体裁6名称から, 大きく1~6 ,3 36~39の第五畝と42 ,43の「彰味初桟」関係 とそれ以外とに分 けられる. しかし,佃戸名及び小作地 の地祉を詳細に対称 すると, 第二 峡と第三 峡並びに28 ,29とは同一の租機のものではないかと思わ れる. その詳 しい対照は紙数の関係で省略するが, 大まかな相互関係 は図IA のようになる. ここ 4の 3の 「祥四副冊」 と2 2の 「邦副冊」 で全く他と対応関係 にないのは, 8 ,1 ,1 , 9の 「守貌租冊」 8の催甲〔陸大奄, 郁茂堂, 陳茂亭, 計廷春〕 「租冊庫」である が, 体裁o番号及び催甲 が同じ( , 9〔陳 と1 〔 0の催甲 張価泉, 郁茂 2〔楊松亭, 陸大杢〕 茂亭, 計廷春, 何祥甫〕 , 13〔陳茂亭, 越珊梅〕 ,1 堂〕 1〔陸大杢〕 を比べると陸大杢, 郁茂堂が共通 している) ことから考 えて, 同一租桟のものと ,1 断定して間違いないであろ う, 「彰味初桟」関係文書の相互関係 は第一図 B の如くである。 37の「豊. 和貌租冊」 と39の寿号とは共に年代 が不明である が, 佃戸の変化からみて, 38の豊字→39という 9 か ら43 へ の対 応 も, 順である と思われる. また36~39と42との対応関係は全くなく, 36 , 37 ,3 43 の催甲桃 介福, 越甫山, 凌近賢, 酵増宝, 樫福堂の5人においてのみであり, 一橋大学所蔵のが 「彰味初桟」 の作成した帳簿の ごく一部であること示している. このように, 一橋大学所蔵の地主関係文書 は, 「沈恒豊機」 関係 (1, 12冊) , 第二幌, 第三幌及 1 1 1 び28 1 , 6冊) の3つの大 きなグルー プとそれ以外の零細な , 「彰味初桟」 関係 ( , 21冊) , 29(1 「 グ ー プ の 9冊) と に 史 料 (7 , 45 , 46 , 47 と48 の 通 恕 機」 の 7 小 ル , 40 と41 の 「己 巳 租 冊」 , 27. 1 1とは, ・作地関係 (佃戸及び地壇) では全く対応関係 がないが, ただ催甲をみ 1と1 分けられる, 1 ると計廷春 が共通 し, 更に超珊梅と越三梅も同一人物と思われるので, 何らかの関係があっ たかも しれない. 1の 「沈恒豊穣」 は, 太平天国占領時期の収租情況等からみて, 宋の沈埠を祖先 とする 1 1 }1 1の「彰味初桟」の特定には, 史料中に挟っ 長洲県11都黄壊鎮附近の沈氏一族のものと思われる( ,1 ているメモ書きに1つの手掛り がある. それは42中に挟 っている書信, 「樋林姑岳大人, 日来清志 度窪, 敬念云云. 顧慮串己取到, 感荷之至, 薄物四事, 敢賀桂麓不腹, 晒存為幸, 又注式記佃戸花. 名及額米, 敬乞賜抄-紙, 注氏急千出嘗也, 粛賀妖薩. 姪婿靖匝匿回」 である, めい婿の靖なる. 人物が, 樋林 に宛てた, 顧氏の串票を受 けとっ た御礼と, 注氏の佃戸名及 び額米を知らせて欲 しい との手紙である が, これによると, 字或し・は号 が樋林 なる人物が, 「彰味初桟」の経営 に何らかの係 わ り を持 っ て い た の で は な い か と推 測 さ れ る, 更 に, 43 に 「此十六戸推典彰誼荘」 という書き込み 55.
(9) . 夏 井 春 喜. A(1 1) 光緒8年. 25~29. 2 8 (倉). 30~33. 1. 34. 需 //. l o 6 (“ 一1 墨 1 1(礼). //. 宣統元,2年. 1 (留) -2 2 (除) 一2. 2 5(大) 8(守) 1 4(勤)÷÷→2 0(荘)÷→2 3(荘) 9(守) (像) 2 5(鹸) 1 2(邦) 2 0(福)÷→26(元) 1 3(祥四) (徳)÷÷→25(徳) 1 7(留)÷÷÷÷÷→21(留) 1 8(公)÷÷÷÷‐ ‐→2 3(公) 2 9(勤)÷÷→1 9(沈)÷→26(勤・元) (興). (恒安) B(彰味初機関係) 36(鉄)÷÷→4 3(錠). 3 7 (慶)÷÷→ (慶) 0順)÷÷→ (豊). 38(豊) →39(寿). (和). (寿)一 (推与溺誼荘 畳 1 」. 図1 史料相互関係図. があり, 彰氏義荘とのつながりも考 えられる 彰氏義荘 は 『呉県志』(民国22年刊) 巻31 公署4 . , ウン によると, 光緒4年当時順天府府労 であっ た彰祖賢が父慈 章の遺志を受 け継ぎ創建し 高祖父啓豊 , から始められて いた義田と合せ拡大発展させたも ので 田16 34 , .094畝所有 し, そのうち元 和県に 1 017.088畝, 約62%存在 し, 残りは一部呉県にあるのを除き 長洲県にあっ たという 樋林という , , 名 は, この彰氏義荘をも つ彰氏一 族の中に存在してし・る.