K I Z U N A
春・夏号 2017 No.14
人 と 人 、 人 と 地 域 の き ず な を 結 ぶ 情 報 誌
蘇った海の美しさを、
子どもたちに残す。
館山市
蘇った海の美しさを、
子どもたちに残す。
館山市
白みりん造りと水運で栄えた 俳人・小林一茶ゆかりの地。
白みりん造りと水運で栄えた 俳人・小林一茶ゆかりの地。
千葉 物語の散歩道
流山本町 特集
第2回 ほどほど同居型
第2回 二世帯住宅のリフォームポイント ほどほど同居型
二世帯住宅のリフォームポイント
HOUSING 住宅HOUSING 住宅
K I Z U N A
c o n t e n t s 2017 ● 春・夏号 No.14
10 08 04
14
16
18 20 22 23
きずな特集
蘇った海の美しさを、子どもたちに残す。
館山市
豊かな自然を丸ごといただく
「館山炙り海鮮丼」
千葉 物語の散歩道
白みりん造りと水運で栄えた
俳人・ 小林一茶 ゆかりの地。
HOUSING 住宅
二世帯住宅のリフォームポイント 第2回 ほどほど同居型
いきいきヘルシーアップ
テニスよりも気軽で面白さは同じ
「パドルテニス」
健康度チェック&チェック
第14回 疲れ目を甘く見てはいけない!
「目の疲労度」チェック
暮らしのマネー情報 確定拠出年金
私たちの明日が見つかる
「千葉の環境・エコロジー」
(鋸南町、南房総市)育てる 味わう 楽しむ ベジタブルライフ
第6回
「茎ブロッコリー」
表紙写真
ポピーの里 館山ファミリーパーク
房総半島の南端にあり、房総フラワーラ イン沿いの平砂浦海岸を望める花の テーマパーク。一年を通して季節の花を 楽しむことができ、春には7,500㎡の広 大な花畑に100万本のポピーが咲き誇 ります。他にもパターゴルフ、釣り、体験 工房など家族で楽しめる施設が多数あ ります。館山港:千葉県の南端、東京湾の入口にある館山湾。その奥にある館山港は、南側が半島で覆われているた め外海からの影響が少ない天然の良港として知られています。
02
きずな特集
館山市 館山市
好 きだ からここにいる 。千 葉 が ふるさと 好 きだ からここにいる 。千 葉 が ふるさと
蘇った海の美しさを、
子どもたちに残す。
蘇った海の美しさを、
子どもたちに残す。
安房の海を守り育む会
安房の海を守り育む会
波が穏やかな日には富士の影を映す事から﹁鏡ヶ浦﹂と称され︑日本百景にも選ばれた館山湾︒かつて遠浅の浜には︑子どもたちが遊び︑多くの海水浴客が訪れていた︒その美しい海で盛んに獲れていたのがナミノコガイ︒味噌汁に入れると非常に美味で︑地域の人々の食卓に上ることも多かった︒しかし生活が便利になるに連れて︑海が汚れ︑ナミノコガイも姿を消し︑千葉県の絶滅危惧種に指定された︒その後も汚れた海でナミノコガイが復活することはないと思われていた︒しかし近年︑海は元の美しさを取り戻し始める︒姿を消したと思われていたナミノコガイも︑戻ってきた︒この海の浄化に一役買っているのが︑﹁安房の海を守り育む会﹂︒この会では︑環境浄化の目的で世界的にも活用されている有用微生物群﹁EM菌﹂を使い︑発足以来︑毎週日曜日には一日も欠かさずに︑館山の海の環境保全に努めている︒
きずな特集 館山市
きずな特集
誰かが立ち上がらなければ、
海はきれいにならない。
﹁館山の船形漁港は日本を代表する漁港として︑小学校の教科書にも載るくらい有名で︑近くに住んでいた私も自慢に思っていました﹂︒そう語るのは︑会の事務局長を務める福原一さん︒酒販店を営むかたわら︑地元の小学校で剣道を教えていた福原さんが︑この会を立ち上げたきっかけは︑2000年春のこと︒ある新聞記者に言われたひと言だった︒﹁小学生たちに館山の良さを教えてほしい︒そして彼ら が地元に就職し定住するようにしてほしい﹂︒そこで館山の良さを模索し︑たどり着いたのが﹁海﹂だった︒しかし当時の館山の海には︑事業所や家庭からの排水が流れ込み︑汚れていた︒ 