『種の起源』の書名について
松 永 俊 男
1.はじめに
『種の起源』(Origin of Species)の略書名で知られるダーウィン(Charles Darwin, 1809!1882)の主著の正書名は,『自然選択,すなわち生存闘争に お け る 有 利 な 変 種 の 保 存 に よ る 種 の 起 源』(On the Origin of Species by
Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the
Strug-gle for Life)という長いものである1)。なぜこのような無様な書名になった
のであろうか。当時,この書名はどのように受け取られたのであろうか。 そもそもこの書名は本文の内容を正しく反映しているのであろうか。本稿 ではこうした問題を考察したい2)。
『種の起源』はダーウィンが執筆中だった大著の抄録として作成された ものであった3)。第 2 章ではこの大著の書名について考察する。第 3 章で はこの抄録執筆のきっかけとなったウォレス(Alfred Russel Wallace)と の共同論文(1858)のタイトルについて考察する。第 4 章では『種の起源』 の書名がダーウィンの原案からしだいに変化した経過をたどる。第 5 章で は,本稿の本筋からやや外れるが,『種の起源』の扉(タイトルページ)に 記載されている書名以外の諸項目について考察したい。第 6 章では『種の
起源』の長い正書名を構成する諸項目について順次,検討したい。第 7 章 では書名と本文との食い違いについて考察し,この書名が『種の起源』の 受容にどのように影響したかを考察したい。 2.大著の書名 ダーウィンは1846年10月以来,フジツボの研究に取り組んできた。それ が終盤に近づいた1853年10月 9 日,ダーウィンはフッカー(Joseph Dalton Hooker)宛の手紙に,「 1 年か 2 年のうちに種の本(my species book)に 取りかかるでしょう」と述べている4)。しかし,1854年 9 月にフジツボ研 究が完了して進化研究を再開したものの,ノート整理などの準備作業が長 引き,種の本の執筆に着手したのは1856年 5 月14日になってからだった。 その日の「日誌」に,「ライエルの忠告により種についての概要を書き始 める」(Began by Lyells advice writing species sketch)と記した5)。同年11 月10日のライエル(Charles Lyell)への手紙では,「順調に我が大著に取 り組んでいます」(I am working very steadily at my big Book)と述べて いる6)。
1857年 9 月 5 日のグレイ(Asa Gray)宛ての手紙に同封した理論の概要 の中で,「自然選択」(Natural Selection)を「我が著書の書名」(the title of my Book)と記している7)。現在のダーウィン関連文献ではこれを根拠 として大著の書名を『自然選択』と見なしていることが多い。しかしこの 書名が登場するのはこの手紙だけであって,ダーウィンがどこまでこの書 名に本気であったかは疑わしい。 ダーウィンは1858年 7 月,大著の執筆を中断し,その抄録の執筆に着手 した。「日誌」には1858年 7 月20日に,「種の本の抄録に着手した」(begun abstract of Species book)と記されている。その後の書簡では,「我が大 著」(my larger book, my bigger book, my larger work)と 呼 ぶ だ け で,
書名は登場しない8)。
ダーウィンは『種の起源』刊行直後の1859年12月 2 日に出版者のマレー (John Murray)に宛てた手紙で大著の出版計画を語っているが,書名に ついては『種の起源』とは「まったく異なる書名」(a quite distinct title) になるというだけである9)。同月22日のマレーへの手紙では,大著は別個 の書名の 3 巻から成り,全巻に共通の書名も持つと述べているが,具体的 な書名案は提示されていない10)。 結局,『種の起源』出版前も出版後も,大著の書名は未定のままであっ た。それに先だって抄録としての『種の起源』の書名を決定しなければな らなかった。 3.共同論文のタイトル 1858年 7 月 1 日,リンネ学会の会合でダーウィンとウォレスの共同論文 が読み上げられた。発表の順序は,最初にダーウィンの1844年「エセー」 の第 2 章からの抜粋,次にダーウィンが1857年 9 月 5 日にグレイに送った 手紙からの抜粋,最後がウォレスがダーウィンに送付した論文であった。 この共同論文は後に学会の機関誌に掲載された11)。
