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「国家神道」概念について

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Academic year: 2021

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1バ 「国家神道」概念につしヽて 新田均 意図 各論者によって異なる概念規定を整理し、発表者なりの相関図を提示する *戦前と戦後では「国家神道」概念の主流に変化

0

「国家神道」理解の二つの流れ 「広義の国家神道」 加藤玄智博士 D. C.ホルトム ↓ 神道指令肥大化の切っ掛け r

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↓主流化 村上重良氏で最大膨張=大江志乃夫氏

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解体安丸良夫氏 0戦前の定義 「狭義の国家神道」 戦前の政府の見解 継承梅田義彦氏 v 発展葦津珍彦氏 阪本是丸氏 大原康男氏

*政府の見解ー「国家神道」=神社を非宗教とする解釈と神社の国家管理体制 明治1 5年の神官教導職分離により「宗教神道」と「国家神道」を分離。 明治3 3年の神社局の独立により、神社局管轄の神社を「国家神道」、宗教局 (・ 管轄の神道各派を「宗教神道」と区別。 (明治44年2月第24回帝国議会<衆議院>「神職養成部国庫補助に関す る建議案委員会」での委員長・小田貫一の発言) *加藤玄智博士の「国家神道」観 神道(宗教)仁二宗派神道(教派神道13派) 国家的神道 国体神道一文部省監督下の学校教育 (国教) [(精神) 政治ー帝国憲法第・三条 神社神道(内務省神社局の管轄) (制度) 国家的神道と仏教・キリスト教との関係 「神道一国体神道神社神道と云ふ我国に特殊固有の国民的宗教を予想して、 その上で憲法も出来、又憲法上の信教の自由も与へられて来た訳であるから、 ・・ •仏教徒でも、基督教徒でも、如何なる宗教信仰を奉ずる者でも、神道一国体神道 神社神道の信仰は承認せねばならぬ、之を承認した上で、憲法に許容されたところ の宗教、即ち仏教なり基督教なり、各自の好む所に従つて、その宗教を選定すべき である」 『神道の宗教学的研究』昭和9年 *D. C.ホルトムの「国家神道」観 神 遣

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あって、国家に対する価値を考えて、特別に保護されている

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渭瓢9謬瓢芦贔編讐つもので 宗派(セクト)神道 全く信者の自発的な支持に頼って、その宗団を維持している 『日本と天皇と神道』 0神道指令 神道指令の内容ー「狭義の国家神道」と「広義の国家神道」が同居 1