美しい海を取り戻すことができれば︑観光や漁業の振興につながり︑子どもたちも地元に残るようになるのではないかと考えた福原さんは︑さっそく協力者を募り始めた︒活動資金には︑店のオリジナルブランドの酒を復活させて︑売上げの一部をあてた︒そして︑海を浄化する方法を模索し始めた︒ そんなある日︑来店した女性客から︑自宅周辺の側溝をEM菌で浄化しているという話を聞き︑﹁これだ﹂と思ったという︒有用微生物群﹁EM菌﹂は︑ふん便性大腸菌の増殖を抑え︑海水を浄化する働きをもつ︒福原さんがEM菌を培養する研究を独自に続けるうちに︑やがて︑培養や放流を手伝う人々や︑資金援助を申し出る人々が現れ始めた︒そして︑2001年7月
﹁宇田川﹂︑﹁どんどん川﹂にEM い海を取り戻すために︑地元の ﹁安房の海を守り育む会﹂︒美し 20日の海の日に発足したのが ん︒私たちはその先駆けとなりたい﹂ 立ち上がらなければきれいになりませ きれいにしたいと思っていても︑誰かが ﹁人口5万人の館山市民全員が海を 流している︒ 加︒EM菌を使った﹁EMだんご﹂も放 養装置を導入し︑放流量が大幅に増 菌の培養液を放流︒翌年には大型培
やがて成果が現れた︒砂浜や磯の水が透明感を増し︑海が清浄化するにつれて生き物たちが戻り始めた︒ナミノコガイが
幅に減った︒参加する る︒川の悪臭が消え︑流域のヘドロが大 ん川・汐入川に流す活動を続けてい かさず︑EM培養液を宇田川・どんど 会の発足以来︑毎週日曜日に一度も欠 なく入会したという︒メンバーたちは の存在を知った高橋さんは︑迷うこと バーの高橋節義さん︒理由を調べて会 なっていて驚きました﹂というのはメン いた海岸が︑見違えるほどきれいに 30年ぶりに復活した︒﹁汚れて
60〜
校向けの講座も開く︒国内外を問わの奮闘は︑これからも続いていく︒ の呼びかけなどの活動の他︑小・中学しく保つ心を次の世代に伝えるため る︒企業や家庭のゴミ減量︑排水浄化ろな取り組みをしています﹂︒海を美 大変でもやりがいがあると口を揃え維持継続すること︒そのためにいろい は︑目に見えて海がきれいになるから︑張っています︒一番大変なのは活動を 70代の会員を務める︒﹁昔の同級生もここで頑 在を知って入会︒現在はNPO理事長 義さんは︑地元に戻り回覧板で会の存 東京に出て仕事をしていた石神正 わう︒ M菌を使って栽培した野菜を皆で味 女性たちが集まって作る農園では︑E なっている手応えがうれしい﹂という︒ きる範囲で活動しています︒きれいに ﹁毎週末参加するのは難しいですが︑で 聞きつけて︑さっそく参加した一人︒ 子さんは︑EM菌を使った浄化の話を 業をするのが楽しみだそうだ︒古畑玲 加する︒知り合いができて皆と共同作 会の趣旨に賛同して︑毎週のように参 館山に移住してきた山田建夫さんだ︒
姿 を 消 し た ナ ミ ノ コ ガ イ が
も始めました﹂というのは︑埼玉から ほど人が増えましたね︒趣味で海釣り だった夏の花火大会が︑今は見違える ﹁以前は浜が臭くて人影もまばら EM菌を取り入れるところが増えた︒ に指定された︒今や全国の自治体でも を評価されて︑千葉県から認定NPO 2013年には社会的貢献度の高さ ず︑視察や交流も頻繁に行っている︒30年 ぶ り に 復活 し た た ど り着 い た 答 え が﹁海﹂ 館山 の 良 さ を探 し て
きずな特集 館山市
07
温暖で自然に恵まれた館山は︑海の幸ばかりではなく︑野菜や花も豊富︒そんな地場の産品にこだわった新たな名物が﹁館山炙り海鮮丼﹂だ︒4年前から館山市内の4店舗がメニューに加えている︒この丼を目当てにやってくる観光客も増えているという︒﹁丼﹂といってもありきたりではない︒特製の三段丼ぶりを用い︑上から一段目が炙り海鮮︑二段目は刺身︑三段目が﹁彩り花ちらし﹂︒見た目も華 ﹁地元館山を舞台にした﹃南総里見八犬伝﹄にちなんで︑8種類の旬の地魚を使っています︒伊戸漁港の網元が毎朝水揚げする朝獲れの魚で︑鮮度を保つのは時間との勝負︒水揚げしたのを即座に氷締めにして︑そのまま調理場に持ち込んでいます﹂というのは総料理長の川名章さん︒漁港が近いからこそ提供できる丼といえる︒ 