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ディルタイの「歴史的理性批判」における心理学の 位置(3) : ヨーロッパ中世の形而上学的思考にお ける心理学的基礎づけの歴史的演繹

著者 伊藤 直樹

出版者 法政大学言語・文化センター

雑誌名 言語と文化

巻 18

ページ 97‑126

発行年 2021‑01‑29

URL http://doi.org/10.15002/00023754

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ディルタイの「歴史的理性批判」

における心理学の位置(3)

ヨーロッパ中世の形而上学的思考における              心理学的基礎づけの歴史的演繹

伊 藤 直 樹

は じ め に

 本論文は,ディルタイの歴史的理性批判において,心理学がどのような位置 を占めているかを考察するものである。既発表部分「「歴史的理性批判」にお ける心理学の位置」(1)では,「歴史的理性批判」の全体像を概観したうえで,

このプランのうちに含まれる歴史的叙述の部分の解明に着手し,宗教的生,お よび古代ギリシアにおける歴史的叙述を考察した。次いで,「ディルタイの

「歴史的理性批判」における心理学の位置(承前)」(2)では,それに続く,アウ グスティヌスの思想を考察した。

 既発表の目次(ゴチック)は以下のとおりである。

 はじめに

  1 .歴史的理性批判の全体像   ⑴ 「歴史的理性批判」の構成   第一部

  第二部,第三部

  第四部,第五部,第六部   ⑵ 『精神科学序説』の成立過程

  2 .「歴史的理性批判」の歴史的叙述における心理学把握   ⑴ 形而上学の基礎としての宗教的生

  ⑵ 形而上学の支配と衰退古代ギリシア

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  ⑶ 中世ヨーロッパにおける形而上学    ① アウグスティヌス

   ② 中世思想の概観    ③ 中世的思考の第一期    ④ 中世的思考の第二期

   ⑤ 中世の歴史の形而上学と社会の形而上学    ⑥ 形而上学と精神科学の成立に向けて

 本稿では,既発表分に続けて,ディルタイによる,ヨーロッパ中世における 形而上学的思考のなかでの心理学の位置づけを考察する。

② 中世思想の概観

 前稿では,「中世ヨーロッパにおける形而上学」と題して,そこにディルタ イが自らの方法的源泉をどのように引き出しているかに着目しつつ,ディルタ イによるアウグスティヌスの精神史的把握をたどった。本稿でも,その視点を 維持しつつ,ディルタイがどのようにそれ以後の中世思想を把握しているかを 見てゆく。

 以下のような手順で考察を進めたい。まず最初に,一四世紀までの中世思想 を概観する(②)。次いで,ディルタイが「中世的思想の第一期」とする時期 をどのように把握し,そこに自らの問題を重ねてゆくかをとらえる(③)。そ してさらに,同じ作業を「中世的思想の第二期」とする時期においておこなう

(④)。さらに,ディルタイが把握する中世における歴史と社会の形而上学を見 る(⑤)そしてこれらを踏まえて,以後の考察の論点を示したい(⑥)。

 一般にヨーロッパ中世は,西暦 500 年前後,すなわち西ローマ帝国の滅亡

(476 年),もしくはベネディクトゥスによるモンテ・カッシーノ修道院の創立

(529 年)ごろから始まるとされる(3)。そしてそれは,1300 年代の半ば(ウィリ アム・オッカムが没したのは 1347 年)頃までだとすることができるだろう(4)。 ディルタイ自身は,おおよそ,アウグスティヌスの没後からオッカムまでの時 代を中世ととらえ,それと前後するペトラルカの登場によって,近代が始まっ たと考えている。左に一般的な時代区分を置き,右にディルタイの時代区分を 置けば,次のようになるだろう。

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  5世紀まで スコラ学以前の時期  

中世的思惟の第一期   12 世紀まで 初期スコラ学の時期

  13 世紀まで 盛期スコラ学の時期  

中世的思惟の第二期   14 世紀まで 後期スコラ学の時期

 ディルタイは前二者を「中世的思考の第一期」,後二者を「中世的思考の第 二期」としている。右側にあげた四つの時期を概観すると次のようになる。

スコラ学以前の時期

 この時期は,中世ヨーロッパ世界を形作る諸契機が出そろう時期だと言えよ う。西ローマ帝国の滅亡(476 年)の後,イスラムの侵入がある。それを食い 止めたフランク王国の発展とその分裂。そして神聖ローマ帝国の成立(962 年)。このような大きな流れのなかで,カノッサの屈辱に象徴されるような皇 帝権と教皇権の対立が生じてくる。このなかで文化的・思想的にとりあげるべ きこととしては,六世紀に東ゴート族テオドリックのもとでボエティウス

