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陣中日誌にみる兵営生活-玉城村に駐在した独立歩兵第十五大隊を例に-: 沖縄地域学リポジトリ

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全文

(1)

Title

陣中日誌にみる兵営生活−玉城村に駐在した独立歩兵第

十五大隊を例に−

Author(s)

吉浜, 忍

Citation

史料編集室紀要(26): 271-290

Issue Date

2001-03-27

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7684

Rights

沖縄県教育委員会

(2)

史 料 編 集 室 紀 要 第 26号 (2001)

-玉

は じ め に 沖 縄 戦 の 「記 憶 」 を 記 録 化 す る こ と で 沖 縄 戦 の 実 相 が 明 ら か に な り つ つ あ る 。 こ の こ と は オ

ラ ル ヒ ス ト リ ー の 手 法 に よ る と こ ろ が 大 き い 。 反 面 ' オ

ラ ル ヒ ス ト リ ー を も と に 記 録 さ れ た 体 験 証 言 に は 記 憶 違 い ・ 事 実 誤 認 な ど も 散 見 さ れ 、 「記 憶 」 の 記 録 の 検 証 が 求 め ら れ る 。 「記 憶 」 の 記 録 を 補 い 、 よ り 史 実 に 近 づ け る た め に は 文 字 の 記 録 で あ る 史 料 と の 照 合 が 不 可 欠 で あ る 。 し か し 沖 縄 戦 で 軍 官 民 の 史 料 が ほ ぼ 消 失 し た 現 状 で は 、 そ れ は 容 易 な こ と で は な い 。 防 衛 庁 防 衛 研 究 所 図 書 館 は 沖 縄 戦 に 関 す る 旧 日 本 軍 の 軍 事 史 料 を 所 蔵 し て い る 。 こ の 史 料 の 入 手 経 路 に つ い て は 、 「本 史 料 は 、 大 東 亜 戦 争 中 、 米 軍 が 直 接 戦 場 で 歯 獲 し 、 ま た は 日 本 本 土 へ 進 駐 後 、 陸 海 軍 諸 機 関 か ら 押 収 し た 記 録 文 書 の 一 つ で あ っ て 、 長 く ワ シ ン ト ン 郊 外 の フ ラ ン コ ニ ヤ 等 の 記 録 保 存 さ れ て い た 。 米 国 務 省 に 対 す る 日 本 政 府 の 変 換 要 求 に 応 じ 、 昭 和 三 十 三 年 三 月 、 日 本 側 に 引 渡 さ れ 、 同 年 4 月 横 浜 着 、 同 月 10 日 指 定 保 管 責 吉 浜 忍 任 庁 た る 防 衛 研 修 所 戦 史 室 の 手 に 帰 し た も の で あ る 。 」 と 、 経 歴 票 に 記 さ れ て い る 。 従 っ て 沖 縄 戦 に 関 す る 史 料 は 沖 縄 に 進 攻 し た 米 軍 が 戦 場 で 直 接 押 収 し た も の と 思 わ れ る 。 こ れ ら の 史 料 は 、 旧 日 本 軍 に よ る 焼 却 処 分 を 免 れ 、 米 軍 が 戦 場 で 押 収 し た も (一 ) の で あ り 、 残 存 し た こ と 自 体 、 極 め て 希 有 な こ と で あ る 。 こ の 史 料 の ほ と ん ど が 「陣 中 日 誌 」 で あ る 。 「陣 中 日 誌 」 は 、 復 員 完 結 の 日 ま で 、 毎 日 の 部 隊 生 活 を 記 し た 日 誌 で あ る 。 記 述 271 本 部半島で重要書類をあさっている米 軍情報 収 集班。手に している平山隊 陣中日誌 は現存 している。 (沖縄県公文書館所蔵)

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史料 編集 室 紀 要 第26号 (2001) 原 則 と し て 中 隊 以 上 に 作 成 が 義 務 付 け ら れ 、 動 員 下 命 の 日 か ら 内 容 と し て 、 「毎 日 の 位 置 、 主 要 な 命 令 ・ 報 告 ・ 通 報 、 行 事 ・ 宿 営 の こ と 、 戦 闘 の 戟 景 、 人 馬 の 異 動 お よ び 現 員 の 概 要 、 死 傷 者 お よ び 勲 功 者 の 事 蹟 、 主 要 な 時 期 に お け る 編 制 表 及 び 将 校 職 員 表 、 宣 伝 、 武 器 ・ 弾 薬 ・ 器 材 ・ 装 具 ・ 軍 馬 に 関 す る こ と 、 補 (二 ) 給 。 給 養 ・ 衛 生 。 教 育 ・ 軍 紀 に 関 す る こ と な ど 」 が 記 さ れ て い

。 玉 城 村 に 駐 屯 し た ほ ぼ す べ て の 部 隊 の 「陣 中 日 誌 」 が 現 存 し て い る 。 他 市 町 村 に は こ う し た 例 は み ら れ な い 。 そ こ で 本 稿 で は そ の 「 陣 中 日 誌 」 の 中 か ら 、 「 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 陣 中 日 誌 」 と 「独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 三 中 隊 陣 中 日 誌 」 を 1 九 四 四 年 (≡ ) 十 二 月

四 五 年 一 月 に 絞 っ て 検 証 す る 。 軍 官 民 に よ る 沖 縄 戦 記 述 は そ の ほ と ん ど が 戦 闘 場 面 が 多 い 。 と -に 軍 側 の 記 述 は こ の こ と が 顕 著 で あ -、 管 見 の 限 -、 戟 闘 以 前 の 軍 の 行 動 を 記 述 し た 論 稿 は 少 な い 。 本 稿 で は 「陣 中 日 誌 」 を も と に 、 沖 縄 戦 前 夜 に お け る 、 と -に 地 域 と 駐 屯 部 隊 を 限 定 し て 、 軍 の 行 動 や 兵 営 生 活 を 描 -こ と 空値 凸 に す る 。 一 .玉 城 村 に 駐 屯 し た 部 隊 一 九 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 三 月 、 沖 縄 守 備 軍 で あ る 第 三 十 二 軍 が 創 設 さ れ 、 同 年 五 月 に は 編 成 を 終 え 、 夏 に は 沖 縄 配 備 が 本 格 化 し た 。 沖 縄 本 島 に は 三 コ 師 団 と 一 コ 旅 団 が 配 備 さ れ 、 当 初 の 配 備 計 画 に よ り 、 島 尻 に は 主 力 師 団 の l つ で あ る 第 九 師 団 (武 部 隊 ) が 配 備 さ れ た 。 玉 城 村 ・ 知 念 村 に も 第 九 師 団 第 十 九 連 隊 第 1 大 隊 (飯 田 隊 ) が 配 備 さ れ 、 玉 城 国 民 学 校 に 大 隊 本 部 が 置 か れ た 。 し か し 、 同 年 十 二 月 に は 第 九 師 団 が 台 湾 軍 に 抽 出 さ れ た こ と に よ -、 配 備 変 更 が 余 儀 な -さ れ 、 北 谷 村 に 配 備 さ れ て い た 第 六 十 二 師 団 (石 部 隊 ) 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 が 玉 城 村 に 移 駐 し た 。 さ ら に 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 二 月 の 配 備 変 更 に よ り 、 本 島 中 部 に 配 備 さ れ て い た 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 も 玉 城 村 に 移 駐 し た 。 米 軍 の 湊 川 上 陸 を 想 定 し て 、 玉 城 村 に は 1 コ 連 隊 と 一 コ 大 隊 を 主 力 と す る 戦 力 が 配 置 さ れ 、 戦 備 が 強 化 さ れ た 。 こ の 時 点 で 玉 城 村 に 駐 屯 し た 部 隊 は 次 の 通 -で あ る 。 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 、 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 ・ 砲 兵 隊 、 独 立 速 射 砲 第 三 十 二 中 隊 、 重 砲 兵 第 七 連 隊 第 二 中 隊 第 二 小 隊 、 独 立 迫 撃 砲 第 九 中 隊 、 海 上 挺 進 第 二 十 八 戦 隊 独 立 第 二 大 隊 な ど で あ る 。 だ が 沖 縄 戦 直 前

沖 縄 戦 最 中 の 時 期 に は 、 玉 城 村 に 駐 屯 し た 部 隊 の ほ と ん ど が 他 地 域 へ 移 駐 し た 。 例 え ば 四 五 年 二 月 に は 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 が 浦 添 や 那 覇 北 方 に ー そ し て 米 軍 上 陸 後 の 四 月 に は 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 が 前 線 に 移 駐 。 米 軍 が 湊 川 に 上 陸 し な か っ た こ と が 移 動 の 要 因 で あ っ た 。 し た が っ て 沖 縄 戦 最 中 の 時 期 ' 玉 城 村 に は 前 記 し た 部 隊 は い な か っ た こ と に な る 。

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史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) 作 戦 計 画 の 度 重 な る 変 更 に よ -、 部 隊 の 防 衛 地 区 が 転 々 と 変 わ っ た 。 そ の 典 型 が 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 で あ る 。 こ れ に つ い て は 第 三 十 二 軍 高 級 参 謀 八 原 博 通 が 「 戦 闘 に 参 加 す る ま で の 約 十 か 月 間 に 七 回 そ の 防 衛 陣 地 を 変 更 し 、 転 々 と 移 動 し 、 鈴 木 少 将 以 下 五 千 の 将 兵 が そ の 死 守 す べ き 陣 地 構 築 の 意 欲 を 喪 失 せ ん ∵∼-と し た 」 と 回 顧 録 で 反 省 し て お -、 実 際 の 現 場 を 指 揮 し た 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 の 小 隊 長 に い た っ て は 「仝 -馬 鹿 げ て い る 。 兵 隊 ご っ こ と 間 違 て い る ん じ ゃ な い の か 。 (略 ) 上 級 司 令 部 は 何 を 考 え て い る の か 。 二 か 月 に 1 回 引 っ 越 し て い て は 陣 地 も へ っ (六 ) た -り も あ っ た も ん じ ゃ な い 。 」 と 嘆 い た 。 玉 城 村 に 配 備 さ れ た 部 隊 も 陣 地 構 築 に 明 け 暮 れ た 日 々 で あ っ た 。 二 .独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 ( 〓 歴 史 一 九 三 七 (昭 和 十 二 ) 年 に 創 設 さ れ 、 三 八 年 に 「北 支 」 で 編 成 さ れ た 。 以 後 中 国 戦 線 を 転 戦 し ' 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 に 沖 縄 に 動 員 下 命 、 同 年 八 月 に 那 覇 港 に 上 陸 。 将 兵 を 運 ん だ 船 は 対 馬 九 ・ 暁 空 九 ・ 和 浦 丸 で あ っ た 。 当 初 の 防 衛 地 は 北 谷 村 で あ っ た が 、 第 九 師 団 の 抽 出 に よ る 配 備 変 更 の た め 、 同 年 十 二 月 六 日 に は 玉 城 村 に 移 駐 し 、 第 九 師 団 の 防 衛 地 区 を 委 譲 し た 。 十 二 月 十 三 日 に は 部 隊 長 山 本 信 輝 大 佐 が 更 迭 さ れ 、 新 部 隊 長 飯 塚 豊 三 郎 大 佐 が 着 任 。 年 が あ け て 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 二 月 一 日 に は 新 防 衛 地 で あ る 浦 添 村 ・ 那 覇 の 天 久 や 安 謝 に 移 駐 し た 。 戦 闘 経 緯 は 、 五 月 十 三 日 の 部 隊 長 以 下 揮 低 戦 線 の 戦 闘 に 参 加 し た が 、 兵 力 の 消 耗 著 し -、 首 里 、 南 風 原 ー 東 風 平 と 後 退 し 、 糸 満 の 真 栄 里 に 布 陣 し た 。 六 月 二 十 四 日 、 第 二 十 四 師 団 司 令 部 か ら 部 隊 長 に 「即 刻 、 八 重 瀬 に 向 か い 攻 撃 前 進 す べ き 」 旨 の 軍 命 令 が 出 さ れ た 。 し か し 部 隊 長 は 歩 行 困 難 に な り 担 架 に 乗 っ て 指 揮 を 執 る 状 態 ' そ の 上 基 幹 兵 力 を 失 い 、 後 方 部 隊 か ら の 編 入 者 が 多 -、 戦 闘 困 難 な 状 況 で あ っ た 。 六 月 十 八 日 に は 残 存 兵 力 で も っ て 具 志 頭

