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カンタベリに着いてはみたが : 巡礼衆のその後

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(1)

カンタベリに着いてはみたが : 巡礼衆のその後

著者 斎藤 勇

雑誌名 主流

号 68‑69

ページ 1‑22

発行年 2007‑11‑15

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015206

(2)

カンタベリに着いてはみたが

一 一 巡 礼 衆 の そ の 後 一 一

粛 藤 勇

15世紀の中頃に作成されたあるmanuscriptに, N orthumberland MS  455というのがあって,それに TheTale ofBeryn"という作品が入っている.

冒頭に Prolo eがついていて,その中であのChaucerのカンタベリ巡礼衆 のカンタベリ到着後の行動と翌朝のLondonへの帰途出発の件が詠われて いる.これが Merchantの話す帰路の第一話という趣向になっていて,

1721年のJohnUrryのチョサー全集(没後出版)にはこの 'TheTale of  Beryn"とその Prologueが採録されているが/Chaucerの作品ではない.

(因みにこれを収録しているのはUrryの全集だけである). 

わたしたちには後日談を知りたいという願望があり,あの人はその後どう したのだろうと知りたがり詮索したがる.ChaucerのTheCαnterbury  Tαles  (以下CTと略)のGeneralPrologue (以下GPと略)に映橡された 人々は,カンタベリに到着後どうしたろうか,そういう好奇心を 15世紀の 逸名の詩人の手をかりで満足させてみたい.

ChaucerのCTのGPに登場する,いい意味においても悪い意味におい てもしたたかなあの巡礼衆なら,目的地に着いてからの行動は興味あるとこ ろである.Chaucer自身はそれを残してくれていないので,想像をたくま しくする以外はない.こういった興味をある程度満足させてくれるのが上に 紹介した"TheTale of Beryn"のPrologueである.

そのPrologueの詠い出しを見てみよう.

(3)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 When all this fresshfeleship were com to Caunterbury,  As ye have herd tofore, with tales glad and mery,  Som of sotill centenceofvertu and oflore,  And som of other myrthes for hem that hold no store  Ofwisdom, ne ofholynes, ne of chivalry, 

Nether ofvertuouse matere, but to foly  Leyd wit and lustes all, to such japes 

As Hurlewaynesmeyne in every hegg that capes Thurh unstabill mynde, ryght as the leves grene  Stonden ageyn the weder, ryght so by hem 1 mene. 

Butt no more hereof nowe at this ilch tne, In saving of my centence, my prolog and my ryme. 

They toke hir in and logged hem at mydmorowe, 1 trowe,  Atte Cheker ofthe Hope6, that many a man doth knowe. 

Hir Hoost of Southwork that with hem wentasye have herd tofore,  (1‑15) 

1ive1y  10ymeaning the name of a rura1 hobgoblin  company gapes 

the name of an inn 

カンタベリに一行が到着したというのであるから,何がしかChaucerの

CTと関係のありそうな言いまわしである.趣旨は,あのChaucerのカン タベリ巡礼衆が,教訓や道徳の話,おもしろおかしい話を余興にしつつ,

やっとカンタベリに到着した,というのだ.ChaucerのCTが意識されて いるということはHostのことを「すでにおききになったように一同と行を ともにしたサザークのHostJと言っていることからも察せられる.

このPrologueの終りの方でHostが

(4)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 3  Let se nowe, as covenaunt is, in shorting ofthe way, 

Who shall be the first that shall unlace his male In confort ofus all, and gyn som mery tale? (700702)

bag 

と切り出し,往路のように畿を引いて話をする順番を決めるのがよいのだが,

まだ寝呆けまなこの人がいるだろう,と思案しているところへMerchantが 進み出てきて,拙たないながら自分が引き受けると申し出る.

r

出来るだけ 中味を端折りませぬぞ,むしろ卵の黄味をお見せして,自味を捨てましょう わい

J

(Lepgover no centence, as ferforth 1 may, / But tell yewe the yolke  and put the white away.) (731‑732)と前置きして, Berynの話を始めるの である.E.E.T.S版の編者F.J.Furnivallが awfullylong‑winded"と言う ように,ずいぶん長いロマンスである.もともとオリエント種で,フランス を経由してきたフオ}クテールである.若い放蕩の王子Berynが財産を蕩 尽し最後は自分を欺いた者を欺き返し,もっと大きい財産を得る話である.

しかし我々の興味はこの話にあるのではない.これに付されたPrologueで の,カンタベリに辿りついた ChaucerのGPにおける巡礼衆のカンタベリ での一日の行動に焦点があてられる.

ファブリオ仕立てになっているえたとえば一行のひとり Pardonerが宿 の給仕女Kitとの情事を楽しもうと忍んで行ったが,彼女の恋人と安宿の主 人に妨げられ,大荒れの喧嘩沙汰があって,相方とも傷つくが,このKitだ けが無傷であった.

r

すべての原因となった女はなんの難儀にも遭わなかっ た

J c . . .  

she that cause was of al had therof no sorowe.)  (580)とあると

ころなどはまさにファブリオ仕立だ¥CTの 目1eMiller's Tale"の大工の女 房を思い出させる.Chaucerの30人の一行のうち Pardonerがずいぶんと 活 躍 す る . こ の 人 物 の ア ヴ ア ン チ ュ ー ル と 失 敗 の コ メ デ イ , そ の character ,na turalisticなアクションが面白い.措辞やプロソディは

(5)

カンタベリに着いてはみたが 巡礼衆のその後←ー

Chaucerに及びもつかないが, characterizationがかなり出来栄えがよく,

同時代のChaucer亜流詩人よりすぐれている.そしてそれなりに楽しい.

