誰に向けて発信するか -- フランス地域研究から見
た「英語中心主義」 (特集「英語の世紀」の地域研
究)
著者
鶴巻 泉子
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
178
ページ
8-10
発行年
2010-07
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00004459
アジ研ワールド・トレンド No.178 (2010. 7)
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筆者が専門とするフランスの社 会学においても、近年、研究成果 の英語化が急速な勢いで進んでい る。しかし北欧やベネルクス、ド イツなどの国々と比較して、フラ ン ス 社 会 学 に お け る 英 語 化 の ス ピードは比較的遅かった。その背 景として、フランスの社会学の伝 統とその自負の意識、EU内での 連携よりはむしろフランス語圏内 に研究ネットワークの発展を探っ てきた歴史、社会学自体がそもそ もドメスティックな関心の強い分 野であり、歴史的に研究者と政治 の 間 に 密 接 な 繋 が り が あ っ た こ と、などが指摘できるかもしれな い。また近年論議される、社会学 に お け る 伝 統 的 な「 方 法 論 的 ナ ショナリズム」の影響も、フラン スをフィールドとする研究の単一 言語使用を助長してきた側面があ ると考えられる。このような見方 からすれば、 英語化には研究の 「ナ ショナルな閉鎖性」に風穴をあけ るという大きなメリットがあると 思われる。 しかしここでは、むしろ研究の 英語化に含まれる「リスク」につ いて目を向けてみたい。英語は普 通「国際性」と結びつけて論じら れ る 傾 向 が あ る。 英 語 の 使 用 は オ ー デ ィ エ ン ス の 拡 大 を 意 味 し、 研究者ネットワークを広げると共 に研究成果・問題意識のグローバ ルな共有をもたらすという、暗黙 の 了 解 が 存 在 す る よ う に 思 わ れ る。しかし、社会学的な関心から ある地域について実証研究をする 立場からすると、研究と言語との 関係はもう少し複雑な側面を持っ ている。 「グ ロ ー バ ル な 研 究 者 コ ミ ュ ニ ティ」 を想定し英語をそのリンガ ・ フランカと位置づける右のような 見方は、 言語を 「コミュニケーショ ンの道具」とする思想を前提とし ている。しかし、古くはフンボル ト、 あ る い は 米 国 で は サ ピ ア = ウ ォ ー フ 以 降 の 一 連 の 社 会 言 語 学 ・ 文化人類学が指摘するように、 言語は社会的現実の構成と切り離 せない側面を持っている。研究を 英語化することは、表現の道具を 換えるにはとどまらず、様々なレ ベルで研究者と社会との関わり自 体 を 変 化 さ せ る こ と に も つ な が る。私は言語学を専門とするわけ ではないので、以下では少数文化 地 域 と そ の 移 民 問 題 に 関 し て フィールド調査を続けている立場 か ら 浮 か び 上 が っ て く る 問 題 に 絞って、考えてみたい。特に①コ ンテキスト性、②オーディエンス をめぐる問題、という二つの側面 について考えたい。●
コ
ン
テ
キ
ス
ト
性
と
翻訳
の
問題
フランスの地域主義研究を例に 見てみよう。第二次大戦後、イギ リスやフランス、スペインなどで は、国民国家の正統性に異議を唱 える動き、あるいは国民統合の過 程において抑圧されてきた言語や 文化を保護・発展させようとする 動きが生まれた。当初「エスニッ ク ・ リバイバル」 「新しい社会運動」 「 ナ シ ョ ナ リ テ ー ル な 運 動 」 な ど と 形 容 さ れ た こ の 現 象 は、 実 は 各々の国民国家では異なる名称で 呼ばれている。例えばフランスの ブルターニュ地域のアイデンティ テ ィ を 擁 護 す る 運 動 は、 ( 地 域 の 少数言語である) ブレイス語で 「エ ム ザ ウ( EMSA V )」 と 呼 ば れ る の に対し、 フランス語ではむしろ 「地 域 主 義( RÉGION ALISME )」 と 呼 ば れ て い る。 「 エ ム ザ ウ 」 と い う 表現が含む 「ナショナリズム運動」 のニュアンスは、 フランス語の 「地 域主義」には含まれない。フラン ス 語 の N ATION は 普 通「 フ ラ ン ス の」という形容詞と共に用いられ ( N ATION FRANÇAISE )、 少 数 文 化地域に関して使われることはま ずない(唯一の例外がコルシカ) 。 少数地域の自治要求や文化運動を 扱う研究においては 「中央 (パリ) 」誰
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特 集
