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關東大地震の驗震學的考察

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(1)

験 震 時 報 第 三 巻 第 = 競

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緒 宅=-Eヨ 今迄地震皐上から大正十二年九月一日の関東大地震を調査報告されカ論文は数種刊行ヨれて居る。而 して其等の論文中有力なものとしては先づ次の如

3

ものであらう。 (ー) A

1 村 明 1 1宣 関 東 大 地 震 調 査 報 告 震 災 珠 防 訓 査 曾 報 告 第 百 競 ( 甲 ) k p ロ p q t o H ロ ペ g 丘 町 立 色 。 ロ 。 同

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(2)

国 ヨ た 。 ロ 号 。 C 2 9 俳 句 . 9 H U 話 回 。 同 2 5 A ロ p r 。 。 同 m o M ) t B σ 2 H E ・ 巴 凶 ω ・ 宮 。 目 。 日 ﹁

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3

矛盾を含 h u で 居 る 。 要するに関東大地震を地震観測から調査した結果は極めて匡々たるものであって、震央の位置、震源 の深 3 及び震源に於ける運動等、何れも確たる結果が獲られて居ないと云ふも差支が無い。然し私は以 上列記した諸家の調査が正鵠を失して居ると云ムのでは無い。共の戎るものに至つては賞に敬服す可

3

調査を行はれたものがあるが、又或るものは材料の不備なために不幸にして良好な結果に到達し得なか ったものがある。而して叉以上の諸論文は単に震央位置、震源の深ヨ及び地震の機巧等のみを論じたも りでなく、他にもっと重要な調査を記してある。

(3)

然し私は草に駿震準上のみよ A リ調査した関東大地震は如何なる結果を奥へるのであ

ι

うかと云ム問題 に就て徹底的調査を行って見ゃうとの希望を珠てから抱いず,居たのである。而して共の準備として前述 諸家の論文を譲むに及んで、其等の結果があま A りに相違して居るのを知って、此の種の調査が極めて必 要な一帯を盆々痛威したのである。 依って弦に中央気象士室長岡田博士の命危機として、会図各地方測候所の記象紙を仔細に験測し、験震 墜上よムリ関東大地震を徹底的に調査せんととを企て売のである。本論文は共の結果を総合したものであ って其の一部は曾℃私が殺表した﹁日本に於ける地震波動の停播に附する研究、第三報﹂(気象集誌第二 輯第三容第十一競)中のものと重複するものがあるが、調査の全般を記述する矯め、重要なものは重複 を厭はず敢て弦に再録すること L し た 。 叉本調査は各地方測候所及東京帝図大皐地震準教室、東北帝図大向車向山観測所、中央気象蚕等の観測 を悉く用ひて種々に考察した結果であって、勢以前述した諸家の調査結果とは異る効もある。従って斯 かる貼に就ては前漣諸家の調査方法及共の結果をも並記して敢て大方の御批剣に訴へる次第である。抜 に調査結果を報告するにや回って、調査の動機

p

-述 べ 以 て 絡 ヨ 一 ロ と す る 。 図に、前述した如︿本調査は各観測所の地震計観測に立脚して居る故、 地震後現官初に於ける現象の みを論じ 1 其の主要動 h L 於 て 起 っ た 大 地 続 投 ・ ど か 、 此 の 地 震 の 原 因 乏 か に 就 て 吋 一 一 一 一 日 本 論 及 せ ぬ 事 と し た 。 一 一

(4)

二 一 四 不幸にしてなは蛍時費地調査に蛍らず、何等比の穫の材料も持合せて居らぬからである。 一 、 震 央 の 決 定 今 迄 政 官 表 3 れた関東大地震の震央は次の如

3

も の で あ る 。 円今村博士吋・東京帝岡大摩地震皐数室の観測ょの初期微動絞綴時間九秒八を符.之れに同博士の震 源距雌 L Y 求むる公式 h d H H ・ 宮 内 ( 必 一 は 震 源 距 離 . t は初期微動総績時間)を適用して震源距離を求めて居 る。更に之れに初動の射出角を加味し震央を求めると東経百三十九度二十五分、北緯三十五度七分とな

0

.

相模湾大島の北方約四十粁の沖合に蛍って居る。街伺博士は此の地震が引績主三岡の別個の地震を 起して居る事を唱へて居られる。

一 一

所を震央としたが、共の結果は大磯、小田原、秦野を含 h u 相模湾北岸となムリ、秦野附還を震央に選んで 中村左衛門太郎博士は各地方測候所の記象紙を自ら験測して初動方向を測定し‘其れが牧欽亨る 居る。とれば著者が後に記す四方法にて求めたものと善く一致して居る。 三松山博士は矢張。各地測候所の記象紙を自ら験測し、初動方向を求め共れが牧飲する地貼を震央 とし、相模北部沿岸図府津附近と