『彰氏宗譜』によると 彰樋 林 は本名鍾岱 , , 原名蔭森, 字を樋林, または慕禽, 号を松 崎 といい 四品街候補通判 の官位を持 っ た人物で 同治 , , 9年10月 28 日 (1870年1 1月 20 日) に生れ, 民国9年3月 2 1日 ( 1920年5月 9 日) に満5 9歳で 1 2 ) 42 は民国1 死 去 して い る( 6年頃のも のと思われ, 彰鍾岱の死去 から7年経過 しているが 彰氏義 . ,. 荘の正 式名称が 「誼荘」 であることも勘案 して 4 , 2中の書信 の樹林と彰鍾岱と は同一人物とみて間 違いないと思われる.. 彰鍾岱の属する彰氏 は, 望族の多 い蘇州の中でも有数 の望族である 図2に鍾岱を中心とする彰 , 氏の系図を挙げておいたが, 彰氏 の始租彰学一 は江西省臨江府清江県の人で 元末の混乱の際に義 , 兵を率いて立ち上 り, 後に明の太租朱元岸 に帰順 し 軍籍として蘇州衛 に移り住んだ 学一 には子 , . がなく, 姉の子 (楊氏) を後継ぎとし蘇州彰氏の基が築 かれ{ 1 3 ) 5代目の防が明正徳 6年 (15 11年) , に進士になっ たのを皮切りに, 明未から清代 にかけて数多くの科挙合格者を輩出 し 武職から文で , ロウ の名族となる. 進士合格者 は, 明代ではE 坊の外に汝階(方暦44年〔 1616年〕 ) 清代では瀧0 順治16 , 年〔 1659年〕 官 は広東省長寧県知 県 〔 以下同 〕 ) 定求 ( 康無1 1年 〔 1 6 2年 〕 7 , , , 翰林院侍講) , 寧求 (同2 1年 〔1682年〕 1727年〕 兵部尚書 ) 紹観 乾隆2 ( 2年 〔 1 7 5 7年〕 , 中允) , 啓豊 (薙正5年 〔 , , , 56.
(10) 清末蘇州の地主-佃戸関係について. 学一 ー ー○ ーー ○ ーー. ◎ 進. 士. ○ 挙. 人. × 考. 廉. △ 貢. 生. ー 養. 子. ○ 防 ーー 年 11 1 履道. 三 口 ,ー 0 --ー ○ -ーー ○ ーーー. 0. 沢. 0. 0. . 0. 曽 韓 ーー ーー. ◎. 祖 潤. 翼【. 祖 鼻 ーー福 ー ○ 孫ーー ーーー. … : 慰 o 高 高 ーー ( 漁章. ○ 葱現0 ーーー 十 十 恵高 景福 十 十容 保 ーー ーー. ○ 十 十 十応審. 0111 子) 1. 泰 清鵬 0 111望 土. 講 座. 鍾 岱. . 2 彰 氏 系 譜 57.
(11) . 夏 井 春 喜. 翰林院侍読学士) 17 61年〕 ) 17 〕 84 , 紹升 (同26年 〔 , 希濠 (同49年 〔 , 刑部右侍郎, 福建按察使) , 希洛 (同52年 〔1787年〕 福建道御史 ) 希鄭 ( 〔 同5 4年 1 〕 7 8 9年 湖南省常徳府知府 ) 纏輝 嘉 ( , , , , シシヨウ. 慶4年〔 17 99年〕) 835年〕 0年〔1894 , 穂章(道光15年〔1 , 軍機大臣, 武英殿大学士) , 謡座 (光緒2 年〕 戸部主事 ) 泰士 ( 同2 4年 1 〔 8 9 8年 〕 四川省内江県知県 ) 世宴 ( 同2 9年 〔 1 9 0 3年 〕 ) の計 , , , ,. 16人で, このうち定求, 啓豊 は状元, 寧求 は探花の栄誉を射止めている, 挙人合格者も 上記 の16 , キ ソク イ 人の外に, 明代では天秩, 清代では景沢, 尚祁, 紹謙, 希韓, 希苑, 希凍, 纏煉, 慰高 鳳高 祖 , , イクフン 賢 (官 は湖北巡撫, 署湖広総督) 福保, 祖潤, 福孫, 昇孫の16人にも上り, 科挙廃止後の , ,ギヨ銃薬 ウ 新挙人にも望恕, 応審, 清鵬, 望 郷 の4人がし・る, 官績をみても, 大官を多く出し, 啓豊は兵部尚 書, 希漁 は嘉慶末に刑部侍郎, 後に降格され福建按察使と して客死 している. 最高位 に達したのが 濫章で, 威豊元年 から軍機大臣となり, 工部, 兵部, 礼部の各侍郎, 工部尚書を経 威豊4年より , 協班大学士,6年 には文淵閣,8年 には武英殿大学士を賜わり,10年の江南大営の崩壊 の際に両江総 督何桂清推挙の責任をとって辞任するまで, 太平天国時期の清朝の枢務を司っ た. 子の祖賢 は挙人. 出身者 ながら, 光緒6年から11年までの5年半湖北巡撫を勤 め, 途中8年 には湖広総督をも兼署し. ている. 民国に入 っても, 清鵬が第二届国会議員 に選出されている. 地方志を緩いて みても 例 え , ば同治 『蘇州府志』(光緒9年刊) には, 年 (附父防) 〔巻86 〕 徳先 ( 附父汝譜 瀧 ) 行先 , , , , 定求 (附従弟寧求)〔以上巻88 〕 啓豊( 附子紹謙 紹観 紹威 紹謙子希韓 ) , , , , , 紹升, 績, 希澱, 希洛(附 弟希 凍, 子慈輝) 祝華 希鄭 纏章 〔 以上巻8 〕 9 鋼 の各伝が載せられ , , , , , 民国『呉見志』 にも上記 の各伝の外, 福保 (附子世袋)〔巻6 6下〕 慰高 8上〕 , , 恵高, 祖賢 〔以上巻6 , 字甲 〔巻69上〕 , 希 良(行先6世孫) 纏瑞 寧求5世孫 ) ( 穂華( 汝言8世孫 ) 纏嘉 景福 纏録( 兄弟 共 に寧求5世 , , , , , , 孫) , 櫨燐, 保康(寧求6世孫) 〔以上巻69下〕 , 承憲, 蕊輸(穂偉の弟, 保康の父)〔以上巻70下〕. の各伝 が ある. 