日中小学校 にお ける 「総合学習」 の事例研究
一 子 どもの活動の 「自由度」と 「ハーディネス」との関係 に焦点を当てて 一
二重大学大学院教育学研究科 学校教育専攻 学 校教育専修
楊 欣 2010有 ■2ナ1 12日
日中小学校 にお ける 「総合学習
」
の事例研究子 どもの活動の 「自由度
」
と 「ハ‑デ ィネス」との関係 に焦点を当てて三重大学大学院教育学研究科 学校教育専攻 学校教育専修
楊 欣
201 0
年2
月1 2
日日中小学校 にお ける 「総合学習
」
の事例研究子 どもの活動の 「自由度
」
と 「ハ‑デ ィネス」との関係 に焦点を当てて三重大学大学院教育学研究科 学校教育専攻 学校教育専修
楊 欣
201 0
年2
月1 2
日序章 ・・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●●● ・・・・・・・・・・・・・目次
1・ 5
第1節 問題 の所在
第2節 研 究対象及 び研 究方 法
第 1章 「自由度
」
と 「ハ ‑デ ィネ ス要求度」
の二つ の軸 にお け る 「総合 学 習」
の分類6・ 1 2
第1節 「総合 学 習」
にお け る 「自由度」
と 「ハ ‑デ ィネ ス」
の定義第1項 「自由度 」 につ いて 第2項 「ハ ‑ デ ィネ ス
」
につ いて第
2
節 「総合 学 習」にお け る四つ の分類 につ いて第
2
章 日本 にお け る 「総合 的 な学習 の時 間」
の概観 と実践 ・・‑ ・・・・・・・1 3・ 26
第1節 「総合 的 な学習 の時 間」の創設 と発展第2節 三重 県S小 学校 の授 業 実践
第
1
項S
小 学校 の紹介及 び 「総合 的 な学習 の時 間」 ‑ の取 り組 み 第2
項S
小 学校 にお け る授 業実践及 び分析第
3
節 教 師 の 「自由度」 「
主体性」
と 「ハ ‑デ ィネ ス」
の捉 え方 第4
節 教 師 の 「観 」 が実践 に与 え る影 響第3章 中 国 にお け る 「総 合 実 践 活 動」の概 観 と実 践 ‑ ‑ ・‑ ・‑ ‑ ‑
27・ 42
第1
節 「総合 実践活 動」の創 設 と発 展第2節 天 津 市小 学校 にお け る 「総合 実践活動」‑ の取 り組 み 第1項 「総合 実践活動」を導入す る概 要
第2項 研 究 学習 につ い て 一
第
3
項 研 究性 学習 の試 行教材‑ 「発 見 と探 索」 第3
節 天 津 市T
小 学校 にお け る研 究性 学習 の授 業 実践第1項 T小 学校 の紹介及 び 「研 究性 学習」‑ の取 り組 み 第
2
項丁
小 学校 にお け る授 業実践及 び分析第
4
節 教 師 の 「自由度」
「主体性 」 と 「ハ ‑デ ィネ ス」
の捉 えか た 第5
節 教 師 の 「観」が実践 に与 える影響終章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43・ 44
第1
節 本研 究 の到 達 点第2節 本研 究 の課題 序章 ・・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●●● ・・・・・・・・・・・・・目次
1・ 5
第1節 問題 の所在
第2節 研 究対象及 び研 究方 法
第 1章 「自由度
」
と 「ハ ‑デ ィネ ス要求度」
の二つ の軸 にお け る 「総合 学 習」
の分類6・ 1 2
第1節 「総合 学 習」
にお け る 「自由度」
と 「ハ ‑デ ィネ ス」
の定義第1項 「自由度 」 につ いて 第2項 「ハ ‑ デ ィネ ス
」
につ いて第
2
節 「総合 学 習」にお け る四つ の分類 につ いて第
2
章 日本 にお け る 「総合 的 な学習 の時 間」
の概観 と実践 ・・‑ ・・・・・・・1 3・ 26
第1節 「総合 的 な学習 の時 間」の創設 と発展第2節 三重 県S小 学校 の授 業 実践
第
1
項S
小 学校 の紹介及 び 「総合 的 な学習 の時 間」 ‑ の取 り組 み 第2
項S
小 学校 にお け る授 業実践及 び分析第
3
節 教 師 の 「自由度」 「
主体性」
と 「ハ ‑デ ィネ ス」
の捉 え方 第4
節 教 師 の 「観 」 が実践 に与 え る影 響第3章 中 国 にお け る 「総 合 実 践 活 動」の概 観 と実 践 ‑ ‑ ・‑ ・‑ ‑ ‑
27・ 42
第1
節 「総合 実践活 動」の創 設 と発 展第2節 天 津 市小 学校 にお け る 「総合 実践活動」‑ の取 り組 み 第1項 「総合 実践活動」を導入す る概 要
第2項 研 究 学習 につ い て 一
第
3
項 研 究性 学習 の試 行教材‑ 「発 見 と探 索」 第3
節 天 津 市T
小 学校 にお け る研 究性 学習 の授 業 実践第1項 T小 学校 の紹介及 び 「研 究性 学習」‑ の取 り組 み 第
2
項丁
小 学校 にお け る授 業実践及 び分析第
4
節 教 師 の 「自由度」
「主体性 」 と 「ハ ‑デ ィネ ス」
の捉 えか た 第5
