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明治大正期の北海道・樺太における北方諸民族への日本語教育

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Academic year: 2021

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(1)(107). 北方諸民族 への日本語教育. 敏. 明治大 正期 の北海道 ・樺太 におけ る. 一   はじ め に. 直. 本 稿 は、 こ のよ うな視 点 か ら 明治期 にお け る北 海 道 の アイ ヌ民族 への日本 語教 育 を中 心 に、 大 正時 代初期 の樺太 の. も の であ った。. 生 む こと にも な った。 こ のよ う な問題点 はあ る が、 今 日 の視 点 で見 れば、 近 代 にお け る 日本 語教 育 史 の第 一頁 を な す. た結 果 、 昭 和 期 にな ると アイ ヌ語 の絶滅 を 招 く こと にな り、 最 近 の日高 二風 谷 の萱 野 茂 氏 によ る アイ ヌ語保存 運動 を. イ ヌ民 族 に対 す るも の であ った。 アイ ヌ民 族 への 日本 語教 育 は明治 政府 の同 化 政 策 の下 に国 語教 育 と いう形 で行 わ れ. 日本 語 を 母 語 と し な い人 々 への日本語教 育 と し て最初 の国家 的 事業 でも あ った のは、 明治 時 代 におけ る北海 道 の ア. 教 育 の歴 史 的 研究 は、 ま だ殆 ど 行 われ ていず、 極 め て大 雑 把 な概 観程度 に止 ま って いる。. て いる。 日本 語教 育 が今 日 の段 階 に至 るま で には、 先 人 たち の多 く の労 苦 の積 み重 ねが あ った。 そ の跡 を辿 る 日本 語. 国 際 化 〃 時 代 を 反映 し て、外 国 人 に対 す る 日本 語教育 が活 況 を 呈 し 日本 語 教 育 ブ ー ムと 言 わ れ る よ う に、 最 近 の 〃. 田.

(2) (lo8) 明治大正期 の北海道・ 樺太 における北方諸民族 への 日本語教育. ギ リヤーク族、 ツング ー ス族等 に対す る日本語教育 に ついての資料を提出 してヽ明治大正期 の北方諸民族 に対す る日 本語教育史 の素描を試 みようとす るも のである。. 一一   北海道 における 日本 語教育. はじめ に、 北海道庁 が昭和九年 ︵一九一 四︶ にまとめた ﹃ 北海道 旧土人保護沿革史﹄ によ つて、 アイ ヌ民族 に対す 一 一 る教育 の歴史 の、概略を示 し てみよう。. 江戸時代、 松前藩 は、 和人地 と蝦夷地と の別を厳重 にし、 番所を設け て往来 の人民を取締 り、 ﹁ 蝦夷 が和人 に同化 4頁︶ す るを防止 し、 即ち簑、笠を 用 ひ、草軽を穿 く事 及和人語を用 ひる事を禁 じた。﹂ ︵ 1. 明治時代、 明治政府 は、 ﹁ 同化平等主義﹂ を根本方針 とし、 明治 五年 ︵一八七一し 開拓使長官黒田清隆 は アイ ヌ人 の. 仮学校﹂ にお いて、読書習字、渋谷試験場 で農業 ・技芸 ・牧 男女 二十七名 を東京 に送 り修学 させた。芝増上寺内 の ﹁ 畜 を習わせたと いうが、 日本語学習 にど のような教育 が行われたか は詳 でない。. 、 江別太対雁 に ﹁ 、沙流郡平取村、有珠、蛇 田 明治十 一年 ︵一八七八︶ 土人教育所﹂ を設置。 明治十 二年 ︵一八八〇︶. 各 二十余名 の児童を収容 し て教育を実施 した。 其 の他本道各地 に散在 し てゐた土人子弟 は、 両村 に各 一校 を設け、 ﹁. 聞頁︶と いう。 附近 の官 公立若 しくは私立 の小 学校 に入学 せじめ て、  一般和人児童同様 の取扱を為 した。﹂ ︵. 北海道 旧土人保護法﹂ が成立 した。 同法 の眼目 は勧農 と教育 に置かれ、 明 そ の後、 明治 三十 三年 ︵一八九九︶ に ﹁ 国立 旧土人小学校﹂ 二十 一校 が設置 された。 治 三十 四年 ︵一九〇 こ 以降、 ﹁. ﹁ 当時 旧土人 の同化程度 は未 だ進 まず、 和語す らも解 し得 な い者 が多 か った。 従 って其教育科目 は 一般和人子弟と.

(3) 同 一に律 す るを 得 な い事 情 にあ った。 働而 明治 三十 四年 庁 令 を制 定 し、 特 別 の取 扱 を す る事 にし た。﹂ ︵ 別頁︶ と いう。. 同 令 第 二条 は ﹁旧土 人 児童 ノ教 科 ロ ハ修身   国 語   算 術   体 操   裁 縫 ︵ 女子︶ 農 業 ︵ 男子︶ ト ス﹂ と あ って、 歴 史 、. 術. 二. 五. 第 二 學 年. 毎   週 教 授 日敷. 第 二 學 年 道 徳 ノ要 旨. 毎    週 教授 時 敷. 道 徳 ノ要 旨. 第 一  學 年 道 徳 ノ要 旨. 除加. 日常 必 須 ノ文 字 及近 易 ナ ル 一四 普 通文 ノ讀方 話 シ方. 運針 法 、 通常 衣 類 ノ縫 方 農 事 ノ大 要. 第 四 學 年. 道 徳 ノ要 旨. 同. 一一. 農 事 ノ大 要 水 産 ノ大 要. 通常 ノ衣 類 ノ 縫 方 繕 ヒ方. 二七. 一一. 一 一 一同. 通常 ノ加 減 乗 エ ハ 除 及小 敷 ノ呼 方 、書方 加 減. 一四. 毎   週 教 授 日敷. 女. 男. ノ 乗. 常. 褒音 、 慨名 及 慨 名 文 字 ノ讀 方 、 書 方 、綴 方. 二. 減通 三. 同 女. 六. 嚢音 、 慨 名 及 慨 名 文 字 ノ讀 方 、 書 方 、綴 方、話方. 体. 百 以下 ノ敷 ニ 於 ケ ル敷 へ方 書 方 及加 減 乗 除 普遊. 六. 三. 一一 一 一 一. 通. 毎   週 教 授時 敷. 操. 五旧. 縫. │. 三 男. 七. 操戯. 1 │ │. 業. │. 戯 │ │ │. 二. 算. 八. 二十 以 下 ノ敷 二於 ケ ル敷 ヘ 方 、 書 方 及加 減乗除 遊. 身. 地 理、 理科 の教 科 が除 か れ て いる。 そし て、 ﹁ 別 表 ﹂ と し て、次 のよ うな カリ キ ュラ ムが 示 さ れ て いる。. 十. 体. 八. 修 裁. 國 農. 田 直 敏 西. (109).

(4) (110). 注 意 ス ヘキ要 項 ﹂ を 示し た。 そ の第 二 の第 一項 に 更 に、北 海 道 庁 は、 こ の教 育 規 定 の施 行 に関 し て、 ﹁. 一、各 教 科 ハ普 通 ノ尋 常 小 學 校 ノ凡 ソ第 二學 年 迄 ノ程 度 ヲ、 四學 年 間 二終了 セ シ ム ル ノ旨 趣 ナ ル ヲ以 テ、 簡 易 ヲ ﹂ ロト シ テ新稔収ス ヘシ. 各 學 年 ノ教 授 ハ賞 物 教 授 法 二基 キ テ、 覺 官 ノ修 練 ヲ充 分 ナ ラ シ メ、兼 テ學 科 に封 ス ル興味 ヲ起 サ シメ ムカ為 、 主 ト シ テ賞 物 標 本 国 董 等 ヲ利 用 ス ヘシ. 何 レノ教 科 ロ ニ於 テ モ其 教 材 ハ、 最 モ卑 近 ニシ テ生 活 二必須 ナ ル モノヲ選 ヒ、 反 覆 練 習 以 テ熟 得 セ シム コト. ヲ務 ム ヘシ思想 ヲ整 理 シ観 念 ヲ明瞭 ナ ラ シ メ、 言 語 ヲ練 習 セ シ ム ル教授上 ノ要件 ナ ル ヲ以 テ、務 メ テ急進 ヲ 避 ケ既 得 ノ知 識 ヲ利 用 シ、 漸 次 教 育 ノ効 果 ヲ収 メ ン コト ヲ期 ス ヘシ と方 針 を 一 小し 、 第 二項 に教 授 法 を 示 し ている。. 三、 國 語 ノ讀 ミ方 、 書 方 、 綴 方 ハ第 三學年 二至 ル迄 ハ、 教 授 時 間 ヲ区 別 セ スシ テ之 ヲ教 授 ス ヘシ. 褒 音 及 言 語 ノ練 習 ニ ハ特 二留 意 シ、普 通 ノ言 語 ヲ以 テ自 由 二思 想 ヲ磯表 シ得 ル ニ至 ラ シ ム ヘシ. 綴 方 ハロ用 文 、 記事 文 ノ匡 別 ヲ廣 シ、 其 ノ文 体 ハ言 文 一致 ト ナ シ、成 ル ヘク慨名 ヲ以 テ之 ヲ綴 ラ シム ヘシ 書 方 ハ主 ト シ テ慨名 二習熟 セ シ メ漢字 ノ字 体 ハ楷 書 二依 ラ シ ム ヘシ. 第 一學 年 、 第 二學 年 ノ児 童 二讀 本 ヲ使 用 セ シ ム ル場 合 ハ漢 字 二適 宜 偶名 ヲ付 シ之 ヲ授 ク ヘシ 唱 歌 ハ便 宜 國 語科 ノ時 間 二於 テ之 ヲ授 ク ヘシ.  こ の教 育 規 定 は廃 止 さ れ、   一般小 学 校 令 によ る教 育 が適 用 さ れた。 そ の後 、 明 治 四十 一年 ︵一九〇八︶ にな って、. し か し、 大 正 五 年 ︵一九 TC にな って北海 道 庁 は、 原 則 と し て就 学 年 令 を七歳 、 修 業 年 限 を 円筒 年 と す る ﹁旧土 人. 教 育 規 定 ﹂ を実 情 に即 し た も のと し て定 め た。 こう し た差 別 的 教 育 は必 ず しも歓 迎 さ れ な か った し、 教 育 現 場 から の.

