茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)189−204 189
現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2)
一「成人感」の発生の心理的・社会的機制一
菊 池 龍三郎*・安 達 喜美子**
(1985年9月28日受理)
AGrowing Sense of Adulthood and its Social Causative Factors in Today s Adolescents(2)
一Psychological and Social Mechanism 一
of a Growing Sense of Adulthood 一
Ryuzaburo KIKucHI and Kimiko ADAcHI
(Received September 28,1985)
1.本研究の構想と前稿の概要
1)本研究の構想
既に前稿1)で述べたことであるが,今日,青年研究は,量的に見れば,論文,著書等の形で出版さ れた研究成果は極めて多いが,青年を現実の社会的文脈の中で把えようとする視点からなされた研 究は極めて少ないという現状拓ある。
即ち一方は余りに唯心論的に解釈された青年の「自己」概念を問題にした研究になるか,それとも 他方では成人をして一方的に青年を語らせるという実証的手続きを欠いた「青年観」の類になるか のどちらかであったと言ってよい。
われわれが本研究で目指すのは,青年教育のための有効な手がかりとなり得る知見を引き出すこ とにある。そのためには,従来の青年研究の問題点,即ち唯心論的自己概念に傾斜するか,若しく は実証的手続きを欠く青年観に陥いるかのどちらかであったという欠陥を認識した上で,後述する ように可能な限り青年自身に青年を語らせるという方法を採る。
さて,本研究で明らかにしようとしているのは次の3点である。
① 現代青年における「成人感」の発生とその規定因
② 青年期の始期と終期,大人の始期
③ 現代青年の成熟の社会的規定因
* 茨城大学教育学部教育学研究室
**茨城大学教育学部教育心理学研究室
190 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
前稿では,①現代青年における「成人感」の発生とその規定因,の一部をわれわれが実施した調 査によるデータに基づいて検討した。その概略は次の2)に示す通りである。従って本稿では,① の残りと②及び③であるが,③は①及び②と関わらせて論述することにしたい。
2)青年における「成人感」の発生の規定因一前稿の概略及び本稿の課題
われわれは本研究において,現代青年の社会的成熟の問題を取り上げる。端的には彼らについて しばしば語られる幼児性の問題を射程に置きつつ,具体的には先ず彼ら青年にとって自分がもう「大 人」であると感じるか,それともまだ「子ども」であると感じるかという「成人感」の発生から入
っていく。
前回は,「もう大人」から「まだ子ども」まで幅を持って拡がっている青年の認知のうち,「まだ 子ども」と感じている青年についてその理由をとり上げそれを通して成人感の発生の阻止因を明ら かにしようとした。そこからほぼ次のことが指摘できた。
表1・学生の自己認知 (N=234)
性 M F T
自己認知歩数
f % f % f % も う大人 32 28.3 25 20.7 57 24.4 より大人的 3 2.7 8 6.6 11 4,7
勤勲 11 9.7 11 9.1 22 9.4
より子ども的 5 4.4 9 7.4 14 6.0
まだ子ども 60 53.1 68 56.2 128 54.7
わからない 2 1.8 0 0 2 8
計 113 100.0 121 100.0 234 100.0
即ち第一に,表1に示される青年の自己認知の拡がりは青年期特有のものであること,また半々 とか,大人と子どもの両方を肯定したり,あるいは両方を否定したりするという反応は青年期特有 のものであると同時に,子どもから大人になっていく過程にある青年期の位置をよく示していると いうことである。
第二に,自分は「もう大人になった」と感ずる,いわゆる「成人感」の発生の過程を次のように考 えたことである。
① 身体的・生理的成熟(十知的発達)
@ ↓
A 子ども性の否定意識(感覚)
@ ↓↑
B 大人的行動の取り入れ(大人に許されている行動の自己への受容)
菊池,安達:現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 191
↓
C 大人意識(成人感の発生)
つまりわれわれは,人の意識の中で「自分はもう子どもじゃない」という意識が発生したからと いって,そのことが直ちに「自分はもう大人だ」という意識の発生には結びっかないと考えたので ある。むしろ,「自分はもう子どもじゃない」という意識が発生して,その人に子ども的でない行動,
つまり大人的行動を許容し,それがやがて,気がついてみたら「もう大人」になっていたという実 感へと結びつくと考えたのである。そして前稿で報告した結果は,この図式が大筋では間違っては
いないことを示した。
第三に,いわゆる成長加速現象ということがしばしば指摘されるにもかかわらず,当の青年達に は「まだ子ども」という認知が多いことの問題である。つまり彼らにはまだ自分の子ども性の否定
意識が本当に現われていないのかという疑問なのである。そこで,一方では飲酒,喫煙,性的関係 ●
等,諸々の大人的行動を自己に許容しながら,それでいて自己の「子ども」性を否定できない意識 のもとにあるものは何かということを,彼らの自己認知を成り立たせているものを分析することに よって明らかにしようとした。
ところでわれわれは,「大人」か「子ども」かということに関する青年の自己認知を成り立たせて いる事柄の間に,仮説的に次のような関連を設定した。