(484-534/5)が現れ,アリストテレス論理学の翻訳がなされ,また,九世紀 に,フランク王国カール大帝のもとで進められたカロリング・ルネサンスがあ る。このときはアルクィン(735?-804)や,その後ヨハネス・エリウゲナ

(810?-877?)などが輩出した。

 ただしここで付け加えなければならないことがある。それはこの時期のイス ラムの思想動向である。カール大帝以後,十二世紀にいたるまでのヨーロッパ では,文化的思想的には衰退を迎える。しかしその間,隆盛を誇っていたのが イスラムの思想文化である。6世紀のはじめ,マホメットが立ち,イスラム帝 国が成立する。そのイスラムの勢いは,8世紀にはヨーロッパに到達するが,

その隆盛のなかで活発な思想的発展が見られる。イスラムの思想は大別すると イスラム神学,東方イスラム哲学,西方イスラム哲学の三方向があるが(5),イ スラム神学には,アッバース朝の前期に栄えたムータジラ派,アシュアリー

(873-935),カザーリー(1058-1111)などがいる。また同じバクダートで,東 方イスラムのスコラ哲学が活動する。この派は,アリストテレス,プラトン,

プロティノスなどの古代思想の翻訳を行う。この成果が後にヨーロッパに伝え られることになる。そしてそこから,ファーラービー(870頃-950)やイブ ン・スィーナー[アヴィセンナ](980-1037)などが現れる。さらに,西ヨー

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ロッパ,イベリア半島で発展した西方スコラ哲学がある。これにあげられるの は哲学的小説『ヤクザーンの子,ハイ』で知られるイブン・トファイル(1105- 1185),さらにはイブン・ルシュド[アヴェロエス](1126-1198),イブン・ア ラビー(1165-1240)などがいる。

初期スコラ学の時期

 この時期は,いわゆる「十二世紀ルネサンス」の時代である。キリスト教史 においては,このときグレゴリウス七世による教会改革が浸透し始め,修道院 改革が進む。このなかでの知的活動の舞台には,次の三つがある。それは,修 道院付設の修道院学校,司カ テ ド ラ ル教座聖堂付属学校,そして個々の著名な教師を中心 とする都市学校である。これらのなかで登場してきたのが,アンセルムス

(1033-1109),ロスケリヌス(1050-1125),アベラール(1079-1142)などであ る。この時期には「普遍論争」が活況を呈している。ディルタイが,「中世的 思考の第一期」とみなしているのは,この十二世紀ルネサンスを中心とした時 代である。

盛期スコラ学の時期

 十一世紀から十三世紀にかけて人口は増加し,都市が形成される中で,十三 世紀に至って哲学と神学は飛躍的な展開を迎える。その担い手となったのは,

ひとつには都市に創設された大学である。なかでも神学と哲学の中心はパリ大 学(1150 年)とオックスフォード大学(1167 年)であった。ふたつめは,フ ランシスコ会(1223 年に認可),ドミニコ会(1216 年に認可)などの托鉢修道 会の創設である。人物としては,パリ大学で研鑽を積み,フランシスコ会の総 長となるボナヴェントゥラや,またこの時期の精神を体現すると言ってよいト マス・アクィナスがいる。またオックスフォード学派には,ロバート・グロス テスト(1170 頃-1253)や,ロジャー・ベイコン(1213 頃-91 以降)などがい る。

 この時期に関して特筆すべきは,イスラムを介したアリストテレス思想の受 容である。これまで,アリストテレスの著作で知られていたのは,ボエティウ スによって翻訳された論理学諸著作に過ぎなかった。しかしすでにふれたよう に,イスラム世界では,古代ギリシアの思想が移入されていた。そして,この 時期に至って,その古代ギリシア思想がヨーロッパ世界に入ってくる。とくに

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重要なのが,アリストテレスである。13 世紀の半ばにはアリストテレスの全 著作の翻訳がなされたという。したがってこの時期の課題は,キリスト教的世 界観とも衝突しうるアリストテレスをどのようにして受け止めるかという点に ある。

