対外政策決定者の脅威認識と 「情報要求」 (2) : 1994年の朝鮮半島核危機を巡る米国の対外政策決定過程から
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(2) 104 (282). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). Ⅲ 1982 年から 1994 年までの米朝関係における. に提供する行政機関」として行動する1).本事例. 米国 の 対外政策決定者 の 脅威認識, 「情報. の 1980 年代から 1994 年までの時期では,CIA. 欲求」 ,対外行動の相関性の検証. 長 官 で あ る 中 央 情 報 長 官( DCI: Director of. 本節では,前節で提示した仮説を 1982 年か. Central Intelligence)が IC の長を兼ねており,. ら 1994 年までの北朝鮮の核兵器開発の脅威に. IC は,大統領・NSC に 直属 す る CIA の ほ か,. 対する米国の対外政策決定過程を事例として検. 国防総省に属する国家安全保障局(NSA),国. 証し, 対外政策決定者の脅威認識, 「情報欲求」 ,. 家偵察局(NRO),国防情報局(DIA)及 び 陸. 対外行動の変化の相関性を確認する.. 海空三軍・海兵隊の情報部,国務省の情報調査. 本事例研究で対象となる脅威は,北朝鮮の核. 局(INR),財務省 の 情報支援局,司法省 の 連. 兵器開発の脅威である.そのため,北朝鮮の韓. 邦捜査局(FBI),エ ネ ル ギー省 の 不拡散・国. 国への軍事行使の脅威などは核兵器開発の脅威. 家安全保障部などで構成されていた.. との関連で考察するものの,本事例の直接的な. その中でも中央情報局(CIA)は,大統領直. 対象ではない.. 属 の 情報機関 と し て,戦後 の 対外政策 に 大 き. 本稿では,対外政策決定者及び IC はそれぞ. な 影響 を 及 ぼ し て き た.CIA は,第二次世界. れ一つのアクターとして,両者の関係において. 大戦後の 1947 年に制定された国家安全保障法. 合理的に意思決定し活動するものとみなす.対. に 基 づ き 設立 し た.CIA の 前身 は,第二次世. 外政策決定者・IC を構成する情報機関には多. 界大戦中 に 活動 し 戦後 に 解体 さ れ た 戦略諜報. 様な種類の組織・個人が存在するが,その各々. 局(OSS: Office of Strategic Services)である. . の関係を見ると, 「情報」の生産・提供をめぐ. ト ルーマ ン 大統領 の 下,CIA は,戦後 の 国際. るやりとりは共通してみられる現象である.そ. 情勢に対応する大統領府直属の機関として創. の た め,対外政策決定者 と IC の「情報」を め. 設された.なお,CIA は,海外でのインフォ. ぐる関係を考察するために,各組織・個人の特. メーション収集・特殊工作活動を主な活動範囲. 徴を捨象して対外政策決定者・IC の 2 つにア. とするが,レーガン大統領の大統領令 12333 号. クターに単純化し,両アクターの関係に注目し. によって,その活動範囲が国内にも拡大された. たモデルを構成・使用することが適当である.. (Richelson,2008 年,15─17 頁).. 本稿において,対外政策決定者とは, 「安全. IC・情報機関は,①国家の存在を危うくしう. 保障政策に関連する IC を除くすべての行政機. る脅威,出来事などを解明して戦略的なサプラ. 関全体」であり,脅威を対処するための対外政. イズを回避するという最重要の目標のほか,②. 策決定過程に基づいて政策を決定する.米国に おいては, 最終決定権者である大統領を頂点に, 副大統領,国家安全保障担当大統領補佐官,国 家安全保障会議(NSC)などのホワイトハウス の側近,国務長官,国防長官などの閣僚,国務 省,国防総省のうちの政策部門など,その種類 は多岐に亘る. 一方,IC は「情報機関の連合体」であり,そ れ を 構成 す る 情報機関 と は, 「対外政策決定者 の『情報欲求』及びそれらに基づく要求に基づ き,脅威の兆候の察知及びそのさらなる解明を 行い,それに関する『情報』を対外政策決定者. . 1)米国 の IC は, 「米国 の 外交及 び 国家安全保 障 の 保護 の た め に 必要 な 情報活動(intelligence activities)を 行 う た め に 個別・共同 し て 遂行 す る 行政部門 の 連合体」と 規定 さ れ る(米国・IC ホ ー ム ペ ー ジ,<http://www.intelligence.gov/1definition.shtml>,2009 年 7 月 11 日 ア ク セ ス,筆 者訳) .2004 年 に 制定 さ れ た「情報機関改革及 び テロリズム防止法」によって 1947 年の「国家安全 保 障 法(National Security Act of 1947) 」制 定 以 来の大幅な組織改編が行われ,IC の長として国家 情報長官が設置され,その下に中央情報局(CIA) を含む 16 機関が配置されている(小林,2005 年; 小林,2006 年,147 頁:小谷,2007 年,24─25 頁) ..
(3) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (283) 105. 対外政策決定者に長期的な知見を提供し,③政. 米国は,「新思考」外交を採るソ連との緊張緩. 策形成を支援し,④秘密を維持するために, 「情. 和を促進し,1989 年 12 月に冷戦終結を宣言す. 報」の生産・提供のみならず,防諜,特殊活動. るに至った.また,対北朝鮮政策でも北朝鮮と. などを実施するが(Lowenthal,2006 年,2─9. の対話を試みる政策への転換を表明した.一方. 頁,ODNI,2009 年,7─8 頁) ,本稿では,IC・. で,北朝鮮の韓国に対する軍事行使・テロ行為. 情報機関の活動を「情報」の生産・提供に限定. に警戒を強めつつ,北朝鮮の核兵器開発の進展. 2). する .. を懸念していた. 第 3 区分 は,1989 年 に 米国 が 北朝鮮 の 核燃. ⑴ 期間 の 区分 と 脅威認識, 「ニーズ」 , 「欲求」 の判定基準. 料棒取 り 出 し 作業 を 把握 し て か ら,1992 年 5 月に国際原子力機関(IAEA)が北朝鮮に保障. 本事例では,脅威認識の変化に合わせて時期を. 措置を実施する直前までの期間である.ブッ. 次の 5 つに区分し,区分ごとに IC の「情報」生. シュ政権は,ソ連崩壊や湾岸戦争などの国際的. 産活動,朝鮮半島を巡る米国の対外行動について. な懸案事項に対処しつつ,北朝鮮の対米・対韓. 整理した後,対外政策決定者の脅威認識, 「情報. 姿勢の軟化に応じて,北朝鮮の保障措置協定締. 欲求」 ,対外行動の相関性について検証する.. 結を促す対外政策を展開した.. 第 1 区分 は,米国 が 1982 年頃 に 北朝鮮国内. 第 4 区分 は,1992 年 5 月 に IAEA が 北朝鮮. での核施設建設を探知した時から,1985 年 12. に 対 し て 保障措置 を 実施 し て か ら,1993 年 3. 月 に 北朝鮮 の 核不拡散条約(NPT)加盟 ま で. 月に北朝鮮が NPT 脱退を宣言するまでの時期. の時期である.同時に,レーガン政権の第一期. で あ る.米国 は,北朝鮮 が IAEA の 査察 か ら. の任期(1981 年から 1985 年まで)に当たり,. 核兵器計画を継続する意思を明らかにしたこと. レーガン政権は, 「強いアメリカ」の復興を目. から,米韓軍事合同演習などによる抑止と国際. 指し,軍事拡大とソ連の脅威を強調した対外政. 社会の連帯を通じた国際的圧力を強化し,北朝. 策を展開した.その過程で冷却していた米韓関. 鮮を孤立に追い込んでいった.. 係を修復して北朝鮮との勢力均衡を維持しつ. 第 5 区 分 は,1993 年 3 月 の NPT 脱 退 後 か. つ,北朝鮮国内での核施設の建設を察知して,. ら,1994 年 10 月に米国・北朝鮮が枠組み合意. 北朝鮮の NPT 加盟を促す政策を実施した.. を締結するまでの時期である.国際的に孤立し. 第 2 区分 は,北朝鮮 が 1985 年 12 月 に NPT. た北朝鮮が NPT 脱退を宣言して危機が緊急性. に加盟してから,1989 年に米国が北朝鮮によ. を帯びたことにより,クリントン政権はこれま. るプルトニウム抽出を確認するまでの期間であ. での抑止・国際的圧力による政策に加え,北朝. る.米国の政権が,第二期のレーガン政権(1985. 鮮との直接交渉を進めた.しかし,北朝鮮との. 年から 1989 年まで)から,ブッシュ(第 41 代). 交渉の行き詰まりから,一時軍事的衝突まで懸. 政権(1989 年 か ら 1993 年 ま で)へ 移行 し た.. 念されたものの,カーター元大統領が訪朝して 金日成主席と会談したことを契機に事態は急速. . 2)北岡 は,IC・情報機関 の 分析業務 に は 推測 という不確実な要素が必ず伴う点を指摘し,IC・ 情報機関はその不確実性に挑戦し「将来を予測す る」役割を担うと主張する(北岡,2006 年).しか し,米国政府は,「情報」は脅威の状況,今後展開 される複数のシナリオを提供するものであり,何 が将来起こるかという未来予測を行うものではな いと否定する(ODNI,2009 年,11 頁).. に沈静化した. 脅威認識の過程として,対外政策決定者は, IC が生産し「情報」に基づき,「能力」・「意図」 の有無の判定とともに,「阻害される価値」の 物理的生存への阻害の程度を同時に検討するこ とによって脅威の様態の確定を進める.本事例 の場合,北朝鮮の核兵器開発「能力」の有無の.
