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遺跡見学会「造山古墳周辺の遺跡めぐり」 平成23年度定期講座の紹介|岡山市|観光・文化・イベント|イベント情報

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岡山市埋蔵文化財センター講座 平成 23 年 12 月 17 日

遺跡見学会 

「造山古墳周辺の遺跡めぐり」

はじめに

 造山古墳は、吉備の古代文化を代表する遺跡です。その周囲には、合計6基の墳墓が築かれ、造山 古墳を含めた計7基の古墳は「造山古墳群」と呼ばれ、現在国指定史跡になっています。一方、造山 古墳群の周辺には、それほど知名度はありませんが重要な古墳が点在しています。それが、小造山古 墳と新池大塚古墳です。吉備の巨大古墳の系譜は、造山古墳・作山古墳の後、備前の両宮山古墳へと 移動しますが、造山古墳群の時代の後も、当地域では古墳が築かれています。

 今回は造山古墳群とともに、その周囲に点在する小造山古墳・新池大塚古墳をめぐり、吉備の古墳 文化について考えていきたいと思います。

図1 遺跡分布図(1/15000)

備中高松駅

①小造山古墳

②新池大塚古墳

③造山古墳群

※新庄車塚古墳

(2)

①小

こつくりやま

造山古墳

 墳長 142 mの前方後円墳です。岡山市と総社市の市境に位置し、後円部の一部が総社市に入ります。後円部の

径約 85 m、高さ約 12 m、前方部前端の幅約 72 mです。後円部が前方部より 3 mほど高くなっています。埋葬

施設は不明ですが、盗掘坑が確認できます。採取された埴輪の特徴から、築造時期は造山古墳、作山古墳に後続

し、5世紀中頃~後半と考えられます。後円部側には周溝が墳丘を廻っていましたが、前方部まで廻っていたの

かどうかは現状では確認できません。当地域では、造山古墳、作山古墳に後続する巨大古墳であり、被葬者はそ

れら巨大古墳に継続する大首長であると考えられます。

②新

に い け お お つ か

池大塚古墳

 径10 m、高さ3mの円墳と考えられます。埋葬施

設 は 両 袖 式 の 横 穴 式 石 室 で す。 石 室 全 長9.1m、 玄

室 長5.1m、 幅2.3m、 羨 道 幅1.8m を 計 り ま す。

これまでに発掘・遺物の採集等は行われていません。

巨 大 な 切 石 を 積 ん で 石 室 を 構 築 し て い る 点 や 玄 室 奥

壁 が 一 石 で あ る こ と な ど を 考 慮 す る と、 7 世 紀 初 頭

頃に築造されたものと考えられます。

新 池 大 塚 古 墳 の 北 西 に は、 銭 ぜ に が め づ か

瓶 塚 古 墳 が 築 か れ て い

ま す。 墳 形 は 前 方 後 円 墳 で、 前 方 部 は 後 円 部 に 対 し

て 短 く、 帆 立 貝 式 古 墳 に 分 類 さ れ ま す。 墳 丘 の 規 模

は全長約 50 mで、後円部径約 35 m、高さ約 8 mです。

埋葬施設の種類は不明ですが、過去に盗掘をうけた可

能性があります。

図 2 小造山古墳測量図 (1/2000)

図 3 小造山古墳出土 埴輪 (1/4)

図 4 新池大塚古墳位置図 (1/10000)

新池大塚古墳 銭瓶塚古墳

(3)

③造山古墳群

 岡山市北区新庄下に所在します。全国第4位の規模である全長約 350 mの造山古墳とそれに隣接し て築かれた6基の古墳を合わせて「造山古墳群」といいます。5世紀初頭から中頃にかけて築造され ました。造山古墳以外の6基の古墳は、造山古墳の陪

ばいちょう

塚(家族あるいは臣下の墓)と考えられますが、 調査はまだ十分に行われていないため不明な点が多く、詳細ははっきりしません。

古墳群は南西から北東にむかって伸びる丘陵尾根を利用し、花崗岩の地山を削った土を盛土土としな がら墳丘構築を進めていったものと考えられます。榊山古墳と千足古墳は過去に乱掘されており、埋 葬施設や副葬品の内容が一部明らかになっています。また、造山2号墳、4号墳は墳丘の付近で発掘 調査が行われ、周溝を持つことが確認されています。また、千足古墳は2010年、2011年に墳頂部の 発掘調査が行われ、埋葬施設の構造や墳丘構築の方法が明らかになりました。また、造山古墳は、近 年岡山大学により周溝の有無の確認を目的とした発掘調査が行われています。

図 5 造山古墳群 (1/5000)

0

200m

造山古墳

造山第2号墳古墳

榊山古墳(第1号墳) 造山第3号墳古墳

造山第4号墳古墳

千足古墳(第5号墳)

造山第6号墳古墳

(4)

