﹃
万
善
同
帰
集
﹄
の
文
献
史
的
考
察
椎
名
宏
雄
一 明 治 四 四 年 、 ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ 六 巻 が ﹁大 日 本 卍 続 蔵 経 ﹂ の 禅 宗 部 に 編 入 し 刊 行 さ れ た が 、 そ の 翌 年 の 大 正 元 年 、 こ ん ど は ﹁浄 土 宗 全 書 ﹂ 第 六 巻 の 震 丹 諸 師 の 部 に 該 書 は 編 入 刊 行 さ れ て い る 。 こ の 相 次 ぐ 刊 行 が 偶 然 か 故 意 か は と も か く 、 い ず れ も わ が 宗 の 撰 述 書 と い う 意 識 に 立 つ 措 置 で あ っ た と み て よ い 。 そ れ ほ ど 、 ﹃宗 鏡 録 ﹄ 一 百 巻 の 撰 述 者 と し て 仏 教 界 に 燦 た る 地 位 に あ る 永 明 寺 知 覚 禅 師 延 寿 (九 〇 四 ∼ 九 七 五 ) の 著 作 は 、 宗 派 を 超 え て 注 目 さ れ て い た と い う べ き で あ ろ う 。 じ じ つ 、 衆 善 こ と ご と く 実 相 に 帰 す る こ と を 趣 旨 と し 、 禅 浄 一 致 の 立 場 か ら 一 一 四 の 問 答 体 で 論 旨 を 縦 説 横 説 す る 本 書 は 、 広 く 長 く 仏 教 界 に 支 持 さ れ 、 各 時 代 ご と に 多 く の テ キ ス ト が つ く ら れ て 流 布 し て き た 。 小 稿 で は 、 こ れ ま で な さ れ て い な い 本 書 の 成 立 と 流 布 状 況 に つ い て 、 文 献 史 的 な 整 理 と 若 干 の 考 察 を 意 図 す る も の で あ る 。 次 頁 に 本 書 の 刊 行 本 を 年 代 順 に 掲 げ て お こ う 。 中 に は 記 録 に よ っ て 知 ら れ る だ け で 、 現 存 未 詳 な も の も 含 め た 。 一 方 、 近 年 に お け る 大 蔵 経 の 各 種 影 印 本 は 省 略 し た 。 ま た 、 表 示 中 の 底 本 欄 に は 後 述 す る よ う な 研 究 的 見 地 か ら 記 入 し た が 、 容 易 に 決 め か ね る 場 合 は 空 欄 と し た 。 こ の よ う な 禅 籍 個 々 の 刊 行 表 作 成 に と っ て 、 ﹃ 禅 籍 目 録 ﹄ の 著 録 は 有 力 な 情 報 源 で は あ る が 、 今 日 と し て は 総 じ て 遺 漏 が 多 く 、 ま た 誤 認 も あ る か ら 、 異 版 の 多 い 重 要 な 禅 籍 ほ ど 、 同 目 録 に 依 存 す る の は 注 意 し な け れ ば な ら な い 。 本 書 の 場 合 も そ の 好 例 で あ る 。 表 示 し た よ う に 、 ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 刊 行 は 二 五 版 を か ぞ え る 。 お そ ら く 、 本 書 が 実 際 に 刊 行 さ れ た 回 数 は 、 こ れ に 倍 す る で あ ろ う が 、 古 版 類 の 多 く は 損 亡 し た も の と 考 え ら れ る 。 二 延 寿 の 伝 記 を 知 る べ き 資 料 は け っ し て 少 な く な い が 、 ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 成 立 時 期 に つ い て 語 る 資 料 は な い 。 本 書 に 冠 せ ら 印 度 學 佛 教 學 研 究 第 五 十 五 巻 第 二 号 平 成 十 九 年 三 月 二 二 一﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 二 一 、 ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 諸 版 本
れ る 古 い 序 文 に つ い て も 同 じ で あ る 。 と こ ろ が 、 こ こ に 重 要 な 手 が か り を 与 え る 資 料 が 現 わ れ た 。 そ れ は 、 ﹃北 京 図 書 館 古 籍 善 本 書 目 ﹄ 子 部 に 永 明 智 覚 禅 師 方 丈 実録一巻八三一 〇 (1 ) と 著 録 さ れ て い る 宋 版 の 稀 書 で あ る 。 該 書 は 、 か っ て 京 都 大 学 の 齋 藤 智 寛 氏 が 北 京 図 書 館 か ら 複 写 さ れ て い た 。 こ れ を 筆 者 が 見 せ て い た だ い た と こ ろ 、 驚 く べ し 、 霊 芝 元 照 が 延 寿 の 詳 伝 を 編 集 し 、 自 序 を 付 し て 刊 行 し た 古 文 献 で あ る こ と が 判 明 し た 。 元 照 研 究 の 専 著 、 佐 藤 成 順 氏 の ﹃ 宋 代 仏 教 の 研 究 ︱ 元 照 の 浄 土 教︱ ﹄(2) に も 関 説 さ れ ぬ 新 出 文 献 で あ る 。 