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後進地域の社会教育(承前) : とくにその施設の構成について

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(1)後進地域の社会教育. 棒郭. -とくにその施設の構成について00 A(1ult. Education. in the. l'ieT\・l)Oint of. the. --Frolll. 代. 田. l・Tn(1el・-(1cvelol)Cd Areas. 元. (c()ntinued).. lnsli'Lutions-. the. 弥(MotoyaTASHIRO)* SUMMARY. In the developed In those. this. former. article in the countries ftlrther. countries This time,. sttldy. and the. facト丘nding. (1958), the South-eastern on. ad1ユ1t edtlCation,. about. a. these institutions why done for the modernization As the conclusion criticized.. din't of of. appear. the. adult aye mine,. 日 文. the. comparison typical and. also. the. education. activities. points. mentioned. are. institutions. between. subject. for. area. the there. Then,. study・. problem. of what are. in this. shall. surveyed. the be and. report.. 次. Ⅳ.施設の現状-その3. Ⅰ.社会教育施設の性格. Ⅴ.中間的概括. Ⅱ.施設の現状-その1. Ⅵ.その億の問題. Ⅲ.. in the under.. education the. of. its main. was. there,. adult. done.. was. other modernized countries Philippines is marked as the. reasons. 前. Asia. J・. そ」り2. さきに本学部人文塞己要第6集(1958年)において,インドネシアとどルマの社会教育 を通じ,東南アジア俵田発窟国におをナる文化と教育の比絞的要餌をさぐる試みをしたoそ の後教育紀要第1集が編まれるのを機に(1962年)インドの地域社会と教育との関係に簡 単ながらふれるところがあったo 今何の小窺においては,文部省の科学研究費(絶食研究)によるアジア研究ならびをこ, 社会教育施設の比攻研究に関して入手し得た漂料を中心として,主題の事項につき文献サ -ベイをおこなった結果を要約したo. これを1日稿の鐙きとするゆえんのものほ,いずれも社会教育の彩態についてのアジア的 …植民地的特質を把挺するための研究坂説を共通にしているからであって,その要点を 再説すれば,およそ次のとおりであるo l・アジアのいくつかの韓は古くからの状態を綻をナ,またその他の多数の韓は最近にい. たるまで,事実上欧栄諸国の接民地であった.各国の民衆に対する教育は,それぞれ *. 教育学教室(Dept.. of. Education).

(2) 2. 田. 代. 元. 弥. の民族古来の文化・伝承にもとづく相違をしめしているが,同時に植民統治下に外部 からもたらされた異質文化の影響をも多分に受けている。 ?・新たに独立をかち得た近時においても,その後者の影響はぬぐい去ることができな いo. (それがプラスにはたらく場合とマイナスに作用している場合とがあることが考. えられるo)しかも・民族文化と外来文化との混合・錯綜が,教育はもとより,他の 諸領域において種々の特殊な問題を生み出している。 3・一般に,低開発国においては・政治・経済の動向が,教育を左右するカがきわめて 大きい。. 4・さらにまた多くの国において,宗教と教育との未分離の状況が著しくあらわれてい るo. しかもそれが,在来のものの継貌・西欧よりの移入の双方とも単一ならざるとこ. ろに大きな問題をふくんでいる。 5・社会教育の方法に関しても,教材・学習方法ともに新旧各様のものが入れまじって 一貫性を欠くことが多い。また基礎教育fundamental. educationの習得状況が,階. 層によって著しく異な-ているので(というよりも,多数を占める低所得層に文盲が 依然としてひろがっている事実をあげる方が正確である),知的水準の調整が当面の 課題であり,かつその場合に知識層が果たす役割がきわめて大きいことを無視するわ けにはいかない。 以上の仮説をもとにして,まず事実認識の素材をとりあげてみよう。 Ⅰ社会教育施設の性格. 元来教育施設とよばれるものには広狭二義の概念がある。その1は建造物・備品はもと より,そこに固定される職員を含めて発揮される機能とそれに関与する被教育者集団の活 動を紘称するものであって,法律用語の棲関 ●. に相当する解釈を適用する場合で. agency ●. ある。他の1は,近代教育行政理念にもとづく営造物の規定をこれにあてはめようとする ●. ●. ●. もので,この場合には,専門職員のような人的要因を欠くことはできないが,主眼はおの ずから物的要因にそそがれることになる。. 上記2様の解釈のうち,後者にあっては,施設があくまで公教育作用の手段としてみら れるのであって,あるべき教育の活動は,主体であるところの市民の自主的な学習の発現 によってのみ成立する. (学校教育においてほ,その対象が未成熟老であるた桝こ,この 形式を完全に実現することは困難であるが,社会教育の領域においては,その形態が実行 されることをもって近代化を達成し,進歩をきたすものと考え,わが国現行法の規定も, 明かにその趣旨にしたがっている。)このような近代社会教育の基本理念とそれにもとづ く基本形式(構造)にのっとって施設の意義を解し,その充実につとめることは,すでに 社会教育の先進地域においては当然のこととされているのであLる。 しかるに・後進諸国においてほ,少数の知識層を除いて,多くの精神的未発達の成人層 をかかえているために,社会教育施設をめぐる状況も異ならざるを得ない。しかもその状 況は,歴史的に複雑な要因をふくんで形成されているところに大きな問題があるo一言で.

