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日本佛教學協會年報 第12号 011仏教と大陸問題(討議会速記録)

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(1)

昭和十四年十月十四日︵土︶午後二時十分間曾

O

司 品 問 者 ︵ 常 盤 大 定 氏 ︶ 日疋より開合致します。俳教と大陸問題に就℃、討論と一宮ふよりも寧ろ色 K 掛り合ふと云ふことになりませうが 何れも此 D 問題に闘し℃は大いなる関心主持つ℃居られるに相違なく、御意見が多い乙と L 思ひますから、合議 を進行する都合上、座長を決めたいと思ひます。若し皆様む御許しがあれば、私から御指名致したいと忠ひます が、如何でせうか。 ︵ ﹁ 異 議 な し L と呼ぶ者あり﹀ 。 司 令 者 ︵ 常 盤 大 定 氏 ︶ そ れ で は 加 藤 精 一 脚 伶

E

に座長佐御願ひ致します。 ︵加藤紛糾氏座長席に著︿、拍手起る︶

O

座 長 ︵ 加 藤 精 一 紳 氏 ︶ 御指名に依りまして私が此の席を持します。どうぞ宜しく御願ひ致します。

O

間 義 雄 氏 緊念動議 h f −提出致します。本討議舎に於て現地の認識が最も必要であらうと思びます。就きましては、.今同比 傍 数 と 大 陸 問 題 一 一 一 O 五

(2)

日本傍敬鳳中協曾年報︵策十二年﹀

ノ、 2 。犬舎の魚に態 K 満洲園からお出でになった方、或は本大舎が開かれるに就℃態 K 支那、満洲の宗教事情注調査 された方 K が津山居られますので、出来ますればさう云ふ方々から現地報品目をして戴きますと、吾 K D 討議乞最 も有妓ならしめるのではないかと思ひます。それで満洲の事情に就℃は、満洲から態・ 4 見えられた坂井さんに御 報告を願ひ、叉大倉精神文化研究所調査部で出して下さいました﹁大陸に於ける宗教工作献況﹂と一式ふ﹁パンフレ ット L がありますが、此の方面を原回さんに御願したらどうかと思ひます。一つ御諮り願ひます。 。 座 長 ︵ 加 藤 精 榊 氏 ︶ 御諮り致します。只今閉さんより、二人の方に現地報告をして戴くと云ふ動議がありましたが、時間。闘係上 一人十五分間以内で御報台願ふと云ふ乙とにして御異議ありませぬか@ ハ ﹁ 異 議 な し ﹂ L ﹄ 呼 ぷ 者 あ P ︶ 。 座 長 ︵ 加 藤 精 神 氏 ︶ 別段御異議がなければ、お二人に現地報告を御願ひ致します。最初に坂井さん@

O

坂井築三郎氏 私は満洲閣の悌敬組借問主代表し℃参ったのであります。此の大台で大陸と悌敬と一式ふ問題が研究されると一式ふ 乙とを聞凌まして、私共在渦悌敬徒とし℃は非常に喜んで居るのであります。現地 D 事情を御話巾上げ℃、今後 内地の悌敬徒の方から絶大なる仰後援を仰ぎたいと一宮ふぞうな意味に於℃出℃参った次第であります。本年五月 二十六日、欝暦四月八日の降誕曾を期し℃新京に於て満別岡俳歌穂曾を結成致しました。それまでの経過、或は 共の大悼の趣旨は木日皆様。御手許に渡されました大倉精一脚文化研筑前調査報管寸大陸に於ける宗敬エ作献況しに

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ございますので之乞省略し、それ以外 D 現地に於ける貰情、或は岡内機関との連絡と一式ふやうなことに就℃簡鼠 に御報台市上げようと仔じます。 満洲闘を湾へて裁く場合に忘れられ℃は困ることは、満洲帝同協和合と一宮ふ存在であります。宗教閥係に就℃ も是れと非常に閥係がございまし℃、是は満洲闘だけでなく、恐らく大陸にどんな政植が出来るにし℃も、民族 を協和して行くと云ふ岡家組織の上から言ひますと、協和合的な存在が必要であると思って居りますが、さう云 ふ詩ですから初めに簡鼠に、協和舎と一式ふものがどう云ふものか、又協和舎で宗教をどう云ふ風に考へて居るか と 一 宮 ふ 乙 と を 申 上 げ た い と 存 じ ま す 口 満別闘に於ては闘民生活 D 一明が建闘の理想に向って居ると一宮ふことになっ℃居ります。詰 h y問民は各 K 輿 へ られた地位に於℃建闘精神を生活。上に貫践して行く。是は即ち生活白一明が道義精神に依って打建てられ℃居 り、岡民の各 k が所を得て居ると一式ふ詩でありまし℃、道義世界 D 建設とか王道柴土 D 創建とか云ふのは斯う云 ふ所から衆℃居るのであります。協和舎は斯う丑ふやうな闘民生活を生んで行き、理想岡家を建設して行くと云 ふ震に設けられた闘家機構であります。是の本来の使命とする所は、日浦一徳一心を基調とする建問精一脚註永濯 に護持し、民族協和と其 D 建闘精紳に依る闇民訓練を賓践しながら全閣民主一つの組織に掴め上げて行くと一式ふ にあるのであります。行政機構として ωやはり政府が置かれ℃ありますが、政府と協和舎の関係 h 市 し ま す と 、 政 府佐構成して居る官吏は行政的な才能を持った所の協和合員と一式ふことになって居る O であります。ですから協 和舎の精神が行政的に頴現して来ると拾に政府と一宮ふものが生れ℃来る。生れる順序とし℃はさうではなかった けれども、考へ方としてはさう云ふことになっ℃居るのであります。そこで、協和食を以℃政府の精一脚的母睦で 品 開 教 & 大 陸 問 題 一 ニ O 七

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日 本 傍 品 明 感 朝 間 曾 年 報 ハ 第 十 二 年 ﹀ 一 一 一 O 八 生 ある、或は此の一一品位。閥係を表裏一種と言ふのは斯う云ふ所から山山℃居るのであります巴政府以外 O 色々な岡家 的の間憧戒は民間的の圏煙、例へぽ信用組合、農業組合、或は園防婦人舎、赤十字、其 D 他在郷軍人舎に相営す るもの、さう云ふ閤家を背景とした圏曜、共の他民間圏憧としては各種。文化闇位、或は敦化圏樫宗教圏盟は之 に入りますが、さう云ふものは各 k 其の濁自の使命と絹自の組織を持つ℃居るのでありますが、是もそれ乞構成 して昂る分子から雨・しますとやはり協和合員でありまし℃、働く形は遣って居るが、共の終局の目的はやはり理 想的た満洲闘を打建て L 行 く と 一 式 ふ と と に あ る D であります。ですから満洲聞に於℃は個人も闇樫も共に協和舎 と式ふ大きな組織の中に於℃、自分建が持って生れた運命を最善に展開して行きながら、一つの岡家の要素とし てそこに安心して働い℃行くと云ふことになっ℃居る講であります。そ乙で協和舎としては斯う一式ふ闇値と連絡 交渉してそれが濁善に陥らないやうに、叉目躍は外閤系の宗教の場合などにあるのですが、建闘精神に反するぞう 念、反岡家的の運動を起さないやうに輔導し、それから各圏惜の使命として居る仕事は何れも岡家粧品画。重要な 要素になっ℃行くのであゐから、さう云ふものが健全に育つやうに補助して行くと一耳ふことになっ℃居るのであ ります。一,寸附加へますが、桐人にしても園憾にしても行政的な取締は政府で致して居ります。宗教の方は民生 郡白鴎敬料で色々な行政的取締訟やっ℃帰りますが、宗教闇躍を輔導育成し℃行く仕事は協和合が営ることにな って民ります。それから又宗教家 O 意見佐櫨めて政府に体連し、さうして政府が例へぽ宗敬法を制定する場合に 其の法案が異に民意詮反映したものになるやうにして行くのであります。そこで協和曾から見ゐと、斯う云ふ風 惜 は 外 廓 閤 悼 と 一 宮 ふ 風 に 呼 ん で 居 り ま す 。 それでは外廓闘世としての宗教をどう一宮ふ夙に考へ℃居るかと申しますと、是はまだ正式む繋明、或は公式。