節 教 師 の 「観」が実践 に与 える影響終章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43・ 44
第1
節 本研 究 の到 達 点第2節 本研 究 の課題
序章
第 1節 閉居 の所在
日本 と中国は歴史的な経緯の共通性が見 られ、文化、伝統において類似 している部分 も ある。教育においても、佐藤学が言 うよ うに、日中両国は同 じ教育の近代化 を歩いている。
ただ、発展のスピー ドが異な り、中国は 日本の後追いをしていると言えよ う。 「総合学習」
において、 日本の 「総合的な学習の時間」は1996年7月に第 15期 中央教育審議会第1次 答申によって創設が提言 され、2002年か ら小学校 ・中学校 ・高等学校に本格的に設けられ るよ うになった。 これに対 して、中国では 「総合実践活動」 といい、2001年6月8日に中 国教育部が頒布 した 『基礎教育課程改革綱要 (試行)』 (以下は 『基礎綱要』 と略する)の 中で創設 された。 日中両国は 「総合学習」を実施するに当たって教育実践現場で一定の成 果を収めたと同時に様々な問題 にぶつかっている。 日本では2004年末か ら、OECDのPISA 調査 をは じめ 日本の学力低下を示す国際調査結果が相次いだが、その原因が検討 されない まま、総合学習やゆとり教育がや り玉に挙げられた。2009年に新 しい学習指導要領の中で
「総合的な学習の時間」は年間 110時間か ら70時間までに減 らされた。一方、中国では、
「総合実践活動を取 り巻 く環境には課題が少なくない。 (中略筆者)受験のための準備が優 先 され る現実、教員の専門性の限界、教師のカ リキュラム開発意識の未熟な どは重大な課 題である」(朴淑子 ・伏木久始,2008)
1
とい う指摘がある。また、易郷 (2009)2
では 「学 校組織体制が、カ リキュラム経営環境 とlして、教師による総合実践活動の実践 を十分にサ ポー トできないことは実践の阻害要因である」 と述べている。以上のように 日中両国は 「総合学習」の実施において様々な問題 を抱えている。 この時 期だか らこそ、「総合学習」 を新たな角度か ら見つめる必要があるのではないか と筆者は考 えている。キー ワー ドとして 「自由度
」
(授業中の活動の中で、子 どもたちが 自分の役割を 果たす とい う責任感 を持ちなが ら、あるテーマについて自主的に考 え行動す ることができ る度合い)と 「ハ‑ディネス」
(ハ‑デ ィネスとは、KOBASAによると高ス トレス下で健康を 保つ人が持っている性格特性である。 コミッ トメン ト、チャレンジ、コン トロール とい う 三つの次元か ら構成 されている)を取 り上げたい。「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス十 を取 り上げたのは 日本 と中国の 「総合学習」の 『指導要 領』において、子 どもたちの主体的に学ぶ姿勢が強調 され、また、 日本では 「生きる力」、
(生きる力 とは、杜成究 ・添 田晴雄 によると① 自分で課題 を見付 け、 自ら学び、主体的に
1 序章
第 1節 閉居 の所在
日本 と中国は歴史的な経緯の共通性が見 られ、文化、伝統において類似 している部分 も ある。教育においても、佐藤学が言 うよ うに、日中両国は同 じ教育の近代化 を歩いている。
ただ、発展のスピー ドが異な り、中国は 日本の後追いをしていると言えよ う。 「総合学習」
において、 日本の 「総合的な学習の時間」は1996年7月に第 15期 中央教育審議会第1次 答申によって創設が提言 され、2002年か ら小学校 ・中学校 ・高等学校に本格的に設けられ るよ うになった。 これに対 して、中国では 「総合実践活動」 といい、2001年6月8日に中 国教育部が頒布 した 『基礎教育課程改革綱要 (試行)』 (以下は 『基礎綱要』 と略する)の 中で創設 された。 日中両国は 「総合学習」を実施するに当たって教育実践現場で一定の成 果を収めたと同時に様々な問題 にぶつかっている。 日本では2004年末か ら、OECDのPISA 調査 をは じめ 日本の学力低下を示す国際調査結果が相次いだが、その原因が検討 されない まま、総合学習やゆとり教育がや り玉に挙げられた。2009年に新 しい学習指導要領の中で
「総合的な学習の時間」は年間 110時間か ら70時間までに減 らされた。一方、中国では、
「総合実践活動を取 り巻 く環境には課題が少なくない。 (中略筆者)受験のための準備が優 先 され る現実、教員の専門性の限界、教師のカ リキュラム開発意識の未熟な どは重大な課 題である」(朴淑子 ・伏木久始,2008)
1
とい う指摘がある。また、易郷 (2009)2
では 「学 校組織体制が、カ リキュラム経営環境 とlして、教師による総合実践活動の実践 を十分にサ ポー トできないことは実践の阻害要因である」 と述べている。以上のように 日中両国は 「総合学習」の実施において様々な問題 を抱えている。 この時 期だか らこそ、「総合学習」 を新たな角度か ら見つめる必要があるのではないか と筆者は考 えている。キー ワー ドとして 「自由度