千里の風はオープンして3年目となる温泉リゾート施設︒雄大な太平洋の眺望がひらける立地とともに︑会席料理とビュッフェのいいところ取りをした﹁ハーフ会席﹂が人気を呼んでいる︒﹁まずは海鮮丼を通じて館山の海をアピールしたい︒そして︑館山の町の素晴らしさを知っていただきたいので︑採算は度外視でお出ししています﹂というのはフロント課長の北下拓宏さん︒町を盛り上げたいとの思いが︑丼の中に凝縮されている︒ やかに盛り付けられたさまは︑まさに御膳と呼ぶにふさわしい︒目の前に出てきた量に驚き︑三段の丼ぶりを広げてその華やかさに驚き︑そして食べて鮮度と美味さに驚く︒ 素材の新鮮さをさらに引き立てるのは遊び心︒魚を自分で火にかざして軽く炙ると︑脂が焦げる香ばしい匂いに食欲がそそられて︑日常とは違った楽しさが味わえる︒丸大根︑里芋︑レタスなどの野菜に加え︑菜の花︑金魚草︑桜草といった季節ごとの食用花も添えられて︑華やいだ気持ちは食べ終わった後までも続く︒
地元食材 ば か り を 厳選
館山市の炙り海鮮丼たてやま温泉 千里の風
千葉県館山市藤原1495-1 TEL 0470-28-2211
※炙り海鮮丼は30食限定(他の店舗は20食)ですので予約をおすすめして います。 ランチ限定11:30〜13:30(ラストオーダー12:30) 1,800円(税込)
この日の魚は金目鯛︑目鯛︑甲いか︑あじ︑さざえ︑めじまぐろ︑いさき︑小むつの8種類︒あじは郷土料理の﹁なめろう﹂と﹁さんが焼き﹂で楽しめる︒野菜︑食用花のほか︑ちらし寿司に使う米も館山産︒デザートにつく手作り濃厚プリンには地元の玉子が使われているほか︑ウェルカムドリンク︑海鮮汁︑香の物まで︑どこまでも地場産食材にこだわる︒炙った魚介や野菜をつける塩やタレもすべて特製だ︒この﹁館山炙り海鮮丼﹂は千里の風のほか︑﹁海の花﹂︑﹁波奈総本店﹂︑﹁休暇村館山﹂でも食べられる︒
漁 港 が 近 い か ら こ そ 味 わ え る 新 鮮 さ 豊 か な 自然 を 丸 ご と い た だ く 館山炙 り海鮮丼
きずな特集 館山市
09
物語の散歩道
千葉
10
宝暦
村の農家に生まれた一茶は︑ 13年︵1763年︶信州柏原
見せるのは れた一茶が︑俳諧師として歴史に姿を 戸に奉公に出されました︒市井に紛 15歳で江
ます︒双樹が没するまでのおよそ 双樹と称し︑一茶と昵懇の間柄となり ある五代目秋元三左衛門は︑俳号を 白みりんを生み出した醸造家の一人で 品を生み出しました︒中でも流山で きとの交流を深めながら数多くの作 ます︒よく訪れたのが房総で︑俳句好 旅して回りながら頭角を現していき 25歳の頃︒その後︑各地を
10
年間に︑一茶は秋元家を
句会を催し︑連句を楽しみました︒ 54回訪れて︑
赤城山と呼ばれ︑その上に鎮座するのが赤城神社です︒この赤城山は︑群馬県の赤城山の土が噴火で流れ着いてできたという伝説があり︑一説にはそれが流山の名の由来になっているとも言われます︒社へ上る石段の下にひっそりと建つ句碑には
の句が刻まれています︒
江戸川の改修により水運の拠点として栄えた流山︒一茶双樹記念館がある流山本町界隈には︑多くの商家や蔵が立ち並んでいました︒今もその名残の建物が見られる風情ある町並みです︒ 寺田園茶舗﹁見世蔵﹂は︑明治
22年
に建築されて店舗として利用されていた建物を︑﹁万華鏡ギャラリー﹂として再生したもの︒国登録有形文化財に登録されています︒ 見世蔵の向かいにある明治
﹁丁字屋栄﹂は大正 くれました︒ 井憲光さんと妻の則子さんが教えて 物に残っています﹂と4代目店主の石 た︒そこで店の土台を下げた跡が︑建 堤防ができて道の高さを下げまし 防の役割を果していましたが︑現在の 本町通りはその昔︑江戸川の第二堤 られた和菓子が並びます︒﹁店がある のケースに︑昔ながらの製法を守って作 国登録の有形文化財︒店内にはガラス も︑およそ130年前に建てられた︑ 業の和菓子店﹃清水屋本店﹄の建物 35年創