1 Pardonerの冒険

Hostは手近なところで一同の食事の調達をする.Pardonerはなんとな く自分が無視されていると僻んで,ぷいと杖をひいて一軒の宿屋の酒場に行 く.

r

いらっしゃい」というところから彼の災難が始まる.

Pardonerは宿の酒場の給仕女Kitに目をつけ,言い寄り,約束をとりつ けて再訪するが,まだ早いと追い返され,夜遅く忍んで来て, Kitにつれな くされ,彼女の情夫と宿の主人と大l喧嘩.ぶち,ぶたれ,丈に噛まれ,とい う修羅を経験する.Pardonerの二度,三度の酒場でのアヴアンチュールの 聞に,全くそれに関知しない同行の巡礼衆のそれぞれの行動が挿入される,

という対比を意識した筋立てになっていて,巡礼衆とは意識下で疎外されて いる Pardonerが浮彫りになってる。

この逸名の詩人はCTの GPや各物語をよく読みこんでおり,また読者も そうだ,ということを面白さを引き出す好都合な条件としている.つまり Chaucerの読者の意識を色濃く投影させているのだ.

まずKitとPardonerの虚々実々のやりとりから始まる.彼はまるで昔か らの馴染であるかのようにKitに対し,腰を引き寄せる.彼女はおそらくそ の服装からこの男を聖職筋の人だ,と心得ているふしがある.一応 gentil sir"  (88)と呼び,そのうえ,夢解きを頼んだりするのだ.中世における夢 の啓示性を考慮に入れると,精神界に通暁している知識人聖職者として,

Kit はPardonerに一応は応対しているわけだ.そうかと思うと自分のベッ ドを示して,ここで裸で独りで寝ているのよ,と誘いをかける.そして今自

ひ と り み

分は独身で,最愛のつれあいを亡くしたの,とさめざめ泣いてみせる.

(6)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後

Pardoner はその涙を悔俊 (penaunce)の涙だと解釈してやり (43),その 癖Kitの顎をくすぐり (tokehir by the chynne)  (47),果ては互いに名を なのりあう.それを機にKitの顔をさもいとしげに (paramouramyddes) 

〈 に ひと

(68)打ち挑め, Kitにきっとお故郷に好きな女がいらっしゃるのでしょう,

と訊かれ,

r

虞実わしの心はそなただけのもの

J

(Nay forsoth, myne own  hert, it  is  for yewe aloon.)  (74)と馴れ馴れしくする. Kitも心得たもの,

わたしのことをそんなに.マアなんてお上手なこと,いや本当だよ,といっ

た遣り取りがあって「わたしってまだ本当に愛したことがないの.恋をして もろくなことがなかったわ.いつもわたしのやり方って愛しすぎることなの

J

(1  could never love yit, but it did me harm, / For ever my maner hath be to  love over‑much.)  (80‑81)とまるでCTのWifeof Bathにこそふさわしい

びたせん

ような科白を吐く.Pardoner はKitにグロート銀貨(因みにこれは銀銭で ある)を与える。Kitは断わるが,結局抜け目なく受け取る。これは過分な こと,でもあなた様のお気持ですから.. . 9 ご厚意を無下にして気を悪くな さってはいけませんので,といった調子だ.ちゃんとお坊様には敬意を表し て,辞儀をして (ganto bowe)  (93)頂戴する.ここで語り手は一息ついて 読者に語りかける.

Thoughe it be no grete holynes to prech this ilk matere  And that som listnat to here it, yet sirs, ner‑thelatter2, Endureth for a whileldsuffreth hem that wolP, 

And ye shull here howe the Tapster made the Pardoner pull  Garlik al the long nyghte, til it was nerendday, 

For the more cher she made of love, the falsher was hir lay 6. 

But litil charge gaff1 she therof, thoughe she aquyt his while,  For etheres thought and tene was other to begile, 

As ye shull here herafterwhentyme cometh and spase 

(7)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後←ー To meve'Osuch mater. 

(119128)

be glad  nevertheless  allow 田 町Iy look  talk 

gave  effort  each one's intention 10 bring Up 

と相方狐と狸のばかしあいであることをこの段階で語り手は明かしてしまう のだ.いわば種明かしのコメントをつけてしまう.Chaucerがよくやるよ うに,虚々実々の心理合戦を展開して,語り手は知らぬ顔で,登場人物のど ちらの意図にも組せず,正邪を口にせず,むしろ判断は読者にまかせるとい うことをこのBeryn物語の語り手はしていない.Chaucerでは Reve'

sTale"における粉屋と学生の粉盗みをめぐってのだましつこも,語り 手のコメントではなく人物の科白と状況で読者にそれと知らせるのだし,

"The Friar's Tale"における召喚吏と悪魔の腹の探りあいなどは,最後まで 読者をはらはらさせるのだが.... 

二度目のPardonerのKit訪問をみてみよう.そこではこの二人のばかし あいが本人たちのそれぞれの言動によって分明になる.