図1.「成人感」の発生因と阻止因の出現過程
そして「成人感」の発生を阻止しているものは何かを,まず「子ども認知」を成り立たせている 原因(「成人感」発生の阻止因)を検討することによって明らかにした。その結果はほぼ次のように 要約できる。
青年達に自分を「まだ子ども」と感じさせ,「大人」であることを認めさせない理由としてあげら れた多くの回答を整理してみて,われわれは,取りあえずそれらを,「経済的自立の欠如」,「親へ の依存(経済的・精神的)」,「精神的未熟さの自覚」,「社会人としての自覚・責任感の欠如」,「『学 生だから』・『若いから』等という形式的身分認知」,「大人への不満(大人に対する否定的評価)」,
「子ども性への不満(大人に対する肯定的評価」,「子ども性への愛着(大人になることの拒否)」の 8つに範疇化した。各カテゴリー名の適否,またそれぞれの関連及び構造は今後改めて検討しなく てはならないものであって,ここでは便宣的なものであることを断わっておく。これはさらにいく つかの数少ないカテゴリーに整理されると考えられるが,様々の観点から多角的に検討する必要が あるため,われわれの本研究におげる方法的特質に顧みて,それ以上の範疇化は当分は行わないこ とにした(表2)。
192 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
表2.「成人感」発生の阻止因(男女別,%) 本研究では調査対象が大学生であっ たため結果にもその特殊性があらわれ 男 子 女 子
ている。即ち,大学生に「成人感」が発 経済的自立の欠如 17.1 10.9
生するのを阻止している要因は,学生 親への依存 36.1 27 9 であり,経済的に親に依存せざるを得 精神的未熟さの自覚 28.0 51.2 ないという事実に求めることができそ 社会人としての自覚
E責任感の欠如 6.1
うだということである。これらの要因5.4 の関連をわれわれは前稿のFig 2に示
「学生だから」「若いから」
ニいう形式的身分認知 7.3 3.1 されるように考えてみた。つまり,彼 大人への不満(大人に対す
髞ロ定的評価) 2.4
らの「精神的未熟さ」の自覚は,必ず O しも彼らが学生であったり,「若い」と 子ども性への不満(大人に
ホする肯定的評価) 2.4
か「幼い」ということと直接的に結びつ0 いているわけではなく,そのことによ
子ども性への愛着(大人に
ネることの拒否) 0
ってまず何よりも経済的に親に頼らざ1.6 るを得ないという事実によって親への
依存が意識され,同時に社会人として の自覚・責任感の欠如を意識させているのではないかということなのである。
以上が前稿の概略であるが,本稿では,前稿が「まだ子ども」と感じている青年の子ども認知を 取り上げたのに対し,これと反対に「もう大人」及び「より大人」と感じている青年にっいて,その
「大人認知」を成り立たせている要因を明らかにしたい。これに含まれるのは,表1の中では,「も う大人」(57名),「より大人的」(11名),「半々」(どちらともいえる,どちらともいえない」(22名)
を合わせた90名である。つまりわれわれは,「まだ子ども」だと感じている者の大人認知の阻止因及 びそれと反対の「もう大人」と感じている者の大人認知の要因の両方を検討することを通して,成 人感の社会的規定因を明らかにしたいのである。
2.研 究 計 画
1)本稿の研究目的
現代青年における「成人感」の発生の規定因を明らかにすることを目的として,われわれは前稿 において青年の子ども認知の分析を行ない,「成人感」の発生の阻止因を検討して来だ。
またわれわれは,「成人感」の発生の過程を考えるに当って,前述のように「自分はもう子どもじ やない」という意識(っまり,子ども性の否定意識)の発生が,直ちに「自分はもう大人だ」という意 識(すなわち,成人感)の発生には結びつかないと仮定した。すなわち,青年達は自己の十分な身体 的・生理的成熟を確信すると,「自分はもう子どもじゃない」と意識しはじめ,同時に自己に大人的 行動を許容していく。しかし,それはそのまま「もう大人」という意識には結びっかないということ である。
っまり,「子ども性の否定意識」,あるいは「大人的行動の自己への許容」と「成人感」の発生との
ρ
菊池,安達:現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 193
間には,何分かのズレがあると考えるのである。
ところで,「成人感」の発生が大人の始期の指標であることは知られている。しかし,「こども性の 否定意識」という時の「子ども性」とは,対「大人性」において考えられるものである。その場合,い わゆる「青年性」は「子ども性」に包含されるものと思われる。したがって,「大人的行動の自己への 許容」は何時経験されるものなのかは曖昧である。すなわち,それらが子ども期の終期において経 験されるものなのか,それとも,青年期のどこかにおいて経験されるものなのかは余り明確でない のである。
かつて,筆者等の一人は青年期の終期と大人の始期にスキマがあることを述べておりρ植田3)に よってもその事が実証されているが,青年期延長が指摘されて久しい今日,そのようなスキマがな お,存在するかどうかは検討に値する。
何故なら青年期の始期の早期化(前傾現象)が一方で起こり,青年期の始期が児童期に迄喰い込ん で来ている現在})子ども期の終期と青年期の始期についての意識の曖昧化が起こり,他方,高学歴 化等による青年期延長(モラトリアム延長)によって,青年期の終期と大人の始期にっいての認知上 の曖昧化が起こっているのではないかと考えられるからである。
つまり,従来青年期と成人期は図2のような形で認知されていたと考えられるのに対し,現在で は図3のような形で認知され 子ども x青鯛客大人 るようになって来てし るので
)マ@ )マ はないかと考えられるのであ
る。