足袋店を改装した本格的レストラン︒ 12年に建てられた
ャラリースペースの屋根裏には︑歴史を支えてきた太い梁が渡されています︒
流山は幕末に新選組最後の陣営地となった場所としても知られています︒鳥羽・伏見の戦いに敗れたのち新選組は︑慶応4年︵1868︶流山に入り︑長岡屋という酒造家に最後の陣を設けて戦う構えを見せます︒陣屋跡には碑がつくられています︒ 長岡屋からほど近い場所にある浅間神社は︑流山の町並みが揃い始めた正保元年︵1644︶に創建された神社︒本殿の裏にあるのが﹁富士塚﹂です︒江戸時代中期に富士山参拝に行けない人々のために︑富士山の溶岩を使って作られた小山は︑﹁流山の富士山﹂と呼ばれていました︒夏は流山花火大会が開かれる江戸川の堤防の上に立つと︑晴れた日には︑一茶も眺めたであろう本物の富士山を望むことができます︒双樹が亡くなって間もなく︑一茶は江戸を引き払い︑故郷の柏原に戻りました︒流山市役所前には︑一茶が縁で姉妹都市となった信濃町から贈られた﹁ゆうぜんとして山を見る蛙哉﹂の句碑が建てられています︒一茶にとって双樹は︑頼りがいのある大きな山のような存在だったのかも知れません︒ みりん造りで財を成した双樹は︑一茶への経済的援助も行っていたようです︒安政期に建てられた秋元家の新座敷︵双樹亭︶を中心に整備されたのが一茶双樹記念館︒枯山水の庭園の一角には一茶の句碑が建てられています︒
句碑には︑一茶の故郷・信濃柏原にある黒姫山の石が使われていて︑句碑の方角も信濃の方を向いて建っています︒双樹は
碑があります︒ 内には一茶と双樹の連句を刻んだ句 の光明院という寺に葬られました︒境 56歳にして亡くなり︑近在
光明院の直ぐ裏手にある小山は
流山市・流山本町
光明院
明治初期まで赤城神社の別棟祈願所だった光明院は真言宗の お寺。幕末に敗走する新選組が分宿したと言われています。
●流山市流山6-651
一茶双樹記念館
秋元家の幕末期の座敷を移設した「双樹 亭」のほか、店の表構えである「秋元本家」
と書院「一茶庵」を再現した一茶双樹記念 館は、流山市の指定記念物第一号で、みり んや俳句に関する資料も。茶房一茶庵では、
庭を眺めながらお茶を楽しめます。
●観覧料 個人100円(団体20名以 上80円)、小学生及び中学生50円
(団体20名以上40円)
●開館時間 9:00〜17:00
●休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、
年末年始
●流山市流山6-670-1
●04-7150-5750
白 み り ん 造 り と 水 運 で 栄 え た 俳 人 ・ 小 林 一 茶 ゆ か り の 地 ︒
内外観ともに当時の落ち着いた趣を残しています︒この店では︑名産の白みりんを用いたパスタやピッツァが楽しめます︒本町通りの先にあるのが﹁流山あかり館
彩﹂
︒築
ラリーへと作り変えたもの︒2階のギ は︑流山本町最古の土蔵をカフェ・ギャ ﹁蔵のカフェ+ギャラリー灯環︵とわ︶﹂ 具が彩ります︒ 美濃和紙を使ったオリジナル照明器 80年の乾物店を︑ 今年︑その生涯を描いた映画﹃一茶﹄幕末期の座敷も公開される小林一茶の︑流山での足跡を訪ねます︒ その住まいの跡が︑一茶と双樹の交流を伝える記念館として整備・公開されています︒ 一茶が頻繁に足を運んだのが流山のみりん醸造家である秋元双樹︵五代目三左衛門︶宅でした︒ 親しみやすい作風で多くの人々から愛される江戸中期の俳人︑小林一茶︒
一茶の生まれ故郷で ある、長野県信濃町 の黒姫山の石が使 われている句碑。
本堂前に建てられた一茶と双樹の連句を刻んだ句碑
白みりん の 先駆者 の 一 人 一 茶が慕 っ た俳友 ・ 秋元双樹
じっこん
11
※掲載の情報は2017年3月のものです。278
5
200m N
赤城神社 赤城神社 光明院 光明院
一茶双樹記念館 一茶双樹記念館 万華鏡ギャラリー・
寺田園茶舗 見世蔵 万華鏡ギャラリー・
寺田園茶舗 見世蔵 清水屋 本店 清水屋 本店