(5) 田 直 敏 西. (111). 反 対 の声 も強 か った の で、 大 正 十 一年 ︵一九壬 し に廃 止 さ れ、   一般 的 規 定 によ る教 育 が行 わ れ る こと にな った。 以上 が、北 海 道 庁 が 公的 に示 し た教 育史 の概 要 であ る。.  アイ ヌ民 族 にと って差 別 的 であ ると いう声 が高 ま り、 昭和 十 二年 ︵一九 な お、 附言 す れ ば 、 ﹁旧土 人 保 護 法 ﹂ は、 、 そ の改 正 と と も に ﹁ 二七︶ 土 人 学 校 ﹂ も廃止 され た。. 4年︶ による ﹁旧土 人 学 校 ﹂ 設立 以前 の アイ ヌ人教 右 に紹 介 し た公 的 教 育 にお け る ﹁ 北海道 旧土 人 教 育 規 定 ﹂ ︵ 明治3. rcoく 蜀”くコ① 下 お鱈 ︶ によ る釧 路春 採 土 人 学 校 を はじ め バ チ ェラー ︵一八九 こ  の ペイ ン女史   ︵. 育 と し ては、 イギ リ ス人 のキ リ スト教 宣教師 によ る学 校 の設立 と教 育 が先 駆 を なす も の であ った。 明治 二十 四年. ︵ ぢ コ● “”一 OF鶴︼ o ①︼ R あ怒 ︱おミ ︶ によ る平 取 の講 義 所 、 ネ ト ル シ ップ ︵ 8 Z①■ 8 3 生 没 年 不 詳 ︶ の函館 の土 , ,  ロー マ字 、 筆 算 等 を 教 え、 ま た英 語教育 を 行 な った りし た。 ﹁ 人 学 校 等 が設 立 さ れ 、 欧 米 式 の教 科 、 欧 化 主義﹂ の教. 育 と し て当 時 の 日本 の教 育 関 係 者 た ち は反対 を表 明 し つ つも アイ ヌ人 への献身 な事 業 と し て、 ま た ﹁旧土 人 学校 ﹂ 設. 5号 明治6年8 立 の先 導 を な し た も のと し て一 局い評 価 を与 え ている。 ︵ 旧土人教育談﹂ 北海道教育雑誌 一 岩谷英太郎 ﹁ 弟1 2 3 。 月︶. 明治 二十 四年 に教 育 関係 者 によ って組織 され た北 海 道 教 育 会 は月 刊機 関誌 ﹃ 北海 道 教 育 会 雑 誌 ﹄ を 二月 よ り刊行 し. て、 教 育 行政 当 局 への提 言 を 行 な う と とも に教師 への教 育 方 法 や学 校 管 理等 々 の記事 を 掲 載 し、 教 師 への啓蒙 を行 っ. た。 同 誌 は第 三号 か ら ﹃ 北 海 道 教 育 雑 誌﹄ と改題 し、 明 治 四十 年 ︵一九〇七︶五月 号 以後 ﹃ 北 海 道 之 教 育 ﹄ と再 改 題. し 、 大 正 五年 ︵一九 王○ ま で続 刊 された。 そ の中 に、 次 のよ うな十 篇 の アイ ヌ教 育 関 係 の論 考 や調査 報 告 等 を数 え る こと が でき る。 5年 2月 ① 御 子 柴 五百 彦 ﹁ 土 人 教 育 方 法 に つい て﹂第 3号   明 2 1.

(6) (112) 明治大正期 の北海道・ 樺太 における北方諸民族 への 日本語教育. ② 北海道教育会 あ いぬ教育取調委員永 田方正、岩谷英太郎 より会長白武仁 への申報。会長 より北海道庁長官 へ建議。 6年 7月 ﹁あ いぬ教育 の方法 ﹂第 9号、明 2. 6年 9月 当校 ノ景況 ヲ述 へ旧土人 ノ教育意見 二及 フ﹂第 H号 明 2 旦呂国沙流郡二風谷小学校教員︶︵ ③ 阿部喜代治 ︵ 7年 4月 ④岩 谷英太郎 ﹁アイ ヌ教育 の必要﹂第 8 1号 明2 7年 0月 4号 明 2 ⑤ 阿部喜代治 ﹁アイ ヌ教育 に就 て﹂第 2 1. 。 ︿旧土 人教育法調査主任、 北海道庁視学岩谷直次郎 の命 による調査﹀ ﹁旧土人教育調 様似小学校訓導︶ ⑥ 山本岩太郎 ︵ 0号  明 3 2年 8月 査事項﹂第 8 3年 1月 4号 明 3 ⑦岩 谷北陰 ﹁ 上人学校 に於 ける教師 の責任及其待遇﹂第 8 3年 2月 5号 明3 上人教育 に関す る調査 ﹂第 8 ③ 北海道庁 ﹁ 5号 明 6年 6月 8月 弟1 2 2号 一 ⑨ 岩井英太郎 ﹁旧土 人教育談﹂第3 3 1. 2 ︲ 北海道師範学校 の請求 に応 ず る報告﹀ ﹁旧土人教育 に関す る調査﹂第 8 ⑩泉 致廣 公死室蘭小学校︶︿ 1号 明 4年 3月. 右 のうち、教授法 に ついて述 べている部分を次 に抜 き出 し て示し、当時 の、文字を持 たな い、 アイ ヌ民族 に対する 日本 語教授 の実態を伺 ってみよう。. 土人学校﹂ の設置が必要 であ る ことを主張したも ので、和人と の共学が ア ① は アイ ヌ教育 の成 果をあげ るため に ﹁. イ ヌ児童 に不利 であ り、和人 による いじめから アイ ヌ人父兄 の学校嫌悪も生 じ ている と指摘 し ている。 そ の上 で、. 授業上 の困難、 アイ ヌは前来述 るか如 く知覚甚 た鈍 く神経敏 ならす特 に家庭教育 の素更 になきか為 め和人と共 に. 競争す る能 はさ るを以 て毎 に不都合 を覚 るのみならす修身 に至 ては日常動作 の大 に異な る の損あ り且 つ算術及文. 章等 の例題 に於 ても読本 に於 ても多 くは 一回も実物 を見たる ことなく又談話 にも聞きたる ことなきか故 に之を想.

(7) 田 直 敏 西. (113). 像す ること能 はさるを以 て特別 に教授を要す るも の少 からぎ る べきなり。. 日常生活 の経験、風俗 習慣文化 の相違が アイ ヌの児童 の日本語習得 の大きな困難と障碍 である ことを御子柴 は指摘 し、当 局 に対 し てアイ ヌ人 のため の小学校教科書 の編纂 の急務 であ ることを訴 えている。 が、彼 の卓見 にもかかわら ず アイ ヌ人用 の教科書 は遂 に編纂 される ことがなか った。. 余 か観察す る所 によれば小學科目中 アイ ヌの不得手 にし て劣 れるも のは讀書作文及修身 にし て其最も長ず る所 の. も のは賞業 にし て習字 は之 に次 く其理由を探究す る に。和人 に在 り ては如何なる家 に於 ても書冊 の端本 や新聞 の. 片紙手紙 の小切等 の文字 の認めたるも のあらさるはなく又幼少 の時 より父母兄弟及び朋友等 の談話並 に給菫器物. の模様玩具等 により歴史上 のこと則ち楠公は忠臣なりと か義経 は智謀ありとか檀 の浦鎌倉開 ヶ原とか云ふ様なる. 古跡名所 のこと或 は諸國 の地 理風土諸産物 のこと等を不知 不識 の間 に知得すれとも アイ ヌには害 て此経験なけれ. はなり故 に學校 に入 り始め て讀本を教 へられるも のなれば之を記臆す る能 はず或 は小島 に生 れたる見童等が其島. に始 め て馬 の末 りた るを見 て甲 は之れを鼠 の大なるも のとし乙 は大 と考 へ争論せし奇談あ ると、  一般 の観あるな. り而し て習字 は何 か故 に能 く理會し能く習熟す るやと尋 ぬるに其手練直 に紙表 に篤 るを以 て自 ら興味を覺 ふるか. 為 なり故 に余 は賞物教授 の方針を取り常 に彼等 の身邊 にあ る事物 日常必須 の事則ち農事漁業狩 猟及北海道 に産す. る動植物等を記す る讀本を著述するの緊要なるを知 る今本道 に於 て採用せらる ゝ所 の教科書を閲す るに以上言ふ. が如 き直接 に関係す る文意甚 た稀なるを覺 ふるなり故 に余 は讀本を更 に編著す ることは最も急務 の業 なりと信す。. 靭 て又授業法 に就 て 一言陳 へんとす、授業 は可成賞物 に付 き近易適切 なるも のを採 て教 ふるも のとす るなり是れ 敢 て新規なる方案 にあらず小學校教則 の本旨 にし て即ち大綱 に左 の如 く示されたり. 小學校 二於 テ ハ近易適切 ナ ル事物 二就 テ平易 二談話 シ其言語 ヲ練習 シテ偶名 ノ讀 ミ方書 キ方綴 り方 ヲ知 ラシメ.

