342 生物工学 第96巻 第6号(2018) はじめに より快適な社会のためには,適切なものづくりが重要 な位置を占めている.ここで「適切な」と書いたのは, つくったものが単に目的の機能を果たすだけでなく,目 的外の観点からはその安全性が担保されているというこ とを意味している.これは新たな機能を持つ化学物質を つくりだすときにも当てはまるが,新規に開発される化 学物質の数は指数関数的に増加している.新たにつくり だされる化学物質のすべてを網羅することは困難である が,およその動きはCAS(&KHPLFDO$EVWUDFWV6HUYLFH) に登録されている化学物質の数から推定可能である.こ の登録数は1975年には300万件だったのに対して,15 年後の1990年には3倍の1000万件,2005年には2500 万件,2015年には実に1億件に達しており,10年間で 実に4倍に増えていることになる(図1)1).この莫大な 数の化学物質を安全に利用するためには,いわゆる安全 性の担保,すなわち毒性の評価が重要となる.ところが, この毒性評価のエンドポイントと手法は近年になって大 きく変化して来ている.たとえば,従来の毒性評価はあ くまでもヒトが最終的な対象であり,ヒトに対しての影 響を推定するための試験法が確立されてきていたのに対 して,近年では持続可能な発展を念頭におき,環境影響, 環境毒性への試験も重視されてきている.また毒性評価 のための手法も従来は動物実験が主流であったのに対し て,動物を使わない試験法へと大きく変化してきている. ここでは,これらの変化の概略について紹介したい. 目的外の影響が問題になった化学物質 たとえば,今でもその処理が問題となっているPCB (3RO\&KORULQDWHG%LSKHQ\O,図2)などは,その安価な 製造コスト,高い安定性から優良な絶縁体として大量に 生産・利用されてきていた.しかし,劣化しない絶縁体 としては理想的なPCBもひとたび環境に放出され生体 内にとりこまれると,その安定性から生物はこれを分解 することができずに生体内で蓄積し,食物連鎖によって より高位の生物に高濃度で蓄積しダイオキシンと類似 の毒性を示すことが明らかになってきた2).これらは, ①環境中で分解しにくい(難分解性),②食物連鎖など により生体内に濃縮され蓄積されやすい(高蓄積性), ③大気循環,海流,生物の移動などにより長距離を移動 して,極地などに蓄積しやすい(長距離移動性),④人 の健康や生態系に対し有害性がある(毒性),といった 性質を持っており,残留性有機汚染物質(Persistent Organic Pollutants: POPs)と総称され3),現在では規制 対象になっている.また殺虫剤として知られていたDDT ('LFKORURGLSKHQ\OWULFKORURHWKDQH,図2)もPOPsの一 つであり,やはりその安価な製造コストと殺虫効果の高 さから長く使われていたが,やはり生体内で分解されず 蓄積性のあること,ホルモン受容体に作用しいわゆる内 分泌かく乱作用を示すことが明らかになり4),その使用 が原則禁止されるに至っている. 近年では,医薬品が環境中に放出された場合の影響な ども懸念されている.そもそも医薬品は生体内で安定的 に機能するように設計されているために,環境中に出て も分解されにくく,これらの医薬品が河川を中心として
作り出したものは安全ですか?