独りだけ巡礼衆と別行動をとったPardonerは「今宵は彼女と寝るつもり だ

J(   .  . . 

be logged with hir.)  (301).それで十分きこしめしてくる.でも 当人も含めて誰もがその夜何が起るか知る由もない.彼は秘かに入ってくる.

Kitは長々と横になっている.かぶりものの下から残忍そうに (fellich)覗 いてPardonerの入ってくるのを見ている.静かに横になって何も知らない かのようだが,眠っているふりをしているのだ(feledhir scleping)  (312).  女の胸を触って,さあ目を覚ますのだ,とPardoner.まあ誰かと思ったら... •

u'

「こうしてあたしは捕われ女になるのね,誰もいないし.. 

. J  

(Thus 1 might 

be take I Prisoner. . . being al aloon!)  (314315)と驚いてもがくのである.

(8)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 ここでのPardonerとKitのやりとりを見てみよう.

Nowe sith ye be my prisoner, yeldyewe now," quod he.  1 must nedes," quod she. 1 may nothing fle, 

And eke 1 have no strength and am but yong of age,  And also it is no mastry to cach a mouse in a cage. . . ." 

(317320)

surrender 

これをChaucerのTroilus αndCriseydeのTroilusとCriseydeのベッ ド。シーンでのやりとりと対比したい誘惑にかられる.

swete, as evere mot 1 gon,  Now be ye kaught; now is ther but we tweyne!  Now yeldeth yow, for other bote is non!" 

Ne hadde 1 er now, my swete herte deere,  Ben yolde, ywis, 1 were now nought heere!" 

(Troilus,皿, 1206‑1211) 

The Tale of Beryn"の詩人がChaucerのTroilusを読んでいたかどうか,

もとよりなんの証拠もない. (おそらく読んでいただろうにかの貴公子,貴 夫人のかたみの愛の交換の名場面の艶めかしさをよく心得えていて,当代の したたかな女蕩しのPardonerとあばずれ女との,今やベッド・シーンとい うところで,かの美しい愛の言葉の交換を意識して,ちょっとしたバーレス クという悪戯を試みた,と考えたいところだが,いかがなものであろうか。

またここで,CTのGPに描写されるPardonerの「野兎 (hare)のような ギラギラした目

J

(glarynge eyen)  (1  (A]  684),つまり交尾期の三月野兎 のような目をおぼえているChaucerの読者なら,この時のPardonerの目

(9)

8  カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一

もさぞかしギラギラしていたのではないかと推測することは容易で、あるし,

同様にChaucerのPardonerの「山羊のような小さな声

J

(voyse... as  small as a goot)  (1 

C A J  

688)を思い出し,今Kitに言い寄っている Pardonerの声を想像した,と考えてみたいところだ.

tは,しかし来るならせめて咳ばらいくらいしてほしかった.女はひ とりでいる時もあるのよ.礼儀つでものよ(Wherelern ye curtesy?)  (323).  Pardonerは,恋する男ってものはしばしば分別を忘るるものさ,でも悪 かった,と謝るが,我々はここでKitのつづく科白を通して当時の在俗聖職 者に対する民衆の姿勢を垣間見ることができる.彼女は,神様を怖れなさい よ.あなたは交霊術でわたしを証らかしたのね.わたしのためより,わたし の身体のことばかり考えているのでしょ,と言ってから,

Iwis 1 troweJenken,ye be nat to trust to,  For evermore ye clerkes conso much in book,  Ye woll wyn a womman atte first look." 

(342‑344) 

konw 

と怨じてみせる.

Pardonerはご満悦で笑顔をつくって彼女にたずねる。

Lordl W ho shallligghere 

This nyghte that is to comyng? 1 prey yewe tell me." 

Iwis, it is grete nede to tell yew," quod she;  Make it nat over queyne, thoughe ye be a clerk.  Ye know wel inowgh iwis by loke, by word by work." 

(346‑350) 

(10)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一 9

1l. ie  overly subtle 

読者は第三者として,人物の思惑と状況を先刻知らされているので,特に固 唾を飲むことはないが,それはそれでアイロニを楽しむことはできる.つま り全知の読者の立場をすでに与えられているからである.今夜いつ頃来ょう か.ずっと遅くよ.そこでPardonerは金銭を出して,これで我々のための 夜食をととのえておいておくれ,ワインと砂糖でつくったコーデルをな.こ れで一晩中最高のベッドを楽しむんだ.I高いものについたが,頑張って今 夜はあの女の財袋から(隙をみて)抜きとってやろう.高くついた分だけ取 り戻すのだ.

J  ( . . .  

thoughe it  have costed me, yit wol 1 do my peyn / For  to pike hir purs tonyghte and wyn my cost ageyn)  (375‑376)と北里笑む.

もし酌婦であばずれのこのKitのずるさだけが極だっているのなら,その犠 牲になる(困った男だが)このPardonerへの憐れみも湧き,その後の災難 には同情の余地があるのだが,女蕩しのみか(この生態は残念ながら当時の 聖職者にワいてのかなりの世間の常識),盗みも働こうと画策しているこの 人物には情状酌量の余地がない.むしろこの狐と狸の勝負いかがあいなるか,

というスリルが読者側にある.こういうところがファブリオ仕立なのであ る.

