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フランス代表民主制の現代的展開(2)

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フランス代表民主制の現代的展開(2)

著者 高野 真澄

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 25

号 1

ページ 79‑100

発行年 1976‑12‑25

その他のタイトル La democratie representative moderne en France

URL http://hdl.handle.net/10105/2563

(2)

フランス代表民主制の現代的展開(2)

高 ff ft.

(法律学教室) (昭和51年4月30日受理)

目   次

序 論  第3共和制前史の代表制概観 第1節  第3共和制以後の代表制憲法体制

第1項  第3共和制憲法と代表民主制 第2項  第4、第5共和制憲法と代表民主制 第2節  代表民主制の現代的変容

一変容の要因一

第1項  民主主義の定着と普通選挙制の発展 、 (以上24巻1号) 第2項  政党・社会集団の影響力

第3節  代表民主制の現代的変容

‑変容の形態一

第1項  政治生活の「半代表制」化 第2項  二元的代表制

一大統領直接公選制の樹立一 第3項  半直接制の導入

結びにかえて

‑「疎外」からの解放と「参加」の論理‑ (以上本号・完)

第2項 政党・社会集団の影響力

いわゆる現代大衆社会の到来を象徴する工業化の進展、国民各層の利害関係の多角・細分化等 の社会的・経済的多元主義の諸々の指標は、政党や圧力集団の登場・発達を惹き起し、第3共和 制後半の政治過程、とりわけ代表制の唯一の正統性根拠あるいは代表における合理性追求のメカ ニズムとしての選挙(選挙権)の性格と国民代表の役割を大きく変質させることになった。

(1)選挙と政党 普通選挙制が拡大・発展するとともに、政治集団としての政党(partis politi‑

ques)は、選挙に際して、候補者を選定・指名し、自覚の候補者を通じて政綱・政策を選挙人個々 の判断に訴え、当選者を獲得して、政権の担当と遂行を望む。かようにして、政党は、現実に、選 挙過程の実体を支配し、選挙そのものを高度に組織化する(個人選挙から政党選挙へ)。そして、

ここで注目されることは、政党は選挙人の現実的な個別意志をそれ自体として‑国民の意思の 表現としてではなく‑代表するということである(国民代表型政党から選挙人代表型政党へ)0

だから、 「投票用紙はこれを保持する個々の選挙人に直接具体的な利益でないにしても、少くと も彼らの地位改善‑の希望を得させるに適するもの」 (1)となっている。

従って、選挙そのものの性質も、単に議員個人を選択・指名する行為である以上に、議員の集

マンタ・コレタテイフ

団として政党に集団的委任を与える現実的な手段と化する。とりわけ、今日のように労使の緊張 が高まって、政党対立体制(支配層政党と被支配層政党)を迎えている現状のもとで、選挙人団

79

(3)

は選挙に際して対立政党の力関係を支持し、決済し、確認することによって、議会段階で特定政 党に集団的委任を付与する。このことは、選挙人団が、当該政党の組織する内閣に政策の選択と 決定とを委ねてしまうという、まさに政治組織を超えた機能を引受けることを意味している。こ れは、言い換えれば、選挙人団に直結した政党が国民代表(統合)機能と政策決定機能を自らの ものにした結果といわなければならない。

フランスにおいても、労働者階級の組織化と労働者政党の形式・質的再編成(労働総同盟C ・ G ・ Tの結成く1895年) 、統一社会党S・F・I・0の成立く1905年〉)による「主体化」(2)の進行 に促がされて、 1920年以降の政党は民主主義を通じて社会を変革するために自ら政権を担当・行 使したり(急進党・社会党連合多数派く1924年〉 、左派勝利く1932年〉 、人民戦線く1936年〉)、

累次の立法議会選挙での実績を通して社会立法(3)の成果(週休制く1906年〉、退職年金く1910年〉、

8時間労働く1919年)、社会保障く1928年〉、調停仲裁手続法く1936年〉等)を挙げていった。こ のような局面において、 「政党の介入によって国民はいかに代表されうるか」 、 「代表されるも のは果して世論か政党か」 14)という代表の本質的性格にかかわる問題が提出される。

即ち、かような議員の選挙と議会の代表梯能に及ぼす政党や圧力団集の影響・支配は、近代代 表制の原理、およびこれを基礎とする古典的議会制にとってかってない衝撃であり、これに矛盾 する出来事ではなかろうか Duvergerの言うように、政党(政派)の発達は、 「民主制に基礎的 組織を与えるという点でその発展に大いに貢献した」が、 「その役割の肥大化は‑それは、

ごく最近のその進化を特徴づけているように思われるが‑、一種の逆作用で代議制を脅かすに いたっている。j (5)ことに、現代の政党政治において、政党は、綱領と規律を確立し、自己の所 属議員の議会括動を党議・党則の下に拘束する。かかる政党鞍制は、政党対立の反映だとはいえ、

議月の国民代表としての独立を放棄させ、議会の自由な民意形成(統合)機能を減退させ、ひい

ビエール・アヴりル

ては議会の主権性を事実上奪い取る結果となる PierreAvril は述べている。 「制度としての 国会は政党の規律によって事実上制限された主権を経験する。けだし、理論上国会の決定は自由 であるが、実際は政党の指導者によって予め決められている。国民がその代表者の各々に委ねる 個別的委任から、政党をその代理機関とする集団的委任へうけ継がれる。j '6)と(ただし、政党の 性格およびそれが果す公的機能の強弱については「特殊フランス的な諸要因」を考慮する必要が ある。この点については、後出第3節第1項(2)参照)0

そこで、現代議会制の下で、政党強制の現象を代表制や議会制の論理に背反するものとしてど こかで一線を画する必要がないかどうか。これが厳密な判定は困難であるが、政党・政派の指令 ないし規律保持のための強制手段で、法理上、代表原理に矛盾を釆たす場合は指令ないし強制の 濫用の場合に限られてこよう。その場合、少くとも議員自ら関与・協力した政党・政派の決定は いわゆる「指令」から除外してよいであろう(7)政党が代表制メカニズムをもってしては果すこ とのできはい恒常的な・世論形成と政策決定、さらには政府統制の役割を引受ける限りにおいて、

権力と市民の間を媒介する政党に代表制を補完する機能を期待することは決して非現実的ではな いであろうからである(8)

(2)社会集団の圧力 利益集団(groupe d'inter芭t またはgroupes de pression.第3共和制下 くgroupe de defense)の名で知られたO労働組合、農業団体、工業家団体、在郷軍人会等)は、

政党政治の下でなおかつ選挙の方式が被治者の固有の要求を実現するのに適合しえないことから、

概して政党的系列外の人民各層の現実的な意思表明の自然な形態(9)として登場‑噴出し、その有 力な集団は「秘密にまたは控え目に」 (10も議会における代表者に対して命令的委任を付与してい

(4)

る。かかる利益集団的な代表形態が広範な広がりにおいて帯有する半代表的機能は注目に値する ものがある。

だが、種々の圧力集団の存在は、それなりに代表性(representativite)を拡張するけれども、

それが国家機能の拡大・高度化を前提とするものである以上、政治的議会や政党の代表・立法機 能を脅威し、減殺することは異論の余地がない。

注(1) G. Burdeau, op. at, p.251.

