太平洋戦争期のハワイにおける日本人移民女性の文学
─歌人・安井松乃と『馬哇新聞』─
北川扶生子
20 世紀はじめ,数多くの日本人女性たちが米国に移住し,新たな生活を切りひらいた。彼女 たち日系アメリカ移民女性は,様々な言説のなかでどのようなイメージで表現され,どのよう な物語によって語られてきたのだろうか。これまで,いくつかの論考において,戦前の内地お よびアメリカ合衆国本土の文学作品を検討してきた1)が,ここでは,ハワイの女性移民の文学 作品を取りあげ,満州事変から太平洋戦争に至る時期を中心として,その特色を考えてみたい。 本稿で注目するのは安井松乃という女性歌人である【図 1】。安井は広島県に生まれ 1920 年頃 にハワイに渡った。その後マウイ島で夫の安井里助と『馬哇新聞』を刊行するとともに,広島 で活動する短歌結社・眞樹社のマウイ支社をつくり,数多くの短歌を残した。それらは,1951 年に『歌集 耶子の蔭』(眞樹社,【図 2】)と題して刊行され,1934 年から 1950 年につくられた 350 首が収録されている。ここでは,この時期の日本人移民女性の表象を,内地,アメリカ合衆 国本土,ハワイの言説から,非常におおづかみではあるが概観し,安井の表現の位置を考えて みたい。 図 1 安井松乃(『歌集 椰子の蔭』掲載) 図 2 『歌集 耶子の蔭』表紙1.内地における移民女性の表象
まず,内地における女性移民をめぐる言説を検討する。下田歌子は,イギリス帝国主義の成 功は女性移民が伴であったという立場から,次のように述べている。 女子が,今日自ら進んで満韓の各地に移住することは私は国民の義務として一般女子に対ッ て深く之を希望せざるを得ないのであります。[…]彼地に渡航して其処に強固なる日本村 を設立する[…]男子のみが移住するも,女子が之に伴うて移住しないがために,海外拓 殖事業の発達せずして不成績に終ツたことは欧州諸国の実例に徴しても極めて明らかであ ります。[…]為に英国は今日の如く広大なる殖民地を領して繁栄を極めて居ると思はれま す。彼国の人民が家族挙ッて世界何れの地にも移住するを厭はず,又移住しても健康を損 ずることなく[…]到る処に新英国を建設して居るは,洵に美しい美風[…]2) 女性もまた帝国日本の尖兵である,という論調は,これ以降も幅広く見られる。同時に,この ような見方と表裏一体という部分もあるが,性的に奔放な存在として移民女性を描き出す文学 作品なども数多く見られる。たとえば,前田河広一郎の小説「三等船客」には次のような場面 がある。 「−皆な渇ゑてる連中ばつかりなんだからね。」とシガレットを口へ運びかけて「この三 等室に乗つてる女と云ふ女で,亭主のないのア彼女つきりだらう。皆なが張りこむのも無 理はなからうぢやないか。お化粧さへすりや,あんなお多福たつて満更捨てたもんでもな いからな。−」3) しかしながら一方で,実際に数多くの移民を送り出していた力行会の島貫兵太夫は,家の危 機を救うために,高等女学校を卒業してサンフランシスコに出稼ぎに行った次のような女性を 紹介している。 神宮くら子君/高等女学を卒業し更に裁縫学校に 入つて,女としての技芸を身につけた。 家は元数万の資産が有つたが,父が事業に失敗したが為に神宮家が危き淵に臨むやうにな つて来た。/此の時女子は奮然起つて,健気にも繊弱い腕に我が家の危難を救はんとし海 外発展を志した/上京し力行女学校に 入つた。[…]桑港正金銀行副支店長青木氏の家庭 保母として渡米することか出来たのである。[…]郷国なる父母には,充分なる生活費を送 り続けて,安心せしめて居る4)。 島貫が紹介するこのケースのように,親のため,家のために金を けようと渡米を決意した, という女性の声は少なくない。 わたしは外国へ出るまで島を出してもらったことなかったんですよ。[…]みんなが出ると,出たかったですよ[…]生家が貧乏して,破産しかけたときでしたから[…]金 けして, 親のヘルプしようなんて気に[…]二〇歳近くになって,娘心にもお金を けたいと思いよっ た。一生懸命働いて大きなお金を けてみたいと思ったんですよ5)。 また,家への不満や,内地で適当な縁談がないという現状を打開するために,移民花嫁になる という決意をする女性の声も見られる。 私の家は田舎の中流の農家で[…]良縁もありましたが父がたゞもう使ふ事ばかり考へて 私の幸福など見向いてもくれませんでした。[…]やつと兄嫁のできたは二十六の時でした。 […]三十にならうが四十にならうが家の犠牲なら仕方がないのつて[…]世間へも私は顔 むけも出来ない,三十だなぞ肩身の狭さ御察し下さい[…]家に居て死ねば兄が埋めてく れるなぞと父は平気で云ひます,これで実の親かとも思ひますが[…]もうたへきれません, どうぞすくつて下さいませ,私は移民としてはもつとも適当だと思ます,力行会の人達と なら喜んで結婚します6)。 様々な言説ジャンルの違いの問題ももちろんあるが,そうした違いを横断して概観してみると, 内地の言説において女性移民は,〈帝国の尖兵〉や〈性的乱れ〉などのイメージで語られること も多かった。しかし,女性自身はしばしば,金を けて家を再興するとか,よい縁談をつかむ など,内地でのままならない現状を打開する方法のひとつとして渡航をとらえていた。