図2.従来考えられていた青年期
と成人期の関係 そこで,本稿においては前 稿でわれわれが仮定した「子 青年期 ども性の否定意識」,あるいは
「大人的行動の自己への許容」
子ども@餐 大人 と「成人感」の発生との間のズ )マ
レがどのようなものであるの 図3・現在の青年期と成人期の か,そしてそれが青年期その
関係(仮定) ものとどのような関係にある のかを,「成人感」の発生とい う大人の始期と青年期の終期の検討を通して明らかにすることと,自分に対して多少とも大人性を 認めているもの(「自分はもう大人」,「より大人に近い」,「半分大人で半分子ども」等)について,
そのような認知を持つに至った根拠を分析することによって,成人感の発生因を検討することを目 的とする。
とくに,われわれは「成人感」の発生が何時どのような条件のもとで見られるのかを明らかにする ことを終極の目的としているので,先ず,成人期の位置づけをする必要がある。そこで,成人期が 子ども期や青年期とどのような関係にあるかを検討するため,本稿では,青年期の終期と大人の始 期の年齢に注目して検討を進めてみたい。
1g4 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
2)研究方法・対象
われわれが本研究で採ろうとしている研究方法の特色については,前稿である程度詳述している ので,ここでは略述するに止める。
われわれは,青年をして青年を語らせ,そこで表現されたものに浸り切ること,できる限り解釈 者の側で枠を設けず,記述されたメッセージを忠実に読み取ろうと努力している。
確かに,われわれの研究方法としてのcommit法は,方法というよりも,敢えていえば対象が何 であれ解釈者に一貫して要求される方法的態度ともいうべきものである。つまりそれは,実際には,
一定の操作上の手続きを意味するわけではない。
っまりわれわれの方法は,確かに質問紙法に依ってはいるが,記述の仕方は自由記述であり,その 記述された回答内容を性急に範疇化せず,最初は細かな表現をもできうる限りの配慮をしつつ忠実
解釈するよう努力するということなのである。
調査対象は,大学生である。研究の内容から言っても,調査対象は大学生にのみ限られるべきで はない。勤労青年をも含めて,そして更に居住地,職業等の属性をも考慮して調査対象を拡げる必 要があることは当然である。しかし,前回,今回と発表するのは,われわれの青年研究において必 要な概念や方法,並びに研究の枠組自体を吟味するためのいわば,予備的問題発見的考察であるこ とを考慮すれば,たとえ調査対象が学生であっても,そこから得られる知見はわれわれの今後行わ れるべき本格的な研究にも十分に意味があり有効であると考える。
前回及び今回の検討に用いられた問は次の通りである。
(1)あなたは自分を「もう大人」だと思いますか。それとも「まだ子ども」だと思いますか。
前稿で検討
② なぜそう思うのですか。その理由を書いて下さい。 本稿
(3}青年期は何歳頃までと思いますか。 本稿
(4)それはなぜですか。その理由を書いて下さい。 本稿
⑤ 大人は何歳頃からだと思いますか。 本稿
(6)それはなぜですか。その理由を書いて下さい。 本稿
以上の問はすべて調査者の考え方を押しつけないという考え方から自由記述の方法を採用した。
調査対象は本学教員養成学部の2年次,男子113名,女子121名の計234名。
調査実施は,昭和58年10月上旬(後学期開始の第一講時目の授業時間)。
3.結果と考察
青年期の終期,あるいは大人の始期を示す一致した明確な指標はない。しかし,われわれの生活 の中では人をある時期まで青年と見,ある時期からは青年と見なくなる。そのような変換点が何歳
ぐらいであるかを青年期の終期と大人の始期の両面から捉えてみようと考えた。
菊池,安達: 現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 195
1)青年期の終期
青年期の終わりを現在青年期にある大学生達は何歳ぐらいと考えているであろうか。そして,な ぜそこで青年期が終わると考えるのかを見ていく。
青年期の終期として記述され 表3.青年期の終期
@ た年齢とその頻度は表3に示す
終期 男 女 全 通りである。
f % Cu% f % Cu% f % Cu% 表3からわかるように,青年
16歳 2 1.9 1.9 0 − 0 2 0.g O.g 期の終わりとして述べられた年
17 0 − 1.9 0 − 0 0 − 0.9 齢は16歳から40歳まで拡がって
18 3 2.9 4.8 1 0.8 0.8 4 1・8 27 おり,そのピークは25歳の2&7
19 2 1.9 6.7 5 4.2 5.0 7 3」 5.8 20 7 6.8 13.5 10 8.3 13.3
%である。次いで多いのが30歳17 7.6 13.4
21 5 4.9 18.4 2 1.7 15.0 7 3」 16.5 の17.5%,22歳の14.3%であり,
22 13 12.6 31.0 19 15.8 30.8 32 14.3 30.8 その平均年齢は25.2歳である。
23 3 2.9 33.9 5 4.2 35.0 8 a6 34・4 これを男女別に見ると少しく違
24 3 2.9 36.0 3 2.5 37.5 6 2.7 37.1 25 32 31.1 67.9 32 26.7 64.2
いがみられる。64 28.7 65.8
26 9 8.7 76.6 1 0.8 65.0 10 4.5 70.3 男子による青年期の終期は16
27 2 1.9 78.5 1 0.8 65.8 3 1.3 71.6 歳から38歳までの拡がりで,ピ
28 2 1.9 80.4 3 2.5 68.3 5 2・2 738 一クは25歳の31.1%,次いで30
4 3.9 84.3 P3 12.6 96.9
5 4.2 72.5 Q6 21.7 94.2