(2)松下圭一「大衆国家の成立とその問題性」現代政治の条件(中央公論社, 1959年 20, 21頁。

(3) R. Pelloux, op. at., p.23

(4) G. Burdeau, Tr. de sci. pol., t. W, pp.278, 279.

(5)デュヴェルジェ・前掲政治体制21頁.

(6) Pierre Avril, Les francais et leur parlement, Casterman, 1972, p.15.

(7)声部信書・憲法と議会政(東京大学出版会、 1971年 276頁。

(8) A. Lancelot, op. at, pp.118, 119.

(9) G. Burdeau, Dr. const, et inst. pol., ppユ17,178.圧力集団の発生の社会的背景につき、例えば、

尾形典男「議会主義の神話」世界(170号, 1960年)参照。

Cf. M.R. Kheitmi, Les partis politiques et le droit positif francais, L.G.D.J., Pans, 1964

第3蔀  代表民主制の現代的変容

‑変容の形態‑

第1項  政治生活の「半代表制」化

(1) 「半代表制」の概念 上述のように、資本制生産関係の発展を基底とする近代的労働者階 級の政治的民主主義を求める要求・運動は、広範な人民大衆の台頭とサンディカリスム運動に象 徴される組合集団の社会的実力の上昇を背景にもちながら、政治的現実態としての国民の政治的 組織形態である普通選挙制を登場させ、また近代政党の発生・発達、圧力集団の噴出をもたらし て、代表民主制を現実的な人民の意思を具体的かつ大衆的に実現する制度に事実上転化せしめる

ことになった。具体的には、選挙人の能動的地位に基づく選挙の役割の餐貿(政党本位の選挙、

比例代表制の採用等) 、議会(議員)の行動に対する種々様々な拘束性の付与(命令的委任の現 実化、事前諮問制、請願等) 、代表意思と国民意思の離反に対する匡正(政党・政府の公約違反 に対する世論の政治責任追及、議会解散による選挙人団の審判等)などの諸々の新しい政治局面 の現出・展開が指示される。このような政治現象は、国民意思から閉されて自由な審議権をもつ 独立院の支配から、民意に基礎をおき、人民に開かれた審議を行い、国民意思と代表意思の相互 規定性の回路をもった代表民主制への移行を画しているように見える点で、注目すべき進化とみ

ることができよう。

そこで、このような政治過程を直視して、この段階に対応する主権原理として人民主権を指摘 することによって、国民主権の実現における純代表制からの「半代表制」 ‑の転化を肯定する学

エスマン         オレ.ド・マルペール  ラフ])エ‑ル    カピタン

説が展開される  Esmeinを初めとして、 Carrg de Malberg. LaferriSre, R. Capitant,

プレロ  'アデル フア1ル

Prelot, Vedel, Fabre 等の憲法学者は、普通選挙権を獲得した各市民が単に議員の指名に参加 するだけでなく、人民主権に基づいて自ら政治意思(力)の主体として議員に影響を与え統制す る形体を「半代表制」 (gouvernement semi‑representatif) と規定し、これに法的価値を付与

(5)

している。これまでの古典的な純代表制(gouvernement representatif pur)は、ここにおいて民 主制(democratic)の一形態に転形したとさえ論ぜられるO だが、問題は国民主権の実質的な展

開に伴う代表制の発展段階を人民主権の憲法原理によって基礎づけることが妥当であるかどうか である。この点について、わが国では杉原教授によって強い異論が唱えられている。即ち、政治 的事実関係の存在をもって直ちに憲法上の法律関係の存在におきかえようとする見解は非科学的 である、 (2)と。この点、私も杉原教授の見解に同調したいと思う。

従来の憲法理論が代表制の本質を代表するものの意欲に求めていることは確かであるo これに 対して、半代表制理論は自由主義的民主主義の進化に即して代表されるものの意思の実体に重点 をおき、いわば代表の手続面の実定法的解明よりも、代表の社会・政治的側面の実証的な解明を 重視しようとするものである。このような方法論的観点に立って、国民主権の実質的な発展段階

を法的に追認することによって、代表制の魔術的作用や代表概念にひそむ神秘的要因‑それは 代議制が前提とする分離された二つの人格間の信頼関係を現実化できない故に議会制の危機を生 む‑を取除き、 「民意による政治」 (gouvernement conforme会l'opinion)の徹底を期する ことがおそらくできるようにもみえる。けだし、既に絶対君主制とそれをとりまく旧勢力が除去 されて、国民議会を中心とする民主勢力が国政の中軸となった時期において、なお議会が自己を 選んだ選挙人に対して国民を代表すると自認するならば、 「民主主義理念の輯大な圧力の下に立 った19世紀と20世紀の政治運動を、合理的な中間線上に保持し‑‑‑・真に国民立法‑の民主的発 展を無用と考えさせ」(Kelsen)で結局「現代(大衆)民主主義に統治する民主主義の制度的進化 を抑制する」 (Burdeau)ことになるからである。学界の対応はこのような考え方に立っての立 言と考えられる。けれども、前項にみたような「直接民主制的環境」 (5)とでもいうべき半代表制 的諸要因は、その内容において、政治的な、 「事実上の諸権力」と目すべきものであり、また主 観的にはともかく、客観的には要するに選挙権(あるいは選挙人権)の枠内のものである。その 限りにおいて、これらの諸要因は、代表制の運用に変化を加えるものであるとしても、代表制の 基礎をなす国民主権や代表の原理そのものを覆すほどのものではないとみるべきである。しかし、

このような評価を裏付けるためには、半代表制の諸要因、とりわけ半代表制要因の特殊フランス 的な性格について検討を施こす必要がある。

(2)特殊フランス的要因 上述した半代表制の諸要因が最も明確な形で把示され、それ故に半 代表制の理論Eq式が最もよく当てはまるのは、 19世紀後半以降のイギリスの議会制(rggime par‑

lementaire britannique)であろう(6i

イギリスでは、選挙人団はその簡明な選挙方法(1回制多数代表法)により議員を選出するが、

パーテイ・システム

同時に2党利を基礎とする組織(紀律)化された政党制の働きによって、与党の党主を選択し、政 府の首長(内閣捻理大臣)を指名する.この恒常的な政治統制の振子運動(単に議員たる人の選 択ではなしに政府間の人民投票)の故に、統治者(事実上は政党のリーダー)は自己の政策と行 動の全体を絶えず世論の動向にアダプトさせるべく強制される。

イギリスの政党は、特に1832年の第1次選挙法の改正以後、 2党利を伴った責任内閣制の下で 組織と紀律の強化に努め、とりわけ1867年の第2次選挙法改正(Second Reforme Bill)の時には、

既に統治機構の中軸として議会と内閣の一体性を保証するまでに成長を遂げ、イギリス議会制の民 主化に貢献していた。即ち、イギリスの政党は、政党制発達の過程で、名誉革命の樹立した「国 会主権」の原理を「内閣政治」 (cabinetgovernment) mにとって代えることによって多数政党 に支持された内閣をして国民の信任と直結させ、国会主権(法的主権)たりとも従属する優越的

