野 崎: 西 ヨ ーロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ーダ ーラ ソドー東ヨ ー ロッパ の 民 族と 国 家 一 10?
西
ヨ ー
ロ
ッ パ
文
化
圏
の
ボ
ー
ダ
ー
ラ
ソ
ド
ー 東
ヨ ー
ロ ッ パ の 民 族
と 国 家 一
野 崎 清 孝*
Thebor der l ands of Wes t er nCi vi l i z at i on
Et hni c gr oups andnat i ons i nEas t er nEur ope.
Ki yot akaNoz AKI
1は しが き
1989年は 、 東 ヨーロ ッパ 変 革 の年 で あ った 。社 会 主 義 体 制 の 中 で の 改革 を は か る国 、 社 会 主
義 体 制 か ら民 主 主 義 体 制 へ の転 換 を め ざす 国 と様 々 で あ っ た が 、 い ず れ にして も これ らの 動 き
を連 ね て歴 史上まれ にみ る画 期 を もた ら した。 そ の 嵐 は 、 雪 崩 現 象 に も似 て 、 急 激 で また たく
間 に東ヨー ロ ッパ全 域 を席 捲した。 そ の年 の8月 下 旬 まで は1980年 に結 成され た 「連 帯 」 を中
心と して 改革 が進 め られ て い た ポ ー ラ ソ ドや1988年 以来 、 複 数 政 党 制 を導 入 す るな ど 自由 化 の
道 を進 ん で い た ハ ソガリー を 除 いて 表 面 上 は平 静 で 、 そ の 時 点 で は そ の後 に起こ る事態 を 何 人
も予 想 す る こ とは で きな か った 。
5月 以 来 、 そ の前 兆 が あ った が 、8月19日 、 突 如と して ハ ソガリー と オ ー スト リア の 国境 障
壁 が、 ノ イ ジードル湖 近くの オ ー ストリア領 メ ル ビ ッシ ュ付近 で解 放 され 、 東 ドイ ッか ら西ド
イ ッへ の 人口流 出 が急 増した。 脱 出 の 可 能 性 の あ る ハ ソガリー に 入 国して 「鉄 の カ ー テ ソ」 の
さけ目を求 めて 待 機して い た東 ドイ ツの 人 々は そ の場 所 を得 て 、 集 団越 境 に成 功した。この 時
期 、 チ ェ コス ロ バ キ アや ポ ー ラ ソドか らの 流 出 を合 わせ て そ の数225, 000人 に達した 。 そ の 後 、
ハ ソガリー の 憲 法 改 正=国 名 改正 、政 党 活 動 法 、 自 由選 挙( 10月18日) 、 東 ドイ ツ の ホ ー ネ ッ
カ ー国 家評 議i 会議 長 の退 陣( 10月18日) 、1961年 に構 築 され た ベ ル リソの壁 の崩壊( 11月9日) 、
ブ ル ガリア の ジ フ コフ共 産 党 書 記 長 の辞 任( 11月10日) 、 チ ェ コス ロバ キ アの ヤ ケ シ ュ書 記 長〆
の退 陣( 11月24日) 、 同じ くフ サ ー ク大 統領 の 辞 任( 12月10日) と 続 き、12月22日 に はドラマ
テ ィ. ックな ル ー マ ニ アの チ ャ ウ シ ェス ク政 権 の崩 壊 に よ って 、 根 底 か ら東 ヨー ロ ッパ の体 制 が
塗り替 え られ た。
第 二 次 世 界 大戦 後 、社 会主 義 体 制 の も とで鎖 国政 策 を取り続 けて きた ア ルバ ニ アに お い て も、
他 の東ヨー ロ ッパ諸 国 に0周 り遅 れ て1990年5月 以来 、解 放 政 策 が と られ始 め た 。しかしな が
ら不 十 分 な民 主 化 に反 発 す る アル バ ニ ア人 は 、西ヨー ロ ッパ 諸 国 の大 使 館 に駆 け 込 ん で イ タ リ
ア、 フ ラソ ス 、ドイ ツ、 ギリシ ア な ど に 出国 する とい った 騒 ぎ が あ っ た。 そ の 後 も1991年 に か
けて 多くの経 済 難 民 が イ タ リア に入 国 を続 けて おり、 イ タ リア政 府 は そ の 対応 に 苦慮 して い る。
そ う した 中に も最 後 まで 取り残 され て い た アル バ ニ ア を加 えて35国が 、1991年6月19日 、全 ヨー
ロ ッパ安 全 協 力会 議( CSCE) を 開 い た。
以上 の0連 の 改革 が な ぜ こ の期 に起こ った か に つ い て は 種 々 の見 方 が あ るが 、 正 確 に 明 らか
に され る の は後 世 の歴 史 家 に よ っ て で あ ろ う。 そ の 中 で 少 な くと も1985年に 始 ま る ゴルバ チ ョ
フの ペ レストロイ カ が そ の 下 地 に あ っ た こ とだ け は たしか で あ る。
ペ レストロイ カ は も ろ刃 の や い ば と な って 、 ソ連 邦 内 の 共 和 国 は相 次 い で 自治 、 独 立 を求 め
る運 動 を展 開 し始 め た 。 と くに ソ連 邦 の西 部 に 限定 す れ ば 、 バ ルト三 国 の エ ストニ ア、ラ トビ
ア 、リ トア ニ ア は 、 い ず れ も1918年に達 成した独 立 を 、1939年 の独ソ不 可 侵 条 約 の 中 の秘 密 議
定 書 に よ って喪 失した こ とに 強 い 不 満 を い だ い て い た 。1989年8月 、分 離 独 立 を め ざす 運 動 が
起こ り、23日 の夜 に は エ ス トニ ア の首 都タ リソか ら ラトビ ア を経 てリ トア ニ アの 首 都ビ リニ ュ
ス ま で、 延 々620㎞に わ た って バ ル トの道と名 付 け られ る約60万人 の 「人 間 の 鎖 」 が つ く られ
た。この 日は、 秘 密 議 定 書 が調 印 され て か らち ょ う ど50年 目に あ た っ て い た 。1990年3月11日
に は リ トア ニ ア 、 同 じ く30日 に は エ ストニ ア、5月4日 に は ラトビアが そ れ ぞ れ 独 立 を宣 言し、
ソ連 邦 か らの離 脱 を鮮 明 にした 。 さ らに5月12日 に は バ ル ト三 国 首 脳 会 議 を 開 き、 結 束 を 固 め
る と こ ろが あ った 。 三 国 の ソ連 邦 政 府 に 対 する対 応 策に は違い が あ っ た が 、ソ連 邦 政 府 は 、
「連 邦 離 脱 法 」 を制 定して これ を 牽 制 す る と と もに 、 と くにリ トア ニ ア に対 して は経 済 制 裁 を
r
発 動し、 他 の二 国 に対して も独 立 宣 言 の撤 回 を迫 っ た り した 。1991年1月 、世 界 の 目 が湾 岸 戦
争 に注 がれ て い る さな か 、連 邦 政 府 はリ トア ニ ア 、 ラ トビ ア に武 力 行 使 の挙 に 出 た が 、 この こ
と は国 際 的 に非 難 を強 め た。
8月 に起こっ た ソ連 邦 の クー デ タ ー失 敗 、共 産 主 義 体 制 の 崩 壊 は、 バ ルト三 国 の 独 立 を 加 速
化 させ た。ソ連 邦 が 独 立 容 認 の 姿 勢 を打ち 出 した こ と も あ っ て 、 ヨ ー ロ ッパ 共 同体( EC) 加
盟 各 国 を 中心 に、 独 立 承 認 に 踏 み 切 る 国 が相 次ぎ、悲 願 で あ るバ ルト三 国 の 独 立 は に わ か に 現
実 と な っ た( 1991年9月6日) 。 バ ルト三 国 に お い て そ れ ぞ れ の 主 要 民 族 人口の 全 人 口に 対 す
る比 率 は、1959年 に は エ ストニ ア73%、 ラ トビア62%、 リ トア ニ ア79%で あ った が 、 ロ シア 人
やウ クラ イ ナ人 の東 ス ラブ の 非 主 要 民 族 が次 第 に増 加し、 と くに ラトビア で は 今 日50%を 割る
状 況 と も い われ 、 独 立 後も問題 を 残 す 懸 念 が あ る1) 。この ほ か バ ル ト三 国 は いず れ もそ の他 の 少
数 民 族 を か か えて い る こ とで あ る。 例 え ば リ トア ニ ア で は ビ リニ ュ ス の南 、 シ ャ リチ ナ ソカ イ
の 住 民 は81%ま で が ポ ー ラ ソ ド人 で あ ってリ トア ニ ア の分 離 独 立 に は消 極 的 で 、 む し ろポ ー ラ
ソドへ の 帰 属 を望 んで い た。さ らに 重 要 な こと は今 後 、 国 家 単 位 の 経 済 を い か に確 立 して いく
か の課 題 が あ る。
モル ドバ( 1990年5月 モ ル ダ ビ アを 改 称) で は 「言 語 法 」 を 制 定して 、 公 用 語 使 用 文 字 を キ
リル文 字 か ら ラテ ソ文 字 に改 め た。 モ ルドバ の うち 、ドニ エ ストル川 左 岸 を除 い て大 部 分 は べ ッ
サ ラ ビ ア と呼 ば れ 、1940年以 前 は ル ー マ ニ ア領 で 、こ こに は 多くの ル ーマ ニ ア系 の モ ルドバ人
が 居 住して い る。 モ ルドバ とル ー マ ニ アの 国 境 線 が一 時 的 で あ る に して も 開放 さ れ た の は 、19
90年5月6日 の こ とで あ る。この モ ルドバ をはじめ ウ ク ライ ナ で も西 ウ ク ラ イ ナ地 方 を 中心 に
自治 、 独 立 の 動 きが あ り、これ に刺 激 され て 白 ロシ ア( ベ ラル ー シ) に も 同調 の動きが あ る。
1991年8月29日 、 ロ シ ア共 和 国と ウ ク ライ ナ共和 国 が 暫 定 的 な軍 事 ・経 済 同盟 を結 成 す る こ と
で 合 意し、 連 邦 維 持 を は か る方 向 を確 認した が 、 そ の後 の状 勢 変 化 は 予 断 を許 さ な い。
民 族 問 題 を め ぐって 慢 性 的 に 不穏 な状 況 が続 い て いた ユ ー ゴス ラ ビアで は 、1991年5月 に な っ
て 遂 に 内 戦 状 態 に 陥り、6月 に は ス ロ ベニ ア と ク ロア チ ア は連 邦 か らの 分 離 独 立 を宣 言した。