(3) 3. 後志地域の社会教嘗. いえば,後進地域の現況は,指導層と被指導層との問の麟著な距離を短賭するために,学 校酵涜の蚤的社会教育を普及しなシナればならないという当頭の露湛に追われているoそし て教育施設をこ濁していえば,まず本来の学校施設の建造をこ努力しなをナればならない状態で あるo. したがって公教育体制全体の整備充実にあたっての腰序もさることながら,現実悶. -穎として,社会教育の境域に新しい体番fjをうち出すことに困蟹を感じ,その基本的な計画 ぼあっても,それが容易をこ窯施にいたらなv、という状茨をこさらされるのであるoそれなら 描,近代的社会教育の施設がこれらの鄭こは現在皆無であるかといえば,そうでもないo (新興諸国において, そこをこ,またアジア諸国の特異性(後述)を認めなをナればならないo 学校・社会南教育懲戒を通ずる国家計画-飼,ビルマのどドクタプラン等-が鋳てら れていることは,すでに第1塙で拭かをこしたとおりであるo) このことほ,各国の教育基本計画と民衆の生活現衆との問の著しいへだたりをもって知 覚にそれをみることができるo さらに藷をついでいえば,異質漁な文才ヒ形式によって変様 された施設観とその運営計画が,民衆の生活要求とくいちがう点への対策が十分をこをま講ぜ られないために,施設を議ずる社会教育が民衆の生酒に入り込むことが困韓であって,顔 りに結合するとしても,それをまどく1藩の住民であるか,もしくほ特殊の住民層に限られ る嬢絢を強くしめすことにもなるのであるo ll施設の現状---・その1. 社会教育施設の後遺妖況ほ,概括的をこも、えばそのための固有施設の有無に第1の焦点を 当ててみることができると考える.さらに第2の焦点としては,固有施設のなかで役害星分 菰がどの程度にすすんでいるかをあげるべきであろう。本稿において新たに賃料収集の対 象亀城に迫力汚したフィ1) ピソにおいても,この点で後置牲の特長を£くあらわしていると 慮われるo. フィ1)ピンの場合,その地域基底の特質をさぐるためにほ,スペイソ餌時代(15651898)から栄韓紋添時代(1899-1946)の贋をこ,その家治の状況と民衆の蓉繭を違って, 歴史的に調整をしていく必要がある。しかし,ここでほ,その洋舞をこふれることほ省略を して施設の現時点にいたる緩速のうえで,とくに主賓なボインTを指摘するのにとどめた い。. 絶食約にみて,フィリピソの場合,社会教育固有の施設ほ売渡立であると判断されるo もちろん地域社会におレナる民衆の自治情動のた馴こ白然発生的に成立した部落集会所のた ぐい捻,飽の国と同校に存在してを、るが,それらが,. iEしく社会敦常の施設とよばれ,か. つその活動のよりどころとしての実をあげ得ると藩めることにほ多くの疑点があるo何と なれば他の諸国の場合もそうであるが,独立後日なお浅い新興箔国家においては,物心両 頭にわたる鍔民約統一の至上禽令に対して,他方,地域民衆の日常盆暗ほ,長い植民統治 のもとでそれに滴窺的な観抗をし,避けてとおる態度を身をこつをナた拠点がそれであったふ その抵抗の習慣ほ,独立したのちの自国政府の施策に対してもほぼおなじように発揮され るo. したがってその習慣を漉正することが教育の第1課讃であってiそれほ在来の施設をこ.

