Th eFa mi l yRe uni o n の劇構造についで
村 田 俊
<序>
TheFa mi l yRe uni o
nは、El i ot
の精神的遍歴の過程 を劇作品 という文学形式 を 用いて圧縮 された形で照 らし出 した ものである。 この劇 を 「劇構造」 という立 場か ら見た場合、枠組み、 コーラスを含めた筋の展開、 また、作劇法、演劇論 といった ドラマ ツルギー( Dr ama t ur gy)
の問題 を苧み、なかなか面倒であるが、劇作家が作 り上げる最終的な劇構造は観客の意識 を踏 まえてのことであろう。 つ まり、劇 を進める上で、ある工夫がなされるとするなら、それは、観客に訴 える効果 を考えてのことである。 従 って、当然、この劇構造 は観客反応 と関係 して行 くことになる。 この ように作品を受容主体の経験 として捉 えようとする 立場 は、既 に
E.D.Hi r s h
の" Val i di t yofl nt e r pr e t at i on"( 1 967)
をは じめ、小説 や詩 の読者論 の領域 で はGe of f r e yHar t man,Hi l l i sMi l l e r,St anl e yFi s h,Wol f ‑ gangl s e r
等 によって試み られて来たが、演劇批評 における受容美学的なアプ ローチは、篠山隆氏のシェイクスピアを中心 に した本格的な観客反応 を基盤に1
した研究 に見 られる。
小論で は、 この ような 「観客反応」の立場 を踏 まえなが ら
TheFami L yRe‑
uni o
nのテーマが どの ような形で劇構造の中に組み入れ られて展開されている のか とい うことを中心 に考察 してい くものである。*本稿 は 「日本
T.S.
エ リオ ッ ト協 会」 第4
回大会 (実践女子短期 大学、1 991
年1 1
月1 0
日) の シ ン ポジウム「 TheFa mi L yRe un加
検証」 の講 師の一 人 と して発表 した もの に加筆修正 した もので あ る。1篠 山隆 Fドラマ と観 客 一 観客反応 と構 造 と戯 曲の意味
‑
』 (研 究社、1 9 87)
I
The Fami l yRe uni m は、Ae s c hyl usの 『オ レステ ア』 ( Or e s t e i a) の枠組 み を 現代生活の中に隠れた形 で取 り入れた作 品であるが、 この劇で、El i ot は、観 客 を して、通常 の芝居 にお け る と同様、主 人公 Ha r r y が八年 ぶ りで故郷 に 帰 って きて、三時間後 にまたそこを離れ、そのシ ョックによって母親が心臓発 作で死んで しまうとい う時間的論理 に沿 って継起す る出来事の経緯 を辿 らせつ つ、その一方で、この劇が鼓 し出す神話的下部構造 にある阻型的パ ター ンを観 客の意識の深層で誘発す ることによって、彼 らの表層意識が捉 えた筋の レベル の リアリテ ィの底 に、 よ り深 く、 よりリアルな ものの存在す ることを、知 らず 知 らずの内に彼 らに感得 させ ようとしたのである
。具体的にこの物語の展開 を従来のいわゆるテーマ中心 に見 る見方か らす るな ら、この詩劇の主眼点の一つは、Har r yの内面 に巣食 う Eume ni de s( Er i nnye s )
2
を亡霊 と見立て、「 我 々が閉め出 される或 る別の次元」 にある 「 原始的戟傑」
を 「 原罪」 と重ね合わせ、Ha r r y の回心 を契機 として、この Eume ni de s が真の Eume ni de sとして Ha r r y に認識 されて行 くことを観客の意識の深層 に感得 させ ようとす る ところにあ った。Ae s c hl us の劇 に見 られる Eume ni de s の素性 なる もの を考 えるな ら、その原型である Er i nye s は、Ae s c hul us の 『 供養す る女 た ち』 ( Cho e Pho r o i ) の終局で、母の血 を流 した Or e s t e s が眼 にす る幻 の中に、黒 衣 をまとい蛇の頭髪 をうごめかせたゴルゴ‑ ンの ような姿で顕現 し、更 に 『 恵 みの女神 たち』 ( Eume ni de s) で はコロス として実際 に観客の前 に現 れ、デルポ イで Or e s t e s を迫害 し、 またアテナイのア レオパ ゴス法廷 においては、原告 と して彼 を執劫 に追求す るのである
。しか し、 この裁判 において Er i nye s は母親 殺 しの告発が入れ られず怒 り狂 うが、ついにアテナの忍耐強い説得 によってア
2 T.S.El i o t . 1 ̀ J ohnMa r s t on . " Se l e c t e dEs s a y s( London‥Fabe r &Fa be r ,1 9 66),p. 2 29.
拙論「 T.S.El i 。t
の■ Re c o g ni t i onSc e ne
'につ い て」
F英 文 学研 究』 vol.LXI V.No
.1 (日本英 文 学 会、19 87)、pp, 52‑ 4
参照テナイ市民の徳性 を見張 り、彼 らの幸 と国土の豊鏡 を護 る女神 に変容 を遂げ、
その名 も 「 恵みの女神 たち」 と改め られることになる
。この ようにAe s c hyl us の Er i nye s の Eume ni de s の変容 は、アテナイのアレオパ ゴス法廷 とい う決定的 な契機 によって 「 恵みの神」 になるのである
。それに対 して El i ot の詩劇では、
Ha r r y の心的変化 によって Eume ni de s が 「 輝か しき天使」 ( t hebr i ghtang e l s ) 、 つ ま り、キ リス ト教的な神 の使者 として認識 されて行 くのである。Har r yのこ の回心の転機 となる ものが、TheFa mi l yRe uni m において、 どの ような形で劇 構造 として作 り上げ られているか とい うことは、論 を進めて行 くうちに明 らか に して行 きたい と思 うが、 この ような Ha r r yの回心 の転機 となる もの は、 こ の劇 に見 られる眼 ( e ye ) の イメージに注 目す ることによって も伺 い知 ることが 出来 る 。 El i ot に とって眼のイメージは全作品 を通 して散見す る重要 なイメー ジなのである
。Har r yは、帰郷す るとす ぐに例のオ レステス を思 わせ る科 白 ‑ 「おまえに は、やつ らが見 えない、 しか し、私 には見 える
」( YouDon' tSe eThe m,butI se eThe m)
‑を叫ぶ前 に、彼 は母親 Amyに向か って 「 窓越 しに眼で呪 まれ たい と思 い ますか」 ( Doyoul i ket obes t a r e da tbye ye st hr oughawi ndow)と 言 うところがあ る
。ここに見 られ る 「 眼」 の イメジは Eume ni de s の 「 眼」 で あ るが、 この 「 眼」 の イメジを追 って行 くな ら( Ⅰ .i .236 , Ⅰ .i i .3 00
,Ⅰ ,i i ,1 08‑ 9
,Ⅰ Ⅰ .i i .27,Ⅰ Ⅰ .i i .2 00) 、神 の眼 に変 わって行 くことが分 かる
。実際、 この イメジ
は もともと 『 詩編』 ( ThePs al ms1 39) の一節 「 主 よ、あなたは私 を探 り、私 を
知 りつ くされました」か ら由来する もので神 の遍在 を表 している ものである
。従 って、 この 「 眼」 は我 々の内であろうと外であろ うと、いつで も 「良心」の
声 を通 して見つ め話 しか けてい る
。つ ま り、El i ot は Eume ni de s の 「 眼」 を
徐 々にキ リス ト教的意味での神の 「 眼」 に移 し換 えているのである
。このこと
は El i o t が TheFa mi l yRe uni m を演 出 した Mar t i nBr owne宛の手紙の中で、こ
の詩劇で、復讐の女神 たちを登場 させ た意図は 「 神 の使者 ( di vi neme s s e ng e r s )