2.移民地における女性移民の表象
では,合衆国の日本人移民地では,移民女性たちはどのように描かれたのだろうか。排日移 民法が制定されるまで,1920 年代を中心に,数多くの日本人女性が結婚のために渡米した。こ こではまず,この時期に創刊された『在米婦人之友』(在米婦人之友社)という雑誌から,日本 人移民コミュニティにおける女性移民のイメージを窺ってみたい。 第一次世界大戦後のアメリカ合衆国におけるナショナリズムの高まりを受けて,合衆国の日 本人社会でも「米化」が叫ばれる。この動きは,日本人コミュニティにおける規範的な女性像 にも影響を与えている。『在米婦人之友』の冒頭には,日本人移民家庭の家族写真が毎号大きく 掲載される。米国市民である二世を産み育てることが重視され,家庭を支え二世を産み育てる 良妻賢母が,移民女性の理想とされたことがわかる【図 3】。この雑誌では,冒頭以外では,日 本人ではなく,白人の女性や子供の写真が数多く掲載されている。たとえば,【図 4】では,父 母会に出席する女性たちが紹介され,「羅府公立学校に通学生徒の父母会の代表夫人方です」と 添えられて,社会的活動に積極的な合衆国の中産階級の白人女性が規範とされていたことがわ かる。また,【図 5】の「羅府所見」には「南加大学附属の高等学校生徒ハリン嬢は十歳にして 羅府西南博物館の出品に対して論文を出し一等賞二十五弗を得て喜んでゐる」とのキャプショ ンが付されている。在米日本人コミュニティの規範的女性像は,内地より「進んだ」,米国化さ れた良妻賢母であったが,それは決して実現できない目標でもあった。では,文学作品のなかで,移民女性の姿はどのように描かれたのだろうか。まず,移民地の 男性作家の作品から検討したい。たとえば,日本人アメリカ移民一世の文学者として数多くの 作品を残した翁 久 允の小説では,酒場で働く日本人女性に,客の日本人男性が次のように述べ る。 ―娘の子一人産んで放蕩な夫と別れてから老いた母親を頼りに田舎の寂しい家の離座敷 で一ヶ年幽居した時の傷ましかつた煩悶。[…]それから千変万化して君の不幸は益々どん 底へ向つた。その果てに米国帰りの無学な男に身を任せて,四千哩の波路を航つて来てか ら間もなく今の境遇が―恥づべき境遇が君に迫つたのであつた7)。 移民になったこと,移民地へやってきたことが,女性の転落につながるという物語は,合衆国 図 3 「スヰートホーム」(『在米婦人之友』 1919.10) 図 4 「父母会」(『在米婦人之友』1925.4) 図 5 「羅府所見」(『在米婦人之友』1925.4)
本土の男性作家の作品に頻繁に登場する。 また,〈妻や母への疑惑〉というプロットもよく見られる。たとえば暁草生「創作 練馬大根の 面」では,息子は妻の浮気相手の子供ではないかと疑うものの,実は自分の父に似ていたのだ と知る男が描かれる。 清吉は,父の写真を両手に取り上げて,穴のあく程見詰めた。彼は驚いた。真丸るかつ たと思つて居た父の顔は頬は落ちこんで,練馬大根の如に細長かつた。思はず,生物遺伝 の方[ 則を感じながら,清吉は,次の一通を書いた。/「お雪,許せ……俺が悪るかつた……] 8)。 同様に,永原秀秋「走り行く者」でも,男と出奔した母への,息子の恨みが語られる。 僕の母は,僕と,僕の父と,五つになる僕の妹を棄てゝ,色男と,アメリカに逃げて来た んだ。僕はね,その事を,日本の大学を出た時,親但から初めてきかされたのさ。[…]僕は, 母がにくい。にくゝつてにくゝつて堪らなかつた。そのために僕はアメリカに来たのだ。 母を探しに―さうして探が [ ] しあてたら,僕は,僕の父や,妹の分までも引き受けてうら み言がいつてやりたいのだ9)。 こうした主題は,先にみた翁久允の作品でも取りあげられている。次に示す作品では,米国で 妻に去られた夫が,娘には日本的な教育を施すというプロットを形成している。 長い間の学校生活に,はきはきした米国の女とばかり交際し,米国風な気質に馴れ染んで 来た彼は,このもどかしい,慎みだか無智だかわからない日本娘の表情や,そぶりやがま るで人形かなんかの様に思はれて,少しも人間らしく,女らしく思はれなかつたのであつた。 […]彼女の母は,彼女を産んでから六年目に米国の夫に呼ばれてシアトルに渡つた。まだ 三十にならなかつた母はその頃の女尠ない移民地で,いろんな男から覗はれた。どつちか と言つたら薄ぼんやりしてゐる千鶴子の父は,女盛りの妻に満足を充分に与へる事が出来 なんだ。そしていろんな喜劇や悲劇をくり返した果てに彼女は,ある夜夫の部屋に書置き して何処かへ姿を隠したのであつた10)。 以上のように,合衆国本土で発表された,男性作家による日本語文学に描かれる移民女性の姿 には,①男性の犠牲となって転落する存在,②不倫する妻 / 母,という物語パターンがある。 こうした類型は,現地で発行されていた邦字新聞・雑誌の記事にも見られるものでもあるが, いずれも,女性の性を管理する男性が不在であることによって女性が家庭から出て行く,とい うプロットを形成している点で共通している。 では,合衆国本土に移住した女性たち自身は,自らの姿をどのように描き出したのだろうか。 一世女性が書き残したものを読むと,志を持って渡米したらしいこと,自分になげかけられる まなざしからずれてゆく自分を省みようとする姿勢などが頻繁に登場する。
[…]それにしても / これ程の花旺りを騒がれもしないで / お前はまあジミな静かな,人の よい女房役 // 本当を云へば私もまだお前の名を知らぬ11) この詩の作者・松田露子はここで,妻という役割から離れた自分自身の姿を模索している。こ のような自己省察は,加藤はるゑの詩「白き舗道」にも見られる。 スタートを誤つた歯車が / 相克のきしみに喘ぎつゝ / 急阪の軌道を今にも覆り相な / 危な さで登つて行く // 明日への生活を思ひ患つて / 目かくしされた車馬の弱い心と体に佃打つ 馭者もある // ほろ苦い滓の澱んだ壺を抱いて / 慟哭する裸女の相 / 寂寥に眼かくしをし て / おどけて遊びほゝける戯画もある // さて諦めの底より / 限りなき深さへの凝視! // 覗き得ない深さに掘られたゲーテの足跡 / よぎるマルクスの横顔 / 時には聖母の像さへ浮 ぶ / る心の走馬燈よ // だが所 はどうにもならない / しらじらとした秋の舗道である // 時々おそつて来るこうした / 虚無的な一ときを私は一番怖れ / そして 笑ひたくなる12) 加藤は,「スタートを誤つた歯車」とみずからの人生を評し,ゲーテやマルクスやキリスト教に も触れつつ,深い虚無感を表現している。 また,先ほど見たように,アメリカの中産階級の良妻賢母が日本人移民女性の規範とされたが, 実際には貧困に苦しんだという声が数多く残っている。たとえば,久保綱子は「琴売つた銭大 事にしまひ晩のおかずを考へ」13)と,不自由のない女学生からの境遇の激変を詠む。また,「飯 場小屋に入れといわれて,入ってみると,天井の伱間から空が見えるんです。[…]情けなくなっ て,一〇日もしないうちに,二口目には帰らして下さいよと[…]」14)といった声も残されてい る。 では,人種や民族をめぐってはどのような表現が残されているだろうか。『在米婦人之友』は, 「米化」を日本人女性の目指すべき方向として掲げていたが,この雑誌の末尾の「婦人会音信」 という小さな投稿欄には,「白人の顔見ぬが命の洗濯」15)という本音も顔を覗かせている。 一方で,メキシコ人の姿は,次のように描かれている。 山麓 パサデナ 早川喜美子 自 からなれしたづきかメキシカン、ギヤベジあさりて恥づる色なし」 熱土に詠ふ インペリアル・バアレー 安高きち子 使ふべく一時も目の離されぬメキシコ人よ哀れといはむ16) 白人中産階級女性を規範としつつ,メキシコ人を「哀れ」な存在とみなすことで,みずからの 位置を定めている。 また,石清水きよの短編小説では,数多くの男性を翻弄する恋敵の日本人女性が,ハワイ女 性のイメージで描き出される。 あの瞳,あの腫れぼつたい瞼,あの厚く盛りあがつた下唇!これ等の特長ある印象を受
けた瞬間の私の脳裡には同時に布哇の土人の女の姿が浮かんでゐた。[…]世間の人々を驚 かした程の大胆放恣の性情を有してゐる。そして幾多の異性を最巧妙な手段で弄んで自分 の特種な性的才能を誇つて来た恋の手練者である。この寂寞な移民地に於ける性的潤ひに 渇していゐる男達を暗々裡に誘惑して身心を捧げしめて顧みなかつたといふ彼女の恋の遊 戯は,私をして彼の売春婦よりも尚擯斥すべく又罪深いものだと思はしめた17)。 ここでは,社会進化論的なまなざしが性的な含意と連動し,自分と同じ移民地の日本人女性に 投影される。「南洋」の人々は,「未開」ゆえ「原始」の力を備えていると考えて,放恣な性的 ふるまいと結びつけ,そのイメージを恋敵に重ねるのである。 