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医療の内容に対するコントロール

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Academic year: 2021

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早稲田大学審査学位論文(博士)概要書

医療の内容に対するコントロール

──医師の診療上の注意義務違反を中心に──

早稲田大学大学院法学研究科

小谷昌子

(2)

博士論文概要書

論文題目「医療の内容に対するコントロール──医師の診療上の注意義務違反を中心に」

申請者氏名 小谷昌子

目次 序

一 わが国における医師の専門的判断と法的注意義務 第1章 医師の実施義務

(1) 医師の注意義務と慣行

(2) するかどうかの注意義務と医療水準 (3) 「医療水準」と「医療慣行」

第2章 医療水準の現在と医師の実施義務 (1) 医療水準が辿ってきた変遷

(2) 訴訟上の機能における相違点 (3) 医療水準の問題点

(4) 慣行/医療慣行とはなにか

二 アメリカにおける医師の診療上のネグリジェンス

第1章 プロフェッショナル・ネグリジェンスと慣行 (custom) (1) 伝統的な考え方

(2) 医プロフェッションと慣行 第2章 医師の行為の合理性

(1) 慣行ベースのネグリジェンスからの脱却 (2) 行為の合理性判断

(3) アメリカにおける医師の注意水準と医プロフェッション 第3章 アメリカにおける診療ガイドラインと医療過誤訴訟 (1) アメリカにおけるCPGs政策

(2) CPGsと医療事故訴訟

(3) 小括:訴訟との関連でみるCPGsの役割

三 医療の内容に対するコントロールと医師の注意義務 第1章 医師の実施義務と「医学的知見」

(1) 最高裁平成13年判決 (2) 最高裁平成15年判決 (3) 最高裁平成18年判決

(3)

(4) 薬剤使用上の過失に関する判断 (5) 医療水準裁判例との比較

第2章 医師の実施義務と診療ガイドライン (1) 我が国における診療ガイドライン

(2) 裁判例における診療ガイドラインの位置づけ (3) 診療ガイドラインと合理性

第3章 医師の実施義務と医療の内容に対するコントロール (1) 医師の裁量との関係

(2) 医療の内容に対するコントロール (3) 問題点

1 本論文の目的と構成 (1) 本論文の目的

本論文は、医療事故訴訟における過失判断に関する検討を通して、医療の内容に関して いかなるコントロールが及ぶのかという問題について明らかにすることを試みるものであ る。

医療が人の身体、健康、生命に関わるものである以上、これに対しては様々な統制が働 き、その質や安全が担保されている。法的にも、医療の供給、医療に関わる物(医薬品や 医療機器など)、医療の内容など、いくつかの対象ごとに異なった法的コントロールがなさ れている。このうち最も法的コントロールに馴染むことされるのが「医療の供給に関する コントロール」であり、医療提供施設や医療従事者の資格や免許などは、たとえば医療法、

医師法などの法律により規律がなされる。

これに対し、医療の内容、すなわち、個々の患者にいかなる診察治療をなすのかに対し ては、事前的画一的な法的規制が行われないのが原則であるとされる 。この一要因として、

医療行為が医師の自主性や自由裁量性をその中核とし、法律などによる事前の画一的規制 に馴染まないことが挙げられる。医師は古典的知的三大プロフェッションのひとつに数え られ、診療に際しては個々の医師が高度な知識と技倆に裏打ちされた裁量を有すると考え られている。このため、医療の内容に対する法的コントロールは謙抑的になされ、医療の 内容に対して直接的になされるコントロールは大部分が非法的なもの(例えば、本論文に おいて取扱う診療ガイドラインも、医プロフェッションによる医療の内容に対するコント ロールに関わるものであるし、医プロフェッション団体独自の倫理規定による個々の医師

(4)

の統制なども、医療の内容に対する間接的なコントロールといえよう)に委ねられること となる。

ただし、例外的に医療に対して法的コントロールが及ぶ局面がある。それが、医療事故 により損害を蒙った患者が医療機関等に損害賠償を請求する医療事故訴訟においてなされ る、医師をはじめとする医療従事者の過失判断である。つまり、ここでは当該医師のなし た医療の内容について法的観点から事後的かつ個別具体的に評価がなされ、その結果によ っては行為者に一定の法的サンクションが課されうる。このとき、法は高度に専門的で、

