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共同体のアイデンティティと記憶 Lʼidentité communautaire et la mémoire

中島ひかる

【要約】

現代において、 フランスはどのように自らの共同体のアイデンティティを作ろう としているのか、またそれを可視化するためにどのようにシンボルが使おうとし ているのかを、歴史学者ノラの 「記憶の場」の概念も援用しながら分析する。マ クロンは、EU の一体化を訴えることでヨーロッパのアイデンティティを再建し、

その中でこそフランスのアイデンティティを示そうとするが、それはヨーロッパ が自由、デモクラシー、人権といった世界のモデルになりえる普遍的な価値を体 現しているという啓蒙以来の観念と結びついている。しかしながら、難民受け入 れ問題がヨーロッパ各国で、極右によるナショナリズムの擡頭を招いている今、

この様な普遍理念によるヨーロッパのアイデンティティは既に自明なものではな くなっている。その中で、敢えてヨーロッパ再建を主張するとき、マクロンは民 主主義発祥の地アテネやソルボンヌ大学といった、人々の共通の「記憶の場」で ある、文化遺産の力の助けを借りる。「記憶の場」は、ルソーの言う「祝祭空間」

とも共通し、人々の一体感を高め、アイデンティティを確証するために役立つと 考えられるからではないだろうか。

【resumée】

Pour que la France sʼassure de sa propre identité, Emmanuel Macron tente de recourir à lʼidéal de lʼEurope : les valeurs universelles, telles que la liberté, lʼégalité et la justice sociale que lʼEurope prétend posséder depuis longtenps sont essentielles pour notre monde contemporain, dit-il. Mais, aujourdʼhui, avec lʼémergence de lʼextrême droite sur fond de lʼafflux des migrants, ces valeurs ne semblent plus solides comme autrefois. Alors, comment peut-on reconstruire lʼEurope unie avec ses valeurs dans lesquelles seulement se confirme lʼidentité de la France ? Nous allons analyser ce problème en nous référant à la notion des <<lieux de mémoire>> de Pierre Nora. La fête et le patrimoine culturel, qui ne sont rien moins que les lieux communs du peuple, pourraient servir à rétablir les valeurs de lʼEurope, voire lʼidentité de la France ?

東京医科歯科大学教養部研究紀要第 49 号:1〜23(2019)

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 エマニュエル・マクロン Emmanuel Macron が 2017 年 5 月 7 日にフランス第 5 共和国第 8 代大 統領に就任してから、1 年以上が経過した。当初の期待に反して、経済政策については、不動産以 外への富裕税の廃止は「右派でさえ 20 年来なしえなかった」右派的な政策とも言われ(1)、「富裕者 のための大統領」(2)との悪評も定着した感がある。失業率の回復も早急には見込めない中、支持率 は低下する一方だが、その反面、若さゆえに未経験と懸念された外交分野に関しては、予想以上の 存在感を示している(3)。外交は、税制や労働法の改革と異なり、人々の生活への影響がすぐには、

直接的に見えにくいため、批判の対象になりにくい面があることは否定できないと思われるが、それ でも、マクロンの外交が「目立つ」ものであることが、フランス国民によって、国際社会におけるフ ランスの存在感という観点において一定の貢献を果たしている、と好意的にみなされていることは確 かであろう。

 外交において、マクロンは「ヨーロッパ」を前面に打ち出し、その中でフランスがリーダーシップを とると主張することで、アメリカやソ連、あるいは中国といった大国に対抗しようとする。現時点に おいては、「ヨーロッパ」の一体化に対する具体的な政策については、EU 内、特に 、フランスがパ ートナーと考えるドイツとの間ですら何ら細部の合意ができているわけではないので、彼の言う「ヨ ーロッパ」はかなり抽象的なレベルにとどまっている。しかしながら、そうした大局的な理念を必要 とするのは、マクロンの政治の特徴でもある。以前の論考においても、選挙戦のさなかから、彼が 一貫して、政治においては、具体的プログラムではなく、大きなヴィジョンを示すことが大統領の役 割だ、と主張してきたこと、合わせて、彼が様々な文学的・哲学的な知をシンボルとして参照しなが ら、その大きなヴィジョンを示そうとしていることを分析した(4)

 本稿においては、マクロンがフランスのアイデンティティに言及するときに、同時にヨーロッパを参 照しなければならない必然性、ならびに、彼がそのとき共同体の共有財産としての、どのような文 化的・歴史的シンボルを使ってその主張を行っているのかを、歴史学者ピエール・ノラの概念も参照 しながら見ていきたい。また、ルソーの著作、特に『ポーランド統治論』や『ダランベール氏への手 紙』における祝祭の観念も、政治的想像力の中で、シンボルの果たす役割の考察において参照する。

フランスやヨーロッパのアイデンティティを構成するのが、かつては、自由、デモクラシー、人権といっ た啓蒙以来の普遍的な理念であったとするなら、現在は、移民の大量流入というヨーロッパの外か らの圧力によって、ヨーロッパ各国で、閉ざされたナショナリズムとしての国家アイデンティティの主 張が擡頭しつつあるのが政治・社会的状況だと言うことができよう。すなわち、普遍的な「ヨーロッ パ」の観念ではなく、個別的な国家意識の高まりが現在の政治・社会状況だとして、そうしたアイデ ンティティのありかたに対して、マクロンの掲げるヨーロッパのアイデンティティはどのような意味をも つのだろうか。またそのために、使われるシンボルは、人々を惹きつける説得力を持ちえるのだろうか。

(1) マクロンの政策は、投資を促すことで経済の活性化を意図するものではあるが、富裕税 ISF(Impôt de solidarité sur la fortune)の対象を、130 万ユーロ以上の資産保有者から、130 万ユーロ以上の 不動産保有者に変更し、不動産以外の動産や金融商品を課税対象から外したことで、富裕者に有利 な経済改革だとの批判が噴出した。一方で、80% の世帯の住宅税 IFI (Impôt sur la fortune immobilière)の免除を計画しているものの、その第 1 段階としては月 5 ユーロの住宅手当 APL(Aide personnalisée au logement)を廃止したことで、それがたいした額ではないにせよ、弱者に不利な経 済政策の典型と見なされた。 

「ル・モンド Le monde」2017 年 10 月 4 日の総括。

(3)

https://abonnes.lemonde.fr/politique/article/2017/10/04/le-fosse-s-est-creuse-entre-macron-et- une-partie-des-classes-populaires_5195942_823448.html

(2) オランド François Hollande 前大統領によるマクロン批判。テレビ番組のインタビューの中で、マ クロンが「富裕者のための大統領 le président des riches か?」と問われたオランドは「いやそれは 違う。彼は大富裕者 très riches のための大統領 le président des très riches だ」と嫌みを言っている。

https://www.lepoint.fr/politique/president-des-tres-riches-passif-du-couple-les-amabilites-de- hollande-a-macron-25-04-2018-2213609_20.php?boc=1561517&m_i=ql0pAKSGG_L86tc%2Bl7YG HMHxP1DyW%2BrshQUnnlgFSTR1J3_su33FoSFFJDncbe0o8bgjPk3tNgd59Xr5aXhw4hBmPf 8qqt&M_BT=1109349065947#xtor=EPR-6-%5BNewsletter-LePoint-Politique%5D-20180426 (3) 2018 年 4 月 20 日付けの franceinfo の報道から。世論調査では 59%のフランス人が、就任後 1 年間のマクロンの政策に不満を感じており、特に経済・社会政策では 64%が不満と答えているが、外 交面(国際、ヨーロッパ)に限って言えば、54%が満足と回答している。

https://www.francetvinfo.fr/politique/gouvernement-d-edouard-philippe/six-francais-sur-dix- sont-mecontents-de-l-action-du-gouvernement-depuis-un-an-d-apres-un-sondage_2724707.

html#xtor=EPR-51-%5Bpres-d-un-an-apres-l-election-six-francais-sur-dix-sont-mecontents-de-l- action-du-gouvernement-d-apres-un-sondage_2725951%5D-20180427-%5Bbouton%5D