後期スコラ学の時期

 十三世紀後半には,アリストテレスの行き過ぎた受容(アヴェロエス主義的 なアリストテレス主義)に対して禁令が出されることもあり(1270 年,1277 年),また,盛期スコラ学の主だった思想家も亡くなってゆく(トマス・ア クィナス,ボナヴェントゥラともに 1274 年に没,アルベルトゥス・マグヌス は 1280 年に没)。とはいえその後,「十四,十五世紀の精神的状況全体を規定 することになる」(6)思想家が登場する。それは,ドゥンス・スコトゥス(1266 頃-1308),ウィリアム・オッカム(1285-1347),そしてライムンドゥス・ルル ス(1232-1315)などである。

 ただし,すでにダンテが『神曲』を書き上げ,ペトラルカが生きていたこの 時代,政治的社会的には,国民国家への懐胎がはじまっており,中世は終りを 迎えてゆく。

 以上のように,大まかに中世の全体像をとらえてみた。すでに述べたよう に,ディルタイは,この中世を二つの時期に区分する。ディルタイ自身が,こ の時代の思想状況をどのように叙述しているかを見てゆこう。

③ 中世的思考の第一期

 ディルタイが「中世的思考の第一期」と呼ぶのは,とくに上述の「初期スコ ラ学」の時期,すなわちアウグスティヌス以後,宗教的体験のなかからキリス ト教神学が形成され,アンセルムス,アベラールといった神学者が活躍する時 期である。

 結論から言えば,ディルタイがこの時期の思考の特徴として際立たせるの は,中世的思考のもつ「二律背反」的な性格である。まずは,このような特徴 づけが引き出される道筋を示してみたい。

 ディルタイは形而上学に関する考察の出発点を宗教的生に置いていたが,そ れはここでも同様である。ここで注目されるのは,キリスト教のみならず,ユ ダヤ教,イスラム教といった同じ一神教において現れる,「神に対する人間の

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意志関係」(I273)(7)である(8)。ただし,ここで端緒にとられたこの「意志関 係」がすでにして重要である。「意志」は感覚的な欲望とは異なる。神に対す る意志は,神への欲望を充足することなどではない。「神」に対する「意志」

であるから,そこには,たとえば「動機」のような,対象を欲求する以上のな んらかの理知が含まれている。つまり,ここに神学への糸口がある。それは,

人間の神への関わりのうちに,なんらかのロゴスを見出そうとすることであ る。そして,ディルタイはそれを,次のような点に見て取る。

  「われわれの表象作用は外的経験の像に拘束されているので,体験に属す るものは,われわれが抱く外界の像の連関のなかだけで表象されうるので ある」(I273)。

 あるいは次のようにも言う。

  「一神教的宗教における宗教的体験は,衣服やヴェール,いわば内的経験 の具象化である表象世界のなかで叙述されるにすぎない。そして思考は必 然的に,この宗教的経験を具象化したこれらの表象を解明し,分析し,矛 盾のないように結びつけようと努めるのである」(I273)。

 ディルタイが,ここで言わんとしていることは,体験,あるいは内的経験 は,表象作用による制約のなかで,外的なものとして表現される,ということ である。このことは,同じこのくだりで,自らがすでに論じた「インド-ゲル マン的諸宗教の神話的世界観からギリシア形而上学が生まれた」ことを論じた 箇所(I135)を参照指示していることからも窺える。そこでは,宗教的生か ら,神話を介して学としての形而上学が形成されるプロセスが述べられてい た。つまり,宗教的生が,それとして現れてくるプロセスは,表象作用を介し たものでしかありえず,それが外界の像の連関なかで,体験されるのである。

これが「神に対する人間の意志関係」のうちに含まれるものである。そしてこ こに「教義的思考」(I274)が関わることによって,学問としての「キリスト 教神学0 0」「ユダヤ教神学0 0」「マホメット神学0 0」が形成されることになる(I 274)。

 そして,以上のような宗教的生0と神学0との関係を,ディルタイはこの文脈で

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は,「信仰内容」が「知性」に対してとりうる三つの立場として整理する。