(6)

規制としての国民世論の存在(政治的主櫓)をつとに強固にしていた。ここでは、選挙は単なる 議月の指名行為でなく、議月に対する権限の委任とみなされるが、それが政党の媒介作用によっ て今や直接政府首長の選出を導き、さらに内閣の綱領や政策を選択・決済する政治的機能を獲得 する。このため、選挙は、与党(party inpower)にとって、選挙人団との真の政策‑公約実行協 定を意味するから、公約以外の重大な政策遂行の場合や政府・国会間の重大な衝突の場合には新 たな選挙のために解散が要求せられる。この意味で、 R. Capitantが、イギリスの解散制を評し て、 「立法期の途中で、議会の意見に対する選挙人の意見の優位を、継続的な仕方で確保せしめ る真に民主的な制度である」 (8)と述べているのには理由があるo

要するに、イギリスの代表民主制は、個人主義的な代表委任の法律的教説でもって説明しがた いまでに政策中心の集団主義的代表制に転化しており、かくして「選挙による委任」 (electoral mandate)は、選挙時および選挙間期を通じて、選挙人団の直接的な民主的統制・問責手段として 十分機能することができるのである。

これに対して、フランスでは、イギリスにみられるような政党中心の集団主義的代表観念の浸 透は緩慢であって、つとに伝統的な代表制憲法原理に立脚して議会政治の運用が行われる。この

点は、次の4つの側面で捉えることができよう。

(1)選挙人権と選挙制度について。第2、第3共和制における議会の優位は、 「その背後の選 挙民の意向を明白適確に反映し、真の民主政の実を挙げてい」 (9)たであろうか。

まず、 1848年の普通選挙制は、主権の人民全体への帰属ではなく、人民の一部‑の帰属の体制、

つまり国民の半数(女性)を除外した形式的なものであった。民主制の理念の下では、婦人参政 権(suffragedesfemmes)を否定する根拠はどこにもないはずであり、 「民意による政治」の観 念からすれば、女性は自己が代表されていない国会に服従すべきいわれはないはずだということ

バルテルミイ

になりはしないか Barthelemyは、 「理性的存在の本性は自己が自らを統御することにある。

デモクラシーの制度は各市民が自らまたは自由に選んだ代表者によって統治する制度である。こ の故に、民主制は最も合理的な存在である」 (一一)と強調している。

次に、第3共和制の選挙制度は小選挙区(郡単位)多数代表法が支配的であって、比例代表法 はわずかにワイマール憲法の影響を受けたといわれる1919年7月12日法で採用されたに留まる。

1919年11月と1924年5月の総選挙でそれぞれブロック・ナシオナルとカルテル・デ・ゴーシュ の勝利を斉した) o Lかも、フランスでは2回制多数代表法(scrutin majoritaireえdeux tours) の働きによって選挙人の意思は一層人為的に切り捨てられる。

小選挙区2回投票制に基づく政党の得票数と議席数の歪み(distorsion) ‑ 「国民代表の変形」

(Duverger)‑は、第4、第5共和制を通じて殆んど解消されていない1958年憲法下の第1回総 選挙(1958年11月23, 30日)は、主として共産、社会、急進社会、人民共和派、新共和国連合、

保守の6政党という多党伯仲の選挙戦が演じられたが、党派別得票数と獲得議席数の不均衡が顕 著であった(図表第1参頗) (1か。即ち、共産党は第1回投栗で得票数3,882,000票(18.9%)を 得たのに対し、第2回投票での議席数は10 (2.2%) 、これに対して第5共和国連合(U.N.R.,

は第1回得票数3,604,000票(17.6%)で、第2回議席数188 (40.4%)を確保し、全議席465中、

5分の2を占めた。また、第2回総選挙1962年11月18、 25日)は、 U.N.R.の圧勝、在来政党 の凋落が目立ったが、この選挙でも各党の得票数と議席数の辛雛が顕著であった(図表第2参照)11割 さらに、第4回総選挙(1968年6月23、 30日)では、共産党第1回投票の得票数20%、第2回投 票の議席数34 (0.7%)、これに対して第5共和国民主連合U. D. VeRepubliqueは、第1回の得

(7)

図表第1 図表第 2

得 票 (梶 )数 % 議 席 数 %

16 0 ,0 00 0 .9

4 9 10 .6 2 ,54 1 ,0 00 13 .9

ドゴ ー ル 派 5 ,8 4 7 ,00 0 3 1 .9 22 9 4 9 .3 人 民 共 和 1 ,63 5 ,00 0 8 .9 3 6 7 .7

1 ,38 5 ,00 0 7 .6 4 3 9 .2

2 ,32 0 ,00 0 12 .7 6 5 14 .0

4 5 0 ,00 0 2 .4 2 0 .4

3 ,9 9 2 ,00 0 2 1 .7 4 1 8 .8

18 ,3 30 ,00 0 4 6 5

票数43.5%、第2回投票の議席数294 (60%)を確保、議会で単独絶対多数(350議席)を擁す るに至ったM

(2)政党制についてOフランスの古典的議会制(regime parlementaire classique)は、第3 共和制を通じて、下院に安定した政党勢力を欠いたため、選挙に勝利した政党の党首が自動的に政 権を担当することができず、多党間の妥協によって連立政権を作り出していく形で基本的に維持 された。この国の政党は、もともと資本の個人企業による分割を社会経済の形態として温存して いたため、いたずらに小党に分立・分散し(多党制 くmulti‑partisme) ) 、かつは2回制多数 代表法と結びついてしばしば不平等に組織され、組織と紀律の両面において弱体化している。

第一に、政党が国民を政治的に編成する力は貧困で、選挙人を不断に多極的な浮動状態におい ている。この事情に照応して、選挙人団の議員および議会に対する統制は選挙の際だけで、任期 中に議員に留保された行動の自由はすこぶる大きい。 。9政党と院内政派の結合もまた不十分であ る。

第二に、組閣は、ときに選挙結果を顧りみることなしに、政党間の取引きによって実現される。

第三に、政党の民意形成、代表機能の脆弱性がそのまま政府と議会の関係に反映し、両者の関係 を弛緩させ(政府首長の議会指導力、議院における議員の表決の規制力の貧困等) 、 uQひいては 政権交替を不明瞭にさせる。これらのことは、結果的に、この国の代表制の変容‑民主的モディ

ファイを著しく不徹底にさせている。

(3)解散制度について。第3共和制のフランスでは、 「解散が行なわれず、大臣がかろうじて 国民代表的役割を保つ」 (一刀議会優位のいわゆる議会政治制(Gouvernement d'assemblfie)が憲法 伝統として形成され、定着する(1884年には共和政体の改正を禁止する憲法改正が成立する) 0 共和国大統領は国民議会に集合する元老院と代議院の選挙により選出されることになるから (1875年2月25日憲法法2条)、その尊厳性においてはじめから代議院に匹敵しえなかった. (1秒こ