」
(授業中の活動の中で、子 どもたちが 自分の役割を 果たす とい う責任感 を持ちなが ら、あるテーマについて自主的に考 え行動す ることができ る度合い)と 「ハ‑ディネス」
(ハ‑デ ィネスとは、KOBASAによると高ス トレス下で健康を 保つ人が持っている性格特性である。 コミッ トメン ト、チャレンジ、コン トロール とい う 三つの次元か ら構成 されている)を取 り上げたい。「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス十 を取 り上げたのは 日本 と中国の 「総合学習」の 『指導要 領』において、子 どもたちの主体的に学ぶ姿勢が強調 され、また、 日本では 「生きる力」、
(生きる力 とは、杜成究 ・添 田晴雄 によると① 自分で課題 を見付 け、 自ら学び、主体的に
1
判断 し、問題 を解決す る資質や能力。② 自らを律 しつつ、他人 とともに協調 し、他人を思 いや る心や感動す る心な ど、豊かな人間性。③たくま しく生きるための健康や体力である) 中国では 「創新能力」 (創新能力 とは、熊梅によると①実践か ら積極的な体験 と豊富な経験 を獲得す ること。② 自然、社会 自分 とい う三者の関連性を認識 し、責任感 を持っ。③ 自分 で問題 を発見 し、解決す る能力。④知識 を活用す る能力。⑤積極的な姿勢である)を 「総 合学習」の根本的な 目標 としてあげ られ、共通 している部分は 「ハ‑デ ィネス」所謂 「問 題解決能力」であるか らである。
また、「総合学習」の位置、良 さ、課題 を明 らかにす る為に、 「自由度」 と 「ハ‑ディネ ス要求度
」
(ハ‑ディネスか要求 される度合いである)の二つの軸か ら 「総合学習」
の在 り 方を分類 した。具体的には第 1章で述べる。ここで 日本における 「総合学習」に関する研究を概観 してお く。川本治雄 ・松房正浩
( 2002)
では 「総合的な学習」 と教科 とを関連付 けなが ら、地域や現実的な諸問題 について共同で 学習 し主権者 としての 自覚を深める方向で、カ リキュラム上に位置づけられた ときに子 ど もにとっての 「学び」が成立す ると指挿 した。加賀裕郎( 2004)
では 「児童中心派一経験 学習派‑ ゆとり教育派」
と 「学問中心派一系統学習派一学力低下憂慮派」
とい う従来の対 立枠組みか ら 「総合学習」 を解放 し、それを新 しい認識論的、学習理論的枠組みに位置づ けることを通 して、「総合学習」の新 しい教育的意義 を検討 した。 また、杜成寛、・添田晴 雄( 200 5)では、総合実践活動について 日中の政策の発展変化、カ リキュラムの 目標、実
施、内容、評価、開発、組織形式について、それぞれの共通点 と相違点が述べ られている。そ して、マク ドナル ド ロー レンス
( 200 6)
は総合的学習 とい う人権問題、多文化、国際理 解、環境教育、地域活動な どに焦点を当てたカ リキュラムを含む教育活動を教師 ・学校が 導入 ・構築 してい く事について考察 し、現在の改革に至った 日本の教育改革の歴史を詳述 し、改革に際 しての賛否の議論 と現在の 日本の公立学校における総合的学習の時間につい て検討を行った.総合学習の教材研究例 として三浦裕 ・高橋一徳( 2000)
では小規模学校 の総合学習における 「健康 と生活」 をテーマに取 り上げ、分析 を行 った。また、葉韻締 ・ 吉永潤( 2008)
では総合学習における 「生命教育」 とい うテーマを取 り上げ、分析を行っ た。以上のように 日本 における総合学習の研究を概観 してきたが、いずれ も理論的な レベ ル、或いは教材研究的な レベルにとどま り、「自由度」
と 「ハ‑デ ィネス」
をキーワー ドに した実践例に関す る検討は、未だに行われていないのである。そ こで、三重県S
小学校、中国天津市
T
小学校の 「総合学習」 を取 り上げ、「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス要求度」の二 判断 し、問題 を解決す る資質や能力。② 自らを律 しつつ、他人 とともに協調 し、他人を思 いや る心や感動す る心な ど、豊かな人間性。③たくま しく生きるための健康や体力である) 中国では 「創新能力」 (創新能力 とは、熊梅によると①実践か ら積極的な体験 と豊富な経験 を獲得す ること。② 自然、社会 自分 とい う三者の関連性を認識 し、責任感 を持っ。③ 自分 で問題 を発見 し、解決す る能力。④知識 を活用す る能力。⑤積極的な姿勢である)を 「総 合学習」の根本的な 目標 としてあげ られ、共通 している部分は 「ハ‑デ ィネス」所謂 「問 題解決能力」であるか らである。また、「総合学習」の位置、良 さ、課題 を明 らかにす る為に、 「自由度」 と 「ハ‑ディネ ス要求度
」
(ハ‑ディネスか要求 される度合いである)の二つの軸か ら 「総合学習」
の在 り 方を分類 した。具体的には第 1章で述べる。ここで 日本における 「総合学習」に関する研究を概観 してお く。川本治雄 ・松房正浩