L

℃居る。此の震央も著者の求めたものと普く一致する。 白品理皐士は東北帝図大準向山観測所(仙憂市郊外所在)に於ける観測よ'り、初期微動四十七秒 四 五を得、之れに震源距隊を求むる公式で H ∞ ・ ( 河 内 を適用し震源距離三百八す三粁五を得て居る。夏に之

(5)

れに初動方向南十八度西、射出角七度九を加味して震源を求め、立︿れよ'り震央を求めると東経百三十九 度三十六分岨北緯三十四度五十二分とな

0

三浦牛島城ケ島の南方約三十五粁沖合に蛍って居る。 五平野烈介氏は震源距離を求むる公式として大森博士の a H 吋・ぉ目そ用ひ、各地方測候所にて観測 せし初期微動機績時間よ

0

・震源距離を算出し、震央を求めたるに、北緯三十五度三十分三、来一経百三十 八度四十八分七を得富士山の北方なる河口湖の東四粁の地結となって居る。此の震央は他の諸家の夫れ

﹂ , F を決定せる外、初動方向の験測よ ι り求めたる射出角及び大森公式よムリ求めたる震源距離を用ぴ、熊谷、 とは著しく臭って居るものである。 須田技師は大森公式日 H H 吋

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を震源距離算定に用ひて布良、東京の初期微動機療時間よムり震央 銚子の験測によ h 震央を求めたるに相模湾中部となって居る。 七松津理問中士は関東大地震の走時曲線を描く上に震央を北緯三十五度十六分、東経百三十九皮二十 分と仮定して居る。此の仮定は同氏が求めた東京帝大の初期微動機績時間九秒八から求めたものとも一 致すると云ムのである。 扱斯様にして求められた震央の位置を図上氏記入して見ると、中村.松山雨博士のは可な ι り 近 ︿ に 求 められたが、他の諸氏のは著しく異って居る。第一周に於てーは今村博士 .M は 松 山 博 士 、 N は中村博 士 、 S は 須 田 技 師 、 R は白鳥理皐士、五は平野氏、 T は松津助教授の求められ弁震央位置である。 ニ 一 五

(6)

一 一 一 六

X

J 共蕗で著者は各地方測候所に於ける観測結果及び著者自身夫等測候所の記象紙から駿測した値乞用以 著者の求めたる震央 て、等殺震時線.等初期微動線、初動方向等を求めたー結果よ A り決定しわ震央を記

L

て見ゃうと思ふ。 笠リ後震時線に依る震央位置 等後震時線けい各地方観測所で測定した後震時を図上に記入して、其 /.-?, -.!>Iう 表 各地方観測所に於ける験測結果(但し.一 2 J は 著 者 の 除 測 ぜ し も の 虫 中 に も 著 者 の 険 制 ぜ し も の め り ) 翻 所 i則 筑 熊 束 甲 前 f5't沼 足 演 宇 ; fir 者官 須 波 名 5主 居烹E‘ .6': 時 山 谷 京 府 橋 賀 津 尾 松 宮 良 時 分 秒 一 一 五 五 ? 五 六 、 四 七 、 。 五 七 、 三 八 、

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(8)

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(9)

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一時五十八分四十秒の等礎震時線を重いて見ると第一同鎖線の如くにな'り、共の中心は東経百三十九度 十三分、北緯三十五度二十三分、秦野附近となムり、中村博士の求めたる震央左善︿一致する。命等殺震 時線が縮図をなす事に就ては気象集誌第二輯第一一一条第十一一銑の拙著. する研究(第三報)を参照せられ度い c 日本に於ける地震波動の停播に関 向 等 P S 線上'り求めたる震央 総緩時間を漬取らねばならない。此の値は各地方測候所の記象紙複潟ょの大部分著者自身読取ったもの 等 P S 線 - P 一 堂 且

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には各地方測候所に℃待たる地震計記象よムり P S の ・ 二 一 九

(10)

二二 O を用ひ、之れを第一表、中に記してある。但し所に依 A リて記象紙複潟を得られなかったものは‘其の観測 所にて護取っ均値グ目立パの億用ひてある。又此の讃取 A りの際に所によ h ノては東西動か南北動かの何れか一 方は数振動の後揃針記象紙外に逸出したものがある。新かる場合には残る一方の分動のみにつう験測を 行 っ て あ る 。 s 克に注意す可

3

は東京の初期微動であるが、今村博士及松理助教授は同じ認象紙(震災諭域防調春一命日報 告、第百競甲、こ十六頁所載)よ h ノ 九 秒 八 b gP S として駿測 3 れた。然し茅者は同じ材料を用ひ八秒八 を以℃ P S の総緩時間とした。 斯くて十秒の等 P S 線を霊くと、第一間結線の如く化な A り立︿の中心は東経百三十九度二十一分、北緯 a L m 即 断 U U 守 三十五度二十分即ち相模川河口平塚附近となる。 倫等 P S 線の形成も矢張'り一つの縮図形をなして居るが之れは著者の日本に於ける地震波動の停播に 関する研究第六報(気象集誌第二輯第六巻第三競)乞参照せられ度い。囚に此の等 P S 線の形が管て著者 が本地震に就て描いたものと異るのは、前者は各観測所に於ける験測結果のみそ用ひたのに反し今回の は著者自身議取ったものを用ひた魚めである。叉其れ民は東京の P S の値が前述した如く異ったのが最 も主要な原因を魚して居るのである。 初動の方向よ'り求めたる震央初動方向を各地方観測所の記象紙複努よムり譲取って見るξ第二表