(4) 106 (284). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). 解明 と は「北朝鮮に核兵器を開発する能力が. で建設中の原子炉らしき施設を発見した.数日. あるのか」を解明することであり,即時に核兵. 後にワシントンでこの衛星写真が分析されたこ. 器を生産できる状況にあるだけではなく,近い. とにより,IC が関心を持つに至った(オーバー. 将来核兵器を確実に生産できる状況にあること. ドーファー,2002 年,294 頁)4). た だ し, 北. も含む.具体的な核兵器開発「能力」の判断の. 朝鮮はそれ以前から原子力発電所の建設への意. ためには,プルトニウム型核兵器の場合,核兵. 志を明確にしていた.金日成主席は,1980 年. 器の原料となるプルトニウムの生産のための原. 10 月 の 朝鮮労働党第 6 回大会 に お い て,1980. 子炉とプルトニウムを使用済み核燃料から抽出. 年代の経済建設のためには原子力発電所の建設. する再処理施設の存在がその要件として挙げら. が必要であると主張している(ラヂオプレス,. れる.実際に核兵器を製造するためにはそれら. 2005 年).. の要件に加えて核爆発装置の存在も必要となる. IC はこの段階では建設中の原子炉が核兵器. が,核兵器の原料を生産できることが将来的な. 生産に要するとして判断していない.CIA が. 核兵器開発「能力」を持つことと判断できる (防. 対外政策決定者に配布した分析資料によれば,. 衛省,2007 年,15 頁) .. 北朝鮮が寧辺で新しい原子炉を建設中である. 北朝鮮の核兵器開発の「意図」の有無の解明と. が,数年では完成しない上,核兵器開発計画に. は「北朝鮮は,国際社会の監視の中,核兵器を. 必要な量のプルトニウムを生産できるようには. 開発するつもりなのか」を解明することである.. 設計されていないと分析した5).この分析資料. しかし,その「意図」は, 「能力」と異なり,外. の焦点は原子炉建設へのソ連の関与,原子炉建. 部からその存在を確信できる明確な基準が存在. 設の IAEA への報告の可能性に向けられてお. し な い.そ の た め,対外政策決定者 は,IC か. り,核施設での核兵器製造の可能性については. ら提供される「情報」に基づき,プルトニウム. 報告書の末尾に補足的に記載されるにとどまっ. 生産用の原子炉・再処理施設の建設を含めた北 朝鮮の核兵器開発に関連する言動を情況証拠と して,その「意図」を解明していくことになる. 北朝鮮の核兵器開発の脅威に対する「情報欲 求」は,脅威認識では不足している「情報」を 欲する要素であるため,将来の脅威認識を意識 した性質となる.分析手法としては,その当時 の脅威認識の内容はもちろんのこと,次区分の 脅威認識の内容も考慮に入れて考察する必要が ある. 本稿では,対外政策決定者の言動や IC が作 成する「情報」の内容から,対外政策決定者の 脅威認識, 「情報欲求」 ,対外行動を把握する. ⑵ 第 1 区分:北朝鮮の核疑惑の兆候(1980 年 代初頭から 1985 年 12 月まで) ① IC の活動:核施設の発見 米国の偵察衛星は,1982 年 4 月,北朝鮮の平 安北道寧辺郡にある寧辺原子力研究センター3). . 3)寧辺核施設 は,1960 年代 に ソ 連 が 北朝鮮 に対して小規模の実験用原子炉を提供したことに よって 設置 さ れ た.当時,北朝鮮 は NPT に 加盟 していなかったが,ソ連の主張により 1977 年,同 原子炉 は IAEA の 査察下 に 入った(オーバードー ファー,2002 年,297 頁:ラヂオプレス,2005 年) . 4)米国政府関係者の発言の中には IC が寧辺で 建設中の原子炉を発見した時期を 1980 年とする証 言もある(Wit, 2005 年,1 頁) .本稿では〔オーバー ドーファー,2002 年〕の記述を基に進める. 5)核兵器 は,中性子 の 吸収 に よ り 原子 が 分裂 する際に放出されるエネルギーを利用した兵器で あるため,その製造には核分裂を起こしやすい原 子 か ら な る 物質(核分裂性物質)が 必要 と な る. 代表的な核分裂性物質がウランとプルトニウムで ある.現在ではプルトニウム型核兵器が主流となっ ており,本事例でもプルトニウム型核兵器の製造 が主に取り扱われている.プルトニウムは自然界 にはほとんど存在しないものの,原子炉でウラン 燃料を使用することで副産物としてプルトニウム が生成される.再処理施設で使用済み燃料に科学 的処理を施すことによって,プルトニウムを抽出 できる(防衛省,2007 年,15 頁) ..
(5) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (285) 107. ている(CIA,1982 年) .. ウム再処理施設の有無を判断要素としている.. この CIA の評価は 1983 年 5 月に配布された. この NIC 資料では世界の核拡散の動向を分析. 分析資料にも継続している.この〔CIA,1983. しており,それによると,北朝鮮は中期的に核. 年〕は,CIA が今後 10 年間における核拡散の. 拡散の脅威を引き起こす若干の可能性があると. 懸念のある事象について予測した資料であり,. しているものの,これまでの CIA の分析と同. 北朝鮮については 1980 年代では原子炉の入手. じく再処理施設などを建設している証拠がない. を追求すると予測されるが,核兵器開発・実験. としている.加えて,韓国,ソ連,中国の存在. に必要な施設・資源を有すると信じるだけの根. を挙げて,北朝鮮が核兵器開発を躊躇する国際. 拠はないと指摘した(CIA,1983 年) .さらに,. 環境が醸成されている点を指摘している(NIC,. CIA が 1984 年 4 月に配布した分析資料によれ. 1985 年,16─17 頁).. ば,北朝鮮の原子炉建設の進捗状況,必要とす. 以上から,1980 年代前半において IC が生産. る燃料の種類(天然ウラン)について説明し,. する「情報」の焦点は,北朝鮮の核兵器開発の. 北朝鮮が原子炉を完成させるのに少なくとも 3. 「能力」 ,すなわち「北朝鮮に核兵器を開発する. 年以上必要であるが,他国の支援なしに完成さ. 能力があるのか」 ,の解明であると判断できる.. せる能力があると評価し,北朝鮮の原子炉建設. IC は,1982 年以降北朝鮮の原子炉に関する分. に関する分析をさらに進めている.また,この. 析を徐々に深化させており,原子炉建設の進捗. 〔 CIA,1984 年〕は,北 朝 鮮 が 核 不 拡 散 条 約. 状況から原子炉完成に必要な期間,北朝鮮の原. (NPT)未加盟のままであり,建設中の原子炉. 子炉建設能力の有無にまでその分析が及んでい. が国際原子力機関(IAEA)の監視下に置かれ. る.但し,核兵器開発の「能力」の分析におい. ることを望んでいないことに言及しているが,. て,IC が実際に核兵器開発の可能性を意識して. 北朝鮮の核兵器開発「能力」に対しては言及さ. いたことを伺わせる記述は見られない.一方,北. れていない(CIA,1984 年) .. 朝鮮の核兵器開発の「意図」 ,すなわち「北朝鮮. IC は,1984 年 6 月 に,北朝鮮 の 核施設建設. は,国際社会の監視の中,核兵器を開発するつ. 地から,原子炉,冷却塔,ごく限られた電線,. もりなのか」の解明については,〔NIC,1985. 送電網を確認した.IC は,これまでの衛星写. 年〕で国際環境を理由に北朝鮮の「意図」は存. 真から,この原子炉が 1950 年代後半に製造さ. 在しないと分析する程度にとどまっている.. れ核兵器製造に使用された旧式のフランス製原. ② 対外行動:北朝鮮 へ の 軍事的抑止力 の 強化. 子炉や英国製原子炉に酷似しており,毎年核兵. と北朝鮮の NPT 加盟への圧力. 器 1 個分の製造に必要なプルトニウムを生産で. 1981 年に就任したレーガン大統領は,最初. きると分析した.ただし民間利用の原子力発電. の記者会見でソ連がデタント政策を一方的に. 所の初期段階とも考えられたため,それだけで. 利用して軍事的優位を追求したことを強く非難. 北朝鮮の原子炉を核兵器計画の決定的な証拠と. し,ソ連を「悪の帝国」とみなし,核・通常兵. 決めつけることは困難であった.核兵器開発「能. 力ともアメリカ自体が増強し,優位に立って初. 力」を判断する上で,プルトニウムの生産がで きる原子炉のみならず,プルトニウム再処理施 設が不可欠であるからである(Mazzer,1995 年,40 頁;オーバード-ファー,2002 年,295 頁) .国家情報会議(NIC: National Intelligence 6) Council) の分析資料でも,核兵器開発「能力」. の検証において,核爆発装置とともにプルトニ. . 6)NIC と は 国 家 情 報 評 価(NIE: National Intelligence Estimates)な ど の 中長期的 な 情報分 析 を 行 う 機関 で あ る(NIC,2009 年) .NIC の 前 身 は CIA の 国家評価室(ONE: Office of National Estimates)で あ り,当時 も CIA 長官 の 下 に 設置 されていたため,事実上 CIA によって運営されて いた(Richelson,2008 年) ..
