九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
ドイツニオケルサイキンノジサツ・アンラクシロン ギ : ビーレフェルトガクサイシンポジュームカラ
九州大学「医と法」研究会
https://doi.org/10.15017/1738
出版情報:法政研究. 44 (2), pp.144-194, 1977-12-30. 九州大学法政学会 バージョン:
権利関係:
料 資 料資
ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
ーービーレフェルト学際シンポジュームから一
44 (2 ・ユ44) 294
九州大学﹃医と法﹄研究会
劇 一九七五年三月一三日から一五日半で︑西ドイツのビーレフェルトにおいて︑同大学の﹃学際研究センター﹄ ︵N角5霞⊆ヨ露﹁ ︵1︶断ロ3巳一ωN旦冒跨Φ男︒﹃ω9毎ひq︹11N弓︺︶ は︑自殺・安楽死閥題に関して一つのシンポジュームを組織した︒そのシンポジュームの
報告集がアルビン・エーザー編﹃自殺とオイタナジーi人間科学と社会科学の問題として﹄︵一九七六年エンケ出版社︑医と法第一
輯︶として出版された︒ このシンポジュームには西ドイツ内外から三五人の︑自殺と安楽死問題についての著名な学者が参集した︒
一九七五年︑チュービンゲン大学に在外研究のため滞在していた私は︑ バウマン教授から︑たまたまこの著書の編者でもあり︑又︑ ︵2︶右シンポジュームの組織者であった︑アルビン・エーザー教授を紹介された︒ エーザー教授は七五年冬学期の刑法ゼミで﹃刑罰の社
会的機能﹄をとりあげておられたので︑このゼミに参加させて戴き︑同教授を親しく知ることができた︒七四年︑七六年と︑医療と
刑法との関連領域をゼミでとりあげられていたが︑在チュービンゲン中には︑私は︑右のシンポジュームのことは知らなかったし︑
本書のような著書が準備中であることも知らなかった︒刑法ゼミで医療問題を取りあげておられることから若干の資料を戴いたが︑
私の身近に医療問題の研究者である西南大学の西山雅明氏がおられたので︑同氏を紹介したりしていた︒
二 ところで︑今年度の刑法学会が共同研究として﹁医療と刑法﹂をとりあげることに決まった際に︑何かのついでに︑その旨を ︵3︶連絡したところ︑ エーザi教授から﹁法的観点における生命維持義務と治療中断﹂と題する論文抜刷の寄贈をうけ︑しかも︑同教授
篇の本書があることを知らされた︒そこで︑共同研究の何かの資料になるであろうと思い︑本書を至急とりよせ︑私と広島大学の金
澤文雄教授とで︑共同紹介作業を企画した︒幸いに︑多くの協力者を得て︑本書の全訳と要約を終えた︒本書は︑右のシンポジュレ
ムを基礎として︑その参加者の提出した報告論文を集めたものである︒四三二頁のかなりの量のものであるので︑原書一頁当り二〇
〇字の範囲内で各自の担当報告の要旨を要約したのが本稿である︒この法政研究には︑私の担当した本書の前半部分の要約のみを掲
載することにし︑後半は︑金澤教授の世話で︑判例タイムズ誌の来年一月号に掲載される筈である︒自殺の問題にしても︑安楽死の
問題にしても今日︑重大な法律問題であり︑本書や右のシンポジュームの︑わが国における意味について︑金澤教授と私とがそれぞ
れ︑本要約作業とは別途に︑論稿を発表する予定である︒ ここでは︑さし当り︑本書の要約をかかげ︑ 参考に供したい︒ 特に前半
は︑自殺の問題をかなり重点的にとりあげてあるため︑ そのわが国における評価をするのに私にとっては︑若工−の準備を必要とす
る︒金澤教授のその論稿は︑ジュリスト誌一一月一日号に登載された︒
三 ここに︑本書の共同紹介作業に参加された方がたの氏名を明らかにし︑あわせて御臨力に感謝したい︒ ︵井上祐司記︶
﹃自殺とオイタナジー
一人間科学と社会科学の問題として一﹄
トイツにおける最近の自殺・安楽死論議
まえがき︵一一三︶ ︵アルビン・エーザi︶
第一部 方法的11類型学的予備考察
アルビン・エーザー
ぺータi・ブリンゲヴァート
第二部精神史的背景
アルビン・エーザー
ハインリッヒ・シッペルゲス アルビン・エーザイ編︑ペーター・ブリンゲヴァート協力
自殺とオイタナジーの現象形態
一ある類型化の試み一︵四一八︶
討論報告︵その一︶一自殺とオイタナジー
の把握における術語と類型論的諸問題︵九
−一一︶まえがき︵一二︶
歴史的観点における死者の心理的・社会的 九州大学
九大大学院 井上祐司井上祐司井上祐司
総越溢弘
44 (2 .●145) 295
資 料ゲルハルト・フィ・ヒトナー
ゲルハルト・ルドルフ
ヘルマン・シャピロ︑
ヨゼフ・M・ホイスリンク
第三部 死の心理学のために
アルビン・エーザー
G・ゾンネック︑E?リンゲル
M・クリーゼン︑D・ランゲン
アンソニー・ブリュー
ブルース・L・ダントー
第四部 医学的側面
.アルビン・エーザー
ロバート・G・.トワィクロース
0・マイヤーホーファー︑P・ 地位について︵一三L二三︶ワイマール共和国時代におけるオイタナジー論︵二四一四〇︶フランス義務論における医師の誓いの伝統
︵四一レ五.こ
自殺︑オイタナジー︑存在の意味︵五二一
六〇︶死の思想一・哲学的な死の観念と︑自殺︑
オイタナジーにとっての人類学的H問題史
的意味︵六一t七四︶
まえがき︵七五一七六︶
死の意思の精神病理学のために︵七七一八
七︶年齢と死の意思︵ぺ八一九四︶
自殺と精神病︵九五i一〇〇︶
臨終における病者︑自殺とその遂行︵三〇
一−一〇八︶ 一
まえがき︵一・〇九−一一〇︶
自由意思のオイタナジー
i批判的考察1︵一=1・一二〇︶
神経切除による苦痛遮断の可能性と限界 九大大学院九大大学院九大大学院九大大学院北九州大学熊本大学九大大学院 宗岡嗣郎植田 博佐藤雅美土井政和吉村 弘
吉村弘
中村秀次平田 元宗岡嗣郎宗岡嗣郎44 (2 ・ 1・46) 296
ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
パパHJボ ウル・・ル
ルトWヴゲ
・ム・ アス
フ1オ1 リトプヴ チメiル ッ・タエ ツツイ エンベズ エケク
ノレ第五部 社会学的方向づけ
アルビン・エーザー
リチャード・A・カリッシュ
H・H・A・クーパー
タルト・ワイス
ゲルハルト・メールホフ
サミュエル・E・ワルラス
ペーター・ブリンゲヴァート ︵==t一二四︶
入工蘇生術とその限界︵一二五−一三五︶
医師の治療義務の限界︵一三六−一四二︶
治療中止の基準︵一四三−一四九︶
患者は人か物か
一最終呼吸までの延命︵一五〇一一五六︶
まえがき︵一五七一一五八︶