ダーウィンの1844年「エセー」第 2 章のタイトルは,“On the Variation of Organic Beings in a State of Nature ; on the Natural Means of Selection ; on the Comparison of Domestic Races and True Species.” であった。ウォ レスの論文のタイトルは,“On the Tendency of Varieties to depart indefi-nitely from the Original Type.” であった。共同論文全体のタイトル,“On the Tendency of Species to form Varieties ; and on the Perpetuation of Varie-ties and Species by Natural Means of Selection.” は,ウォレスの論文の論 題とダーウィンのエセー第 2 章の章題とをミックスしたものになっている。 ダーウィンはこの共同論文の発表には直接,かかわっていなかった。共同
論文全体のタイトルはフッカーとライエルによるものであって,ダーウィ ンの意向は反映されていない。なお,1844年「エセー」第 2 章から抜粋さ れたのは「選択の自然的手段」(Natural Means of Selection)と題された 一節だが,共同論文にこの節の見出しは記載されていない。
共同論文の全体は後に雑誌『ズオロジスト』に転載された12)。園芸誌 『ガードナーズ・クロニクル』にはダーウィンの1844年エセー第 2 章抜粋 だけが転載された13)。ただし「書籍紹介」(Notes of Books)の欄に,学会 誌名(Journal of the Proceedings of the Linnean Society)が見出しになって いるだけである。ちなみに,『ガードナーズ・クロニクル』にはしばしば ダーウィンが寄稿しており,『ズオロジスト』にはしばしばウォレスが寄 稿していた。 ダーウィンの1844年エセー第 2 章抜粋には「自然選択」(natural selec-tion)という形の用語は登場しない。グレイ宛ての書簡にはこの用語が 2 度,登場している。 4.書名の変遷 ダーウィンは1858年 7 月20日,避暑地のワイト島サンダウンで大著の抄 録を書き始めた。「日誌」には,「 7 月20日から 8 月12日までサンダウンで, 種の本の抄録に着手」(July 20th to Aug 12th at Sandown, begun abstract of Species book)と記されている。その後も『種の起源』の原稿について は,もっぱら「抄録」と呼ぶだけであった。 1859年 3 月19日にこの「抄録」の執筆を終えた。同月28日のライエル宛 ての書簡で抄録出版についてマレーへの仲介を依頼し,扉(タイトルペー ジ)の案も同封した14)。そこには下記の書名原案が記されていた(スラッ シュ/は改行)。
Through Natural Selection
同月30日のライエル宛ての書簡を見ると,ダーウィンの書名案に対し, マレーは “abstract” と “natural selection” とを削除するよう要請していた ことが分かる15)。ダーウィンは参照文献の記載を省略している弁解として “abstract” が必要だと考えていたが,ここはマレーとライエルの意見に 従って “abstract” の削除に同意した。しかし “natural selection” はなじみ がないというマレーの意見には同意せず,“natural selection” の後に “or the preservation of favoured races” という言い換え語を加えることにした。
1859年 9 月10日のマレー宛ての書簡では,タイトル案から “Varieties” を削除するよう申し出ている16)。これは問題を明確にする上で賢明な処置 だといえよう。
最終的には末尾に “in the struggle for life” が加えられ,初版の扉に記 載の正書名は下記のようになった。
ON / THE ORIGIN OF SPECIES / BY MEANS OF NATURAL SELECTION, / OR THE / PRESERVATION OF FAVOURED RACES IN THE STRUGGLE / FOR LIFE
