勞 使 関 係 の 制 度 的 斷 面
−Dual Loyalty の問題を中心として−
渡 瀬 浩
一 ︑
問 題
の 所
在 二 ︑ 忠 誠 の 意 味
三︑制度について
四︑基礎的社会構造の問題 五 ︑ 社 会 組 織 の 制 度 的 理 解
−
︑ 問 題 の 所 在
l
集 団 に 対 す る
﹁ 忠 誠 ﹂ ( l o y a l t y ) 特 に そ の 複 数 性 ( m u l t i p l e l o y a l t y ) の 問 題 は 古 来 ︑ 社 会 学 に お け る 中 心 チ
‑ マ の t つ で あ る O 尤 も 社 会 学 に お い て は 歴 史 の 発 展 に 応 じ て 社 会 ノ 空 父 叉 乃 至 錯 綜 ( s o z i a l e K o m p l i k a t i o n , K r e u z
‑ u n g d e r s o z i a l e n K r e i s e ) が 現 わ れ る と み て
︑ B o u g ]
< ァ 特 に S i m m e l に お い て 至 大 の 関 心 ' ' S 向 け ら れ
︑ 周 知 の ど と
‑ジンメルはその﹁社会分化論﹂において'それは文化の尺度であり︑個性の発達を促すものであるとした︒わが国
においては高田保馬博士がとの問題の意義を所謂﹁結合定量の法則﹂に関達させて説かれている.ことも学界周知のこ
と に 屈 す る ︒
労使開係の制度的断面
一六一経 蛍
と経 済
一
‑〆 ¥‑'‑個人が単一の社会に属し︑いわばそ乙に埋没するのではなく︑多くの社会に﹁同時所属﹂しているのはパ 1
ソ Y
ズ
も一式える如くべ近代社会に・おいては︑むしろ原則的
( g
a o
B
宵iHE
円
ω o ロ ω )
な事情である︒而して諸社会の統制叉
は内的結集力という点から見れば︑かふる事情は反比例的作用を注すというととは見易い乙とであり︑特に相互に矛
盾する要求を持っているごクの集団の場合は学問的にも︑現実の問題としても重要注問題を合んでいる口乙と︑経済
的乃至産業的分野に・おいては経営と労働組合というこクの集団の場合が︑乙の文脈に於いて考察さるべき課題であろ
う︒わが国に沿いては︑終戦後︑組合の著るしい組織化と活動に伴って︑との問題は更に脚光を浴びて登場した︒角
一方︑経営家族主義︑ひいては日本的労務管理︑他方︑企業組合というわが国独自の性格の分析にクいても︑か
tふ る
視点は重要た役割を演やノるといわれている︒
経営学の体系︑乃至その独自の対象規定が最近の学界に・おいてやかましく論ぜられている時︑特に乙の方面の論争
(たとへば﹁
P
R
﹂誌上のもの)に大きな関心を持ク私は︑そのための一クのアプローチとして︑乙の﹁二元的忠誠
( ロ
ロ 巴
Hb
可巳々)﹂の問題から入るととを一つの有用ゑ方法と信じている︒終戦後の経営学界に長ける新らしき生み
の悩みの︑少くも一クの根源は社会学的研究方法の導入であった︒換一一一目すれば︑経営学の研究に携る者は社会学との
研究上の協力をいかに遂行すべきかという問題に直面せざるをえなかった︒中には経営学が社会学化されてしまう危
険を蔵する事例もあったが︑とのような事態はその何れの学問にとっても幸いな乙とではない︒にも拘ら歩︑今や経
営学の研究に携る者は︑社会学の歴史と現状に対する深い理解たくしては︑最近の実りある論争を﹁有意義に﹂﹁通
過﹂するととはできぬ段階にあるといっても過言ではないであろう︒
ともかく︑経営と組合の個えの集団にクいて︑その集団的性格乃至統制機能の問題を別々に研究するのではなく︑
両者を関連させながら︑しかり﹁二元的忠誠﹂の問題を︑しかも実証的に調査研究しクムあるのは広義の産業社会学
の研究に従っている人えである︒そ乙でその紹介︑更に若干の批判から入ってゆけば︑先づ労使関係といわるふもの
にクいて一応の展望が可能になるであろう︒との労使関係のいわば社会的研究(厳密にいえば制度的研究)は次なる
経営(又は組合)自体の構造及桜能に関する研究の一クの前提として含蓄多きものを提供するであろう︒乙のよう伝
意味で本稿は右の前提乃至導入の段階につき模索しようとするのであるのその場合の具体的問題としてロ
E己
bヨ ロ
可
の問題を取上げるわけである口
村紅白川千と社会学の最近の交渉について︑本文で云っていることはヒューマン・リレ 1 ショシズとか経営の社会集団的性格乃至組織
の研究などといわれるものを念頭においてである口総じて経蛍の研究における社会学の貢献の重要な一つは経営学の学問的体系付
けにおいてどあると考える私は︑これまで次のような形で若干の所見を発表してきた口
﹁経蛍に於ける関係論的思惟の問題﹂︿一)及び
2 C
経営と経済︑第三三年第二冊︑第一一一四年第一冊所収
﹁経曽有機体と社会有機体﹂商経論集第一巻第一号
倍︑最近の社会学的観点を経営学の研究に於いて
Eし︿定位し︑この新らしい傾向に溺れることを戒 b ︑そこを﹁有意義に﹂
過﹂するた也の努力を払はれている労作としては︑占部都美﹁近代経営学﹂(たとえばその第五章)をあげることができる︒
﹁ 通 区 言 語 教 授 は 一 九 五 二 年 に