個々の医師に裁量が認められうる医療の内容に、いわば介入することとなる。

なかでも医師の裁量との関わりが最も深いと思われるのが、個々の患者に対し特定の処 置を実施するか否かの判断である。本論文は、診療行為の法的実施義務の存否が問われた 裁判例に着目し、実施義務がどのような基準に則り肯定されてきたのかを検討する。これ により、医療の内容に対しどのように法的コントロールが及び、また、これと医師の裁量 や非法的コントロールとがいかなる関係にあり、またあるべきかを明らかにすることが本 論文の目的である。

(2) 本論文の構成

本論文は「一 わが国における医師の専門的判断と法的注意義務」「二 アメリカにおけ る医師の診療上のネグリジェンス」「三 医療の内容とコントロール」の三部により構成さ れている。

まず、第一部において、我が国における平成 8 年までの医療事故訴訟裁判例における医 師の注意義務基準に関する理論展開を検討し、その到達点とそこにあらわれた問題を指摘 する。この問題を考察するため、第二部においては、アメリカにおけるメディカル・ネグ リジェンスに関する裁判例から、医師に要求される注意の性質や医療の内容に対する法的 コントロールと非法的コントロールの内容につき示唆を得ることを試みる。これを踏まえ て、第三部において、平成 8 年以降我が国の医療過誤訴訟においてみられる、過失判断に おける非法的コントロールとの連関につき明らかにし、医療の内容に対する法的コントロ ールと非法的コントロールの在り方への提言を試みる。

2 各部の概要と主張

一 わが国における医師の専門的判断と法的注意義務

1 章においては、医療上の処置の法的実施義務についてこれまで判例および学説にお いてどのような理論が展開されてきたのか、その伝統的な見解を紹介するとともに、裁判 所による注意義務基準に関する判例理論の展開を確認した。

(5)

(1) 我が国において過失は抽象的過失であると解されており、医師の実施義務が問題となる 場合にも、特段の事情がない限り合理的医師が同様の状況下でなす行為には実施義務が肯 定されうる。そこで、訴訟での過失判断の際には、合理的医師が当該状況でいかなる処置 や注意をなすべきかが問題となる。この点につきいち早く判断を示したのが最高裁判所第 一小法廷昭和36年2月16日判決(民集

15

2

244

頁)である。最高裁は、輸血の際の血 液提供者に対する問診の実施義務が問題となった事案において注意義務の存否は法的判断 により決され、医師の間でなされていた慣行が行われていたことをもって注意義務は否定 されないことを示した。

(2) それでは、注意義務の基準は慣行によらず、どのように明らかになるのであろうか。こ の点については、未熟児網膜症に関する最高裁第二小法廷平成7年6月9日判決(民集

49

6

1499

頁)が、新規治療法の実施義務に関する判断において「医師の注意義務の基準 となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」

と一応の基準を示している。医療水準は、新規治療法等の実施義務の存否が問題となった一 連の未熟児網膜症裁判例および学説(とりわけ、議論の出発点となったのは松倉豊治「未熟児 網膜症による失明事例──いわゆる『現代医学の水準』──」同『医学と法律の間』

128

頁(判 例タイムズ社、1977年)※初出は判例タイムズ

311

号〔1974年〕)の蓄積により生成された概 念である。

(3) そしてこれを受けて最高裁は、最高裁判所第三小法廷平成8年1月23日判決(民集

50

1

1

頁)において、再び「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであ るから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師 が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くし たと直ちにいうことはできない」と判示し、これにより医師の注意義務基準に関する理論 は到達点に達したと考えられる。

2 章においては、第1 章で確認した医療水準をめぐる議論および裁判例の展開をさら に分析し、残された課題を指摘した。

(1) まず、そもそも学説において医学界での医療の実施目標として提唱された医療水準(医 学規範説)、下級審裁判例において用いられていた医療水準(普及説)、および、最高裁平 成7年6月9日判決が判示した医療水準(法規範説)の相違を確認する。

(2) 次いで、訴訟において普及説と法規範説がそれぞれ理解する医療水準がいかに機能して いたかを分析する。その結果、(ⅰ) 下級審裁判例における医療水準(普及説)による過失 判断は、実質的には医師間の慣行に依拠した判断と変わるところがなかったことを確認し た。また、(ⅱ) 最高裁の判示する医療水準(法規範説)は、当該医師が所属する医療機関 の性質などを加味したうえで相対的に決されるべきものとして理解されるようになる。こ

(6)

うして医療水準は、過失存否の判断材料ではなく、当該医療機関、医師に要求される法的 な規範となっていった。このことは、兼ねてから指摘されてきたところである(新美育文・