米 頚 の 右 側 に 布 陣 し た が 、 戦 闘 不 可 能 な 状 態

(ヒ

) と な -、 壊 滅 し た 。 ( 二 ) 編 制 第 六 十 二 師 団 は 、 歩 兵 第 六 十 三 旅 団 と 歩 兵 第 六 十 四 旅 団 の 二 コ の 旅 団 が あ -、 そ れ ぞ れ 四 コ の 独 立 歩 兵 大 隊 が 編 制 さ れ て い た 。 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 は 歩 兵 第 六 十 四 旅 団 に 属 し 、 大 隊 本 部 ・ 歩 兵 中 隊 五 コ ・ 機 関 銃 中 隊 一 コ ・ 歩 兵 砲 中 隊 l コ の 編 成 。 師 団 人 員 は 編 成 時 に は 一 四 ㌧ 二 二 六 名 で あ っ た が 、 輸 送 の 関 係 で 八 、 三 〇 〇 名 に 制 限 さ れ た た め 、 沖 縄 現 地 召 集 初 年 兵 で 不 足 分 を 補 充 し た 。 l 九 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 月 十 五 日 入 隊 者 と 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 三 月 1 日 入 隊 者 を あ わ せ て 四 、 三 二 六 名 に な り 、 (八 ) 師 団 総 員 は l 二 、 六 八 六 名 と な っ た 。 さ ら に こ の 人 貝 の 外 に 防 衛 隊 、 義 勇 隊 、 女 子 救 護 班 な ど が 加 わ る 。 大 隊 人 員 は 昭 和 二 十 年 l 月 十 l 日 現 在 で l 二 三 三 名 。 そ の 内 訳 は 佐 官 一 名 ・ 佐 (尉 ) 官 1 名 ・ 尉 官 三 六 名 ・ 准 士 官 〓 二 名 ・ 273

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史料 編集 室 紀 要 第26号 (2001) 下 士 官 一 l 七 名 ・ 兵 一 〇 1 八 名 に 加 え て 技 術 部 三 名 ・ 経 理 部 五 名 ・ 衛 生 部 三 二 名 ・ 獣 医 部 一 名 で あ っ た 。 昭 和 十 九 年 度 現 地 入 (九 ) 隊 初 年 兵 は 一 八 九 名 。 さ ら に 馬 匹 一 〇 八 頭 も 有 し て い た 。 歩 兵 中 隊 は 三 コ 小 隊 か ら な -、 軽 機 関 銃 九 ・ 重 榔 弾 筒 九 を 装 備 、 機 関 銑 中 隊 は 四 コ 小 隊 か ら な -重 機 関 銃 八 を 装 備 、 歩 兵 大 (十 ) 砲 中 隊 は 九 二 式 歩 兵 砲 二 門 ・ 四 一 式 山 砲 二 門 を 装 備 し て い た 。 「 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 陣 中 日 誌 」 の 「 部 隊 業 務 分 担 表 」 に よ る と 、 大 隊 に は 、 作 戦 情 報 ・ 防 空 防 衛 防 諜 ・ 兵 要 調 査 事 項 ・ 対 空 海 監 視 事 項 ・ 軍 用 道 路 事 項 ・ 軍 用 地 図 事 項 ・ 経 理 委 員 ・ 経 理 委 員 ・ 物 品 販 売 所 委 員 。 准 士 官 下 士 官 集 会 所 監 督 将 校 ・ 共 有 金 保 管 委 員 ・ 乗 馬 委 員 ・ 教 育 検 閲 査 閲 ・ 訓 令 訓 示 事 項 。 部 外 団 体 宿 泊 事 項 ・ 将 校 集 会 所 委 貞 ・ 文 庫 委 員 ・ 兵 器 委 員 ・ 功 績 の 業 務 が あ り 、 そ れ ぞ れ 担 当 の 首 座 (主 荏 ) と 委 員 (将 校 ) を 割 -当 て た 。 第 三 中 隊 は ' 指 揮 班 。 第 一 、 第 二 、 第 三 小 隊 (そ れ ぞ れ 四 コ 分 隊 ) 、 さ ら に 隊 外 勤 務 に 師 団 司 令 部 ・ 旅 団 司 令 部 ・ 師 団 樹 木 伐 採 隊 ・ 大 隊 本 部 ・ 通 信 班 ・ 野 戦 倉 庫 ・ 初 年 兵 教 育 隊 ・ 無 線 手 修 業 兵 ・ 入 院 患 者 に 編 成 さ れ 、 総 員 一 五 四 名 (昭 和 十 九 年 度 現 地 入 隊 初 年 兵 二 八 名 含 む ) で あ っ た 。 「松 島 隊 業 務 分 担 表 昭 和 十 九 二 二 .六 」 に よ る と ' 中 隊 の 業 務 と し て 、 「 教 育 ・ 情 報 ・ 警 備 ・ 治 安 ・ 兵 器 ・ 練 習 用 具 ・ 陣 営 具 」 「庶 務 ・ 命 令 会 報 ・ 郵 便 物 ・ 複 々 分 任 官 ・ 営 繕 ・ 被 服 ・ 糧 林 酒 保 ・ 他 兵 品 ・ 陣 中 日 詰 ・ 戦 闘 詳 報 。 兵 要 地 誌 」 「 内 務 ・ 功 績 ・ 貯 金 ・ 防 犯 ・ 慰 安 。 衛 生 」 の 三 分 野 に そ れ ぞ れ 担 当 主 任 将 校 を 配 置 し 、 そ の 下 に 係 下 士 官 、 助 手 を 配 置 し て い た 。 玉 城 村 に 移 駐 し た 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 の 当 初 の 配 置 は 、 本 部 は 屋 嘉 部 ( の ち に 玉 城 国 民 学 校 ) 、 第 l 中 隊 は 仲 村 渠 、 第 二 中 は 糸 数 、 第 三 中 隊 は 志 堅 原 、 第 四 中 隊 は 前 川 、 第 五 中 隊 は 富 里 、 機 関 銃 中 隊 は 糸 数 、 歩 兵 砲 中 隊 は 中 山 で あ っ た 。 ( ≡ ) 兵 営 生 活 玉 城 村 移 駐 大 隊 が 北 谷 村 か ら 玉 城 村 に 移 駐 す る 前 、 「富 山 、 屋 嘉 部 、 富 里 に は 伝 染 病 が 発 生 し あ -」 と の 情 報 が あ り 、 大 隊 は 早 速 、 軍 医 中 尉 を 委 員 長 と し た 防 疫 委 員 を 設 置 し 、 一 九 四 四 (昭 和 十

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史 料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 九 ) 年 十 二 月 六 日 玉 城 村 に 派 遣 し た 。 防 疫 委 員 は 状

況を

視 察 し 、 委 員 長 が 次 の 通 り 細 部 指 示 し た 。 細 部 指 示 を 要 約 す

と 、 ① 伝 染 病 汚 染 地 帯 に は 防 疫 委 員 以 外 立 ち 入 り 禁 止 ② 立 ち 入 り 禁 止 区 域 か ら の 飲 食 物 の 購 入 や 労 務 者 の 徴 用 禁 止 ③ 予 防 接 種 や 国 民 学 校 の 消 毒 計 画 ④ 飲 食 物 は 煮 沸 す る こ と ⑤ 地 方 人 と の 接 触 は 避 け る ⑥ 蝿 の 発 生 の 防 止 ⑦ 蝿 駆 除 の 励 行 ⑧ 個 人 的 予 防 と し て 、 身 体 糸数城姓から志堅原 ・奥武島を望む ・ 被 服 。 食 器 を 清 潔 に し 、 か つ 身 体 鍛 練 や 早 期 受 診 に 努 め る こ と ⑨ 地 方 人 の 患 者 発 生 の 通 報 ⑩ 地 方 人 を 指 導 し 衛 生 向 上 に 努 力 す る こ と 。 常 山 ・ 屋 嘉 部 。 富 里 付 近 の 伝 染 病 汚 染 地 帯 が 解 除 さ れ た の は 二 十 日 で あ っ た 。 十 二 月 八 日 に 移 駐 を 終 え た 大 隊 は 、 第 二 中 隊 に 対 空 監 視 哨 ( 一 九 三 高 地 ) 、 第 三 中 隊 に 対 海 監 視 哨 ( 奥 武 島 南 海 岸 ) の 配 置 を 、 通 信 班 に も 大 隊 本 部 と 対 空 監 視 哨 及 び 各 隊 間 の 有 線 工 事 を 命 令 し た 。 同 日 、 (十 一) 大 隊 は 「丙 号 戦 備 」 を 下 命 、 各 隊 に 対 し て 、 ① 退 避 壕 の 調 査 と 退 避 の 準 備 ② 偽 装 遮 蔽 の 徹 底 、 兵 器 ・ 弾 薬 ・ 資 材 の 掩 蔽 分 散 配 置 ③ 各 隊 ご と の 対 空 監 視 、 を 通 達 し た 。 さ ら に 同 日 に は 各 隊 に 陣 地 構 築 の 工 事 を 開 始 す る 命 令 が 出 さ れ た 。 七 日 夜 八 時 、 北 谷 村 上 勢 頭 を 出 発 し た 第 三 中 隊 は 、 翌 日 の 八 日 朝 、 玉 城 村 志 堅 原 に 到 着 し た 。 夜 間 行 軍 で あ っ た 。 こ の 日 、 「丙 号 戦 備 」 が 下 命 さ れ た た め 、 第 三 中 隊 は 新 防 衛 作 戦 態 勢 に 転 移 、 早 速 奥 武 島 監 視 哨 に 監 視 哨 長 以 下 八 名 を 配 置 対 海 監 視 の 任 務 に 就 か せ た 。 さ ら 大 隊 の 命 令 を 受 け た 中 隊 長 は 、 ① 退 避 壕 の 調 査 と 退 避 の 準 備 ② 偽 装 ・ 遮 蔽 の 徹 底 ③ 対 海 監 視 の 厳 守 に つ い て 、 各 小 隊 に 命 令 し た 。 九 日 、 志 堅 原 に 到 着 し た 山 上 機 関 銃 小 隊 は 第 三 中 隊 配 属 と な っ た 。 こ の 目 か ら 勤 務 体 制 が 敷 か れ 、 週 番 士 官 ・ 週 番 下 士 官 。 週 番 上 等 兵 。 対 海 監 視 哨 ・ 当 番 の そ れ ぞ れ の 担 当 が 日 直 ( 一 週 間 交 代 ) で 勤 め る こ と に な っ た 。 同 日 、 林 少 尉 以 下 十 七 名 は 大 隊 本 部 直 轄 小 隊 と し て 本 部 に 派 遣 さ れ た 。 列 車 爆 発 の 処 理 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 二 月 十 一 日 、 大 里 村 稲 嶺 駅 付 近 で 列 車 が 爆 発 す る 事 故 が 起 こ っ た 。 こ の 事 故 は 軽 便 鉄 道 系 満 線 路 沿 い の 神 里 部 落 付 近 で 弾 薬 を 積 ん だ 列 車 が 爆 発 。 軍 人 二 1