︑ 日 本 鋼 管 株 式 会 社 川 崎 製 鉄 所 と 宇 部 興 産 株 式 会 社 山 陽 無 煙 礎 業 所 に つ い て
﹁ 従
業員の経営と組合に対する帰属意識の測定﹂を実施され︑経営に対する帰属と組合に対する帰属との聞には︑プラス
の相関即ち順相関があると報告されている口
ωとくに二重の帰属に関するものでとのように詳細にして充実したもの
はわが国だけではたく︑アメリカに沿いてもその例が少く︑従ってとの報告はとの方面における先駆的意義をもつも
であるし︑しかも常識的にはいうまでも友︿学問的にも前述の如く二元的忠誠が困難であると考えられていたいわゆ
のる﹁公式的見解﹂にクいて全く反対の結論が︑しかも事実の調査にもとづいて出されたのであるから内容的にも犬
伝る意義を持っているといわれるロ
アメりカにむいては︑一九四 0 年代の六年間にわたるイリノイ市の八クの会社について行われた調査結果をイリノ
ア大学のシュググナ1︿問︒
ωω mz mS G
が︑又︑一九四九年のシカゴのプツホスパオム会社(田口喜多
ωロ自の
0・ ﹀
を 調べたイリノア工業研究所のカ1(
巧 ロ Z E
﹀ ・
23 同 が︑更にシカゴのスイフト会社(∞主立門︒・)の調査を行っ
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パ 1
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﹀が︑一九五三年九月五日のクリ1プラシ下における学
会において︑それぞれ報・告を行ってやはりこ章一の忠誠の可能を述べている︒め
労使関係の制度的断面
一 六
経 蛍
と経 済
一 六
回 日さて︑かふる一一元的忠誠が可能であるという理長何であろうか︒尾高教授は一応︑即ち作業仮説として経営
家族主義と組合の経営内的組織のこをあげられる︒而じてそれが我国の産業労働者の﹁伝統的後進性﹂によるものか
又は彼れらの﹁自覚化﹂や﹁建設的﹂な労使関係の確立に向つての意欲の増大によるものか︑少くもとのこクの解釈
が可能であるといわれる︒(尾高調査三三
O頁 )
又︑前記のシュググナl等の調査はそのこ巻にわたる報告書偽に対すおホマ
Yズ及びフォームの批判ゅの如く︑
理論的には必らやノしも高い水準のものではなく.理論的分析を欠いている︒例へばシュググナ1等の調査に沿いては
労使関係の重要な決定困として﹁労働者の経済的地位﹂及び﹁組合勢力の及ぶ範囲﹂と共に﹁態度的風土
( m g z
岳 ・
5 ‑
の出自己
σ )
﹂を挙げ︑二元的忠誠の説明原理としている白乙の態度的風土とは﹁経営者や労働者が共に︑会社及び
組合を自分たちが好意を持ち︑支持するととの出来る集団として考える﹂状態をいう︒しかし︑思うに︑とのような
態度的風土をもってくる乙とは何等の説明には注らないであろう︒いわば説明の出発点ではあるが︑乙ふで止っては
な る
ま い
︒ 日以上︑簡単に紹介したように︑一一元的忠誠の問題は︑目下
22 43
能の実証的証明の段階にあるので
あって︑他方︑前述の如く︑ジシメルや高田博士の原理的分析の成呆にも拘ら歩︑とれらの実際上の重要問題に対す
る(特殊)理論的分析は必らやノしも充分たものであるとはいえない︒仰
との点にクいて先づ注目すべきは︑シュググナl︑ヵ1︑パ1セル等のものと共に発表された︑ロ1
ゼ Y
及びグリ
ュ1
ェ γ
の所説である︒イリノア大学のロ
l ゼ
γ (
出﹄包日常見
08 3
も︑又シカゴ大学のグリュ1
エ
Y (
者 色
芯 円
ロ)も共に︑問題の方法論乃至理論的な検討を唱えているが︑まやノロ1
5︒ 円
ゼ Y
位二元的忠誠の問題は元来状況的
( ω
広g
︒t
E ] )
なものであり︑組合の型や地域にゐげる職場の数などの条件も考えなければならないという︐例へば
前者にクいてはユニオ y ・シヨップの場合には会社支持的に︑又後者にクいては得に工場が一つしかない場合は組合
支持的になる傾向があるし︑さらに工場開の労働移動と組合間のそれとの相対的難易も考えなければたらぬ︒(一般
に 工 場 開 の 移 動 が よ り 容 易 で あ る か ら 会 社 支 持 の 結 論 が 出 て く る の は 当 然 で あ る
︒ ) と く に こ っ の 集 団 聞 の 要 求 が 両 立 せ ぬ 場 合 の 研 究 が 欠 け て い る し
︑ か ふ る 問 題 に つ い て は
︑ た と え ば ス ト ッ プ ア 1 (
印 ・
﹀ ・
2 0
丘向︒︒の理論が貢献 するであろうというロ
ロ1ゼンはこのことについて︑何等詳しいことを述べていないが︑これはハーバード大学の
EB5一pg oE
円の﹁同時的従笥
P義 務
( 印
{ 自
己 ロ
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O円 ︒ ︒
E戸市町
ω
昨 日
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﹂の箇突に関する研究を指すのである︒彼は役割合
05
を 社
会 規
範 (