近藤勇陣屋跡 近藤勇陣屋跡 浅間神社
浅間神社 遊食伊太利庵 遊食伊太利庵丁字屋栄 丁字屋栄
蔵のカフェ+ギャラリー 灯環蔵のカフェ+ギャラリー 灯環
流山あかり館 彩 流山あかり館 彩
流山市役所 流山市役所
流鉄流山線
流山市 千葉県 東京都
松戸へ 幸谷へ
流山1
流山駅前 文化会館入口
平和台1
平和台2
平和台3
江戸川
流山街道
市立流山小
市立流山北小
県立流山南高
平和台駅 流山駅
宝暦
村の農家に生まれた一茶は︑ 13年︵1763年︶信州柏原
見せるのは れた一茶が︑俳諧師として歴史に姿を 戸に奉公に出されました︒市井に紛 15歳で江
ます︒双樹が没するまでのおよそ 双樹と称し︑一茶と昵懇の間柄となり ある五代目秋元三左衛門は︑俳号を 白みりんを生み出した醸造家の一人で 品を生み出しました︒中でも流山で きとの交流を深めながら数多くの作 ます︒よく訪れたのが房総で︑俳句好 旅して回りながら頭角を現していき 25歳の頃︒その後︑各地を
10
年間に︑一茶は秋元家を
句会を催し︑連句を楽しみました︒ 54回訪れて︑
赤城山と呼ばれ︑その上に鎮座するのが赤城神社です︒この赤城山は︑群馬県の赤城山の土が噴火で流れ着いてできたという伝説があり︑一説にはそれが流山の名の由来になっているとも言われます︒社へ上る石段の下にひっそりと建つ句碑には
の句が刻まれています︒
江戸川の改修により水運の拠点として栄えた流山︒一茶双樹記念館がある流山本町界隈には︑多くの商家や蔵が立ち並んでいました︒今もその名残の建物が見られる風情ある町並みです︒ 寺田園茶舗﹁見世蔵﹂は︑明治
22年
に建築されて店舗として利用されていた建物を︑﹁万華鏡ギャラリー﹂として再生したもの︒国登録有形文化財に登録されています︒ 見世蔵の向かいにある明治
﹁丁字屋栄﹂は大正 くれました︒ 井憲光さんと妻の則子さんが教えて 物に残っています﹂と4代目店主の石 た︒そこで店の土台を下げた跡が︑建 堤防ができて道の高さを下げまし 防の役割を果していましたが︑現在の 本町通りはその昔︑江戸川の第二堤 られた和菓子が並びます︒﹁店がある のケースに︑昔ながらの製法を守って作 国登録の有形文化財︒店内にはガラス も︑およそ130年前に建てられた︑ 業の和菓子店﹃清水屋本店﹄の建物 35年創
足袋店を改装した本格的レストラン︒ 12年に建てられた
ャラリースペースの屋根裏には︑歴史を支えてきた太い梁が渡されています︒
流山は幕末に新選組最後の陣営地となった場所としても知られています︒鳥羽・伏見の戦いに敗れたのち新選組は︑慶応4年︵1868︶流山に入り︑長岡屋という酒造家に最後の陣を設けて戦う構えを見せます︒陣屋跡には碑がつくられています︒ 長岡屋からほど近い場所にある浅間神社は︑流山の町並みが揃い始めた正保元年︵1644︶に創建された神社︒本殿の裏にあるのが﹁富士塚﹂です︒江戸時代中期に富士山参拝に行けない人々のために︑富士山の溶岩を使って作られた小山は︑﹁流山の富士山﹂と呼ばれていました︒夏は流山花火大会が開かれる江戸川の堤防の上に立つと︑晴れた日には︑一茶も眺めたであろう本物の富士山を望むことができます︒双樹が亡くなって間もなく︑一茶は江戸を引き払い︑故郷の柏原に戻りました︒流山市役所前には︑一茶が縁で姉妹都市となった信濃町から贈られた﹁ゆうぜんとして山を見る蛙哉﹂の句碑が建てられています︒一茶にとって双樹は︑頼りがいのある大きな山のような存在だったのかも知れません︒ みりん造りで財を成した双樹は︑一茶への経済的援助も行っていたようです︒安政期に建てられた秋元家の新座敷︵双樹亭︶を中心に整備されたのが一茶双樹記念館︒枯山水の庭園の一角には一茶の句碑が建てられています︒
句碑には︑一茶の故郷・信濃柏原にある黒姫山の石が使われていて︑句碑の方角も信濃の方を向いて建っています︒双樹は
碑があります︒ 内には一茶と双樹の連句を刻んだ句 の光明院という寺に葬られました︒境 56歳にして亡くなり︑近在
光明院の直ぐ裏手にある小山は
