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著者 寺尾 晃洋

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(1)

現代公企業における独立採算制の理論的意義 : 独 占資本主義との関連において

その他のタイトル The Theoretical Significance of the Financial Autonomy in the medern public Enterprise : with Reference to the Monopol Capititalism

著者 寺尾 晃洋

雑誌名 關西大學商學論集

巻 9

号 1

ページ 1‑33

発行年 1964‑04‑08

URL http://hdl.handle.net/10112/00021605

(2)

現代公企業における独立採算制の理論的意義︵寺尾︶

VI[ VI 

w ][  I I  

え が き

独立採算制以前における公企業の経済的諸条件

独立採算制の理論的基礎

ー独占資本主義との内的関連についてーー ー︑独立採算制の理論的基礎

2 ︑国家的独占と差別価格

|—広岡治哉氏の批判に答えてーー

独立採算制と﹁独立会計﹂

独立採算制と公企業の形態変化

ー︑形態変化の基本的契機

2

︑各国資本主義の型と公企業の形態的特徴

独立採算制の諸結果

独立採算制論批判

結び

I

独占資本主義との関連においてーーー

寺 尾 晃 洋

現代公企業における独立採算制の理論的意義

(3)

採算制以削の場合についてみておこう︒

こ ︒ 均等発展の激化︑この点については前稿でのベ

独占段階の公企業︑すなわち現代公企業︑を特徴づける諸特徴ー詳細は別稿にゆずるーのうちで︑最も注目

一︑国家的独占の形成︑二︑すべきものは︑

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︑四︑経営の自主性

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︑の出現である︒︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

これらのうち国有化部門の外延的拡大の問題は︑独占以前の資本主義における局限された特殊な局面にのみ機能

することを特徴とした公企業から・一.独占資本主義•ことに国家独占資本主義・における公企業への転化につれて、

新しい意義をもって登場してきた︒独占段階における国有化部門の拡大は︑この段階における部門間︑国際間の不

そして資本主義の全般的危機の拡大と深化に基礎をおいている︒

国有化部門の外延的拡大︑

本稿の対象は自主性の問題である︒多様性の問題はある面からは自主性の程度︑色彩のちがいにすぎないともい えよう︒現代公企業における経営の自主性の重要性はすべての経営学者もこれを認めている︒しかしこの本質が何

b︑行政上の自主性︑ であるかという点になると︑問題は必ずしも明らかとはいえない︒この経営の自主性には︑

a︑政治上の自主性︑

C︑財政上の自主性︑

d

︑人事上の自主性︑の四っの内容があるといわれている︒しかしな がら基本的には︑財政上の自主性がその他のものの土台となっていることは疑いないところである︒

独立採錐制

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e はこの財政上の自主性︑つまり国家財政依存か らの脱却を意味する︒いま独立採算制と独占段階の公企業との理論的関連を検討するにあたり︑

その前にまず独立 公企業における経営形態の多様性︑

ま え

(4)

一般的な価格引上げによるならば︑総資本にとって当然コストにたいする圧迫を意味するので︑独占以前の段

階ではゆるされるところではない︒しかも実際にはそうした価格政策が効果をもっためには︑一定の独占的地位と

その基礎として生産の集積と集中が前提されておらねばならない︒これがないという点からも︑総資本がゆるさぬ

という以前にすでにこうした方法は不可能なのである︒また現在われわれがみている独占のように︑一般的な価格

引上げではなくて大きな差別価格を通じて大衆転嫁をおこなうことも︑たとえば鉄道の場合のように早期に独占の も ︑

独立採算制は本質的に公企業の外部からの要請によって必然化するものであって︑利潤生産を目的とする私企業

におけるように内在的なものではない︒しかしながら外部からの独立採算制の要求がいかに強い場合でも︑公企業

自身にこれをうけとめる経済的条件ないし基礎が存在しなければ︑独立採算制は現実化しえない︒この経済的条件

とは何か?別の機会に詳しくのべるであろうごとく︑独立採算制およびその反映たる自主的管理のさまざまなかた

ちが現実に効果をもっためには︑事業が相当程度の﹁剰余﹂

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大体直接費をこえる部分ーをあげうる

ことが必要であり︑

こと︑を必須要件としている︒しかしこのような公企業における剰余の形成が︑利用する総資本のコストにたいす

る圧迫とならぬかたちで達成されるためには︑公企業自体の労働生産性を高める必要があるが︑この独占以前の時

期の公企業の比較的小さな集積では︑これも大きな効果はなく︑賃下げにも限度があり︑とうていこれらの普通の

手段ではコストの切下げは効果的にはできないのである︒

注 山

さらにこの剰余の形成が価格政策によって可能として

この剰余から︑減価償却をおこない︑拡張改良のため内部留保し︑債券の元利を支払っていく

(5)