印 ︒
巳 巳
H M 2 B )
と
同一視し︑複数集団えの佼割が互いに両立しないような集団に︑個人が同時的役割を持つときは︑次のような結果になるという︒
( a )
一方の設割期待に適応し︑他方のそれに不適応する︒叉は(b)﹁妥協的立場
(g
官
BOB UO H5 1z g)
﹂をとって複数の
集団に﹁部分的に﹂適応することによって制裁を最少限ならしめようとする︒而して一般には後者の如く複数の佼割が両立するこ
とになるが︑この場合の﹁両立﹂は絶対的のものではなく程度の問題であり︑社会的価値が個人に支持される度合に個人的な変差
が存在する︒そしてこのような特定個人によって理解される承認された行動﹁範囲﹂をしらべることが︑彼の研究における視点と
な っ て い る ︒
倍 ︑ 詳 し く は ∞ ・ ﹀ ・
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巳丘町
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1の 役 割 の 研 究 の 批 判 も 一 示 唆 的 で あ る ︒
叉︑こ
Lで ﹁
地 位
( 印
g
吉 田
)l
役 割
合
o ‑ o)
﹂という図式について若干の説明をしておきたい︒何故なればそれは現代社会における
重要な社会構成単位論であると同時に︑以下の私の所論についても大切な役割を演ずるからである︒社会集団とか社会といわれる
ものが悶へそのものによって構成されるのではなく︑構成要素としては個人の地位や役割を持って来て理解する口との場合︑構成
されるものは社会体制(ち己主∞
3Z B)
︑社会制度合
O
江
主 古
己 主
同 氏
︒ ロ
) 叉
は 社
会 構
造
( m o
巳 己
主 同
5
円 ︒ ) な ど と 呼 ば れ ︑ 必 ら
Eずしも一定していない︒とくに経告集団をかふる文脈において考えるとき︑この点を明確にすることは必要と思われるが︑たとえ
ば制度と体制の概念についても︑その理論的関連とくに集団との関係は必らずしも十分に究明されていない︒(武田良三﹁社会学
の梢造﹂第入章参照)
要するに﹁地位や役割を構成要訟とする社会的なもの﹂をいかに規定するかということが重要であるが︑この点については次のニ
労使関係の制度的断面
•
一 六
五
経
蛍
と 経済
一 六
六
つの研究を照介しておく︒
一 ︑
前 掲
の
Z 巳
日
ω ロ ω
ロ 仏
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国
52
は従来の校割の研究を次の三つに分類している︒
a ︑
バ
1 スナリテイ発達との関連における役割の規定
ー ︑ 社 会 化 過 程 に お け る 基 本 的 要 因 と し て の 役 割 : ・ ・ : ﹁ ∞ ・ の ︒
3 5
‑ ‑
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2 ︑文化型としての役割
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門的︒ロ回
b ︑全体社会との関連における佼割の規定
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開 ・
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︒ ︒
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三O
円
この分類は必らずしも厳密なものではない︒同一の学者の使用法が二つ以上の型に該当するからである口それほ
E佼割を包む社
会の規定は定説がないというべきであろう︒
二 ︑
同
‑U2 2
によれば制度(吉田仲苫託︒ロ)といラのは規範的秩序としての社会構造
(m su
‑‑
︒
2Z3)
の部分をなすもので︑
それは組織の封鎖性と機能の特殊性を特徴とするものである(同・ロミ
F
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古
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o g ‑ ‑ 5 9
司 ・
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口
次にグリュ
1 ェ Y
も︑ロ
1 ゼ y
と 犬 休 同 じ よ う に
︑ 二 元 的 忠 誠 と い う 乙 と は 固 定 し た
﹁ 一 つ の も の
( ω
岳宮町)で は な く
︑ プ ロ ャ . ス 即 ち 勤 的 状 態
﹂ で あ る と い う
︒ そ し て
︑ 乙 の プ ロ セ ス は 労 働 者 個 人 の 内 的 事 情 と 共 に
︑ 二 集 団 へ の 共 属
︑ ひ い て は
︑ そ の と き の 一 般 的 社 会 経 済 の 桔 造 と の 関 連 に ゐ け る 労 働 者 と い う 外 的 事 情 に 依 存 し て い る と