( 2002)
では 「総合的な学習」 と教科 とを関連付 けなが ら、地域や現実的な諸問題 について共同で 学習 し主権者 としての 自覚を深める方向で、カ リキュラム上に位置づけられた ときに子 ど もにとっての 「学び」が成立す ると指挿 した。加賀裕郎( 2004)
では 「児童中心派一経験 学習派‑ ゆとり教育派」
と 「学問中心派一系統学習派一学力低下憂慮派」
とい う従来の対 立枠組みか ら 「総合学習」 を解放 し、それを新 しい認識論的、学習理論的枠組みに位置づ けることを通 して、「総合学習」の新 しい教育的意義 を検討 した。 また、杜成寛、・添田晴 雄( 200 5)では、総合実践活動について 日中の政策の発展変化、カ リキュラムの 目標、実
施、内容、評価、開発、組織形式について、それぞれの共通点 と相違点が述べ られている。そ して、マク ドナル ド ロー レンス
( 200 6)
は総合的学習 とい う人権問題、多文化、国際理 解、環境教育、地域活動な どに焦点を当てたカ リキュラムを含む教育活動を教師 ・学校が 導入 ・構築 してい く事について考察 し、現在の改革に至った 日本の教育改革の歴史を詳述 し、改革に際 しての賛否の議論 と現在の 日本の公立学校における総合的学習の時間につい て検討を行った.総合学習の教材研究例 として三浦裕 ・高橋一徳( 2000)
では小規模学校 の総合学習における 「健康 と生活」 をテーマに取 り上げ、分析 を行 った。また、葉韻締 ・ 吉永潤( 2008)
では総合学習における 「生命教育」 とい うテーマを取 り上げ、分析を行っ た。以上のように 日本 における総合学習の研究を概観 してきたが、いずれ も理論的な レベ ル、或いは教材研究的な レベルにとどま り、「自由度」
と 「ハ‑デ ィネス」
をキーワー ドに した実践例に関す る検討は、未だに行われていないのである。そ こで、三重県S
小学校、中国天津市
T
小学校の 「総合学習」 を取 り上げ、「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス要求度」の二つの軸か ら教師の 「観
」
(実践に当たって教師の考え方、 とらえ方、見方 といったよ うなも のである)及び、教師の 「観」が実践にどのよ うに影響 しているのかが明 らかにす ること である。第
2
飾 研 究対象及び研究方法 1、研究対象 :旦杢 :
( 1 )三重県K市 S
小学校六年生3
人 担任 中田教諭 (以下は全部仮名である)( 2008
年)( 2)三重県K市 S
小学校六年生4
人 担任大森教諭( 20 09
年)皇国 :
( 1 )天津市T
小学校4
年生G組35
人。( 200 9
年)( 2)天津市 J
小学校宋教諭 (研究性学習を兼任する教員)( 3)天津市胡教育研究員 (
総合実践活動を担当する教育研究員)★筆者が紹介す る研究性学習は実験授業である。 (実験授業は区教育研究室が主催 し、月に
1
回、年に1 2
回行われ る。仕組み・としては区内の各学校の担当教師を集め、 どのように授 業を展開すればいいのか とい う手本を実際の授業を通 して提示 し、またそれに基づ く検討 会を行 う.実験授業において、その方法を普及するため、一般的に教師 と児童は異なる学 校である。)2、研究方法 :
本研究では
S
小学校 とT
小学校の授業観察及び中田教諭、大森教諭、宋教諭、胡教育研 究員のインタビューにより、事例分析を行った。その理由は 「他の視点か らの解釈 との突 き合わせ、複数の種類の情報を重ね合わせ ること (トライアンギュレーシ ョン)を通 して 事例研究の妥当性 を確かめる」
(無藤隆 ・やまだようこ、200 4))
ことである。(1)観察 且杢 :
S
小学校 :筆者は200 8
年5
月か ら現在まで5
、6学年を対象 とし週一回授業観察を行って いる。観察時間は午前9
時か ら1 1
時3 0
分計二時間半である。本研究では200 9
年1
月の 「保 育士体験」 と2009年4
月の 「田植 え活動」を取 り上げ、事例分析の対象 とした。皇国 :
筆者は
2 009
年3
月1 3日 (
金曜 日)に宋教育研究員の要請を受け、研究性学習の実験授3
つの軸か ら教師の 「観
」
(実践に当たって教師の考え方、 とらえ方、見方 といったよ うなも のである)及び、教師の 「観」が実践にどのよ うに影響 しているのかが明 らかにす ること である。第
2
飾 研 究対象及び研究方法 1、研究対象 :旦杢 :
( 1 )三重県K市 S
小学校六年生3
人 担任 中田教諭 (以下は全部仮名である)( 2008
年)( 2)三重県K市 S
小学校六年生4
人 担任大森教諭( 20 09
年)皇国 :
( 1 )天津市T
小学校4
年生G組35
人。( 200 9
年)( 2)天津市 J
小学校宋教諭 (研究性学習を兼任する教員)( 3)天津市胡教育研究員 (
総合実践活動を担当する教育研究員)★筆者が紹介す る研究性学習は実験授業である。 (実験授業は区教育研究室が主催 し、月に
1
回、年に1 2