(11)

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: 3;5 第 ー 一 国 関東大地震の験震結果結線は十秒の等 PS 線、鎖線 ~j 十 一時五十八分四十秒、の等殺震時線 Q~FoBR は断層面と地表との交縁、 ANoB は節線、矢は初動方向 。

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(12)

一 一

の如き値を得る。但し初動方向は震源に於ける第一動の方向、即ち起震力の方向を現はすものであるか ら、験震何事上極め℃重要な意味を有する。従って第二表中には今村.中村‘須田三氏の験測 3 れ た も の 、 及び各測候所に於ける験測結果い中央気象墨隼回公地氏並びに著者等が全く別々に譲取った結果をも並 記し、共の正確度を示すこと L し た 。 抜各地方観測所の初動方向を夫々延長して其等の交黙を求 h u れば震央に於て交る可

3

筈 で あ る が 、 韓 民 際は観測の誤差、地殻の不均等に依'りて決して一知には交らず、交線は第一周の如く或る面積内に密集 する。今此の面積の中心を求めると、東経百三十九度十八分、北緯三十五度二十二分の地姑となムリ、平 塚の北西金目附近となる。此の震央は中村左衛門太郎、松山雨氏が夫々矢張。初動方向よ h ノ 求 め た る 震 央と極めて善く一致する。 斯くて著者が等後震時線、等 P S 線及び初動方向等よムリ求めたる震央は悉く相模湾沿岸に℃、之等各 地貼聞の最大距離十粁を越えず極めて満足なる結果に到達してゐる。而して之等三方法によ'り求めたる 震央の中心は東経百三十九度十七分、北緯三十五度二十二分即ち平塚の北西金目附近となる。 設に注意す可

3

は著者が震央左稀するものは前記等援震時線、等 P S 線及初動方向に依 A り て 求 め た る ものであるから、凡て各観測所にで戚ぜし、地震の第一動の殺せし原知の真上に蛍る地劫を指すもので 所謂後震劫の認である。故に斯くの如き震央が、其の後に起。たる主要動に由る大振動の絡めに生じた

(13)

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(15)

〉ト国言学芸者自分-詩さ こ 、 震 源 の 深 さ ささきE3 J.ima E 回 目 白 J J 1 J ︿ 4UJJ1 4

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~ ~, 次に前述しわ代田辰央に封する震源の深 3 を求めて見ゃうと思ム。然し先づ順序として現在迄諸家の設と I I 2 5 して後表せられたる此の地震の震源の深 3 に閲する結果を簡単に記して見ゃう。 ↓今村博士は東京帝図大皐地震月千数室の観測よ h 水平動及上下動の初動の大 3 夫 々 了 五 粍 及

0

・ 五 粍を得た。然るに同博士の設として上下動の初動の大 3 は常に之乞二分の一して之れを水平動初動と組・ 。 ・ 凶 m w A 口はす時は常に満足左伏角を血ハムるとの偲定に基き¥東京に於ける伏角は、 g p L J M引左なる。故に之 れを初期微動の線療時間十二秒四に七・四四なる係数を乗じて得たる震源距離九十二粁と組合せて、深 3 を求むると主は十五粁なろ値を得て居る。而し此の値は同博士が震災直後に後表 3 れたもので共後帝図 車士院報告第二容中

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は初動方向及 P S の値を訂正 3 れ宮内故勿論震源の深ヨも異る事と思ム。故に弦に Jノ ニ二五

(16)

一 一・ 一 ←・ ..Lo ノ、 記したのは草に参考とし℃のみである事を御断'りする。 コ中村左衛門太郎博士は東京中央気象牽にて観測せし初期微動総績時間十二秒に大森公式に依る 七・四二を采じて震源距離八十九粁を符、震央を秦野附近として、震波の直迭を限定し、三角形ょの震源 の深 3 六十六粁

p

-符て居る。斯く震央距離極めて小なる所にあ'り℃は、震源距離と初期微動総綾時間と の悶附係は決して一定ならゴる故、斯かる方法にて震源の深ヨを求むる方法は大なる難黙を存する。然も 大森公式の係数たる七・四二は震源距離を求 hu るものとして小に過ぐる。叉東京に於ける P S の値比前述 せし如く十二秒では明かに大に過ぎる様である。 ヨ松山博士は全く別穫の方法、即ずり走時曲線及竣震時を利用して深 3 を求めて居る。今震波は直迩 するとの仮定の下広、地殻表層 K 於ける地震縦波の速度のを毎秒五粁三とし、或る観測所の震央距雌乞 A 粁.其の観測所に於ける後震時と震央に於ける後震時との差を T ' とすれば、震源内深

a

h

は次の式で 奥へられる。 h V N ・leN 吋 N 山 ud 、 H , T は即ち地表面に沿ふ震波の見掛けの走時である。今各観測所の楼震時よ ι り走時曲線を作。、震央に於 ける稜震時を求むれば十一時五十八分三十二秒となる。故に夫れよ