『清史稿』 にも, 啓豊 〔巻304 〕 85 〕 , 葱章 〔巻3 , 定求 〔附紹升, 巻480 , 儒林〕 , 績 〔巻4 〕の各伝が載せ 86 られている. 光緒7年 に, 小作料徴収と佃戸への対応をめぐって上呈 , 文苑 1 4 ) このように 彰氏 は累世進士 挙人輩出する蘇 された 「蘇紳公呈」 にも慰高が名を列 ねている( . , , 1 { 5 ) 州の望族中の望族であっ た . 鍾岱自身 は科挙での資格を有せず, 多分絹納で得たと思わ れる四品. 街候補通判の官位 しか持たないが, 叔父の文傑と共 に 『彰氏宗譜』 の編纂 に当っ ていることから , 彰氏 の族務に携わり, 一 族中ではかなりの重きをな したと思われる, 同世代 下の世代の中にも , , 日本への留学生や各地の学堂を卒業 した者も多く, まさしく「彰味初機」 は, 「主として は何らかの 官職背景をもっ て居る紳士が, 他の地主 からその所有地 の管理経営を委託されて, これを自己の所 有地や, 受典地などと共に一括して管理 し, コミ ッ ショ ン o ベー シスでその全体から小作料を 徴収 1 6 } し, その全体 について税を代納するため に設 けた, 土地管理経営と包櫨 との大規模機構( 」 として の租桟の典型的なものといえよう. ただ前述した如く, 一 橋大学所蔵文書 には, 租機の経営内容や 包櫨情況を示す史料が皆無 に等 しく, かっこの 「彰味初桟」 関係文書も 「彰味初桟」 全体の一部 に , 1 7 } その全体像を明らかにすること はかなり困難と思われる 過ぎず{ , .. 1 1に つ い て み て み る と, 9 の中 に「送獅林寺巷 貝義荘 王雲昂師老爺升 王文周一 回」という王 文周から貝義荘の師爺, すなわち租機 の経理を司どろ所謂知数先生 (帳房) に出された書信の宛書 が挟 っ ている, これから,1 1の租横 は貝義荘と何 らかのつながりがあっ たのではないかと思われる, 1 8 ) 貝義荘 は前掲の民国『呉県志』にはその名を見出せないが,民国20年 に出版された『呉県城区附刊( 』 には, 貝氏の義荘として貝潤生が主持 した潜儒巷 に存在する貝承訓義荘と 貝哉安が主持し獅林寺 , 巷 に存在する貝留除義荘の2 つ が載せられている. 所在地 から考 えて 書信の宛書 の貝義荘は後者 , の貝留鉄義荘であることは確かであるが, 貝氏一族 の情況及び貝留徐義荘と1 1の史料との関係など 1 9 ) に つ い て は今 後 の 課 題 と な ろ う( .. 58.
(12) . 清末蘇州の地主-佃戸関係について. このように, 一橋大学所蔵の地主関係文書において,「沈恒豊穣」 ,「彰氏初機」の2つについて は, 一応文書を作成 し, 租機を経営した沈氏, 彰氏を特定することができたが, その他については租機 を経営した姓氏, 或いは租桟名称すら困難である, いわ ば 「無名」 の租機の史料 が多数を占めてい る と い えよ う.. 前章において一橋大学所蔵の地主関係文書 についての簡単な紹 介を行っ たが, 本章で は上述した. ような 「無名」 の断片的史料 が果して当該時代の蘇州の地主‐佃戸関係の解明に有効性を持ちうる か考 えてみたい. 史料 に表われる個別事例 は, 必ずしも一般的現象を代表 しているとは限らず, ま. して租桟名や経営した人物も不明な 「無名」 の史料においては, その取り扱いは慎重を期さね ばな らない. しかし結論から言うと, 太平天国鎮圧以後の蘇州での地主-佃戸関係において は, 個別的. 史料の分析結果 が, かなりの程度一般化しうる状態であっ たと思われる. 旧中国の農村調査 において, 度量衡, 小作条件等の地域格差 が非常に大きいことが報告されてい. 2村で17 3種類もの異 る, 土地面積の基本単位である畝にしても, 蘇州西北隣の無錫県では, 調査2 2 0 { } なる面積を表わし, 最大と最小とでは3.3倍もの開きがあっ たという . 太平天国時期の蘇州 にお. 1石当りの)小作料に大小があるのは, 畝歩に寛い窄い, 土性に肥 え碗せたがあるからで いても, 「( 1 2 } ある( 」 と, 同じ1畝でも寛 と窄があっ たようである, また小作料徴収方法 についても, 同じく太 平天国時期呉江県薦壇の地主柳兆薫は, 「小作料徴収での期限や割引 は, 各家が各々の方法で行い,. 