死と瀕死者保護の現状
−あるタブーの終焉︵一五九一一六九︶
刑務所における自殺・多くの人にとっての
唯一の出口︵一七〇一一七九︶
シシュフォスのアイゲンヌッツ 一自殺防止の杜会学についてi︵一
八○一一九三︶
社会医療又は保険医療の観点における自
殺︵ご九四−二〇六︶
自殺と殺人及び生き︑死に︑殺す権利
︵二〇七−二一二︶
討論報告︵その二︶i自殺とオイタナジ
ーの心理学・医学・社会学的側面︵二二ニ
ー二三〇︶ 福岡大学鹿児島大学北九州大学東亜大言忌本大学佐賀大学 大嶋一泰大嶋一泰大嶋一泰田中圭二立石二六半田祐司中村直美井上祐司
真鍋毅
井上祐司︵前半終了︶
44 (2 ●147) 297
資料
第六部 倫理学的考嫁小
アルビン・エーザー
ヨセブ・フレッチャー
ウルリッヒ・アイバッハ
アルフォンス・アゥァー
ベルンハルト・へ⁝リング
パウル・シュポルケン
ルドルフ・カウツキー
マルクス・フォン・ルッテロッティ
第七部 法的限界一法政策的観点
アルビン・エーザー
ゲルト・ガイレン
カール・エンギッシュ
ゲルハルト・シムソン まえがき︵二三一一二三二︶自殺の擁護のために︵二三三i二四四︶いわゆる﹃安楽死﹄をめぐる議論のための諸命題︵二四五一二四九︶神学的倫理学から見た人間の自然死権︵二五〇−二六〇︶自殺と安楽死に関する倫理神学的考察︵二六一−二七〇︶生死の援助という枠内における安楽死︵二七一−二八四︶死にゆく者の自由と医師の義務︵二八五−二九〇︶医師の治療任務とオイタナジー
−医学的・瓜柵理的・法律的観⁝・占珊について
の考察︵二九 −二九八︶
まえがきへ二九九−三〇〇︶
死の時点の問題の立法的考慮︵三〇一一三
=︶ドイツ法における自殺と安楽死︵三一ニー
三一二︶比較法的にみた慈悲殺︵三二ニコ⊥二三五︶ 広島大学明治学院大学京都大学広島大学立命館大学上智大大学院上智大学広島大学 金澤文雄宮野 彬中森喜彦大野平吉金澤文雄生田勝義し もヒよコ −メ拭班引︐ヲ町野・朔二間正泰金澤文雄
宮野彬
中森喜彦町野 朔
44 (2 ●148) 298
ドイツにおける最:近の自殺・安楽死論議
ゲルト・レレッケ
ユルゲン・メレリンク
ルイス・カットナー
ペーター・ブリンゲヴァート
ニコラス・N・キトリー
アルビン・エーザi・
ぺータ!・ブリンゲヴァート
事項索引︒執筆者紹介︵四二三一四= ﹃死ぬ権利﹄はあるか︵三三六i三四六︶ 自己の死のプライバシーについてーアメ リカにおける自殺とオイタナジー問題の法 的基礎の解明︵三四七一三五九︶ 生時の処分i歴史的な出来事としての死 を克服するためにi一︵三六〇一三六七︶ 自殺の意思を顧慮しないことと嘱託殺人に
おける嘱託の真蟄性!矛盾はないかi
︵三六八1・三七七︶ 生きる権利と死ぬ権利−いかにして決定 を下すかの問題︵三七一1三九一︶ 新しい死ぬ権利か︑若干の基本的考察︵三= 九二一四〇七︶ 討論報告︵その三︶自殺と安楽死に関する 倫理的および法的観点︵四〇八一四二二︶三︶ 大野平吉井上祐司広島経済大学 鈴木教司
山広島修道大以子 能⁝谷丞⁝祐
大阪大学
L 一\一\4ニ レ.L4ノ﹂ノ﹂ノねづ陽 福田雅章甲斐克則
井上祐司福田雅章
︵1︶ビーレフェルト大学学際研究センター︵N崩︶は︑その活動をビーレフェルトに限らず︑ドイツ全土︑海外に
まで拡げている︒自ら学際的研究を手がけるだけでなく︑部外の学者や研究所のたてた学際的プロゼクトを援
弄することもしている︒ドイツや海外の学者は︑ビーレフェルト大学の学者と共同して学際研究︒フロゼクトを
たてて仕事ができ︑必要があればビーレフェルトの研究センターに一定期間滞在することができる︒特定の学
問分野をこえていて︑伝統的な研究方法によっては不適当な問題をできるだけとりあげることになっている︒
基礎研究のみでなく︑社会的変化を処理して緊急に解決の必要な問題もとりあげる︒これらのティームの研究
44 (2 ・噛149) 299
料.資 集団は比較的速く反応でき︑情報と指導にとっての公共の必要に答えている︒こうして︑この学際的研究は︑個々の学問分科の活動に影響を与え︑各分科の学問は︑その限界を知ると共に︑批判的な学際的討議を通じ
て︑変化の可能性をさぐることになる︒
この学際研究センターは︑一九六八年に活動を開始しており︑これは大学の学部の創設よりも一年早いので
あった︒センターの仕事は︑大きく︑調査グループと研究グループに分れる︒調査グループとしては︑通常⁝
五〜二五人の︑四〜一〇ケ月の作業のプロゼクト・グループが組織される︒これらのメンバーは︑センターに
家族とともに生活でき︑ビーレフェルト大学が俸給を支払うっ各グループに最低一人のセンターの学者が加わ
る︒研究グループは︑二〜八日間の研究集会や学術会議を内容とする学際的な学者の交流を目的として︑ビー
レフェルト大学と部外・海外の学者との協力が行なわれる︒調査グループの一環としての学術会議も考えられ
る︒二五〜三〇人を単位とする︒学際研究センターは︑ビーレフェルト大学の評議会によって選挙された四人
のセンター長点によって運営される︒そのうちの三人はビーレフェルト大学のメンバーである︒調査︒フロゼク
トはこの四徳のセンター長団によって決定される︒一六人のセンター協議会がセンター長団を︑その調査方針
について補佐する︒この協議会のメンバーは各学部から評議会によって選挙される︒センター所属の学者は所
員会議を構成して︑センターの全業務と組織に関する重要事.項を審議する︒
一〇〇人収容の講堂には︑六ケ国語の同時通訳設備がついている︒一五t二五人の小会議室が三室あり︑テ
ープ・レコーディングの設備が附設されている︒移動式壁をもつ広間もある︒図書館のほか︑二四の個室をも
っており︑︑食堂や娯楽室等も設営されている︑という︒
この学際研究センターの出している一九七六年度の年次報告︵冨訂①のげ①ユ︒窪お♂︶によれば︑一九七四年
九月二二日から四年任期で︑何れもビーレフェルト大学の四人の教授がセンター長団を構成しており︑一六人
の協議会委員として︑数学三人︵オスナブリュック︑ブレーメン︑ビーレフェルト︶︑法学二人︵チュービン
ゲンーーアルビン・エーザー教授︑ ビーレフェルトノルバート・ホルン教授︶︑ 生物学一人︵ビーレフェル
ト︶︑教育学 人︵ビーレフェルト︶︑化学二人︵ビーレフェルト︑ベルリン︶︑経済学一人︵ビ〜レフェル
ト︶︑社会学二人︵ベルリン︑ビーレフェルト︶︑哲学二人︵ゲッチンゲン︑ビ⁝レフェルト︶︑樫史学一人
44 (2 . 150) 300
ドイツ における最近の自殺・安楽死論議
︵2︶ ︵ビーレフェルト︶︑言語学一人︵ビーレフェルト︶となっている︒