アジ研ワールド・トレンド No.178 (2010. 7)
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誰に向けて発信するか
―フランス地域研究から見た「英語中心主義」― と対置される「地域(あるいは周 辺 )」 と い う 領 域 性 を 強 調 し た 研 究視角( 「地域主義」 )が一般的と なる。ところが、イギリスの研究 者がブルターニュの事例を扱う場 合には、 「地域主義」と並んで「マ イノリティ・ナショナリズム」と いう関心が強く表れる。イギリス の 文 脈 で は「 N ATION 」 の 表 現 は スコットランドやウェールズにも 用いられ、ブルターニュの事例は その延長線上に取り上げられる。 スペインはどうかと言えば、例 え ば カ タ ル ー ニ ャ 地 域 に つ い て 「 地 域 主 義( REGION ALISMO )」 という形容がされることは稀であ り、むしろ「ナショナリズム ( N ACION ALISMO CA TALÁN ・ N ACION ALISME CA TALÀ )」 、 ある いは「カタルーニャ主義 ( CA TALANISMO ・ CA TALANISME )」 の表現が一般的となる。これはも ちろん、 「たまたま」違う表現が 定着したということではなく、 「ネ イション」という言葉に込められ た含意が各言語で一様ではないこ と、言い換えれば各々の国民統合 の歴史や、誰を「国民」と見なす のかという問い、あるいは国民統 合にとっての「脅威」の表象や、 個々の地域が「社会問題」として 現れるその仕方、などの問題と言 語が切り離せないということを示 している。問題の 「名付け」 には、 簡単に括弧には入れられないよう な国民社会のコンテキストの違い が現れるのであり、社会の中で育 まれた問題意識は言語と結びつい て、研究者の問題提起や概念・ア プローチ総体の中に組み込まれ る。 このような、特定の国民国家的 文 脈 = 言 語 と 結 び つ い た、 「 問 題 共有の複合体」とでも言うべきも の を 前 に し た と き に 現 れ る 問 題 は、 も ち ろ ん「 翻 訳 の 不 可 能 性 」 ではなく、翻訳が伴う一定のバイ アス、あるいは特定の言語への翻 訳が招く可能性のある、問題設定 の一定の方向付け、という側面で ある。真に「グローバルな」レベ ルで研究の大前提や方法論・問題 関心をある程度共有している理系 諸科学とは違い、社会学では共有 が進んでいる分野と共有されてい ない分野が混在している。とする と、 例えば「グローバル ・ オーディ エンス」が抽象的な存在でしかな い よ う に、 英 語 で 発 表 す る と は 言ってもどのメディアに発表する かによって(そして読者層の中心 はヨーロッパ系の研究者か、北米 系か、あるいはアジア系かという 問いによって)問題提起の仕方が 異なってくる場合がある。 北米系の学会誌に投稿するので あれば「フランス、あるいはヨー ロッパの地域主義」よりはむしろ ケベックの事例に目を配った「少 数 文 化 地 域 」 あ る い は「 先 住 民 」 的視点や移民問題も含めた「多文 化主義」の観点を取り入れた方が 「理解されやすい」かもしれない。 イギリス系の雑誌に投稿する場合 は、むしろ地域ナショナリズムと 移民統合の間に横たわる「コロニ アルな文脈」の影響という微妙な 問題を扱った方が、研究のオリジ ナリティを出しやすいかもしれな い。コンテキストの縛りをもたな いという意味で「透明で中立的な オーディエンス」は存在しないた め、特定の英語圏のレファレンス や問題設定に何らかの形で目配り をする状況が生じうると考えられ る。●誰に向けて発信するか
また、先進国において地域研究 をする場合、テーマについてもっ とも詳しい専門家は、普通その現 地の研究者である、という別の問 題もある。 言い換えれば、 そのテー マについて発表をする場合、もっ とも関心を寄せてくれる可能性が あるのは現地の研究者グループで ある。そして、 フランスのように、 その公用語が世界的に一定の使用 人口を持つ言語である場合、地域 研究の研究者間の対話はフランス 語でなされる。つまり、フィール ドの言語と公用語、そして研究者 コミュニティの言語が一致する状 況が生まれる。とすれば、問題共 有度・関心度が高い研究者グルー プ へ の ア ク セ ス を 容 易 に す る の は、英語ではなくフランス語とい うことになる。実際、現代フラン スの少数文化地域を扱った研究を 言語別に統計を取れば、恐らくフ ランス語の研究は七割以上、英語 は二割、その他言語が一割程度に なるのではないだろうか。このよ うな環境においては論文を英語で 執筆することによって得られる直 接的メリットは、実はそれほど大 きくはないことになる。 オーディエンスに関しては、他 方で、調査対象者・協力者にどう やって研究成果をフィードバック し て い く か と い う 問 い が 存 在 す る。研究自体がミクロな地域社会 変 動 の 一 部 に 組 み 込 ま れ た 場 合、 「誰に対して」研究成果を出すか、アジ研ワールド・トレンド No.178 (2010. 7)