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(1) 「国家神道」の定義=「狭義の国家神道」

本指令の意味する国家神道

<State Shinto>

なる用語は、日本政府の法 令に依って宗派神道或は教派神道と区別せられたる神道の一派、即ち国

家神道乃至神社神道

<Stsate Shi to, National Shinto·, or Shrine Shint

o>

として、一般に知られ足る非宗教的なる国家的祭祀として類別せら

れたる神道の一派(国家神道或は神社神道

<Kokka Shinto or Jinja Sh

into>

)を指すものである。 (2)指令全体の枠組み=「広義の国家神道」一加藤玄智博士の論を継承 指令の前提をなす占領軍の認識 戦争の元凶仁二軍国主義乃至過激なる国家主義的イデオロギー イデオロギーの国民への注入装置 (「狭義の国家神道」もその一部) ↑破壊 「神道指令」+「天皇の人間宣言J 禁止事項*神社神道に対する国家機関の支援 ・ 監督の禁止 *神祇院の廃止 神道研究・教育を目的とする公立学校の廃止 一般公立学校における神道教育の禁止 『国体の本義』 『臣民の道』などの発禁 「大東亜戦争」 「八紘一宇」などの用語の禁止 軍国主義乃至過激なる国家主義的イデオロキーの宣伝弘布の 禁止 軍国主義乃至過激なる国家主義的イデオロギーの定義 以下の理由によって日本の他国に対する支配を正当化する理論 1.日本の天皇は血統の特殊性ゆえに他の元首に優る 2.日本国民は血統の特殊性ゆえに他国民に優る 3.日本は国土の起源の特殊性ゆえに他国に優る 4.戦争賛美思想 「神道指令の中では以上の如き行為はすべて国家神道に属するものと みなされていた」 (W. P.ウッダードの言葉ー2 1年5月 CIE に特別企画係として専ら宗教関係の調査研究に従事。宗教法人法の制 定に中心的役割)。 *但し、皇室祭祀は指令の直接の対象とはされていなかった @「広義の国家神道」概念は「市民宗教」の思考の反映? 葦津珍彦「国法と宗教」 『法と宗教』p31 「アックステル教授のごときは「アメリカ的宗教」なる概念を説明し ながら、この宗教の経典の中には、バイブルの外に、米国の独立宣 言やリンカーンのゲティスバグの演説乃至はルズベルトの大西 洋宣言などがふくまれなくてはならないと論じている(雑誌「アメ リカーナ」九五七年七月号)

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藤谷俊雄氏の「国家神道」観一神道指令の基本認識を継承しつつ、国家神道の成 立を解明しようとして「広義の国家神道」概念を肥大化させた 「国家神道の成立」 『日本宗教史講座•第一巻』昭和34年6月 *「国家神道」に対する基本認識一基本的に神道指令と同じ 1. 天皇制イデオロギーの注入装置 「日本の国家神道は一九世紀後半の国際国内情勢のもとで、絶対主義天 皇制を支える宗教的思想的イデオロギーとして、支配者たちによって 組織されたものである」p289 「君権思想を支えるものとして国家神道が形成された」p283 2

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` I ( 9, 9 { •• ( 9.\ 2. 太平洋戦争の元凶 「昭和になってファシズムと戦争の時期に入ると国家神道の強制はさら に強められ「国民総動員」の手段とされた。p286 「古来神祇信仰はしばしば戦争と結びついて来たが、太平洋戦争に当っ てはその目的のない絶望的な戦争に国民をかり立てる手段として、国 家神道は極度に利用された。」p287 @相違点ー注入されるべきイデオロギ理解の拡大 神道指令が排除した昭和期のイデオロギー(軍国主義乃至過激なる国家 主義的イデオロギー)を、近代国家の建設にあたって日本が選択した国 家原理(天皇を中心に仰ぐナショナリズム)にまで拡大した。 *「国家神道」の構成要素ーイデオロギー理解の拡大を受けてイデオロギ注入装 置の理解も拡大 1. 神社の国家管理一基本的構成要素 「国家神道を構成する重要な部分として存続するのであるが、その一 が神社制度である。」p275 「広い民間信仰にささえられた諸神社を包みこんで、その上に天皇の祖 神とその功臣、さらに近世封建支配者を組みこんだ神社のヒェルアル キーを造りあげ、これを全体として国家の統制のもとにおき、日本人 の神に対する信仰を絶対主義支配の支柱にしようとしたものにほかな らない。」p276 「神宮および官・国幣社官は全く官立化し、ここに国家神道の基礎が確 立された。」p277 2. 宮中祭祀一基本的構成要素↓以下、神道指令には無い要素 「神社とともに国家神道の重要な構成部分である宮中祭祀」p277 「天皇を祭主とする国家神道の形態」p284 皇室祭祀令・登極令ー 「祭祀が天皇の大権に属することが明らか定めら れて、天皇を祭主とする国家神道の形態がますます整えられた。」 p284 3. 神官教導職分離(神社非宗教論) 一神社崇拝の強制が目的 「国家神道(神社)と諸派神道に分離すること」p279 「国民に対する神社崇拝の強制と信教自由との矛盾をごまかすため、彼 らの金科玉条の口実である、 「神社は宗教ではない」というえせ事実 を作ろうとするものであった。」p280 4. 帝国憲法一国家神道あるいは「天皇教」とも称すべき種の宗教信仰を国 民に強いるもの 「憲法の内容そのものより先に、憲法発布の形式がすでに神権的であっ た。」p281 第一 ・三条「憲法における天皇の神権性の規定」p281 「天皇の神話的な性格に対する信仰を国民に強制するための規 定」 p282 第二八条ー「天皇の「神聖」 「万世ー系」の承認や神社やその祭神に対 する「崇敬」は「臣民タル)義務」であり、従ってこれを否定 することは「安寧秩序ヲ妨ゲ」るものとされた」p282 「国家神道あるいは「天皇教」とも称すべき一種の宗教信仰を国 民に強いるものであった。」p282 5. 教育勅語一天皇教の「経典」また「聖書J 「天皇を絶対君主であると同時に国民道徳の根源としようとしたもので あって、その「勅語」じたいの取扱いが全く天皇教の「経典」また「 聖書」として扱われ、それじしんの崇拝が強制された。」p283 *「国家神道」の存続期間一明治4年~敗戦