七六年度の調査グループとしては︑量子力学︵︵γ﹄9薄片Φ5ユ︽﹃Ppρヨ一評︶の数学的諸問題︑力学モデルと統計的方
法︑近代企業の組織形態にとっての歴史的決定要因︑言語と歴史︑少年扶助計画︵智σq①昌穿剛一♂互9︒昌毎σq︶の
五つのグループが七七年の秋まで作業に当っている︒そのほか︑.三十数件の共同研究グループが組織されてお
り︑吾々に関心の強いものとしては︑﹃社会科学と法曹教育﹄︑﹃司法執行における社会治療施設−問題と展
望i﹄︑.・﹃不平等と犯罪1若き刑事学者の作業グループ︵︾濠︶のこれまでの研究プログラムの決算︑批判︑
代案﹄︑ ﹃法と倫理の衝突の研究﹄などがある︒刑法の立場からは︑フランクフルトのハッサマー教授噛リュ
デルセン教授が﹃法曹教育﹄に主任として参加しており︑ ﹃社会治療施設﹄の研究は︑ミュンヘンのミュラー
シュプリンゴルム教授とゲツチンゲンのスペヒト教授が責任者となり︽七〇名をこす刑法学者や実務家を結
集している︒ ﹃不平等と犯罪﹄はビーレフェルトのシューマン教授が組織し四〇名以上の研究者を集めている
が︑スイス︑ベルギー︑ウィーンの教授も参加している︒ ﹃法と倫理の衝突の研究﹄は︑ビーレフェルトのシ
ューマン教授.の組織するもので︑一一名の学者を集めている︒七七年度の共同研究とbては︑・﹃メディヤ.公
衆犯罪化と非公式の社会コント・ロール﹄︑をビーレフエルトのアベレレ氏とシュタインーーヒルバース氏がとりあ
げている︒過去の活動として興昧があるのは︑さきにあげたア・ヨット・カーの活動が︑.・かなりこの学際研究
センターのプランのなかで成.長してきたと考えられる点である︒
アルビン・エーザー教授については・︑詳しい紹介は宮澤浩一教授の西独学者の一連のビプリオグラフィの中に
ある︒エーザ:教授から戴いた﹁カリクルム・ヴィタエ﹂によると︑出教授は︑一九三五年一月二六日バイエ
ルン・ライデルスバッハ生れである︒ヴュルツブルグ大学︑・チュービンゲン大学︑ベルリン自由大学に学び︑
五八年前ュルツブルグの一次司法試験に合格︑ヴュルツブルグ大学の助手をつとめつつ︑六四年に修習を終え
てい.る︒六〇1六一年︑二三ーヨ!ク大学比較法研究所に留学︑:↓ずΦ℃ユコ︒一℃一①o︷︑=Ω・﹃ヨ.一5島ΦOo58只
ohO﹃巨①﹂98ヨ冨鎚ユ︿①睾巴器即ωoh仲ぽ①oユヨぎ巴翼賛0898一〇〇q巴ヨ8冨ω仲ω..︵∪5⊆⑦ω器¢三く●
冨≦幻①ぐ・轟︵一Φ①0︶O・ω&i自刈︶で比較法学のマスターをとっている︒六四年四月バイエルンの二次国家試
験に合格︑同五月チュ!ビンゲン大学助教授︑六八年一二月チュービンゲン大学にハビリタチオーンを提出︑
44 (2 ・・ 151) 301
資』・.料
紙〇年ビーレフェルト大学の刑法教授となり︑ウェストファーレン・ハム高等裁判所の兼任判事となる︒七一
一七二年ビーレフェルト大学法学部長︒七三年ニューヨーク大学のロー・スクールの客員教授として比較刑法
を担当した︒七三年七月ビーレ・フェルト大学の副学長を経て︑七四年九丹︑チ・ユ︑﹂ビンゲン大学に.シュレーダ
ー教授の後任者として就任した︒七五年二月シュツットガルト高等裁判所の判事となり︑刑事三部のパート..
タノーム・メンバーである︒五九年一〇月結婚︑=二才︑九才の二児︒
?書としては︑︵一︶U一Φ.︾σσq冨昌N毒oqく︒づω窪鷺3梓魯¢a9曾毒σqω琶酔茜犀︒一8戸Uδω.≦旨Nげ霞αq
ま世︵卜︒︶uδω冨富g齢膏冨5ωき窪§魯σq①︒q①鵠紆ω田σq①三⊆3●∪︒σq§巴ω︒冨§島§葺ω旦三ω︒g
¢三⑦﹃誓g§σqgま①﹃国冨屋号αq●ξぴ﹃きg冨§8﹃§αq琶山︒①ヨ轟く︒碁=︵欝び⁝聾δ己ωgユε
<①匿σq竃Φぼ\臼Φσ8貫鈴口びヨσq①・お①⑩・.︵ω︶≦聾;︒ゴヨ轟αqげ︒﹃8藍ひq汁①二三巽︒ωω窪器巴茜§①ヨ醇
幻8毎①三徳轟ωひq2&・N轟蚕g︒3<①議⊆︒げま⑦門①g8σq葺①﹁ωg三N⊆巳︒︿巳三ぞ︒ω菊①︒g<①冨σq
曾三①ξじσ巴=︒∋9薦く・二●即おΦΦ・ ︵仁︶O①¢ω=ω︒冨hヨαq︒ユg8ぎα禽ω器h﹁8窪ωヨ︒αq①.Z①⊆︒
≦①σq⑦Nξ切¢鼠三αq§σqα興盛Φヨ寄巨財藍鼠什︐ヨ鳥興∪∪凋.幻︒g什..山男︒︒§び鵠①津ω︒︒︒︒\ω︒︒Φ.<①﹃一餌σq
罎・茸\ωδげ8ざ県警ぎσq2ドゆ刈︒●︵σ︶Q︒げ臨噌¢︒三Hω︒げ蓄壱彗管≧西孟冬潟<①ひ同︒g¢器書ヨ︒三①・
︸.﹀轟く巴・α・>9︒鼠・ヨ.﹄§さ・=§⁝Dきp<豊粛︒﹄.cd8ぎ護§・三塞..︵︒︶
。。T坤8耳閏.ωg蓄﹃ε鼻什・干渉器ω茜穿話﹂q三①蕃ωω轟σql<①謎⊆gl日9一蕗び暮・把︾昼.<巴品
︾昏①鼠毒﹄語呂ξ=§●・︒●ぎpく①量αqρ=●.しd8ぎ暴君冨三Φ刈①・︵﹃︶︒︒梓邑§三ミ.ωg壽﹃︐
ε長・<・§︒σ・︒易量涛δ・し●︾魯・<豊おρ=・.しご8ぎ§唇冨三畏・N・き幡=㊤刈9︵︒︒︶︒︒︒ま鼻︒・
ω︒汀gg.函§ヨ①三錠N§ωδしd●︿臼一鋤σqρ口﹄8ぎ餐8冨昌L︒︒●﹀魯・§①︵護8の碧σΦ詳=5σq︶・
︵り︶局︒§ゴ§αqぎ内︒琵琶ヨ詳男8窪§α田三貫N衆中︒幕欝一団趣く8N①楯身く①ヨ藷︒﹃・品ω§9
ω欝h§崔導︒ニ窪窪β鼠け§旨旨§u喜N轟きqq号︒・腎︒﹁ωg留・<豊・・q穿下ωε冨・︑3§Φ︵訂ωα・・
ぎN置目∋2霞げΦ詳§謬〆鋤ユ男・切︒言据召︶●︵δ︶︒︒・一Nご§三巴き器馨包ω.言∋章§含︒銭︐
巴惹ωω窪ω︒冨包喜①ω℃お甑§.<︒匿αq.国良Φ︒︒酢自己αq霞=Φ♂︵巴ω口①冨諺σq⑦︒q①び巽二巳≦鼠三︒﹁︶・︵一一︶
N三ωg寄口⑦=舞貼9σq⊆5瓢ω響σ︒三h①●N⊆§しu︒冨5琶§σqω・︒げげ歪g①⊆ω①二三ωg①きヨΦ爵頃巳︒︒g①﹃§二
44 (2 ・152) 302
}一 一
一
ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
触8算直ゆ9巽Q∩葦F︵N⊆留ヨヨζDコ∋騨﹀・﹀⊆¢﹁⊆三身・ζ①属⑦一︶.!出2ヨ鴛拐k⑦ユ品潔Oヨおミ●
その他論文を︑ Oo一α9ヨヨ⑦﹁.ω﹀三三︿ ︵お①ρoo●卜︒︒︒⑩跨︶り2一≦︵お①ω■ω.器鳶h∴お①9ω・ω謡h︷●門
お刈Pω・刈︒︒焦歴︶噛冒○っ︵一Φ刈O.oQ・合⑩R︶.盲︵一Φ①①曽ω●①OOh胤・脚一㊤刈卜︒りω・芯Ohh∴一⑩刈ωりQり・ミはh・︶.NQQ叶≦
︵bd9お﹁Qっ●一Φ無h;OQ・8鴇h・w一⑩起燭Gっ﹂ω①hh●︶℃勾Φ<⊆ΦOΦωo凶①琴①oユ∋葺⑦二①露︑9今︒詳℃曾巴8ヨ℃霞①
︵一Φ①ごQり.㎝0恩h.︶・言ユωユω9①﹀轟屠器づ︵一⑩刈Pω・障︒︒雰︶.ζoα・≦色肝︵一㊤刈O馴ω・一誤以h・︶りN閑勺︵一⑩刈一.