これで一応Pardonerは巡礼仲間のもとに引き返すが,ここでCTのGP におけるPardonerの風貌と生態をすでに心得えているもののひとりとし て,ちょっとした問題点を提供しておきたい.

CTのGPに映像される PardonerをChaucerは以下のように描写してい る.

No berd hadde he, ne nevere sholde have;  As smothe it was as it were late shave. 

(11)

10  カンタペリに着いてはみたが 巡礼衆のその後十一 1 trowe he were a geldyng or a mare. 

(1  (A)  689‑91) 

費は男性の象徴.それがないのだ.では geldyng"とは何か.語義的にはま ちがいなく「去勢された馬jである. (mare"は雌馬).そうなるとふぐり を具えない男性であるからには,性交も,まして異性に子孫を産ませる肉体 的能力に欠けている,ということだ.Chaucerは本当にそういうつもり だ、ったのだろうか.おそらく彼の山羊のような低い声, のような色の髪の 毛,つるつるの肌を描写して,単にeffeminateな男を造型したかったので あろうへこの手の人物がW.C.Curryも 2世紀の著名な骨相学者Polemon を引きあいに出して指摘するように,愚行,強慾,放蕩,大酒くらいであり九 またRβbertP. Millerの発言のように,その去勢による非生殖性を,善行を 生 む に 際 し て の 不 能 , 不 毛 性 を 寓 意 し て い る も の だ と し て も ヘ ま た Chaucer自身なんらコメントを付さないのだが, Muriel Bowdenの言うよ うに, ChaucerのPardonerに対する ascornful jest" 7がここに見られる であろう.読者もまたChaucerのそういう信号を受けとめていたろうこと は想像に難くない.

われらの TheTale of Beηn"の詩人もそれを読みこんでPardonerの造 型をした,と考えたい.そうでなければ,そしてまことに肉体的に去勢され た男性なら,異性への'性欲を生理的に感じて,ここまでKitに肉迫はすまい.

夜這いまで敢行すまい.同会して不能がばれたら大恥だ.この詩人は Chaucerのどの辺りまでの意を体していたかは分らないが,文字通りの男 性として,つまり性器に欠陥があるはずのない男性として,ただ軽蔑に価す る男として,自分のPardonerを描いているのだ.おもしろいことに,

Pardonerはつれあいを亡くしたという阻tを慰めるにあたって,天はまた 配偶者を見つけてくれるよ,わしの場合がそうだ、った (86園田)と言う.こ れはCTの場合,パースのかみさんの話を遮って,

r

やれやれ,すんでのこ

(12)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 11  とでわしも女房をもらうところだ、ったJ (1  was aboute to wedde a wyf;  alas!)  (ill  CDJ 166)と言ったことを思い出すと十分アイロニカルである.

Pardonerは他の巡礼衆の就寝を見すまして再度酒場へと忍ぶことにな る.

Kitとその情夫,それに宿の主人が集まって飲み食いしている.そして Pardonerが自前で命じておいた馳走も皆食べてしまう.ここで語り手は一 息ついて女の性について意見を開陳する.

But who is that a womman coud nat make his herd'  Andshe were thereabout and set hir w W  thereto?  Ye woot wele 1 ly nat, and where1 do or no, 

1 wol1 nat here termyn5 it, lest ladies stond in plase6,  Or els gentil women, for lesing of my grace 

Of daliaunce and of sportes and of goodly chere.  Therefor, anense hir estates 1 woll in no manere  Deme ne determyn, but of lewd Kittes 

As tapsters and other such that hath wyly wittes  To pik mennes purses and eke to bler hir eye;  80 wele they make seme soth when they falssest ly. 

(436‑446) 

i.e.  cheat him if  mind  whether  determine 

be present  concerning 

ここで ,CTの, GPではないが, TheN un' s Priest' s Tale"における同種 の語り手の言い訳けを思い出さずにはおれない.

(13)

12  カンタベリに着いてはみたが←一一巡礼衆のその後←一一

雄鶏Chauntecleerが雌鶏Pertelote夫人の忠言を入れたがために大災難 に遭った件りの直前,語り手はアダムとエパの倒を引き出して,女の勧告と いうものは 々生命にかかわると切り出し,

W ommennes conseils been ful ofte colde;  Wommannes conseil broghte us first to wo  And made Adam oParadys to go,  Ther as he was ful myrie and wel at ese.  But for 1 noot to whom it myght displese,  If 1 conseil of wommen wolde blame,  Passe over, for 1 seyde it in my game. 

Thise been the cokkes wordes, and nat myne; 

1 kan noon harm of no womman divle. (V Il 32563266)

うっかり女性蔑視の発言をしてしまったが,冗談,冗談,と一座の雰囲気を 先どりして輯晦してしまうという大人の,いや Chaucer独特のずるさを

The Tale ofBeryn"の詩人も員似たか.

食事が終わってから, Kitは愛人と宿の主人に, Pardonerが今夜夜這い を仕掛けてくることを打ち明け,その愛人に,でもあたしはお前さんと寝る つもりだよ,あのお坊様がやって来たらぶちのめしてね,と頼む.宿の主人

や つ

も胸をたたいて奴が側へ来たらやっつけてやると断言.Kitはお先に就寝.