0

名 前 後 、 女 学 生 八 名 、 県 鉄 職 員 三 名 の 犠 牲 が 出 る 大 惨 事 と な っ た 。 神 里 部 落 も 弾 薬 が 飛 び 散 り 、 民 家 が 数 軒 燃 え た が 、 幸 い に も 地 域 住 (卜 二) 民 の 死 傷 者 は な か っ た 。 275

(7)

史料 編 集室紀 要 第26号 (2001) 大 隊 は 直 ち に 、 各 隊 に対 し て 一 ケ 小 隊 の 派 遣 を 命 じ 、 稲 嶺 駅 積 載 中 の 大 隊 弾 薬 の 防 護 にあ た ら せ た 。 救 護 班 も 派 遣 さ れ た 。 第 三 中 隊 は 爆 発 現 場 近 -に集 積 し て い る 大 隊 弾 薬 ・ 資 材 の 防 護 のた め 1 小 隊 を 急 派 し た 。 第 三 十 二 軍 は こ の 事 故 に対 し て 籍 口 令 を 発 し 、 住 民 に情 報 が 流 れ る こ と を 警 戒 し た 。 さ ら に 一 四 日 に は 、 長 勇 参 謀 長 が 各 部 隊 に 対 し て、 「 こ の 事 故 は 国 軍 創 設 以 来 の 不 祥 事 で あ る」 と し 、 「 こ の 事 故 に よ っ て 第 三 十 二 軍 の 戦 力 も 半 減 し た 、 以 後 兵 器 ・ 弾 薬 。 燃 料 は 掩 蔽 部 に分 散 格 納 す る こ と (要 約 ) 」 と 訓 示 し た 。 (卜 一三 な お 、 こ の 事 故 が 原 因 で、 山 本 部 隊 長 が 更 迭 さ れ た 。 参 謀 長 の 訓 示 は各 部 隊 に 徹 底 さ れ 、 大 隊 で も 兵 器 ・ 弾 薬 ・ 燃 料 の 掩 蔽 部 を 構 築 し て 分 散 格 納 す る 工 事 が 本 格 化 し た 。 陣 地 構 築 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 二月 十 六 日、 部 隊 長 か ら 各 隊 に 「 陣 地 計 画 遊 補 修 」 (十 二 月 二 十 日 迄 に 「 実 施 計 画 」 報 告 ) が 示 達 さ れ た 。 「 陣 地 計 画 遊 補 修 」 は ' 硯 陣 地 の 補 修 ・ 新 設 の 計 画 、 既 設 陣 地 は 甲 号 戦 備 の 配 置 で 補 修 を 方 針 に 、 居 住 設 備 と 付 属 施 設 の 構 築 を 具 体 的 に示 し て いる 。 居 住 設 備 の 項 では 、 軍 民 混 在 の 解 消 のた め 、 ① 学 校 や公 共 建 築 物 及 び 空 き 家 の 利 用② 三角 兵 舎 な ど の 構 築 ③ やむ を え な い 場 合 は 天 幕 露 営 ④ 第 二 中 隊 及 び 機 関 銃 中 隊 は糸 数 付 近 ⑤ 同 一 部 落 に宿 営 す る 将 校 は 同 家 屋 に 同 居 し 、 中 隊 長 及 び 小 隊 長 は 民 家 を 使 用 す る こと が で き る 、 そ の 他 は す べ て 部 隊 長 の 許 可 を う け る こと 、 と し て い る 。 付 属 施 設 項 で は ① 兵 器 ・ 弾 薬 ・ 糧 林 の 格 納 集 積 ② 対 空 海 監 視 哨 の 偽 装 ③ 掩 蔽 部 の 構 築 (天 然 洞 窟 の 整 備 利 用 ) を あ げ て い る 。 同 日 、 第 三 中 隊 は 下 士 官 以 上 に よ る 陣 地 視 察 と 陣 地 占 領 計 画 の 策 定 作 業 を 開 始 し た 。 十 七 日 、 飯 塚 部 隊 長 が 第 三 中 隊 の 奥 武 島 監 視 哨 を 視 察 。 翌 日 の 十 八 日 に は ' 長 勇 第 三 二 軍 参 謀 長 が 来 隊 し 、 大 隊 の 陣 地 を 視 察 し た 。 ま た 第 三 中 隊 長 は 内 務 巡 視 、 洞 窟 調 査 、 対 海 監 視 哨 の 掩 蔽 部 構 築 作 業 を 指 示 し 、 夜 は 隊 長 会 同 「独立歩兵第十五大隊第三中隊陣中 日誌 」より(防衛庁防衛研究所 図書館所蔵) に 出 席 し た 。 十 九 日 、 大 隊 は 、 地 上 補 備 施 設 用 の 茅 、 笹 、 竹 な ど に つ い て は 取 得 基 準 に よ り 各 隊 が 直 接 区 長 と 交 渉 し 、 品 目 ・ 数 量 。 取 得 区 を 経 理 委 員 に 報 告 す る こ と を 示 達 し た 。 さ ら に 二 十 一 日 に

(8)

史 料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) も 伐 木 の 丸 太 切 -出 し 後 の 残 部 は 所 有 者 に 帰 す る が 、 各 隊 が 築 城 ・ 偽 装 ・ 燃 料 等 に 使 用 す る な ら ば 、 そ の 使 途 ・ 品 種 。 数 量 。 所 有 者 を 経 理 委 員 に 報 告 す る こ と を 示 達 し た 。 い よ い よ 陣 地 構 築 の 開 始 で あ る 。 二 十 日 、 第 三 中 隊 は こ の 日 か ら 兵 舎 建 設 が 始 ま る 。 引 き 続 き 奥 武 島 の 対 海 監 視 哨 掩 遮 部 の 構 築 作 業 も 行 っ た 。 兵 舎 は 、 志 堅 原 北 方 の 空 き 地 に 、 二 六 人 用 の 茅 葺 き 三 角 兵 舎 八 棟 の 建 設 計 画 で あ っ た 。 (兵 舎 建 設 線 定 図 参 照 ) 兵 舎 建 設 は 軍 民 混 住 の 解 消 の た め で あ っ た 。 兵 舎 建 設 は 地 な ら し や 柱 立 て の 基 礎 工 事 、 材 料 と な る 木 材 の 伐 採 と 運 搬 ー 竹 の 伐 採 と 運 搬 、 茅 刈 -と 運 搬 、 樹 皮 剥 ぎ の 作 業 、 骨 組 み 造 -や 屋 板 葺 き な ど と 多 岐 に わ た り 、 中 隊 だ け で の 人 員 で は 建 設 不 可 能 で あ っ た 。 そ こ で 中 隊 は 住 民 を 労 務 者 や 勤 労 奉 仕 の 名 の も と に 動 員 す る こ と に し た 。 兵 舎 は 翌 年 の 一 月 十 1 日 に 概 ね 完 成 し て 、 一 時 入 居 し た が 、 二 十 六 日 に は せ っ か -建 設 し た 兵 舎 は 撤 去 さ れ 、 再 び 民 家 に 戻 っ た 。 二 十 六 日 、 大 隊 は 「 飯 塚 防 御 地 区 計 画 」 を 策 定 し た 。 こ の 「計 画 」 は 、 上 陸 す る 敵 を 水 際 で 消 耗 さ せ 、 内 陸 部 の 主 陣 地 で 壊 滅 さ せ る 作 戦 を 方 針 と し た 。 主 陣 地 は 前 川 -一 〇 三 .七 高 地 -屋 嘉 部 -玉 城 -カ チ ャ 原 -仲 村 渠 を 結 ぶ 東 南 海 正 面 に 置 き 主 力 部 隊 を 配 置 ' 志 堅 原 ・ 奥 武 島 や 慶 良 原 を 前 進 陣 地 と し 前 進 部 隊 や 警 戒 部 隊 を 配 置 し た 。 な お 「 計 画 」 は 、 「 方 針 」 「 陣 地 の 編 成 地 区 の 区 分 、 兵 力 部 署 」 「 前 進 陣 地 及 警 戒 部 隊 」 「 防 御 戦 闘 指 導 要 綱 」 「警 戒 」 「 通 信 連 絡 」 「陣 地 構 築 」 の 項 目 か ら な -、 項 目 の 中 で 注 目 す べ き は 「陣 地 構 築 」 で あ る 。 陣 地 構 築 に つ い て は 十 六 日 に 部 隊 長 か ら 「陣 地 計 画 並 に 補 修 」 の 「実 施 計 画 」 の 提 出 が 各 隊 に 命 令 さ れ て お -' そ れ を も と に 具 体 化 し た も の と 思 わ れ る 。 「陣 地 構 築 」 の 項 は 次 の 通 -で あ る 。 第 六 陣 地 構 築 一 要 旨 各 隊 は 前 駐 部 隊 既 設 陣 地 を 検 討 し 之 が 利 用 に 勉 む る と 共 に 極 度 に 地 形 を 利 用 し 漸 進 構 築 法 に 依 -敵 の 進 攻 に 随 時 応 じ 得 る 如 -遅 -も 昭 和 二 十 年 二 月 末 迄 に 陣 地 諸 施 設 を 完 成 す る も の と す 二 構 築 順 序 は 状 況 に 依 る も 左 の 如 -概 走 す 撃 第 期 ;∫ 期 の分区 至 自 至 自期 間 A _ 月 -■

j= 日 莱月 - ‖ ‖ を ( 悼 既 居 対 防 種 含 掩 地 設 住 空 空 別 む 蓋 腰 陣

) を 部 地 設 海 設 有 の の 監 す 掩 補 視 る 体 修 埠 読 構 用 視 得 甲 施 如 利 取 ク 舎 る 軍 備 糧 匹 防 し 取 描 築 、 、る 号 す く 用 敢 等 、為 民 す 株 、空 得 敢 質 す 通 観 如 戦 排 し ず を 茅 所 混 用 兵 施 る ず 信 測 く備 水 配 既 構 屋 要 在 洞 器 設 如 敵 用 の 火 に 補 置 設 築 、の を 窟 、/へ く 空 掩 及 器 配 修 し 陣 す バ 三 解 ) 弾 人 爆 体 蔽 用 置 を 得 地 ラ 角 滑 を 薬 員 に を 掩 監 し 実 る を ツ 兵 す 完 、馬 対 277

(9)

史 料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 第 壁 四 期 廟 要 員 至 自 万 有 末 十日 - 苦 手 月 = 日 偽 ビ 機 対 普 掩 肉 予 交 対 通 陣 ツ 雷 戦 通 体 攻 備 通 戦 信 地 ク 敷 革 障 周 用 陣 壕 車 連 偽 リ 設 障 害囲 掩 地 ( 壕 絡 工 箱 準 書 物 に 壕 含

施 事 傍 、 設 交 崖石

設 地 け 過 雷

る 網 垣 構 門 垂 完 構 重 極 す 第 補 ( 築 \J 火 成 築 要 力 三修 既 す に 器 す 第 部 地 期 並 設 備 考 右 の 如 -概 走 す る も 各 隊 陣 地 の 状 況 に 依 -順 序 を 変 更 す る こ と を 得