ω●一8自●︶℃目げ8δ9q一ω07⑦O話寡巴ωo寓一等︵一⑩コ.QQ●卜︒ωQ︒喘h●︶噛﹀ヨ¢ユ8コ冒ロ﹃昌巴︒胎Ooヨ福﹃90二く①.H餌≦パト︒一
︵一㊤刈ω︶ω●卜︒心繰h∴漣︵お刈①︶Gり・①b︒にh︶ の諸雑誌に発表し︑ マウラッパ︑ ペータースの各還暦記念論文
集︑ホフマン編﹁妊娠中絶﹂ ︵一九七匹︶︑フリーゼンハーン目ショイナi編 ﹁ドイツ連邦土ハ和国州教会法提
要﹂ ︵一九七五年︶︑エイド編﹁オイタナジー又は要求により殺すべきか﹂ ︵一九七五年︶︑シュバルトレンダ
・一編﹁人間と.その死﹂・︵一九七六年︶に︑それぞれ論文を寄稿しており︑さきの幻①︿・ωρ︒ユヨ・誌に︑連続
して約二三点の書評をよせている︒
︵3︶この抜刷は︑ 前々︵2︶にあげた著書㎝にあげ.たものである︒ ≧8コω ﹀¢費\国蝉陰ヨ三 ζΦコN色\≧玄昌
国ωO﹃・N≦陣ω07⑦三訂①=凶⊆津﹁σq⊆昌αω8︻げΦ三一hΦiN仁∋bd①7鋤昌α一⊆昌σq鋤σげ﹃二〇7讐﹂uα簿7房︒ケ¢﹁︑ヨ⑦象N一三ω07¢︻
⊆乙307二一〇ず雲QQ一〇算・O母一=Φ︽ヨ二言ω<巽一q︒σq一芦刈 の中のエーザー教授の論文である︒カレン事件のアメ
リカの判決をも考慮し︑ドイツの現実の臨床例をも豊富詳細にとりいれて︑神学倫理︑医︑法の立場から三人
の︑さきのシンポジュームにも参加した︑これらの学者が存分にその意見を明らかにしたものである︒何れ別
に紹介の機会をもつ予定である︒
まえがき︵アルビン・エーザi︶
死んでゆくこと︑.死は︑古来絶えず問題にされてきたが︑そ
のとりあげ方や強さは時代によって変化してきた︒今日では︑
死について相反した二つの傾向がある︒一つは︑死をとり除こ ヘ へうとする傾向︑つまり︑死の顔︑に化粧をし︑恐怖を除いて脱現
へ へ実化しようとする︒葬式をやめて死から厳粛さをとりはずし︑
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ社会心理的に日常茶飯事にまでおしさげようとする︒社会保障
の技術によって死の家計上の負担を緩和化し︑死を中性化︑勝
へ ヘ へ個人化する︒他方では︑ ﹁自らの死を選ぶ権利﹂が叫ばれ︑死
44 (2.。 153) 303
料資 ぬことを自己実現の一部として理解しようとする︒死は受動的に待つものとしてではなく︑積極的に共成さるべき出来事とさ
れる︒ 死をめぐるこのような今日の思想状況の背後には︑現代医療
技術の驚異的な発展による死の操作可能性という事実がある︒
権限濫用による生命短縮よりも︑むしろ︑ ﹁押しつけられた﹂
生命の延長という新しい問題がある︒
この間題状況がビ⁝レフェルト学際シンポジュームの出発で
あった︒ 人間科学︑社会科学の分野で︑自殺・安楽死問題の
専門家三五人がドイツの内外から結集し︑討論を開いたのであ
る︒三つの目的設定があった︒ 8方法としての学際性︒ この
際︑ それぞれ並列的に報告をするだけでは不充分で︑ 他の学
問分野の見方や方向づけに干渉してゆくこと︑手を出すことが
必要である︒口自殺・安楽死の領域における諸行為の評価と規
制︒いわゆる経験家は実際の慣行を規範的にも正当なものと理
解する傾向があり︑規範学者は︑自己の前提公理から演繹的に
評価しようとする︒前者に対しては︑ ﹁正当化コントロール﹂
が必要なこと︑後者には︑ ﹁実行可能性コントロール﹂が必要
なことの自覚が大切であり︑その両者の共存の上に初めて現実
的な規制力が生れる︒国特殊の対象としての自殺と安楽死との
結合ということ︒病的現象とみられ勝ちな自殺と︑自由な答責
性あるものとみられる安楽死要求とを︑同じメタルの表裏とし
て︑共同に観察すること︑その関係づけの上に規範的評価を進 めることである︒ しかし︑このシンポジュームで右の三つの目的がすべて完全に実現された訳ではない︒学際性と数ケ国語による対話の困難さは決して小さくはない︒ただ︑死にまつわる規範的評価の問題は︑それぞれの世代に新しく課せられるものであり︑その限りで人類の﹁永遠の﹂問題であり続けるということである︒ ︵井上祐司︶
第一部 方法的類型学的予備考察
自殺とオイタナジrの現象形態
一ある類型化の試み
アルビン・エーザイ*
*一九三五年生れ︒ローマ法・カノン法法学博十︑比較
法マスター︵ニューヨーク大学︶︑チュービンゲン大
学刑法・刑訴法・比較刑法正教授︑シュツットガルト
上級州裁判所併任裁判官︒主要な公刊物1乏動地器ず・
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44 (2 ● 154) 304
ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
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凶ヨ訳〇三一一ζヨ謬男8卸¢5ユ国9弾︵N⊆ωヨ障内①二
閃・ω9岱繁きソ一㊤刈①●
一 自殺と安楽死は多様な現象形態をとって現れるが︑用い
られる用語の概念内容に不統一があり︑このことが真の問題の
ありかを不明瞭にしている︒しかし︑他方︑各形態の意義が過
大評価され︑例えば︑受動的オイタナジーか能動的オイタナジ
ーかその何れかに分属さすことによって︑直ちに法的評価が固
定されることになっている︒評価の先取りとしてのカテゴリー
化ではなく︑前景的秩序づけ︑方向づけ補助として︑自己の手
による殺害と他人の手による死とのいろいろの態様を規範的評
価に関連のある因子をもとに類型化を試みよう︒
二 種々の行為状況を︑行為の性格と結果からみて︑自らの
手による自殺から第三者の介入の度を強めてゆくと︑次の類型
ができる︒
ω純粋形態における自殺︑﹁②自殺割助︑個援助者に最終決定
が委ねられた自殺誓助︵あるいは嘱託殺人か︶︑ 圏生命維持義
務者の自殺常助︵不作為による不作為犯か︶︑ 樹状態悪化的効
果の伴わぬとき︵死にゆくことの援助出ま︒言ω8︻げ窪︶︑意
識混濁の生ずるとき︵電休傷害か︶︑ 生命短縮のリスクを伴う
とぎ︵これは死にゆくことの援助か︑あるいは既に死ぬための
援助震一ho砦ヨG︒8﹃げ魯か︶︑間接的オイタナジー︵緊急行為 か︑許された危険か︑義務衝突か︶︑苦痛緩和は死のリスクを伴うとしても医師の義務か︑㈲生命延長手段の断念により死ぬに委せること︑受動的オイタナジー︵治療不開始︑併発症の放 レスピレイシヨン置︑治療中断︶︑㎝技術的装置の取り外しにより死ぬに委せること︵積極的作為か︑不作為か︶︑捌目ざされた殺害︑直接的︑能動的オイタナジー︵苦痛除去か︑死苦の短縮か︑無意味な生命からの解放︵慈悲殺︶か︶︑ ゆ﹁生きるに値しない生命﹂の即滅︑優生学的オイタナジー︒ 三 これらの多様な自殺・安楽死の諸形態に︑さらに︑関連評価契機として︑本人及び第三者の動機︑自殺者・オイタナジー者の百々の情況︑同意能力︑意思の自由性の段階差︑などが加わって︑個々の現象形態は複雑なものとなる︒したがって︑例えば︑ ﹁能動的﹂か﹁受動的﹂かということでは︑同意の問.題や取り外しの問題を処理できないし︑併発症の不処概において︑同意や余命という問.題は本質的な意味をもつ︒全関連因子を考慮して︑法的許容の有無を判断する必要がある︒特定の類型に当嵌めれば自動的に法的評価が決定されるというようなものではない︒ ︵井上祐司︶
討論宮丘口︵その一︶
1自殺とオイタナジーの把握における術語と類型論的