(6) 108 (286). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). めて交渉に臨むとの強硬な態度を強調した(有. 朝鮮を国際的に孤立化させるために行動する態. 賀,1998 年,199 頁) .軍事拡大 は 特 に 米軍・. 度を示すにとどまった(オーバードーファー,. 北大西洋条約(NATO)軍 に 向 け ら れ,1983. 2002 年,174─175 頁;ラヂオプレス,2005 年).. 年には,ソ連の大陸弾道ミサイル等に対抗する. これは,レーガン政権が干渉政策を展開したグ. 兵力 の 拡大・配備 を 目標 と し て 戦略防衛構想. レナダ・ニカラグアのいわゆる「アメリカの裏. (SDI)が 提案・予算化 さ れ た.さ ら に,レー. 庭」である中南米と異なり,大国が取り囲む朝. ガン政権は,第三世界における左翼的政権への. 鮮半島情勢の特殊性に配慮した対外政策を採っ. 執拗な干渉政策を展開し,1983 年のグレナダ. ていることを伺わせる.. への侵攻,ニカラグアのサンディニスタ政権に. 北朝鮮との外交交渉において,米国は南北間. 対抗する武装勢力「コントラ」への軍事援助な. の直接対話を重視し,北朝鮮と直接交渉する姿. どを実施した(紀平,1999 年,397─400 頁) .. 勢を示していない.北朝鮮は,ラングーン事件. 米国は,同盟国・韓国に対しても更なる協力. の前日の 10 月 8 日,中国を経由して米国,北. と関係の強化を要請した.レーガン大統領は,. 朝鮮,韓国 の 3 者協議 へ の 参加 の 意向 を 正式. 就任直後 の 1981 年 2 月,日本,英国などの主. に伝達した.この 3 者協議の構想は,1978 年,. 要同盟国に先立ち,韓国の全斗煥大統領を米国. カーター政権期にユーゴスラビアのチトー大統. に招いた.カーター政権での米韓関係は,カー. 領,ルーマニアのチャウシェスク大統領が別々. ター大統領の在韓米軍撤退の主張,クーデタに. に米国を訪問した際にカーター大統領に伝達し. よ る 全斗煥 の 政権奪取,光州事件 や 野党指導. たものであった.これを受けてカーター大統領. 者・金大中(後の韓国大統領)の逮捕・死刑判. も 1979 年にその実現を呼びかけたが,北朝鮮. 決などで大きく冷え込んでいた.全斗煥大統領. が拒否した経緯があった.レーガン政権では,. の米国訪問は停滞した米韓関係の正常化を進め. 1983 年 11 月にレーガン大統領による 3 者協議. る契機となった.その後,米国は,在韓米軍の. を容認する発言があったものの,北朝鮮が 3 者. 増強,最新鋭の F16 戦闘機 16 機の韓国への売. 協議参加を認めてから,米国はその主張を変化. 却,米韓合同軍事演習「チーム・ス ピ リット」. させた(重村,2002 年,55─56 頁;オーバードー. の増強など,韓国の軍事強化を促進した(オー. ファー,2002 年,177─178 頁).そ れ は,1984. バードーファ ー,2002 年,164─169・184 頁) .. 年 3 月の下院外交委員会アジア太平洋小委員会. しかし,1983 年 10 月 9 日に発生したラングー. の公聴会「朝鮮半島における南北関係」でのモ. ン事件7)では,米国・韓国はラングーン事件へ. ンジョ国務次官補代理(東アジア・太平洋担当). の対応としての軍事的な報復措置を自制し,北. の証言からも伺える.モンジョは,韓国と北朝 鮮の直接協議が最も重要であり,必要があれば. . 7)ラングーン事件とは,1983 年 10 月 9 日,ビ ル マ 訪問中 の 全斗煥大統領 を 狙った 暗殺未遂事件 である.ラングーン事件では,全大統領が訪問予 定であったアウンサン廟が爆発し,閣僚 4 人を含 む韓国の高官 17 人が死亡した(全大統領は到着が 遅れたため無事だった).ビルマ当局は首謀者を逮 捕し,捜査の結果,北朝鮮工作員の犯行と断定し た.北朝鮮は犯行を全面否定したものの,ビルマ は北朝鮮との国交断絶,日本政府も日朝間の旅行・ 政府当局者の接触禁止などの限定的な制裁を課し た(重村,2002 年,54─56 頁;オーバードーファー, 2005 年,170─174 頁).. 米国・中国がそれを支援する方針を示した.そ して,北朝鮮が伝達した 3 者協議参加を伝える 文書によると,北朝鮮は韓国を当事者ではなく オブザーバー的立場とみなしているため,米国 はそれを承認することはできないとしたうえ で,ラングーン事件における北朝鮮の謝罪を含 めた対応を求める韓国の立場を支持すると証言 した(the House, 1984 年).米国は,レーガン 政権のソ連・共産主義勢力に対する強硬姿勢や ラングーン事件における韓国への配慮などか.
