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新島襄の米欧教育制度調査と文部省『理事功程』( 要約)

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Academic year: 2021

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新島襄の米欧教育制度調査と文部省『理事功程』(

要約)

著者 大越 哲仁

雑誌名 新島研究

号 109

ページ 13‑15

発行年 2018‑02‑28

権利 同志社大学同志社社史資料センター

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000246

(2)

企画報告

新島襄の米欧教育制度調査と 文部省『理事功程』(要約)

大 越 哲 仁

新島研究8月一日研究会における筆者の報告である「新島襄の米 欧教育制度調査と文部省『理事功程』」については、論文にまとめ て本誌に投稿させて頂いた。そのため、ここでは、その要約を述べ ることとする。

筆者は本報告で、新島の岩倉使節団への参加と欧米教育制度視 察、そして文部省『理事功程』の草稿執筆が、

1)明治日本の教育にどのような影響を与えたのか 2)新島の志と実践にどのような影響を与えたのか

ということについて論じた。

1)について

新島は、米国から岩倉使節団に参加し、文部理事官田中不二麿率いる教育 調査チームの「随行」として、田中に同行して米国東海岸の各都市、続いて 欧州各国の教育制度の調査を行った。

使節団参加に伴い、1872年2〜3月頃、彼は森有礼少弁務士からアメリカ の教育制度調査を依頼され、次に日本の普通教育に関するレポートを書くよ うにも依頼された。真面目な新島はその両方を完了したと思われる。

ちょうどその頃、日本では留守政府によって仏・英・蘭学者と国漢学者に よる「学制」制定作業が進んでいた。「学制」は、学区制はフランスの学制 にならったものだが、小学校と中学校の接続方法や小学校の科目については

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アメリカの影響を受けたものであった。

実は、「学制」の小学校の科目については決定が難航し、当初まとめた

「大綱」には盛り込まれていなかった。しかし、「学制」起草関係者にアメリ カ学者が不在だったのに最終的にその科目にアメリカの影響を受けた科目が 盛り込まれた理由としては、新島のアメリカの教育に関する調査結果と日本 の普通教育に関するレポートが反映した可能性が高いと考えざるを得ない。

一方、岩倉使節団の欧米諸国の教育制度に関する調査レポートである『理 事功程』全15巻については、過去には新島が全巻の草稿を執筆したと主張 されていたが、それは事実ではない。『理事功程』の各巻には、各国の教育 制度の概略を述べた文章、様々な教育法令、規則等実に様々な文書が収録さ れている。草稿の執筆者を特定するには、巻(国)単位ではなく、巻の中の それぞれの文書単位で検討する必要があり、各文書(和文)の原典(欧文)、

関係者の手紙、日記類の一次資料等と突き合わせる必要がある。

そのような検討を行った結果、新島が草稿執筆に関わった文書が収録され ている巻はアメリカ、ドイツ、オランダ、スイス、ロシアであると考えられ る。

岩倉使節団に新島が参加し、また、彼が『理事功程』の草稿に関わったこ とによる明治初期の日本の教育に対する影響についてまとめれば、

① 田中不二麿の教育視察を成功させた。

② 文部省『理事功程』の内容を充実させ、同書の刊行を成功させた。

③ ①、②の成功により田中を明治初期の文部行政の実質的なトップの地 位に就けることに貢献した。

④ 新島の国民教育に対する信念、すなわち、国民には、知性と共に道徳 上の主義が必要であるという理念、そして、「各自ラ奮起セシム」るア メリカの教育制度の日本における適用の必要性を彼と文部行政トップの 田中が共有できた。その影響によって、田中が「学制」に代る日本の教 育の基本法として「日本教育令」を構想した。

⑤ 1877(明治10)年に大著の『理事功程』が刊行されたことより、同

書が欧米教育制度を参考にした「学制」下の教育関係者に欧米の教育制

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度に対する知見を養わせ、啓発を行う資料となった。

2)について

これをまとめれば、次のとおりになるであろう。

① まず、新島は、欧米の教育制度、教育機関に関して田中と共に当時最 新の知識を得た。

② 明治政府が全国にどのような普通教育を行うか(小学校を作るか)に ついて試行錯誤している時点、すなわち、明治政府に中学校や大学に関 する具体的な設立計画がほとんどない時点で新島はアメリカやドイツの 大学の詳細を研究し、ドイツに関しては、学校の等級別にどのようなキ リスト教の科目を教えているかも調べている。それは、彼が大学設立と 学校におけるキリスト教教育をすでに念頭に置いていたためであったた めであろうし、日本におけるキリスト教主義の私立大学設立という宿志 を彼が抱くようになった証左でもある。

岩倉使節団参加の前年、新島は、明治政府に提出した「請願帰朝之 書」において、帰国後自分は在野にあってアメリカで学んだ学科とキリ スト教を教えようと考えていたが、使節団に参加したことによって彼の 志願が私立大学の設立に発展したのである。

③ 岩倉使節団に参加することで、田中や木戸や伊藤と知己となり、森と 共にその人的ネットワークが、彼の帰国後の教育事業の展開に大きな力 となった。

④ それは、新島が欲(=For Me)の人でなく、志(=For Others)の人 であったために岩倉使節団の重要メンバーに感動を与え、それゆえに彼 が運命を切り開くことに進んで支援してくれたのであろうと考える。

以上の議論の論拠や詳細は別稿をお読み願います。

新島襄の米欧教育制度調査と文部省『理事功程』(要約)

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