(8) (114) 明治大正期 の北海道・ 樺太 における北 方諸民族 への []本 語教育. 次 二慨 名 短 文 及 近 易 ナ ル漢 字 交 リ ノ文 ヲ授 ケ云 々. 作 文 ハ讀 書 又 ハ其 他 ノ教 科 ロ ニ於 テ授 ケ タ ル事 項 、 兒 童 ノ日常 見 聞 セ シ事 項 及虎世 二必 須 ナ ル事 項 ヲ記述 セ シ メ行 文 平 易 ニシ テ旨 趣 明 瞭 ナ ラ シ メ ン コト ヲ要 ス. 之 を 教 授 す る に生 徒 に書 物 を 持 た し め す 口授 或 は塗 板 に筆 記 し之 を 讀 習 し筆篤 せしめ又作 文 は 記事 体 のも のを 用. 。. 、 習字 ︵ 畔 じ 各 六時 間. ゐす 専 ら 日用文 公 用 文 を 課 し之 を 以 て習字 科 に通 用す るも のと し彼 の高 等 師 範學 校 附 属學 校 軍 級 教 授 報 告 時 の方. 法 を 取 捨 折 衷 せ は適 営 の法 を 得 べき乎 、 授 業 時 間 は 日 の永 き時 は毎 週 丹 六時 間 と な し讀 書. 算 術 五 時 雨 天 の日 には修 身 算 術 等 便 宜 課 す るも のと す 修 身 二時 間 は皆 賞業 科 に充 つるを 可 と す. な お、 御 子 柴 は、 忍 耐 強 く使 命 感 を 持 った教 師 の必 要性 を 説 き札 幌 農 学 校農 芸 伝 習科 卒 業 生 の篤 志 家 の採 用 を提 案 し て いる。. 各 学科 ノ教 授 法 ﹂ では、 アイ ヌ 北 海 道 土 人 教 育 規 定 ﹂ の原 案 に近 いも の であ る。 そ の0 ﹁ ② は、 明 治 二十 四年 の ﹁ 。 学 校 教 師 が アイ ヌ語 を 心 得 てお く 必要 性 を 説 い て いる. 読 書 ハ主 ト シ テ慨 名 文 ヲ用 ヒ充 分 二其 使 用法 二練 熟 セ シ メ第 二學 年 二至 リ テ近 易 ナ ル漢 字 交 り文 ヲ用 フ ヘシ固 ヨ. リ教 科 用書 ヲ要 セ ス教 師 ハ黒 板 二記 シ テ之 ヲ授 ケ生 徒 ヲ シ テ之 ヲ書 取 ラセ シム ル ヲ可 ト ス言 語 ノ修 練 ハ殊 二緊要. ナ リ ト ス彼 等 ハ父 兄 ノ教 訓 二由 リ テ六 七 歳 二至 レ ハ既 二簡 軍 ナ ル日本 語 ヲ用 フル ヲ得 ヘキ ヲ以 テ教 師 タ ル モ ノ ハ. 必 ラ ス シ モあ いぬ語 ヲ學 ブ ヲ要 セ サ ルガ如 シト雖 ト モ教 師 ノあ いぬ語 二通 セサ ル ヲ知 ルトキ ハ頗 ル之 ヲ軽 侮 シ甚. シキ ニ至 リ テ ハ面 前 二於 テ自 國 語 ヲ用 ヒ互 二嘲 笑 罵詈 ヲ試 ム ル コト ナキ ニアラザ ル ヲ以 テあ い ぬ學 校 ノ教 師 タ ル. モ ノ ハ成 ル ヘク普 通 ノあ いぬ語 ヲ知 ラ ン コト ヲ要 ス而 シ テ讀 方 教 授 ノ際 ニ ハ注意 シ テ日本 語 ヲ授 ケ交 際 上 不 便 ナ. カ ラ シ ム ル ニ至 ル ヘシ彼 等 ノ褒 音 ハ清 透 純 雅 ノ路 二於 テ却 テ奥 羽人 二愈 ル コト遠 シ故 二数 年 ナ ラ スシ テ巧 二精密.

(9) ナ ルロ本 語 ヲ用 ユル ニ至 ル ヘシ彼 ノ宣 教 師 英 人 ば つち ら ︱氏 ノ如 キ ハ謄振 國幌 別村 二私 立 學 校 ヲ立 テ ヽ数 十 名 ノ. 兒 童 ヲ集 メ羅馬字 ヲ授 ケ英 語 ヲ教 フル コト殆 ント十 年 二近 ク其 成 績 頗 ル観 ル ヘキ モ ノ アリ ト云 フ. 作 文 ハ慨 名 文 ノ習練 ヲ主 ト シ漸 ク ロ上 書 類 及 日用文 題 ヲ採 り撰 澤 ノ範 曰 ヲ狭 ク シテ反覆 熟 習 ヲ旨 ト シ以 テ費 用 ニ 適 セ シ メ ン コト ヲ務 ム ヘシ バ チ ェラ ー の ロー マ字 、 英 語 教 育 にも言 及 し、 評価 し ている。. ③ は、 二風 谷 小 学 校 の実 情 報 告 で入門期 の日本 語教 育 の問 題点 と 教 授 法 を 具体 的 に示 し て いる。. 直. 敏. 故 二奮 土 人 學 校 ニアリ テ ハ宜 シク和人 日常 用 フル虎 ノ器 具 器械 ハ勿 論 其 他 教 授 上 二付 キ集 メ得 ル丈 ハ賞 物 若 ク ハ. カ ノ旭弱 ナ ル原 因 ヲナ スヤ明 カ ナリ. 推 理判 定 ノ諸 カ ノ起 ル ベキ 理 ナ ク従 テ學 問 上 例 証 ノ抜 ルベキ モ ノナ シ是 ノ彼 等 ノ學 問上 ニツキ注 意 カ ノ浅 キ記臆. 械 ナキ ハ勿 論 一ノ探 ル ベキ例 話 ナ シ加 之 ノミ ナ ラ スロ常 ノ器 具 ハ僅 少 ニシ テ名 詞 異 ナ レリ然 ラ ハ則 何 ニヨリ テカ. 彼 等 往 昔 ヨリ文 學 上 二就 テ ハ 一ト シ テ経 験 ナ ク習慣 ナク見 聞 ナ シ加 フル ニ内 二書 籍 ノ備 ナ ク之 二要 ス ル ニ器 具 器. 田. ナ ル ハ 一朝 一タ ノ能 ク スベキ業 ニアラサ ル ノミ ナ ラ ス今 ニシ テ之 ヲ正 サ ス ンバ後 日何 ノ時 力正 シク ス ル コト ヲ得. ニナ シ置 ク ノ弊 ナリ ト ス夫 レ證 儀 ノ如 何 行為 ノ粗 ナ ル等 ハ歳 月 卜共 二幾 分 力矯 正 スル コト ヲ得 ヘキ モ磯音 ノ不 正. タ升ハ、 ニ ろニ ノト ノレ 次 二奮 土 人 教 育 ノ任 二営 ル モ ノ ヽ 一層 ノ注 意 ヲ要 スル ハ彼 等 褒 音 ノ不 正 ︵ ニ 一ズどニ丼″蜘卦名アガルば二アガわ〃疑︶ ヲ矯 正 ス ル ニアリ奮 土 人 ニシ テ能 ク和 語 二通 ズ ルモ偶 く之 二接 ス ル和 人 ノ解 セサ ル言 葉 多 キ ハ褒音 ノ不 正 ヲ其 儘. 然 ル時 ハ漸 ク例 証 ノ抜 ル ヘキ モ ノ ヲ得 従 ッテ記臆カ ノ強 固 ヲ促 ス コト少 ナカ ラサ ルベ シ. ツ庶 物 ノ名 詞 ヲ教 へ其 ノ何 物 タ ル ヲ知 了 ス ル ニ至 ラ ハ作 文 二讀 書 二連 絡 シ テ秩 序 正 シク練 習 ス ル コト ヲ勉 ム ベ シ. 模 形 品 ヲ以 テ備 へ其 ノ備 へ雖 キ モ ノ ニ至 リ テ ハ絵 画 ヲ示 シ正 確 二観 察 思考 セ シ メ推 理判 定 ノ諸 カ ヲ起 シ而 シ テ先. 西. (115).

(10) (116) 明治大正期 の北海道 0樺 太における北方諸民族への 日本語教育. ヘキ ヤ 日 々 ノ授 業 二差 支 フ ル コト少 ナカ ラサ ルナ リ. 以 上 ノ弊 ヲ矯 正 ス ル ニ ハ厳 格 ナ ル規 則 ノ能 ク ス ル虎 ニアラ ス淡 泊 ナ ル説諭 亦 効 ナ シ宜 シク學 校 取 締 ノ改 正 卜臨機 二方 便 ト ヲ用 ヒ矯 正 ス ル ノ術 ア ル ノミ今 之 ヲ左 二摘 説 セ ン 第 一、 奮 土 人 學 校 ニ ハ特 別 ノ虎 置 ヲ以 テ其 筋 ニテ干渉 ス ル コト 一、 學 校 ノ維 持 経 済 一、學 科 程 度 の改 正 一、 書 籍 器 械 器 具 ノ完 不完. 、 ヴ ァイ オ リ ン若 ク ハ手 風 琴 ヲ備 へ簡 易 ノ唱歌 ヲ教 授 ス ル コト是 レ直 接 ニ ハ褒音 ノ不正 ヲ矯 メ間 接 ニ ハ粗 一 墨 一. 暴 野 部 ノ風 習 ヲ改 メ猥 褻 ナ ル俗 歌 ヲ防 ク ベキ方 便 ナリ ト ス余 先 頃 或者 ヨリ暫 時 手 風 琴 ヲ借 り受 ケ簡 易 ノ唱歌 ヲ教 授 セ シ ニ柏 く正 音 ヲ得 ル コト難 カ ラサ ルベ シト賞 験 セ シ所 ナリ. こ こ には、 日本 語 教 育 にお け る直 接 法 によ る授 業 が 行 われ て いる様 子 が示 され て いる。実 物 、 模 型 、絵 画等 の教 材. の充 実 の必 要 性 を 説 く と と も に発 音 の矯 正 に唱歌 を 歌 わ せ る方 法 が有 効 であ る こと を実 践 的 に説 い て いる こと が注 目 さ れ る。 ④ ⑤ は、 アイ ヌ教 育 の制 度 化 を 主 張 し、 具体 策 を 提 案 し ている。. > 一和 夷 混 合 教 育 の利 害 、 国 旧土 人 児童 の性 質 、 風俗 、 慣 習 、 勧 学 の度 、 ⑥ は ﹁旧土 人 教 育 方 法 卑 見 ﹂ と な って い て、 ︲. 0 旧土 人 児 童 と 和 人 児童 と の情 交 、 四学 力 の差 等 丼 学 科 の得意 不 得 意 、 0 旧土 人 単 独 学 校 、 閃就 学 督 励 法 、 0賞 励 法 、 関和 土 両 童 あ る学 校 、 の八章 か ら成 って いる。 そ の 一部 を摘 記 し てお く。 四  學 力 の差 丼 學科 の得 意 不 得 意.

