はじめに距ッケ門知﹃和魯通言比考﹄︵以下﹃比考﹄と略称︶は︑世界最初の 刊本日露辞典である︒プチャーチン提督下の中国語通訳官
I.
ゴシケービチが日本人橘耕斎とともに編頷し︑一八五七年︵安政 四︶︑露都サンクト・
ペテルブルクで印行された︒
﹃比考﹄は本館に
も一本蔵されているが︑後述のごとく幕府 開成所旧蔵本であ
って︑ 正しい伝本の一っといえる︒これまで 早大本﹃比考﹄について詳しい紹介がないので
︑
その書誌を述 べ︑かつまた
今
日までの﹃比考﹄研究の成果をふまえて︑とく に基礎的な事実に限定して︑論じておこうと思う注
10
書誌本館蔵﹃比考﹄︵函架番号
p
ー一︱︱九︶の書誌は次のとおりである︒該本は洋装一冊本︵左綴︶︒大きさ縦︱︱︱(OX
横一
七写
粍前
後︒厚さはほぼ︱︱涯粍︵表紙を含む︶︒緑および黒の模様が混じった
記 シ
` 正
﹃和魯通言比考﹄
硬 表 紙 を 有 し
︑
背皮︵茶︶には令
日OHCKO¥
PY CC Ki t1
¥
Cf lO BA
Pb﹀
との
金文
字が
おさ
れて
いる
(¥
は改
行を
示す
︒以
下同
様 ︶
︒
ただしほとんど読めない︒背皮には補強のため
︑のちに上
・下 二個所に布が貼付されている︒表紙内
側
には付箋が二枚貼って あったらしいが︑破りとられている︒後述のごとく開成所
旧蔵
本であることから︑おそらくこの付箋には二枚ともに
︑本書の
書名
・刊
行年
・刊
行 場所のごときが誌されていたものと考えら れる︒幕府
旧蔵の洋書には
︑
こうした付箋がみられるところで ある︒ただ一方の破り残しに︿百五十三年﹀と文字が読める︒
おそらくは︿千八百五十三年﹀と書かれていたものであろうが
︑
﹃比考﹄の刊年は一八五七年であるから︑麒甑を生じることに なる︒五三年はプチ十
ー
チン来航の年である︒あるいは混同し たものでもあろうか︒
表題は次のとおりである︵写真
1参 照
︶ ︒ 苔謬淘噂汗雑\
51 nO HC KO 'P YC CK it 1
¥ c
﹄OBAPb,覚書
岩
井
憲
幸
‑114‑
﹃和魯通言比考﹄箕祖
臼む匂丸労
令
S U O B C K O
恥み,,: , P Y
澄C C K i i :
ヽr ・ , .:
怠'1!1~
C.IODAPI, , 、 :
炉 ' ' じIX'TAll.rn11111,11i
ヽ
溶•~
IAlll<TIIL11'郎nn.
谷:'
翁 淡 翁
‑
,,唸
ふ蒸 ぷ項
﹄
沿沙.;.、,も
写真1. 早大本『比考』クイトルベージ
$
COCT
AB Jl EH Hb lf l
\Iroミ為念~委46\
nP 11 n o' CO EU 1 5 If 10 UH A
¥
T ar . iv 6a t t a Ho K oo ca i1 ,
\蔀堂謝\
CAHKT
f 1 E TE PE YP
fb ¥ 1857.
タイトルペー
ジは
︑写真で見られるごとく︑左上角の部分が
破損しているが︑タイトルにはかか
っていない︒故意に破り取っ
たようにみうけられる︒︿和魯通言比考﹀の第二文字︿魯﹀以
下
に黒点が入っていることに注意されたい︒またロシア語クイ ト ル も 令 If 10 HC OK
, P
YC CK I1 1 C Jl BO AP b)
と正
しい
︵後
述︶
︒ クイトルページ裏には上三分の一ほどには次のようにある
が
︑ ︵
︶内は読めない︒いま国立国会図書館亀田文庫蔵本︵以
下︿
也田
本﹀
︶に
よ
って補っておいた︒
A
H ar r e tJ a T aH '
b C,
b 8 bJC O l J8 H
E
ar o CO H3 BO JJ eH
IH,
I3 HT CK I
̀ I M
' b J : , [ e rr a p Ta M e (H T O M' b MH HH CT ep cT Ba )
\︑
I ‑1 H o cT p a HH b ' b l X
Agt
さらにその右下には次のようにある︒
Bb
TH II Or pa q>
iH
5 ! . lo HC HO a H
JJ HT Or pa q>
iH
P .
fO JJ HK
e .