の役割 を一層明 らかに し、
Har r y
に、唯一の脱出路 は浄罪( pur ga t i on)
と清浄( hol i ne s s )
であることを知 らせ るため」であると書いていることか らも明かな3
ことであ る。 しか し、 この 「眼」が今 まで
Har r y
をず っと見つめ続 けて きた のに、彼 は何故、 この故郷で、初めてこの眼 を認識 し、可視的な姿になったの か彼 には分か らない。 この ことは劇が進行す るにつれて理解 されるがHar r y
が故郷 に帰 ることで、初めて自己の生存の初めに帰 り、自分の誕生の秘密、即 ち、憎 しみ と殺意 に於いて彼が受胎 され生み出されたとい う父母の罪に起因す る個人的な罪 を越 えた呪いの根拠 にふれることが出来たか らなのである。このように、この 「眼」 は、異教の復讐の女神の眼か らキ リス ト教的な役割 を兼ね備 えた もの として
Har r y
に顕現 して行 くのである。 つ ま り、 この劇 の 亡霊Eume ni de s
は、キ リス ト教 と異教 の融合 された もので、 この融合 された ものがHar r y
によって神 の使者 として認識 されて行 く心的変容が この劇のプ ロ ットを作 り上げているのである。 実際、この劇の第一部二場でMar y
がHar ‑ r y
に 「あなたが変 えなければな らないのは、あなたの内部( i nsi deyou)
にあるもの」 と言 うのに対 して
、Har r y
が 「僕の中の何か、それが変えられるだな んて」 と応 えてい る ところが あ るが、 これ は まさにHar r y
自身の内面 に巣 食っているものが変えられなければ、この亡霊 は神の使者 としてのEume ni de s
として映 し出されることがないことを暗示 している。
このように、考 えて行 くなら、この女神 は、言 うなれば、この劇の主題 を作 り上げているたて糸 とも言 うべ きもので、この意味の解明その ものが この作品 4 の主題 につながるものであるが、この辺のことは既 に論 じたことがあるので、
ここでは、この劇のプロ ットが、この詩劇の構造か ら見た場合 どのようなコン
3 E.Ma r t i nBr o wne .TheMak i ngo fT. S.El i o t ・ sPl a ys( Ca mbr i dg e ・ .Att heUni ve r s i t yPr e s s ,1 9 69), p. 1 07.
4
拙論「 TJ 柁Fa mi l yRe uni o
nにおける見えざるEume ni de sをめ ぐって 」 T,S. El i o tl h' t e w ,No. ]( The
T.S.El i o tSo c i e t yo fJ a pan,1 990),p. 1 3‑ 2 7.
テキス トとの絡み合 いで、舞台上の手法 として取 り入れ られているか、 とい う ことを少 しばか り見て行 きたい。
n
El i ot は TheFa mi L yRe uni m を作 り上げる際、 『 オ レステア』 の悲劇構造のパ ターンを現代の状況 に移 し換 えるのにあ らゆる努力 を傾 けた とい うことを念頭 に置いて考 えるな ら 、El i ot の この作 品 には古代 ギ リシャの悲劇構造が、何 ら かの形で反映 されているはずである
。例 えば、劇形式 として、 この El i ot の劇 の始 ま りに見 られる叔父叔母の対話か ら、彼 らが コーラスとして最初 に歌 うま での間 を、 この劇 の状況 を示す プロロゴス ( pr ol ogos ) として、そ して、Har r y が帰郷 してか ら風 呂にはいるために退場す るまでの間を、劇の本筋 に入る第‑
エペ イソデ イオ ン( e pe i s odi on) 、それか ら、主人公が再 び登場す るまでの間を 第一スタシモ ン( s t as i mon) とい うような形で、ギ リシャ悲劇の形式 に結 び付 け て考 えられないこともない。 また 『オ レステ イア』三部作 を近代哲学の用語 を 用 いて 『 ァガメムノン』 は正の世界、 『 供養す る女 たち』 は反の世界、そ して
『 恵みの女神 たち』 は合の世界 と言 うように考 えて、 この図式 を El i ot の The F a mi L yRe uni m に当てはめ ようとす るな ら、筋の流れ としては合致 しない もの
の、部分的に対応関係が見 られる
。しか し、 この ように劇の枠組みだけに眼 を 向けて TheFa mi L yRe uni m に当てはめて行 こうとす るならどうして も無理が生 じて くる。El i ot はこの二つの劇 の子細 な劇構造のパ ラレリズムを念頭 に して いたのではな く、TheCo c k t ai LPar t yを説明 しているところの言葉 を使 うなら、
5
「インス ピレイシ ョンの真正 さ 」 ( ge nui ne ne s soft hei ns pi r a t i on) 、つ ま り、作 品全体 を支配す る漠然 とした想像力的枠組 を出発点 として書 き始めたのか もし れない。 そ うだ とす るな ら、El i ot と Ae s chyl us の間のパ ラ レリズムを研究 し
5 T.S.El i ot , " Po e t r ya ndDr ama
:・伽 Po
et r va ndPo e t s( TheNo o nda yPr e s s .1 968) ,p. 9
1て行 こうとしていることは、その存在理由を失 って しまうのか も知れない。 こ の ようなことを考慮 して、 もう一度 Th eFa mi L yRe u ni m の劇構造 に 目を向ける な ら、子細 な部分 は無視 した として も、ギ リシャ劇の雰囲気 を残 しているコー ラスが この二つの劇 に共通する劇構造の要因であるように見 える
。このコーラ スが Th eFa m i l yRe u ni m で どの ような役 目を担 っているか とい うことを見 るた めには、 このコーラスが、 この劇の中で どの ようなコンテキス トの中で現れる のか とい うことに触れなが ら、論 じなければなるまい。
El i ot は、 この劇 に展 開 されて行 く事件の筋書 きを、場面 を与 えているいろ いろな登場人物の科 白を通 して観客 に推定 させ る仕組みに作 り上げている 。 こ の登場 人物 の科 白を見て行 くな ら、 この詩劇 は Ha r r y を中心 としている 「 罪 と購い」 と回心 の問題のほか に、彼 の母親 Amy が思い描 く wi s hwo o d の将来 の夢 が破 れてい く悲劇 と、 Amy の呼 び立 てで この誕生 パーテ ィに集 ま り、
Ha r r y の妻の死の真相 を探 ることに興味 を持ちなが ら不安 な訳の分か らぬ役 を 演 じる羽 目になった 日常 的平面的人間であ る Ha r r y の叔父、叔母 の探偵小説
6
的な要素 を学 んでいる喜劇的な ものがある。そ して、 この二つの悲喜劇のサブ プ ロ ッ トとい うべ き ものが Ha r r y の世界 とうま く交錯 して い る
。つ ま り、
Amy の演ず る悲劇 と叔父叔母の喜劇的な もの は、それ 自体、ニ ュー トラルな 価値 であ るが、 この二つが Ha r r y の深刻 な宗教 的な問題 と前後 して舞台上で 進め られることによって、要す るジャンル ・ミクスチ ャーと言 う形で、 ドラマ テ ィックなコンテキス トを作 り上げてい くことになる
。つ ま り、 この劇の枠組 み となってい る Ae s c hyl us の もつ 「 原始的な恐怖」が、 Ha r r y の心的変化 を通 して、皮 肉なことであるが喜劇的要素 を学 んでいる叔父叔母で構成 されている コーラスによって較 し出されて行 くのである
。登場 人物が コロスを形成す ると い うことは、珍 しい ことではな く、 Ae s c hyl us の 『 ァガメムノン』で はコロス
6 He l e nGa r dne r . Th eAr to f T,S ,El i o t ( Lo ndon:TheCr e s s e tPr e s s ,1 96
1).p . 1 42.