︒
と
に
v
かく︑乙のグリュ 1
エγ
の云う乙とは大いに傾聴に価いすると思はれるが︑私の論述の都合上︑その他の部分を後述
に譲る乙とにしたい口
( 1
) 尾高邦雄﹁従業員の経蛍と組合に対する帰属意識の測定一
l同教授﹁産業における人間関係の科学﹂(昭和二十九年)所枚目
以下これを﹁尾高調査﹂と略秘す︒
( 2
)
ロ民 主戸︒
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備 こ
L
に集治られている報告要旨については︑すでに小川福次郎氏によってその紹介が行れていることを附記しておく
l東洋
大学﹁経済学論集﹂第一集参照
( 3
) F
刊号
︒つ
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昨ロ仲間己日︒ ロ印 山口 口] 吉山 口洋 子︿
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32l之はシュタグナーも含めて六人の経済学者︑社会学者︑心理学者等による共著である白
( 4
)
の・ゎ・出︒呂吉田の批評(﹀
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︒ ・
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)
( 5
)
小川福次郎﹁労働組合員の二一珂的性格について﹂(前出)
=
︑ 忠 誠 の 意 味 日 先 づ 私 は
︑ 以 上 の よ う な 各 種 の 調 査 に 沿 い て
﹁ 忠
誠
2 3)
﹂というものが︑そもそもどのように考えられ
ているかを調べてみたい︒そのためにはパ 1 セルの見方を取上げるべきであるう︒彼は前掲の報告に・おいても︑叉他
の場合に・おいてもめかか仏り細かく規定している口即ち﹁忠誠﹂とは﹁制度︒
52 EZ
ロ)としての会社叉は組合に対
する一般的満足
( m E o s ‑ g t ω E 2 E
ロ)又は友好的態度
( z s s
t
百巳号えゆと乃至﹁その政策の一般的承認﹂で
あるとする口しかも︑かふる﹁態度﹂をあらわすには古可巴守や同庁三日
g t
︒ロよりも包有忠告のぬという言葉の方
がより適切であるとし︑更に︑次のように説明する︒﹁忠誠
( ω
志向一何回目︒)﹂は︑たとえば会社忠誠においては︑仕
事︑労働条件︑賃銀及び職長たどのあらゆる面に対する完全な満足を意味するものではたい︒とのようたものは会社
労 使 関 係 の 制 度 的 断 面
一 六
七
経 営
経
済
と一 六
入
に対する労働者の態度に影響はするが︑態度を構成するものではない︒
労働者は︑例へば職長に対する態度と会社に対する態度(組合の場合には︑指導者に対する態度と組合そのものに 対する態度)を区別するととができるし︑右にあげた伺えのものに対する不満と会社そのものに対する満足とは両立
するととも可能である︒又︑組合の場合についていえば︑ロロ目︒ロ
ω志 向
一
B8
は組合運動の面に治ける現実の
Z3
一 昨 可
を意味するものではないし︑従って組合に忠誠であるというととふ﹁現実の参加(司
ω丘 一 巳 百 三 百 ロ ﹀ ﹂ と い う と と ふ の
関連をも問題にする︒︒ハ 1 セルは又心理学の専攻でもあるので︑たとえば﹁態度﹂についてオルポ 1
ト (
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当 ・
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U2 3
に依りながら︑更に深く追求している︒(︒・
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‑
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笠 宮
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︒ 円
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立M142H匂旬︒)
バ
1 セ ル は ︑ 忠 誠 を 態 度
(m EE
色 ︒ ) の 次 一 応 に お い て 考 え て い る が ︑ 態 度 と は ︑ ズ ナ エ エ キ も 云 え る 如 く ﹁ 行 動 の 潜 在 的 代 替 物
(3 25 u‑
∞ ロ σ 丘
目 立
与 ︒
同 ︒
円
5 0 ω
立)﹂(戸
NE
2口 問
5¥ 4v oE zr ao
同
己
ω o己 認
可
¥. 5 ω A Y P O ] )
で あ り ︑ 大 ま か に い え
ば ﹁
意 識
﹂ と
い っ
て も
よ い
も の
で あ
る ︒
( 武
田 良
一 一
一 ﹁
社 会
学 の
構 造
﹂ 九
五 頁
) し
か し
何 れ
に せ
よ ︑
そ れ
は ﹁
社 会
的 価
値 ﹂
を 志
向 し