-対 戦 車 防 御 の 施 設 は 地 形 を 極 度 に 利 用 し 一 連 の 障 碍 た ら し む る と 共 に 必 ず 之 に 火 力 を 伴 わ し め 又 肉 攻 切 込 を 賞 揚 し 敵 戦 車 を 破 推 す る 如 -構 築 す る も の と す 2 主 陣 地 腰 部 の 地 形 を 利 用 し 洞 窟 式 陣 地 と し 敵 の 長 時 日 の 砲 爆 撃 に 堪 え 得 る 強 度 を 具 備 せ し む る 如 -構 築 す る も の と す 3 各 拠 点 は 地 形 の 利 用 に 依 -独 立 性 を 付 与 ら し め 敵 何 れ の 方 面 よ -攻 撃 し 来 る も 靭 強 な る 戦 闘 を 遂 行 し 得 る 如 -構 築 す る も の と す 4 偽 陣 地 偽 工 事 を 実 施 し 敵 の 砲 爆 撃 を 之 に 誘 致 す る 如 く 著 意 す る も の と す 5 偽 装 に は 工 事 開 始 前 よ -特 に 留 意 す る も の と す 以 上 の 陣 地 構 築 計 画 は 大 隊 の 計 画 で は あ る が 、 沖 縄 戦 に お い て 第 三 十 二 軍 が 戦 略 持 久 作 戦 を 遂 行 す る た め 、 宜 野 湾 の 素 数 高 地 ・ 西 原 の 棚 原 高 地 ・ 浦 添 の 前 田 高 地 等 に 構 築 し た 複 郭 縦 深 陣 地 の 様 子 と 酷 似 し て い る 。 な お 各 隊 に 対 し て は 、 材 料 器 具 ・ 労 務 者 ・ 馬 車 等 の 配 当 も あ -、 労 務 者 に は 賃 金 が 毎 月 二 回 支 払 わ れ 、 各 隊 の 宿 舎 料 や 倉 庫 借 -上 げ 料 の 支 払 い も 経 理 部 が 行 う こ と と し た 。 二 十 日 、 第 三 中 隊 は 、 大 隊 の 方 針 で あ る 東 南 海 岸 か ら の 敵 上 陸 攻 撃 に 対 す る 「 戦 略 持 久 作 戟 」 を 具 体 化 し た ﹃ 「 シ マ 」 地 区 防 御 陣 地 構 築 計 画 ﹄ を 策 定 し た 。 「 シ マ 」 は 第 三 中 隊 長 松 島 武 夫 の 姓 か ら と っ た 秘 匿 名 称 。 以 下 、 同 計 画 を 重 要 部 分 を 紹 介 す

。 一 .方 針 中 隊 の 一 部 を 奥 武 島 に 、 主 力 を 志 堅 原 東 西 に 配 置 し 機 動 予 備 隊 と な る 。 二 .防 御 陣 地 の 編 成 1 .背 射 切 込 陣 地 中 隊 の 1 部 兵 力 を 奥 武 島 北 岸 に 、 敵 が 志 堅 原 台 地 に 攻 撃 を 開 始 す る と 、 主 力 兵 力 で も っ て 急 襲 的 背 肘 で 敵 を 破 砕 し 、 そ の 後 切 込 隊 と な -敵 の 後 方 を 撹 乱 す る 。 2 ㌧ 王 抵 抗 地 帯 各 小 隊 の 左 右 両 支 点 の 火 制 を 主 と し て 予 備 陣 地 並 び に 背 射 切 込 陣 地 と 協 同 し て 強 力 な 戦 闘 を す る ' 特 に 艦 砲 射 撃 や 対 戦 車 に 対 し て 地 形 を 巧 み に 利 用 し 、 ・各 支 点 は 独 立 性 を 有 す る 。 3 .予 備 隊 陣 地

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史料 編 集室紀 要 第26号 (2001) 予 備 隊 陣 地 は ① 逆 襲 ② 第 一 線 の 補 填 ③ 上 空 及 び 側 肘 の 援 護 ④ 火 力 で 支 点 戦 闘 を 支 援 。 三 .築 城 作 業 系 統 作 業 能 率 増 進 と 各 機 関 と の 連 絡 保 持 の た め に 築 城 作 業 部 署 。 四 .陣 地 構 築 既 設 陣 地 の 利 用 ・ 改 修 ・ 補 強 に 勉 め る が 既 に 築 城 し た 工 事 で も 無 為 の 陣 地 は 捨 て る に 蹄 緒 し な い こ と 。 1 .左 右 支 点 か ら 着 手 し 、 切 込 背 射 陣 地 、 予 備 隊 陣 地 、 収 容 陣 地 に 及 ぶ 。 2 .爾 後 敵 の 来 攻 ま で 連 鎖 工 事 を 補 強 す る 。 3 .陣 地 構 築 の 順 序 。 ① 偽 装 ② 掩 体 掩 蓋 ③ 対 戦 車 障 害 物 ④ 監 視 所 ⑤ 普 通 障 害 物 ⑥ 交 通 壕 ⑦ 横 穴 式 や 洞 窟 式 の 掩 壕 (人 員 用 、 弾 薬 用 、 糧 株 用 、 水 用 等 ) 五 。火 力 配 置 上 の 注 意 1 .水 際 戦 闘 に お け る 火 器 の 配 置 は 正 面 。 西 射 を 避 け 斜 射 ・ 側 射 ・ 背 射 に 徹 す る こ と 。 2 .対 戦 車 に 対 し て は 斜 射 ・ 側 射 ・ 背 肘 に よ -歩 戦 分 離 に 勉 め る 。 3 .射 距 離 は 五 〇 〇 〇 米 内 と し 短 時 間 に 不 意 急 襲 す る こ と 。 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 七 日 ' 第 一 中 隊 と 第 五 中 隊 に 中 迫 撃 砲 と 弾 薬 を 交 付 さ れ 、 南 海 方 面 の 戟 備 強 化 が 図 ら れ た 。 ま た 八 日 に は 、 本 部 に 乗 馬 二 頭 ・ 輯 重 観 駄 馬 一 頭 、 機 関 銃 中 隊 に 戦 列 駄 馬 十 二 頭 、 歩 兵 砲 中 隊 に 砲 兵 観 駄 馬 一 〇 頭 ・ 戦 列 駄 馬 七 頭 、 計 三 二 頭 の 馬 匹 が 配 当 さ れ た 。 十 l 日 、 第 三 中 隊 長 は 下 士 官 を 同 行 し て 各 陣 地 を 偵 察 し た 。 十 二 日 、 第 三 中 隊 は こ の 日 か ら 道 路 整 備 (当 山

湊 川 間 の 往 復 自 動 車 道 路 、 平 均 幅 は 五 .三 米 ) が 始 ま -、 勤 労 奉 仕 と し て 地 元 住 民 l 六 八 名 が 動 員 さ れ た 。 十 三 日 も 道 路 整 備 (六 三 .六 高 地

志 堅 原

奥 武 島 、 六 三 .三 高 地 西 側

志 堅 原 ) の た め 勤 労 奉 仕 〓 六 名 を 動 員 、 十 四 日 も 道 路 整 備 (志 堅 原

奥 武 橋 ) に 勤 労 奉 仕 一 二 四 名 動 員 さ れ た 。 さ ら に 十 七 日 か ら は 陣 地 構 築 の 手 伝 い と し て 玉 城 国 民 学 校 生 徒 が 動 員 さ れ た 、 こ の こ と に つ い て は 後 述 す る 。 十 七 日 、 部 隊 長 が 陣 地 視 察 し 、 第 三 中 隊 の 陣 地 構 築 の 現 況 を 確 認 し た 。 さ ら に 二 十 三 日 に は 大 隊 本 部 兵 器 委 員 に よ る 各 隊 の 兵 器 。 弾 薬 の 格 納 状 況 を 視 察 す る 計 画 が 指 示 さ れ た 。 し か し 一 週 間 後 の 二 十 四 日 に は 、 大 隊 は 築 城 作 業 の 中 止 と 資 材 を 整 理 す る こ と を 各 隊 に 命 令 し た 。 大 隊 の 配 備 変 更 に よ り 、 せ っ か -心 血 を つ -し て 構 築 し た 陣 地 を 放 棄 す る こ と に な っ た の だ 。 二 十 日 、 陸 軍 工 兵 学 校 の 佐 貫 少 佐 が 大 隊 防 衛 地 区 陣 地 の 現 地 指 導 た め 来 隊 し た 。 陣 地 視 察 後 は 各 中 隊 長 参 加 の も と で 懇 談 会 が も た れ た 。 教 育 ・ 演 習 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 二 月 十 八 日 、 第 三 中 隊 は 下 士 官 候 補 者 と し て 加 藤 富 士 夫 以 下 三 名 、 下 士 官 候 補 者 教 育 隊 編 成 要 員 と し て 中 村 少 尉 以 下 二 名 を 高 宮 城 に 派 遣 、 同 日 に は 林 少 尉 及 び 陸 軍 1 等 兵 中 西 良 雄 を 挺 進 奇 襲 普 及 教 育 専 習 員 と し て 旅 団 に 派 遣 し た 。 二 十 三 日 、 第 三 中 隊 は 週 間 教 育 予 定 実 施 表 ( 一 七 日

二 十 五 日 ) を 示 達 し た 。 こ の 週 間 教 育 予 定 実 施 表 は 、 以 後 週 毎 に 教 育 内 容 を 若 干 変 え な が ら 示 達 さ れ る 。 教 育 内 容 に つ い て は 後 述 す る 。

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史料編集室紀要 第26号 (2001) 二 十 九 日 、 大 隊 は 初 年 兵 教 育 隊 の 査 閲 と 小 銃 軽 機 の 実 包 射 撃 が 糸 数 北 方 で 実 施 三 〇 〇 米 の 地 点 で 実 施 し た 。 初 年 兵 査 閲 の 内 容 は 、 「 昭 和 十 九 年 度 初 年 兵 査 閲 計 画 書 昭 和 1 九 .十 二 .二 九 石 第 三 五 九 六 部 隊 」 に よ れ ば 、 こ の 計 画 の 目 的 と し て 「初 年 兵 教 育 の 進 度 及 状 況 を 査 閲 し 爾 後 に 於 け る 教 育 訓 練 の 進 歩 向 上 を 図 る と 共 に 意 図 の 徹 底 を 期 す る に 在 り 」 と し 、 訓 練 内 容 と し て 、 閲 兵 ・ 軍 容 検 査 ・ 諮 問 (勅 諭 、 戦 陣 訓 、 師 団 長 方 針 、 直 属 上 官 氏 名 な ど が 諮 問 事 項 ) 、 敬 礼 (徒 手 と 執 銃 、 そ れ ぞ れ 一 般 上 官 と 直 属 上 官 に 分 け て ) 、 行 進 間 着 脱 剣 、 装 備 抽 出 、 速 (駈 ) 足 行 進 ・ 捧 銃 立 銃 、 膝 射 伏 射 (小 銃 ・ 軽 機 関 銃 ・ 榔 弾 筒 ) 、 飛 行 機 射 撃 、 直 突 及 仮 標 刺 突 、 基 本 体 操 、 実 包 射 撃 ' 歩 哨 (監 視 ・ 報 告 ・ 斥 候 と の 連 絡 ) が 実 施 さ れ た 。 な お 訓 練 終 了 後 は 部 隊 長 に よ る 講 評 訓 示 が 玉 城 国 民 学 校 々 庭 と 野 外 と 射 場 で 行 わ れ た 。 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 六 日 に は 江 戸 隊 が 仲 村 渠 、 百 名 、 新 原 、 カ チ ャ 原 で 大 掛 か -な 防 御 戦 闘 射 撃 が 実 施 し た 。 な お 実 施 に 際 し て 、 協 力 隊 で あ る 須 川 隊 と 天 倉 隊 に 対 し て は 、 遺 憾 な き ょ う に 部 落 民 等 を 指 導 注 意 せ よ t と し て い る 。 七 日 、 昭 和 十 九 年 度 現 地 入 隊 初 年 兵 の 第 7 期 検 閲 が 終 了 し 、 第 三 中 隊 の 三 谷 伍 長 以 下 二 〇 名 が 帰 隊 し た 。 十 二 日 、 水 崎 隊 は 初 年 兵 教 育 の た め 機 関 銃 の 実 包 射 撃 を 糸 数 射 撃 場 で 実 施 。 十 六 日 に は 須 川 隊 が 九 二 式 歩 兵 砲 実 弾 演 習 を 仲 栄 真 海 岸 で 実 施 、 さ ら に 二 十 一 日 に は 海 軍 砲 台 の 実 弾 演 習 が 実 施 さ れ た 。 大 隊 は 、 二 十 二 日 か ら 三 日 間 、 准 士 官 ・ 下 士 官 に 対 し て 挺 身 奇 襲 教 育 を 実 施 し た 。 二 十 三 日 に は 、 第 六 十 二 師 団 長 が 第 三 中 隊 の 六 三 .六 陣 地 に 来 隊 し 、 主 と し て 水 際 防 衛 演 習 を 検 閲 し た 。 と こ ろ で 前 述 し た よ う に 、 各 隊 は 週 毎 に 教 育 訓 練 の 予 定 を た て て 実 施 し て い る 。 そ の な か で 第 三 中 隊 の 「 1 月 二 十 1 日