 第一の立場は,理性は信仰内容には到達できないとする立場であり,第二の 立場は,内的な宗教的経験は知性的な連関では言い表わすことができないと考 える立場である。この第二の立場は,知性には権威を認めないゆえに,神秘主 義派に多く現れることになる。ディルタイはこの二つの立場に対し,アベラー ルを批判した際のクレルヴォーのベルナールの言葉を参照指示するが(9),要す るに第一の立場が,信仰と理性を対立させるものであり,第二の立場は,信仰 と理性との異質性を強調するものであろう。それに対して提示される第三の立 場は,信仰と理性を対置させず,信仰の中に,理性連関の存在を認めるもので ある。その代表者はアンセルムスである。ディルタイは,この立場を次のよう に叙述している。

  「あらゆる信仰の秘密のなかに,また最も深い信仰の秘密のなかにも,一 つの理性連関が存在しており,もしも人間の思想が神の思想に到達する力 を有しているなら,この連関は神的理性[の考え]を汲み取ることができ るであろう。しかし,この理性連関は信仰を前提することによって初めて 認められるのである」(I275)。

 そして,ここから理性を介した信仰内容の把握をめぐって,弁証法(論理 学)を道具にして論争が行われることになる。無論,そのときの論理学とは,

ボエティウスの翻訳によって伝えられていたアリストテレス論理学である。こ れによって生じた論争が,すなわち普遍論争である。ディルタイは,普遍論争 については,定説と同じく,スコトゥス・エリウゲナ,シャンポーのギョーム らの実在論,アベラールの立場である概念論,そしてロスケリヌスなどの唯名 論の三つの立場をあげており,当初はアベラールの概念論が勝利をおさめた が,その後は,唯名論が,内的経験とその中に与えられる意志の理論とむすび つくことで,優勢を占めるようになったと,とらえている(I277)。

 ここで,これまでの論述の論点を際立たせてみよう。まず第一の論点は,宗 教的生が知(= 神学)へと形成される場面に,議論が定位されていた点であ る。そして第二に,この宗教的生と神学的知の関係は,信仰内容と知性との関 係として考察されたという点である。そして第三の論点は,この関係が理性の 側から考察されることになり,普遍論争として主題化されたということであ

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る。以上のような展開のなかで,ディルタイが着目するのは,二つめの論点で の,信仰内容と理性の関係についての,とくにアンセルムスに関する指摘のな かで言われた,信仰のうちに理性連関が存在しているという点である(10)。こ の洞察を踏まえれば,第一の論点の説明で用いられた「宗教的生が知へと形成 される」という言い回しは,ややミスリーディングな言い方であろう。宗教的 生が神学知へと変貌するのではない。そうではなく,宗教的生のうちに,すで に存している知が見いだされる,というのがここでの考え方の方向である。

 ではここで,以上の諸論点をディルタイ自身の思想に引き寄せるならどうだ ろう。

 あらためて考えてみると,以上の考察の枠組みが,ディルタイの精神科学論 の枠組みに類同的であることがわかる。それは,端的に言えば,(宗教的)生 のうちに構造(= 理性連関)が見いだされるとする,考え方である。ディルタ イの精神科学論の核心を表現する言い方のひとつに,「自然を説明し,心的生 を理解する」というものがある。自然は,われわれと異フレムト質であるゆえに,法則 性を外部から対象にあてがわなければならない。それに対して, 生レーベンは,われ われ自身がその一部であるという仕方で,われわれに 体エアレーベン験 として与えられて いる。したがって,われわれは生を生それ自身から理解できる。だとすれば,

ここでの生を,宗教的生,あるいは信仰内容と置き換えるとよい。信仰内容の うちには,「理性連関0 0」を見出すことができる。つまり,ディルタイに倣って 言えば,生のうちには構造的な連関を見出すことができる,ということにな る。とはいえ,ここで問題になっている中世思想はその後,このようには展開 してゆかない。生のうちに0 0 0構造性が見いだされるという視点で思索が進められ ることがないからである。むしろ,その「宗教的」生(≒信仰内容)と構造性

(≒理性)が,矛盾対立するのである。ここに,信仰と理性との二律背反的な 対立が生ずる。

ⅰ) 中世的思考の第一期において生ずる二律背反とその解決

 ここで二律背反が生ずる中心的な要因は,信仰内容と知性との争いが知性の 主導によって生じているという点にある。そもそも二律背反とは,「ある述語 が別の述語と同一の主語に関して相互に排除または相殺する」(I278)ような 仕方で,二つの命題が矛盾し,それが不可避であるとき生ずる。もちろん,こ のとき前提になっているのは,言語を,文学的,象徴的に多義性をもったもの