(7) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (287) 109. ら,3 者協議を拒否する姿勢に転じたとみられ. た米韓関係や在韓米軍の削減による抑止力の低. る.. 下を埋め合わせる意味合いもあり,ラングーン. ただし,実務レベルにおける対北朝鮮姿勢に. 事件に対する自制的な対応や北朝鮮に対する外. 対しては若干の軟化傾向がみられる.国務省. 交戦術の軟化傾向などからも,北朝鮮を過度に. は 1982 年に北朝鮮に対する外交戦術を「微笑. 刺激を与えて対決姿勢を強めるのではなく,こ. 外交」へと転換させた.それまでは米国外交官. れまでの南北の勢力均衡を維持する目的と受け. は北朝鮮外交官との接触を一切禁じられていた. 取れる.. が,第三国が主催のレセプション等に北朝鮮当. ③ 第 1 区分における脅威認識, 「情報欲求」 ,対外. 局者が参加する場合には米国代表として米国外. 行動の相関性. 交官が参加すること,社交的行事で北朝鮮外交. 1980 年代前半 の 北朝鮮 の 核兵器開発 に 対. 官が非政治的な内容について話しかけてきた場. する米国の脅威認識はいかなるものであった. 合に同じ水準で対応することなどが認められた. か.米国 は,IC が 提供 し た「情報」に よって. (キノネス,2000 年,32 頁) .. 北朝鮮による原子炉の建設を察知し,これ以上. 当時の北朝鮮の核開発を巡る動静について,. IAEA の監視なしに原子炉の建設を進めないよ. 米国政府は,IC から「情報」の提供を受けて. うに,北朝鮮の NPT 加盟を促す対外政策を展. 北朝鮮を NPT 体制下に組み込むための対外政. 開した9).北朝鮮の原子炉建設はレーガン政権. 策を展開した.国務省は,西側諸国に対して北. の対北朝鮮政策における懸念事項の一つであっ. 朝鮮への核開発関連物資の輸出の中止を要請し. たものの,朝鮮戦争以降継続する北朝鮮の韓国. たほか,ソ連・中国に対して北朝鮮の NPT 加. への軍事行使の一つの要素として認識される程. 盟の説得を依頼した8).国務省は米国のソ連・. 度であった.1985 年に作成された朝鮮半島情. 中国に対する働きかけの成果に消極的な評価. 勢に関する国務省のブリーフィング資料では,. を 下 し た が(DOS,1985 年) ,北朝鮮 の NPT. 北朝鮮軍 の 非武装地帯(DMZ)付近 へ の 部隊. 加盟へ向けた進展は北朝鮮自身のアプローチ. 移動や原子炉建設を進めつつも,南北対話を再. によって動き出した.北朝鮮の金日成主席は,. 開する柔軟な姿勢を見せている点を挙げて,北. 1984 年 5 月,モスクワを訪問してソ連のチェ. 朝鮮の対韓姿勢が不明確である点を主に指摘し. ルネンコ共産党書記長と会談し,電力需要を補. ており,北朝鮮の韓国への「軍事行使の意図」. うためにソ連から民間の原子力発電所の提供を. を意識した文書となっている(DOS,1985 年).. 申し入れ,北朝鮮・ソ連はその後協議を重ねる. さらに,IC が対外政策決定者に提供した「情. こ と と なった.そ の 結果,北朝鮮 は,1985 年. 報」も,上記のとおり,核兵器開発の「能力」. 12 月,ソ連から軽水炉 4 基を提供することで. の解明が具体的な核兵器開発能力の解明段階に. 合意したことを受けて,NPT に加盟した.. まで至っていない.そのため,対外政策決定者. 以上のように,レーガン政権は,ソ連との対. の脅威認識は,北朝鮮の核兵器開発の脅威が将. 決姿勢を強める過程で,韓国との連携強化や在. 来的 に「潜在的脅威」,そ し て「脅威」に 発展. 韓米軍の増強を進め, 北朝鮮への圧力を強めた. しかし,これらは,カーター政権期で冷え切っ . 8)当時,国務次官補(東 ア ジ ア・太平洋担当) であったウォルフォウィッツも,北朝鮮が NPT に 加盟するようにソ連に働きかけたことを証言して いる(オーバードーファー,2005 年,299 頁).. . 9)NPT に よって,非核兵器国 は い か な る 方 法によっても核兵器を取得しない義務を負うが, IAEA の 保障措置 は 非核兵器国 の 自力 で の 核兵 器製造 に 向 け ら れ る.そ の た め,NPT 締約国 は IAEA と保障措置協定を新たに結び,それに従っ て現地査察を含む保障措置を受ける(青木,1997 年,48 頁) ..
(8) 110 (288). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). する可能性がある兆候を探知した段階にとどま. 設が稼働中,すなわち核反応が進行中であると. る.その事実に対応して「情報欲求」は,1982. 把 握 し た(オーバードーファー,2002 年,295─. 年の核施設の発見以前から,脅威認識の第一要. 296 頁 ; Mazzer,1995 年,40 頁).. 件である「能力」の有無の解明に向けられてい. 発見された核爆発装置の開発とプルトニウム. たと理解できる.. 再処理施設の建設のうち,少なくとも再処理施. 第 1 区分における米国の対外行動の特徴とし. 設の存在が真実であれば,北朝鮮が将来的な核. ては,北朝鮮に対する通常の抑止政策を維持し. 兵器開発「能力」を有していると判断される.. つつも,中ソも含めた国際協調による NPT 加. そのため,IC は更に具体的に核兵器開発の「能. 盟圧力を展開した.国際協調を問題解決に活用. 力」の解明に向けて活動を展開した.CIA は,. する対外政策の特徴は,事情は異なるものの,. 上記の発見から約半年後の 1986 年 9 月,「北朝. 1982 年─まさに北朝鮮の核施設建設を IC が. 鮮:核兵器開発の潜在能力」と題する詳細な分. 発見した時期─に北朝鮮に対する外交姿勢の. 析資料を作成した.この資料の大半が現在も非. 軟化傾向からも見られる.対外政策決定者が脅. 公開であるためその内容を把握することは困. 威の兆候を把握した段階よりも前に, 「情報欲. 難であるが,この資料の存在自体が,IC が同. 求」と対外行動がほぼ同時に様態を変化させた. 時期に北朝鮮の核兵器開発の「能力」の存在を. ことが読み取れる.. 強く意識し始めたことを伺わせている(CIA, 1986 年).. ⑶ 第 2 区分:北朝鮮 の 核兵器開発 へ の 確信 (1985 年 12 月から 1989 年頃まで) ① IC の活動:重心を核兵器開発の「能力」から 「意図」の解明へ. IC は,北朝鮮 の 核兵器開発 の「能力」の 存 在が明らかになるにつれて,その関心を徐々に その「意図」へも向け始めた.この変化の主 な原因として,寧辺核施設における北朝鮮の不. IC の評価が北朝鮮の核兵器開発計画を疑惑. 審行動 と と も に 北朝鮮 が IAEA と の 保障措置. から確信へと変えるのは,北朝鮮の NPT 加盟. 協定の締結を遅滞していたことが挙げられる.. 後であった.1986 年 3 月,米国の偵察衛星は,. NPT では,加盟する核兵器国以外の国は,非. 寧辺核施設付近に流れる河川堤防近くの砂地で. 核兵器国として IAEA による検証を受けて核. 円筒状のクレーターを発見した.IC は,この. 兵器を保有しないことを他の締約国に証明しな. クレーターを高性能爆発実験の痕跡であり,爆. ければならない.特に IAEA による検証を保. 発技術は開発途上であるものの核爆弾を炸裂さ. 障措置 と 言 う(NPT 第 3 条).IAEA は NPT. せる標準的手法の一つを実験したと判断した.. の締約国と新たに保障措置協定を締結し,その. この発見後,これまでの衛星写真の再調査を行. 協定 に 従って 現地査察 を 含 む 保障措置 を 受 け. い,同様のクレーターが 1983 年以降から存在. る こ と に な る(青木,1997 年,47─48 頁).保. することが判明した.同時に,IC は,巨大な. 障措置協定 は,NPT 加盟 か ら 18 か 月以内 に. 長方形の建物の輪郭を寧辺核施設で確認し,そ. IAEA と締結しなければならないが(NPT 第. の建物を核兵器開発に不可欠である再処理施設. 3 条 4),北朝鮮 は,1987 年 の 期限切 れ 間近 に. であると推測した.1987 年 2 月には,再処理. 誤った保障措置協定の合意文書を送付し,更に. 施設と疑わせる建物に屋根が取り付けられる前. 再延長時の期限である 1988 年 12 月にも反応を. にその内部を撮影し,プルトニウムを抽出する. 示さないなどの遅延行為を働いていた.これに. ための典型的配置とみられる長く連なる厚い壁. ついて,IC は北朝鮮の保障措置協定の締結期. で覆われた部屋を発見した.また,蒸気が原子. 限前から,締結遅滞について注目し,北朝鮮の. 炉の冷却塔から吹き出ていることを確認し,施. 核兵器開発の「意図」に関する分析を行ってい.
