『
宗
門
統
要
集
』の
書
誌
的
研
究
椎
名
宏
雄
一 、 問 題 点韓
国 の 畏 友 、 金 知 見 博 士 か ら 貴 重 な 古 逸 仏 典 の 影 印集
成 、 『韈
難
高麗
仏籍
集 佚 』 の 巨 冊 を 恵与
さ れ た の は 、 一 九 八 六 年 正 月 の こ と で あ っ た 。 ま っ さ き に 『 祖 源 通録
撮 要 』 の ぺ ー ジ を 開 く と 、 巻 首 に 『 宗 門 統 要 集 』 が 引 か れ て い る の を み て驚
い た 。 こ の 『 撮 要 』 は 、 か の 『 景 徳 伝 燈 録 』 の 撰者
と し て 異 説 の ? ) あ る 西 余 拱 辰 が 、 熙寧
四 年 ( 一 〇 七 一 ) ご ろ に編
し た 『祖
源
通 録 』 二 四 巻 の 撮要
と し て 注 目す
ぺ き テ キ ス ト で あ る 。 『統
要
集
』 の 成 立 は 、 こ れ ま で 一 二 世 紀初
め ご ろ と さ れ て い る 。 と す れ ば 、 一 一 世 紀 に 成 っ た 『 通 録 』 が そ れ を な ぜ 引 い て い る の だ ろ う か 、 と い う 単純
な 疑 問 を い だ い た か ら で あ っ た 。 と こ ろ が 、 よ く み る と 、 『 祖 源 通 録 撮 要 』 の 中 に は 、 『統
要
集 』 か ら の 引 文 が巻
末 に も あ り 、 ま た 、 西 天 祖 師 の 章 の 全文
駒 澤 大 學 佛 敏 學 部 論 集 第 十 八 號 昭 和 六 十 二 年 十 月 は 、 『 伝 燈 録 』 に よ る 引文
で あ る 。 と り わ け 、第
二 七 祖般
若
多 羅章
の 末 尾 に は 、 「 此 下多
出 祖 源 通 録 」 と み え る 。 つ ま り 、 本 書 は 全体
が 『 祖 源 通 録 』 か ら の 撮 要 な の で は な く 、 主 要 部 分 の み を据
掠 し 、 前後
は 『 伝 燈録
』 や 『 統 要 集 』 の引
文 で構
成 さ れ て い る の で あ る 。 わ れ わ れ は 、 い た ず ら に 「 撮 要 」 の 二 字 に 眩 惑 さ れ て は な ら な い 。 た だ し 、 い ま 、 『 統 要集
』 か ら の引
文 に かぎ
っ て い え ぽ 、 そ の 明 示 さ れ る 巻 数 は 、 宋 版 の 『 統 要 集 』 の そ れ に 一 致 し 、 元 代 に増
補
さ れ た 『 宗門
統 要 続 集 』 の 巻 数 と は 合 致 し な い 。 す な わ ち 、 『撮
要
』 の 編者
は 、 朝 鮮 初 期 と い う 時 代 に お い て 、 珍 し い 『 祖 源 通 録 』 を 依 用 す る の み な ら ず 、 宋 槧 本 の 『 統 要 集 』 を も み て い た の で あ る 。 禅 門 の 代 表 的 公 案 と そ の 拈 古 の 集 成書
、 『 宗 門 統 要 集 』 一 〇 巻 は 、 そ の 文 献 的 性 格 の ゆ え に 、宋
代 を 通 じ て す こ ぶ る禅
侶 に愛
好 さ れ 、 い く た び も 開 版 を 重 ね た 禅 籍 で あ っ た 。 し た 二 九 九NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) が っ て 、 宋 元
代
の 大 蔵 経 に は 入 蔵 こ そ さ れ な か っ た も の の 、 該 書 は た ん に 便 利 な 公 案集
と し て の み な らず
、 権威
あ る禅
の 古 典 と し て 、 当 代 の禅
界 で お お い に 重 用 さ れ た の で あ る 。 ( 2 ) す で に 柳 田 聖 山 氏 に よ っ て 指 摘 さ れ る よ う に、福
州 版 大 蔵 経 の 要 文 類 を 集 録 す る 陳実
の 『 大 蔵 一 覧集
』 ( 一 一 五 七 序 ) が 、 『 景 徳 伝 燈 録 』 や 『禅
林
僧 宝 伝 』 と と も に 『 統 要 集 』 を 多 く引
く の は 、 当 時 こ の書
が 入 蔵書
と 同 等 の扱
い を 受 け て い た 証 左 で あ る 。 ま た 、 石 井 修 道 氏 に よ っ て解
明 さ れ て い る よ う に、 『 宗 門 聯 燈 会 要 』 (=
八 三 ) 三 〇 巻 や 『 宗門
会 要 』 ( 南 宋 初 期 の 成 立 で 逸 書 ) な ど の 公 案集
成 の 書 は 、 い ず れ も 『 統要
集 』 を ( 3 ) 根 本 資 料 と し て お り 、 ま た 、 わ が 道 元 の 『 正 法 眼 蔵 』 の 撰 述 に 重 要 な か か わ り を も つ と い う 真 字 『 正 法 眼 蔵 』 三 〇 〇 則 の ( 4 )典
拠 も 、 ま た 『 統 要集
』 か ら の も の が 多 い こ と な ど 、 い ず れ も 注 目 に価
す る 。 中世
は じ め の 東 福 寺 に 、 三 本 の 本 書 が 所 蔵 ( 5 ) さ れ て い た事
実
も 、 つ と に 知 ら れ る と こ ろ で あ る 。 さ き の 『 祖 源 通 録 撮要
』 や 、 清 代 の 『 列 祖提
綱録
』 や 『 宗 門 拈 古 彙 ( 6 )集
』 な ど へ の影
響
は、 す で に 本 書 の 古 典 と し て の 権 威 を 示 す も の で あ っ た 。 こ の よ う に 、 本 書 は 、 成 立 直 後 の 宋 代 禅 界 と 、 当 時 の禅
を 将 来 し た わ が中
世初
期 の 禅林
に 対 し て 、 予 想 以 上 に 大 き な 影 響 を 与 え て い る の で あ る 。 し た が っ て 、潘
話
禅
の 全貌
を 解 明 す る た め に は 、 基礎
的 な 作 業 の 一 つ と し て 、 本 書 の 文 献 的 思 三 〇 〇 想 的 究 明 は 、 す こ ぶ る重
要 で あ る 。 と こ ろ が 、 現 在 } 般 に み ら れ る テ キ ス ト は 、 元 代 に増
補 さ れ た 『 宗 門 統 要 続集
』 二 二 巻 の系
統
で あ っ て 、決
し て も と の ま ま で は な い 。 明 蔵 本 ( 万 暦 蔵 本 ) を は じ め 、 わ が 黄 檗 蔵 本 ・ 縮 蔵 本 ・ 卍 蔵 本 な ど の流
布 本 系 の テ キ ス ト は 、 い ず れ も こ の 二 二 巻 の 『 続 集 』 で あ っ て 、 増補
と 明 示 さ れ る 部 分 だ け を 区 別 し て も 、 到底
宋 代 の 原 型 に は 復 し え な い し 、 ま た 、 宋 代 の 成 立 や 刊 行 の実
情 を 知 る こ と は で き な い の で あ る 。 こ ん に ち 、 『 統 要 集 』 の 宋 版 は 、 大 陸 に お け る所
在
を 知 ら な い 。 あ る い は 、 す で に 所 伝 を 断 っ て い る の か も し れ な い 。 と こ ろ が 、 本 邦 に は 、 さ い わ い に も 、 京 都 東 福寺
・ 叡 山 文庫
・ 東 洋 文庫
・ 大 東 急 文 庫 ・ 内閣
文庫
な ど に 、 宋 元版
の 現存
