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戦後日本経済の展開過程と「産業構造転換」 : 金属・機械部門を中心として

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戦後日本経済の展開過程と「産業構造転換」

―金属・機械部門を中心として―

吉 田 三 千 雄

目   次 はじめに Ⅰ 戦後日本資本主義の構造的特質―日本資本主義のいわゆる戦後「重化学 工業段階」規定をめぐって Ⅱ 戦後日本経済の展開過程と「産業構造転換」の実相―主要統計の整理・ 検討 おわりに

はじめに

 2009 年の現在、日本経済は戦後におけるその再生産=循環構造に随伴されてきた構造的矛盾が そのものとして顕在化するなかで、厳しい動転を余儀なくされているといってよいであろう。日本 経済をとりまく様々の問題のなかで、まず第 1 に指摘されるべきは、総体としての国民生活の困窮 と国民諸階層・国内諸地域間における格差の拡大であろう。例えば、『家計調査年報』(総務省編) によれば、勤労者世帯の名目実収入・名目可処分所得は、2000 年代以降も各年マイナスか 1%以 下の増大であり、03 年~ 07 年にわたって続いたとされる“景気の上昇”も国民の消費需要を拡大 させることなく、その大多数には実感を伴わないものに終った。また、いわゆる“ワーキング・プア” と称せられる期間工・派遣労働者・パートタイマーなどの不安定・低賃金労働者の存在や、08 年 9 月以降のアメリカ金融資本の破綻を契機とした世界経済危機のなかで、膨大な内部留保を抱え た日本の大規模企業もが彼等不安定・低賃金労働者さえもいとも簡単に切り捨てたことが、社会 問題化した。第 2 に注目されるべきは、国民生活の困窮を促進している大幅な増税・社会保障の 切り下げであろう。このことの背景にある国家・地方財政の「危機的状況」について言えば、確 かに高齢者人口の増大(この事自体何十年も以前に明確であったのだが)という要因は存在する ものの、戦後、長期間に亘って都市部・地方を問わず「公共事業」の名目のもと、各々の財政状 況や完成後の採算を度外視して道路・空港・ダム・公共施設を作り続けてきたり、「日・米安保体制」 のもとで軍事費を増大させて来た事の帰結でもある。第 3 に、今日国民生活を不安にさらしている エネルギーや食料自給率の低下である。これらはいわば、日本の対米依存体制のもとで、原油に 依存する構造を作り上げたり、国内農業を凋落させてきたことの帰結である。  こうしたなか、戦後日本経済を主導してきた製造業(とりわけ金属・機械部門)の状況はどうで

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あろうか。金属・機械部門の大規模企業についていえば、2000 年代以降も、国内外における激し い競争と国内需要の低迷を前提に、生産工程の一部を東アジア諸国に移転しつつ、国内では不安 定・低賃金労働者に依拠を強めるなどのコスト削減策を実施し、アメリカ・中国市場を中心として 輸出依存率を高めて一定の利潤(05 年~ 07 年においては極めて高率の)を確保してきた。ところ が、今日の世界経済危機のなかで、国内需要を遙かに上回る生産能力を保有し、高い輸出比率や 海外現地生産といういわば外需依存体制のなかで高率の利潤を確保するという金属・機械部門の 大企業の存立構造が、問われているといってよいであろう。一方、金属・機械部門の中小・零細 企業についていえば、少数の上層系列・下請企業を除いて、全体としての存立要因の弱体化のな かで淘汰・再編を余儀なくされているのであって、事業所数・企業数の継続される減少のなかで、 その帰超が憂慮されるところとなっている。  従って、研究史的にも、戦後「高度成長期」から日本経済を主導し、今日においても日本経済 において大きな位置を維持している金属・機械部門を取り上げ、その日本経済における位置を確 定するとともに、その戦後における再生産=循環構造の特質ゆえ、それはいかなる展開過程と矛 盾の発現形態を取らざるを得なかったかを析出することが求められているものと思われる。本稿は そうした全体としての構想のなかで、戦後日本の金属・機械産業分析のために、戦後日本経済に おける「重化学工業」段階規定をめぐる諸論議を整理・検討するとともに、諸官庁統計の整理から、 戦後日本における「産業構造」の変化を明らかにすることにあり、またその目的に限定されている。 このため、金属・機械部門の貿易収支・投資収支における役割や個別産業にまで下した検討など については、紙数の制限から割愛されている。

Ⅰ 戦後日本資本主義の構造的特質―日本資本主義のいわゆる戦後「重化学工業段

階」規定をめぐって

1.山田盛太郎氏の戦後「重化学工業段階」規定をめぐって  戦後日本資本主義はその産業部門構成に視点を当てるなら、敗戦後今日まで、金属 3 部門(鉄 鋼業・非鉄金属・金属製品)、機械4部門(一般機械・電気機械・輸送用機械・精密機械)(1) 化学工業から構成される「重化学工業」がその再生産=循環を形成するための基軸として位置付 けられ、日本資本主義を主導してきたといってよいであろう。そこでは、重化学工業部門の日本経 済における位置(事業所数・従業者数・生産額・輸出額などに占める割合や他産業への波及効果) のみならず、この部門の確立・展開過程における特質が、日本資本主義の特質をそのものとして 体現してきたともいえる。戦後日本資本主義における重化学工業の位置付けについては、戦後マ ルクス経済学の立場からの日本資本主義の分析の基点となった山田盛太郎氏の規定から出発する ことが必要であろう。やや長文となるがそのまま引用して置くこととする。すなわち、山田氏は「戦 後日本では、重化学工業化が一つの至上命令となった。その重化学工業を、先進国との競争力を もつ水準にまで急速に構築すること、それが経済再建のための唯一の道であるという意味で、そ