マクマオン

れに加えて、解散権(droitde dissolution)についても、 1877年5月16日のMac‑Mahon(王党 派大統領)の議会解散は、 「当時議院に於て伸張しつつあった共和勢力を制御せんとする精神に よってなされたことが」転機となり、かえって「執行府に対する伝統的な不信の念を強化すると ともに、革命時代の代表制‑議会主権の観念を支配的ならしめ、大統領を名目化する慣行の方向

セ ナ

を決定し、解散権を死文化したのであるI(19)また、元老院は、憲法の上では、代議院と実質的に

(8)

対等の権限を与えられ、その一環として大統領の解散権行使に同意を与える権限を留保していた が(同5条)、この解散同意権は議会と政府の間の対立に緩衝的に働くよりは、むしろ両議院の連帯

の強化によって大統領に不利に作用したのであった。

このような前提において、解散制度は政府と代議院の間の衝突を主権者人民の審判に訴えるこ とによって正し、民意による政治に有効な道具として機能することができず、逆に民主制(議会 が体現する)を脅す反民主的・反国民的なものとみなされた。解散がかようなものである限り、

選挙の性格の民主化に貢献することは到底不可能なことであった。

(4)違憲審査制の不毛性について。代表民主制の論理的帰結としての議会主権‑法律優位の原則 は、第3共和制において、そして基本的には第4共和制においても維持される。議会制定法に対 する裁判所の違寮審査制は確立をみていない0 第4共和制の憲法委員会(Comitg constitution‑

nelle)の制度は、直接、人権の保障に向けられたいわゆる違憲審査制とみることはできない。こ れに対して、第5共和制憲法が法律事項を限定し(34条)、委任立法を明文化したこと(38条) は、これ迄の公法上の伝統を廃棄して法令の違憲審査に途をひらく可能性を与えているとも受け とられている。だが、憲法規定はもとより、これを肯定する判例も現存しない段階である。

(5)直接民主制について。第一次大戦後のヨーロッパの諸憲法は、国民主権‑代表委任の法理 に立つ議会制を基調としつつも、国家元首(大統領)を国民の直接選挙にかかわらしめるととも に、人民の直接立法権を定めたところに大きな特色がある(例えば、ワイマール憲法43条、73条)0 だが、フランスでは、第3共和制憲法制定議会は人民投票制採用の提莱(ラウル・デュヴァル) を拒否したし、 ¢・ Carrg de Malbergなどが代表制の民主的補修、議会制の補完物として人民投 票の導入を肯定したが、結局実行を見なかった1871年から1940年に至る第3共和制においては、

総じて絶対的議会主義(parlementarisme absolu)伐】)が貫徹されていた。

以上のように見てくると、半代表制的要因に定礎された「半代表制政治生活」は、結局、代表 制の枠内で代表制の運用を変化させるものであるに留り、純代表制憲法体制は、第3共和制を通

じて、半代表制論者の言うようには廃棄されているとは言えない。 「人民主権の憲法体制」が成 立するのは、国民主権の原理の下で、政治生活上、政治的主権の主体として、また分有主権の主 体として出現し成長してきた選挙人団ないし選挙人が、人民主権の原理に底礎されて、人民主権 の担い手として位置づけられ、実質上国家権力cr>決定権と統制権を保障される段階においてであ

る。そして、人民主権の原理では、主権実現の手段として代表制と半直接制の並有を予定するけ れども、代表制のほうは最早古典的な純代表制でも事実上の半代表制でもなく、人民の主権性が 憲法上多かれ少なかれ議会(議月)の人民に対する責任ないし被拘束性によって担保される「人 民拘束的代表制」として現われるはずである。今日的段階のフランスは、国民主権を基礎にもつ 事実上の半代表制の段階にあり、人民に対する憲法的責任によって担保される人民拘束的代表制 の段階に到達しているとは言えない。

かようなことで、フランスにおける代表制憲法体制と半代表制政治生活の二重図式は、原則的 に、第二次大圏後に持ち込まれることになるO だが、ここでは新たに大統領の直接公選制や半直 接制の憲法制度化が試みられるようになる。従って、戦後の民主制において、代表関係を代表す るものの自立・独立化によって蔽ってしまうのではなく、全体としての国民の現実的構造に対応 した代表関係を打ちたてること即がより強く要請されることであろうし、選挙の際にのみ政党を 介した間接的な意味での決定権行使では、本当に政策決定権をもったことにならないということ が自覚されてくるはずである。より適確に言うならば、古典的な代表制憲法原理に半代表制的な

(9)

「事実上の諸権力」をいかに有効的に投射し、また法的に組織された人民の半直接制的手段をい かに実効化していくかが課題となろうO 第二次大戦後の第4 (1946年) 、第5 (1958年)共和制 が現代における民主制の要請にどの程度応えようとするかについては、以下にさらに検討を加え

る必要がある。

注(1) A.Esmein, Deux formes de gouvernement, R.D.P., 1894, pp.15et s. ; Carre de Malberg, op.

cit, til, pp.371 ‑ 376 ; J.LaferriSre, Man. de droit const., 2Sme edit, 1947, pp.412 ‑ 433 ; R.Capi‑

tant, Dgmocratie et participation politique, 1972, pp.50,51 ; M.H.Fabre, op. cit, pp.209 ‑ 218.

(2)杉原泰雄「いわゆる『半代表制』 (le gouvernement semi・reprfisentatif)の構造について」一橋論 叢(65巻1号) 、同・国民主権の研究28頁以下、同「国民主権と人民主権」世界(1972年6月号) 58頁以下参照o この点、かって、 L.Duguitが、独自の主張とは言え、世論の力という社会的事実を正

当化するためにその背後に主権を伴う実体、人民の人格の存在することを肯定するEsmeinの見解を 批判して、煩硝哲学的主張だとしていたことが想起される(レオン‑デュギ一、木村亀二訳・国家変 遷論、岩波書店、 1925年32、 33頁)

(3) ‑ンス・ケルゼン‑西島芳二訳・デモクラシーの本質と価値(岩波文庫、1948年)57、 58頁。なお参 照、宮沢俊義「国民代表の概念」憲法の原理(岩波書店、1967年),声部信喜「選挙制度」憲法と議会 政(東京大学出版会、 1971年)

(4) G. Burdeau, Tr. de sci. pol., t.IV, pp.252, 253.

(5) G. Burdeau, op. cit, t.IV, p.209.

(6) R. Capitant, op. cit, Annexe : Le parlementarisme anglais, type de regime semi‑reprgsenta‑

tif, pp.173 et s.

(7)イギリスにおける「内閣政治制」の特質とその現代的課題の分析に当てられた邦語文献として、例 えば、作間忠雄「内閣政治制の特質と課題」清富四郎博士退職記念・憲法の諸問題(有斐閣、1963年) 参照。

(8) R.Capitant, op.cit,p.62.この点、なお参照、深瀬忠一「議会制民主主義の展開」現代法3 ・現 代の立法(岩波書店, 1965年) 61頁。 Pierre Pactet Institutions pohtiques, Droit constitutionnel, Masson et Cie, 1969, pp.51,, 52.

(9)山本桂一・前掲書287頁。

Joseph‑Barthelemy, Le vote des femmes, Librairie Felix Alcan, Paris, 1920, p.ll.