(4) 中島ひかる、「現代フランスにおける文学的知の継承」、 『東京医科歯科大学教養部研究紀要』 

第 48 号、東京医科歯科大学教養部 pp.1−19、平成 30 年 3 月 30 日

1. 外交とイメージ戦略

 マクロンの政治行動においては、ルーブルのガラスのピラミッドを背景にした大統領戦勝利宣言、

様々な事物をシンボルとして散りばめた公式肖像写真に始まり、政治メッセージのイメージとしての可 視可が顕著であることは前の論文において分析した。時に、それは人々の目に過剰な演出と映るこ ともあるが、政治がマスメディアにおけるイメージ戦略と不可分の現代にあって、特に国際舞台で、

それはメッセージの発信においてある程度有効な戦略となりえているように思われる。

 大統領就任後一年を迎え、マクロンのコミュニケーションを総括した franceinfo の報道は、彼の 目立ったコミュニケーションとして、外交面では、プーチン大統領 Vladimir Poutine をベルサイユ宮 殿の迎えたこと、トランプ大統領 Donald Trump をエッフェル塔での食事に招待したこと、及び地 球温暖化に関するパリ協定からアメリカが離脱したとき、国際舞台に向けて英語でメッセージを発 信したことを挙げている(5)。以下、この 3 つについて、そのイメージ戦略の観点から見ていくことに する。

 ピョートル大帝(6)のパリ滞在 300 周年を記念する展覧会がヴェルサイユ宮殿で開催されるにあた り、2017 年 5 月 29 日の開幕式に、壮麗なこの宮殿にプーチン大統領を迎えることができたのは、

マクロンにとって対ロシア外交デビューの絶好のチャンスであっただろう。既に、OTAN(北大西洋 条約 NATO)首脳会議や G7(主要国首脳会議)でトランプ大統領をはじめとする各国首脳を前に、

堂々たる態度を示したマクロンではあったが、この宮殿を舞台とすることで、招待客であるプーチン の自尊心をくすぐるとともに、歴史的建造物の力を借りて、フランスの歴史的栄華・威勢を自ずから 対外的に示すことになった。彼はここでシリアにおける化学兵器使用、チェチェン共和国の同性愛 者弾圧、ウクライナ問題に言及すると共に、フランス大統領戦におけるロシアの情報介入についても

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率直に発言し、対ロシア外交でも、プーチン大統領を前に一歩も引かない態度を衆目に印象づけた(7)。  マクロンは、トランプ大統領とは既に、5 月末の G7 や OTAN 首脳会議で顔を合わせていたが、

改めて 7 月 14 日の革命記念日の軍事パレードに彼を招待し、その前夜には夫人同伴でエッフェル塔 のレストランで会食を行っている。シャンゼリゼ通りにおける革命記念日軍事パレードへのアメリカ軍 の参加は、1917 年のアメリカの第一次世界大戦参戦から 100 周年を記念 commémoration して、ア メリカ兵の犠牲にたった第一次世界大戦の勝利を讃えるために行われたものだが、現職のアメリカ 大統領が革命記念日のパレードに参列するのは、フランス革命 200 周年を記念した 1989 年のブッ シュ大統領 George Bush 以来となった。トランプ側からすれば、大統領就任以来、国内外におけ る四面楚歌ともいえる状況の中で、手を差し伸べているマクロンへの感謝の念も幾ばくかはあり、ま たマクロンからすると、ヨーロッパにおけるドイツのメルケル首相 Angela Merkel の存在感と対抗す るためにも、アメリカとの親密性をアピールしてフランスの存在感を主張するという狙いもあったと思 われる。いずれにせよ、ここでも 100 周年記念という絶好の機会を捉えて、国家の威信を示す大が かりなフランスの国家行事にアメリカ大統領を招待することで、トランプの自尊心をくすぐると共に、

世界のメディアの耳目を自らに華々しく集めるというマクロンの戦略が見て取れる。事実、13 日にエ リゼ宮(大統領官邸)で行われたトランプ大統領との共同記者会見で、マクロンは、地球温暖化問 題に関する見解の相違にもかかわらず、アメリカとの「強固な関係 relation forte」を維持しているこ とを強調してみせた(8)。またエッフェル塔のレストランでの会食についても、France2 は、マクロン がエリゼ宮ではなく、エッフェル塔を会食の場に選んだのは、この「切り札 atout」をアメリカ人や世 界の観光客に対して示すためだ、と分析している。これは翌日のパレードについても同様であり、

歴史的シンボルが重要だから革命記念パレードやエッフェル塔を使ったという以上に、アメリカ大統 領夫妻と共に、この観光名所でもあるフランスの記念碑を世界に示すことは、メディアの関心を呼び、

この行事そしてパリについて人々の話題にさせることになるからだ、というのである(9)。ここで、観 光客誘致というのは否定できない側面ではあるが、副次的な効果に過ぎないように思われるが、い ずれにせよ、歴史的シンボルの力を最大限に利用し、メディアを通して世界に自らの外交を印象づ けるという点に関して、マクロンが意識的であったことは確かであろう。

 2015 年に締結された地球温暖化に関するパリ協定からのアメリカの離脱に際しての、マクロンの 英語演説もメディアに大きく取り上げられた。一国の大統領が英語で演説することは、現代の国際 社会においては、特に話題に値することではないであろう。英語が苦手とされるフランスの閣僚の中 では、サルコジ Nicolas Sarközy 政権下のフィヨン François Fillon 内閣で経済・財政・産業相を努 めた現 IMF 総裁のクリスティーヌ・ラガルド Christine Lagarde が、アメリカでかつて弁護士職に あったこともあり英語が得意だが、ラガルドが英語で演説すること自体は当たり前のことであり、特 に話題にされることもない。したがって、今回のマクロンの英語演説の話題性は、6 月 1 日、アメリ カのパリ協定からの離脱を聞いて直後、マクロンがフランス官邸からのテレビ演説において英語でメ ッセージを発し、その最後をトランプの選挙キャンペーンの有名なスローガン “Make America great again” をもじった “Make our planet great again” で締めくくったことにある(10)。これは国 際会議の場でもないし、アメリカのメディアを通して発信されたメッセージでもない。しかし、アメリ カの離脱に対してフランスがどう反応するかは世界の耳目を集めていたため、トランプ大統領と電話 会談を行って、パリ協定を再協議するというアメリカ側の提案をはっきりと拒絶した直後のテレビ会 見で、まずフランス語でメッセージを述べた後、アメリカ国民や国際社会を意識し、マスコミ受けす

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る気のきいた皮肉をきかせたフレーズを使って、彼が英語でメッセージを発したことは、瞬く間に SNS 上で反響を呼び、世界に向けたメッセージを発信ができる若い世代の大統領を印象づけること になった。

 また、このフレーズは、同年 6 月 23 日に、俳優かつ前カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワ ルツェネッガー Arnold Schwarzenegger が環境保護活動家たちとパリを訪問し、大統領官邸に迎 え入れられたときにも、シュワルツェネッガーのインスタグラムに投稿されたマクロン大統領とのセル フィーの動画で、マクロンが再び使っており、そのことで、ネット上で更に拡散されることとなった(11)。 その後、このフレーズは、フランスの環境問題への立場表明として、 様々な場面で独立して引用され る事が多くなっているが、それには、そのフレーズがキャッチコピー的な短い、しかもグローバル言 語である英語のフレーズであること、そしてその元になったトランプのスローガンが広く知られている ため、詳しい説明抜きで環境問題の最大の争点を示すことが可能であることことが起因しているだ ろう。ここで、このスローガンは、シンボルとして有効に機能している。

(5) マクロンのコミュニケーション総括

https://www.francetvinfo.fr/politique/emmanuel-macron/video-chateau-de-versailles-tenues- militaires-faineants-une-annee-de-communication-jupiterienne-signee-emmanuel-

macron_2722789.html

(6) ピョートル一世は、ロシアの近代化を図り、ヨーロッパ各地を訪問して建築、科学、軍事等を学んだ。

フランスには、1717 年にヴェルサイユのトリアノン宮殿に 2 度にわたって滞在している。その 300 周年 の展覧会である。

(7) プーチンとの外交

https://www.francetvinfo.fr/politique/emmanuel-macron/direct-emmanuel-macron-accueille- vladimir-poutine-a-versailles_2212110.html