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れは日本資本主義それ自体における内発的必至性であった。しかも、そのことこそ、日本をばソ・ 中に対する『防壁』として位置づけようとしているアメリカ帝国主義の世界戦略と、まさに、合致 するところで、その線と結びついた、そのときから、それは一個の至上命令となった。ここから、 鉄鋼業を主軸とする重化学工業の本格的構築が開始される(2)」と基本的な分析視角を提示された。 さらに、山田氏は日本資本主義の戦後段階を、次のように小画期区分される。「第Ⅰ期間(26 ~30 年)。 戦後段階の第Ⅰ階梯(第Ⅱ部門=消費資料生産部門が生産上昇の主導性をもっていた段階)と規 定される時期にほぼあたる期間(3)」、「第Ⅱ期間(30 ~ 35 年)。戦後段階の第Ⅱ階梯(第Ⅰ部門= 生産手段生産部門が生産上昇の主導性を獲得するに至った段階)と規定される時期にあたる期間。 これは金属=機械工業部門を基本軸とする重化学工業躍進の時期として特徴付けられる」(4)、「第 Ⅲ期間(35 ~ 40 年)。戦後段階第Ⅱ階梯の延長線上にあって矛盾が顕在化してきた時期、換言す れば、金属=機械工業部門を基本軸とする重化学工業における強蓄積による過剰蓄積・過剰生産 恐慌・危機―『37 年危機』と『40 年危機』―が進行する段階」。(5)  周知ように、山田氏自身は「敗戦をくぐってきた日本で、旧来とは全く段階を別個とする高水準 に至りえたその驚異、その根拠」(6)を探るべく鉄鋼業の研究に傾注される一方で、戦後日本資本 主義については 65 年頃までを研究対象として視野に置かれるものの(7)、戦後についての本格的な 分析に至らなかった(8)。しかしながら、山田氏の分析視角と戦後「重化学工業段階」規定は、そ の後南克己氏(9)、二瓶敏氏(10)、大島雄一氏(11)らによって若干の相違を持ちつつも継承・発展さ せられることとなったし、他方では、山田氏の戦前・戦後の日本資本主義に関する歴史認識(戦 前段階と戦後段階との断絶・継承をどう評価するかなど)を中心に一定の批判をも受けることになっ た(12)。山田氏の戦後日本資本主義分析は、氏が戦前日本資本主義に与えられた「軍事的半農奴制 的型制」に対応する範疇規定はなされていないのであるが、戦後「重化学工業段階」規定については、 大島氏によってそれは、「日本産業の生産力の段階規定」、「戦後日本主義の『蓄積定型』の『成立』 の物的生産力的基盤を示す規定(13)」であり、「1955 ~ 62 年に成立するこの『蓄積定型』(重化学 工業基軸の自由企業制=寡占体制が、中小企業を系列・下請的に支配し、農業解体による兼業労 働力を出稼ぎ・日雇いの形で周辺的孤立的に統括する格差構成)は、今日でも基本的には変化し ていない(14)」と補強・明確化された。  こうした議論に対して、中村静冶氏は、「生産力の新段階移行は新しい産業部門ではなく労働手 段体系への飛躍、すなわち機械からオートメーション段階への飛躍において把えるのでなければ なら(ず)(15)」、山田・大島氏の分析視角では、「テレビのカラー化、モータリゼーションの爆発前 段階に早々と『戦後大不況期段階』が画されたり、これを蔽うとすれば『重化学工業段階』の成 立ないし確立は 10 年近く繰り下げねばならなくなったり(16)」と批判されている。  上記の山田氏による戦後「重化学工業段階」なる規定は、戦後日本資本主義の「生産力段階」 にかかる規定であるというのが大方の見解であり(17)、筆者も同感である。したがって、「このよう な概念での段階規定が、日本資本主義の戦後段階を規定するのに一定の有効性をもつことを認め つつも、資本主義の普遍的な段階規定概念たりえない(18)」ことも事実であろう。一方、大島雄一

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氏や中村静冶氏の見解については、筆者も既に 86 年に検討しているので重複は避けることとする が(19)、中村氏の所論についていえば、労働手段やその生産部門の発達指標のみによって一国経済 の発展段階や生産力の新段階移行を規定することはできないであろう。また、我々が示唆を受け る事が多かった大島雄一氏の所論についていえば、大島氏のいわれる「蓄積定型」自体は、重化 学工業部門における大規模企業が系列・下請企業や中小・零細企業を支配・収奪する構造という 意味で、今日においても貫徹されているとすることができるが、戦後「重化学工業段階」規定を あまりに厳格なものとして考えることは、日本資本主義における再生産=循環構造の多様化などの 把握を困難にするものと思われる。  問題は次の様に整理することが出来るのではないかと思われる。①戦後「重化学工業段階」な る規定は、日本資本主義総体に与えられた規定ではなく、戦後日本資本主義の生産力の発展段階 に関わる規定である。②その場合、個別の製品をいかなる労働手段で生産するのかが一国経済・ 産業の発展段階を規定する一要因となるのと同様に、生産品目の相違に基づく「軽工業」、「重化 学工業」という区分もそれを規定する一要因となること。③従って、「重化学工業段階」なる規定は、 戦後日本資本主義の再生産=循環の構成において、いかなる産業がその基軸となってきたのかを 把握する基準となること。同時に、戦後日本の重化学工業の特質を把握することが、日本資本主 義総体の再生産=循環構造の特質を析出することに結びつくのでないかと思われる。 2.戦後「重化学工業段階」確立の時期をめぐって  次に、上記のような性格を持った「重化学工業段階」の確立を、換言すれば重化学工業を基軸 とした日本資本主義の再生産=循環構造の成立を、どの時期において措定するのかという論争も みられている。この論点は山田盛太郎氏の学統を引き継いでいると思われる論者を中心とした対 立であるが、ここで整理・検討しておくこととする。  例えば、代表的論者である二瓶敏氏は、「日本資本主義は第二階梯(昭和 30 年~ 35 年、筆者注) において本格化される新鋭重化学工業の移植・創出を通じて、35 - 40 年の時期に戦後重化学工 業段階に入りこみ、40 - 45 年にこの基礎上で一層の躍進を遂げるのである(20)」とされ、戦後「重 化学工業段階」の確立を 1965 年当時に求められる。そして、より具体的指標として、二瓶氏は後 に「製造業従業者に占める重化学工業従業者の比率が 1965 年にほぼ 50% を占めるようになった (21)」、「輸出に占める重化学工業製品の比率が 63 年に過半に達し、64 年以降、これを主軸にして 貿易収支の黒字基調が実現された(22)」、「資本の労働者支配が完成しました(23)」などを指摘され ている。さらに、山田氏のこの問題についての見解についても、「山田先生は、すでに 1960 年時点 で、重化学工業の優位確立と機械 4 部門の金属に対する相対的優位達成を認め、この時点を『転 換を画する時期』と規定し、続く 60 ~ 65 年をこの重化学工業の強蓄積の矛盾顕在化の時期とし てとらえています(24)」と述べている。  これに対して、1970 年段階に戦後「重化学工業段階」の確立を求める見解も存在する。例えば、 小林賢齊氏は、「『一個の至上命令』として急構築される鉄鋼=機械 4 部門基軸の重化学工業が、