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として用いず,肯定的,否定的のいずれかしかありえないような論証的な仕方 で用いることである。このような態度は,アンセルムスが『モノロギオン』の 序文で宣言したように,聖書の権威によらず,「理性の必然性」にしたがって 論証するものである。しかも,このような論証が無信仰に陥らないのは,ディ ルタイもすでに引いていた,信仰のうちに理性連関が存在するから,つまり,

信仰が理性の前提となっているからである。ただし,こうした論証的な作業 は,次のように,神学が,学として成立するためになされていることにも注意 しなければならない。

  「このように,[八世紀から十二世紀にかけての]四世紀のあいだに行なわ れた知性と信仰内容とのこの[主導権]争いでは,最初に弁証法的[論理 的]基礎づけが求められたとしても,これはただ神学のための準備でしか なかった。しかも,すぐ後の課題は,超越的世界が存在するという論証を 引き続いて進展させることにあった」(I278)。

 加えて知性は,神学の成立に向けて次のように位置を与えられ,運命づけら れることになる。

  「知性は,超越的世界のなかで自身を位置づけ,信仰内容の連関を思考に 適合して(gedankenmäßig)詳しく説明しようとした。ここで,この課 題に携わっていた知性の運命がこの時期に決定された。それは,形而上学 的思考が生きのびる条件をその奥まで見通させる運命である」(I278)。

 知性は,信仰内容を,それ自身によってとえらえることのできるような「思 考に適合した」仕方でとらえる(11)。しかし結果的に,ここに二律背反が生ず る。「最も重要な点で知性を満足させる定式によって知性は安定した地位を得 るどころか,次々に矛盾が生じてきたのである」(I278)。

 ただし,この二律背反が,たんなる論理的な矛盾ではなく,逆説的に教義を 形成させる強い原動力となりえたという点も見逃せない。それは,ここでの二 律背反を生じさせた神学的な営みが,知性を主導とし,宗教的生を表象連関に おいて表現しようとする一方で,その知性による宗教的生の神学化に強力に反 対するしかも,それによって逆によりいっそう神学化の論議を活性化させ

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るような傾向があったからである。それは,宗教が,そもそも非学問的だ からである。ディルタイは次のように言う。

  「しかし,宗教は学問ではない。それどころか,もっと重要なことに,宗 教は表象の作用でもない。宗教的表象の二律背反は,宗教的経験を解消し てしまうわけではない。われわれが,自身の空間表象に二律背反があって も,空間的に見ることを断念するようにできないのと同じように,宗教的 表象に矛盾がつきまとっているからといって,われわれの宗教的生が弱め られたり,われわれの生全体に対する宗教的生の意義が貶められたりする ことはありえない」(I279)。

 ここからすると,この二律背反は次のようなふたつの段ク ラ ス階で生ずることにな る。ひとつは,宗教意識の次元において,つまり宗教的生とそこに理性連関を 見出そうとうする神学との二律背反である。そしてもう一つは,宗教を表象連 関としてとらえようとする神学の内部で生ずるものである。

ⅱ) 全知全能の神という表象と,人間の自由という表象とのあいだの二律背反  ディルタイは,宗教的意識の最も基本的な二律背反は,「与えられたあらゆ る瞬時に過去によって端的に条件づけられ」(I279)ているという意識と,「に もかかわらず自分は自由であると知っている」(I279)という意識との二重の 関係にある,としている。この制約されかつ,その制約から自由であるという ハイデガーの「被投的企投」にも似たとらえ方が,宗教的精神が不断に活動す るバネであり,これによって神の理念が完全に作り上げられるという。ここか ら宗教的な生の表象として,一方に,善,全能,全知といった述語の主語であ る神と,他方に,これらの述語をすべて制限する人間の意志と自由がある。こ れはさらに,「神による行為の予知」(I280)と「人間の行為の自由」(I280)

とのあいだの二律背反,「神の全能」(I280)と「人間の意志」との二律背反 とも言い表すことができる。

 ディルタイはここで様々なヴァリエーションをとりあげるが,とくに目を引 くのは,イスラム教における二律背反も,キリスト教におけるそれと同様に取 り上げている点である。たとえば,人間に自由を認めない「ジャブル派」と,