9 4.0 77.8
@ 歳と22歳の12.6%,そしてその39 17.5 95,3
31 0 − 96.9 2 1.7 95.9 2 αg g6.2 平均年齢は24.8歳である。他方
32 0 − 96.9 0 − 95.9 0 − 96.2 女子によって述べられた青年期
33 0 − 96.9 0 − 95.9 0 − ga2 の終わりは18歳から40歳まで拡
34 0 − 96.9 0 − 95.9 0 − 96.2 35 0 − 96.9 3 2.5 98.4
がっており,最大値は男子同様3 1.3 97,5
36 1 1.0 97.9 0 − 98.4 1 0.4 97g 25歳に見られその値は26.7%,
37 1 1.0 98.9 0 − 98.4 1 0,4 9&3 次いで30歳の21.7%,3番目に 38 1 1.0 99,9 0 − 98.4 1 α4 9&7 多かったのが22歳の15.8%であ
0 − 99.9 O − 99.9
1 0.8 99.2 P 0.8 100.0
ユ 0.4 99.1
@ る。女子による青年期終期の平1 0.4 99.5
T 103 99.g gg.g 120100.0 100.0 223 gg 5 gg 5 均年齢は25.6%で,男子に比べ その他 7 1 8 0.8歳遅い年齢が示された。
わからない 3 0 3 この青年期の終期の年齢的拡
がりは前述したように男女共に 大きいが,20歳未満を指摘したのは男子で6.7%,女子は5.0%,逆に31歳以上の高齢を指摘したの は男子3.0%,女子も5.8%しかなく,20歳未満あるいは,31歳以降に青年期が終わるとするものは 少なく,主な拡がりは20歳から30歳までの10年間に見られている。この中で,女子の方が男子より
も幾分高い年齢において青年期の終わりを認める傾向を示しているのは興味深い。
現実には,男子に比べほぼ2年早く青年期の始期を迎える女≠)において,青年期の終期を男子 よりも高い年齢に認める傾向を示すのは,「大人になることへの拒否(子ども性への愛着)」が女子に おいて認められた前稿の結果6)と関係あるのかもしれない。これは,女子においてもモラトリアム
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延長の意識がより強く働いているということなのかもしれない。裏を返せば,男子よりも約3年早 く結婚年齢を迎える女子の一種の抵抗とも言えるものかもしれない。
また,累積で見ると(表3),50%を越えるのは男女共に25歳で,24歳と25歳の差が非常に大きい。
っまり,24歳までに青年期が終わると考えるのは男子36.0%,女子37.5%であるが,25歳になると 男子67.9%,女子64.2%と大幅な増加が見られるのである。
この25歳という年齢は大学2年生である被験者の現在からほぼ5年先で,彼らの大学卒業そして 就職3年後である。このころになれば彼らは「自分で生活できる」,ある程度「社会的に認められる
(あるいは,社会的に評価される)」ようになり,社会における「自分の位置がわかってくる」よう になると考えている。つまり大学を卒業して3年位で,殆ど自活可能になり,社会的にも一応認め られるようになり,自分の位置もわかって来る頃が一つの節目になると考える考え方である。
もう一っの考え方が30歳青年期終期説になる。累積で見ると,90%を越えるのが男女共に30歳で ある。そして29歳と30歳の差もかなり大きい。特に女子に30歳青年期説をとるものが多く,29歳ま での72.5%から94.2%への大幅な増加である。
30歳になると人は「結婚」し,「第一子の誕生」を見,「自己の確立(=肉体的・精神的に落ち着くこ とを意味している)」があり,「親から完全に独立」し,「社会的地位」も出来,「自分の生き方が決まる」
と考える。そして,彼らは31歳以降を「中年」と考え,「中年」謹「成熟」=「成人」という図式で捉えて おり,その前の30歳を青年期の終わりと見ているのである。
またもう一つは,大学を卒業し就職する22歳を青年期の終期とする考え方である。これは親のス ネかじり状態からの訣別によって青年期が終わると考えるものである。彼らによれば,精神的自立 は経済的・社会的自立によって認あられるという。
2)大人の始期
大人の始期の年齢とその頻数は表4の通りである。大人の始期は13歳から35歳まで22年間にわた る年齢幅を持っている。最も多かったのは20歳で32.4%,次いで25歳の15.2%,23歳と18歳の9.5
%が続くが,その平均は22.1歳となる。これを男女別にみると,男女共に20歳を大人の始期とする ものが最も多いが,29.3%の男子に比べて女子はほぼ6%多い35.1%であるのに対し,25歳を大人 の始期とするのは男子17.2%,女子は13.5%で男子の方が多い。また,大人の始期の平均は女子に よれば21.9歳であるのに対し,男子では22。5歳である。つまり,女子は男子よりも大人の始期を幾 分低い年齢において考えている。
彼らによれば,20歳になると「法的にも社会的にも一人前と見倣される」し,ある程度「自分で責 任がとれる」ようになってきており,「経済的にも独立可能」であるという。
また25歳では「精神的にも肉体的にも安定」してくるし,「落ち着き」が出て,「社会からも一一応 認められる」から大人だという。18歳や23歳では,この頃に,高校や大学を卒業し「自立出来る」
からだと述べ,ここに大人の始期を認めている。
ところで20歳までに大人の始期を認めているのは男子で43.3%,女子は53.1%ある。この調査時 点での彼らの年齢は殆ど20歳ないし21歳であった事を考えれば,彼らの約半数は自分を「もう大人」
ないし,「大人に(より)近い」と答えなければならない筈であるのに,前稿におけるそれは男子31D
%,女子では27.3%であった1)ここに一つの反応の矛盾が見られる。