造山古墳

 全長360mの前方後円墳です。全国第4位の規模で、自由に立ち入ることができる古墳としては、 最も大きい古墳です。戦国時代、高松城水攻めの際、毛利方の砦として利用され、後円部墳頂部周辺 や前方部と後円部の連結部分などにその痕跡がみられます。

 採集されている遺物には、円筒埴輪の他、盾形・靫形・蓋形・家形の各形象埴輪がみられます。こ れらの埴輪から、5世紀初頭頃に築造されたものと考えられます。造山古墳群の中で最初に築かれる 古墳です。墳丘は3段築成で、くびれ部に作り出しを持ちます。

前方部墳頂部に石棺が置かれています。阿蘇熔結凝灰岩という九州産の石材で作られています。荒神 社建設の際、前方部から出土した説と新庄車塚古墳から出土した説があります。

 近年岡山大学によって周溝の有無を目的とした発掘調査が実施されています。

全長350m

こちらはけずられている

造り出し

石棺がある

造り出しのなごり 戦国時代の城

大仙古墳 ( 仁徳陵) 486m 誉田山古墳 ( 応神陵 )420m 石津丘古墳 ( 履中陵 )360m

図 5 造山古墳 (1/3333)

図 6 造山古墳埴輪① (1/10)

図 7 造山古墳埴輪② (1/10)

図 8 造山古墳埴輪③ (1/10)

(5)

榊山古墳(造山第1号古墳)

 造山古墳前方部の正面に位置し、 現 状 で は 径 約35m、 高 さ 約6.5m で 二 段 築 成 の 円 墳 で す が、 帆 立 貝 形 古 墳 の 可 能 性 が あ り ま す。1912 年( 大 正 元 年 ) の 乱 掘 で、 高 野 槇 製 の 割 竹 形 木 棺 が 発 見 さ れ、 多 数 の 遺 物 が 出 土 し ま し た。 ま た、 周 辺 か ら 伽 耶 系 の 陶 質 土 器 が 出 土 し て お り、 朝 鮮 半 島 と の 関 わ り を 伺 わせます。

造山第2号古墳

 現状で、一辺約20m、高さ約4mの方墳です。1997年(平成9年)に、遊歩道の整備に伴って発 掘調査が行われ、埴輪列や周溝の存在が確認されました。これまでに確認された埴輪などを比較する と、造山古墳群の中では最も遅い時期(5世紀後半)に築造されたものと考えられます。

図 9 榊山古墳採取陶質土器他 (1/3)

図 10 造山第2号墳

図 11 造山第 2 号墳出土 朝顔形埴輪 (1/8)

図 12 造山第 2 号墳出土 円筒埴輪 (1/8)

(6)

造山第3号古墳

 墳丘の大半は削りとられているため、よく分かっていませんが、径 30 m程の円墳と考えられます。

造山第4号古墳

 従 来 は 径35m ほ ど の 円 墳 と 考 え ら れ て い ま し た が、1991 年(平成 3 年)に農道拡幅工事によって前方部とみられる高 ま り や、 周 溝 が 確 認 さ れ ま し た。 そ の 結 果 墳 長55m 程 度 の 帆立貝形古墳と考えられます。

図 13 造山第 4 号墳出土 器財埴輪 (1/12)

 家形埴輪

 短甲形埴輪

千足古墳(造山第5号古墳)

  墳 長74m、 後 円 部 径54m の 帆 立 貝 形 古 墳 です。墳丘のほぼ中央に吉備最古の横穴式石 室 が 構 築 さ れ て い ま す。1912年( 大 正 元 年 ) に乱掘され、その存在が明らかになりました。 石 室 は 天 草 砂 岩 製 の 分 厚 い 板 石 で 周 囲 を 囲 み、壁から天井に向けて香川産の安山岩の板 石 を 持 ち 送 り の 強 い 小 口 積 み に し て い ま す。 石室内を仕切る石(天草砂岩)には、直弧文 と よ ば れ る 古 代 の 文 様 が 彫 刻 さ れ て い ま す。 2009年( 平 成21年 ) に そ の 直 弧 文 が 一 部 剥 落していることが明らかになり、緊急処置と し て2011年 に 仕 切 石 を 取 り 出 し ま し た。 仕 切石の取り出しに先立ち、2010 年(平成 22 年)、 2011 年(平成 23 年)に後円部の発掘調査を行

いました。その結果、羨道部の構造が 5 世紀前半における北部九州の横穴式石室を類似していること が明らかとなり、また、乱掘坑の埋土から鉄器片が多数出土しました。千足古墳は、従来5世紀後半 の築造と推定されていましたが、それらを勘案すると、築造時期は5世紀前半と考えられます。

造山第6号古墳

 現状で径 30 m、高さ 5 mの円墳と考えられます。千足古墳の石室と同様の石材が散見されることか ら、横穴式石室を主体部とすると考えられますが、埴輪などは採取されておらず、不明な点が多い古 墳です。

 図 14 千足古墳石室

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