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を 山 本 め h を算出すれば次表の如 11 き 値 を 得 る 。

(17)

、 議 震 時 │ 震 央 距 離 │ 観 測 所 T 貫長 lノfr 1時158分生6秒 9粁6 u. 22 銚 子 57 160 25 30 水 戸 56 168 2生 47 長 野 56 176 24 58 名 古 屋 59 05 203 33 30 彦 キ艮 14: 270 42 51 新くして求められたる震源の深

3

を平均すれば卒均値として四十粁とな るが、若し震波の曲迭を考慮して之れを補正すれば卒均三十粁となる。此 の値は勿論後震時のみを用ひて算出したもの故公算誤差は相蛍大な

9

と考 へらるるも、震源の深 3 として得られたる三十粁は著者が後に記す如きこ 三の方法に依'り求めたものと極めて善く一致して居る, 潤白鳥皐士は仙憂に於ける観測よ

OPS

の値として四十七秒五を得之 れ に 八 ・

O

八なる係数を乗じて得たる震源距離三百八十三粁五に、上下動及 水平動初動ょ。求め売る射出角七度九を加味して、震波は直進するものと の考へよ

b

震源の深 3 四十四粁を得て居る。此の方法は比較的遠距離舵あ る一観測所の値のみよ

b

求めたるものである故、設差も相嘗大なる事は免 れ な い 。 五 森公式の係数七・四二を乗じ震源距離を算出し、之等を宇径として球面を霊くときは、河口湖の東一里の 平野烈介氏は東京、熊谷 E 前橋、甲府、沼津及松本等の観測土。求めたる初期微動繕績時間に大 直下、四十粁の深ヨにて一知に舎ずる事を知った。其れよムワ四十粁を震源の深

3

として居る。然し大森 公式の係数を新かる小なる震央距離の地撤にて常数とする事に就て著者は異論を挟むものである。 七

(18)

ニ ニ ヘ 央距離及震源距離ょの深 3 を出す方法の二方法に依

0

、前者にては熊谷及銚子、後者に℃は布良及東京 須田技師は初動観測ょ, O J 射出角を出し、大森公式よムツ震源距離を求めて深さを求なる方法左、震 の観測結果を用ぴ震源の平均の深 3 として四十八粁なる値を得℃居る。 七松津助数授は前述した如き震央を仮定し、其れよ h ノ 一 P 相の成生機巧から震源の深誌を約四十粁と 考 へ て 居 る 。 要するに以上諸氏によ P 9 求められたる震源の深 3 は十五粁、六十六粁、三十粁、四十四粁、四十粁. 四十八粁及四十粁等の値を得て居るが、共等の方法は数個所の観測材料のみによ h ノ)主に大森公式を利 用して居る。只松山博士の方法のみが趣を異侭するのみである。従って其の値も比較的誤差多く何れを 出 兵 ' と す る か 取 拾 に 苦 し ま ゴ る を 符 忍 い 。

↓ 、

J 扱著者は前述した諸家の用ひられた方法中初期微動機績時間 K 或る常数を采じて震源距離を出す方法 著者の求めたる震源の深さ は、震央距離が殆んと相等しき観測所の結果を用ふれば)可な ι り迄信用し得ると考へられるが、震央距 離にあま

b

差ある所の値に依かては、求められたる値が可な

0

正確度を侠く恐れがある。然治射出角乞 用ふる方法には種々なる難貼を生ぜねばならない。依て出来得る限。多数の観測所の値を用ひで算出衣 る次の如き方法に依 ι り震源の深 3 を求め℃見たのである。

(19)

PSIA 国表よムり求むる・方法、先づ第一表中に掲げたる P S の値を縦軸に 1 震央距離を横軸に選 び、直交座標軸系に℃ PSIA 曲線を重いて見る。此の P S の値は各観測所の記象紙察しょ。著者自身 、 、 1 ノ ・唱 i , , E, . 、 験測したものが大部分であっ℃、寝しが手許にないものは測候所に於ける駿測値を其俵用ひ℃ある。叉 震央距離は等 P S 線を重いて其の中心を震央とし、其れから各観測所迄の距離を地国上に於て測定した も の で あ る 。 斯くして重いた PSIA 曲線は震央附近に多︿の観測値を有し、然も其等が可な ι り 諮 問 く 曲 線 上 に 分 布 せられる故正確度も相静岡大であると見られる。而して此の曲線を延長し℃ P S の軸と交らしめる ξ 震央 に於ける P S の値おとして三秒