体 制 の 中 で の 改 革 が す で に お り込 み ず み と考 え られ て い た 多民 族 国 家 ユ ー ゴ ス ラ ビア 国 内 の民
族 問題 は 、 次 の 対 立 構 図 の あ らわ れ と も受 け 取 れ る難 題 で あ る。・主 導 権 を握 る セ ル ビ ア共 和 国
野 崎: 西 ヨーロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ー ダ ーラ ソドー 東 ヨーロ ッ パ の 民 族と 国 家 一 109
( 連 邦) と ク ロ ア チ ア との 間 に調 停 に 入 っ た ヨーロ ッパ 共 同体( EC) の 仲 介 が 今 後 ど の よ う
に進 展 す るか 、 現 地 の状 況 に は きわ め て 厳しいもの が あ り、 ユ ー ゴス ラ ビア は解 体 の 方 向 をた
ど るの で は ない か と懸 念され る。
1990年6月 、 文 部 省 は この よ うに急 激 な東ヨ ー ロ ッパ の変 革 に対 応して1991年 度 か ら使 用 す
る高 等 学 校 社 会 科 の 教 科 書 に 、正 誤 訂 正 の 範 囲 を拡 大して これ を認 め る こ と と した 。 「現 代 社
会 」 と「政 治・経 済 」 が と くに対 象 に な る よ うで あ るが 、 「地 理 」 、 「世 界 史 」 も深 い 関 係 が
あ る と考 え られ る。さ らに1991年8月 以 後 の ソ連 邦 情 勢 の変 化 は な お流 動 的 で 、 今 後 事 態 の進
み を見 て いく必 要 が あ ろ う。 本稿 は 、 この よ うな変 革 の舞 台 とな った東ヨー ロ ッパ を、 西ヨー
ロ ッパ文 化 圏 の ボーダー ラ ソ ドと位 置 づ け 、 そ の時 代 的経 緯 を地 理 的 に考 え て み た い 。 そ の た
め に まず 西 ヨーロ ッパ文 化 圏 の地 理 的 圏 域 、 さ らに西ヨー ロ ッパ文 化 の特 色 を と りあげ 、 そ の
東 漸 の過 程 を明らか に した い。 い っ ぽ う東ヨーロ ッパ の 圏域 、東ヨー ロ ッパ の地 域 的 特 色 を と
りあ げ 、 今日的 問 題との関 係 に及 び た い 。 そ こで は と くに ソ連 邦 を含 め て民 族と国 家 の 関 係 か
ら民 族 とは 何 か を思 考しつ つ 、 これ に対して 国 家 が歴 史 を通じて 、 い か な る役 割 を 果して き た
か を 考 え る こ と に した い。
東 ヨー ロ ッパ の民 族 分 布 は 、 きわ め て 複雑 で あ る か ら民 族と国家 を一 致させ 、 民 族 単 位 の国
家 を つく りあ げ る こ と は到 底 不 可能 で あ る。 そ の 中 で 政 治 的 に民 族 が 、 国家 の枠 組 み に よ って
分 断 され 、 そ の 結 果 散 在 する少 数グル ー プ が 、 特 定 の 国家 の 中 に お い て少 数 民 族となり、 不 当
な 扱 い を 受 け る こ と な ど に よ っ て問 題 が 生Lた 。 人 類 の叡 知 は 、少 数 民 族 の生 活 、 文 化 そして
感 情 を 相 互 に 理 解し、 尊 重し合う こ とを 可能 に す る はず で あ る。 そ う した配 慮 は東ヨー ロ ッパ
で は まだ よ うやくそ の緒 に つ い た ば か りで あ る と いx. る 。 多数 民 族 は少 数 民 族 の 立 場 を 正し く
理 解 す る と と も にす べて の 国 家 が、きめ の細 か い 対 民 族 政 策 を進 め る必 要 が あ る。
I I 西 ヨ ーロ ッ パ 文 化 の 特 色
1991年 も主 要 先 進 国 首 脳 会 議( サ ミ ッ ト) が ロ ソドソで 開催され た。7国 の うち 日本 、 ア メ
リカ 合衆 国 、 カ ナ ダ を除くイ ギリス 、 フ ラ ソ ス、 ドイ ツ、 イ タ リア の4国 は西ヨー ロ ッパ に属
す る。第 二 次 世 界 大 戦 後 、 植 民 地 支 配 を放 棄して 西ヨー ロ ッパ は か つ て の栄 光と繁 栄 を 失 い 、
次 第 に媛 小 化した と いわ れ る。しか しそ れ で も依 然 と して 世 界 の な か で重 要 な役 割 を担って い
る こ とは たしか で あ る。1989年 の0人 当 たりの 国 民 総 生 産( GNPUSド ル) を み る と 、 イ ギ
リス 、14570( 18位) 、 フ ラ ソ ス17830( 12位) 、( 西) ド イ ツ20750( 8位) 、 イ タ リヤ15150
( 17位) の ほ か 、 ス イ ス( 1位) 、 オ ー スト リア( 13位) 、 ベ ル ギ ー( 14位) 、 オ ラ ソ ダ( 16
位) な ど 、 す べ て の 国 が 上 位 を 占 め て い る。 西 ヨー ロ ッパ の そ れ ぞ れ の 国 は 、過 去 の ストック
財 を 生 か し、 国 民 的 叡 知 を傾 け て政 治 的 、経 済 的 安 定 を は か っ て きた成 果 で あ る。
西 ヨー ロ ッパ 文 化 の基 本 的 特 性 と は何 か の 問 い に対して 大 方 の答 え は 、古 典 文 化 の 伝 統 、 キ
リスト教 、 ゲ ル マ ソ民 族 の精 神さ らに啓 蒙 思 想と合 理 主 義 、産 業 革 命と技 術 革 新 、 自 由主 義 と
民 主 主 義 の定 着 な ど と な って か え っ て く る。 西 ヨーロ ッパ は 自然 的 に も、人 文 的 に も穏 や かで
豊 か で調 和 の とれ た 地 域 で あ る。 和 辻 哲 郎 は 、 「西 欧 の風 土 が牧 場 的 で あ る こ とは 、 そ れ が湿
潤 と乾 燥 との総 合 、 夏 の乾 燥とい うご と き点 に お い て地 中海 沿岸 と共通 で あ る」 と延 べ 、 西 ヨー
ロ ッパ の風 土 は 、地 中 海 沿 岸 よ り 日照 が少 なく、 冬 の気 温 が低く、 た しか に きびしい に は違 い
な い が 、 そ れ で も 「西 欧 の 自然 は南 欧 の そ れ よ りも0層 従 順 な の で あ る」と西 ヨー ロ ッパ の風
土 を 特 色 づ け て い る。 さ ら に イ タ リア こそ が ヨー ロ ッパ の発 祥 地 で 、 こ こに 出 現した 牧 場 が ア
ル プ ス 山脈 以 北 の 西ヨー ロ ッパ に入 っ て森 林 や 沼 沢 を開 拓して の牧 場 の 出現 に つ な が っ た と述
しかし地 中 海 沿 岸と西ヨー ロ ッパ の 風 土 の違 い を ゲ ー テ( 『 イ タ リア紀 行 』) な らず と も認
め な い わ け には い か な い。P. ヴ ィー ダル ・ ド ・ラ ・ブ ラー シ ュは 、建 築 材 料 を と りあ げ た 中
で地 中 海 沿 岸 地 域 で は 「太 陽 の き らめ き と時 間 の経 過 に よ る古 色 とが 、 ギリシア或 は イ タ リア
の大 理 石 や 、或 は激しい色 の ロー マ. カ ムパ ニ ヤ の淡 水 の 灰華 を想 ひ起させ る」 と述 べ、 西 ヨー
ロ ッパ地 域 で は 「落 葉 樹 の諸 々 の種 が 生 ん だ 所 の多 数 の応 用 の 中 で一 家 具 、 農具 、車 製 造 、旅
等一 建 造 物 に於 け る骨 組 財と して の役 割 を 第 一 位 に 考 えね ば な らぬ 」 と比 較して い る3) 。さ ら
に加 え て18世紀 の 西ヨー ロ ッパ の 飛躍を決 定 的 に した もの は産 業 革 命 で あ る◎ イ ギリスに始 ま
り、 西 ヨー ロ ッパ に広 が っ た背 景 は 、 鉄 鋼 や 石 炭 の埋 蔵 が豊 富 な こ とで あ った。これ を基 盤 と
して経 済 、 政 治 全 般 の 発 展 、 拡 充 を もた ら し、 資 本 主 義 の確 立 な どに よ って世 界 をリードす る
こ とに な った 。
T. Gジ ョー ダ ソ4) は、 ヨー ロ ッパ を定 義 づ け るの に つ ぎの10の具体 的 な 指 標 を あげ て い る。
1教 育 の ゆ き届 い た 住 民2健 康 的 な 住 民3栄 養 の よい住 民4世 界 の平 均よ りは
るか に低 い 出 生 率 と死 亡 率5世 界 の 平均よ りは る か に高 い0人 当 た り年 平 均 所 得6卓
越 す る年 人 口7工 業 指 向 の経 済8市 場 指 向 の農 業9す ぐれ た交 通 体 系10自 由
に選 挙され る安 定した 政 府 で あ る。さ らに 彼 は 指 標 を使 っ て ヨー ロ ッパ を 四 つ の地 域 に 区分
して 西 ヨー ロ ッパ 、 東ヨーロ ッパ 、南ヨー ロ ッパ、 北ヨー ロ ッパ と し、究 極 的 にAゲ ル マ ソ
人=新 教=工 業 革 新 地 域B共 産 主 義=マ ジ ャ ー ル人 核 心 地 域Dフ ラ ソス=イ タ リア工
業核 心地 域E地 中海 半 島部 の 周辺 地 域Fバ ル カ ソ周 辺 地 域Gソ 連 邦 の周 辺地 域
Hケ ル ト=ゲ ル マソ周 辺 地 域 の8地 域 に区 分して い る。 西ヨー ロ ッパ の地 域 概 念 は 、0定
で は な い が 、 本 稿 で は地 中海 沿 岸地 域を含 む とす る と 、西ヨー ロ ッパ と して と りあ げ られ るの
はA、D、E、Hの4地 域とな る。こ こで 使 わ れ て い る核 心 地 域 の指 標 は11000㎡ 当 た り
の鉄 道 延 長 の70㎞以 上2製 造 工 業 の 集 中3酸 性 雨 、 降雨1e当 た りの 水 素 イ オ ソ濃度
25以上41㎡ 当 たりの 人 口密 度100以 上5年 人口増 加 率0. 2%以 下6耕 地1ha当
た りの 肥 料 投 下 量200㎏ 以 上 で あ る。 こ の6つ の 指 標 に よ って 選 ば れ た西ヨー ロ ッパ核 心 地 域
( A、D) の うち、 さ らに累 積 が顕 著 な の は 、 ドイ ツ 、 デ ソマ ー ク、 ス イ ス 、 オ ラ ソ ダ、 フ ラ