が プ ロロ ゴ スの後 の俳優 の や る役 目 もつ とめ て い る
。しか し、 TheF
amiLyRe uni m に見 られるコーラスは、一般 に観客へ の説明役 になっているギ リシャ 悲劇 とは少 々、趣 を異 にす る ものである。El i o t はMur de ri nt heCat he d r al の最 初の公演の後、コーラスに関 して次の ように述べている。
十分 な意味での コーラスの効用 は、今 まで英 国演劇 とは合い入れなか ったが、‑ コー ラスの本質的な役割 や、多かれ少 なかれ無関心 な観察者 あ るいは劇 のアクシ ョンに関す る 注釈者 としての立場 は、 シェイクスピア劇のい くつかの個 々の登場 人物 ‑ た とえば、観 客 に歌 を歌 うことで終 わ っている 『十二夜』 の道化 フェステ一 に よって果 た されてい る。
コーラスは、劇 の登場人物や彼 らの筋 と観客 とのあいだの中間的な立場 にあ る。それは観 客 に近 く、ただ単 なる注釈者 か も知 れない。あ るいは劇 のア クシ ョンに近 いので、それに 加 わっているか も知 れない ‑ コーラスは劇 を見、それに関心 を持 っている二人の登場 人物であ る。
私 自身の 『寺 院の殺 人』 で コーラスはそれ以上 に劇のアクシ ョンに関係 している。 しか し、 コーラスの役割 は特定 の劇の意 図 と意匠に依存 してい る。 コーラスのための言葉 を書 く際、 コーラスが大 きければ、それだけ言葉 は単純 にな らなければな らない。
しか し、 ‑ ただ コーラスを利用す る際、ギ リシャ劇 を まね ようと しない こ とであ る
‑ しか し、 コー ラスは常 に基本的 に同 じような効用 を持 ってい る。それ はア クシ ョンと 観客 の間 を調停 し、その情緒的な結果 を投影す ることによってアクシ ョンを強め、その結 果、観客 としての我 々は、他の人々に及ぼす アクシ ョンの効果 を見ることに よって、アク シ ョンを二重 に見ることになる。7
これだけの説明で コーラスの働 きをある程度知 ることが出来 ると思 うが、 この El i o t の説 明 を、篠 山隆氏の 「 観客反応」 を踏 まえた説明で言い替 えるな ら、
コロスは観客反応 を集約的に捉 え、それを増幅 した形で表出す ることによって、
観客の心理的昂揚 を誘 う存在であって、それ故 に観客の心理 に働 きかけ、彼 ら の受容反応 に重大 な変化 を起 こさせ る機能 を果た している、 とい うことになる であろ う。El i o t はコーラスを利用す る際、単 にギ リシャ劇 をまねてはいけな い と言いなが らも、その本質的な態度 は、ギ リシャ悲劇のコーラスの源泉 に立
7 T.S.El i o L /TheNe e df orPo e t i cDr a ma/TheLi s t e ne y ,XVI ,411( Nov.25 4,1 93 6) .9 95
ち帰 りAe s chyl us の形態 を取 り戻そ うとしていたことがわかる
。ギ リシャ悲劇 では、本来、 しば しば、指摘 されるように、 コロスがは じまると、 もはや特定 の行為や場所や人物 は薄れて しまい、何か普遍的な、 または永遠 なるものに支 配 される
。つ まり、コロスは常 に問題 を 「 永遠の相 の下 に」 に観客の 目を絶 え ず開かせ てお くための媒体 となるのである
。この ような ことは、例 えば Ae s‑
c hyl us の 『ァガメム ノン』 に見 られるコロスが Aga me mnon の一家 を覆 う恐 ろ しい運命 を極めて暗示的な言葉で歌 い、劇の結末 はもう初めか ら暗示 されてい ることか らもわかる
。コロスは、丁度 カサ ン ドラが幻 を見て歌 うの と同 じく、
不吉 な運命の迫 り来 るのを待 っているような ものである
。この ようにコロスは、
ほ とん どの場合、作者 自身の立場 を代表 して、行為 にコメ ン トす ることによっ
て、観客の心理 を操作 して、 よ り深い英智のヴィジ ョンへ と観客 を導いて行 く
こ とにあ った。 この ようなギ リシャ劇 に見 られ るコロスの役割 を TheFa mi L y
Re uni o nに見て行 こうとす るな ら Aga t haが第‑部で言 う科 白、つ ま り 「 私が
苦 しみ と言 う訳 は、あ らゆることは取 り返 しがつかないか ら、過去 は償 うこと
が出来ないか ら、そ して未来は現実の過去の上に しか築かれないか ら」 と言 う
科 白に見 られ る
。ここで は Ae s chyl us の コロスと同 じように Aga t haによって
この劇 の これか ら展 開す る主題が暗示 されているのである
。しか し、El i ot は
この ようなギ リシャ劇 に見 られるコーラスをその まままね ることな くMur de r
i nt heCat he dr al ではコーラスに個性 を与 えている
。これは自然主義の影響や近
代的な個人の強調 と言 うよ り、個 人 と同時に精神的共同体の重要性 を強調 して
いるキ リス ト教 的含みか らなされた ものであろ う
。つ ま り、 この劇ではコーラ
スはキ リス トが救済す るようになる大 きな個 々人の大衆 を代表 している
。コー
ラスは作者の立場 を代表す るとい うよ り、彼 ら自身の経験 を具現化 しているの
である 。El i ot はMur de ri nt heCat h e dr al で、劇行為 の力不足 を補 うために、余
りに もこのコーラスに頼 りす ぎ、成功 した とは言い難か ったことを反省 してい
る
。この反省 の下 に、今度か らは 「コーラスを劇の中に もっと密接 にまとめあ
8
げて行 こうと決心 した。」
TheFa ni l yRe uni m
ではコーラスの人員 を4
人に減 らし、彼 らにコーラスの機能 とは違 った劇の役割 と特質を与 えて、個性 をはっ きりさせたの もこのためであった。彼 らは主人公の内面 を理解することは出采 ない。 この ように考 えるな ら、確 かにTheFami l yRe uni m
に見 られるコーラ スは、アポロ的静観の役割がな く、F.0.Ma t t he i s s e n や He l e nGa r dne r
が言 う9
ように本来のギ リシャ劇 と全 く違 うものである。 しか し
、El i ot
のTheFa ni l y Re uni m
に見 られるこのコーラスは、主人公の内面 を代弁 は していない ものの、この劇の外辺 にあ りなが ら、逆説的な形で 日常的な世界に しがみつ きなが ら、
心理的に舞台の観客席 を結 び付 けつつ、観客の意識の内部での意味形成 に大 き く寄与 しているとい う点では、ギ リシャ劇 に見 られるコーラス と同 じものであ る。 舞台上の出来事に対す る彼 らの不安 とおのの きは、増幅 されて観客の心 に 伝 えられ、そこに一つの意図された心的態度 を生み出 して行 くのである。
このコーラスの部分のみを拾い上げて、その展開の仕方 を見るなら、先ず、
彼 らは、安易な 日常的意識の安全 を保証する枠の内部で自己満足 を楽 しんでい る人々であるが、何かの予感におぴえるように不安 を訴 えている。
CHORUS ( I VY,VI OLET.GERALD andCHARLES). whydowef e ele mbar r as e d.i mpa‑
t i ent ,f r e t f ul .i l late as e .