た だ 、 惜 し む ら く は 末 尾 に 近 い 部 分 以 後 を 欠 く が 、 そ れ で も 文 中 に は 従 来 未 知 の 記 事 が 多 く 、 延 寿 の 並 は ず れ た 信 仰 と 学 問 の 素 養 を 知 る べ き 必 須 の 貴 重 資 料 で あ る 。 い ま 注 目 す べ き は 、 現 存 部 分 の 末 尾 に ち か く 、 延 寿 が ﹃ 心 賦 ﹄ を 著 し て 自 註 を つ け た ﹃ 註 心 賦 ﹄ を 刊 行 し 、 つ い で ﹃宗 鏡 録 ﹄ 百 巻 を 製 し て 呉 越 の 忠 懿 王 が 一 〇 部 を 書 写 さ せ た こ と を 述 べ な が ら 、 ま だ ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ に は 関 説 し て い な い 。 こ の 事 実 は 、 該 書 の 撰 述 が ﹃ 註 心 賦 ﹄ や ﹃ 宗 鏡 録 ﹄ よ り も の ち 、 つ ま り 延 寿 の 晩 年 で あ っ た こ と を 示 唆 す る も の で あ ろ う 。 し か し 、 本 書 は ﹃ 註 心 賦 ﹄ と は 異 な り 、 ﹃ 宗 鏡 録 ﹄ と と も に 延 寿 の 生 前 中 に は 刊 行 さ れ な か っ た よ う で あ る 。 そ の 初 刊 は 、 お そ ら く は 沈 振 の 序 文 が 付 せ ら れ た 煕 寧 五 年 ( 一 〇 七 二 ) の と き で あ り 、 ﹃ 宗 鏡 録 ﹄ と 同 じ く 没 後 約 一 世 紀 の の ち で あ っ た 。 沈 振 の 序 は 古 本 の ③ 南 宋 版 と 、 正 蔵 本 が 底 本 と す る ⑦ 成 化 本 の 巻 首 に 保 存 さ れ て い る た め 、 わ れ わ れ は 正 蔵 本 に よ っ て 容 易 に み る こ と は で き る 。 し か も 、(25) で は 国 訳 さ れ て い る 。 た だ し 、 こ の 序 は き わ め て 難 解 で あ る 上 に 、 本 書 の 刊 行 に 言 及 す る 末 尾 の 部 分 は 正 蔵 本 に は 二 、 三 の 誤 字 が あ り 、 国 訳 本 で は さ ら に 脱 字 や 誤 読 が は な は だ し く 、 意 味 不 明 と 化 し て い る 。 そ こ で 、 改 め て 南 宋 版 に よ っ て 、 当 該 部 分 を 訓 読 し て 示 そ う 。 ⋮ ⋮ 今 、 法 慧 院 の 智 如 蔵 主 は 、 夙 資 よ り 仁 性 く 、 躬 し く 聖 猷 を 践 み 、 賢 を 見 れ ば 同 じ く 己 れ も 賢 を 之 し 、 善 を 見 れ ば 同 じ く 己 れ も 善 を 之 す 。 明 師 の 論 護 を 捲 て 、 異 世 の 楷 撫 と 興 す 。 福 利 の 茲 れ 深 く れ ば 、 方 便 も 少 な か ら ず 。 而 で 又 た 自 ら 嚢 楮 を 傾 け 、 遽 か に 財 貿 を 出 し 、 肇 に 侶 率 を 之 れ 隆 ん に 為 し 、 傍 て 高 明 の 助 を 募 る 。 勝 縁 の 既 に 集 れ ば 、 能 事 は 必 ず 行 わ る べ し 。 因 で 版 に 鎖 み 、 以 て 編 と 成 す 。 ⋮ 右 文 に よ っ て 、 法 慧 院 の 智 如 蔵 主 に よ る 道 念 が 、 本 書 の 初 刻 を 実 現 さ せ た こ と を 知 る 。 智 如 は 未 詳 で あ る が 、 法 慧 院 に つ い て は 臨 済 宗 黄 龍 派 三 世 で 四 明 阿 育 王 寺 を 董 し た 無 蜴 浄 曇 ( 一 〇 九 一 ∼ 一 一 四 六 ) が 、 晩 年 に 臨 安 府 法 慧 に 住 し て い る 。 ま た 、(3) 同 じ く 黄 龍 派 四 世 の 人 に 臨 安 府 法 慧 沖 が い る 。 そ こ で 臨 む 安 の 古 志 を 繙 く と 、 ﹃ 咸 淳 臨 安 志 ﹄ 巻 七 七 に ﹁ 西 林 法 恵 寺 ﹂ の 名 が 目 を 引 く 。 乾 徳 元 年 (九 六 三 ) に 忠 酪 王 が 建 て た 寺 で 、 大 中 祥 符 中 に こ の 寺 名 に な っ た と い う 。(4) ﹁慧 ﹂ と ﹁恵 ﹂ は 互 用 さ れ る こ と が 多 い か ら 、 こ の 寺 が 浄 曇 の 住 地 で あ ろ う 。 ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 三
﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 四 一 方 、 右 の 序 文 撰 者 の 沈 振 に つ い て は 、 ﹃嘉 泰 呉 興 志 ﹄ 巻 一 ( 5 ) 七 に 皇 祐 五 年 ( 一 〇 五 三 ) の 進 士 と し て 名 を 連 ね る 沈 振 が そ の 人 で あ ろ う 。 序 の 撰 者 名 に は 長 い 肩 書 き が 付 せ ら れ る が 、 そ の 中 の ﹁長 興 県 開 国 食 邑 ﹂ な る 長 興 県 は 漸 江 湖 州 府 に 属 す る 。 こ の よ う な 関 係 か ら み る と 、 本 書 は お そ ら く 臨 安 府 (杭 州 ) の 法 慧 院 か ら 初 め て 刊 行 さ れ た の で は な い で あ ろ う か 。 そ れ は 延 寿 の 住 地 で も あ り 、 開 版 に は ふ さ わ し い 場 所 で あ っ た 。 功 労 者 の 智 如 蔵 主 と 沈 振 と は 親 交 が 深 か っ た の で あ ろ う 。 初 刊 の 北 宋 版 は 広 く 仏 教 界 の 渇 を 癒 し た と 思 わ れ る が 、 今 に 伝 わ ら な い 。 伝 存 す る 最 古 の テ キ ス ト は ② の 金 蔵 本 で あ る 。 金 蔵 本 に つ い て は 、 蒋 唯 心 氏 の ﹁広 勝 寺 大 蔵 経 簡 目 ﹂ に よ れ ば 最 終 函 に 置 か れ 、 左 の 記 載 が あ る 。 六 八 二 帖 (幾 ) 万 善 同 帰 集 三巻( 6 ) 蒋 氏 は 、 全 七 千 巻 に お よ ぶ 金 蔵 の 棹 尾 を か ざ る 最 終 巻 に 本 書 が 置 か れ た の は 大 蔵 完 成 に よ る 功 徳 円 満 の 意 を 示 す た め 、 ( 7 ) と 解 説 し て い る 。 と ま れ 、 こ の 金 蔵 本 は 北 京 版 ﹁中 華 大 蔵 経 ﹂ (漢 文 部 分 ) 第 一 〇 五 冊 中 に 影 印 収 録 さ れ 、 は じ め て そ の 全 貌 が 知 ら れ た 。 こ の ﹁中 華 大 蔵 経 ﹂ は 金 蔵 を 底 本 と す る が 、 本 書 は 巻 中 だ け の 零 本 で あ る た め 、 ⑯ 清 蔵 本 の 全 文 と 金 蔵 本 と を 共 に 影 印 し て い る 。 の み な ら ず 、 前 者 は ⑫ 嘉 興 蔵 本 で 対 校 し た 校 注 を も 収 録 す る の で 、 こ こ で は 期 せ ず し て 本 書 の 三 本 が 知 ら れ る わ け で あ り 、 学 術 的 な 価 値 は 高 い 。 金 蔵 本 は 巻 中 の 首 四 丁 を 欠 き 、 第 五 丁 か ら 巻 末 の 第 二 七 丁 ま で を 現 存 す る 。 一 紙 37 行 × 21 字 の 行 格 は 、 23 行 × 14 字 の 金 蔵 か ら は 大 巾 に 異 な る 。 金 蔵 中 に は 中 国 撰 述 書 の 中 で 他 に も 異 版 が あ り 、 蒋 氏 は こ れ は 単 行 版 を 入 蔵 さ せ た た め に 不 揃 い に な っ た 結 果 と 推 考 さ れ て い る 。(8) と す れ ば 、 本 書 の 金 蔵 本 は 元 来 は 民 間 刊 行 の 未 知 の 宋 版 で あ っ た の か も し れ な い 。 金 蔵 本 最 大 の 特 徴 は 、 巻 末 に 詳 細 な 音 釈 を 刻 記 す る 点 で あ る 。 こ れ は の ち の ③ 南 宋 版 や ⑦ 成 化 本 と 異 な る 独 特 の も の 。 本 文 の 文 字 は 、 こ れ に 反 し て 他 本 と ほ と ん ど 異 な る と こ ろ が な い 。 つ ま り 、 本 書 は 北 宋 代 の 初 刊 の 際 に 厳 密 な 校 訂 が な さ れ 、 初 め か ら 善 本 の テ キ ス ト が 提 供 さ れ て い た と 推 考 さ れ る 。 ③ の 南 宋 版 と し た も の に つ い て は 、 従 来 ま っ た く 未 紹 介 の 文 献 で あ る 。 本 版 は 千 葉 県 我 孫 子 市 正 泉 寺 の 所 蔵 で あ る が 、 も と 大 同 博 物 館 に 宋 版 と し て 伝 え ら れ 、 ゆ え あ っ て 昭 和 初 期 に 正 泉 寺 の 所 蔵 と な っ た と い う 天 下 一 版 の 稀 覯 文 献 で あ る 。 本 版 の 書 誌 を 簡 単 に 記 す と 、 三 巻 (上 中 下 ) 一 冊 の 線 装 本 (25.8cm ×17.6cm ) 。 本 紙 は 薄 手 の 唐 紙 で 、 四 周 双 辺 、 有 界 、 一 〇 り ユ 行 × 二 一 字 。 版 心 は 上 下 共 細 黒 口 、 両 魚 尾 、 ﹁〇 萬 善 上 二 の よ う に 刻 す 。 末 尾 欠 丁 。 総 偈頌 の 首 三 句 だ け で 以 下 を 欠 く 。 全 文 に 句 点 ﹁。 ﹂ を 付 す 。 文 字 は 書 写 体 で や わ ら か く 、 大 き な 曲 線 を つ く り 、 総 じ て 南 宋 ∼ 元 の 刻 字 的 特 徴 を 示 す 。 摺 刷 は か な り 後 の 刷 り で 補 刻 の 丁 も 多 い 。 初 刻 時 の 刻 工 名 は な い