(9) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (289) 111. る.1987 年 4 月の CIA の分析資料では,核兵. す る 転機 と なった.CIA は,偵察衛星 に よっ. 器開発の「意図」には直接的には言及していな. て 1988 年 6 月に 5 メガワット原子炉より大規. いものの,北朝鮮がエネルギー不足への対策と. 模な原子炉が寧辺で建設されているところを. して進める核計画が核兵器開発へ拡大しうる点. 把握したことに加え10),5 メガワット原子炉か. を指摘し,北朝鮮がその「意図」を持つ可能性. ら出る煙を監視した結果,北朝鮮が 1989 年に. を 示唆 し て い る(CIA,1987 年①) .さ ら に,. 110 日間にわたって同原子炉の運転を停止して. CIA は,同年 5 月,北朝鮮 が 積極的 に 核兵器. 8,000 本の燃料棒のうち約半数を交換し,プル. 計画を進める「意図」はみられないと前置きし. トニウム生産のために転用可能となったと推測. つつも,北朝鮮の保障措置協定締結の遅れが確. し た(オーバードーファー,2002 年,358─359. 実に韓国に懸念を与えると分析している(CIA,. 頁)11).IC は,この出来事を境に,北朝鮮は核. 1987 年②) .. 兵器開発の「能力」に必要な原子炉の水準を更. そして,CIA は 1988 年 5 月に北朝鮮の核開. に高め,再処理施設がプルトニウムを抽出でき. 発に関する分析資料を作成した.この〔CIA,. る段階まで完成していると判断し,近い将来北. 1988 年〕で は,北朝鮮 が 核開発能力 を 高 め て. 朝鮮の核兵器開発の「能力」を持つと確信し,. いると韓国が確信していることに言及しつつ,. 活動の焦点をその「意図」へ移行させた.. 北朝鮮が核兵器開発というオプションを追求し. 当時の燃料棒の取り出し作業に直接的に言及. ている証拠はないがその可能性を排除すること. した IC の分析資料は現時点で公開されていな. はできないとの見解を示した.加えて,北朝鮮. い.ただし,1989 年 3 月の CIA 及び同年 4 月. の核計画,少なくともその一部が北朝鮮の新し. の 太平洋軍 の 太平洋 イ ン テ リ ジェン ス・セ ン. いエネルギー供給源の開発にために向けられて. ター(IPAC)の分析資料では,今までの間接. いるものとみられるが,その原子炉では北朝鮮. 的な「意図」に関する分析とは異なり,北朝鮮. のエネルギー不足を和らげることにはほとんど. の核兵器開発の「意図」の存在に関して一歩踏. 効果がないと分析し,北朝鮮が原子炉を製造す. み込んだ分析を試みている(CIA,1989 年①;. る説明に対して疑問を呈している(CIA,1988. IPAC,1989 年).特に,1989 年の CIA の分析. 年) .第 1 区分で示した分析資料と 1987・1988. 資料では詳細な記述を通じて分析している.そ. 年当時に IC が作成した分析資料では分析の焦. れによると,北朝鮮は核兵器によって韓国に対. 点に変化が見られる.前者は,北朝鮮が建設す. する軍事的優越を得られるのであれば,国際的. る核施設の利用目的の解明,つまり核兵器開発. 批判を受けることをいとわない可能性もあると. の「意図」の解明よりもその施設が持つ核兵器. し,北朝鮮が「核兵器を持つ」という選択肢を. 開発の「能力」に焦点を当てたものであった.. 選ぶ可能性を指摘している.この「意図」に関. 一方,後者 は,核施設 の 利用目的 や IAEA と. する詳細な分析の存在が,IC の焦点が「意図」. の保障措置協定締結の遅延行為などに疑問を呈. に移行した現れと受け取ることができる.. し,北朝鮮の核兵器開発の「意図」に関する直 接的な分析ではないものの,その解明を強く意 識して作成されたものであった. 上記 の と お り,IC は,保障措置協定 の 締結 遅滞などから,北朝鮮の核兵器開発の「能力」 の解明を重視するとともに「意図」へも関心 も高めつつあった.そして,1989 年頃が,核 兵器開発「能力」を重視した IC の活動が変化. . 10)北朝鮮は, その後, この原子炉で 50 メガワッ トの発電を目指していることを認めた(オーバー ドーファー,2002 年,296 頁) . 11)この危機の収束後,CIA は,北朝鮮が主張 した 60 日間の運転停止が正しかった可能性があっ たと結論づけた.この結論通りだとすれば,当時, 北朝鮮が抽出したプルトニウムが核兵器に転用さ れる可能性ははるかに少なかったと言える(オー バードーファー,2002 年,359 頁) ..
(10) 112 (290). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). 1989 年 7 月,米国政府 が 韓国政府 に 対 し て. 年から 1986 年にかけてソ連のゴルバチョフが. 提供した北朝鮮の核兵器開発に関する機密扱い. ソ連共産党書記長として権力を掌握してペレス. の「情報」が韓国のマスコミにリークされ,そ. トロイカ及びグラスノスチを掲げた時期から,. こから世界中に伝播した.この「情報」は,同. 米ソ関係に歴史的変化が生じた.米国は,ゴル. 年 5 月に米国政府の専門家チームが日本・韓国. バチョフ書記長の「新思考」外交提案をきっか. を訪問した際に両国政府に提供したものであ. けに 1985 年 11 月に米ソ首脳会談を開催し,ソ. り,北朝鮮が 1990 年半ばには核兵器を製造で. 連の変化に積極的に対応した.第二期のレーガ. きる可能性があるという内容であった(オー. ン政権でこの会談を含めた 5 回の首脳会談が開. バードーファー,2002 年,301─302 頁) .IC 及. 催され,1987 年 12 月には中距離核戦力全廃条. び 対外政策決定者 が 北朝鮮 の 核兵器開発「能. 約が締結されるなど,米ソの緊張緩和が進展し. 力」の存在を前提としている「情報」を外国政. た.この緊張緩和の基調はブッシュ政権にも引. 府に 提供 し た こ とで,提供者自身もその「能. き継がれ,1989 年 12 月,米ソ首脳会談がマル. 力」の存在を認識していると判断できる.. タで開催され,冷戦の終結が宣言された.さら. な お,こ れ に 対 し て,北朝鮮 は,1989 年 8. に,1989 年 10 月のベルリンの壁崩壊が象徴す. 月 4 日,国営の通信社である朝鮮中央通信を通. る東欧革命が起こり,東欧の社会主義政治体制. じて核兵器開発を公式に否定した.この状況に. の大半が瓦解した(紀平,1999 年,413─218 頁).. 対して,同月に配布された CIA の資料12)では,. 一方,米国は,北朝鮮は依然として軍事的脅. 北朝鮮が核兵器開発報道から注意をそらすため. 威であり,4 万人以上の在韓米軍が危険に晒さ. に「米軍が韓国を核基地化している」と連日報. れていると認識していたため,これまでの抑止. 道していることを紹介し,北朝鮮は,朝鮮半島. 政策を維持した(オーバードーファー,2002 年,. 13). の非核化を韓国に受け入れさせるために ,潜. 200 頁) .1988 年 2 月 に カールッチ 国防長官 が. 在的な核兵器開発「能力」によって韓国の核抑. 14) レーガン大統領と議会に提出した「国防計画」. 止へ対抗していくと予測し,その「意図」への. でも,北朝鮮は自国経済の疲弊という高い代価. 分析を進めている(CIA,1989 年②) .. を払って大規模な軍備増強を継続していると指. ② 対外行動: 「穏健なイニシアティブ」と北朝. 摘し,南北間の軍事バランスは大きな関心事項. 鮮との対話の開始. であり,アジア・太平洋地域における軍事計画. 第一期 の レーガ ン 大統領 は ソ 連・共産主義. 策定のカギであると言及した(読売,1988 年) .. 諸国に対する強硬な態度を示したが,1985 年 3. 特 に 第 2 区分 に お い て,米国 は,1989 年 9. . 12)同資料 は CIA の 外国放送情報局(FBIS: Foreign Broadcast Information Service)が作成し た.FBIS は 1941 年に設置され,外国の放送を記 録,翻訳,分析し,関係省庁に対して報告する役 割を担っていた.FBIS の業務は 2005 年に国家情 報長官傘下のオープンソースセンターに引き継が れ た(Richelson,2008 年,26 頁).な お,日本 で は(財)ラヂオプレスが同様の役割を担っている. 13)米国 に よ る 朝鮮半島 へ の 核兵器配備 は, 1957 年にアイゼンハワー大統領が認めて以来継続 していた.カーター政権で核兵器配備の削減が進 められ,1989 年のブッシュ政権発足時には 100 発 ま で 縮小 さ れ て い た(オーバードーファー,2002 年,302─304 頁).. 月から開催されるソウル五輪に対する北朝鮮の テロ活動などの妨害活動を警戒していた.実際 に,1987 年 11 月には大韓航空機爆破事件が発 生したことから,上記の「国防計画」で北朝鮮 がソウル五輪の粉砕を試みる可能性について言 及した.米国政府は,大韓航空爆破事件後,北 朝鮮に対して政治的・経済的制裁を実施し,ソ . 14) 「国防計画」は,毎年 1 月下旬 に 大統領 が 議会 に 対 し て 送付 す る「一般教書」 , 「経済報告」 に加えて,国防長官によって大統領・議会に提出 される(浅川,2007 年,30─31 頁) ..