ているものであり︑両者は﹁行動﹂によって結びつけられるものである︒今はこの最後の点を特に︑理解しておけばよいわけであ
現実の調査については︑彼は次のような三つの質問を発し︑
る 白一門一般に︑労働者は会社及び組合に対して現実に︑二元的忠誠を持つであろうか︑又そ乙に満足を見出すであろ
う か
口
同労働者はその欲望一が双方の組織によってのみ充されうるという意味で︑必然的に二元的危忠誠を持クか︒
国労働者の一方に対する忠誠は︑他方の組織から役を引き離なずか︑さも左くぽ︑一方に対する忠誠は他方に対
するそれに大して影響しないか︒
かくして得られた結果(第一表)について︑それらの社会心理及び産業心理上の意味を︑態度の複雑性︑強度に影 響するもの︑態度と動機の関連︑態度・知覚・学習︑態度と現実の行動(例えば参加)︑態度と合理主義︑態度の顕
在的及び潜在的内容及び勤機理論︿︑
H d
円 g
可 ︒
向 日
︒ 神
宮 丘
一
o ロ)との関係の八項目についてたやねている口
町"
( 第
1表)
会
l忠社誠の組型合 j 従
20業
2員 人 磁溺3 委
4員人職
31長 人
o I
N N
N NP3 O ろ
主 o N P N12
C N 3 25
O 88 57
こ の
表 は
︑ 前
掲 バ
1
セ ル
の も
の
L
二六三頁三十表に掲載されているもの
L翻 訳
で
あ る
︒
N は
中 立
︑
P は
支 持
︑
C は
反 対
を 一
示 す
記 号
で あ
る が
︑ 之
れ ら
の 記
号 に
つ い
て は
尚 昆
一 品
調 五
の 紹
介 の
場 合
に 詳
細 に
触 れ
る 筈
叉︑つどいて彼は之を︑性別︑人種別︑期間別に分けて考察している︒
頁 の
三 十
一 哀
)
( 一
一 六
四
パ 1 セルは︑との表にむける七十三パ 1 セシトという数字に特に注目す
る口ヵーの調査に沿いては二つの集団を支持した票のピアソ
γ の相関係数
がプラス
0・七四であるとして示されている口
ヨ 次 に 尾 高 調 査 の 内 容 を み よ う 白 書 教 授 は 主 に
﹁ 帰 属 ( 性 ご と い
う言葉を用引いられている口私は川崎製鉄の場合を中心として紹介するが︑
イシグピウによって得られた解答をコード化して支持的たものほど数値が多 くなるようにし︑かくして計算されたスコアを三分して(ベ
IF‑‑
スケールでは七分法)順に
p・
N・
C
1 1
(ベ グ
・ ス
グ
1 ルでは犯
‑ m
・
p‑N・
κ・お・お)というグイプを構成されている︒いうまでもなく
Nは中立︑プロは経
営又は組合﹁側﹂乃至支持的︑コ Y
は反経営又は反組合を示すもので︑個えの集団に対して︑とのスコアは共通であ
る︒(パ 1
セルなども勿論︑はじめに個えの集団に対するスコアを調査している)而してニクの集団のそれぞれのス コアを結合して即・∞・民・町などの所爵﹁複合帰属性グイプ﹂を表はされるが︑乙の場合︑左側が
M
スコア即ち経
営乃至会社に対する態度で︑右側が
U
スコア即ち組合に対する態度である
D次にその==一二頁の表より関係部ハ?を引 用すると左のようになる口
労使関係の制度的断面
一 六
九
経
経
済 蛍
と( 第
2表)
アルフア・スケ戸Jレ
P P 104 14.8 P N 95 13.6 P C 12
1 .
7 N P 104 14.8 N N 257 36.7 N C 69 9.8 C P 6 0.9 C N 33 4.7 C C 21 3.0701(
人)100.0%
一 色 ︒
第
7表より
P P 236 33.7 P C 51 7.3 N N 65 9.3 C P 21 3.0 C C 68 9.7
尾高調査 第
8表より
( 第 3表)
ペ{タ~ .スケ ~lレ
尾高調査
乙の表に‑おいて尾高教授は四・悶
‑ m
の ︒ ハ
1
セy ト(合計四三・ニパ 1
セγ
ト﹀が︑問を除くと︑民・
ω (
合計
二 ・
六 ︒
ハ
1
セY ト)よりも逢かに多いし︑特に第三表のベ 1 グ 1 ・スケールに沿いて顕著であるという勺即ち経営と
組合に対する帰属度との問にはプラスの相関が見られるというのである︒
向︑か L る結果が得られる前提としての調査項目を・検討すると︑川崎製鉄の場合では全部で七六項目の多数になる
が︑先づ経営及び組合に対する帰属を調べる項目の中で︑ウエイトの大なるものを各々一つどつあげると︑前者では
﹁全体として見て︑との会社はよい会社だと思いますか﹂後者では﹁全体として見て︑とふの組合はよい組合だと思
いますか﹂というのであり︑更に複合帰属のグイプを明確にするために︑﹁一般にあたた方の生活や地位を改善する
にはどうしたらよいと思いますか白
( M )
何といっても会社の生産を高める乙とが第一で︑そうすればわれわれの生
活や地位も向上する︑という説と
( U
)
組合活訪をもりたてて労働者階殺としての団結をはかるほかに方法はない︑
という説とあるようですが︑あなたはどちらに賛成ですか﹂というように労働者の二者択一を迫る問題が設けられて
いる︒而して乙の最後の質問に対する解答を︑前述の伺えの帰属性グイプと結合するととによって︑
p・
N・
Cの各
えの内容乃至意味が夏に詳細に判明する︒同じく