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顚倒的兵器生産を内包しつつ、『経済自立』の柱としての輸出競争力を備えるに至るのであるから、 重化学工業段階の『確立』は、重化学工業製品の輸出でもって、原料・燃料・食糧のみでなく、 そのための重機械=技術を輸入し、さらに外国からの借款をも返済しうる再生産=循環構造の『確 立』でなければならない(25)」とされ、具体的な指標を示されている。また、鍋島力也氏も、「1965 年以降、ベトナム戦争=特需を得つつ、鉄鋼生産構造それ自体における戦後段階(1965 年の戦前 的平炉段階から戦後的 LD 転炉段階への転換は、その最も特徴的な1座標)を劃することによって、 日本の工業労働力構成の基礎からの重化学工業段階としての戦後重化学工業段階を成立せしめる (1965 - 70 年)にいたる。・・・1971 年以降その構造的制約=限界露呈の段階に逢着するにいたる(26) とされている。  この論争が行われていた時期から約 30 年経過した今日、これをどう理解すべきであろうか。こ こには、重化学工業の範囲など事実関係の実証をめぐる見解の相違という側面もあるが、それ以 上に、戦後「重化学工業段階」規定にいかなる合意を持たせるのかという相違が存在していると いえよう。もし、戦後「重化学工業段階」を山田氏の前掲文言のように、「生産手段生産部門が生 産上昇の主導性を獲得するに至った段階」、「金属・機械工業部門を基本軸とする重化学工業躍進 の時期」とするなら、或は二瓶氏の強調されるように、「62・65 年の構造的過剰はすでに重化学工 業基軸の構造が大きな歪みを抱えながら形成されたことを逆照射していること(27)」というように、 いわば日本の金属・機械部門を中心とする重化学工業の「構造的過剰」を生み出さざるを得ない という基本的特質が形成された時期とするなら、その確立は 1955 ~ 60 年頃に達成されたとする ことも出来よう。一方、戦後「重化学工業段階」の確立を、小林氏のいわれるように金属・機械 部門を中心とする重化学工業が、「『経済自立』の柱としての輸出競争力を備えるに至る」とするなら、 或は重化学工業が日本資本主義の再生産=循環の構成上必須の位置を占める段階とするなら、そ の「確立」は 1970 年頃ということになるであろう。  この問題について、筆者は次のように考える。①日本資本主義は 71 年以降、変動相場制への移 行や 2 度に亘る石油危機の発生などによって、60 年代とは全く異なる大きな動転を余儀なくされ たこと、②金属・機械部門のなかでも、戦後の確立が早かった鉄鋼業を除けば、機械産業におけ る主要部門の確立(自給体制の確立、生産能力や技術水準における欧米諸国への“キャッチ・アッ プ”など)は、「高度成長Ⅱ期」(66 ~ 70 年)に達成されていること、③とりわけ、今日まで機械 産業のなかで最大の産業である自動車産業の本格的展開は 70 年代後半からであるし、労働手段生 産部門たる工作機械工業が自給体制を確立したのは概ね 71 年であること、④機械産業諸部門の過 剰生産能力の保有・外需依存特質がそのものとして顕在化してくるのは 70 年代以降であって、「高 度成長Ⅱ期」には多くの産業において内需に依存した成長がそれなりに達成されていたこと、など から、戦後「重化学工業段階」の確立は、70 年頃とするのが妥当であるものと思われる。確かに、 60 ~ 70 年代において多くの研究が積み上げられた鉄鋼業に限定した場合には、その確立を 60 年 代半ばとすることも出来るが、日本資本主義総体としても、また変革主体の形成という視点からも、 研究の重点が鉄鋼業に傾斜しすぎたと、今日から省みればいえるであろう。要は、山田氏の提起

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された「重化学工業の体系的な創出が一個の至上命令として要請」されたもとでの戦後における 急激な金属・機械部門の構築は、世界でも有数の国際競争力をもった当該部門を創出せしめる基 礎となったが、逆に、一国としての不安定な再生産=循環構造(食料・原料・エネルギー源の国 外依存、国内諸地域間や労働者間の格差構造、国内需要を遥かに超える生産能力の保有と特定国 に特化した輸出体制などによって表現される)を創出することに帰結したのである。

Ⅱ 戦後日本経済の展開過程と「産業構造転換」の実相―主要統計の整理・検討

 戦後 60 年余、日本経済は種々様々の変転を経てきたが、それを外的に強く規定する世界的な諸 要因(例えば、いわゆる「冷戦体制」の確立と崩壊、変動相場制への移行と円相場の変動、原油 価格の急騰など)を背景として、国内の経済成長率・設備投資・個人消費など基礎的指標の動向 によって日本経済を画期区分すれば、概ね以下のようになるであろう(図表等は省略する)(28) イ)「戦後復興期」(1946 年~ 54 年) ロ)「高度成長期」(1955 年~ 73 年) ハ)「74 年~ 75 年不況期」(1974 年~ 75 年) ニ)「低成長期」(1976 年~ 84 年) ホ)「バブル経済期」(1985 年~ 92 年) ヘ)「長期不況期」(1993 年~ 02 年) ト)「再編期」(2003 年~ 07 年)  ここでは、戦後日本の産業構造がどのような変化を遂げてきたのかを、金属・機械部門を中心 として、代表的な官庁統計の整理から(その信憑性にかかわる議論は一応捨象して)明らかにし ておくこととする。筆者は「産業構造」の概念を、単に「産業部門構成」にとどまらず生産工程 などを含めた企業の存立構造の総体や産業連関に及ぶものと考えているが、本稿ではまず「産業 部門構成」の変化を中心として確定してみることとする。なお、その際ここでは、戦後「高度成 長」の出発点であった 1955 年、そのピークであった 73 年、いわゆる「バブル経済」の預点であっ た 90 年、近時の世界経済危機が発生する前年の 07 年(もしくは統計整理の都合上 06 年)とい う、概ね十数年の区切りを中心として、長期スパーンにおいて検討することとする。また、03 年 ~ 07 年の展開過程についていえば、内需の引続く低落のなかで、中国・アメリカなどへの輸出増 大や海外現地生産が可能であった大規模企業を中心とした一定の景気回復で特徴付けられている が、その呼称は後日の課題としている。 1.「高度成長期」(1955 年~ 73 年)―戦後日本における「重化学工業」の確立  周知のように、「高度成長期」は他の諸画期を遥かに上回る経済成長が達成されるとともに、民 間企業設備投資を中心として“投資が投資を呼ぶ”と表現され、とりわけ高い経済成長率をみせ た「Ⅰ期」(55 年~ 62 年)と、民間消費需要や輸出の一定の増大によって特徴付けられる「Ⅱ期」 (66 年~ 73 年)に小画期区分される(ただし、72・73 年においては国家による大幅な財政出動によっ