(ll) J. Barthelemy Le crise de la democratic representative, Annuaire de L'institut international de droit public, 1930, p.47.

Cit6 par Duverger, La cinq, rep., p.232.

Cite par P. Campbell, op. cit, p.133.

P. Pactet, op. cit., pp」,80, 181̲

(15)杉原泰雄「いわゆる『半代表制』 (le gouvernement semi‑representatif)の構造について」一橋論 叢(65巻1号) 56頁参照。

(16)デュヴェルジェ・政治体制44頁、山本桂一・前掲書287頁O (17) G. Burdeau, Dr. const, et inst. pol., p.156.

Ibid., p.327.

(19)深瀬忠一「衆議院の解散一比較憲法史的考察‑」日本国憲法体系4巻I (有斐閣、 1962年 327頁O

(10)

(20)レオン・デュギ‑‑堀真琴訳・法と国家(岩波文庫、 1935年 258頁o

Le Mong Nguyen, Contribution云Ia theorie de la constitution souveraine per le peuple, R.D. P., 1971, p.935.

(22)鵜飼信成「民主主義と議会制度」民主主義の法律原理(有斐閣、 1949年) 293頁。鵜飼教授は、つ づいて、こう述べられている。 「一一一個々の議員が国民を代表するというのは、議員は、直接に、港 挙人すなわち、その選出せられた選挙区に委任的に拘束せられないというだけであって、全体として 考えれば、議員の意思と、国民の意思とは、相対応し、数学的にいえば正比例的関係相似関係になけ ればならぬ。ところで、全体というものを、抽象的に考えることができない以上、それはかならず個 人の意思の集積でなければならない。いいかえれば、代表される国民も、それを構成している各個 人の意思の厳密な集積の上に、はじめてその現実的構造を示すものであるから、そのような全体を代 表するということは、この個人意思を基礎とした構造を無視しては、あり得ない。そのためには、議 員個人の選挙人すなわち選挙区への拘束的な結びつきが排除されなければならないのであって、それ が排除されてはじめて、全体としての国民の現実的構造に対応した、現実の代表機関、即ち議会が、

考えられるのであるoJと(同上論文293、 294頁o)

第2項  二元的代表制

‑大統韻直接公選制の樹立‑

ここでは、ドゴール体制下の1962年の憲法改正による大統領の直接選挙制の樹立が議会代表制 とどのような憲法政治上の緊張関係をもたらすかについて若干の考察を加えておきたいと思う。

第3共和制以来、共和国大統領(President de la Republique)は、国会、つまり両院合同会議 (CongrSs)で指名・選任される例であり(1875年2月25日憲法法2条、 1946年憲法29条、 1953年 12月8日法等参照) 、第5共和制当初もこの方法に従っていた(ただ、選挙人団をほぼ元老院議 員の選挙と同様、国会のそとに拡大した、憲法ノ6条) 。ところが、 1962年10月28日の憲法改正人 民投票によって、大統領の「直接選挙制」 (suffrage universel direct)が樹立されることとなっ た。この憲法上の大改革によって、共和国大統領は、憲法3条にいう人民の代表者となり、国民 の主権を国会とならんで代表する二元的代表制が実現されることとなった。これにより、

ジヨルジュ・ポンピドウ

DeGaulleはもとより、より少ない程度でGeorge Pompidouも、多数の政派に分立した議員か

サンテイマン

ら成る国会以上に国民を代表するとの感情(1)を持っているといわれたが、それは制度改革の生ん だ社会学的力学の表現にほかならないであろう。何れにせよ、かように大統領を国民の直接普通 選挙で選ばせる国民的任命制(1'investiture nationale) ‑任命行為における国民主権との直結 性‑は、議会主義的君主国における世襲的任命制(l'investiture Mreditaire)や1962年迄行われ た地方的勢力による間接選挙制に比べて民主的なものであり、またその多くが議会の中から選任

グヘニルヌマン

される政府 よりも直接的なものである点で、当然、大統領に最大限の民主的正統性 (l'egiti‑

mite democratique)を付与する(2)ものといえるo この1962年の.改革を肯定し、好意的に受けと めるDuvergerは、この改革を第3、第4共和制の古典的議会制にも、第5共和制初期のオルレ アン型議会制にも属さず、人民選挙を要素とする大統領的元首と政府が政治責任を負う国会の二 個の国民代表権力の共有する「半議会制・半大統領制的体制」 (rggime mi‑parlementaire, mi‑

presidentiel) 、簡潔に「半大統領制」 (systgme semi‑presidentiel)'と規定しているO

だが、一体、大統領直接公選制を基礎づけている制度観は何処にあるのであろうか。それは、

政党の媒介によって民意を一元的に吸収する議会的代表制 Duvergerのいう媒体民主制demo‑

(11)

cratiem6diatis6)の機能に、回家元首(大統領)が政党の系列外の無数の利害を包摂・統合する 機能を二元的に対置させ、前者の代表機能の閉鎖性を後者によって克服しょうとすることにある とみられる。ここに、フランス現代議会制に対するDeGaulleの憲法観の際立った認識と実践 エレクシオン・ポピュレェル

の特質が窺われるようにみえる。従って、大統領の人民選挙制の帰結するものが、Duvergerも 認めているように、大統領の地位を議会制元首が享有する外形・象徴的な仲裁者から国政の現実 的支配者に切りかえ(4)、また議会制の梅内で作用する議会と政府の均衡関係を大統領の決定的優 グ‑こルヌマン

位にとって代えることになるはずである。15)即ち、政府(内閣総理大臣)についていえば、国権 (6)解釈の一般原則の転換‑条文の解釈は元首の現実的権限のために語る‑によって、大統領の raも ^ag

決定の単なる執行機関となり、議会についていえば、人民選挙の大統領が体現する国家権力と議 会の代表する民主的権力との二元的競合は是認Lがたいものとなるであろう11964年1月31日、

DeGaulle将軍が記者会見で行った次の声明は、1962年改革の帰結を裏書きするものというべく、

大統領権限の政治的進化を将軍自ら明確に啓示したものとして注目される。

「国家の不可分の権威l'autoritgindivisibledel'gtatは人民によって選ばれた大統領にすべて 委任される。大統領が委任し、支持する権限でなければ、大臣のものも、文官のものも、軍人 のものも、司法官のものも存在しない。最後に、大統領に固有な最高領域と大統領が他の人々に 管理を割当てる領域とを調整する義務は大統領に属することが明確に了解されなければならな い(8)‑J

かくして、「1962年の改革」によって大統領に対する人民主権の直接的委任は、議会の犠牲に おいて、大統領を主権の唯一の保持者たらしめてしまうであろう(事実上の一元的代表‑大統 領は主権の一部を自ら欲するならば他の機関に再委任することができるが、その場会でも何時で も取りあげる権限を留保する¥(91それは、大統領の人民公選的地位に憲法上の強大な権限が一体 として接合され、公権力の正常な運営と国家の永続性確保(憲法5条)のために大臣の副署なし に裁量行使できる作りつけの憲法装置(なかでも、法律国民投票付託権11条、解散権12条、非常 事態措置権16条)を人民への訴え(l'appelaupeuple)の名において行使されるとき、その合成カ フオンタシオン・グベルヌマン・ユニタ

