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大河内暁男

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Academic year: 2022

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(1)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

│ ボ ウ ル ト ン 日 ウ オ ツ ト 商 会 の 事

例l

11

大 河 内 暁 男

第二節 第二郎

第三節

問題の所在営業文書に見られるボウルトン日ウォット商会の減価償却実施状況

減価償却認識の形成過程

第一節 問題の所在

本稿は︑イギリス産業革命のさなかで最も大きなエ場経営を行なっていた企業の一ったる︑かのボウルトン

H

ウォ

ット商会の会計帳簿を資料として︑国定資本の減価償却という近代工場経営に特徴的な会計認識と技術とが︑歴史上

どのように形成されたのかを︑実証的に明らかにしようとするものである︒この分析対象を取り上げるにあたって︑

F出来革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

(2)

産業

革命

期イ

ギリ

スに

おけ

る減

価償

却の

成立

過程

ひとこと問題の所在を説明しておく必要があろう︒

いったい︑産業革命の過程で工場制度が出現したことは︑個別企業の衣場から見ても︑単に生産技術上の大変革が

もたらされたということだけを意味するものではなかった︒この生産技術のf災化は︑これを経常の素材的あるいは使

用価値的側面から見るならば︑経営内に大規模な工場建物や新たな機械設備などが大量に持ち込まれることであった

が︑同時に︑これを経営のいま一つの側面たる価値的側面から見るならば︑さし当り︑いわゆる間定資本の俄な増大

現象に他ならない︒そしてその結果は︑経営内で流動資本に対して固定資本が占める比率もまた急上昇するというこ

(1

) 

とになったのである︒

そこで︑経営体を価値的に把握し表現している会計においても︑生産技術の変革の結果を反映して︑当然にその記

帳数字に大幅な変動を来たすことになった︒だがそれは︑単に数量的変化だけにとどまるものではなくて︑経営体が

価値的に自己を表現する手段としての会計の方法そのものに︑ある種の基本的な変化をひき起こさねば止まないもの

であったのである︒それは次のような事情による︒すなわち︑産業革命の結果︑桂営内において同定資本の占める比

重が増大して︑会計上︑流動資本に対する画定資本の会計的特殊性をもはや無視していられない状態が出現したとさ

に︑旧来の会計技術(商業簿記的会計技術)では︑この間定資本をどのように評価し︑処理すればよいのかという現

実の必要に︑十分には対処できなくなったのである︒

庖大化した固定資本を会計的に把握し表現する場合の困難は︑何よりもまず次の点にある︒

すなわち︑回定資本

l土

一会計期聞をこえて︑長期にわたって経営内にとどまりながら︑使用n生産に応じて漸次その価値を商品に移転

せしめる性質のものであるから︑経営内における固定資本の価値は︑年々︑あるいは会計期間ごとに︑期中に使用さ

(3)

れた分だけ漸次U減少してゆく︒このような︑資産の漸次的価値移転と残存価値減少という認識がいかにして形成さ

れたのか︑そしてまた︑かかるものの考え方が成立したとしても︑直接に視覚では捉えがたいこの量的変化を︑

って合理的に計数的に捉えるか(つまり減価償却するか)とい︑7︑ どうや

いわば二煮の困難なのである︒ここでは︑商品資

本たる資産が期中に販売されることなく経営内にとどまっていたが故の目減りとも

41

P7

べき︑資産価値減少を評価す

産?る 資ム旧 本 ク 来

σ コ 1 ] )

部 棚 分 卸

価 評

f

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測 か 定 ら

と 一転して︑期中に使用されたが故に経営外に転出した(あるいは転出すべき)資産"生

それに基づく経営内の資産価値減少の評価︑つまり減価償却技術へと︑減価認識が︑

コペルニグス的転回をとげることが必要なのである︒したがって︑さし当り︑減

2

)

価償却の形成が︑産業革命期の工業会計の中心問題として登場することになる︒ したがってそれ宮含む会計技術が︑

産業革命期のイギリスの企業は︑世界に先駆けて工場制度を成立せしめただけに︑会計上のこの減価償却という問

題にも世界史上はじめて当面した︒そこで︑その解決策もまた自ら工夫し発見する他はなかったのである︒

3

)

は︑ボウルトンuウォット商会が︑自己の経営内に増大し始めた固定資本を前にして︑その会計的問題をどのように

(4

U

5

)

知覚し︑減価償却と称んで差支えない会計技術││それは現在史料的に確認できる限りで最も早期の減価償却である

以下 で

ーーを作り出したのか︑その跡を同商会の会計帳簿を整理しつつ追って︑同商会における︑したがって世界史上おそ

らく最も早期の事例と思われる︑減価償却の成立過程を明らかにしたい︒

(1

)

この点については︑経済史家の聞には異論も無くはない︒たとえば

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・u・こうした見解への批判としては︑拙稿﹁産業革

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経営

史学

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産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

(4)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

( 2 )

﹁固定資産の価値の移転の過程を計算的に捕捉する方法が︑即ち減価償却による計算手続である﹂(木村和三郎﹃減価

償却研究﹄一O頁﹀︒マニュファクテャl的技術水準の段階では︑経営内における固定資本は︑物的にも価値的にも︑作業

場建物を別とすれば︑道具類などわずかなものであったから︑その減価が会計上問題になることは殆んどなかった︒また価

額の嵩む作業場建物については賃借が一般的だったので︑そこにも減価の問題は生じなかった︒なお茂木虎雄﹃近代会計成

立史論﹄第八章を参照せよ︒

( 3 )