諸問題 ペーター・ブリンゲヴァート*
44 (2 ・ 155) 305
料
資 *一九四六年生れ︒ 法学博士︑ ビーレフェルト大学助 手︒主要な業績︑O①≦oぎ冨陣ヨ器︒窪§ユ菊一〇窪︒ワ
﹃8二一ヨω需絃円8窪﹂﹃N曽≦︒︒ら︵一⑩謬yα︒︒㎝h暁●望Φ
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艸﹃NQりけ≦◎︒刈︵お刈㎝︶.①b︒ωh喘転﹁舅ζ凶8巴①ω02冨コ
一重ω賃昧︻8算.ζd①﹃一ぎ一①ぱ● *一九一八年生れ︒医学博士︑哲学博士︑精神及び神経 科の臨床医︑ハイデルベルクの医学史研究所の教授で あり所長である︒主著に﹁生体医学﹂︵一九六二年︶︑ ﹁ラテン中世を通じてのアラビア医学の同化﹂ ︵一九 六四年目︑ ﹁医学のユートピア﹂ ︵一九六八年︶︑ ﹁歴 史の鏡一に写した近代医学﹂ ︵一九七〇年︶︑ ﹁変遷の 中の医学的奉仕﹂ ︵一九七五年︶等がある︒
44 (2 ● 156) 306
経験的類型化と規範的評価との切断は 一般的に了解された
が︑個々の類型について討論があった︒積極的安楽死図と︑生
きるに値しない生命の殿受働とは区別できない︵カウツキー︶
とするものに対し︑後者は死に至る病気でないことを理由に峻
別を主張するもの︵シュポルケン︑ヴァーヴェルズィク︶があったが︑ それが歴史上のこと︵ナチス︶ではなく︑今日的問
題であること︵消化器系統の欠損した蒙古症児の出産に際し看
護婦であった母親が欠損の手術に同意しなかったアメリカの事
例︶を主張する︵キトリー︶︒ そのほか︑自由な意思︑死の︑
とくに始期の定義の重要性などが指摘された︒
︵井上祐司︶
第二部・精神史的背景
歴史的観点における死者の心理的・社会的地位について
︑・ハインリッヒ・シッペルゲス* 啓蒙期の医師らによって﹁幸福死﹂とドイツ語訳されているオイタナジーは︑現在においても︑臨終にある患者に対して与えられる医師の専門的援助.であり︑医師の義務だとされているが︑そのような安楽死術の可罰性の問題がそれに関わる医師の念頭に去来する︒ ﹁オイタナジi﹂の概念は︑すぐれて賛否なかばする概念であったが︑我々は︑一・九世紀から二〇世紀への移行期におけるオイタナジーの問題に集中しうるように中世及び啓蒙期については︑死について若干の心理学的社会的側面について序説的に述べることとする︒ 一 中世における死について 古代人にとって死は哲学的な問題であった︒ソクラテスはオイタナジーを死への正しい心構えと解した︒プラ→ンは︑人を長い悲惨な存在にしておかないように警告し︑医学上の恢復計画に明白な限界を設定した︒ 初期キリスト教倫理学においては︑死に瀕した者の看穫は︑
﹁同情﹂に基礎を持つディアユニィに委ねられた︒
ドイツにおける最:近の自殺・安楽死論議
中世中期における厭世観と虚無の神秘主義とは︑ 死を密教
的︑救霊的な問題にした︒生のただなかにおける死は︑ ﹁肉体
の牢獄からの自由﹂であるのみならず︑ ﹁芸術の中の芸術﹂と
され︑良い死というのは︑人が会得すべきであり︑恩恵の中で
感謝されるところの特別な知識であった︒この時代においては
司祭医学と同様に司祭神学が特別の安楽死術を提供したし︑あ
みだした︒
ルネッサンス期には積極的な安楽死術という古代ストア学派
の観念が再びとりあげられた︒ 例えば︑ トマス・モアは﹁ユ
ートピア﹂の巾で病気が不治であり︑更に絶え間ない苦痛が生
じる場合には司祭等は病人自らが苦痛に満ちた不幸を長く忍ば
ないですむように決心するよう勧告すべきだという見解を述べ
た︒フランシス・ベーコンは︑魂の準備11﹂しての﹁内的オイタ
ナジi﹂と病人を苦痛なしに死なせるための﹁外的オイタナジ
ー﹂とを厳密に区別し︑積極的安楽死術がむしろ人道的であり
社会的であるとした︒
二 啓蒙書及びロマン主義期における死 ライプニッツは単
子論において︑出産は進化として︑死は﹁一種の退化﹂として
特徴づけているがそのような哲学においては死にゆく者の心理
学的・社会的状況は何ら考慮に値しないものであった︒ツェド
ラーの百科辞典︵一七四三年︶はオイタナジーについて︑苦痛
に満ちた全身痙攣を伴わない全く安楽な死という簡単な概念を
与えている︒同じツェドラーの百科辞典︵一七四五年︶は︑死 に瀕した者に対して彼が穏やかに死ねるように望む以外なく︑ただ︑憐むべき臨終の際には︑それによって死が容易にされ︑早められ︑苦痛を終わらせるところのあらゆる手段を尽くすべきであるとする見解がとられた︒近世医学の意識においては︑それにもかかわらず死ぬことはいかなる社会的問題ともなりえなかった︒というのは死がもはやタブー視されなくなった一方で︑経験的な治療技術は未発達で従って生命を長びかせる技術もとるに足らないものだったからである︒モデル思考に還元された自然科学的な医学と結びついたところの患者の客体化が初めて死を発達した治療技術の領域から常に体系的に排除されたところの一つの経験的な事実とした︒動物的な知的水準しかもたない精神的死者を排除することは殺人とは同一視されないという見解を述べたのはホッへであるが︑科学時代においては︑精神的死者の治療の不可能性を認識する疑いの余地のない科学的規準が医者には存在すると信ぜられている︒死に対する姿勢が医学にとって重要となるのは︑医学が常により大きな技術的成果を提示してきながら︑他方において︑匿名の︑集団的な︑非入間的治療へと赴くからである︒﹁概念の中での自然の模徹﹂としての科学︵ニーチェ︶は︑ただ必然性のみを認識するのであ
って最終的な目的を示すものではない︒手段と目的の世界を厳
格に区別し︑目的の王国においては全てのものは︑それに代っ ヘ ヘ ヘ へて他の何かが等価物として対置できる価格︵代償︶か︑いかな
る等価物をも許さない︑あらゆる価格︵代償︶の上に言えたつ
44 (2 ・!57) 307
三 下 へ へ価値のいずれかを持っていることを指摘したのはカントである ヘ ヘ ロヘ へが︑.医書侵襲の増大と複雑化に際しては︑この価格と価値の区
別を理解し︑人間学的姿勢を信奉することが医師には必要とさ
れるであろう︒
三 科学的安楽死術としてオイタナジー 優生学及び社会ダ
ーウィン主義は一九世紀初頭に医学と自然科学との実り多い結
合を実現し︑疑いもなく高い人道主義的エトスから出発し︑少
なからざる人間的熱情から発した 一つのプログラムを定立し
た︒ ﹁優性学﹂及び﹁社会生物学﹂の名の下に社会ダーウィン
主義は︑単なる流行病予防衛生学にすぎず︑単に消極的な淘汰
的効果を生みだすにすぎない古い医学の敵対者となった︒
ティルは︑治療医学はその成果によって一層世界に病気と不
幸を増大させるに違いないということを確信している︒彼は︑
﹁将来の人類の生理学的により優れた存在﹂が︑ダーウィン主
義の結果であるのみならず︑我々の窮極的な倫理目的であると
する︒しかしながら︑最良のものの慎重な淘汰は最も劣った者
の冷酷な排除と結びついている︒
ヨストは安楽死に関し専ら社会的規準に対してのみ承認を与
えた︒病人・不具者・狂人を価値あるものとし︑社会の有用な
成員とみなすかどうかは経済的価値が決定する︒
社会ダーウィン主義者の全てに共通する目標は︑科学の︑生
命全ての領域への適用︑︑優秀な種の管理という共通の文化目的