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意見の稜表があった詩ではありませぬが、伸教組合を浩るに就て色 K 斡旋して載いた協和合の曾頭戒は色 K な 係 の方の御話た E b u 綜合してみるとき九そ次のやうに考へられてゐると思ひます。是は営然な事でありますが、宗 教の教理は普遍的な民理であって会人類に共通なもの||宗敬生活と云ふ事になるとそこに自ら個人的な制約が 出て来る詩で、教理には閑境はないが、生活には岡境がある、随て浦酬闘の宗教は岡民生活に即臆した一つの性 格を持つ℃居るも D 、 具 樫 的 に 一 一 員 ふ と 、 建 岡 精 榊 に 即 し た 宗 教 で な け れ ば な ら な い D 是は国家的権力を以℃強制 する静ではないのでありまし℃、闘民的自畳が段 k 高まって行くならば、宗教自慣が自然にさう丑ふやうな形乞 執って来ると考へられますが、外廓圏健とし℃ D 宗教白性格白根本的な見方主此直に置い℃居る詳であります。 そ乙で協和合として宗教間鴨に働き掛けて行く場合には、精神的 D 方面には建問精一柳の徹底、詰り岡氏的自畳が 高揚して行︿やうに働き掛ける。

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是は宗教関健に限ら歩、他の圏鵠も同様です。

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それから其の時/\に 依つ℃内凶作。態勢に順臨し℃打建℃られた閤策に封し宗敬闇世としての協力乞求めると云ふことになって居る D でありまして、決して其 D 宗祇を否定するとか、教義主統制するとか云ふやうな考は全然ないのであります。之 に劃して宗教闇瞳の使命とし℃は、教義とか信仰を通じ℃園民的信念を敬化し℃行く口具慢的に申しますと、布 教をやりながら自分達。信徒を協和合員にして行くと一宮ふことになるのであります。之に依つ℃民旗協和を盆盆 慧固にし、信徒は安心して岡家に依存して岡民的本分を謹して行くと一宮ふことになるのであります。随℃協和舎 と宗教圏僅と位、,持って居る内容は遺ふし、叉大きさから雪一ロって、協和舎は全国民の組織であり、宗教圏健は英 の信徒の闇檀であるから、それだけ組織の大小はあるけれども、結局建国理想と云ふ献に於て目的が一致して居 ります。相街り相助け℃園民乞教化し、一日も早く理想闘家を打建て L 行かうと云ふ組織になって居るむであり 品 開 歎 & 大 陸 問 題

一 一

0 ・ 如

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岡 本 傍 敬 挙 協 曾 年 報 ハ 第 十 二 年 ・ ﹀ 三 一 O 6 ま す 。 犬憧斯う一宮ふ閣情になって居りますから、悌教組曾設立の趣旨も自ら明になっ℃来る D であります。そこで宣 言。中に﹁満洲閥会悌教徒は巌然たる建闘精榊を捜して和衷融合以℃正訟を宏揚し民族協和国謡隆昌に費せむが 矯めに誌に満州引関悌教組曾を結成す即ち悌教徒たる闘民C本分に鑑み闘家内外の態勢に順臆して自行化他道義世 界の建設に揮身これ捧げ﹂と言つ℃居る O で ご ざ い ま す 。 共に悌敬綿曾の組織でございますが、結成。目的が園民たる本分を謹すと一式ふことにある D で あ り ま す か ら 、 際立った一つの趣旨なり目的なりがある詩ではないのであります。隠℃目的に賛成するから入るとか、入らない とか、さう云ふ黛組織とは全然違つ℃居りまし℃、金闘の伸敬徒組℃が営然之に入る詳で、此 D 目的。中にも比 丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、四衆悉く曾員にすると云ふことが頼ってある D であります。併し質際問題とし℃ 仕其の中の最も自覚的な一部分。人建が合員になって総合を結成した諒でありますが、漸共建園精帥が国民に浸 透して行く問に俳敦信徒 D 中にも浸透して来℃段 A 悌敬拙仙台。合員が植え、迭には全部O僻敬徒が此 D 一 つ D 組 織 D 中に入ると云ふことになって行く D でありまし℃、一方に於℃は岡家機構たる協和舎が斯う云ふ国家理想主 岡氏に普及徹底し℃行きますし、伸敬総曾自憾とし℃も其 D 活動をしながら建闘精一脚を金僻敬徒に弘め℃行くむ で、雨方から僻数組合 D 殻展が期待されて居る詳でおりまナ。 それから、総宵は新京に・ありまし℃、是が参謀本部 D 形になっ℃居りますが、其の下に支部主置さ、更に必要 があれば其の下に介令を置き、それ等が活動の主慌になっ℃、組品開はそれ注総括し、指増し℃行くと云ふやうな 組織にし℃居ります。それから各地の支部或は分舎は其白地に於ける協和舎と連絡して、共 O 地に於℃協和曾と

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悌教組合との蓮繋が出来て行くのであります。さうして之に監督官躍である中央の民生部、各地の民生躍が入っ て衆℃一コ者一樫になって行く鐸でありますから、活動は非常に固満に行くと考へられ℃居りますo只今O所、先 月二十五日に熱河省の承徳に支部が出来た立けで、新京にすらまだ支部がなく、組舎で代行し℃居るやうな静で ありますから、今後各地の併敬壊が積極的に働き掛けて来れぽ理想的でありますが E 賓はそれが飴り期特出来な い快態で、それでまあ私もとちらへ立探な方の御進出 b t御願ひに来たのであります。協和舎とし℃は中央本部に 輔導科常設け℃、宗教 D 方は主に共鹿で取扱って居りますが、それに相官する係を各地に配置し℃協和合から働 き掛けて行く o 政府の方は昨年白秋に殻布された﹁暫行寺廟及布敬者取締規則﹂と云ふものがあっ℃各地に共 D 方 の役人が居りますから、協和食と政府 D 佼人が其白地の悌敬家に働を掛け℃各地に支部位結成し℃行くと一式ふよ り外に行き方がないではないかと考へられて居ります。倫ほ満洲に於ては総℃の舎枇にしろ、間慢にしろ或る一 つの方向を持ったものは唯一つしかないと云ふ考へ方をして、伸敬闇盟も僻敬総舎以外には結成を許さないこと に な っ て 居 り ま す 。 それから綿舎の事業でありますが、是が非常に肝心なことでありまし℃、将来の満洲悌敬を興す基礎となる諒 であります。吾品川在浦悌教徒とし℃も大いに努力はし℃居りますが、吾えだけでは到底力が及びませぬ D で 、 内 地 D 各宗御本山、宗門関係 D 串校圏捜等、買く内地 D 悌敬徒の方えの御援切を件なければ到底僻敬組曾と一宮ふも のを旨く活躍させ℃行くことが出来以いのであります。只今市しましたやうに、大盟協和曾 D 意向も政府 D 意向 もはっきりして来℃、持洲に劃する宗教の考へ方が麗明はされ℃居ないけれどもはっきりし℃居りますし、それ に相照する併敬締曾と一宮ふ組織が先づ出来上がり、是からそれを謡皆して行く結局一番肝心な問題が残さわい℃騎

2 傍 数 己 大 陸 問 題

(8)

同本偽教挙協曾年報︵第十二年︾

8 るのでありますが、只今

ο

E

うも向ふだけでは淘に心細い山共第であります。斯う云ふことを申すと直ぐ費金。 ととを御考へになるかも知れませぬが、大悟準備する金は要るとし℃も、或る一つ O 仕事を考付い℃、それが非 常に良い仕事であるならば、其 D 仕事を殻展さし℃行くだけ D 資金は必歩出℃来るものだと吾 A は考へ℃居りま す。さう云ふ仕事乞思付いた夕、或は組織の不備な勲賞整備したりする、それまでの問。資金は御本山あたりに 御援助を仰がなければなりませぬが、さう去ふことさへして裁けば、あとは現地に於℃立誠な仕事をし℃さへ下 されば園家とし℃もそれだけの査金が出ないと云ふことはないのであります。例へば石炭乞掘る曾枇に艶し℃も 何百高と一宮ふ資金位園家で出して居るのでありますから、間民 OAU 回開替に営る宗敬圏憶に艶し℃閤家が金主出 さないと一式ふやうなことは大韓考へられないのでありますo然るに今までの満洲の悌敬は勿論眠つ℃居りますし 坊さんは乞食か苦カ同様に扱はれて居ります。日本から行って居る人建は、中には立棋な方もありませうが、多 ︿は出稼ぎの一旗組の旨く成功した人建が残って居ると一宮ふやうな欣態でありますから、随℃国家経替の童大な る要素でありながら飴り重大関されて居ない。或はどうも宗派根性ばかり出し℃いけないと一宮ふやうなこと佐言 ほれ℃嫌はれて居るやうな傾きもあります。中には、坊さん O 中ですらも、もう一週お糟迦様に還るのだと一式ふ やうな騒がりを一言って居る入もありますが、吾 A とし℃はさう云ふことは考へられないのであっ℃、やはり本営 の信仰と云ふものは、吾々が生 b b 享けた時に奥へられた宗門の宗旨D中で生れて来るDでありまし℃、宗門主否 自足して宗敬と云ふものはあり得ないも D と考へ℃居ります。ですから、