ボウルトン日ウォット商会の会社組織の推移について︑ひとこと説明しておきたい︒ボウルトンHウォット商会は︑周

知のごとく︑マシュウ・ボウルトンとジェイムズ・ウォットの両名を出資者とする合名会社として︑一七七五年に設立さ

れ︑ソホウ製造所におけるウォット式蒸気機関の製造ならびに販売を業務として︑一八

OO

年まで存続した︒この間一七九

四年に︑ボウルトン︑ウォットのほか︑ボウルトンの息子マシュウ・ロビンスン・ボウルトン︑ウォットの二人の息子ジエ

イムズ二世およびグレゴリを加えた新会社ボウルトンHウォットu父子商会が設立されて︑それまでボウルトンNウォット

商会が行なっていたソホウの蒸気機関製造業務を実質的に引き継いだ︒それと共にボウルトンuウォット商会は︑この新会

社に対する出資者的・後見人的役割を果たすことになった︒一八

OO

年にボウルトン日ウォット商会は既定の方針通り解散

したが︑民時にウォット父はボウルトンHウォットH父子商会からも引退してしまったので︑向商会の残る四人で新組織ボ

ウルトン日ウォット会社を結成した︒その後グレゴリは一八O一二年に早世し︑ボウルトン父は一八O九年に世を去った︒そ

こで会社はいま一度組織を新たにして︑マシュウ・ロビンスン・ボウルトンとジェイムズ・ウォット二世の二人を出資者と

する会社企業︑ボウルトン"ウォット会社となった︒本稿で取扱う対象は︑いちおうボウルトンH

ウォット商会の末期か

ら︑一八

OO

年に設立されたボウルトンHウォット会社の求までである︒

なお︑ボウルトンuウォット商会の名をもって代表されている以上の一連の企業活動については︑

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‑O

岡山口町田江口口のほか︑中川敬一郎﹁イギリス産業革命ーーその経営史的考察﹂(大塚久雄編﹃資

本主義の成立﹄所収)第一二節︑拙稿﹁イギリス産業革命期の企業構想││マシュウ・ボウルトンの場合││﹂(﹃立教経済学研究﹄二三巻一│二号﹀第四節を見よ︒

(4

)

エiリック・ロウルはボウルトンHウォット商会等の営業文書を資料として駆使して︑同商会の形成期の経営発達史と

して

著名

な︑

前掲

﹀ロ

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(5)

るけれども︑ボウルトン目ウォット商会等が︑一八世紀末から固定資本の減価償却を行なっていたととを指摘し︑同商会の

会計技術上の先進性を高く評価している(同書一二一一一Ill四頁および附録三︑二一)︒ポラlド等後学が減価償却にかんして

ボウルトンEウォット商会に言及する時の典拠は︑いずれちロウルの研究である︒もっともロウルの場合は︑帳簿の上で建

物や機械の減価が計よされている事実を紹介するにとどまっており︑その内容の検討や︑なぜ︑また如何にして︑固定資産

の年々の価値減少ということが考え出され︑計量されたのかという点︑言わば減価償却形成史については︑関心を示してい

なし

そこで私はかつて︑ロウルが提供している史料から︑ボウルトンuウォット商会に見られる減価償却は︑固定資産の減価

を認識しながらも減価率の算定基準がわからないので︑この当時工業経営に広く行なわれていた作業場賃借経営(その内容

について詳しくは拙稿﹁イギリスエ鉱業における作業場および土地の賃貸借の展開とその意義﹂﹃立教経済学研究﹄一七巻

四号

i

一八巻三号を見よ)における賃借物件の評価に準えて︑自己所有の回定資産の減備を表現しようとした︑したがって

その限りで利子率によって減価率を規定しようとした︑端緒的な(減価率が未だ独自の根拠を持たずに︑利子率に規定され

ていろという点で端緒的だと言いたい)減価償却技術として位量づけてみた(前掲拙稿﹁産業革命期イギリスの工業におけ

る固定資本概念﹂)︒ところがその後︑ボウルトンuウォット商会の営業文書を直接に関読し検討した結果︑現存の文書だけ

からでち︑右に述べた位置づけを含めて︑ロウルの資料紹介よりはいま少し詳しく︑かつ歪確に︑減価償却の形成過程を明

らかにでさることが判明した︒

︿5

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六九年にキャロシ会社で減価償却が行なわれたとしており

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V︺れが事実とすれば︑キャロン会社をもって減価償却実施の哨矢とす八きであろう︒しかしこの事例は︑キャロン会社が一

七六

O

年に設立されてから後︑九年を経て︑財政的危機に陥った際に︑対応再建策として資産評価をまったく事後的に︑し

かもただ一回行なったというものであって︑その計算方法として経過年に応じて年々定率で評価損を計上したものにすぎな

い︒したがってこれを継続的な会計手続としての減価償却と看倣すことには賛成できない︒

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

(6)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

第二節

営 業 文 書 に 見 ら れ る ボ ウ ル ト ン 日 ウ オ ツ ト 商 会 の 減 価 償 却 実 施 状 況

(6

) 

︑ ハ lミンガムの市民図書館に保管されているボウルトンHウォット商会関係史料には︑ボウルトン日ウォット商会︑

ボウルトンーウォットn父子商会︑ボウルトンHウォット会社と継起した蒸気機関製造企業の経営にかかる︑ソホウ蒸

気機関製髭の帳簿類が数多く含まれている︒この帳簿類のなかには︑同製造所において回定資本に関する会計処理

(8

を行ないだしたと思われる時期の︑固定資本にかかわる帳簿が数種類あり︑それらはいずれも︑先駆的大工場経営を

展開したボウルトンH

ウォット商会らが︑経営内に急増した固定資本を会計上どのように認識していたかを読み取る

ことのできる史料として︑きわめて興味︑深いものである︒そこで以下において︑この帳簿類を資料として︑減価償却

の形成過程を分析してゆくことにしたい︒ところで︑現在残されている帳簿類は︑いずれも︑企業の存続期間を通し

て一貫して残っているものではなく︑断片的または断続的なものでしかない︒けれども各種帳簿をつき合せ︑継︑ぎ合

せて︑継続性をもった資料を再構成することはある程度まで可能なので︑まず残存第一年次の早いものから年代順に

列挙してみよう︒以下で使用する際の便宜上︑それぞれ邦訳を付してお︿︒

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棚卸財産目録

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) 雑営業費一覧

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目白

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呂口

) 財産在高表

(7)