菊也安達:現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 197
彼らは一般論と自分の問題とは切り離して考えているように思える。自分の問題になるとモラト リアム延長の意識が表面化してくるのかもしれない。
表4.大人の始期
男 女 全
年 齢
f % Cu f % Cu f % Cu
13 1 1.0 1.0 0 − 0 1 0.5 0.5
ユ4 1 1.0 2.0 1 0.9 0.9 2 1.0 1.5 15 0 − 2.0 0 − 0.9 0 − 1.5 16 1 1.0 3.0 1 0.9 1.8 2 1.0 2.5 17 0 − 3.0 2 1.8 3.6 2 1.0 3.5 18 11 11.0、 14.0 9 8.1 11.7 20 9.5 13.0 19 0 − 14.0 7 6。3 18,0 7 3.3 16.3 20 29 29.3 43,3 39 35」 53」 68 32.4 48.7 21 2 2.0 45.3 1 0.9 54.0 3 1.4 50.1 22 6 6.1 51.4 10 9.0 63.0 16 7.6 57.7 23 10 10.1 61.5 10 9.0 72.0 20 9.5 67.2 24 6 6.1 67.6 4 3.6 75.6 ユ0 4.8 72.0 25 17 17.2 84.8 15 13.5 89.1 32 15.2 87,2 26 7 7.1 91.9 3 2.7 91.8 10 4.8 92.0 27 0 − 91.9 1 0.9 92.7 1 0.5 92.5 28 1 1.0 92.9 0 − 92.7 1 0.5 93,0 29 1 1,0 93.9 0 − 92,7 1 0.5 93。5 30 4 4.0 97.9 7 6.3 99.0 11 52 98.7 31 0 − 97.9 0 − 99.0 0 − 98.7 32 0 − 97.9 0 − 99.0 0 − 98.7 33 0 − 97。9 0 − 99.0 0 − 98.7 34 0 − 97.9 0 − 99.0 0 − 98.7 35 2 2.0 99.9 1 0.9 99.9 3 1.4 100」
T 99 99.9 99.9 111 99.9 99.9 210 100,0 100.1
その他 12 8 20
わからない 2 2 4
Tot al 113 121 234
平 均 22.45 2L90 22.16
3)青年期終期と大人の始期のズレについて
既に述べて来たように,大学生によって示された青年期終期の平均は25.2歳(男子24.8歳,女子 25.6歳)であるのに対し,大人の始期の平均は22.2歳(男子22.5歳,女子21.9歳)である。これは,
大人の始期が青年期の終期よりも3年早いことを示している。つまり,大人の始期が青年期の中に 3年程喰い込んでいるという形のズレが見られている。この結果は筆者らの一人が先に述べ8)植 田9)によって実証されているものと逆のものである。このような結果が何故生じたのか少し検討し
198 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
てみよう。
われわれは通常,人の成長を「子ども」か「大人」かで見ることが多く,その際,子どもと大人の 間に位置づけられている「青年期」の存在が抜けてしまう。しかし,われわれの社会において青年期 の存在を問われたとき,それを否定するものはいないであろうし,その時期の重要性をも否定する
ものはいない。むしろ,その重要性を強調しさえするかもしれない。
このように,人の成長・発達の過程で,その重要性が認識されているにも拘らず,一般的にはそ の存在意識が希薄である青年期への関わりはどうなっているだろうか。
前稿において記述したように,青年期はその自己認知が「大人」から「子ども」まで拡がっており,
頻度も「子ども」と「大人」の両極が高くなっている。そして,自分を「まだ子ども」,あるいは「も う大人」と答えた学生達も,自分が青年期の人間であることを否定しない。このことから,青年期 が「子ども期」から「成人期」に亘っているであろうことが予想される。逆に言えば,成人期が既に 青年期の中で始まっていることが考えられるのである。現に被験者のある者は次のような図式で説 明してくれている(図4)。
確かに,一方で性的成熟の早期化が 大 人 進み,他方,受験に照準を合せた知育 青年期 偏重の教育や意識が,自我の発達や諸 子ども 々の精神的発達,社会性の発達など,
人間としての当り前の発達を抑制する。
図4.被験者によって図示された青年期の位置
その結果,精神的・社会的には幼稚,
身体的・生理的には大人というアンバランスな人間の誕生を見る。これがいわゆる青年期的人間像 であるが,大人的特徴の出現ないし,何らかの指標に注目して,それをもって大人の始期と考えれ ば,その始期は当然青年期に喰い込むことになる。そしてその始期の指標として明らかな身体的・
生理的成熟や,形式的な社会的儀式や慣習が用いられることになる。しかし,このような指標は,
改めて大人の始期はいつかと問われた時に意識される事柄であって,そのことが「成人感」の発生 とは必ずしも結びついていないのではないかと考えられる。だが,これらの事態が経験された時,
青年達の中に何も生じないとは考えられない。そのとき青年達の中に生じるのは,つまり「自分は もう子どもじゃない」という意識(感覚)であり,そのことによる「大人的行動の自己への許容」
ではないだろうか。
「自分はもう子どもじゃない」という意識(感覚)と自分に許容した「大人的行動」の中で,いつし か「大人的行動」が自分のものとなり,今度は逆に「大人の行動」を自己に要求するようになってい
く。そして次第に,「大人らしく振舞う」ようになっていくのではないだろうか。