それに対して人間理性を重視し,合理主義の立場に立つ「ムータジラ派」,そ

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して,両者の中間に立つアル・アシュアリー,そしてこれらの対立に決着をつ けたイブン・ルシュドなどに言及する。そしてさらに,アンセルムスが示す二 つの二律背反を取り上げる(12)。その後ディルタイは,この二律背反を和らげ る方法にふれた後,イスラム教の神学者とキリスト教の神学者それぞれの帰結 を,示す。イスラム教の神学では,神の力のなかで個人的自由はすべて滅びる と考えるのに対して,キリスト教の神学では,個人の人格的自由の意識がます ます強く現れている。

 ただしここでふれておきたいのは,ディルタイが上記の叙述のプロセスで,

この二律背反の解決の糸口を示唆している点である。

 ディルタイがまず確認するのは,神学的な形而上学が,表象図式の内部にと どまり,そこでこの図式を知性的に分析し合成しているかぎりは,この二律背 反からの脱出口はない,ということである。あらゆる自由な主体は,条件づけ られない力として,神の力と併存している。しかし,それも,神の全能の意志 という表象の前では,個別的な意志として,日の出前の星のように消え去る。

それは,神が,創造において,万物を一挙に創り出し,かつ保持しつつある作 用因だからである。そこで「スーフィズム」や「ヴィクトル派」などの神秘主 義はこの二律背反を回避しようと,神の意志と人間の意志との区別を神性の深 淵のうちに消し去ろうとする。しかし,そうすることで,人間の自由は神のな かの行為として救われはするものの,悪の責任が神性に帰せられることになっ てしまう。では,この二律背反の解決はどこに求められうるか。ディルタイ は,それを「認識論的立場」からだとし,次のように述べる。

  「客観的連関に組み入れて考えることのできないものは,おそらく心的な 出所を異にするものであり,それには取り去ることのできない差異がある ものとみなされ,相互に,外的ではあるが合法則的な関係へと持ち込まれ ることがありうる」(I283f)。

 理解の難しい箇所であるが,おそらくここで言われているのは,表象連関の 枠組みのなかでとらえる限り,二律背反は解決できない。それを解決するに は,表象のレベルと,それとは「心的な出所を異にする」レベル,たとえば,

神の意志0 0による創造のレベルとを区別しなければならない。そして,これをな しうるには「認識論的立場」からの考察が必要である,ということではないだ

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ろうか。

ⅲ) 神の特性に由来する神の表象における二律背反

 そして,この二つのレベルの一方を他方に押し込むことによって,すなわち 創造のレベルでの内容を表象のレベルへと強引に還元することによって,第二 のクラスの二律背反が生ずる。ディルタイ自身の言い方を引けば,次のように なる。

  「宗教的経験のなかに与えられた神の理念と表象作用の諸条件とのあいだ には内的な異質性があり,これが最高存在の表象のなかに二律背反を生み 出すのである」(I287)。

 もっとも,ディルタイ自身,この二律背反が不毛なものであることは分かっ ており,その解決としてここでは先には〈「認識論的立場」からの考察〉

が示されていたが,「心理学的考察によって0 0 0 0 0 0 0 0 0 0後に補完されることができる」

としている(I287)。

 ここでも,その二律背反は,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教のいずれに おいても取り上げられるが,その定立,反定立のひとつめの枠組みは,「神の 理念と,神の諸特性を諸表象作用の定式のなかで叙述することとのあいだ」(I 286)に生ずる。定立は,神は,必然的な諸表象からなり,これらが破棄され るならば,神の表象そのものが破壊されるということ。反定立は,神は単一で あって,その諸特性を叙述することはできない,とされる。ふたつめの枠組み は,「神の表象をなす個々の構成要素のあいだに内容的に現われる関係に由来 する」(I286)ものである。ディルタイがあげる定立は,神に関する表象作用 が,われわれ自身が従う空間,時間表象に制約されているというものであり,

他方で反定立は,神の理念は空間的,時間的規定を排除するというものであ る。あるいは意志に関して言えば,定立は,われわれの宗教的生においては,

神を意志として有するが,反定立は,われわれが意志を表象するのは人格とし ての意志のみである,という点に認められるということになる。

 この二律背反は,要するに,単一な神の表象と諸規定からなる神の諸表象と の二律背反である。したがって,この解決は,「神に関する諸規定の起源」(I 289)を,どう洞察するかにある。ディルタイは,さまざまな者たちの試みを