2 2 ) 1 つ の 定 例 にす る こ と はで き な い( 」と, 地 主 個 々 の そ の や り方 は異 な っ て い た と 述べ て い る, こ う. した小作条件での個別的差異 は存在しつつも, 太平天国以後の蘇州では, 地主個々の小作料徴収で の差異をなくし, 小作条件を均一化する方向に基本的には進行していたと思われる, 同治4年, 太平天国と呼応しかねない抗糧運動を起していた中小地主 ◎ 目耕農を自らの下 に引 き 戻し, かつ自らの階級的利益の遂行のため清朝から滅賦の 「恩沢」 をから取 っ た蘇州の郷紳 は, 日 2 3 ) この減租章程 は 蘇州の郷紳が協議作 常的抗租を行う佃戸への対策として翌年減租を実行する( . , に割拠的勢力を築いた 太平天国占領時期に長州県北部◎常熟県南部 布政使名で発布された 成し, . 永昌徐氏 に対 して, その報復としての色合い が濃 い に せよ, こ の章 程 に違 反 し佃 戸 を 虐 待. して い る と い う 理 由 で 罰 金 二 千 串 に処 せ られ. て い る こ と で 分 る 如 く, 一 定 の 強 制 力 を持 っ 2 4 ) こ の減 租 の結 果 1畝 当 り 1 て 施 行 さ れ た( . , なく な り, 小 斗 と う高 額 な小 作 料 は い 石5 6 , 2 5 ) 表 は21~26 作 額 は は か なり 平 均 化 さ れ た( . 1 1グ ル ー プ 中 最 も 件 数 の多 い 1グ ル ー プ と1 の1 43 の1畝 当 り の ・作 料 額 で あ る. 両 者 共 o,950~1.150 石 間 に 集 中 し, そ れ ぞ れ 87.7%, 7963% を 占 め, そ の 中 で も 特 に 1.000~1,100 石 間 が 最 大 で 61.5%, 47% と. な っ て い る. ・作 料 額 の 上 限 に は, 1.200 石,. 1.210石, 1,220石 の 3 説 が あ る が, 表 で. 表1 1畝当りの小作料額 1~2 ・ 6 (%) ~2 1畝当り小作料額 ,畝当り小作料額(石) . 2 8(1 7 ) ~0 0 0 0 ~ . ,8 7 (1. ) 0,800~0,850 7(1 5 0~0 1 8(3,9) 0, 85 0 9 0 0 ~o, ) 4 (3 0 0~0 3,0 o 9 00 9 5 0 14( ~0 . , 9( 0~1 0 0 7 9( 17 0 ) 0, 95 0 0 ~1 . . 16 7 (35 1 0~1 7( ~1 ,9) .000 ,050 9 ( 1 0 5 0~1 1 0 0 ) 1 1 9( 2 5 1 . .6 , 0~ . ) 9.2 1,100~1.150 3 (9 4 3( 1 0~1 0 5 ) 7( 1 1 5 0 ~ 1 2 0 7(1 . . , 0~ 1(0.2) 1 2 00 2 5 0 ~1 , , ) 2 (0 0,4 0~1 3 0 0 2( 1 25 0 ~1 , , 0~ 1 3 0 0 ~ .. △ 会. 計. 4 65. 43. (%). 24(2,5) 7(0,7). 16 (1.6) 22 (2.2). 131( 1 (13 ,4) 229( 9( ) 23, 4 8( 24 2 38( 3 ,) 178 (18.2). 95(9.7) ) 3.8 7 (3 3 7( o,1) 1(0. 97 8 59.
(13) . 夏 井 春 喜 1.220 石 よ り 高 い の は, 22 の 2 件 と 43 の7件(免米等があり実 質的には3件) に過ぎず 完全とは , い え なし・に せ よ ほ ぼ 遵 守 さ れ た と い えよ う,. この減租と同時 に, 「凡そ租 料 (小作料を量る桝) は監司の鉄 斜を基準として 規格を頒ち与え , , 公所を立て ・作料を徴収するも のに各々その基準の桝を受 けとらせ 1年 ごと に公所 に送り基準と , 比較する, 折価の値も, 必ず公所 に集まり,1つの値に協議 し それより減ずることはあっ ても増す , 2 6 ) ことはない( 」 と, 小作料を量る桝 の統一と, 小作米の金銭への換算値である折価の協議が決定さ. れたとある. 太平天国以後の蘇州 において は, ・作米を貨幣 で代納する折租が主流であり 三限以 , 前に現物の米で納入することは少 なかっ たと思われる が 陶聴 によれ ば 米で小作料を払う場合 に , , 2 7 ) また光緒6年1 は1石2, 3斗を1石とみなす特別の研が用いられたと いう( 0月 に蘇州婁門外の永 . 2 8 } 更に同年2月 に 倉の地主徐姓が,6斗も入る5斗研を用 いたと佃戸に官 に訴えられた事件があり{ , は 「近頃蘇省の各地主が小作料を徴収する時に, 勝手 に大斜を用し・ており これは正規の糟斜 に較 , べて尤も大きく」 2 9 ) これら , 今後一 律に小作料徴収 は漕解を基準とすべ しとの告示が出されて いる( . のことは官製の桝への統一 は有名無実 になっていたかのようにみえる が しかし先の永倉 の徐姓 が , 3 0 ) 「私造斗斜{ 」 で佃戸 に訴えられた際徐姓がそれは品質低位の米にのみ用 い, 通常は「較正官斜」 を 用 い て い る と言 い訳 して い る こ と, こ の 解 決 に は改 め て 官 製 の 研 の使 用 が命 令 さ れ て い る こ と や( 3 1 ) ,. 