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@明治4年から敗戦までを一貫して「国家神道の成立」というタイトルの下 で論じ、 いくつかのエポックを設けている。 平田派の後退(明治4年の神道国教化政策の挫折)、明治1 0年の教部省 の廃止、 神官教導職の分離、帝国憲法・教育勅語の制定、 日清・日露戦争 の勝利、昭和のファシズムと戦争。 @全期間を通じて注入されるべきイデオロギーの変化には言及されていない *幕末の諸藩の宗教政策ー 「絶対主義への傾斜をしめしつつあった支配階 級が、 天皇を絶対君主とする統一国家形成のためのイデオロギー として国家神道を採用するに至った」p257 「祭政一致的観念にもとづく国家神道の復活は、幕末の外圧がもた らした政治的危機に直面して実現せられたのである。 」p258 a. 神官教導職の分離ー「いまや神社制度は天皇制を支える宗教的イデオ ロギーにもとづいて再組織され、 それは国家の行政機構のなかに 組込まれてしまったのである。 いまさらこれを切離すことは国民 思想に大混乱を与え、 天皇制の基礎観念の崩壊を来させる恐れが ないとはいえない。 おそらく政府の指導者たちは苦慮したに違い ない。 」p278 「支配階級の最後のよりどころである天皇制の維持のために、右の ような宗教政策の改革がおこなわれたことが読みとれるのである 。 」p280 b. 日清・日露戦争 「日清 ・ 日露の両戦争とその勝利は、天皇制の基礎を固めると同時 に、 そのイデオロギー的支柱である国家神道をも確立することに なった。 」p284 *「君権思想を支えるものとして国家神道が形成された」として、 明 治前半期を一纏めしたのでは、国民に統合の思想を模索した指導者 の苦悩は理解できない。 →安丸 @政府指導者の意図は極めて政治主義的であったとする。 「彼ら(長州 ・ 薩摩その他雄藩をバックにした下級武士層)の神道政策 は全く政治主義的であり、彼らの政治目的に神道を利用することにほ かならなかった。 」p259 「天皇対将軍という名分論が討幕派の有力な理論的武器となったことは 変わりないが、決して神がかり的な神道説によってことが運ばれたの でないことは明らかである。 天皇をさえ「玉」として、 みずからの政 治目的追求の手段と考えた、 割切った政治論によって事態が進められ たことは確言することができる。 」p260 ◎村上重良論との関係 概論と詳論一村上論は藤谷論が導入した新たな要素相互の関係を明確にし、 拡大した期間の時代区分を明確にし、簡略にすまされた部分を 補う意図の下に書かれたといえる。 管長制を「君臨」と捉えたのは村上のオリジナル? 藤谷論では教導職廃止に対する注目は希薄 「神仏教導職が廃止され、 その任免権が各宗管長にゆだねられるよう になると、神社の国家との結合はきわめて明確なものとなった。 」 p280 ◎備考一「国家神道」の定義 「国家神道」ということばは戦後生まれたことばである。 「国家」と結合した「神道」という意味 p215

