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国家が民族を創るとき [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)国家が民族を創るとき―1949 年前後の中国における民族政策と貴州省の少数民族― キーワード:民族、国家、民族政策、少数民族、中国 発達・社会システム専攻 大田 千波留 本稿の主題. 国政府が識別した 56 の「民族」をそのまま採用していると. 本論では、1949 年前後に焦点を当て、共産党が“民族”. いう点である。何故、すべてが「∼族」を中心とした研究. 範疇や民族集団をどのように捉え、その中で民族政策がど. であるのか。政治学、経済学の立場は中国を大きな単位と. のように変容していったか、そして、貴州省の瑶麓ヤオ、. 捉えて、その中の 12 億人以上の人口を政策や経済的格差と. 屯堡人、イ革人を事例に取り上げ、彼らがその政策の中でど. いうタームで切り込もうとするのである。そこには「∼族」. のように「民族」となっていったか、あるいはなされてい. 居住地域を事例として(それは往々にして民族問題となっ. ったかを考察したい。そこに国家が創るものとしての「民. ている人々であるが)、そもそも少数民族を「国民」として. 族」と、実態としての民族のずれを分析し、巨大な国家で. 捉えており、事例が「∼族」なのである。. ある中国の中で「民族」になることの意味を問いたい。. 一方、人類学の立場は地方的、個別的、体面的な集団を 対象とし、上記のように個別の社会の親族組織、婚姻、儀. 1.先行研究の疑問点. 礼、政治、経済などに関する考察が多い。 「∼族」の∼研究. 中国の少数民族を対象としながらも、政治学、経済学の. をおこなうことによって、その人々が所属しているはずの. 立場と人類学の立場の間では“民族”概念の用い方、定義. 国家から切り離され、国家がその人々の社会の外にあるも. の仕方が異なっている。一つめは政治学、経済学、人類学. ののように扱っているのではないか。 「国民」としての少数. の 3 つの学問領域が重なりなって存在しているようで、実. 民族を扱う政治学、経済学の立場と、少数民族としての少. は乖離もしている状況にあるのではないかという点である。. 数民族を扱う人類学の立場は同じく“民族”に言及しよう. 政治学の立場では、彼らが扱うすべての対象が政治的に. としているが、解明したい内容は異なっている。. 国家に対立する形をとってきた、もしくはとろうとしてき. “民族”を問題にするとき、今までの中国の少数民族を. た(している)人々であるということである。しかし、政治. 対象とし、人類学がおこなってきたような文化様相や生活、. 的な行動をとらずに一見、ひっそりと生活している人々が. 経済状況を知るというスタンスに加え、現状の理解だけに. 中国国内には散居している。そのような態度をとる(ように. とどまらず、歴史的視点をもち、国家という枠組での政治. 見える)彼らが国家によって如何に国家の規定した「民族」. 的視点とを加えることによって、一面的ではない少数民族. として分類され、それをどのように受け止めてきたかに言. を知ることが可能になるはずである。そうすることで政治. 及するものは少ない。そこには、政治学がもつ「国家」の. 的に創られる「民族」と、実際に存在する民族とのズレが. 中の「国民」 「人民」というもので少数民族を捉えがちにな. 見え、中国の中に見られる“民族”観の重層性も見出すこ. るという視点が窺え、 「国家」の中の多様な人々に対する視. とができると考えている。. 点が欠けているのではないか。それとは逆に、人類学の立 場からの研究には、少数民族の文化様相や経済状況に重き. 2.国家による「民族」理念の起動. を置いた研究が主流をなしている。そこには国家が民族政. 1921 年に中国共産党が結成され、その共産党が如何にし. 策によって規定した 55 の少数民族を前提として、彼らの文. て「民族」理念(イデオロギー)を展開させ、それとともに. 化を論じたりするものが圧倒的である。こうした研究では、. 「民族」政策を変容させていったかに注目している。. 文化人類学的、経済人類学的な分析は加えられるが、政治. 中国共産党の「民族」理念は共産党が独自に始め、創り. 的な視座が欠落しがちである。その上、比較的現状の紹介. 出したものではなく、清朝から国民党へと移り変わる政権. に偏りがちになるため、歴史的な視点が欠如し、もともと. の中で培われてきた理念を、部分的もしくは形式的に継承. 動態的に分析すべきところが静態的になりがちでもある。. する形で創り上げてきたものである。従って、彼らがもつ. 二つめは、政治学、経済学、人類学の 3 つの学問領域に. 「民族」理念は 1949 年中華人民共和国成立後に徐々にでき. おいて、ここにはアプリオリな前提としてある「∼族」 、中. あがっていくものではなく、以前からの孫文の理念と方法. 1.