ソス北 東 部 、 イ ギリス( イ ソ グ ラ ソ ド) で あ る。
西 ヨ ー ロ ッパ の民 族は イ ソドヨー ロ ッパ 語 族 のうち の ケ ソトウ ム( Cent um) 語 系5) の ラテ
ソ( ロ マ ソ ス) 系 と ゲ ル マ ソ( チ ュー トソ) 系 に属 する。ラテ ソ系 で 西 ヨー ロ ッパ 以 外 に 分 布
す るの は ル ー マ ニ ア人とブ ラ フ人 で あ る。 マ ジ ャー ル人 の 見方 は大 い に異 な るが 、 ル ー マ ニ ア
人 に よれ ば 、 彼 等 は 、トラキ ア 系 の ダ キ ア人 と ロー マ 人 そ の 他 の 混血 で 、絶 え ず東 方 か らの遊
牧 民族 の 移 動 ル ートに あ た り、 トラ ソ シル バ ニ ア地 方 は彼らの 避難 地 で あ った とい う。 ブ ラ フ
人 は ロー マ 都 市 エ ピ ダ ウ ロス が ア ヴ ァー ル 人 に よ って破 壊され た 後 、7世 紀 そ の北 東11㎞ の と
こ ろ にドブ ロブ ニク( ラ グー サ) を 建 設した民 族 で あ る6) 。現 在 、 バ ル カ ソ山 地 に散 在し、 牧
羊 の 生 活 を して い る もの が 多 い 。 ゲ ル マ ソ系 で 西ヨー ロ ッパ 以 外 に 分 布 す るの は東ヨー ロ ッパ
の ポー ラ ソド、 ハ ソガリー 、 ル ー マ ニ ア、 ユ ー ゴス ラ ビア そ れ に ソ連 邦 の ドイ ッ人 、 さ ら にユ
ダヤ 系 の ア シ ュ ケ ナ ー ジで あ る。 ラテソ系 は ロー マ 帝 国領 に あ って そ の 文 明 の 影 響 を 強く受 け
た 今 日の イ タ リア人 、 フ ラ ソ ス人 、 カ タ ロニ ア 人 、 ス ペ イ ソ人 、 ポル トガル 人 、 サ ル ジ ニ ア人
で あ る。 フ ラ ソ ス人 の うち 南 部 で は オッ ク語 を用 い るが 、 これ は 北 部 の オ イル 語 と異 な り、 よ
りラテ ソ的 で あ る。
ロー マ 帝 国 は ギリシア人 や カル タ ゴ人 に よっ て植 民地 化 され て い た 地 中 海 沿 岸 を一 つ の世 界
に ま とめ あ げ た 。 さ らに ア ル プ ス を越 えて ガ リア( フ ラ ソ ス) 、 ブル タ ニ ア南 部 に及 び、 さ ら
野 崎: 西 ヨ ー ロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ー ダ ーラ ソドー 東ヨ ー ロッパ の 民 族と 国 家 一 111
を建 設した。ロー マ人 は ケ ルト、 ゲ ル マ ソ、 ス ラ ブ、 パ ル チ ア な ど の諸 民 族と接 触し、 豊 か な
ヨ ー ロ ッパ文 明 の基 礎 を形 作 っ た。 そ の うち の最 大 の もの は キリスト教 で あ っ た が 、初 期 の 迫
害 を乗り越 えてローマ 帝 国 の 国 教 と な り、 一一体 の存 在とな った 。 ロ ー マ帝 国 が東 西 に分 立した
こ とに よ って キ リスト教 もmマ カトリ ッ クと ギリシ ア正 教 に 分 裂 す る こ と に な っ た が 、 この
ことは 後 世 に大きな影響 を与x
. . るこ とに な った。 宗 教 改 革 に よ って ロー マ カト リッ クか らル ター
リズ ム ・ カ ル ヴ ィニ ズ ム、 イ ギリス国教 派 が 分 れ 、 プ ロテ ス タ ソテ ィ ズ ムは3派 と な っ た。 ル
ターリズ ム は北 ドイ ツか らス カ ソ ジナ ビア 半 島 に 広 がり、 カ ル ヴ ィニ ズ ムは オ ラ ソ ダ、 フ ラ ソ
ス、 ス イ ス に伝 え られ た。 イ ギリス の ヘ ソ リー8世 は ロー マ 教 皇との 対立 、 破 門 か らイ ギ リス
国 教 会 を創 設した。 ドイ ッ を 中心とする宗 教 戦 争 を経 て 、16世紀 後 半 に は ロー マ カ トリ ック と
プ ロテ ス タ ソ トと の境 界 は現 在 と ほ ぼ 同 じ よ うに な った。
カ エ サル の 「ガ リア戦 記 」 や タ キトス の 「ゲ ル マ ニ ア」にゲ ル マソ民 族 大 移 動 前 の ゲ ル マ ソ
の社 会 が 記 され て い る。 ゲ ル マ ソは 、BC2世 紀ころ ま で は ス カ ソ ジ ナ ビア半 島 の南 部 か らユ
トラ ソド半 島 、 北ドイ ツに か け て 居 住して い た と推 定され て い るが 、 カ エ サ ルやタキトス の こ
ろ に は ライ ソ川 か ら ダニ ュー ブ川 流 域 に か け て 広 が って い た。 彼 らは も と も と遊 牧 民 族 で あ っ
た が 、長 い 定 住 生 活 の 中 で す で に 農耕 を 知 って い た。 オ0デ ィ ソ と二 人 の 兄 弟 神 を信 ず る ゲ ル
マ ソは針 葉 樹 林 や 落 葉 広葉 樹 林 に 住 む森 の 民 と して 優 れ た 文 化 を築きあ げ た
。 首 長 は 世 襲 制 で
は な く、選 挙 制 に よ って決 定され て い た こ とな ど後 世 の ヨ ー ロ ッパ に 引 き継 が れ た もの が 多 い
が 、 最 大 の もの は ゲ ルマ ソ慣 習 法 で 、 ロー マ法とと もに近 代 法 の上 に大 き な影 響 を 与 え て い る。
い わ ゆ る ゲ ル マ ソ民 族 の大 移 動 は フ ソ族 の圧 迫 に よ って始ま っ た。ロー マ 帝 国 領 内 に 移 動し
、
す で に退 廃 、変 質しつつ あ った古 典文 化 の新 た な担 い手 と して 、 歴 史 の上 に登 場 す る こと に な っ
た 。 ゲ ル マ ソの 部 族 で あ る フ ラ ソ ク族 が ア ラマ ソ族 や ブ ル グ ソド族 を糾 合して建 設 した フ ラ ソ
ク王 国( カ ロ リソ グ朝) は 、 カー ル 大 帝( 768∼814) の 時 代 に 絶 頂 期 を迎 え た。 現 在 の フ ラ ソ
ス を 中心 に 、東 は ライ ソ川 流 域 、 南 は イ タ リヤ の北 半 分 、 さ らに ピ レネー 山脈 を越 え て ス ペ イ
ソに ま で版 図 を拡 大した。 彼 は ロー マ 教 皇 か ら帝 冠 を授 け られ 、 以 後 「ロ ー マ帝 国 を支 配 する
尊 厳 な る皇 帝」 の称 号 を用 い るに い た った 。 西 ヨ ー ロ ッパ の誕 生 、 成 立 で あ る。 カ ール 大 帝 後
の843年( ヴ ェル ダ ソ条 約) お よび870年( メ ル セ ソ条 約) 、 西フ ラ ソ ク王 国( フ ラ ソ ス) 、 東
フ ラ ソ ク王 国( ド イ ツ) 、 ロ ター ル王 国( イ タ リア) に 分 裂し、以 後 ふ た た び 復 活 す る こ と は
な か っ た。
I I I 西 ヨ ーロ ッ パ 文化 圏 の ボ ーダ ー ラン ド
以 上、 述べ てき たよう に 西ヨーロッパ 文 化 圏に 含ま れる の はラ テソ系と ゲ ル マソ 系 の 民 族 の 居 住 地 域で あ り、ロ ー マ カ ト リ ッ ク と プロ テ スタ ソトの 伝 播 地域 であ る 。そこ で は 調 和 さ れ た 精 神 文 化、 高 度に 発 達 した 科 学 文 明 、 安 定した 民 主 政 治のも と に 豊 か な 経 済 生 活が 確 保 さ れ て い う 。 そ の 外 側 に は 民 族で い え ば 、イ ソ ドヨ ーロ ッ パ 語 族の スラ ブ 系、 バ ル ト系、 イリ リ ア 系 、 ケ ル ト系 、ギリ シ ア 系、ウ ラ ル ア ルタ イ 語 族 のフィ ノウ ゴ ー ル 系 が 、 宗 教 でい え ぱ ギリ シ ア 正 教=東 方 正 教( ロ シ ア 正 教 、 ル ー マ ニ ア 正 教、 セ ルビ ア 正 教 、 ブ ル ガリア 正 教 、 ギリシ ア正 教) 、 イス ラ ム 教な ど が 広が っ ている。
ス ラ ブ 系は 、カ ル パ チ ア 山 脈の 北から起 こ っ て5世 紀に 移 動を 開 始 し
、7∼8世 紀に は 、 東 ス ラ ブ( ロ シ ア 人 、 ウ ク ラ イ ナ 人 、白ロ シ ア 人) 、 西ス ラ ブ( ポ ーラ ソド人
、チ ェコ人 、スロ バ キ ア 人 、ソ ル ブ 人 、カ シ ュ ーブ人)
、南 スラ ブ( ス ロ ベ ニ ア 人 、ク ロ ア チ ア 人 、 セ ルビ ア 人 、 マケドニ ア 人) の3派 が そ れ ぞ れ の 地 方に 居を 占 め た 。西ス ラ ブ の 中 に は 、ポ ラ ペ 人
" w
侮
a②
/ /
チ ェコ人
一f リトア ニ ア 人
魂1∼ 幽
ポ メ ラ ニ ア 人 ・ ( カシ ユー ブ 人) ) 16T 1300^1400
F
. : / 一 一
ビ スワ川
綬
●
一
〇400km
図110世 紀の 民 族 分 布と ドイ ツ 人の 東 漸( J . Anc el とN. J . G. Pounds に よ っ て 筆 者 加 筆 ・図 中 の 年 代は ドイツ 人 東 漸 の 年 代)
ドイ ツ 人に 同 化 、 融 合さ れ て 、 消 滅した 民 族も 多 い 。ソ ルブ 人や か つ て のポ メ ラ ニ ア 人に 含ま れ て い た カ シ ュ ーブ 人 は わ ずか に 消 滅を 免 れ た 民 族で あ る 。 ドイッ の 地が 「スラ ブ の 墓 場の 地 」 と い わ れる ゆえ ん であ る7) 。 ポ ーラ ソドでは966年 、ロ ー マカ ト リ ッ ク を 受 け 入れ 、さら に1000 年 、グ ニ エ ズノ大 司 教 座 を 設 立 するこ と に よ っ て 西ヨ ーロッパ 文化 圏 に 含ま れる こ と に な っ た 。 ボ ヘミ ア がロ ー マカ ト リ ッ ク化される の は10世 紀 で 、 そ の 後 モラ ビ ア 、ス ロ バ キ ア に 東 漸 し た 。 スロ ベ ニ ア とク ロ ア チ ア は 西ロ ー マ 帝国 領 であ っ た た めロ ー マカ ト リ ッ ク地 域として 今日 に い た っ ている。