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あげる。まずアウグスティヌスによる神を「量的規定を超えた」ものとみなす 見方,さらにはイスラム教のムータジラ派による「神の特性の否定」,そして アラビアの哲学による「神の本質は認識不可能」(I288)だとする見方。そし て,中世初期のキリスト教神学者たちによる「神に関する言表は不可能」であ るとらえ方である。もっともいずれの試みも解決をもたらさない。なぜなら,

神の本質の特性の規定はわれわれが求める宗教的理想には適合しないからであ り,ディルタイにしたがって言えば,「理想の内実をわれわれのうちに確保し」

(I290)ながらも,「人間的で有限的な形式と多様性とを破棄しようとする」(I 290)ということは,解決しえないからである。

 その後,ディルタイはこの解決として,トマス・アクィナスによる「われわ れが神を認識するさいの手がかりとなる特性の多様性は,世界のなかでの神の 反映およびわれわれの知性を介した把握にもとづく」という説を引くが,それ とて,「対象に対応した神の特性の認識は断念されている」のであり,次のよ うなオッカムの参照指示を行う。すなわち「有限で相対的な規定はすべて,有 限なものを超えたもの,あらゆる関係を超越するものに対する象形文字という 意味をもつにすぎないのである」(I291)。

 では,この神とわれわれが求める神0 0 0 0 0 0 0 0 0とのあいだに生ずる二律背反はどのよう に解決されることができるだろうか。それは,すでにディルタイ自身が示唆し ていたように,「認識論的立場」からであろう。それはわれわれのうちなる宗 教的理想から出発する認識論的な設えを探求することが,突破のための道であ ろう。それが示されるのは,もう少し先である。

 ここから中世神学の思考は,アリストテレスの移入によって,第二期へと 入ってゆく。

④ 中世的思考の第二期

 中世的思考の第二期を特徴づける大きな点は,アラビア人を介してのアリス トテレス哲学を中心としたギリシア思想の受容という点にある。まずディルタ イが,この動向をどうとらえていたかを確認しておこう。

ⅰ) イスラム世界へのギリシア思想の移入と,西方ヨーロッパによるその受容  ディルタイは,この移入と受容を,『序説』第二部第三編第五章全体を使っ て論ずる。そのプロセスをディルタイに従って要約すると次のようになる。

(15)

 そもそも,ギリシア的な世界観と,一神教のアラビア人やユダヤ人の神学的 形而上学のあいだには対立がある。それにもかかわらず,キリスト教的中世の 形而上学の世界観は,ギリシア的な宇コスモス宙の学との争いと補いのなかで形成され るのである。このギリシア的な思想との争いと補いの中心的なプロセスは,ア ラブからの思想の移入である。まず,アラブからのギリシアの文化の移入はシ リアを介した。そしてこの「シリア・ヘレニズム」(13)がアラビア人のもとに活 発に移入されるのが,バグダッドに首都を置くアッバース朝のアル・マアムー ンの治世下(在位 813-833)である。ここで翻訳されたものとしてディルタイ があげるのは,アリストテレス,ヒッポクラテス,ガレノス,ディオスコリデ ス,エウクレイデス,ペルゲのアポロニオス,アルキメデス,プトレマイオス などである。これらの翻訳を基礎として,イスラム世界において,アレクサン ドリアに残されていた実証的な学問を引き継ぐしかたで,自然学が発展する。

ディルタイは,アラビア世界における自然学の独自の進歩は,「二つの方向で 近代自然科学の成立を用意した」(I294)と評価する。その第一の方向は錬金 術である。アラビア人の錬金術は,科学史上,知られてもいるが,ディルタイ は評価する点として,この技術が「自然の客体を実際に分析しようと」(I 294)した点,そしてアリストテレスの四元素説にしたがうのではなく,現実 の分析に基づき,これが「化学的分析を介して調合された素材のなかに物質の 構成要素を発見するという真の[科学的な]問題」(I294)を見出した点をあ げている。そして第二の方向として,自然に関する量的規定を表すために数学 を用いた点をあげる。これはとくに,天文学において数学が適用された点をあ げている。しかし,こうしたアラビア人の科学は,決定的な点で限界があっ た。それは,「アラビア人のこの自然認識は,アレクサンドリア学派の自然認 識と同様に,宇宙に関する当時の知識の記述的,神学的な連関を因果的説明の 試みに置き換えることはできなかった」(I295)という点である。これらの学 問は,自然現象を自然法則から因果的に説明するところまではゆかず,彼らの もとにあったのは,依然として原子論的自然観であった。