ル・モンド紙は、この時点で、マクロンの外交に「ヨーロッパ」という契機が大切だと指摘している。

イギリスの EU 離脱や、アメリカの自国中心主義といった強国のナショナリズムを前にして、EU は結 束を固め自らのアイデンティティを強化しなければならない。

https://abonnes.lemonde.fr/idees/article/2017/05/30/macron-et-poutine-se-testent-a- versailles_5135969_3232.html

(8) https://www.francetvinfo.fr/monde/usa/presidentielle/donald-trump/direct-donald-trump- arrive-a-paris-pour-les-ceremonies-du-14-juillet_2281363.html

(9) https://www.francetvinfo.fr/monde/usa/presidentielle/donald-trump/macron-trump-un- diner-a-la-tour-eiffel_2282259.html

(10) https://www.francetvinfo.fr/monde/usa/presidentielle/donald-trump/video-make-our- planet-great-again-quand-emmanuel-macron-detourne-le-slogan-de-donald-trump_2218280.html https://www.huffingtonpost.fr/2017/06/01/macron-trump-a-commis-une-faute-pour-lavenir-de- la-planete_a_22121747/?utm_hp_ref=fr-donald-trump

(11) https://www.huffingtonpost.fr/2017/06/23/arnold-schwarzenegger-accueilli-par-emmanuel- macron-a-lelysee-p_a_22644362/

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2. ヨーロッパという理念

 マクロンは、国際政治の舞台で、フランスの威信を示すシンボルとしてヴェルサイユ宮殿、シャン ゼリゼ通り、革命記念日、エッフェル塔といったパリの代表的景観やフランスの国家行事、あるい は現代や国際社会を象徴するシンボルとして英語メッセージや SNS を効果的に使っている。これら の事物は、対外的にフランスの存在感を示すためには極めてわかりやすいシンボルであるし、また「フ ランス」の威信を対外的に発揚すること自体に関しては、フランス国内において、極右に結びついた 国粋主義的なイデオロギーの偏向が問題にされるケースを除いては、常識的には特に異議申し立て がなされることはないであろう。一方、「ヨーロッパ」という概念になると、問題はもう少し複雑であ るように思われる。「ヨーロッパ」という主張は、現在の状況で、フランス、あるいはヨーロッパの中 でさえ 、その必然性について完全に合意の得られたものではないため、その主張は対外的と言うよ りは、まずはフランスあるいはヨーロッパの内部に向けたものであらざるをえない、そしてまた、ヨ ーロッパを、誰もがわかる形で象徴するシンボルを探すのはフランスのシンボルを示すより難しいよう に思われるからである。このような 「ヨーロッパ」 という概念に対して、マクロンはいかなるヴィジョン を抱き、どのようなシンボルを使って、その理念を示そうとしているのだろうか。

 マクロンは様々な場でヨーロッパに言及しているが、国際的な舞台でヨーロッパついての大きなビ ジョンを示した演説としては 4 つが挙げられる。2017 年 9 月 8 日のアテネでの演説、同年 9 月 26 日 のソルボンヌ大学での演説、2018 年 4 月 17 日のヨーロッパ議会での演説、そして同年 5 月 10 日に 2018 年度のカール(フランス語ではシャルルマーニュ)大帝賞受賞者となった時に授賞式で行った 演説である。以下に、その中からアテネ、ソルボンヌ、カール大帝授賞式での演説を取り上げ、そ こで示されたヨーロッパのビジョンと、そのビジョンを示すに当たってのシンボルの使い方を分析す る。

    (1) アテネ演説

 2017 年 9 月 7 日にマクロンは、ギリシャのアテネでユーロ圏の大胆な改革によるヨーロッパの連帯 に関する演説を行った(12)。この演説で彼は、3 つの希望として、ユーロ圏の強力な主権の再建、民 主主義、信頼を語っている。現代の様々な危機である経済危機、気候変動、核の危機、テロ、移 民問題等に対処するためには国家の主権を超えたヨーロッパ規模での強力な主権の確立がぜひとも 必要である。そのためには、「ユーロ圏予算」(ユーロ圏共通予算)やユーロ圏の真の執行責任者を 備えた強い政府を創設し、加盟国が連帯しなければならない。そして、そうした主権を選び、ヨー ロッパの方向性を決定するのは、デモクラシーである。すなわち一部の指導者ではなく民衆がヨー ロッパの将来を決めなければならない。しかし、そのデモクラシーは昨今の安易な「国民投票」に よるものであってはならない。批判精神をもって、物事の本質と複雑性を見極める自由な議論・対話 によって、共通都市 cité commune のために我々が何を望むかを決めなければならない。その自由 とはお互いへの信頼から成立する。

 EU 再建に向けてのこうした提案を、これから先、マクロンは何度も繰り返すことになるが、この 時点では、具体策の提示よりもヨーロッパという大きな理念の提示、そしてその理念を示すための 壮大な舞台装置と演出が人々の印象に強く残ったであろう。日没時を選んで、夕日の沈むアクロポリ スの丘に立つパルテノン神殿を背景に、プニュクスの丘 la colline de la Pnyx(13)で、まずギリシャ語 で始められた演説は、極めて視覚的効果の高い壮大な演出であった。プニュクスの丘は、世界初の

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民主的立法府であるアテネの民会が会議を開催した場所であり、全市民が政治方針についての演説 に参加する「言論の平等」を象徴する場所とされる。ヨーロッパに関する最初の大演説の舞台として この場を選んだことは、その視覚的演出効果とともに、自由で平等な民主主義の発祥の地でヨーロ ッパの原点に立ち返るという象徴性によって、内容以上に、場所がもつ効果を十分に考えた戦略で あった。彼はギリシャのこの場でこそ、自由な民主主義によるヨーロッパが生まれたが、われわれは 今の不安定な世界で、その価値を継続する義務を負っていると繰り返す。そして、ヨーロッパの育ん できた自由や人権と言った価値は、世界における根本的的な価値でもあると言う。「しかしながら、

私はこの記憶の場がもたらす感動、それがどんなに強い感動であろうと、その感動にとどまることは できません。というのもこの場はわれわれに強いるからです。まさにここで近代国家の形が生まれ、

ここでこのアテネの都市が忍耐強く、人民の主権によって、その都市の運命の主権を構築したので すから、われわれは自己満足に陥ることなく、『われわれ、ヨーロッパ人は、われわれの主権から何 を作り出したのか』を自問しなければならないのです。まさにここで、人民の政府を人民に委ねると いうリスクを取って、尊敬に値する法を制定するには最大多数が少人数より望ましいと考えたのです から、私たちは民主主義から何を成したのかを自問してみましょう」。「プニュクスの丘では、自由な 言葉、議論さらには論争への好みが優位を占めました」。今、歴史は加速し、世界は新たに出現し た脅威に脅かされ、かつての安定した価値観が崩壊しているが、その中で「ヨーロッパはわれわれ が皆で、人類や権利、自由、正義についての観念を育み続けることのできる最後の砦の一つです。