が 、 補 刻 部 分 の 版 心 に は ﹁顧 普 欽 ﹂ な ど 五 名 の 刻 工 名 が み え る 。 し か し 、 先 学 の 刻 工 名 表 の 類 に 照 ら し て も 、 み な 時 代 や 地 域 を 判 定 す る 資 料 に は な ら な い 。 欠 画 も み ら れ な い 。 本 文 の 巻 首 に は 前 述 の 沈 振 序 を 付 し 、 各 巻 末 に は 音 釈 を 置 く 。 音 釈 は ② 金 蔵 本 の そ れ よ り は 簡 略 な が ら 、 ⑫ 嘉 興 蔵 本 以 降 の 諸 本 よ り は 詳 し い 。 巻 末 は 欠 損 の た め 刊 記 な ど は 不 明 で あ る が 、 さ い わ い に も 巻 上 の 末 尾 に 左 記 の 施 財 記 が み ら れ る 。 漏 澤 寺 比 丘 志 砒 志 閾 志 暖 / 文 樺 □ 鎧 共 捨 財 刊 比 巻 所 有 功 徳 上 答 / 四 恩 下 資 三 有 惟 翼 世 出 世 間 不 離 比 丘 / 形 常 脩 菩 薩 行 永 無 退 転 直 至 菩 提 者 比 丘 た ち の 名 は 未 詳 で あ る が 、 漏 澤 と い う 特 徴 あ る 寺 名 は 、 か っ て 浙 江 省 北 部 の 嘉 興 に 存 在 し た 。 す な わ ち 、 こ の 寺 は 唐 宋 か ら 何 度 も 名 称 を 易 え 、 明 末 に は 兵 火 で 焼 け 、 清 初 に は 密 蔵 道 開 が 復 興 し た 。(9) ﹃ 至 元 嘉 禾 志 ﹄ 巻 一 一 に よ れ ば 、 崇 寧 三 年 ( 一 一 〇 四 )(10) に 陳 舜 兪 の 孫 が 開 基 し た 県 東 の 漏 澤 院 も こ の 寺 で は な い か と 思 わ れ る 。 嘉 興 は 延 寿 の 住 地 で あ り 、 本 書 の 初 刊 地 と 目 さ れ る 杭 州 か ら は 比 較 的 ち か い 。 ゆ え に 、 こ の 南 宋 版 も ま た 嘉 興 か 杭 州 か ら 刊 行 さ れ た の で は な い か 。 両 地 と も 宋 代 刻 本 で は 名 の 知 ら れ た 地 域 で あ る 。(11) と も あ れ 、 本 版 に は 多 く の 補 刻 が 加 え ら れ る ほ ど 当 時 は 需 要 が 盛 ん で あ っ た 。 ち な み に 、 南 宋 時 代 の 蔵 書 目 と し て 知 ら れ る ﹃ 遂 書 堂 書 目 ﹄ ( 12 ) (∼ 一 一 九 四 ) に ﹁ 万 善 同 帰 ﹂ の 著 録 が み ら れ る 。 尤 袤 が 無 錫 (江 蘇 ) で 所 蔵 し た こ の 蔵 書 は 、 前 掲 ① か ③ の い ず れ か の 版 で あ っ た 可 能 性 が 高 い 。 次 に ④ の 元 版 に つ い て は 、 明 末 の 蔵 書 目 で あ る ﹃ 宝 文 堂 書 目 ﹄(13) ( 一 五 二 二 ∼ 六 七 編 ) に ﹁万 善 同 帰 元 刊 ﹂ と あ る こ と に よ っ て 知 ら れ る 。 内 容 が 不 明 な の は 遺 憾 で あ る が 、 本 書 の 元 版 の 著 録 と し て 貴 重 で あ る 。 ⑤ の 洪 武 南 蔵 本 に つ い て は 、 呂 激 氏 の 調 査 報 告 で は 本 書 の 収 録 を 紹 介 し て い な が ら 、 一 九 九 九 年 の 洪 武 南 蔵 影 印 中 に 含 ま れ て い な い た め 、 散 失 し た の で は な い か と 思 わ れ る が 、(14) こ れ も 初 入 蔵 本 と み ら れ る だ け に 残 念 で あ る 。 ⑥ の 宣 徳 本 と し た も の は 、 ⑦ の 成 化 本 に よ っ て 判 明 す る 刊 本 で あ る が 、 現 蔵 状 況 に つ い て は 未 詳 。 成 化 本 は か な り の 所 在 が 知 ら れ て は い る が 、(24) の 正 蔵 本 は 増 上 寺 蔵 本 を 底 本 と し ⑪ 正 保 本 で 対 校 し て い る か ら 、 両 本 の 内 容 と 相 違 が 知 ら れ る 点 で 、 本 書 の 文 献 研 究 に と っ て 有 益 な テ キ ス ト 提 供 で あ る 。 ま た 、 成 化 本 に つ い て は ﹃北 京 図 書 館 古 籍 善 本 書 目 ﹄ に 万 善 同 帰 集 三 巻 〇 九 五 二 (15 ) と 著 録 さ れ 、 簡 単 な が ら 書 誌 的 事 項 が 判 明 す る 。 成 化 本 の 貴 重 性 は 、 何 と い っ て も(一) 沈 振 の 序 、(二) 徳 儀 の 識 語 、(三) 如 沓 の 識 語 、 と い う 三 資 料 を 付 し て い る こ と に あ る 。 (一) に つ い て は す で に の べ た 。(二)(三) と も に 正 蔵 本 で み ら れ る か ら 、 こ こ で は 文 を 掲 げ な い 。 た だ 、(二) で 宣 徳 四 年 ( 一 四 二 九 ) の 徳 儀 に よ る 識 語 に 列 挙 さ れ る 大 勢 の 施 財 者 の 僧 名 は 、 精 厳 ﹃万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 五
﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 六 講 寺 と 真 如 本 山 の 者 が 主 で あ り 、 ま た の の 成 化 一 四 年 ( 一 四 七 八 ) 真 如 講 寺 如 丞 に よ る 識 語 は 、 四 明 の 王 鴻 が 捨 財 助 刊 し て 重 刊 し た 際 の も の 。 ﹃ 至 元 嘉 禾 志 ﹄ に よ れ ば 、 精 厳 寺 も 真 如 寺 も 嘉 興 の 古 刹 で あ る 。(16) 徳 儀 は 時 の 真 如 寺 住 持 と 思 わ れ 、 ま た 、(17) 王 鴻 は 石 灰 山 関 (南 京 ) 税 大 使 の 人 と し て 知 ら れ る 。 つ ま り 、 ま ず 宣 徳 四 年 に 真 如 寺 か ら 本 書 が 刊 行 さ れ 、 そ の 四 九 年 後 に 同 寺 の 如 沓 が 重 刊 し た の が 成 化 本 で あ る 。 如 丞 巳 は ﹃禅 宗 正 脈 ﹄ や ﹃ 禅 門 宝 訓 ﹄ の 編 者 で あ り 、 多 く の 禅 籍 刊 行 者 と し て 知 ら れ る が 、 本 書 で も 文 献 史 上 の 功 労 者 で あ っ た 。 ⑧ の 北 蔵 本 は 永 楽 北 蔵 に 未 入 蔵 で あ っ た が 、 明 末 の 万 暦 一 二 年 ( 一 五 八 四 ) に 四 一 函 が 続 入 蔵 し た 際 に 含 ま れ た も の 。 大 陸 の 所 蔵 し か 知 ら れ ぬ 現 在 、 筆 者 は ま だ 閲 覧 の ⋮機 会 を え な い が 、 ﹃ 大 明 三 蔵 聖 教 北 蔵 目 録 ﹄ 巻 四 や ﹃ 閲 蔵 知 津 ﹄ 巻 四 二 な ど の 記 載 に よ っ て 、(18) こ の 北 蔵 本 は ﹁史 ﹂ 函 に 六 巻 二 帖 が 収 め ら れ て い た と わ か る 。 六 巻 本 は 三 巻 本 に く ら べ て 上 中 下 を 各 二 巻 ず つ に 開 い た だ け で あ る が 、 そ の 祖 本 は 洪 武 南 蔵 本 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 な お 、 万 暦 北 蔵 の 続 蔵 部 分 四 一 函 は そ の ま ま 万 暦 南 蔵 の 続 蔵 部 分 に 含 ま れ た と さ れ る が 、 内 容 は 同 一 と み ら れ る の で 、 こ こ で は 特 に 別 本 と し て は 扱 わ な い 。 ⑨ の 万 暦 本 は 、 ⑪ の 正 保 本 に よ っ て の み 知 ら れ る 刊 本 で あ る 。 ⑩ の 承 天 寺 本 は 、 目 下 知 ら れ る 天 下 一 本 が 内 閣 文 庫 に 所 蔵 さ れ る 。 巻 末 に ﹁ 温 陵 承 天 寺 比 丘 通 顕 会 集 / 寺 衆 損 資 及 普 化 善 信 助 / 縁 鐫 刻 完 成 板 鎮 蔵 経 堂 / 万 暦 戊 午 歳 四 月 仏 誕 日 謹 識 ﹂ と あ る 刊 記 に よ り 、 万 暦 四 六 年 ( 一 六 一 八 ) に 温 陵 承 天 寺 通 顕 が 衆 縁 を 募 っ て 同 寺 か ら 刊 行 し た も の 。 温 陵 は 難 解 で あ る が 、 安 徽 省 南 陵 県 か 江 蘇 省 秣 陵 か の い ず れ か で あ ろ う 。 こ の テ キ ス ト に 前 付 さ れ る 序 文 は 他 に み ら れ な い の で 、 つ ぎ に 全 文 を 引 い て お く 。 万 善 同 帰 集 叙 自 空 王 氏 、 以 一 真 演 教 、 権 実 並 施 。 卑 者 縛 粘 莫 解 、 高 者 貢 高 我 慢 、 堅 出 無 期 、 此 何 以 故 。 譬 田 舎 人 、 見 人 以 塩 着 種 種 菜 、 謂 是 塩 糞 、 他 日 抄 塩 食 之 、 鹹 苦 傷 口 。 彼 耽 空 之 夫 、 何 以 異 此 。 如 来 設 教 、 空 日 真 空 、 有 日 妙 有 。 悲 智 双 修 、 事 理 兼 済 、 豈 徒 云 悟 便 無 事 筏 、 悲 為 我 輩 設 哉 。 令 之 禅 人 、 薄 法 律 門 、 棄 脩 持 義 、 山 河 殞 於 口 角 、 正 果 成 於 立 談 、 以 斯 自 誤 、 亦 復 誤 人 。 其 為 正 法矛 轟 、 良 不 浅 矣 。 永 明 寿 師 、 万 善 同 帰 一 集 、 真 是 末 学 砥 鍼 、 向 上 梯 筏 。 悟 者 謂 之 葛 藤 、 迷 者 謂 之 宝 炬 。 未 升 光 音 天 、 而 云 宝 炬 無 功 、 吾 未 之 信 。 宝 雲 経 云 、 善 男 子 起 我 見 、 積 如 須 弥 。 莫 以 空 見 、 起 増 上 増 。 所 以 者 何 。 一 切 諸 見 、 以 空 得 脱 。 若 起 空 見 、 則 不 可 治 。 鳴 呼 、 逗 漏 尽 矣 。 寿 禅 師 、 幼 為 小 吏 、 盗 庫 銭 放 生 、 死 無 所 怖 。 是 集 也 、 又 盗 却 三 千 大 千 世 界 、 置 諸 無 異 国 土 矣 。 不 識 、 還 有 感 恩 者 否 。 萬 暦 戊 午 秋 八 月 朔 日 秣 陵 丁 明 登 薫 沐 頓 首 誤 右 の 序 文 中 に は 、 底 本 な ど に つ い て の 所 説 は み ら れ な い 。 ま た 、 撰 者 の 丁 明 登 に つ い て も 目 下 の と こ ろ 徴 し え な い が 、 肩 書 き の 秣 陵 は 南 京 市 東 南 の 県 名 で あ る 。 ま た 、 こ の 版 本 の