Pardonerはゴシキヒワのようにいそいそとやって来てドアをノック.掛金

かんぬき

も問もロックしてあるのに気がつくが,まだ踊されているとは知らず,

「仔犬のようにドアを引っ掻き,懸命に犬語で鼻をならす

J c . . .  

scraped the 

dorr welplich and wyned with his mowth / After a dogges lyden, as nere 

(14)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 13  as he couth. ..)  (481‑482)のである. (後刻彼が犬に噛まれる災難に遭う

ことなっているのがアイロニカルであるにここまでくると,さすが読者も なきけないPardonerに憐みを催すだろう.聖職者, effeminateな肢体,多 愛ない仔犬の仕種,これらが噛みあわないまま同時提供されている.

Kitの愛人は「出ていけ犬め

J

(Away, dogg, with evil deth!)  (483)と 言ってドアの掛金を外ずそうとする.ここに至ってPardonerも欺かれたこ

と, Kitに男がいたことに気づき,この女を晒し台にかけたいと思うほど立 腹し,百年の恋も一気に冷めてしまうのである.あとは復讐だ.この場面は

ひ と づ ま

CTの"TheMler'sTale"においてAbsalonが自分の執心の他人妻がすでに 学生Nicholasと同会していることに気づくシーンを思い出させる。Kitの 情夫の「出ていけ云々」の科白はCTでは女性Alisounの「あたしには好き

ひと

な男がいるの,あなたよりずっと素晴らしいひと'" .いっちまいな,さもな いと石をぷっつけるわよ.

J  ( . . .  

1 love another. . .1 well bet than thee . . . 1  Go forth thy wey, or 1 wol cast a ston . ...)  (1  CAJ  3710‑3712)と相呼応

しているようだ.

Pardonerはあらん限りの悪態をつく.それはとてもご身分のある方々の 聞では恥ずかしいような内容であった,と詩人は述懐する.わしの杖を返し てくれえ. Kitの愛人は,これを喰らえとばかりその杖でPardonerをぶっ て肩と眉に傷を負わせる.宿の主人も加わってPardonerを打ち据える.泥 坊を捕らえるのに滅多にない機会だ,燈りをもってこい.そのために火が欲 しい.ところが火のある部屋の鍵は女房が持っているe 限っているのを起こ したら事だ.向う一週間はあいつは不機嫌になる,と尻ごみする.女房がこ わいのだ.同じHostでもCTのHostも「内証だが,わしも女房にがんじ がらめになっている

J

(In conseil be it  syed, 11 am unto hire teyd.)  (W  (E)  2431‑2432)と告白するし,賢夫人Melibeeの話を聞き終ってこう述懐 する,

r

わしもね,手に刃物を持たせればこわい男なんだが,それでも女房 には刃がたたん

J c . . .  

am perilous with knyf in honde, 1 Al be it that 1 

(15)

14  カンタベリに着いてはみたがー一巡礼衆のその後一一

dar nat hire withstonde) 

C W

, 1919‑1920).女房の尻にしかれる亭主.マ イナーな登場人物にもこういう Chaucerへの意識が埋没されている.

さてPardonerはフライパンを見つけ,それでKitの愛人の鼻を打ち,全 治一週間の傷を負わせる.宿の主人はPardonerの落したフライパンを踏み つけ,腔の皮膚と筋肉に傷を負う.とっ掴まえたらひどいめに遭わせてやる.

(この辺のどたばたは ,CTの TheReve's Tale"の粉屋と学生たちの取っ組 みあいを思いおこさせる.)それを聞いてPardonerは避難. Kitの愛人と 宿の主人は明朝Pardonerを捕えることにする.その時Pardonerは階段の 下にいた大きいウェイルズ犬にぶつかる .d寧猛な犬で人に噛みつかないよう に首におもりを下げている.この犬が目を醒まし,自分の寝床をまもろうと Pardonerの腿を噛む.なんとか犬のね藁の中に場所を見つけて寝ることに なる。絶えず捻りつづけるこの犬にはとても叶わないので,あやしあやし,

自分の愚かさを思い出して石のようにじっとしているのであった.つくづく 品のない安宿の給仕女を信用したことを悔やみながら.

翌朝,包帯をまいたPardonerは一行のHostにもそれと気づかれないで,

見つからないように,傷口を洗い,フードに顔を隠して巡礼衆にまぎれ,カ ンタベリを後にするのであった.

帰路は,世は花咲き,烏詠い,緑滴り, Hostも気も晴々として帰路の話 合戦の提案にとりかかる.このうららの自然のたたずまいと人々の快活さは Pardonerの落醜の心とは別の世界の明るさだ. Pardonerの孤立,孤独が 読者に実感されるであろう.

E 他 の 巡 礼 衆 の 行 動

Pardoner以外の巡礼衆を簡単に追ってみよう.ここでもこの詩人が Chaucerの CTをよく読みこんでることが分る.人物は CTにおいて Chaucerによって与えられた性格にそって,いかにもそれらしく行動した り , 思 い が け な い 振 舞 を す る と こ ろ が 興 味 を そ そ る . た と え ば 件 の

(16)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 15  Pardonerが夕食の席で「わが(恋の)重荷を倍にしてたべ

J

(Doubil me  this bourdon)  (413)と声をつまらせて,かのKitにまで届けとばかり歌う

と, Summonerも, Yeomanも, Reveも, Mancipleもこれに和する.ちな みにSummonerだけはPardonerの「お弟子

J

(discipilI)  (415)とこと わってある.我々 Chaucer読者はどうしても CTのGPでPardonerが「い としの女よ,ここもとへ来よ

J

(Come hider, love,加me!)(1  (A)  672)と 大声で、歌って,それにSummonerが繰り返し部を和していた光景を重ねあ

わせたくなる.この詩人もその心算であろう.