に注目する拘束的な生活意識の創出である︒ 不治の患者・精神病者らを生きる利益のないものとし︑家族や社会に鮮烈をしいるにすぎないものとして積極的に安楽死を正当化しようとする動きは︑二〇世紀初頭の﹁ドイツ一元化同盟﹂の中でその頂点に達した︒しかしながら︑これらの淘汰の積極的遂行と抹殺プログラムに対してダーウィン主義者ハクスレイの深刻な懐疑主義が存在することも忘れてはならない︒ 四 総括 自分の死を要求する権利︑無価値な生命の殿滅といった生命否定の体系的プログラムは第一次大戦以前から科学的に熟考され︑倫理的にすっかり動機づけられていた︒しかしながら︑望みのない状態にある人の場合にオイタナジーを実施することに医師が慣れてしまえば︑彼らは患者の状態が望みのないものでない場合にも容易にそれを実行することになろうと外科医のニッセンは警告している︒このジレンマの中で︑結局は︑全体との関連︑即ち︑そこから倫理的な原理が由来するところの宗教という信条の中に表現された人間の基本姿勢を思いおこすことが必要である︒ハクスレイがいう如く︑進化の法則を人間社会に適用する冷酷な自然科学的方法は現実的な政策的な学問の領域にはいることはない︒というのは最も適格な者を選抜するための十分な理性を人の子供がもつようになることは全く期待できないからである︒ ︵総越溢弘︶
ワイマール共和国時代におけるオイタナジー論
ゲルハルト・フィヒトナー*
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ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
*一九三二年生れ︒哲学博士︑チュービンゲン大学医学
史正教授︒ 業績 OΦ鴇三〇鐸① α臼 ヨ①&Nげ一零7①謬
田三﹃
本稿は︑論題の示すとおり︑ワイマール時代におけるオイタ
ナジi問題をめぐる論争史運動史の側面を特に︑ビィンディン
グーーホッへの共著 ∪凶①閃憎9αq自ρげ①α碧く①∋芥ゴ2コσqδびΦコω−
鳶足︒諄①5ピ①げ魯ω・おト︒O︵註i中野峰夫訳﹁殺人の許容﹂京大
法学論叢一一巻五号︶を中心に粗描したものである︒限られた
範囲内で︑哲学︑法学︑経済学︑医学の多方而から︑盛んにも
りあげられた論争を︑核心部分の引用を混じえながら要約的に
示し︑しかも︑一八九五年から一九七一年までに公刊された主
要関連文献で︑この期の論争をフォローした︑﹁幅広く︑・内容
深い小論である︒以下︑.要約を試みるが︑著者は︑ベルサイユ
条約の生んだドイツ国民の敵国に対する憎しみと怒りが︑内国
的に︑弱者保護への疑問を惹起せしめたとする社会分析的角度
に︑彼自身の視座を設定しているように思える︒
二千の価値ある青年兵士の戦死体で覆れた戦場と綿密な配慮
のいきとどいた精薄児の施設とを見比べるとき︑最も高価なも
のの犠牲と最も無価値なものの保護という︑際立った不調和に
深い精神的打撃をうける︑とビィンディングは言った︒自ら︑
感情的議論は排斥されねばならぬと述べながらも︑この発言が 読者の内面に誘起さす︑ある感情は︑彼の功利主義的思考を隠蔽しがちである︒それによって︑ ﹁そのものの生命をさらに持続さすことに全ての価値を失っているとするほど強く︑法益たる特徴を失ってしまっている人間の生命は存在するか?﹂という深刻な核心的問題の設定が︑むしろ自然なものと感じうる状態へと読者を誘うのである︒ このビィンディングの問題提起は︑さらに古く︑一八九五年のヨストの立てた問題に由来する︒ヨストは︑ ﹁個人の死が︑その人自身に対しても︑人的社会一般に対しても望まれているような場合があるだろうか?﹂という自らの問に対し︑ホッへの様に﹁断定的に肯定しうる﹂と言う確信はなかった︒結局︑ヨストは︑患者を ﹁社会の寄生虫﹂と述べたニーチェに反対し︑﹁⁝⁝我々の性質の最も貴い部分を財めることにならぬよう⁝⁝弱きものの生存と︑その増加という︑全く疑う余地なく悪しき結果に耐えねばならぬ﹂というダーウィンの見解に影響されていたのであった︒このヨストの間が︑ワイマール期に一つの頂点を見いだしうる安楽死論争の根源であり︑加えて︑ダーウィニズムが安楽死肯定の思想的背景となったのである︒ 例えば︑ 社会ダーウィニズムの信奉者ティルレは︑ 生存競争が人間社会にも適用さるべきであることを説き︑ポレーツは
u優生学﹂の下に淘汰思想に立ち︑医師シャールマイヤーは文..
化による自然的生命淘汰の制約が人類の最高価値である遺伝的
価値を危うくしていると警告したのである︒しかしながら︑淘
44 (2 ・ 159) 309
料
資 汰思想の実践に関しティルレは︑婚姻の禁止による遺伝防止を考え︑ポレ!ツは細胞段階での﹁選択と選抜﹂を思考したに停
まり︑いずれにしろ︑この世紀末段階では︑ ﹁不必要な者の直
接的殿滅は︑どれほど熱心な淘汰主義者によっても提起されて
いない﹂︵ティルレ︶のである︒ 従って︑安楽死という概念も
生命短縮を含むものではなく︑ ﹁死にゆくものに対し生が尽き
ようとするのを容易にしてやる技術﹂︵サムエル︶ と解されて
いたにすぎなかった︒
我々は︑ここにワイマール期における安楽死概念と異なる概
念内容を見いだすのである︒例えば︑ビィンディングは︑ω回
復不能者が任意に希望するとき︑働治癒不能な愚昧︑個意識が
あれば安楽死に同意するであろう︑と推測される無意識状態の
危篤者︑の三類型において︑生命短縮を意味する安楽死を主張
し︑治癒不能性診断時の誤診の可能性を理由とした反論に対し︑
﹁錯誤によって殺される患者の残された命は︑より多くの治癒
不能者の苦しみからの解放のための適当なる購買価格とみなさ
れ﹂ると述べ︑ ﹁善意と理性はあらゆる錯誤のリスクにもかか
わらず遂行されねばならぬ﹂と言い切ったのであった︒ワイマ
ール期に見られる安楽死概念の拡大に貢献したのは︑思想的背
景としての社会ダーウィニズムと当時の社会的背景との二者の
結合であったゆワイマール期の直前︑一九一一年︑ ﹁展望﹂誌
が募集した懸賞論文のテーマ﹁国家および社会は劣等な人間に
対しどれぐらい費用をかけているのかp﹂がそれを示唆してい る︒︐ 病気︑労働嫌忌︑アル中︑自堕落︑精神的肉体的欠鉄者等の劣等者に対する生活扶助への疑問︑患者の周囲のものの経済的道徳的負担︑破壊寸前の経済状態︑戦後という時代︑価値多きものの喪失の悲しみ︑いやしめられた民族の誇りが︑ダーウィ
ニズムの赤裸々な展開を許したのである︒その下に﹁科学か感
情か﹂という二者択一が間われ︑ ﹁倫理の唯一の科学的基礎づ
けは功利主義にもとつく道徳だ﹂︵オストワルト︶ とされたの
である︒ かかる情況において︑ 安楽死の推進者に必要な仕事
は︑功利主義にもとつく道徳の法的基礎構築や︑そのことをさ
らに巧妙な主張にすり替える作業のみであった︒まさに︑ビィ
ンディングとホッへの論文が︑第一次大戦後という特殊状況の
下で︑その機能を果たしたのである︒そして︑彼らの思考は︑
後にエルンスト・マンの最悪にして︑最も残忍な﹁四つの慈悲
要件﹂にひき継がれたのである︒ ︵ω精神病者の無痛殿滅︑の
危篤者の安楽死︑㈹精神的肉体的苦痛から免れるため任意に死
を望むものの安楽死︑傾不具に生まれた子供の無痛殺︶
かかるビィンディングHホッへの論文に対して︑特に論争の
焦点となったω生命の主観的価値と働生命の社会的価値とをめ
ぐって︑多くの反対の論陣が張られたことも言うまでもない︒
特にエベルマイヤーは︑初期の段階では嘱託殺人を﹁議論の余
地がある﹂とする態度をとったが︑後には現実的でないとして
否定し︑帝国議会においても︑入体実験の問題とは反対に︑こ