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村上重良氏の「国家神道」観ー 『国家神道』昭和45年 4

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占領軍の認識の延長線上に立って、天皇制イデオロギーとその注入装置が戦争 の元凶であったとし、 「広義の国家神道」概念を継承しで肥大化させた。 肥大化の例 (1) 構造*「皇室祭祀」を「国家神道」概念に追加 *「宗教的政治制度」と捉える *「国家神道」が他の宗教に「君臨」したとする 皇室神道

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君臨 教派神道・仏教 神社神道

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帝国憲法一国家神道の天皇と直結する公法上の地位を確立した 教育勅語一国家神道の事実上の教典 (2)期間*明治維新から太平洋戦争の敗戦にいたる約八0年間にわたって、日 本人を精神的に支配した。 1. 形成期一明治維新 (1 8 6 8年) ~明治20年代初頭 (18 8 0年代末) 2. 教義的完成期ー帝国憲法発布 (1889年)~日露戦争 (1905年) 3. 制度的完成期一明治30年代末 (1 9 0 0年代後半)~昭和初期 (19 3 4. ファシズム的国教期一滴州事変 (1931年)~太平洋戦争敗戦 (194 5年) 国家神道は、この段階に絶頂期を迎え、国民にたいする精神的支配の武 器としての真価を、遺憾なく発揮した。

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大江志乃夫氏の「国家神道」観ー 『嬬国神社』昭和59 村上氏とほとんど同じ解釈 *村上・大江両氏は「昭和前期」を年頭において「国家神道」を考えている *村上・大江両氏と基本的に問題意識を同じくする近年の研究では、まず「萌治 」を詳しく研究することに関心が向けられ、 「国家神道」概念も縮小の傾向に ある。 0宮地正人氏の「国家神道」観ー 『宗教と国家』昭和63年、 「国家神道の確立過 程」 『日本文化研究所紀要』第64輯平成元年9月 定義一近代天皇制イデオロギーの再生産の仕組み 明治前半期の天皇制国家がつくり上げて行った国家的な神社制度であり、 その神社制度を理論化する政治理論。 神官教導職の分離によって体形と教理の原型が確立 内務省神社局の独立一 「国家機構の上で確立」 *「神社の国家管理体制十皇室祭祀」に縮小 帝国憲法・教育勅語という要素はない。 神仏基などへの君臨という要素は曖昧一明治1 5年 「神社崇敬を全国 民に強制しうる前提が確立される。」 (天皇制イデオロギーー記紀神話によって天皇の宗教的権威根拠付け、それを 維新政府の国民支配の正当化に用いうる理論)

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中島三千男氏の「国家神道」観ー 「『明治憲法体制』の確立と国家のイデオロギ ー政策一国家神道体制の確立過程ー」 『日本史研究』 176 号昭和52 基本認識ー近代天皇制国家のイデオロギ (政策)大系のつの重要な柱 構造 国家神道体制一「信仰の自由」「政教分離」という近代の思想原理を擬 制的にではあるが組み込んだ体制 (1) 非宗教・国家の祭祀・道徳というたてまえの下に「改変」させ られた神社神道=国家神道一上は伊勢神宮から下は郷村社に至 るまで、その活動を宗教ではなく国家の祭祀として位置づけ、 そのことによって国家と神社との結合を合法化し、その上でこ 5