一同お詣りをし,ご奉献もすませ,聖遺物にもキスをしてからHostは 皆々の協力に感謝して,帰りもよろしくと依頼し,夕食まで自由行動を宣す

Knightは御曹司Squireをつれて,カンタベリの城壁やその防禦のっくり を見学させ,攻城の秘訣を伝授する.御曹司も逐一それを理解する.でも彼 の心は愛してやまぬ佳人に走っているようだ.ために夜も眠らない(.. . his  mynde / Was much in his lady that he loved best, / That made hym offt to  wak.e when he shuld have his rest.)  (248‑250). ChaucerのCTのGPでは

この御曹司は「熱い恋をしていたので,夜眠らぬことナイチンゲールの如し

J

(So hoote he lovede that by nyghtertale / He sleep namoore than doth a  nyghtyngale.)  (1  (A)  97‑98)であったという.ここではChaucerの

worthy"な騎士と lovyere,"lusty"な御曹司が生かされている.Knight  は夕食の席でも丁重なHostに丁重に応接する.Hostの帰路の一同順番に よる話の語りの提案にも彼が翼先に「亭主殿,よくぞ言われた

J

(Now  trewly, Hoost. . . ye have right wel‑i‑sayd.)  (2お)と発言し,皆の賛同を得る.

まこと彼はCTにおけるように averay,pmtgentil knight" (1 (A)  72)だ.

Monkは例の m ly"な面持で、身分の順番に従って皆の衆に聖水を注く¥

Friarもそれをやりたがった(修道女の顔を拝みたかったのだ).Monkは,

(17)

16  カンタベリに着いてはみたが一一一巡礼衆のその後一一

しかし,その聖務をFriarにさせない .CTではMonkとFriarの聞には特 にとげとげしい接点はなかったのにどうしてだろう.14世紀になってもま

く す ぶ

だ爆っていた修道会の司牧特権論争のしこりがあったからだろうか.12世 紀以降ほとんどのmonkは同時にpriestでもあった.そこから司牧特権論 争が企iarとの聞に生れたのだ.

かのWifeof Bathはいかがいたしたか.Chaucerでは過去に五人の亭主 をもち,六番目さえ物色していると大言したこのChaucerの造型したかみ さんは意外と大人しい行動に終始する.Prioressの手をとって宿の庭の薬草 園を散策し,あとでパーティでワインをご一緒しましようという. (ところ で,

r

ワインを飲むと女は操はまもれませんわ

J

(In wommen vinolent is no  defence [lli  (D)  467J)という CTでの彼女の科白は文脈上ここでは特に 意識されていないだろう.それとも相手が殿御でなく修道女であることから くる一種の insinuationか.Chaucerではこの女性にAlisounという同名 のお喋り友達 (gossib)がいて,夫や自分の内緒事を洗いざらいぶちまけて いたし,五番目の夫を取り持ってもらっているが,さでは今回はこの Prioressを gossib"に選んだのか.これは私の勝手な推測である.いずれ にしても彼女は「疲れていた

J

(so wery) (281)のだ.さもあろう.しかし Wife of BathがPrioressと静かに語るのを好んだ、とはChaucerの読者の誰 が予想しえたろう.意外性からくるお愛婿だ.CTのWifeの恋の経験の述 懐はむしろKitの科白にまわされているようだ.

MiIler はPardonerその他の無知な連中 Oewdgotes)  (148)とつれだっ て,御堂を見物.一同知識人を気取って,ステンドグラスの紋章を解説しょ

じ ぶ っ たしな

うとする.また聖人の持物にとんちんかんな解説を加えてHostに磐めら れる.このMi1lerは一同が巡礼完了のしるしとなるブローチ(聖トマスの ミトラをかぶった像が彫りつけてあり CαpitThomaeと彫字してある)を買 い求めている時,そのブローチをくすね,誰も知らぬ聞に小袋にしまいこん でしまう.しかしこれをSummonerが見ていて「半分よこせ

J

(Halff part!) 

(18)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 17  (178)と要求する.

Hussht! Pees!" quod the Mi1ler. Seist thowe nat' the Frere,  Howe he lowreth under his hood with a doggissh ey? 

Hit shuld be a pryvy thing that he coude nat aspy. 

Of every craf王子hecansomwhat, Our Lady gyve hym sorowe!" 

Amen," tho qoud the Sompnour,on eve and eke on morowe! 

80 cursed a tale he told ofme, the devil ofhell hym sped

←" 

(180‑185) 

Don't you see  trick  knows 

Miller はFriarが見ているぞ¥と言うのであるO それなら帰路,話をす る順番がまわってきたらあのじっと見ている Friarに仇討ちをしてやる,

と8ummonerは 覚 悟 を 決 め る . こ の 光 景 は CTにおける Friarと 8ummonerの確執のシ」ンを思い起こさせる.そのシ」ンというのはWife of Bathの長い前口上が終った時, Friarはそれを長い前置きだと冷やかす

と, 8ummonerがFriarを出しゃばり Centremette.. . everemo) (lli  CDJ  834)とののしり, Friarを蝿にたとえて何にでもたかる (aflye and eek a 

ere/ Wol falle in every dyssh and eek mateere) (lli  CDJ 835‑836),と たしなめる.これがCTではのちのSummonerとFriarの話合戦の引きが ねとなるのだが,ーすしたparallelismを感ずる.Friarの日を落とした

C

lowreth under his hood . . . ey)表情は ,CTにおいてひとりのFriarの失 敗談を 8ummonerが語っている問中ずっと「しかめっ面をしていた」

(made . . . a maner of louring chiere) (lli  CDJ  1266)  Friarの陰湿さを Chaucerの読者は思い出さずにはいられない.