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ドイツにおける最:近の自殺・安楽死論議
の問題はとりあっかわれなかったのである︒
︵宗岡嗣郎︶
フランス義務論における医師の誓いの伝統一医学は死に直面している一
ゲルハルト・ルドルフ*
*一九一六年生れ︒医学博士︑キール大学医学及び製薬
学の歴史研究所教授︒著作目録︑ ﹁刺激性組織の生理
学﹂︑﹁有機体への刺激効果﹂︑﹁﹃心臓の右心耳﹄と分
離された心臓の復元に関する研究﹂︵ρ閑・ωoρbdご一・
一㊤器︶︑﹁生理学の歴史﹂︑﹁医学における科学的思考の
発達史﹂︑﹁啓蒙の精神史﹂︒
ヒポクラテスの誓いを今日まで影響あるものとするか否かに
ついては︑見解がわかれている︒だがその誓いが明示されてい
なくとも︑フランス医学においては︑医者の倫理の指導理念と
して︑ 生命と人格の尊重の原則が確立している︒ その誓いが
﹁医者の自己教育の誓い﹂として引き合いに出されることは重
要であり︑今日では職業宣誓として確立している︒古代から現
代にまで至る﹁職業倫理の連続性﹂を問題とする︑今日の風潮
にもかかわらず︑フランスにおいては︑伝統への結びつきが強
調されている︒ オイタナジー問題について︑ このことをみてみよう︒ オイタナジーについてのフランシス・ベイコンの概念は多義的である︒リットル︵一八○一−一八八一︶は︑﹁苦痛なしの穏やかな死﹂﹁苦痛に悩む死の闘いを回避するために誘発された眠りの間に発生する死﹂と定義している︒一九世紀初期の文献︵医学辞典一八一二一一八二二︶には︑この問題についての論述はみあたらない︒というのは︑道徳的な決定は享受した教育から引き出せると考えられていたからである︒ところが︑近年このテーマについての論文が増大している︒それは︑医学の技術の発展により現存在の神秘は簡単な解決ですますことができなくなったからである︒フォルグ︵一八六〇1一九四三︶は︑戦争時の状況から︑慢性の患者の殺害は何よりも経済即ち胃袋の問題であったが︑今日のオイタナジーは感情の領域に属しており︑中心となるのは苦痛の止揚であるという︒彼はオイタナジーを認めず︑ ﹁吾々は倦むことなく︑人間の苦痛を和らげねばならない︒吾々は不治の人に最後まで希望をもたせるよう義務づけられている﹂という︒彼の思想を発展させたボルトは︑個人的オイタナジーと集団的オイタナジーを区別する︒後者は︑集団の利益への個人の効率と隷属という思想によって規定されており︑前者から後者への移行が多方面で表われているという︒更に︑ボルトは︑死に瀕している者のオイタナジーの医学的な規準について考える︒そこでは︑苦痛が耐えられず︑絶え
間がなく︑かつ手の施しようがないこと︑患者が完全な意識と
44 (2 ● 161) 311
料
亭 自由な決定において同意を与えたこと︑終りの予測が絶対的な確実さで確定していること︑技術的な手段の使用が尽くされて
いることが要求されているが︑ボルトは︑このような列挙は︑
医者の治療の単なる外観作りにすぎないのであって︑医者がそ
こでは裁判官となっており︑生と死に関する彼の決定は︑それ
が一般化されると︑公共の秩序に対する危険要素になると指摘
する︒更にオイタナジー立法によって︑死に瀕している者のオ
イタナジーから︑不治の者のオイタナジーにまで︑つまり私的
なそれから︑集団的なそれへの道が開かれる︑という︒ドゥブ
レイは︑個人的なオイタナジーにおける適用の限界問題を提起
し︑ 道徳と政治の科学アカデミーの︑ オイタナジー立法問題
に対する否定的解答︵一九四九年一一月一四日︶を紹介してい
る︒そこでは︑オイタナジーは︑過去の経験が示す様に︑必然
的に犯罪的乱用にいたり︑その不具にもかかわらず︑文明の構
築作業に寄与できる個人の否定にいたるということ︑死苦の不
安を軽減することは医者の義務であり︑治療中に生ずる死の恐
れが︑治療手段を妨げるというようなことはないが︑決して死
は意図的に惹起されてはいけない︑そのような決定の自由は︑
医者の職業上の伝統と矛盾することが強調されている︒又最近
では︑治療手段の放棄の意味での﹁アウトマタナジ!﹂︵﹀三〇・
ヨ①8ご器δ︶という概念が問題とされている︒
以上の生命短縮の問題に対して︑ 延命の問題がある︒ 死と
は︑ ﹁機能的な諸関連の減少と組織的な細胞からなる単一体の 崩壊をともなった生体のいきいきした諸機能の完全で終極的な静止﹂と定義されている︒つまり︑ここでは孤立した機能の生存と統一体としての生体一脳組織の統合機能を前提1の生存を厳格に区別するのである︒フランスでは︑統合性思想が強調され︑生命延長手段を無思慮に適用することには批判的である︒つまり︑﹁人間の存在の量ではなく︑質が重大なのである︒吾々が人の知的なそして道徳的な崩壊や老人の長期の疾病を阻止する手段を見出す以前には︑百才の人の数を増加させるべ・きでない︒﹂﹁医者の闘争の対象として選ばれねばならないのは︑裸の生命それ自体ではなく︑それをつつんでいるところの精神的個人である︒﹂﹁死んだ体に生命の外観を人為的に保持することは医療の目的ではない︒﹂ ここでは︑人格の尊重に基礎づけられた︑個々の機能よりも統合性を大切にするところの倫理的伝統が確立している︒ ﹁外科︵即ち医学︶は技術の寄せ集めには還元できない︒ 外科を支配するもの︑ それは精神の業である︒﹂ ここには︑ヒポクラテスの誓いが︑自己教育の誓いとして生きつづけている︒フランスの医者の社会では︑数十年を越えて変らず﹁生命と人格の尊重﹂を︑オイタナジーの立法化の要求以上に高く位置づけ︑人間の生命を定義し評価するにあた
っては︑伝統の鎖の中で統合体としての人を求める闘いを決定
的なものとし︑ある操縦する体系によって結びつけられないと
ころの諸機能を維持することを決定的でないものとしている︒
︵植田 博︶
44 (2 。 162) 312
ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
自殺︑オイタナジー︑
存 在 の 意
へ味
ノレ
マ ン
シャピロ*
*一九二二年生れ︒現在カリフォルニア州のサンホセ州
立大学の哲学教授である︒ 主要著作に︑﹁中世哲学﹂
︵一九七〇年︶︑﹁ヘレニズム哲学﹂︵一九七一年︶︑﹁イ
タリアの哲学者﹂︵一九七六年︶などがある︒
﹁存在の意味とは何か﹂ということが根本的間題である︒従
来︑哲学者は﹁存在﹂の定義をめぐって苦吟してきた︒全ての
事物の最上位概念としての﹁存在﹂は︑他の事物と同様の伝統
的定義図式によっては明らかにされえない︒ 従って︑﹁存在は
意味をもつか否か﹂︑﹁その意味は如何にして理解されうるか﹂
という形で問題とされた︒哲学者の苦労をよそに︑自殺者は存
在の意味を十分認識しており︑必死の患者を前にした医師は患
者の生命を維持している器械の作動を停止すべきか否か悩む︒
我々も︑不正確ではあるが︑存在の意味を理解している︒この
事実にこそ︑﹁存在の意味とは何か﹂という存在論的 ︵o葺︒一〇・
σq剛
ヨoげ︶問題定立の正当性の根拠がある︒
この存在論的問題は︑自殺・オイタナジーの悶題に最も差し
迫った形であらわれる︒科学上の諸問題は︑存在の意味につい
ての問題を明らかにしなくても追及されうるのに比し︑自殺・