As s e mbl e dl i keamat e ura c t or swhohavenotbe enas s i gne dt he i rpar t s?
Li keamat e urac t or si n adr e am whe nt hec ur t ai nr i s e s ,t of i ndt hems el ve sdr e s s e d f oradi f f e r e ntpl ay,Orhavl ngr e he ar s e dt hewr ongpar t s .
8 T・SIEl i o t ." Po e t r ya ndDr a ma
:,妙 c i E ・ ,p. 86.Cf ., The r ewe r e ,Ibe l i e ve ,t womo t i ve sl mpe l l l n gmet O ma kes omuc hoft hec hor usi n" Mur de ri nt heCa t he dr a l . ' 'Thef i r s twa st ha tt hema t t e ro fmya r gu‑
me ntwa ss ome wha tt hi n.a ndt hec onf l i c tbe t we e npe r s ona l i t i e swa so far a t he rs i mpl eki nd;s oI ne e de ds ome t hi n gt obul kt h epl a yout .Thes e c ondwa s ,t ha tIwa sc onf i de ntofmya bi l i t yt owr i t e t hi ski ndo fve r s e .a nddoubt f ulofmya bi l i t yt oha ndl edi a l o gue :a ndIhop et oma keupbyc hor al e f f e c t swha twa sl a c ki n gt ot hes t r i c t l ydr a ma t i ca c t i on.Thi sde vi c ewa sno twhol l yuns uc c e s s f u
l.I nmys e c ondpl a yIr e duc e dt hec hor a lpa r tt oc hor a lpa s s a ge sbype r s onswhowe r ea l s oi n di vi dua l c ha r a c t e r si nt hepl ay.AndnowIhavewr i t t e napl a yi nve r s ewi t hnoc hor uswha t e ve r.( T.S.El i o t
,TheAi mso fPo e E i cDr a ma[ London,ThePo e t s 'The a t r egui l d],1 9 49 ].p
.4)9 F.0.Ma t t hi e s s e n.TheAc hi e ve me nto fT. S.EL i o E( A Ga l a xybo ok,1 95 9).p. 1 66.He l e nGa r dne r .
TheAr to fT. S. EL i o E ,p. 1 41.
Wa i t i ngf ort her us t l i ngl nt hes t a l l s ,t het i t t e ri nt hedr e s sc i r c l e ,t hel a ught e rand c a t c al l si nt hega l l e r y?
CHARLES, 1mi ghtha vebe e n i n St .J ame s ' sSt r e e t ,i nac omf or t a bl ec ha i rr a t he r ne ar e rt hef i r e .
I VY.
GERALD.
VI OLET.
CHORUS.
Imi ghtha vebe e nvi s i t i ngCous i nLi l ya tSi dmout h,i fIhadnotha dt o c omet ot hi spa r t y.
Imi ghtha vebe e n s t a yi ngwi t h Compt on‑ Smi t h,down a thi spl a c ei n Dor s e
t.Is h oul dha vebe e nhe l pi ngLadyBumpus ,a tt heVi c a r ' sAme r i c a nTe a.
Ye twea r ehe r ea tAmy' sc ommand,t opl a ya nunr e a dpa r ti ns omemon‑
s t r ousf ar c e ,r i di c ul ousi ns omeni ght mar epa nt mi ne .
( par tI ,Sc e ne I )
この不安 は、彼 らの意識の底で絶 えず 「 読み解かれない ( unr e a d) 」 漠然 とした 得体の知れない薄気味悪い もの として潜 んでいる
。CHORUS. Whys houl dwes t a ndhe r el i kegui l t yc o ns pl r a t Or
S,Wai t i ngf ors omer e‑
ve l a t i on
Whe nt hehi dde ns ha l lbee xpos e d,andt hene ws boys ha l ls houti nt he s t r e e t?
Whe nt hepr l Va t eS ha l lbema depubl i c ,t hec ommonphot o gr a phe r Fl as hl i ghtf ort hepi c t ur epape r s :whydowehuddl et o ge t he r
l nahor r i dami t yo fmi s f or t une?whys houl dwebei mpl i c a t e d,br oughti n a ndbr oughtt o ge t he r?
( Pa r tI ,Sc e ne I )
彼 らはこの 「隠 されている もの ( t hehi dde n) 」 があ らわになるの を待 ち望 んで いるかの ようであるが、一方、 自分達の安住す る 日常的世界の次元 に しがみつ いて行 く
。しか し、次の一節ではでは不安 は 日常的時間の逆転す る非 日常的体 験へ と高めれ られ、時間は未来か ら過去へ と逆流 し、その回帰的、円環的構造
を垣間見せ始める
。CHORUS. Ia m a f r ai dofal lt ha tha shappene d,andofal lt ha ti st oc ome ;
0ft het hi ngst oc omet ha ts i ta tt hedo or ,a si ft he y ha d be e nt he r e a l wa ys
Andt hepa s ti sab outt oha ppe n,a ndt hef ut ur ewa sl ongs i nc es e t t l e d.
Andt hewl ngSOft hef ut ur edar ke nt hepa s t ,t hebe a ka ndc l a wsha vede ‑ s e c r a t e dHi s t or y. Shame d
Thef i r s tc r yi nt hebe dr o om,t hen oi s ei nt henur s e r y,mut i l a t e d Thef ami l yal bum,r e nde r e dl udi c r ous
Thet e na nt s 'di nne r ,t hef ami l ypl C ni cont hemoor s . Ha vet or n Ther o off r omt hehous e ,orpe r ha psi twa sne ve rt he r e . Andt hebi r dss i t sont hebr oke nc hi mne y. Iam af r a i d
( pa r tI ,Sc e neI I I )
ここには、恐れおのの くコーラスの人々に待 ち伏せ していた ものがあ らわにな り、原始ギ リシャを想 わせ る暗い宿命感がただよっている
。そ して、 ここであ らわになるのは、モ ンチェンシー家の上に、かってのア トレウス王家の場合の ように、何 か故知れぬ恐 ろ しい呪誼がふ りそそいでいるのではないか とい う、
認知の予感 に外 な らない。 この宿命的な呪誼 ‑キ リス ト教的に言 うな ら原罪‑
を解 くため、 この コーラスのあ と間髪 を入れず に Aga t haの魔除の祈祷歌が歌 われるのである
。AGATHA. Thee yei sont hi shous e
Thee yec ove r si t
The r ear et hr e et oge t he r
Ma yt het hr e ebes e pa r a t e d
Ma yt heknott ha twa st i e d
Be c omeunkont t e d
Ma yt hec r os s e dbone s
l nt hef i l l e d‑ upwe l l
Bea tl a s ts t r ai ght e ne d
Mayt hewe as e landt heo t t e r
Beab outt he i rpr ope rbus i ne s s
Thee yeoft hedayt i me
Andt hee yeoft heni ghtt i me
Bedi ve r t e df r omt hi shous e
Ti l lt hekno ti sunknot t e d Thec r os s e di sunc r o s s e d Andt hec r o oke di sma des t r ai ght .