この二人に関連してClerkが登場する.Clerkは8ummounerに言いきか せる.Friarのことは勘弁してやんなされ。あの人は悪事を心得えているe

(19)

18  カンタベリに着いてはみたが一一一巡礼衆のその後←一

だからそれを避けることも知っているはず.ですから彼のしたことで怒りな さるな,と言って側にいたKnightを感心させる.

r

おお聖職者であるとい うことは何といいことだJ(Lo, what is worthy . . . for to be a clerk!)  (263), 

「どちらもたてなさる

J

(For of ether parte he saveth honeste)  (266)と言 う.まさにChaucerの読者の知っている Clerkだ.簡にして要を得た教訓 (sentence)  (1  (AJ  306)を語り,よろこんで学び,よろこんで教えもする (gladly. . .lerne and gladly teche)  (1  (AJ  308)あのChaucerの描いた Clerkの面目躍如だ.

おおよそ以上のようにカンタベリ巡礼衆の聖地列着後の行動が紹介され る.あの連中がChaucerによってかねて与えられた性格を抱えてその後い かに振舞ったか,ということが示されたのである.Chaucerはそのことに 触れないままでCTを我ら後代の読者に残した.我らとしてはそれを知りた いところ.本論の冒頭でも触れたように読者の後日談願望をこの"TheTale  ofBeryn"の詩人はPrologueにおいて満たしてくれたわけである.

Urryがこの Prologueに自分で勝手に題をつけている.Furnivall編の E.E.T.S版にはそれがプリントされている.すなわち"ThePrologue, / Or  the mery adventure of the Pardonere and Tapstere at the Inn at  Canterbury"とある.このPrologueの中でPardonerの行動がもっとも Urryを印象づけたのであろう.この困った男Pardonerについての記述で,

この詩人は, Chaucerの伝えたあやしげな聖遺物についての暗示はないが,

おそらくカンタベリ巡礼そのものが聖遺物参詣であり,全免償に価するもの であるので,それへの言及は省いたのか.しかしこのPardonerのアヴアン チュールは,いかにC.S. Lewisが smallharvest"と一笑に付そうとも 十分楽Lませてくれる.

15世 紀 のChaucerの読者と TheTale of Beryn" 

Chaucerの,主にGPとTalesを意識して書かれたこの15世紀の詩であ

(20)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後一一 19  るが,ずいぶんとChaucerのどたばた喜劇風なものに興味を示しているよ うだ.15世紀のChaucer読者はこういう rea1isticな喜劇性に惹かれていた のであろうか.15世紀には果してChaucerはどのように意識して受容され たのであろうか.実は彼は教訓的詩人として捉えられていたのだ.だから彼 の声は voiceof the teacher" 9と見なされていた.それで手直しされて良家 の家庭に持ちこまれた.子供に推薦すべき作家とまで評価されていた.

8eth Lererはそれを次のように説明している.

The C.αnterbury Tales came to be read as children's 1iterature, and  selected portions of its narratives were scribally recast to bring out  the exemplary purposes ofwhat had become a poetry ofmanners.lO  Chaucerの作品はそのような目的で,つまり poetryof m ners"として 多くの写本や家庭用のアンソロジーの中に組みこまれ, 15世紀の礼儀作法 のハンドブックとして使われたBookof Courtesy (1477)の中でも薦められ る詩人であったのだ.こうしたアンソロジーの所蔵者といえば,主にロンド ン在住の実業家か,行政家,さもなくば地方の地主たちであったろう.こう いう家庭の品のよい教養,験けなどのために時に応じて読ませるために家庭 に情えられたものであったろう.Chaucerは良家の子女の読物であったの だ.Thomas Hoccleve (c.1368‑c.1437)JohnLydgate  Cc.1370‑c.l45I)  などはほとんど決り文句でChaucerを誉めそやす. Vertu"に富み, ornat endytyng"に満ち, rethorik"にかけてはキケロに, philosophie"の点で はアリストテレスに比される CHoccleve)11.  Lydgateはその rethorik,"

eloquence,"trouth,"自entencehool,"chaf"を避け, pikedgreyn"をと る姿勢に賛辞を惜しまない12 こういう誉め言葉は,およそ詩人を称える時 の当時の conventionaleulogyであったが, Chaucerでは概して The Pαrliαment of Fowls, Troilusαnd Criseyde, The Legend ofGood Women, 

The Knight's Tale"などに当てはまるものだ.アンソロジーにもっともよ

(21)

20  カンタベリに着いてはみたが一一一巡礼衆のその後十一

く選ばれたものはDerekPearsallによると ,CTでは TheClerk's Tale," 