以上によって︑本書はI
・ゴッケービチが日本人・橘耕斎の 助けをかりて編纂し︑外務省アジア局によ
って︑皇帝の允許を
得︑サ
ンク ト
・ペテルプルクで一八五七年︵安政四︶
印行されたことがわかる︒印刷所は
月・
ヨンソン
印刷
︑所
P
・ゴ リ ケ石 版印刷所を用いた︒
この後︿
nP E, [J :I 1C JI OB IE
>(序文︶が一七ページ続く︒そ
のパジネーショソはローマ数字を用い︑憚まで︒辞典本文は
︿イ﹀部より始まり︑
︿ス﹀部に終わる︒すなわち部の配列
︑お
よび部内での登録語の配列はイロハ順である︒全四二三ページ
で︑パジネー
ションはアラビア数字を用いる︒ただし二九八ぺ
ージから三
0
ニペ
ージまで乱丁になっている︒本文は左右二段
組みで︑漢字・ロシア文字およびラテン文字は横組みであるが︑
かたかなは寝せてある︵
写 其
2参
照︶
︒四
二
五ページから四六ニページまでは︿
TA 6J II 1U
¥ A
nY OT PE 6I 1T EJ ib 1H
>1 11 ll l1 Xb KI 1T l A 1C KI X1 b 3HAKOBb
﹀︵ 常用 漢字 集︶
にあてられ
てい
る。ただし四六0•四六―ペー
ジ間には白紙が一葉混綴されて いる︒四六三ページ以降は︒ハジネーションなしで︿
no nP AB KI 1 1 1 ri :o nO JI HE H1 5l
﹀︵ 補訂
︶
が一
︳一
ーペ
ジ続
く︒
‑115‑
印顆について誌せば
︑
クイトルページ中央︑表題にかか
って
︿早稲田大学図書﹀の陽刻角印︵朱︶がある︒さらに︿
n oPAコB'
Kv
l
v i , n :
onO
JIH
EH
I5
I﹀
の最 終ペ ージ
︵本 世の 最終 ペー ジに もあ た る︶右下に︿開成所﹀の陽刻矩形
印
︵朱
︑空
一粍︶がある︒こx ‑ ︳れは いうまでもなく幕府開成所の蔵書印である︒開成所は一八六三
年︵
文久
一︱︱)以降の機関名であるから︑
すくなくともこの年以降 に本書が開成所に蔵されていたと言いえょう︒他に蔵書
印は認
められない︒なお︑本館へは一九︱四年に入ったものらしい︒
クイトルページ左下に︿大正参年五月壱日購求﹀と見える︒
料紙はやや厚手の洋紙を用いている
︒印刷
方法は活字
印刷と
I I B O H C B O ・ P Y C C H I I C
』O B A P J , :
—• ィ 一 ―― 付+ ・ ‑
い
、
,ft.血 . . . .
島 ● ,, れ"n. P Y. 人’’的'"""~心 " ' " ' ' ' "
途 威.,.,...,,,'町"'C,M,"<"",‑.̲, ""'"""'事•=ヽ'"'"'
a ..,. ヽ・))p,, <0.. ,. 紐"ャ u•JOn, C‑‑N証'"'叫
. . . . . . . . . . . . , . . . 叩 , , .
元 n, ..一炎,り)9●●"・... 叩""ヽ炉,< . ●血...ャ ト
井'
" " " ' . . , . : . . . .
丑~ ...,..,*'異域.心. " " . . , ,
呵"し, >/,'.,.-p•I) 恥...u
印 . . .
2) """'・人 '""狐''''"'"'研..~ . .一、
" ' " ' ' " " ' " ‑ " ' " 、
4 疇位ぃ臼へ,.‑...,.
"'"''-'血.,,.:,)•'-"·''"""
啓北呵"・"・‑‑,‑.ふギ 一 応吟 ' " ' 血 匹"・り
我血紐C●●.... ヤヽ,',, .• 伍 l,,,,,,.
~ • , ... ,.. ● ●C訟i●
易 " ' 虹 " ' ・ ~n了•樹... . "
射 叩 紐 , , , , . , , , . . . . .
̲..,.,! ..... か~J''"'~""'·"'"匹mャ>‑H,、""'べ裏,.、,9、 • 印'"''日•
i ' t :
»~ 皿i,," 卯 .
.. . . . . . . . ~•=,,
● om""'•• い•心uatu/£,'入~...は● 心
n , , : . . . " ' " " " . . . , . , , , . .,,~-
~c"'"''"''""''""''·,,,.
付,""・""・ "'、',,,.,,,,.,. ' 界如m
叫 , . , ,
ヽヽ.,;, ~ " " ' " " ・""'"'・ 漬t,匹 , . , , .
いヽ写其2. 早大本『比考』本文1ベ ー ジ
石版印刷とを合わせて用いた︒︿序文﹀によれば次のようである︒
あらかじめ活字に組まれてチェックを終えたロシア語の
本文を
︑石版 石刷をつかって印刷しておいて︑残された余
白に日本語・
漢語を書きこんでいった︒その後これらすべ てをいっしょに石に転写
し
て︑最終的には石
版印刷に付し
た︒
︵序
文四
ヘー
ジ︶
かな・漢字活字がないために特殊な印刷方法をとったことがわ かる︒漠字・
かな文字は橘耕斎が書いているのである︵序文
x v
ベージ
脚注
︶︒
本書に目次はない︒まとめの意味でわたくしに記せば次のよ
うになろう︒
1
序文︵
コPE,l l }
'I CJIOBIE).. . .
r~xvn
2辞典本文︵己コ
OH CK O' PY CC KI K
C﹄
OB AP b)
・ ・ :
・ : ・ : ・
:・
: ・
⁝ ・ : ・ ・
・ : ,
. . . . . . . . .