かつてないほど、今日われわれはヨーロッパを必要としています。世界がヨーロッパを必要としてい るのです」。

 この演説で、自由な言論による民主主義が成立するための信頼の基盤として、ヨーロッパに共通 する歴史とその文化遺産が挙げられていることは、シンボルという観点から興味深い。「われわれヨ ーロッパ人は一つの歴史、運命を共有しています。この導きの糸があるので、私たちは信頼を再建 できるのです。今われわれがいる場所を見て下さい。夜のとばりが落ちてくる中に、われわれの背 後のアクロポリスの丘も見えるでしょう。あなたが誰であれ、どういう年齢、国籍、出身であれ、ヨ ーロッパ市民の皆さん、この丘の奇跡、パルテノン神殿の柱、エレクテイオン神殿のシルエットとカ リアティディス柱廊が、あなたの中に、そこでこそ、あなたに関わり、あなたに属し、あなたに語り かける何かが生まれたのだという感情を呼び起こすことがないか言って下さい。そうです、アテネの アクロポリスは私たちヨーロッパのアイデンティティに差し出された鏡なのです。私たちは自分の姿を そこに認識し、そこにわれわれ共通の運命を読みとります。この寺院は古代の神々の神殿で、それ を生み出した信仰は、今日ではもう消えてしまいましたが、それでもわれわれはまだその力を考える のです。われわれは未だにその聖なる部分を感じるのです」。彼は続けて、そのアテネの遺跡への 言及を敷衍して、文化遺産の重要性に言及する。「文化遺産のヨーロッパが必要なのです。(・・・) われ われの共通の過去――ギリシャの芸術、ローマの芸術、中世、バロック、古典の芸術――を体現 するもの全て、全ての建物、全ての作品はわれわれの記憶 mémoire とわれわれの存在 être の実 体 substance なのです」。文化遺産を守ることはヨーロッパのアイデンティティを守り、その未来を創 ることである。「文化によって、われわれはわれわれを結びつけているものを再び見いだすことにな るでしょう。文化と文化遺産によって、われわれは交換の力、われわれを超える場の力、われわれ の分裂を超えて、われわれヨーロッパにとって重大な各瞬間に、われわれがともに前進し、われわ れより強い何かを構築するよう決定させたものを再び見いだすでしょう」。

(8)

(2) ソルボンヌ演説

 アテネでの演説に続いて、9 月 26 日に行われたマクロンのソルボンヌ大学での演説は、27 の EU 加盟国メンバーを前にしたものであり、それだけに内容も 、今後 10 年に向けて、より具体的な約 20 の提案を含むものであった(14)。この演説で、彼は、再び力を込めて、各国におけるナショナリズ ムの高まりが顕わになってきているこの時代にあってこそ、統合された、民主的なヨーロッパの主権 の再建という「野心」が必要であると主張した。地球温暖化やデジタル化、移民問題やテロに対抗 するためには一国の力では不可能であり、ヨーロッパだけがわれわれの未来を保証する。「ヨーロッ パだけが、現代の大きな脅威に対して、われわれに世界の中で行動する能力を与えてくれます」。そ してヨーロッパの深いアイデンティティをつくっているもの、すなわち価値の均衡や自由や人権、正義、

あるいは市場経済への執着と同時に社会正義へ執着、というのは「世界に類を見ない」ものである ので、それを守らなければならない。「ヨーロッパが表象しているものを、大西洋の向こう側やアジ アの果てに盲目的に託すわけにはいかないのです。このグローバル化の中でそれを守り、構築する のはわれわれなのです」。

 この演説にソルボンヌ大学の階段教室が使われたことの意味については、lʼédition du soir 誌の 分析がある(15)。それによると、まず、これは青年層を意識した大統領の姿勢を示している。2 つめに、

この場所は歴史的威信のある場所である。3 つめに 1991 年に当時の大統領であったミッテラン François Mitterrand が、EU 創設に向けてのマーストリヒト条約批准に際して、反対派のセガン Philippe Séguin と論争したのもこの場所であった。4 つめにマクロンには経済大臣の時から、反対 派に論争を挑み 、 説得しようとする傾向が見られるが、ソルボンヌにおいて、彼はドイツを初めとす るヨーロッパの閣僚、そして学生を含むフランス人を説得しようとした。最後に、ソルボンヌは 68 年 5 月革命の砦であり、革命はソルボンヌからフランス全土に広がった。ソルボンヌは常に 、 学生の異 議申し立てのシンボルとなっている。

 この 5 つの理由の中で、ヨーロッパに関するシンボルという観点からは、3 つめのミッテランとの 関係が具体的でわかりやすいだろう (16)。1991 年に、学生を前にしたソルボンヌ大学階段教室におけ る論争において、ミッテランは国民投票でのマーストリヒト条約批准を呼びかけたが、その後、僅 差で勝利し、通貨統合を含む EU の成立へと歩を進めた。ヨーロッパの再結成に向けて戦おうとし ているマクロンにとって、このミッテランのソルボンヌでの演説は自らのモデルとしてのシンボルにな る。マクロンはこの演説で述べている。「私はヨーロッパを語りにきました。『またか !』と言う人もい るでしょうが、慣れてもらわなければなりません。というのも私は続けるからです。そして、われわ れの戦いとはまさにそれですし、それがわれわれの歴史、アイデンティティでもあり、われわれを守り、

われに未来を与えるものだからです」。「フランスがヨーロッパのために決めていた時というのは、幻 想ということでもないなら決して存在したことはありません。フランスがヨーロッパのために決めると 主張していた時は存在したかも知れませんが、それは私が望むことではありません。しかしながら、

ヨーロッパ及びヨーロッパの人たち全てとともに前に進むために、フランスが提案する時が、またし ても戻ってきました。私はこの瞬間に、1950 年 5 月 9 日にロベール・シューマン Robert Schuman が 、 パリで、敢えてヨーロッパを作ろうと提案したことを考えています。私は彼がこう言ったときの魅 力的な言葉を考えています。『ヨーロッパは作られたのではない。私たちは戦ったのだ』」。 マクロンが、

ミッテランを参照するのはこれが初めてではない。大統領選の勝利の日、マクロンは 1981 年にミッ テランが同じく大統領選に勝利したときにパンテオンに向かってゆっくりと長い歩みを進めたのに倣 って、まさにそのミッテランによって 1988 年に作られたルーブルのガラスのピラミッドの足下を、ミッ テランと同じくベートーベンの第 9 交響曲の第 4 楽章「歓喜の歌」をバックに、ゆっくりと歩を進め

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(17)。ベートーベンのこの歌は EU によって「欧州の歌」としても定められており、マクロンがミッテ ランを参照するときは常に、ヨーロッパ統合を推進した先駆者としてのミッテランの姿がある。

 もう少し抽象的なレベルでは、マクロンは、ソルボンヌは威信のある建物である以上に、碩学と その弟子たちが今日に至るまで、知について代々築いてきた一つの理念 idée であるが、ヨーロッパ もまた一つの理念である、と述べてソルボンヌ大学とヨーロッパの共通性を強調している。ヨーロッ パも、代々築かれてきた理念だが、今日われわれがその理念を再び自らのものとしなければならない。

「ヨーロッパはわれわれが、ヨーロッパに対して作る理念によってしか生きられないでしょう。ヨーロ ッパを活性化し、それを常により美しく、より強くすること、歴史的状況によって与えられるだけの 形に放置したままにしないことは、われわれにかかっています。というのもこうした形は過ぎ去りま すが、理念は残るからです。そしてヨーロッパの野心はわれわれの野心でなければならないのです」。

 アテネにおける演説と同様に、マクロンが人々の自由な論争というデモクラシーによるヨーロッパ 再建を主張し、とりわけ次代の青年層に希望を託すとき、lʼédition du soir 誌の 1 番目、4 番目、5 番目の理由もソルボンヌを演説の場として選んだ理由として理解できる。アテネが自由な論争による 民主主義の発祥の地としてヨーロッパのシンボルになるのと同様、既存の権威に逆らって自由な論 争が行われてきた場として、ソルボンヌはマクロンが目指すデモクラシーによるヨーロッパ再建のシ ンボルとなりえるからである。そして。彼は演説の最後を、ヨーロッパの指導者たちに向けて、若い 世代に対する責任を喚起することで締めくくっている。今の時代を真っ正面から眺めるなら、選択肢 は限られている。選挙のたびに、反ヨーロッパのナショナリストたちに場を与え、若者たちに自分た ちの運命を自分で決定できないような未来を与えるのか、「あるいはあらゆるところで責任を取って、

全てのリスクを背負いながら、各自の国で、『ヨーロッパを望む』という選択肢」を選ぶかである。「だ から私は 、ヨーロッパの全ての指導者に言います。どんなに困難でも 、どんな激動があろうと、私た ちには一つの責任しかありません。それはわれわれの青年層がわれわれに課す責任ですし、次に 来る世代のための責任でもあります。つまり、彼らの感謝を得るという責任、そうでなければわれわ れは彼らの軽蔑に値するだけです。私は選びました」。