赤城神社
毎年10月上旬の日曜日には、秋の祭礼の準備をする
「宮なぎ」という行事が行われ、重さ500キロにも及ぶ 大しめ縄が作られます。 ●流山市流山6-649
内外観ともに当時の落ち着いた趣を残しています︒この店では︑名産の白みりんを用いたパスタやピッツァが楽しめます︒本町通りの先にあるのが﹁流山あかり館
彩﹂
︒築
ラリーへと作り変えたもの︒2階のギ は︑流山本町最古の土蔵をカフェ・ギャ ﹁蔵のカフェ+ギャラリー灯環︵とわ︶﹂ 具が彩ります︒ 美濃和紙を使ったオリジナル照明器 80年の乾物店を︑
石段下の碑には「越後節蔵にきこえて秋の雨」
の句。越後から来てみりん造りに勤しむ杜氏たち の歌声が描かれています。
「流山フォトコンテスト入賞作品」
夕月 や 流残り の き り ぎ り す
豆引 や 跡 は 月夜 に 任 す 也
双樹烟 ら ぬ 家 も う そ 寒く し て
一茶12
宝暦
村の農家に生まれた一茶は︑ 13年︵1763年︶信州柏原
見せるのは れた一茶が︑俳諧師として歴史に姿を 戸に奉公に出されました︒市井に紛 15歳で江
ます︒双樹が没するまでのおよそ 双樹と称し︑一茶と昵懇の間柄となり ある五代目秋元三左衛門は︑俳号を 白みりんを生み出した醸造家の一人で 品を生み出しました︒中でも流山で きとの交流を深めながら数多くの作 ます︒よく訪れたのが房総で︑俳句好 旅して回りながら頭角を現していき 25歳の頃︒その後︑各地を
10
年間に︑一茶は秋元家を
句会を催し︑連句を楽しみました︒ 54回訪れて︑
赤城山と呼ばれ︑その上に鎮座するのが赤城神社です︒この赤城山は︑群馬県の赤城山の土が噴火で流れ着いてできたという伝説があり︑一説にはそれが流山の名の由来になっているとも言われます︒社へ上る石段の下にひっそりと建つ句碑には
の句が刻まれています︒
江戸川の改修により水運の拠点として栄えた流山︒一茶双樹記念館がある流山本町界隈には︑多くの商家や蔵が立ち並んでいました︒今もその名残の建物が見られる風情ある町並みです︒ 寺田園茶舗﹁見世蔵﹂は︑明治
22年
に建築されて店舗として利用されていた建物を︑﹁万華鏡ギャラリー﹂として再生したもの︒国登録有形文化財に登録されています︒ 見世蔵の向かいにある明治
﹁丁字屋栄﹂は大正 くれました︒ 井憲光さんと妻の則子さんが教えて 物に残っています﹂と4代目店主の石 た︒そこで店の土台を下げた跡が︑建 堤防ができて道の高さを下げまし 防の役割を果していましたが︑現在の 本町通りはその昔︑江戸川の第二堤 られた和菓子が並びます︒﹁店がある のケースに︑昔ながらの製法を守って作 国登録の有形文化財︒店内にはガラス も︑およそ130年前に建てられた︑ 業の和菓子店﹃清水屋本店﹄の建物 35年創
足袋店を改装した本格的レストラン︒ 12年に建てられた
ャラリースペースの屋根裏には︑歴史を支えてきた太い梁が渡されています︒
流山は幕末に新選組最後の陣営地となった場所としても知られています︒鳥羽・伏見の戦いに敗れたのち新選組は︑慶応4年︵1868︶流山に入り︑長岡屋という酒造家に最後の陣を設けて戦う構えを見せます︒陣屋跡には碑がつくられています︒ 長岡屋からほど近い場所にある浅間神社は︑流山の町並みが揃い始めた正保元年︵1644︶に創建された神社︒本殿の裏にあるのが﹁富士塚﹂です︒江戸時代中期に富士山参拝に行けない人々のために︑富士山の溶岩を使って作られた小山は︑﹁流山の富士山﹂と呼ばれていました︒夏は流山花火大会が開かれる江戸川の堤防の上に立つと︑晴れた日には︑一茶も眺めたであろう本物の富士山を望むことができます︒双樹が亡くなって間もなく︑一茶は江戸を引き払い︑故郷の柏原に戻りました︒流山市役所前には︑一茶が縁で姉妹都市となった信濃町から贈られた﹁ゆうぜんとして山を見る蛙哉﹂の句碑が建てられています︒一茶にとって双樹は︑頼りがいのある大きな山のような存在だったのかも知れません︒ みりん造りで財を成した双樹は︑一茶への経済的援助も行っていたようです︒安政期に建てられた秋元家の新座敷︵双樹亭︶を中心に整備されたのが一茶双樹記念館︒枯山水の庭園の一角には一茶の句碑が建てられています︒