(2) を継承しながら展開してきたものである。. であった。今までは孫文やソ連の「民族」理念の継承・踏. 中国共産党が独自に「民族」理念を展開していくのは 1927. 襲することで表面的でも理念は確定してきたが、抗日戦争. 年頃からである。何故なら、1929 年の政治報告などに当初. という出来事で大きな転換を強いられることとなる。. 取り扱っていた蒙、回、蔵の民族以外の人々を取り上げる. 中国共産党は孫文、ソ連の「民族」理念を経て、長征、. ようになってきたからである。これは中国共産党が国民党. 抗日戦争という時期に民族を発見し、中国独自の「民族」. の態度とは異なり、より広範囲の人々にも目を向けている. 理念を創り上げていくことになる。それを体系化させるの. ということを示している。. が次に挙げるような民族識別工作である。. 中国共産党の「民族」理念は、上述のように国民党の理. 民族識別工作は建国後の 1950 年からすぐに開始・実行さ. 念を継承はしているが、その共産主義という政策手法を見. れた。国土の中で自治区域を確定することと並んで、民族. れば分かるように、多民族国家として唯一のモデルであっ. 識別工作は「民族」を確定することは重要な国家政策であ. たソ連の民族政策を模倣する形で展開してきた。その模倣、. った。この「民族」の確定は、長征で実感し、発見した民. 継承と言えるのが、連邦制の保障であると言える。そして、. 族を、今度は政策という名の下で、もう一度「民族」とし. ソ連の模倣という形で実現したのは、中華ソビエト連邦で. て発掘し、弁別することであった。. ある。これに加えて、ソ連の民族理念の継承で忘れてはな. ここでは、科学的調査・研究を通して、中国に居住する. らないのが、 「スターリンの民族四大原則」の踏襲である。. 多くの民族を、漢族か或いは少数民族かに分ける。そして、. 中国共産党が本当の意味で、実態としての民族を発見、. もしその人々が少数民族であるならば、単一の民族か或い. 認識したのは、 「長征」の時期であったと筆者は考えている。. は他の民族の一部分であるかに弁別するという順序でおこ. 長征は、それまで不透明で、実態の掴みにくかった民族. なわれた。. と出会い、彼らを取り込むべきであるという認識を深化さ 3. 「民族」政策の中の民族. せ、彼らに共産党の理念を植え付けようとした、共産党の 民族に対する行動の中でも活発な時期である。少数民族保. 本節では、政治的な行動をとらずに一見、ひっそりと生. 護のスローガンや少数民族を共産党側に取り込むには如何. 活している(ように見える)人々 ――特に貴州省に居住する. にすればよいかなどに関する多くの資料は、活発な共産党. 瑶麓ヤオ、屯堡人、イ革人を取り上げて政策の中にある民族. の動きを示していると同時に、そこに彼らが性急に少数民. について考察を進める。. 族に対する政策を立ち上げなければならなかった状況も窺. 瑶麓ヤオが「瑶族」として識別される過程で彼らが自分. い知れる。また、国民党のこれまでの政策が同化政策であ. たちの言説を主張した形跡はほとんどなく、どちらかと言. り、迫害を多く受けた少数民族を救うのも共産党であると. えば、彼ら自身は消極的な対応をとっているように見える。. いう自負を持ち、これまでの実体のないような大きな枠で. 出自の語りにおいて、歴史文献の中に前提としてあった、. の人々を見る視点から、実態としての民族、人民を見る視. 彼らはもとから「瑶族」であるという文献上の理解がその. 点へと理念を深化、進化させていくのである。. まま適用される形である。. この長征と重なる時期の抗日戦争は、中国内部での対立. 屯堡人は文献からももともとが屯田兵として入植した漢. の結果として起こった長征とは異なり、中国の外部=日本. 人であると分かっていながら、その女性の服装が漢人と異. を射程にしている。長征と抗日戦争は時期的に重なって発. なることで、一度は苗族の範疇に入れられてしまうが、彼. 生しており、政策上、どちらが先で、どちらが後と言うこ. らの訴えによって「漢族」へと認識が変容する。