(3) カール大帝賞授賞式演説

 こうした主張を繰り返してきたマクロンは、2018 年 5月10 日に 2018 年度カール大帝賞を受賞した。

この賞はドイツのアーヘン市が「西洋文化の創造者」カール大帝(18)にちなんで 1950 年に創設した もので、ヨーロッパ統合の理念に向けて功績を挙げた人物に与えられる。マクロンも、1 年前の大 統領就任以来「ヨーロッパ」の概念に弾みをつけてきたこと、社会や人々の中に再びヨーロッパとそ の理念を根付かせようとする意志、そしてまた地球温暖化に関するパリ協定を維持しようとするイニ シアチブにおいて受賞に値すると評価された(19)。この賞の歴代受賞者にはチャーチル Winston Churchill やミッテラン François Mitterrand、ジスカール・デスタン Valéry Giscard d'Estaing、メ ルケル Angela Merkel、シモーヌ・ヴェーユ Simone Veil といったヨーロッパ各国の政治家が多いが、

キッシンジャー Henry Kissinger アメリカ元国務長官や、現ローマ教皇フランシスコ François、更 には歴史学者や通貨「ユーロ」も受賞者に含まれる。

 さて、彼が 5 月 10 日の授賞式に際して行った演説は(20)、アテネ、ソルボンヌ大学での演説及び、

2018 年 4 月 17 日のヨーロッパ議会での演説(21)に続いて、4 度目のヨーロッパについての大きなビジ ョンを示す演説とされる。授賞式前日の 5 月 9 日に、ヨーロッパの警告にもかかわらず、アメリカが イラン核合意から離脱してイランに対する経済制裁を再開すると宣言したこともあり、この日の演説 は、アメリカに対抗してヨーロッパの結束を訴える緊急性・必然性という文脈の中で 、ドイツに対す

(10)

るアピールでもあった。9 日にも、マクロンは、ドイツのテレビ放送で、ヨーロッパは、「われわれが 第二次世界大戦後に作り上げたにもかかわらず、今日しばしば乱暴に覆されている多国間主義 multilatéralisme を保障する役割を担わなければならない」と声明を発表しているが、東欧諸国の 西欧への不満、カタロニア問題に揺れるスペイン、イタリアの政権混乱等ヨーロッパ各国の事情もあ って統一「ヨーロッパ」の主張においては孤立気味のマクロンにとって、アメリカの行動を前にした「わ れわれそれぞれのエゴイズムを乗り越えなければならない」という言葉には、今まで以上の現実性 も見られた(22)。彼は授賞式の演説の中でも、繰り返しヨーロッパの結束を訴え、対立する意見を民 主的に突き合わせる知への意志や文化への意志にヨーロッパの普遍性を見ている。「私たちがお互い にここで語っているこの時、そしてヨーロッパが生きているこの時とは、先ほど述べた主権に関する 議論だけではなく、私が信じるこの強力な多国間主義、すなわち全世界のための法則をもたらすヨ ーロッパの能力を、おそれず掲げ続けることを議論する時です。なぜなら世界についてのヴィジョン を懐に抱き、この世界のヴィジョンと共に要求をしていくのはヨーロッパの能力と義務だからです」。

 このような統一ヨーロッパの概念は、6 月 19 日の「ユーロ共通予算」に関する、フランスとドイツ の合意にひとまず具体的な成果を見ることになった(23)。マクロンにとって大統領戦以来の主張であ ったこの共通予算は、ユーロ圏の結束、安定性を高め、その競争力を強化することを目指し、共通 の投資やアメリカの巨大企業に対抗しうる新企業の創設の他に、経済危機の時に加盟国を救うこと や、国家間の生活水準の差の縮小も目的とするものであるが、今までにもギリシャ支援等で、もっ ぱら支援する側に回ることになった経済大国ドイツの抵抗は大きく、1 年以上の交渉の末、やっとの ことでメルケルからの合意を取り付けた。しかしながら予算規模について等、具体的なことは何一 つ決まっておらず、ドイツ以外の国々からの合意を取り付けるのも 、これから先 、 容易ではないこと が予想される。

 このように、ヨーロッパという理念を掲げても、現在はヨーロッパの中でさえ具体的な政策につい ては合意を得ることは困難である。その中で、繰り返しヨーロッパへの信頼を述べることで、今や、

マクロンそのものがヨーロッパのひとつのシンボルとなりつつある感さえある。ル・モンドはイタリア に右翼とポピュリズムの連合政権が誕生したときの記事を、「2017 年 5 月のフランス大統領の勝利 で告げられた『ヨーロッパの春』は、またしてもヨーロッパ懐疑の冬にはいったように思われる」と 締めくくっている(24)。あるいは大統領選勝利の日にマクロンが使った「歓喜の歌」をヨーロッパの新 たな希望ととらえ、それが 10 ヶ月後のイタリアの選挙で反ヨーロッパの動きに変わったとする記事も 見られる(25)。「ヨーロッパの父」と呼ばれるカール大帝にちなんだ賞をマクロが受賞したことは、そ の彼のイメージに見合った受賞であっただろう。

(12) ギリシャでの演説

http://www.elysee.fr/declarations/article/discours-du-president-de-la-republique-emmanuel- macron-a-la-pnyx-athenes-le-jeudi-7-septembre-201/

各紙の記事

http://www.france24.com/fr/20170908-athenes-grece-macron-refonder-europe-union- europeenne-zone-acropole-fmi-tsipras

https://www.periscope.tv/w/1MnxnmZNepMJO?t=1&cn=ZmxleGlibGVfcmVjc18y&refsrc=emai l&iid=2a1961198e42436f8f6463d763ec7bd8&uid=396140776&nid=244+272699400

http://www.lemonde.fr/politique/article/2017/09/08/a-athenes-macron-assure-qu-il-ne-cedera-

(11)

rien-sur-les-reformes_5182994_823448.html

lhttps://www.periscope.tv/w/1MnxnmZNepMJO?t=1&cn=ZmxleGlibGVfcmVjc18y&refsrc=ema il&iid=2a1961198e42436f8f6463d763ec7bd8&uid=396140776&nid=244+272699400

http://www.lemonde.fr/politique/article/2017/09/08/a-athenes-macron-assure-qu-il-ne-cedera- rien-sur-les-reformes_5182994_823448.html

(13) プニュクスの丘(現代ギリシャ語では「プニカの丘」)は、アテネ中心部にある丘。アクロポリスの 丘の西で、シンタグム広場の南西に位置する。プニュクスには最大で 2 万人の市民が、立った状態で 集まることができ、その丘の前の草地にも、約 6,000 人が立つことができた。この人数は当時政治的 活動に参加していた市民の人数(市内で生まれた奴隷でない男子成人)の 20%と推定される。

(14) http://www.elysee.fr/declarations/article/initiative-pour-l-europe-discours-d-emmanuel- macron-pour-une-europe-souveraine-unie-democratique/

https://www.lemonde.fr/idees/article/2017/09/27/l-europe-revee-d-emmanuel- macron_5192116_3232.html

(15) https://www.ouest-france.fr/leditiondusoir/data/9464/reader/reader.html#!preferred/1/

package/9464/pub/13339/page/8

(16) le monde 紙もミッテランのソルボンヌでの論争について触れている。

https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2017/09/27/europe-macron-livre-une-feuille-de-route- ambitieuse-mais-menage-berlin_5191974_3214.html

https://www.lemonde.fr/europe/article/2017/09/27/europe-macron-livre-une-feuille-de-route- ambitieuse-mais-menage-berlin_5191974_3214.html

(17) 前掲論文参照。中島ひかる、「現代フランスにおける文学的知の継承」、op.cit. p.5

(18) カール大帝は、フランク王国国王で在位 768 年〜 814 年。ローマ帝国が東西に分裂して西ローマ 帝国が滅亡した後、その地に出現したフランク王国の領土を拡大して西ヨーロッパをほぼ統一し、王 国の最盛期を築いた。また、800 年には、彼にキリスト教の守護者を期待する教皇レオ 3 世から、西 ローマ帝国滅亡後に空位であった「西ローマ皇帝」に戴冠された。「カロリング・ルネッサンス」で文 化活動を奨励し、古代ローマの聖職者や哲学者の著作の写本製作を行い、「カロリング小文字体」と いわれる近代の書体の基礎を作った。古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化融合を体現し、中世以 降のキリスト教ヨーロッパの王国の礎を築いたとされる。カール大帝の死後 843 年にフランク王国は分 裂し、のちに神聖ローマ帝国、フランス王国、ベネルクス、イタリアの国々が誕生した。