(4) 4. 田. 代. 元. 弥. たよることによっては進展をみないと考えられるからである。 次に教育の情動を民衆のあいだに展開していく場合,民生そのものを安定させることを▲ しないで,直線的に社会教育のプログラムに入ることは困難である。それを裏書きするか のように,フィリピンにおける在来の地域社会施設(必ずしも教育とはいわない)で普及 もし,目立つものはセツルメントsettlementのみであったといってよい。文献調査の結. 莱(主としてH・M・. Wright:. A. Handbook. Philippines,. the. 1907による)を要 約すると,スペイン人は,この国にもっぱら宗教を軸とした統治の方式を注入したもので,〟 of. 文化政策もそのらち外に出ることはなかった。宗教のシンボルである教会が地域社会にま んべんなくひろまっていたことは,写真によって直観し得るごとくである。. 1939年の統計によるフィリピソ宗教別人口は次表のとおりである0 14,555,332. キリスト教徒 カトリック信徒 アングリカソ信徒 新 教 徒 回 教 徒 の そ 他 非合法宗教および無宗教. これによれば,全調査人口の90・1. (人). 12,603,365 1,573,606 378,361 677,903 128,690 626,003. /く-セントがキ1)スト教化され,そのうち85パー-. セントがカトリック信徒になっている。ところで宗教の1側面ほ博愛慈善であり,また別. の側面が教育文化であるoスペインに本拠をおくジュスイト教団が,これらの卿面にとく に熱意を有することは,よくしられているが,そのことは開教以来今日にいたるまで終始 かわらざる方針でもある。フィリピソにおいてもそれが方針どおりすナめられ,それが植 民政策とも一致していたことは,ひろく認められている.セツルメント活動とその施設が,,. 同国内に早くから普及した理由は主としてここに求められるのである0.

(5) :::. ∴二/- :': /こi.'こ:.: ∴ :-・i:.. またセツルメントがさかんに設をナられた理由ほ他にもあるo. 5. いう慧でもなく,セツルメ. ソも積載の直接的な対象ぼ下層住民であるo彼らは生活の基本条件をこおいて多等であり, -それと教育の不足が困となり巣となって,客観的に飽からの救済を必要とする存在となっ ているものであるo ところが白民族内部において相互に救済もしくは脱却への足がかりを 4Sられない場合には,飽の努力に従属せぎるを得なくなることは粥かであって,鉄案勢力 の構民政策が,長くこの土地を支配したのもゆえなしとしないo独立以後フィリピソ政府 organization)を目ぎし,その中心的な役割をコミュニテ. ・ほ,地域づくり(community COmmunity. schoolにおぁせているが,少なくとも400年をこ近も、漏電窓た 碍半独立の期間においてほ,自己確立self-realization,白侍self-help のための基本的 ィースタ-jL,. ・教育ほ無視されてきた。 ・1941年の調査をこよれば,この国でよみかきのできるものぼ,全人口の凄8.8パ-セント. にすぎないといわれており,基礎能力に欠をナるものが,依然として住民の半数を占めてい る。このような状態にてらしてみると,理念的にすすんだ社会教育施設を考えるのは,普 ださきの段階であって,いわをま学校教育の普及展開に当面の努力を集中しなをナればならな (41年皮公立学校数は,. いともいえるのであるo. 12,369校となっているB)あたかも,そ. ・の実態はわが明治維新当時における教育制度整備時代の状況に酷似しており,かつそれほ 儀の新興蒸国の事例とまったく同様であるといえるo高校以上の学生の休戦時におシテるプ ロジ温クトとして,彼らの大量農村注入がおこなわれることも,他の窮と同鐙である. E. Philippine Social Life, 1954) and others: i(S, Macaraig 以上のように,フィジピソの社会教育施設ほ,環段階においてほ,いわゆる類似施設と 学校の拡張作用. をこその多くを扇代りされ,ときには教育体朝会体が未 分化の状態で操作されている.もちろん中都市以上の区域には図書館・博物館等の固有施 extension. 設も成立しているo :I. -:.. ∵-.:;∴. work. しかしそれらは,高等教育検閲たる学綾とともに,環海的な社会教育. ::二.'・./}.I. ・. .'_.ミー∴、.. JTl施設の現状-. ---その2. フィリピソ共和担が名発ともに独立を遼成したのぼ1946年7月4 ・に1902年楽園ほ,原住民の民族自立の願望に応じて比島組織法を儲亀. E3であるが,すで. 困16年のジ註. -ソズ法によって将来の独立が約束され,のち34年タイデインダス・マクダフィ法によ ってその時期を前記逢6年7月と淀めるというような経過があったoそうした過程紅のっ て35年フィリピン議会の手によって憲法を制定し;独立準備政府として連邦政府を樹立 しているo 42年1月から約3年間日本軍政下をこおかれた時期があるとほいえ!上記のお -おむね30年間にわたる独立準薦期間があったことほ,本来ならば飽の新興渚韓なかんず ・く1日英・仏・蘭等の欧少量各国の支配下にあった韓々の第2次大磯以後の経営をこ比して,宛 当有利であったはずであるo. かつその嚢法をま,多数の検事11と率福を員ざすところの韓是を成文絶したものであるだをナ ふこ,それが行政施策の面に具体化していく過毅において,国民の教育をうE-ナる軽寿陀保障.