ジュリスト

1091

号平成

7

年度重判解

65

頁〔

1996

年〕など)。

(3) 以上に指摘できる問題点は、最高裁平成7年6月9日判決が判示した医療水準は法的規 範、基準そのものであるが、いかなることを考慮要素としてこれを画定すればいいのかが 完全には明らかでないことである。最高裁の判示する新規治療法の有効性と安全性の是認、

当該医療機関において知見を有することを期待することが相当と認められるかどうかをい かにして明らかとするのかは明確ではない。

(4) さらに、医師の注意義務基準と、医師の慣行との関係を見直すと問題はさらに明確にな る。本来医師の慣行とは、悪しき慣行であるか良い慣行であるかとの評価は経ずに、単に 臨床現場で一般的になされていた医療を指すものと考えられる。そうであるがゆえに、医 師の注意義務を明らかにする際の判断材料のひとつとされてきたとされる。最高裁判所第 三小法廷昭和60年4月9日判決(裁集民

144

433

頁)は、臨床医の間で一般的になされ ていたことを根拠として医師に問診義務を認めるが、この慣行は薬剤の添付文書の指示よ りも厳格な患者の取扱いを行う慣行であった。とすると、医師の間で一般的になされてい る行為は本来、悪しき慣行なのか、それともよい診療なのかの区別を要する場面がありう ると考えられる。この事件を最高裁平成8年1月23日判決と単純に比較することは難しい が、このような評価が必要な場合に医療水準の判断枠組みは有用でなく、医師の診療上の 注意義務にはいまだ不明な部分があると言わざるを得ないとの問題点を指摘した。

二 アメリカにおける医師の診療上のネグリジェンス

第一部で提示した問題を明らかにするために、第二部においては、アメリカ合衆国にお けるメディカル・ネグリジェンスに関する裁判例を中心に、医師の注意水準がいかにして 明らかにされているのかを考察した。アメリカにおいては合理人基準を採用しつつ医師の ネグリジェンスの判断において慣行が重要な意義を有すると指摘されるため、我が国にお ける医師の注意義務を考える際にも示唆を得ることができると考えた。

1 章においては、アメリカにおけるメディカル・ネグリジェンスの伝統的かつ原則的 な考え方について確認した。

(1) アメリカにおいても、具体的な診療の過程において医師の行為がネグリジェンスと評価 できるか否かが問題となることがしばしばある。このとき、ネグリジェンスの有無は合理 人を基準として決されることになるが、ここでいう「合理人」とは抽象的かつ規範的概念 であり、当該事案への適用のために具体化することが必要となる。メディカル・ネグリジ ェンスにおける合理人基準の具体化において、ほとんど終局的に基礎となるのが慣行的プ

(7)

ラクティス (customary practice) である。すなわち、慣行的に実践されている医療に依拠し て、当該事案における医師の実施義務を明らかにするのである。

(2) 医師の慣行的プラクティスに依拠してネグリジェンスの有無が判断されることにより、

医師は例外的に「医師たちには自らの注意義務基準を設定することが許されている」とも 指摘される。なぜこのような判断がなされているのかについては必ずしも明確な説明がな されていないものの、プロフェッションたる医師の高度な専門性および職業倫理をひとつ の背景として理解することが可能であると考える。

2 章においては、アメリカにおけるメディカル・ネグリジェンスにみられる変化につ いて紹介した。

(1) まず、未だ伝統的な慣行的プラクティスに依拠した判断がなされている州が多数である ものの、一部の州においては、慣行的プラクティスによるネグリジェンスの存否判断を行 わないことが言明されていることを確認した。ワシントン州の Helling v. Carey, 83 Wash. 2d

514 (1974) は、第一に、当時の慣行的プラクティスではなされていなかった検査の実施義務

を認めたという点で、第二に、本判決が、専門家証人による証言なく、裁判所独自の判断 により医師のネグリジェンスを認めた点で、例外的な事例判決と評されることもある。し かし、同判決と同時期に、いくつかの州においてもネグリジェンスの有無は慣行ではなく