(11) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (291) 113. 連に対しても北朝鮮が五輪期間中の妨害活動を. た.「穏健 な イ ニ シ ア ティブ」で 表明 さ れ た. 自制する旨呼びかけるように要請した(DOS,. 米朝実務者協議 は,北朝鮮 か ら の 要請 に よ り. 1988 年①;オーバードーファー,2002 年,224. 1988 年 12 月に初めて開催され,1993 年 9 月ま. 頁) .. でに開催回数は 34 回にわたった.しかし,米. ソウル五輪は 1988 年 10 月,北朝鮮による妨. 国が米朝実務者協議を米朝間で懸案事項を交渉. 害活動も発生せず成功裡に閉会した.その後,. する場ではなく,米朝の意思疎通の場と認識し. 国務省はこれまでの対北朝鮮姿勢を転換して北. ていたため,挨拶とメッセージ交換以外のやり. 朝鮮との対話を促進する政策,いわゆる「穏健. とりはほとんど行われなかった(オーバードー. なイニシアティブ」を発表した.この政策転換. ファー,2002 年,235 頁;キノネス,2000 年,. の要因に,同年 7 月に盧泰愚大統領が発表した. 34─35 頁).さらに,1989 年 1 月の「国防報告」. 南北統一問題に関する特別宣言,いわゆる「7.7. では,ソ連と北朝鮮の軍事協力の拡大によって. 宣言」にあった. 「7.7 宣言」では,南北が共に. 北朝鮮が量的優位を保持していると指摘し,朝. 繁栄する民族共同体としての関係を発展させ,. 鮮半島を含めた極東・太平洋地域の軍事緊張は. 祖国統一を実現するために,南北交流・交易の. 高まっていると報告した(読売,1989 年).. 促進,南北間の消極的な競争・対立政策の中止. 当時 の 北朝鮮 の 核兵器開発 に つ い て は,米. と北朝鮮の国際社会への発展的寄与に対する協. 国 は 北朝鮮 の IAEA と の 保障措置協定 の 締結. 力,北朝鮮と米国・日本との関係改善への協力. が遅れていることを懸念していたものの,当. 15). などを提言した(市川,1996 年) .同宣言を. 時目立った 対応 は 取って い な かった.国務省. 受けて,米国は,韓国との綿密な協議を重ねた. が 1988 年 7 月に在中国米国大使館に送付した. 上で, 「穏健なイニシアティブ」を発表するに. 核拡散関連の指示文書でも,米中軍備管理協議. 至った. 「穏健なイニシアティブ」では,人道. で北朝鮮に保障措置協定の締結を促すように中. 的必需品の輸出を状況に応じて認めること,米. 国側に要請することを指示しているが,他に提. 朝間での社会的・教育的交流を認めること,両 国の在北京大使館に駐在する実務担当者間での. 示された指示事項に優先したものではなかった 17) (DOS,1988 年②) .. 非公式の連絡チャンネルを開設すること16)が. ただし,米国は,保障措置協定の締結期限が. 盛り込まれた(キノネス,2000 年,33─34 頁) .. 切れた 1988 年 12 月以降,北朝鮮に対する国際. しかし,米国の「穏健なイニシアティブ」は. 的な圧力を組織して保障措置協定を締結させる. 韓国 の 政策転換 の 結果 で あって,米国 の 新思. ための対外政策を開始した.ブッシュ政権の核. 考の反映ではなかった(オーバードーファー,. 問題に関する省庁間委員会では,北朝鮮との交. 2002 年,235 頁) .そ の た め,米国 は,北朝鮮. 渉の一環として,北朝鮮が保障措置を拒否する. との交渉を韓国抜きで促進する意志はなく,北. 根拠として挙げている韓国内の核兵器配備を存. 朝鮮に対する軍事的警戒も緩めてはいなかっ. 続するかについて議論された.しかし,この当 時は各担当者の利害が衝突し結論には至らな. . 15)盧泰愚政権では,社会主義諸国との国交を 目指す北方政策を進展させ,北朝鮮に対して積極 的な交渉する戦略を採用していた(オーバードー ファー,2002 年,224─225 頁). 16)米朝間ではこれまで対話の場が存在してい なかったため,北京での実務者協議が当時唯一の 外交チャンネルとなった(キノネス,2000 年,34─ 35 頁).. かった.さらに,米国は,国際的圧力を組織す るには朝鮮半島に利害関係を持つ主要国の協力 が不可欠であると判断し,ダンロップ国務省朝 . 17)この文書には印パの核問題,中国の核兵器 計画などの 5 項目の指示が記載されているが,北 朝鮮の核問題は最後の項目に記述されていた..
(12) 114 (292). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). 鮮課長 が 1989 年 2 月にソ連・中国を,実務専. 1988 年 10 月,北朝鮮に対する強硬姿勢を変更. 門家が同年 5 月に日本・韓国を訪問し,北朝鮮. す る「穏健 な イ ニ シ ア ティブ」を 発表 し,同. の核計画に関する「情報」を提供し,北朝鮮の. 年 12 月以降形式的ながらも米朝実務者協議を. 核兵器計画に関する認識の共有を図った(オー. 開催するなど,北朝鮮に対する直接対話を実施. 18). バードーファー,2002 年,300─302 頁) .. した.この対外行動の変化は,対外政策決定者. ③ 第 2 区分 に お け る 脅威認識, 「情報欲求」 ,. が「潜在的脅威」と認識する 1989 年よりも早. 対外行動の相関性. く確認され,「情報欲求」が核兵器開発の「意. 第 2 区分において,対外政策決定者は,1989. 図」の解明も含め始めた時期とほぼ同じであ. 年頃,北朝鮮 に よ る 核燃料棒取 り 出 し 作業 を. る.以上 か ら,第 1 区分 に 引 き 続 き,第 2 区. IC が察知したことによって北朝鮮の核兵器開. 分においても,「情報欲求」と対外行動の相関. 発の「能力」の存在を確信し,北朝鮮の核兵器. 性の存在が示唆される.. 拡散を「潜在的脅威」と認識した. 一方,対外政策決定者 の「情報欲求」に お い て は,上述 し た 1987 年,1988 年 の CIA の 分 析 資 料( CIA,1987 年 ①・②,1988 年)や 1987 年から 1988 年に亘る保障措置協定締結へ. ⑷ 第 3 区 分: 北 朝 鮮 の 保 障 措 置 協 定 締 結 (1990 年から 1992 年 5 月まで) ① IC の活動:核兵器開発の「意図」解明への 試み. の遅延行為から, 「潜在的脅威」を認識した時. IC は,1989 年頃を境に北朝鮮の核兵器開発. 期よりも早い 1987 年頃から核兵器開発の「能. の「能力」から「意図」へ分析の焦点を移行さ. 力」だけでなく, 「意図」の解明も含む内容に. せ,「能力」の更なる解明を継続しつつも,そ. 変化していった.. の「意図」の解明に力点を置くこととなった.. 第 2 区分における米国の対外行動は,第 1 区. 他方,1990 年代初頭,北朝鮮 の 核兵器開発 を. 分に引き続き,北朝鮮による韓国及び在韓米軍. 巡る国際情勢は表面上安定に向かいつつあっ. への軍事行使への対応を中心に展開された.そ. た.1990 年 5 月,北朝鮮 の 対米姿勢 が 軟化 に. れは,米国が 1988 年及び 1989 年の 「国防報告」. 転じ,在韓米軍駐留の絶対反対の立場から段階. で北朝鮮の軍事的脅威について言及し, 「穏健. 的撤退も認める政策転換を宣言し,朝鮮戦争時. なイニシアティブ」以後も北朝鮮の軍事行使へ. の行方不明米兵 5 人の遺骨を返還した.南北関. の警戒を継続していることからも伺える.. 係でも,9 月には南北首相会談を開催して南北. それと同時に,第 1 区分から確認された国. 対話を再開させた.さらに,1991 年 9 月,ブッ. 際協調的 な 対外行動 も 第 2 区分 で も 継続 し て. シュ大統領がソ連崩壊に伴い全世界の米軍基地. いる.1989 年に対外政策決定者である国務省・. から地上・海上の戦略核兵器の撤去を宣言し,. 国防総省が日本・韓国という同盟国政府だけで. 韓国の盧泰愚大統領も同年 12 月に韓国内から. なく,ソ連・中国に対しても北朝鮮の核兵器計. の核兵器の撤去を宣言した.これらに呼応して,. 画に関する「情報」を提供し,関係国間で共通. 北朝鮮は韓国と共に朝鮮半島非核化共同宣言を. した脅威認識の構築を試みた.. 発表し,保障措置協定の締結を約束した.しか. さ ら に,第 2 区分 の 対外行動 で は,第 1 区. し,IC は北朝鮮の核兵器開発計画の追求に一. 分で見せなかった特徴を示している.米国は,. 層の警戒を強めていた.. . 18)このインテリジェンスの内容は,上記の通 り,韓国マスコミによって世界中に広まることと なった(本稿,39 頁).. 1991 年 10 月,CIA 内部で開催された分析官 の会議で北朝鮮の核問題が議題として取り上げ られた.そこでは,北朝鮮は長期的に見れば保 障措置協定を締結するが最低限の査察に協力す.
