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意味論−語用論問題への一視点

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Academic year: 2021

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意味論−語用論問題への一視点

高谷遼平(Ryohei Takaya)

慶應義塾大学

意味論−語用論の境界問題を、極小主義(minimalism)と文脈主義(contextualism)の 対立という構図で眺めたとき、現状では文脈主義陣営が優勢であることは間違いない だろう。本発表では、文脈主義というアプローチについて、構成性という視点から考 察する。文脈主義のスローガンは、以下のように表現できる。

(C) 指標詞を含まない文の真理条件的内容の決定において、語用論的プロセ スが介在する。

「私」、「いま」、「ここ」など指標詞を含む文について、それらの真理条件的内容を決 定するために発話文脈を参照する必要があることは、極小主義・文脈主義に関わらず 広く認められている。しかし文脈主義によれば、発話文脈の必要性はそれだけに留ま らない。文脈の影響を受けないと考えられてきた表現についても、発話文脈によって その意味論的内容が変化し、その結果、それらを含む文の真理条件的内容を得るため には、文脈を参照する必要があると文脈主義者は考える。つまり、自然言語の表現の 多くが文脈鋭敏的(context sensitive)であるというのが、文脈主義の言わんとする事で ある。もちろん、文脈鋭敏性をどの範囲まで認めるのか、そして表現の意味論的内容 決定する際に文脈がいかに影響するのかという点において、文脈主義には様々な種類 が存在しており、上記のスローガンを共有していることを除けば、文脈主義は百花繚 乱の様相を呈しているのが現状である。

本発表では、文脈主義者の中で最も急進的な立場をとるレカナティの「真理条件的 語用論」を考察対象とする。レカナティが急進的である所以は、表現の意味論的内容 決定に際して文脈が持つ影響が、表現自体の意味に制限されないと考える点にある。

このような語用論的プロセスはモジュレーション(modulation)と呼ばれ、表現自体の 意味によって文脈が必要となる補充(saturation)というプロセスと比べると、いわばト ップダウンな語用論的影響を認めているといえる。しかしながら、真理条件的語用論 をはじめとする急進的な文脈主義には、有力な反論が存在する。それは、言語形式を 超えた文脈鋭敏性は構成性と両立不可能である、という反論である。伝統的な構成性 概念によれば、複雑表現の意味は、その構成要素である単純表現の意味とそれらの構 成規則にのみ依存するため、ボトムアップに決定されることになる。しかし、モジュ レーションという語用論的プロセスは、純粋に文脈によって解釈の変更を促すトップ ダウンなプロセスであり、このような語用論的影響を認めると、構成性というボトム アップな意味決定のプロセスが維持できなくなるのではないか、そう論じられるので ある。

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以上の背景のもと、本発表では次のことを述べる。まず、レカナティが上記の困難 を克服するために 2010 年の『真理条件的語用論』において提示した「語用論的構成 性」というアイディアを概観する。この新たな構成性概念は、複雑表現の意味が単純 表現の意味から構成される各段階に文脈の影響を認めるため、伝統的な構成性に比べ、

弱い構成性の概念といえる。次に、語用論的構成性が、構成性概念として妥当なもの であるのか考察する。レカナティは語用論的構成性を論証する際、いくつか新たな概 念を提案しており、本発表ではそれらについても検討する予定である。

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