一 月 二 十 七 日 週 間 教 育 予 定 実 施 表 」 を 紹 介 す る 。 24 23 22 21曜 区 = 分 水 火 月 日 体 陣水 臨 か . 肉 陸 水 随 陣 対 舟 水課冒 午節 操 地 際 時 な 戦 迫 地 際 時 地 戦 艇 際 構 防 検 る 専 攻 構 防 検 横 車 に 防 築 御 関 連 壊 撃 築 御 閲 築 肉 対 御 戦 蔽 減 戟 迫 す 演 斗 後 斗 攻 る 習 演 の 演 撃 攻 習 速 習 撃 1 2 1 2 時間 Bo bo

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bo 志 志 志 志 場 堅 堅 堅 堅 節 原 原 原 原 銃 休 陣 駈 体 . 肉 課目 午後 剣 着 地 足 操 陣 遮 迅 使 用 爆 雷 戟 迫 術 構 地 煎 適 用 法 雷 . 草 攻 築 構 な 後 の 急 .響 築 る の 使 道 地 l l 時間 b

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30 志 志 場 堅 堅 節

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史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) た だ 、 大 隊 の 急 造 爆 雷 製 造 の 記 録 は 見 当 た ら な い が 、 大 隊 か ら 各 隊 に 急 造 爆 雷 の 爆 薬 用 の ダ イ ナ マ イ -・ 雷 管 ・ 導 火 索 (十 二 月 二 十 六 日 ) 、 ダ イ ナ マ イ -・ カ ー リ ッ -二 月 十 八 日 ) が 配 当 さ れ て い る 。 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 と ほ ぼ 同 一 地 区 に 駐 屯 し て い た 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 の 二 月 二 十 二 日 の 「陣 中 日 誌 」 に は 「 急 造 爆 雷 用 木 函 三 〇 個 作 製 」 し た こ と が 記 さ れ こ の 教 育 の な か で 対 戟 車 肉 迫 攻 撃 に つ い て 述 べ る こ と に す る 。 大 隊 部 隊 長 は 四 四 年 十 一 月 二 十 一 日 、 「 准 士 官 、 下 士 官 教 育 に 於 け る 部 隊 長 所 見 」 の 中 で 、 ① 玉 砕 精 神 の 必 要 ⑦ 急 造 爆 雷 の 用 法 (効 力 認 識 と 用 途 確 認 ) ③ 必 勝 信 念 と 実 力 養 成 (訓 練 に 依 り て 研 磨 せ よ ) と 、 対 戦 車 戦 闘 に つ い て 口 演 し て い る 。 こ れ を 受 け て 各 隊 で は 訓 練 の 中 に 対 戦 車 肉 迫 攻 撃 を 必 修 科 目 と し て 取 -入 れ て い る 。 さ ら に 六 十 二 師 団 工 兵 隊 の 雑 記 録 」 に は 、 「急 造 爆 雷 の 製 作 並 に 用 法 に 就 て (爆 薬 戦 斗 の 参 考 抜 粋 ) 」 が 添 付 さ れ て い る こ と か ら 思 料 す る と 、 各 隊 は 訓 練 も さ る こ と な が ら 急 (十 四 ) 造 爆 雷 の 製 造 も し て い た こ と に な る 。 (防衛庁防衛研究所図書館所蔵) より 「雑記録石3596部隊陣中日誌」 て い る こ と か ら 分 か る よ う に 、 米 軍 上 陸 前 か ら 急 造 爆 雷 の 製 作 も 行 わ れ て い た 。 空 襲 四 四 ( 昭 和 十 九 ) 年 十 二 月 三 十 一 日 に は 空 襲 警 報 が 発 令 さ れ 、 乙 号 戦 備 の 態 勢 が 敷 か れ た 。 早 速 、 対 空 射 撃 部 隊 が 編 成 さ れ 、 大 隊 長 名 で 次 の よ う 281

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史料 編 集 室紀 要 第

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な 態 勢 が と ら れ た 。 ① 第 三 、 四 中 隊 は 歩 兵 一 ケ 小 隊 の 外 に 配 属 機 関 銃 小 隊 を 配 置 ② 機 関 銃 中 隊 は 糸 数 城 祉 付 近 に 一 ケ 小 隊 を 配 置 ③ 敵 機 に 対 す る 射 撃 は 五 〇 〇 米 以 内 で 撃 墜 確 実 な 場 合 に 限 -実 施 、 弾 薬 の 節 約 に 勉 め る こ と ④ 本 部 の 対 空 監 視 員 の 増 加 ⑤ 弾 薬 な ど の 軍 需 品 の 掩 蔽 偽 装 。 第 三 中 隊 は 早 速 ' 対 空 射 撃 部 隊 と し て 機 関 銃 小 隊 を 配 置 す る 。 年 が 明 け て 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 1 日 p 大 隊 は 本 部 の あ る 国 民 学 校 校 庭 で 新 年 遥 拝 式 を 挙 行 し た が 、 式 途 中 に

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9 の 襲 来 が あ -空 襲 警 報 が 発 令 さ れ た 。 第 三 中 隊 は そ の 日 の 早 朝 、 全 員 乗 合 し 新 年 遥 拝 式 を 挙 行 す る 。 遥 拝 式 で は 中 隊 長 の 訓 示 の 後 、 御 酒 の 授 杯 で 国 運 の 隆 昌 と 聖 寿 の 弥 栄 を 祈 -、 来 る 決 戦 の 必 勝 を 誓 っ た 。 中 隊 の 遥 拝 式 終 了 後 、 大 隊 本 部 の 遥 拝 式 に 中 隊 長 以 下 全 員 参 加 。 遥 拝 式 か ら 帰 隊 途 中 に

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9 飛 来 に よ る 空 襲 警 報 発 令 。 空 襲 警 報 解 除 後 、 中 隊 全 員 会 食 す る 。 空 襲 警 報 は 三 日 、 四 日 、 九 日 に も 発 令 さ れ た 。 五 日 に は 、 度 重 な る 敵 機 の 襲 来 の 結 果 、 大 隊 か ら 各 隊 に 対 し て 、 「 軍 需 品 の 分 散 遮 蔽 偽 装 を 徹 底 せ し め ら れ 度 の 件 」 が 通 牒 さ れ た 。 翌 六 日 に は 、 大 隊 の 副 官 か ら 「 1 枚 地 方 人 に 対 す る 警 報 の 伝 達 取 扱 等 に 関 す る 件 」 が 各 隊 に 通 牒 さ れ た 。 通 牒 に よ れ ば 、 空 襲 警 報 (サ イ レ ン 、 鐘 、 電 話 、 旗 等 ) が あ る と き は 、 付 近 住 民 に 対 し て ① 速 や か に 分 散 遮 蔽 し 、 道 路 を 右 往 左 往 す る こ と は 絶 対 禁 止 ② 老 幼 婦 女 子 は 速 や か に 防 空 壕 に 退 避 す る こ と ③ 警 防 団 や 防 衛 隊 は 速 や か に 最 寄 り の 部 隊 に 連 絡 し 、 そ れ ぞ れ の 部 署 に 就 -こ と ④ 通 行 中 の 人 馬 車 両 に 対 し て は 警 報 旗 を 立 て た -' 歩 哨 を 配 置 し て 交 通 取 -締 ま -を 行 う 、 と し て い る 。 二 十 二 日 六 時 二 十 分 、 奥 武 島 南 方 に 爆 音 を 確 認 。 六 時 三 十 分 那 覇 上 空 方 向 に 高 射 砲 及 銃 爆 撃 音 を 聞 -。 同 時 間 に 空 襲 警 報 発 令 。 第 三 中 隊 は 直 ち に 第 三 小 隊 及 び 機 関 銃 山 上 小 隊 を 対 空 射 撃 部 隊 と し 、 宿 舎 付 近 台 上 で 対 空 射 撃 を 開 始 し た 。 第 一 小 隊 、 第 二 小 隊 は 直 ち に 兵 器 、 弾 薬 、 糧 林 、 そ の 他 重 要 資 材 を 疎 開 掩 蔽 し た 後 、 掩 蔽 部 に 待 機 し 全 員 戦 闘 配 置 に 就 い た 。 六 時 二 十 分

十 七 時 の 間 終 日 敵 機 襲 来 し 、 特 に 十 一 時 二 十 五 分 ∼ 十 六 時 五 十 分 は 九 次 に わ た -奥 武 島 に 退 避 中 の 帆 船 に 対 し 急 降 下 銃 撃 し 、 帆 船 一 小 破 、 T 炎 上 の 損 害 を 受 け た 。 空 襲 後 、 大 隊 は 迫 る 艦 砲 射 撃 の 攻 撃 に 対 し て 、 ① 兵 器 、 弾 薬 、 糧 株 な ど の 軍 需 資 材 の 疎 開 掩 遮 蔽 ① 人 員 馬 匹 の 洞 窟 退 避 準 備 ③ 偽 装 遮 蔽 の 徹 底 ④ 地 方 人 の 指 導 を 適 切 に し 流 言 飛 語 の 流 布 に 注 意 、 を 命 令 し た 。 な お こ の 日 、 大 隊 長 は 糸 数 城 比 に 在 し 、 戦 闘 を 指 揮 し て い た 。 付 近 住 民 は 非 常 に 恐 怖 し て 敵 上 空 に あ る に か か わ ら ず 物 品 を 携 行 、 路 上 を 右 往 左 往 し 、 こ れ が 統 制 困 難 で あ っ た た め 、 ⑤ の 命 令 が 各 隊 に 出 さ れ た 。 こ の 日 の 空 襲 は 、 米 軍 機 が 六 時 五 十 分

十 九 時 四 十 五 分 に か け て 八 次 に わ た -、 奄 美 ・ 沖 縄 本 島 ・ 宮 古 ・ 八 重 山 の 南 西 諸 島 (十 五 ) 全 域 に わ た っ て 、 主 に 飛 行 場 や 港 湾 施 設 を 攻 撃 し た 。 こ の 空 襲 は 四 四 年 十 月 十 日 の 空 襲 、 い わ ゆ る 「十 。 十 空 襲 」 に 次 い で 二 度 日 と な っ た が 、 第 三 十 二 軍 は 「十 ・ 十 空 襲 」 の 経 験 を 教 訓 化 し て ' 武 器 。 弾 薬 ・ 軍 事 資 材 な ど を 偽 装 お よ び 地 下 格 納 し た た め 、 被 害 は 軽 微 で あ っ た 。 が し か し 港 湾 と し て は 規 模 が 小 さ い