東 南の セ ルビ ア は 東 ロ ー マ 帝国 領で あっ た た め ギ リ シ ア 正 教 地 域 と なり 、 言 語は セ ルポ ・ク ロ ア チ ア 語 と し て 同 一言 語で あり な がら文 字は 、ク ロ ア チア ではラ テソ文 字、 セ ルビ ア で はキ リル 文 字 を 用い て いる。さ ら に 第 一 次 世 界 大 戦 終 結ま で はク ロ ア チ ア はス ロ ベ ニ ア と と も に オ ー スト リア=ハ ソ ガリー 帝 国 領に 属 して い た の に 対 し、セ ル ビ ア は すで に 独 立 国 であ っ た と いう 歴 史 が ある 。とくに 両 国 の 境界 付 近 のス ラ ボ ニア 地 方 やク ラ イ ナ 地方 は 、 オー ス ト リ ア=ハ ソ ガリー 帝国 が1578年 、 対 トル コ政 策 として 設 置 し た 「軍 政国 境 地 帯」( Mi l i t ar gr enz e) に 当 た り、 屯田 兵と も い うべき 主として セ ル ビ ア から の 入 植 民が 迎え 入 れ られた た め 、 現 在 も ク ロ ア チ ア 領内 に 多 くのセ ルビ ア 人がク ロ ア チ ア 人と混住している8) 。 両 民 族 間の 感情 的と も い え る 対 立に は こ の よう な 歴 史 的 背 景が あ る 。
スラ ブ 系 、イ リ リア 系と と も に サ テム( Sat em) 語 系9) に 属 する バ ルト系 は 、 リトア ニ ア 人、 ラト ビ ア 人を 含み 、 消 滅した も のと し て プロ シ ア 人 、 ス ドー ビ ア 人、ク ロ ア ニ ア 人 、 セミガ リ ア 人 、セロ ニ ア 人が ある。イソド ヨ ーロ ッ パ 語の 中 で はも っ とも古い 言 語 と い わ れ 、ス ラ ブ 系 はこ の バ ル ト系 の 分 派で あ る 。バ ル ト海沿 岸 に チュ ー トソ 騎 士 団の 勢力 が 及ん だ の は14世 紀 、 ブレ ーメ ソ の 商人 が 来 住し てタリ ソ( レ バ ル) 、 ドル パ ット、 リガ 、ヴ イソ ダ ウ 、 パラ ソ ゲ ソ
r
野 崎: 西 ヨ ー ロ ッ パ 文 化 圏 の ポ ー ダ ーラ ソドー 東 ヨーロ ッ パ の 民 族 と 国 家 一 113
蒙
撚
オース トリア 。
囲 ハ ソ ガ リー 帝 国
S。vm『 ∫
' q、J 、1、M . r ㌧ 、, , 、・
300km 図2オ ー ス ト リア=ハ ソ ガリ ー一帝 国の 「軍 政国 境 地 帯 」( G. W. Hof f man)
Fi nns
Bal t i c Fi nns l s I
表1フ ィ ノ ウ ゴ ー ル 語 族の 系 統 ・l ngr i ans Fs t hs Li vs Mur oms Mer i ans Cher emi s s es Mor dvi ns
Vol gaFi nns Vot i aks
Fi nns Per mi ans OB- Ugr i ans
Os t i aks
Magyar s 1
Fi nns - Per mi ans Ugr i ans
L一
Fi nno- Ugr i an. Sub- St oc k
( C. S. Coon) れ た のも こ の 時 代 である。
フィ ノ ウゴール 語 族は 、フ ィ ソ ラ ソド人 、カレ ニ ア 人、 そ れ にラトビ ア に 残 るリボ ニ ア 人 、 サ ソ ク トペテロ ブ ルク( レ ニソ グ ラ ー ド) 付 近に 残 る イソ グリアソ 系( ボ ー ド人、ラ イ ド人 、 イヨー ル 人) 、 カレ リ ア 東 方の ベ プ ス 人 で ある' o) 。 フィ ソ ラ ソ ド人は1世 紀こ ろ 、0派 が 現 在 の エ ス トニ ア から北 上 し て 先住 民 族で ある ラッ プ 人を 駆 逐 し 、 現 在 地 に 移 動 し た 。ロ ー マ カ ト
地 位が 与えら れ た 時代も あっ た 。18世 紀から20世 紀に か け てロ シ ア 帝 国の 支 配を 受け た にも か か わらず 、 西 ヨ ーロ ッ パ 化 が 早 くか ら進められた 。 民 族 伝承として 知 られる 「カレ ワ ラ」は 、 今日 も フィ ソ ラ ソド人 の 民 族 覚 醒 の 精 神 的な 支えと なっ て いる 。
東から 西 へ の 遊 牧 民 族の 移 動は 、 歴 史を 通 じ てく り か えさ れ た 。 系 統不明 の フ ン 族は370年 こ ろ 、アッ ティ ラ に ひき いら れ て 東 ヨ ーロ ッ パ に 侵入して 一 時 、 大 帝 国を 建 設 し た 。そ の 後 ゲ ピ ード、 アヴ ァ ー ル 、ブ ル ガー ル( 定 住 後 、スラ ブ 化) 、 カ バ ル 、ペ チ ェ ネ ーグ 、ク マソ 、 モ ソ ゴ ル 、タタ ー ル など の 諸 民 族が い ず れ も ヨ ーロ ッ パ に 移 動 し た 。マジ ャ ー ル 人は 、9世 紀 末 ハソ ガリ ー 盆 地およ び そ の 周 辺に 移 動 し てこ こ に 定住し、 今 日 に い た っ て いる。10世 紀から11 世 紀に か け てロ ー マ カ ト リ ッ ク が 伝わ っ た が 、 トルコ の 支 配を 脱 し 、 ハ プ ス ブ ルグ 家 によ る 支 配の 時 代を 迎える に い たっ て 、 西ヨ ーロ ッ パ 文化 圏 に 入っ た 。 東 ヨ ーロ ッ パ は 、 複雑 な 地形 に 影 響さ れ て 、こ れら 移 動 民 族の ま と まり を 阻み 、 次 第 に 分 化 して 集団ご と に 独自 の 文化 を つく
り あ げ た 。 そう し たこ と はとくに ボ ヘミ ア の 森 周 辺 、スロ バ キ ア 地 方 、 トラ ソ シ ル バ ニ ア 地 方、 東ア ル プ ス 地 方、 ボス ニア 地 方 、ダ ル マ チ ア 地方 、 ド ブ ルジ ャ 地 方、 マ ケドニア地方に 顕 著 で
あ る 。
イ ス ラ ム 教がヨ ーロッパに 伝えら れ た の は 、 イ ベ リ ア 半島 では8世 紀の 中 頃 、 バ ルカ ソ 半 島 で は14世 紀から15世 紀 末に か け て である。イ スラ ム 教 の 最 後の 拠 点、グ ラ ナ ダ が 陥 落 し、イ ス ラ ム 教が イ ベ リア 半 島 から一 掃 さ れ た の1492年 で ある 。 北 部のビ ス ケ ー 湾沿 岸 のア ウ ト ゥ リ ア ス 地 方は 最 後ま で イス ラ ム の 侵 入を 許 す こ と が な かっ た 。バ ル カソ 半 島 で は オス マソトルコ帝 国 の 北 進にと も な いバ ル カソ 半 島 の 大 部分 が イス ラ ム 化さ れ た 。わ ず か に イス ラ ム 化を 免れ た の は モソ テ ネグ ロ( ツ ル ナゴ ーラ) を 含 め て のア ド リ ア 海 沿 岸と ギ リ シ ア の 島々 であ っ た 。こ の 時 代 、ウ イ ーソ が1529年 と1683年 の トル コの 攻 撃に 耐え て 、 包 囲 を 守 り き っ た 歴史 的 意 義は 大き い 。 バ ル カソ 半島 に は 現 在 も イス ラ ム 教 徒( ム スリ ム) が 残 る が 、とく に ボ ス ニ ア ・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ で は12. 3%が イ スラ ム 教 徒で ある 。1. ア ソド リ ッ チ の 『ド リ ナ の 橋 』11) に つぎ の よ う な 描 写 が ある 。
「… … …町 の 人 び と の 生 活は 、こ の 橋 と そ のカピ ヤ の 上で 演 じ ら れる 。 そ れを めぐり、 そ れ と む す び つ い て 流れ すぎ て い く。 個 人 の であ れ 、 家 庭の で あ れ 、ま た 町 全 体の で あ れ 、と も かく ど んな でき ごと に つ い て の 話 でも 、 《橋で 》 と いう 言 葉 に は 、 再 三 再四 ぶ つ かる の で あ る 。 事 実 、 幼 児た ち は ド リ ナ の 橋 であ ん よ を 始め 、 少 年たち も 最 初の 遊び を お ぼ える 。 ド リ ナ 左 岸 で 生ま れ た キ リ ス ト教 徒 の 子 供た ち は 、 誕生 後 幾 日 もし な いう ち に 橋を 渡る 。0週 間 以内 に 洗 礼の た め 教会 へ 行 く からであ る 。そ れ 以 外の 、 右 岸 で 生ま れ た 子 供や 、 洗 礼 を 必 要 とし な い 回 教 徒の 子 供たちも、 その 父 や 祖父と 同じ く、 幼 いこ ろ の 大 半を 橋の 近所 で すごし たも の で ある。… …… 」
こ の 町は セ ルビ アと サワ川の 上 流、ド リナ 川を へ だ て て 立 地 する ボ ス ニ ア ・ヘ ルツ ェ ゴビ ナ のヴ ィ シ ェ グ ラ ー ドであ る 。 こ の 川に は 、1571年 に 建 設さ れ たド リナ 橋が 架かっ て い た 。カピ ヤと は 屋台 店風 のコ ーヒ店で ある。 こ れら の 地方に は 、イ スラ ム 教の モ スク 寺 院 が み られ 、 西 ヨ ーロ ッ パ の 人 々 の 目 に は エ キゾ チッ ク な 景 観として 受けと めら れ て いる 。ロ シ ア 正 教は 、ギ リ シ ア 正教 の 中 で 主 要な 位 置を占 め て いる 。ロ シ ア 皇 帝イワ ソ3世 は 、1453年 にビザ ソ チソ帝 国 が 滅 亡する と 、 次 第に ギ リ シ ア 正 教 の 後 継 者を も っ て 君臨 す る こ と に なっ た 。ロ シ ア 正 教 会 の 建 築 様式 は 、 ビ ザソ チソ様式 によ っ て 統0さ れ 、 玉ねぎ状のドーム によ っ て 代 表さ れ 、 ロ シ ア 的 な 都市 景 観を 形づく っ て いる 。
野 崎: 西 ヨーロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ーダ ー ラ ソドー 東 ヨ ー ロ ッ パ の 民 族と 国 家 一 115