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一般営業費一覧

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O B 開 祖

83

財産目録

これらの帳簿のなかで︑表題だけからでは内容が不明瞭なものについて︑簡単に説明しておくことが必要かと思わ

れる

まず第一と第四の﹃財産在高表﹄は︑いずれも﹃元帳﹄に連関させられた人名勘定的な財産在高表で︑資産も負債 ︒

もともに人名勘定で記載されているが︑そのほかに︑この在高表には資産として建物価額と棚卸資産価額とが記入さ

れている︒本稿の目的からすると︑固定資本としての建物価額の推移を知りうる点に︑本史料の利用価値があるわけ

である︒第一の﹃財産在高表﹄(一七九二五﹀はボウルトンnウォット商会のもの︑第四の﹃財産在高表﹄

(一

七九

i

O

)

はボウルトン"ウォットu父子商会のものである︒﹂の二つの﹃財産在高表﹄の関連については︑次

のごとくである︒すなわち︑ボウルトンHウォット商会は︑ソホウ製造所における蒸気機関製造業務を一七九四年に

新会社ボウルトンnウォットH父子商会の手に移したが︑それに伴って︑ソホウ蒸気機関製造所の会計も一七九五年

から新会社に移管した︒そこでボウルトンHウォット商会時代の﹃財産在高表﹄の内容のうち︑ソホウ蒸気機関製造

所関係のものは新会社の﹃財産在高表﹄に引き継がれていった︒したがって︑この二つの﹃財産在高表﹄は︑ソホウ

蒸気機関製造所自身に関しては一貫した内容を有しているわけである︒

第三の﹃雑営業費一覧﹄と第七の﹃一般営業費一覧﹄は︑帳簿の名称こそやや異なっているが︑いずれもソホウ蒸

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

四五

(8)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

四六

気機関製造所おけるに間接費の費目別一覧で︑内容的にも年代的にも継承関係にある︒試みに︑現存する帳簿の第一 年度たる一七八六年から一七八七年九月三

O

日までの年度について︑その内容を次に引用してみよう︒

﹃貸

倒れ

一八二ポンド一七シリング八ペンス半︒

建物減価︑二八ポンド一一一一シリング六ペンス︒

ボウルトンに利子支払︑七六二ポンド一八シリング二ペンス︒

ウォットに利子支払︑五二二ポンド七シリング︒

( )

庶務費(俸給)︑三八六ポンド一四シリング二ペンス四分の三︒﹄

ここでは﹃建物減価﹄とい︑7

項目が立てられていることに注目されたい︒その内容がいかなるものかは︑本稿の中心 問題にほかならない︒以上に述べたもの以外の帳簿は︑その名称が内容を明示しているので︑説明は不要であろう︒

(6

)

その概略については︑拙稿﹁ボウルトンnウォット文書について﹂(﹃立教経済学研究﹄二二巻三号)を見よ︒

(7

)

ボウルトンHウォット商会は︑ボウルトンが建てたソホウ製造所の一隅に蒸気機関製造用の仕事場を設けて︑業務を開

始した︒帳簿ではこの作業場は﹃ソホウ﹄︑﹃ボウルトンHウォット商会︑ソホウ﹄︑﹃蒸気機関製造所﹄などの名称で現わ

れる︒ソホウ製造所には︑このボウルトンHウォット商会のほかに︑ほぼ同時代に︑ボウルトンnフォザギル商会(一七六

一一

│八

一)

︑ボ

ウル

トン

Hエジントン商会(一七七八!八

O

﹀︑ボウルトン目スケール商会(一七八二│九六﹀︑ボウルトン

・ボタン商会(一七八二│一八O九﹀︑ボウルトン日ウォットH

キア商会合七八

Oi

九四)などが同居して︑製造に従事

していた︒したがってソホウ製造所は蒸気機関製造用の独立工場だったわけではない︒なお︑ボウルトンHウォット商会は

一七九五年に新工場﹃ソホウ鋳造所﹄をソホウからやや離れたスメジック(パlミンガム西郊)に建設するが︑この新工場

の会計帳簿は﹃ソホウ蒸気機関製造所﹄とは別に作成されている︒本稿ではこの新工場は分析対象としない︒

(8

)

ロウルは会計数字の出典をすべて︒

E R g o

討としているが︑私が原帳簿にあたった限りでは︑固定資本の減価償却

(9)

という内容をこの資料から知ることはできない︒またこの帳簿は一七九

O

年以降しか現存しないので︑それ以前についてロ

ウルが掲げている数字の出典も明らかでない︒ロウルが用いた帳簿は何等か別穫のものであったと思われる︒なお︑文書の保管状況からみて︑減価償却に関係ある帳簿をすべて閲読するということは極めて困難であり︑脱落なしとはとうてい断言

できないが︑私が限られた日時で探索した範囲では︑本文に列挙した各種帳簿が問題となる︒

(9

﹀﹃雑営業費一覧﹄はボウルトン目ウォットu父子商会の帳簿だが︑同商会は一七九四年の設立であるから︑それ以前の時期について同商会の帳簿が存在することは一見奇妙である︒ところでこの帳簿のうち︑同商会が設立される以前の時期についての分は︑一七八六

l

九一年と一七九二四年というこつの時期に分けられて︑それぞれ一枚の紙にこの数年分が年別

にまとめて記載されている︒この状況から判断して︑この時期の﹃雑営業費一覧﹄は︑おそらく同商会が設立された時点

で︑ボウルトンゥォット商会の元帳もしくは何等か他の帳簿から間接費と看倣せる費目を室聞き抜いて一覧にまとめ︑新会社ボウルトンHウォットu父子商会の経営上の参考資料にしたものではないかと思われる︒(叩)これは四人の事務員の俸給︒その人名は一七九九年の庶務費に記載されている︒

帳簿はいずれも一年を計算期間として︑毎年九月三

O

日(例外的に十月一日)付をもって作成されている︒この各 種帳簿を務理してみると︑工場など建物の期末価額については︑二つの﹃財産在高表﹄︑

﹃元

帳﹄

﹃財産目録﹄およ

び﹃損益計算﹄を継ざ合わせておよその状況を知ることができる︒機械類についても同様に︑

﹃棚卸財産目録﹄︑﹃元

帳﹄および﹃損益計算﹄から︑価額の推移を追跡できる︒ところが右の価額とは別に︑

一七八六年以降について残存

している﹃雑営業費一覧﹄には︑さきに指摘しておいたように︑建物について﹃建物減価﹄(切巳広宙開り

2 3 8 0 )