が 知 ら れ て い る 。 し か し 、 こ れ ら の 中 で は 、 国 の 重 文 に 指 定 さ れ て い る 東 福 寺 本 が も っ と も 有 名 であ
る が 、 そ の 研 究 は 、 わ ず か に 長 沢 規 ( 7 ) 矩 也 氏 に よ る 刻 工 の 調査
報告
が あ る の み で あ る 。 ま た 、 大 東 急 文庫
の 零 本 に つ い て も 、 近 年 ま で は簡
単 な 紹 介 が な さ れ る だ け で あ っ た 。 内 閣 文庫
本 は 古 く か ら 目 録 で 知 ら れ な が ら 、 こ れ を研
究 し た も の を知
ら ぬ 。 他 の 所 蔵 本 に つ い て も 、 近 年 ま で は何
の 紹 介 も み な い 。 本 書 の 地 位 が 前 述 の よ う で あ る だ け に 、 お よ そ 禅籍
研 究 の 立 場 か ら の 調 査 報告
や 紹 介 が 近 年 ま で 皆 無 と い う 状 態 は 、古
版 類 の閲
覧
が 容 易 で な か っ た こ と に N工 工一Eleotronlo Llbraryも よ る が 、
禅
界
に お け る古
版
禅籍
に 対 す る テ キ ス ト研
究 の お く れ を 、 如実
に 象徴
す る も の で あ っ た 。 こ う し た状
況 に あ っ て 、 は じ め て 東洋
文
庫
本 の 宋 版 テ キ ス ト に 本 格 的 な メ ス を 入 れ た の が 、 や は り柳
田 聖 山 氏 と 石井
修 道 氏 で あ っ た 。 両 氏 に よ る 調 査 報 告 は 、 昭 和 四 八 年 の ほ ぼ 同 ( 8 ) 時 期 に 別 個 に 公 表 さ れ た が 、 と も に 本書
に 対 す る 本 格 的 研究
の第
}歩
と し て 銘 記 さ れ な け れ ば な ら な い 。 と く に 石 井 氏 の そ れ は 、 本 書 に み え る 本 則 と 拈 提宗
師 の す べ て に つ い て 、 本 書 と 『宗
門 聯 燈 会 要 』 の 典 拠 を つ ぶ さ に 比 較 検討
し た 労作
を含
む 論攷
で あ り 、 本 書 が 『 聯燈
会 要 』 の 成 立 に お よ ぼ し た 影響
の 大 き さ を 実 証 的 に 解 明 さ れ た 功 績 は 大 で あ る 。柳
田 氏 の調
査
報 告 も ま た 、 本 書 の い だ く 基 礎 的 な諸
問 題 に 対 し て 、鋭
い 洞 察 を 与 え た 、簡
に し て 要 を つ く す 論 攷 で あ っ た 。 こ れ ら 両 氏 の 論 文 に よ り 、 『 統 要 集 』 の 宋 版 が い か な る 形態
で あ る か に つ い て は 、 ほ ぼ 明 ら か と な っ た 。 し か し、 本 書 の 撰 者 、 宗 永 の伝
や そ の 編 集 事 情 と 年 時 、宋
元代
に お け る 刊行
の 実 状 、 な ど に関
し て は 、 資 料 不 足 の た め に 、 依 然 と し て 不 明 な 要 素 が 少 な く な い 、 と い う う ら み を の こ し て い た 。 こ う し た状
況 の も と で、 筆 者 は 東 洋 文 庫 本 を 閲覧
し 、 こ の テ キ ス ト が 、 こ れ ま で 断 片 的 な 紹 介 が な さ れ て い る東
福寺
本 と 、 ま っ た く 同 一 版 で あ る と い う 確 信 を え る こ と が で き た 。 そ の後
、 大 東 急 文 庫 本 を み て 、 こ れ は 容 易 な ら ぬ 書 と の 印象
『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) を う け た の に ひ き つ づ き 、内
閣
文
庫
所 蔵 の 元 版 『 続集
』 を 調査
し た と こ ろ 、 こ の テ キ ス ト に は 意 外 に も 、 『統
要 集 』 の編
集 や初
刊 に 関 す る 記 事 が 存 在 し 、 ま た 、 『 続 集 』 の編
成 当 初 に お け る 巻 次構
成 が遺
存 さ れ る な ど 、 ま さ に貴
重 な 古 刊 本 で ( 9 )あ
る こ と が 判 明 し た の で あ る 。 そ の概
要 は す で に 公 に し た が、紙
幅 の 制 限 に よ り 、意
を つ く せ な い の が 気 が か り で あ っ た 。 と ま れ 、 こ の 内 閣 文庫
本 の存
在
は 、 古 刊 禅 籍 に対
す る 文献
研 究 の 重 要 性 を 、 ま のあ
た り に教
え て く れ る 好 例 で あ っ た 。 さ ら に 一 層 そ の感
を 強 く し た の は 、 最 近 、 叡 山 文 庫 に所
蔵
さ れ る 宋 版 の 調 査 に よ っ て で あ る 。該
書 は 東 洋 文庫
本 と は 別 の宋
版
で あ り 、 し か も 、 こ れ ま た 新 出 の 諸 記 事 に よ っ て 、 本 書 の宋
代 に お け る 刊 行 状 況 が 、驚
く ほ ど 頻 繁 で あ っ た 事情
が 判 明 し た か ら で あ る 。 か く し て 、 現存
が 知 ら れ る す べ て の 宋 元 版 を調
査 で き た い ま 、 本 書 の 書 誌 に 関す
る 総 合 的 な 再 検 討 と 、 そ の 報 告 を 行 う 義務
を 感ず
る 。 本稿
に お い て は 、 あ ら た め て 各 版 を 成 立 順 に と り あ げ 、 そ こ に存
す
る資
料 を紹
介
し な が ら 、本
書 の 成 立 、 諸版
の 刊行
、 そ れ ら の系
統 、 な ど の 書 誌 に 関 す る 総 合 的 な 整 理 を意
図す
る も の であ
る 。 二 、 前集
の 東洋
文 庫 本 ・ 東 福 寺 本 こ こ に い う 「 前 集 」 と は 、 『宗
門
統 要 続集
』 に 対 す る 、 『宗
三 〇 一NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 門
統
要 集 』 の 便 宜 的 な 呼称
で あ る 。 前 集 の 東 洋 文庫
本 ( 以 下、 東 洋 本 ) に つ い て の書
誌的
な 紹 介 は 、 す で に柳
田 ・ 石 井 両 氏 の 論 文 にく
わ し い 。 し た が っ て 、 こ こ で は で き る だ け 重 複 を さ け 、 お も に 両 氏 の ふ れ な い 部 分 や 問題
点 を 中 心 に 、 の べ る こ と と し た い 。 東 洋 本 は 、 全 一 〇 巻 一 〇 冊 の 小 型 本 で 、 南 宋期
の 淳 煕 六年
( 一 一 七 九 ) 五 月 の 跋 を有
す る 宋 版 で あ る 。 完 本 に ち か く 、 明 ら か な 欠 丁 は 、 巻 四 の 第 五 紙裏
の 半葉
の み で あ る 。補
写 は な い も の の 、 全 体 に文
字 の 磨滅
が み ら れ 、 か な り の 後 刷 本 で あ る 。 匡郭
は 左 右 双 辺 、 有 界 、 版 式 は 毎 半葉
一 〇 行 、 一 行 二 〇 字 、 と な っ て い る 。 各 冊 の 中 間 あ た り に 、 「 普門
院 」 の 蔵 書 印 が 捺 さ れ て い る 。 こ の 特 徴 あ る字