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という問いの答えは常に「研究者 コミュニティに対して」となるわ け で は な い。 例 え ば 政 策 決 定 者、 アソシエーション関係者、少数文 化地域に生まれ育った移民の第二 世代・第三世代、など様々な人と 関わりを持つ中で、これらのイン フォーマントに調査結果の公表を 頼まれることは頻繁にある。地域 文化団体や移民地区で長く調査を している者にとって、このような 人々をオーディエンスの対象とし つつ、英語で論文を書く意味を尋 ねられれば答えは単純である、つ ま り そ れ は 全 く 意 味 を 持 た な い。 特に移民地区での調査のような場 合、調査対象となるのは文化資本 を持たない人々であり、一部の高 学歴者を除き英語を自由に読みこ な せ る 人 は ご く 少 数 で し か な い。 英 語 で 論 文 を 書 く こ と が 一 定 の 人々をオーディエンスから排除す る可能性も存在するわけである。 フランスの場合のように、研究 領域が一つの支配的な言語と結び つ い て お り、 さ ら に そ の 言 語 が フ ィ ー ル ド か ら 研 究 者 コ ミ ュ ニ ティ、さらには同一言語圏のトラ ンスナショナルな研究ネットワー クや、言語をめぐるグローバルな 政 治 と も 結 び つ い て い る 時、 「 研 究 の 言 語 と し て 英 語 を 使 用 す る 」 こ と は 複 雑 な 問 題 を 伴 っ て 現 れ る。この点は、数式など普遍的と 見なされる規則を共有し、その意 味で英語の使用を道具的に考える ことが可能なディシプリンでは想 像しにくいことかもしれない。と はいえ、いくつかの少ない公用語 が社会の隅々にまで浸透している 西欧社会の文脈においては、そし て英語が特定の国々やその権力的 布置と完全に「切り離され」ない 限りは、この問題は存在し続ける のではないだろうか。●地
域
研
究
と
多
言
語
使
用
の
可
能性
私は個人的に、多言語主義・状 況を研究する社会言語学者達の言 葉にもっと耳を貸すべきではない かと思っている。地域研究をする 限り、当該領域に支配的な言語と は つ き あ わ ざ る を 得 な い わ け で、 英語使用のみをトランスナショナ ルな研究協力の契機として考える のではなく、むしろ専門領域と関 連する複数の言語を習得するよう 奨励すべきではないか、と。ヨー ロッパの言語状況と英語支配を考 える座談会の席で、 P.ブルデュー は、自身が創刊した雑誌の編集会 議がドイツ語、 スペイン語、 英語、 フランス語などを第一言語とする 編集委員の間で、常に多言語状況 で行われていることを紹介してい る (注) 。必ずしも複数言語を 「話 し、使いこなせる」ようになる必 要はない、しかし聞いたり読んだ りした時に理解できる「受動的言 語能力」を養うことはできる、と 彼は主張する。このような状況は 一部の研究者による「想像」では なく、実はディシプリンや分野に よっては既に長年実行されてきた ことでもある。知り合いの考古学 者が所属する学会では、フランス 語・スペイン語・イタリア語・英 語で発表が行われ、参加者は嫌で もそれらの言語を理解する能力を 育てられる、と言う。ある数学者 は博士論文をスペイン語・フラン ス語・英語を交えて執筆し(章ご とに違う言語を使用) 、「自分の分 野は少し特殊であるけれど」と前 置きした上で、本当に自分の専門 に近い人であれば、その分野に強 いのはそれぞれの言語であるので 理解できるはずだ、と言う。ある ラテンアメリカの研究者は、毎年 参加する国際学会では英語・スペ イン語・ポルトガル語が自由に用 いられ、参加者は「当然」どの言 語でも理解する、と言う。 特定のフィールドについて長く 研究を続けていると、共同体の内 的な論理に慣れ、単眼的な見方を 無意識に身につけてしまう危険が 常に存在する。異なる言語と絶え ず 行 き 来 す る 機 会 を 持 つ こ と は、 そのようなメカニズムから抜け出 すための有効な処方箋と思えるの だが、それを英語と、それ以外の 複数の言語にも見いだせるような 研究環境に身を置ければと思って いる。 (つるまき もとこ/名古屋大学) (注) P. Bourdieu et al. 《 Quelles languespour une Europe démo
crat ique? 》, Raisons Politiques, n. 2, mai 2001, pp. 41-64.