る項目が立てられている︒との項目は一七九六年まで続いており︑その後一七九八年から﹃元帳﹄の﹁一般営業費﹂

のなかに︑また一七九九年から一八

O

三年までの﹃一般営業費一覧﹄に︑名称が若干変更されつつ引き継がれて︑現

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

(10)

産業

章ム

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イギ

リス

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ける

減価

償却

の成

立過

われ

てい

る︒

機械頬についても︑建物と同様︑その減価を記した項目が見受けられる︒ただ機械類の減価を算定する項目が出現

した時期は︑建物のそれよりも遅れて︑一七九八年の﹃元帳﹄の﹁一般営業費﹂に﹃機械の使用に対して﹄

(

5

5 0

︒同

日常

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己なる経費が計上されたのが最初のことであった︒翌年からは吋損耗に対して

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と名称を改めている︒また一七九九年からは﹃一般営業費一覧﹄にも﹃機械の損耗﹄

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)

が現

われ

て︑

ヨ見帳﹄と同一の数字を掲げている︒しかもこの﹃一般営業費一覧﹄には︑﹃機械の損耗﹄と並んで

﹃機

械の

修理

﹄と

い︑

7項目も掲げられているので︑円機械の損耗﹄は︑明らかに修理費からは区別された︑使用に基

づく機械の年々の自然損耗を価値的に表現した項目と看倣して誤まりあるまい︒

こうして建物や機械の年々の減価分は︑経費として計上されていることによって︑年々回収されたことが示されて

いる︒ところで︑このように固定資本ハu資産)の年々の減価を評価する項目が出現するのに伴って︑

﹃財

産目

録﹄

における毎期末残存固定資産の評価額は︑年々︑前期末の評価額から当期中の減価額をまず差し引き︑ついでこれに

当期中に行なわれた追加投資の金額を加算するという︑きわめて整然たる手続をもって算出されることになった︒

七九八年以降の﹃元帳﹄は︑かかる計算手続が行なわれていたことを間接的に示唆しているが︑この手続形式を帳簿

上はっきりと示しているのは︑

一 八

O

五年以降の﹃財産目録﹄である︒たとえば一

λO

五年九月三

O

日付の﹃財産目

録﹄では︑建物価額が次のように計算されている︒

﹃協

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M

ここに見られる﹃損耗に対して一

O

パーセント差引﹄という操作は︑建物や機械などの年々の使用による減価が経

費として認識され計上されたことに対応して︑その減価額だけ残存価値を低めさせることに他な︑りない︒したがって

﹂こ

には

一方で︑固定資産の価値は使用によって年々商品に移転して︑その移転分の価値額は経費として計上・回

収され︑貨幣形態で経営内に還流すること︑他方で︑現物形態の閤定資産として経営内にとどまっている固定資本の

価値は︑右の貨幣形態に転化した分だけ減少すべきとと︑という会計構造が作り出されているわけである︒しかもこ

うした固定資本の会計処理は︑すでに指摘しておいたように︑きわめて規則的に︑日常化した会計操作として行なわ

れるに至ったのである︒その状況を詳細に一不すために︑つぎに︑固定資本のなかでこの当時として最も重要な項目と

思われる建物と機械類について︑現在明らかにし得る眠りで最も早い時期から︑減価の会計手続が日常化したと看倣

せる時期までの︑毎期末簿価と期中の算定減価額とを一覧表に作成してみた︒それをここに掲げる(第一表)︒

見られるように︑継続的に価額の推移を辿れるようになるのは︑建物の期末簿価は一七九二年から︑その減価額は

一七

C

年からであり︑機械類については期末簿価は一七九七年から︑減価額は一七九八年かちのことである︒機械

類の期末簿価については︑これよりも先に︑一七八一二年から一七九三年にわたって存在する﹃棚卸財産目録﹄で︑機

械︑工具類︑原材料などが未整理のままに列挙されているので︑それによって機械類の総価額を算出することも不可

能ではない︒けれどもこの帳簿においては︑機械類はすべて︑終始減価することなく︑取得原価のままの簿価を維持

しているのである︒したがって︑この帳簿に基づけば︑少なくも一七九三年までは︑機械類について年々の減価とい

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

四九

(12)

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ι 一 一 正

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1803 

14

N

A U  

一司自ょの︐白

/ 4 .

Je s. d. 

i

  s. d. 

58.14.6 

28.18.6 *1 

1.  {で括つである場合は,二種以kの帳簿の数値が不一致のもの。

2.  叫ま機械のみで,付属品正含まなL

3.  C Jで阻んだものは「放棄した古機械』の特別減価額。比率計算には含まなh0

4.  典拠帳簿は後掲注11を見土。

産業革命期イギリスりおける減価償却の成立過程

M m  

n

RU

10  15  15  15  15  15  15  I五

O

(13)

う考え方は存在しておらず︑またそうした会計手続もとられていなかったと判断して差支えないであろう︒そうであ

れば︑機械類について減価の会計手続が開始されるのは一七九四年よりも後のことであり︑そして一七九八年には残

存資料によってその手続を確認できるので︑この年までに減価の処理を始めていた︑ということになる︒

なお

一七九八年からは︑機械類のほかに︑工具や道具類についてまでも︑

一例として たとえば鍛冶場︑組立工場︑真鍛鋳造

所︑鋳型製造所︑揚水機試験場など︑作業場ごとに分類されて︑毎期の減価が算定されるようになった︒

鋳型工場の鋳型についてその実施状況を示しておこう(第二表)︒

鋳型製造所における鋳型の簿価と 減価償却額

期 末 簿 価 減価償却額 : (率〕

J

!

  s. d. 

1798  348.14.5   !Js. d.  1799  642.  8.7  30.18.1  1800  748.15.3  58.14.4 

1801  1129.12.8  74.  8.11  %  1802  1515.14.11  108.  8.3  10  1803  2034.19.7  151.11.6  10  1804  2167. 1. 4  305.  4.11  15  1805  2266. 1. 3  325. 1.2  15  1806  2315.  2.6  339.18.2  15  1807  2214.10.10  288.18.5  15  1808  2347.‑.9  332.  3.7  15  1809  2335.  3.9  352. 1.1  15  1810  2396.  3.6  350.  5.7  15 

第2表

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

『元帳j (17981810) 

「財産目録J(18051810) 

資料 1. 