合理性 (reasonableness) により決するべきことが明言される例が散見され、現在ではおよそ

半数の州で慣行的プラクティスに基づくのではなく、客観的な「合理的注意」基準に従い ネグリジェンスが判断されるようになっているとの指摘もあり、ネグリジェンスの判断に おける合理性重視の傾向がみられる。また、非常に例外的ではあるが、ニューヨーク州に おける最善の判断 (best judgment) 準則からも、医師に求められる法的注意とは一般的な注 意ではなく合理的な注意であることが窺える。このような傾向の理由として、ウィスコン シン州最高裁による、慣行に依拠した医師のネグリジェンスの判断には医師の研鑽義務の 懈怠を覆い隠す性質があるとの指摘(Nowatske v. Osterloh, 543 N.W.2d 265 (1996) )は重要で あると考えた。

(2) もっとも、医師の診療行為は高度な専門性を特徴とし、いかにその合理性を評価するか は困難な問題である。裁判例からは合理性と一般性の明確な区別が困難であることも窺え る。そこで、本論文においては、メディカル・ネグリジェンスに関する例外的準則により 判断がなされたケースを参照し、医師に要求される行為の合理性についてより深く掘り下 げることを試みた。

① 一般的な知識により判断が可能なケース:医師が慣行に従い医療を行っていた場合に も、一般的知識 (common knowledge) によりネグリジェンスを認められることがある。Ault

v. Hall, 164 N.E. 518 (1928) は、外科手術の際に、医師は、異物が体内に残っていないかどう

(8)

か確認するために、スポンジナースと呼ばれる看護師に手術終了前にスポンジの数の確認 を任せる慣行を遵守するだけでは不十分であり、縫合前に異物が残っていないか否かを自 ら確認する義務があることを認めた。

② 尊重すべき少数学派の準則 (respectable minority rule):コンセンサスに達した医療は存 在しないものの複数の尊重すべき学派により異なった慣行が支持されており、相当と評価 しうるプラクティスが複数存在する場合に、そのいずれかを選択する場合にはネグリジェ ンスを構成しないとする準則であり、医師の診療行為に求められる合理性は必ずしも一般 的であるか否か、多数派が支持するプラクティスであるか否かによっては判断され得ない ことを逆説的に示す。

③ 偽りのない判断における誤りの準則 (error in judgment rule):医師が診療上いくつかの 選択肢からの選択を迫られたときに、あとから振り返ってみれば好ましくない判断、すな わち判断ミスをなしたと評価できるとしても、しかしその判断をなした時点においては合 理的な判断をしていたと考えられるのであれば当該医師を保護する準則である。ペンシル ベニア州においては本準則に関する判例が古くから蓄積されているが、自宅で転倒し病院 を受診した患者のX線撮影を行うか否かが問題となった2判例の比較がとりわけ重要であ ると考える。Duckworth v. Bennett, 320 Pa. 47 (1935) は、被告医師が17歳の患者に対してX 腺検査を行わなかったことについて、本準則を適用して被告医師のネグリジェンスを否定 した。他方、Smith v. Yohe, 412 Pa. 94 (1963) は、転倒後に受診した患者が事故当時 70 歳で あったこと、転倒後の痛みが広範囲に及んでいたことに鑑み、X 線撮影の不実施を適切な結 論や判断に到達するために不可欠な事実のデータの収集を行わなかった過失として捉え、

本準則を適用しなかった。Smith v. Yohe事件判決からは、医師の判断ミスには法的責任を課 さないことは認められるとしても、医師が専門的判断のために必要なデータや情報の収集 を行わないことは法的に避難されうることを示しており、医師の専門的判断の合理性は厳 格に評価されることを示している。

(3) ここまでの裁判例の流れをみると、アメリカにおける医師のネグリジェンスの判断は伝 統的には医師の慣行的プラクティスに依拠してなされるのが伝統的な判断方法であった。

これは、医プロフェッションにとっては自らに課される法的責任の基準を自ら設定するこ とができることを意味したが、次第に医師のネグリジェンスは慣行に依拠するのではなく、

合理的であったか否かにより判断されるようになっており、さらに、ネグリジェンスの存 否判断の基準設定における医プロフェッションの影響力は減じられる方向で変容を遂げて いることがわかる。しかしながら、医師の行為の合理性をいかに判断するかについては、

必ずしも明らかになっているとはいえない。

3 章においては、このような分析を受けて、アメリカにおける医師のネグリジェンス

(9)

判断と診療ガイドライン (CPGs : Clinical Practice Guidelines) との関係を検討した。

(1) まず、アメリカにおける診療ガイドラインに関する政策について簡単に確認した。とい うのも、アメリカにおいて CPGs は治療法の選択や適用において統一性を担保するという 観点、経済的観点などから策定されるが、なかでも重要な目的として、医療過誤責任から 医師を守ることが意図されてきたからである。つまり、CPGs のガイドラインに従い医療を 行う医師については医療過誤責任を免責するというのである。実際、1990 年代初頭には、