(6) 6. 田. 代. 元. 弥. する意味で,公教育の充実にむかって施設の整備につとめることは当然と考えられるので ある。 注)憲法そのものに規定されている教育の権利はきわめて一般的・抽象的であるから,とくに記すぺ. き事項もない。ただフィリピソ憲法は,教育に関連して,市民性の滴養を強調していることがめだ Government (第14条--S.E. Tolentino: The Macaraig前出書およびA.M. っている。 tbe. Philippines,. 1950). しかるに,社会教育の施設は行政施策の面のみでなく,民衆の晴力と生活向上意欲がそ れに結合しなければ意味をなさない。ところが,前出Macaraigなどのことばを用いれば,. フィリピソ大衆の生酒条件はさしてみるべき改善のあとをしめさなかった.とくに中 部ルソンにおけるごとく農業地帯においてしかりであったo. 人口の15-20パーセント. にとどまる富裕階層と貧困階層との間のギャップは,根深く横たわる課題を解決するこ となしには容易に埋められ得ないものであった. (前掲書115ページ1 この板の深い問題は,いわば生酒の最低必要をみたすための諸条件に関するもので,教育 以前の課題であるが,生活に直結する社会教育の立場として,その動向を無視することは できないのである。. ところで,国連統計月報1959年12月号によれば,フィリピンの国民所得は(通貨単 位100万ペソ), 1955年. 7,634. 1957年. 8,818. 1956年. 8,414. 1958年. 9,232. と著増の傾向をしめしている。そ・の点では一応民力の増加を認めることができるかのよう である。しかし,おなじ時期における日本のそれは(単位10億円), 1955年. 6,482.7. 1956年. 7,330.9. 1957年. 8,251.6. となっていて,ともに通貨膨脹のおそれを内蔵しつつも,その所得の増加状況において, 日本に比べるとやや劣勢をしめしている。しかも,フィリピンは,. 1957年から1961年の. 間を経済開発5ケ年計画実施の時期としていることを考慮に入れれば,同国の低所得層の 生活改善にあたって自力の発揮を期待し得る可能性は,それほど大きくないと断定するに. 足るものがある。それほ同国の経済活動が,他の東南アジア諸国ほどではないにしても, コロンボ計画その他による先進国からの諸援助を相当に受けなければならぬ実情にてらし てみても明かである。 このように観察をしていくと,公共の社会教育固有施設を整備拡充する基底条件中,財. 政基盤の薄弱という致命的な問題をかかえていることがはっきりと認められ,インド,ど ルマ,インドネシアなどの諸国と同質の問題をこの国もになっていることに目をおおうわ けにほいかないのである。つまり新しい固有施設の整備ができない間隙を,代替構造で穴 埋めをし,さらに有志volunteersの奉仕活動によってカバーすることにならざるを得な いのである。 Vol.. (その状況については,主として. XXXVII-ⅩⅩⅩVIII,. The. Philippine. Journal. 1958-1960の記事をもとにして帰納した.). of Education,. of.

(7) 後釜地域の社会教育. 7. 前述の代替構造とほ,上記の救ツルメソト馴まじ軌最近の農業淀クステンション(坐 Littie Democracies 坊改善をふくむ)事業,鼠合の啓発汚動その蝕,アメi)カ洩の 集団活動等をこよる磯粥または鰭体を通ずる行為を主としてさしているoしたがって庶務に. の. V、えば,それ絃施設の代理でほなく,本来はそれを通じて展開さるべき情動な他の懲域か らの搾摺をこよって推進していることなあらわしているo. このように新興国共通の,本来的でない構造をフィリピンにおいても現出していること をま,鰐汲約をこ好意しくないと考えられるばかわでなく,発覚的に民主教育の進展を妨ぼる 終果を生んでいるoとくに隣接渚酌ミ第2次大戦後をこようやく外国統治のきほんを脱却し ●. ●. ●. たのと異なり,形式的にもせよ,数十年後の独立を約束されて,その準備期聞において十 分にアメリカの影静をうをナる状態をつづをナたた糾こ,その間形式的なアメリ郎ヒ Åmer・ icanization. がさかんにおこなわれたフィリピソである。さらに轍民地共通の特長としてき. 少数の指導者層とむすびついた支配圏の勢力が,多数の無知な民衆をそのままにしておく. こと緩むしろ当然といわれる事案であって,前述のよう琴財力のひらきは,をれ以上をこ爵 禅的なギャップを形成している. したがって,正確な意味で独忠国となってからの期間が短い同国にとって,それ以前の 国全体の経常がプラスよりもマイナスにはたらく公爵経きわめて大であるとみなシナればな らないoそのことが患法をはじめ基本表法にかかげる国民の検潮と結うら縁ら書こ,そして ●. ●. ●. ●. 号れに対する関心をも弱める結果を招いているように思われるo IV. 施設の現状. -その3. 港市住民の生曽宙様式が表面的をこきわめて聾やかな反熟 その生演の盟を得るた釧こ苦し んでいる実態は,筆者が焚際にマニラ周辺でこれを観察したところであるoが,元来フィ ジピソ国民絃享楽的なÅ生観を轟くもっているoそのためをこ日常の生活態度も`i辛からロ -"というある意味でほきわめて楽天的なタイプを身につをナているものが多い8それが宗 教者としての日常行動とたくみをこ混在しているところにt:河南民の特性をさえ感じさせられ るo. このこと絃,彼らの住居,衣艶,罰度,食生活,生活時間等を調べればわかることで. あるが,本稿においては,をれをこついての鼠粥措省賂をするo問題は,そうした鋸南が, 故会教育施設への要求につながってこなを、ということであるo 荘)わが肖の場合.代表的社食教育施設であるところの公民餐をま,盛ゝりにその戦後間もなく(1946年) の発想が,文書β官僚によってなされたとしても,その発想の材木娃戦前にさかのをぎり,かつ民間の 白発的な活動のなかをこ厳存していたoさらに戦後にお汁る公民館の急速な普及と発達,未設置地域 のこれに対する住民の動向(要求)のなかにも,明かに自主的な社会教育活動をすすめる-kソタを確立するだ汁の基底要件がそなぁっていたと載ることができるo これが俄に例の少ないわが公民館の解性であり,東南アジア諾穎の施設間題をみる場合の重要な 比密約要素ともなるものであるo フィ1)ピソをこおいても寄市な畠、んずく団地の中央にをも たいてい集会場が最初から設狩られてい 声o しかしそれは欝住着の娯楽,体育,社交の目的に合ゎせたクラブ-ウスであって,教育の施設 とはみなしがたいo.