先の漕斜を基準とすべしの命令等を考 え合すと, 減租と同時 に出された官製の桝への統一 はある程 度強制力を持ち, 実効性があっ たと思われる.. 折価を1 つの値 に協議決定するということ は, 『申報』の記事ではあまり実行されて いなかっ たよ うである, 例 えば, 光緒8年 の蘇州の折価 は大体2100文程で 最高2300文と最低190 0文との間に ,. 3 2 ) こ う して み る 400 文 の差 が あ り, 翌 9 年 に は1900 文 ~2500 文 と 600 文 も の 差 異 が あ っ た と い う( .. と, 折価を協議決定するということは, 1880年代にはあまり効果がなかっ たようであるが 民国期 , に入ると, 例 えば辛亥革命 の年 には1律1石4元 の折価を決定 し 任意 に増減 したもの は 民政長 , , 3 3 ) 折価の協議決定 は実行されている{ 3 4 ) 災害時の小作料 に取り締っ てもらうことが決められる 等{ . , の減免についても, 「蘇州城の地主 は, 佃戸が続々 と災害 を報告 に来て, 全額 は徴収できないので , 3 { 5 } と 佃戸が被災情況を地主o官憲 に報告 現在協議 し, 1畝当り各々1斗を減額 しようとして いる」 , , し, 官憲 はそれを受 けて調査 し, 地主が協議 し上呈 した章程を勘案決定するという過程をとってい 3 6 ) る( .. 以上簡単 に減租の決定とその結果として の小作料額の平均化, 租料の官製の桝への統一 o折価の 協議決定, 災害時の減免措置 についてみてきたが, 太平天国鎮圧以降の蘇州 において これら小作 , 条件 が即ちに均一化されたのではないにせよ, 辛亥革命期や民国期の調査と考 え合すなら 大勢と , して均一化の方向にあっ たことは肯定できると思われる. この小作条件の均一化を政治的に推 し進 めたのが, 蘇州城内に居住する郷紳であり, その意を受 けて行動する地方権力であっ た. こうした太平天国以後 の蘇州 における小作条件の均一化 に向かわせた原因に は 2つの要因が考 , えられる.1つは, 太平天国時期 に大きな高まりを形作り, その後も執場 に行われる佃戸の抗租運動. であり, もう1つは地主 の城居化と組織化の進行である. 太平天国前 佃戸 は田面権という部分的 , 土地所有 に依拠 した日常的抗租運動を展開しており, 18 60年から64年 にかけての太平天 国の蘇州. 占領による既存 の支配秩序の崩壊と小作料の大幅な低下 は それ以後の抗租運動に大きなはずみを , つけることとなっ た, しかも佃戸の闘争 は, 「連坪結甲」という佃戸 の地縁的結合によりしばしば大 規模で広域的なものになっ た. 地主の城居化 (蘇州城 のみならず鎮市 ÷ 一列えば地主の鎮といわれ 3 7 }--を含む) と対応する佃戸村落の存在 地主個々の小作地 の零細的散在性( 3 8 る呉江県同里 鎮{ )と , 佃戸自身複数の地主 から小作すると いう. 相互複線的地主-小作 関係 は も はや佃戸の闘争が特定 , 60.
(14) . 清末蘇州の地主-佃戸関係について. の地主にとどまらず, 蘇州の地主制そのものの危機を招棟させるものになってし・た. こうした佃戸 の力量の高まりに対拠するために, まず地主相互間の小作条件の差異をなくし, 佃戸 に抗租の口実 を与 えなし・必要 が あっ た, それ故, 蘇州城の郷紳によって罰則という強制力を伴い, 永昌徐氏や陶. 聴等の在地地主の反対を押し切 ってまで, 減租は一律に施行されたのである, 官製の桝への統一も, 9 ) 3 「農佃 に口実を与 えない( 」ためのものであり, 災害時の減免での地主の協議, 官憲への調査要請も ドゥ 4 0 ) 清末蘇州 における小作条件の均 佃戸の小作料不払いの口実と 「闇荒」 を防止するためであっ た( , 一化 の方向を 生み出したものは, 佃戸の抗租運動とそれへの地主の対拠であっ たといえよう.. もう1つ, 小作条件の均一化をもたらしたものに, 地主の城居化と組織 があっ たと思われる. 明 4 1 } 城居化 は一層進行した 末から地主の城居化が進行し, 太平天国以後には土地への投機も行われ( , , 0 93 その結果, 郷村には佃戸のみ居住する佃戸村落がその対極として存在するようになる, 例 えば1 主 て所 によ %が蘇州城内の地 1 の約6 0 1 1都1 3 ~ 6図の田地 年代の調査で は楓橋鎮近郊の呉県第 っ 4 3 ) 江 4 2 ) 蘇州城東方の唯亭山郷では, この割合 が更 に高く90%以上 にも上っ ている( 有されていた( . . どなくなり と相僕 て 地主の農業生産への関与 は殆 南に広く存在していた田底◎田面慣行 っ , , 地主 は小作料の確保のみ が唯一 の関心とする寄生的収租地主 となる。 