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て名目的な経済成長が達成された側面が強く、71 年までの「高度成長」とは異質なものといえる)。  当期の主要な特徴点としては、以下の点が指摘できるであろう。ⓐ1ドル= 360 円の固定相場 制が 71 年まで維持され、また、原料・燃料が比較的安価に確保されており、旺盛な民間設備投資、 若年低賃金労働の豊富な供給とその陶治、中小・零細企業の族生と系列・下請体制の確立、国内 消費需要の一定の増大などの諸条件のもと、欧米諸国を遥かに上回る経済成長が達成された。  ⓑ従って、当期においては、金属・機械産業、化学工業の「重化学工業」の生産能力の増大や 技術水準の著しい上昇・国際競争力の強化が達成され、それらのほとんどの産業では日本が自給 体制を確立するとともに、欧米諸国へのキャッチ・アップ(一部の産業では追い抜き)を果たした。  ⓒしかしながら、この時期「重化学工業」発展の裏側では、農業の「解体的凋落」による食糧 自給率の低落や 1 次エネルギーの国外依存が決定付けられることとなったし、繊維工業、木材・ 木製品、家具・建具など国内需要に依拠した地域的産業の停滞・凋落も進展したのである。その 意味で、今日からみれば、日本経済の自立・安定的な再生産=循環構造の構成という意味で、マ イナスの要因も随伴せざるをえなかったのある。  ここで、以下いくつかの指標を確認しておくこととする。 イ) 国内純生産  国内純生産(生産者価格表示の算出額-中間消費-固定資本減耗)の推移をみると、(表 1)の とおりである。06 年の場合、総計 419 兆円のうち、製造業 22.0%(電気機械 3.2%、輸送用機械 3.1%、 一般機械と食料品が各々 2.7%)、サービス業 20.9%、卸売・小売業 14.9%の順で続くが、1955 年 ~ 73 年における変化の特徴を示せば、以下のとおりである。 ① 農林水産業の大幅な低落である。同部門の構成比は、55 年の 19.4%から 73 年には 5.6%へと 13.8 ポイントの低落をみせている(この低落はその後も続き、06 年には 1.3%にまで低落してい る)。 ② 製造業の位置の上昇である。同部門の構成比は、55 年の 28.2%から 73 年の 33.3%へ 5.1 ポイン トの増加をみせている。この増大には、金属・機械部門合計での 8.4%から 17.2%への 8.8 ポイ ントの増加が寄与し、食料品、繊維工業などの低下を補っている。また、製造業の位置の上昇 には、「高度成長Ⅰ期」(55 年~ 62 年)における増大がより多く寄与している。 ③ 卸・小売業と建設業の一定の位置の上昇である。前者は 55 年の 10.6%から 73 年の 14.7%へ 4.1 ポイント、後者は 4.7%から 8.5%へ 3.8 ポイント各々増加した。  以上のように、当期においては、農林水産業の低落と金属・機械部門の上昇で特徴付けられる のであるが、構成比という意味では、製造業合計でも、また金属産業でも、73 年に既にピークに 達していることも注目されよう。 ロ) 事業所数  上記のような純生産額における変化を前提として、次に農林水産業を除く事業所数の変化を検 討してみることとする(29)。(表 2)によれば、06 年現在、合計で 585 万事業所が存在するが、そ の産業部門構成は、サービス業(他に分類されないもの)112 万(全体の 19.1%を占めるが、主要

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な内訳は洗濯・理容・美容・浴場業 40 万、専門サービス業 20 万であり、以下事業サービス・娯 楽業・自動車修理業が続く)、医療・福祉 35 万(同 6.0%)、教育・学習支援業 23 万(同 4.0%) など、広義のサービス業で 210 万(同 35.9%)が占められている。さらに、卸売・小売業 160 万(同 27.4%、主要な内訳は飲食料品小売業 43 万、織物・衣服等小売業 17 万などである)、飲食店 72 万(同 12.4%)、建設業と製造業がともに 55 万(同各々 9.4%)ということになる。  ここで、1957 年から 72 年という「高度成長期」に概ね該当する期間についての特徴を指摘して みると、以下のとおりである。 ① この間、合計で 356 万から 520 万へと、他の時期を大きく上回る 164 万もの増加(46.1%増)を みせたが、増加率という意味で高い産業は、飲食店(159%増)、建設業(129%増)であり、製 造業は 45.3%とういう平均的な増加にとどまっている。ただし、表2に掲載した金属・機械部門 の事業所数は概ね 2 倍以上の伸びをみせており(とりわけ、金属製品 176%増、電気機械 240% 増、一般機械 118%増)、この時期における中小・零細企業の族生を示している。 ② この間の産業部門別の構成比の変化としては、卸売・小売業の低下(45.2%から 38.1%へ 7.1 ポ イントの減少)、飲食店(5.5%から 9.8%へ 4.3 ポイントの増加)と建設業(5.0%から 7.9%へ 2.9 ポイントの増加)の上昇で特徴付けられ、製造業とサービス業については大きな変化はなかった。 その意味で、純生産額同様、製造業の構成比は、72 年においてピーク水準を記録することになっ た。  では次に、製造業部門内における金属・機械部門の位置はどう変化したのであろうか。内容的 には上記の指摘と一部重複するが、より正確を期すために、「工業統計表」(経済産業省編)より(表 3)を掲げる。55 年~ 73 年という「高度成長期」に該当する期間についていえば、73 年において、 従業者数・製造品出荷額について金属・機械部門の合計で約 50%に達するなど、日本経済の「重 化学工業化」が進展したことが基本的特徴となる。また、事業所数については、製造業合計でこ の間 63.7%の伸びをみせた(金属・機械部門合計では 197.1%の増加)。とりわけ大きな増加をみせ、 構成比を高めたのは、電気機械、金属製品、一般機械であり、(表 1)の結果と概ね一致する。なお、 繊維工業もこの間 58.9%の伸びをみせ、凋落が進展する次期以降とは異なった様相を呈している のである。  ハ)就業者数  次に、就業上の地位・雇用形態・性別などを捨象して、就業者数における産業部門構成の変化 を検討してみることとする。(表 1)によれば、06 年の場合、総計 6,420 万人のうち、主要な部門はサー ビス業 2,201 万人(全体の 34.3%)、製造業 1,115 万人(同 17.4%)、卸売・小売業 1,073 万人(同 16.7%)であり、この 3 部門で 68.4%に達する。「高度成長期」においては、総計 55 年の 4,067 万 人から 73 年の 5,635 万人へ 38.6%増大するなかで、次のような大きな変化がみられた。 ① 農林水産業の大幅な減少である。すなわち、同部門は 55 年の 1,680 万人(全体の 41.3%)から 73 年には 903 万人(同 16.0%)へ、777 万人の減少(▲ 46.2%)をみせた。 ② 逆に、製造業は農林水産業の減少をも吸収する形で、55 年の 747 万人(全体の 18.4%)から