ここから独占以前の段階では︑公企業は資金的に国家財政に依存しなければならなかった︒そしてそれはこの財

︑︑︑︑︑︑︑︑

政資金の投入の仕方によって官庁企業と混合企業に分けられるが︑両者とも平均利澗率以下の局面で機能するもの

である︒この形態的区別の発生理由については後述する︒

注山適切な設例ではないが︑今日鉄道業が航空機︑自動車の競争をうけて独占度がへるにつれて︑差別的運賃を︑部分的にではあるが、採用し難くなってきていることを想起せよ。(富永•石井『鉄道経営論」、二八一ページ参照)

|ー独占資本主義との内的関連について—ー

1︑独立採算制の理論的基礎

独占段階においては︑日︑私的独占が成立し︑独占利潤率が形成される︒

I I

独立採算制の理論的基礎

れる余地はないということができる︒ 形態をとった場合でも︑むずかしい︒すなわち当時の蓄積水準としては必要資本量が大きいために競争資本が容易︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑に出現しないような幼い資本形成が前提されていたからであり︑またその資本の集積が︑この時期の資本主義総体の生産力水準や安価なる政府といった国家財政の基本性格から︑巨大な国家的独占に導きうる匠どそれほど大規模とはなりえなかったからである︒こうした場合に差別価格を課せば︑少くともその高料金局面においては競争力を生じて︑同一部門に競争資本が入ってくることを拘束できないのである︒したがってたとえば鉄道業の場合でも︑独占以前の段階では効果的な差別価格の採用は困難である︒︵さらにこの時期における国家の育成的性格からしても︑公企業の差別価格を避けるであらうことは当然考えられる︒︶かくて独占以前の資本主義における公企業においては︑生産と資本の集積・集中が未成熟であるという経済的条件の下に︑独立採算制︑そして経営の自主性をい

(6)

すでに数年以前から諸論稿で注意されてきた︒

独占利潤率には多層的な利潤率階層があることは︑

一見独占と非独占に利潤率が二大別され︑この独占利潤率は独占体によって恣意的にきめられると考えられそうで

ある︒しかしこれは事実ではない︒利潤率階層の形成には︑結局は資本の集積・つまり資本量.の相違︑そしてそ

れを基礎とした独占力の相違が根本にある︒もっとも︑資本量が等しいからといって︑必ずしも利潤率が初めから

常に等しいとは限らない︒資本量が等しくても︑

る︒独占段階においては︑ また部門により経営内容が悪条件の場合が存在す

これらの場合がたまたま生じてくるというのでなく︑独占段階の体制的な問題として系

② 統的に生みだされてくるのであって︑前稿でのべたように︑この段階に固有な生産制限と資本節約的投資傾向のた

めに構造的に市場問題が激化せざるをえず︑一部の不利な条件の事業または部門が独占にもかかわらずその資本量

に対応した独占利潤をあげえぬという事態が起るのである︒この場合こうした事業または部門からは資本は逃避す

る︒そして資本量の相違に対応した階層的利潤率が結局において成立する︒かくて独占以前の段階においては平均

利潤率が形成され︑平均利潤をあげるということに採算性の限界がおかれていたのにたいして︑独占段階において

は独占利潤率が形成され︑その線に︑さらに詳しくはそれぞれの階層の資本量に対応したそれぞれの利潤率の線に

採算性の限界がおかれるに至ったと考えることができる︒したがって独占体に関する限り︑独占以前における平均

利潤率にくらべれば︑独占段階におけるそれぞれの独占利測率へと大なり小なり各独占体の採算線は引き上げられ

た訳である。このことを裏がえせば、次の口の条件と結びついて、不採算化した結果導入された・~この点につい

ても前稿でのべた1国有化諸企業にこれに見合ったある程度の﹁剰余﹂をもたらすことになったとみることがで

(7)

また︑口︑公企業においても集積と集中がすすみ︑その基礎の上に独占段階においては大規模な国家独占が成立

する︒このことは︑先程触れたように︑いまやこの段階の公企業に独占利潤率の通常的水準を越えなく︑しかもそ

の資本量に見合った一定の利潤率︵いわゆる﹁剰余﹂︶を保障するのである︒このようにして独占以前における平均

利潤率以下的水準よりは高いが︑独占利潤率の通常的水準を越えない利潤率ーー本質的に独占利潤率ーが︑現代︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑公企業に保障されたのである︒このような国家的独占の形成にもとずいて︑山︑労働の搾取強化