したがって,「自分はもう子どもじゃない」という意識(感覚),は「大人的行動」を起こさせ,「大人 的行動」は「大人的気分」を味わせ,「自己の子ども性の否定」へと移行していくのであって,それが 直ちに「成人感」の発生をもたらすわけではないと思われる。
、
菊池,安達:現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 1gg
4.「成人感」発生の社会的規定要因
自分を「大人」だと感じている青年について,「大人」だと感じる理由を記述された理由の全体を
「子ども認知」の理由と比較しながらその全体的な特徴を概観してみると,ほぼ次のような特徴を 指摘することができる(表5,表6)。
表5.成人感の阻止因と発生因(男子学生)
記述された理由 出現率 成人感発生フ阻止因 成人感のュ 生因 出現率 記述された理由
・自活できない E生活能力がない
E経済的に自立できていない
%
P7.1 経済的自立の
∑@ 経済的自立
・親の助けなしでは生活できない
−
・一lで暮らしている
・親に頼るところが多い ・親が干渉しなくなったから
・親の世話を受けている
・経済的・精神的に親から自立 36.6 親への依存 親からの独立 6.3 できていない
・自立していない
・親の意見に対して納得できない
・精神的に未熟 ・大人としての自覚
・自分に責圧持てる行動ができ ・考え方が深くなった
ていない ・考えが深くなり物事の限界・裏・
・考えを自分一人では決められ 他人のことを考えるようになった
ない ・考えがしっかりしてきた
・考えが幼稚,浅い,甘い
E自分の考え方が確立していな 28.0
精神的未熟さ フ自覚
精神的成熟の
ゥ覚 28.1
・人生観ができてきた E大人のような考えや行動をす
い るようになってきた
・まだ学ぶことがある ・自分を客観視できるようにな
・経験に乏しい ってきた
・自己中心的 ・精神的に自立した
・他人に対する甘えがある ・善悪の判断が備わった
・社会的独立がなされていない ・社会的責圧を自覚してきた
・社会人としての自覚が確立し ・社会人としての見方,考え方
ていない ができてきたし,世の中が分
・社会的責任感が自覚されてい
ネい 6.1
社会人として フ自覚・責任 エの欠如
社会人として フ自覚・責圧 エの自覚
25.0 ってきた
E社会における自分の立場を認 ッしてきた
・社会や家庭における自分の立 場が分ってきた
・学生だから ・法的に大人責任を問われるから
・まだ若い ・20歳になれば大人として扱わ
・昔と余り変っていない E大人より高校生に近い E社会的に認められていない
7.3
「学生」・「若
「」等という
̀式的身分認
m
「20歳」「成人
ョ」等という
̀式的身分認
m
37.5
れるから E20歳を過ぎたから E選挙権を与えられたから
・親が生きている限り子供 ・20歳を過ぎて自我があるから
・社会的に大人と見倣されるから
200 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
記述された理由 出現率 成人感発生フ阻止因 成人感のュ生因 出現率 記述された理由
・大人に対して不満がある % 大人への不満 大人の肯定 %
・自分をだましきっていない 2.4 (大人に対す (大人に対す 0
(自分にうそをっけない) る否定的評価) 肯定的評価)
・まだ大人になりたいと思って 子ども性への ・子どもっぽいことができなく いるところがある 2.4 不満 子ども性の否 3.1 なった
・理想を持ちながらそれを徹底 (大人に対す 定
して追求できない る肯定的評価)
表6.成人感の阻止因と発生因(女子学生)
記述された理由 出現率 成人感発生フ阻止因 成人感のュ 生因 出現率 記述された理由
・経済的に独立・自立していない E自活していない
%
P0.9 経済的自立の
∑@ 経済的自立
%
U.9 ・自活できるようになった
・親に依存している,頼っている
・経済的に親に依存している
・経済的・精神的に親から自立 27.9 親への依存 親からの独立 0 していない
・親への甘えがある
・精神的に未熟 ・かなり分別がつき,自分の考
・自立できていない,人への依存 えや感情をコントロールでき
・一lでは何も解決できない るようになった
・一lになるのが不安 ・自分の考えで行動できるよう
・自分だけの判断では不安 になった
・大人のように生きていける自 ・相手の立場に立って考えられ
信がない るようになった
・大きなことへの責任が負えない ・精神的に自立した
・大人であるという自覚に乏しい
・人への甘えがある
・不安定
・考え方が幼稚,浅い,甘い
・考えがしっかりしていない 精神的未熟さ 精神的成熟の
・信念がない 51.2
の自覚 自覚 17.2
・精神的に軟弱
・落ち着きがない
・自分本位,幼児的,わがまま
・人間性ができていない
・人間形成の途中
・包容力に欠ける
・他人の立場に立って考えるこ とができない
・感情をコントロールできない
・価値観・人生観が確立してい ない
・物事を冷静に判断して行動す ることができない
・経験不足,現実を知らない
菊池,安達:現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 201
記述された理由 出現率 成人感発生
フ阻止因 成人感のュ 生因 出現率 記述された理由
・学生だから % % ・自分で判断し行動する自由が
・子ども扱いされた ある
・何事にも自覚をもっていい年 頃だから
・20歳になり社会的・家庭的責 任を負うようになったから
・20歳になったから
「学生」・「若 「20歳」「成人 ・20歳を過ぎたから
3.1 い」という形 式」等の形式 44.8 ・社会的に大人として扱われる 式的身分認知 的身分認知 ようになったから
・高校教育を終了したから
・経済的に独立できる年齢だか
@ら
・選挙権などさまざまな権利と 義務を与えられる年齢になっ たから