. 1
~ 423
3
常用漢字集
(TA
6J II 1U A Yn OT PE , BI 1T EJ ib H' BK
巨
I1 Xb KI 1T K A CK I1 Xb 3H AK OB b) , . . . . . . . . . ... . . . .
.. . .
. . .
.. .
. . . .
.. . . .
425~462
4補訂(
no nP AB KI 1 I 1 . n : on OJ IH E , H I5 I ) :
••
•••
••••
••••••••
••••
••••••
•••
••••
••
……
463•
~46 5
﹃比考﹄には内容にかかわるほどの版種というものが存
しc
ない︒ただロシア語タイ
トル が 的
︿ PY CC KO '5 In OH CK II 1 CJ IO BA Pb
﹀ と あ る も の
︑ こ れ と 逆 に
⑯ 令
mOHCKO'
PY CC KI K C JI OB AP
﹀とあるものの二種が︑古くから報告さb
‑116‑
れている注2
︒﹃比考﹄の内容からは⑯が正しい名称であり︑早 大本﹃比考﹄は⑯に属する︒伺を有するものにはたとえば国立 国会図書館亀田文庫本があり︑両者を比較してみると
︑クイト
ルペ
ージおよびその裏で次のような相違点に気づくのである︒
①漢字クイトルがやや異なる︒前述したが
︑早大本は︿魯﹀
字以下の字間に黒点が存する︒亀田本にこれはない︒さら
に早大本は亀田本に比して︑
各文字の筆端が鮮明であり︑
︿はね﹀などが判然としている︒
③全体として早大本は印刷が甘い︒たとえばタイトルページ
下の︿
CA HK Tn ET EP EY Pf
b﹀にはその末尾にピリオド
がな
く︵
爪田
本に
はあ
︶り
︑しかも全体がやや鮮明さを欠く︒刊
年を示す︿1857.﹀の︿57﹀も早大本はやや不鮮明で︑亀田
本との印象が異なる︒
⑥クイトルペ
ージ裏のロシア文全体の配置が異なる︒亀田本 はロシア文がページ全体に対してほど良く配されている が︑一方の早大本は文の途中が消えており︵前述︶︑しかも文
全体が右寄りになっ
ていて︑さらに不鮮明である︒
すなわち現在までの報告と︑上述の比較から勘案すれば︑亀
田本が早大本に先行し︑したがって︑伺のタイトルを有するも
のが⑯のそれに先行すると考えられるのである︒ただしこのこ
とは印刷時の先後であって︑刊行は同時だったらしい︒
﹃比考﹄は今日まで国内にニ︱本︑国外に五本存することが
報告されている注3︒のちに︑鬼春人氏蔵本︑ライデン大学蔵
﹃和魯通言比考﹄巽書 ﹃比考﹄本文の底本
﹃比考﹄の研究は残念ながら︑基本的な事柄がおさえられず に終始していたといって過言ではない︒このうち最大の課題
は︑
辞典本文の底本がいかなるものであるか
︑ということであった︒あたり前とはいいながらも
︑﹃ 比
考﹄研究の出発点は︑
実のところ編者ゴシケー
ビチの︿序文﹀にあるのである︒彼の ひときわ優れた日本語論もさることながら︑底本や成立事情な どもすべて︿序文﹀に語られていると言ってよい︒︿序文﹀の 正確な読みとりがなされなかったがゆえ︑﹃比考﹄研究は出発
点から動けなかった︒
ここでは﹃比考﹄の成立過程と底本の問題に焦点をしぽる
こととし︑ゴシケー
ビチの︿序文﹀に対する国語学的検討はくり
かえすことをしない注5
︒︿序文﹀の最終段落でゴッケ
ービチは
﹃比考﹄の成立過程を語っているが
︑こ
こで重要なのは︑
次の
諸点であろう︵わたくしにまとめて示す
︶ ︒
L底本は日本人たちから贈られた五冊たらずの小辞典中︑最
良の
のも
︒
2この小辞典の登録語を
イロ
ハ順
に並
べ
︑そこから固有名詞
を除去したこと︒
&他の資料から常用
語一
0 00
語を加えたこと︒
4ゴ
ッケービチの座右には︿必要な漢和字典以外に﹀︑天草
本の二本が確認された注40
‑117‑
版﹃羅葡日辞典﹄﹃ロドリゲス文典﹄﹃コリャード文典﹄﹃メ
ドハ
ー
スト語梨集﹄が存したこと注
60
5日
本人橘耕斎による
口頭での説
明が︑
もっとも参考になっ たこと︒耕斎はさらに石版の日本語
・漢語を書いたこと︒
6シーボルト
の﹃日本動物誌﹄﹃日本植物誌﹄
(F
ミミa]apa
o ,
nicd
9F lo
ar
ja
po
ni
ca
)
から動植物名を
︑出
典明記のうえ
引用したこと︒
t
﹃比考﹄は特殊なプロセスを経た印刷によってできたこと︒
&体裁などでメドハーストの例に倣うところがあること︒
9
︿常
用漢
字集
﹀を
付し
たこ
と︵
その
理由
や意
義に
つい
ては
後述
する
︶︒
言うまでもないことだが
︑底本の探索にはこのうち
1
.3
.