O

が得られる。従って震源の深 3 h は v 1 1 <::;1 --1

I

<::;1ば なる式で奥へられる、弦に旬、 ぬは夫々縦波及横波の地殻表屠に於ける速度で夫々毎秒五粁五六及三粁 五なる値を有すると仮定する事が出来る。然るときは震源の深 3 は二十八粁となる、 白著者の前論文紀記せし如くである。而して各地方観測所化℃観測に依る

P

P 継績時間は第一表中に記 轄向園の位置よ ι り求むる方法、関東大地震に於ても屯ホロピチック屠の存在に依る P

P 相の存在 せし如

C

ぞある。今各地方観測所の畿震時と震央距離とから走時曲線を主主、此の曲線上ょ, n ノ

P

r

の値 一 一 ニ 丸

(20)

ニ 三 O を上方に取ムヘ業等を結ぶ一 P 走時曲線を霊ぐ。而して PJP 雨走時曲線の交結乞求めると路百十五粁 をなる 01 い震央から此の距離に相蛍する地黙は即 PJP 雨波が同時に到達する地賂であって、所謂轄向闘 の位置である 9 次に日本に於けるモホロピチヲク屠の深 3 は二三の人々に依って測定せられ大龍次の加さ深さとなっ て居る b a 地 震 名 不謹績居の深さ 震涼の深さ 算 定 者 大正十四年五月二十三日北但馬強震 大正十五年八月三日東京湾強震 昭和三年三月七日北丹後烈震 昭和二年十月二十七日中越強震 四 手目 連ー 清-夫 四 四 O 鷺 扱 清 四 五 四 園 富 信 四 八 国 富 信 也 ↓ 之れに依れば我図に於ける不漣績屠の深曲、 d は四十二粁として差支ない。扱縛向園の所では

p i

?

P 雨波 が同時に到着すると一五ふ僚件から

て引引

H ( ω ? と

3 2

b o

a E

弦 s にふは轄向結の震央距離?ゐは震源の深

3

、 d は毛、ホロピチック屠の深

3

、 回 一 は ω 山 口 QH 九 ﹁ で 奥 へ ら . 向 L N 均 一 口 不 漣 績 回 暦 の 上 屠 及 下 回 膚 中 に 於 け る 縦 れ、不漣緩居に齢制する縦波の会反射の臨界角である。但し勺 波の速度で夫々五粁九及八粁

0

・ な る 値 を 有 す る も の と す る 。

(21)

︽ i 扱 此 の 式 ・ 中 化 前 、 越 し だ A 及 d の値を代入し℃震源の深

g

h

を求めるを)三十一粁なる値を得℃ 1 前 の 方 法 に で 求 め た 値 と 路 , 一 致 す る 。 悩 等 P S 線の魚ず縮図の長径及短径の長ヨは震源の深 3 と一定なる関係を有する事は著者が気象集 誌第二輯第六念第三時抗に悉じく述べた所である。即ち浅い震源を有する地震に於ては、十秒の等 P S 線 を猫主、其の短径の長 3 を b 粁とすれば震源の深ヨhは ミ , VHmv , N l H ・0 恥 守 なる式にて粁単位にて奥へられる。今第一一聞に重いた十秒等 P S 線よ ι り其の短径の長 3 を 求 め る と 、 一 六 十七粁となる。故に之れよ h ノ 震 源 の 深

3

を 求 h uれば二十七粁を得る。 即ち以上三方法に依

6

震源の深 3 を求

- U

れば夫々二十八粁、一二十一粁、二十七粁を得る。故に之等の 平均値とし℃二十八粁を震源の深 3 正して選ぶ事とする。勿論之れは敵味震姑の深ヨである。 =一ブ初動方向より推定せし地震の機巧 一此の地震の初動方向を各地方観測所の記象紙復潟よムリ議取.つ均値は第こ表中に掲げた如︿である。此 の表だ見ると剣る通。、或る観測所の初動方向の如

3

は七人の験測者の議取 ι り値が金︿一致して居る故 ぃ

E

確度は可成。大なる事が剣る。津、名古屋 1 涜松山銚子、大阪、和歌山、八木、彦根、岐阜、松本、 長野 1 ' 前橋)熊谷等の艇が共れである 0 ・z即も震央附近ーを除いては震央から束或は西に存在する観測所の

(22)

初動が極めて剣然ぜる事、特民震央以西に存在する観測所の初動は殆ん

Y }

凡て極めで明瞭である事口、 此の地震の機巧を考察宇る上に重要な意味を有・ずる。 扱震央附近に於ける初動分布を地固ムに描いて見る曹と第一園の如くになる。問ち震央から西方に位す J る地勅では沼津、甲府、一角田、長野 1 松本、高山、演松、名古屋、金津等九州一帯迄凡で第一一靭とし℃ 密波を戚じて居るが只沖縄以南が疎波である。然るに震央よムリ東方の地姑では初動方向の分布が極め℃ 複雑である。即ち、前橋、熊谷、布良は疎波であるが、東京は密波である、更に銚子、水戸、仙牽、石 品 位 等 一 は 疎 波 で あ つ で 、 共 れ よ