(13) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (293) 115. る程度にとどまり,北朝鮮がプルトニウム再処. 保障措置協定を締結したとしても,IC は,北. 理の禁止や核兵器計画の廃止を受け入れること. 朝鮮による保障措置への対応策の予測と核兵器. には懐疑的であると予測された.加えて,北朝. 計画の状況分析を通じて,北朝鮮の核兵器開発. 鮮が核兵器開発のために米国が把握していない. の「意図」の解明に向けた「情報」生産を促進. 核施設を持っている可能性にも言及した(CIA,. し,その「能力」の存在に続き「意図」の存在. 1991 年①) .. の確信へ向かいつつあった.しかし,その「情. 翌 11 月,北朝鮮が,米国が韓国内の核兵器. 報」は,核兵器開発の「能力」を保持するため. 撤収を開始して北朝鮮・韓国双方が同時期に査. に北朝鮮が取り得る複数のシナリオを提示する. 察受け入れを約束すれば,保障措置協定に署名. ことで,その「意図」が存在する可能性を示唆. すると表明した.その直後に,CIA はこの北. するという間接的な評価にとどまり,その「意. 朝鮮の保障措置協定への署名発言に関する分析. 図」の有無についての直接的な評価を回避して. 資料を作成している.それによれば,北朝鮮は. いた.核兵器開発の「能力」の存在とそれを保. 韓国への査察などを米韓が認めないと見越して. 持しようとする態度は核兵器開発の「意図」が. この署名発言を行い,これを口実に保障措置協. 存在する根拠を補強するものとなりうるが,そ. 定の締結を回避しようと考えていると考察し,. の「意図」が存在すると確定させるためにはよ. 北朝鮮が核施設を隠蔽するために払っている大. り明確な根拠を必要とした.. きな努力に鑑みれば,核兵器計画を終わらせる. ② 対外行動:北朝鮮 の 対米・対韓政策 の 軟化. 意思があると読み取ることはできないと分析し. への対応. ている(CIA,1991 年②) .. 当時の国際情勢は歴史的に大きな転換点を迎. さらに,CIA は,翌 12 月の朝鮮半島非核化. え て い た.1989 年以降,東欧諸国 の 共産主義. 共同宣言直後にも分析資料を作成している.そ. 体制の崩壊が加速し,さらに,1991 年 8 月に. こでは,北朝鮮にとって南北関係の改善は有益. ソ連で守旧派によるクーデタ未遂事件が発生し. であるものの,北朝鮮が朝鮮半島非核化共同宣. たことを引き金に,同年 12 月にゴルバチョフ. 言によって核兵器開発計画を放棄するかは不明. がソ連大統領を辞任し,ソ連が崩壊するに至っ. 確であると分析し,核兵器計画の隠蔽や核施設. た.さらに,ブッシュ政権に対して深刻な問題. の移動,その他査察の妨害行為によって核兵器. を投げかけたのが湾岸戦争であった.1990 年. 計画を守る可能性を予測している(CIA,1991. 8 月にイラクが隣国・クウェートに侵攻したこ. 年③) .1992 年 1 月上旬の分析でも,保障措置. とに対して,国連安全保障理事会による制裁容. を受け入れても核計画の隠蔽して核兵器計画を. 認決議に基づき,米国を中心とする多国籍軍が. 継続すると予測した(CIA,1992 年①②) .. 1991 年 1 月にイラクを攻撃し,翌 2 月にイラ. 北朝鮮 は,1992 年 1 月下旬,米国 と の 初 め. クをクウェートから撤退させた(紀平,1999 年,. ての高官協議を経て,ようやく IAEA と保障. 416─419 頁;有賀,1998 年,203─206 頁).. 措置協定を締結し,5 月に最初の査察を実施す. このような冷戦後の国際環境の変化に対し. ることとなる.しかし,CIA は,2 月の分析資. て,ブッシュ政権は軍事費削減を求める声にも. 料 で,北朝鮮 が 1988 年以来 の 高性能爆薬実験. 対応を迫られていた.核軍縮については,米. の実施中であることを指摘し,これまでの分析. ソ が,1991 年 7 月,第一次戦略兵器削減条約. と同様,北朝鮮は保障措置協定締結に関わらず. (START Ⅰ)を 締結 し,ソ 連 クーデ タ 未遂事. 核兵器計画を追求し,保障措置の妨害策を講じ. 件後の同年 9 月にブッシュ大統領が全世界の米. てくると予測している(CIA,1992 年③④) .. 軍基地から地上・海上の戦術核兵器をすべて撤. 以上のように, 北朝鮮が対外姿勢を軟化させ,. 去すると宣言するなど,進展の様相を見せてい.
(14) 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). 116 (294). た.一方,世界的に展開している海外軍事力配. 米国が,同時期に,北朝鮮の核兵器開発の「潜. 備には大きな変更を加えなかった.特に東アジ. 在的脅威」に対して国際的圧力によって対処す. アへの軍事力配備については,1989 年 6 月の. る方針を推進していることは国務省資料から. 天安門事件による中国との関係冷却化や北朝鮮. も伺える.それによると,国務省は,1991 年 6. の不安定な状況を根拠に 10 万人以上の米軍の. 月,中国との交渉に向けて作成した会談のポイ. 駐留を保持する姿勢を継続した (紀平,1999 年,. ントを列挙した文書で,北朝鮮の核兵器開発に. 421─422 頁) .. 対する「意図」についての疑義を提示し20),北. ブッシュ政権は,冷戦後も北朝鮮の韓国・在. 朝鮮が数年で核兵器を開発することは困難であ. 韓米軍に対する軍事行使を警戒し,抑止政策を. るが,可及的速やかにその潜在性を処理しな. 継続しつつ,北朝鮮の核兵器開発の「潜在的脅. ければならないと主張した.そして,中国に対. 威」に対して国際的圧力によって対処する対外. して,中朝対話で北朝鮮の核問題を継続して提. 19). 政策 を 進 め た .一方,1990 年当時,北朝鮮. 起すること,多国間会議などで提起された場合. は,ソ連や社会主義諸国がこれまでの対外姿勢. に中国も参加することを要請している(DOS,. を転換して韓国と国交樹立していく中,国際的. 1991 年①).さらに,国務省が日本を訪問する. 孤立から脱却するために,米国との関係改善に. 要人に配布した外交案件に関する文書で,北朝. 向 け た 対応 を 取った.1990 年 5 月,金日成主. 鮮が核廃棄物の再処理を実施することに強い懸. 席は最高人民会議で在韓米軍駐留の絶対反対の. 念を示した上で,仮に IAEA の保障措置の下. 姿勢から転換し,段階的撤退も認める政策演説. で合法的に再処理が実施されたとしても,米国. を行った.さらに,同月,北朝鮮は初めて朝鮮. は北朝鮮が核兵器開発「能力」を保持すること. 戦争時代の行方不明米兵の遺骨返還要求を受け. に 困惑 す る と 示唆 し,北朝鮮 の 核兵器開発 の. 入れ,5 柱の遺骨返還を実施するとともに,新. 「意図」の存在の可能性に強い関心を抱いてい. たな軍縮提案を発表した.. る(DOS,1991 年②).. しかし,米国は,当時,湾岸戦争への対応に. この米国の北朝鮮に対する消極的な姿勢が,. 追われていた上に,北朝鮮の核兵器開発計画の. 1991 年のソ連の崩壊,南北関係の改善という. 進展に一層警戒を強めていたために,北朝鮮. 国際情勢の変化によって大きく影響を受けるこ. との和解に応じる姿勢をとらなかった.事実,. とになった.. 1990 年 6 月 に 開催 さ れ た 米韓首脳会談直後,. 1989 年以降,北朝鮮 は 保障措置協定 を 拒否. 国務省報道官が北朝鮮に関する声明を発表した. する根拠として韓国内の核兵器配備を主張して. 程度にとどまった.同声明では,米国は北朝鮮. おり,米国政府内では,対北朝鮮政策の一環と. の脅威とならず,北朝鮮との関係改善を求めた. して,韓国内の核兵器配備を存続するかについ. いが,北朝鮮が保障措置を受け入れるかどうか. て議論された.グレッグ駐韓大使やリスカシ在. が関係改善のペースと内容を決定する上で重要. 韓米軍司令官らは北朝鮮との交渉を容易に進め. であると発表し,これまでの方針を改めて強調 したものであった(オーバードーファー,2002 年,266─268 頁) . . 19)1990 年 2 月から 5 月までの毎月,ベーカー 国務長官はソ連のシュワルナゼ外相と北朝鮮の核 開発問題 に つ い て 数回 に わ たって 協議 し て い る (オーバードーファー,2005 年,251 頁).. . 20) 〔DOS,1991 年 ①〕 で は, 北 朝 鮮 の 核 問 題に対する「意図」に関する疑問があるとして, 1980 年代後半以降プルトニウム生産に適した原子 炉を稼働していること,北朝鮮が保障措置協定の 締結をしないこと,その原子炉は民間利用と無関 係な上,核兵器開発「能力」への貢献のおそれが ある再処理施設を建設していることを列挙してい る..