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73 年の 1,522 万人(同 27.0%)へ、約 2 倍の 775 万人の増大を記録している。とりわけ、金属・ 機械部門合計で 243 万人から 701 万人へ、458 万人(188%増)もの増大をみせているし、金属 製品・電気機械・輸送用機械の増大が顕著である。この点を、事業所数同様に(表 3)におい ても確認しておくこととする。55 年~ 73 年の間に製造業従業者数は 551 万人から 1,196 万人へ 116.9%の伸びをみせ(金属・機械部門合計では、384 万人増、231.6%増である)、雇用者の急 増を示す。73 年における部門別構成比では、電気機械 11.7%、一般機械 10.0%、繊維工業 9.8%、 食料品 9.6%の順に続くが、伸び率という点では機械 4 部門が高いものとなっている。  ここで、製造業雇用者の年齢別の構成比を、1965 年・70 年において示してみると、(表 4)のと おりである。例えば、65 年においては、15 ~ 19 歳 17.4%、20 ~ 24 歳 22.1%、25 ~ 29 歳 15.0% の 3 区分で 54.5%が占められ(70 年においては 44.8%)、若年労働者(日本においては同時に低賃 金労働者)の高い割合が示される。また、金属・機械部門の雇用者数の多い 3 部門についてみると、 金属製品と一般機械では概ね製造業合計と同水準であるが、電気機械では、65 年の場合 29 歳以 下で 71.3%が占められ(70 年で 61.1%)、量産型の家電製品の生産工程に若年労働者が大量に雇 用されていたことが示されるのである。いずれにしろ、これら若年・低賃金労働者の存在が、「高 度成長」を可能とした基本的要因となったのである。 2.「低成長期」(1976 年~ 84 年)―「合理化」と「貿易摩擦」の拡大・深化  当期、71 年 8 月におけるニクソン大統領による「金・ドル交換停止」声明に端を発した変動相 場制への移行(71 年 12 月のスミソニアン合意で、1ドル= 308 円、73 年 12 月には 1 ドル= 264 円)、 2度にわたる原油価格の急騰(73 年、79 年)によって、世界の主要な資本主義国は大きな動転を 余儀なくされた。そのなかで、日本経済は「高度成長期」に比べれば大きく成長率を低下させた とはいえ、欧米諸国を上回る成長率を達成した。こうしたなか、日本の金属・機械産業は、世界 的な省エネルギー・省力化の潮流のなかで、「マイクロ・エレクトロニクス機器」の導入や労働者 削減を基軸とした厳しい「合理化」を実施することによって生産能力の増大・輸出競争力の強化 を実現し、結果として欧米諸国との間に激しい「貿易摩擦」を発生させることとなった。  この間の変化を、製造業に限定して検討しておくこととする。(表 3)によれば、73 年~ 83 年 の間には次のような変化があった。  まず、事業所数についていえば、製造業合計で 73 年の 71 万から 83 年には 78 万とピークに達 し、以後急激な減少過程に突入してゆくこととなる。各産業毎にみても、一般機械と電気機械のピー クは 90 年であるが、他の金属・機械部門のピークは 83 年であり、食料品、繊維工業では 73 年で ある。すなわち、製造業についていえば、かつての新規開業の典型的なパターン(中小・零細企 業の労働現場に 10 ~ 20 年間従事し、一定の熟練労働と少額の賃金を蓄え、受注確保が可能な人 間関係のなかで新規開業し、企業主や家族の長時間労働を出発点として成長を目途とする)の形 成が、当期以降困難となっていったことの現れといえるであろうし(くしくも、84・85 年頃から日 本の大規模企業の欧米での海外現地生産が本格化する)、事業所数の増大を日本製造業の一種の

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“成長性”とするなら、その限界は既に 80 年代前半に存在していたこととなる。  次に、従業者数についてみることとする。(表 1)にみられるように、他産業部門をも含めて全 体の就業者数は、90 年代以降も増加傾向にあるが、製造業ではそれとは異なった様相を呈している。 (表 3)によれば製造業従業者数は、73 年の 1,196 万人から 83 年には、1,135 万人へ 61 万人の減少(▲ 5.1%)をみせている。この点は、金属・機械部門に限定しても、550 万人から 543 万人へと▲ 1.2% であるが減少をみせているのであって、鉄鋼業(▲ 22.2%)、非鉄金属(▲ 18.4%)などの減少を、 電気機械の増大(17.6%増)で、辛うじて埋め合わせる結果となっている。また、繊維工業も 117 万人から 77 万人へと 40 万人の減少(▲ 34.2%)である。ただし、当期におけるこれら製造業従 業者数の減少も、90 年代以降の大幅減少や不安定就労者の急増に比較すれば、日本経済に与える 影響は“軽微”であったともいえよう。  ここで、当期に発生・拡大・深化した金属・機械産業における「貿易摩擦」に触れておくこと とする(30)。当期、鉄鋼業(60 年代後半から対米輸出規制を実施していたが、80 年代に拡大・深化)、 工作機械(78 年対米最低輸出価格規制、86 年対米輸出台数規制)、自動車(81 年から対米乗用車 輸出台数規制)、テレビ(77 年から 3 年間、カラーテレビの対米輸出台数規制)などにおいても、「貿 易摩擦」の結果として対米、対ヨーロッパ諸国への様々な輸出規制が実施された。対米「貿易摩擦」 についていえば、その基本的構図は、後発でありながら国内需要を遥かに超える大きな生産能力 と強い輸出競争力を保有した日本企業と、本来“日本に負けるはずがない”と考えていたアメリカ 企業が対峙するとともに、アメリカの内需の増大や日本の内需低落が、日本の対米輸出の増大に 帰結するという連繋が形成されており、個別企業間のダンピング・特許権侵害をめぐる摩擦を出 発点に、最後は政府間交渉を中心とした日本の輸出数量規制・対米現地生産の開始に至るという 結末で、いわば「曖昧」決着しているのである。その意味で、当期過剰生産能力を処理せざるを 得ない日本の金属・機械産業の対米依存が決定的なものとなったし、アメリカ企業に付与された はずであった日本の輸出規制による「立ち直り」の時間と契機は、ゼネラルモータースの破綻にみ られるように、そのものとして機能しなかったのである。 3.「バブル経済期」(1985 年~ 92 年)―その発生と崩壊  85 年以降、日本経済においては、いわゆる「プラザ合意」を契機とする円相場の高騰とともに、 円の国際的地位の上昇や大規模企業を中心とした直接金融割合の増加という金融構造の変化が進 展した。一方で、前期にみられたような個別企業・個別産業次元の「貿易摩擦」を超えて、アメ リカ側から日本に突きつけられた金融の自由化要請や、MOSS(個別分野)協議(85 年開始)、日 米構造協議(89 年)など、いわばアメリカの政治的圧力による内需拡大要求がなされ、それらに 応じる形で 86 年・87 年には円高対策をも念頭に金融緩和策が実施された。そうした金融構造の 変化や金融緩和策は、結果として、投資対象となる新生産部門の欠除や原油価格の一時的な下落 もあって、国内に膨大な余剰資金を発生させた。そして、それらのいわば“行き場”を失った余 剰資金は投機的資金として国内外の株式・土地などの購入に向かい、日本にいわゆる「バブル経済」