そのうち. とはできない。ただ、長征では民族を発見し、まず彼らを. わけも、明代の屯田兵の入植という同様の歴史的背景を持. 取り込むことを目標としていた。そして、抗日戦争ではそ. ちながらも、 「漢族」になる者、 「彝族」になる者、 「未識別」. の発見した民族を含めすべてを統合し、日本帝国主義に抵. される者とがごちゃごちゃに存在している。. 抗する形の「中国人」として立ち上がることが目的となっ. イ革人は民族識別工作が開始された当時は、その文化様相. ていった。反帝国主義闘争に中国各民族を動員し、結集す. が苗族とは異なり、彼らをどう「民族」に規定するか検討. る課題=民族統一戦線の結成を最大任務として、国内の少. の余地があるとされたにもかかわらず、1970 年代に民族識. 数民族に対する認識を深化させ、独自の少数民族政策を体. 別工作が再開されると、言語学的見地から、彼らは苗族の. 系化させていった。この時期は長征と異なる「民族」理念、. 範疇に含まれてしまう。それを不服として、彼らは「イ革族」. ただ単に民族を取り込むのではなく、そこに帝国主義から. として再識別を要求している。. の民族の解放、独立という以前よりさらに強い理念が必要. 彼らをみると、彼らが「民族」の範疇内に存在すること. 2.

(3) は当然であるが、実際には、そこからもれる人々でもある. 性を考える必要があるのではないかと考えている。. のではないだろうか。中国の民族が表面的には 56 あるのみ. この民族というものは、民族識別工作という方法で、国. とされているが、実態はより複雑で、分類基準にしても不. 家に「民族」として規定されることによって、逆に新しい. 透明な形をとっており、国家の規定した 56 の「民族」とは、. 民族をも創り出していく。当時の民族識別が如何なるもの. あくまで国家によって取り決められた枠組であることを例. であろうと、各民族は「民族」となり、区域自治政策の中. 証してきた。. で、一つ一つの統一体となり、たとえば過去に帰属意識を もたない民族が、帰属意識をもつようになったのである。. 4.国家が民族を創るとき 中国において、国家によって創られる「民族」と、そこ. 5.まとめ. からもれるものとしての、実態としての民族が存在するこ. まず、1949 年前後に焦点を当て、共産党が“民族”範疇. とを述べてきた。. や民族集団をどのように捉え、その中で民族政策が変容し. 中国における「民族」とは、民族識別工作を通して、 「国. ていったかを 2.国家による民族理念の起動の中で見てきた。. 家から創られ」てきたのである。統治が及ばない、もしく. その際、1949 年前後とかなり短期間を設定したが、その中. は及びにくい、 「漢族」とは異なる辺境の人々を、中華人民. に見え隠れする「民族」理念を通時的な変化でしか捉える. 共和国の一員、 「人民」として取り込んでいくために、民族. ことができなかった。しかし、中国共産党がおこなった民. 識別工作はおこなわれ、人々は「民族」に規定されてきた。. 族政策の歴史的背景、政治的背景によって、 “民族”範疇や. 従って、中国の「民族」を語る際に、 「民族」が自明の単. 民族集団が表面的には変容しているように見えるが、この. 位としてアプリオリに存在するものであると考えて、その. ような変化はこの政策期にのみ見られたのではないことが. 内部に存在する多くの人々がそうであると考えてはならな. 分かった。中国国内にはもともと漢族/少数民族の図式が. いはずである。1950 年代初めから精力的におこなわれた民. 存在し、さらにそれは 100 年来の外部からの侵略という経. 族識別工作は、 「上からの国家形成」には欠くことのできな. 験を経て、外部との関係で中国を捉える中華民族/外部=. いプロセスであった。民族識別工作に始まって、実態とし. 非中華民族という図式とも絡まりあい、その「民族」理念. ての民族をある「民族」に含み込み、政治的に機能するよ. は両方の政治的力学によって変化していったと考えられる。. うに認定していく。