11

②︑差別価格による独占利潤の最大化をはかることによって︑必要な﹁剰余﹂が確保されうる物的基礎がえられた

のである︒しかもこれらは︑公企業の独立採算制に伴って理論的に考えうる公企業の価格上昇可能性を︑国家と独

占資本の癒着を背景として︑独占資本にたいしては回避させえたのである︒したがってこれによって現代公企業の︑︑︑︑︑︑︑︑︑独立採算制と独占資本の利益との結びつきが初めて現実のものとなったといえるのである︒

このようにこれら二つの契機︑すなわち独占利洞率の形成と国家的独占の成立︑は現代公企業における独立採算

制の一般的基礎である︒

とえば地方公営企業などに独立採算制が強要され︑波及し︑やがてはあらゆる国家機関に及ぶということにもなっ

てくる︒ただ国家財政の危機の反映といっても︑あるときは公企業の合理化そのことが直接要求されているのにか

かわらず︑これを国家財政の危機のために国家財政の中では処理できず︑公企業の独立採算制のわく内で解決する

ことを強制されている場合もあり︑またあるときは公企業の合理化そのことよりも国家財政自体の問題として公企 ところがこれらは独立採算制の︑したがって経営の自主性の可能性を示すものにすぎない︒それは全般的危機を

背景として初めて現実性を与えられる︒独立採算制は基本的には全般的危機の一環としての国家財政の危機の公企︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑業における反映である︒したがって全般的危機の深まりの中で︑独立採算制の経済的基礎を備えないところに︑た

(8)

おける基本的姿勢が問題になる︒

⑱ 収︶における独占段階の公企業の評価について︑とくに差別価格に焦点をあてて批判を加えられている︒これにた

いして反論する適当な機会を逸していたので︑この機会に卑見をのべておきたい︒さて氏は私をふくめ﹁一部の人

々は︑国家企業の独占体への従属を︑国家企業の価格差別政策に見出そうとつとめている︒﹂と断じ︑﹁国家企業の価格差別政策によって︑これを解明しょうとすることが果して正しい方法であらうか︒﹂と問うている︒この点︑私と

いえども﹁従属﹂を差別価格の形成に局限している訳ではない︒公企業それ自体独占に従属しているのであり︑差

別価格はその︱つの現われにすぎない︒しかしながらとくに差別価格をとりあげるのであれば︑そのとりあげ方に

まず第一にはっきりさせておきたい点は︑本源的に独立採算制はその基本的契機の一っを国家的独占の形成に求

めているが︑差別価格はこの国家的独占を基礎とした独占価格の一形態であると私が言っている点である︒ここで

問題になっているのは

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である︒言うまでもなく中小資本にすぎぬ公企業も多数存在す

るが︑およそ独立採算制が可能性を与えられる基礎的条件は国家的独占の形成でなくてはならない︒これが原型を 広岡治哉氏はかって拙稿﹁国営会社と独占資本﹂ 2国家的独占と差別価格

ー広岡治哉氏の批判に答えて

1

業の国家財政依存を排除することが必要とされている場合もある︵たとえばわが国における戦後インフレと公共企

業体改組の場合︶︒しかしながら後者でも︑国家財政依存の体制をはずされれば︑公企業としては合理化へ向かわ

ざるをえない︒いずれにしても財政危機の契機が介在している︒

このように公企業の独立採算制は独占資本主義に固有の基礎をもち︑全般的危機の中から必然化するのである︒

東洋経済新報社︑

(9)