(15) 対外政策決定者の脅威認識と「情報欲求」⑵(田中). (295) 117. るために核兵器の撤去を主張したが21),国家安. 韓国 は 1992 年 に 米韓軍事合同演習「チーム・. 全保障担当大統領補佐官のスコウクロフトは北. スピリット」の中止を約束した(オーバードー. 朝鮮に譲歩して米軍の兵器を撤去することに強. ファー,2002 年,306─311 頁;ラ ヂ オ プ レ ス,. く反対した.韓国内の核兵器撤去問題について. 2005 年).. は韓国側とも協議したものの結論に至らなかっ. さ ら に,米国 は,1991 年秋以来,北朝鮮 と. た が,ブッシュ大統領 が,1991 年 9 月,ロ シ. の高官級会談の可能性を論議していた.政権内. アからの核兵器削減への前向き姿勢を引き出す. 部での激しい論争を経て,1992 年 1 月,北朝. ために全世界の米軍基地から地上・海上の戦術. 鮮が IAEA の保障措置を受ける義務を果たす. 核兵器をすべて撤去すると宣言したことにより. ことを条件に,初めて北朝鮮と高官協議が開催. 米国 の 方針 が 決定 し た.ブッシュ大統領 の 宣. された23).この協議では互いの立場を主張する. 言後,米国は韓国内の核兵器の撤去を開始し,. 程度にとどまったが,北朝鮮は約束を守り,同. 同年 12 月,盧泰愚大統領 が 韓国内 の 核兵器撤. 月,IAEA と 保障措置協定 を 締結 し た(オー. 去を 完了 し た こ とを宣言した(オーバードー. バードーファー,2002 年,311─314 頁).. ファー,2002 年,302─306 頁) .. ③ 第 3 区分 に おける 脅威認識,「情報欲求」,. また,北朝鮮は,同盟国であったソ連・東欧. 対外行動の相関性. 諸国の離反・崩壊による国際的孤立から脱却す. 米国は,国際環境の変化,北朝鮮の対米姿勢. るために,韓国との関係改善に向けた取組を進. の軟化,南北関係の改善などにより,北朝鮮が. めていた.韓国もその取組に同調し,1990 年 9. 保障措置協定を締結する見返りとして,韓国内. 月に南北首相会談が開催された.その後 3 回の. の核兵器の撤去,米韓軍事合同演習「チーム・. 首相会談を経て,同年 12 月,北朝鮮と韓国は. スピリット」の中止,米朝高官協議の開催など. 「和解と不可侵,交流と協力のための南北合意. を実施し,北朝鮮に対してこれまでにない柔軟. 書」22)に調印し,双方の体制を正統政府として. な政策を実施した.しかし,米国が北朝鮮の核. 認め合うこととなった.さらに,同月,盧泰愚. 兵器開発に対する「潜在的脅威」への認識を低. 大統領の核兵器撤去宣言を受けて,北朝鮮と韓. 下させたのではない.上述した 1991 年上半期. 国は朝鮮半島非核化共同宣言を発表した.朝鮮. に 作成 さ れ た 国務省資料 で も,そ の「潜在的. 半島非核化共同宣言では,双方が核再処理・核. 脅威」に懸念を表しており(DOS,1991 年①. 製造・保有の禁止などに合意し,北朝鮮が寧辺. ②),北朝鮮の保障措置協定締結後の 1992 年 2. 核施設の第三者による査察を認めた代わりに,. 月の「国防報告」でも,発展途上国のうち約 9 か国が 20 世紀末までに核兵器を保有すると指. . 21)朝鮮半島から核兵器を撤去しても,米軍の 機動力を考えれば核抑止力に影響はないことを理 由としている(オーバードーファー,2002 年,304 頁). 22)合意書では,①双方の体制を承認し,互い に 干渉・中傷・転覆活動 を 中止 す る,②休戦状態 を平和状態に転換するまで休戦協定を順守しなが ら相互に努力する,③双方の武器の不使用,信頼 醸成措置,大規模 な 軍縮 を 実現 さ せ る,④経済・ 文化・科学 の 交流,離散家族間 の 自由 な 通信,南 北分断戦 で 切断 さ れ た 道路・鉄道 を 再開 さ せ る, との指針を示した(オーバードーファー,2002 年, 308 頁).. 摘し,大量破壊兵器の拡散に強い懸念を示して い る(読売,1991 年).「国防報告」で は 20 世 紀中に核兵器を保有する国名まで記載されてい . 23)1991 年 の 米朝高官会議 は ニューヨーク で 開催 さ れ,米国代表・カ ン ター米国務次官,北朝 鮮代表・金容淳朝鮮労働党書記(国際担当)で 協 議が行われた.カンターは米国政府からあらかじ め北朝鮮に見返りを提示しないこと,本協議が米 朝の交渉過程の始まりではない点を明確にするこ と な ど が 指示 さ れ て い た(オーバードーファー, 2005 年,312 頁) ..
(16) 118 (296). 横浜国際社会科学研究 第 16 巻第 2 号(2011 年 8 月). ないが,北朝鮮の核問題が国際的に注目され,. 北朝鮮への一連の対応は,北朝鮮との直接的な. IC が 北朝鮮 の 核兵器開発「能力」の 存在 を 確. 接触を継続していると受け取れるだろう.. 定していることを考慮すれば,北朝鮮がその中. 以上 の よ う に,1992 年 5 月以前 の 第 1 区分. に含まれていることが自然であろう.. から第 3 区分までの IC の活動と対外行動を整. 対外政策決定者の「情報欲求」についても第. 理 し,脅威認識,「情報欲求」,対外行動 の 相. 2 区分から変化は見られず,北朝鮮の核兵器開. 関性を考察した.対外政策決定者が「脅威の兆. 発の「意図」の解明に向けられている.上記の. 候」を把握し,「潜在的脅威」を認識するより. 国務省資料では,対外政策決定者がその「意図」. も早く,「情報欲求」が「能力」の解明から「意. への関心を直接的に示唆しているほか(DOS,. 図」の解明へ移行し,それと対応して,対外行. 1991 年①②) ,IC の 分析方針 も「意図」へ 向. 動も国際協調による対処から直接交渉へと拡大. けられていた.. していったことが把握できる.今後,1992 年 5. 対外行動において,第 3 区分では,北朝鮮の. 月以降,脅威認識が「潜在的脅威」から現実の. 対米姿勢の軟化,南北関係の進展によって,米. 「脅威」へと変化する過程における「情報欲求」と. 国は「チーム・スピリット」の中止,米朝高官 協議の開催と北朝鮮への圧力を弱めたが,米. 対外行動の相関性について,引き続き考察する. (続く). 国の対北朝鮮政策が根本的に転換したのでは なく,抑止政策の維持と国際協調による圧力を もって対北朝鮮政策を対処している.むしろ,. [た な か け い す け 横浜国立大学大学院国際社 会科学研究科博士課程後期].
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