4
.6 .7 が関係するし
︑
体裁については
8︑
いちいちの語猿を 検討する場合は
4
.5 .6 が関係してくる︒しかし
︑︿序文﹀中
でゴッケービチは西欧の文典
・辞典類にはじゅうぶんすぎるほ
どの批判を加えておきながら
︑
自分の辞典の底本については数 言を投やすのみで
︑
その名を明らかにしていない︒これはどう いうことなのであろうか︒しかし与えられた若干の言辞から
︑
なんとかその糸をたぐりよせなければならない︒
さてそこで翻って︑﹃比考﹄の登録ヘッド数を見てみよう︒
全体で一五
︑
八一五ヘッドであった︒前述の
3から︑
他資料起 原と知れるのは一
O O
O
ヘッドであった︒また6
の﹃日本動物 誌﹄﹃日本植物誌﹄から﹃比考﹄に供されたものは︑調査する と五三五ほどである︒これらを減ずると︑約︱四
︑
0 0 0
ヘ ッ
ドほどが底本の︿
小
辞典﹀から供給さ
れたことになろ
うか
︒
た
だしこれらが︿小辞典﹀の見
出し
語と完全に一致する
とは限ら
ない︒なぜなら
︑ゴシケー
ビチは彼なりの
編
纂態度を持してい
たわけで︑︿小
辞典﹀ではヘッド扱い
となっている熟語な
どか
ら巧みに単語をとらえ
︑
自己の辞典ではしばしばヘッ
ドとして
採用しているのである︒また同一漢字に付された音
訓︵節用
集の性質から言えば︑これら音
訓
が登録語であって
︑漢字は見
出し語ではないが
︑
ここでは便宜上
︑
上のように言っておく
︶
を︑
時として同義語としてとらえ
︑
共に﹃比考
﹄
本文にとり
入
れていることもしばしばなのである注
7︒ゴシケ
ービチの日本
の辞︵字︶典に対する批判は
︑
こうした編纂態
度に通じている
から︑次に︿序文﹀の一部を引用し
︑参考に供しよう︒
日本の辞典はすべて
︑
すでに明らかな日本語を説明する のではなく︑漢字でどう書かれるかということを示す
目的
で編纂されている︒このため︑日本語と平行してその語を 表わす漢字が書かれている︒純音性的な性質をもち
︑
かつ
いっしょに引かれているこれらの漢字は
︑
しばしばなんら の意味ももたない︒最高の辞典でさえ︑︵たとえばシーボ ルト刊行辞典︶あらゆる説明のかわりに
︑
単にその語がど こから借用されたかの典拠を示すのみである︒だから
︑た
とえば︱つの語がいくつかの意味を有する場合
︑これらを
区別するために
︑
どの意味のときどの漢字を用いるかを 理解させるべく
︑
簡単なヒソトが与えられているだけで
‑118‑
ある︒またもし︑日本語に二つの同義語がある場合︑ま ちがいなくその一方は辞典中に存在しない︒同義語を引 用する場合は︑そのことばではなく文字が示されるばかり て こ の 文 字 に 即 し て 逆 に こ と ば を 捜 さ な く て は な ら な い︒漢語からの借用語だけには詳細な説明が加えられて いる︒だからこれは正確に言えば日本人のための殺字典 ということなのだ︒したがって︑これによって日本語の
ほんとうの意味を決定することは︑きわめて困難である︒
︵な 文X V I
ページ︶
さて︑上述の︿小辞典﹀が刊本か写本かは問題となるところ だが︑当時贈るに易い小辞典と考えれば︑おそらく刊本の節用 集の類であろう︒ゴッケービチは安政二年六月
(‑A
嚢 ・
P)
に日
本を離れるから︑すくなくとも安政二年六月以前の刊本という 線は引くことができる︒もうひとつ重要なヒントは︑実は単音 節語の登録順にある︒﹃比考﹄の部立ても︑部内の配列もイロ ハ順︵しかも徹底して語頭から語尾まで︶であって︑二音節以 上の登録語の場合︑上にいう順序は問題とならない︒ところが 各部の初めにくる単音節語の場合︑とくに漢字が添えられてい るとき︑その登録の順序はすくなくとも﹃比考﹄内部の規則か らでは説明できないのである︒今このことをふまえて
︑試みに
﹃祖節用集分類
目録
﹄︵
山田
忠雄
編︑
昭一
ー一
六︶
を開
くと
︑︿
大改
変ヲ
ク
ハヘタルモノ﹀のうち︿音数順ニョルモノ⁝・:
︹早
節用集引
︺ ﹀ の 部に︿意デハジマルモノ﹀の項がある︒その項を開くと﹃韮麟
﹃和
魯通
言比
考﹄
{兄
告
早引節用集﹄︵文化六年︶一冊のみが記載されている︒この本と︑
﹃比考﹄の︿イ﹀部の一音節語を比較してみると︑残念ながら 完全に一致しない︒だが同上目録の前項などをにらみあわせる
と︑どうやら﹃比考﹄︿イ﹀部の一音節語は︑登録の順序こそ
追え︑いわゆる︿早引節用集﹀に共通の語梨であることが判明 するのである︒このような手続きで見出されたのが﹃加紐数引
節用集﹄であった注80
贔 紐 数
引節用
集 ﹄
品紐
数引
節用
集﹄
︵以
下﹃
数引
﹄︶
は瓜
生政
和︵
ウリ
ュー
マサ
ヤス
︶
の編にかかり︑嘉永七年(‑︿品︶に刊行された︒編者の瓜生は
戯作者・梅亭金蛾という名で世に知られている︒本書の伝本は 少数だが︑筆者は東京大学総合図書館蔵本を見ることができた
︵ 写 真
3.