この正書名は第 5 版まで変わらなかったが,第 6 版では冒頭の “ON” が 削除された。
前扉の略書名も,初 版 か ら 第 5 版 ま で は “ON THE ORIGIN OF SPE-CIES” だったが,第 6 版では冒頭の “ON” が削除された。
背書名は,初版から第 4 版までは “ON THE ORIGIN OF SPECIES” だっ たが,第 5 版では冒頭の 2 語 “ON THE” が削除された。本書を指示する 場合の略称としては,第 5 版の背書名 “Origin of Species” を用いるのが最 も簡潔な方法といえよう。
5.扉の諸項目 扉(タイトルページ)に記載されている正書名以外の事項について見て おきたい。 1)著者名 正書名の下には,ダーウィンの原案の通り,著者名と学位が下記のよう に記されており,これは最終版まで変わらなかった。
By CHARLES DARWIN, M. A.,
ダーウィンの正式名称は Charles Robert Darwin である。その由来をた どれば,Robert は父親 Robert Waring Darwin の名で,Charles は父ロバー トの長兄で秀才の Charles Darwin(1758!1778)の名である。ウエストミ ンスター寺院の墓碑銘にも Charles Robert Darwin とあるので,辞典類の 項目名としてはこの正式名称を使うほかない。しかし,本人はこの名前を 使ったことがない。手紙のサインや著作の著者名は『種の起源』と同様に すべて Charles Darwin である。 2)学位 M. A. は学芸修士(Master of Arts)のことである。ダーウィンは1831年 1 月にケンブリッジ大学学芸学部の卒業試験に合格し, 4 月に B. A. すな わち学芸学士(Bachelor of Arts)の学位を取得した。ここでいうアーツ は中世のリベラル・アーツに由来しており,ダーウィンがケンブリッジで 学んだ植物学も地質学もアーツであった。日本では通常,B. A. を「文学 士」と訳しているが,誤訳である。 学士(バチェラー)の上位の学位が修士(マスター)だが,ケンブリッ ジの学芸学士は,卒業後,一定年後に手数料を払って手続きすれば学芸修
士(マスター・オブ・アーツ)の学位を取得できることになっていた。 ダーウィンも1837年にこの学位を取得している。『種の起源』だけでなく, ダーウィンの著書の著者名には M. A. が付記されているが,それほど意味 のある学位号ではない。 3)所属学会 初版では著者名の下にダーウィンが所属する学協会が,ダーウィンの原 案の通り,下記のように記されている。
Fellow of the Royal, Geological & Linn. Socy.
すなわち,「王立協会,地質学会,およびリンネ学会の会員」と記され ている。ただし,第 4 版(1866)以降は著者名と学位に続けて F. R. S. と 記載するだけになっている。 1660年創立の「王立協会」(Royal Society)はいうまでもなく,イギリ スを代表する科学者たちで構成されており,ダーウィンは1839年 1 月に会 員に選出されている。現在でも王立協会会員であることはイギリスの研究 者にとって最大の誇りであり,彼らの著書の著者名には FRS が付記され ている。ダーウィンも第 4 版以降は F. R. S. の肩書きだけで十分と判断し たのであろう。
1807年創立の「地質学会」(Geological Society of London)はイギリス 最古の専門学会である。ダーウィンはビーグル号航海からの帰国直後, 1836年11月に会員に選出されている。
1788年創立の「リンネ学会」(Linnean Society of London)は,スウェー デンのリンネ(Carl von Linné)に因んで設立された総合的な自然史部門 の学会である。ダーウィンは1854年に会員に選出されている。
4)著書紹介 初版から第 3 版(1861)までは,所属学会の下に『ビーグル号航海記』 が下記のように記載されている。これはダーウィンの原案にはなかったも のである。当時,ダーウィンは地質学と動物学で功績を残していたが,一 般読書界では『ビーグル号航海記』の著者として知られていたことを反映 している。
AUTHOR OF ‘JOURNAL OF RESEARCHES DURING H. M. S. BEAGLE’S VOYAGE ROUND THE WORLD.’