ε

し/\宗門活動乞し℃戴いて宜いので ありますが、唯さう云ふもDb包ばら/\でなく一つに纏めて行くことが一審肝心な乙とでありまし℃、やはり各 宗とも梯敬組合。一つの皐位として其の宗門活動を行って行く、さうすれぽ

E

んな夙に宗門活動を行っても、そ

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れ は 僻 教 組 合 と 一 宮 ふ 一 つ の 鏡 D 中に映るのでありますから、そこにやはり悌教会憧としての大きなカを一粧品開に示 すととが出来るのではないかと考へて居ります。申遅れましたが、蒙古 D 方は事情が別ですから E 是は別 D指導 機閥次設けるととになって居りまし℃、悌敬綿曾はそれを助けて行くと云ふことになって居ります。 それから悌教組枠でなければ問来ないやうた運動としては、例ベぽ甲車 D 遺骨 D 港 迎 、 公 共 闘 慨 。 迫 悼 時 間 と 一 宮 ふ やうなも O は日浦雨方で一緒にやることにして、日満雨方 D 坊さんが問掛け℃行つ℃やって居

p

ます。是は将来 も績け℃、お経も雨方の管で積むと云ふやうに考へて居ります。それから弐に、是は一審肝心なことであります が、新しい満洲僧侶 D 養成であります。是はどうし℃も白木伸敬徒が常るより外詮がないのでありまし℃、若し 是が旨く行かなければ、将来の満洲伸教は新しいも D が生れて来ないではないのかと云ふ風に考へ℃居ります。 其の方法とし℃は既に坊さんになっ℃居る人達。再敬育の魚に今年の夏十五日間程講習合訟やりましたが、斯う 一宮ふものは来年も各地で績けて行きたい、同時に事校註新京に設けて来年から聞い℃行きたい、是は賓格を小間学 校卒業程度、年限一コヶ年として、合宿したがら皐聞と行と雨方ゃっ℃行くやうにしたいと考へて居ります。是は 私が向ふに闘ってから相談をして、共 D 潟の小委員曾を浩って具慌的な内容を検討したいと思って居ります。そ れから其の次は、常然起って来る問題として借鱒を一つ確立して置をたい。日本の坊さんであっても向ふへ行う て直ちに満州闘の坊さんとなるのではないのですから、向ふに満州問伸教組曾と一宮ふものが出来る以上はやはり それに入って戴くと一宮ふ意味に於て、僧籍。確立と云ふことを考へ℃居ります。悌教組待に入らなければ、満訓 に於ては一明白布教が由来ないと一宮ふ所まで行かなければ、純白wD構成と云ふものがありませぬから、是は是非 きう一広ふ乙とにしたいと息って居ります。併し満別園む幼さん C 方は中 K 簡単に壮行かないので仕ないかと考へ 品四品帆&大障問題

(10)

厨 本 傍 敬 畢 ・ 明 岡 曾 年 報 ハ 第 十 二 年 u 一 一 一 一 四 10 て 居 り ま す 。 犬抽出以上白やうな事情でありますが、苦々から申しますと、支部に於ける悌説話動は要するに傷口に封する臆 念的なやり方に過ぎないのであって、東亜新秩序白下に於ける悌教の恒久的な施設は、やはり満洲闘に於てやる khy 外ないではないか、あそこが質験塞とし℃一容誼営して居るのでありますから、さう一宮ふ意味に於て只今申 上げたやうな事情から御推察下さって滞訓固に劃する認織を深めて載またいと息ふ次第であります。ハ拍手︾

O

座 長 ︵ 加 藤 精 榊 氏 ︶ 績いて原悶さんに御願ひ致します。

O

原田三千夫氏 費は私は門外漢で告のりますので、期う一式ふ報告を申上げますのは淘に烏離がましいのでありますが、見て参り ました要駒だけそ簡単に申上げます。 満州国の悌敬が今の御話のやうに比較的将来の問題に踊し℃居るとすると、北克、中支の悌敬問題は現在の問題 です。と申しますのは、悌敬工作と云ふものは、戦準に依って支那人に色々打撃乞典へた其

ο

結品、宣撫と共に 起って居るべきものでございます。是は北文、中支に於℃は即座に取掛らなければならぬ問題になっ℃居る o そ とで北文、中支の方に於ては宗敬エ作と云ふものが非常に痛切に感じられて来て、,其 D 中でも悌敬工作が最も重 きをなして来て居る。支那の民衆の八割が悌敬徒であると云ふ見解白下に、岡敬、基督敬、道敢などに封し℃は 寧ろ消極的な態度そ執り、悌敬は積極的に文化工作の中に取入れて行かうと一宮ふ態度そ執っ℃居る。北文、中支 の帥教の現献は大髄此の﹁バシフレツト﹂に寄い℃ありますから、之を御説み願ひたい D でありますが、大陸に於

(11)

て寺院はそれ程揖って居りませぬ。唯、北支と中文とでは幾らか事情を具にする貼がるつ℃、北支よりは中支 D 方が寺な H とは格闘で、問家な H とも中支にはありますが、北支にはありませぬ。 北支の方に於ては、,悌敬工作をやるに就℃は先づ第一ーにそれが文化事業乃至祉品何事業である乙と、共にそれが 同時に布教の目的を持って居るとと、第三に共の布教の内容が必や東亜新秩序の理念に合致すること、此 D 一 二 つ に合致しないものは布敬友許さないと去ふことで、初め軍の特務部が其の方針を決定し、今日は興亜院が出来℃ それを引織ぎ、.興亜院の肝入で同願曾と一宮ふものが出来たのでありますが、同願曾の活動に付℃は﹁バシフレヅ

J

を見て戴きたいと思ひます。 中支の方に於て位、北支よりも先に宗敬工作をやったやうな感じが致したのでありますが、中支には色 A な問 題があって、今日向ほ難航。欣態にある。最初は軍の特務部の方で北支より先に中支の宗敬工作に眼乞著砂、紳 道、悌敬、基督敬三訴を合同した中文宗散大同聯盟と一宮ふものを諮っ℃、之に依って中支の宗敬工作をやること になったのであります。所が中支には北支と具った事情がある。北支と中支を比較致しますと、民族性が大分遣 ふ。中支の方は性格が非常に強い、中え純順でない、蒋介石直轄の地であるだけに其の勢力が今宵ほ民心に浸透 して居つ℃、共の潟に蒋介石に劃する依親心が多く、中々日本人の言ふことを聴かない、それから北支と遣っ℃ 中支は非常に鞍耐が大きい矯に人民の反感が非常に強いので、.之乞宣撫するには中 A 北支のやうに行かない、共 に諸外岡白樺盆が非常に錯雑し℃居つ℃、殊に外国の基督教の勢力が相営な地盤 bL 持つ℃居る詩に非常にやりに ︿いと一宮ふ事情がある、と一宮ふやうに北支と中文とは相営具った事情があります。それに加へ℃、大懐中文宗歌 大同聯盟は寧の特務部でぞって居りましたが E 興亜院が出来ると共に興恩院華中漣絡部に移され℃しまワ先日賦 岨 岬 教 と 大 臨 障 問 題

一 = − 五

(12)

日 本 仰 敬 感 情 帥 曾 年 報 ハ 第 十 二 年 ︾ 三 一 六 12 が興亜院の方では創業匁 A でもあるし、宗教問題までは考へ℃局られないと云ふやうな事情があっ℃、興亜院よ り補助はして居りますけれ

E

も、中支宗教大同聯盟が軍の特務部から拾℃られた形になり、而も紳道、悌敬、韮 督敬一−一波の首脳部の意見の不一致があったりして、今難航。献態にあります。其の細かいことも此 D ﹁パシフレ ヲ F﹂に載って居りますから略します。 最後に、中支宗教大同聯盟の悌敬部長。繭国さんから、自分は出られないけれ

E

も是非本曾に侍へ℃貰ひたい と云ふ意見が来て居りますので、それを朗讃さして載きます。 − 、 , 悌 敬 と 東 亜 の 千 和 東亜の園 k は皆悉く悌敬流通の固ばかりである。中間基着教其の他が混入し来り衝突や摩擦が行はれたが、 近来迷夢より醒めたる東亜人は総℃の事は伺説に依りて総始せねば民 D 平和は保ち難しと叫ぶぞうになっ た。即ち悌教は和干の甑泉地と信ぜらる L に至った。今営部は東直の一角支那に於℃支那借と協同し互に相 蓮絡し平和の潟に遁進せんとして居る。 =、支那民衆に劃する日本悌敬白態度 営部に於て興亜悌敬班 V −組織し東京悌敬聯合曾が班長佐募集し第一班は昭和十四年十月六日紳戸出帆上海に 渡ること与なった。是等日本青年僧侶は支那の間合白各地支部寺院にプグ所一人 D 割に℃入寺せしめ、先づ 初一年は支那語習得と日本一語敬授、支部寺院及び僻散の研筑と日本側批敬一示、支部土民﹂摘。意向獲件と土民 代表者と修交、等の苦行をなし、第二年目より支部僧侶を脅し℃布教倖道、佐行はしめ、支部民衆に日本及び 日本人を良く諒解せしめ、更に支那償及び土民唐代表者を指導して綜合的批曾事業を行はしめ民衆の踊利生