なしているのであるが︑国家財政の危機を媒介として中小公企業または本来採算条件がいちじるしく悪い公企業へ

波及していく︒この原型をとりあげる限り︑独占が存在するならば差別価格を設定することに何の不思議もない︒

ところが独占段階において︑公企莱はその独占的基礎の上に価格を独占体にたいし有利に︑非独占体にたいし不利

になるよう差別しているとみる私の見解にたいして︑氏は私の方法論的欠陥は﹁価格差別政策を全く任意に︑人為

的に差別しうるように考えているところにある︒﹂と批判されている︒しかし私といえども全く任意にとは考えてい

一定の需要の範囲内において︑供給を操作して価格の設定にある程度の任意ないのであるが︑独占体である限り︑

性をもつことはむしろ当然であると考えるものである︒もっともいかに独占体であっても︑不況期に需要が激減す

れば高い独占価格を保持できなくなるが︑独占体である限り独占的支配力そのものを喪失する訳ではない︒

氏が提示されているいくつかの疑問点をみると︑たとえば﹁第一に︑道路や港湾等の一定の分野では︑国家企業

は︑独占段階に入っても︑⁝⁝独立採算による自主化を行うという条件をかいている︒﹂﹁第二に︑国家的独占とい

う問題設定にもっともよく適合する鉄道の場合を考えても︑⁝⁝独占段階において価格引上げによる収入剰余をあ

げうるようになったとはみれない︒現実はむしろ逆であって︑自主化形態のもとでの合理化は︑国有鉄道の経営困

難によってつよく剌戟されているといった方が適切である︒これはいうまでもなく自動車の進出がもたらした変化

に大きな原因がある︒したがって︑寺尾氏のように︑自主化を価格引上←収入剰余←独立採算制︑自主化の定式で

とらえることは正しくない︒﹂﹁鉄道の差別運賃は産業資本主義段階に成立している︒独占段階においてこの運賃制

度には多くの変化をみているが︑これは自動車の出現にともなう市場条件の変化に対応するものである︒﹂︑このよ

うな氏の指摘においては︑独占体とみるのか︑みないのかといった本質的な問題が全くぼかされてしまい︑むしろ︑︑︑︑︑︑︑︑国家的独占という契機︑したがって独占価格の一形態としての差別価格の成立の可能性︑は後景にしりぞき︑自動

(10)

0.  

車の出現という競争的契機が独占段階における鉄道運賃の基本的な特徴であるかのごとき錯覚をすら感ずる︒独占

段階の鉄道運賃制度の基本的特徴といえば︑当然差別価格の制度的確立をあげねばならない︒自動車の影響はその

部分的修正にすぎない︒なんとなれば自動車の影響は比較的高等級貨物に限られており︑中等級以下においては鉄道の独占的地位には維然として決定的な変化はないからである︒独占段階における鉄道業の不振は︑もちろん採算

性の高い部分を自動車の競争によって食われているということも一因ではあるが︑そのことはあくまで副次的な要

因であって、荼本的には独占資本主義に固有の・前稿でのべたごとき•ある種の部門の衰退化現象に起因する。だ

がいかに衰退化してもこのような部門は本来の独占としての性質を変えるものではない︒

第二に問題になる点は︑何をもとに差別化がおこなわれるのかという点である︒もちろん氏とても差別価格が独

占価格の一形態であるということは百も承知にちがいない︒それにもかかわらず︑﹁独占価格といえども︑市場を

規制する価値法則の完徹を廃止しえない以上︑国家的独占を形成する段階の国家企莱の差別価格も︑当然企業のお

かれた再生産上の諸条件によって制約される︒﹂と︑氏はいっておられるが︑しかしながらスウィージーもいってい

るように︑﹁独占の状態の下では︑交換比率は労働時間比率と一致しないし︑またそれは生産価格のばあいのよう

に︑労働時間比率にたいし理論的に論証しうる関係をもたない︒⁝⁝われわれは︑独占価格の理論を量的に精確に

しうると期待してはならない︒このようなことを企てるものは︑特殊のばあいの迷路におちいるだけのことであろう︒﹂これと同様に差別独占の差別的比率を量的に規定する決定的な尺度は存在しない︒車扱賃率と小口扱賃率との格差が運送原価そのものの差を意味するという氏の解釈には︑電気事業の差別価格に

ついて通常いわれる根撮︑すなわち生産費説

C o s t o f   S e r v i c e   P r i n c i p l e

の考え方があるのでないかと思われる̀︑︑︑︑︑︑が︑先にもいったように生産費が尺度とならねばならない理論的理由は独占の場合存在しない︒また氏は︑鉄道の

(11)