形 の 蔵 書 印 は 、 京 都東
福
寺 の 所 蔵 に か か る 宋 ( 10 ) ( 11 ) 版 『 太 平御
覧 』 ( 国 宝 ) 、宋
代
写 『 径 山 仏 鑑禅
師行
状
』 、 宋版
( 12 ) 『 四 明 十義
書 』 ( 共 に 重 文 ) 、 な ど に 捺 さ れ て い る 印 と 同 じ と み ら れ る か ら 、 東 洋 本 は も と 東福
寺 普 門 院 の 所 蔵 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 と こ ろ で 、 東 洋 本 全体
の構
成 は 、 つ ぎ の と お り で あ る 。1
鄭
謳
の序
、234
紹 興 五年
総
目録
( 全 巻 の 簡 目 ) 目録
( 各 巻 の 巻 首 、 巻 別 細 目 ) 本文
( 巻 一 〜 一 〇 ) 三 〇 二5
皇 子
魏
王 の 跋 、淳
熈 六年
右
の う ち 、1
は紹
興 五 年 (=
三 五 ) に 、思
鑒 禅 人 が 四 明 で 『 統 要 集 』 を 重 刊 し た と き の序
文
で あ り 、5
は さ ら に こ れ を淳
煕 六 年 ( 一 一 七 九 ) に 重 開 し た 際 の 跋 文 であ
る 。 こ れ ら の 二文
は 、 他 の い ず れ の 現 存 テ キ ス ト に も 文 献 中 に も み ら れ ず 、 本版
の み に 存 す る唯
一 の 貴 重 資料
で あ る か ら 、 以 下 、 つ づ い て 掲 載 し て お こ う 。 統 要 序 達 磨 不 西 来 、 東 土 未 嘗 欠 少 。 若 日 教 外 別 伝 、 端 是 強 生 節 目、 不 立 文 字 、 文 采 已 彰 、 直 指 人 心 、 早 是 迂 曲 了 也、 見 性 成 仏、 抛 沙 撒 土 。 与 麼 説 話 、 若 約 衲 僧 門 下、 如 隔 靴 抓 癢 相 似 。 何 況 被 人 将 。 他 方 此 土 、 咳 唾 抄 剳 出 来 、 七 花 八 裂 。 更 有 諸 方 不 識 好 悪 老 凍 膿 、 於 註 脚 下 増 添 、 惣 而 号 日 宗 門 統 要 、 去 道 遠 矣 。 然 雖 如 是 、 把 住 也 、 十 方 諸 仏 六 代 祖 師 、 酌 然 無 出 気 分 。 放 一 線 道 、 且 要 錦 上 添 花 。 又 是 干 戈 一 動 、 四 海 塵 昏 、 不 有 征 伐 、 安 能 平 安 哉 。 諸 宗 師 尽 用 上 将 機 謀、 執 口 斬 馘 、 戡 定 禍 乱 、 立 致 昇 平。 然 其 間 世 喩 不 能 及 処 、 多 惧 初 機 、 不 可 亡 言 。 且 如 秉 金 剛 王 宝 剱、 奮 大 自 在 威 、 権 機 輪 転 処 、 千 眼 猶 迷、 諸 天 國 測 。 方 縦 中 有 奪 、 奪 不 収 功 、 殺 裏 有 生、 生 不 受 賞 。 或 縦 奪 逆 施、 殺 活 同 時 、 或 扶 弱 抑 強 、 復 崇 高 復 下 。 或 拠 款 結 案 、 復 就 身 打 劫 、 或 雷 轟 電 掣、 復 綿 袰 秤 鎚、 無 怺 摸 索 処 。 故 日、 大 用 現 前、 不 存 軌 則 。 已 得 者 視 之 、 可 以 陶 冶 性 霊 、 周 旋 機 智 未 領 解 者、 可 以 観 標 認 月 、 得 兎 忘 蹄 。 切 忌 狂 狗 趣 塊 。 上 他 機 境 、 随 語 生 解、 分 別 識 情 、 非 徒 無 益 、 転 更 汨 没 苦 海 、 流 浪 風 塵 、 却 要 做 箇 平 常 無 事 人 、 了 不 可 得。 若 能 将 識 情 解 会 、 弃 擲 静 尽 、 於 非 思 N工 工一Eleotronlo Llbrary量 絶 分 別 処 、 著 些 精 彩、 覿 得 破 截 断 意 根、 倒 転 舌 頭 、 天 下 老 和 尚、 不 奈 僚 何 。 非 惟 自 利、 堪 与 人 天 為 師、 然 後 知 宗 門 統 要、 功 不 浪 施 。 噫 此 是 甚 麼 人 行 履 処 、 豈 可 容 易 ト 度 、 便 能 成 辧 。 思 鑒 禅 人 、 憫 其 兵 火 之 余、 無 伝 於 世 。 乃 深 懃 懇、 以 結 衆 縁 。 所 冀 、 冷 灰 中 忽 然 豆 暴 、 蹤 出 一 人 半 人、 報 苔 仏 祖 深 思 。 求 叙 於 本 然 居 士 鄭 藹 云 。 紹 興 五 年 十 一 月 三 日 寓 丹 丘 天 寧 六 和 堂 書 清 浄 寂 滅、 釈 之 体 也 。 善 応 無 方、 釈 之 用 也 。 吾 夫 子 之 賛 易 日 、 無 思 也 無 為 也 。 寂 然 不 動 、 感 而 遂 通 天 下 之 故 、 豊 非 能 定 、 然 後 能 応 歟 。 儒 釈 之 教 雖 異、 極 其 理 性 之 妙 、 蓋 亦 殊 塗 而 同 帰。 余 於 内 典 、 嘗 究 心 焉 、 非 談 空 而 廃 務 也 。 以 此 洗 心 滌 慮、 達 於 事 変 焉 耳 。 釈 典 之 伝 於 世、 充 棟 汗 牛 、 而 統 要 之 作 、 撮 其 精 義 。 四 明 所 刊、 歳 久 漫 滅 、 命 工 新 之、 以 寿 其 伝 。 庶 有 補 於 後 学 之 万 一 云 。 淳 熙 六 年 五 月 既 望 皇 子 魏 王 跋 は じ め の
序
文 は 、 本 然 居 士郷
謳 が 、 丹 丘 ( 台 州 寧 海 県 ) の 天寧
寺
六 和 堂 で 、 思 鑒禅
人 の た め に 書 い た も の で あ る 。 思鑒
禅人
も 鄭 謳 も 、遺
憾 な が ら 、 く わ し い こ と は わ か ら な い 。 た だ し 、 前 者 は延
祐
三年
(;
= 六 ) 刊 行 の 元版
『 景 徳 伝 燈録
』 に付
録 さ れ る 宏智
正 覚 の 疏 と 、 台 州 軍 州 事劉
乗 の後
序
と に よ っ て 、 ほ ぼ 同 期 の紹
興 四年
ご ろ に 、 こ れ ま た 四 明 で 『 伝 燈 録 』 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) を 重 刊 し た 人 で あ る こ と が 知 ら れ る 。 東 洋 本 の テ キ ス ト は 、 こ の 四 明 本 の 『 統 要 集 』 を、淳
熙
六 年 に 魏 王 の 跋 を 付 し て 改 刻 し た際
の プ リ ン ト に ほ か な ら な い が 、 注 目 す べ き こ と は 、 同 じ思
鑒禅
人 に よ る 四 明 本 の 『伝
燈 録 』 が 、 ま た も 同 時 期 に 魏 王 の跋
を え て 開 版 さ れ て い る と い う関
係
で あ る 。 そ れ は 、 筆 者 が か つ て 紹 介 し た 、 駒 沢 大 学 図 書館
所 蔵 の 『 景 徳 伝 燈 抄 録 』 な る 古 写 本 の 巻末
に 、 淳煕
六年
( 13 ) の年
記 を も つ皇
子魏
王 の 跋 文 の概
要
が 付 せ ら れ て い る こ と に よ っ て の み 、 知 ら れ る 史 実 で あ る 。皇
子魏
王 は魏
慧 憲 王 と も 称 し 、孝
宗 の 子 の趙
榿 (二
四 六 〜 一 一 八 〇 ) の こ と で あ り 、 淳 熙 六年
( 一 一 七 九 ) は 没す
る 前 年 ( 14 ) にあ
た る 。 あ た かも
、 紹 興 五 年 か ら は 半 世 紀 に 近 く 、 す で に 南宋
の都