P
(
以下
N及 び
C
にクいても同じ)といっても︑少くも(例へば経 営に対する)表面上の支持と本賃上の支持のニクにわかれる︒それを各え民︑民で一示すととにし︑右に述べた﹁生
活改善﹂の問いに対する解答で各唱え
M・ 即
・ に属する場合と組合せ︑問
UlE M
・
ml配 ・
ml U
の 三 ク に 分 一 げ る と
ml M
乙そが民にたるわけで︑之は聞の中の五二・七パ
1 セシトを含むのである
D更に﹁生活改善﹂の解答と複合
帰属性グイプと組合せた場合︑
wi
が即の中の五一・九パ
M1 セ γ ト︑問
lM
が問中の四二・一パ 1 セシトで︑之は
生活改善の前提として経営の繁栄を考えている人唱えの数をあらわすという︒
尾高調査では︑乙のように非常に詳細た分析が進められてゐり︑前述︒ハ
1 E
ルの心理学的分析の座標ぺとくに﹁態
度と現実の行動﹂及び﹁態度の顕在的及び潜在的内容﹂という項目の具体的調査に相当するといえると思う︒
ω吋・︿‑ P H 2 0 ‑ f
印'h
・
4 HH O
巧
O円 宮 門
8 2 H a
呂 田
富 山
ES EE ミ H出
g
仏 ロ ロ 目 ︒ ロ
M 1
5 m
ω 三
︑ 制 度 に 寸一これまで︑二元的忠誠にクいて︑問題の所在そして特にその可能に関する今までの調査結果の一般的側面に
ついて紹介してきたが︑乙
tAで私の問題を展開するための系口を見出すた
b
に︑既にその一部を紹介したグ
pf
・ ‑エ
シの所説を更に引用︑検討したいと思う口
既述の如く︑彼は二元的忠誠というのは︑一クのプロセスであると見るのであるが︑内容的には﹁善意(霊法
E‑
gE
口同)﹂の関係︑又は﹁公然たる競合関係でたい(ロ︒︒ぐ
028ロロ目立)﹂と見るべきで︑かふる事情は現代のアメ
リカにおける労使関係の最も普遍的友姿であって︑従来の調査が証明したこのよう訟関係に直ちに︑﹁二元的忠誠
(品
E
ご ︒ 可 巴 守 ) ﹂ の レ
γテルをはる乙とには慎重で喝なければならぬ口何とたれば互引いに競合するこクの組織に対し
て忠誠である乙とは﹁行動という面からみるときは
( g ω
自己宮町え
z z i
︒︒﹂いか怠る場合にも不可能である
からであると︒
︒ ︒
ロ 出
目 立
を ﹁
競 合
( 問
︒ ロ
円 円 ︒
‑ gロ
N)
﹂ と し て 見 て き た が ︑ 之 は 法 学 特 に 刑 法 に お い て よ ︿ 用 い ら れ る よ う で あ る ︒
ク
い て
﹁ 衝
突 ﹂
︑ ﹁
矛
労 使 関 係 の 制 度 的 断 面
七
経
蛍
と 経
済七
盾﹂といラ言葉が最も一般的であろうが︑より厳密にいえば次の知く考えられないであろラか︒主観的に見た場合︑即ち個人にお
いては忠誠が﹁分裂﹂するといえよう︒ロ
20WO円
も ・
31
弓といっている(後出)︒叉客観的にみた場合︑即ち制度聞においては
争斗と競争の中間としての﹁計争﹂(策略︑策謀)になるであろう︒しかし行動の面ではなく強度の面でいえば﹁対立﹂という言
葉 が
適 当
で る
る 口
而してグリュ l ェ
yはかふるプロセスを分析するために次の三クのレベルを提示する白第一に︑パ
1 スナリテイ事
悶との関連ということである︒たとえば労働者個人の過去における忠誠とか欲望とか︑価位体系及び必要友どと︑
彼が考えた組織の目標との聞の関連乃至差異を彼自身がどのように考えるかといったととが集団えの帰属
( m g c
匂
広
22一
gt
︒ロ)の問題を決定するわけである︒第二のレベルでは︑集団的要因を重視する︒即ち集団目標
( m
ロ 匂
g向︒巴)︑とくにその単純さ︑複雑さとかいうもの及び集団のハイアラキ 1
構造・勢力分野という如き集団の性格を伎 がいかに考えるかというととは︑第一のパースナリテイにもよるが︑又彼の集団えの参加の程度によっても決定さ れるロたとえば集団目標がより明確に規定され︑且ク理解できるようになれば︑その集団はより小なる﹁投影技術
e g
すの
t
・3
件 ︒ ︒
EE CO )
﹂に怠るというのである
D
更に彼は二元的忠誠の実現のためには︑各組織は何ものかを犠 牲にしなければたらぬであろう︑即ちその﹁自律的組織︿
28
ロ ︒
B︒
5︒ 門 官 口
町 内 田 神
戸
O
ロ)﹂としての性格を変更しなけ
ればならぬと︑第三に述べている
D
というととは︑そのようにして集団は集団員の必要を表象しなければならぬから である︒たとえば︑経営の側では労働者の必要や︑欲望にもとづいてその人間的側面を見なゐし︑反対に組合側は生 産︑利潤︑工場組織などに関する乙とにづいての共同決定を放棄するというように︑双方の組織がその役割(同色︒) 乃至機能についての考え方を変更するわけであるロ乙の最後の具体例にクいては︑彼は一九四八年より五三年に汎っ て発表された全米経済計画協会の産業平和に関する委員会(吋
Z Z
同
y
p n
︒
BB520ロ
S o n g g m
え古島
5虫色
司g
︒ ︒
ロ ロ
血 R
︒ n
] 宵
丘 一
一 話
R 回
m 1 1 丘三口問)のケ ス・スグ
ヂイを引用しているが更にグリュ