ロ ー マカト リ ッ ク と プ ロ テ スタ ソ トが 信 仰さ れ ・ し かも ラ テソ文 字を 用い て いる 地 域で ある 。 一 部
、ギリ シ ア 正 教 やイ ス ラ ム 教が 混 在 してい る 地 域も こ の 中 に 含める こ と にした い 。 こ のよ う な 基 準に よ っ て 求 めら れ た 範 域は 、フ ィ ソ ラ ソド、エ ス トニ ア 、ラトビ ア 、 リトア ニ ァ 、ポ ー ラ ソド、ドイツ のラ ウ ジッ ツ 、チ ェコ スロ バ キア 、スロ ベ ニ ア 、 ク ロ ア チ ア 、 ボ ス ニ ア・ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ 、 イタリ ア 南 部 、マ ルタ 、サ ルジ ニア 、ス ペ イソ南 部 、ブ ル タ ー ニュ 、 ア イ ルラ ソ ド西 部、 スコ ツト ラ ソド北 部 であ る 。こ の 基準 から する ならば 、 ユ ー ゴ ス ラビ ア の セ ルビ ア 、 モソ テ ネグ ロ 、 マ ケ ドニ ア そ れに ア ルバ ニ ア 、 ブ ル ガリ ア 、ギリ シ ア 、ヨ ーロ ッ パ トル コ は 範 域の 外 側と 位 置づ けら れる こ と に なる 。
N東 ヨー ロ ッパ の 地 理 的 範 囲
東ヨ ーロッ パ と いう地 域 区 分は 比 較的 新 し く、そ れ は 地 理的 区 分と いう より も む し ろ 政 治 的 な 区 分 で あ り、 か つ てワルシャ ワ条 約 機構( WTO) や 共 産 主 義 経 済会 議( COMECON) に 加 盟 して い た 国 家 群 を 指 す 呼 称で ある。そ の 中に は ソ連 邦を 含ま な い 場合 が0般 的 で ある 。 か つ て はP. デ フ ォ ソ テ ー ヌ12) に よ れば チェ コ スロ バ キ ア 、 ポ ーラ ソド、 ハソ ガリ ー 、 ル ー マニ ア 、 ブ ル ガリア 、ス イス 、リ ヒテソ シ ュタ イソ 、 オ ースト リ ア 、 ドイ ッ は 中 央ヨ ーロ ッ パ に 、 ユ ー ゴ スラ ビ ア ・ ア ル バ ニア 、 ギ リ シ ア は 地中 海ヨ ーロッパに そ れ ぞ れ 含めら れ て いる
。J . ゴ ツ トマソ13) は、さ ら にソ連 邦を 東 ヨ ー・ロッパに 区 分 し て いる。N. J . G. パ ウ ソ ズ ・4) 、M. R. シャ ッ クリトソ15) 、A. F. マ ト ソ16) の区 分に は い ず れも 東ヨ ーロッパ の 区 分は な い 。 東 ヨ ー ロッパが みら れる の はG. Wホ フ マゾ7) の区 分によ っ て であり、ポ ーラ ソド、 チェ コ ス ロ バ キ ア 、 ハソ ガリ ー 、 ルー マ ニ ア 、ブ ル ガ リ ア 、ユ ーゴ スラ ビ ア 、ア ル バニ ア を 東ヨ ー ロッ パ の 範 域としてい る 。J . ゴ ットマ ソ18) の区 分で はフィ ソ ラ ソドをポ ー ラ ソド、チェ コ ス ロ バキ ア 、 ハソ ガリー一、 ル ー マニ ア 、 ドイツ 、 オ ースト リ ア な どと と も に 中 央ヨ ーロッパ の 中に 含め てい
る 。
しか しな がら ソ 連 邦 のペレ スト ロ イ カ 、 東 ヨー ロ ッ パ の 変 革が 進めら れる 中 で 、 東西 ドイ ツ の 統 一、 バ ル ト三 国 の 独 立 が 実 現 し、オ ース ト リ ア 、ハソ ガリー 、 チェ コ スロ バ キア 、ポ ーラ ソドの 接 近 がとり沙 汰さ れる 今 、 い つ ま でも東 ヨ ーロ ッ パ の 地 域 概 念に とらわ れる 必 要は なく 、 新 し いヨ ーロ ッ パ の 秩序 の 中 で 地 域 区 分の 再 検 討が 行 わ れる べき で ある。そ れ にし ても 第 二 次 世 界 大 戦 後の 東 西 対立 の 構図 の 中 で 東ヨ ーロ ッ パ の 概念 が 定 着 しす ぎ たき ら い が ある。 こ の 地 域 概 念も やが て 解 消 し 、 戦 後の ある 特 定の 時 代に だ け 存 在したと さ れる 時 代が 来る こ と で あろ
う。 本 稿 では そう し た 東 ヨ ーロッパ の 意 味で は なく、ボ ーダ ラ ソドを 含め 、 西 ヨ ーロ ッ パ 文 化 圏と 東ス ラ ブ( ロ シ ア) 文 化圏さ ら に イスラ ム( ト ルコ) 文 化 圏 が 接 触 、 交 錯 し 、 文 化的 、 社 会 的 、 政 治的 、 経済 的にこれ ら の 影 響を 受 け 合っ てき た 国 家 群を 一 連の 地帯( t i er ) と し てと
りあ げ る こ と にし た い 。ポ ーラ ソドの 歴 史 学 者0. ハ レ ッ キ ー は 、 西 ヨーロ ッ パ 中 心 のヨ ーロ ッ パ 史 に 対 して 東 ヨ ーロ ッ パ に 視 点を 置い た ヨ ーロ ッ パ 史 の 必 要 性を 強 調 した19) 。 こ の 地 帯は 決 し て 統0さ れ たま と まり を 持っ た 単 位で は な く、 多 種、 多 様の 要素 を 含 む 複 雑な 歴 史 的に は 悲 劇の 地帯 で ある 。 そ れに も かか わらず こ れ を 地 帯とし て 取 り上げる の は 将 来 注 目 さ れるも う0 つ のヨ ーロ ッ パ で ある から であ る 。
こ の 地 帯を 北 、フ ィ ソ ラ ソドから南、 ギ リ シ ア に か け て4区 分する と 、
-⊥
9
9
つ
U
4
ゐ
フィソラソ ド 、 エス ト ニア 、 ラ ト ビ アの地域 リト アニア、 ポ ー ラソ ド の 地域
チ ェコ ス ロ バキア、ハ ソガ リ ー 、 ス ロ ベニ ア 、 クロ アチアの 地域
マニ ア 、 モ ル ドバ 、ブ ル ガリ ア 、 ギリ シ ア 、ヨ ーロ ッ パ トルコ の 地 域 と なる。
1の 地域 は 、 歴史 的に 早く から デソ マ ーク 、 スウ ェ ー デソ 、 ドイッ の 影 響を 受 け 、 ハソ ザ 同 盟 や チュ ー トソ騎士 団と の 関 係が 深かっ た 地 域で ある。 フ ィ ソ ラ ソドの0人 当 た りのGNPは 22060USド ル( 3位) と き わめ て 高く、エ ス トニ ア 、ラ ト ビ ア はソ連 邦の 中 で も っ とも進 ん だ 共 和国 であ っ た 。 バ ル ト三国 や 他の 東 ヨ ーロ ッ パ 諸 国 が 将 来 、 民 族的 ア イ デソ ティ ティ の も と に 中 立 主 義 を 国 是としてい る フィ ソ ラ ソドを 模範と し て自 国 の 政 治 的 、 経 済 的 安 定 をも と め て いる の は 当 然と い え る 。同 系の フィ ソ ラ ソ ド人と エ ス トニ ア 人と の 関 係は 親 密 で 、 従 来 か ら も フィ ソ ラ ソ ドから エストニ ア へ の 渡 航に はビ ザ を 必 要としな い 特 別の 措 置 がと ら れ て い た 。
2の 地 域は 、14世 紀 から18世 紀に か け て ポ ーラ ソド ・ リトア ニ ア 君 主 連合 国 を つ く り、 一時 はロ シ ア を 征服 する ほ ど 強 大 であ っ た 。そ の 後、 ポ ーラ ソドはロ シ ア 、 プロ シ ア 、 オ ースト リ ア によ り 分 割 さ れ た が 、 リトア ニ ア は 常に ポ ーラ ソド と運 命をと も に した 。
3の 地 域は 、 第0次 世 界 大 戦 終 結ま で は い ず れも ハソ ガリー=オ ー ス ト リア 帝 国 領の 中に あっ た 。17世 紀末 、 トルコ の 敗 退 以 後 、ハソ ガリー は ハ プ ス ブ ルグ家の 支 配を 受け 、1867年 の 和約 ( Aus gl ei c h) に よ っ て 二 重帝 国が 成 立 し た 。ボ ヘミ ア 、モラ ビ ァ 、シレ ジ ア 、ガリシ ア 、 ブ コ ビ ナ 、ス ロ ベ ニ ア は オ ースト リ ア 領、 スロ バ キ ア 、 ト ラ ソ シ ル バ ニ ア 、ク ロ ア チ ア 、ダ ル マ チ ア 、 イスト リア は ハソ ガリ ー 領 、ボ ス ニ ア ・ヘ ルツ ェ ゴ ビ ナ は オ ー ス ト リアと ハソ ガリー の 共同 管 轄であ っ た 。1989年 の0人 当たり のGNPで は オ ー ス ト リ ア17360( 13位) と 高い が 、 そ の 他チェ コ ス ロ バ キア10130、 ハソ ガリー2560( い ず れもUSド ル) と 低い 。
4の 地域 に つ い ては 、バ ルカソ の 呼 称が ある。バ ル カソ と は トルコ語の 山 地を 意 味 し、 セ ル ビ ア 以 南 の ユ ーゴ ス ラ ビ ア 、ア ル バ と ア 、 ブ ル ガ リア 、 ギ リ シ ア 、ヨ ーロ ッ パ トルコ を 含 む 。 G. W. ホ フ マソ は 、 そ の 北 側に 隣 接 する ル ー マ ニ ア 、 ハソ ガ リー 、 オ ー ス ト リア の0部 を そ の 中 に 含むこ と が で き ると述べ て いる20) 。 バ ル カソ半島 は イ ベ リ ア 半 島 やイ タリ ア 半島 のよ う に 山 脈によ っ て そ の 地 域 的 範 囲を 決 定 する こ と が でき な い 。1989年 の0人 当 た りのGNPで は ル ー マ ニ ア6570、 ギ リ シ ア5340、 ユ ーゴ スラ ビ ア2490、 ブ ル ガ リア2320、 ア ル バ ニ ア1265( い ずれもUSド ル) と 全 体に 低い 。ユ ーゴ スラ ビ ア は 南 北の 格差 が 著し く、 全 土の7. 1%の 人 口 を 占 めるコ ソ ボ 自 治州 の 一 人当 り の 所 得を100と する と 、8. 4%の 人 口 を 占 める スロ ベニ ア は 165と 、 大 き な へ だ た り が ある 。こ の 地 域は 、ボ ーダ ーラ ソドの 範 域 外で 西 ヨ ーロッ パ 化が ま だ 不 十 分で 、と も する と 偏 狭な ショ ーヴ ィ ニ ズ ム が 台 頭 し勝ち で 、 民 族を め ぐ っ て 隣 接国と の 間 に 紛 争を 起 こ す 危険 性 を はら ん でい る 。