加藤 泰彦
1,2*
・渡邉
肇
1 *著者紹介 大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻(助教) (PDLONDWRB\DVXKLNR#ELRHQJRVDNDXDFMS 1大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻, 2大阪大学大学院工学研究科附属オープンイノベーション教育研究センター 図1.CAS登録数の経年変化(文献1を改変) 図2.PCBとDTTの構造343 生物工学 第96巻 第6号(2018) 生態系を構成する生物におよぼす影響が数多く報告され てきている5). これらの知見は,化学物質の適切な毒性評価が困難で あることを意味しているだけでなく,化学物質の毒性に 対する考え方が大きく変わるきっかけともなっている. POPsの問題は,化学物質の製造,利用や消費,廃棄に ついて地球規模で考える必要性を提起し,1992年に開 かれた地球サミット(国連環境開発会議)においてはア ジェンダ21が採択されている.アジェンダ21では持続 可能な発展が骨子となっており,有害廃棄物の適正な管 理が求められ,これをふまえて日本ではPRTR法(化学 物質排出把握管理促進法)が成立している.PRTR法で はヒトや生態系への有害性が懸念される対象化学物質 (第一種指定化学物質)について環境中への排出量や廃 棄量を届け出ることになっている. これら一連の動きからもわかるように,かつては化学 物質の毒性というと人が主たる対象であったのに対し て,現在では環境や生態系への影響,負荷も評価する必 要が出てきている.つまり化学物質の安全性を評価する ためには,かつてはヒトを念頭においた試験をすれば十 分であったのに対して,現在では生態系を意識した試験 が必要になってきており,生態毒性の評価も重要な項目 となっている.こうした化学物質は輸出入の対象となる ことから,OECD(経済協力開発機構)がテストガイド ライン(7*)を制定しており,評価法についても国際 的な共通化がはかられている. 生態毒性 上記のように持続可能な発展を考慮した場合には生態 系を構成する生物についての影響を配慮する必要がでて くる.多様な生物種で構成されている複雑な生態系にお ける化学物質影響を評価することは困難であるが,一連 の生態毒性試験の手法が開発されてきている.これらの 試験法では生態系を構成する生物種のなかから代表的な ものがいくつか選択され,再現性の高い試験の実施が可 能であることを確認した後に試験法が確立している. OECDの生態影響試験法であげられている生物種とし ては,藻類,魚類,ミジンコ,鳥類,ミミズ,ミツバチ, ユスリカ,ヒメミミズ,ウズラや陸生植物などがあげら れる.特に食物連鎖で重要な藻類,ミジンコ,魚類に属 する生物の試験が国際的によく用いられており,環境省 の実施する化学物質の生態影響試験においても藻類 (Pseudokirchneriella subcapitata),ミジンコ(Daphnia
magna),ヒメダカ(Oryzias latipes),ユスリカに対す る試験が優良試験所基準(*/3)に適合した試験施設 において実施されてきている. 動物を用いた毒性試験 新たな利便性を有する化学物質が作り出された場合, それを利用する人間に負の影響を及ぼすか否かは基本的 な問題であり,ヒトを念頭においた試験としてさまざま な評価法が確立されてきた.人間に直接曝露を行い,試 験を行うことは倫理上許されることではなく,毒性の低 い化学物質について報告があるものの普遍的な試験とは ならない.このために長く使われてきたのがヒトに系統 的に近い動物を用いた試験である.ラット,ウサギ,ビー グル犬やカニクイザルなど哺乳類を用いた試験が代表的 なもので,表1に示すような毒性試験がなされてきた. これらの試験は一般的な毒性試験法として確立されて いたものの,動物を使用することに対する批判は以前か ら存在しており,特に近年の社会的な意識の大きな変化 に伴い毒性試験法も大きく変わってきている. 動物を用いた毒性試験 実験動物を使用するうえで一つの重要な概念は動物福 祉(animal welfare)である.この言葉はまだ聴きなれ ないかもしれないが,いわゆる社会福祉などの医療や介 護の福祉とは異なり,動物の幸福を実現するための考え であり,これが動物実験においても基本的な理念となっ ている.動物福祉の考えは1965年にイギリスで家畜を 対象に提案され現在では動物が得られるべき自由として 5つの自由が提唱されており,家畜だけでなく実験動物 やペット,野生動物までを対象としている6). 1.飢えと渇きからの自由 2.不快からの自由 3.痛み・傷害・病気からの自由 4.恐怖や抑圧からの自由 5.正常な行動を表現する自由 たとえば,動物実験においては基本的にえさや水は自 由に摂取できるようにし,1の自由を担保しており,温 度・湿度・照明を管理した状態で飼育することによる2, 4の自由を担保している.実験動物によって必要な飼育 面積についてはNIHなどから推奨されている数値があ り,2,4,5の自由を担保していることになる.また基 本的にマウス,ラットなどはSPF(VSHFLILFSDWKRJHQ free)とよばれる実験動物自身や人へ感染する病原菌の ない動物を使用することにより,3の自由を担保すると 同時に実験結果の再現性も担保している.