回行われ る。仕組み・としては区内の各学校の担当教師を集め、 どのように授 業を展開すればいいのか とい う手本を実際の授業を通 して提示 し、またそれに基づ く検討 会を行 う.実験授業において、その方法を普及するため、一般的に教師 と児童は異なる学 校である。)2、研究方法 :
本研究では
S
小学校 とT
小学校の授業観察及び中田教諭、大森教諭、宋教諭、胡教育研 究員のインタビューにより、事例分析を行った。その理由は 「他の視点か らの解釈 との突 き合わせ、複数の種類の情報を重ね合わせ ること (トライアンギュレーシ ョン)を通 して 事例研究の妥当性 を確かめる」
(無藤隆 ・やまだようこ、200 4))
ことである。(1)観察 且杢 :
S
小学校 :筆者は200 8
年5
月か ら現在まで5
、6学年を対象 とし週一回授業観察を行って いる。観察時間は午前9
時か ら1 1
時3 0
分計二時間半である。本研究では200 9
年1
月の 「保 育士体験」 と2009年4
月の 「田植 え活動」を取 り上げ、事例分析の対象 とした。皇国 :
筆者は
2 009
年3
月1 3日 (
金曜 日)に宋教育研究員の要請を受け、研究性学習の実験授3
業を観察することができた。 この授業は午後
1 3
時から1 3
時45
分まで合計45
分であった。( 2)
観察者の立場本研究の観察は 「観察者」 として授業の邪魔にならないことを心掛け、できるだけ 「存 在感」を最低限に し、他の教員 と一緒に教室の一番後ろで観察を行 った.従 って、本研究 における観察者の立場は 「観察者 としての参加者‑参与観察者
」
(佐藤、1992)
であると言 える。( 3)
観察 ・記録方法観察記録は、ビデオ撮影 とエ ピソー ド記録によって行った。児童の注意力 を反 らさない ように、またクラス全体の様子が分かるようにビデオを教室の一番後ろに固定 した.エ ピ ソー ド記録 とは参観者が授業の記述をする、授業のエ ピソー ドを中心に記述 をする記録の 方法である。
( 4)
分析方法 とその配慮本研究では事例の解釈が観察者の主観性に左右 されることを防ぎ、・事例の解釈がより妥 当性の高いものとなるように、①子 どもの行動の可視的事実の詳細な記述、② 「間主観性」
に基づ く事例の解釈、③同 じ授業観察を行 う他者の味方、感 じ方を参照するとい う3点に 配慮 した。まず、「①子 どもの行動 として目に見える可視的事実を詳 しく記述す る」は、可 視的事実を出発点に してそれ らを詳 しく記述することで解釈の過剰や逸脱を防 ぐ。そ して、
「②間主観性に基づ く事例の解釈」 とは教育実践現場などのフィール ドにおいて、「他者の 主観 (心)の中の動きをこの 「私」の主観 (心)において掴むこと」による解釈である。(鯨 岡、
2005) 「
間主観性」 とは 「ある事物についての複数の人の主観が一致すること、あるい は、ある事物についての主観が複数の人の間で共有 されること」
(無藤隆 ・やまだようこら、2004)
最後に、「③他者の味方、感 じ方を参照する」 とは観察者だけの味方や感 じ方だけで はなく、一緒に授業を観察 した他者 (ここでは自分以外の他人 と定義す る).とす り合わせ ることによって、妥当性を高めることを目指 している。( 5)
インタビュー①インタビュー対象 且杢 :
三重県
K
市S
小学校中田教諭、大森教諭皇国 :
天津市
J
小学校宋教諭、天津胡教育研究員業を観察することができた。 この授業は午後
1 3
時から1 3
時45
分まで合計45
分であった。( 2)
観察者の立場本研究の観察は 「観察者」 として授業の邪魔にならないことを心掛け、できるだけ 「存 在感」を最低限に し、他の教員 と一緒に教室の一番後ろで観察を行 った.従 って、本研究 における観察者の立場は 「観察者 としての参加者‑参与観察者
」
(佐藤、1992)
であると言 える。( 3)
観察 ・記録方法観察記録は、ビデオ撮影 とエ ピソー ド記録によって行った。児童の注意力 を反 らさない ように、またクラス全体の様子が分かるようにビデオを教室の一番後ろに固定 した.エ ピ ソー ド記録 とは参観者が授業の記述をする、授業のエ ピソー ドを中心に記述 をする記録の 方法である。
( 4)
分析方法 とその配慮本研究では事例の解釈が観察者の主観性に左右 されることを防ぎ、・事例の解釈がより妥 当性の高いものとなるように、①子 どもの行動の可視的事実の詳細な記述、② 「間主観性」
に基づ く事例の解釈、③同 じ授業観察を行 う他者の味方、感 じ方を参照するとい う3点に 配慮 した。まず、「①子 どもの行動 として目に見える可視的事実を詳 しく記述す る」は、可 視的事実を出発点に してそれ らを詳 しく記述することで解釈の過剰や逸脱を防 ぐ。そ して、
「②間主観性に基づ く事例の解釈」 とは教育実践現場などのフィール ドにおいて、「他者の 主観 (心)の中の動きをこの 「私」の主観 (心)において掴むこと」による解釈である。(鯨 岡、
2005) 「
間主観性」 とは 「ある事物についての複数の人の主観が一致すること、あるい は、ある事物についての主観が複数の人の間で共有 されること」