1 エ シ は パ 1
ス ナ
リ テ
・ ィ
要因及び集団要肉の外に︑一般的社会経済の状況たとえば不況と完全雇館︑防衛生産と泊費者生産友どをも問題にす
る ︒
以上の彼の論点をまとめると︑グリュ
l ェ γ
は ︒ ハ
1
スナリテイ要因を強調するが︑それはバ
1
セルの如き意味に沿 い て で は な い 口 即 ち 一 言 に し て い え ば 一 般 的 社 会 経 済 の 状 況 を 基 盤 と す る 虫 働 者 と 組 織 の
﹁ 相 互 作 用
﹂ 即 ち 関 係 的 立 場 で あ る 口 か ふ る 問 題 に ク い て の 彼 の ア プ ロ ー チ は
︑ 第 一 に 集 団 目 標 と い っ て も
︑ 労 働 者 に 長 け る そ の 理 解
︑ 把 握 に 沿いてであり︑集団性格といっても︑彼に・おけるその投影という点が問題である︒第二に︑集団自体もすぐれてグイ ナミックに考えられている
D
後 者 も 前 者 に 沿 け る 基 本 的 態 度 か ら 派 生 し て い る と 考 う べ き で あ る が
︑ そ の 所 謂
﹁ 方 法 論 的 個 人 主 義
﹂ と で も い う べ き 態 度 は
︑ 少 く も 複 数 集 団 の 関 係 を 正 し く 把 握 す る た め の 前 提 で あ ろ う
o
︐乙の点に沿い
て 興 味 の あ る と と は
︑ シ ユ グ グ ナ ー は
︑ そ の 豊 富 な 資 料 を 分 析 す る に 当 っ て
︑ 個 人 の 立 場 即 ち 心 理 学 的 立 場 と
︑ 経 済 学
︑ 社 会 学 の 立 場 の 何 れ を 採 る か を 決 定 し か ね て い る と い わ れ て い る と と で あ る
︒ の
相互作用乃至関係的立場といえば︑私はこ
Lで パ
1 ソンズの所説を想起する︒グリュ 1 エンのこのような見方はバ 1
ソ シ
ズ の
己 円
・
ロ の
昨 日
巳
aPR ZS
巳的図式と大いに︑通ずるものがあると見られないでるろうか口バ l
ツ ン
ズ の
h
目
立 ︒
ロ は
E o z g
昨 日
O E ‑ ‑
ggo ユ
昨 日
0
ロ
と
S E O E O ‑ g g
江O
ロの対置によって考えられているが︑この点はグリュ 1 エシが労働者における
U 0 2 3 z o
ロ と か 匂 円 ︒ 守 ♀ と 呼
んでいること
L同じものと見る︒而して
g‑ 54 EZ B
は 吉
田 昨
日 r
︒ E
E Z N Oされるし︑結局﹁役割期待について型式化された要
素 の
複 合
﹂ が
制 皮
( 宮
印 片
山
E2 0
ロ ) で あ る か ら ︑ パ 1 ソンズの関係的立場というのは︑かふる制度合同
20 Z
円
︒ )
と 行
為
( E
︒ ロ
Z)
の関係而して後者の前者に対する
p z z g
という点から
m o 己丘団官官自の分析を行ラわけである︒パ
1ソシズの所説の一般的部
分の引用については︑極く簡単ながら之丈のことを紹介しておくが︑後述の経営集団の研究との関連上︑今一つ次の事を述べてお
く︑彼は制度を右のように考えるのであるが︑このような制度は︑﹁具体的に相互作用の状況にある特定の役割の体系﹂としての
﹁集合色︒
‑ r o z a i s ‑ )
﹂と厳に区別されねばならぬという︒即ち婚姻や親族は制度であるが︑特定の家族というのは集合であり︑
制度は無数の集合に妥当するし︑逆に集合はそのような制皮の焦点をなすものである︒
叶・司
ω
円 印
O
ロ ∞
¥ 4 F O 印 ︒ ︒
Em
一 万
Z E
‑ ‑
H 3
Y
句司
ω
︒1 8
‑
こ
Lでついでながら︑より具体的なレベル即ち
BH og
ロ 2
2
についてのバ 1 ソシズの学説を照介しておくととが必要であろう︒
パ 1 ソンズによれば︑﹁合法的な佼割期待の競合する状況に個人が直面している﹂という意味の
gzgロ 巴
目 立
は ﹁
風 土
病 的
﹂
( g
号
E r
)
とでもいえるくらいにむしろ普遍的なもので︑その場合︑個人は妥協することが必要になるという︒そして彼はかふ
労使関係の制度的断面
一 七
三
経 蛍 と 経 済
一 七
四
る 3
‑ o
n o
え ‑
目 立
を 逸
脱
22
山
ES)
ということ
L関連させて考察する︒而して私の本研究の眼目である
ZEE注 目
︒ ロ
問 の
き 目
︒
︒ ︒
え ︼
目 立
に つ
い て
は ︑
双 方
の 古
田 片
山 台
三
o ロにおいて合法性会認
5 5 2 U 1 )
の 要
求 が
存 在
す る
か ら
( こ
の こ
と は
彼 の
コ ロ
己 主
注 目
︒ ロ
丘 町
目
されるものは
d m ‑ 5
4 巳
ZB
である﹂という規定から当然である)一般の円︒
‑ o
三 g
︼ 目
立 を
m 苦言自と匂
2 m o g
伊 ‑
丹 匂
と の
不 調
和 ︑
従って個人の緊張とかフラストレイショシ又は処罰︑恥辱などとい.う吉丹
2 5
‑ g
ロ巴目立の面丈で考える場合と異なった要因が入
ってくる︒即ちか
Lる場合には︑一方のパタ