オイタナジーの問題の出発点は直接的に存在問題であるからで ある︒従って︑自殺・オイタナジー問題に信頼のおける解答を与えるためには︑﹁存在の意味とは何か﹂ という問いに明確に答えることができなければならない︒ ﹁存在の意味﹂を解明する方法は何か︒この存在論的問題に対して︑フッサールの提唱した現象学的方法一事物それ自体で︵N⊆ 自①﹃ ω四〇﹃① ωΦ岡ぴωけ︶iによって接近しうる︒つまり︑意識事実をそれ自体として語らせるのである︒ ﹁退屈であること﹂ないしは﹁不安であること﹂が既に退屈であり︑又不安である人にとってある意味をもっているに違いないということを明らかにしてはじめて︑我々は退屈であったり不安であったりすることがあるということを観念しうるのである︒このように事実がその意味と不可分に結合される場合に︑事実をそれ帰休として語らしめうるのである︒ 正に︑ 我々の存在という事実は︑人が我々の存在の全体性との関連においてその事実を措定することによって︑その意味を外化するに至るのである︒換言すれば︑存在すること一般は何を意味するのかということとの関連において︑退屈・不安等の存在形態を措定しつつその意味を確認する︒ここで生ずる存在すること一般の意味の理解は︑退屈・不安等の個々的な存在形態を全体として分析することによって可能となる︒この循環論法は︑語学の修得過程における母国語からその部分化を経て新たな外国語の修得という構造のアナロジーによって克服しうる︒つまり︑我々の存在についての不確定で未分析の意識性の総体から︑我々は︑ある部分一
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明
言 我々の個々の存在形態一へと移行し︑そしてそのような部分から再び新たな全体へ︑即ち存在の意味の理解へと向うのであ
る︒ このようなすじ道の上に立って︑自殺とオイタナジーの問題
は次のように定立される︒つまり︑存在のその意識性に︑不存
在の可能性の意識性も又属するところの存在者が存在するとい
うことは一体何を意味すみのか︒
以上︑論者の主張を追っ一てきたが︑ここでは︑論者も断って
いるように︑自殺とオイタナジーという哲学の根本問題と密接
に関連した問題に対して第一歩が踏み出されたにすぎない︒最
後に定立された問題の現象学的吟味が課題として残されてい
る︒ ︵佐藤雅美︶
死の思想一哲学的な死の観念と︑自殺︑オイタナジ
ーにとっての人類学的11問題史的意味
ヨゼフ・M・ホイスリンク*
*一九二三年生れ︒哲学博士︑ヴッペルタール法律学及
び法・社会哲学総合大学教授︒ 刑法に関する著書に
は︑国ぎ嘗ぴ謡bσqぎ留ω︒︒㌶繊触8算︼㎞oぴ①§α誓茜特
胃oN①ωω轟一①一︶gぎP一⑩①⑩.U一①ω需鼠①巳ω閑8茸ω・
︿Φ︸巴齢三ω.一8ΦがあるQ 本論文は︑三章より成っている︒ 第一章﹁﹃不死﹄の哲学的議論から﹃死の思想﹄へ﹂では︑現代自然科学の発達によって死についての問題や思想が変化を受け︑ 人間の死についての哲学思想を比較考察することを哲学に要求するようになったこと︑そして︑死についての哲学の基本的立場が五つの定理としてとりあげられること︑が述べられている︒ 第二章では︑﹁死についての五つの定理﹂ の説明がなされている︒ 第一に︑ ﹁自然死の定理﹂は︑社会主義的︑マルクス主義的思想に属し︑ フォイエルバッハにより刻印づけられた︒ この
﹁自然死﹂は︑科学的医学的な理解に応じた﹁個人的存在の自
然的終了﹂ と考えられると同時に︑ この自然にかなった死と
は︑戦争や搾取によって条件づけられているような資本主義的
諸原因に依拠している﹁不自然な生命短縮﹂が抑止されたその
ばあいの死だと考えられるのである︒ そして︑病気は全く自
然な経過として認識しうる有機的欠陥によって説明できる︑と
いう解釈は︑ この議論に密接に関係しているのであり︑ この
﹁自然的基礎﹂にもとづいて︑﹁部分死﹂や﹁全体死﹂が語られ
るのである︒ さらに︑ ビルコフの人為的病気の概念もまた︑
この議論が社会的関係によって特徴づけられるのに関連してい
る︒ 第二に︑﹁個体をこえた種族.の優位﹂ としての死の定理では
生物学的に考えられた自然への個体の被止揚性あるいは宥和が
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ドイツにおける最近の自殺・安楽死論議
本質的なものとされる︒ヘーゲルは︑精神の自己発見にしたが
って︑この﹁個体をこえた種族の優位﹂を理解した︒しかし︑ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘマルクスによれば︑人間はまさしく自然なるものであり︑有機
的な自然の領域において︑もしくは︑この自然と必然的な交換
関係に立つ人間社会の領域において︑種を越えた属の優位が維
持されているのである︒そこでは︑もはや個人的な死の問題に
直接的な方法で立ち入ることはない︒他方︑社会ダーウィニズ
ムの立場では︑属が生きのびるためには︑個は意味をもたない
というかたちで種族の思想が述べられている︒
第三に︑﹁生の否定﹂としての︑あるいは︑﹁生きている苦悩﹂
.の表現としての死の定理は︑ショーペンハウエルの見解に見出
される︒彼にとって︑﹁死﹂とは︑﹁ある個性の一面性からの解
放の瞬間﹂である︒生の否定と自由は︑人聞の死のメルクマー
ルなのであり︑また︑自由なる死は生への意思を放棄し否定す
る者の特権なのである︒何故ならば︑死は時間的現象の時間的
最後であり︑われわれの固有の本質は︑まさしく︑時間に服従
している個性を断念したときに︑時間︑因果︑流転から独立す
るからである︒そして︑自殺の中に存する﹁個人の現象の有意
的破壊﹂は︑﹁われわれの本質自体の不滅性﹂ を明らかにする
と考えられるのである︒
第四に︑﹁個人的死﹂の定理は︑カフカ︑ カミュ︑リルケな
どの最近の影響力に富む文学が追求している﹁独自の死﹂に表
現されているものである︒それは︑現代の画一化された生の状 況に対して︑少なくとも特殊な形態をとったその死者のユニークさを守るために︑ 特殊な死の状態をさし示している︒例えば︑リルケは︑ 医学における科学的進歩が︑ 病人の個人的死の経験を病院で世話を受ける一部分に止揚することによって︑病人自身の死についての意識の確実性を奪っている状況を描写し︑ そのような現代の科学的医学的発展に全く逆らって︑﹁独自の死﹂を形成することを求めている︒ 第五に︑ ﹁死への存在﹂の定理は︑ハイデッガーの﹃存在と時間﹄の中に見出される︒ 彼によれば︑﹁死は︑現存在の最も独自の可能性であり﹂︑ この現存在に﹁その最も独自な存在可能性﹂を開いているものである︒そして︑この現存在の可能性は︑本来的存在可能に属しているのである︒ 従って︑﹁死の医学的一生物学的研究﹂は︑その研究の基本的方向が死の実存的解釈を保障しているかぎりにおいて︑存在論的にも意味をもった結論をもたらすことができるのであり︑ 結局︑ 彼にとっては︑ ﹁病気と死﹂自体は︑ コ次的な存在現象﹂となるのである︒その現象の優越的経験によってこそ︑あらゆる医学的生物学的存在は生きるのである︒ こうして︑彼の﹁死への存在﹂は︑この人間科学にはりあぐらされた解釈論的分析を越えて︑
﹁死の人道化﹂へと導くのである︒
以上のように︑五つの定理を整理したあとで︑論者は︑第三
章において︑自殺及び安楽死に対して人類学的経験にもとづい
た評価を加えている︒死の思想は︑二重の方向づけのもとにあ
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