等級賃率制度では貨物の等級分類が一般的に価格基準から決定されているという歴史的事実をみて︑差別価格と

いっても﹁資本の階層によって差別を設けようとするものではない﹂といっている︒たしかに現象的にはそのと h u

おりである︒しかし価格といえども︱つのメルクマールにすぎないのであって︑それぞれの商品に固有な運賃負

担力といったものは存在しない︒それぞれの商品の運賃負担力はそれぞれの価格の高さによって把握できるという

負担力説あるいは価値説

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の考え方は︑先程言ったように︱つの指標として価格をみる

ことができるというだけのものであって︑決して差別化決定の経済理論を示すものではない︒差別価格を設定する

目的は結局操業度を高めて独占利測の総量を最大化することである︒したがって本来意識的な経営価格政策以上に

量的な比率を決める運賃決定原理といったものは存在しないのではないだろうか︒

では第三の問題として︑次のような疑問が生ずるであらう︒このように差別価格が鉄道資本の独占利潤の最大化

を導きながら︑しかも現実に運賃体系の差別的な構造は︑多くの論者が指摘するように︑需要者たる独占資本に有

利に︑非独占に不利になっていることもまた歴史的事実であるようである︒かかる鉄道独占資本と需要者たる独占

資本との・独占相互間の•利害の適合はいかにして生じたのであらうか。

この問題は二つの方向から接近することができる︒第一点︒差別価格はさまざまなかたちをとるが︑鉄道の場合

は︑主として距離の長短・大口か小口か・商品価格の高低などについて差別が存在している︒大資本は︑事実上︑

広大な市場を支配し︑車扱を利用しうる大口需要者であり︑相対的に安い運賃が課せられている原材料の大量消費

こういった意味で︑結果的に大資本たる独占資本は差別運賃体系によって利益をうける側にあるとい

うことができる︒つまり差別価格は本来鉄道資本にとっては独占利潤の総量を最大にするための手段にすぎない

が︑そのことが需要者たる独占資本にとっても有利であるというものである︒

10

 

(12)

II 

言われているのはもっぱら供給側の独占の個別的な観点からであって︑ 第二点︒国︑供給上の独占が存在すれば︑固︑需要のある限り︑最高の独占価格を設定できるといわれる︒またそうであれば︑差別価格も︑この二つの条件がみたされておれば︑独占利澗の総量が最大となるようにいわば任意に設定できるはずである︒しかし今の場合︑﹁最高の独占価格﹂とか﹁独占利潤の総量の最大﹂といったことが

一応需要の限界ということは言われていて

も︑需要側からの観点といったものはおよそ存在してはいない︒需要側の資本のことは所与として前提されている

だけである︒ところがある独占体の独占利測率.独占価格の高さは︑当該部門におけるその独占体の独占の強度に︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑依存するのであるが︑この点をさらに追求していくと︑部門内競争における地位︑つまり資本量の相対的大きさ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑だけではなく︑部門間競争におけるそれにも依存していることがわかる︒換言すれば当該部門の参入障壁の高さがヽヽ︑︑︑︑︑︑︑︑︑問題である︒短期的には参入障壁のゆるす以上に独占利潤率.価格を引き上げうるが︑このことを継続すれば当然

新企業の参入をもたらすであらう︒寡占的市場構造では︑参入者の附加生産量は当該部門において大きな比重を占

めるので︑利潤率.価格は急落し︑長期にわたって混乱がつづく可能性がつよい︒かかる事態が推定される限り︑

一時的な場合をのぞけば︑独占体はあえて参入障壁のゆるす限度以上に独占利潤率.価格を高めようとはしない

で︑その限度内で長期的に利潤率を最大にする方向をとるのである︒現実に独占体間には資本格差があるが︑それ

に応じた独占利潤率.価格がそれぞれの独占体についてゆるされると考えるべきであらう︒このことは先程からひ

きあいに出している鉄道資本についても言えるであらう︒鉄道資本の場合︑参入障壁のゆるす限度内で長期的に独

占利潤率を最大にする方法が差別価格であると考える︒

したがって差別価格の問題を考える場合も︑それが独占価格の一形態とはいえ︑背後に今みてきたごとく資本間

の競争をおいて考えねばならないと思う︒別言すれば差別価格は単に供給側の独占体の一方的な利潤の極大化のた

(13)