に ほ ど 近 い 四 明 の あ た り で は 、 宏智
・ 真 歇 ・ 大慧
・ 拙 庵 ・瞎
堂 ・ 密 庵 な ど の 禅 匠 た ち が 五 山 に 歴 住 し 、 五 山 禅林
を 中 心 と す る 禅 界 の最
盛 期 を 迎 え て い た 。 こ う し た 時 期 に 、 こ れ ら の 二 書 が 時 処 を 同 じ く し て 刊 行 さ れ て い る事
実 は 、 五 山 の 界 隈 で は 、 こ れ ら を 禅 籍 の 双 璧 と し て 重 視 し て い た こ と を 示 し て い る 。 と ・ ろ で 、 い ・ た い東
洋 本 は 、補
刻 部 分 を の ぞ い てψ
羆
六年
時
に お け る プ リ ン ト の 、 完 全 な セ ッ ト を 遺 存 し て い る の で あ ろ う か 。 こ の 点 、筆
者 の 見 解 は 否 定 的 で あ る 。 な ん と な れ ば 、 ま ず 第 一 に 、巻
首 の 「 目 録 」 に 記 載 さ れ て い る 「曹
渓 三 〇 三NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 宗 派
直
下 図 」 が 、全
体 の ど こ に も み あ た ら な い か ら で あ り 、第
二 に は 、 そ の 「 目 録 」 に 刻 さ れ る 丁 数 が 不 自 然 だ か ら で あ る 。 第 一 の 点 は 、 次 項 で 紹 介 す る 叡 山 文庫
本 も 同 様 で あ る か ら 、 「曹
渓 宗派
直
下 図 」 な る も の は 、 も と も と 別冊
で あ っ た の か も し れ な い 。 い ず れ に し て も 、 現 存 し な い こ と に 変 り は な い 。 ま た 、第
二 の 点 に 関 し て は 、 東 洋 本 の版
心 に 刻 さ れ る 丁 数 は、 左 記 の と お り と な っ て い る 。1
序
一 ・ 二
2
目 録 二 二 二3
本 文 ( 巻 一 ) 四 〜 四 〇 右 の よ う な 丁数
の 連 続 か ら み る と 、 元来
、 こ の プ リ ン ト に は 、 目 録 の前
にも
う 一 紙 が 存 在 し て い た の で は な い か と 思 わ れ る 。 た だ し 、 こ れ を 前 記 の 「 直 下 図 」 の 丁 数 と み る に は 、あ
ま り に も 少 な い か ら 不 自 然 で あ ろ う 。 こ こ に は 元来
、 別 の記
事 が あ っ た と み ら れ 、 そ れ は 東 福 寺 本 の 調 査 に よ っ て判
明す
る は ず で あ る 。 東 福 寺 本 は 、 周 知 の と お り 、 京 都 東福
寺
に 現存
す る 宋 版 の 五冊
本 で 、 国 の 重 要 文 化 財 に 指 定 さ れ て い る 。貴
重 書 の た め か 、 該 書 の 閲覧
は 困難
で あ る が 、 さ い わ い に も 、 毎 日 新聞
社 刊 の 『 重 要 文 化 財 』 二 一 に は 、 そ の う ち の 四葉
の 写真
が掲
載 三 〇 四 さ れ 、 左 記 の 解題
が 付 さ れ て い る の で 、 そ の 書 誌 的 な 概要
を 知 る こ と が で き る 。 ( 原、 左 横 書 き ) 宋 版 宗 門 統 要 集5
冊 京 都東 福 寺 袋 綴 装 各 卜。 ◎ Q。 × 日
9
。。 § 南 宋 時 代 ( 第5
冊 ) 淳 煕6
年 ( 旨 刈 ) 刊 行 跋 宋、 宗 永 が 古 訓 公 案 等 を 集 録 し た 類 書 で、 本 書 は そ の 南 宋 版 本 。 第5
冊 末 に 皇 子 魏 王 の 写 刻 跋 が あ り 、 そ の 頃 の 雕 版 と 認 め ( 15 ) ら れ る。 版 式 左 右 双 辺 、 半 葉9
行、 版 心 に 刻 工 名 が あ る 。 ま た 、 四葉
の 写 真 と は 、 つ ぎ の 箇 所 で あ る 。 ( 第 一 冊 首 )鄭 誨 の
序
文
末
尾 の 半葉
、 及 び 巻 一 の 巻 首 半葉
( 第 二 冊 尾 )巻 二 の
末
尾 半 葉 ( 第 五 冊 尾 )魏 王 の 跋
文
末 尾 の 見 開 き 部 分 ( 半 葉 二 枚 ) さ て 、 右 の 写 真 を 東 洋 本 と 照 合 す る と 、 両 者 は完
全 に 符 を 合 し 、 同 一 版 で あ る こ と が 判 明 す る 。摺
刷 の 程度
は 、 東 福 寺 本 の ほ う が 概 し て 良 好 な よ う で あ る 。 た だ 、 巻 首 の序
文 に つ づ く 部 分 の 調 巻 に つ い て は 、 写 真 で は 知 る こ と が で き な い 。 ま た 、 右 の解
題 に い う半
葉
9
行 は 、 じ つ は 巻 首 の 序 文 の そ れ で あ り 、 本 文 は 半 葉 一〇
行 で あ っ て 、 東 洋 本 と 全 同 であ
る 。 東 福 寺 本 に つ い て は 、 前 述 の よ う に 、 古 く は 長 沢 氏 に よ る 刻 工 の 調 査 が な さ れ て お り 、 つぎ
の 報 告 が あ る 。 ( △ 印 は 補 刻 ) 宗 門 統 要 集 淳 煕 刊 本 東 福 寺 小 朱 方 祐 王 寔 朱 坦 △ 施 端 洪 昌 △ 陳 顕 楊 N工 工一Eleotronlo Llbrary( 16 ) 昌
董 明
蔡 忠 こ れ ら の 刻 工 名 を 、
東
洋
本
の そ れ と 照 合 す る と 、 す べ て の 名 を み い だす
こ と が で き る 。 と く に 、 補 刻 と さ れ る 洪 昌 ( 巻 一117
. 18 ) と朱
坦 ( 巻 二 ー23
・24
) の 名 が 存在
す
る こ と に 注 目 し た い 。す
な わ ち 、 原刻
の み な ら ず 補 刻 部 分 の 刻 工 名 ま で 】 致 す る事
実
は 、 前 述 の写
真
や 解 題 の吻
合 と 相 ま っ て 、 東福
寺 本 は 調巻
こ そ 異 に す る も の の 、 東 洋 本 と ま っ た く 同 一 の プ リ ン ト であ
る こ と を 立 証 す る も の で あ る 。 ( 17 ) ち な み に 、 右 の 刻 工 名 を 「 宋 刊 本 刻 工 名 表 初 校 」 に よ っ て ( 18 ) 検索
す る と 、紹
興 中 明 州 刊 本 、 お よ び そ の 補 修 版 の 『 文 選 』 六 〇 巻 の 中 に 、 じ つ に 方 祐 ・ 王 寔 ・ 施 端 ・ 楊 昌 ・董
明 ・ 蔡 忠 の 六名
を み い だ す こ と が で き る 。 つ ま り 、淳
熙版
『統
要集
』 の雕
造 に た ず さ わ っ た 刻 工 の 多 く は 、 明 州 で 開 版 さ れ た 『 文 選 』 の 雕 造 に も 従事
し て い た の で あ る 。 し た が っ て 、 開版
地 の 明 記 さ れ な い 淳 煕 版 『統
要
集
』 も、 明 州 ま た は そ の 近 辺 で 開 版 さ れ た も の と み て よ い で あ ろ う 。 さ て 、 そ の淳
煕 六 年 に魏
王 が 書 い た 跋 に よ れ ば 、底
本 の 四 明 本 が 漫 滅 し た の で 新 雕 し た と あ る か ら 、 当 該 の 淳熙