(8) 8. 田. 代. 元. 弥. 住民の教育的要求がもりあがらないということは,とりもなおさず共通の福祉を増進し. ようとする意欲に欠けていることになる。中流以上の階層が極端に個人主義化しているこ とはいうまでもないが,個人生活を各個人が独立でみたすことは,一国の水準がすべての 面で高揚していることが前提となってはじめて可能になるものであって,文化の後進地域 にそれが通用するものではない。この点でも公共の社会教育施設に乏しいフィリピンの民 衆ほめぐまれない状況下におかれていることになる。. そこで,固有の社会教育施設のかわりに,ようやく普及しつつある公立学校の情動を検 討しなければならないのであるが,少なくとも今日までのところ,入手し得た賃料の範囲 内において,学校がコミュニティースクールの実体をそなえ,社会教育の活動を積壇的に. すすめるにいたっている事例に接していない。したがってこの点については,後日の検討 にゆだねることにして,結論を保留しなければならないが,ひとつ額推し得ることは,こ. こでコミュニティースクールを彼らが唱道しているのは,おそらく米国の形式的模倣であ り,教育の方法概念としての地域社会学校,すなわち Community. (1945)にかかげた生徒のservice. E.G.. 01sen. projectsやwork. が. Scbool. experiences. and. をとり. 入れた学校活動ということにすぎないように思われる。つまり本格的な代替施設として設 計され,企画されて活動が住民一般に向ってひろく展開されるものとはみなしがたいので ある。 以上のようにみてくると,この国においては,社会教育の優先,重視ということは認め られていないと判断される。この点インドの場合とはきわめて対称的である。 注)インドの場合が理想的であるとは考えない。すなわち,社会教育の施設を学校と併行して急速に 設置拡充しようとする為政者の意見と行政の現実とがかなり-だたっているからである。しかしこ. れを努力目標と考え,かつ徐々にではあるが整備しようとする態度,イギリス的な行政措置の経過 は必ずしも悲観的な観測を呼ばないくらいの実績をしめしている。 そのインドにおいても,新旧文化施設や活動の混在が過渡的現象として目立っている。. (筆者著,. 国づくりの教育第6章). フィリピソが徹底的にアメリカの影響下におかれることはいうまでもないが,くりかえしていう ように,その基礎条件の相違を無視して形式的な模倣にはしるところに大きな問題がある。. 社会教育の施設は,それぞれの民族社会の特質をもとにして考えなければ,それは教育. 的意味をもって成立してこないものである。植民統治から解放後いくばくも経ない時期に おいて,みずからの民衆教育の全体計画を立てるのに必要な基礎賃料を,彼ら白身がとと のえていないのはやむを得ないことである。その点を十分に考慮してみるとしても,近代 的な社会教育の体制にむかっての発足がなされないことは,将来に対して重大な欠陥を包 蔵しているといってよいであろうoかつまた国語の統一をはじめ異瞳族間の文化的融合発. 展という命題をかかえるにおいては,ますますこの面の重要さが客観的に読みとれるので ある。. (遺憾ながらこの総合研究の期間内には同国最近の施設に関する統計資料を入手す. ることができなかったので,同国の状況を計数的に究明する作業がおくれている。しかし. ながら,如上の問題状況のうちに,本稿がねらいとするものの基本線はあらわれていると 考えられる。).