' o

北西なる秋田、-函館は密波である。 初動分布から此の地震の後震機巧を推定する事は仲々困難であって、其の設明を記した論文は中村左 衛門太郎氏のがあるのみである。同氏の設に依ると、此の地震は傾斜断層で、其の断層面は北々西ょ。 南々束へと走って居

b

、伏角は約七十七度である一と一五ム。今此の設明をな 3 むが翁に中村氏は東京のみ を含み、沼津及布良を含まゴる一小国を書いて居る。而して此の国は後震姑よら断層面に直角に出でた震 波が、地表面と交る結であって、其れ等は一つの節固となるーものである。 然るに中村氏の震源の一深 3 は六十六粁であって、断層面が其の地の法線となす角は十三度であるから、 前述した、節回は東京.のみを含 h u様な小固とは-ならず、震波の屈折を考へても宇径約三千粁強の固とな る。従って新ある考へ方は少くとも不蛍であると云はねばならない。即ち此の地震の殺震機巧性中村氏

(23)

の説明では未だ充分と云ム事は出来ないのである。 依って第一闘に示した様な初動方向の分布から此の地震の後震機巧を推定するには他の別種な考へ方 を要する。其れ故著者は新た

K

、約四十粁

K

存在する不漣績回腐を考へ民入れて此の地震の機巧を説明し ゃうと試みたのである。 先づ第二国民於て 0 0 を 地 表 面 、

U

U

をモホロピチックの不逗績面とし、

U

U

の上下雨屠の地殻内は 一様な弾性的媒躍であるとする。而して H を 震 源 と し 、

U

U

及 H の 深 3 は夫々四十二粁及二十八粁と俄 γ 定し、第一居中民於ける縦波の遮度叫を五粁五六、第二居中民於ける速度ヂ乞八粁

O

と仮定する。然る ときは震源から出た縦波が U U 面に入射した際、其れが金反射乞して再び第一一層中

K

返るか或は屈折し て第二屠中へ遜

U

か は 、

U

U

面への入射角の大小に由って定まる。 而して斯かる金反射の臨界角を札?とすれば e -2 ロ n k C H I l l i A ) 凶 ・ な る 故 に 均 一 口 四 十 七 度 三 十 一 分 と な る 。 扱震源

H

K

於て第二国甲の如

3

正断層を考へ℃見る。即ち上磐は東側、下磐は西側に位し℃、震源に 於℃は相説的に上磐は下降し、下磐は上昇した如き運動を魚したもの ξ する。而して新かる断屠面はれ H F の 如 ・ 3 方向を収。、地表面と F刊に於℃交

' p

、其の方向はれ結に於ける鉛直線の方向と約四十八度の 一

(24)

!

r

W 関東大地震の援震機巧 第二闘

~

o

z

:

.

.

間 ρ Q ・に W宇 = , 来 、 々デ

ー ﹁ ・

1

、当』 =今W~ ~ 二三四 R

¥

f

(25)

角度を銭すものと考へる。今 H K 於て此の断層面に垂直なる平面を考へ、之れを聞に於て NHN と す る 。 斯くて震波は直進するものと限定すれば民 E N の方向は震源に於ける務位の方向民垂直であるが故 民、縦波に謝しては遜位最小なる方向とな

b

、節線の方向を一不すものである。故民卒面机 H N と地表面 との交線付節線となる。 扱斯かる疋断居を考ふるときは其の断層面 H F 及節商 NHN なる二卒面に由。分売る、四つの象限 に於ては、縦波の初動は交互に疎波及密波となる。即ちれ

H

机象限にては縦波の初動は疎波、机 H F 象 限に℃は密波 1FHN に限象ては疎波、れ H N 象限にては密波とし℃停播する。 今れ

H

凡象限内に含まる L 地表の部分

RE

凡に就て考ふるに、此の部分の地表面に℃は地震の初動ーと し sて疎波を戚ずるが故に、初動は凡て震源に向ふ可主である。然も E は震源の箕上に嘗るが故に震源よ L り最短距離にある地表面上の一黙である。故に此の部分の地表面にては初動は凡て震央に向ム。而し℃ 断層面及節面が地表面ど交る交線は、地表面上にては小国伝魚すが故に、共の卒面闘を霊けば、第二国 乙の如く)夫々

QARBR

AMB

の如主二本の精厨弧となる可

3

である。従つ℃れ

H

V

川象限内に於け る初動は第二岡乙 AP ハ B W 内に固まる﹀部分の如

3

分 布 を 一 不 す 。 ﹂ 、 次 に 机 H a m r 象限に於℃吋縦波初動は密波である。故に凡以来の地表上にては初動は震源と反畿の方向 に向ム。然し HeF なる断層面に沿ムて進より縦波は不運績面

U

U

に約四十八度の角を翁して入射する。 二三五

(26)