・自分の行動に責任を問われる ようになったから
・社会的自立心に欠ける ・進路・恋愛・結婚・家族のこ
・社会的責任感に欠ける とを具体的に考える
・世間に仲間入りするのが怖い ・社会的責圧を自覚するように
・社会人としての自覚に欠ける E社会的未成熟
E社会的責任を負っていない 5.4
社会人として フ自覚・責圧 エの欠如
社会人として フ自覚・責圧 エの自覚
24.1
なった
E自分の行動に責圧を自覚する 謔、になった
・社会のきまりに反しないで生 活できるようになった
・社会と関わって生活している から
・子どもでいたい 子ども性への
・子どもと思いたい 愛着
1.6
(大人になるこ
とへの拒否) )
身体的成熟 6.9 ・身体的に成熟したから
① 「まだ子ども」と答えた青年が挙げた成人感発生の阻止因と比較して,発生因の場合には記述 数がかなり少ない。記述数は全体としても少なくなっているが,それ以上に顕著なのは,記述を整 理するのに必要なカテゴリーの数がかなり少ないことである。今仮りに記述された理由を分類する カテゴリーを,比較の便宜上前稿における「子ども」認知の理由の分類カテゴリーをほぼそのまま使 ってみる。そうすると例えば「経済的自立」や「親からの独立」のカテゴリーに入る「大人」認知の理 由は,殆んどないか,極く僅かしか挙げられてはいないことに気付くのである。
10)
ヲち,前稿で報告したTable 2,及びTable 3においては,自分を「まだ子ども」と感じていると きの理由はかなり多岐にわたっており,つまりかなりの数のカテゴリーに分類され,しかも各カテ ゴリーには,それぞれ僅かずっニュアンスの異なる記述が少なからず含まれていたのである。
202 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
これに対して,本稿で報告する「もう大人」と感じている青年のその大人だと感じる理由は,全体 として数も少なく,しかもカテゴリー数も少ないのである。このことは仮説的ながら次のように考 えられる。
「子ども」認知の理由は多いのに対して「大人」認知の理由が少ないということは,「成人感」発生 の要因の中の若干の阻止因さえ解除されれば,比較的簡単に成人感が発生するということを意味し ているのではないかということである。 一
② 「大人」認知の理由の分類カテゴリーである「経済的自立」や「親からの独立」に入る理由がま ったくあげられていないか,それとも極く僅かしかあげられていないということをどう解釈すれば よいのだろうか。
自分を「まだ子ども」だと認知する学生におけるその理由としては「経済的自立の欠如」や「親への 依存」はかなりの出現率であげられているのに対し,自分を「大人」だと見倣している学生にとって,
「経済的自立」や「親からの独立」といった理由は殆んどあげられていないのである。このことは,
学生という特殊な社会的身分においては,成人感の発生因が,観念的であったり形式的であったり することを示唆している。
裏を返せば経済的自立は達成せず,また親への依存的状態もそのままであっても,成人感が発 生しうるということである。
③ 阻止因で男子で2番目,女子では最も多かったのは「精神的未熟さの自覚」(男子28.0%,女 子51.2%)であったが,発生因でも「精神的未熟の自覚」(男子28.1%,女子17.2%)と比較的多い。
しかし,男子では精神的に未熟か成熟かということは阻止因にも発生因にも等しい重みになってい るが,女子の場合には,阻止因の重みに比べて発生因としてはそれほど重くはないのではないかと 思われる。そして女子は男子と比べてより観念的形式的な要因によって成人感の発生が規定されて いるように思われる。
因みに,精神的な側面の未熟一成熟というカテゴリーに含まれる主な用語を取り上げてみる。
「精神的未熟さ」……・責任を持てる行動ができていない。自分一人では考えを決められない。考 えが幼稚,浅い,甘い。自分の考えが未確立。まだ学び足りない。経験不足。自己中心的。甘え。
「精神的成熟」・・…・大人としての自覚がある。考え方が深い。物事の裏を知る。考えがしっかり した。人生観ができた。自分を客観視できる。精神的自立。善悪の判断ができる。
④ 彼らにおける「精神的未熟さ」の感覚は,既に述べたように観念的な大人像,子ども像に基づ く限りで余り根拠のない思い込みであった。さて,そうした「精神的未熟さ」の感覚は実体としては どのようなものであり,そしてそれはどのようにして消えるのであろうか。「未熟」から「成熟」へ という変化の過程は,決してストレートではないはずである。
前稿のFig 2で示した「成人感」発生の阻止因の関連についてのわれわれの仮説は,「学生だから」あ るいは「若いから」という認知,かっ経済的自立の欠如の感覚を伴って,社会人としての自覚・責任 感の欠如の感覚にっながり,そしてそれは親への依存を生み出し,その結果を彼らは「精神的未熟
さの自覚」という表現で言い表わしているということであった。
ここには学生の大人一子ども認知を規定するかなり観念的で形式的な思考があらわれていると見
菊池,安達:現代青年における「成人感」の発生とその社会的規定要因(2) 203
ることができる。
即ち,彼らにとって,「大人」の系列には成熟,自立,責任,自覚,確立,安定,豊かさ,広さ,
深さ,厳しさ,他者への顧慮といった一連の用語が属するのに対して,「子ども」の系列には未熟,
依存,無自覚,不安定,乏しさと浅さ,甘さ,自己中心的といった用語が対応している。つまり,
そこに見られる大人認知,子ども認知は,両極端に分かれておりその意味でかなり観念的なままな のである。彼らの大人性や子ども性が観念的であるからこそ,自分の現在を対応させたとき,子ど も認知に直結したり,ある者はその子ども性を意識して簡単に大人認知になったりしやすいのでは ないだろうか。
既に前稿でものべたように,青年期は大人性も子ども性もどちらも併せ持っている時期である。