は権力分立制を「各作用の実質的な区分に由来するというよりはむしろ唯一の統治作用の行使に 7ン1ルジオンコントロオル

おける動力(執行肝)と統制(立法府)の間の分割」(10)/カッコ内筆者)に留めてしまうにちが いないからである。

もともと、第5共和制の議会主義のイデオロギー的基礎には、権力分立論と執行権強化論が一 枚岩的に同居しているように思われる。ここでは、権力分立論は、執行権優越の政治目的と結び ついてこ立法府からの行政府の分立を要請し、統治権力間の抑制・均衡の名において立法権を制 肘して行政権の強化を正当化する役割を果す。その限りにおいて、自由主義原理に発し、国家権 力の制限を意図した権力分立論が国民の利益を無視する方向に歪曲され、特定の政治イデオロギ ー機能を露呈することになる。既に、1957年の著書において、Debr牀は述べている.

国会は統治すべきでない。統治の責任は、国会のそとにある政府に求められなければならない。

そして、政府は自己を選択する国家元首の前に政治責任を負うこと、国会に対する責任は例外 的な条件と手続のもとにおいてのみ負うべきものである、O')とO

ディアルシ‑ だとすれば、強力な憲法上の諸権限を担保された、大統領を頂点とする二元的行政府制‑そ

れは「事実上の君主制の復活」asに値する‑は、厳格な権力分立制をもつアメ))カ型大統領を

(12)

凌駕する統治体制と言うべきもので、いわばイギリス型議会制とアメリカ型大統領制を綜合した 新しい第三の統治形態を創造するものとみることができる。それは、伝統的なフランス議会主義 憲法構造のBl式を超えた「根本的な構造変遷」 (ISであること明らかである。フランスにおける大

スヴレ1ニテ・ /くルルマンテ‑ル

統領制への憲法制度の進化は、伝統的な国会主権制よりもより現実的な形で国民主権を利用・纂 奪する政治スタイルとして機能することになる危険性を考慮に入れるならば、政党代表を基礎と する議会とそこでの少数派の受ける打撃、蒙むる犠牲は図りしれないものが予測されるからであ る。現に、 1962年以来、大統領の権限行使は、議会制との共存でなく、その犠牲の上に実践され てきており、代表民主制をその基礎の根底から揺がしてきている。

もとより、 DeGaulle統治下の政治生活面において、次のような注目すべき政治事象が現出 していることに注意をすることは必要なことであろう。

第一 deGaulle統治の初期に個人権力集中制によって、選挙の働きや政党・圧力団体の機能 はいたく犠牲にされ、特に政党は組織政党というよりはdeGaulle個人の政党という性格を担わ されていたが(いわゆる非政治化dSpoIitisationの現象)、 1962年10月5日、国民議会が  G.

Pompidou内閣に対する不信任動議を可決し、これに対抗して大統領が解散権を発動し(第1立 法期終了)、同年11月18‑25日の第2回総選挙で、選挙人団は議会と政府の争いをde Gaulle将軍 に対する賛否の表明を通じて解決することを要求された。そして、この選挙で、政党は選挙人と 将軍の仲介者の労をとり、(一心政府与党の新共和国連合(U.N.R.)を圧勝に導いたO在来政党は凋 落し、ドゴール派、親ドゴール派で58%を占め、議会史上初めて同質的多数派が成立することに なった。こうして国民主権に直接基礎をおく大統領と自律的機能を発揮した国民議会の安定勢力 を基礎とする第2次 Pompidou 内閣の二元的行政府が第2立法期にのぞむことになった。この

マジョリテ

ような、 1962年以降の議会多数派の形成=二元的代表制の進行という政治事象は、政府の議会に 対する責任を重視する議会制的運用を強めていくことが予想される。大統領の人民直接公選制は、

大統領制にみられるように、大統領の代表的性格を異論の余地ないまでに高揚するが、 「匡「民全 体のうちに現に存在する各種の政治的意見ないし傾向の少なくとも支配的なものが、議会での議 員の行動において、具体的に主張される東大阪の公算が存する」 (19ことは疑いを容れないことだ からである1969年6月以降、 deGaulleを引継いだ Pompidou大統領が、国内政治の民主化

リペラリザシオン

と近代化を希求して"新しい社会〝 の創出を唱え、全体として自由主義化の傾向(帽を辿ろうとし ているかにみえる Pompidou とそれ以後の憲法運用は、果してこの議会制的な方向をどこま で継承し発展させていくことであろうか。

第二。ドゴール統治における大統領制的憲法実践の一つの帰結として、 「全体の福祉の名にお いて国事を遂行するために選ばれた一種の選挙君主une sorte de monarque Sluの概念を純粋に 職能的な代表制に結びつけるという考え方」 (川となって現れ、しかもそれが挫折したことである0 1969年の元老院改革問題がこれである。が、このセナ改革は、国民投票で否決され、 deGaulle は遂に10年に亘る統治に終止符を打った DeGaulleの引退は、少くとも、憲法制度の個人権力 集中的な運用を正すものとの期待をわれわれにもたせないだろうか。

そこで、上に述べた1962年以来の政治生活の諸々の進化をふまえて、現統治者は政治体制のあ り方について一体どのような見解を抱いているだろうか。現統治者の憲法立法(改正)論はおよ そ次のごとくである(I)憲法院をアメリカ型貴高裁(Coursuprさme)に転換するとともに、大 統領の任期を短縮し、副大統領を設けること(M.Achille Peretti 1968年10月r (n;大統領の任 期を7年から5年に短縮する改憲案(G.Pompidou 1973年10月) (m)ドゴール的大統領制を維持

(13)

し、大統領の地位権限を一層強化すること(Chaban‑Delmas) (F)アメ1)カ的な大統領制(regi‑

me prSsidentiel)の方向を志向し、大統領多数派(majorite presidentielle)の信任をうけた大統 領が統治の基本方向を決定し、この方向付けをうけて政府は議会多数派(majority parlementa‑

ire)と協調してその実現に努力する。解散権は維持する(Giscard d'Estaing, Jacques Chirac) 等の見解が提起されている。これらによって、現在のフランスにおいて、直接公選の大統領の個 人体制化と選挙君主制への類似を強めることが希求されるとともに、その下で政府の議会に対す る政治責任と議会解散権が留保されることも承認するという見方が支配的であることが判る。だ とすれば、ここにおいても、杉原教授の指摘しているような問題点がある。上記の(m と(Ⅳ)は 1974年5月の大統領選挙戦において‑争点となっていたものであるが、それはともかく、ドゴー ル的大統領制論(Chaban‑ Delmas)はもとより、アメリカ的大統領制諭(Giscard d'Estaing)に おいても、 「解散権を無答責の大統領に与えることによって、それが議会の多数意思を否定する ための手段として機能させられるというおそれ」があるO伽)

"'I .'ォ". . ‑りtf

従って、現大統頒(Giscard d'Estaing)の大統領制化への接近傾向‑ Jacques Robertのい

=Ll

う議会制大統領主義prgsidentialisme parlementaire‑をむしろ抑制し、できるだけ政府と議 会の対話、多数派と少数派の協調を内容とする議会運営の刷新ないし parlementarisme再生へ

の志向を強めつつ、政治的決定への市民のより大きな参加(participation)を保障してゆく方向 がとられるべきであろう。それでは、現代フランスにおける議会運営のあり方や直接民主制が果 して「民意による政治」をどこまで保障しているかが問われなければならないであろうOそこで、

以下においては、直接民主制の制度と運用の側面を考えてみよう。

注(1) J. ‑ Ch. Maout et R. Muzellec, Le parlement sous la Ve republique, A. Colin, Paris, 1971, p.23.