(9) 後進地域の社会教育. 9. さて,民衆の社会教育に対する自発的な要求が高まらないところに,施設をおくときに はその存在の意味がうすいと上述したことについて再び考察を加えてみよう。いわゆるそ の日ぐらし式の盤像法が践着であるところでほ,おなじ社会教育の活動をすすめる場合に. ・おいても,その手段方法のうえで,他の国とほ相当に異なったタイプのものをみることに なるのは当然である.すなわちインスタントな方磨を活潤することに集中される憤南が日 立つことになるoたまたま今日の社会は.,そのような方便をうち出し,かつ受をれ、れさせ. るのに好都合な条件が後進地域にもひろまりつつある。たとえば,ラジオの普及からさら にテレビジョンの開設が実現すると,教育におシナる空間の縮小が可能となり,その分だをナ 固定施設の介在を軽視する結果となる。もっともわが国においてもテレビ放送が開始され. てからしばらくのあいだほ,テレビをみるた釧こ村の公民館に集まるという事実があった. さらにテレビを日常生活のなかでの学習に利用する習慣を養うた釧こ,ユネスコ提唱によ るテレビ集団視聴の実験があり,ここでも公民館がそ.の場として軌、られた。このように, 手段が変わり,発達することが直ちに施設の役害は減殺するとほいえないこともある。し. かし,もともと施設を中心とする自主的社会教育をさかんにした経験を有しない地域住民 のあいだに,単なる機能としての新しい手段をもち込むことほ,ほなほだ危険でさえあるo 新興諸国が,先進国の現状にひきずられて,麿費の節約と教育経路・時間の短縮をはかる 手段にとびつくことは,ある軽度やむを得ないと考えられるけれども,教育の効果が十分 にあがるかどうかを正確に予謝しないでそのような傾向にはしるところに問題があるとい わなければならない。. このような手段に公共の投漬がむけられるのは,あたかも工業の未開発国が巨大なダム を建設し,`発電所をおいてその電力がわずかに民家の電灯に利用されるのにも似て,少な くとも現在のところでほエネルギー源と用途とのあいだにアンバランスを生じているのと 同様の状態を招くことが多い。それも物質的な無駄を一時白勺にひきおこしているだけなら. 描,将来にはこのアンバランスを解消する目算もなりたち,収支相質うことになるであろ うo しかし,教育の場合にはそうはいかないのであるo. ことに,精神文化の後進性をし針㌻地方においては,わかりやすい(削こつきやすい) 教育の拠点が身近かにあるかどうかということが,精神開発,意識の改善進歩に大きく関 係してくるoその具体的な作用の題現俸(シンボル)が作用源となり,活力素となっては たらくのであるo社会教育の施設はそのような意味をもっているので,あるときには,コ. ミュニティ-センタ-とおなじ概念形態をとることが考えられるo しかし,これとても, 民衆の文化・生活水準が比故的に高い地域と低開発国の場合とでは,内実に大きなちがい があるので,外形馳模倣を安易をこ認めるわ捌こほいかないo換言すれば,生酒の周辺bias を豊富にするためのコミュニティーセンターと,生活の基本的必要に立脚する作周波たる 魔設とは同一次元で論ぜられるものでほないのである.知読層(支紀・指導グループ)の 成員が,この点をよく理解しないうちは,施設の拡充ほもとより,既存のものの活用方策 も立たないであろう。たまたまわが鄭こおいても!所得倍増計画の衷打ちがひとつくりに ●. ●. ●. 巌化し,それがまた青少年非行対策をこ移行するというように,教育の腰序・位置・比重が. ●. ●.