第 3 版(1861)以降は扉の裏面にダーウィンの著書一覧が掲載されるよ うになり,第 4 版(1866)以降は表面の『ビーグル号航海記』紹介が無く なった。 なお,第 5 版と第 6 版ではダーウィンの著書一覧の最後に,フリッツ・ ミュラー(Fritz Müller)の著書の英訳書が記載されている。ダーウィン が同書を高く評価していたことが分かる。
FACTS and ARGUMENTS for DARWIN. By FRITZ MÜLLER. From the German, with Additions by the Author. Translated by W. S. DALLAS, F. L. S. With Illustrations. Post 8vo. 6s.
5)出版者と出版年
初版では扉の下方に出版社と出版年が下記のように記載されている。 LONDON :/JOHN MURRAY, ALBEMARLE STREET./1859.
第 2 版以降も出版者の記載に変化はなく,出版年はそれぞれの出版年に 変更されている。出版者のジョン・マレーと,扉の裏面に記載されている 印刷所のクルーズ(W. CLOWES)については別稿で詳しく扱う予定であ る。
6)翻訳権
初版以来のどの版でも,扉の最下方に小さな活字で,翻訳権について下 記のように記されている。
The right of Translation is reserved.
7)版次 第 2 版ではタイトルページの中央に,累積発行部数が下記のように記さ れている。 FIFTH THOUSAND. これは累積発行部数が4,000部台であることを示している。実数は初版 1,250,第 2 版3,000,合計4,250であった。なお,第 2 版は当初,初版の増 刷という意識で刊行されたため,版次の記載は無い。 第 3 版(1861)では下記のように記載されている。第 3 版の発行部数は 2,000部で,累積部数は6,250であった。
THIRD EDITION, WITH ADDITIONS AND CORRECTIONS. (SEVENTH THOUSAND.)
第 4 版(1866)以降の版でも第 3 版と同じ形で記載され,第 6 版(1872) の最終訂正版(1876)では下記のように記載されている。ここまでの累積 発行部数は,17,500部であった。
SIXTH EDITION, WITH ADDITIONS AND CORRECTIONS TO 1872. (EIGHTEENTH THOUSAND.)
6.正書名の項目別検討
正書名『自然選択,すなわち生存闘争における有利な変種の保存による 種の起源』(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the
のだろうか。まず,書名を構成する語句を個別に考察し,最後に全体の意 味を考えてみたい。
1)「種の起源」(Origin of Species)
ダーウィンは『種の起源』序論の冒頭で,「種の起源,すなわち現在の 偉大な哲学者の一人によって,神秘中の神秘(that mystery of mysteries) と呼ばれている問題」と述べている(p. 1)。この哲学者とはハーシェル (John Frederick William Herschel)のことである。ハーシェルはライエ ルへの手紙(1836年 2 月20日)の中で,「私は,絶滅種が他の種によって 置き換えられることを神秘中の神秘と呼びたい」(I allude to that mystery of mysteries, the replacement of extinct species by others.)と述べていた。 この手紙はバベッジ(Charles Babbage)の『第 9 ブリッジウォーター論 集』(1837)に掲載され,同書の第 2 版(1838)でこれを読んだダーウィ ンは1838年12月 2 日,転成ノート E59 に,次のように書き入れた17)。
「ハーシェルは新しい種の出現を神秘中の神秘と呼び,この問題につい て重大なことを述べている。万歳だ!『介在する原因』」(Herschel calls the appearance of new species the mystery of mysteries, & has grand passage upon the problem.! Hurrah-“intermediate causes”)
したがって,「種の起源」すなわち「神秘中の神秘」とは「新種の出現」 を意味していることになる。 しかし,読者がそのように理解するかは別の問題である。創造論の立場 を堅持したアガシ(Louis Agassiz)は『種の起源』批判(1860)の冒頭で, 綱・目・科・属・種のいずれについても「共通の源泉」(a community of origin)を求めることはできないと主張した18)。直接には書名に言及して いないものの,アガシは Origin of Species を「種の源泉」と理解していた のである。
オケによれば,ブロン(Heinrich Bronn)による最初の独訳(1860)で は書名の冒頭部分は,Ueber die Entstehung der Arten と訳されていたが, 1871年刊のザイドリッチ(Georg Seidlitz)の独訳では Ueber den Ursprung