以上のように,合衆国本土の移民女性の文学には,民族をめぐる 藤が色濃く現れている。 そして,そこにはおおむね社会進化論的な民族の序列化が見られる。 さて,満州事変によって,合衆国本土の日本人の状況は大きく変わる。松野珠樹の短編小説「戦 時小景」18)は,事変勃発によって批判され職を失うことで,日本人意識に目覚めてゆく女性を 描いている。主人公の澄枝は,夫を失ったあと,白人家庭でハウスキーパーとして働きつつ, 日本に妻を残して米国で働く兼田という日本人男性との不倫の恋に悩んでいる。勤め先の家の 娘は,日本の爆撃によって大きな被害を受けた中国の様子が日々新聞で報じられるのを見て以 来,澄枝を批判し,いじめるようになる。しかし澄枝自身は,戦時の故国を身近に感じる。 この家の,十四歳になるヘレンといふ娘には,澄枝は近頃つくづく泣かされる。[…]事 変勃発後[…]娘の態度はがらりと変り,[…]この頃の邦字新聞を見てゐると,殆ど戦争 の記事ばかりで,[…]故郷の村から出征した若い人達の武勇談や,死傷者のニユースを見 ればつくづく戦争が身近かく感じられ[…]今朝メイルボツクスに届けられてゐた今月号 の婦人雑誌[…]皇軍兵士が国旗を捧げて万歳をしてゐる写真は,ゆつくりと見たいが隣 席の白人に見られるのが,何となく気がね[…] やがて澄枝の弟の出征が伝えられる。そのことで澄枝は,経済力を持ち性的な自由を享受しつ つも,不安から逃れられない移民地での生活に,区切りをつけるのである。 『やつとこれで本当の清算が出来る。弟の千人針をこうして抱へて,どうして兼田の情炎に 身を任すようなことが出来よう』/ 兼田に ふ時の危惧を吹き飛ばしてしまふだけの心構へ が出来たのである。 すなわち,この作品では,在米日本人未亡人の心身の行き詰まりを「清算」するものとして, 日本の参戦という大義が登場する。本作は,個人としての自由と自己決定権を享受し,それゆ えの行き詰まりをも感じている女が,それらを清算する大義に,みずから手を伸ばす物語とい える19)。 このような「自由」は長くは続かなかった。やがて真珠湾攻撃をきっかけに合衆国本土の日 系人は強制収容されるが,収容所のなかで豊かな文学作品を残した。それらの作品から,日本
の描かれ方を見てみたい。トューリレイク収容所で発行された日本語文芸雑誌『鉄柵』に掲載 された俳句には,存在しない幻想の〈日本〉を歌うものが数多くある。 水仙や朝の目覚めの手水鉢 (「ツルレーキ吟社」,第三号,近藤梅香) 鏡台に膝先ふれて湯冷め気味 (「俳壇・鶴嶺湖吟社句抄」,第七号,森本糸女) 五月闇折々光る探照燈 (「鮑ケ丘俳句会句抄」,第三号,矢野紫音女) 五月闇灯さぬ塔のありどころ (同上)20) これらの句では,日本の細やかな生活,その生活のなかでの皮膚感覚,箱庭のような小さな 世界の美意識が再現されている。内地で長く過ごした人は,こうした作品によって,かつての 暮らしを感覚的に再体験し,今を生きる力を得たかもしれない。また,俳句の伝統的な季題「五 月闇」による句は,まさに彼らが感じとった「闇」の質感を切り取っている。収容所で詠まれ た俳句などでは,内地で広く親しまれてきた季題が,収容所のなかに生きるものの眼によって 次々につくりかえられてゆく。〈日本〉は彼等を翻弄し混乱させる一方で,新しい暮らしや変わっ てゆく自分を確かめるための足場ともなっていた。〈日本〉のイメージは,ときに幻想化・理想 化し,またつくりかえられて,作者自身を支えた21)。 以上のように,合衆国本土の日本人移民女性は,〈帝国の尖兵〉〈性的に奔放〉といった描か れ方をする一方で,自身は現状打開策として渡航を選択し,民族的な 藤を抱えつつ,みずか らの姿を省察しようともしていた。在米日本人コミュニティではアメリカの白人中産階級の女 性が規範とされ,ハワイの人々を排除するアンビバレントな意識もみられた。そして,満州事 変から日米開戦に至る時期に,本土の日本人移民がおかれた厳しい状況によって,彼等は様々 なレベルで〈日本〉や〈日本人〉の意識を編み直した。
3.ハワイにおける女性移民の表象と物語