344 生物工学 第96巻 第6号(2018) 3R ただ,いくらこうした5つの自由を念頭においても動 物実験を行う限り,最終的に動物を実験の目的で殺すこ とには変わりがない.このため使用する実験動物の数を 減らすことも重要な課題となっており,3Rの概念がう まれている.3Rとはreduction(削減),UH¿QHPHQW(改 善),UHSODFH(代替)の3つの考えを意味する. Reductionは動物実験にあたっては使用する動物数を 削減させることを意味するが,実験のプロトコールを変 更することにより,科学的に信頼性のおける範囲内で用 量の公比を変更したり繰り返し数を変更したりすること で実験動物の必要数を減少させる努力を行っている. Refinementはできる限り動物に苦痛を与えないこと であり,苦痛軽減のための麻酔や安楽死の手法もかつて とは変化してきている.たとえば,ペントバルビタール は長い間利便性の高い麻酔剤として実験動物の麻酔に汎 用されていたが,実際には強力な催眠作用によって意識 がなくなるだけで鎮痛作用はほとんどないこと,意識喪 失の状態が得られる用量が致死量にきわめて近く死亡事 故が多発することから,現在では使用が控えられている. 5HSODFHPHQWは動物を使用しない実験方法への代替で あり,より下等な動物実験への移行や培養細胞を用いた in vitroの実験系が推奨されている.代表的な例の一つ として,エームズ試験による変異原性試験があげられる. これは原核生物であるサルモネラ菌に被験物質を曝露し 誘発される遺伝子の変異を評価する手法であるが,発が ん性物質の多くが変異原性を有していることから,イニ シエーターとしての発がん性を評価するのに用いられて いる.また近年ではドレイズ試験からの移行があげられ る7).ドレイズ試験は1944年に化粧品の評価として開 発された手法で,固定したアルビノのウサギの皮膚,ま たは眼に披験物質を最大14日間曝露し,その影響(腫れ, 混濁,失明など)を評価するものであり,広く用いられ てきていた(OECDの7*).しかしその試験法,特 に眼刺激性試験法が残酷であるという批判が相次ぎ, EUでは段階的に化粧品開発における動物実験が禁止さ れ2013年には完全に禁止されている(動物実験の写真 などはここに掲載することもはばかられるが,rabbit, H\H WR[LFLW\などで画像を検索していただくと様子をご 理解いただけるのではないかと思う).代替法としては, ウサギ角膜上皮細胞を用いたOECDの7*やニワト リ摘出眼球を用いた眼刺激性試験法(7*)などが 用いられており,EUでは動物実験を用いて開発された 化粧品の販売はなくなっている.ニワトリ摘出眼球の利 用は奇異な動物愛護の観点からは奇異な感をあたえる が,実際は処分される部分を試料とすることにより問題 を回避している. この他にも代替法の確立は急務であり,OECDにお いては従来のテストガイドラインに加えて代替法の標準 化を進めている(表1). 動物実験をなるべく避ける動きは広く見られ,創薬の 分野においても従来のマウスやラットを用いた実験の代 替法としてゼブラフィッシュが注目され,ゼブラフィッ シュを用いた創薬研究が急速に発展してきている8). 実験動物のカテゴリーも徐々に広がってきており,日 本学術会議の規定する実験動物は哺乳類,鳥類,爬虫類 であったが,世界的には両生類や魚類を含み脊椎動物全 般が実験動物として認識されつつある.これはアカデミ アでも同様で,哺乳類,鳥類,爬虫類を用いた動物実験 については,所属機関の審査と承認が必要でこの証拠が ないと論文が受理されなくなってきている.