--' -/¥< 此の角は金反射の臨界角よ'りも大であるが故に、此の方向院進む縦波は U U 面 K て る ・ 一 反 射 を な し て 地 表 面 に ・ 遜 h u 。即ち同上吋一回の方向を採るものが之れである。 然 -る に 震 源 ょ , n ノU U 面入射する縦波の中臨界角四十七度三十一分なる角にて入射する E f は屈折して 第二居中に入。 f g の方向をと今、

g

にて再び U U 面に入射し、屈折して

g

W

の方向を取

o

w

にて地表 面に到達する。即ち W は韓向黙となる。然しで更に臨界角よムり小なる入射角 K て不漣績面に入射する震 波は凡て第二日府中に入。屈折し℃再び地表面に現はる︾如き径路をとるものである。而して之等の震波 は FHN 象 限 K 属するものであるが故に、共の初動は疎波である。従って地表面にて W 以来れ固にては W よムリ右側)の所には初動として一 P に代ムるに P が現はれ共の方向付震源に向ふ可きである・。固化は 一P が初動をなすもの乞車線矢にて一不し、 P が初動となるものを二重線の矢にて示してある。 扱 W は若し地殻が等方、等質なものであるならば、.震央よ'り等距離なる凡 4 ℃の方向に ι 現はる Y 可

3

で ある故、震央を中心とする国をなって現はれ、所謂轄向厨を構成する第二閏乙に於ける W M 園が之れで ある。服して震央よムワ右側にては、前述した理由に依

h

此の闘を援として初動は英の性質及方向を異に する。叉 P 一 P 観測よ ' n ノ 一 P 走時曲線を重さ、共れが P 走時曲線ど交る姑は轄向国の震央距離を奥ふるもの である。斯くして著者が P 一P 観測上。第三国の如く、 P 一Y 雨種の走時曲線を室主轄向結 W の震央距隊を 求むれは約百十五粁となる事を知る。,即ち此の地震の轄向闇は牛径百十五粁の固となる故、第一国の如

(27)

第三岡‘大正十二年九月一日関東大震の走時曲線 ¥z."oi楓005 501 -40 30 20 10 l,hO Z g 50 N だむ 401-』 コ』 、 30 ー・ J

zo 10 11"う9mOO

r

f

A

40 マ H h l\h58~

30s lookm Epi,cenhe Dlちt札nC.e‘ 500kM 600km. 300kTT¥ 心 a

(28)

ニ = 一 凡 ︿前橋の北方よ

h

水戸の南西方を活。銚子西方よ A 9 九十九里演沖を過る固とな

b

、此の国の雨側に℃初 動方向の相反せる事を知るのである。 次に同 H N 象限を見るに、設にては縦波の初動は密波である。故にれよ A リ 西 方 ( 聞 に て は

W

b

左側) にては初動は密波とならねばならない。而して叉前述したと同様臨界角を以て U U 面に入射した縦波は 屈折の結果 M 結に於て地表面に現はれ、此の姑を境として東西雨側にては初動の性質乞異民する。即ち M 勅以来氏ては初動は一 P 波であるに反して M 結以西にては初動は P 波である。然し之等雨波は夏化遠距 離にある

W

黙迄は初動の方向を特捜ずる事は無い。 如何となれば凡 H N なる節面は U U 面と交る b 駄に於

τ

、法線と約四十三度の角をなすものである。 従って此の面に沿ふて進 h u 縦波は第二居中に屈折し、 HbdN なる経路を取 ι り、町にて地表面に到達す る。而して此の如

3

震波よムり支に小なる入射角を以て不漣績面に入射するものは NHF 象限に属するも のである故初動は疎波である。従て町よ A リ以西(国にては町よムり左側)の地表上の諾貼は疎波を初動とし て戚ずる。即ち町を援として初動は其の方向相反する誇である。 新くて R M の問に℃は初動は一 P 波であって其の方向は震源と反動な方向を指す。然し夏に遠き M W 問 にては初動は P 波であるが、之等 P 波は倫 p u E N 象限に属するもので・ある故川初動は P 波なるにも係ら ず密波であって、其の方向は失張。震源と反動衣方向に向ふ。然るに節面町内 E N に沿ふ℃準 h u縦波はれ

(29)

E

N

NEF

雨象限の境界に沿ふて活なものである故、共れが地表面に現はる、 W K 賂は初動方向の念愛 する所となる。即ち第二閏乙の

XWY

が此の境界となる線である。然し地球は球形である故

XWY

な る 線は闘の如き国弧とはならず町にて震央に封し凸形をなす精固弧となる可

3

であるが今般 A り に

XWY

の ¥ 如く不蓮緩面を平面と考へて重いて見たのである。 新︿の如く

RHN

象限にても

NHF

象限に於ける如く轄向国の存在を確認する事は出来るが、之れを 境として初動方向の念獲を認める事が出来ねのは前述した如き理由に依るのである。故に第二国及第一 周

K

は轄向国の西宇部は結線にて描いたのである。 ‘、扱第二表の初動方向の観測を見るに牽湾及石垣島にては初動方向が路震源に向ひ、共れよ ι り 以 来 の 地 方と相反せる方向を採って居る。即ち此の地方は第二闘の町結以西の地方に相等し F 沖縄及石垣島の中 問に附日勤が存在あると考へる事を得るのである。 ペ , 扱 第 二 国 甲 の 如