(2) M. Duverger, lnst. pol. et dr. const., P. U. F. Paris, 1968, p.570.

(3) M.Duverger, Vers une nouvelle rgpublique? Le Monde du 22 au 28 mai 1969. Duverger 自身は大統領の直接選挙制を民主制に有効かつ安定した統治を付与するものとしてつとに支持し、国 家権力の中心が執行府におかれる現代、民主主義は執行府が直接人民から由来することを要求する‑

‑従って立法府の機能は必然的に監督・異議申立てないし要求に縮減される‑とみている(M.

Duverger, La gauche et le regime presidentiel, Le Monde du 4 au 10 aout 1966, p.6.) (4) M.Duverger, op. cit, Le Monde du 22 au 28 mai 1969.

(5) J. ‑M. Garrigou‑ Lagrange, Essai de rationalisation de la pratique reifirendaire de la Ve Rgpublique, R. D. P., 1969, p.683.

(6) M. Duverger, lnst. pol. et dr. const., pp.569, 570.

(7)ジョルジュ・ビュルドゥー‑松平・橋本共同構成「権力のドゴール的概念」政経論叢(36巻2号) 119頁。

(8) Conference de presse du ggnfiral de Gaulle, Le 31 Janvier 1964 au palais de V宜Iysfie, R. D. P., 1964,p.136.

(9) P. Pactet, op. citリp.157.

G. Burdeau, op. cit, p.140.

M. Debre, Ces princes qui nous gouvernent, 1957, pp.173, 174.

(12)レイモン・アロン‑曽村保信訳・自由の論理(荒地出版社、 1970年152頁。

(13)深瀬忠一「議会制民主主義の展開」現代の立法59頁o

P. Avril, Les francaise et leur parlement, Casterman, 1972, p.16.

(14)

(15)宮沢俊義「議会制の生理と病理」憲法と政治制度(岩波書店、 1968年) 36頁。

(16)丘douard Bonnefous, Crise des institutions : restaurer le contrdle parlementaire, R. P. P., n‑835, oct., 1972, p.17.

(17)レイモン・アロン・前掲書152頁。

Proposition de la loi constitutionnelle par M. Achille Peretti.

Les rapports entre l'Exgcutif et le Legislatif par Valfiry Giscard d'Estaing, R. P. P., n‑ 850 ; Le Monde 9 juillet 1974.

(20)杉原泰雄「市民憲法原理と現代」法律時報(46巻9号) 74頁

Jacques Robert, La presidentialisme parlementaire, Le Monde 7 jum 1974.

第3項  半直痩制の導入

20世紀フランスの民主主義の展開において最も注目すべき憲法現象の一つとして、第2戦後の 憲法体制の下で、 ( I )人民の憲法制定権力(le pouvoir constituant)を承認して国民投票を実施 し1945年10月21日  II憲法改正のような国政の基本事項について、憲法上、人民に決定権 を留保し(第4、第5共和制憲法) (in;さらに憲法改正だけでなく法律の制定にも国民投票を 拡張したこと(第5共和制憲法)が挙げられる。これら第2戦後憲法における一連の新たな憲法 事象は、フランスの代表民主制が大革命以来の古典的な純代表制(gouvernement reprgsentatif classique ou pur)から「半直接的代表制」 (gouvernement representatif semi‑direct) ‑移行し ていることを象徴している。既にこれ迄、第3共和制以後の代表制憲法体制と、その運用過程で の半代表制的政治生活の進化を検討してきたわれわれにとって、最後に第4、第5共和制憲法に おける国民投票制の導入による半直接制化の意義と特質、そしてそれが現代の代表制の運用に及 ぼす影響について解明を加えることが残されている。

その前提として、ごく簡単にしろ、憲法史の点検を施しておくことが必要であろう。また、

deGaulle治下10年後に起った1968年5月の「パリ5月革命」が提起したところの憲法上の意義 を考えてみることが必要であろう。特に後者の問題は、ひとロに言って、現代の文明、つまり既 成の社会構成のもつ非人開化、非個性化の抑圧に対する果敢な告発を意味するものと受けとめら れるが、そうだとすればそれはとりわけ既成秩序の一環としての憲法秩序‑人権保障制と国民 主権原理‑の不充分さに対する異議申立てを意味していたといえようo従って、われわれは、

この憲法運動の中に、 1968年の時点において政府、大学、政党、労働組合、学生その他の諸団体 が決定‑の参加、共同管理から政治体制の変革まで見透しての様々な項目や公式をさえ提起して いるのを見出す。われわれは、もとより、それらが過渡的な内容のものであることを認識しつつ も、国民投票的直接民主制の制度化と対比しながら、問題提起の意味を探ってみることが必要で あろう。

(I)憲法史の素描 憲法史上、直接民主制は、市民の全体としての人民に憲法改正や法律の制 定に参与することを認めた1793年のジャコバン憲法(58、 59条)を別にすれば、一般に不毛であ り、共和暦3年憲法(26条)、同7年憲法(95条)、第2帝制憲法(32条)、第4共和制憲法(3条) のごとく、せいぜい憲法改正に限ってこれを認めたに留まるものであった。現に、第1と第2帝 制期には国家元首によって憲法制定が人民に諮問されたが、それはプレビシット《plebiscite》

の性格の濃いものであって、 deGaulle将軍も正確にはレフェレンダム鮮gferendum》 とは反対

(15)

のものであると言明するほどのものであった。従って、長い憲法史的空自の後、第2戦後のフラ

リペラシオン

ンスで採用された国民投票制は、何といっても、 1940年6月18日以後1944年のいわゆる解放に至

フランス・リ‑ブル

る政治状況、とりわけ「自由フランス」 、 「自由フランス国民委員会」 (C.N.F.L.)、「全国レジ スタンス評議会」(C.N.R.)、 「フランス国民解放委員会」 (C.F.L.N.)等の指導者であった

コン7ェランス・ド・ブレス

deGaulleの憲法思想に腫胎するといってよいであろう1942年5月27日の記者会見において、

de Gaulleは彼の憲法思想を直裁に表明している。

「私自身も、私の知っている大多数のフランス人も、国民の主権と政府の共和形態を完全に回 復することに、固く決心しています。一一一民主主義とは私にとってまさに国民主権と不可分 のものです。民主主義とは人民による人民の政治のことであり、国民の主権とは束縛を受けず

BBafl!