さてここまで,合衆国本土の文学作品における移民女性の語られ方と彼女ら自身の表現とを, とくにナショナリズムや民族意識に注目して見てきた。続いてハワイの文学について,安井松 乃の短歌と安井夫妻が刊行していた『馬哇新聞』に注目し,合衆国本土で書かれた文学作品に おける女性移民のイメージと比較していきたい。 結論からいえば両者には,次のような共通点と相違点があるように思われる。まず共通点だが, 本土でもハワイでも,女性の書き手による文学作品には,内地の言説や本土の男性作家の作品 に見られるような女性移民のイメージ,すなわち〈帝国の尖兵〉や〈性的乱れ〉といったイメー ジがあまり見られない。また,書き手の多くは女学校程度の比較的高い学歴を持っており,表 現への意欲,自分自身を見つめようとする態度,子供をめぐる 藤,諸地域の民族・文化を序 列化する社会進化論的な傾向もよく見られる。 一方,もっとも大きな相違は,安井の作品や『馬哇新聞』においては,ローカルな人間関係 に豊かな厚みがあり,抽象的なナショナリズムがそれと拮抗する,という側面である。以下, この側面に焦点を絞って,安井が関わったメディアの性質に注目して検討する。たとえば,戦後広島市長を迎えた際の歌では,「原爆の体験談ききて悲しみの押へ難しも余り にむごきに」と原爆の惨禍を悼む気持ちが歌われる。しかしそれとともに「国出でて久しき者 の集ひにて老いたる姿まざまざと見る」とか「広島市長かこむ人らの語らひにて心豊かに聞く 国訛り」と,久しぶりの出会いや,訛りという共通点によって,心が豊かにうるおされてゆく 思いも,同時に表現される。「師がおはす広島の市長と思ほへばかはす握手に力加はる」ともある。 これらの歌では,具体的な人間関係や,対面によるコミュニケーションを土台とする,広島 とマウイの関係が,前景化している。それは広島に原爆を落としたアメリカと,被害を受けた 日本という図式に収まらない厚みを持っている。 このように,具体的な人間関係からナショナリズムが遊離してゆかないという事態は,ハワ イの人々へのまなざしにもあらわれている。内地メディアではハワイの人々が未開の民という イメージで描かれる傾向があったが,安井もおおむねこのようなまなざしを共有してはいる。 土人式宴会 指をもて不承不承に食べそめつつ吾に集まる視線を感ず 吾が前になれぬ手つきでたべしぶる人の目とあひかたみに笑みぬ22) しかし,それだけにとどまらず,こちらをまなざすハワイの人々の目がとらえられたり,同じ 場所に住むことが同じ運命のもとに生きるものであるというまなざしも,部分的ではあれ備え ている。 西馬哇紀行 土人村道辺のマンゴ売る娘らは親しみ見せて黒き眼をむくる 別荘より見る津波 土人女の腕より二人の子を奪ひ浪は退きゆくはるかの沖へ こうしたまなざしは,『馬哇新聞』にも見られる。この新聞は,マウイ島に住む人々を読者と するローカル紙で,安井が夫の里助とともに刊行していた。里助は日中戦争に際して,ハワイ でも日本人,中国人,白人などの民族の間や,日本人移民一世と二世の間で様々な軋轢が生ま れている状況に対して,直接的衝突をなるべく回避するべきであると述べている。 […]日本人と支那人の衝突は互いに遠慮しあつてゐるから起らぬが,日本人とポルチギー スなど半可通人との間には相当強い争がある,互いに自説を主張するからそれでよいのだ […]一番困る衝突は同胞家庭における父子間の衝突である。[…]ハイスクール位では英 字新聞や先生から受ける排日気分が濃厚で[…]若い方に表面的の理が多く,ややもする と回りくどい説明を要する親の方がたじたじと聞くが[…]子供らの認識不足は少々癪に さわらぬでもないが彼等は日系米国市民である。[…]彼等が争つて日本主義になつても困 る点がある[…]排日常習者によき口実を与へることになる23)。
また,『馬哇新聞』には,1940 年に日本・中国・ポルトガル三国の人々が同じ自動車に乗って アメリカ旅行をした様子が紹介されている。 六月中旬米大陸の見学旅行に出発した江本清彦氏夫妻には,葡,支那嬢が同伴し[…]誰 もが一度は是非見学に行くべきで,四人一組で自動車を購入して旅行すれば安上がりで済 む,尤もヅライブの出来る者が二人居る必要がある24) つまり,旅行のメンバーを えるためには,それが戦争中の中国人と日本人でもかまわないわ けである。このように,同じ場所に住んでいる者同士でうまくやる,という姿勢が,硬直した ナショナリズムを抑制している場面もあったことが『馬哇新聞』からは窺われる。 真珠湾攻撃によって,ハワイの日系人をめぐる状況は激変する。僧侶や神官,日本語新聞・ 日本語学校・日本人団体の役員など,日系人社会の指導者が,二世たちの協力で集められた情 報をもとに FBI に逮捕される。夫に続いて安井自身も逮捕され,馬哇新聞社にも憲兵がやって くる。 探索隊の襲来 命令のままに一人が錠かくる使ひ古して動かぬ機械にも 封じられし機械を前にひしひしとあすのたつきさへ湧き来る不安 逮捕 敵国の宣伝と見しかゲラ刷りするわれを捕へて後ゆ追ひ立てる 行きずりの人ら見返るエム・ピーのつきそふジープの中なる我を 天地にはづるなき身ぞ裁かれつつ民族的の矜持さへもつ 社会保証局 生きるためみえもいきじも思はなく只ひたすらにわれ働かむ はたらかむとすれば人中におどおどとただにとまどふわが影浮ぶ 救済所で会ふ友と友おちぶれた者同士にてあたたまる友情 うつそ身の可能の仕事にありつけず己せめつつ国の補助に生く むけられる仕事選り好むわが儘も許されて生くみ国の補助に 逮捕され生活手段も奪われるなかで,安井は「民族的の矜持」を感じる。