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史 料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 奥 武 島 が 空 襲 さ れ た 事 実 を 「陣 中 日 誌 」 は 明 ら か に し て い る 。 内 務 大 隊 本 部 は 玉 城 国 民 学 校 に 置 か れ た 。 校 門 に 衛 兵 が 立 ち 、 教 室 は 部 隊 長 室 ・ 副 官 室 ・ 将 校 室 ・ 下 士 官 室 ・ 医 務 室 ・ 経 理 室 ・ 通 信 室 ・ 印 刷 室 、 情 報 ・ 教 育 ・ 兵 器 な ど の 委 員 室 、 兵 器 物 置 、 医 務 物 置 、 獣 医 物 置 、 縫 装 工 場 、 直 轄 小 隊 と 作 業 小 隊 の 部 屋 な ど に 使 用 、 校 内 は 炊 事 場 ・ 調 理 場 。 馬 糧 庫 が 設 置 さ れ た 。 校 舎 は 完 全 に 兵 営 と 化 し た の だ 。 学 校 に 大 隊 本 部 が 置 か れ た た め 、 児 童 生 徒 の 校 内 の 立 ち 入 り は 禁 止 さ れ 、 授 業 は 公 民 館 や 空 き 家 で 行 わ れ た 。 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 二 月 十 三 日 、 第 三 中 隊 長 と 中 村 少 尉 は 、 学 校 に お い て 行 わ れ る 山 本 大 隊 長 離 任 式 に 参 加 。 離 任 式 後 、 将 校 全 員 で 部 隊 長 送 別 の 会 食 を し 、 雷 名 腰 東 端 に 集 合 し て 見 送 っ た 。 十 五 日 に は 新 部 隊 長 飯 塚 豊 三 郎 大 佐 が 着 任 。 学 校 校 門 前 で 出 迎 え ら れ た 飯 塚 部 隊 長 は 整 列 し た 将 兵 に 対 し て 、 「 (略 ) 会 報 や 注 意 に 毎 週 同 じ 事 が 繰 返 え し 出 て 居 る が 是 れ は 実 に こ れ を 実 行 仕 様 と 一一苧 つ 気 持 が 顕 れ て 居 な い 為 で あ る 、 是 を 実 行 せ ば 随 っ て 団 結 輩 固 ' 軍 紀 厳 正 に な -服 従 精 神 が 自 然 に 湧 上 っ て 来 る も の で あ る (略 ) 」 と 訓 示 し た 。 十 四 日 、 学 校 校 庭 で 故 陸 軍 准 尉 末 木 長 重 以 下 二 柱 の 慰 霊 祭 が 執 行 さ れ た 。 慰 霊 祭 は 各 隊 の 各 級 代 表 者 と 関 係 中 隊 は 下 士 官 以 上 全 員 参 加 の 下 、 祭 壇 の 前 に は 儀 伎 衛 兵 が 立 ち 、 ラ ッ パ が 奏 で ら れ た 。 翌 日 の 十 五 日 、 中 村 少 尉 以 下 三 名 は 英 霊 見 送 -の た め 出 張 。 一 月 二 十 日 に も 福 屋 撃 以 下 四 柱 の 慰 霊 祭 を 同 様 に 執 行 し て い る 。 二 十 六 日 、 大 隊 は 各 隊 に 遺 髪 こ 追 善 の 採 取 提 出 を 命 令 し た 。 第 三 中 隊 は 中 隊 全 員 の 遺 髪 ・ 遺 書 を 採 取 す る た め 、 隊 内 を は じ め 中 隊 が 派 遣 さ れ て い た 部 隊 や 入 院 し て い た 病 院 ・ 医 務 室 な ど に も 担 当 隊 員 を 派 遣 し た 。 「陣 中 日 誌 」 に は 隊 員 の 入 退 院 に つ い て も ' 病 名 (カ タ ル 性 黄 痢 兼 左 肺 浸 潤 症 、 流 行 性 脳 脊 髄 膜 炎 、 慢 性 気 管 支 炎 、 胸 部 疾 患 、 脊 椎 カ リ エ ス ' 左 大 腿 脂 肪 腫 、 黄 痘 ) ' 入 院 先 (沖 縄 陸 軍 病 院 、 小 那 覇 患 者 療 養 所 、 津 覇 患 者 療 養 所 、 本 部 医 務 室 ) 、 入 退 院 日 も 記 さ れ 、 二 か 月 間 で 戦 病 死 二 名 ・ 入 退 院 五 名 と な っ て い る 。 ま た 入 院 退 時 の 付 添 兵 や 遺 体 受 け 取 -の 屍 衛 兵 も 記 さ れ い る 。 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 八 日 、 「後 方 施 設 に 関 す る 内 規 」 が 示 達 さ れ た 。 「 後 方 施 設 」 と は 慰 安 所 の こ と で あ -、 「 内 規 」 に よ る と 慰 安 所 は 「大 和 会 館 」 と 「敷 島 会 館 」 と い う 名 称 が 付 け ら れ た 。 こ の 二 か 所 の 慰 安 所 は 大 隊 管 理 下 で 、 委 員 長 (全 般 統 括 ) 甲 委 員 が (軍 紀 風 紀 ) 乙 委 員 (経 理 一 般 ) 丙 委 員 (衛 生 一 般 ) の 業 務 を 分 担 し た 。 「内 規 」 に は 利 用 時 間 、 花 代 、 慰 安 券 の 様 式 が 示 さ れ ' さ ら に 会 館 使 用 に あ た っ て 厳 守 す べ き こ と と し て ① 軍 紀 風 紀 の 厳 正 し 地 方 人 に 悪 感 情 を 与 え な い こ と ② 防 諜 に 注 意 す る こ と ③ 礼 儀 を 重 ん じ る こ と 、 な ど も 示 さ れ て い る 。 十 七 日 ' 慰 問 映 画 上 映 さ れ る 。 二 十 二 日 ー 乾 パ ン 。 玄 米 ・ 粉 味 噌 ・ 粉 醤 油 ・ 生 味 噌 ・ 梅 干 ・ 283

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史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) 白 砂 糖 ・ 食 塩 ・ 生 醤 油 な ど が 配 当 さ れ た 。 ま た 二 十 七 日 か ら 富 名 腰 と 富 里 で 営 外 酒 保 が 開 設 さ れ 、 鰻 頭 や ぜ ん ざ い が 販 売 さ れ る 。 第 三 中 隊 か ら 、 大 隊 本 部 や 軍 ・ 師 団 ・ 旅 団 ・ 大 隊 本 部 な ど 上 級 部 隊 に 教 育 や 使 役 の た め 派 遣 さ れ た 隊 員 も 多 い 。 大 隊 本 部 に は 軍 犬 教 育 1 名 ・ 嚇 臥 教 育 二 名 ・ 鍛 工 手 教 育 二 名 ・ 縫 工 手 教 育 二 名 ・ 馬 束 扱 兵 1 名 ・ 馬 取 扱 兵 一 名 、 師 団 に は 製 材 要 員 一 名 。 樹 木 伐 採 隊 人 名 ・ 薪 炭 生 産 要 員 二 名 ・ 造 船 要 員 丁 名 な ど で あ る 。 そ の た め 中 隊 現 員 の 減 少 が 生 じ ' 本 来 の 戦 闘 単 位 と し て の 機 能 に 少 な か ら ず 影 響 を 及 ぼ し た 。 こ の こ と に つ い て 、 第 三 十 二 軍 の 八 原 博 通 高 級 参 謀 は 「毎 度 痛 感 す る の は ' 第 一 線 に あ っ て 活 動 す る 小 、 分 隊 の 人 員 の 少 な い こ と で あ っ た 。 (中 略 ) か か る 少 数 の 人 員 が 寂 然 と し て 工 事 を し て い る 様 子 を 眺 め て は 、 い か に も 第 7 線 が 弱 い よ う で 、 勢 い 込 ん だ 力 も 、 足 も と か ら 抜 け 去 l・-・・,I る 感 じ だ 。 」 と 現 状 認 識 し 、 そ の 原 因 に つ い て も 上 級 部 隊 が 使 役 兵 と し て 取 -過 ぎ る と 指 摘 し て い る 。 八 原 は こ の こ と を ふ ま え ' 第 l 線 戦 闘 員 の 充 実 を 長 勇 参 謀 長 に 具 申 し 、 牛 島 満 司 令 官 か ら 各 隊 に 注 意 喚 起 が 示 達 さ れ た 。 現 地 自 活 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 二 月 二 十 三 日 の 「会 報 」 に よ る と 、 大 隊 は 「豚 五 頭 、 鶏 三 羽 を 十 二 月 二 十 七 日 と 一 月 十 五 日 の 二 回 に わ た っ て 交 付 す る の で 、 各 隊 で 豚 舎 ・ 鶏 舎 を つ -る こ と 、 民 家 に 委 託 す る こ と は 禁 止 す る 」 こ と を 各 隊 に 示 達 し た 。 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 四 日 、 師 団 の 薪 炭 生 産 取 得 強 化 促 進 を 受 け て 、 採 薪 炭 班 要 員 (採 薪 炭 の 経 験 者 で 各 中 隊 か ら 兵 二 名 、 歩 兵 砲 中 隊 は 1 四 名 、 鋸 や 銘 持 参 ) の 本 部 差 し 出 し 命 令 が 出 さ れ た 。 十 三 日 、 「 ヒ マ 栽 培 蒐 集 に 関 す る 件 」 が 出 さ れ た 。 こ の 目 的 は ヒ マ を 自 動 車 用 潤 滑 油 と し て 使 用 す る た め 現 地 充 足 す る こ と に あ っ た 。 ヒ マ 種 子 は す べ て の 部 隊 に 配 布 さ れ 、 栽 培 地 と し て 畑 以 外 の 陣 地 ・ 建 物 ・ 石 垣 ・ 側 壁 ・ 集 積 物 の 偽 装 あ ぜ 道 ・ 原 野 等 が 選 定 さ れ た 。 十 九 日 、 部 隊 自 活 の た め ' 野 菜 種 子 (ホ ウ レ ン 草 ・ 牛 寿 ・ 体 莱 ・ 甘 藷 。 フ ダ ン 草 ・ 大 根 ・ 南 瓜 ・ 人 参 ) が 各 隊 に 配 布 さ れ た 。 耕 地 は 区 長 と 相 談 の 上 、 借 り 上 げ と し た 。 二 十 七 日 ' 大 隊 は 、 師 団 の 木 材 約 五 万 本 の 伐 採 計 画 の た め 、 各 隊 に 対 し て 大 隊 本 部 に 伐 採 要 員 を 差 し 出 す こ と を 命 令 。 第 三 中 隊 は 陸 軍 上 等 兵 横 柿 音 松 以 下 五 名 を 大 隊 本 部 に 派 遣 す る 。 こ の 現 地 自 活 に つ い て は 、 着 任 し た ば か -の 牛 島 満 第 三 十 二 軍 司 令 官 が 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 八 月 三 十 一 日 に 実 施 さ れ た 第 三 十 二 軍 兵 団 長 会 同 の 席 上 、 次 の よ う に 訓 示 し て い る 。 「 現 地 自 活 に 徹 す べ し 。 極 力 資 材 の 節 用 増 産 貯 蔵 等 に 努 む る と 共 に 創 意 工 夫 を 加 え て 現 地 物 資 を 活 用 し 一 木 一 草 と 錐 も 之 を 戦 力 化 す べ へ十 七 ) し 」 。 第 三 中 隊 は 、 自 活 の た め に 野 菜 や ヒ マ の 栽 培 、 あ る い は 豚 や 鶏 の 飼 育 を 実 施 し た と 思 わ れ る が ' 収 穫 物 を 得 る 前 に 他 地 域 に 移 駐 し た 。 現 地 自 活 の 軍 方 針 の 下 、 各 部 隊 で は 様 々 な 自 活 の 方 法 が と ら れ た と 思 料 す る が 、 度 重 な る 配 備 変 更 に よ -、 収 穫 物