(13)

計 る D である。支那寺に於てなすのに封し其の費用等は一明営部より支給するのであるから、支那寺註占領 する D ではない、唯支那借及び支那民衆開鷺と稿利 h q m 興へて和子工作 b k 興へるに過ぎない。凡そ四百蝕州主 控りしものは土民居に勢力ありしものなる事は隈史の示す所である o 今や日本悌敬は土民暦を第一とし E 撃 者庭、政治居、軍入居 b q −順戎軟化すべく努力し、異に東亜新秩序建設に遁進せんとして居る。此の工作は順次 に中完全部に及ぼし、延いて北支蒙彊や南交にも及ぼし、宗敬工作の完壁を期すべく進んで居るのである。 以 上 で あ り ま す 。 ︵ 拍 手 以 。 座 長 ︵ 加 藤 精 神 氏 ︶ 時聞の闘係上、短い御質問であれぽ御許し致します

0

1

1

別段御質問がなけれぽ、現地報台は是で切上げて夫 。﹁悌教と大陸問題﹂と云ふ討議題目に入る乙とに致します。第一の勺悌教と東亜の千和﹂と一式ふ問題に付℃御意見 のある方は御越ベ願ひます。 義雄氏 悌敬が東ED千和に最も重要なものであることは、比蕗に来曾せられる皆さんは既に御承知Dことで、論・ずる 趨もないことのやうであります。が、併し一歩突進んで考へると、悌教が東洋の千和に必要であると云ふことを 本営に識って居られる方は借俗を遇じて案外少いのではないか、知つてはゐるが民に識ってゐる人が勘いのでは ないかと思ひます。と申しますのは、若し悌敬が東洋。千和、殊に東亜新秩序建設に必要であると云ふことが儲 教界全樫に本営に民底から分って居るならぽ、少くとも現在満洲閣から来て居られる方が痛切に日本悌敬徒の畳

。 西

13 醒次要望されるやうな事情には立至らなかったでありませう。叉只今報台の中支に於℃も賢く宗教大同聯盟とし 係 数 % ﹄ 大 陸 問 題

(14)

田 本 傍 品 制 面 申 協 曾 年 報 ハ 第 十 二 年 U

= 一 − 入

14 ℃あって特に悌散とは言って居ない、基督敬でも岡敬でも宜いと言ってある、さう一宮ふ事情ぞ聴いて、本営に織 っ て 居 る 人 な ら ば 、 . は L あ、さうかと云ふやうな態度 bL 執っては居られない筈であらうと息ひます。叉若しさう であれば、政府に於ても文佑工作に僻敬徒た採用するかどうか、或は軍部に於℃も伸敬笠採用することに就℃何 等一定。方針が無いと云ふやうな問題も起らないのではないかと思ひます、斯う云ふやうな事情がある限り、私 は本営に新興東洋の平和を持ち来すものは梯敬でなけれぽならぬと云ふ自畳が果して何の程度にあるかを撰ふ者 であります。併したがら吾 K は知る識らねに拘らや J E 悌教が非常に必要であると云ふ乙と社申越べなければなら ぬ。申述べると云ふのは、此鹿に居られる皆さんに御分りを願ふと云ふことよりも、謹んで軍特務部に、興亜院 に、或は内閣に之そ徹底せしめると云ふことでなければならないむそれ佐徹底せしめる痛には否 K が安閑として は居られない。少くとも宗門のさう云ふ鈷に注意近持って居られる畢者、諸先生、或は宗門政治家。方が、悌設 が必要であると云ふ理解松岡策とし℃がっちりと確立し得る程能く分って居なければならないのでありませうが 共の貼はどうであらうかと思ふのであります。軍部も興亜院も内閣も成桂と思はしめるやうにするにはどう云ふ 黙が必要であらうか。私は先づ第一に、封外布敬問題は結局、否、第一しに・封内認識の問題でないかと思ひます。内 地に於℃、悌敬こそが日本新東亜建設に於ける宗敬政策とし℃唯一のもむであると云ふ乙とが理解される程仰敬 徒自身は勿論闘内輿論が徹底するに至って居なければならない D ではないか。勿論そ乙には岡健と宗敬白問題が 出て来ると思ひますむ併し吾 A D 盟解する所に依りますと、伸散は決して惟榊 D 大道と相遣するもむではないこ と は 言 ふ 起 も な い 、 , D み な ら す 惟 ⋮ 脚 O 大道 bL 凶作地に紹介せしめ得る最も善巧なる方艇は先づ此の僻訟を用ひゐを 必須とするも@であると信じて居ります。若し岡盤と僻散とが街ほ不一致であると考へられ、是がはっきりし℃

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居ないならぽ百貨際の問題として働教は大陸問題に封して何等容味する樺利が無いと言はれでも仕方がないので はないか、其の貼先づ第一ーに研賞する必要があると思びます。私の考とし℃は、今市上げたやうに日本 D 政治家 拡 大 陸 の 文 化 工 作 、 ・ 9 くとも宗敬問題に於℃はさしあたり、悌敬を用ひなけれぽならぬ Q さうでなければ日本。 岡柄を本営に向ふに知らせることが問来ない。日本人と支那人とが心の底から提携するのには悌軟に依らなけれ ぽならない。若し中支共の他のやうに、基督教も宜し、岡敬も宜しと云ふことになれぽ、そこに大きな嵯践を楽 しはしないか。一時は宜いかも知れないが、新東亜永遠の平和建設の潟に或は飼犬に乎吃唆まれるやうなことが 起りはしないか。幸に伸敬は千何百年間皇道仰敬と楠すべき程のものとしてあるのでありますから、此の日本僻 教の特償佐稜揮するならぽ、それは岡世とも全く一致するものであり、叉悌敬を説きたがら日本の岡柄、日本。 理想、日本人の性格を知らせるととに役立つのではないか ω さ う 一 宮 ふ 悌 教 を 持 ち な が ら 基 替 教 や 同 教 を 許 す と 一 宮 ふやうなととそ悌教徒が安閑として黙認して置くととは、木賞に悌敬によらねば日支親和工作が不可能に近いこ 正を識らないし、亦、斯る悌教徒は報闘の精紳に燃えてゐないのであると私は思ひたいのであります。 弐に紳道でありますが、惟紳の大遣は日本の闘慢を知らしめるに唯一のものであり、闘韓共のものであります から勿論必要であるととは是れ亦多言を要しない、然し際金の策としては必歩しも紳一位を建て奉記をするととが 趨切ではない。それは支那に於ては真個の伸教徒は少いかも知れませぬが E 併し八割までは悌敬徒と言はれて居 り、悌陀の大慈悲と云ふ射になれぽ皆目耳に親しい。例へぽ今まで銃を執っ℃敬ってゐた兵隊さんでも、寺に詣 った時に伸陀の前で令堂する。其の事だけで支那人の心を摘むととが出来たと一宮ふ報管があります程ですから、 伸陀の大慈悲心を以て綾等に接するならば、根令一時位敵脱しても、多くむ努力を要せ守して彼等む心を開いて 傍 教 と 大 陸 問 題

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日本傍致事協曾年報ハ第十二年以 三 ニ O 16 心 と A O と O 提曹が可能となると共に、皇道精神を不知不識の問に知らしめるに至るは濁り悌敬だけではないか。 さう云ふ意味で少くとも臨急の蕗置として位、紳批を建てる前に先づ悌敬を親和将来の岡策として用ひるととが 必要でないか。日本を本営に紹介するも DE 叉受入れる方の支那の民衆の闘心と一宮ふやうな色 A な動から‘私は H Cうしても僻教が支那、,或は満洲にもっと/\進出しなければならぬ、現在は武力較で皇軍将士が行って下さっ て居りますが、此の後に来る文化の鞍士は誰であらうか、それは悌教徒を措い℃他に無いのではないか、若し此 の自覚があるならば、今後、文化工作の大使命を帯びて園家のため命吃捧げて支那に行くものは、貴に吾 k 日 本 併教徒でなければならない。第二期の聖戦の徹底は伸敬徒の文化鞍士でなければならぬと、かう云ふ風に感する 者であります。若し皆様に御異見があるならば、御訂正を願ひたいと思ひます。ハ拍手︶