このことは、例 えば、この劇の最後 に も見 られる
。AGATHA. Thi swayt hepi l gr l ma ge Ofe xpi a t i on
Rounda ndr oundt hec i r c l e Compl e t i ngt h ec ha r m Sot heknotbeunkno t t e d Thec r os s e dbeunc r os s e d Thec r oo ke dbema des t r ai ght Andt hec ur s ebee nde d Byi nt e r c e s s i on Bypi l gr i ma ge Byt ho s ewhode pa r t l ns e ve r aldi r e c t i ons Fort he i rownr e de mpt l On Andt ha to ft hede pa r t e d‑
Ma yt he yr e s ti np e a c e.
( pa r tI I ,Sc e ne I I I )
これ らの Agat ha の 「ルー ン ( rune)
」まがいの シビルの ような科 白は、丁度、
指揮者のいないコーラスの不安 を確 かな ものにす る女司祭であると同時に、悪
に満 ち、 またそれ を追い払 う強力な呪いや祈 りによってある慰め を与 え、舞台
効果 を作 り上 げているのである
。つ ま り、 Agat ha は本来のギ リシャ悲劇 に見
られるコロスの役 目を果た し、観客の心理 を操作 して畏怖の念 を起 こしている
ので あ る
。この よ うに この劇 で は叔 父 叔 母 で構 成 され て い る コー ラス と
Agat ha の呪文で、「やつ ら」の正体が過去 を遡 ることによって徐 々に明 らかに
なってい くのである
。しか し、次の引用に見 られるように、過去が建 って未来
を金縛 りにす る恐怖が語 られるが、結局、このコーラスを構成す る人々はその
意味がつかめず 日常的意識 に逆戻 りし、自己の眼を一瞬に してラジオ ・ニュー ズの告げる 「天気予報 と国際的破局」の次元へ と舞い戻 りするのである
。
CHORUS. I n an ol d hous et he r ei sal wa ysl i s t e nl ng,and mor ei she ar d t han i s s poke n.
Andwha ti ss poke ni nt her o om,wai t i ngf ort hef ut ur et ohe a ri t . Andwha t e ve rhappe nsbe gani nt hepa s t ,andpr e s s e shar dont hef ut ur e , Thea g onyi nt hec ur t ai ne dbe dr oom.whe t he ro fbi r t horofdyi ng, Ga t he r si nt oi t s e l fal lt hevoi c e soft hepas t ,andpr o j e c t st he m i nt ot he
f ut ur e .
Thet r e bl evoi c e sont hel awn Themowl ngOfha yl nS umme r Thedo gsandt heol dpony
Thes t umbl eandt hewa i lofl i t t l epa l m Thec hoppl ngOfwo odi na ut umn Andt hes l ngl n gl nt heki t c he n Andt hes t e psa tni g hti nt hec or r i dor Themome ntofs udde nl oa t hi ng Andt hes e a s onofs t i f l e ds or r ow Thewhi s p e r ,t het r a ns pa r e ntde c e pt 1 0m Theke e pl ngOfa ppe a r anc e s
Thema ki ngt hebe s tofaba dj ob
Al lt wi ne dandt angl e dt o ge t he r ,a l lar er e c or de d.
The r ei snoa voi di ngt he s et hi ngs Andweknow not hi ngofe xor c i s m Andwhe t he ri nAr o g osorEngl a nd The r ea r ec e r t ai ni nf l e xi bl el a ws Unal t e r a bl e ,i nt henameofmus i c . The r ei sno t hi ngt odoa bouta nyt hi ng, Andnow i ti sne a r l yt i mef ort hene ws Wemus tl i s t e nt ot hewe a t he rr e por t Andt hei nt e r na t i o nalc a t a s t r ophe s,
( pa r tI I ,Sc e ne I )
このように、コーラスによって、舞台上の進展 は日常 と非 日常 との二つの次 元で進行 し、 ドラマテ ィックなコンテクス トを作 り上げている
。
逆説的にい うなら、 日常の世界は否定 されるためにある
。この よこ糸 とも言 うべ きコーラス に よって、観客 は主人公 Har r yの内面 を知 る ようにな り、彼 ら自身の中に も Eume ni de sを呼 び起 こす準備 が 出来て くるのであ る
。この ように考 えるな ら El i ot の詩劇 に見 られるコーラスは、Har r yと Mar yの季節神話 を根底 に据 えた 二重唱 と同 じように、個 々の登場人物の 「 性格 を超 えた 」 ( be yondc har ac t e r )
1 0
もので、Hel e nGar dne rの言 う単 なる 「 息抜 き 」 ( c omi cr e l i e f)以上 の役割 を 果た し、観客の心 に復讐の女神 を呼 び起 こすための一種の祈 りとも言 うべ き性 質 をも備 えている ものである
。つ ま り、TheFa mi l yRe uni o nのコーラスは逆説 的な否定 的な形で Eume ni de s の存在 を観客 に感得 させ て行 くことによって展 開 されて行 く
。この詩劇 のたて糸が Eume ni de s の変貌であ るな ら、 この変貌 をあぶ りだ しの ように観客 に鮮 明な形で映 し出 してい くよこ糸 となる ものが コーラスである
。l l
El i ot は 1 939 年 BonamyDobr e e ‑ の手紙 の 中で 、 コー ラスに関 して 「それ を将来の永久的な要素 として見なすか、あるいは、私が コーラスを使 うことで 非劇的な韻文か ら劇的な韻文への道 を見つけるのに役立 った痕跡の ような もの で あ る と考 え るの か、全 く確信 が ない」 と言 ってい る
。実 際、El i ot は The Fa mi l yRe uni o n以降コーラスを便 わな くなった。その背後 には 「 劇的声」が聞
1 0 He l e nGa r dne r.TheAT Eo fT. S. EL i o
E,p. 1 41.