(無藤隆 ・やまだようこら、2004)
最後に、「③他者の味方、感 じ方を参照する」 とは観察者だけの味方や感 じ方だけで はなく、一緒に授業を観察 した他者 (ここでは自分以外の他人 と定義す る).とす り合わせ ることによって、妥当性を高めることを目指 している。( 5)
インタビュー①インタビュー対象 且杢 :
三重県
K
市S
小学校中田教諭、大森教諭皇国 :
天津市
J
小学校宋教諭、天津胡教育研究員②イ ンタ ビュー時 間及 び場所 且杢 :
中田教諭 ‑ のイ ンタ ビュー は
200 8
年1 2
月1 5
日午前1 0
時1 0
分 か ら1 0
時25
分 まで合計1 5
分 であ る。 場所 はS
小学校 五、六学年 の教室 であ る。大森教諭 ‑ のイ ンタ ビュー は
2009
年6
月29
日午前1 0
時50
分 か ら11
時5
分 まで合 計1 5
分であ る。場所 は S小 学校 の コン ピュー タ室で ある。且司声
宋教諭‑ のイ ンタ ビュー は
2009
年3
月1 3
日午後1 3
時5 0
分 か ら1 4
時 まで合計1 0
分 で ある。場所 はT
小学校 の会議 室 である。胡教育研 究員 ‑ のイ ンタ ビューは
20 09
年3
月1 3
日午後1 5
時 か ら1 5
時20
分 まで合計20
分である。場所 は天津 市教 育研 究所 である。③記録方法
筆者 はイ ンタ ビューす る際 に レコー ダー を使 い、音声記録 を取 った0
④イ ンタ ビュー方法
本研 究 は半構 造化 イ ンタ ビュー を用 いた。筆者 が事前 にイ ンタ ビュイー‑ の一連 の質 問 を設定 してあ るが、授 業 を見 た感想 な ど話題 の展 開 に応 じてあ る程度 質問項 目を変更 した。
1
朴 淑子 伏木久始, 「中国の学校教育に新設 され た 「総合実践活動」のカ リキュラムの特徴」『信州大学教育学部紀要
』
,第1 21
号,2 0 0 8
年2
易郷,「中国の総合実践活動 にお ける促進要因に関す る考察一 武漢市武 昌区の取 り組み を踏 まえて」,『財団法人福岡アジア都市研究所若手研究者研究活動助成報告書』,2 00 6
年5
②イ ンタ ビュー時 間及 び場所 且杢 :
中田教諭 ‑ のイ ンタ ビュー は
200 8
年1 2
月1 5
日午前1 0
時1 0
分 か ら1 0
時25
分 まで合計1 5
分 であ る。 場所 はS
小学校 五、六学年 の教室 であ る。大森教諭 ‑ のイ ンタ ビュー は
2009
年6
月29
日午前1 0
時50
分 か ら11
時5
分 まで合 計1 5
分であ る。場所 は S小 学校 の コン ピュー タ室で ある。且司声
宋教諭‑ のイ ンタ ビュー は
2009
年3
月1 3
日午後1 3
時5 0
分 か ら1 4
時 まで合計1 0
分 で ある。場所 はT
小学校 の会議 室 である。胡教育研 究員 ‑ のイ ンタ ビューは
20 09
年3
月1 3
日午後1 5
時 か ら1 5
時20
分 まで合計20
分である。場所 は天津 市教 育研 究所 である。③記録方法
筆者 はイ ンタ ビューす る際 に レコー ダー を使 い、音声記録 を取 った0
④イ ンタ ビュー方法
本研 究 は半構 造化 イ ンタ ビュー を用 いた。筆者 が事前 にイ ンタ ビュイー‑ の一連 の質 問 を設定 してあ るが、授 業 を見 た感想 な ど話題 の展 開 に応 じてあ る程度 質問項 目を変更 した。
1
朴 淑子 伏木久始, 「中国の学校教育に新設 され た 「総合実践活動」のカ リキュラムの特徴」『信州大学教育学部紀要
』
,第1 21
号,2 0 0 8
年2
易郷,「中国の総合実践活動 にお ける促進要因に関す る考察一 武漢市武 昌区の取 り組み を踏 まえて」,『財団法人福岡アジア都市研究所若手研究者研究活動助成報告書』,2 00 6
年5
第
1
章 「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス要求度」
の二つの軸 における 「総合学習」
の分類第
1
飾 「総合学習」にお ける 「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス」の定義 第1
項 「自由度」
の意味本項では 日中両国の 「総合学習」における 「自由度
」
とは何かについて述べる。まず、「自 由度」の前に、そもそ も 「自由」 とは何か、その由来や意味について概観 してお く。「自由」の始ま りについてエー リッヒ ・フロムは 「男 と女 とはエデンの花園において、おたがい同 士、また 自然 とも、まった く調和 して生活 している。そこは平和の楽園であって、働 く必 要 もない し、選択 も自由も .思考 もない。人間は善悪の知恵の木の実を食べることを禁 じら れている。 ところがかれは神の命令 に背いて行動する。 自然を超越す ることな く自然の一 部 となっていた調和の世界を破壊す る。権威 を代表 した教会の立場か らは、.これは本質的 に喪である。 しか し人間の立場か らは、これは人間の自由のは じま りである