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呵 ら 、 り .-y , ' ,オ [ ' f り ' .の神社体系を国家主義的・天皇主義的イデオロギーの国民への 注入の媒体・装置として活用することを意図したもの (2)一定の「自治」を与えられた上で、 国家神道に従属(包摂)さ れた諸宗教 国家神道体制 神社神道—諸宗教(従属と自治) (国家神道) 中島氏の論の特徴 1. 「信教の自由」 「政教分離」原則に一定の拘束力を認めている。 昭和期の宗教弾圧ををf国家神道」体制の崩壊期と位置づける 2. 国家神道体制が確立するのは日清·日露戦争後する。 3. 皇室祭祀・帝国憲法・教育勅語をさほど重視していない。 0安丸良夫氏の「国家神道」観一昭和54年『神々の明治維新』 「国家神道」という分析枠組みを放棄一日本型政教分離=人々の'’自由を媒介 とした統合、 という枠組みを設定。 「国家は、各宗派の上に超然とたち、共通に 仕えなければならない至高の原理と存在だけを指示し、それに仕える上でいかに 有効・有益かは、各宗派の自由競争に任されたのである。 」 r-—国家神道一神社祭祀へまで退くことで国教主義を継承しながらも

神道国教化政策の失敗と国体神学の独善性にこりて、 宗教的な 教育勅語—

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意味での教化の責任から免れようとした。 L一諸宗教一国家のイデオロギ的要請に対してみずから有効性を証 明してみせる自由競争 明治八年大教院解散・独自布教の承認ーこの自由競争が始まった。 明治十五年神官教導職分離一日本型政教分離はいっそう決定的となった。 教育勅語一祭儀へと後退した神道をイデオロギ的な内実から補った 安丸氏の論の特色 1. 中島氏のいう「自治」の観点を拡大して、上からの強制というよりはむ しろ、国家の要請に自ら進んで応えようとする各宗派の姿勢に焦点を当 てている。 そして、この国家の要請は制度(法律関係)を媒介としてた 「命令」ではなく、単なる期待・指示として捉えられている。 2. 明治期の政教関係を捉える枠組みを「国家神道」ではなく「日本型政教 分離」とし、 「国家神道」はこの枠組みの一要素とした。 ここにおいて 「国家神道」 =神社の国家管理に後退。 3. 国民に注入されるべきイデオロギーに変化を認めている。 国学者や神道家の祭政一致思想や復古神道的な教説→天皇を中心とする 新しい民族国家への国民的忠誠心を有効に確保してくれる一般的なイデ オロギー 〇梅田義彦氏の「国家神道」観 『改訂増補日本宗教制度史・近代篇』昭和46年 定義一 「明治政府以来、神社が国家管理に属し、神社神道は、国体神道(宮廷 神道)とともに、いわゆる国家神道と称せられ、天理・金光・黒住教 等の十三派神道は宗派(教派)神道と称せられて、国家神道とは厳に 区別せられ、宗教としての後者と相混ずることなからしめた」 *ほぽ戦前の見解を継承したものであるが、皇室祭祀を国家神道に包含して いる点に村上氏の影響が見られる。 但し、 『内務省史』昭和46年一「神社の国家管理(国家神道)制度」 ◎明治維新以降一貫して、神社は国家意志を国民に注入する装置として重視されて きたのだろうか。 その時々の状況の変化に対応して政策や解釈に変更はあったに しても、イデオロギーの注入装置として神社を位置づける、あるいは重視すると 6 ヽ

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\ いう意図は一貫していたのであろうか。 〇葦津珍彦氏の「国家神道」観点ー『国家神道とは何だったのか』昭和62年 定義一「国家神道」の定義は「狭義の国家神道」そのものであるが評価に独特 のものがある。 1. 戦前の神社の取り扱いに対する痛恨の思い一 「世俗合理主義の行政官 が、 神社の精神指溝の一切の権をにぎって、 いわゆる非宗教主義をも って行政指導したために、 神官神職は一般的に、無気力無精神の風が 著しくなり、 在野の神道意識に燃える国民から痛烈な批判を浴びせか けられるにいたった。 」 2. 昭和期の神国思想は上から注入されたものではない一 「外人は、戦時 に際して日本に燃えあがった在野国民の自然成長的な神国思想を見て 、 それを民族土着の自然の精神として解しないで、 国家の帝国政府が 権力的法令をもって指導し命令した宗教と誤認した。 」 0阪本是丸・大原康男氏一葦津氏と同じ見解

参照

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