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史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) を 得 る こ と は な か っ た 、 そ の た め 、 た や す -野 菜 や イ モ な ど を 得 る 方 法 と し て ' 住 民 に 軍 の 威 力 を 振 -か ざ し た 供 出 が 頻 繁 に 行 わ れ た 。 こ の こ と は 後 述 す る 。 住 民 と の 関 係 四 四 (昭 和 十 九 ) 年 十 二 月 二 十 二 日 か ら 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 二 十 1 日 ま で 二 三 日 間 、 兵 舎 建 設 の た め 次 の よ う に 労 務 者 が 狩 -出 さ れ る 。 二 十 二 日 一 五 名 、 二 十 四 日 二 六 名 、 二 十 五 日 二 七 名 、 二 十 六 日 三 三 名 、 二 十 七 日 一 九 名 、 二 十 八 日 二 三 名 、 二 十 九 日 二 四 日 、 三 十 日 二 八 名 、 一 月 四 日 二 〇 名 、 五 日 二 二 日 、 六 日 二 三 名 、 七 日 二 〇 名 、 八 日 (判 読 で き ず 人 数 不 明 ) ー 九 日 丁 五 名 、 十 日 一 九 名 、 十 一 日 l 一 名 、 十 五 日 〓 二 名 、 十 六 日 二 〇 名 、 十 七 日 一 八 名 、 十 八 日 二 四 名 、 十 九 日 一 七 名 、 二 十 日 一 七 名 、 二 十 一 日 一 九 名 。 l 月 十 六 日 、 大 隊 は 「労 務 者 配 当 計 画 表 」 を 各 隊 に 下 達 し た 。 玉 城 村 の 全 部 落 か ら 二 一 七 名 ( 一 部 佐 敷 二 四 名 含 む ) の 労 務 者 が 各 隊 に 配 当 さ れ た 。 労 務 者 の 作 業 内 容 は 地 な ら し 、 柱 穴 掘 り ' 樹 木 の 伐 採 。 運 搬 、 茅 刈 -と 運 搬 、 樹 皮 剥 ぎ ' 兵 舎 の 骨 組 み な ど で あ っ た 。 四 四 年 十 二 月 二 十 四 日 の 「会 報 」 は 、 「 二 十 五 日 に は 警 戒 警 報 ・ 空 襲 警 報 ・ 空 襲 警 報 解 除 の サ イ レ ン を 、 地 方 側 に 承 知 さ せ る 」 こ と が 記 さ れ て い る 。 ま た 「 同 会 報 」 に は 防 諜 の 件 に つ い て 、 「 飛 行 場 整 備 の 勤 労 奉 仕 学 校 団 員 に し て 飛 行 機 の 性 能 、 名 称 、 行 動 等 軍 機 事 項 を 該 飛 行 場 に あ る 兵 よ り 説 明 を 受 け 、 之 を 書 簡 に 記 載 す る 等 の 事 例 あ り ' 陣 地 構 築 等 に 於 い て も 此 の 種 軍 機 事 項 を 漏 洩 せ ざ る 如 -防 諜 上 梓 に 注 意 す る こ と 」 が 記 載 さ れ て い る 。 三 十 日 に は 、 「 飯 塚 部 隊 防 衛 地 区 内 癖 患 者 名 簿 」 が 示 さ れ 、 男 子 人 名 ・ 女 子 二 名 の 患 者 が 住 所 ・ 名 前 ・ 年 齢 ・ 性 別 。 備 考 欄 別 に 記 さ れ 、 特 に 備 考 欄 で は 収 容 済 (六 名 ) 、 収 容 し た る も 現 在 帰 宅 し あ -(四 名 ) が 個 々 に 記 さ れ て い る 。 さ ら に 患 者 の 居 住 地 の 地 図 が 添 付 さ れ 、 地 図 の 中 に は 患 者 の 家 が 道 路 側 に 付 き 注 意 す る こ と と 注 意 書 き ま で 記 さ れ て い る 。 ま た 玉 城 村 に 駐 屯 し て い た 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 (美 田 部 隊 ) の 二 月 十 日 の 「陣 中 日 誌 」 に も 「地 区 内 癖 患 者 退 去 命 令 を 発 す 」 と 記 さ れ て い る 。 飯 塚 部 隊 の 備 考 欄 で の 「 収 容 済 」 や 美 田 部 隊 の 「 退 去 命 令 」 の 文 面 か ら 判 断 す る と 、 「 癖 患 者 」 は 強 制 的 に 屋 (卜 八 ) 我 地 の 愛 楽 園 に 収 容 さ れ た と 思 わ れ る 。 三 十 一 日 、 球 一 六 l 六 部 隊 参 謀 長 よ -家 畜 屠 殺 禁 止 の 通 牒 あ -。 そ の 内 容 は 「近 時 一 部 の 部 隊 に 於 て 成 牛 成 豚 等 を 直 売 し 自 隊 生 肉 給 養 の 為 自 由 屠 殺 し あ る 旨 反 間 せ ら る る も 右 は 違 法 に し て 且 軍 全 般 の 生 肉 供 出 に 大 な る 支 障 を 来 す 結 果 を 生 せ し め あ る に 付 爾 今 冬 隊 に 於 け る 成 牛 成 豚 の 自 由 購 買 遊 屠 殺 は 厳 禁 せ ら れ 度 依 命 通 牒 す 」 と あ る 。 早 速 本 部 に お い て も 、 中 隊 に 対 し て 、 供 出 の 交 渉 は 中 隊 で す る の で な -、 本 部 と 連 絡 の 上 交 渉 せ よ と 命 令 し て い る 。 四 五 年 一 月 十 二 日 か ら 二 十 一 日 ま で 九 日 間 、 道 路 建 設 の た め 玉 城 国 民 学 校 六 年 生 以 上 が 次 の よ う に 動 員 さ れ た 。 十 二 日 一 六 八 名 、 十 三 日 一 一 八 名 、 十 四 日 〓 1四 名 、 十 六 日 一 九 八 名 ' 十 七 日 二 五 〇 名 、 十 八 日 二 八 六 名 、 十 九 日 二 六 〇 名 、 二 十 日 二 五 285

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史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) ○ 名 ' 二 十 l 日 九 七 名 。 陣 中 日 誌 に は 六 年 生 以 上 の 動 員 と あ る が 、 実 際 は 四 年 生 以 上 が 勤 労 奉 仕 で 動 員 さ れ た 。 1 月 二 十 四 日 、 大 隊 は 各 隊 に 、 「会 報 」 を 通 し て 「 最 近 噂 に 依 れ ば 石 部 隊 が 来 て よ り 武 部 隊 に 比 し 畑 を 荒 さ れ る 率 多 し 」 と い う 内 容 の 厳 重 注 意 が 下 達 さ れ た 。 村 民 へ の 供 出 命 令 も 各 隊 か ら 相 次 い だ と 思 う が 、 「第 三 中 隊 陣 中 日 誌 」 に は そ の 記 載 が な い 。 前 川 に 駐 屯 し て い た 第 四 中 隊 の 「陣 中 日 誌 」 に は 、 「 一 月 五 日 、 前 川 部 落 よ -野 菜 三 三 〇 k g 受 領 す 」 「 1 月 二 十 五 日 、 部 落 よ り 野 菜 を 受 領 す 」 「 l 月 二 十 六 日 、 薪 八 〇 〇 短 及 甘 藷 五 俵 本 部 及 び 前 川 区 よ り 受 領 」 と 記 さ れ て お -、 村 民 が 各 隊 に 対 し て イ モ や 野 菜 な ど を 供 出 し て い た こ と が う か が え る 。 二 月 以 降 に つ い て は 、 「 独 立 混 成 第 四 十 四 第 十 五 連 隊 陣 中 日 誌 」 の 中 に 、 女 子 救 護 班 要 員 の 確 保 、 青 年 学 校 生 徒 の 動 員 、 野 菜 。 薪 や 牛 の 供 出 な ど を 村 民 に 命 令 し た こ と (十 九 ) が 記 さ れ て い る 。 玉 城 村 か ら 移 駐 四 五 (昭 和 二 十 ) 年 一 月 二 十 九 日 、 旅 団 は 大 隊 に 対 し て 、 現 任 務 を 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 に 移 譲 し 、 二 月 一 日 迄 に 新 防 衛 作 戦 地 区 に 転 移 す る こ と を 命 令 し た 。 す で に 大 隊 は 、 二 十 八 日 に は 先 遣 隊 を 浦 添 村 仲 西 に 派 遣 、 第 三 中 隊 も 二 十 九 日 に は 新 駐 地 に 先 発 隊 を 派 遣 し た 。 ま た 大 隊 は 中 隊 配 属 中 の 機 関 銃 小 隊 を 原 所 属 に 復 帰 さ せ た 。 三 十 日 、 大 隊 は 新 防 衛 作 戦 地 区 内 の 対 空 海 監 視 網 を 構 成 し 、 到 着 後 第 二 中 隊 長 に 対 し て 揮 艦 対 空 監 視 哨 の 任 務 を 、 第 五 中 隊 長 に は 天 久 対 空 監 視 哨 の 任 務 に 速 や か に 就 -こ と を 命 令 し た 。 さ ら に 通 信 班 長 に は 大 隊 本 部 と 揮 低 監 視 哨 、 天 久 監 視 哨 間 の 有 線 通 信 の 確 保 を 命 令 し た 。 同 日 第 三 中 隊 は 中 隊 全 員 の 外 出 許 可 (外 出 区 域 は 制 限 さ れ て い る ) し 、 演 芸 会 も 開 催 し て い る 。 翌 三 十 一 日 に は 移 駐 に 伴 う 軍 装 検 査 が あ っ た 。 ま た 同 日 、 志 堅 原 青 年 会 主 催 で 慰 安 会 が 催 さ れ た 。 演 目 の ひ と つ に 琉 球 舞 踊 の 出 し 物 も あ っ た 。 第 三 中 隊 は 硯 任 務 を 交 代 部 隊 に 委 譲 、 奥 武 島 村 海 監 視 哨 も 交 代 部 隊 に 責 任 転 移 し て 、 二 月 一 日 に は 新 駐 地 で あ る 浦 添 村 内 間 に 向 け て 出 発 し た 。 結 び に か え て 一 九 七 六 年 に 沖 縄 県 史 料 編 纂 所 が 中 心 に な っ て 防 衛 庁 に 保 管 さ れ て い る 沖 縄 戦 関 係 軍 事 史 料 を 収 集 し た 。 こ の 史 料 は 沖 縄 戦 の 実 相 を 軍 事 的 側 面 か ら 明 ら か に す る 第 一 級 の 史 料 で あ る 。 し か し 、 こ れ ま で こ の 史 料 を 部 分 的 に 研 究 し た 論 稿 は あ っ た が ' 全 面 的 に 分 析 し た 論 稿 は 少 な い 。 特 に 特 定 の 部 隊 が 長 期 的 に ど う 行 動 し た か の 論 述 は 見 当 た ら な い 。 拙 論 が そ の さ き が け に な れ ば 幸 い で あ る 。 防 衛 庁 が 所 蔵 し て い る 沖 縄 戦 関 係 軍 事 史 料 は 1 九 七 六 年 に 収 集 し た 史 料 だ け で は な か っ た 。 こ こ 四 年 間 で 当 史 料 編 集 室 が 収 集 し た だ け で も 五 〇 点 を 越 え る 。 そ の 上 に 今 年 度 か ら 沖 縄 開 発