東 ヨ ーロ ッ パ は 、 総 人口 約1億5000万 で 、ヨ ーロ ッ パ 全 体( ソ 連 邦はロ シ ア 、ウ ク ラ イ ナ 、 白 ロ シ ア の 合 計、ウ ラ ル 山 脈 以 東を 除 く) の22%に あ たる。ち な み に 西 ヨ ーロ ッ パ は 約3億40 00万( 50%) 、 東スラ ブ は 約1億9000万( 28%) で ある 。 最 多 人口 国 は ポ ーラ ソド( 3785万) 、 つ い で ユ ーゴ ス ラ ビ ア( 2369万) 、 ル ー マ ニ ア( 2315万) ( 1986年) 、 最多 民 族人口 は 、 ポ ー
野 崎: 西 ヨーロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ー ダ ーラ ソドー 東ヨ ーロ ッパ の 民 族と 国 家 一 117
! J W
趣
趨
ゆ
。・GδY
姻
憾
1( i )
一 ●9●6■ ■● ● 圃b
● ■ ■D● 軸■● ●6圏● 《●
●●の
図3東 ヨー ロ ッパ の民 族 ( 円 の大きさ は人 口数 を示 す) ロ ーマ カトリ ック と ギ リシ ア正 教 の境 界 ラ テ ソ文 字 と キ リル 文 字 の境 界 旧 ソ連 圏 とそ の 他 の 境界
⑥ ゲ ル マ ソ世 界 ①ラテ ソ世 界 ⑬ロ シ ア世 界 ⑪ イ ス ラム( ト ル コ) 世 界 Pポ ー ラ ソ ド人Rル ー マ ニ ア人
Sセ ル ビ ア人Bブ ル ガ リア人 Aア ル バ ニ ア 人Nモ ルドバ 人 Dラ トビア人Eエ ストニ ア人 0ラ ップ人Wカ シ ュー ブ人
( 人口の 多少 順 に民 族 名 列 記)
V東 ヨー ロ ッパ の 地 理 的 性 格
G. W. ホ フマ ソは 、 東ヨー ロ ッパ の地 理 的 性 格 と して 、 漸 移 性( t r ans i t i on) 、 不 安 定 性
( i ns t abi l i t y) 、 多 様 性( di ver s i f i c at i on) を あ げ て い る20) 。東ヨ ー ロ ッパ の漸 移 性 と 多様 性
が 不 安 定 性 を招 いて い る と い え る。
西 か ら東 へ の 漸 移 を 考 え る時 、 西 岸 海 洋 性 気 候 ← → 湿 潤 大 陸 性 気 候 、地 中 海 性 気 候 ← → 湿
潤 大 陸 性 気 候 の漸 移 が あ り、 落 葉 広 葉 樹 林 ← → 針 葉 樹 落 葉 樹 混 交 林 、地 中海 常 緑 広 葉 樹 ← → 針
葉 樹 落 葉 樹 混 交 林 の 漸 移 が あ る。 地 形 の上 で は 、 北 方 に は バ ルト海 が あり、 そ の 南 に は ドイ ツ
か ら ポー ラ ソドにか けて の低 平 な北ヨー ロ ッパ平 原 が 展 開 す る。 北 の 沼沢 地と南 の 台 地 の 間 に
は ビ ス ワ川 、 ワル タ川 が 西 流し、ワル シ ャ ワ周 辺 に は マ ゾ フ シ ェ低 地 、 ポ ズ ナニ 周 辺 に は 南ビ
エ ル コボ ル ス カ低地と ク ヤービ低 地 が広 が っ て い る。ドイ ツ と ロシ ア両 大 国 に挟まれ た ポー ラ
ソ ドの3次 に わ た る分 割 以 来 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の ポ ー ラ ソド領 土 の西 へ の 移 動 に 及 ぶ 歴 史 な
1
ど がこ のこ と を 如 実に 示 してい る 。J . イ ヴ ァ シ ュ キェ ヴィ ッ チ は 、 『ウト ラ タ の 水 車 小 屋 』 21) の中 で 次のよ う な 描 写をし て いる
。
「… ……途中 の 景 色 は す ばらしかっ た 。 乾 燥 し た 砂まじ りの 畑が 緑の 窪 地の 上で ふ い にと ぎ れ た 。窪 地の 両 側は 緑 の 草 地 が かなり遠 く ま で つ づき 、 道 の 中 央に は ま が り くねっ た 小 川 が き ら めき流れ て い た 。 水 草 が おい 茂っ て い た が 流れ は か な り早か っ た 。 水辺 の 所々 に 百 合 が 咲 い て い た 。水 は 明るく澄ん で 、 空の よう軽や か だっ た 。 馬 車はラ イ 麦がま ばら に 生え て い る乾 き き っ た 畑と 、 最 近 刈 り取ら れた あ と へ 新 し い 草 の 芽 がもう 冴 え た 緑を み せ て いる 牧 草 地と の 問 の 、 砂ぼこり多 い でこ ぼ こ 道を 、はし を えら ん で す すん で い っ た 。 丘の 上 のような 場 所、と いう よりは む し ろ 道 のま がり角に 出 ると 、 牧草 地 が 眼 前に ひら け 、 小 川は い くつ か の 湾 曲 部 を つ く り、 堰に は ばま れ てか なり大 き な 池に そ そ い でい た 。 池は 広 々として 、 周 囲 に ハソ の 樹や 柳を 繁ら せ 、 波も た て ず 、 眠た げ で あっ た 。 日はま すま すつよく照 りつ け て い た 。…… …」
ゆる や か な 起 伏の 上 に は 牧草と ラ イ 麦な ど の 畑 地が 広が り、 そ れを 浅 く刻む 川はメ ア ソ ダ ー リ ソ グ し な がら流れ 、 所々 に 沼 沢 が 展 開 する と い っ たこ の 地 帯に 共 通の 景 観で ある。
北ヨ ーロ ッ パ 平 原 の 南に は ハ ルツ 山 脈 、 チュ ーリ ソ ゲ ソ 森 、エ ルッ 山 脈 、ボ ヘミア 森 、ズ デ ー ト山 脈 、モラ ビ ア 高 地、 カ ル パ チア 山 脈 、 ト ラ ソ シ ル バ ニ アア ルプ 山 脈 、ビ ホ ー ル 高 地、さ ら に バ ル カソ半島 に か け てジ ナ ルア ルプ 山 脈 、ピ ソドス 山 脈、 バ ルカソ 山 脈 、 ロド ピ ス 山 脈 が は し る。こ れら を 縫 う交 通路として はま ず 北から ハソ ガ リー 盆 地に 向 かう も の に 西 ドイッ バ イエ ルソ から ダ ニュ ー ブ 川 沿 い に ハソ ガリー 盆 地に 入り 、 鉄門 を 経 て 黒 海に 達 す るもル ー ト、こ れら に 向 か っ て サク ソ ニア から ラ ベ( エ ルベ) ・ ブ ルタ ヴ ァ( モ ルダウ) 川 沿い に ボ ヘ ミア 盆 地を 経てダ ニュ ー ブ 川畔 の リ ソ ツ に 至るコ ー ス 、シレ ジ ア から オ ーデ ル 川、 川 沿い にシレ ジ ア の 門 を 経て モラ バ 川をく だりハソ ガリー 盆 地に 至るコ ー ス 、 ガ リ シ ア から ビ スワ川をさ か の ぼりド
ク ラ 峠 を 越え て オソ ダ ヴ ァ 川をくだ り ハ ソ ガリ ー 盆 地に 至るコ ー ス が あっ た 。ダ ニュ ーブ 川 に 沿っ て ブダ ペ ス トや ベ オグ ラ ー ドの 都 市が 発 達 し た 。ハソ ガリー 盆 地から南に 向 かっ て モラ バ 川 ・ ヴ ァ ルダ ー ル 川の 回 廊を 経 てエ ー ゲ 海( サ ロ ニ カ) に 至るコ ー ス 、 ニ ス 付 近でこ れ から 分 か れ て ニ サ バ 川 沿い に マ リ ッ ツ ガ リー 河 谷に 入 り 、ソ フ ィ ア を 経 て 黒 海( イ ス タ ソ ブ ー ル) に 至るコース が あ っ た 。 ハソ ガリー 盆 地から西に 向 かっ て サ バ 川 、 ドラ ヴ ァ川に 沿 い リ ュ ブリ ヤ ー
ナ を 経て ア ド リア 海( ト リ エ ス テ) に 至るコ ー スも あっ た 。こ れら の 交 通 路は 、 北 海、 バ ル ト 海 、 黒 海、 エ ー ゲ 海、 ア ド リ ア 海を 結び 、 歴史 時 代を 通 じて 號 珀 、 塩 、 香 辛 料、 染 料、 織 物 な
野 崎: 西 ヨ ーロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ーダ ーラ ソ ドー 東 ヨ ー ロ ッ パ の 民 族と 国 家 一 119
た が 、こう し た 山 地は 障 害 物で あ っ た だ け で は な い 。山 地によ っ て 隔 て られ るA地 域とB地 域 の 隣 接 地 域どう しでは 交 通 路に よ っ て 文 化の 交 流が 行わ れる 。 増田 四 郎 は 、 「西ヨ ーロッパと いう と こ ろ は 、ゲ ル マソ 系 、 ロ ー マ 系の 、 観 念 上 考えら れ た 言 語 の 両 極を 共 用 し つ つ 、 実際 に はちょ う ど 原 色を ま ぜあ わ せた い ろ い ろ の 中 間 色 と いう か 、 混合 色 のあ やを なし て いる舞台 だ と い う こ と に な る 」と 述べ 、 言 語 の 漸 移 性を とり あ げ て いる勿) 。 こ のこと は 、 東ヨー ロ ッ パ に つ い ても いえ る こ と で 、 たと え ば チ ェコ語と スロ バ キ ア 語は 西 から 東 に 、ま た 東から西に 移る にした が い 次 第に 変 化 して 、チ ェコ語プ ロ パ ー から スロ バ キ ア 語プロ パ ー の 二 言 語の 両 極に 本 拠を 置 い て いる23) 。イソ ド ヨ ーロ ッ パ 語 族の 中に 孤 立 する 異質 の マジ ャ ー ル 語など を 除 く なら
ば 西ヨ ーロ ッ パ 文化 圏と東 ス ラ ブ( ロ シ ア) 文 化 圏の 核 心を 両 極 として 言 語 の 漸 移 性が 認めら れる と いう 。
民 族 移 動は 、 そ の 過 程の 中 で 母 集 団 の 分 布を 決 定 し、 周 辺に は ちぎ れ 雲 のよう に 小 集団 を 拡 散さ せ 、さ ら に 後 世の 移動 を 加え て い くつ か の 民 族が 相 互に 入 り混 じ っ て 錯 雑 し、 複 雑な 民 族 分 布を 示し た 。 前 述 し た 山 脈にとり ま か れ た 盆 地な ど の ほ か 、ポ ーラ ソ ドのポ モ ージ ュ 地 方 や マ ズ ー ル 地 方の 湖 沼 群、ドイツ のメ ッ ケ レ ソ ブ ルグ 地 方の 湖 沼 群を 含 め て 、 そ れ ぞ れ 民 族の 居 住 空 間を 提 供 し た 。 東 ヨ ーロ ッ パ で はとくに 同じ民 族 の 中に お い ても さ ら に 細 分 化さ れた 文 化 の 小 領 域が 認めら れる。 音 楽で いう なら ばポ ーラ ソ ドの 民 族 音 楽とし て 知ら れる マズ ルカ は16 世 紀 こ ろ の ポ ーラ ソドの マ ズ ー ル 地 方の 舞 踊 から 起こ っ た も の である し 、ク ロ ア チア の コ ロ舞