3

正断屠に依 A りては同閏乙の如主初動方向の分布が得られる誇である。而して之れ乞 質際地震計観測よ'り得たる初動の分布と比較すると金く合致するのを見る。即ち A れ

B

凡なる二本の精 園弧に固まれたる部分には前橋、熊谷.布良を台み、

w v

内 問 に は 東 京 を 含 み 、

W

以来には水戸、銚子、 仙台を含んで居る。叉西側にては

RM

間に甲府、沼津、長野、高田、新潟以西沖縄迄の観測所を含み.

W

以西に石垣島、台北を含んて居る。即ち関東大地震の複雑なる初動分布も斯くの如く後震結

E

に於け 2 三丸

(30)

二 四 O る正断層的愛位を考ふれば完全に-説明することが出来るのである。 第一国は仙台以西、近幾地方迄の初動分布と其れを断層面、節線、韓向固にで分った獄売を示すもの で あ る 。 但し弦に注意を要するは此の大地震後陸地測量部にて測定した結果として得られた相模湾に於ける大 地特使である。(震災珠防調査合報告第百競甲、今村博士報交附園第七国参照)今此の大地震が会︿関東大 地震に依って惹起せしめられたとすれば、夫れと、著者が験震撃上よムリ求めた、此の地震の後現機巧と は簡単な関係を見出す事が出来ない。然し著者の求めた正断層的援位は此の地震の口火を切った機巧で あって、更に主要動に入つ℃からの援動には全く鰯れて居ないのである。故に今村博士の如く此の地震 が引緩いて起った三同の地震を含むものとし、其等の震央も亦夫々異ると考へるならば、相漠潜の大地 援と此の地震の後震機巧との聞には何等特殊な関係を考へなくとも差支ない。 ノ 図、'相模湾沿岸に於けるモホロビチック居の深さ 次に種々な方法よ A り求めた関東大地震の震源の深 3 及 P 、 一 P 走時曲線ょの求めた轄向園の震央距離を 用ぴて、此の震央附近に於けるモホロピチック屠の深 3 を求めて見る。共のために前に記した

て引引

H

(

L

E

i

-式中 K F H 浅 草 d h v c u

4 。 抗 日 出 。 戸 、 を 代 入 す れ ば ( N H H S 誇 c

(31)

となる。即ちモホロピチヲク屠の深さは此の地方に於ては大路三十九粁とな'り、本邦各地にて求めた深 3 と大館一致する値テ一採る事を知る。 命モホロピチヲク居の深 3 を求むる前式は P 、 一 P 雨波が轄向結には同時に到達するの僚件よ A り 求 め た ものである。今此の式の会微分をふ一定として求むれば

ω (

同 ﹃

v

.

3

H

とな h ノ、前式は震源の深 3 の誤差一粁に針して、不運緩面の深さ一粁の相遣を一不すのみである。故化震 源の深 3 を精確に求め得る-ならば不蓮績面の深 3 を求むる式として充分なものを思ばれる。 J士 11'口 論 、要するに本論文は各地観測所の験震結果の凡てを用ひて大正十二年九月一日相模湾沿岸に脱税現せる所 謂闘東大地震の調査をなせるものである。而し℃其の結果として等殺震時線、等 P S 線 、 初 動 方 向 、 P 一P の 観 測 等 エ ム り 一、後震黙の震央は東経百一二十九度十七分、北緯三十五度二十二分、卒塚の北西金目附近 一 一 、 震 源 の 深 3 は 一 一 十 八 粁 。 三 、 後 震 機 巧 は 束 中 か

K

上磐を有する正断層であって、東側は相説的に陥渡し、西側は隆起せる如§静一位 を一不じ‘断層面は鉛直線の方向と約四十八度の角をなし、断層面の水平方向は北十一ハ度西よ

0

南十六度 L 一 四 一

(32)

ご四ニ 東に向って居る。 四、足ホロピチ Y ク居の深

3

は震央附還にて約三十九粁である e 等の結果を得て居る。而し℃之等の験震皐上よ A リの結果が此の地震の他の重要なる部分の調査上に幾 分でも役立つならば著者の本懐之れに過ぐるものは無いのである。(昭和四年一月於中央気象蔓) 附 記 震央に於ける後震時は走時曲線を延長し‘走時の軸と交はらしなれば求め得られる。 新くして求められた震央に於ける接震時は 松山博士 十一時五十八分三十二秒 中村博士 著者 十一時五十八分三十五秒 十一時五十八分三十六秒 とな

b

路一致する値を示して居る。今震源の深 3 を前述した如く二十八粁とすれば、震源に於ける後震 時は十一時五十八分三十一秒となる。 但し此の場合には震波の速度は二十八粁迄の卒均速度五・七粁秒 を用ひてある

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