句碑には︑一茶の故郷・信濃柏原にある黒姫山の石が使われていて︑句碑の方角も信濃の方を向いて建っています︒双樹は
碑があります︒ 内には一茶と双樹の連句を刻んだ句 の光明院という寺に葬られました︒境 56歳にして亡くなり︑近在
光明院の直ぐ裏手にある小山は
遊食伊太利庵 丁字屋栄
東京都内の星付きレストランで腕を振るっていたシェ フが作るのは、新鮮素材と地元の野菜をふんだんに 使い、フレンチとイタリアンの技法を駆使した料理。
地元以外からも多くの人が訪れています。
●営業時間 11:00〜14:30(ラストオーダー)、
18:00〜20:30(ラストオーダー)
●定休日 月曜日(祝日の場合は火曜日休)
●流山市流山1-5 ●04-7192-7953
万華鏡ギャラリー・
寺田園茶舗 見世蔵
寺田家は流山村の草創期から続いた家の一つ。
現存する建物は明治22年に建てられた、お茶や 乾物を扱う店舗でした。現在は世界的な万華鏡 作家の中里保子さんなど、多くの万華鏡作家の 作品が展示販売されています。
●営業時間 10:00〜17:00
●休館日 月曜日、火曜日(祝日の場合は開館)、
年末年始
●流山市流山2-101-1 ●04-7190-5100
清水屋 本店
菓子に使われる餡は、銅鍋を使い薪で火をおこした水で煮る、昔 ながらの製法で作られています。一茶にちなんだ「一茶の宿」は 地元のみりんが使われた和菓子。「陣屋もなか」は近藤勇陣屋 跡をかたどった特製もなかです。
●営業時間 12:00〜19:00(ただし早期売り切れあり)
●定休日 水曜日、第1、第3火曜日(祝日、お彼岸期は営業)
●流山市流山2-26 ●04-7158-0140
内外観ともに当時の落ち着いた趣を残しています︒この店では︑名産の白みりんを用いたパスタやピッツァが楽しめます︒本町通りの先にあるのが﹁流山あかり館
彩﹂
︒築
ラリーへと作り変えたもの︒2階のギ は︑流山本町最古の土蔵をカフェ・ギャ ﹁蔵のカフェ+ギャラリー灯環︵とわ︶﹂ 具が彩ります︒ 美濃和紙を使ったオリジナル照明器 80年の乾物店を︑
年間数回の万華鏡企画展も開催。写真は3月 に開催された「スプリングコレクション」の様子。
いろどり
流山あかり館 彩
店主がこの建物を気に入ったのが縁で出店。カラフルで 暖かな照明が店内を彩っています。
●営業時間 10:00〜18:00
●定休日 月曜日、火曜日、年末年始、臨時休業日あり
●流山市加6-1324
●04-7150-3131
と わ
蔵のカフェ+ギャラリー 灯環
元呉服店の蔵だった国登録有形文化財『笹屋土蔵』を保存・活用 するために、和モダンなカフェに改修。2階はギャラリーで展示やコン サートなども開かれます。
●営業時間 10:30〜17:30
●定休日 火・水曜日(祝日の場合は営業日平日に振替の場合あり。
要確認)
●流山市流山1-155
●04-7158-0221
りんごとチーズにみりんバターケー キなど、流山名産のみりんを用いた 自家製スイーツや、ヘルシーなワン プレートメニューが人気。
本町ボロネーゼをはじめ、
パスタやピッツアには、
白みりんとその日いちば んの地元の野菜を使用。
ランチは1680円(税別)
から。
復元した古 い 商家や土蔵 に 古 の 町並みをし の ぶ 越後節蔵 に き こ え て 秋 の 雨
13
宝暦
村の農家に生まれた一茶は︑ 13年︵1763年︶信州柏原
見せるのは れた一茶が︑俳諧師として歴史に姿を 戸に奉公に出されました︒市井に紛 15歳で江
ます︒双樹が没するまでのおよそ 双樹と称し︑一茶と昵懇の間柄となり ある五代目秋元三左衛門は︑俳号を 白みりんを生み出した醸造家の一人で 品を生み出しました︒中でも流山で きとの交流を深めながら数多くの作 ます︒よく訪れたのが房総で︑俳句好 旅して回りながら頭角を現していき 25歳の頃︒その後︑各地を