」 1
と述べてい る。 また、 自由には積極的な 自由 と消極的な自由がある。消極的な 自由は 「・・か らの自 由」 である。すなわち、行為が本能的に決定 されることか ら自由である。積極的な自由は「・・‑の 自由」である。すなわち、 自己を支配 し、その個性を実現す ること‑の自由で ある。エデ ンの花園の例か ら言 うと、かれ らは楽園のきずなか ら自由であるが、 しか し自 己を支配 し、その個性 を実現すること‑の自由を未だ持っていないのである。
今までの歴史を振 り返 ると、私たちは外にある力の束縛か ら脱出 し、よ り多 くの 「自由」
を獲得 してきた。例えば、政治の 自由、経済の 自由な どである。 しか し、このよ うな量的 な 「自由」だけではな く、質的な 「自由」 も大切にすべきとエー リッヒ ・フロムは言 う。
すなわち、新 しい 自由は積極的な自由であ り、これを増加 させ ることで、能動的批判的な、
責任 をもった自我 を成長 させてい くのである。 これは 「自由
」
が もた らす一つの結果であ り、その一方、エー リッヒ ・フロムによると、個人が 「自由」 を獲得 した と同時に個人を ますます孤独な孤立 したものに し、人々に無意味 と無力の感情を与えたのである。すなわ ち、人間は集団史的にも個人史的にもまずは じめは一次的秤によって、 自然、共同体、家 族に結び付 けられている。その状態は束縛であるとともに安定である。成長す るにつれ、一時的きずなを失い、 自由を獲得 してい くが、それに 「愛」 と 「理性」 と 「生産性」の発 達が伴わない と、孤独 と無力に陥 り、 自由が重荷 となって 自由か ら逃走す るよ うになる。
「愛」とは 「ある 『対象』 を肯定 しようとする情熱的な欲求」である0 (ェ‑ リッヒ ・フロ
ノ
ム、1941)
2 「
理性」 とは 「感覚の能力である感性に対 して概念的に思考す る能力、また実 第1
章 「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス要求度」
の二つの軸 における 「総合学習」
の分類第
1
飾 「総合学習」にお ける 「自由度」 と 「ハ‑デ ィネス」の定義 第1
項 「自由度」
の意味本項では 日中両国の 「総合学習」における 「自由度
」
とは何かについて述べる。まず、「自 由度」の前に、そもそ も 「自由」 とは何か、その由来や意味について概観 してお く。「自由」の始ま りについてエー リッヒ ・フロムは 「男 と女 とはエデンの花園において、おたがい同 士、また 自然 とも、まった く調和 して生活 している。そこは平和の楽園であって、働 く必 要 もない し、選択 も自由も .思考 もない。人間は善悪の知恵の木の実を食べることを禁 じら れている。 ところがかれは神の命令 に背いて行動する。 自然を超越す ることな く自然の一 部 となっていた調和の世界を破壊す る。権威 を代表 した教会の立場か らは、.これは本質的 に喪である。 しか し人間の立場か らは、これは人間の自由のは じま りである
」 1
と述べてい る。 また、 自由には積極的な 自由 と消極的な自由がある。消極的な 自由は 「・・か らの自 由」 である。すなわち、行為が本能的に決定 されることか ら自由である。積極的な自由は「・・‑の 自由」である。すなわち、 自己を支配 し、その個性を実現す ること‑の自由で ある。エデ ンの花園の例か ら言 うと、かれ らは楽園のきずなか ら自由であるが、 しか し自 己を支配 し、その個性 を実現すること‑の自由を未だ持っていないのである。
今までの歴史を振 り返 ると、私たちは外にある力の束縛か ら脱出 し、よ り多 くの 「自由」
を獲得 してきた。例えば、政治の 自由、経済の 自由な どである。 しか し、このよ うな量的 な 「自由」だけではな く、質的な 「自由」 も大切にすべきとエー リッヒ ・フロムは言 う。
すなわち、新 しい 自由は積極的な自由であ り、これを増加 させ ることで、能動的批判的な、
責任 をもった自我 を成長 させてい くのである。 これは 「自由
」
が もた らす一つの結果であ り、その一方、エー リッヒ ・フロムによると、個人が 「自由」 を獲得 した と同時に個人を ますます孤独な孤立 したものに し、人々に無意味 と無力の感情を与えたのである。すなわ ち、人間は集団史的にも個人史的にもまずは じめは一次的秤によって、 自然、共同体、家 族に結び付 けられている。その状態は束縛であるとともに安定である。成長す るにつれ、一時的きずなを失い、 自由を獲得 してい くが、それに 「愛」 と 「理性」 と 「生産性」の発 達が伴わない と、孤独 と無力に陥 り、 自由が重荷 となって 自由か ら逃走す るよ うになる。
「愛」とは 「ある 『対象』 を肯定 しようとする情熱的な欲求」である0 (ェ‑ リッヒ ・フロ
ノ
ム、1941)
2 「