メイン州などいくつかの州では、このような目的を全面的に押し出した立法がなされた。

このような取組みはいずれもすでに廃止されているが、アメリカにおいて CPGs が医療過 誤責任から医師を守るとの考え方自体は根強く残っていることが窺える。

(2) 次に、実際にCPGs が証拠として提出された裁判例を挙げ、ネグリジェンスの判断との 関係について明らかにすることを試みた。アメリカにおいて CPGs がはじめて策定された 当初の思惑とは異なり、原告側から医師にネグリジェンスがあることを証明するために提 出されることもある。したがって、原告側から提出されたケースと被告側から提出された ケースを分けて挙げた。

(3) 訴訟との関連におけるCPGsの役割については、以下のことがいえると考える。第一に、

CPGs は、地域性準則 (locality rule) がほぼ廃止された現在にあっては、医療を全米で統一

することに寄与し、結果的に医師のネグリジェンスの基準も統一する機能も担いうること。

第二に、第 2 章においてみたように、医師の注意義務の水準における合理性が重視される 現在においては、証拠として CPGs を提出することがとりわけ重要な意義を有すると指摘 されることである。純粋に慣行的プラクティスに依拠して医師のネグリジェンスの存否を 判断する場合には、CPGsは一般的な行為を明らかにするという、専門家証言と同程度の役 割しか担わないと考えられる。しかし、合理性が医師の注意水準において重視される場合、

EBMに基づき医療の水準を示すことを意図して策定されたCPGsであれば、当該状況にお ける合理的かつ慎重な医師の行為を明らかにすることに資すると考えられる。

三 医療の内容に対するコントロール

第一部で提示した問題点を明らかにするために、第二部においてはアメリカにおける議 論や裁判例の展開をみてきた。ここから得られた合理性と一般性という視角から、第三部 では、我が国における近時の医師の実施義務に関する判断における傾向について詳しくみ たうえで(第1章、第2章)、最後に医療の内容に対するコントロールについて考察した(第 3章)。

1 章においては、平成8 年以降に医師の過失が問題とされた最高裁をとりあげた。最 高裁判所第二小法廷平成13年6月8日判決(判例時報

1765

44

頁)、最高裁判所第二小法

(10)

廷平成15年11月14日判決(判例時報

1847

30

頁)、最高裁判所第三小法廷平成18年4 月18日(判例時報

1933

80

頁)は、いずれも医学的知見としてある特定の処置の実施を推 奨する内容の知見に基づき、当該処置の実施義務を認める。他方、最高裁判所第二小法廷 判決平成14年11月8日判決(判例時報

1809

30

頁)および、最高裁判所第三小法廷平成 16年9月7日判決(判例時報

1880

64

頁)は、いずれも医薬品の使用に関する医師の対応 が問題となった事案である。医薬品の添付文書に関して判示した前掲最高裁平成 8 年判決 の影響もあり、注意義務の確定においては、当該医薬品の添付文書の記載、とりわけ、添 付文書に記載された使用上の注意が重視されている。このように、以上の 5 判決において は、医師の診療上目安となりうる内容を含む「医学的知見」が過失判断の基礎となってい ることを確認した。さらに、これらの 5 判決には、医師の診療行為の実施義務の判断にお いて、一般的な医師がどのような診療を行っているかではなくどのような診療を行うべき とされていたかを基準とする傾向があることもあわせて指摘した。

2 章においては、診療ガイドラインを参照して医師の過失判断がなされた下級審裁判 例をとりあげ、第 1 章にて確認した傾向が下級審においてより明確となっていることを確 認する。診療ガイドラインは近年、下級審裁判例において医師の過失判断の基礎となって いるが、裁判例をみると、診療ガイドラインへの依拠の程度は事案によってまちまちであ ることがわかる。しかしながら、我が国における診療ガイドラインは、診療に際して医師 の行動指針となることや医師が参照することによりその診療を一定程度方向付けることを 意図して、医プロフェッションにより一定の手続に従い作成されることが多い。以上を前 提として考えると、医師の実施義務と診療ガイドラインの関係につき以下のことを指摘で きると考えた。診療ガイドラインはまさに医療界において医師たちが定めた実施目標なの であり、そこで推奨される医療には合理性があるといえる。したがって、前掲最高裁平成7 年6 月 9日判決の示した枠組みにあてはめると、特定の知見の有効性・安全性が是認され たうえで一定程度普及していること、さらに当該医師がその知見を有することも期待する ことの相当性も、医療慣行に頼らずに明らかにすることができる。その結果、診療ガイド ラインは知見やエビデンスの集積体であるという性質を有しつつも、場合によってはそれ にとどまらず、その他の証拠資料よりも相対的に重要な資料ともなりうるのである。