(11) 和人兒童 三 ヶ年 の課程を習熟 す るに喜土人兒童 は四 ヶ年を要す之れ土兒 は脳力 の不完全 のみならず學校 にて教 ふ. る諸教科 は凡 て新規 にし て和兒 の如く言語談話等教育 の補助となる へき観念 に之しく言語 の練習其他 の見習 に 一 年 の大半を要す る故なり. 彼土見得意學科 は讀書習字 の二科なり次 に左 ま で得意と言ふ にはあらすと雖も体操賞業唱歌 の三科を嗜好すれ は. 學校 に於 て唱歌 の最簡易な る初歩を授 くれ は彼等 の風儀改良 の上 に大 なる利益を興 へ父母も為 め に感化を受 け徳. 育上不砂効果を視 ること体操賞業 二科 の上 に出 てん之れ不肖賞験 の考按 なり ︵ 中略︶次 に彼等不得意 の科 は作文. 算術 にし てこは和見と雖も困難 を感す る學科 なるに況や脳力不完全 を以 て構さる ゝ土見 に於 てをや然れとも不肖. く知 り て行 はさる にあらす知 らすし て行 はさるも のなれは教科書を以 て格言暗記位 にては効能なきなり. とす修身 は賞 践 し易き日用近接 の事柄を選 み平易 の言語を以 て口授 し町寧懇切 に教授せされは其効薄 く和人 の如. 賞験す る虎 に依 れは作文科 の如 き言文 一致体を以 てすれは不完全 なからも用を排 し得 るなり算術 は印象湊 き彼等. 田 直 敏. ③ では、 アイ ヌ人 の学齢児童 二千 三百六十 二人、就学児童五百九十七人、出席生徒百八十五人、と いう数を示し て、. ⑦ は希望者 の少 い ﹁ 土人学校﹂教師 の待遇 の向上策 の提案 である。. 採 り日用文 は拝啓、候等 の文字 を用ひす言文 一致体 にし て百辞 の雅 な る所を撰 み教員草案を作 り置く へし. 所もあり て教授 の不便あれ は多少修正を加 へて採用すれは効果多 しと信す 作文 は漢字交りは至 て簡易 の方針 を. 時尋常小學校 に於 て教 ふる北海道用尋常小學校讀本 は本道和人兒童 には適すれとも末 た奮土人児童 には適 せさる. ︵ ホ︶教科書 修身 は修身経 を 用 ひ口授法 とす間 く奮土人風儀改良 日常近接 の事項を授くるも のとす 讀書 は現. 0 奮土人軍獨學校. に珠算を以 てすれは容易 に取得 し難し筆算を授くれは忘却する こと少 なし故 に土人學校算術 は筆算を科 す るを可. 西. (117).

(12) (118). 土 入 学 校 ﹂ を 設 置 し、 教 育 効 果 を高 め る べき であ ると し て いる。 ﹁ 上 人 保 護 法 ﹂ を 利 用 し て、 ﹁. 。 ⑨ は、   一、 旧土 人 の嗜 慾 、 二、 旧土 人 教 育 者 、 三、 旧上 人 教 育 の三主 義   から成 って いる.   一、 欧 化 主 義 、 二、 保 存 主 義 、 三、 同化 主義 の三説 が あ る ﹁旧■ 人 教 育 の三主 義 ﹂ と いう のは、 教 育 方 針 と し て、   一の欧 化 主 義 は欧 米 宣 教 師 の教育 法 であ ったが、 明治 三十 年 前 後 に殆 と し て、 そ の要 点 を 述 べたも の であ る。 即 ち 、 、 ど 消 滅 し た。 二 の保 存 主 義 は、 ﹁ 当 時 は勿 論 現 時 に ても多 少 学者 間 に唱 導 せ ら る ゝも、 遂 に其 主義 の実 行 な く 今 後 。 と も 到 底 実 行 の期 が な い であ ら う﹂ と 評 され て いるが 、 次 のよ うな主 義 であ ると し て いる. 、 保 存 主 義 は學 者 又 は慈 善 家 の間 に唱 道 せ ら れ た説 で、 彼 等 の習 慣 風 俗 を 保存 す るを目 的 と し 簡 易 な る讀 書 算 術. 等 を 課 し て和 人 交 通 の道 を 開 き 、 務 め て彼 等 の快 柴 を 増 加 せし め んと す る の であ る、 其 一着 と し て 一定 の上 地 を. 、 限 り て喜 上 人 を 衆 合 せ し め、 純 然 た る奮 土 人 部 落 を 造 り、 6長 以 下 役 員 は奮 上 人 よ り之 を 選 び   一種 の自 治 制 を 、 、 、 、 、 出べ 、 彼 等 の言 語 は之 を保 護 し て、 アイ ヌ語 に達 せ し も のを小 學 校 教 師 に任 じ、 家 屋 飲食 起 居 動 作 嵯 法 、 祭 祀等 一に習 慣 を 保 存 せ じ め、 彼 等 の土 地 財 産 は充 分 に之 を尊 重 し て、和 人 の欺 編 によ り て 之 を失 はじ む る こ. 、 と な く、 務 め て奮 上 人 の幸 祠 を 増 加 せ し め んと す る の であ る。 論 者 の動 機 は複 雑 で 一概 に之 を決 し難 い 其 一は 、 彼 等 を憐 む 義 侠 心 よ り末 るも の であ ら う、 和 人 は種 々 の手段 を 以 て、 猾 智 を 弄 し、 金 銭 を貸 し酒食 を 供 し 彼 等 、 の計 算 を知 ら ぎ るを奇 貨 と し て、 自 己 の利 益 を 計 る に汲 々と し、 宅 も 博 愛 慈 善 の義 奉 な き を怒 り   一種 の反 動 と. し て此 説 を 提 出 せ し め た の であ ら う、 其 二 は學 問 研 究 の材 料 と し て、 古 物 保存 の主旨 よ り彼 等 の風 俗 薦 慣 を 保 護. せ んと す るか如 し就 中 言 語 は精 密 な る辞 書 を 造 り て、 丁寧 に之 を 保 存 す る のみ か、 本 道 の地 名 の アイ ヌよ り末 れ 、 るも のは、 正 し く彼 等 が褒 音 の通 り之 を 唱 へじ め んと す る のであ る、 學 術 の研究 と し ては 頗 る面 白 き説 な れ と. も 、 其 本 意 は博 愛 慈 善 の精 神 に反 し て、 却 て彼 等 を 器 械 視 す る疑 が あ る、 之 を要 す る に保存 主義 は時 勢 の進 歩 に.

(13) 敏 直 田 西. (119). 反 抗 す るも の にし て、姑 息 の愛 でな け れ は、 所 謂鶏 首 を 愚 にし て之 を 玩 は んと す る に類 し、 従 て教 育 上 大 勢 力 を. 得 る に至 ら さ り し も 、彼 の奮 土 人保 護法 案 の如 き は、幾 分 か此 精 神 よ り末 りし も の で、奮 土 人 教 育 の創 設 に封 し ては、 大 な る扶 助 を興 へたも のな るを疑 はな い、. そ し て、 三 の同 化 主 義 は、 ﹁ 主 と し て教 育 家 の間 に唱 道 せられ た主 義 であ って、 彼 等 の風 俗 習慣 を改 良 し て漸 次 和. 人 に同 化 せ し め様 と す る の であ る。 同化 には順 序 あ り、 混和 、融 合 の三階 段 を 経 な け れば な ら ぬ﹂ と いうも の であ る。 同 化 主 義 に つい て、 岩 谷 は、. 同 化 主 義 と ても 、 爾 来 十 年 の久 しき、 実 行 を 見 る に至 らな か った が、 明 治 三十 二年 旧土 人 保 護法 案 の発 布 あ り、. 同 三十 四年 旧土 人 教 育 規定 の制 定 あ り てよ り、 実 際 に行 は る ゝこと と な り て、 今 後 少 な くとも十 年 や 二十 年 は其. 主 義 を 代 ふ る こと も あ るま い、 彼 の小 学 校 令 の主 旨 も 旧土 人 に対 し ては結 局 同 化 主 義 に外 な ら ぬ こと ゝ思 ふ。 と 言 って いる。 明治 三十 六年 のこと であ る。. ⑩ は、 ⑨ で岩 井 が ﹁旧土 人 教 育 を 以 て畢世 の事 業 と し﹂ ﹁ 俸 給 の 一部 を 以 て旧土 人 児童 に貸 与 す へき物 品 の購 入 、. 又 は賞 品 代 に充 て、 悟 淡 無 欲 にし て、   〓思彼 等 を教 育 し、 日本 帝 国 の良 民 た ら し む るを唯 一の希 望 と し て居 り ま す 。. 其 品 性 の崇 高 な る羊 蹄 山 の群 峯 中 に屹立 す るが如 き であ る﹂ と賞 讃 し た元室 蘭 土 入 学 校 長 泉 致廣 の報 告 書 であ る が、 日本 語教 育 に関 す る言 及 はな い。 が 、次 のよ うな将 来 の予想 を 記 し て いる。 一、 将 来 の豫 想. アイ ヌ人 は奮 土 人 と し て保 護 せら る ゝ現状 に甘 し居 るや否 や アイ ヌ人 は和 人 に比 し て進 取 の氣 象 を有 せ り や否. や其 天 性 は如 何 に等 の研究 を 以 て将 末 を豫 想 す ると き は今 後 五十 年 を出 てず し て アイ ヌ人 の習慣 は和 人 に化 せ ら れ て其 跡 を 絶 つと共 に智 識 程 度 も著 し く進 歩 し て和 人 と撰 ぶ所 な き に至 ら ん.