2. 

以上のような状況からみて︑ソホウ蒸気機関製造所

にお

いて

は︑

一七

0

年代から一八

00

年代早々まで

の聞に︑固定資本の減価償却という会計的認識が成立

し︑その技術が作り出されて︑日常的継続的にそうし

た会計処理が行なわれるようになったと言えよう︒

(口﹀第一表数値の出所︒便宜上︑前掲資料一覧(四四

‑五

頁)

に付

した

番号

をも

って

示す

︒建

物期

末簿

価︑

一七

八三

i

九五(上段﹀①︑一七九五(下段)九九①︑一八OO│二①︑一八OOl一O①(一八O四年

については上段数字)︑一八O四l一八一O③(一八

O四年については下段数字)︒建物減価償却額︑一七八七九六③︑一七九八l一八一O@︑一七九九│一八O三⑦︑一八O五一O③︒機械類期末簿価︑一七

(14)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

九七

l

一八一O③︑一八OO一八O二@︑一八O四!一O@︒機械類減価償却額︑

一O⑥︑一七九九一八O三⑦︑一八

D

五一O①︒

一七

八三

l

三②

︑一

七九

八│

一八

第 三 節

減価償却認識の形成過程

右に掲げた第一表﹁ソホウ蒸気機関製造所の固定資産簿価と減価償却額しを一覧しつつ︑本稿冒頭で掲げた問題︑

すなわち︑減価償却という会計上の認識とその技術がどのようにして形成されたのか︑という問題を思い出したい︒

そこでまず第一に浮かび上がる問題点は︑なぜソホウでは減価償却を考え出したのか︑その理由を明らかにする手が

かりは得られまいか︑ということである︒これに付随して︑第二に︑物理的損耗が人目につきゃすいという点で︑機

械類は建物よりも容易に減価に気付かれるはずだが︑その減価償却は建物についてよりも遅れて開始されている︒

の理由はなにか︑という問題が生ずる︒そしてまた︑この事実が︑減価償却認識の形成史を解明するにあたって︑

L

かなる意味をもつのかということも問題となる︒第三に︑ここに行なわれている減価償却はどのような基準によって

算出されたものなのか︑この点が問題となる︒それは︑償却の基準が︑画定資本の位質上独自の条件に規定されて作

り出されたものなのか︑それとも他律的な基準であるのかを明らかにすることによって︑減価償却概念の成熟の度合

を知ることができるからである︒

まず第一の問題点︒すなわちソホウではなぜ減価償却を考えだしたのか︑またその発想の過程はどのようなもので

あったのか︑という問題について︒この間題は︑﹁減価﹂概念の形成を前提するものであるから︑ソホウにおける減

(15)

価概念の検討がまず必要であろう︒そのために︑さきの会計帳簿をいま一度整理してみると︑既に指摘しておいたこ

とだが︑この帳簿においては︑内容的には同じ﹁減価﹂を取扱いながら︑その項目名が二転三転している事実が目を

ひく︒この点にしばらく注目したい︒というのは︑この項目名には︑その時その時での﹁減価Lおよび﹁減価償却﹂

についての認識の仕方が反映されていろように思われるからである︒そこで︑項目名がどのように変ったのか︑その

跡を年を追ってたどってみることから分析を始めよう︒

﹁減価﹂を意味する項目が最初に登場したのは一七八七年の叶雑営業費一覧﹄だが︑この帳簿では同年以降一七九

六年

まで

一七

九五

年を

除い

て︑

一貫して﹃建物減価﹄(回E55

関口

2520)という名称が用いられており︑

一七

五年

のみ

は﹃

建物

につ

いて

の利

子一

年分

﹄戸

吋8

2H

E‑

︒ロ

回E

‑a

Z岡

田)

と記

され

てい

る︒

ついで﹁減価﹂が現われる

のは﹃元帳﹄だが︑ここでは﹃作業場の損耗ト(司自門え

ω

宮官

)︑

﹃機

械の

使用

﹄合

80

同E

Rr

‑D

R5

1l

いず

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一七九八年ill︑建物﹃価値の減価﹄(骨288ESE$li一七九九i一

λ O

四年

i!

﹃損

耗﹄

(老

町民

r

g m c

1l機械については一七九九年以降︑建物については一八

O

五年以降11︑となっている︒﹃元帳﹄とほぼ併存して

いる﹃一般営業費一覧﹄では︑

﹃建

物の

減価

﹄(

りO

Rg

由︒

︒同

切丘

豆諸

61

11

一七

九九

l一

OO

年1

l︑

﹃建

物の

少価値﹄92宮山田包︿払50同EEE

)i

i一

O

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三年

││

﹃機

械の

損耗

(J

Sm

w吋 件

HO

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HH

HR

Eロ

白門

司)