版 は 、す
べ て 新 組 み だ っ た の で あ る 。 に も か か わ ら ず 、 東 洋 本 は 磨滅
が い ち じ る し く 、 東 福寺
本 と 同 じ 補 刻 部 分 を含
む 。 こ の 一致
は 、 本版
が 何度
も版
を か さ ね 、 ま も な く 補 刻 を 余 儀 な く さ れ た こ と 、 つ ま り 、該
書 の需
要 が い か に 多 か っ た か を 如実
に 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 示 す も の で あ る 。 補 刻部
分 を も 共 通 す る 同 一 の 宋 版 プ リ ソ ト が 、 二 本 も 本 邦 に 現 存す
る の は 、 ま さ に 奇 蹟 に ち か い 。 東 洋 本 も 、 も と は 東 福 寺 の 所 蔵 で あ っ た こ と か ら推
せ ぽ 、 元 来 こ の 二 本 は 同 時 に 大 陸 か ら将
来 さ れ た の で は な い であ
ろ う か 。 い っ た い 、 大 道 一 以 が 文 和 二 年 ( = 二 五 三 ) に 書 い た 『 普 門 院 経 論章
疏 語 録 儒 書等
目 録 』 中 に は 、 該 書 が 三 部 も 著 録 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 秋 函 に は 、 ( 19 ) 宗 門 統 要 一 部 五 冊 と あ り 、 ま た 、 同 じ く 珎 函 に は 、 ( 20 ) 宗 門 統 要 二 部 各 五 冊 と み え る の が そ れ で あ る 。 た だ し 、 珎 函 の 記 録 は 一 以 の筆
蹟
( 21 ) で は な く 、 後 人 に よ る追
記 で あ る と い う 。 そ れ は と も か く 、 と も に 五 冊 本 で あ る か ら 、 東 福 寺 の 現 存 本 は こ れ ら の 一 部 で あ ろ う が 、 東 洋 本 と は 一 致 し な い 。 た だ し 、 東 洋 本 は後
代 の改
装
で あ る か ら 、 そ の際
に 五 冊 を 一〇
冊 と し た と も 考 え ら れ る 。 と も あ れ 、 右 の考
察 に よ っ て 、 東福
寺 に は } 四 世 紀 に宋
版
の 『統
要 集 』 が 三 本 以 上 も 伝 わ っ て い た の であ
る 。 も っ て 、 わ が 中 世 の 禅 林 に お け る該
書 へ の 関 心 の 一 端 を う か が う こ と が でぎ
よ う 。 三 〇 五NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 三 、 前 集 の 叡 山 文 庫 本 天 海 大 僧 正 の
蒐
集 書 を 著 録 す る 『 山 門 蔵 本 目 録 』 に よ れ ぽ 、 威 号 の 末 尾 に ( 22 ) 宗 門 統 要 唐 本 十 冊 と 記 載 さ れ 、 ま た、 川 瀬 一 馬 氏 が 『 五 山 版 の 研 究 』 上巻
の 解 説 篇 で 、 か つ て宋
元 版 が 五 山 版 と 誤 認 さ れ て い た 例 の 一 つ と し て 、 ( 23 ) 宗 門 統 要 集 ( 天 海 旧 蔵 、 宋 版 ) を あ げ て い る 。 こ れ ら の 記載
に よ っ て 、 か ね て か ら筆
者 は 、 天海
旧 蔵書
の 多 く を 所蔵
す
る 叡 山 文 庫 に 、 お そ ら く は該
書
の 古版
が 現存
す
る も の と推
察
し て い た 。期
待
に そ ぐ わ ず 、 新装
成
っ た 叡 山 文 庫 の 天海
蔵 に 、 『 宗 門 統要
集 』 の 宋 槧 本 が 現存
し て い た 。 し か も 、 そ れ は東
洋
本 よ り も 古 い別
版
で 、 ま さ し く 天 下 唯 一 版 の 稀 覯 書 で あ っ た 。叡
山 文庫
本
( 以 下 、 叡 山 本 ) に つ い て は 、 従 来 ま っ た く 紹 介 さ れ て い な い と 思 わ れ る の で 、 こ こ に ま ず 書 誌 的 な事
項
を 、 や や く わ し く 記 載 し て お こ う 。 巻 冊一 〇 巻 一 〇 冊
装
訂線
装 袋 綴 表 紙 橙 色 ( 卜o 昏 ゜ 鵠 × 一 虧 巳 O 巳 )題
簽
な し 、 墨書
「 宗門
統 要 一 」 ( 左 上 ) ・ 「 威天 海
版
小 紙 行 匡 心 口質 格 郭
刊補
補朱 朱
書 記写 刻 引
点込
蔵書
印
な お 、 三 〇 六 蔵 」 ( 右 ) 有界
、 左 右 双 辺 ( 一 QQ 隔 O > A 一 目 ◆ 窃 貞 日 ) 毎 半 葉 一 〇行
、 毎 行 二 〇字
や や 厚 手 の 唐 紙 、 部分
的 に 裏 打 墨 書 「 一 」〜
「 十 」 白 口 、 黒 魚 尾 、 「統
要 ( 巻 数 ) 刻 工 名 な し あ り な し あ り ( 別 記 ) あ り ( 別 記 ) 紹 興 丙 寅 各 巻 末 「 道 可 」 ( 朱 印 陽 刻 ) ( 丁 数 ) 」 、 下 部 本 版 に は 、 序 ・ 跋 ・ 刊 記 ・ 刊 語 ・ 勧 縁 刻 記 な ど 、 注 目 す ぺ き 多 く の諸
記 が あ る 一 方 、 か な り の 補 刻 や補
写 の 部 分 が 存 す る な ど 、 書 誌 的 に は複
雑 な 内 容 を も つ テ キ ス ト で あ る 。 各 冊 ご と の 紙 数 と 補 写部
分 と を 示 す と 、 つ ぎ の と お り で あ る 。 第 一 冊42
紙 ( 序 文 か ら 通 し 丁 数 )第
二冊
38
紙
( 全 冊 補 写 )第
一 二 冊53
紙
( 第15
・34
の 二 紙 は 補 写 ) N工 工一Eleotronlo Llbrary第
四 冊第
五 冊 第 六 冊第
七 冊第
八 冊第
九 冊第
十
冊 右 に お い て、 載 さ れ る 内 容 に は わ ず か な 相 違 が あ り 、 写 の 部 分 は 、 第 二 冊 は邦
人 に よ る 中 世 の 筆 蹟 で 一 手 、 の 四紙
は 、 別 の 同 一 者 に よ る筆
蹟
で あ る 。 る 「道
可 」 の 旧 蔵 印 に つ い て は 、 し か し 、補
写 の 状 況 か ら み て 、 で に 本邦
に 将 来 さ れ て い た こ と を 察 せ し め る 。 つ ぎ に 、 叡 山 本 全体
の構
成 内 容 を 順序
に し た が っ て 記 載 す る と 、123456
43
紙 ( 第21
紙 は 補 写 )43
紙44
紙53
紙43
紙
46
紙 ( 巻 首 の 記 か ら 通 し 丁 数 、 第42
紙 は 補 写 )38
紙 ( 本 文36
紙 、 跋 は 別 丁 で2
紙 ) 本 文 部 分 の 紙 数 は 東 洋 本 と 同 じ で あ る が 、 記 そ れ は後
述
す る 。補
そ の他
各巻
末
尾 に 捺 さ れ 目 下 の と こ ろ 不 明 で あ る 。 本 書 は 中 世 初 め ご ろ に は 、 す つ ぎ の と お り であ
る 。甫
田新
開 宗 門統
要序
紹 興 三 年 、 耿 延 禧 撰
宗
門
統 要 序元
祐
八 年 、姚
孳 撰宗