l lIt hi nkt he r ei sonef aul ti npar t i cul arwhi chIoughts omehow t ohaveavoi ded:t hef i r s ts c e neof t hes e c ondpa r t[ i nTheFami l yRe uni o n]i sr e al l ye xpl i ca t or yma t t erwhi c hs houl dhaveヲ omeear l i er ; andc oml nga tt ha tpoi nt .hast hee f f e c tofi nt e r mi nabl ee xpl a na t i onwi t hnot hi nghappenl ng. It hi nk t ha tt hepl a ys uc c e edswi t h,no t hi nghappe nl ng. It hi nkt hatt hepl ays uc c e e dsi ns c ene s ,butnotas awhol e. The r ear es omef aul t sc e r t ai nl ymi l i t a t l nga gal nS tpOpl ul ars uc c e s s,whi c hIs t i l ldon' tknow how Ic oul dhavec ope dwi t hi nt hi spl a y. It hi nkoneoughtt ohaveas a t i s f a c t or ye xpl ana t i onf or wha thappe ns,oneve r ypl ane. No thavi ngbe e nabl et opr eventpe opl ef r o m as ki ng:whydo e sHar r y goa way?Ioughta tl e as tt ohavehadanans we rf ort he m ont ha tpl ane. I ti sagr e a tmi s t aket o al l ow pe opl et or ai s eques t i onsf orwhi cht he r ei snoa ns we
r. Ia m bynome anss ur eaboutt hec ho‑
r ous :Ime anwhe ht erIs hal ll ookuponi ta sape r manentel e me ntf ort hef ut ur e,orwhe t herl ti sa ve s t l ge,S Ome t hi ngt heempl oymentofwhi c hhasbe enahel pt o〟 l ei nf i ndi ngt hewa yf r om non‑‑
drama t i ct odr amat i cver s e. I( BonamyDobr e e,' ' T.S.El i o t ,A Per s onalRe m ini s e ene e/T.S.El i ot :The
Mana ndHi sWo r kl A Del t aBook.1 966],p. 85)
こえるようになったとい うことにあると思 うが、それ以上 に、このコーラスが
「俳優 に過度の要求 をすること」 にな り、その上、オペ ラのアリアの場合のよ 12
うに、観客 に 「筋 の流れを停滞 」 させて しまうとい う観客意識 を考慮 しての ことであろう。
Ⅲ
この ように
TheF
ami E yRe uni 仇
に見 られ るコーラスの役割 は観客反応 との 関係で考察 されなければならない問題である。 従 って、この劇のたて糸 とも言 えるEume ni de s
がHar r y
の回心 によって 「輝か しい天使」へ と変容 して行 く 様子 は、 このコーラスによって有機的に結 びつけられて劇構造の中に取 り入れられていると言 って も言い過 ぎではないように見える。
ところで、
TheFa mi l yRe uni m
においてAe s c hyl us
の痕跡 を色濃 く残 してい る部分 はEr i nye s
に追われるOr e s t e s
の例の科 白 ‑ 「お まえには、やつ らが 見 えない、 しか し、私 には見 え る」‑ であ る。 この科 白はAe s c hyl us
で はor e s t e s
が母親 ごろ しの罪 を犯 した後の 『供養す る女 たち』 の終わ り近 くに出 て くるが、El i o t
の劇ではHar r y
が舞台に登場 してす ぐ言われる。 もしEl i ot
がAe s c hul us
の劇 に従 うとす るなら、Or e s t e s
が母 を殺 したようにHar r y
も母 の 希望 を拒絶 し、そのシ ョックで母 を死に至 らせた後に述べ られるべ きである。つ ま り
El i o t
は 『オ レステア』 の時間の流れ を逆転 しているのである。 舞台上 で は、観客 にHar r y
の帰郷、狂乱、そ して、回心、その後 の旅立 ち とい う時 間的論理 に従 って継起す る出来事 の経緯 を辿 らせつつ、一方Har r y
は過去 を 遡 ることによってモ ンチェンシー家 に纏わる呪いを認識 して行 くのである。 こ の ように、El i o t
とAe s c hul us
の二つの劇の時間的な筋の流 れが全 く逆 になっ ているのは、 『オ レステア』 三部作 のライ ト・モテ ィーフが、Er i nye s
の血の1 2 T.S.El i o t ," Poe t r ya ndPoe t : ・q p . l i t . .p. 8 8,
報復 を求 めて止 まなかった復讐 の正義 ( デ イケ‑) にあ るの に対 して、El i ot の場合 は、復讐の女神 を登場 させ、それに立 ち向か う登場人物の心の変化 を通
じてキ リス ト教 的な 「 罪 と償 い」、回心 の問題 を打 ち出そ うとした違いにある ように思 われるか らである
。そ して Ae s c hyl us の悲劇で は Er i nye s か らEume‑
ni des の変貌 はア レオパ ゴスの裁判 とい う決定的な外部の要 因によってなされ てい るの に対 して、El i ot の詩劇で は Har r yが Eume ni de s( Er i nyes )か ら 「 輝 か しき天使」、言 うなれば、キ リス ト教 的な神 の使者 として認識 して行 くため の決定的な契機 となる ものが、一見、見あた らない ように見える。 しか し、 こ の劇の展 開 を注意 して見 るな らAes c hl us ほ どはっきりしていない ものの、や は り、隠 された転機 となる契機が見受 けられる
。この契機 となる場面 は、第一部第一場 で Har r yが帰郷 し、皆 の歓迎 の言葉 に耳 を貸 さず例の Or es t e sまがいの叫 びを口走 り、 自分 自身の心象風景 を 『 荒 地』的なイメジで述べ、妻 を甲板か ら突 き落 とした と言 った後 に見 られる
。母 親 Amyはこの ような妄想 は旅疲 れのせ いである とし風 呂に入 るように促す。
そ こで Har r yが風 呂に入 るために退場す る
。少 な くとも、 この風 呂に入 る と い う行為 は、Agame mnonの殺害 の場所 と同時 に TheWa s t eI , a ndの 「 水死」
(
" De a t hbyWa t er " ) のイメージを廷 らせ る
。これによって、魂 の浄化、再生へ と連想が展開 しない訳で もな
い 。Har r yが風 呂 を浴 びて再 び舞台に登場 してか らは 「日の光 と歌声」の世界 を一瞬経験 し、 この劇のクライマ ックスである第 二部第二場、つ ま りHar r yが Aga t haに自分の出生 を打 ち明け られ、父の殺意 が、 自分 自身に乗 り移 った と思 うようにな り 、Eume ni des の正体 を 「 輝 ける天 使」 と認識 して行 く場面 を迎 えるのである
。劇の展開 としては 「 やつ ら」の正 体 は、Aes c hul usと違 って現在 か ら過去へ遡 ることによって、はっきりして く
るのである
。ところで、 この場面で注意すべ き点 は、Har r yが母親 Amyに風 呂には い る
ように促 されて退場 し、再 び再登場 す る問の舞台上 における Ha r r yの不在 で
ある
。篠 山氏 はシェイクス ピア劇の舞台上の主人公の不在 に触れて、人物が舞 台上 にいる限 り、観客の反応 は何 よ りもまず、彼の動作 と科 白とい う直接的与 件 によって規制 されるが、一方、主人公が退場 している間は、観客の意識 は、
舞台か らの受動的な営み を停止 して、今 まで観客 自らが捉 えて きた主人公の言 動 に対応すべ きさまざまな思いを能動的にその人物 に投射す ることによって、
そのイメジを自分 によ り近い存在 に しようとす る、 と言 っている
。この考 え方 を、今問題 に している El i ot の劇 に当てはめ ようとす るな ら 、Har r y 退場の後、
叔父、叔母達 は Har r yを心配 して、医者 を呼ぶ ことに し、 また Har r yの従僕 Downi ngを呼 んで、問題 の事件 の真相 を究 明す るこ とにす る
。観客 は Har r y が帰郷 して以来、彼の言動 をつぶ さに見て きているため、彼 に対す る観客の意 識の深層 には、知 らず知 らずの うちに、主人公 を捉 える一つの心的座標が確立 され、それに従 って、彼 に対す る情緒的反応のパ ター ンが形成 されて来ている
。それ故 に、 この主人公の舞台上の不在 は、 この形成 されつつある観客の意識の パ ター ンに屈折 を与 える一つの契機 として働 くことになる。El i ot が この よう な主人公の舞台上の不在 を観客の意識 との関係で この劇構造の中に組み入れた か どうか よ く分か らないが、少 な くとも、 この Ha r r yが風 呂に入 るために舞 台 を去 らせ ることによ り、観客 に Agamemnonの殺害 された場所や豊鏡神の祭 儀 を意識の深層 に埋 め込 ませ て、Ha r r yの回心 を促す契機の一つ とな り、彼の その後 の成 り行 きを観客 に想像 させ て行 くための意識 の準備段 階 を作 らせ て 行 った と考 えられる
。この ような、Har r yの舞台上の不在 は、第二部第三場で、
彼が Eume ni de sを神 の使者 としての役割 を担 ってい ることを知 って、「 輝か し い天使 の後 を追 わねばな らない」 と言 って退場するところに も見 られる。Har‑
r y不在 の間、取 り残 された Amy と Aga t haが言 い合 っている所‑、Mar yが
登場 しAga t ha が Mar yに Har r yが現世 と彼岸 の二つの世界の境界 を越 えた こ
とを述べ る所 は、Har r yが再 び旅支度で舞台に登場 した時の観客の準備段 階 を
確 かな ものにす るのに役立 ってい る
。その後、Har r yが母親や Aga t haに別れ
を告げ、再 び舞台 に登場す ることはなかった。従 って
、Har r y
は母親の死 を知 らずに故郷 を去 ったのである。 逆 に言 うな らば、El i ot
はこの ような幕切れを 使 うことによって、Har r y
の存在 を観客の心の奥底 に焼 き付かせて、彼の今後 の行 く先 を想像 させ るための工夫であったのか も知れない。この ような劇的工夫で観客 は
Har r y
の心 的変化 を受容 してい くのである。つ ま り、
Aga t ha
によって 自分の出生の秘密 を知 らされ、 自らが一家の罪 を購 うべ く選 ばれた人間であることを悟 り、Mar y
との間にはなかった 「バ ラ園」で二人が会 う詩的なイメジによって、クライマ ックスに達 して行 くのであるが、
この過程 においてコミック ・リリーフ
( c omi cr e l i e f )
とも言えるもう一つの劇的 工 夫 が組 み込 まれ て い る。 この工 夫 が組 み込 まれ て い る個 所 はHar r y
がAga t ha
との対話 に入る前の第二部第‑場で、Har r y
が医師war bur t on
との長 い対話の中か ら、無意識 に父 と母の秘密の所在 をか ぎ出そうとしているところ である。 劇構造の展 開 としてはHar r y
の回心 に至 るための必要 なコ ミック ・リリーフで、主題 としては
Wi s hwood
の将来 を夢見ているAmy
の病状 を提示 することによって、この詩劇の一つの要素である悲劇的な結末 を暗示 しているところである
。El i ot
はこの場面 に関 してこの詩劇が上演 された1 939
年、先 ほ ど触れたBonamyDobr e e
に 「この第二部の第‑場 は、実際、説明的な事柄で、もっと早 くに説明すべ きで、この時点での効果 は、何 も起 こらなかった とい う 13
果て しない説明である 」 と言 っているが、 この ような自己反省 は、その後の
「詩 と劇」の中で、この第二部の始 まりを 「舞台力学 における根本的な欠陥で 14
ある 」 と言わせ しめた ものである。
それは、それ として理解で きるが、この場面の具体的なコミック ・リリーフ は、警部
wi nche l
lがHar r y
の弟J ohn
の自動車事故の知 らせ を持 って登場する1 3se eNo t e sll.