(14) (120) 明治大正期 の北海道・ 樺太 における北方諸民族 への 日本語教育. 随 て保 護 法 は今 後 数 十 年 にし て其 必 要 を 認 め ざ る に至 ら ん、 教育 者 は並 に着 用 し てし か く力 め さ る べか ら ず ア イ ヌ人 は自 ら覺 り て然 らぎ る べか ら ぎ るな り. 当 時 の総 人 口 四千 万 人 中 の 一万 七 千 人 と いう少 数 民 族 であ る アイ ヌ人 への和 人 の無 理解 、差 別 、蔑 視 に対 す る泉 の 義 憤 に満 ち た言 であ る。. 泉 の予 想 の正 し か った こと は、 そ の後 の歴 史 が示 す 通 り であ る。 この報 生呈 日に附 し た泉 の ﹁ 附 説 ﹂ を引 用 し てお く。. アイ ヌ人 は本 洲 地 方 に瀬 漫 せ る人 種 にし て和 人 種 の勢 力 漸 く北 進 す る に及 び其 同 化 に依 て和 人 に混 し た る こと は. 最 も 見 易 き道 理 にし て獨 り北 海 道 に在 す る同 人 種 のみ開 化 進善 の望 みなし と せ ん や之 を 以 て見 れば保 護 誘 導 宜 し き を 得 ば 豪 毅 不抜 の良 國 民 た るを 得 る は誰 れ か之 れ に異 論 あ る べき. アイ ヌ人 に対 す る 日本 語 教 育 の具体 的 な教 授 法 は、 明治 三十 四年 の ﹁ 北 海道 旧土 人 教 育 規 定 ﹂ によ る教 育 が実 施 さ. れ て以 後 は、 北 海 道 教 育 会 の雑 誌 に見 ら れ な くな る。 これ は、 アイ ヌ人 の生活 に日本 語 が浸 透 し た結 果、小 学 校 に入. 学 し ては じ め て日本 語 を 習 うと いう児 童 が殆 ど いな く な った た め であ ろ う。 こ の段 階 に至 ると、 日本 語教 育 は終 りを 告 げ 、 国 語教 育 と いう べき も の にな る の であ る。 こ の アイ ヌ人 の言 語 生 活 の変 化 を北 海 道 庁 の報 告 書 によ って見 ると、 次 のよ う にな る。. 言 語 ハ ﹁アイ ヌ﹂ 語 、 和 語共 二之 ヲ習 ヒ同 人 種 間 に於 テ ハ ﹁アイ ヌ﹂ 語 ヲ用 ヒ和 人 二対 シ テ ハ和 語 ヲ用 フ然 レト. ﹃ モ其 和 語 ハ和 語 中 最 モ下 等 ナ ル モ ノ ナ レ ハ学 校 二入 リ タ ル後 更 二矯 正 ノ労 ヲ執 ラサ ル ヘカ ラ ス ︵ 北海道旧土人﹄ 5 3 第八教育及技芸 用語 明治4 4年7月 1日刊 2頁︶ 同 書 の大 正 十 一年 六 月 二十 八 日刊、 増 補 三版 では、 次 のよ う にな って いる。.

(15) 田 直 敏 西. (121). 言 語 は アイ ヌ語 ・和 語共 に之 を 習 ひ、 同 人 種 間 に於 ては アイ ヌ語 又 は和 語 を 用 ゐ、 和 人 に対 し ては和 語 を 用 ゆ。. 然 れ ど も 早 く開 け た る地 方 にあ り ては、 全 く アイ ヌ語 を知 らぎ る者 あ ると共 に、 僻 地 の老 人 中 には稀 に和 語 を解. せぎ る者 な き にあ ら ず。 アイ ヌの和 語 は和 語中 最 も 下等 な るも のな れば、 学 校 に入 り た る後 、 更 に矯 正 の労 を執 ら ぎ る べか ら ず。 翁北海道旧土人﹄第九 教育及び技芸 用語 0 4頁︶. 大 正 十 一年 十 一月 十 八 日北 海 道 庁 刊 の ﹃旧土 人 に関 す る調査 ﹄ には第 二節   教 育   四  同 化 の程 度   に次 のよ う に 記載 され て いる。. 1  言塁 旧   言 語 は アイ ヌ語 及和 語を共 用 し 旧土 人 には主 と し て アイ ヌ語 、 和 人 と の間 に和 語 を 用 ふ るを常 と す る. も 、 其 の用 ふ る和 語 は極 め て卑 近単純 、 只 日常 普 通 の事 項 を 表 示 す るも の に過 ぎ ず し て、高 等 な る観念 を表 示 す. る和 語 を 解 す るが如 き は、 僅 に教育 あ る 旧土 人 に之 を 見 る のみ。 然 れ ど も全 然 和 語 を 解 せざ るも のは浦 河 脂振 支 庁 管 内 に間 々之 を発 見 す る のみ にて他 には殆 ど 認 め ず。. 2  文 字   旧土 人 は元来 文 字 を有 せず。 漢 字 及 仮 名 を解 す るも の ゝ数 は大 正 六 年 現 在 に於 て四十歳 以上 に百九 十 六 、 四十 歳 未満 に四千 九 百 九 十 九合計 五千 百 九 十 五 にし て全 数 の約 二割 に当 れ り。 ︵ 9頁︶. 大 正 十 五年 十 月十 八 日、 北 海 道 庁 ︵ 政務部社会課担当︶刊 の ﹃ 北 海 道 旧土 人 概 説 ﹄ の第 二節  教 育   四  同 化 の程 度.  上 一 では、 一 一 塁m   2文 字 の項 と も 大 正 十 一年 刊 の ﹃旧土 人 に関 す る調査 ﹂ と全 く同文 であ る。 た だ し、 文字 の項 で、. ﹁ 大 正 六年 現 在 ﹂ を ﹁ 大 正 十 四年 現在 ﹂ と 書 き変 え て全 く同 じ数 字 を 示 し て いる のは、 あ ま り にも 杜 撰 か つ非 良 心的 で呆 れ る ほか な い。.

(16) (122) 明治大正期 の北海道・ 樺太 における北 方諸民族 への 日本語教育. ´ 明治一 一 十四年 に於 ては、其 の歩合 土 人 概 要 ﹄ 翁教去 星 の項 に、就学状況に ついて ﹁ 以後 、 北 海 道 庁 は、 昭和 四年 六 月 に ﹃. 、 昭 和 八年 九 月 に ﹃ 北海 道 旧土 ﹂︿5頁﹀とある︶ 四四 ・六 一人 であ ったが遂年向上し現在 に於 ては、九八乃至九九人 に達した。. 文字 ﹂ に つい て の記述 は 言 語﹂ ﹁ 人 概 説 ﹄、 昭 和 十 一年 一月 に ﹃北 海 道 旧土 人 概 説 ﹄ を発 表 し て いるが、 いず れ にも ﹁ な い。 アイ ヌ人 の言 語生 活 が完 全 に日本 語 化 し てし ま った ため であ ろ う。. 0年 ︶ ﹁ 地 方 編 一、 一こ には、 北海 道 北 海 道 教 育 委 員 会 刊   昭和 3 北 海 道教 育史 ﹄ ︵ な お、 北 海 道 立 教 育 研究 所 編 ﹃. 各 地 域 の教 育 史 の記述 の中 に アイ ヌ教 育 の歴 史 が 見 え るが、 視 点 が 異 な る ので、 日本 語 教 育 の教 授 法 に類 す る記述 は. な い。 間 々 エピ ソー ドと し て、 ジ ョン ・バ チ ェラ ー に アイ ヌ語 を教 え た平 取 コタ ンの曾 長 ペ ンリ ウクが明治十 六年 、. 那〃達者 でな︶と挨拶 し、 殿 下 も に こやか にお笑 い にな っ 平 取 を 巡 視 し た小 松 宮 殿 下 に ﹁ニシ ベ、 タ ッシ ャ テナ﹂ 省 一. た ︵   躍頁︶ と か、 日高 三石 村 の辺訪 土 人 学 校 の策 島 仁 右 衛 門 は、 アイ ヌ語 を マスタ ーし、 儀 式 に際 し て、 地方語 一. 先 に和 語 を も って式 辞 を述 べ、 た だ ち に アイ ヌ同 族 に対 し ては アイ ヌ語 を も って これ を 説 示 す る のを常 と し た ので、. 地方 観頁︶など と 記載 さ れ て いる のみ であ る。 ﹁ 部 落 民 こぞ って参 列 し又徳 化 の浸 透 も大 な るも のが あ った。﹂ ︵.  ポ ー ツ マス条 約 に   日露 戦 争 で明治 三十 八年 ︵一九〇五︶ 日本 軍 の占領 す ると ころと な り、 は、. 〓一   樺 太 にお け る 日本 語教 育. 現 サ ハリ と 樺太 ︵. よ って南 部 樺 太 を 日本 が領 有 す る こと と な った。 樺 太 アイ ヌ、 ギ リ ヤ ー ク、 ツ ング ー ス、 オ ロチ ョン等 の現 住 民 に対. 教 育 所 ﹂ 設 置 を決定 し た が、 実 効 はな か な か あ が らな か っ す る教 育 機 関 と し て政府 は明 治 四十 二年 ︵一九〇九︶ に ﹁ た よ う であ る。.