der Arten と訳されている19)。すなわち,ブロン訳では正しく『種の形成』
と訳されているが,ザイドリッチ訳では『種の源泉』と訳され,「生命の 起源」を思わせる書名になっている。
同書は通常,On the Origin of Species あるいはさらに短く Origin of
Spe-cies という略書名で呼ばれるため,英語圏でも「種の源泉」すなわち「生 命の起源」を扱った書であるという誤解が生まれることになった20)。邦訳 書名『種の起源』についても同じことがいえるであろう。 さて,『種の起源』が「種の形成」論であるとしても,そもそもこの 「種」とはなんであろうか。オケは,「種の形成」を論じることは安定した 存在であるはずの「種」の概念を否定することになるので Origin of Species という表現自体,矛盾語法(oxymoron)であると指摘している21)。『種の 起源』第 2 章でダーウィンは繰り返し,属と種と変種の区別は便宜的で恣 意的であると述べ,最終章でも,「ナチュラリストたちが属を便宜のため に人為的に設定されたものとして扱っているのと同様に,種を扱うべきで ある」(p. 485)と述べている。ダーウィンの種概念についてはいずれ別 稿で詳しく扱いたいが,少なくともこうしたダーウィンの主張を素直に受 け取れば,種は恣意的に設定されたもので実在しないことになる。実在し ないものについて,その起源を問うことはできるのだろうか。 しかし書名は,まだ本文を読んでいない読者たちに向けられたものであ る。書名の「種」は,当時のナチュラリストたちが習慣的に「種」とみな していたものを意味していると理解してよいのではないか。読む前から 『種の起源』の内容を知っている現在の読者とは違って,当時としては 「種の成り立ちを問う」という書名は挑戦的だったのではなかろうか。
2)「自然選択」(Natural Selection)
前述の第4章で見たように,ダーウィンが提案した原案では,Origin of
Species and Varieties Through Natural Selection とあるだけで,「自然選択」
についての説明は付記されていなかった。マレーは「自然選択」という用 語には「なじみがない」(not familiar)ので削除するよう要請したと思わ れる。ダーウィンは前述した1859年 3 月30日のライエル宛ての書簡で,原 案から「抄録」を削除することには同意したが,「自然選択」については 次のように述べている。 「自然選択」という用語についても遺憾に思います。しかし私は「自然 選択,すなわち優れた変種の保存」といった説明を付記することでこの用 語を残したいと思います。なぜこの用語を好むかというと,品種改良のす べての業績で常に用いられているからです。マレーがこの用語になじみが ないということに驚いています。 ダーウィンがマレーの反応に驚く以上に,我々はダーウィンのこの対応 に驚いてしまう。ダーウィンには「自然選択」が自分の造語であるという 意識が無かったようである。 ダーウィンが1836年から1844年に掛けて記入した転成ノート類には「自 然選択」(natural selection)という形の用語は登場しない22)。ダーウィン の稿本類で最初にこの用語が登場するのは1842年「スケッチ」であり, 1844年「エセー」にも用いられている23)。 先に述べたように,ダーウィンは1857年 9 月 5 日のグレイ宛ての手紙に 同封した理論の概要の中で,「自然選択」を「我が著書の書名」と記して いる。この概要が1858年の共同論文に用いられ,「自然選択」という用語 が初めて公表された。しかしこの共同論文の影響は極めて限定的であり,
ほとんどのイギリス人にとって,マレーの苦言の通り,「自然選択」はな じみのない用語であった。
3)「優れた変種の保存」(the Preservation of Favoured Races)
ダーウィンが付記した語句「優れた変種の保存」は,はたして「自然選 択」の説明として妥当だろうか。問題を 2 点,指摘しておきたい。一つに は race が多義的用語であり「変種」の意味で理解されるとは限らないこ と,二つには個体ではなく変種という集団が選択の対象となっていること である。 まず,「優れた変種の保存」という語句だけを取り出して考察すれば, 「保存」(preservation)を実施するのも,「優れている」(favoured)と判 断するのもヒトである。ダーウィンは1842年「スケッチ」と1844年「エ セー」では「変種」の意味で race を用いていたが,『種の起源』本文では race に換えて variety を用いるようになり,race は「品種」の意味で用い るようになった。問題の語句 the Preservation of Favoured Races はヒトの 関与を示唆しているので,「優れた品種の保存」,すなわち品種改良を意味 することになってしまう。