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史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 庁 に よ る 「 沖 縄 戦 に 係 わ る 全 資 料 の 収 集 整 理 事 業 」 が ス タ ー ー し た 。 こ の 事 業 で は 調 査 収 集 対 象 の 機 関 と し て 、 防 衛 庁 を は じ め 各 省 庁 ' 都 道 府 県 、 さ ら に ア メ リ カ を 主 と し た 外 国 を あ げ て い る 。 来 年 度 は こ の 成 果 が 出 る 予 定 で あ る 。 沖 縄 戦 研 究 で 今 求 め ら れ て い る の は よ り 正 確 な 沖 縄 戦 の 史 実 で あ る と 考 え る 。 そ の た め に は 、 「 陣 地 日 誌 」 等 の 文 献 研 究 が 必 要 で あ る 。 現 在 、 筆 者 も か か わ っ て 、 玉 城 村 史 沖 縄 戦 編 の 調 査 編 集 が す す め ら れ て い る 。 こ の 調 査 編 集 の な か で 、 本 稿 に お い て 「 陣 地 日 誌 」 を も と に 主 と し て 軍 側 の 視 点 で 描 い た 事 柄 が 住 民 生 活 に 与 え た 影 響 や 住 民 感 情 を 明 ら か に し た い 。 津 野 文 男 の 責 任 に よ -焼 却 さ れ て い る 。 (二 ) 原 剛 安 岡 昭 男 編 ﹃ 日 本 陸 海 軍 事 典 ﹄ 新 人 物 往 来 社 一 九 九 七 年 ) 二 六 四 頁 (≡ ) 陣 中 日 誌 玉 城 村 に 駐 屯 し た 部 隊 の 陣 中 日 誌 は 以 下 の 通 -で あ る 。 い ず れ も 原 史 料 の 所 蔵 は 防 衛 庁 防 衛 研 究 所 図 書 館 。 県 内 で は 当 史 料 編 集 室 や 琉 球 大 学 付 属 図 書 館 な ど の 機 関 で 複 写 し 、 分 冊 製 本 し て い る 。 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 本 部 昭 和 十 九 年 十 二 月 l 日 ∼ 十 二 月 三 十 1 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 本 部 昭 和 二 十 年 l 月 一 日 ∼ 一 月 三 十 l 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 一 中 隊 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 十 一 日 ) 沖 縄 に 動 員 下 命 さ れ た 部 隊 の 規 模 か ら 推 測 す る と 、 現 存 し て い る 陣 中 日 誌 は 実 際 の 1 % 以 下 と 思 わ れ る 。 陣 中 日 誌 の 中 で 唯 一 、 動 員 下 命 か ら 復 員 ま で 完 全 な 形 で 残 っ て い る の が 「 ラ サ 島 陣 中 日 誌 」 で あ -、 沖 縄 県 公 文 書 館 が 所 蔵 し て い る 。 軍 事 書 類 の 焼 却 処 分 に つ い て は 、 独 立 混 成 第 七 〇 七 二 部 隊 (伊 津 野 隙 ) の 陣 中 日 誌 に 以 下 の よ う に 記 録 さ れ て い る 。 昭 和 二 十 一 年 四 月 一 日 に 玉 城 村 糸 数 二 区 で 、 「陣 中 日 誌 」 を は じ め 秘 密 ・ 極 秘 ・ 機 密 文 書 の 「 中 隊 日 詰 」 「熱 帯 瓦 斯 防 護 の 参 考 」 「部 隊 長 会 同 の 際 の 訓 示 」 「球 第 七 〇 七 二 部 隊 防 諜 規 定 」 「航 空 参 考 資 料 第 一 号 」 「独 混 四 四 旅 団 命 令 」 「球 部 隊 教 育 に 関 す る 指 示 ・ 訓 示 ( 1 九 二 .二 一) 」 「訓 示 二 九 .四 . i ) 」 「敵 機 早 わ か -(其 こ 」 「第 三 十 二 軍 戦 斗 指 針 」 「陣 地 構 築 に 関 す る 攻 撃 」 「初 年 兵 に 与 え る 訓 示 」 「防 衛 召 集 隊 員 に 与 え る 訓 示 」 「規 定 」 「内 務 規 定 」 「南 西 諸 島 住 民 の 処 理 指 導 要 領 に 関 す る 件 通 牒 」 「報 告 書 類 」 「戦 訓 逮 報 綴 (索 引 面 ) 」 「訓 令 訓 示 綴 (索 引 面 ) 」 「諸 規 定 綴 」 が 中 隊 長 伊 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 1 中 隊 ‖ 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 二 中 隊 十 1 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 二 中 隊 〓 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 三 中 隊 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 三 中 隊 ‖ 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 四 中 隊 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 四 中 隊 ∩口 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 五 中 隊 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 五 中 隊 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 機 関 銃 中 隊 三 十 一 日 昭 和 二 十 年 一 月 一 日 -l 月 三 十 1 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 昭 和 二 十 年 一 月 一 目 ∼ 一 月 三 十 一 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 昭 和 二 十 年 一 月 1 日 -一 月 三 十 l 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 昭 和 二 十 年 一 月 一 日 ∼ 一 月 三 十 一 昭 和 十 九 年 十 二 月 1 日 ∼ 十 二 月 三 昭 和 二 十 年 一 月 l 日 ∼ l 月 三 十 l 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 -十 二 月 287

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史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 機 関 銃 中 隊 昭 和 二 十 年 一 月 一 日 ∼ 一 月 三 十 1 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 歩 兵 砲 中 隊 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 歩 兵 砲 中 隊 昭 和 二 十 年 一 月 一 日 ∼ 一 月 三 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 初 年 兵 教 育 隊 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 初 年 兵 教 育 隊 昭 和 二 十 年 一 月 一 日 ∼ 一 月 三 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 通 信 班 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 十 7 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 通 信 班 昭 和 二 十 年 一 月 丁 目 ∼ 一 月 三 十 一 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 直 轄 小 隊 昭 和 十 九 年 十 二 月 九 日 ∼ 十 二 月 二 十 二 日 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 作 業 小 隊 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 十 一 日 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 本 部 昭 和 二 十 年 二 月 一 日 ∼ 二 月 二 十 八 日 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 本 部 昭 和 二 十 年 三 月 1 日 ∼ 三 月 三 十 一 日 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 第 十 五 連 隊 本 部 昭 和 二 十 年 四 月 1 日 ∼ 四 月 二 十 七 日 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 砲 兵 隊 第 一 中 隊 昭 和 二 十 年 二 月 一 日 ∼ 二 月 二 十 八 日 独 立 混 成 第 四 十 四 旅 団 砲 兵 隊 第 7 中 隊 昭 和 二 十 年 三 月 1 日 ∼ 三 月 十 五 日 重 砲 兵 第 七 連 隊 第 二 中 隊 第 二 小 隊 昭 和 十 九 年 十 二 月 一 日 ∼ 十 二 月 三 十 一 日 重 砲 兵 第 七 連 隊 第 二 中 隊 第 二 小 隊 昭 和 二 十 年 一 月 一 日 ∼ T 月 三 十 一 日 独 立 速 射 砲 第 三 十 二 中 隊 昭 和 二 十 年 1 月 1 日 ∼ 1 月 三 十 一 日 独 立 迫 撃 砲 第 九 中 隊 昭 和 二 十 年 l 月 1 日 ∼ 一 月 三 十 一 日 海 上 挺 進 第 二 十 八 戦 隊 独 立 第 二 大 隊 本 部 昭 和 二 十 年 二 月 十 九 日 ∼ 二 月 二 十 八 日 独 立 第 二 十 九 大 隊 本 部 昭 和 二 十 年 二 月 二 十 日 ∼ 二 月 二 十 八 日 独 立 垂 砲 兵 第 百 大 隊 第 1 中 隊 昭 和 二 十 年 二 月 一 日 ∼ 二 月 二 十 八 日 本 来 な ら ば こ れ ら の 「陣 中 日 誌 」 を 詳 細 に 分 析 し て 、 玉 城 村 に お け る 軍 の 行 動 を 措 -こ と が 望 ま れ る が 、 時 間 の 制 約 も あ -、 本 稿 で は 戦 術 単 位 で あ る 大 隊 (独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 本 部 ) と 戦 闘 単 位 で あ る 中 隊 (独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 三 中 隊 ) の 「陣 中 日 誌 」 を 典 拠 に 、 玉 城 相 に お け る 軍 の 行 動 を 措 い た 。 (也 ) ・ 「陣 中 日 誌 」 の 引 用 に つ い て 本 稿 が 「独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 本 部 陣 中 日 誌 」 と 「独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 三 中 隊 陣 中 日 誌 」 を ベ ー ス に 記 述 し て い る た め 、 こ の 二 つ の 「陣 中 日 誌 」 か ら 引 用 し た 部 分 に つ い て は 表 記 し な い が 、 他 の 「陣 中 日 誌 」 か ら の 引 用 に つ い て は 陣 中 日 誌 名 を 表 記 す る 。 ・ 「陣 中 日 誌 」 の 凡 例 に つ い て ① 読 者 の 理 解 を 得 や す -す る た め 、 旧 漢 字 は 新 漢 字 に 、 カ タ カ ナ は ひ ら が な に ' ま た 適 当 に 句 読 点 を つ け た 。 ② 差 別 用 語 と 思 わ れ る 用 語 に つ い て は 、 史 料 に 記 さ れ て い て 、 そ の 時 代 を 反 映 す る 用 語 と 考 え 、 そ の ま ま 使 用 し た 。 (五 ) 八 原 博 通 ﹃ 沖 縄 決 戦 あ る 高 級 参 謀 の 手 記 ﹄ (読 売 新 聞 社 昭 和 四 十 七 年 ) 三 二 頁 (六 ) 山 本 義 中 ﹃ 沖 縄 戦 に 生 き て ﹄ (ぎ ょ う せ い 1 九 八 七 年 ) 八 三 頁 本 書 の 著 者 は 独 立 歩 兵 第 十 五 大 隊 第 四 中 隊 に 所 属 。 そ の 回 想 記 録 で あ る 本 書 は 部 隊 の 編 成 、 動 員 下 命 、 沖 縄 上 陸 、 北 谷 相 や 玉 城 村 の 駐 屯 状 況 と 生 活 、 浦 添 柑 小 湾 で の 戦 闘 準 備 、 宜 野 湾 ・ 浦 添 戦 線 で の 戦 闘 状 況 、 負 傷 し て 運 ば れ た 石 部 隊 野 戦 病 院 (ナ ゲ -ラ 壕 ) や 南 風 原 陸 軍 病 院 壕 の 様 子 、 糸 満 の 山 城 で の 体 験 、 米 軍 投 降 の 模 様 、 屋 嘉 収 容 所 の 生 活 、 復 員 と 、 詳 細 な 体 験 記 録 が 綴 ら れ て

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謝辞 SPPおよび中高生の科学部活動振興プログラムに

   ︵大阪讐學會雑誌第十五巻第七號︶

歴史的経緯により(マグナカルタ時代(13世紀)に、騎馬兵隊が一般的になった

独立行政法人福祉医療機構助成事業の「学生による家庭育児支援・地域ネットワークモデ ル事業」として、

在学中に学生ITベンチャー経営者として、様々な技術を事業化。同大卒業後、社会的

ISSJは、戦後、駐留軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血の子ども達の救済のために、国際養子