に sans entrave人民が主権を行使することです。J u)と。

オルドナンス

解放後のフランスにおける公権力の組織に関する1944年4月21日の命令は、上記の憲法発言の

ス'アレヌマン

一つの法的結晶である。その第1条には「フランス人民は国の今後の諸制度を主権的に決定する」

と宣言されている(この命令はフランスに初めて婦人参政権を斉らしたことでも注目されるべき

レ7ェレンダム

である、同17条)。そして、翌1945年10月21日の国民投票は、 deGaulleを首席とするフランス共 和国臨時政府(G.P.R.F.)が、 1875年憲法の廃棄‑新憲法の制定(第1質問)、これが承認され る場合、新憲法案の採択迄の公権力の組織編成の是非(第2質問)を一括してフランス人民の投 棄に付したものである。投票の結果、 1940年以前の憲法制度の廃棄と公権力の組織編成が決定さ れ(第1質問賛成17,908,000く96.4%〉 、反対670,000、第2質問賛成12,291,000く66.3%) 、 反対6,298,000 )、 de Gaulleは共和国臨時政府大統領に選出された。この意味で、 「1945年の国 民投票」は、少くとも主権(制憲権)の行使の面で、議会の全能を人民の全能におき代え、伝統 的な議会主権に対して憲法史上画期的な根本的打撃を加え、そして人民主権によってフランスの

グラン・ツールナン

民主主義に門戸を開く「大きな転換」を画することになろう(2)。

ところが、その後deGaulleは憲法制定議会と衝突して政界を離脱する。これ以後、 1946年の いわゆる4月憲法草案は国民投票で否決され(同年5月5日) 、第2次制憲議会であらためて改 正案を国民投票に付し(同年10月13日)、辛うじて承認を受けたのが第4共和制憲法である。この 憲法は、従来の議会制伝統の上に、人民の直接的な主権行使を認めている。だが、それは、 「憲 法に関する事項」について、 「代表者の表決および国民投票を通じて、主権を行使する」(3条) ことに限定されている。しかも、憲法国民投票は、任意的のもので、国民議会が第2読会で3分 の2の多数で改正案を採択しまたは両議院が各々5分の3の多数でこれを議決したときは国民投 票は省略される(90条。 4月憲法草案の改憲国民投票は義務的であった)。これは明らかに伝統 的な「フランス流の考え」 (3)の表白であり、 「実効的な人民主権‑の遠慮深い復帰」(Burdeau)

と評すべきものである。現に、第4共和制の憲法改正は国民投票なしに実施せられた(1954年と 1958年)0

(2)第5共和制の半直接制 これに対して、第5共和制憲法は、人民が、国民の主権を「国民 投票の方法によって」 (par la voie du r牀f6rendum)行使する場合を、憲法事項のほか法律事項 にも拡大し、国民投票に重要な役割を認めている。

イニシアティヴ

( I )憲法改正国民投票は、大旨、第4共和制憲法の態度を継承している。 ①憲法改正の発議権 は大統領(内閣総理大臣の提案に基づく)と国会議員(国民議会議員と元老院議月)に競合して 帰属し(89条1項)、人民発案(1'initiative populaire)は認められない。 ②改正案(le projet ou la

(16)

proposition de revision)は両議院で同一条文により可決され、国民投票により最終的に承認され る(同条2項) 0 ③大統領は、改正案を国民投票に付することに代えて、両院合同会議(Cong‑

rgs)に召集された国会に付議することができる。この場合、改正案の承認には有効投票の5分の 3の多数を必要とする(同条3項)。改正案を両院合同会議に付議するこの略式手続は改正案が両 議院で可決された後、国民投票に付されるに際し、その手続に代えて行われるものである。国民 投票を実施するか合同会議を召集するかは大統領の裁量に委されているが、大統領によって召集 された合同会議が5分の3の多数で改正案を採択しない限り、投票に付される1960年6月4日 の共同体に関する憲法85条および86条の改正は89条2項により国民投票に付されたが、 1963年11 月13日の全期制に関する憲法28条の改正は、両議院で可決された改正案を大統領が合同会議に付 議することによって国民投票なしに行われた。このようにみてくると、憲法事項は、依然として、

代表原理が原則的に維持されていることが判る。 (5)従って、第5共和制のレフェレンダムはむし ろ法律国民投票制の導入に新味がある。

II)法律国民投票(r<5f<5rendum lggislatif)は、憲法史上1793年のジャコバン憲法に先例があ るが、その近因は何よりも1940年以後のリベラシォンの政治状況に膳胎する。解放後12年間政権 不在であったdeGaulleは、第5共和制発足によって政権に復帰するや、 1945年以来、人民は直 接制憲権を保持してきたとする憲法信条と、議会の全能の排除、強力行政府の樹立という一貫し

た憲法構想の下に、政府の共和形態、即ち人民による、人民の政治という民主制の原理(憲法2 条)と、人民が仲介者を排除して主権を行使しうる人民主権の原理(3条)を回復しようとした。

重要法案の国民投票付託を定めた憲法11条はこのようをドゴール構想の憲法的結晶であるとみな

ランピュエ

されている(Lampue)

憲法11条によると、 「共和国大統領は、官報に掲載された国会の会期中における政府の提案ま たは両議院合同の提案に基づいて、公権力の組織に関する法案、共同体の協定の承認に関する法 案、または憲法に違反しないが諸制度の運営に影響を及ぼしうる条約の批准を許可する法案のす べてを、国民投票に付すことができるoJ国民投票の提案権は国会会期中(「国会会期中」の要件は 憲法委員会の要求で追加されたもの)の政府または両議院合同にあるが(この提案は官報に掲載 される)、この提案の採否(発議)は大統領にある。大統領に与えられるこの国民投票付託権は、

非常事態措置権(16条)、議会解散権(12条)とともに、大臣の副署を要しないで行使されるとこ ろの固有権(pouvoirspropres)である。何れにしても、前記法文上注目すべきことは、国民投票 に付されるいわゆる国民投票法案(loi rgfgrendaire)は本条に列挙された事項の法案であること、

また憲法89条との関係からみて憲法の改正以外に行われる法案であるということである(国民投 票法案は国民の過半数の承認をえたとき、大統領によって法律として審著される)0

ところで、憲法11条の国民投票の対象となる法案のうち、「公権力の組織(l'organisatien des pouvoirs publics) 」に関する法案の性格や内容が法文の抽象性、不明確性のために、最広義には 憲法の定める公権力の組織を改正する法案が含まれる余地が生ずる点である。現に、「1962年10月

セ ナ    レジオン

28日施行の大統領直接普通選挙実施投票」と「1969年4月27日施行の元老院改革・地方制創設投票」

は、何れも憲法改正を目的とするにも拘らず(前者は憲法6条、 7条の改正、後者は憲法の元老 院および経済社会評議会に関する規定の改正)、 89条の憲法改正規定を排除し、11条によって国民 投票に付されている。

このうち、 1962年秋の国民投票は、付議事項の性質からみて、ゴーリスムの憲法統治が従来の 外政面から内政面に重点を移そうとする治政第2期の出発を画する政治的意義をもっていた。ド

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