門 統 要 目 録 ( 巻 一 〜 一 〇 の 簡 目 ) 本 文 ( 巻 一 〜 八 、 各 巻 首 の 目 録 と 本 文 ) 宗 門統
要集
記 元 符 庚 辰 、 宗 永撰
本 文 ( 巻 九 〜 一 〇 、 各 巻 首 の 目 録 と 本 文 ) 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 )7
刊 記 ( 巻 三 〜 九 、 各 巻 末 )紹
興 丙 寅8
刊 語威 淳 八
年
、浄
日識
9
跋
淳
祐
丁 未 、浄
徹 撰10
勧 縁 者 刻 記
右
の う ち 、1
は 明 蔵 本 以 下 の 流 布 本 に も み ら れ る が 、本
版 は現
存 最古
の文
で あ る の み な ら ず 、 そ の 題 名 と署
名 に 相違
があ
る 。 ま た 、2
と5
は 本 版 と 内 閣 文 庫 本 『 続集
』 だ け に含
ま れ る が 、 本 版 の方
が 古 く 、 か つ 、 文 字 に 若 干 の 異 同 が あ る 。 さ ら に 、7
以 下 の記
事 は、本
版 独 特 の 刻 記 ば か り で あ る 。 は じ め に 、 本 版 の 刊 行 時期
に つ い て 考 察 し よ う 。 こ の テ キ ス ト に は 、 巻 三 か ら 巻 九 の 各 巻 末 に 、 つ ぎ の 刊 記 を と ど め て い る 。 紹 興 丙 寅 廬 山 ∴ 庵 重 刊紹
興 丙 寅 、 す な わ ち紹
興 一 六年
( 一 一 四 六 ) は 、 さ き の淳
熙
六年
(=
七 九 ) 〈 跋 〉 刊 で あ る 東 洋 本 を さ か の ぼ る こ と 三 三年
の 古 さ で あ る 。 は た し て こ の テ キ ス ト は 、紹
興 一 六年
の 刊 本 な の で あ ろ う か 。 こ れ を 決 す べ き資
料 と し て 、巻
一 〇 の 本 文 に つ づ き 、 同 一紙
に 刻 さ れ る 左 記 の 刊 語 が あ る 。 こ の 記 事 は 、 す こ ぶ る重
要 な刻
記 で あ る か ら 、 以 下 、 意 訳 と原
文 と を つ づ け て 記載
し よ う 。 紹 興 丙 寅 の と し ( 一 一 四 六 ) に 、 廬 山 ∴ 庵 の 劉 居 士 が 、 こ の 版 三 〇 七NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 木 を 用 い て 庵 で 開 版 を し た 。 の ち に 庵 が 廃 さ れ 、 版 木 は 山 中 に 置 か れ た が 、 歳 月 が 久 し い 間 に 半 ぽ は 散 失 し た 。 わ ず か に 残 っ た 版 木 も、 ま た 半 数 は 腐 朽 し た り 磨 滅 し て し ま っ た 。 い ま 、 磨 滅 し た 部 分 は 補 修 し 、 腐 朽 し た 部 分 は と り か え、 散 失 し た 部 分 は 新 た に 騅 造 し た。 本 書 が 刊 行 さ れ て、 広 く 伝 わ る こ と を 切 に 願 う 。 威 淳 八 年 壬 申 ( 一 二 七 二 ) の 春 、 廬 山 円 通 寺 の 住 持 、 浄 日 が し る す 。 紹 興 丙 寅 、 ∴ 庵 劉 居 士. 刊 是 版 于 庵 。 庵 廃 而 版 帰 山 中、 歳 月 既 久 、 散 失 者 半 。 僅 存 而 腐 敗 漫 滅 者 又 半 。 今 漫 滅 者 修 之 、 腐 敗 者 易 之 、 散 失 者 新 之 。 庶 寿 斯 本 、 以 広 其 伝 云 。 威 淳 八 年 壬 申 春 、 廬 山 円 通 住 持 比 丘 浄 日 識 。 三 〇 八 る の で あ る 。 な お 、 こ れ ら の
刻
記 は改
紙 で は じ ま り 、 行 書体
で 刻 さ れ て い る 。 景 徳 伝 燈 ・ 宗 門 統 要 、 諸 祖 所 談 妙 偈 。 四 家 語、 極 精 口 。 僧 宝 伝、 具 載 因 縁 。 林 間 録、 千 古 佳 話 。 言 言 字 字 、 皆 仏 祖 機 要 。 非 作 略 通 天 者、 不 能 領 話 、 非 逸 群 過 量 者、 不 能 成 褫 。 解 成 褫 能 領 話 者、 其 誰 歟 。 昔 日、 無 相 劉 居 士、 作 唱 刊 之 。 刊 前 意 図 不 朽 、 年 代 深 遠 、 零 落 叢 林 。 頼 遇 練 使 劉 公、 夙 乗 願 力、 自 捨 俸 資、 継 和 補 之 。 刊 後 未 円 公 案、 口 巳 周 全 共 、 結 増 上 縁、 流 通 正 法 。 眼 有 不 執 文 字 、 不 離 文 字 者 、 着 得 一 隻 眼 話 則 、 知 従 上 仏 祖 言 教 、 如 竜 得 水 、 以 虎 靠 山 。 不 然、 若 将 閑 学 解 、 埋 没 祖 師 心 。 淳 祐 丁 未 中 秋 住 山 浄 微 跋N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
お よ そ 、 宋 代 に お け る 禅
籍
の 重 版 に つ い て 、 そ の 版 木 の 状 況 を こ れ ほ ど く わ し く 語 る 刻 記 は 、 き わ め て 稀 で あ ろ う 。 そ の 意 味 で は 、 こ の 刊 語 は ひ と り 『 統 要集
』 だ け で な く 、 宋 版 一 般 の書
誌
的
研 究 に 対 し て も 、貴
重 な 事 例 を 提 供 す る も の と い え よ う 。 と も あ れ 、 右 の 刊 語 に よ っ て 、叡
山 本 は 威 淳 八年
に 廬 山 円 通 庵 の 住持
浄
日 が 、 紹 興 一 六 年 に ∴ 庵 で 重 刊 さ れ た際
の 版 木 を 主 と し て 用 い 、 そ の 欠 損 部 分 を 補 刻 し て 刊 行 し た プ リ ソ ト で あ る こ と が た し か め ら れ る 。 と こ ろ が 、 や や こ し い こ と に は 、 そ の 間 に 、 さ ら に 一 回 の 重 版 が な さ れ た ら し い 。 そ れ は 巻 末 に付
せ ら れ る つ ぎ の跋
文
と 勧 縁 者 の 刻 記 に よ っ て 知 ら れ 勧 縁 白 雲 西 堂 慈 応 同 幹 縁 比 丘 了 悟右
の跋
文 に 記 さ れ る年
時 は 、 淳 祐 七年
( 一 二 四 七 ) で あ る か ら 、 さ き の 威 淳 八 年 の 刊 語 に先
だ つ こ と 二 五年
で あ る 。文
中
、 『 統 要集
』 を 『 景 徳伝
燈
録 』 と併
記 し 、 『 四 家語
』 『 僧 宝 伝 』 『 林 間 録 』 な ど に 対す
る 寸 評 も 、 た し か に 注 目 さ れ る 。 た だ 、 当 面 の 重 版 に 関 し て は 、 昔 日 に お け る 無 相劉
居 士 の意
図 を 継 い で 練 使 劉 公 が こ れ を補
っ た と あ る も の の 、補
刻 に つ い て は な に も 語 ら ぬ 。 い っ た い 、 こ の と き に 補 刻 が な さ れ て い れ ば 、 さ き の 刊 語 が ふ れ る は ず な の に 、 ま っ たく
関 説 を み な い 。 し た が っ て 、 淳 祐 七年
の 時点
で は 、 全 面 的 に 紹 興 一 六年 の 版 木 を 用 い 、 新 た に 浄
徹
の跋
の み を付
し た後
刷 本 で あ っ た と み ら れ る 。 そ の の ち 、急
激 に版