曲 に は 地 方 ご と に そ れ ぞ れ 少 し ず つ 異なっ たロ ーカ ル 色 が 認めら れる と いう 。
東ヨ ー ロッ パ に お い て 、国 内 にも っ と も 多 くの 民 族を 含ん でい る の は ユ ーゴ ス ラ ビ ア で 、 人 口5000以 上の 民 族だ け でも20を数える。す な わち セ ルビ ア 人( 41. 9%) 、 ク ロ ア チア 人( 23. 1 %) 、 スロ ベ ニア 人( 8. 5%) 、 マ ケ ドニア 人( 5. 6%) 、 イ ス ラ ム( 5. 3%) 、 ア ル バ ニア 人
( 4. 9%) 、 モソ テ ネグ ロ 人( 2. 8%) 、 マジ ャ ー ル 人( 2. 7%) 、 トルコ 人( 0. 9%) 、 その 他 ジ プ シ ー 、 スロ バ キ ア 人 、ブ ラ フ 人 、 ブ ル ガリ ア 人 、 ドイツ 人 、 ル ー マ ニア 人 、ウ ク ラ イ ナ 人 、 チェコ人 、イ タリ ア 人 、 ロ シ ア 人 、ユダ ヤ 人で ある。ル ー マニ ア は 、同" じく17民族を 数え る 。 す な わち ル ー マ ニア 人( 86. 0%) 、 マジャ ー ル 人( セ ー ケ イ 人を 含む) ( 9. 2%) 、 ドイツ 人 ( 2. 2%) 、 ジ プ シ ー( 0. 6%) 、 ユダ ヤ 人( 0. 5%) 、 そ の 他 ウ ク ラ イ ナ 人、セ ルビ ア 人 、ロ シ ア 人 、ス ロ バ キ ア 人 、タ タ ー ル 人 、 トルコ人、ブ ル ガ リ ア 人 、チ ェコ人、 ギ リ シ ア 人 、ポ ー ラ ソド人 、ア ルメ ニ ア 人 、ク ロ ア チ ア 人で ある24) 。 ドイッ 人( ザ ク セソ 人) は10世 紀以 来 、 政 策 的 に 東方 へ 進 出 、 移 住 し たこ と に よ っ て 東ヨ ーロ ッ パ から 現 在 の ソ連 邦の 広大 な 地域に 居 住 する こ と に なっ た 。
複 数の 民族 が 混 住 して いる 地 域は 、 政 治 的 不 安 定 性を 生ずる 。 第 二 次 世 界 大戦 前、 ドイツ 人 と ポ ーラ ソド人 が 混 住して いた ポ ーラ ソド コ リドー ル 地 方や 今日 の ク ロ ア チ ア の スラ ボ ニア 、 ク ラ イ ナ 地方 、 ル ー マニ ア のト ラ ソ シ ル バ ニ ア 地 方など で ある 。 バル カソ は 「ヨ ーロッパの 火 薬 庫 」と い わ れ た の は 民 族 分 布が 複 雑な 上 、 大 国 の 利 害 、 論 理 が から むと こ ろ に そ の 根 源が あ っ た 。 第0次 世 界 大 戦 後 のヴ エ ル サ イ ユ 条 約( 1918年1月) 、 サ ソ ジ ェ ル マソ条 約( 1919年9月) 、
ト リ ア ノ ソ条 約( 1920年6月) 、 ヌ イ イ 条 約( 1919年11月) セ ー ブ ル 条 約( 1920年8月) に よ っ て 国 境 線が 確定 して 新しい ヨ ーロ ッ パ の 秩 序がう ち た てら れ た が 、 民 族 問 題は 根 本 的 に は 解 決 する こ と は な かっ た 。 第 二 次 世 界 大 戦中 から後に か け て のソ 連 邦に よ る 、 バ ル ト三 国 の 併 合を はじめと する 国 境線 の 変 更 は 少 数 民 族の自決 権を 無 視 し 、 時 代 逆 行とも い える社会 主 義 大 国 の 論 理を 一 方的 に おしつ ける こ と に な っ た 。 フ ィ ソ ラ ソドから はペ ツァ モ 港を 含 むカレ リ ア( 東
表2東 ヨ ーロ ッ パ 各国 の 民 族=構 成( 1000人)
全 人 口
( 1960年)
東 ドイ ツ 17125
ポーラソ ド 29965
チ ェ コス ロバ キ ア 1377. 6
ハンガ リー 10028
ルーマごア 1856?
ブ〉レガ リア ? 943
ユ ー ゴ ス ラ ビア
18607
アンLバゴア 1660
ド イ ツ 人 16975 50 165 200 400 60
ポ ー ラ ソ ド 人 29540 85 8
チ ェ コ 人 9050 12 30
ス ロ バ キ ア 人 20 3830 60 25 86
ソ ル ブ 人 120
マ ジ ヤ ー ル 人
、
425 9520 1700 505
ル ー マ ニ ア 人 15 15960 60
ブ ラ フ 人 80
ブ ル ガ リ ア 人 13 ・' . 1 62
マ ケ ド ニ ア 人 1040 10
セ ル ビ ア 人 20 43 : 11
ク ロ ア チ ア 人 25 5 4290
ス ロ ベ ニ ア 人 ● 5
1590
モソテネ グロ 人 515 5
ウ ク ラ イ ナ 人 150 70 65 40
白 ロ シ ア 人 100
ロ シ ア 人 20 5 40 12 13
ジ プ シ ー 30 100 60 115 210 90 10
ユ ダ ヤ 人 30 18 100 100 7 5
ト ル コ 人 15 670 165
タ タ ー ル 人 23 7
ギ リ シ ア 人 11 9 40
ア ル メ ニ ア 人 7 23
イ タ リ ア 人 25
ガ ガ ウ ス 人 10
カ ラ カ ッチ 人 3
ア ロ ー ム 人 10
ア ル バ ニ ア 人 915 1580
イスラム系セルボクロァチア人 980
主 要民 族率1930∼39年 ( %) 1960年
野 崎: 西 ヨ ーロ ッ パ 文 化 圏 の ボ ー ダ ーラ ソドー 東ヨ ーロ ッパ の 民 族と 国 家 一 121
ア か らは北 ブ コ ビ ナ、 ベ ッサ ラ ビア を北 か ら南 に 向 けて あ た か も ス ライ スするか の よ うに52万
㎡ を併 合し、 国境 線 を 西 に移した。
W
民
族 と国家
歴 史 を通じて生 成 、 分 裂 、 統 合 、 移 動 、消 滅 をく りか えしな が ら現 在 、 存 在 す る数 多くの民
族 が 形 成され た 。 民 族( Peopl e, Et hni c gr oup) の 概 念 は 歴 史 学 、 民族 学 、 政 治 学 、地 理 学
な どに よ って 、 そ の意 味 す る と こ ろが そ れ ぞ れ異 な って い て民 族とは 何 か の 問 い には 容 易 に答
え られ な い 。 と くに国 民( nat i on) の 概 念 と民 族 の概 念 が混 同 され る こ とや 言 語 を民 族 分 類 の
基 準 に す るな らば ど こま で を 方 言 、 ど こからを独 立 の言 語とみ な す か の 問題 が あ る。 こ こで は
民 族 を 言 語 、 宗 教 、 伝 承 、 歴 史 、 生 活 習 慣 な どの 文 化 を共 有し、 そ れ 自体 が血 縁 的 、地 縁 的 共
同体 で あ る とす る意 識 に よ っ て結 ば れ る集 合 単 位 を さす と考 え る。 ユ ダヤ人 や ユ ー ゴス ラ ビ ァ
の ム スリム な どの よ うに宗 教 が第. . a・的 で あ る民 族もあ る が、 大 部 分 は言 語 が 同一 で あ る集 団
を民 族 と して と らえ る こ とが 多 い。
民 族 と 国 家 の 関 係 を考 え る に あ た って 、 少 数 民 族( Et hni c mi nor i t y) を めぐって 二 つ の類
型 に分 け る こ とが で き る。 一 つ は 母 集 団 を な す民 族 が 主 権 国 家 をつく り、 周 辺 に散 在 するそ の
民 族 が 他 の国 家 に属 して い る場 合 、これ に は そ の 民族 が属して い る国 家 に不 満 を抱き、 反 発し
て い る場 合 と そ の民 族 が属して い る国 家 と協 調 で き る場 合 が あ る。 二 つ にそ の民 族 に母 集 団 が
なく、 そ の 民 族 が ど の 国 に あ って も少 数 民 族 で あ る場 合 で あ る。これ に は 少 数 民 族 な が ら母 集
団 と して 一 つ の 国 家 に属して い る場 合 と世 界 の ど こに も民 族 国家 を もた な い 場 合 が あ る。
ユー ゴス ラ ビア の セル ビア共 和 国 に含 まれ る コソ ボ 自治 州( 旧 称コソボ メトピア 〈1946∼71>)
ゐ) 欄) には
、 多くの アル バ ニ ア 人 が居 住し、 第七 の共 和 国( ス ロベ ニ ア、 ク ロアチ ア 、 ボス ニ ア ・
ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ、 セル ビ ア、 モ ソテ ネ グ ロ、 マ ケドニ ア6共 和 国) の 樹 立 を究 極 の 目標 と して
、
民 族 運 動 が展 開 され て い る。1912年 ま でトル コ領 で あ ったコ ソボ地 方 は、 そ の後 ユ ー ゴ ス ラ ビ
ア領 と な り、 セ ル ビ アの 属 州 、コ ソボ 自治 州 とな った が 、 セルビア人 や そ れ に もま して ア ル バ
ニ ア人 の こ の地 へ の移 住 は17∼18世 紀 以 来 続 い て い た 。 アル バ ニ ア人 は、 古 代 イリ リア 人 の 後
商 で 、 ロー マ 帝 国 に も頑 強 に 抵 抗した歴 史 が あ り、 きわ め て 誇り高く、 強 固 な民 族 意 識 に支 え
られ て い る。コ ソボ 自治 州 の 民 族 構 成 は 、 ア ル バ ニ ア 人77. 4%、 セ ルビア人13. 2%、 モ ソテ ネ
グ ロ人1. 7%、 イ ス ラ ム3. 7%、 トルコ人0. 8%、 ユ ー一ゴス ラ ビア人0. 2%、 そ の 他3. 0%と な っ