‑i一七九九1一八

O

一年

1l

﹃機械の減少価値﹄322自己記‑50内宮mnE53)ll一入

O

二│

一ニ

年1

iと

記載されており︑また一八

O

五年以降の﹃財産目録﹄においては︑建物も機械も共に﹃損耗﹄(当刊号待SR﹀をもっ

て減価を表示されている︒

以上に列挙した﹁減価﹂を表示する用語は︑大別すれば︑﹃減価﹄と﹃損耗﹄の二系統に分けることができる︒そ

産業

革命

期イ

ギリ

スに

おけ

る減

価償

却の

成立

過程

(16)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

五回

して︑およそ一八

O

l

五年を境目として︑ぞれ以前には主として﹃減価﹄が用いられており︑

それ以後になると

﹃損耗﹄をもって統一的に表記されるようになったと一言ってよい︒さらにいま一歩立入ってみると︑﹃減価﹄という

用語

は︑

一七八七年から一八

O

四年まで︑主として建物の価値減少を表す場合に用いられており︑これに対して﹃損

耗﹄

は︑

一七九九年以降︑まず機械の減価を表示する場合に用いられ︑やがて建物についてもこの用語に統一される

ことになった︑ということがわかる︒

さて︑機械については︑減価処理の表現として︑通常の使用に基づく自然磨耗を意味する﹃損耗﹄

( d

Z R

伶芯目︒

が用いられているので︑このことによって︑価値減少の原因が年々の使用にあるという認識を明示していると言えよ

︑ つノ ︒

これに対して︑建物の減価処理にあたっては︑その初期には﹃減価﹄と記載されていたのだが︑それではこの減価

の原因は何であろうか︒単に﹁減価﹂と記されているのであるから︑その原因が使用に基づく自然磨耗なのか︑棚卸

的な評価損なのか︑それともさらに別の原因を考えていたのか︑直ちには明らかでない︒この点を分析する手がかり

として注目してよいと忠われる次のような事実がある︒すなわち︑﹃雑営業費一覧﹄において︑一七九四年まで﹃減

価﹄と記されていた項目名が︑一七九五年には﹃建物に対する利子一年分﹄と改められ︑翌年には再び元の﹃減価﹄

に戻っているのである︒これと同様に︑一七九八年以降の﹃元帳﹄においても︑右の﹃雑営業費一覧﹄の建物﹃減

価﹄項目を引き継いだ項目が︑﹃作業場の損耗﹄←﹃減価﹄←﹃損耗﹄と︑名称を変化させているのである︒こうし

た事実は単に呼び名の問題にすぎないと一一一一口ってしまえばそれだけのことだが︑しかし一つ会計現象に対する名称が試

行錯誤的に二転三転して︑やがてある特定心名称に安定したということは︑りての名称の背後にある事実認識︑あろい

(17)

は︑その名称をもって表現しようとした概念の推移を反映しているように思われる︒そこで煩を厭わず︑いま一歩こ

の項目名の分析を進めてみたい︒

(1) 

まず﹃雑営業費一覧﹄についてみると︑ここで項目名が﹃減価﹄から﹃利子﹄に︑そして再び﹃減価﹄に戻った

という経過は︑この二つの用語の背後にある認識の互換性を示しているのだが︑その内容を検討してみると次のよう

に言えよう︒すなわち︑ここに現われている﹃減価﹄は︑減価の原因をそれ自身で明示してはいないが︑ともかく︑

投下元本が減価したからその価額分を経費(間接費)として計上・支出(したがって回収﹀しなければならない︑と

いう考え方を示している︒これに対して﹃利子﹄として間接費に費目が掲げられることは︑一般論として言えば︑こ

の当時広く見受けられた利子観︑すなわち投下資本は利子を生み︑したがって投下資本の使用に対しては利子を支払

うべきだという考え方に基づいて︑その利子分の金額を経費に計上しようというものであったと思われる︒その限り

﹃利子﹄には価値減少という考え方は何ら含まれていない︒

﹃減価﹄と﹃利子﹄はこのように本来は理論的にまったく異なった考え方なのだが︑その両者が同一帳簿で互換性

をもって用いられているのである︒そうであるならば︑﹃減価﹄は︑この場合︑単なる棚卸在高評価による評価損と

は恐らく異なったものであり︑その発想において何がしか﹃利子﹄の考え方に関連のあるものであった︑と言わざる

をえまい︒また︑﹃利子﹄が単なる利子ではなくて︑何らか固定資産の価値減少とかかわりあう内容を持っていたも

のと考えざるをえまい︒

この一見奇妙な事態を整合的に理解するためには︑一八世紀当時の工業会計に関するやや複雑な事情を想起する必

要があると思われるので︑その点について少々言葉を費やしておきたい︒すなわち︑この当時︑固定資本の会計処理

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

五五

(18)

産業

革命

期イ

ギリ

スに

おけ

る減

価償

却の

成立

過程

五六

について︑以下のような二つの事情が存在したのである︒

第一に固定資産の減価概念にかかわるものとして︒当時の工業経営においては︑作業場など生産設備を賃借して経

営するというやり方が︑支配的な経営方法であった︒そうした作業場賃借経営においては︑賃借権の評価方法とし

て︑農地の賃借権評価と同じく︑賃借契約時における賃借資産価額を基礎に︑この原価額を賃借契約期間(多くの場

合満

ム一

O

年)で除して算出される利子なみの一定金額を年々減価させ︑契約期間満了の時点で賃借権の評価額も零に

(

)

なる︑という計算手続が行なわれていたのである︒ここでは明らかに支配資産の年々の減価という概念と計算手続が

考え出されていた点に注目されたい︒

第二に投下資本と利子との関係にかかわるものとして︒一部の大企業においては︑白己資本を投じて建築・所有し

ている作業場を白から使用していながら︑その建物に対すろ利子(通例は取得原価に法定最高利子率を乗じたもの﹀

( U ν  

という名目の経費を計上することがしばしば行なわれていた︒それは︑作業場賃借経営が一般的であった経営環境の

もとで︑作業場を自己所有するに至った大企業が︑作業場として投下した固定資本を回収する基準を模索しつつ︑賃

借経営における経費Tとしての賃借料に準えて︑自からに賃借料なみの︑したがって利子なみの経費を一課すことによっ

(

て︑投下資本を回収しようとする会計手続であったと考えちれている︒

さて︑以上に指摘した二つめ思考方法が一つの会計対象に結びつけられたならば︑どのような事態になるであろう

か︒経営内の固定資産価値は︑一方で年々利子率なみの率で減価し︑他方で利子率なみの率で算定された価額(これ

は当然減価額に等しい)が経費として計上されることによって貨幣形態に戻る︒これは︑減価の率が利子率によって

規定されていることを問わないとすれば︑まさに減価償却が行なわれることに他ならない︒こうした事情を念頭に︑

(19)