(19) https://abonnes.lemonde.fr/emmanuel-macron/article/2018/05/10/macron-recoit-le-prix- charlemagne-a-un-moment-de-verite-pour-l-europe_5296879_5008430.html

(20) http://www.elysee.fr/declarations/article/transcription-du-discours-du-president-de-la- republique-emmanuel-macron-lors-de-la-ceremonie-de-remise-du-prix-charlemagne-a-aix-la- chapelle/

(21) https://en-marche.fr/articles/discours/discours-du-president-de-la-republique-au-parlement- europeen

(22) https://abonnes.lemonde.fr/emmanuel-macron/article/2018/05/10/macron-recoit-le-prix- charlemagne-a-un-moment-de-verite-pour-l-europe_5296879_5008430.html

このマクロンの演説に関して、イギリスの地政学者の John Laughland は、EU の主権に関するマクロ ンの幻想について分析している。第二次世界大戦、特にナチズムの記憶はヨーロッパにとって乗り越え なければならない記憶であり、マクロンを筆頭に、ナショナリズムの高まりの防波堤としてヨーロッパ

(12)

の概念が援用される。だが、「ヨーロッパは過去の歴史を乗り越えることで成功するだろうというのは、

まずもってアメリカ的な観念である」。17 世紀に 、 古いヨーロッパを捨てて新大陸で建国されたのがア メリカだからである。また現実的には、NATO とヨーロッパの成立が不可分である以上、アメリカか ら脱却したヨーロッパの主権という主張には限界がある。

https://francais.rt.com/opinions/50671-prix-charlemagne-emmanuel-macron-entre-tradition- illusions

(23) ユーロ共通予算についての宣言

http://www.elysee.fr/assets/Uploads/DeclarationMesebergFR.pdf 各紙の分析

http://www.europe1.fr/economie/un-budget-de-la-zone-euro-pour-faire-quoi-3688151

https://www.lesechos.fr/monde/europe/0301894486312-les-europeens-nenterrent-pas-lidee-dun- budget-de-la-zone-euro-2188419.php

http://www.lepoint.fr/economie/macron-obtient-le-soutien-de-merkel-pour-un-budget-de-la-zone- euro-19-06-2018-2228667_28.php

(24) https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/03/05/l-union-europeenne-confrontee-au- scenario-du-pire-en-italie_5265799_3214.html

(25) http://www.europe1.fr/emissions/helene-jouan-vous-parle-politique/les-resultats-en-italie- sonnent-douloureusement-aux-oreilles-de-macron-3591647

3. ヨーロッパアイデンティティと「記憶の場」

 マクロンはフランスのアイデンティティを主張する時、なぜ敢えてヨーロッパを主張する必要がある のか。これに関して、現代におけるアイデンティティのあり方とシンボルという観点において、ピエール・

ノラ Pierre Nora 編集による『記憶の場 Les Lieux de Mémoire』 の歴史的方法論と彼の議論を 思い出しておきたい。『記憶の場』は、120 名の歴史家による 130 編(総論的なものを加えれば 135 編)の論文やエッセイを収めたシリーズであり、日本語版監訳者である谷川稔はこれを、「集合的記 憶を表象する場」の分析をとおして「フランス的国民意識のあり方を探ろう」とするものであると解 説する。

彼のいう新しいスタイルとは、一言で言えば、「原因より結果」の分析に重きを置く歴史学である。

ある事件がなぜ起こったか、いかに展開されたか、ということよりも、その記憶の行方、シン ボル化された再利用、神話化された「読み替え(アプロプリアシオン)」のほうに注目する歴史学。

あるいは、伝統それ自体よりも、伝統がどんな風に創出され、いかに変容し、あるいは死滅す るか、そのようなあり方に関心を寄せる歴史学である。たとえば、フランス革命それ自体よりも、

その 100 周年祭や 200 周年祭に注目する、あるいは後世の作家や歴史家がフランス革命をどの ように叙述し、評価したか、その変遷を分析する。そのような意味での史学史的スタイルである。

 つまるところ、記憶の歴史学とは、復元でも再構成でもなく「再記憶化」なのである。それも

「過去の想起」としての記憶ではなく「現在のなかにある過去」の「総体的な構造としての記憶」

だという。それを認識論的に表現すれば、「記憶の場は、従来のいかなる歴史学の対象とも異 なり、現実のなかに指示対象をもたない。むしろ、記憶の場はそれ自体が自身の指示対象」だ という。いわば、二重の表象行為(ルプレザンタシオン)そのものである。この視点に立てば、

(13)

歴史家自身、あるいは歴史学というジャンル自身が、一種の「記憶の場」だとみなされる。認 識論的時代における史学史的方法とは、さしあたりこのように要約されるだろう。

 (・・・)「現在」という時代をイデオロギー的に断罪するのみでなく、現在のなかにある過去を、

時系列をはずして縦横に読み替えることをとおして「現在史」を構築する。こうして彼は、社会 史の領野を、アナール派のアキレス腱であった近現代史にまで拡大しえた。いわば、これまで 外交史や国際政治学の独壇場とみられた現代史の領域に、古代史から近代史までを総動員す る史学史的言説分析によって、新しい文化 = 社会史のスタイルを提起したのである。(26)  『記憶の場』シリーズ(フランス語版で 3 部作全 7 巻、日本語版では全 3 巻)の最後に置かれた ノラ自身の論考「コメモラシオンの時代」(27)は、「commémoration 記念祭、追悼、記念」の意味が、

現代において変貌していることを論じている。

 「逆転したのは、コメモラシオンの力学そのものであり、歴史学に基づくモデルに対して、記憶に 基づくモデルが勝利を収めたのだ。そして、その新たなモデルとともに、過去のまったく別の利用法 が優位に立つようになった。予測不能で気まぐれな利用法である。過去は、有機的、断定的、拘 束的なその性格を失った。今や大切なのは、過去がわれわれに何を押しつけるかではなく、われわ れが過去に何を注ぎ込むかである」(p.441)。彼は、「フランスではここ 20 年足らずの間に、統一的 な国民意識に代わって、各集団の文化遺産を守ろうとするタイプの自己意識が支配的になった」

(p.447) と指摘する。「歴史的なものから想起的なものへ、さらに想起的なものから記念=顕彰的な ものへという移行」(p.453) が意味しているのは、学校という公的システムによって、規範的なものと して伝達され、従来われわれの集合的記憶の大枠を律していた一つの「歴史」、すなわち「国民」

を表現していたその「歴史」が、現代ではもはや有効性をもたなくなったということである。その空 隙を埋めるように浮上してきたのが、忘れ去られ、消滅していた、地域や個人の個々の集団の複数 の「記憶」を復権し、そうした集団のアイデンティティを確認しようとする動きである。コメモラシオ ンは「国民史」ではなくなり、諸集団のアイデンティティに細分化する。そして、その顕著な現れが「文 化遺産」である。

 彼は、「国民的記憶という考え方そのものが、新しい現象」(p.463) だという。かつては一方に国 民史(神話的な歴史、均質的、学校システムを通じて伝達、壮大な叙唱、人間の成長神話が信じら れていた時代の自己投影と自己同定欲求)があり、もう一方に、個別的記憶(家族等の特定集団に よる伝承、地域・宗教・慣習等の伝統との結びつき、個々人の身につけた身近な記憶)があり、こ の二つが国民の集合的アイデンティティを形成していた。ところが、20 世紀を通して歴史が解体し ていく。「歴史の解体は、国民と文明という二つの鍵となる概念がしだいに分離していったことにと りわけ起因している。この両者は、啓蒙思想が緊密に結び付け、フランス革命が一つに溶け合わせ、