(17) 田 直 敏 西. (123). オ ロッこ 語 広 島 高等 師 範 学 校 教 授 であ った中 目覚 は、樺 太 庁 の依 頼 で ﹁オ ロ ッコ﹂族 の言 語 を 調査 し ﹁ウ ィタ﹂ ︵. 土 人 之教化 ﹂ と いう報 告 書 を 提出 し て いる。 これ 文 法 概 説 を 著 述 し 、 報 告 し た後 で、 大正 三年 ︵一九 〓こ 八 月 に ﹁. は、 アイ ヌ人 を 除 く ギ リ ヤ ー ク、 ツ ング ー ス、 オ ロチ ョン等 の ﹁ 教 育 所﹂ にお 土 人 ﹂ を永 住的 労 働 者 と す る た め に ﹁. い て日本 語教 育 を 中 心 にし た教 育 を 施 す ため の具体 策 を 提 案 し たも の であ る。中 目 覚 の報 告 書 は ﹁ 樺 太 庁 敷 香支 庁 ﹂. 名 入 り の美 濃 紙 罫 紙 に ペ ンで筆 写 し た六 十 九 枚 一冊 の写 本 が 北 海 道 立 図 書 館 に現 蔵 さ れ て いる。 そ の内 容 を 目次 に よ って示す と次 の通 り であ る。 樺太 土 人 言 語 調 査 報 告 土 人 ノ教 化 緒言 総説  異 民 族 之 教 化 弔一 一   膨 張 的 国家 二於 ケ ル民 族 一 菱 一   国 語 卜民 族 菱一 一 一   過去 二於 ケ ル異 民 族 ノ教化 第 四  異 民 族 卜国家 の盛 衰 第 五  現 時 二於 ケ ル異 民 族 ノ教化 二 ハ  民 族 ノ国 語 維 持 一 特 説   樺 太 北 部 民 族 ノ教 化 弟一   樺太 北 部 民族 之 教 化 一.

(18) (124) 明治人正期 の北海道 0樺 太における北方諸民族 への 日本語教育. 墨 一 一   土 人 部 落 民族 之 種 類 第一 一 一   生 計 ノ経 済 的 基 礎 第 四  納 税 義 務 観 念 之 養 成 第 五  秩 序 的 生 活 ノ促 進 一 星 ハ  日本 文 明 之 感 化 第 七  教 育 之 方 針. 右 のうち、特 説 ﹁ 樺 太 北 部 民 族 の教 化 ﹂ の最終 章 ﹁ 教 育 之 方 針 ﹂ の全 文 を以下 に示 し て、 樺 太 にお け る 日本 語教 育. の初 期 の姿 を 見 る資 料 と し て提 出 す る こと にす る。 樺 太 庁 が こ の中 目 案 を ど のような形 で具 体 化 し た か は、 現在 のと. ころ不 明 であ る。 以 下 、 原 文 の漢 字 は現 行字 体 に改 め、 誤字 転 倒 語 等 を 正 し て示す こと にす る。 教育 之 方 針. 吾 人 若 シ新 開地 ノ発 展 ヲ期 セ ハ永 住 的 労働者 ヲ得 ル ヲ以 テ急 務 ノ 一二数 ヘサ ル ヘカ ラ ス抑 モ樺 太 島 ハ大 陸 民族 ノ. 劣 敗 者 ノ遊 離 所 タ ルカ如 ク又 一方 ニ ハ内地劣 敗 者 ノ避 難 所 タ ル ノ観 ナキ能 ハス大 陸 劣 敗 者 の渡 島 セ ルヤ既 二数 百. 年 ノ昔 ニアリ テ彼 等 ハ再 ヒ帰 国 セ ント スルノ希 望 ナ シト雖 モ内 地 人 二至 リ テ ハ多 ク ハ 一二千 金 モ得 レ ハ帰 国 セ ン. ト欲 スル モ ノ ヽミ然 レト モ之 無 理 モ ナキ次第 ナ リ北 緯 四十 九 度 ハ緯 度 二於 テ決 シ テ高 キ ニ失 セ サ ルナリ英 、独 、. 白 、蘭 等 の首 都 ハ何 レモ北 緯 五十 度 ノ地 ニアリ又 一年 平 均 氷 点 下 二降 ル敷香 ノ如 キ ニアリ ト雖 モ二十 世 紀 ノ文 明. ハ防 寒 設 備 二於 テ欠 ク ル所 更 ニナ シ又 風光 二於 テ モ伯 林 附 近 ノ光 景 卜比較 スル ニ我 二優 ス ル所 ア ルモ劣 ル所 ナ シ. 然 レト モ我 ニアリ テ ハ 一度 津 軽 海 峡 を超 エテ南 ス レ ハ五穀 豊 饒 天 下 太 平 ノ瑞穂 ノ国 アリ人 類 ノ発 生 ハ暖地 二於 テ.

(19) 田 直 敏 西. (125). セリト ハ人類学者 ノ唱 フル処人類力寒 キ ヲ去 リ テ暖 キ ニ就 カ ント スル ハ是自然 ナリ樺太冬期 ノ酷寒 ヲ喜 フモノ ハ. 僅 カ ニ樺太産 ノ狼 卜犬位 二過キサル ヘシ寒地 二生 レタ ルモノト雖 モ尚暖国 ヲ愛 ス況 ンヤ止 ム ヲ得 ス寒地 ニアルモ. ノオヤ元ゲ ル マン人 ハ北欧 ノ寒地 二住 スル数千年 一望千 里荒涼 タ ル平野沼沢 ニアラサ レ ハ松蝦夷松 ノ林 アルノミ. 而 カモ南 ノ方伊太利 二遊 フヲ以 テ無上 ノ楽 卜為 ス是等 ゲ ル マン人 の思想感情 ヲ 一身 二集中 セル ハ詩人 ゲ ーテナリ. ゲーテノ詩文 ヲ読 メ ハ欧州 ノ寒国人 力如何 二暖国 ノ風物 二憧憬 ル ヽカ ヲ知 ル ニ足 ル可 シ然 ルヲ樺太在住 ノ内地人. ハ元寒国 ノ人 二非 ス彼等 力錦 ヲ着 テ郷 二帰 ランコト ヲ夙夜之 ヲ思 フ ハ当然 ノミ是等 ノ内地人 ヲシテ永住的労働者. タラシメント スル ハ木 二攀 リ テ魚 ヲ求 ムルヨリ モ尚難 キ ナリ此 二於 テカ土人教化 ノ必要生 シ土人教育 ノ方針定 マ. ルト云 フヲ得可 シ土人教育 ノ方針 ハ彼等 ヲ永住的労働者 タ ラシムル ニアリ樺太 ノ地寒気凛 烈 卜雖 モ彼等 ハ能 ク之. 二耐 ユルナリ彼等 ハ既 二数百年 ノ長 キ此地 ヲ郷土 トセリ今後 モ彼等 ノ此郷土 二永住 スルヲ以 テ無上 ノ楽 ト スルモ. ノナリ然 レト モ二十世紀 ノ文明 ハ彼等 力尚従前 ノ生活状態 ヲ継続 スルヲ許 サヾルナリ彼等 ハ経済的 二国家有用 ノ. 民 タラサル可 カ ラ ス抑 モ教育 卜文字 ト ハ離 ス ヘカ ラサ ル関係 アルモノ ニ非 ス我国 二文字渡来前仮名 ノ創作前 二於. テモ教育 ハ理想的 二行 ハレ君臣 ノ分定 り国民大平 ヲ謳歌 シタ ルナリ又文字 ヲ書 カ ス読 マサ ル塙検校 ノ事績 二至リ. テ ハ小学 ノ児童 卜雖 モ之 ヲ知 り英 ノミルト ン其傑作失楽園 ヲ編 スルヤ半 ニシテ明 ヲ失 シ後半 ハ自 ラ筆 ヲ執 ラサリ. シモ尚能 ク完 了 セリ此点土人教育 二於 テ尤 モ考慮 ヲ要 スル所 ナリ土人 ノ教育 二最 モ重 ンス ヘキ ハ日語 ノ教育 卜労. 働者 トシテ必要智識 ヲ授 ク ル ニアリ日語 ノ教授 ハ言語教授 ナリ我国 ノ諸学校 二於 テ ハ之 ヲ国語教授 卜称 ス而 シテ. 国語教授 二於 テ ハ文学乃至教科書 ヲ必須 ノモノ ヽ如 ク考 フルモノァル ハ大 二誤 レリ文部省 ハ内地人 ノ学校 二於 ケ. ル国語教授 ニハ教科書 ノ使用 ヲ命 スレトモ広義 二於 ケ ル言語教授 二於 テ ハ絵画実物 ヲ使用 スル直覚教授 ハ之 ヲ重. ンスルモ文字 ヲ使 用 スルヲ以 テ最 モ害 アリトセリ之 レ今 日欧州教育界 二於 テ言語教授 二対 スル 一般 ノ傾向 ナリ樺.