1 4 T・S・El i o t , " Po e t r ya ndDr ama
:・qp・c i t ・ ,p ・ 9 0・
ところである。
[ Ent e rWI NCHELL]
WI NCHELL Goodeveni ng,myLor d,Goode veni ng,Doc t o
r.Manyhappy‑ .Oh
,Ⅰ ' m s or r y,myLor d ,
Iwast hi nki ngi twasyourbi r t hday.notherLadys hi p' S . HARRY.HerLadys hi p' S∫
[ Heda r t sa tWI NCHELLands ei z e shi m byt hes houl der s ] He i sr e al.Doc t or .
Sol e tusr e s umet hec onver s at i on.You.andI AndWi nche l l ,Si tdown.Wi nc he l l ,
Andhaveagl as sofpor t.Wewe r et al ki ngofmyf a t he r・
WI NCHELL .
AI waysatyourj oke s.Is e e.Youdon' tl ookaye arol der Does n' tge tyounger .Thankyou,no.myLor d:
Idon' tf i ndpor ta gr e eswi t ht her heumat i s m.
WARBURTON.
ForGod' ss ake,Wi nche l l ,t e l lusyourbus i nes s . Hi sLor ds hi pi s n' tver ywe l lt hi se venl ng.
WI NCHELL
lunde r s t and,Si r .
I t ' dbet hes amei fi twasmybi r t hday‑
1be gpar don
,Ⅰ ' m f or ge t t i ng.
I fi twasmymot he r' S .Godr e s thers ou
l.She' sbe e nde adt hes et enye ar s .How i she rLadys hi p
,I fImayas k,myLor d?
HARRY.Whydoyouke epas ki ng
Abouthe rLadys hi p?doyouknow ordon' tyou?
Ⅰ ' m nota f r ai dofyou.
( par t I I .Sc e neI
)この
Wi nc hel
l言葉 は一貫 して、馬鹿げて、滑稽であるので、彼の登場 は一見 さりげないコッミク ・リリーフとしての挿入に見えるが、この部分 を注意 して 見 るな ら、Ha r r y
はWi nc he l
lの来訪 をEume ni de s
に係 わる何物かの訪れ とし て錯覚 していることが分かる。 Wi nc he l
lが現実 に実在す る地上の人間である のか、それ とも何か超越的な彼方か らの幻の類であるのかといぶか しんで、突如襲 いかかって、彼 の肩 をつかむのはこのためである 。 El i ot は 「 批評家 ドラ イデ ン」の中で コ ミック ・リリーフ について次の ように述べている
。ドライデ ンはあちこちで簡単には許 されない過 ちを冒 している。例 えば、彼は、エ リザ ベス朝悲劇の喜劇的要素 は、我 々が言 う 「喜劇的息抜 き」のために使われている、 と言 っ ている。劇的効果か ら言 うなら、疑い もな く、 この喜劇的要素 は、エ リザベ ス朝観客の大 部分 に とって、喜劇的息抜 きであった。「笑い と涙」 は、なお もどこかの映画の呼 び物 と して宣伝 されている。そ して、おそ らく、エ リザベ ス朝の人々は、 自分達の笑い と涙 を現 代の観客 と同 じくらい詰め込 むことを好んだ。 しか し、エ リザベス朝の演劇、特 にシェイ クスピアをほんの少 し調べ るなら、喜劇 は実際の ところ全 く 「息抜 き」ではな く、逆 に、
陰宙 さを最高 に強め る ものであ るとい うことがわか るO 『マ クベ ス』 の門番、 『ハ ム レッ ト』 の墓掘 り人、 『リア』 の道化、 『ァ ン トニー とク レオパ トラ』 の レピダスの酒浸 り‑
これ らには 「息抜 き」 はない。 これ らの場面 は、少 しの間、崇高な ものか ら一般的な もの へ変 えることに よって、恐 れあるいは悲劇 をまさに真 に迫 った ものに しているだけであ
15 る 。
El i ot は、 この ようなシェイクス ピア劇 に見 られ る喜劇的要素 の解釈 を wi n‑
c he l lの場面 に応用 し、Har r yの回心 の場面 を浮 き立 たせ る一つの劇的手法 と して使 ったのではないか と思われる
。この考 え方 を当てはめ ようとす るな ら、
El i ot は一見 して喜劇的要素 と見 えるこの場面で Eume ni de s の存在 を 「 少 しの 間、‑ 一般的な ものへ変 えることによって、恐れあるいは悲劇 をまさに真に 迫 った ものに している」工夫 として使 っているのである。
Ⅰ Ⅴ
この ように、El i ot の劇構造 には観客 を念頭 に置いた工夫が散見 される
。し か し、大切 なことは、 この劇の舞台上で、時間の経過 と共に状況が展開 し、登 場 人物達の科 白と動作 によって我々の理解が積み重ね られて行 く背後 に、Ae s‑
c hyl us の劇が演劇的時間 として人為的に組み込 まれているとい うことである
。1 5 T.S.El i o t , J o hnD7 yde n:Th ePo e t ,TheDT t l maE i s t ,TheCnp E i c( New Yor k,Ter e nc e& El i z aHol l i da y .