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を発生させたのであった(31)  このため、金属・機械産業においても 88 年~ 90 年にかけては内需が増大し、輸出比率の一定 の下落がみられたが、逆に資産価格の上昇を前提とした設備投資の増大もみられ、「バブル経済」 崩壊後の需給ギャップの拡大にも帰結したのである。また、この時期、対米輸出の数量規制が終 了(自動車 94 年 3 月、工作機械 93 年 12 月、ただし鉄鋼業では個別品目ごとに「貿易摩擦」が続 く)する一方で、数量規制の実質的突破を目途したり、アメリカ政府・企業の要請を受ける中で、 機械産業を中心に対米現地生産や企業間連携(合併・技術供与)などが本格化することとなった(32)  ここで、「高度成長」が終焉した 73 年と「バブル経済期」のピークであった 90 年との比較によっ て、この間の産業部門構成の変化を検討してみることとする。 イ) 国内純生産  国内純生産については、(表 1)にみられるように価格表示では 73 年の 103 兆円から 90 年には 381 兆円へと 3.7 倍の伸びをみせたが、産業部門構成においては次のような変化がみられた。 ① 「高度成長期」から一転して、製造業の低落基調が明確になったことである。すなわち、製造業 の占める割合は、73 年の 33.3%から 90 年の 27.0%へ 6.3 ポイントの減少をみせている。この 90 年における 27.0%という構成比は「高度成長」の出発点 55 年をも下回る値である。製造業の部 門構成では、繊維工業の継続的な低落と金属産業部門の低下傾向を読み取ることができる。また、 農林水産業も、73 年の 5.6%から 90 年の 2.3%へさらに構成比を低めている。 ③ 逆に、この間構成比を高めたのは、サービス業(73 年の 10.0%から 90 年の 14.5%へ 4.5 ポイン ト増)と「バブル経済」を反映して 90 年にピークを記録した建設業(73 年の 8.5%から 90 年に は 10.4%)への増大が顕著であった。 ロ) 事業所数  事業所数については、72 年から 91 年の間に次のような変化がみられた。 ① 総数としては、(表 2)に示されるように 72 年の 520 万から 91 年の 669 万へ 149 万の増加(28.6% 増)がみられたが、大きく増加したのはサービス業(増加数 57 万、49.1%増)、飲食店(同 34 万、 66.4%増)、不動産業(同 13 万、84.4%増)である。また、製造業については 72 年の 79 万から 91 年の 86 万へ 6.6 万の増加(8.3%増)、卸売・小売業では 72 年の 198 万から 91 年の 208 万へ 10 万の増加(4.8% 増)が各々見られるが、両部門とも増加したのは 73 年~ 81 年にかけてであっ て、81 ~ 91 年では減少過程に突入しているのである。 ② 従って、構成比の変化としては、サービス業(72 年の 22.1% から 91 年の 25.6% へ 3.5 ポイント増)、 飲食店(同 2.9 ポイント増)、不動産業(1.3 ポイント増)が各々増加し、卸売・小売業の大幅低 落(38.1% から 31.1% へ 7 ポイント減)と製造業の低落(15.2% から 12.8% へ 2.4 ポイント減)し たことによって特徴付けられている。 ③ この時期、金属・機械部門のなかでも、金属 3 部門の停滞傾向と精密機械を除く機械 3 部門の 相対的な上昇傾向が明確化したことである。すなわち、(表 3)によれば、83 年~ 90 年の間に 事業所数が増大したのは、一般機械と電気機械のみであるし、従業者数が増大したのは精密機

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械を除く機械 3 部門と金属製品のみであり、鉄鋼・非鉄金属部門では製造業全体の減少をも上 回る減少(鉄鋼の事業所数、鉄鋼・非鉄金属の従業者数、製造品出荷額における低い伸び率) を記録しているのである。 ハ) 就業者数  就業者数については、(表 1)にみられるように、合計で 73 年の 5,635 万人から 90 年の 6,427 万 人へ 792 万人の増加(14.0% 増)するなかで、次のような変化がみられた。 ① 製造業合計では、73 年の 1,522 万人から 90 年でも 1,524 万人にとどまり、90 年の構成比におい て 24.0% とサービス業の 20.9% を上回るものの、その停滞傾向が明確になった。とりわけ、同期 間に、繊維工業が 58 万人、金属製品が 12 万人減少している(金属・機械部門の動向は前述の とおりである)。 ② 農林水産業は 73 年の 903 万人から 90 年の 563 万人へと、340 万人減少(▲ 37.7%)と継続的 な大幅減少を記録している。 ③ サービス業は 73 年の 766 万人から 90 年の 1,342 万人へ 576 万人の増加(42.9% 増)をみせ、構 成比においても 13.6% から 20.9% へ 7.3 ポイントの増加をみせた。また、建設業(同期間に 99 万 人増、19.1% 増)、金融・保険業(同 68 万人増、46.6% 増)では、「バブル経済期」の頂点をも反 映して大きく増大しているのである。 ④ 卸売・小売業については、前述のように事業所数としては、大幅な減少をみせているが、就業 者数としては 73 年の 932 万人から 90 年の 1,104 万人へ 172 万人に増加しており(18.5% 増)、中小・ 零細企業の減少と大規模小売企業の雇用者増大を反映している。 4.「長期不況期」(1993 年~ 02 年)  「バブル経済」の崩壊が明確化した後、日本経済は「失われた 10 年」と表現されるように、国 内需要の低落を基底に長期間にわたって低迷することとなった。当期における顕著な特徴は、国 民の消費需要が大幅に低落したことである。例えば、勤労者世帯家計収入は 98 年~ 03 年の 6 年 間にわたって前年を下回り続けたが、そのことは基本的に労働者の大幅削減、完全失業者の増大(00 年 320 万人、02 年 359 万人)、企業倒産の増大(ピーク時 01 年の 19,164 件)の反映である。そして、 この「長期不況」は、金融機関における不良債権処理の長期化やその破綻・再編に典型的に表現 されるように、日本経済自体が「バブル経済期」に実施された金融機関による放漫融資の処理に 追われたことによって、深刻化させられたのである。  このため、金属・機械産業においても、内需の低落のなかでその主要企業は東アジア諸国やア メリカなどへの輸出攻勢を強めざるをえなかったし、競争激化のなかで大規模企業の破綻や企業 合併・再編がみられたのである。と同時に、90 年代後半から東アジア諸国(とりわけ中国)への 生産工程の移転も進展し、中小・零細企業の大幅な減少もみられるなど、いわば「産業の空洞化」 も著しく進展した(33)。その意味で、最大限利潤を求めての個別企業の行動と国民経済との矛盾が 益々深まってきているのである。