めの価格政策ではない︒主観的・意識的にはそのようであっても︑客観的にはまず資本間の競争の中で鉄道資本の

一定の利潤率.価格が決まってくる︒差別価格はその配分方法であって︑最大利潤をめざす鉄道資本は︑この利潤

率.価格の限度内において︑しかも与えられた需要構造の上に︑運送対象それぞれの背後にある諸資本あるいは所

得の反応の総体として差別価格を与えられるのである︒

そこでいま少し詳しくこの点についてみてみよう︒独占的な鉄道資本がさまざまな運送対象に高率の独占的な・

しかも先の表現では参入障壁のゆるす限度以上の・運賃を課す場合を考えてみよう︒この鉄道でも︑その需要者が

独占体の場合には︑かりにある程度の高率運賃でも自らの商品の需要者に転嫁することができる︒この場合にはあ

る程度の運賃の高さも容認されるが︑しかしあくまでその条件は参入障壁のゆるす限度の運賃でなければならな

一時的に転嫁がおこなわれても︑長期的にはその部門は資本

にとって魅力にみちた場所であるはずであるから︑かならず資本の参入がおこなわれるであらう︒鉄道のみならず

他の輸送機関︵船舶・自動車・航空機︶を可及的に利用し︑あるいはこれらを傘下におさめることによって参入資

本はさきの鉄道資本の独占的地位をゆすぶろうとする︒そこで新たな協調がおこなわれるが︑ある場合にはそれは

資本的吸渠

1 1

企業連合にまで発展する︒

またいわゆる公益事業諸部門について一般にいえることであるが︑投資の場所的固定性を基礎としているところから生

産の集積に一定の制約があるので︑これらの諸部門は独占の形態を保ちつつも資本としては相対的に弱い︒しかもこれらの

部門では生産の社会性は極めて大である︒したがって総独占の立場にささえられた﹁公益事業統制﹂といった外的

規制を甘受しなければならないのである︒鉄道業の規合はこれは鉄道統制としてあらわれる︒これが一定の条件の

下で一歩進められると︑鉄道の国有化となる︒これらのかたちで鉄道をとりまく資本と鉄道資本との資本間競争が展 い︒今の前提のように﹁限度以上の﹂運賃の場合は︑

(14)

13 

開され︑鉄道資本は自らの資本に応じた利潤率.価格を強要されているのである︒そこで鉄道資本はその独占的地

位を基礎として︑その不当な高率運賃でも甘受せざるをえぬような︑あるいはそれを消費者に転嫁できないような︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑立場にある一般乗客や中小資本に︑その需要の限度一杯に高い独占的な運賃を賦課しようとする︒もっともこれに

よって需要が消滅ないし減退するごとき特殊の場合には︑特殊な経営政策上の割引を実施する︒このようにしてえ

られた独占利潤の部分を先にのべた資本格差に応じた独占利潤の総量︵自らの資本に応じた利潤率.価格が先述の

ごとく競争過程の中で決まっているので︑この独占利潤の総量はすでに客観的に与えられている︶から除したもの

が︑需要側の独占資本の負担すべき運賃に相当する︒

差別的に高率運賃をかければかける低ど︑需要側の強い部面

1 1

諸独占体は相対的に低運賃となるにちがいないので

このことは鉄道資本にとっても︑ したがって利潤総量が一定であれば︑

与えられた競争条件の中で利潤総量の最大化を達成するということであ

︑ ︑

り︑また需要側の諸独占体にとっても低運賃ということで︑ここに利害が一致してくる訳である︒もちろん需要

構造がちがえば︵たとえば旅客が主で貨物が従であったものが︑貨物が主で旅客が従になってきたというような場

合︶負担構成がちがってき︑諸独占体が必ずしも従前の低運賃を享受できぬということも起りうる︒また交通手︑︑︑︑︑︑︑段の技術的変革が進んでくると独占の基礎にある生産条件が変ってくるので︑市場占攘率に変化が生じるはずであ

る︒したがってこの上に立った差別価格にも影響がある︒最近の航空機・自動車の進出はこういった角度から問題

になる︒それらは交通部門における資本参入の︱つのかたちである︒

もちろん差別価格は私的独占においては当然のことであるが︑独占段階の公企業も不可避的に独立採算制を強要

されている以上︑採算性を高めることが不可欠であり︑差別価格はその可能性があるところには必ず設定をみてい

ると言ってよい︒公企業の場合はこうした企業的観点の上にさらに政策価格といった要因が加算され︑より複雑化 需要側の弱い部面に

(15)

(3)  (2) 

注 山

このような理由から︑差別価格は一般的に言って︑独占に有利に非独占に不利にと私はのべた訳であって︑もち

ろん現実に賃率を決定する場合︑たとえば価格をメルクマールとしているということを無視したものではない︒少

くともその背後に資本という観点をいれて理解しなくては︑高価な商品が運賃にたいする需要の弾力性が小で︑安

価な商品がそれが大きいなどという反応自体も本当はでてこないはずである︒私はこうした諸資本の競争といった

視角をいれて︑独占価格︑したがって差別価格をみるべきであると考えているのであって︑そういう意味では決し

て差別価格を﹁恣意的﹂なものとは言っていないつもりである︒

最後に一応これまでの論点を要約すると︑現代公企莱における独立採算制は︑全般的危機のもとでの国家財政の危

機の公企莱経営への反映であり︵本質的に財政現象︶︑たまたま起るという現象ではなく理論的に独占資本主義を

前提とし、そのなかから法則的必然性をもって生れでてきたところの現代国家の•国家独占資本主義の•主要な矛

盾の一っであり︑結果として公企業の合理化の機構を必然化している︒これが私の基本的な考え方である︒

差別価格は︑公企莱の独立採算制を考える今の揚合でも︑あくまで部分的な問題である︒しかしそれの正体を見

のがさないということは︑独立採算制の歴史的な立脚点を明らかにするためには意義のあることであると考えるも

稿

西

貿

していることは言うまでもない︒

一 四

(16)