The Prioress's Tale," "The Tale of Melibee," "The Knight's Tale," "The  Wife of Bath's Tale, "The Monk's Tale"などであったという 13 15世紀の 読者の趣味を推量することができるであろう.しかしもう一度Lydgateの CT評を見てみよう.賞賛の的になっているのはその desport,"moralite,"

"knyghthode,"句ovef'gentilesse,"、紅白tholynesse"とともに ribaudye,"

laughter"などが列挙されているし14 CTにおける CookやMiller,Reve  などの一杯聞こし召した時の Boystouslyin her teermes rude"や, Pardonerの

The Pardowner, beerdless al his chyn,  Glasy‑eyed and face of cherubyn,  Tellyng a tale to angre with the Frere,15 

(Siege ofThebes, 33‑35) 

といったところを面白がってもいる.ちゃんとPardonerの煮のない顎は見 逃していない(ただし, glasy‑eyed.. .プはPardonerでなく Summoner である.Lydgateは取り違えている).William CaxtonもChaucerの魅力

として教訓的美的列挙の中に,遠慮深げに myrthe'を挿入している16

Philosopher, moralistとしてのChaucerを見つめる 15世紀の評家や読 者も,実はそのribaldのcomicrealismを見逃してはいなかった.そして 相応に楽しんだ例としてChaucerの作品,特にCTを読みこみ自家薬龍中 のものにしている一人の無名の詩人がいる. Sondηfolk" (1  [A) 25)で あるカンタベリ巡礼衆のsundryな生態を写し出し,読者の後日談願望を満 足させたのである.それはDerekPearsallの言葉をかりると theliveliest  response to the dramatic framework of the C.αnterbury T.αles" 17である.

Helen Cooperの"TheTale of Beryn"のPrologueについての簡単なコメン トは要を得ている.

(22)

カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後 21  The poet has none of Chaucer's skill with prosody or language, but  he has read the T

αles very carefully indeed. The pilgrims are all  given activities that are plausible in terms of the characters Chaucer  gives them.18 

※本稿は2006325日 , 慶 応 義 塾 大 学 日 吉 キ ャ ン パ ス で の 第57

「チョーサ研究会

J

において口頭発表したものに基づいている。

この 百1巴Ta1eof Beηぜ'の20世紀に入ってからのprintedtextは二つある.ひと つはThe11αle ofBelnththe Prologue to the Merry Adventure of the pαrdonerwith  αTαpsterαt Conterbury, reed,企omthe Duke of Northumberland's unique MS by  F. J. Furnivall W. G. StoneE.E.T.SES 105 (1975; rept. New York: Kraus  Reprint, 1981)で(その前にこの版は1887年にChaucerSocietyから出ている),も

うひとつはCαnterburylnterlude and Merchαnt'sTαle ofBned. John M. Bowers,  originaly published in the Gαnterbury T

αles: FifteenthCentury Continuαtions and  Additions. (Kalamazoo, Michigan, Medieval Institute Publications, 1992)である.

本論ではBowersの版を使用した.なおChaucerよりの引用はL.D.Benson, ed., The  Riverside Chαucer  (Boston: Houghton Miff1in, 1987)からである.

2  Furnivall and Stone, p.viii. 

この作品のファブリオ仕立てについては, Bradley Dmj:es and Thomas Rendall,  A Fabliau in the Prologue to the 11αle  of Beyrn," MedievαStudies LVII  (1985):  41631に詳しい.Chaucerのファプリオの人物造形,筋立等と Berynの詩人のそ れらが比較分析される.

因みにD.S.BrewerはそのChαucerin his Time (London:恒lOmasNelson1963)  Chaucerの作品では, tobe clean shaven"は巴ffeminacyのしるしであり,ま absurdand wrongful"のあかしだとしている (p.113). 

5  W.C.Curry, Chaucerαnd the Medieval Sciences  (New York: Barnes and  Nobles, 1926), p.57. 

6  Robert P.Miller"Chaucer's PrdonerThe Scriptural Eunuch and The  Pardoner's Tale" Chαucer Criticism: The Cαnterbury Tαles, ed. R.J.Shoeck and  J.Taylor  (Indiana: Notre Dame Books1960)p.226. 

7  Muriel Bowden, A Commentαηon the GenerαPrologue to the Cαnterbury  Tales  (New York: The Macmillanl954), p.276. 

(23)

22  カンタベリに着いてはみたが一一巡礼衆のその後十←

8  C. S. Lewis, The Allegory of Love: A Study in MedievαTrαdition  CLondon: 

Oxford University Press, 1936; rept. 1954), p.1脱位.

9, 10  SethLeβerlerCωhαuccendHisReαders:1mηmingthe Author inLμαte EnZgl

α

nd CPrinceton: Princeton University Press, 1996), p.18. 

11  J. A. Burrowed., Geo伊'eyChαucerPennCritical Anthology  CHarmondswo1

Penguin Books, 1969), p.4l.  12 1bid., p.43. 

13  Derek Pearsall, The Cαnterbury Tales  CLondon: George Allen and Unwin, 1985) ,  p.30l 

14  J.A.Burrow, op.cit., p.42.  15  1bid., p.43. 

16  1bid., p.45. 

17  Pearsall, op.cit., p.302. 

18  HelenCper,仰wCαn'rburyT.α

: a

s0rdGuide toαlaUCrC Oxford: C1endon Press1989), p.416. 

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