木 の 損傷
が 進 ん だ の で 、 さ き の 刊 語 に い う 大 巾 な 補 刻 が 、 威 淳 八 年 に な さ れ た の で あ ろ う 。 な お 、 廬 山 の ∴ 庵 に つ い て は 、 民 国 二 二年
に 呉 宗慈
撰 の ( 24 ) 『 廬 山志
』 で は 不 明 で あ り、 住 山浄
徹 ・ 白 雲 西 堂 慈 応 ・ 了 悟 の い ず れ も 僧 伝 の 上 に 徴 す る こ と は で き な い が 、 み な 廬 山 に縁
の 深 い 禅 者 で あ っ た と み ら れ る 。 と く に 浄徹
は 、 威 淳 八年
の と き の 円 通 庵 浄 日 に 先 だ つ 住 持 で は な か っ た か と 思 わ れ る 。 か く し て、 叡 山 本 に お け る 原 刻 と補
刻 と の関
係 を念
頭 に お き な が ら 、 あ ら た め て テ キ ス ト 全体
を 精査
す る と 、 な る ほ ど 、 原 刻 部 分 は 文 字 の 磨 滅 が い ち じ る し く 、 多 く の 補 刻 が み ら れ る 。補
刻 の 部 分 は 、 巻 を 追 っ て 多 く な っ て い る 。 い ま 、 明 ら か に 補 刻 と わ か る 丁 数 をあ
げ
る と 、 左 記 の と お り であ
る 。 ( 数 字 は 丁 数 ) −亠 、 9 臼第
三 冊第
四 冊第
五 冊第
六 冊 第 七 冊第
八 冊11
、12
、26
28
、27A
部 分 ×29
、31
〜35
40
41
49
50
、53
13
14
、18
〜
21
23
〜26
、29
〜36
41
〜45
、1815
105
(〜
’ 部
20375
岔
・ 、38
21
〜
33
、35
『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 )第
九 冊5
・6
( 部 分 ) 、7
〜10
、13
、14
、17
〜22
、34
、40
、43
第
十 冊1
( 部 分 ) 、7
、8
、11
〜15
、17
〜19
、21
、22
、 − 、5
ρ 03
3
〜
3
右 に あげ
た 補 刻 丁 数 の 合 計 は 、 九 六 紙 に お よ ぶ 。 こ の 分 量 は 、 全 体 の 丁 数 四 四 三 紙 の垢
強
で あ る か ら 、 さ き の 刊 語 に 照 ら せ ぽ 、 実 際 の 補 刻 部 分 は 、 も う 少 し 多 い の か も し れ な い 。 ち な み に 、 本版
に み え る 刻 工 名 中 、 解読
で き た も の を 、 巻 数 と 丁 数 の 別 に 示 し て お こ う 。 〈 原 刻 部 分V
閔
呈
( 一142
、 三 ー53
) 、徐
( 四 ー9
、29
、32
〜36
、 八 ー4
) 、 兪 邦 ( 四115
、16
、 七151
、 八137
) 、 陳青
( 五11
、2
) 、仁
( 七 − 妬 ) 、 心 哀 口 ( 八11
) 、府
( 八 ー 2 ) 、 脩 ( 八 ー4
〜6
、19
〜21
) 、寧
( 八 ー7
) 、 李 虎 ( 九 ー29
、30
、 一 〇11
〜6
、9
、10
、23
〜30
) 〈 補刻
部
分 〉 顕 ( 三151
、52
、 四117
、 六122
、23
、 七 ー13
、 14 、29
、30
、36
41
、 菊、 弱 、50
、 九117
〜 20 、 一 〇135
) 、 博 ( 四137
、38
、 五i19
、20
、 六 ー 21 、 24 、 25 、27
〜33
、35
、 七123
〜26
、 八 ー33
、 九17
〜10
、13
、14
、34
、 ω、 一 〇 ー18
、19
、31
) 、 中 才 ( 六126
、 七119
〜21
、42
〜 必 、 八111
、12
、31
、32
、40
、41
、 九 ー21
、22
、 一 〇17
、8
、13
〜15
、 17 、 22 ) 、 陵 陣 ( 八126
、 29 、34
、 一 〇 ー21
) 三 〇 九NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 長 沢 氏 の 「 宋 刊 本 刻 工 名
表
初 稿 」 に 照 ら す と 、右
の 刻 工 中 、 最初
の 閔 呈 だ け が 、 静 嘉 堂 文庫
の 所 蔵 に か か る 宋 版 『 小畜
外
( 25)集
』 の 刻 工 名 と合
致 す る 。 こ の 人 は、叡
山 本 『 統 要 集 』 で は巻
一 の 尾 題 の 下 に 、 「 開 封 閔 呈 刀 」 と 刻 さ れ て い て、紹
興年
間 に は す で に 金 国 の 統 治 下 に お か れ た 北 宋 の都
、 開 封 の 出 身 地 名 を あ え て 冠 し て い る 。 多 分 、 叡 山 本 の雕
造 は こ の 人 が 中 心 を な し た の で あ ろ う 。 さ て 、 以 上 に よ っ て 、 叡 山 本 は 現存
最
古 刊 本 で あ る の み な ら ず 、 廬 山 に お け る 三 回 に わ た る 開版
の 状 況 を も 伝 え る貴
重 な テ キ ス ト で あ る こ と が 明 ら か と な っ た 。 と こ ろ が 、 前 掲 の よ う に 、 紹 興 丙寅
の 刊 記 も 「 重 刊 」 と あ っ て 、 も ち ろ ん 該 書 の 初 刻 で は な い 。 そ の 底 本 と な っ た も の は 、 巻 首 に お か れ る 耿 延禧
の序
が 書 か れ た 、 紹 興 三 年 の 刊 本 で あ ろ う 。 耿 延 禧 の 序 文 は 、 明 蔵 本 以降
の 流 布 本 に も保
存
さ れ て い る か ら 、 す で に 「 般 に 知 ら れ て い る 。 し か し 、 叡 山 本 は 最古
の テ キ ス ト で あ り 、 し か も 、 重 要 な 点 で異
同 があ
る か ら 、 以 下 、 内 閣 本 と 明 蔵 万 暦 本 で対
校
し て お こ う 。 ネ 菷 田 新 開 宗 門 統 要 序 ホ 竜 図 閣 直 学 士 左 朝 請 郎 提 挙 江 州 太 平 観 耿 延 禧 撰 ネ 大 宝 積 経 云 、 如 来 所 演 八 万 四 千 法 蔵 声 教、 皆 名 為 文 、 諸 離 一 切 言 ネ 音 文 字 、 理 不 可 説、 是 名 為 義 。 又 云、 若 諸 経 中 文 句 広 愽 、 能 令 衆 ネ 生 心 意 踴 躍 、 名 不 了 義 。 若 有 宣 説 文 句 及 心 、 皆 同 灰 燼、 是 名 了 義 。 三 一 〇 ネ ホ ホ 大 涅 槃 経 云 、 若 人 聞 説 大 涅 槃 一 字 一 句 、 不 作 字 相 、 不 作 句 相 、 不 ホ 作 聞 相、 不 作 仏 相 、 不 作 説 相 、 如 是 之 義 者 、 名 無 相 相 。 以 是 観 之 、 諸 仏 以 無 説 説、 其 来 久 矣 。 達 磨 西 来、 重 為 拈 出、 為 其 拘 滞 於 教 相 也 。 則 目、 教 外 別 伝 、 不 立 文 字、 為 其 委 曲 於 情 解 也 。 則 日、 直 指 ホ 人 心、 見 性 成 仏、 是 故 苔 第 一 義 諦 。 日 廓 然 無 聖、 則 憐 其 不 契 而 渡 ネ 江 。 慧 可 再 拝 、 依 位 而 立 、 則 以 為 得 髄 而 伝 法 。 