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稲 田 氏 日本が直面して居ります新東亜建設と云ふ大事業が如何なる指導精神に依つ℃突進められつ L あるかと昔ム乙 とを考へます時に、私は日本の新東亜建設なる大業が貫に日本精神に依つ℃指導されて居ると云ふ一位事を確信し て疑はないのであります。所が此白日本精榊なるものは、総℃の人が口にするのでありますが共の性質が極めて 漠然として居りまして、群盲模象。感があるのであります D 何て日本精神なるもの b t 明確に定義付け盲目本精榊 の 哲 朗 申 h f a 新に打立℃ L 、それは潤 h y 日本にばかり過やる精神でなく、中外に施して惇らや、古今に通じて謬らな い所の偉大なる人類。理想的精一脚であると云ふものを此の際はっきりと理論付ける必要があると思ふのでありま す。新しく接鯛しつ L ある大陸の岡民にも十分納得の行くやうに新日本精榊の哲事を樹立し℃、斯の如をもむこ そ日本精紳であると一宮ふものを提示する必要がある

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思ひます。それに付ては日本精神を最も理論付け、,基礎付

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ける所の一つの思想樫系が設に要求されるのであります。それは賞に東洋が持つ、殊に我が日本悌教が持つ所。 悌軟精紳に依ってたされるととが最も必要であらうと思ふのであります。そこで今弐の日本併敬撃協曾大舎に於 ては此の事に付て一一唐の考慮釈抑ひ、日本精神の併教的基礎付けと云ふことに御関心を御持ち下されば非常に幸 甚だと息ふのであります o ハ 摘 手 ︶

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宇野国窓氏 第一の﹁悌教と東亜の一令和﹂と云ふ問題に付℃は、討議と云ふよりも御希望一が多く出たゃうでありますが、,私も 尻馬に乗って只今の御希望に少

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蛇足佐加へたいと思ひます。 題目は﹁悌教と東亜の千和﹄となって居りますが、︵私は千和と云ふ字が大嫌びです。先年も世界宗教平和大合な るものがありましたが百牟年経たね中に満洲事務が起ってすっかり看板を撤同しなければならぬやうな羽目にな ったこともあり、一樫平和と云ふことれ包抽象概念として扱って見た所で何にもらないと思ふ。寧ろこの平和と云 ふ乙とな善意に解すれば、此の戟争なり、事鮮民なりが闘争そのもの L 中に、本営に人間味のある生活を増強して 衆るととを言ふのではないか。現に世間で言はれる誼り、今日の戟争は武カ戟だけではなく経済酷であり、同時 に更に思想鞍でもある。だから具憶的な人生は何事もない平和む中よりは戟争の聞にあると言っても宜いのでは ないかと考へる。其の鞍争中の千和である大陸工作、特に文化工作に謝して悌教がどう云ふ使命を持っかど問題 である。之に就てとかく製品開などでは僻敬思想即ち悌教の教の方が討議されるのに、斯う一買った問題になると反 封に教関悌教と一宮ふか、借侶の問題や寺院の問題が多く人の闘心を惹くゃうでありますが、私は大陸の宗教ヱ作 には此の両面を常に考へなくてはならぬと思ふ。只今之に付℃日本精一脚の俳敢に依る基礎付けと云ふ御話があり 17 傍 教 と 大 陸 問 題

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関本偽救国中協曾年報ハ第十ご年 V

18 ましたが、拘に遁切な御意見だと私は浦睦の賛意を表します。日本精神は伸教が或る時代から育て L 来たんだと か、それは今日でも内容上伸教的であるとか、或は悌敬がその基礎になって居るとか一宮ふ議論は大分世間にも出 て参りました。しかし私はもう一歩進めて、悌教の生れた文化的雰囲試なるもの、或は共の文化的性格なるも O が、日本精神の生れた日本民族のそれと金く同一でるり、近頃謂ふ所の東亜に於ける一一麿根本的な思想的地盤に 立って居ると一古ふことを確信するもので‘それは島一面的にも十分論設し得ると思って居るのであります。私はつい 最近一月ばかり中支の方面を歩いて燕ましたが、特に都舎の近代的な活動のある所よりは、田舎の民衆の生活を 見、叉さう云ふ人達と語り合った時に、そとに悌敢に依る世界観人生観が、それも難かしい理論。上でなく、日 自の生活に費現して居ることを見出したのであり Jます。中でも青年と語り合ひました場合に、私の寧ろ意外に感 ヒ嬉しく思ったのは、是は中支 D 特殊な事情かも知れませぬが E 相営教育のある育年居に於て日本に於ける背年 居よりも存外併殺的なものを深く理解して居り、行の上でも日夜にお経を積んで居る人が多いことであります。 支那人は数の上から言ふと八割までが悌教徒であると云ふ御話も出℃居るゃうでありますが、私は偲令名前の上 では基替数徒であらうが、同教徒であらうが、或は道歌信者であらうが、支却の人達の頭の向き具合、日常生活 の態度の中に、股け切れない悌教的なもの、否、東亜的なもの、私から言へば日本精榊白内容を諮るもの E 又 そ の地盤となったものが根強く動いて居る。是が私達の先づ捉へなければならぬ貼ではないかと考へるのであ

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ま す 。 他面、教闇と一式ふか、人とお寺との問題になりますと、先桂木壌の原田氏から現地報合がありました遇、夕、中 支む方守は殊に装替歌が柏々過大脱されて居るかのやうに識はれる。或る一省でありましたが、某警備隊の司令

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部の方で、各町村に行ま亘って可なり椴癌に各敬品開寺廟に就℃調べたものがありました。とれに依ると如何にも 基科目教は立誠な建物を持ち、信徒の数も多く、皐校共の他。教育事業、病院共の他。一位合事業が、貴に町なり村 なりそ鹿するやうに行はれて居るのであります。それで之を見た人の多くは、軍人でも文官側白人でも基督敬白 勢力左霊く蹴る嫌ひがあるのであります。是は統計的に見℃ 4 んもなことではありますが E 貴際の民衆

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信仰欣態 は人心に深︿浸潤して居る伸教的なもの L 力を見逃し℃はならないので、兎に角もう生活白根抵になってる宗教 の乙とは少し掘り下げて見る必要がある。或る支那の有力な皐償が、伸教的な人生闘の根本になるもの、.或は生 活態度の基礎になるものは何だと一言つ℃尋ねたから、私は突監にそれは無我だと私は言ったところが流石に相手 が大分感一向をし℃居る人だけに、私。一言が能く分ったと言って、つい遇帯主除けてしまって拙い筆談で、その 無我の賓践と一宮ふか、日常生活に於けるさう一式ったお互の相通やる筑分につい℃久しく語り合ったことでした。 これから考へても支那民衆の生活態度。中に、悌敬的なものが強く棋を張つ℃ゐることは明かであっ℃、要する に乙の東亜的なもむ、吾 k に取っ℃は日本精一紳に依つ℃活かし℃居るものが、そのま L 支那民衆の中にも生き℃ 居る少くとも残って居る、と云ふ感じがする。これが借侶とか寺院とか一式ふ表面の伸敬そ越え℃、その精神が間 ︿日支を結びつけ力づけ℃ゐる誰擦であります。兎角日本で近代人ぷる人は、私は宗教のことは分らぬとか、い や悌教なんか私は素人で:::と言って、遠慮するのだか、敬遠するのだか、妙な口賞を遣って逃げを張るのが多 いですが、是らに劃し℃は大いにその認識配是正し℃、乙の東亜的な僻教精一榊の現貫に動いてる有様を理解さす べきである。そし℃数千年前からこの東亜諸民族の生活の根本に、同じ精神が遇うて居ると云ふこと佐反省し、. そ れ を 基 本 に し ℃ 工 作 を 進 め て 行 け ば 、 敢 て 一 千 和 と は 号 一 日 は な い が 、 . 我 k 思想較は職ひ設けると考へるのでありま 19 崩 御 歌 と 大 陸 問 題