こうした動 きは今後ますます強くなるものと思われ,いかに動物を 使わずに安全性を評価するかが重要な課題となっている. ミジンコ 生態毒性試験にも用いられているミジンコ(Daphnia magna)の可能性について最後に紹介したい.上記のよ うにミジンコは生態毒性を評価するための重要な生物種 であり,試験法が開発されているが,基本的には曝露後 の遊泳阻害や繁殖阻害を評価する試験であり,時間やコ ストがかかる.近年になってこのミジンコに遺伝子を導 入する手法が開発された.化学物質を曝露した際に発現 が変動する遺伝子に着目し,遺伝子が変動すると蛍光を 発するミジンコを作製することにより,従来の試験法が 表1.化学物質の毒性試験 毒性試験の種類 毒性試験名称 一般毒性試験 単回投与毒性試験反復投与毒性試験//急性毒性試験慢性毒性試験 生殖・発生・胎児に 関わる試験 生殖発生毒性試験 遺伝子突然変異に 関わる試験 遺伝毒性試験/変異原性試験(代) 発がん性試験/がん原性試験 免疫アレルギーに 関わる試験 免疫毒性試験/アレルゲン性試験/ 抗原性試験 皮膚感作性試験(代) 光感作性試験 局所刺激性試験に 関わる試験 皮膚刺激性試験/眼刺激性試験(代) 光毒性試験 (代)は動物を使用しない代替の実験法を示す.
345 生物工学 第96巻 第6号(2018) 簡略化されることが期待される.また,遺伝子の動きに 着目することは,毒性のメカニズムにも知見を与えるこ とになり,今後も新たに作られるであろう化学物質の影 響を的確に評価することにもつながると期待できる.一 方で,ミジンコにヒトの遺伝子を導入する試みも進めら れている.たとえば,ヒトのエストロゲン受容体とその 応答遺伝子のセットをミジンコに導入することにより, エストロゲン様の活性をミジンコで検出できることが報 告されている.ヒトにおける化学物質に対する応答シス テムをミジンコに導入するこうしたアプローチは,単に ミジンコが生態影響の評価に利用できるのみならず,動 物実験の代替法としても今後利用できる可能性を示して いる. これからの展望 簡単に化学物質の安全をどう考えるか,考えがどのよ うに変化してきたかを紹介したが,莫大な数の化学物質, 動物実験の削減などを考慮すると最終的にはin silicoで の毒性予測が理想であろう.現在も定量的構造活性相関 (QSAR)から毒性を予測する手法は存在している.化 学物質の構造や物理化学的な特性からその影響を予測す るもので,今までは発がん性の予測に化学物質の求電子 性などが用いられてきており,生態毒性予測などにも QSARを用いたアプローチがなされてきているが正確 に毒性予測ができる状態には至っていない9).この理由 の一つは毒性のエンドポイント(たとえばミジンコでは 遊泳阻害など)と曝露する化学物質の物理化学的特性の 乖離の可能性が上げられるだろう.化学物質がミジンコ を含め生体に作用する場合,化学物質の標的となる遺伝 子産物なり生体分子が明らかにならなければ本当の毒性 影響は評価できないはずであるが現在のin silicoによる 毒性予測はそこまで踏み込んだ評価ができていないのが 現状である.化学物質の生体内における標的を簡便に同 定できる手法が確立できれば,構造からの毒性予測がよ り的確にできることが期待できる. 一方で,化学物質影響を遺伝子発現の動きから評価す る試みがトキシコゲノミクスとして進められており,次 世代シーケンサーを用いたRNAシーケンシングによる 評価技術も急速に発展している.種々の生物における化 学物質曝露による遺伝子変化を大量に処理可能になって きている状況をふまえると,遺伝子の動きから毒性影響 を評価することも可能になり,in silicoによる化学物質 の毒性予測にもつながることが期待できる. 文 献
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