まさに、国家を統合するために少数民. そのような政治的背景を持つ中で、3. 「民族」政策の中. 族である人々を動員していくのである。. の民族で取り上げた瑶麓ヤオ、屯堡人、イ革人は創られた「民. 一方、 「民族」に呼応する立場の民族は、まさに実態とし. 族」理念とは必ずしも一致しない実態として多様な様相を. て、中国国内に存在する人々のことであり、前述の瑶麓ヤ. 示しながら存在しているが、国家の側から見れば、少数民. オや屯堡人、イ革人の取り上げ方は民族としての取り上げ方. 族間の小さな差異などは大きな問題ではなく、言ってしま. である。筆者は、この民族の意味は国家が創る「民族」と. えば、中華民族となるためのワンクッションとして民族政. は異なり、個々の集団を指すものとして考えている。これ. 策が行われてきたのである。ただし、これはあくまでも筆. は国家から名付けられる対象として存在しており、名付け. 者が民族誌という文献の中に読み込んだものであり、この. る以前の人々という意味である。中国には多数のエスニッ. 民族誌の記述の中に筆者自身が実態としての民族を捉えら. ク・グループと呼べるような小集団が存在し、彼らは国家. れているかどうかについては批判を待たねばならない。. から「民族」として規定され、そのステータスを得ている。. そこで、今後は、彼らの記憶、歴史的痕跡(モノ=創造物). 前述したような瑶麓ヤオは自己の語りはどうであれ、人か. や歴史文献という材料を加味しながら、中国国内の民族の. ら「瑶族」と呼ばれ、自分たちもあえてこれを否定しない、. 通時的な面と共時的な部分を交差させ、実態としての民族. もしくは同意する人々として表現することができる人々で. がどのようにして「民族」となり、最終的には中国人とな. ある。屯堡人の事例では歴史的な背景をもとに、漢人が「漢. っていくのかを考察していきたい。その過程を通じて、今. 族」へと帰っていく過程が見出せ、イ革人は未識別される人. まで中国人類学が取り扱うことの少なかった「国家の中で. として、表面的には消極的な印象を受けるが、実際は自己. 民族になること」の意味を掘り下げながら問い直していき. の語りを積極的にもつ人々であるとして、その国家の与え. たい。. るステータスに同意しない小集団と見ることができる。こ のように見てくると、中国にはなおも、国家の創る「民族」. 参考引用文献、資料(現地読み、アルファベット順). 像からずれる民族が多く存在しており、それらがもつ多様. 愛必達(清)1749『黔南識略』貴州人民出版社 1992 年所収。. 3.

(4) 綾部恒雄 1988「東南アジアの民族論――国民国家とエスニシティ. 蘇維埃代表大会的報告」 『民族問題文献匯編』中共中央統戦. の力学」 『民族とは何か』川田順造ほか編 岩波書店:215-234。. 部編 中共中央党校出版社 1991 年所収:210-211。 1935a「論新階段」 『民族問題文献匯編』中共中央統戦部編 中共. 綾部恒雄 1993『現代社会とエスニシティ』弘文堂。. 中央党校出版社 1991 年所収:593-597。. 安順地区行署民族宗教事務委員会ほか 1984「安順地区一九八三年. 1935b「日本帝国主義に反対する戦術について」 『毛沢東選集』第. 民族識別工作総結」 」 『貴州民族識別資料集』第 1 集 貴州省民委民. 1 巻外文出版社 1968 年所収:207-247。. 族識別辨公室編 1985 年所収:102−105。. 1937「抗日の時期における中国共産党の任務」 『毛沢東選集』第. 岑家梧 1946「瑶麓社会」 『岑家梧民族研究文集』民族出版社 1992. 1 巻外文出版社 1968 年所収:373-401。. 年所収:247−267。 CHEUNG , Siu-Woo1996 Representation and Negotiation of Ge. 1945「連合政府について」 『毛沢東選集』第 3 巻外文出版社 1968. Identities in Southeast Guizhou:Negotiating Ethnicities in. 