こうした城居化した地主が, 各地に散在している小作地を掌握 し, 帳房o催甲等を用いて小作料 を確保するために設 けられた組織 が租機である. 租機 は前述の如く, 有力や郷紳 が自己の所有・受 4 4 ) 必ずしも他から委 典及 び他人から委託された小作地の管理 と田賦代納の包櫨を行う組織であるが( , 託を受 けず, 自己の所有◎受典地のみの管理機構のも租桟と呼 ばれていたようである, 例えば先 に ケン スイ ゼン 挙げた永昌徐氏の場合. 徐侃罵 ら5人兄弟は, それぞれ恒豊, 葦豊, 益豊, 大豊, 乾豊の租機を持 4 5 ) 地主 が帳房◎催甲等を置 き 租機を設 ち, 各々 「祖遺」 の田地約千畝ずつ所有, 管理 して いた( . , けて, 自己の所有地及 び他人の委託地を一括管理することは, 太平天国以前よりあり, その起源は 多分義荘, 善堂 にある と思われる が, こうした租桟が盛行していくの が, 太平天国鎮圧以後であり, 4 6 )ほどの広がりをもっ た 民国期 に入る と 租 田賦の附加税田指を租機によって募集しようと する( . ,. 機 は官の承認を必要 とし, その帳簿には印紙 が貼 られるようになり, 呉県全体 (清代の呉◎長洲 ◎ 4 7 ) 租機 は 他地主の田地の委託を受 け小作料徴収を 元和3県) で千余家の租機 が存在 したという( . , 請負うが, ある地域 (例 えば坪) を一円的に請負うことはなく, 同一 坪内でかなりの数の租機の小 作料徴収 が同時に行われたと思われる. このため隣接した田地間において, 小作料の折価や開倉日, 割 引 等 が多少異なる場合もあっ たと思われる が, 同 一租桟内で はそれらはほ ぼ同じであり, 地主 個々が徴収する場合 に較 べて小作条件 はより均一なものになっていたと思われる, またこうした太 平天国以後の租機の盛行は, 一方で は地主-佃戸関係が 「情宜」 的なものではなく, かなり ビズネ. スライクなものになっ ていたことを示すとともに, 他方地主の城居化に伴い, 中小地主 が自己の所 有地を有力 な郷紳に委託し, 小作徴収権 が有力な郷紳に集中する過程をも示していると思われる。 蘇州城等 に居住 する郷紳の租桟を通じての収租権の獲得とそれまでの在地地主等の 「情宜」 とは 異なる小作料徴収のみに関心を集中させた 「企業」 的小作料徴収方法 とは, 陶燕 『租薮』 や 『蘇紳 公呈」 にみられるよ うに在地地主 からの批判を被る が, 租機の盛行とともにより一層進行し, 城居. の郷紳の主導の下に, 先に述べたような地主側の佃戸対策 が遂行された。 この佃戸対策実施で注目 4 8 ) 収租局 追租局 押佃 すべきは, それが地方権力を利用 し, 一体となって行われたことである( , , , 公所等の不払い佃戸に対 する地方権力の管押, 追求等 は, その典型的事例である が, 非常時にはよ. り直裁的に, 地方権力 による小作料徴収そのものも行われる. 太平天国直後の租指, 辛亥革命時の 5 0 4 9 } 日中戦争時期の収租処( )等である 先 に述べた減租の実施 租鮮の統一等の小作条 租糧併収局( , , , 件の均 一化も, 地方権力の力を背景として行われている. 清末から民国期 にかけて, 地主の組織化 61.
(15) . 夏 井 春 喜. 5 1 ) 有力な郷紳を中心と して地主側 の利害の一致が図られ も進み, 田業会, 田業公会が組織 され{ て , いく. こうして, 佃戸の階級的成長 にも伴い, 「(地主・佃戸) 双方の感情は日々悪くなり 厳然と , 5 2 ) して二大の対立する階級を形成している( 」 と, 蘇州では全佃戸対全地主として の対抗関係が成立 し, 個々の小作条件 の差異 が解消される方向 に向っていたと思われる .. 四 これまで, 一 橋大学所蔵 の地主関係文書の簡単 な紹介と それらの分析が当該時期の蘇州 の地主 , -佃戸関係 の解明 に一 定の有効性を持ちうることを 清未o民国期の情況 から考察してきた しか , . し, それはなお 「一定」 の有効性であり, 精撤な蘇州及び全中国の地主÷佃戸 関係 農村の社会経 , 済情況 の解明には, 依然と して 「特殊」 的事例であることを免れえないであろう . これらを一般化 し, より研究を発展させるためには まず国内 (可能 ならば国外) 諸機関に所蔵 , されている地主関係文書間 の対照 が必要であると思わ れる. その対照分析 においては 第一に従来 , なされているような個別的文書史料の実証分析が今後も継続されるととも に 第二 に地主関係文書 , 相互間の 「横断的」 ともいえる分析を行う必要があろう。 