(10) 10. 田. 代. 元. 弥. 逆になっているが,教育行政面における施設の位置にも,それと似た事情が発生しがちで ある。その事例を後連語国に求めることができるといえよう。 Ⅴ. 中間的概括. 上来指摘した事実と本報告の主題との関係をここで要約し,かつ整理するならば,次の ようになる。. (1)フィリピソの教育とくにその社会教育の方法は,他の植民地から独立した東南アジ ア諸国と同様に,その統治,管理のしかたに決定的に影響をされている.しかしここでは. 支配国の変更という特殊事情により,二重の負担を負わされたことが,ひとつの特長とい える。. (2)それにもかかわらず・フィリピンにも他の新興国家とほぼ同様の現状があらわれて いるということは,いずれの国の統治下にあったにもせよ,植民地支配は,ある意味では. 多数の貧困階層を素通りして1部の利害関係を濃厚に有するものとの接触によっておこな われていたことをしめし,また別の意味でほ民衆を無視しまたはその犠牲のうえに成り立 っていたことをしめす点でも共通性を有するからであると考えられる。民衆の犠牲におい. て植民地支配を続けるた糾こは,むしろ民衆をその無知の状態のままにしておくことのほ うが安全かつ有利でさえあると考えれば,教育は政策的に尊重されない。ただいわゆる教. 化の作用,伝達(一方的)の必要をみたす行為だけが発揮される。 (3)前記の必要に対応する行為は,統治の補助的な役軌こ応ずる現地少数知識層の開発 をもってこと足り,あとは外来者による支配のひずみから生ずる民衆の不満をおさえる方. 汰(精神よりも物質的側面を主とする)を講ずる程度にとどまっているのが通例である。 そのうちで,大衆の不満を個々に応急的に処置するために設けられたのがセツルメントで あった。. (4)セツルメントはスペイン統治の過程においてあらわれているが,それは宗教集団の 活動の一環として成立し,真因・疾病などに対する救済的活動を主とするものであって, 英米において,自国民のために設けられ,活動した教育セツルメント. educational. set_. tlem甲・tのような,教育を目的とする施設ではなかった。したがって同国内に成立したセ ツルメントおよびそれに相当する事業を代行したとみられる多数の教会の存在をもって,. 民間社会教育施設があり,活動をつづけたと認め得る根拠ほない。 (5)図書館・博物館などのいわゆる社会教育固有施設が同国に成立した歴史はきわめて 浅い。そしてその配置は中以上の規模の都市に限られている。都市生酒者とたいていの場 合にその知識水準の格差を指摘される農村部ではこれに代わる施設機関がないばかりでな く,それらを必要としないような状況下におかれ.それが植民政策に利用されてきた。そのような植民地時代の文化のひずみを修正することは同国の自力建設上重点施策とならな. ければならないはずのものであるが,同国教育行政当局者の意見は,当面学校の普及にお われ,それのみにとらわれているもののごとくである。. (世界教員団体総連合主催国際成 人教育会議,アジア列国文相会議などにおける同国文部次官の発言からかく判定した。).

(11) 後進地域の社会教育. 比較的新しい統計によってみると,. ll. 1950年7月から1951年6月末にいたる1ケ年. 間に救護勉置の対象となったものの事項飼人員ほ次のようになっていら.. (Macaraig:. 前出書) 1.無能力者など. 3,293. 6.非クリスト教程族問題. 2.安保護児童. 4,392. 7.住宅問題(別種). 3.戦争災脊. 68,623. 4.解. 職. 495,972. 5.疾. 病. 35,322. 8.無能力 9.死. 亡. 11,003 3,414. (. u. ). (. q. ). 10.特殊ケ-ス. 506 3,365 111,374. すでに粥かにしたとおり,労働・民生の問題を多くかかえている国においては,理論的に 打ち出される社会教育の必要と,施策の現実とのあいだにひらきを生ずるo. しかも民主主. 義のテーゼをこれに遣周するにおいて,方法論上の矛盾が加味されるのである。以前の報 告においてふれたごとく,インドネシアのスカルノ政権のもとでは``指導される民主主義 Guided. democracy. ''と称する全体主義の政治様式がうち出され,民衆の教化はきわめて. 直線的に,非教育的に推進されている。すなわち植民地時代の本国支配者に代わった自国 の支寵老にまたもや引きずられる破馴こ立ちいたっているoそのような韓の現状と比放す けれども れば,フィリピンの場合には,たてまえとしての民主主義理念ぼ守られているo そのたてまえを栄行にうつすにあたって,たちまち民度・民力の低さにぶつかり,困難を 感ずる結果となるのであるo. このように社会教育の近代的な体制をうち出すための基本的. な要件の補完がとくに要請されることをみのがしてはならないで奉ろうo lT. その他の問題. 社会教育の重点が施設なかんずく近代的な内実を具備したものに憤斜していくことが,. その先進地の特色であることはすでに指摘したとおりである.しかしその近代的な内実と は単に建造物の様態や外形的な感覚の新旧を意味するものではなく,むしろそこで発揮さ れる専門性にこれを求めなければならないoそれはとりもなおさず,施設に専従する人聴員-の質と量の問題に帰著するo後進性をのこしている地域では,この職員の専門性ほ, 主として指導助言の役割に集中されるo しかるに,後進地域においては,とくに専門職員の不足になやむ場合が多い。それほ養 成の不渡によることが多いが,他方,目まぐるしく変化する環境条件に対応して地域住民 を指導するための準備や素養に欠けるものが多いことを考えさせられるo. フィリピソは今. 日澄でのところ,農業封とみなされてきたoそれは生産契鏡に即していわれるのではなく て,むしろ巨大な農業人口をかかえた韓という意味であるoそして少なくとも従来は農村 生暗を静かに守り続けることによって,生晴露題二-学習課題の表面化を避けてきたもの て.I:'・・:こ.. しかしながら農村の変貌という敬界釣な取掛ま,この巨引こも早かれ遅かれ変動の嵐をま きおこさずをこはおかないであろうo. またこの鄭こおいても,徐々にではあるが,工業化の.