参ー照︶︒体裁等︑多少ノトしておく︒該本は横本一冊︒4
大き
さは
︱‑
=
x
一菩粍前後︒表紙は茶の絹張りで︑外題に︿立紐早引節
用集全﹀とある︒黄色地の扉こま︿真卿早引節用/文昇
堂︹蔵版︺﹀とあるが︑巻首内題に︿亨紐応韓釦串如﹀とあるか
ら︑名称はこれに従う︒紙数は一=︱九葉︒刊記に︿嘉永七甲寅
歳次初秋刻成﹀とあって
︑︿須原屋茂兵衛﹀以下一六店が名を
つらねている注9
︒内容は︿序・跛﹀の類のほかに
︑本文と付
録部分とにわかれ︑別々の丁立てをしており︑前者は全二六九
葉︑
後者が四七葉という分量である︒この本文と﹃
比考﹄の対
照研究は︑今後の重要な研究課題であって︑ここでは述べるこ
‑119 ‑
とをしない︒ いわゆる︿早引節用集﹀については︑これまた興味ある問題
が存するのであるが︑江戸期の節用集全体の展開から論ずべき
であるからここでは割愛したい注
︒ただ︑︿早引節用集﹀はい1 0
P 58703
甲
写其3. 束大本『数引』扉
写真4. 東大本『数引』本文一丁オモテ
‑120‑
﹃和魯通言比考﹄党書
わゆる節用集の簡易版であって︑すなわちことばからその書き 方︑用字法の検索を主目的としたものであ
った︒︿早引﹀や︿数
引﹀の名称を冠するのは︑この検索方法をさし示すためである︒
たとえば﹃数引﹄は音節数によ
って類別し︑検索を便ならしめ
ているのである︒いずれにせよ︑本節では瓜生の﹃数引﹄が
﹃比考﹄編鉦上の第一底本であることを述べた
︒
他の底本
他の副次的ソースについても︑前述のゴッケービチの語る編 纂事情から知ることができる︒ただ︿他資料から常用語を一
︑
0 0 0
加えた
﹀︵
前述
3) とする点は︑多少問題として残るのであ る︒﹃数引﹄を含む節用集は︑今日でいう助詞等の類がまった
くといっ
てよいほど登録されていない︒これら助詞等の類は外
国人にとっ
てきわめて重要なものである︒﹃比考﹄を検討して ゆくと、ゴシケービチはこれらをlJ3CTH~aの名称下に、よく 説明を加えているのである
︒調査の結果︑筆者はゴッケービチ
のいう
t J a
cr
nu a
<~
・ニ・ヘ・ト・ヲ・
ワ・
カ
・ツ
・ナ
・ラ・
ノ・
デ
・モ ﹀
等の記事は︑ロドリゲス﹃大文典﹄から供給されたとみたいの である︒記事は要約されていて︑完全な証明はできないが︑一
見解として述べておき
たい
︒ 節用集の頬はまた︑動植物名の語梨が不足している︒という
よりも︑
節用集などの場合
︑これらは︿気形﹀︿生植﹀などの門
に登録されているのだが︑元来この門への供給源は本草学書が
主役であり︑したがって自然と現実の動植物は登録されること がすくない︒この欠を補うべくゴシケービチは︑シ
ーボルトの
﹃日本動物誌﹄﹃日本植物誌﹄中の和名を採用しているのであ る︒︵この問題についてはすでに別稿を発
表したから再説しな
い注
1 1 ︒
)この﹃比考﹄の動植物名は
︑後にパジェスによって︑
﹃日
荊辞
書
﹄﹃日西辞書﹄の仏訳本ともいうべき﹃日仏辞書﹄
にとり入れられてゆくのである︒キリッタン版﹃日箭辞書﹄
は︑その方針として動植物名を採用していなか
ったのであっ
t
こ ︒﹃比考﹄の編纂方針と︿常用漢字
集 ﹀ ゴシケービチはどのような編纂方針をと
ったのであろうか︒
むろんこのことは彼の日本語観と表裏の関係にあるはずであ る︒︿序文﹀冒頭に次のようにある点を注意したい︒この個所 はゴシケービチの日本語観上︑代表的にとりあげられてきたも
のでもあっ
た ︒ 現代日本語は二つの異な
った要素すなわち古代日本語の
要素と漢語の要素から構成されている︒
(I ペー ジ︶
この後に漢語︵つまりは中国語︶偏重の風を批判し
︑和語
( I I
古代日本語︶の優れた面を強調し︑漠語がョーロッ︒ハにおける ラテン語的な地位にあると指摘している︒日本語︑これを使う 日本人に対する痛烈な批判といえようか︒ゴッケ
ービチのこう
した日本語への基本的認識が︑かなり明瞭に﹃比考﹄に反映さ
‑121‑
れている︒その好例が︿常用漢字集﹀なのである︒
ロニーは︿常用漢字集﹀の価値を一応認めながらも︑どうや
らゴシケービチの編纂態度がのみこめなかったきらいがある注
1 2 0 ロ ニ
ーは
︿常
用
漢字集﹀がそれ自体独立して︑たとえば音
引きができるように配列してほしかったらしい︒︿常用漢字集﹀
T A 豆』区皿
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写其5.早大本『比考』<常用淡字集〉はじめ
ヤマ ヽ
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い ね ぃ 切
3 a ち
5 "
i : 1 . % ' 娑 1 足 破 ,
a<op•些 慇 怒
も
謁 抜 扱
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lOC<O
は 祓 致
C咋 れTb.衣窟環
ゑ 念
象泉・
cto,匹r.,.p月●t
c,opo.