10
年間に︑一茶は秋元家を
句会を催し︑連句を楽しみました︒ 54回訪れて︑
赤城山と呼ばれ︑その上に鎮座するのが赤城神社です︒この赤城山は︑群馬県の赤城山の土が噴火で流れ着いてできたという伝説があり︑一説にはそれが流山の名の由来になっているとも言われます︒社へ上る石段の下にひっそりと建つ句碑には
の句が刻まれています︒
江戸川の改修により水運の拠点として栄えた流山︒一茶双樹記念館がある流山本町界隈には︑多くの商家や蔵が立ち並んでいました︒今もその名残の建物が見られる風情ある町並みです︒ 寺田園茶舗﹁見世蔵﹂は︑明治
22年
に建築されて店舗として利用されていた建物を︑﹁万華鏡ギャラリー﹂として再生したもの︒国登録有形文化財に登録されています︒ 見世蔵の向かいにある明治
﹁丁字屋栄﹂は大正 くれました︒ 井憲光さんと妻の則子さんが教えて 物に残っています﹂と4代目店主の石 た︒そこで店の土台を下げた跡が︑建 堤防ができて道の高さを下げまし 防の役割を果していましたが︑現在の 本町通りはその昔︑江戸川の第二堤 られた和菓子が並びます︒﹁店がある のケースに︑昔ながらの製法を守って作 国登録の有形文化財︒店内にはガラス も︑およそ130年前に建てられた︑ 業の和菓子店﹃清水屋本店﹄の建物 35年創
足袋店を改装した本格的レストラン︒ 12年に建てられた
ャラリースペースの屋根裏には︑歴史を支えてきた太い梁が渡されています︒
流山は幕末に新選組最後の陣営地となった場所としても知られています︒鳥羽・伏見の戦いに敗れたのち新選組は︑慶応4年︵1868︶流山に入り︑長岡屋という酒造家に最後の陣を設けて戦う構えを見せます︒陣屋跡には碑がつくられています︒ 長岡屋からほど近い場所にある浅間神社は︑流山の町並みが揃い始めた正保元年︵1644︶に創建された神社︒本殿の裏にあるのが﹁富士塚﹂です︒江戸時代中期に富士山参拝に行けない人々のために︑富士山の溶岩を使って作られた小山は︑﹁流山の富士山﹂と呼ばれていました︒夏は流山花火大会が開かれる江戸川の堤防の上に立つと︑晴れた日には︑一茶も眺めたであろう本物の富士山を望むことができます︒双樹が亡くなって間もなく︑一茶は江戸を引き払い︑故郷の柏原に戻りました︒流山市役所前には︑一茶が縁で姉妹都市となった信濃町から贈られた﹁ゆうぜんとして山を見る蛙哉﹂の句碑が建てられています︒一茶にとって双樹は︑頼りがいのある大きな山のような存在だったのかも知れません︒ みりん造りで財を成した双樹は︑一茶への経済的援助も行っていたようです︒安政期に建てられた秋元家の新座敷︵双樹亭︶を中心に整備されたのが一茶双樹記念館︒枯山水の庭園の一角には一茶の句碑が建てられています︒
句碑には︑一茶の故郷・信濃柏原にある黒姫山の石が使われていて︑句碑の方角も信濃の方を向いて建っています︒双樹は
碑があります︒ 内には一茶と双樹の連句を刻んだ句 の光明院という寺に葬られました︒境 56歳にして亡くなり︑近在
光明院の直ぐ裏手にある小山は
内外観ともに当時の落ち着いた趣を残しています︒この店では︑名産の白みりんを用いたパスタやピッツァが楽しめます︒本町通りの先にあるのが﹁流山あかり館
彩﹂
︒築
ラリーへと作り変えたもの︒2階のギ は︑流山本町最古の土蔵をカフェ・ギャ ﹁蔵のカフェ+ギャラリー灯環︵とわ︶﹂ 具が彩ります︒ 美濃和紙を使ったオリジナル照明器 80年の乾物店を︑
近藤勇陣屋跡
この地で陣を構えた新選組局長の近藤 勇は、新政府軍に包囲されて自首。その 後、江戸川を渡って板橋宿で処刑されま した。
●流山市流山2-108
市役所句碑
一茶がしばしば訪れた地、流山の市役所 前に建てられた句碑。
●流山市平和台1-1-1(流山市役所前)
浅間神社
北側から見た富士に似せて作ったと される「流山の富士山」は、流山のパ ワースポットともいわれ、初詣などでも 多くの人が訪れます。
●流山市流山1-153 流山の夏の夜を彩る流山花火大会。毎年8月に行われ、多くの客で賑わう