年所収:293-389。. China and Taiwan University of California Press.:240-273。. 小田亮 1995「民族という物語」 『民族誌という現在』会田濤ほか編. 費孝通 1951a「貴州少数民族情況及民族工作」 『費孝通文集』第 6. 弘文堂:14-35。. 巻 群言出版社 1999 年所収:235∼257。. 彭兆榮ほか 1997『文化特例――黔南瑶麓社区的人類学研究』貴州. 費孝通 1951b「兄弟民族在貴州」 『費孝通文集』第 6 巻 群言出版. 人民出版社。. 社 1999 年所収:258∼309。. 黔南布依族苗族自治州史志編纂委員会編 1993『黔南布依族苗族自. 費孝通 1980a「関於我国民族的識別問題」 『費孝通文集』第 7 巻 群. 治州志・民族志』貴州民族出版社。. 言出版社 1999 年所収:198∼222。. 人民出版社 1949「民族政策」 『民族政策文献彙編』人民出版社編 新. 費孝通 1980b「邁進人民的人類学」 『費孝通文集』第 7 巻 群言出. 華書局 1953 年所収:1。. 版社 1999 年所収:417∼437。. 坂本是忠 1970『中国辺境と少数民族問題』アジア経済出版会。. 費孝通 1988「中華民族的多元一体格局」 『費孝通文集』第 11 巻 群. 佐々木信彰 1988『多民族国家中国の基礎構造――もうひとつの南. 言出版社 1999 年所収:381∼419。. 北問題』世界思想社。 受仲 1945「鳳頭 」 『人間世』1945 年第 37 期:14−17。. 1997「民族研究――簡述我的民族研究経歴和思考」 『国立民族学 博物館研究報告』8 1998 年所収:207∼218。. スターリン 1953『スターリン全集』スターリン全集刊行会編 大. HARRELL,Stevan2002『田野中的族群関係与民族認同――中国西南. 月書店。. 彝族社区考察研究』(巴莫阿依ほか訳)広西人民出版社。. 蘇忠廷(清)1875『茘波県志』成文出版社(台湾)1974 年所収。. 黄海 1997『瑶山研究』貴州人民出版社。. 塚田誠之 1998「民族集団はどのように作られるのか――「屯堡人」. 石川登 1997「民族の語り方――サラワク・マレー人とは誰か――」. は漢族か?」 『民族で読む中国』朝日選書 595 可児弘幸ほか編 朝. 『岩波講座文化人類学 民族の生成と論理』 第五巻 岩波書店:133. 日新聞社:45−74。. −163。. 内堀基光 1989「民族論メモランダム」 『人類学的認識の冒険――イ. 中共中央統戦部編 1991『民族問題文献匯編』 中共中央党校出版. デオロギーとプラクティス』田辺繁治編 同文館:27−43。. 社。. 内堀基光 1997「民族の意味論」 『民族の生成と論理』(岩波講座文. 加々美光行 1992『知られざる祈り・中国の民族問題』新評社。. 化人類学 5)岩波書店:1-28。. 李大釗 1923「平民主義」 『民族問題文献匯編』中共中央統戦部編 中. 横山廣子 1997「少数民族の政治とディスコース」 『民族の生成と論. 共中央党校出版社 1991 年所収:55-57。. 理』(岩波講座文化人類学 5)岩波書店:165-198。. 羅繞典(清)1847『黔南職方紀略』貴州人民出版社 1992 年所収。. 『人民日報』. 松本ますみ 1999『中国民族政策の研究――清末から 1945 年までの 「民族論」を中心に――』多賀出版。 毛里和子 1998『周縁からの中国――民族問題と国家』東京大学出 版会。 毛沢東 1929「中国共産党紅四軍軍党部“共産党宣言”」 『民族問題文献 匯編』中共中央統戦部編 中共中央党校出版社 1991 年所 収:96-97。 1934「中華蘇維埃共和国中央執行委員会与人民委員会第二次全国. 4.

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