また,race には「人種」の意味があり,本書が人種論であると誤解さ れかねない。さらにフランス語の race やドイツ語の Rasse は英語の race よりも人種の意味が優越するため,『種の起源』の仏訳や独訳では人種論 という誤解を強めることになった24)。 第二に,『種の起源』本文によれば,自然選択でも人為選択でも選択の 対象は個体変異である。変種が選択の対象になることも認められるが,そ れは二次的なことである。問題の語句は「自然選択」の説明になっていな いのである。
4)「生存闘争」(Struggle for Life)
最終的にダーウィンは書名の末尾に「生存闘争における」(in the
Strug-gle for Life)を付記し,タイトル全体は “On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life” となった。
“Struggle for Life” あるいは同義の “Struggle for Existence” はダーウィ ン以前から用いられていた語句であったが,明確に定義された用語ではな かった25)。マルサスやライエルは個体間あるいは集団間の生死の闘いを 「生存闘争」と呼んでいた。『種の起源』第 3 章「生存闘争」(Struggle for Existence)では,生きるための努力を広く「生存闘争」としているが, ライエルらと同様の意味でも用いられ,ダーウィンに限ってもこの語句の 意味は曖昧であった。 「生存闘争」の語義は不明確であっても,これを付記することによって
the preservation of favoured races が自然界の現象のことであることは明確
になった。ダーウィンがこの語句を付記したのは,このことを意識したか らであろう。しかしそうなると,favoured races とは闘争の勝者,すなわ ち闘争の結果,保存されるものを意味することになり,the preservation of favoured races は同語反復になってしまう。 5)正書名全体の意味 一般に英文書名で “or” が用いられている場合,“or” より後方の語句は “or” より前方の主書名全体の言い換え,あるいは説明であることが多い。 しかし『種の起源』の場合,書名決定の経過から見て,“or” より後方の
“the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life” が “Natural Selec-tion” の説明であることが明らかである。この説明句には同語反復の要素
ンの意図に添って正書名全体を要約すれば,「変種間の生存闘争による種 の形成」ということになろう。この書名は『種の起源』本文の主張に添っ たものだろうか。 7.書名と本文の食い違い ここまでに本文の内容と書名との食い違いを 2 点,指摘しておいた。 一つは,本文によれば「種」は恣意的に設定されたものなので,その「起 源」は問えないということである。他の一つは,本文によれば自然選択の 選択対象は個体変異であるのに,書名では変種が選択対象とされているこ とである。この二点については,まだ本文を読んでいない読者たちに向け て理解しやすい書名を設定したとみなすこともできるだろう。 この二点以上に本文と書名との違いが歴然としているのが,書名では種 形成の要因が自然選択のみとされていることである。本文では用・不用説 など,多様な要因が認められている。そのため『種の起源』の進化要因論 については多様な解釈がなされてきた26)。ダーウィンが書名に「自然選択」 だけを記載したのは独創性を強調するためであろう。現在の生物学では ダーウィンの唱えた自然選択説が正当な進化要因論とみなされ,『種の起 源』は近代進化論を確立した書と評価されている。そのため,書名と相 まって,『種の起源』は自然選択説だけという誤解が広まり,ダーウィン の自然選択説とラマルクの用・不用説とを対比するような間違いも広まっ ている。 書名に対する古典的な批判の一つが,『種の起源』は「適応の起源」を 論じているが,「種の起源」すなわち「種分化」を論じていないというも のである。ロマニズ(George John Romanes)は種分化に生殖隔離が不可 欠であるのに『種の起源』ではこの問題を論じていないと批判し,生殖隔 離をもたらす要因として「生理学的選択」を提唱した27)。この問題はいず
れ本文を考察する際に論じる予定なので,ここでは問題を指摘するだけに とどめておきたい。
注
1)Charles DArwin, Origin of Species. John Murray, 1859. ウェブサイトの
Dar-win Online にダーウィンの著作と稿本がほとんどすべて掲載されている。
『種の起源』についても第 6 版(1872)までの各版のイメージとテキストが 掲載されている。本稿で記載する同書のページ番号は初版のものである。 2)『種の起源』についての論考は大量にあるが,書名に焦点を当てた研究は
少ない。フランスの科学史家オケは『種の起源』研究書で一つの章を書名の 問 題 に 当 て て い る。Thierry Hoquet, Revisiting the “Origin of Species”: The
Other Darwins. Routledge, 2018. pbk, 2019. 46!71.