15 

現代公企業における独立採算制の理論的意義︵寺尾︶

U6l  U5)  U4l  U3l  U2) 

u n  

UO) (9) (8)  (7)  (6)  (5)  (4) 

l

五 広岡禍︑同上書︑ニ︱八ページ︒ 加藤睦夫﹁政府諸特別会計・諸機関間の財政関係﹂︵﹃日本の財政分析﹄︑近代財政講座第三巻︑春秋社︑一四五ペー ジ︶において下記のような興味ある例があげられている︒たとえば専売事業でも︑ソーダ工業原塩のトン当り単価五︑ ニ四九円に対し一般用原塩︵両者とも輸入塩︶は︱二︑

000

円となっており︑また工業用アルコール特別定価

(990)

一 ︑ 六

00

円に対して一般定価は同じく

9 9

︒ で 四

0

八︑七

00

円である︒この点についてアルコール専売法第二

0

条 ︑ 塩 専

売法第二九条でいずれも特別価格の規定を設け︑政府︵塩専売法の場合は大蔵大臣の認可︶にその権限を委任していると

いう︒この場合差別価柘だとは直ちにはいえないが︑差額の全部をコストに帰しうるかどうかは︑車扱と小口扱︑産業用

電力と家庭用電力の場合と同じく︑非常に疑問である︒

広岡稿︑前掲書︑ニニ︱ページ︒

広岡稿︑前掲書︑ニニ

01

ニ ニ

i

ー ジ

ダニーロフ著︑八雲訳編﹃社会主義交通経営論﹄︑青木書店︑四九ページ参照︒

拙稿「資本制生産と公企業の形成についての理論的考察」(関大「商学論集」第八巻第五•第六号)

広岡稿︑前掲書︑ニニーページ︒

スウィージー著︑中村訳﹃資本主義発展の理論﹄日評︑三六九ー三七

0

ペ ー ジ ︒

広岡稿︑前掲書︑二三五ページ参照︒

広岡禍︑前掲書︑ニニ四ページ︒

山城章﹃価格統制の研究﹄︑日評︑昭和十五年︑二

0

一 ペ ー ジ 以 下 参 照

北原勇﹁独占価硲にかんする一考察﹂︵一橋大︑﹁経済研究﹂︑第一四巻第四号︶参照︒

公益事業諸部門は固定資本が極めて大きな部門である︒したがってここにおける競争はいわゆる﹁破滅的競争﹂の観を呈

する︒すなわち重複投資という社会的ロスがおこなわれるのみでなく︑そこでは固定資本の減価による損失が危大である︒

ここから現実に競争の結果をまたず国家の手によって代替的手段たる統制によって競争の現実的効果が追求されているの

で あ

る ︒

(17)

﹁独立会計﹂

( 1 1

特別会計 現代公企業の独立採算制は﹁独立会計﹂

s e p a r a t e a c c o u n t i n g

た国の財政を規律する諸法律から自由であることを前提としている︒これらは本来︑国家の経済機能のきわめて低

度な歴史的段階︑イギリスでは一六二八年の

P e t i t i o n o f   R i g

h t

︑一六八九年の

B i l l

o f   R i g h t

s

にさかのぽること

ができるところの︑国民が議会を通じてその同意なき国王の金銭賦課を排除し︑またその支出を抑制せんとしたいわゆる財政に関する議会主義に淵源している︒したがってその場合資本的支出が少いところから現金主義にもとず

く官庁会計方式がとられ︑しかもこれを基礎とした極めて硬直した官庁予算が拘束性を目的としてできあがったこ

とは容易に理解しうるところである︒この拘束性はさまざまなかたちをとっている︒たとえば総計予算主義︑会計

② 年度独立︑統一的会計︑統一的収支︑統一国庫主義︑個別費目主義︑収支均衡の諸原則のかたちをとっていた︒こ

のように厳しい拘束性が加えられ︑とくに予算目的以外の︑その目的の金額を超えるいかなる支出も許されてはお

らず︑収入は一応全部国庫に収納されることとなっており︑しかも収支は年々例外なく均衡させられていたのであ

このような方法によって事業をおこなう公企業を規律することは︑公企業が小規模である間は可能であるが︑か

なり発展した場合にはいちじるしくその合理的経営を阻害するものとなるのであり︑またこのような発展がみられ

た場合︑現金主義会計では処理困難となるのである︒そこでまず国家財政から公企業の﹁独立会計﹂

化︶が出現し︑ついで公企業にも﹁企業会計制度﹂が導入されるに至るのである︒しかしながらこの﹁独立会計﹂

自体は独立採算制と範疇的に別箇のものである︒ただ企業会計制度の導入については︑たんに経営の発展にともな る ︒

すなわちわが国で言えば財政法︑会計法といっ

一 六

(18)