租機帳簿で は コンピュータ使用を含 め , た数量化を行う必要があり, それによっ て地域的差異 時代的推移が浮き彫りになるととも に 均 , , 一化 に向っ たとはいえなお存在する租機間 の差異 その租機 の独自性等も明確 になるであろう 第 , . 三に, 同時代の文献史料, 例 えば新聞, 雑誌 地方志 更 に1920年代から4 0年代初め行われた農 , ,. 村調査と比較, 検討を行うことである. そこで 蘇州及び江南地域のみならず 他地域 例えば満 , , , 鉄等の調査が数多 く存在する華北, 東北地域との比較を行い 全中国的規模を考慮に入れた位置づ , けをする必要があろう. こうした作業を行うことにより いわ ば「無名」の租桟の史料であっても , , その位置づ けが確定し, より具体的で精級な地主÷佃 戸関係の解 明に寄与すること になると思われ る. 現在 はその予備段階である が, 今後の課題としたい。. G主) { 1 ) カードでは4 9冊となっている. 1冊数え違えか紛失かは不明. ( 2 ) 「苑氏義荘租冊の研究」『史学研究』94 96 5年. 「苑氏義田における清末の小作制度 一義田租冊の分析--」 ,1 『広島大学文学部紀要』26-1 1 9 6 7年 , , ( 3 ) 「清末, 江南における租機・業戸・佃戸関係--九州大学所蔵江蘇省呉県鷹林一様関係簿冊について--」 『史淵』1 14 977年. ,1 ( 4 ) 中国における地主関係文書を用いた研究は, 山東省の経営地主の分析を行った景匙・羅器 『清代山東経営地主 底社会性質』(山東人民出版社,1 95 9年) , 佃僕制との関連で研究が進められている安徴省南部の徴州文書の研究 (例えば葉顕恩 『明清徴州農村社会与佃僕制』 安徴人民出版社ゞ 19 83年等) , 福建省での博衣凌 『明清農村社会経 済』(三聯書店, 19 61年) の研究等がある, 日本でも河北省の礼部官地に関する天海謙三郎氏の鷹大な業績 ( 『中 国土地文書の研究』 動草書房, 19 66年) がある. ( 4 ) 土地契約文書のうち, 東洋文化研究所所蔵分については 最近 『東洋文化研究所所蔵中国土地文書目録・解説 , (上)』 東洋学文献センター叢刊, 第4 0輯, 1 9 83年が発行された, 魚鱗冊については, 仁井田隣 ( 「清代民地の土 地台帳 「魚鱗図冊」 とその沿革」 『中国法制史研究, 土地法・取引法』 東京大学出版会 1 0年所収) , 96 , 村松祐次 「国会図書館収蔵の 「魚鱗冊」 について」 前掲書所収) 鶴見尚弘 ( ( 「国立国会図書館所蔵康無十五年丈量の長洲 , 県魚鱗冊一本について」『山崎先生退官記念東洋史学論集』大安 196 7年, 「清初, 蘇州府の魚鱗冊に関する-考 , 察--長洲県, 下二十五都正扇十九図魚鱗冊を中心として--」『社会経済史学』3 4-5 96 9年, 「康無十五年丈 ,1 62.
(16) . 清末蘇州の地主-佃戸関係について 97 6年, 「再 び康鴎十五年丈量の蘇 量, 蘇州府長洲県魚鱗冊の田土統計考察」『木村正雄先生退官記念東洋論集』1 98 1年) 州府長洲県魚鱗図冊に関する田土統計的考察」『中島敏先生古稀記念論集』下, 汲古書院,1 , 足立啓二(「清 「 1 3年 清~民国期における農業経営の 代蘇州府下における地主的土地所有の展開」『熊本大学文学部論集』 9 9 8 . , 98 3年) 諸氏の研究がある, 発展÷÷長江下流域の場合」『中国史像の再構成--国家と農民』 文理閣, 1 ( 6 ) 「近代中国の地主文書について--その種類と性質」 前掲書, 9~35頁. ( ) 1人の催甲が幾つかの租横の催甲を兼ねる例もみられる, 例えば, 9の催甲計廷春の名は, 42「彰味初機」 7 ,更 に東洋文庫所蔵「民国二十年超守成機装錐」及び国会図書館所蔵の「呉胎経桟装錆」(計廷椿として)にみられる, ( 8 ) 茶館が住民のクラブ, 集会所として利用されたことについては, 鈴木智夫「清未江断の茶館について」 『歴史に 98 2年, 参照, おける民衆と文化--酒井忠夫先生古稀祝賀記念論集 』 国書刊行会, 1 ) 東洋文庫所蔵 「費氏恭毒機関係租籍便査」 中でも, 「毎畝給中米参升」 が印刷されている. ( 9 1 0 ) 拙稿 A 論文8~9頁, ( ( n ) 同上 1年刊, 巻2 ( 1 2 ) 彰文傑等編 『彰氏宗譜』 民国1 . 