1 93 2) ,pp. 6 0‑
1.このギ リシャ悲劇が鼓 し出す祖型的パ ターンは、作家の個性 を越 えた集団的想 像力の産物で、ほとんど無意識 に伝 えられて きた ものである。 このような考え 方は、 もちろんボ ドキ ン女史の 「詩 における祖型的パ ターン
」 ( Ar c he t i PalPaト t e r nsi nPL Wt 7 y)
に重 な りあって行 くものであるが、このパ ターンが観客の心の 奥底 にある場合、このTheFa mi l yRe uni m
は二重構造 として観客の劇的反応 に 作用 し、劇 に見 られる現実の時間におけるそれ とは比較 にならぬほど大 きな ウェ‑ トを持つ ものである。 この立場 か らTheFa mi
lyRe uni m
を見 るな ら、El i ot
が この詩劇で観客の心理 にAe s c hl us
の祖型的パ ターンを呼び起 こそ うと している部分 は、第一部‑場でHa r r y
が例のAe s c hyl us
の 『供養す る女たち』に見 られる
Or e s t e s
の科 白の例の一節 を響かせている部分、それか ら、 コーラ スの説明の ところで既 に引用 した第二部‑場の最後 に見 られるAr g os
とい う 地名だけである。 これだけで、は じめての観客が、El i o t
のこの劇か らAe s c hy‑
1 us
の悲劇 を読み とって、 自分 自身の意識の奥底で、二重の反応 を作 り上げて い くことはなかなか難 しいことである。El i o t
はかって 「ハ ム レッ ト」論でRobe r t s on
とst ol
lの説 を踏 まえ、Haml e t
を解 釈 しよ う と して い る批 評家 はHaml e t
とい う作 品 は一つ の 「多層体」( s t r a t i f i c a t i on)
であ ることを忘 れていると指摘 し、Thoma sKyd
の三つの作 品1
6
を比較 した。 つ ま り、シェイクス ピアの
Ha ml e t
は、いわゆるUrHa ml e t 以 降
の種 々の残留物 を消化統一 し得 なかったために、ハムレットの心 にわだかまる 感情が、劇行為 を通 じて表現 を与えられていない とい うことである。 しか し、その当時の人達は、その残留物 を、その当時の文化的コンテキス トを作 り上げ ている民話的材源 一つ まり
Haml e t
の 「多層体」一、の中で、この劇の暖昧 さ を繕い、意味 を補 っていた と考 えられる。El i o t
は 「ある種の演劇的形式 とは、(小数の知識人の気質に限定 されるものではな く)その時代の気質、つ まり、
1 6 T,S.El i ot ," Ha ml e t : ISe l e c t e dEs s a ys .pp. 1 4112.
ある特定の刺激 に対 して、如何 に酷であろうとも、予想 される方法で、反応す る ための観客側の準備、習慣 を意味す るものである
。アテネやエ リザベス朝演劇 に 通 じていない と、アテネの演劇では運命、 また、エ リザベ ス朝演劇では死 と岨虫 といったあ りふれていることす らわか らない。 このようなことは何度 も何度 も現
1 7
れて身近にな り、適切な反応 を呼び起 こす もの と思 う」 と言 っている 。 つ ま り、
現代の観客 は、その当時 の人々 と違 って、作 品 Haml et の 「 多層体」 あ るいは 残留物 を文化 的背景 と して持 ってい ないので、 この作 品の中に 「 客観的相 関 物」 を見 出だす ことが出来 ないのである
。篠 山流 に言 うな ら 「テキス トの下 に 言語的ない しは前言語的 に存在 し、主 として無意識の レベルで受容者の反応 に
1 8
様 々な形 の非合理 的影響 を及 ぼ してい る 」サ ブテキス を如何 に して呼 び起 こ すかが大切 なのであ る.El i ot の Haml et 批判が この ような現代 の観客反応 を念 頭 に置 いた発言であ ったか どうかはこれだけでは定かで はないが、 この 「 多層 体」 に関 して、El i o t は TheUs eo fPo et r ya ndt heUs eo fCn' t i c i s m の中で、演劇
1 9
と観客 の コ ミュニ ュケ イシ ョン の問題 を取 り上 げなが らシェイクス ピアの劇 の多層体 に触 れて、 これ を彼 自身試 み よ うと した こ と、 また S.
L.Be t he l lの
『シェイクス ピア と大衆劇 の伝統』 の序文の中で、劇作家 と演 出家の立場か ら 批評 に貢献 したグランヴ イル ・パ ーカーの 『シェイクス ピアの序文 』 ( pr e f ac e s
2 0
t oshak e s pe ar e) に触 れてい る こ とを思 い起 こす な ら、彼 の念頭 に観客 の反応 を
17 T.S.El i o t ,・ ・ Th ePo e t i cDr a ma : ,TheAE h e nnaum , 469 8( Ma y1 4,1 92 0)635
1 8
篠山隆 Fドラマ と観客』、 p. 4 6.
1 9
Themos tus e f ulp o e t r y,s o c i a l l y.woul dbeonewhi c hc oul dc u ta c r o s sa l lt hepr e s e nts t r a t i f i c a t i o ns o fpubl i ct as t e ‑ S t r a t i f i c a t i o nswhi c ha r epe r ha psas i g no fs oc i aldi s i nt e g r a t i on. Th ei de a lme di um f orp oe t r y.t omymi nd,a ndt hemo s tdi r e c tme a nsofs o c i a l" us e f ul ne s s "f o rpo e t r y,i st het he a t r e . I n apl a yofSha ke s pe a r eyoug e ts e ve r a ll e ve l sofs i gni f i c a nc e :( T.S.El i o t . Th eUs eo fPME T ya ndt h eUs e o fCr i E i c i s 7 nl London:Fa be r
&Fa be r ,1 96 8],pp. 1 5 2‑ 3 )
20 1 Th ec ons t a ntr e a de rofShake s pe a r es houl dbea l s o,t ot h ebe s to fhi soppor t uni t i e s ,t hec ons t a nt t he a t e r g oe r :f ora nypl a yo fSha ke s p e a r et obes e e na ndhe a r d,a swe l la sr e a d,ma nyt i me s ;a nds e e n a ndhe ar di na sma nydi f f er e ntpr o duc t i onsa spos s i bl e . Buthowe ve rmuc hhef r e que nt st h et he a t r e ,
hepr o ba bl ydo e sn otr e a l i z et hee xt e ntt owhi c hs t a gepr o du c t i o nha sbe e ni nf 一 ue n c e dbyc r t i t i c s m ( Hi sbe s ta ppr oa c hmi g htbet heo t he rwa ya bout ,s t udyi n gt he PT e f a c e s ofHa r l e yGr a nvi l l e‑ Bake rf or t hec o nt r i but i onofadr a ma t i s ta ndpr oduc e rt oc r i t i c i s m: ( T.S.El i o t ," I nt r o duc t i on"t o Shak e s J x w e
& TheP
Qf ul aTDT amaE i cTT adl E i o nbyS.L.Be t he l l [ Dur ham.1 9 44].vi i i . )
考慮 していたと考 えることはそれほど唐突 なことではないように思える。 これ と同 じ立場か ら考 えるな ら、
El i ot
がThe F a mi L yRe uni o
nに関 して 「最大の欠lil 点 は、ギ リシャ神話 と現代生活 との間の調整 に失敗 したことである 」 と反省
し、その一つの証拠 として復讐の女神
( Eume ni di e s)
を登場 させたことをあげて るが、この反省の背後には、観客 にこのAe s c hyl us
劇 を予め先取 りさせてお く「客観的相関物」、言 うなれば観客の心の中に
The F a mi l yRe uni o
nの 「多層体」を作 り上げて行 くことが出来なかったことの反省 もあったのではなかろうか。