17 

一 七

う会計制度の技術的進歩というにとどまらず︑独立採算制の部分的導入の意味をもっており︵減価償却の計上︶︑

︱つの意味の飛躍がある︒それにもかかわらず会計制度としての企業会計制度と独立採算制とでは論理的段階が異 なる︒独立採算制は﹁独立会計﹂において意味されるような経営技術的視点から規定さるべきではない︒換言すれ ば独立採算制は経営管理の高度化された技術的手段︑あるいはより狭く公企業の大規模化にもとずく当然の資本調 達手段を意味するものではない︒独立採算制は公企業に財政上独立的な基礎を附与するものであって︑これを足が かりとして政治上︑行政上︑人事上のすべての自主性が与えられ︑企業的経営による公企業の﹁合理化﹂がそれら

の結果として導かれるのである︒だがこのように合理化が独立採算制の結果であるという反面において︑今日の合 理化が明日の独立採算制の強化の手段であるという関係にあることもまた事実である︒自主化の最高形態である公 共企業体の存立の意味もここにあるといえる︒このため公共企業体は独立採算制の諸要件をととのえ︑企業会計方

式をとりいれ︑企業予算制度をとりいれて︑

これと議会における従来の予算審議の方式との調整を考えなければな らないのである︒この点については︑続稿で詳しくのべる︒しかしながらこのようにいっても合理化から独立採算

制が生じたとか︑公企業の大規模化それ自体から独立採算制が生じたとかいわんとしているものでないことはいう

までもない︒独立採算制は︑

その実現可能性を前節でのべたごとき公企業の経済的条件によって与えられ︑

経営技術的発達を前提にしているとはいえ︑本来このような内的諸契機から生じたものではなく︑本質的に財政現

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

象として国家財政の危機の反映であり︑公企業の経営の外部から与えられたものである︒

このように公企業にとって独立採算制は外的契機であるという点から﹁合理化﹂の性格が問題になってくる︒公 企業にたいする独占資本主義の要求は単に﹁合理化﹂だけではない︒それは不採算部面の引受け︑政策料金などの

非企業的・

﹁不合理﹂的要素を内包している︒あるいはまた合理化も不合理的な要素の存在を前提し︑

これを温存

(19)

独占段階•ことに国家独占資本主義・のもとでは、公企業部門の拡大傾向を生むが、これと共にこれらの機能も

複雑化してくる︒国家は︑各種の生産的諸事業を経営し︑信用を補強し︵長期金融・中小企業金融など︶︑経済を

統制し︑商品流通へ関与し︵必需物資の一括売買︶︑社会政策を遂行する︑といったさまざまな形の活動を公企業

を通じておこなうが︑このような活動が採算条件を異にし︑かつ多面的におこなわれることを必要とすればするほ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ど︑公企業の形態的多様化が生ずる︒これは独占段階・先にのべたようにことに国家独占資本主義・における産物

である︒なんとなればこの時期の増大しつつある国家財政の必要性から︑これらのさまざまの公企業は自立化を進

めなくてはならず︑そうなればどうしても資本の本能に忠実でなければならない︒

て︑経営の自主性に程度の差があり︑また自主性の内容にはバラェティがある︒この自主性の度合のちがいは︑こ

れをさらに追求していけば公企業における利潤率の大いさのちがいに帰着する︒公企業の形態的多様性は基本的に

は結局この利潤率のちがいに根因するといえる︒このように利潤率のちがいが経営の自主性の度合︑とくに財政上 ー︑形態変化の基本的契機

I V

独立採算制と公企業の形態変化

だが活動分野のちがいによっ せんがための合理化ともいうことができる︒かかる不合理を包む合理化というところに公企業の合理化の特徴がある︒本質的に主体性を欠除するところの公企業にとって︑これは独占間の斗争の所産であって︑公企業はこの斗争過程の中で合理化と不合理の両契機を無原則的に動揺せざるをえないのである︒

注山杉村章三郎﹃財政法﹄︵法律学全集

1 0 )

一 八

参照

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