(20) (126) 明治人IIi期 の北海道・ 樺太における北方諸民族への 日本語教育. 太 上 人 ノ如 キ モ ノ ヽ教 育 二於 テ ハ空 沼 舜 犀嘉 I 於 ケ ル言 語 教 授 ノ最 良 法 に則 り下 級 ニ ハ文 字 教 科 書 ヲ用 ヰ サ ル. ノロ語教 授 法 ヲ行 ハサ ル ヘカ ラ ス此 点 二於 テベ ルリ ッツ式 直 覚 教 授 法 ノ如 キ ハ尤 モ参 考 ト ス ル ニ足 ルモ ノナリ且. ツ樺 太 土 人中 オ ロ ッコ族 ノ如 キ ハ文 字 ヲ学 フヲ以 テ死 滅 ノ基 卜信 ス ルモ ノ アル ニ於 テ ハ益 々直 覚 教 授 ノ必 要 ヲ見. ルナリ文 字 教 育 ヲ受 ケ タ ル モ ノ ハ内 地 人 中多 キ ニ過 ク ル モ少 キ ヲ見 ス何 ソ レフ土 人労 働 者 ニモ之 ヲ強 ユル ノ必要. ア ルヤ然 レト モ労 働 者 タ ル ニ ハ夫 相 当 ノ智識 卜訓練 ヲ要 ス ル之 即 チ教 育 ナリ労 働 者 卜雖 モ仮 名 数 字 位 ヲ知 ル ハ却. テ其 効 カ アル モ ノ ナ リ夫 ハ下 級 ニ ハ之 ヲ課 セサ ル モ上 級 ニ ハ少 シク之 ヲ課 スル ヲ可 ト ス ヘシ又 未 開人 ハ概 シ テ手. エ ニ巧 ナ ル ヲ常 ト スサ レ ハ手 工課 二重 キ ヲ置 ク ノ必 要 アリ況 ンヤ労 働 者 ト シテ ノ教 育 二於 テオ ヤ アイ ヌ以外 ノ樺. 太 土 人 二対 シ テ教 育 所 ヲ設 ケ テ之 ヲ訓育 スル ニ至 ル迄 テ尚 数 年 ヲ要 ス ヘシト雖 モ 一般 ノ教 化 速 二行 ハル ヽノ時 ハ. 此 時 期 ハ自 ラ短 縮 ス ヘク従 テ今 二於 テ是 二対 スル考 案 ヲ立 ツルモ徒 労 二非 ル ヘシ因 テ弦 二教 育 所 生 徒教 員 学 科 支 給 設 備 ノ数 項 二別 ケ テ之 ヲ論 セ ント欲 ス. 教 育 所   ハ敷 香 二之 ヲ設 ク ル ヲ以 テ最 モ便利 ト ス故 二豫 メ土 人 カ イ サ ンノ スヶ又 ハ敷 香 二永 住 ス ル ノ便宜 ヲ与 フ. ル ヲ要 ス敷 香 二之 ヲ設 ク レ ハ教 員 設 備支 給 等 ノ点 二於 テ他 ノ土 人 部 落 二此 シ遥 二優 レリ. 生 徒   オ ロ ッコ族 ハ前 述 ノ如 ク書 籍 学 校 等 二対 スル反 感 甚 シク俄 カ ニ其 児童 ヲ教 育 所 二収 容 ス ル ハ不可 ナ レト モ. ギ リ ヤ ー ク族 ハ之 二反 シ テ向 学 心 二富 ミ新 教 育 ヲ受 ク ル ニ非 レ ハ彼 等 ノ境 遇 ヲ改善 ス ル能 ハサ ル ヲ自 覚 シ且 ツ少. 壮 中 ニ ハ自 ラ進 ン テ文 字 ヲ知 ラ ント ス ルモ ノ スラ多 少 現 レタ レ ハ彼 等 ヲ今 日直 二教 育 所 二収 容 ス ルト モ何等 ノ反. 抗 ヲ見 サ ル ヘシ又 ド ング ー ス族 中 オ ロ ッコ以外 ノ モ ノ ハ性 格 等 二於 テ却 テギ リ ヤ ーク ニ類 シ向 上 心 ヲ認 ム ル ヲ得. 故 二彼 等 ノ中 又 自 ラ進 ンテ既 二仮名 ヲ学 習 セ ルモ ノ アリ故 二若 シ教 育 所 ヲ設 ク ルト セ ハギ リ ヤ ー クキ ーリ ン族 ヲ. 以 テ之 ヲ開始 セ サ ル ヘカ ラ ス而 シ テ年 令 ハ八九才 ヨリ十 一二才 迄 ト シ斯 ク シテ既 二七 八 人 ノ人 員 二達 ス レ ハ授業.

(21) ヲ開始 シ生 徒 ノ募 集 ハ四年 又 ハニ年 二 一回 ト ス ヘシ. 教 員   下 級 生 徒 ハ之 ヲ土 人 教 師 二受 持 タ シ ム ル ヲ得策 ト ス内 地 人 ハ充 分土 人 ノ性 格 趣 向 ヲ了解 ス ル ニ難 ク且 ツ下. 級 二於 テ ハ手 エ ハ土 人 在 来 ノ技 術 二重 キ ヲ置 カ サ ル ヘカ ラサ ルナリ且 ツ土 人 教 師 ニシテ始 メ テ彼 等 ノ生 活 上 必要. ナ ル智 識 ヲ授 ク ル ヲ得 父 兄 モ教 育所 ナ ルモ ノ ヽ無害 有 益 ナ ル ヲ知 ル ヘキ モ内地 人 ノ教 師 ハ浸 リ ニ彼 等 ノ生 活 二何. 等 必 要 ナ ラサ ル智 識 ヲ授 ケ為 二父 兄 モ教 育 所 ノ無 益 ナ ル ヲ感 シ テ遂 ニ ハ子 弟 ノ通学 ヲ中止 ス ル ノ恐 アリ唯 日語 ノ. 教 授 ハ内 地 人 教師 之 ヲ受 持 チ正 格 ナ ル語法 ヲ授 ク ル ノ必 要 アリ而 シ テ 一二年 級 二於 テ ハ文 字 ヲ全 然 使 用 ス ヘカ ラ. サ ル コト必 要 ノ条 件 ナリ ト ス如 此 下 級 ニアリ テ ハ専 ラ土 人 教 師 二之 ヲ受 持 タ シ ム ル ヲ以 テ土 人 教 師 ノ養 成 ヲ必要. 此嶼礫林解利伊︶ 知 り得 タ ル所 ナ カ ス作 業 ニアリ テ ハ 一時 間 ノ久 シキ ニ耐 ユル ハ稀 ナリ是 レ年 ノ聞 キ経 験 上 ヨリ ︵ レ. 絶 エス変 化 ヲ希 望 ス彼 等 ハ活 動 性 ア レト モ持 久カ ナ シ特 二遊 牧 的 民 族 ニアリ テ ハ成 人 卜雖 モ持 久 カ ナ ク頭 脳 ヲ働. 学 課   夫 レ人 類 ノ最 モ活 動 性 二富 ム ハ児童 ナリ児童 ハ片 時 モ無 為 二過 ス能 ハサ レト モ単 調 ナ ル作 業 ハ又 之 ヲ嫌 ヘ. ト ス其 方 法 ハ小 学 校 教 員 ヲ シ テ凡 ク 一年 間 之 ヲ養 成 セ シ ム レ ハ可 ナリ. 直. ナキ カ故 二土 人教 師 ヲシ テ早 ク之 力唱呼 ヲ 一定 セ シメ之 ヲ授 ク ル ノ必 要 アリ. キ カ故 二充 分 二之 ヲ発 揮 ス ル必 要 アリ又土 人 間 二行 ハル ヽ伝 説 ノ如 キ モ之 ヲ教 ユ可 シ土 人 中 ニ ハ未 夕九 九 ノ称方. テ ハ普 通修 身 上 ノ談 話 ノ外 二理科地 理歴 史 等 二干 スル智 識 ヲ合 セ課 スノ必要 アリ樺太 土 人 ハ動 植 物 ノ智 識甚 夕高. 凡 テ土 語 ヲ以 テ之 ヲ授 ク可 シ唱 歌 ハ何 ノ必要 アリ ャト問 ハヾ之 ヲ日語教 授 ノ補助 ナリ ト云 フ ヲ得 可 シ修 身 課 二於. 二十 分 乃 至十 五分 ノ休 ヲ与 フル必要 ナリ而 シ テ午 前中 ニ ハ凡 ソ修 身 計 算 日語 唱歌 ノ歌 調 ヲ除 ケ ハ 一二年 二於 テ ハ. 人 ノ子 弟 二 一時 間 同 一学 課 を 課 スル ハ教 育 所 ノ失 敗 ハ火 ヲ見 ル ヨリ明 ナリ故 二 一学 課 ハ之 ヲ半 時 間 ト シ 一時 間毎. リ 日本 及欧 州 ノ児童 卜雖 モ 一時 間 ノ課業 ハ永 キ ニ失 スル ノ恐 アリ之 レカ改善 ヲ企 ツル教 育 者 柏多 キ モ今 回若 シ土. 田. 敏 西. (127).

(22) (128) 明治大正期 の北海道 0樺 太 における北方諸民族 への 日本語教育. 乱極 マリ本邦 ノ 日本語 今 日土人 ノ使 用 スル日本語 ハ多 ク東北北海道等 ノ漁夫 ヨリ聞 キ伝 ヘタ ルモノ ニシテ雑レ. 標準語 ヲ去 ル極 メテ遠 ク之 ヲ日本語 卜称 スルノ価値 アリ ャ ヲ疑 ハシムル程 ナ レ ハ語法 ヲ正確 二仮名遣 二誤 ナカ ラ. シムルヲ勉 メサル ヘサ ラ ス諸学課中最 モ重 キ ヲ為 スモノナ ルカ故 二内地人教師之 ヲ担任 セサ ル ヘカ ラ ス. 唱歌 ハ上述 ノ如 ク日本語教 授 ノ補助学 課 タ ルカ故 二国歌 ヲ除 キ テ ハ国語調 ノ意義明 ノモノ ヽミ ヲ選 フ ヘシ. 以上 ハ学 課 二対 スル考案 ニシテ 一時間 ノ昼休後 ハ全 ク之 ヲ手 エ ニ充 ツルモノト ス手 工 盆則述 ノ如 ク 一二年 ニアリ. テ ハ主 ト シテ土人在来 ノ技術 ヲ授 ク ルカ故 二土人教師 ヲシテ之 テ受持 タシム又女子 ノ手工裁縫刺繍等 ハ土人女子 ヲシテ授 ケ シムルノ必要 アリ. 十 時   修    身. 計    算. 名 詞 代 名 詞 ノ使 用法 動 詞 ノ 一部 日本 語 ヲ用 ュ. 小 学 一年 二準 ス 日本 語 ヲ用 ュ. 唱  歌. 鉛筆 画 紙細 工. 一時. 手 工. 土 語 ニテ授 ク. 数 へ方 百 迄 二十 迄 加 減 土 語 ヲ用 ユ. 色鉛 筆 画 樺皮細 工 小 刀細 工. 十 一時   日  本   語. 土 語 ニテ授 ク. 小 学 二年 二準 ス 日本 語 ヲ用 ュ. 図 画 及革 細 工 以上 男 子 図画刺 繍 以上 女 子. 動 詞 形容 詞 テ ニオ ハ等 日本 語 ヲ用 ユ. 小 学 三年 二準 ス 日本 語 ヲ用 ュ. 木工. 以上 女 子. 以上 男 子. 小 学 四年 二準 ス 日本 語 ヲ用 ュ. 百 迄 加 減 九 九 ノ唱 方 算 用数字百迄 土 語 ヲ用 ユ. 国 定 教 科 書 三、 四 日本 語 ヲ用 ユ. 千 迄 テ加 減 乗 除 日本 語 ヲ用 ュ. 四則 応 用 日本 語 ヲ用 ュ. 日本 語 ニテ授 ク. 日本 語 ニテ授 ク. 片 仮名 平仮 名 国 定 教 科 書 一、 二 日本 語 ヲ用 ュ. 教授要ロ ヲ左 二掲 ク. 一年. 二年. 二年. 四年. 裁縫.