彼女はすぐに釈放さ れるが,新聞発行を差し止められ生活の術を失い,アメリカの社会保障で暮らす身になる。 「社会保障局」と題された歌群では,「生きるためみえもいきじも思はなく」「人中におどおど とただにとまどふ」と,それまでマウイの日本人一世コミュニティのリーダー的存在であった 彼女が,次第に自信を失っていく様子が描かれる。一方,戦争中は日本人同士の集会や日本語 の使用が禁じられたが,「救済所で会ふ友」と「おちぶれた者同士にてあたたまる友情」と,そ のつながりは失われていない。 同時に安井は,「己せめつつ国の補助に生く」「むけられる仕事選り好むわが儘も許されて生 くみ国の補助に」と,敵国人たる自分に生活の保障を与えてくれるアメリカに,ありがたさを
感じる。つまり,日本とアメリカが,ともに自分が生き延びることを助け支えてくれる,なく てはならぬ存在として,同列に並ぶ瞬間が,彼女のなかにはあった。ちなみに『馬哇新聞』は, おおむね 4 面の構成で,第 1 面が英語,2 面から 4 面が日本語だが,日本語頁の内容は,この時 期の内地のナショナリズムの高揚を色濃く反映したもので,日本軍による中国への攻撃が快挙 として華々しく報じられたりしている。ところが,安井の歌では,それがアメリカであっても 日本であっても,国というものはありがたい,というような意識が表現されているのである。 軍事拠点となったハワイには,アメリカ兵が押し寄せる。安井はホテル経営を思い立つが, アメリカ兵たちの差別的な対応に怒り,自分は日本人であるという誇りを強く感じる。たとえば, 「ホテル」と題された歌群では,駐留する米兵への反感が表現される。しかし一方で,米兵にも様々 な人がいることにもすぐに気づく。 横柄なる態度憎みつつも慎しく日本人といふ意識にて答ふ 答ふべきは静かにこたへつつ高びしやにもの問ふ非礼を吾はさげすむ しかすがに士官といふはおだやかにて調べ受けつつ親しみ覚ゆ 戦ひに子を征かしめて米兵をこはき者とは思はなくなりぬ いづちかで人の情に会ひをらむ吾子を思へば愛しどの兵も 彼女の息子はアメリカ兵として出征している。開戦後の差別のなかでも,安井は,日本でもア メリカでも国というものは,自分を助けてくれるありがたいものという,ある意味で現実的な 国家観を持っているように思われる。また,米兵は夫を逮捕して自分の仕事を奪い,横柄な態 度で自分を見下したりもするが,息子も米兵と思うとみな愛しいというように,「米兵」は安井 の中で単一の像に収束しない。さらに,このような矛盾した自分の思いを,言葉にし,短歌に 詠み,広島に送っている。それは,引き裂かれている自分がいる,その自分を見つめ許す,さ らには他の人にもそんな自分を見て共感してほしい,という積極的な表現と伝達の実践といえ る。そしてこの事態は,人と人との目に見える関係が,国家主義や民族主義が過激化するのを 抑制している,と見ることができるのではないか。 もちろんこれは,彼女のすべての歌の傾向ではない。内地のナショナリズムに同調する歌も あるし,編集時の取捨もあった。ただ,ここで確認したいのは,抽象的な〈国家〉という概念が, 具体的で個別的な体験にほどかれてゆく瞬間があり,それが作品として表出された,という点 である。これは,たとえば先に検討した合衆国本土の短編小説「戦時小景」の,日本批判に出会っ て日本人意識を強めてゆく女性像とは対照的だ。 安井のこのようなあり方は,息子がアメリカ兵として出征しているという事情に加えて,ど のメディアと接していたかとも深く関わっている。英語を十分に読めない一世にとって主な情 報源は邦字紙誌やラジオだったが,安井の大きな特徴として,ローカルメディアの担い手であっ たという点がある。全国規模の新聞や雑誌などのマスメディアにおいては,読者は互いに顔の 見えない存在だ。こうしたメディアでは,紙面に登場する読者はしばしば,ある理念を代表す る存在に単純化される。『歌集 椰子の蔭』には,『主婦之友』から特派員として派遣された山田 わかを迎えたときの歌も収録されているが,その『主婦之友』の「移民花嫁報告書」という記