0 3 ) 同上, 巻2及び巻3「彰氏家伝」 , 01号, 光緒7年4月 24 日. ( 1 4 ) 「続録蘇紳公呈」『益聞録』1 935年, に科挙合格者を輩出する名族の例として, ( 1 ) 播光旦「近代蘇州的人才」『社会科学』(清華大学)1-1 5 ,1 播祖蔭等の呉県播氏とともに彰氏が挙げられてし・る, 同 村松祐次, 前掲書7頁. ( 1 ) 例えば42は装錆下冊であり, 上冊あるいは中冊も存在するはずであるが未見, 7 1 ( 8 ) 呉県社会調査処編成 「呉県域区慈善救済団体調査表」4頁, ( 1 9 ) 29 の中折に 「留徐租冊」 とあり, 貝留除義荘の租冊帳簿である可能性もある, 92 9年, 例 ) 陳輪生等 『畝的差異』 国立中央研究院社会科学研究所集刊第1号, 1 1「与潟景亭丈」『母自欺室文集』 巻6 ( 2 1 ) 王柄蔓 , 2 97 9年, 2 0頁, 回 「柳兆薫日記」『太平天国史料専輯--《中華文史論叢》増刊--』 上海古籍出版社, 1 97 8 回 同治減租については, 高橋孝助「清末地主制の再編と農民」『講座中国近現代史』第1巻, 東京大学出版会,1 年及び拙稿 A 論文参照, 長洲県の永昌徐局の場合--」『中 6頁及び「太平天国時期蘇州における土豪的支配について ( 2 4 ) 拙稿 A 論文2 98 3年, 国史における社会と民衆』 汲古書院, 1 園 拙稿 B 論文21頁第1表参照, 4 岡 民国 『呉県志』 巻4 , , 田賦1 97 7年所収) ( ) 陶煎 『租駿』 重租論 (鈴木智夫 『近代中国の地主制』 汲古書院, 1 2 7 , 園 「頑佃控業」『申報』 光緒6年10月 29 日 6 2~26 3頁. 9 5 9年,2 ) 「元和県永禁私用大斜収取佃租及散給由単役費碑」『江蘇省明清以来碑刻資料』三聯書店,1 ( 2 9 14 ) ( 3 0 ) 注( 2 日, 鯛 ) 「控業案結」『申報』 光緒6年11月1 0月 21日, 0月 8 日, 「平江雑姐」 同光緒9年1 ◎ 「蘇台雑誌」 同光緒8年1 4頁, 9 67年, 33 鰯 ) 小島淑男「辛亥革命前後における蘇州府の農村と農民闘争」『近代中国農村社会史研究』大安, 1 呉県では早稲登場の日より霜降後1 0日までの平均価を標準折 1 9 0年に入ると折価は 常熟県では米業公会が 3 似 ) , , 40年 〔 価として呉県政府が決定した (天野元之助 『支那農業経済論 (上)』 改造社, 1 9 1 97 8年龍漢書舎より 『中 05~40 6頁. 国農業経済論』 として改訂復刻〕4 ◎ 「呉下頃談」『申報』 光緒3年9月 26 日, 鰯 ) 拙稿 B論文31~3 2頁, 倦 め 1 0 21戸のうち, 地主成分が約4分の1を占めていたという (朱通華 「対江南 9 53年の調査の時, 同里鎮では2, 98 4 文化古鎮--同里鎮建設的初歩研究」『小城鎮大問題--江蘇省小城鎮研究論文選』第1集,江蘇人民出版社,1 年, 1 6 3頁) , 3は4県3 1坪に散在し, 最多でも1坪に26片に過ぎない. 9都2 6 倦め 例えば, 4 ) 3 1 ( 3 9 ) 注( . はの 拙稿 B 論文3 1~3 2頁, ◎ 陶願 『租薮』 重租申言, 推原. はめ 林恵海 『中支江南農村社会制度研究』 有斐閣, 1 0 95 3年, 9 9~1 3頁. 2~1 はめ 施中÷編著 『旧農村的新気象』 蘇州中華基督教青年会, 1 3 3 3頁, 63.
(17) . 夏 井 春 嘉 1 6) ” 4 ) 注( . g 5 ) 「票長邑尊呉承総広庵」『双鯉編』『近代史資料』 総34 96 4年, 10 7頁, ,1 ◎ 「田指議定」『申報』 光緒3年1 1月1 4日. 鮒 ) 劉君煤 「呉県租佃問題」『中国経済研究』(上) 商務印書館, 1 938年, ◎ 拙稿 A,B 論文, 村松祐次「清末の江南における小作条件と小作料の催追について--江蘇省呉県苑氏義荘 同 , 呉氏禽経機の 『召由』・ 『承撹』・ 『租由』・ 『字条』・ 『切脚』 及び 『出切備査』 冊の研究--」 前掲書所収 天 , 野元之助前掲書31 4~3 2 2頁, 菊地英夫 「太湖周辺の旧地主庄園」(五)(六) 1 , 『山梨大学教育学部研究報告』2 , 22 号, 1970 , 71年 等.. ◎ ( 0 5 ) ( 5 1 ) 鰯 ). 〔付. 小島淑男前掲書344~3 5 3頁. 林恵海前掲書1 87~1 91頁, 小島淑男前掲書330~3 3 2頁. 天野元之助前掲書3 1 6~31 8頁. 劉君嶋前掲書37 6頁.. 記〕. 本小論の作成に当たり, 198 4年度文部省内地研究員として, 一橋大学社会学部三谷孝助教授をは じめ関係諸氏より多大なる援助をし・ただき, 最後に感謝したい,. 64.
(18)
関連したドキュメント
では「ジラール」成立の下限はいつ頃と設定できるのだろうか。この点に関しては他の文学
長尾氏は『通俗三国志』の訳文について、俗語をどのように訳しているか
長尾氏は『通俗三国志』の訳文について、俗語をどのように訳しているか
シートの入力方法について シート内の【入力例】に基づいて以下の項目について、入力してください。 ・住宅の名称 ・住宅の所在地
②立正大学所蔵本のうち、現状で未比定のパーリ語(?)文献については先述の『請来資料目録』に 掲載されているが
本文のように推測することの根拠の一つとして、 Eickmann, a.a.O..
関係会社の投融資の評価の際には、会社は業績が悪化
なお、②⑥⑦の項目については、事前に計画内容について市担当者、学校や地元関係者等と調 整すること。