はおおむね漢字の訓がイロハ順
に並べられていて︑なるほど独
立して使用するには不便であ
る︒しかしこうしたロニー流と
も名づけるべき使用法を︑ゴシ
ケービチは欲していなかったと
箪者は考える︒彼は︿常用漢字
集﹀を付した理由︑その構成に
ついて︿序文﹀で次のように語
って
いるのである︒
日 本 語 は 一 貫 性 を ま も り︑すわり心地を良くする
ために︑ロシア語に対して
垂直に並べず︑しかるべく
ロシア語の行方向に揃える
こととした︒漠語からの借
用語は︑そのことをはっき
りさせるため︑メドハース
トの例に倣って日本語︵かな︶だけではなく漢語︵漢字
表記︶でも記載した︒しかし本来の日本語でもしばしば漢
字で
︑し
かも多少とも簡略化された形で書かれるから︑こ
の巻末には常用漢字集をそえておいた︒この漠字集は次の
ように日本語字母︵イロハ︶順に配列した︒まず各段初め ち
粂 ; 幻
し
べ
岱 戊
CODaK3稲 稔
今今
p.o,.>
x;11iu1 ..
‑122‑
にはかたかな字母の一文字︑これにそえてかたかなが派生 した漢字をすえた︒ついで若干のひらがな︑ひらがなから そのひらがなが派生した漢字へと移行する形をつづけて載 せた︒最後には漢字一字で表
現
される日本語を示した︒
これら各々は
︑
三つの形︑つまり草
・行・
楷の三体を示 しておいた︒この漢字集を
作るにあたっ
ては
︑これを学習
することで
日本人の常用する漢字の草体にすこしずつ慣れ
るよう︑
念頭においた次第である︒︵誼ペ
ージ ︶
引用文冒頭を単なる
印
刷上の形式についてのみ語っていると
とっ
てはならない︒この場合
︑形式は︑
彼の日本語観の反映で あって︑和語と漢語︵しかも基本的に借用語と考えている︶を 判然と区別し
ーー たとえ結果的に区別しきれていない個所があ
ったにせよ︑
ここでは問題でない
1
原則として和語はかたか なのみで表記し
︑
換語はかたかな+漢字で意識的に表記してい るのである︒ただ惜しいことに
︑
こうした編纂方針よりも︿常 用漢字集﹀の体裁に︿序文﹀の話の筋が流れてい
ってしまった
ことも事実であり︑ロニーの評言が生じる余地もあるわけだ︒
だが両がなの字源を示し︑各漢字の草・行
・楷三体を示してい
るからとい
って
︑これを独立して使用できると考えうるか︒
ゴシケービチが︿毅字一字で表現される日本語﹀すなわち訓 のイロハ順に配列したことは
︑
上で述べたごとくおおいに意 味があ
った ことになる︒この意味をとり迎えてはならない︒
︿常用漢字集﹀はあくまで和語の表記としての漠字の一覧表
﹃和魯通言比考﹄従書
(TA6
J 1 1
1U
C 表︶と名づけるゆえん︶であって︑︿常用漢字﹀A
の一
覧ではないのである︒もし後者であるとすれば︑音や画数 など漢字自体から検索する方法がとら
れ
てしかるべきである︒
実際に︿常用漢字集﹀の
内
容を検討してゆくと
︑
このことが明 らかになってくるのである︒今日から見れば
︑和
語と漠語の認 定に多少の誤りもあるが
︑
これは致しかたない︒両がなの字源 についても同様なことはいえる︒
し
かしながら
︑
︿常
用漢
字集
﹀ で示されている和語を本文にさぐってみると
︑
ほとんどの場合 漢字表記を欠いている︒したが
って︑
彼の編纂方針の基礎に は、
日本語の語梨を明確に二要素~
和語と漢語ーーに分ける という規準があ
ったわけで︑
これによって語の登録の仕方が
二
様に分化している︒すなわち︿
和
語│←かたかな﹀のみ
︑
︿漢
語│←かたかな+漢字﹀である︒
しか
し ︑ 実際上の要求という 点を考應しないわけにはいかなかった︒和語も漠字で表記され ることが常であ
った
し
︑底本の﹃数引
﹄
はむしろこうした要求 に応じているという事実がある︒したがって︑一度
排除された
救字表記が︿常用漢字集﹀という付録部分で復活させられるこ とになったと考えられる︒そして
︑
副次的要素すなわち両が なの字源
︑草・行・
楷の三体の指示が
付け加
わってゆくのであ る︒このうち三体を示すという方法は︑おそらく︿三体千字文﹀
などに倣ったものということができようか︒しか
し ︑
︿常用漢字
集﹀の性格は︑ここで考察したごとく
︑