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四 本 傍 敬 血 中 協 曾 年 輸 相 ハ 第 十 ニ 年 ︶ 一 一 一 二 回 却 す。先程原田氏。御報告にも−あった遁 h y 、殊に中文などはまだ今に治安が十分ではないので、第一線の動さと治 安ヱ作とが同時に一緒にぞらなければならない欣態で、そこに一種。千和敬がるる D で あ h p ま す 。 乙 の 一 や 和 敬 と 云ふ矛盾した言葉が通用するかしないかは知りませんが、悌教を基調とする東亜新秩序白地ならしが、今直ちに 着手すべき第一白文化工作である乙とを、軍部はじめ営局にはっきりと認めてもらひそれを促進さすべきだと信 十 る 詩 で あ り ま す 。 ︵ 鈎 手 ﹀ 。稲葉文海氏 悌教が犬陸問題に大きなカ笠寄興するであらうと一宮ふことは誰しも信じて提はない所でありますが、最近のや うに何でも日本精神、其の聾に臆じて日本悌教と一宮ふものを特に強調し℃来る時代に於℃は、やはり日本悌敬 O 特徴を詮議立て高調して行きますと、それと同時に日本民族の支那の民族より兵つ℃居る生活まで十分に織込ま れて居るのであらうと思ひます。賭℃支那の悌教と日本の悌教とが或ゐ意味で時に近代 D やうな主張。仕方をす ると相封立するのではないか、と言つ℃勿論吾 A が品開℃は大きな文化として受容し、千数百年間其の恩恵を受け て今日の日本民族を育て L 来た、此 D 大きな思惑に針して今乙そ吾 K が悌教徒とし℃大陸に貢献すべき時である と云ふ乙とを信じ℃疑はない者でありますが、結局する所其白方法論、具髄論が問題になるのであらうと思ひま す。必要であるかないかとか、出来るとか出来ないとか云ふことはもう既に分り明ったことでありまし℃、担て 然らぽ具慌論とし℃、賓際の方法とし℃どうするかと一宮ふことが今日残された問題ではないかと思ひます。ハ拍手 V

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鈴木宗忠氏 東 亜 の 千 和 と 一 宮 ふ 乙 と に 付 て 一 ﹂ リ 私 D 思って昂ること b t 申 越 J へたいと思ひます。千和 k k と 言 ふ け れ ど も . 一 や

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和とは一慢

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う一宮ふ乙とであるかと嘗ひますと、普通に千和と考へられて居るのは、闘際聯盟に依る平和、若く は

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エルサイュ L 僚約に依る平和友基礎にして居る。けれ H C も其の時の平和は現扶維持と一宮ふことである。是は 本営の意味。平和ではないと思ふ。策現の平和と一式ふことに就℃も本営 D 意 味 。 一 千 和 と 云 ふ こ と b L 能く考へる必 要があると思ふ。是は嘗℃近衛公昏も言って居られると思ふ。私は近衛公の意見に杢部賛成と一宮ふ鐸ではないけ れ

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も、中々良いとと b t 言って居られたと思ふ。近衛公が嘗℃内閣組織以前、平和 k k と 一 古 ふ こ と 佐 や か ま し く 曾ふけれ

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も、現欣維持と云ふことが本営の意味の平和ではない例へば日本は人口が多く℃持蝕し℃居る、.所が 諜洲に於ては人口が少くて困って居る、斯う云ふ現肢の憧で千和であると一宮ふならぽ、さう云ふ平和は何時破れ るか分らない、本営 D 千和は揺ぎなき碍聞たる平和でなくてはならぬ。随て東洋の千和と一胃ふことも、今日のや うな現欣維持だけが本営 D 意味の千和ではないと云ふことを言って居られたが、今日の東洋の挟態を申しますと 呑階其 D 他に参りましても、英閑人は人間とし℃立探な生活をして居るのに反し、支那人は非常に惨めな生活を し て 居 る 、 さ う 去 ふ や う な 欣 態 で 一 や 和 を 績 け て 居 る と 一 宮 ふ D であるならば、それは本営 D 意味。平和ではないと 思ふ。東亜の平和とはどうしたら宜いかと言ふと、是も細かく言ふと色 A 違ふけれども、東亜 D 人が東亜紀支配 すると云ふ乙とが確立せられなければ本営 D 一千和はあり得ないだらうと思ひます。今日強い者が弱い者苛めをし て居って、英の偉現献を維持して行かうと一式ふのであれば、それは本営の平和ではない。やはり亜細亜人に依る 亜細亜と一宮ふ乙とで平和を保つのでなければ、連も本常の意味。平和は来ないだらうと思ふ。此の頃或は東亜の 新秩序とか、或は新案盟建設とか云ふことを言ひますが、それは一慢何註拐すか。私共も東車新秩序とか、新東 亜建設と一宮ふととに就ては些か考へて居るけれども、やはりそれは亜細亜人に依る

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細亜と云ふことが基礎でな 21 踊 脚 教 と 大 陸 問 題 = 一 一 一 五

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自 本 側 敬 革 協 曾 年 報 ハ 第 十 一 一 年 ︾

皐.

沼 けれぽならぬと思ふ。今日 D 東亜は西洋人に依って植民地ル仰せられ℃居る o 全くの植民地ではないが、学植民地 であります。税闘が英米人に依って支配せられて居る如きも、その象徴である。租界 O 設置せられ℃居るのもそ れであり、治外法権の存するのもそれである。舎℃米園が支那に封し℃門戸開放、機曾均等位提言し、.今日も依 然とし℃乙れを主張し居るが如きは、意識的若くは無意識的に、支那を植民地闘し℃居る潟めではないでせうか。 蒋介石政槽が自園乞かやうに植民地化した西洋人のあるものと聯繋して抗日排日佐概績して居る D は無自覚も甚 しいも D である。尤も我闘も色 K な事情で過誤乞犯した所はあります。西洋人に誼随して支那の植民地化を助け た乙とがないわけぜはない。乙れには我固とし℃は止む左得ない所もあった。然し今後は断然かやうな遁誤を拾 ℃ ・

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支那を完全な調立固として、西洋人から解放しなけれぽならぬ。これが今向。聖戦。目的であると共に、 東亜の新秩序の確立であり、新東

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建設であると思ひます。要するに政治上に於℃も経済上に於℃も、又文佑 上に於℃も、綿℃の射に於℃令理的に亜細亜人が亜細亜 b L 背負って立っと一宮ふ所に根擦がなければ、本営の意味 の東洋永遠の千和と一式ふものは関東ないだらうと思ふ。唯無暗に敵封行潟を止めて安協して行くと云ふやうなこ とでは、何時まで経つ℃も平和と一式ふも D はあり件ない。現欣維持が宜いこともあるけれども、現扶維持 D 平和 では木 A Y 同の意味の千和ではない。随℃東亜の平和に貢献すべき宗教と云ふものに就℃も、それはやはり宗敬とし て東亜に責任役謹すと云ふ乙とにたらなければいけないと思ふ。其の助、悌敬が本営の意味に於ける東亜の宗敬 であるか H C うかと云ふ射に就℃各々考へ℃見る必要がある。新東亜の建設に文化。方面に於て貢献すべき最大 D 責任を持って居るものは、本営の意味に於ける東亜の宗敬としてむ僻敬であると云ふ貼を一つ検討する必要があ る と 思 ひ ま す 。 ︵ 約 手 ﹀

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。 座 長 ︵ 加 藤 精 神 氏 ︶ それでは時聞の都合上、特別に御意見があれぽ兎に角、さうでなければ第一の問題は此の程度にし℃、第ニ O ﹁ 支 那 悌 敬 に 謝 す る 日 本 悌 教 徒 の 態 度 ﹂ と 一 式 ふ 問 題 に 移 り ま す 。 。 抑 制 渓 了 諦 氏 提案者。御趣意は多分現代の支那悌軟に劃する我え日本伸敬徒の態度と一宮ふ意味であっ℃、歴史的段階に於け る支那悌教と一式ふ意味ではなからうと思ひますから、其 D 意味で卑見。一端を御話ししようと思ひます。 現代 0 ・ 究 那 悌 教 と 日 本 悌 敬 b L 較べて見ると、そ乙に飴桂趣き白兵ったもの佐見出し得るのであります。我 K O

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本 伸 敬 哨 ﹂ は 申 す ま で も な く 各 宗 分 立 で あ っ ℃ 、 . 其 の 賓 践 の 道 行 が 澗 な ら 相 、 民 一 一 昔 日 な ら 民 一 言 、 念 悌 な ら 念 僻 と 云 ふ 風にはっきり分れて居る。所が今日支那に行つ℃貴地に彼等の俳教的生活左腕察し℃みると、被い表現ではある が謂はど雑炊悌教でありまして、例へぽ此 D 寺は何の宗旨だと尋ねますと、八割までは臨済だと一言ふのでありま すが、其の臨開宗に暗闘する寺院の僧侶 D 修道振りを見ると、成程座躍も多少はやって居るけれ共、それと同時に 念併も稽へ、陀羅尼も請すると一宮ふ風で、何鹿が賀践の擦り所になって居る D か、一向捉へ所がないと云ふやう な賓情であります。だから今日の日本悌敬と斯う云ふ風な支那の雑炊悌敬とを何う調和し℃行くかと一宮ふ乙とが 第一白問題になって衆ると思ふ。斯う一式ふ支那の雑炊悌教の侍統は相営長いもので、宋末から一克明に五りまし℃ 宍台と念悌とが融合し E 其 D 他敬梢律。一致論、更にそれを一歩進めた儒悌道。一二敬合一論と云ふやうなものが 唱道され、同時にそれが費際に移された結果、今日 O やうな支那伸敬を生み出し℃居ゐ O でありますoそれで僻 教寺院に於℃も道散の一肺様が抑肥りし℃あると一宮ふぞうた現献であります。我えが日本俳敢徒として斯う去ふ傭 品開歌・&大陸問題 七