事は,移民女性の姿を次のように描き出す。 海外雄飛を志す若い方たちは満州や北支や又,ブラジル等,わが植民を歓迎する国々に入 つて,未開の富源を拓ひて,その国の文化興隆に協力し,有為の民族として信頼を得なけ ればなりません。純情と犠牲とに生きる日本女性こそは,開拓者のより良き内助者であら ねばなりません。海外にあつて,夫を助けて涙ぐましい奮闘を続けている若い婦人等の通 信が,手許に沢山御座います。[…]私共は一つある小学校に教師をして居りますが,来年 度は土地を購入して,コーヒー園をつくる心算で居ります。[…]食物は魚が食べられない だけで,日本と変わりありません25)。 一方,『馬哇新聞』では,顔の見える個人に関する情報が,主な内容のひとつである。たとえば, 頻繁に掲載される「港だより」という欄では,「「昨晩出府者」/ ワイへー 中村春子女 / ワイへー 溝口品子女 / 報知社員 河原哲夫氏[…]/「昨朝帰島者」エム河部 / チー安保 / チー原田 / エ ム浜村[…]」26)と,島を出入りする人が実名で掲載されるし,縁談を望む未婚女性のプロフィー ルも実名で掲載される。『馬哇新聞』では,紙上の読者同士の関係は現実の人間関係と地続きで, 読者の姿はつねに理念や概念からこぼれおちる具体性,個人性を帯びている。言いかえれば, 一人の人間の複雑さや多面性から目をそらすことのできるメディア上の仮想空間というものが, ここにはないのだ。 そして,そのローカルメディア『馬哇新聞』は,もうひとつのローカルである広島と,短歌 結社というかたちで強く結びついていた。眞樹マウイ支社の活動は,『馬哇新聞』にほぼ毎号詳 しく掲載される。 馬哇歌壇の眞樹社例会は九日安井邸に開かれたがカフルイ社員に差し支えありし為め出席 者は少なかつたが番外に松田開教師,安井照宗氏が列席したので意外に活気がある而かも 非常に有益な会合となつた出席者は / 河村照道 / 河本愛宕 / 阿部浮月 / 高浜稲穂 / 安井女 史 / 学園の松野女先生も始めて出席あり皆に紹介された[…]27) 支社のメンバーは,新聞発行者や僧侶,日本語学校教師など日本人社会の指導者層で,統一団 体がなかった戦前のマウイで,コミュニティを形成する機能をこの新聞と短歌結社は持ってい たと思われる。例会でつくられた歌は,広島の『眞樹』本誌に投稿され,本誌に採用された歌 は再度『馬哇新聞』に大きく掲載された。 眞樹誌十月号発表 馬哇訪問 花本霽月 夕陽今ラナイの島にかかりたり餘光かすかに浪に漂ふ 純情の少女心の閑雅さに疲れを慰する心地こそすれ 警笛に堰れて歸るたまゆらは別れをかこつ我ならなくに 熱帶の春光を浴びて 良覺性
陽光を浴びつ長き薪をぶち切ると瞬間ちらと快味覚ゆる 二階のポーチより 安井松乃 マンゴー樹盛り上りもりあがり茂らひてなだりの町に夏たけむとす28) 『眞樹』に掲載された歌には,ハワイ色の濃いものなど内地の人々のハワイへのまなざしを内面 化したものが多い。この傾向は,内地という中心に認められることで,ローカルコミュニティ 内部におけるポジションやアイデンティティを形成するという事態を示すものに,いっけん見 える。が,同時に,「同胞のもつ美風:国家の存亡に際して英霊と化した人は素より布哇開拓者 である同胞の霊に対し心から感謝を捧げたい」29)という記事もある。移民一世の労苦は,戦死 兵と同じくらい尊いと自分たちには思われるのに,内地のメディアでは取りあげられない。そ のような内地のまなざしへの異議申し立ても,『馬哇新聞』には見られる。 もちろん,ナショナリスティックな言説が新聞の前面に出てはいる。たとえば,「連合国が負 けると世界が闇になると英国はいふが日の本がある限り常に明るいから大丈夫だ夜は月がある 宇宙には電気の本もある(取り越し苦労は無用)」30)というような,楽天的な記事も数多く見ら れる。しかし,その一方で,安井の歌「のどもとにかかることはりをひたひめつたかぶり言え るを聞きていたりき」のように,声高に語られる公式的な見解からこぼれおちるもの,つまり, 二つの国の間で引き裂かれ動揺する自分の姿や,それを誰にも言えない自分という存在を確認 し,言葉にして居場所を与え,他の人に伝える,そのような場所にもこの新聞はなっている。 マウイのコミュニティのなかでの〈私〉を編み直す機能を,こうした文学活動は担っていたと 思われる。つまり,マウイと広島という具体的な場所を背負った人間関係や交流の体験が,国 と国の抽象的な関係よりもずっとリアルなものとして記憶され,それを言葉にして,自分がつ ながる場所の人たちに発信することで,現地における人間関係や自分自身が編み直されてゆく のである。 歌人としての安井松乃には,言うまでもなく様々な限界がある。しかし彼女の作品において 移民女性は,類型的なイメージからこぼれてゆく存在として,また具体的なローカルな場所に 根ざしつつ生きる存在として表現され,〈国民〉の像に収斂しない流動的で境界的なアイデンティ ティが示されている。