おおく編額の基本的態 度に負
っていると︑
確認しておきたい注
1 3 0
‑123‑
本稲で︑早大本﹃比考﹄の書誌をやや詳述し︑幕府︿開成所﹀
旧蔵本であることを指摘しておいた︒またもっとも緊要な問題
であった﹃比考﹄本文の主要な底本が
︑﹃
紐紐数引節用集﹄であ
ることを紹介した︒またシー
ボルトの﹃日本植物誌﹄﹃日本動物
誌﹄から︑動植物名が供給されたこと︑
助 詞 等 の 類
(<J aC
!T lU
)a
にロドリゲス﹃大文典﹄の要約があるとみられることを指摘し
た︒さらに従来あまり問題とされなかった︿常用漢字集﹀の意
味を︑ゴシケービチ自身の︿序文﹀と辞典本文とのかかわりあ いから考察し︑﹃比考﹄編纂の基本的態度と密接に関連するこ とを論じた︒これらの事実をふまえて︑﹃比考﹄本文の研究は
着手されるべきと︑考えられる注
1 4 0
︹付 記
︺本稿を成すにあたり︑本学の新谷敬三郎先生︑杉本
っとむ先生にご指導を賜わりました︒また資料の面では一橋 大学の中村喜和先生︑東京大学総合図書館の杉村英治氏にご
援助頂きました︒︵昭五ニ・三・
ニ ︱
︱)
︹注︺
1参照"西村庚・村山七郎・中山一郎•高野明〈ロシャ・ソビエトの日本研究について﹀所収︑中山一郎︿﹃和魯通
言
比考
﹄考
﹀︵
﹁早
稲田
大学
図祖
館紀
要﹂
第五
︑号
昭三
八︶
︒佐
藤喜
代治編﹃国語学研究事典﹄︵明治古院︑昭五二︶の︿和魯通言
まとめ
比考
︵﹀
杉本
つと
む︑
岩井
憲幸
執筆
︶︑
︿ロ
ツア
学資
﹀料
︵飛
田良
文執
箪︶の項
2一九七四年
︑
⑯
本の一本である天理図害館蔵本が下記の
ごとく複製刊行された︒ただしクイトルページ最下段に
︿1867﹀とあるのはおかしい︒複製本解説には︿1857﹀
と明記しているのである︵二六ベ
ージ︶︒本稿でも言及した
が⑯本は一般にこの刊年の部分のプリソトが
甘く︑やや判然としない︒それゆえ︑あるいは︑複製の際誤ってなぞったのでもあろうか︒とすれば︑小さからぬミスであろう。~『和魯通言比考』(Classica
Ja po ni
ca ,
Fa cs im il e Se ri es
I n
th e Te nr i Ce nt ra l Li br ar y. Se ctio
n
5,
Li ng ui st ic s
T I
3).,
天 理 大 学 出 版 部
︑ 一 九 七 四
︒
﹃C
LA SS IC A JA PO IN CA
第5
次 語 学 篇
I I
解説
﹄︵ 天 理図柑館笹本叢世洋柑之部解説
5)天理大学出版部︑一九七
四
3
中村喜和︿日本における﹃和魯通言比考﹄﹀︵﹁江戸長崎談叢﹂
復刊
三 ー 一︑
昭 四 ︱ ︱
‑ ︶
4
鬼春人先生蔵本は節者が調査した︒該本は改装されてい る︒紺色布張りで︑クイトルページは︿
PY CC K0
‑5 H!O,
コ
CK II 1 CJ IO AB Pb
﹀ と あ る
︒ 料 紙 は や や 厚 手 と 蒲 手 の
二種が混用されている︒クイトルページ中︑日本語タイ
トル右上に
Q 1 ,
p y B a ,l l Ha a ¥, ll 0 6 py 1 0 r r a Ml ! T b
<以下不
明︶﹀と黒イソクの書き込みがある︒入手場所は失念され
たとのことであった︒ライデソ大学蔵本は︑杉本っとむ
博士によれば仮綴の原装本であるらしい︒
‑124‑
5 参 照
:亀田次郎命路国創刊日露辞典及其編者﹀︵﹁国学院雑 誌﹂第二九巻一︱号︑
大ー
ニ
・︱一︶︒杉本つとむ︿ゴッキービ ッチ﹁和魯通言比考﹂について﹀︵﹃近代日本語の新研究﹄所
収︒
桜楓
社︑
昭四
二︶
6
ゴシケービチ
旧
蔵 の 天 草 刊
﹃羅 葡
日
辞 典
﹄ は 第 二 次
大戦
ま で レ ニ ン グ ラ ー ド 大 学 ゴ
ーリキー
図 書 館 に 存 し た と さ
れる
︵村
山七
郎﹃
涼流
民の
言語
﹄の
︿あ
とが
き﹀
o吉川
弘文
館
︑昭
四 0)
︒
7
ゴ ッ ケ ー ピ チ に は
﹃ 日 本 語 語 根 論
﹄ と も 訳 す べ き 著 害 が あるが
︑
こ れ は こ う し た 分 析 方 法 に し た が っ た
﹃ 比 考
﹄ の副産物でもあろう︒
Y l fo E .