3 章においては、ここまでの考察を踏まえ、医療の内容に対して医プロフェッション が診療ガイドラインを通じてなす非法的なコントロールと法的コントロールの関係につい て考察した。

(1) まず、前提として、医プロフェッションとその構成員としての医師、これと医療の内容 の関係につき確認した。医プロフェッションとしての医師は、医療の内容、すなわち個々 の患者にどのような診療をなすかにつき裁量を有するとされる。いかなる事項が裁量の範

(11)

囲内にあるのかは必ずしも明らかでなく、主に医療事故訴訟で個々の医師の診療が事後的 かつ個別具体的に検証される過程において、問題となる診療行為が医師の裁量に属する行 為なのかが検討されてきた。

もっとも、この裁量は医師の自由という側面だけではなく、何らかの義務、責務を伴う ことには注意しなければならない。また、医師の裁量は場合によっては制限を受けうるし、

その範囲も一定ではなく可変的である。たとえば診療ガイドラインによる推奨も、医師を 拘束するものではないとされつつも、医療事故訴訟を通じて結果的に個々の医師が有する 裁量に影響することは否めない。

(2) 一般的にプロフェッションは、個々の構成員がなす業務等に対し自律的組織的コントロ ールを行う責任を負うとされる。このような組織的自己統制は、その職、ひいては個々の 構成員が社会的信頼を獲得することにつながり、外部からの圧力を排除し職業独占の承認 を裏付けることになる。これを前提とすると、個々の医師にとって診療の目安となりうる、

医師のグループによりEBMに基づき策定された診療ガイドラインは、経時的に形成される 慣行とは根本的に異なる。つまり、診療ガイドラインにより、医プロフェッションは組織 的かつ意図的に医療の内容をコントロールしうると理解することができるのである。

確かに、診療ガイドラインにより医師の裁量が制限されることを個々の医師からみれば、

裁量判断の余地が減る場合がある。しかし、その裁量はそもそも医師職による組織的な自 律的統制に裏付けられてこそ成り立つのであるから、原則、診療ガイドラインの範疇で診 療を行うことが求められると解するべきであろう。この文脈では、医療事故訴訟における 過失判断は、個々の医師が医プロフェッションのコントロールを不当に逸脱していなかっ たかを検証する役割を担うことになる。このように、医療の内容に対する医プロフェッシ ョンによる自律的コントロールと法的コントロールが全く交わらずになされるのではなく、

主位的に医プロフェッションによるコントロールがなされ法的コントロールが補充的にな されることは、医療の内容に対するコントロールにおける適切な均衡の可能性を示すと考 える。

(3) 診療ガイドラインに基づいて過失判断をなすことに関する問題点を確認した。我が国に

おいてはEBM (Evidence-Based Medicine) の考え方に則った診療ガイドラインの歴史は浅い。

現状、個々の診療ガイドラインの内容面での妥当性の問題、診療ガイドラインの策定上の 問題(たとえば作成委員の利益相反の問題など)などが指摘される。さらに、このことを踏 まえたうえで、非医療者が診療ガイドラインの妥当性を判断できるのか、という問題も存 する。これに対し、本論文は、医学的知見や診療ガイドラインにより推奨される特定の医 療行為につき、そのまま法的実施義務が認められることは適切ではないとの立場に立ちつ つ、しかしながら、医療事故訴訟において診療ガイドラインに依拠して当該医師の法的実

(12)

施義務を認め、実施義務が認められた診療行為がなされたかにより過失の有無が決される べきであるとの管見を述べた。つまり、裁判所のなす過失判断は、診療ガイドラインによ りなされる医プロフェッションの医療の内容に対するコントロールを尊重しつつ、このコ ントロールが手続的に適切になされ、個々の医師がこのコントロールから不当に逸脱して いないかを審査する役割を担うこととなる。以上のことから、診療ガイドラインに依拠し てなされる過失判断は、このような医療の内容に対するコントロールにおける「医」と「法」

の関係を示唆するものであるというのが、本論文の結論である。

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