(12) 12. 田. 代. 元. 弥. 機運がもりあがりつつあって,都市とその周辺に工場労働者の新しい集団が発生しつつあ るoこのような状勢をみとおして,変化に対応する社会教育の計画とその施策のいとぐち がきりひらかれていないことは,将来にむかって致命的な欠陥をつくりだす可能性が大き. い。本来社会教育は国家の動向,国民生活の推移を正確・客観的にとらえ,その先行きを みとおした基本計画をもたなければ,公教育の体系に組み入れられ得ないものなのである が,上記のような状況におかれていては,むしろ社会教育が現実のあとを追いかけるよう になるoこのことが後進性を脱却しようとする当初の意思とくいちがうことはいうまでも ないoそうした事態からの転移を可能にするものは何か。その考察はきわめて重要なもの をふくんでいるといわなければならない。. スカルノ方式は,これを政略的な角度から力をもってむりやりに押し出そうとしたもの である。しかしながらその効果はあがっていない。反対に,民主的な形態にのせようとし ているフィリピソにおいても,力ずくの処置があらわれないだけで,人間改造の軌道はま. だ設定されていないとみるべきである。それはただ政治路線における問題であるだけでな く,公共的な社会教育のプログラミングにも反映するものであることをたしかめようとし たのである。 1民族,. 1国家のなかで,その生活文化の基盤のうえに,社会教育施設が成立し,確実. な足場をかためるためには,かなりの時間を必要とする。英国のトウインピーホール Toynbee. Hallの歴史には,同国の社会改良運動のあしあとが結集されているように,令. 国の施設は,社会教育固有のものであると否とを問わずそれぞれの社会の流れが形づくり, いろどりをつけている。わが国公民館の場合も同様であって,これが一般化した歴史は短 いけれども,それを発想させ,つちかった思想や郷土教育運動が戦前から脈打ち,その反 攻があ-たことは,すでに述べたとおりである。. (この点については,日本社会教育学会. においても,学会の組/%をあげての共同研究を通じて実証的に究明されているところで, ・その研究の成果ほ近い将来に公刊されるであろうから,そのときの解明にゆだねることに. したい。) ひるがえって,後進地域の場合を考えてみると,その多くが,長い植民統治から解放さ れたばかりであるという絶対条件,すなわち,自国民による歴史がためを禁ぜられたあと. の空白時代を現在もなお経験しているがた糾こ,前述のように,基盤の再構成をしなけれ 描,この点の解決がなされないということになるのである。それは通り-ペんのナショナ リズムや大時代的な所作事によってなし得るものではない。平たく考えてみても,それは. 現時点における民衆の生活現実に釦、メスを入れ,そこから現象の背後にあるなんらかの 形態patternをとり出す作業をひきあててみる必要があるといえよう。そのような作業 を経ないで,先進国の諸様式を表面的に模倣することは,社会教育のとるべき道でないの. みならず,民衆の力をスポイルする結果となるであろうこともすでに指摘したとおりであ る。換言すれば,現在それらの国々にみられる糊塗的手段では,後進性を除去すること, しかも大多数の住民のあいだからそれを実現させることが不可能に近いことを強調しなけ ればならない。.

(13) 後運地域の社会教育. 13. このような先例をま,わが国近代化100年の歴敷のなかをこも求められることであって,節 畿以来の日本の教育が,ある意味では高く評価せられながらも,社会教育の面でいっこう 紅近代化が達成されずをこ大磯郵こAり,放哉後の反省を寝て,ようやくその改革が緒紅つI いた事究をみれば,患い半ばに過ぐるものがあるであろう。しかも畿界の動き捻,これ慧. での100年の進度や枝態とほかなりちがったをまげしい様相をあらわしつつある。そこに依 幾として,きわだった後遠軽を露呈しても、る諸国の社会教育間者経,これを対岸の火災祝 してすますわ捌こほいかない理由があるoつまり,それらの鴇域の後進性をその澄まをこし,I あるいぼ脱却のための努力が空転することを黙過していては,思す慧す発進永準と後進状 態とのあいだのひらきが露太し,縫合約をこ前途牲が保障されな、いばかりでなく,遂に発進. 壊準をこひびを入れ,これに魚陵な琴響をもたすおそれがあるからであるo後進地域に賞す る研究ほ,このような閑題状況を巨視的におさえるとともをこ,さらにその微視状況の把観 妄こむかってすすめられることが要求されるであろうと考えられるo.

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参照

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