刻 工 は 序 文 第 一 紙 の 版 心 に ﹁ 藥 俊 刻 ﹂ と み え 、 こ の 人 が 全 巻 を 離 造 し た と 思 わ れ る が 、 こ の 名 は 、 嘉 靖 年 間 に 閲 の 人 で 万 暦 四 〇 年 ( 一 六 一 二 ) に は な お ﹃ 重 修 泉 州 府 志 ﹄ の 雖 造 に 参 加 し た と さ れ る 人 と 同 名 で あ る 。(19) も し も 本 版 の 刻 工 が こ の 人 と 同 一 人 物 で あ れ ば 、 本 版 は 福 建 地 方 で 重 要 な 典 籍 の 刊 行 に 従 事 し た 名 工 に よ る 最 晩 年 の 作 品 と い う こ と に な ろ う 。 底 本 に 関 す る 語 句 は み ら れ な い が 、 嘉 興 の 古 版 か ⑨ 万 暦 本 の い ず れ か で あ ろ う 。 こ の 点 、 承 天 寺 本 は 内 題 次 行 の 著 者 標 示 、 行 格 な ど が ⑪ 正 保 本 と 一 致 す る 。 沈 序 が な く 、 ﹁ 永 明 寿 禅 師 垂 誠 ﹂ を 付 刻 す る 特 徴 も 同 じ 。 正 保 本 は 後 述 す る よ う に ⑨ 万 暦 本 を 底 本 と す る 。 し た が っ て 、 承 天 寺 本 も ま た 万 暦 本 が 底 本 と み て よ い で あ ろ う 。 以 上 が 古 版 類 の 特 徴 で あ る 。 三 各 本 の 系 統 を 知 る べ き 底 本 の 詮 索 は 、 当 然 な が ら 研 究 的 な 作 業 を と も な う 。 か く し て 、 本 書 の 主 要 な テ キ ス ト に つ き 、 内 容 項 目 や 書 誌 を 対 照 し た の が 第 二 表 で あ る 。 さ ら に 、 す で に 前 述 し た 撰 者 名 の 標 示 に つ い て も 、 各 本 間 に は 四 種 の 別 が あ る の で 、 こ れ も あ わ せ て 掲 げ て お く 。 さ て 、 本 邦 の 初 刻 と み ら れ る ⑪ の 正 保 本 に は 、 巻 首 に ﹁南 屏 宗 鏡 堂 主 人 ﹂ の 肩 書 き で 虞 淳 煕 に よ る 万 暦 二 〇 年 ( 一 五 九 二 ) の ﹁重 刻 万 善 同 帰 集 引 ﹂ を 付 し て い る の は 貴 重 で あ る 。 文 は(25) が 訓 読 を し て い る の で 、 あ え て 掲 げ な い 。 虞 淳 煕 に つ い て は 、(20) 光 緒 本 ﹃ 勅 建 淨 慈 寺 志 ﹄ 巻 二 八 の 墓 誌 銘 に よ れ ば 、 晩 年 は 浄 慈 寺 に 隠 棲 し て 風 月 を 愛 し た 明 末 の 居 士 的 な 貧 儒 で あ っ た 。 ﹃ 淨 慈 寺 志 ﹄ 中 に は 多 く の 詩 文 が 散 見 さ れ る 。 当 該 の ﹁重 刻 引 ﹂ は 、 万 暦 二 〇 年 に 延 寿 ゆ か り の 南 屏 山 浄 慈 寺 宗 鏡 堂 か ら 、 お そ ら く 本 書 を 刊 行 し た 際 に 冠 し た 一 文 と み て よ い 。 万 暦 二 〇 年 刊 本 の 所 在 は 、 筆 者 は 寡 聞 に し て 知 ら な い 。 し か し 、 こ の ﹁重 刻 引 ﹂ の 遺 存 に よ り 正 保 本 の 底 本 が 知 ら れ る の み な ら ず 、 さ き の ⑩ 承 天 寺 本 も ま た 万 暦 二 〇 年 本 に 依 る こ と が 知 ら れ 、 さ ら に ﹁重 刊 ﹂ の 二 字 が そ の ま た 幻 の 一 本 を 教 え る な ど は 、 古 書 の 文 献 史 上 に お け る 貴 重 な 事 例 と い え る 。 な お 、 後 の ⑲ 天 保 本 は 未 見 で あ る が 、 正 保 本 と 同 じ 版 元 の 村 上 平 楽 寺 刊 本 で あ る か ら 、 先 行 本 の 流 行 に よ る 板 木 の 磨 滅 に よ り 、 一 八 五 年 ぶ り に 改 版 し た も の で あ ろ う 。 筆 者 の 蔵 す る 正 保 本 に は 貞 享 三 年 ( 一 六 八 六 ) の 書 込 み が あ る が 、 本 文 は す で に 磨 滅 が み ら れ 、 印 造 の 度 数 が 偲 ば れ る の で あ る 。 ⑫ の 嘉 興 蔵 本 は 、 清 初 の 康 煕 二 年 ( 一 六 六 三 ) に 嘉 興 府 楞 厳 寺 般 若 堂 か ら 開 版 さ れ た 蔵 経 本 で あ る 。 底 本 は ⑤ 洪 武 南 蔵 ← ⑧ 万 暦 北 蔵 本 ← ⑫ と 承 け た の で あ ろ う が 、 後 の わ が 近 代 の 活 字 本 へ の 影 響 は き わ め て 大 き い 。 そ の 一 つ で あ る ⑬ の 黄 檗 本 は 、 各 所 の 調 査 目 録 に よ る と 、 当 初 は 三 巻 本 が 入 蔵 し 後 に は 六 巻 本 と な っ た こ と が 知 ら れ る 。 前 者 は ⑪ の 町 版 が 、 後 者 ﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 七