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 そして、03 年以降 08 年 9 月のリーマン・ブラザーズの破綻を契機とした世界経済危機突入ま での間は、多くの金属・機械産業において、中国を筆頭とする東アジア諸国やアメリカへの輸出拡 大や海外現地生産を展開しえた大規模企業を基軸として、国内需要が低落するなかで「長期不況」 から「脱却」しえたとされたのである。  ここで、「バブル経済期」のピークであった 90 年と 06 年との比較によって、この間における産 業部門構成の変化を検討してみることとする。 イ) 国内純生産  国内純生産については、概ね前期と同様の傾向であるが、次のような特徴がみられた。 ① 製造業の位置の継続した低落である。(表 1)によれば、同部門は、90 年の 27.0% から 06 年の 22.0% へと 5.0 ポイントの低落をみせた。ここで注目されるのは、90 年~ 06 年の間には、金属 産業のみでなく、構成比を高めて来た一般機械・電気機械部門も構成比を低め、製造業主要産 業のなかでは唯一輸送用機械のみがそれを高めているのである。 ② サービス業の継続した位置の上昇である。同部門は、90 年の 14.5% から 06 年には 20.9% へと、6.4 ポイントの上昇をみせた。その意味で、その質が問われることとなるが日本経済のいわゆる「サー ビス経済化」も定着しつつあるといえよう。 ③ 建設業の 90 年の 10.4% から 06 年の 6.3% への、4.1 ポイントの大幅な低落である。 ロ) 事業所数  事業所数については、(表 2)によれば「長期不況期」を挟む 91 年~ 06 年の間に、次のような 大きな変化がみられた。 ① 非農林水産業合計で、91 年の 669 万から 06 年の 585 万へ 84 万の減少(▲ 12.6%)がみられる なかで、増加したのはサービス業〔91 年の 171 万から、211 万(表 2)の新分類と洗濯・理容 等をプラスしたもの)へと、39 万の増加、22.8% 増〕と不動産業である。逆に、同期間に大幅に 減少したのは、製造業(▲ 31 万、▲ 36.0%)、卸売・小売業(▲ 48 万、▲ 22.7%)であり、飲 食店(▲ 13 万、▲ 14.4%)が減少に転じることとなった。 ② 従って、構成比としても、サービス業、不動産業がその位置を高める一方で、製造業(91 年の 12.8% から 06 年の 9.4% へ▲ 3.4 ポイント)、卸売・小売業(同▲ 3.7 ポイント)がそれを低めている。  ここで注目されるのは、やはり製造業における事業所数の減少と、それを招来している新規 開業率の低さであろう。例えば、(表 3)によって、ピーク時 83 年と 05 年という長期スパー ンで比較してみると、製造業合計で 78 万から 47 万へ、22 年間ではあるが 31 万の減少(▲ 39.9%)と高い減少率がみられているのである。この間金属・機械部門合計でも 258,602 から 184,803 へ 28.5% もの減少をみせているのである。ここで、最近の『事業所・企業統計調査報告 書』(総務省編)から(表 5)を示す。06 年現在で存続している事業所のうち、存続事業所:新 規事業所の割合は、合計で 76%:24%であるのに対して、製造業では 86%:14%と新規事業所 の割合が低い。製造業の場合、廃業率(ここでは 01 年 10 月から 06 年 10 月までに廃業した事 業所÷ 01 年に存在した事業所,%)は 30.0% と他の産業部門より特に高い訳ではないし、金属・

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機械部門のそれは産業合計よりもかなり低いともいえる。こうしたなかで、製造業事業所数の 大きな減少が進展しているのである。この事は、国内需要の低迷を基底に、大規模企業による 生産工程の海外移転や製品・部品輸入の増大による国内受注総額の減少、開業当初の設備投資 資金の高額化などの要因のもとで新規開業の困難性が増加する一方で、企業破綻や企業主の高 齢化・後継者難による廃業が進展してきていることの現われである。なお、(表 5)からは、飲 食店・宿泊業における高率の開業・廃業率を伴いながらの減少、情報通信業における高率の開業・ 廃業率も顕著である。 ハ) 就業者数  就業者数について 90 年と 06 年で比較してみると(表 1)のとおりであり、合計では 6,427 万人 から 6,420 万人へとほとんど変化はなかったが(▲ 0.1%)、産業部門別には次のような大きな変化 がみられた。 ① 産業合計では、90 年の 5,880 万人から 06 年の 5,955 万人へ 1.3% の増加をみせたが、製造業は 90 年の 1,542 万人から 06 年の 1,115 万人へ 427 万人もの減少(▲ 27.7%)をみせ、その構成比 も 24.0%から 17.4% へ 6.6 ポイントの下落をみせたことである。とりわけ、繊維(▲ 85 万人)、 電気機械(▲ 80 万人)、一般機械(▲ 42 万人)の減少数が極めて大きい。ここで、重複を含 むが(表 3)によって、製造業従業者数のピークであった 90 年と 05 年とで比較しておくこと とする。合計では 1,175 万人から 855 万人へ 320 万人の減少(▲ 27.7%)がみられ、金属・機 械部門合計でも 587 万人から 448 万人へ 139 万人の減少(▲ 23.7%)がみられている。この間 何とか現状を維持しているのは、輸送用機械と食料品製造業であって、鉄鋼(90 年~ 05 年の 間に▲ 13 万人、▲ 36.7%)、電気機械(同▲ 69 万人、▲ 34.1%)、金属製品(同▲ 21 万人、▲ 23.1%)、一般機械(同▲ 11 万人、▲ 17.8%)でも大きく従業者数を減少させているのである。 90 年頃まで従業者数を増大させてきた機械部門も、輸送用機械を除くと、もはや「雇用吸収力」 を期待することは出来ないということであろうか。 ② 逆に、サービス業が 90 年の 1,342 万人から 06 年の 2,201 万人へ 859 万人と大幅に増大し(61%増)、 構成比においても 34.3%と製造業の約 2 倍にも達したことである。ただし、ここでは省略するが、 問題は広義のサービス業の多くの部門が不安定・低賃金労働者に依拠しての運営を余儀なくさ れているということであろう。 ③ 農林水産業の減少も止まらず、90 年の 563 万人から 06 年の 325 万人へと 238 万人減少し(▲ 42.3%)、構成比としても 5.1%を占めるまでに低落したことである。 ニ) 金属・機械部門における海外生産の動向  前述のように、金属・機械産業であっては、「貿易摩擦」の拡大・深化とともに、80 年代後半か ら欧米諸国において、「貿易摩擦」の回避と現地市場確保を主要な目標として海外現地生産や外国 企業との提携を展開することとなった。その詳細はここでは省略するが(34)、「長期不況期」にお いて注目されるのは、90 年代後半からの東アジア諸国(とりわけ中国)における現地生産の急増 である。その一端を示すものとして、(表 6)を掲げる。ここでの海外生産比率とは、現地法人売

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上高/現地法人売上高+本社企業売上高,(%)であるが、07 年度においては 19.1%と、90 年代 の 10%から徐々に高まってきたことを示している。とりわけ、輸送用機械では 42.0%(ちなみに、 08 年における日本企業の 4 輪車生産台数は、国内が 1,156 万台であったのに対して、海外現地生 産は 1,165 万台と国内生産台数を上回った)、電気機械から分離された情報通信機械(通信機械、 電子計算機、電子部品、デバイス)では 32.2%に達している。また、07 年度において海外現地法 人従業者数は 475 万人であるが、製造業で 395 万人(全体の 83.2%)が占められ、製造業のなか では輸送用機械 120 万人、情報通信機械 99 万人に特化しているのである。さらに、製造業 395 万 人うち 337 万人(85.3%)はアジア地域(とりわけ中国で、現地生産企業従業者数は 98 年の 47 万 人から 07 年には 161 万人へ増大)に特化しているのである。こうした傾向は(表 6)にみられる ように 90 年代から徐々に進行してきたのであるが、高炉による粗鋼生産の海外進出がいまだ実現 していない鉄鋼産業を含めて、金属・機械産業の海外現地生産が今後も進展してゆくことが予測 され、日本産業の「空洞化」がさらに進展することが危惧される。