ソホウ蒸気機関製造所の場合に立ち帰ろう︒

ソホウで間接経費の一つとして﹃建物に対する利子﹄を計上しているのは︑すでに示唆しておいたように︑投下資

本に単に利子を生ませるためではなくて︑おそらく︑右に述べた第二の事情︑つまり固定資本同収手続の意味をもっ

ていたと思われる︒しかもその場合︑﹃利子﹄ほ経費としての﹃減価﹄と互換性を有することによって︑投下資本回

収手続たることをいっそう明瞭に示している︒

そし

てま

た︑

﹁利子﹁一と吋減価﹄が互換性をもつがゆえに︑

﹃利

子﹄

は︑利子発生源たる投下元本n固定資産が年々減価するという認識を含んだ特殊な利子なのである︒次に事態を﹃減

価﹄からみれば︑﹃減価﹄が計上されるとき︑それは支配固定資産の年々の価値減少を評価する点で︑上述の第一の

事情たる賃借権残存価値評価に準えたものであったと思われる︒ところが︑この自己資本の﹃減価﹄は経費として計

上ぎれていることによって︑投下資本回収手続であったことを示しており︑その点で投下資本回収手続としての利子

支払(上述の第二の事情)と同じ会計的内容をもつことになる︒しかも﹃減価﹄が﹃利子﹄と互換性をもっていると

いう事実は︑固定資産の価値減少が利子支払のごとくに規則的に︑かつ利子率なみの率で︑年々進行するものと考え

られていたことを示している︒そして同時に︑吋減価﹄が賃借権残存価値評価に準えた手続であったことを裏づけて

もい

る︒

吋雑

常業

費一

覧﹄

(一七八六九六)に見られるソホウの減価概念は︑およそこのようなものであった︒ただしこの

場合︑減価は﹃利子﹄よりも﹃減価﹄と表示されることの方がはるかに多かった︑という事実自体が明瞭に物語って

いるように︑固定資産価値の年々の減少という側面からの認識に重点がおかれていたことを見落してはならない︒

(2) 

﹃雑営業費一覧﹄から﹃元帳﹄に移る過程で︑﹃減価﹄は﹃損耗﹄に改められたが︑﹃元帳﹄においてもこの用

産業

革命

期イ

ギリ

スに

おけ

る減

価償

却の

成立

過程

五七

(20)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

五八

語はやがて﹃減価﹄に変り︑そして再び円損耗﹄に一戻って︑以後一貫して﹃損耗﹄を用いるようになった︒したがつ

て﹃減価﹄と﹃損耗﹄はこれまた互換性のある用語のわけである︒ところで﹃損耗﹄は︑さきに述べたように︑使用 に基づく自然磨耗を意味するものだが︑この﹃損耗﹄と﹃減価﹄が互換的に用いられることによって︑減価の原因が

明示されることになる︒また同時に︑円損耗﹄は︑固定資産を使用すればその価値が減少するという認識を含んだ概

念であることも示されているわけである︒

こうして﹃損耗﹄の登場によって︑﹃減価﹄の内容はかなり明確になってくるわけである︒そこで︑さきの﹃減

価﹄と﹃利子﹄の互換性をも考えあわせると︑間定資本の減価はまず﹃利子︻=および﹃減価﹄という互換的な用語で

表現され︑

ついでこれまた互換的な﹃減価﹄と﹃損耗﹄によって表現され︑ぞしてやがて﹃減価﹄は姿を消して﹃損 耗七に表現を統一した︑という経過を辿っている︒この用語の推移は︑ソホウにおける固定資本の減価認識が︑作業

場賃借経営に準えた利子的なものから︑使用に基づく自然磨耗という減価の本来的内容を持つようになる過程を一示し

ている︑と一言ってよかろう︒

(ロ)前掲拙稿﹁イギリスヱ鉱業における作業場および土地の賃貸借制の展開とその意義﹂を参照︒(日)土地電家屋︑作業場などの賃借権は︑一八世紀当時︑ごく普通に売買されていた(この点については前注拙稿を参照)

が︑その売買にさいしては︑物件の残存価値の評価が行なわれた︒そうした状況を背景にして︑一部の大企業においては︑一歩進んで︑売買とは無関係に年々自己の賃借権を評価し︑残存価値を財産在高表に記帳すると共に︑減価分を経費として償却するという会計処理さえ行なっていた︒賃借権残存価値の評価は︑賃借物件原価額から︑この価額を賃借契約期間で除

して得られた価額(これは実は標準的な賃借料に一致する)だけ年々減価するものとして差引いて算定された︒こうした評

価の一例として︑ロンドンの一造船所における賃借権評価手続を示してみよう︒

﹃賃

借権

評価

︑期

間一

四年

四分

のコ

一に

て二

000

ポン

o

二年経過につき減額四心六ポンド二1

シリ

ング

六ペ

ンス

(21)

︹差引本年の在高︺一︑五九三ポンド四シリング六ペンス﹄(テイラー日マシュウズ商会のグラヴ造船所における一七九一年六月期の﹃財産在高表﹄による︒なお︑本史料はパl

ミン

ガム

市民

図書

館所

蔵)

(日)たとえばサミュエル・オウルドノウが行なった紡績費用計算は︑その典型的事例であると言ってよい︒

︒ 円

H

MR

Pω

回目口内凶目︒E片口

04

(

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} 2

1

HH

S

U

HU

(日)この点については︑さし当り前掲拙稿つ産業革命期イギリスのエ業における固定資本概念﹂を参照︒ の

‑d

H Ha

第二点︒機械類の減価償却は︑帳簿から確認される限りでは︑少なくも一七九三年まで実施されておらず︑九四年 から九七年までは帳簿欠落のため状況不明︑そして九人年以後は明らかに償却が行なわれている︒したがって機械類 の減価償却は︑建物にくらべておよそ十年も遅れて開始されたわけである︒との機械類と建物での減価償却実施の時 差は︑機械については初期には減価償却の必要を認識しなかったためか︑あるいは︑減価償却を行なわなくとも会計

上大きな不都合が生じなかったためか︑このいずれかの理由によって生じたものであろう︒

そし

て︑

もしそうである

ならば︑機械類について減価償却が開始されたと思われる一七九八年もしくはその数年以前から︑そうした減価償却

を必要ならしむ事態が発生したのだ︑ということにもなるであろう︒そこでいま少し立入って事情をみよう︒

いったい減価償却がなんら行なわれない場合には︑機械類の簿価はいつまでも取得原価のまま受け継がれざるを得

ない︒たとえば﹃棚卸財産目録﹄によれば︑ソホウ蒸気機関製造所内の蒸気機閣は一七人三年に三八一ポンド一

O

リン

グ一

0

ペンス半︑大シリンダは同じく一七八一二年に五

0

ポンドと評価記帳されているが︑これらはいずれも︑

七九三年に至るまで十年間︑一貫して同価額で記帳されている︒この事実は︑これら機械類について減価償却が行な

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

五 九

(22)