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日 本 傍 数 回 平 協 曾 年 報 ハ 第 十 二 年 し ︾ 三二人 2長 軟に劃し℃

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う一宮ふ態度を採って行くかと一式ふ乙とに就℃は、お互ひに飴程考へ℃見なけれぽならぬ重大な問題 でありまし℃、彼等の現在の雑炊的な伸敬的責践乞そのま L 肯定し℃某し℃僻敬的生命が稜揚されるか、と云ふ ととになると飴桂問題である o 乙れは彼等 D 稜菩提心が純一民側でなく、絶つ℃唯だ漫然と諸種。行道主併修し て、そ白何れにも徹底を期さない痛であると思ふ。殊に日本悌敬がその最も著しい特徴とし℃稜揮した大兼備敬 の本門本質の自覚が支那僻敬に快け℃居る。固より敬理。上では盛つ℃居るけれども、賞践 D 上に於℃、日本悌 教徒が大乗の民髄とし℃の本門 4 4 売の自畳一一殻揚したやうな貼が現代。支那飾敬に依け℃ ETQO 詰り聖謹門的に 言へぽ即身成伸。自覚、浮土門的に言へぽ、自分は現に故はれ℃居る、悌に成るべく定った自分であると云ふ自 畳、乙れ等は日本伸教が最もカ強く大衆悌敬の真髄を一種揮した非常に誇るべき貼だと思ひます。かういふ自売を 支那僻教徒の魂に打込んで、彼等をし℃本門本発。立場に目覚ましめると一式ふことが、我 A 日本悌敬徒とし℃彼 等支那人の謹い租先が我が園へ興へ℃呉れた悌歌文化。恩恵に封する報謝行の随一であらうと海へ℃居るのであ り ま す 。 所で、形式の方面でもう一つ突き簡る問題がある。それは文却の悌敬徒は一般に非常に戒律匙重ん・ずることで あります。私も嘗℃其の貼で胸打たれたことがある。大分醤い話ですが、関東大震災後支那伸教界主代表し℃額 隠法師が日本に慰問に見えました。丁度西本願寺で霊食を饗臆することに託つ℃、私に一緒に御飯乞食べながら 接待をして呉れと一宮ふ依頼を受け℃参りましたが、私は支那語は殆ど駄目ですから、随行の教義ある天津の青年 費業家と英語で話註して居ったのであります

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論西本願寺で出す御臨定は精進料理ですから、私は其 D 青年に 頴隠法師の御附合ひでいつも精進料理ばかり饗臆され℃は困るだらうと言った所が、いや我えは闘に届つ℃も恒

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に精進料理を食するのであっ℃、自分ばかりでなく、家族全部悌教徒であゐから五戒は巌長に守つ℃居ますと言 はれたので、日本では管長様もやらねやうなことをやっ℃居るのに瀧いた弐第であります。ところが共の際、.先 般張家口で麗くなられた大符傘由師が管長代理とし℃、挨拶に出られるや、,頼醸法師は合隼し℃・ハヲと縁由師。 脚下に全身主投げ込んで、簡はゆる五樫投地の最敬睦 bL ゃった。それにはさすがの傘由師もハツと鶴い℃、答 種。方法に窮し℃居られたが、私も買は初めて五慌投地の陣法 bu 見℃驚いたのであります、税等は時法に於℃も さう云ふ古い博統を同守してをります。其 D 後私は支那へ一一一同程参りましたが、成雑税俸の持戒は依然として厳 重である。然るに現今の日本悌敬徒の最大多数は戒律に劃しては殆ど無関心であって、五戒を賞践して居る僧侶 ですら概めて稀である。我々が破戒の偉でこれが本営の悌教だと言つでも、恐らく彼等は認容せ守、それでは僻 教徒でないと言って排験するに遺ひたい。此の鮪は将来大陸に行って悌敬エ作・註される方 k が飴程考へて貰はな ければならぬことで、やはり或る程度の新時代に誼臆した戒律は守って戴かなければ支那人は信用しませぬ。頭 から悌敬徒でないと否定されてしまふ虞が十分にあると私は思ひます。さう一式ふ賄になると日本悌敬徒の中には 拘に遁任者が少いのであります。戒律問題とは別の理由からではありますが、宗教工作に行って居られる日本の 併侶の評判が良くないのであります。無論例外もあって、軍から其の不惜身命の活動に謝して哀心。感謝 bL 捧 げ られて居る殊勲者も居られますが、併し大煙から一言一ふと役に立たねと云ふ非難。聾が多いのです。併し私は非難 される方に寧ろ同情するのでありまして、軍部白人達が宣撫工作。仕事をして居る僻借若しくは従軍借などを批 評するのに、何時も比較の針象にするのは欧米の宣敬師であって、彼等は今から何十年前に公然布教構を特℃、, 25 夫 A 本闘の政府蛇に民間 D 有カな後援の下に物質上何む不自由もなく、行きたい所へ苫ん/\行づて大乎を振っ 品 開 款 と 大 陸 問 題 = 一 二 九

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日本傍敬摩協曾年報ハ第十二年 u 一 一 一 三 O 26 て布教をやり、さうし℃民衆と接縄するから自由に支那詰を操り、深く支部の文物を研究して居るoさう云ふ欧 米の宣教師と念僻敬の専門患で校若しくは大患でを卒業した掘出しのものと比較されるのは賓際可哀さうです。比較 の劃象が飴りに大き過ぎる。近頃は寧ろ斯う一宮ふ佼に立たね坊主を作る宗門大塾が怪しからぬと言って、宗門歌 育自慢に劃する非難の聾が怒って居ると一耳ふことを聞いて居ります。先程から東亜の平和エ作は僻敬に依らなけ ればならぬと云ふこと乞強調されましたが、これには恐らく異議を挿むものはあるまいと思ふ。偏見主持った者 でなければ否定しないでせう。すでに軍部白方でも、支那全土に亙って根乞張り、しかも抗日侮日思想を鼓吹す る欧米の基督教宣教師に封抗するものは日本の悌敬借侶を措い℃他に無いと一式ふ事は十分認めて居るのですが、 H C うも趨営な人物が無いと一宮ふことに非常な歎を乞持ってをるのであります。それで今後園家と正法との痛には 喜んで己が身命を捧げると云ふ畳悟乞持った道心堅固な人が行けば十分活動の自由があって、何蕗へ行つ℃も早 晩必十賓績を題げることが出来る詳ですから、.寧ろ布敬白必要とか何とか一宮ふ議論よりも、何うしたら一樫大陸 に於℃悌敬工作が理想的に出来るかと一式ふ具髄的な問題佐討議して裁いた方が結構だらうと息ふ。貴際、東亜新 秩序の建設、殊に文化的方面白工作に於℃は伸敬白重要性 b b 認めない者は殆ど絶えて無いのであるから、民側に 大陸の悌敬工作に努力すれば、,必ナ官民の後援を特℃、他の宗教者よりも一一居容易に御奉公 D 賞乞器げることが 由 来 る

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であります。殊に大陸 O 文化的地盤が我 A と共通せる僻歌的侍統によっ℃築かれてゐることを思へば、 興亜建設。大業達成。潟に我え日本伸敬徒の演ナベき佼割。重大性が痛感される O で あ り ま す 。 犬 陸 の 悌 敬 工 作 に 就 い て 、 序 で に 一 一 雪 一 目 し ま す が 、 現 地 か ら 蹄 っ て 来 た 人 K より色々聞い℃見ると E 一 燈 園 式 。 己注翠うし℃合掌的態度を以℃向ふ方法が飴桂成功し℃居ると云ふ乙とであります。枕等は凡での支部人に向つ