是 豈 与 諸 仏 有 異 邪 。 蓋 所 謂 当 機 覿 面 提、 覿 面 当 機 、 疾 如 石 火 電 光 、 擬 議 即 差、 念 起 情 ホ 生 、 斯 為 関 鎖 耳 。 故 余 甞 論 之 、 如 来 老 婆 心 切 、 乃 日 、 正 法 眼 蔵 分 ホ 付 摩 訶 迦 葉 、 臨 済 丈 夫 気 槃、 乃 日 、 正 法 眼 蔵 、 向 遮 瞎 驢 辺 滅 却 。 是 二 老 子、 同 曲 異 調 若 聞 。 余 是 説 言 語 及 心 、 皆 同 灰 燼 、 不 作 一 字 一 句 及 諸 名 相、 則 如 来 禅 祖 師 禅 。 庶 幾 、 意 領 而 神 解 乎 。 宗 門 統 要 、 首 以 西 竺 諸 仏 、 継 以 東 震 諸 祖 、 及 前 世 宗 匠 。 所 以 、 指 導 後 学 、 与 後 世 作 家 。 所 以、 抉 剔 前 人 者 、 合 為 一 書、 皆 出 乎 文 字 、 而 直 指 人 心 。 学 者 不 可 不 家 有、 而 日 見 之 。 予 章 李 氏 、 鏤 板 以 伝、 兵 火 之 ホ 余、 既 已 煙 滅 。 甫 陽 天 寧 長 老 慧 沢 、 既 伝 心 宗 、 復 明 教 意 、 知 如 来 ホ 祖 師 禅 、 等 無 有 異 。 乃 命 刊 行、 以 垂 久 遠 、 求 余 為 序 、 以 肩 篇 首 。 ホ ホ ホ ホ 昔 僧 問 、 祖 意 教 意 是 同 是 別 。 巴 陵 云、 難 寒 上 樹、 鴨 寒 入 水 。 又 問、 三 教 十 二 分 教 則 不 疑 、 如 何 是 宗 門 中 事 。 師 云 、 不 是 衲 僧 分 上 事 。 如 何 是 衲 僧 分 上 事 。 日 、 貪 観 白 浪、 失 却 手 橈 。 若 知 此 者 、 則 三 世 の ゆ 諸 仏 無 所 説、 歴 代 祖 師 未 甞 伝 。 統 要 徒 集 葛 藤 、 居 士 戯 加 序 引 、 可 ホ 付 之 一 笑 而 巳 矣 。 ネ ホ 紹 興 三 年 二 月 太 秀 居 士 序 * * 「 菷 田 新 」 ノ 三 字 、 ハ 「 甫 田 重 」 、 ハ 「 重 」 二 作 ル 「 延 禧 」 ノ ニ 字 、 ハ 少 サ ク 作 ル * 諸 離 − 離 諸 * 博 N工 工一Eleotronlo Llbraryー 博 * 踴 ー 踊 * 槃 − 腺 * 「 作 」 ノ 字、 底 本 ハ 磨 滅 ノ タ メ ニ ョ リ 補 ウ * 之 − 是 ナ シ * 荅 − 答 邪 − 耶 * 甞 ー 嘗 * 築 ー 概 * 已 ー 巳 * 冖 村 − 冠 * 「 問 」 ノ 次 二 「 巴 陵 」 ノ ニ 字 ア リ * 巴 ー ナ シ * 難 ー 鷄 * 入 ー 下 * 甞 − 嘗 * 「 藤 」 以 下 ノ 八 字 破 損 * 三 本 ト モ 「 巳 」 二 作 ル モ 「 已 」 カ * 「 月 」 以 下 ハ 破 損 シ ハ 「 日 序 」 ノ ニ 字 ア リ * 「 太 秀 居 士 序 」 ノ 五 字 ナ シ 右 の
序
文 は 、 紹 興 三年
(二
三 三 ) に 太 秀居
士耿
延禧
の 撰 述 に か か り 、 も と 予 章 の李
氏 に よ る刊
本 が 兵火
で 煙 滅 し た た め に 、 甫 田 天 寧 寺 の 慧 沢 が新
た に 刊行
し た 際 の 一 文 で あ る 。 さ き の 東 洋 本 に は 、 紹 興 五 年 に 刊 行 さ れ た 四 明 本 の序
が 付 せ ら れ て い た が 、 こ れ に 先 だ つ こ と 二 年 、 ま っ た く 別箇
に 南 方 の 菁 田 ( 福 建 省 菷 田 県 ) で も 『 統 要 集 』 が刊
行 さ れ て い た の で あ る 。 し か も 、 流 布 本 で は 序 題 に 付 せ ら れ る 「 重 開 」 の 二字
が 、 こ の 宋 版 で は 「 請 田 新 開 」 と あ り 、 こ れ が お そ ら く は 原 題 名 で あ る 。 ま た 、甫
田 の 地 は 、 本 書 の編
者
、 宗 永 の 出身
地 で あ る建
谿
( 福 建 省 建 甌 県 ) か ら 遠 く な い こ と も 注 意 さ れ る 。 序 文 の撰
者 、 耿 延 禧 に つ い て は、 く わ し く は 不 明 で あ る が 、 肩 書 き の 「 提 挙 江 州 太 平 観 」 に 注 目 し た い 。 江 州 太 平 観 と は 、廬
山 の著
名 な道
観 に ほ か な ら な い 。 抗 州 の 洞 霄宮
や建
州 の 武夷
観 な ど 、 天 下 の = 一 の道
観
と と も に 、 こ の 道観
に た い し て ( 26 )提
挙
の 官 が お か れ た の は 、 熙寧
二年
( 一 〇 六 九 ) で あ っ た 。 『 宗 門 統 要 集 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) 遠 く 福 建 の 蔕 田 で 新開
さ れ た禅
書 が 、 の ち に 廬 山 で 重 刊 さ れ る の は 、 同 じ 山 内 の 太 平観
提 挙 を 任 ず る 人 の序
が 付 さ れ て い た か ら と み る の は 、 牽 強付
会 に す ぎ る で あ ろ う か 。 いず
れ に し て も 、苗
田 の 新 開 本 は 、 天 寧 寺 慧 沢 の 開 版 で あ っ た 。 そ し て 、 こ れ を さ ら に 遡 る 祖 本 は 、 序 文 に い う 予章
の 李 氏 刊 行 本 に ほ か な ら な い 。 た だ し 、 目 下 の と こ ろ、 天寧
寺
慧 沢 も 予 章 の李
氏も
、 と も に 他 に 徴 す る も の が な い 。黄
竜
慧
、 、 ( 27 ) 南 の 法 嗣 に 薪 州 三角
山 慧 沢 が い る が、年
代 的 に は 苦 し く 、 お そ ら く 別 人 で あ ろ う 。 従 来 、 『統
要 集 』 の 成 立 や初
刊
の年
時
が 不 明 で あ っ た の は 、 宗 永 の伝
が 知 ら れ ぬ 上 に 、 序 跋 な ど に よ る 詮索
が 、 こ れ以
上 は 不能
で あ っ た こ と に よ る 。 と こ ろ が 、 こ の叡
山 本 に は 、 こ れ ら を 知 ら し め る 貴 重 な資
料 が含
ま れ て い る 。 そ れ は 、姚
孳
の 序 と 宗 永 の 記 、 の 二 つ で あ る が 、 そ の資
料紹
介 は 、 さ い こ の 項 に ま わ し た い 。 四 、 続集
の内
閣 文 庫 本 こ こ に い う 「 続 集 」 と は 、 便 宜 上 、 「前
集
」 に 対 す る 呼 称 で あ り 、 元 代 の 古 林 清茂
が 前集
以後
の 部 分 を増
補 し、 ま た 前 集 の部
分 に も後
代禅
者 の 拈 提 を増
補
し て 、新
編 と な し た も の を 指 す 。 知 る ご と く 、 流 布 本 は す べ て 『 宗 門統
要 続 集 』 二 二 巻 と い う 体 裁 を と っ て い る 。 と こ ろ で 、 国 立 公文
書 館 内閣
文
庫
に こ の 続 集 の古
版 が 所蔵
三二
NII-Electronic Library Service 『 宗 門 統 要 要 』 の 書 誌 的 研 究 ( 椎 名 ) さ れ て い る こ と は 、 大 正 三 年 に 刊 行 さ れ た 『 内 閣 文 庫 国 書 第 二 部 漢