﹃ 万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 八 二 、 主 要 本 の 内 容 項 目 対 照 ○ 杭 州 慧 日 永 明 寺 智 覚 禅 師 延 寿 述 ⋮ ・-③ ⑦ ⑫ ⑰(21)(22)(23)(24) ⑳ ○ 宋 杭 州 慧 日 永 明 寺 主 智 覚 禅 師 延 寿 集 ⋮ ⋮ ⑩ ⑪(25) ○ 妙 円 正 修 智 覚 永 明 寿 禅 師 述 ⋮ ⋮ ⑭ ⑯ ⑬ ○ 妙 円 正 修 智 覚 永 明 寿 禅 師 集 ⋮ ⋮ ⑮ は ⑫ の 嘉 興 蔵 本 が 、 そ れ ぞ れ 底 本 に な っ た と み ら れ る 。 後 者 か る 。 ⑰ の 貝 葉 本 は 前 者 の 三 巻 本 の 後 刷 で あ ろ う 。 は 底 本 の 刊 記 だ け を 省 い た 六 巻 三 冊 本 が 松 ヶ 岡 文 庫 に 所 蔵 さ ⑭ の 雍 正 本 は 、 仏 教 に 帰 依 し た 清 の 世 宗 雍 正 帝 が 、 自 ら 雄 れ る が 、 こ の 本 は 識 語 と 旧 蔵 印 と に よ り 、 宝 暦 元 年 ( 一 七 五 渾 な 行 書 体 と し た 二 色 刷 り の 序 を 巻 首 に も つ 官 版 の 大 型 豪 華 一 ) に は 名 古 屋 大 須 の 名 刹 、 萬 松 寺 の 所 蔵 で あ っ た こ と が わ 本 で 、 本 書 六 巻 と ﹃ 註 心 賦 ﹄ 四 巻 と の 合 刻 。 本 文 も 行 格 も ⑫
嘉 興 蔵 本 と 等 し く 、 そ の 底 本 関 係 を 示 唆 し 、 ま た 後 の ⑮ ⑯ ⑱ の 底 本 と な る な ど 、 本 書 の 文 献 史 上 で 重 要 な 地 位 を 占 め る 。 わ が 近 代 の 活 字 本 で は 、 ⑳ の 縮 蔵 本 は 底 本 を 明 本 と 明 示 す る 。 実 際 は 黄 檗 蔵 本 か も 知 れ な い が 、 と に か く ⑫ の 系 譜 に 入 る 。 ⑳ の 続 蔵 本 は 、 校 注 で 指 摘 す る 本 文 文 字 は ⑫ と 一 致 す る 。 巻 数 や 音 釈 、 撰 者 標 題 な ど も 同 じ 。 し か し ⑫ の 刊 記 は な く 、 雍 正 帝 の 序 を 巻 首 に 置 く 。 し た が っ て 、 本 文 は ⑫ に 依 っ て 刊 記 を 省 き 、 ⑭ の 雍 正 本 か ら 序 文 を 採 っ た 編 集 本 か 。 編 集 本 と い え ば 、(22)(24)(25) は み な 編 集 さ れ た テ キ ス ト で あ る が 、(24) 正 蔵 本 は 比 較 的 古 本 を 底 本 と 対 校 本 に し た 点 、 資 料 的 に は も っ と も 価 値 が 高 い 。 た だ し 、 本 文 の 前 後 に 付 け ら れ て い る 諸 記 事 の 理 解 に は 、 上 述 し て き た 各 本 の 文 献 史 を 知 る べ き で あ る 。(25) の 国 訳 本 は 、 近 世 の 版 本 を 底 本 に 他 の 数 種 を 参 照 し た の は 多 と す る が 、 前 述 の よ う に 訓 読 そ の も の に 問 題 が あ る か ら 、 学 究 者 は 安 易 に 依 用 す べ き で は な い 。 テ キ ス ト 類 は 決 し て ﹁万 善 ﹂ で は な い の で あ る 。 1 北 京 、 書 目 文 献 出 版 社 、 一 九 八 七 年 七 月 。 一 六 一 二 頁 。 2 東 京 、 山 喜 房 仏 書 林 、 平 成 一 三 年 四 月 。 3 無竭 淨 曇 は ﹃ 嘉 泰 普 燈 録 ﹄ 巻 七 ( Z 七 九-三 三 五 b ) 、 法 慧 沖 は 同 目 録 上 (同-二 八 〇 b ) 。 4 ﹃ 宋 元 地 方 志 三 十 七 種 ﹄ 七 ( 台 北 、 国 泰 有 限 公 司 、 一 九 八 〇 年 一 月 ) 四 六 〇 二 頁 b 。 5 前 項 書 、 一 一 、 六 八 七 一 頁 a 。 6 ﹃ 宋 蔵 遺 珍 叙 目 ﹄ (上 海 、 影 印 宋 版 蔵 経 会 、 一 九 三 六 年 五 月 ) 付 録 、 三 五 丁 a 。 7 前 項 書 、 六 丁 b 。 8 同 、 七 丁 a 。 9 明 復 編 ﹃ 中 国 仏 学 人 名 辞 典 ﹄ (台 北 、 方 舟 出 版 社 、 民 国 六 三 年 一 二 月 ) 附 件 (三 ) 、 一 四 五 頁 。 10 前 掲 注 書 4 、 一 二 、 七 四 四 九 頁 a 。 