おわりに

 戦後「高度成長期」から日本経済におけるリーディング・インダストリーとして、その再生産= 循環を主導としてきた金属・機械産業も、今日では期間工・派遣労働者に依拠する度合いを強め たり、低賃金労働者の利用を基軸としたコスト削減や現地市場確保を目途として海外現地生産を 増大させてきている。また、前述のように日本国内の事業所数・従業者数・生産額などにおいて金属・ 機械部門を中心とする製造業はその位置を低め、サービス業がその位置を高めてきている。しか しながら、国民の安心・安全な生活という視点から充実が望まれる広義のサービス産業は、小売業・ 飲食店などと共に女性パートタイマー、派遣労働者、契約社員など低賃金不安定就労者数を増大 させ、また、それらの人々に依拠せざるを得ない側面が強い。その意味で、大きな生産能力と強 力な輸出競争力、そして熟練労働に裏付けられた高い技術水準を保有する金属・機械産業は、唯 一国際競争力があり、また貿易黒字・投資収益に貢献する産業として、一国経済の自立・安定的 な構成にとって大きな役割を果たすことが求められているといえる。 (1) 2002 年に、電気機械部門が分割されるなど日本標準産業分類の変更がなされたが、検討対象が長期間に亘る 本稿では基本的に旧分類に基づくこととする。 (2) 『山田盛太郎著作集第 5 巻』(岩波書店,84 年),39 頁。 (3) 同上書,56 頁。 (4)、(5) 同上書,57 頁。 (6) 同上書,26 頁。 (7) ただし、用語としては、「その後 6 年にして金・ドル交換停止(46 年,1971 年 8 月)によって IMF 体制それ 自体の崩壊が告知された」(同上書 58 頁)との文言もみられている。 (8) この点については、山田盛太郎氏の理論・研究実績を詳細に検討されている沢田幸治『再生産と現状分析』(白 桃書房,99 年),70 頁を参照のこと。なお、山田氏の理論・研究実績については、小林賢齊『資本主義構造論』 (日本評論社,01 年),同「故山田盛太郎先生の学問業績」(『土地制度史学』93 号,81 年)が詳しい。

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(9) 代表的文献は、「戦後重化工業の歴史的地位―旧軍封構成および戦後=「冷戦」体制との連繋―」(『新マルク ス経済学講座』5 巻,有斐閣,75 年)である。 (10) 二瓶氏のこの点に関する論稿は多数に及ぶが、代表的な文献は、「日本資本主義の戦後再編と危機の進行―格 差=構造的過剰のメカニズムを中心として―」(『土地制度史学』41 号,68 年)、「戦後日本資本主義の構造的 危機把握のために」(『社会科学年報』第 10 号,76 年)、「戦後日本資本主義の諸画期」(『講座今日の日本資本 主義』2 巻,大月書店,81 年)である。 (11) 代表的な文献は、「『日本資本主義分析』の軌跡」(『土地制度史学』94 号,82 年)、「『再生産論』と資本主義分 析」(『経済科学通信』32 号,81 年)である。 (12) 例えば、大内力『日本経済論(上)』(東京大学出版会,62 年)、山崎隆三編『両大戦間期の日本資本主義上巻』(大 月書店,78 年)、山本義彦『戦間期日本資本主義と経済政策』(柏書房,89 年)、同『近代日本資本主義史研究』 (ミネルヴァ書房,02 年)などである。 (13)、(14)大島雄一、前掲「『再生産論』と資本主義分析」73 頁。 (15) 中村静治『現代資本主義論争』(青木書店,81 年)57 頁。 (16) 同上書,31 頁。 (17) この点については、前掲沢田幸治『再生産論と現状分析』,22 頁を参照のこと。 (18) 大石嘉一郎『日本資本主義史論』(東京大学出版会,99 年),335 頁。 (19) 吉田三千雄『戦後日本工作機械工業の構造分析』(未来社,86 年),21 ~ 27 頁を参照されたい。 (20) 二瓶氏前掲、「戦後日本資本主義の構造的危機把握のために」,9 頁。 (21)~(23)「二瓶敏教授に聞く」(『専修大学社会科学研究所月報』,456 号,01 年),40 頁。 (24) 同上誌,42 頁。なお、二瓶氏は、大石嘉一郎氏による「戦後段階における日本資本主義に特殊な『戦後重化 学工業段段』を、1965 年- 70 年に設定」(大石氏,前掲書 334 頁)したという山田理解を、「誤認」であると している。 (25) 小林賢齊「戦後日本資本主義の歴史的位置」(土地制度史学会編『資本と土地所有』,農林統計協会,79 年),287 頁。 (26) 鍋島力也「日本鉄鋼業の戦後段階―断章」(『社会科学年報』第 10 号,76 年),66 頁。なお、鍋島氏の見解に ついては、「日本資本主義における『戦後重化学工業段階(1965 - 70)』」(『土地制度史学』,60 号,73 年)を も参照のこと。 (27) 前掲,「二瓶敏教授に聞く」,42 頁。 (28)この点については多くの文献が存在するが、差し当り以下の文献を参照のこと。『日本資本主義の展開過程』(大 月書店,81 年),井村喜代子『現代日本経済論』(有斐閣,93 年),産業構造研究会編『現代日本産業の構造と 動態』(新日本出版社,00 年),長島誠一『戦後の日本資本主義』(桜井書店,01 年)。  なお、本稿において、〔Ⅱ〕については日本経済・日本産業についての実証的な検討を行っているので、用 語上日本資本主義を日本経済と称している。 (29) ここで事業所とは、「経済活動が、単一の経営主体のもとで一定の場所(一区画)を占めて行われていること」, 「物の生産や販売,サービスの提供が、従業者と設備を有して、継続的に行われていること」(総務省統計局、『06 年事業所・企業統計調査』用語の解説)とされているが、いわゆる「SOHO 事業所」が増大していると推察さ れている今日、この調査は実態と乖離しているのでないかとの疑問も出されている(松田修一「日本の新規事 業の開業率は急激に上向いているのではないか」,『JAPAN VENTURE REVIEW』No.8,06 年)。 (30) いわゆる「貿易摩擦」の具体的な展開過程については、前掲『現代日本産業の構造と動態』267 頁,342 頁, 465 頁を参照されたい。 (31) 「バブル経済」の発生と崩壊については、松村岐夫・奥野正寛編『平成バブルの研究上・下』(東洋経済新報社, 02 年)および田中隆之『現代日本経済』(日本評論社,02 年)が実証的な検討を行っている。 (32) この点の詳細については、前掲『現代日本産業の構造と動態』,および吉田三千雄・藤田実編『日本産業の構 造転換と企業』(新日本出版社,05 年)を参照されたい。 (33) 「産業の空洞化」問題については、拙稿「『産業の空洞化』と中小・零細企業の発展方向」(『経済』04 年 8 月号)、 および前掲『日本産業の構造転換と企業』85 頁を参照されたい。 (34) この点については、前掲『現代日本産業の構造と動態』および『日本産業の構造転換と企業』を参照されたい。

参照

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