て い る( 1981年) 。 コ ソボ 自治 州19県のうち ア ル バ ニ ア 人 が も っ と も多 い の は メトビア盆 地 か
ら コ ソボ盆 地との 間 の 山地 、 マ ケドニ ア の ス コ ピエ東 北 に か け て で あ る。 モ ソテ ネ グ ロや マ ケ
ドニ ア に も アル バ ニ ア人 の 居 住 が 広 が って い る。 コ ソボ 自治 州 の ア ル バ ニ ア人 は 出 生 率 が 高く、
人口増 加 が 著しい 。コ ソボ 自治 州全 体 の 人 口は 、1948年498245( コ ソボ 自治 州 のうち68. 4%が
ア ル バ ニ ア人) 、1981年1584560( 77. 4%) と 増 加し、 ア ル バ ニ ア人 の比 率も高 ま っ て い る。
多 数 派 の ア ル バ ニ ア 人 と少 数 派 の セ ル ビ ア人 の 対 立 が続くな か 、1988年 、 セ ル ビア政 府 の 権 限
強 化 に反 発した ア ル バ ニ ア人 に よ る ストライ キ や デ モ が州 都 プ リシ ュチ ナ を 中心 に起こ った 。
迫 害 を 受 け た と して セ ル ビ ア人 を保 護 するた め 、 機 動 隊 が 導 入 され て事 態 が 緊迫 化した 。 ユ ー
ゴ ス ラ ビ アの 連 邦 制 は 、形 式 的 に は民 族 が主 権 を もつ 共 和 国 か ら成り立 ち、 す べ て の民 族 の 平
等 と各 民 族 の 自決 権 を認 め る もの で あ る。しか し民 族 と少 数 民 族 は 区 別 さ れ 、 コ ソボ 自治 州 の
ア ル バ ニ ア 人 は 民 族 と は認 め られ ず 、 少 数 民 族 の地 位 か ら脱 す る こ と がで き な い で い る。この
点 に ア ル バ ニ ア人 の不 満 が絶 え ず あ る。
ル ー マ ニ ア のトラ ソ シ ル バ ニ ア地 方 に は多くの マ ジ ャー ル 人 が居 住して い るゐ) ∼28) 。トラ ソシ
( Er del y) と 呼び 、 互い に自 民 族の 発 祥 地で ある と 主 張 し あ っ て いる 。1867年 以 来、 オー ス トラリ ア=ハ ソ ガリ ー 帝国 の ハソ ガ リー 行 政 区 の0部 と な っ てい た が 、 第 一 次 世 界 大 戦 後の19 20年 、 ト リ ア ノ ソ 条 約を 連 合国と の 間 に 締 結 する こ と によ っ て 、 ハソ ガリ ー は ト ラ ソ シ ル バ ニ ア 地 方 を ル ー マニ ア に 割 譲 し た 。 トラ ソ シ ル バニ ア 地 方に は 、マジ ャ ー ル 人の ほ か に 、 そ の0 派と みら れ てい る50万 の セ ー ケ イ 人 が いる が 、 言 語 、 文 化な ど は マジ ャ ー ル 人 と若 干 、 異なっ て いる 。 ル ー マニ ア は1968年 、 従 来の 行 政 区 画を39郡1特 別 市( ブ カレ スト) に 改め た 。 こ れ に よ っ て 従 来の マジャ ー ル自 治 区( ム レ シ ュ 地 方) は 廃 止さ れ 、 民 族を 越え て の 平 等 保 障、 見 方を かxれ ば マジ ャ ー ル 人の ル ー マ ニア 化 が 強 制さ れる こ と に な っ た 。し かし こ のこ と は 民 族 の 母 集 団 、 ハソ ガリ ー と の 関 係を 強 めよう と する 彼ら の 民 族 意 識を か え っ て 高 揚 さ せる こ と に なっ た 。 民 族 運 動 の 抑 圧に 不 満をも つ マジ ャ ー ル 人 の 中に は 国 外に 亡 命 す る者が 生 じ 、 ル ー マ ニア 、 ハソ ガ リー 両 国 間の 関 係が 悪化 した 。 以 上コ ソ ボ の 問 題にもト ラ ソ シ ル バ ニ ア の 問 題に も 共 通し て いる 点 は 、ア ル バ ニ ア 人や マジ ャ ー ル 人 は 、と も に ユ ーゴ スラ ビ ア や ル ー マ ニ ア で は 少 数民 族 で 、 母 集 団の 民 族国 家が 隣 接 して 存 在 して いる こ と である。 彼 ら は 、 母集 団 の 民 族 国 家 に 帰 属 する こ と を 究 極 的に は 希求 しな がら も 、 そ れ が 達 成 で き な い 状 況の 中 で 、 ある程度 の自 治 に 甘 ん ずる こ と を 余 儀なく さ せら れ て いる 。こ の 際 、 そ こで 認めら れる 自 治 の あ り方が 問 題と なる 。
チェ コ ス ロ バキ ア は1990年4月20日 、 正 式 な 国 名を 「チ ェコ と スロ バ キ ア 連 邦 共 和国 」と 決 め た 。 西 部 のボ ヘ ミ ア 地 方、 中 部 の モラ ビ ア 地 方 がチ ェコ人 、 東 部の スロ バ キ ア 地 方がス ロ バ キ ア 人 であ る 。チ ェコ スロ バ キア の 民 族 構 成25) ∼27) は、チ ェコ人64. 3%、 スロ バ キ ア 人30. 5%、 そ の 他 マジ ャ ー ル 人、ドイツ 人 、ポ ーラ ソ ド人 、 ウ ク ラ イ ナ 人 、 ロ シ ア 人など で ある 。94. 8% ま で が チェコ人と スロ バ キ ア 人 で 第 二 次 世 界 大 戦 後 、ここ に お い ても東 ヨ ーロッパ の 他 の 国と 同じ よう に 民 族の 同 質 性を 強め つ つ ある 。ス ロ バ キ ア は とく に マジ ャ ー ル 人 が 少 数 民 族 として 分 布し て い る 。か つ て オ ー ス ト リ ア=ハ ソ ガリー 帝 国 領ハソ ガリー 行 政 区に 属して い た た め で 、 南 部 に 広が っ てい る 。 も と も と ス ロ バキ ア 人 のプロ パ ー の 地 域は バソ ス カ ー ・ビ ス ト リ ツァ を 中 心と する 中 央スロ バ キ ア 州 で 、 現 在ブ ラ チ スラ バ に 置か れ て いる スロ バ キア の 首 都を 、こ の 地方 の マ ルティ ソ に 置 こ う と いう案が あっ たほ ど であ る 。チェ コ スロ バ キ ア の 行政 区 画 はチ ェ コ1市7州 、ス ロ バ キ ア1市3州 に 区 分さ れ 、ス ロ バ キ ア の1市 は 首 都 ブ ラ チス ラ バ 、3州 は 中 央ス ロ バ キ ア 州の ほ か 、 東西 のス ロ バキ ア 州 であ る 。スロ バ キ ア の 民 族 構成 は 時 代 によ っ て 比 率に 変 化 があ る 。か つ て は マジ ャ ー ル 人 の 比 率が 高く、オ ー スト リア=ハ ソ ガ リー 帝 国 時 代 に は30%で あ っ た が 、 そ の 後次 第 に 低 下し、 今 日では12%に なっ て いる 。こ れ は 住 民 の 交 換を 含 め た 流 入 、 流出 によ っ て 生 じた 部 分も あ る が 、 個 人 単 位の 民 族 転 換によ る も のも 含ま れる 。 複 数 の 民 族の 混 住 地 域に お い て 、 バ イリ ソ ガ ル の 場合 、 民 族の 転 換を は かる こ と は 可 能 で ある 。 始め マジャ ー ル 人で あっ た 人 がス ロ バ キ ア 人に なる と いっ たよ う なこ と であ る 。 時 代の 推 移に 合わ せ て 生 活の た め に 、 就 職のた めに 安 定 し た 有 利な 言 語の 選 択が 必 要に な っ て く る からであ る 。 言 語 即 民 族 と い う意 味 では 民 族は 適 応でき る保 護 色の 性 格をも っ て いる 。ス ロ バ キ ア の マ ジャ ー ル 人は 今日 、50万 と いわ れ る が 、 ト ラ ソ シ ル バ ニ ア の マジ ャ ー ル 人の よう な 不 満を も っ て い な い の は チェ コ ス ロ バキ ア 政 府の 対 少 数 民 族 政 策が 比 較的 穏 健な ため であ る 。
ドイ ツ 人 の 国 家 と み なさ れ てい る オ ー スト リア にも少数 民 族を かか え てい る 。 ク ロ ア チ ア 人 35000、 スロ ベ ニア 人24000、 マジ ャ ー ル 人11000、 チェコ人5000な ど であ る 。 ク ロ ア チア 人と マジ ャ ー ル 人 は 、 東部 のブ ルゲソ ラ ソド州 、 スロ ベ ニ ア 人 は 、 南 部の ケ ルソ テソ 州 に 分 布 し て い る 。
野 崎: 西 ヨ ー ロッパ 文 化 圏 の ボ ー ダ ーラ ソドー 東ヨ ー ロッパ の 民 族と 国 家 一 123
/ ・. . . . ・・) :
1 L i
\ ・・
、. 鰯 夢 ノイ , . _
ゴ / 16・
. ノ●? . ' . '
∫ オース トリア領
1) ハ ソガ リ 噸
. 一.
ノ) ノ!
量 ・ 置 」
p2Ukm
; ; ハ ソガリ識 域2オ ース トリ犠 域
一 ・ 一 ・ 一 ・ 一 現 在の 国境線
一 ・・ 一一・ ・0オ ー ス トリアeハ ソガ リー 帝国時 代 の行政 区境 界線
図4ソ プロ ソ 地 区 の 住 民 投 票( A. F. Bur ghar dt )
表3ソ プ ロ ソ 地 区 の 住 民 投 票
地 区 量口 韮口口
票 数
C%)
オー ス ト リ ア ハ ソガ リー
1 Agf al va ド イ ツ 語 848 83 17
2 Bal f ド イ ツ語 595 60 40
3 Fer t oboz ド イ ツ語 342 22 ? 8
4 Fer t or akos ド イ ツ語 1370 61 39
5 Har ka ド イ ツ語 581 90 10
6 Kophaz a クロアチア語 813 31 69
7 Nagyc z enk マジヤール語 1039 0 100
8 Sopr onbanf al va ド イ ツ語 1177 81 19
計 55
( 360? )
45 ( 300? )
9 Sopr on 17388
27 ( 4620)
73 ( 12327)
合 計( 結 果) 240s 3
35
( 8227)
65 ( 15334}
24063- ( 8227+15334) ・=※ 502( 票 数) は 棄 権 地 区 の 番 号 は 図4の 番 号に 対 応