共和制下の教育が根付かせたものであった。これら二つの主導概念の結合は、かなり単純な、し かし途方もないダイナミックな力を備えた、次のような三段論法から生じた。すなわち、進歩へ向け た人類の歩みは、理性の獲得によって実現される。しかるに、この理性の進歩の歴史的担い手は 国民国家であり、革命期フランスの歴史がその際立った実例を成している。したがってフランスの歴 史は、前進する理性の歴史である、という論法だ」(p.464)。従来までの「フランス的普遍主義」は、

この論法に立脚し、それゆえ、合理性に基づいたフランスモデルこそが、世界各国に輸出可能な模 範であるとされていた。ところが、このようなフランスの国民的神話は地位を喪失する。それは、「世 界に対するヨーロッパのヘゲモニーの終焉、そしてそのヘゲモニーが前提としていた文明化という理

(14)

念そのもののヨーロッパによる独占の終焉にも起因している」(p.464)。このとき、偉大な未来と過去 の結合は分離し、未来は予測不可能なものとなり、過去は一貫性を失う。こうして現在が記憶と結 合し、歴史認識は社会認識へと変貌する。「アイデンティティ、記憶、遺産。これらは現代を解く三 つのキーワードであり、文化という新大陸の三つの顔である」(p.467)。アイデンティティとは「選び 出される特異性、引き受けられる特殊性、認められる永続性、抱かれる自己自身の本質との一体感」

(p.467) であり、記憶は「回想・伝統・風習・慣例・習俗をみなひっくるめて意味し、意識的なもの から半ば無意識なものにまで及ぶ領域」(p.467) をカバーする。そして遺産は、「相続によって所有す る財から人の形成する財」へと変化する (p.467)。

 さて、このようなノラの概念にそって、先に見たマクロンにおけるフランスやヨーロッパのシンボル を考えるとき、啓蒙以来の、理性による人類の文明の進歩と、そのヨーロッパ普遍的モデルの世界 への輸出、そしてそれに基づく規範的は国民の歴史という概念が 、今や有効性を失ったという、現 代の状況の大前提としてのノラの分析はあてはまるだろう。マクロンも繰り返し指摘するように、現在、

ヨーロッパの普遍主義は崩壊し、各国で移民排斥と EU からの離脱を求めるナショナリズムが擡頭 している。

 まず、イギリスは 2016 年 6 月の国民投票で EU 離脱を決めたが、離脱派は、とりわけ低所得者 層の移民への嫌悪を切り札に使って、EU にとどまる限り、流入する移民をコントロールできないと 主張した。イギリス国民は EU 離脱による経済的不利益よりも、移民を国境でコントロールすること に関してイギリスの主権で自由な政策を選べることを優先して EU 離脱を選んだと言われている(28)。  2017 年には、ヨーロッパ各国の選挙で、移民への厳しい対応を求め EU に懐疑的な右派政党が、

国民の不安や不満の受け皿となり大きく支持を伸ばすことになった。まずオランダで 3 月に下院議 会選挙が行われ、中道右派である与党の「自由民主国民党」と、反イスラム・反移民、EU からの 離脱を掲げる右派の「オランダ自由党」が、第一党の座を争い、最終的に「オランダ自由党」は第 二党にとどまったものの大きく議席を伸ばした(29)

 5 月にはフランスで、移民排斥や EU 離脱に関する国民投票を主張する極右政党「国民戦線 Front National」がフランス大統領選の最終決戦にまで残ったことは、今やさほど意外でスキャンダ ラスな事態としても受け止められていない。この党は、現党首マリーヌ・ル・ペン Marine Le Pen になってから、その父親ジャン=マリー・ル・ペン Jean-Marie Le Pen 党首時代のイメージを払拭し ようとしており、極右に対して警戒心を抱いていた一般層にも浸透しつつある。2018 年 6 月には 、 党名も「国民連合 Rassemblement National」に変更し(30)、ジャン=マリー・ル・ペンの名誉党首ポ ストも廃止することで(31)、過去のマイナスイメージからの脱却を図っている。

 そして、EU の中で最も経済が安定し難民の受け入れに寛容だったドイツでも、9 月に行われた連 邦議会選挙で、移民反対を唱え、EU に懐疑的な新興右派政党「ドイツのための選択肢」が一気 に第三党にまで躍進し、メルケル率いる中道右派の「キリスト教民主・社会同盟」は、第一党の座 を確保したものの、困難な政権運営を迫られることになった。第二党となった「ドイツ社会民主党」

が党のアイデンティティ維持のために、はじめ連立政権入りを拒んだため、メルケルは政権維持に 向けて「自由民主党」や「緑の党」との 3 党連立という複雑な枠組みを模索し、ようやく3 月に「社 会民主党」との連立政権が成立するまで、5 ヶ月以上にわたる政権の空白期間が続いた(32)。オース トリアは、2015 年に人口の 1%を超える約 9 万人の難民申請を受け入れ、ヨーロッパでは、人口比 ではスウェーデンに次ぐ 2 番目の移民受け入れ国であることから、10 月の国民議会選挙でも移民問 題が大きな争点となったが、この選挙の結果、移民の流入経路の閉鎖や難民への社会保障支払い

(15)

の上限設定など、右寄りの選挙公約に掲げて党のイメージを一新した中道右派の「国民党」が第一 党となり、31 歳のクルツ Sebastian Kurz 外相が首相に就任するとともに、第二党となった極右政 党である「自由党」の政権入りが決まり、「国民党」と連立政権を形成することになった。右派の 政権入りは 12 年ぶりで、また、西欧で唯一の極右の政権入りとなった(33)

 さらに 2018 年 3 月にはイタリアの総選挙で、2016 年まで首相を務めたマッテオ・レンツィ Matteo Renzi 率いる「民主党」を中心とする中道左派連合は 23%の票しか獲得できず(レンツィ 自身の党単独では 19%)、同じく元首相のベルルスコーニ Silvio Berlusconi が率いる中道右派連合 が 37.5%の得票率で最大勢力となったものの過半数には及ばず、単独で 32%の最大票を獲得した のは第二党となったポピュリズム政党「五つ星運動」であった。さらに右派連合のなかでもっとも勢 力を伸ばしたのが、マッテオ・サルヴィーニ Matteo Salvini 率いる極右政党「同盟」の 17.5%であり、

ベルルスコーニ率いる中道右派「フォルツァ・イタリア」の 14.5%の得票を上回ったことで、連合の 合意に従い、「同盟」が政府の主導権を握ることになった。「五つ星運動」と「同盟」は、EU に懐 疑的な点では共通しており、2014 年の欧州議会選挙でレンツィの「民主党」が 41%の得票で大勝し、

他の EU 諸国では EU 懐疑派や反体制の政党が大勝する潮流に逆らう結果となった事を考えると、

今回の状況は激変した。また、中道左派であるレンツィの「民主党」と中道右派であるベルルスコ ーニの「フォルツァ・イタリア」の連立政権という選挙前の穏やかな政権予想図は完全に覆され た(34)

 レンツィの中道左派連合が手痛い敗北を喫し、EU に懐疑的な「五つ星運動」や「同盟」が票を 伸ばしたことはヨーロッパにとって最悪のシナリオであるが、選挙戦を支配したのは移民問題であり、

地中海を渡って殺到する大量の移民の最初の受入窓口となるイタリアは、EU の示す各国への「移民 割当 quota」や防波堤としてトルコとの合意、といった打開策にもはや信頼を置けなくなっていた(35)。 マクロンもこの選挙結果については 、 移民問題の影響が大きかった、と分析した(36)。その後イタリ アでは 6 月 1 日に経済学者ジュゼッペ・コンテ Giuseppe Conte 首相の下に、「五つ星運動」のルイジ・

ディ・マイオ Luigi Di Maio 党首を経済相、「同盟」のマッテオ・サルビーニ書記長を内務省とする 連立政権が誕生したが(37)、サルビーニは地中海を渡ってくる難民のイタリア着岸を拒否する等、公約 通りに強硬な反移民政策をとっている。その象徴的な現れが、6 月上旬に 630 人の難民を乗せた民 間救助船アクエリアス Aquarius が、シチリア島に接岸することを拒んだ新内閣の対応であろう。マ クロンは激しくイタリア政府を非難し、イタリアは移民問題に対して無責任なヨーロッパの態度を批 判することで応酬したが、6 月末の EU 首脳会議で話し合うことでひとまず決着し、船は 1 週間後 にやっと、スペインによって受け入れられた(38)。そして更に 1 週間後にも、イタリアは 224 人のリビ アからの難民を乗せたドイツの民間救助船ライフライン Mission lifeline のマルタ島への接岸を拒否 し、船に乗り込んだドイツ、ポルトガル、スペインの国会議員が船上から受入の呼びかけを行った(39)。 この移民受け入れ問題に関しては、6 月末の EU 会議でも合意に至るにはほど遠い(40)