それなのに,ある青年達は子どもだと自分を認知し,ある青年達は自分を大人だと認知する。その 場合の判断の基準になるのはこのような課念的な大人像,子ども像なのである。そのどちらかに固 執するのが青年期であると言える。
われわれの仮説は基本的には当っていると考える。つまり,既に見たように学生においては,大 人性には成熟,独立,責任,自覚,確立・安定,豊かさ・広さ・深さ,厳しさ等の言葉で言い表わ される意味が付与され.それとの対比で子ども性には未熟,依存,無責任,無自覚,未確立・不安 定,乏しさと狭さ,甘さ等の言葉が付与される。この場合,子ども性としての未熟さの自覚は,そ れ自体としては意識されにくいものなのであろう。大人性を強く意識した結果未熟性が意識される と考えるべきものなのである。
即ち,彼らにおいて意識される「未熟さ」の実体はその程度のものであると考えるべきなのである。
彼らがしばしば口にする「自我の確立」ということも,実体としては「肉体的・精神的に落ち着くこ と」,それと「結婚」や「就職」程度の意味なのである。
従って彼らの「成熟」の具体的な内容は「社会人」であり,「精神的自立」とは「社会的自立」と等 価なのである。つまり,未熟一成熟のプロセスは,矢印の通りというよりも,成熟一社会的自立と
いう図式に従って,社会人になれば,そうすれば未熟の感覚は消えてしまうというようなものなの である。
大人性に含まれる上記のいくつかの言葉が意味するのは,彼らにとって実際には「社会人」なのであり,
従って「就職」でもすれば直ちに,成熟に結びつき,その結果未熟さの感覚は消失すると考えてよい のである。実際,「社会人としての自覚・責任感の自覚」のカテゴリーに入る理由をあげる学生は男 女とも多いのである。また阻止因で「精神的未熟性の自覚」をあげた学生が多かったのと比較して,
発生因で「精神的成熟の自覚」をあげた学生が少なく,「社会人としての自覚・責任感の自覚」が多 いこともそのことを説明していると考えられる。
⑤ 学生における成人感発生の要因として最も注目すべきことは,われわれの用語で言えば「形 式的身分認知」に属する理由をあげる学生が多いことである。「自分で判断し行動する自由がある から」,「何事にも自覚を持っていい年頃だから」,「20歳になり社会的,家庭的責任を負うようにな
ったから」,「20歳になったから」,「20歳を過ぎたから」,「社会的に大人として扱われるようになっ たから」,「高校教育を終了したから」,「経済的に独立できる年齢だから」,「選挙権などさまざまな権 利と義務を与えられる年齢になったから」,「自分の行動に責任を問われるようになったから」等で ある。これらを見て直ちに気づくのは,彼らにとって「20歳」という年齢は,さまざまの権利と義務
204 茨城大学教育学部紀要(教育科学)35号(1986)
が課されていることを自覚させられる「大人体験」であるということである。この理由がこれ程多 ● ● o ・
いことはわれわれにとっても意外な結果であったのであるが,これも考えてみれば驚ろくにはあた らない。っまり,それ以外に成人感を発生させる契機は,現代では,そして特に学生などにとって は,他にあまり考えられないからである。
さらに注目すべきことは,そうした形式的要因による成人感の発生が男子も多いけれども,女子 の場合さらに多いことである。女子の成人感が,年齢という形式的要因によって発生する傾向が強 いということは,既に青年期の終期と大人の始期のところでも指摘したことであるが,大人の始期 が累積%で50%を超えるのは,男子では22歳(51。4%)であるのに対して,女子の場合は20歳(53.1
%)であり,女子が年齢に必要以上に拘わる結果が出ていることからも言えることなのである。
そのことと関わって,成人感の発生因と阻止因の分類カテゴリーは,当然より少数のカテゴリー に整理されていくべきであると考える。
今後より幅広い青年層を対象とした調査を実施していくに当って,われわれの分類カテゴリーを より体系的に整理していくことが必要となる。今の時点でわれわれは,特に問題となる「精神的未 熟一成熟」と「社会人としての自覚・責任感」及び「形式的な身分認知」の三者の関連にっいては,
「形式的な身分認知」,とりわけ年齢が成人感の阻止因・発生因いずれにとっても重要な要因ではな いかということを指摘したいのである。それが青年の「精神的成熟」の自覚にも,「社会人としての 自覚・責任感」の発生にも関わっているといえそうだということなのである。だとすると,それが 現代青年の社会的成熟の問題に投げかける意味も少なくないはずである。しかしこれは今後の課題
である。
参 考 文 献
1)菊池龍三郎・安達喜美子「現代青年における『成人感』の発生とその社会的規定要因(1)一間題発見的考 察」茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学・芸術),第34号,1985
2)安達喜美子「わが国の青年研究の現状と問題点一最近3年間を中心として一」「教育心理と近接領域』
第4号,茨城大学教育心理・異数・職指学科紀要,1979,pp.65−71
3)植田千晶「青年にとっての青年期の位置づけ」『青年心理』21,1980,pp.142−152,また,植田千晶「人 生における青年期の位置と自己との関係」「和歌山大学教育学部紀要・教育科学』第29集,1980,pp171−180 4)沢田昭「青少年と性一発達加速現象の視点から一」『青少年問題研究』大阪府青少年問題研究会・大阪
府,1972,pp.60−75,また,『青少年の性行動』(第2回)日本性教育協会,1983年8月 5)沢田 昭,前掲論文
6)菊池龍三郎,安達喜美子,前掲論文 p127 7)菊池龍三郎,安達喜美子,前掲論文 p.123 8)安達喜美子,前掲論文
9)植田千晶,前掲論文
10)菊池龍三郎,安達喜美子,前掲論文 pp.124−127