この点において安井の作品は,犠牲者/功労者,性的堕落者,良妻賢母 といった,移民女性に投げかけられた類型的な表象と物語を超える契機をはらんでいるのでは ないだろうか。 注 1)日系アメリカ移民をめぐる文学について,以下の論考を発表した。本稿の前半部分は,以下の論考と 重なる部分がある。 「「やまと新聞」投稿欄にみるハワイ日系日本語文学の草創期」(『日本近代文学』89,2013.11),「異郷 に響く歌:日系アメリカ移民が見た〈日本〉」(『国文論叢』47,2013.9),「二〇世紀初頭の女性向け渡 米勧奨と「成功」言説:雑誌「女子成功」を中心に」(『国文学研究誌 山辺道』56,2015.1),「日系アメ リカ人の日本語文学雑誌「収穫」の世界:一九三〇年代におけるコミュニティ・メディア・女性表象」(『昭 和文学研究』72,2016.3),「鉄柵のなかの/むこうの〈自然〉−日系アメリカ人強制収容所における自 然表現−」(野田研一編『〈交感〉自然・環境に呼応する心』[2017 年,ミネルヴァ書房]所収),「田村
俊子『カリホルニア物語』における日系二世女性の戦略的エキゾティシズム」(『日本文学』66 巻 12 号, 2017.12),「日系アメリカ移民一世女性の表象と表現:民族をめぐる 藤を中心に」(『国文学研究誌 山 辺道』58,2018.2) 2)下田歌子「女子の海外移住を望む」(『大和なでしこ』[大日本女学会]1906.7) 3)前田河広一郎「三等船客」(『中外』,1921.8) 4)島貫兵太夫『力行奮闘録』(1911.6,日本力行会) 5)真壁知子『写真婚の妻たち−カナダ移民の女性史−』(1983.6,未来社) 6)「悩みの境涯より」(『力行世界』240,1924.12,「読者通信」欄) 7)翁久允「恋の彫像」(山崎一心編『北米文芸選集』1927.12,文芸批評社) 8)暁草生「創作 練馬大根の面」(『在米婦人之友』1927.11,在米婦人の友社) 9)永原秀秋「走り行く者」(山崎一心編『北米文芸選集』1927.12,文芸批評社) 10)翁久允「動かぬ帆船」(『移植樹』1923.7,移植樹社,末尾に「1916 年 12 月作」とあり) 11)松田露子「街路樹」(『収穫』第 3 号,1937.9,文芸連盟) 12)加藤はるゑ「白き舗道」(『収穫』創刊号,1936.11) 13)久保綱子(『レモン帖』1916 年頃) 14)注 5 に同じ。 15)「婦人会音信」(『在米婦人之友』1919.7,在米婦人の友社) 16)南詠会同人編『歌集南光』(羅府南詠会,1934 年 12 月) 17)石清水きよ「或る音楽会場で」(山崎一心編『北米文芸選集』1927.12,文芸批評社) 18)松野珠樹「戦時小景」(『収穫』第 4 号,1938.4,文芸連盟) 19)「戦時小景」の主人公像については,前掲拙論「日系アメリカ人の日本語文学雑誌「収穫」の世界− 一九三〇年代におけるコミュニティ・メディア・女性表象−」(『昭和文学研究』第 72 集,2016.3)で 詳しく考察した。 20)山城正雄・野澤襄二・河合一夫編『鉄柵』第 3 号,第 7 号(鉄柵社,1944.7.3, 1945.2.20)。引用は, 篠田左多江・山本岩夫編『日系アメリカ文学雑誌集成⑤∼⑥』(1997.10,不二出版)による。 21)この点については,前掲拙論「鉄柵のなかの/むこうの〈自然〉−日系アメリカ人強制収容所におけ る自然表現−」(野田研一編『〈交感〉自然・環境に呼応する心』[2017 年,ミネルヴァ書房]所収)で 論じた。 22)安井松乃『歌集 耶子の蔭』(眞樹叢書第十五編 1951 年,眞樹社)。以下,とくに断らない限り,安 井の歌は本書より引用。 23)「照宗随筆 日支問題の口頭戦争」(『馬哇新聞』1938.1.14) 24)「広大の二字に尽きる 米大陸を一万哩旅行」(『馬哇新聞』1940.8.30) 25)海外移民協会 杉谷寿賀「移民花嫁報告書」(『主婦之友』1938.4) 26)「港だより」(『馬哇新聞』1938.1.7 ほか) 27)「眞樹例会賑ふ 阿部氏感想を語る」(『馬哇新聞』1941.9.12) 28)「眞樹誌十月號発表」(『馬哇新聞』1940.10.22) 29)「他山の石」(『馬哇新聞』1940.6.21) 30)「オモチヤ箱」(『馬哇新聞』1940.6.21) 付記:引用は原資料に拠るが,旧字体は新字体に変え,明らかな誤植は訂正したほか,読みや すさを考え一部表記を改めた。本稿の作成にあたり UCLA Young Research Librar y に様々なご 配慮をいただいた。また,本稿は 2018 年度立命館大学国際言語文化研究所連続講座「ハワイ日 本人移民 150 周年から考える」における口頭発表の原稿を改訂したものであり,発表に際して