Ke BH 'l
: 0
KO pH ll X ll ll OH CK Or o l l
3b
!K
a ,
BHJJb ,
18HO,
99
.
8中
村 喜 和
︿ 東 風 吹 き
し
しるしや
:
・
・:
﹀ ︵
﹁NHKPツア
語入
門 ﹂
昭四
八年
三月
号︶
中に︑
﹃ 比 考
﹄ 底 本 に つ い て 数 行 の 紹 介 が あ る
︒ た だ
し
本 稿 に お け る 立 論 の
し
か た は 筆 者 自 身 の も
のである︒
9
東 大 本
﹃数 引
﹄
は後刷本であろう︒
刊
記 に
︿ 須 原 屋 茂 兵 衛﹀以下一五店のものがある︒
1 0 江 戸
期
の
︿ 早 引 節 用 集
﹀ に つ い て ま と ま っ た 論 考 は 残 念 な が ら み あ た ら な い が
︑
次 の も の が 概 観 を 与 え て く れ る
﹂
﹃ 葬 心 日 本 文 学 大 辞 典
﹄ 第 四 巻 所 収
︑
亀 田 次 郎 執 筆
︿節用梨﹀の項︒山
田忠雄
︑同上︿補﹀
1 1 拙 論
︿ ジ ー ボ ル ト
﹃日 本 植 物 誌
﹄ と
﹃和魯通言比考﹄﹀
(「植物と文
化」
第一五号、八坂掛房、昭五一
•
三)。同《炉ッケ町ビ知
﹃和魯通言比考﹄とジーボルト﹃
日本動物誌﹄﹀︵﹁ロ
ツヤ
語
ロ
﹃和 魯 通 言 比 考
﹄
笈 困
シャ
文学
研究
﹂第
八号
︑日
本ロ
ッャ
文学
会
︑昭
五
7I
0) 1 2
M.
Le on d e Ro sn y
:
Ra pp or t su r l e Di ct io nnaire ja po na is
, russe
de
M.
Go ch ki ev it
ch︿︿.
Bu ll et in de
I'A
ca de mi e im pe ri al e de s sc ie nc es d e St
,
Peter
s︑
bo ur g
﹀﹀︾T.5,
St︐.
Pe te rsb ou
rg,
1 8 6 3
.
1 3
なお︑
ゴシケ
ー
ビ チ は 神 学 校 時 代 に 描 言 学 を 学 び
︑の
ち
宣 教 活 動 の た め 中 国 に 派 遣 さ れ て
︑
中国語に
も通じてい
た︒
﹃
比
考
﹄ 中
︑ゴッケ
ー
ビ チ の 中 国 語
知
識が
︑かえって わざわ
い
している
個
所 も 見 ら れ る
︒
︿ 常
用
漢 字 集
﹀ に お
いても︑
︿和語/漢字表記/
ロシア
語訳﹀の一
項
内で
︑
ロシ
ア語 訳 が 漠 字 に ひ き つ け ら れ て 訳 さ れ て
いて︑結果
的に和
語 と 意 味 が 合 致 し な い も の も ま ま 見 ら れ る
︒ ま た こ れ と は 別 に 関 わ ら な い が
︑﹃比考
﹄ 本
文
︑二
七︱ペー
ジの︿コト﹀では③に動詞を名詞
化
する qa cT 11 ua
の
用法 が あ る こ と を 示 し
︑これがギリジ
ア
語 の 冠 詞 中 性
g
形に 似 て い る と 指 摘 し て い る の が お もし
ろい
︒ 1 4 本稲ではゴシ
ケービチ︑
橘 耕 斎 に つ い て の 記 述 は 故 意
に
さ け た
︒ 両 者 の 伝 記 は 次 を 参 照 の こ と り
B.
fy sa tt oa:
Oさ
uc ce dC Bg ou py cu ) Ks ,n , BO
︿︿B
ag
py cb
>﹀' M!
!H
CK ,
1969.
中 村 喜 和︿橘耕斎伝﹀︵﹁
一摘
諭叢
﹂第
六三
巻四
号︑
昭四
五・
四︶︒内藤遂﹃
遣魯伝習生始末﹄︵昭一八︶
‑125‑