3)ダーウィンの生涯と『種の起源』執筆の事情について詳しくは下記を参照。 松永俊男『チャールズ・ダーウィンの生涯』朝日新聞出版,2009.
4)CCD5, 159. 現存するダーウィンが送受信した書簡は,刊行中の『ダーウィ ン書簡集』(The Correspondence of Charles Darwin, Cambridge UP, 1985!)に すべて収録されている。“CCD5, 159.” はこの書簡集の第 5 巻159ページを意 味している。なお,この書簡集の内容はケンブリッジ大学のウェブ・サイト
Darwin Correspondence Project で公開されている。
5)ダーウィンは1838年 8 月以来,最晩年まで,「日誌」(Journal)と題した 小さなノートに日々の出来事を記し続けた。自筆本のイメージとテキストが
Darwin Online に掲載されている。
6)CCD6, 265. 7)CCD6, 447.
8)‘my larger book’(Letter to Lyell, Oct. 20, 1859. CCD7, 354.), ‘my bigger book’(Letter to Henslow, 11 Nov., 1859. CCD7, 370.; Letter to Fox, 25 Dec., 1859. CCD7, 450.), ‘my larger work’(Letter to Murray, 2 Dec., 1859. CCD7, 410.; Letter to Powell, 18 Jan., 1860. CCD8, 41).
9)CCD7, 410. 10)CCD7, 443.
Form Varieties; and on the Perpetuation of Varieties and Species by Natural Means of Selection,” Journal of the Proceedings of the Linnean Society of London.
Zoology 3(1858):45!50.
12)Charles Darwin and Alfred Russel Wallace, “Three Papers on the Tendency of Species to Form Varieties; and on the Perpetuation of Varieties and Species by Natural Means of Selection,” Zoologist 16(1858): 6293!6308.
13)Gardeners’ Chronicle(2 October, 1858):735. 14)CCD7, 269!271.
15)CCD7, 272!273. 16)CCD7, 330!331.
17)ダーウィンが1836年から1844年にかけて記入した種についての研究ノート も,Darwin Online にイメージとテキストが掲載されている。
18)Louis Agassiz, “Professor Agassiz on the Origin of Species,” American Journal
of Science and Arts(Ser. 2)30(1860): 142!154. 19)前掲(注 2 )49!52.
20)前掲(注 2 )170!186. 21)前掲(注 2 )53.
22)Donald J. Weinshank et al.(eds.),A Concordance to Charles Darwin’s
Note-books, 1836!1844. Cornell UP, 1990.
23)Francis Darwin(ed.),The Foundations of the Origin of Species : Two Essays
Written in 1842 and 1844 by Charles Darwin. Cambridge UP, 1909. 7 & 241.
同書も Darwin Online にイメージとテキストが掲載されている。 24)前掲(注 2 )63!64.
25)松永俊男『近代進化論の成り立ち』創元社(1988):17!29. 26)前掲(注 2 )97!153.
27)George J. Romanes, “Physiological Selection ; an Additional Suggestion on the Origin of Species,” Zoological Journal of the Linnean Society, 19(1886): 337!411.