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て心から合掌する。合掌踏拝された支部人は初めは離な顔をして岡山るけれども、何時とはなしに心から慕つ℃来 るさうでありますのその飽閏はなほ極め℃狭いけれども、支那民衆の心を摘むことに於℃それが賓に成功して居 ると云ふ乙とです。遁ふ人ごとに令隼膿拝すると云ふ乙とは百本来僻敬的自覚に基く敬度な行持であって、法華 経に説かれて居る常不輯普騒が老少男女を謹ぽ示、合へぽ必や恭しく合掌躍拝して、﹁汝に悌性あり、汝常に伸と 作るべし。我れ汝を軽んぜや。﹂と稽へたと云ふ如きはそ D 模範的例読と謂って宜しい。一明難生。心中に﹃最高 慣 値 の 悌 性 が 宿 つ ℃ 居 る と 一 宮 ふ 、 ぁ D 大衆伸教の汎人類的悌性観の立場から、支那人に向つ℃も心から合掌する。 との態度が何より先づ肝要です。さうし℃乙れは伸教的自覚に立てば、自然にやれることです。 併し支那人む心をほんとうに掴むには、常不軽菩薩の如き令掌の態度と共に、不動明王の如き威力ある傘躍な 態度も必要なのであります。今年京大からも大陸へ勤勢奉仕に行きましたが、その中の或班に属する畢生は支郊 の苦力と一緒に随分猛烈に使役されたさうですが E とれを目撃した支那人の多︿は、感心するどころてはなく、 却って日本人は詰らぬものだ、最高蘭甲府の帝大の事生でさへ苦カ建と同じことが出来ない白かと言って、日本人 に劃して聴悔 D 念を抱いたと云ふ報台を耳に致しましたが、これは飴程考へ℃見なければならぬことだと思ふ。 支那人に劃し℃は自ら無暗に卑下すると一宮ふやうなことだけではいけないのであって、絶大な僻敬的自覚から合 掌すると同時に、不動明王の威カある破邪 D 利剣を揮ふことも亦時には必要となるむであります。しかもこれ等 雨方面白貴践的契機は、悌軟に本共し℃ゐる D であるから、東亜新建設を促進する痛にはとの契機を巧妙に活用 し得る人物 b 弘法ることが最も緊要であって、殊に宗門の教育的方面に営つ℃ゐられる方 k は一人でもより多くと う云ふ人物を養成することに全力を傾倒して戴きたいと息ふ D で あ り ま す 。 ハ 拍 手 V 27 傍 敬 之 大 陸 問 題

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日 本 傍 秋 酎 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 ニ 年 ︾

28 。藤本智章氏 只今拘に結構な御話を承りましたが、私は支那伸敬、殊に支那借侶に枇合性佐輿へよと云ふこと危申上げたい のであります。顧みまするに、印度に於℃大乗が起りました理由は今日山田先生から御話がありましたが、今日 D 御話の他。一面、即ち悌教教闇の例を考へます時に、一世合性と云ふものを見透した所に大乗の起った所以があ ったと思ふのであります。即ち此の事は大喪運動が進歩的な、及び在俗 D 居士の中から起ったこと位以℃考へら れることだと思ひます。此 D 大乗悌敬が支那に渡って参りまし一 LE 悌敬其むものは大飛でございましたけれ H と も 敬閣の賓際としては全く出世間的な、言はど枇合性を持たない小来悌教と同じになっ℃しまった。是が日本に参 りまして祉合性を持ちつくことが、即ち聖徳太子の三費輿降の御精紳一笠通じ℃それが見受けられます。例へば法 華範疏の中に於℃は、山林に引込んで座開をすると一式ふやうなことでは誰が一髄此の併教を弘通するのであるか さう云ふも D は菩薩の近寄るべからざる所だとしなければならぬと云ふやうなこと乞仰せられ℃帰ります D 要 す るに揖政 D 地位に在りまして仰法を説かれた太子 D 御立場は十分。祉合性を持ったものでございました。それか ら侍教大師は南部の小栗凶作に封しまして、民俗一買の党網回仰の立場に立たれまして、之を純大乗外とし℃其の運 動危なさいました。更に鎌倉時代に於℃は非借非俗 D 立場からせられる親鷺上人の撞頭及び是と艶蹴的な立場に 在ると考へられる日蓮上人に於ては、宮仕左法華経と思召せと云ふやうなこと乞仰せられ℃居ります。要するに 上求菩提、下化衆生、此の二つのものが我困に於℃は全うし℃居った。其白鞘から大乗制服と一宮ふやうな乙と主 云はれたと思ひます。此の大衆相躍。我が日本伸敬からは、支那僻敬殊に支那僧侶に謝し℃下化衆生。面乞強調 したければならぬ。邸ち税等に一匹合性を持たしたいと思ふ@であります。勿論酬つ℃見まするに、先程御話。ぞ

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うに税等の生活態度は個人的であり、出世間的でございまし℃も、戒律を守ることに至つ℃は賓に徹底し℃居り ます。私も章夫で臨済宗 O 寺を覗きました際に非常に街たれるものがあっ℃、自分も其の中に入つ℃一緒にやり たいと云ふ風な無持そ起したくらゐでありました。更に我聞に於ては現代飴りに枇合性主持ち過智ました痛か、 上求控口提の方が影が滞くなって随て下化難生も出来兼ねると云ふやうな商も無いではありませぬ e 要するに彼我 を比較し℃、税にあるものが我に無い、我にあるものが彼に無いと云ふ風な黙はございます。そこで私は彼等に 枇合性 b q a 興へよと市しまし℃も、自分謹が偉いものであるから彼等に無いもの佐興へると云ふ筑持でなく、お互 に同信同行として俳道を修行し、上求菩提、下化衆生の精進位行って、本営の俳敬を趨り上げたいと法ふ筑持で さざいます。粧品開性主興へると申しまし℃も、然らぽ如何にしてそれを典へるかと昔ふ乙とが問題になると息ひ ます。併し今其の詳しい乙とは市上げませぬ。唯それには先づ僧侶を再教育しなければならぬ、共の再教育は民 族的、岡家的方向に副はなければならぬと云ふことだけは考へられ℃居ります。それ等の鈷に付℃皆様。御高見 を承らして戴けぽ甚だ幸せと思ひます。︵拍手﹀ 。幅井康順氏 先程から結構な御話役伺ひました。私は主として支部の悌教に封する日本悌教徒 D 態度に就℃一言さし℃貰ひ たいと思ひます。初めに妥結 h 也市しますと、支那悌敬に封する者えの態度は三つあるのではないか。一つは評償 佐誤るな、失は念ぐな、コ一審目は自信を付ける、と云ふのであります、先桂から戒律に付℃ D 御話がございまし たが、私は日本の悌敬徒が支那や朝鮮の坊さん達。生活に倣ふと云ふことは反盟であ hy ま す 。 箆 T る本営の意味。 生活、人間に闘家に立脚してゐる大乗精神の日本併教の生活乞根等に知らせ℃、普えが彼等を導くべきものだと 29 傍 教 と 大 陸 問 題

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日本傍敬準協曾年報ハ第十二年︶ = 一 一 一 − 凶 却 思びます、との吾 A O 生活を直ちに目し℃悌借 D 生 活 に 非 ・ ? と す る O は、王伸一如の生活に生き通し鞍仏語し℃ 来た諸師先徳に申静がないと思ひます。さりとて破戒無慾無線件に賛成するものではありませぬ。率宜に申しま すと、明治政府の施政方針に依って閤民皆兵制が布かれた以上、日本僻敬徒の守るベぎ戒律と云ふも D は 新 し い 意 味 に 於 ℃ 寸 ス グ l ト し す べ き も D ではなかったか。鞍に出づれば鱗砲を射つ敵を殺す。勿論肉食はする。是は正 に巌たる事質であります。吾 k は園民の柴替とし℃乙 O 事貫乞受取ります。かう一式ふわけでありますから皆兵。 制が課せられた時に新しき戒律を作らなかったこと、新しき闘家機構白下に新しき生活を俳徒として建立しなか ったと云ふことは吾 K D 先輩の責任であり、又五口々乙の種接見に闘係のある者。一責任でもあると考へるもので あります。此事に深く立入って論ナる時聞はありませんがさう云ふ詳であタますから、諸先輩が斯う云ふ所で、 日本悌敬徒の生活へ支那悌敬徒に封する弱味だなどと仰しゃると云ふことは、私拘に遺憾に存歩る共第でありま す。彼等は形式的には戒律を守って居るかも知りません。だが日本 D 専門串校卒業程度の者が幾人ありませうか よしありとするも大樫其質カに於℃も枇合的認識に於℃も日本 O 悌敬徒に比較する時大した者は居ないと思はれい ます。唯日本人はとかく外岡へ行くと暗示に掛かり易い。其の免か支那へ行つ℃も一知半解の串借 bL 捉へ℃容易 に感服したり、或は彼等 D 一,寸した行儀作法に敬意を表したタするやうに考へられます。吾 k は一歩退い℃彼等 の生活の糧は H C う求め℃居 b か、彼等は一拡曾からどう見られ℃ゐるか、要求され℃帰るか、岡家観念などはど乙 まであらうか、と一宮ふことをもっと註意すべきではないかと思はれます口支部人ぐらゐ複雑怯奇なる性格はない のでありまし℃、理解心解の裏に叉袋ありで、是は少しく支那悌敬を御研究なさった方の容易にわかることだら うと思ひます。ですから、要するにその評慣吃誤るなといふことが吾 A C 支部俳軟に劃し℃執るべき先づ第一。

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