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程O

われていなかったことの証拠なのだが︑このような事実はソホウ蒸気機関製造所に独特のものではなく︑同時代の他

(vm) の企業にも類例安見出すものであった︒

ところで︑機械自身ほ使用されるにつれて損耗するものであるから︑右の場合のように︑なんら減価償却を行なわ

ずに︑取得原価のままの簿価を維持していても︑やがてその機械が物理的に使用不能に陥った時には(経済的損耗は

さし当り問わないとして)︑資産から抹消し︑その簿価分だけ資産価額をいっきょに減じなければならない︒したが

って当該機械簿価総額は︑一度に損金的経費として計上され︑償却されることになる︒たとえば︑

一八

O

二年の﹃元

帳﹄で︑機械類の﹃損耗﹄u年次的減価償却八一ポンド余とは別に︑日本年手持資産とされていた価額の減価︑すな

わち放棄した機械︑一一ニ六ポンド四シリング﹄なる一般営業費の一項を計上している︒また一八

O

一 二 年

ι

も﹃放棄し

た古機械に対して︑三

O

一ポンド一シリング一一ペンス﹄が計上されている︒これらはおそらく︑少なくも一七九三

年に至るまで何らの減価償却も行なわなかった機械について︑一七九八年ころから開始された減価償却だけでは簿価

を償却しきれないうちに︑いよいよ機械そのものが使用不能に陥ってしまったための特別処置と思われる︒したがっ

てこの事例から推定して︑減価償却を行なわない場合には︑常にこの損金一時落し的処置をとらざるをえないし︑そ

の会計に及ぼす撹乱的影響は一段と大きな

L

のになるに違いない︒このような会計処理方法は︑機械価額が経営内で

僅かの比重しか占めていない場合や︑あるいは機械を未だ用いない手工業的技術水準の経営の場合には︑会計上たい

︿ )

した無理もなしに行なわれたに違いない︒そしてそれ故にこそ︑一見したところ建物よりも減価を認識しやすいよう

に思われる機械類について︑減価償却の考え方法却って成立しにくかった︑とも言えるのではないだろうか︒

ところがソホウ製造所のごとき工場形態をもった企業が歴史上初めて出現すると︑事情はやがて異なってくる︒そ

(23)

こでは︑道具や初歩的機械などに較べてはるかに高額の︑それでいて急速に損耗してゆく各種の機械が用いられ︑会

計上もこれら機械が占める比重は手工業的技術水準の場合よりもはるかに増大する︒そこ勺︑企業発足の当初は︑し

たがって設置された機械が新しい聞は︑機械の物理的性能が完全に発揮されているので︑損耗が会計上の問題として

登場することはないとしても︑やがてその機械が使用不能になるまでに損耗してしまった時に︑機械価額を一度に損

金として経費に計上するとなれば︑それは会計上少なからぬ負担と撹乱を伴う︒たとえば右に掲げたソホウの事例で

l土

一入

O

二年と三年に機械の通常減価償却は前期末簿価の一口パーセントをもって実施されたが︑それに上積みさ

れた古機械の特別償却は︑それぞれ一六パーセントと一九パーセントの率にも達している︒したがって通常償却と特

別償却とを合わせると︑

一八

O

二年には前期末簿価の二六パーセント︑

一八

O

一二年には二九パーセントという高い比

率になる︒この一例をもってしても︑機械の損金一時落し的償却が会計に及ぽす影響のほどを知ることができよう︒

このように︑産業革命の過程で初めて登場した機械が︑年数を経て損耗甚だしくなり︑初めて償却が必要となった

時に

一挙的償却による会計上の異常な負担の発生という事態に直面して︑ここにようやく︑旧来の道具類について

行なっていた損金一時落し的償却方法から脱却して︑機械類についても年次的な減価償却が開始されることになった

のではないだろうか︒

(日

)一

例と

して

︑ウ

ィル

トシ

ア︑

トロ

ウご

ブリ

ッジ

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参照

産業革命期イギリスにおける減価償却の成立過程

ノ ¥

(24)

産業草命期イギリスにおける減価償却の成立過程

ノ ¥

第三

点︒

ソホウ蒸気機関製造所における減価償却は︑いかなる基準によって行なわれたものであろうか︒先駆的減

価償却の事例であったが故に︑当然のことながら︑ソホウが用いることのできた既製の減価償却技術が存在するとい

うこ

とは

そもそも有りえなかった︒だがまた︑ソホウがまったく独自の会計処理として減価償却を行ない始めたそ

の過程において︑そこでどのような基準なり根拠によって減価を算定したか︑その点を直接に明示するような文書も

発見されていない︒こうした状況で︑償却基準を知る方法としては帳簿から償却率を逆算することが残されているの

みである︒以下まず償却率の推移を一瞥しようと思う︒

さきに掲げた第一表および第二表がはっきりと示しているように︑償却対象になっている固定資産価額とその償却

実施額との関係が明確になって︑その両者の数値を基礎に償却率を逆算できるのは︑一七九三年の建物減価償却が最

初の事例であって︑同年以後︑建物については償却率を逆算できるようになる︒機械については︑一七九八年から

後︑償却率を明らかにできる︒そこでまず建物についてみると︑第一年度たる一七九三年の減価額は︑その前後の年

度(一七九二年の減価額は明らかなので︑減価額のみの比較は可能である)に比較して異常に少なく(その理由は不

明)︑約半分にすぎないという例外的な状態だったが︑その減価額は前期末建物簿価のおよそ二・五パーセントであ

った︒したがって︑推論を許されるならば︑もしもこの年度に何らの異常事態も生ずることなく︑前後の年度と同程

度の額を減価償却していたならば︑右の比率はおそらく五パーセント程度になったものと思われる︒一七九四年から

九六年までは︑いずれも前年度末建物簿価の五パーセント相当額が減価として計上されており︑この当時の最高利子

参照

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