(23) 支給 学 用品 ハ全部之 ヲ支給 スルカ上 二尚昼食 ハ之 ヲ支給 シ教師 ハ生徒 卜食 ヲ共 ニス ヘシ. 三年生 以上 ハ制 服制帽靴等 ヲ支給 ス可 シ又教育所内 ニハ娯楽用 ノ遊戯器械 ヲ用 フルヲ可 トス. 設備 教室 一、手工室 一、浴室 一、生徒用 ト シテ欠 ク ヘカ ラサ ルモノナリ浴場 ハ 一週 一回強制的 二温浴 セシムル. カ為 ナリ凡 ソ右 ノ如 ク定 ムルト雖 モ居所 ヲ転 スルノ習慣 ハ容易 二之 ヲ改 ムル能 ハス且 ツ彼等 ノ生活上当分必要条. 件 ナ レ ハ漁期其他 二長期 ノ休 日 ヲ設ケサル ヘカ ラサル ハ当然 ナリ然 レトモ ﹁スカ ンチナビヤ﹂諸国 ノ人 口稀薄 ノ. 地方 二於 テ ハ巡回教師 力 一年間僅 カ 二二三週間 ノ教授 ヲ為 ス ニ過キ スサ ル ニ比 スレ ハ遥 カ ニ優 レリト云 フヲ得 ヘ. シ而 カ モ ﹁スカ ンデナビヤ﹂諸国 ハ教育 ノ普及 セル点 二於 テ世界 二冠 タ ルヲ思 フト土人教育所 二於 ケ ル教授回数. 彼等 力教育所 ニテ修 ムル漢字 ノ如 キ ハ彼等生活上 ニハ遂 二応用途 ナキ モノ ニシテ而カ モ之 力学習 ノ為 ニハ若干頭. 二拠 ルヲ可 ト スト信 ス何力故 二高等文明 ノ内地人子弟 卜同等 ノ教育 ヲアイ ヌ ニモ授 ケサル ヘカ ラサ ル必要 アリヤ. ノ少 キ ハ患 フル ニ足 ラサルナリ. 田 直 敏. 教育所﹂ の設置と教育案 は日本語教育を中心とす る現実的 な案 であ 以上 に示した中目覚 の遊牧狩猟民族 に対す る ﹁. ク簡易 ニシテ効果 ノ大 ナル方法 ヲ講 シ早 ク彼等 ノ有カ ナル労働者 タ ラシムルコト ヲ勉 メサル ヘカ ラス. 級組織 ヲナ シタリトテ其成績 ハ果 シテ同 一ナ ルヲ得可キ ヤ之 レ当局者 ノ考慮 ヲ要 スル所 ナリ土人 二対 シテ ハ宜 シ. ハヾ教師 ノ労 ハ少 クシテ教授 ノ効果 ハ倍加 スルナリ未開人 二対 シテ ハ高等文明人 卜同等 ノ募集法 ヲ採 り同 一ノ学. シ教師 二無駄骨 ヲ折 ラシメテ効 果 ヲ減 セ ンヨリ ハ四年又 ハニ年 二 一回生徒 ヲ募集 シテ 一級組織又 ハニ部教授 ヲ行. 脳 ヲ痛 ムル コト甚 シキモノァリ又年齢 ヲ知 ラサ ル土人子弟 ヲ毎年 一二名宛教育所 に収容 シテ煩多 ナ ル単級 ヲ組織. 以上 ハ未 夕教育所 ノ設 ナキ アイ ヌ以外 ノ土人教育 ノ為 メ考案 セルモノナ レトモ現在 ノアイ ヌ教育 ノ如 キ モ寧 口之. 西. (129).

(24) (130) 明治大 正期 の北海道・ 樺太 における北方諸民族 への 日本語教育. る。 理 想 を求 め る教 育 者 の立場 に立 つも の ではな く、 当 時 の実 効 を求 め る為 政者 側 に立 った案 であ ると言 え よ う。. 尤 モ参 考 ニス ル ニ足 ルモ ノ﹂ と し てあげ て いる こと 中 目 覚 が 日本 語 教 授 法 と し て ﹁ベ ルリ ッツ式 直 覚 教 授 法 ﹂ を ﹁. は、 当 時 、 革 新 的 な外 国 語教授法 と し て注 目 さ れ て いた方 法 に着 目 し た も の であ る。 ﹃日本 語教 育 事 典 ﹄ ︵ 大修館書店︶. ”Q 澤 N〓①手 oQ  ベ ルリ ッツの教 授 法 ﹂ の項 の ﹁ナ チ ュラ ル ・メ ソ ッド﹂ の項 や ﹃英 語 教 授 法 事 典 ﹄ ︵ 開拓社︶ の ﹁ に よ って、 そ の要 点 を 示 す と、次 のよ う なも の であ る。. ヨー ロ ッパ の ラ テ ン語 学 習法 に由 来 す るグ ラ マl oト ラ ンス レー シ ョン ・メ ソ ッド即 ち文 法 規 則 の理解 、 記憶 と 訳. 読 中 心 の伝 統 的 教 授 法 に対 し て、 外 国 語 の学 習 は幼 児 が母 国 語 を身 に つけ て いく よ うな自 然 な言 語学 習 過 程 に基 づ い. ッ ッ oメ ソ ッド で あ る 。 ベ ル リ ッ ツ. F コ ∪ ①一 ︵〓 巽 一ヨ 一 も ユ 房 ,. ωl き. あ認 上 駕 じ. は ド イ ツ 生 れ の ア メ リ カ 人 で 、  一. て行 な う べき だ と いう 主 張 に基 づ く 新 し い教 授 法 は、 ナ チ ュラ ル oメ ソ ッドと 呼 ば れ る。 そ の代 表 的 な も のが ベ ル リ. Q①月 のに ωqFN r 〓ooお R F”●∞c”鴨 ∽を創立 し て以来、 ボ スト ンや ニ ュー ヨークにも学校 八七 八年五月 に で oく一. を建 て、 ヨー ロ ッパ各国 へも事業 を拡大 し、第 一次大戦 ま でに三二九校 に及んだと いう。 その教授上 の特色 は、0外. 国語を直接 に知覚 や思想 に連合 させ る こと。 0絶 えず外 国語を使用し、母国語 は絶対 に用 いな いこと。0実物、絵、. 動 作 などを示し て教 える こと。0抽象的 なも のは連想 に訴 え て教える こと。0文法 は実例または視覚教授 によ って教. ﹄ 算① じ があ たること。 0 一クラスは五人からせ いぜ い え る こと。 0指導 にはそ の外国語を母国 語とす る者 →”一 お 慇①. 八人 くら いの小人数 とす ること。 0初 め は回頭練習 ︵ 二十時間∼ りい︶のみを行な い、 それから読 み方 や書 き方 には い. る こと。発音練習 は、幼 児 の言語習得法 に従 って、教師 の発音を模倣す る こと によ って自然 に体得 させる。 0教材 は、. 簡単 なも のから次第 に複雑なも の へ、具体的 なも のから抽象的なも の へと配列す るよう にし、教材間 に密接 な関連を. 持 たせるよう に組織 す る こと。側語彙 は学習者 の日常生活 に即したも のを教 える こと。等 である。.

(25) 敏 直 田 西. (131). これ ら の方 法 は、 今 日 でも 入 門期 におけ る直 接 法 によ る教 授 法 に用 いら れ て いると ころ であ る。 ま た、 こ の方 法 は. 旅 行 者 、 ビジ ネ ス マン等 が短 期 間 に日常 の会 話 能 力 を 身 に つけ る目 的 で学 習 す る場 合 に小 人 数 ク ラ スで行 な えば 、 効 果 が あ が ると し て今 日も 高 く 評価 され ている。. こう し た意 味 では、 中 目 覚 が小 人 数 の ﹁ 教 育 所 ﹂ に ベ ルリ ッツの教 授 法 を 導 入 し よ うと し た こと は正 し か ったと言 え 卜な つ。. 四  お わ り に. 以 上 、 明治 大 正期 の北 海 道 樺太 におけ る北 方 諸 民族 に対 す る 日本 語教 育 に つい て、 資料 と な るも のを でき るだ け示. し つ つ史 的 に述 べ てみ た。 これ ま で こうし た視 点 でまと め ら れ たも のは無 か った。 本 稿 が 日本 語教 育 史 の初 期 の様相 を 明 ら か にす る 一助 と な れ ば幸 であ る。. 資料 に ついて北海道立 図書館長中山素水氏 にお世話 にな った。記し て謝意を表す る。. 追 記 中目覚 は、 小樽市手宮洞窟 の岩壁彫刻、 所謂古代文字 に ついて、 大正七年 ︵一九 一八︶ に古代上耳其文字 即ち突厭文字を. も って書 きあらわした鞣 鵜語 の墓誌 であるとし て、 ﹁ 我 は部下を率 い大海を渡 りたたか い此洞穴 にいりたり﹂ と説き、 ﹃ 小樽 の古代. 文字 ﹄ ︵ 大正八年 春陽堂 ︶を著 わし、  一時期著名 であ った。 ︵ 参考 ﹃ 手宮洞窟岩壁彫刻 の研究史﹄昭和 四卜 三年 小樽市博物館︶.

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