1シから離脱することも合致することと共に芭当化されるわけである︒勿論始めには
(又は個人のレペルでは)古
ZB
巳
gえ
ZZ
が あ
る が
︑ そ
れ は
直 ち
に ︑
吉 田
片 山
片 岡
託 ︒
ロ の
レ ベ
ル に
お け
る 社
会 変
動 (
由 ︒
己 主
岳
ω ロ
mo
)
︑
への傾向と変る︒くり返して云へば﹁制度的価値.ハターンがパ 1 スナリテイに内在佑されるメカニズム﹂であるところの﹁社会化
(凹O
巳丘町三宮ロ)﹂に対する反抗として骨
128而 し
て
ω
︒己巳各自唱の傾向が常に存在するわけである口・之に対して︑この
号 己 88 に 一 定 の 限 界 を 置 と ラ と す る 均 衡 回 復 の メ カ 一 一 ズ ム が ﹁ 社 会 統 制 ( 的 ︒ ︒
z ‑ g z g C
﹂ で
あ る
︒
以上の点に関するパーツンズ理論は︑社会学界周知のことであるが︑私が特に注目したいのは右に述べた社会統制というととは
既容の(即ち自らの)制度的パターンからの離脱であるところの充されざる要求充足の合法性への要求に対して﹁機先を制する
一 色 ︒ 円
gZ 5
﹂ととであるといラことである︒言葉そ換えていえば競合の相手方たる制度的バターンの合法性要求というとと
L他
方の(即ち自らの)社会統制というものが競合するということである︒或いは﹁制度化えの成熟﹂を目指す複数のバタ
1シ の
対 立
であるといってもよいであろう︒この点は私の以下の所論においても特に重要な佼割を果すことになる︒
可
ω
門 的 ︒ ロ m ‑ ‑ σ
山 円 四 ・
・ 司 司
‑
M∞
︒
lE
Mg
u
・ 同
MHM
・
MO
‑‑
EM
O斗
囚 集 団 と い う も の
︑ 特 に そ の 目 標 と か 性 格 と か い わ れ る も の は そ れ が 成 員 に
E
の よ う に 受 け 容 れ ら れ て い る か という点から考察さるべきであるとはグリュ
1
エY の立場であり︑︒ハ 1 ソ Y
ズ 又 制 度 を 個 人 行 為 と の 関 係 的 立 場 で と ら え よ う と し て い る
︒ 二 元 的 忠 誠 と い う こ っ の 集 団 が 併 置 さ れ る 状 況 に 沿 い て
︑ 両 者 に 共 に 関 係 を 有 す る 個 人 が と の 与えられた状況にいかに対処するかの問題も又︑かふる立場に依拠して考察されねば友るまい︒
私 は 乙 の 乙 と を
︑ 尾 高 調 査 の 教 う る と と ろ に 即 し な が ら 考 え て み た い
︒ 尾 高 調 査 に 沿 い て は 経 営 と 組 合 は 両 立 す る と い う 乙 と を
︑ 月 間 限 合 計 四 三
・ 二
% が 民 印 の 二
・ 六
% よ り も 著 る し く 大 で あ る と と に よ っ て 証 明 さ れ て い る
︒
後者即ち両者の逆相関の
M m
が微々たるものに反して︑その順相関が大友る乙とは私の引用した第二表において明らか
である口乙の去に沿ける相関え係の意味をたやねるために︑それを次のように図表化して見ょう
D (
第 一
一 凶
﹀
相関え係とは︑いうまでも友くニクの現象の聞に︑相
山 間 応 若 く は 一 致 の 関 係 が あ る 場 合 を い う の で あ り
︑ 一
・ 万 の 順相関 B
掛 増 減 が 他 方 の 増 減 を 伴 う 場 合 を 順 相 関 と い い
︑ 一 方 の 増
斗 ハ ハ ハ
lJ
州 一 加 ( 又 は 減 少 ) が 他 方 の 減 少 ( 又 は 増 加 ) を 伴 う 関 係 を 一日・一日一円一万逆相関という
D
ととろが経営と組合の聞に沿いては第一
一
NC Jc
一心一刻図で見られるとおり︑同じ順相関においても
B
の型が
Aト 川 川 川 町 一 郎 の 型 に 較 べ て 少
︑ 泣 い
D
即ち次の上うにたる
D同じく順相関といっても
Aと
Bでは四三・二対一七・
五︑四と∞とでは一四・八対三・
O
で あ
る ︒
乙の両者のちがいは︑出てきた数字の意味するものを考える場合に看過すべ
きではないと思う口勿論︑尾高調査に沿いてもとの点は認められているところ
であるが︑(三三二頁以下)結局﹁経営に対する帰属性と組合に対する帰属性
との問にはプラスの相関が見られるというとと︑すなわち︑一般に経営支持的
なものは同時に組合に対しても肯定的であり︑また組合支持的注者は︑同時に
経営に対しても積極的た態度を一不す傾向がある﹂(三三二頁)とはいえるが私
の如く経営と組合の集団としての!とくに成員に対する関係に・おいて!関係︑
そして更に個々の集団の性格を見ょうとする場合には更に検討さるべき余地が
残されているのではなかろうか︒
僅か二・六%であるから逆相関ではないというととは勿論︑︐
Eえるし︑その
J I
日 相
関43.2
A
( 第
1図)
P P 14.8
P N N P
28.4
N N 36.7
A B
P P 14.8一一一cc
ご ) お
4‑;:)145 (}1頂相関〕¥ / 日
¥
〔1333/
〔逆手駒
3.0