 移民問題に揺れる各国でナショナリズムが擡頭するという流れの中で、普遍的理念に基づく統一 的なヨーロッパの再建を主張するマクロンは、特異な存在だと言える。そしてそれにもかかわらず、

彼がヨーロッパを掲げ続けるのは、彼の言うフランスのアイデンティティが、啓蒙以来のヨーロッパ 普遍主義と不可分であるからである。彼は 、ラジオ「France Culture」における 2017 年 3 月のイン タビューで「ipséité 自己性」というスコラ哲学の用語を使って、フランスの歴史的アイデンティティを 語っている。マクロンは「identité アイデンティティ」という言葉は固定してしまうものを含むのでこ の言葉を使うことには用心したいと語った後、「フランス精神を構成するものは、普遍性への恒常的

(16)

な渇望だと思います。すなわち、そうであったもの、そしてアイデンティティの部分という厳密な ipséité であるものと、普遍性への、つまりは我々を逃れるものへの渇望との間の緊張関係なのです。

だからいつもその緊張関係を保つ必要があるのです。このアイデンティティや過去との関係、それは 国家の物語 récit national への愛着ですが、それを失う人は崩壊すると思います。しかし、何とし てでもそれを守りたいとする者(・・・)この側面に関する全ての批判的言説を拒む者は、フランスの アイデンティティを決して本当はそうではなかったものの中に閉じ込めてしまうので間違っているので す。フランスのアイデンティティとは、常に、我々を超えるものへの帰属でした」(41)と語っている。

 ノラの分析に沿って言うなら、ヨーロッパ理性による世界の啓蒙という普遍的モデルによる規範 的な歴史が崩壊した後、諸集団のアイデンティティに細分化し、個別の記憶に向かおうとする流れ に逆らって、マクロンは再び、普遍的理性の上に立つヨーロッパと、それに立脚するフランスを構築 しようとしていると言えるだろう。先に挙げたヨーロッパに関する 3 つの演説でも見たように、彼はヨ ーロッパが体現する自由、民主主義、人権や社会的正義といった価値は、世界に類を見ないものだ として、今の世界にヨーロッパが必要だとする。つまり、ヨーロッパが世界のモデルとなることを確 信している。彼にとって、現在擡頭しつつある排外的な右翼勢力に対抗する、フランスのアイデンテ ィティのあり方もそこにしかない。そして、そのような混沌とした状況の中で、彼が使うのが、アテネ やソルボンヌという「記憶の場」としてのシンボルの力であるように思われる。したがって、ここで はノラの分析とは異なり、「記憶の場」が必要とされるのは、集団個々の細分化されたアイデンティ ティの確証のためではない。普遍的理性という失われたヨーロッパの価値の復権のために、シンボ ルに結集する象徴的な記憶が喚起される。そして今や、繰り返しヨーロッパへの信頼を述べることで、

マクロンそのものがヨーロッパのシンボルとなりつつあることにも、彼は意識的であるように思われる。

(26) 谷川稔、「『記憶の場』の彼方に」、『記憶の場 1―対立』、岩波書店、2002,pp.1-13。引用箇所 は pp3-5、p.9。

http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/sympo02-01/03.html

(27) ピエール・ノラ、「コメモラシオンの時代」、『記憶の場 3―模索』、岩波書店、2008,pp.427-474。

以下の引用の後の数字は日本語訳の該当ページ。

(28) 例えば以下の記事を参照

https://www.bbc.com/news/uk-politics-eu-referendum-36574526

https://www.latribune.fr/economie/union-europeenne/brexit-les-motivations-de-ceux-qui-l-ont- vote-611575.html

http://www.lepoint.fr/monde/brexit-arguments-pour-et-contre-la-sortie-du-royaume-uni-de-l- ue-15-02-2016-2017970_24.php

https://www.franceculture.fr/emissions/le-tour-du-monde-des-idees/brexit-la-raison-politique- lemporte-sur-la-raison-economique

(29) https://www.touteleurope.eu/actualite/pays-bas-l-extreme-droite-vise-la-premiere-place.

html

(30) https://www.msn.com/ja-jp/money/other/marine-le-pen-le-front-national-rebaptis%C3%A9- rassemblement-national/vp-AAy7ER9

https://www.nouvelobs.com/politique/20180601.OBS7548/rassemblement-national-comment-le- fn-s-est-choisi-son-nouveau-nom.html

(17)

(31) https://www.lexpress.fr/actualite/politique/fn/jean-marie-le-pen-suspendu-du-fn_1677175.

html

http://journalmetro.com/monde/1394086/un-tribunal-confirme-lexpulsion-de-j-m-le-pen/

(32) https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/03/04/allemagne-le-spd-approuve-l-accord- de-coalition-avec-les-conservateurs-d-angela-merkel_5265467_3214.html

その後もドイツでは、メルケルの移民政策に反対するデモが起こっている。2018 年 9 月 1 日にも外国 人排斥を掲げるネオナチズムの激しいデモが警察と衝突した。

https://www.francetvinfo.fr/monde/europe/migrants/en-allemagne-les-anti-migrants-gagnent- du-terrain_2921077.html#xtor=EPR-744-[newsletterjt]-20180901-[sujet2]

(33) https://www.bbc.com/news/world-europe-41627586 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/11490

https://www.asahi.com/articles/ASKDK46DNKDKUHBI00Q.html

(34) https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/03/05/en-italie-le-triomphe-des-forces- antisysteme_5265796_3214.html

https://courrier.jp/news/archives/115169/

https://abonnes.lemonde.fr/idees/article/2018/03/05/rome-berlin-l-europe-en- suspens_5265875_3232.html

https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/03/05/elections-legislatives-en-italie-les-partis- antieuropeens-font-le-plein_5265638_3214.html

(35) https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/03/05/l-union-europeenne-confrontee-au- scenario-du-pire-en-italie_5265799_3214.html

https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/05/18/a-rome-le-spectaculaire-recul-de-l-idee- europeenne_5300975_3214.html

https://abonnes.lemonde.fr/idees/article/2018/05/17/italie-un-defi-mortifere-pose-a-l- europe_5300350_3232.html

https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/05/17/pourquoi-les-europeens-tremblent-face- au-prochain-gouvernement-italien_5300615_3214.html

EU は 2015 年 5 月に「quota クォータ」を発表し、9 月の理事会で決定した。これは既にヨーロッ パにたどり着いた難民を、受け入れ予定国の GDP、失業率、人口、既に受け入れた難民数の 4 つの 指標に基づいて作られた比率(quota クォータ)によって割り当てる制度である。ドイツが強く呼び かけ、難民が殺到するイタリアは賛成したが、スペインやイギリス、また特に難民の通り道になってい るスロヴェキア、チェコ、ハンガリー、ルーマニアは強く反対し 、フランスも始め反対の立場であった。

未だにハンガリー、ポーランド、チェコは反対している。

https://www.touteleurope.eu/actualite/quatre-questions-sur-les-quotas-de-refugies.html https://www.kwansei.ac.jp/i_industrial/attached/0000090963.pdf

(36) https://abonnes.lemonde.fr/europe/article/2018/03/05/italie-les-europhobes-se-felicitent- des-resultats-des-legislatives_5265776_3214.html

(37) https://www.bbc.com/news/world-europe-44322429

(38) https://www.francetvinfo.fr/monde/europe/migrants/aquarius/apres-une-semaine-d- errance-en-mediterranee-les-premiers-migrants-de-l-aquarius-arrivent-dans-le-port-espagnol-de- valence_2806077.html#xtor=EPR-51-%5Bapres-une-semaine-d-errance-en-mediterranee-les-

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