11 張 秀 民 ﹃ 中 国 印 刷 史 ﹄ (上 海 、 人 民 出 版 社 、 一 九 八 九 年 九 月 ) 、 顧 志 興 ﹃ 浙 江 出 版 史 研 究 ︱ 中 唐 五 代 両 宋 時 期 ︱ ﹄ (杭 州 、 浙 江 人 民 出 版 社 、 一 九 九 一 年 五 月 ) 等 を 参 照 。 12 拙 著 ﹃宋 元 版 禅 籍 の 研 究 ﹄ (東 京 、 大 東 出 版 社 、 一 九 九 三 年 八 月 ) 四 三 二 ∼ 三 頁 を 参 照 。 13 前 項 書 、 四 七 三 頁 を 参 照 。 14 拙 稿 ﹁洪 武 南 蔵 の 入 蔵 禅 籍 ﹂ (﹃ 駒 澤 大 学 禅 研 究 所 年 報 ﹄ 第 一 七 号 、 二 〇 〇 六 年 三 月 ) を 参 照 。 15 前 掲 注書 1 、 一 六 一 一 頁 。 16 前 掲 注 書 4 、 一 二 、 七 四 四 〇 頁 、 及 び 七 四 四 六 頁 b ∼ 七 頁 a 。 17 賊 励 餅 主 編 ﹃中 国 人 名 大 辞 典 ﹄ (台 北 、 台 湾 商 務 印 書 館 、 民 国 一 〇 年 六 月 ) 一 五 五 頁 c 。 18 ﹁昭 和 法 宝 総 目 録 ﹂ 二 ︱ 二 九 八 c 、 三 -一 二 四 一 b 。 19瞿冕 良 編 ﹃ 中 国 古 籍 版 刻 辞 典 ﹄ (済 南 、 斉 魯 書 社 、 一 九 九 九 年 二 月 ) 六 二 二 頁 b 。 20 ﹁中 国 仏 寺 史 志 彙 刊 ﹂ 第 一 輯 19 、 一 八 一 三 ∼ 一 八 一 四 頁 。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 延 寿 、 万 善 同 帰 集 、 永 明 智 覚 禅 師 方 丈 実 録 、 元 照 (龍 泉 院 住 職 ) ﹃万 善 同 帰 集 ﹄ の 文 献 史 的 考 察 (椎 名 ) 二 二 九
Journal of Indian and Buddhist
Studies
Vol. 55, No.3, March 2007
(231)
139. On the Wanshantongguiji
SHIINA Koyu
The Wanshantongguiji in three (or six) fascicles is a work compiled from
the point of view of Chan-Pure Land syncretism by Yongming Yanshou
(904-975); it was printed repeatedly, at least 25 times. Having investigated
most of these printings, its historical development becomes clear. It is to be
placed after the Zongjinglu, and was often printed in Jiangnan.
140.Heian Period Zen Manuscripts:The Enseiron厭 世 論at Shinpukuj.i of the Fifth year of Enkyu延 久
OCHIAI Toshinori
Amanuscript of the Enseiron(厭 世 論)was found in the Shinpukuji's(真 福 寺)manuscript collection. The text appears to be a Zen work composed in Japan during the Heian period by Seishi-Hosshi(斉 志 法 師).The manuscript dates from the 5th year of the EnkyU(延 久)Era(year 1073AD)of the Heian Period. The scripture belongs to the doctrinal literature of Zen Buddhism, and its author, Seishi-Hosshi, underlines the importance for ascetics to read and study Zen works(達 磨 蔵). Despite the fact that I carried out investiga-tions on the author, his life and activities remain unknown. The discovery of this manuscript raises questions regarding the traditional view that Zen Bud-dhism was introduced to Japan by Zen Masters Nonin(能 忍)Eisai(栄 西) and Dogen during the Kamakura(鎌 倉)period.
141.AThought of "Gyobutsu"(行 仏)in the "Shobogenzo"