理性」 とは 「感覚の能力である感性に対 して概念的に思考す る能力、また実践上では本能、衝動感性的欲求な どにだけ動か され るのではな く、 ものごとの是か非かを わきまえて行為す る働 きをい う
」
(哲学辞典)3
「生産性」 とは 「生産過程に投入 された一 定の労働その他の生産要素が生産物の産出に貢献す る程度」
(広辞苑)4
である。「自由」の意味について 「哲学用語辞典
」 5
によると、「自由」 とは 「心のまま、思 うと お り、ほ しいまま、中国においては自由よりも自在が古 くか ら用い られ、 日本においても 任意、随意の意に古 くか ら使われているが、哲学においては、行動の 自由、意志の自由、選択の自由、道徳的 自由、必然的 自由など、人間そのものか ら、存在、無にもかかわる様々 な意味 と問題 をもっている。また、外的な自由に対す る内的な 自由、四つの自由と言われ る。それは言論 と表現の自由、信教の自由、欠乏か らの自由、恐怖か らの自由である」ま た、「広辞苑」
6
では 「①心のままであること.思 うとお り.‑自在.②一般的には、責任 をもって何かをす ることに障害がない こと」と定義 されている。そ して、中国における 「自 由」の意味について、「漢語辞典」 7
によると 「束縛や制限 され るこ とな く、 自由 自在で ある。自由活動、自由発言 な どである。法律規定範囲内で 自分の意思 によって活動 を行 う権利。 自由平等、民衆 自由な どである」 と定義 され ている。定義 か ら見 ると、 日本 と 中国はほぼ一致 しているのである。以上か ら見ると、 「自由」 について以下のことが分かる。一つ 目は 自由が相対的なもので ある。 「状態
A
は状態B
よ りも、他者p
の影響か ら自由である」
(仲正昌樹、20 0 3)
二つ 目 は消極的な 「自由」 よりは積極的な 「自由」、量的な 「自由」 よりは質的な 「自由」
を追求しなければない。三つ 目は 「自由」 を獲得すると同時に、「愛」、「理性」、「生産性」が伴わ ないと無力感や孤独感 な どに襲われ るのである。
では、「総合学習
」
における 「自由度」
とは何だろ うか。本研究では 日本 と中国の事例か ら両国の教師が 「自由度」 「
主体性」
を対 してどのよ うに捉 えているのかを分析 していくの で、ここでは 「自由度」 に対 して最終の定義は下らない。序章で述べたものは仮の定義に してお く。 ここで言 う 「自由」はエー リッヒ ・フロムの言葉 を借 りて説明す ると、何 より も自由にな り、解放 され、諸強制か ら逃れ るとい う消極的なものではな く、 自分 自身の考 える能力、パー ソナ リティの 「自由」 とい う積極的なものを指 している。すなわち、教師 は子 どもの学習活動において、束縛や制限 しないことだけで 「自由」 を与えた とは言 えな い。 この場合は一見束縛のない 「自由」
な状態に見えるが、それは本 当の意味の 「自由」
と言えるのか。なぜな ら活動の中を臨む ときに、中にいる子 どもたちが本 当に自由である とは必ず しも一致 しているとは言 えないか らである。教師は学習活動の 「場」 を設定する7
践上では本能、衝動感性的欲求な どにだけ動か され るのではな く、 ものごとの是か非かを わきまえて行為す る働 きをい う
」
(哲学辞典)3
「生産性」 とは 「生産過程に投入 された一 定の労働その他の生産要素が生産物の産出に貢献す る程度」
(広辞苑)4
である。「自由」の意味について 「哲学用語辞典
」 5
によると、「自由」 とは 「心のまま、思 うと お り、ほ しいまま、中国においては自由よりも自在が古 くか ら用い られ、 日本においても 任意、随意の意に古 くか ら使われているが、哲学においては、行動の 自由、意志の自由、選択の自由、道徳的 自由、必然的 自由など、人間そのものか ら、存在、無にもかかわる様々 な意味 と問題 をもっている。また、外的な自由に対す る内的な 自由、四つの自由と言われ る。それは言論 と表現の自由、信教の自由、欠乏か らの自由、恐怖か らの自由である」ま た、「広辞苑」
6
では 「①心のままであること.思 うとお り.‑自在.②一般的には、責任 をもって何かをす ることに障害がない こと」と定義 されている。そ して、中国における 「自 由」の意味について、「漢語辞典」 7
によると 「束縛や制限 され るこ とな く、 自由 自在で ある。自由活動、自由発言 な どである。法律規定範囲内で 自分の意思 によって活動 を行 う権利。 自由平等、民衆 自由な どである」 と定義 され ている。定義 か ら見 ると、 日本 と 中国はほぼ一致 しているのである。以上か ら見ると、 「自由」 について以下のことが分かる。一つ 目は 自由が相対的なもので ある。 「状態
A
は状態B
よ りも、他者p
の影響か ら自由である」
(仲正昌樹、20 0 3)
二つ 目 は消極的な 「自由」 よりは積極的な 「自由」、量的な 「自由」 よりは質的な 「自由」
を追求しなければない。三つ 目は 「自由」 を獲得すると同時に、「愛」、「理性」、「生産性」が伴わ ないと無力感や孤独感 な どに襲われ るのである。
では、「総合学習