 このようにしてアラビア人は,ギリシア人の自然の知識やアリストテレスの 移入をすすめてゆく。イブン・スィーナー,イブン・ルシュドがこの完成され た形態であろう。そしてこれらは,十一世紀中葉のコンスタンティヌス・アフ リカヌスや,十二世紀前半のバースのアデラードなどを経て,十三世紀になっ て本格的に移入される。一二三〇年代にはアリストテレスの著作のほぼすべて

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が翻訳されたという。そしてこれが,アルベルトゥス・マグヌスやトマス・ア クィナスによって受け入れられてゆくことになる。

 以上の移入のプロセスのうちに,ディルタイは二つの意義をとらえる。ひと つは,アラビア人がギリシア人の「自然の知識と 宇コスミッシュ宙 的思弁のなかに知的研 究の第二の中心」(I292)を発見したという点である。たしかに,先に見たよ うに中世の第一期においても,ギリシア思想のうちに見られた諸概念を用いて 神学的な議論はなされていた。しかし,そこでの議論はあくまで「ギリシアの 断片的知識を自分にひきつけ,自己の意のままにする」(I292)ものであった。

しかもその議論は,アウグスティヌスやスコトゥス・エリウゲナに顕著であっ たように,内的な「宗教的経験や表象を中心にして」(I292)行われていた。

それに対して,ここで移入された知識は,「事物の外的本性の規定や物質的客 体の研究」(I292),つまり後の言葉で言えば,「自然科学」の領域において扱 われるものであり,それが,第二の中心となったということである。これが中 世の知的生を大きく変化させることになる。そしてふたつめは,ここに,地平 の拡大が生じたという点である。すなわち,「自然の知識と神学の結合は,理 性的学問の地平を拡大した」(I301)のである。つまり,中世第一期の初期ス コラ学においては,信仰内容において理性的連関をとらえることが,ひとつの テーマであった。アンセルムスが格闘した問題はここにあった。そこでは,信 仰内容と理性的連関との二律背反,あるいは理性的連関それ自体における二律 背反が引き起こされた。だがしかし,第二期に入ると,ここにギリシアの宇コスモス宙 に関する認識が加わり,理性的学問の地平は拡大するのである。ではこれらの 問題は,どのように展開するのか。

 ディルタイは,この中世的思考の第二期を三つの節に分けて論じている。以 下ではそれにしたがってまとめつつ論点を引き出してみたい。

ⅱ) 実体形相の形而上学の終焉

 ディルタイは,中世的思考の第二期を,プラトン-アウグスティヌス的な実 体形相の形而上学が終焉してゆくプロセスだととらえている。アウグスティヌ スは,古代のプラトンやアリストテレスの思想に取って代わり,フィロン的-

新プラトン主義的な枠組みで,「イデアは神のなかに場所をもち,万物に有効 に浸透する力がこの英知界から放射される」(I301)というように考えていた。

しかし,中世の第二期にいたって,この方向は転換する。移入されたギリシア

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の理性的学問がキリスト教的なものと一つに結合されることによって,こ こに含まれる難問が隠蔽可能であったあいだは形而上学を体系的統一へと 完成させる妥当性が生じてきたのである。ここでディルタイが引くのはトマ ス・アクィナスである。トマスによれば,「普遍概念は,個物の前に,神の模 範的知性のなかにある。それは,個物の普遍的本質を形成する個物の部分内容 として,個物のなかにある。普遍概念は,抽象化する知性によって生み出され た概念として,個物の後にある」(I302)。この命題が意味するのは,神の中 には「普遍概念だけでなく,普遍的真理,世界過程の変化の法則もまた」(I 302)含まれている,ということである。しかし,このような普遍概念の定式 も,オッカムの時代には解体され,単一なものが権利を主張することになる。

 以上のプロセスのなかで論点となっているのは,一言でいえば,結局のとこ ろ,神へと収斂する思考適合性という問題である。先に見たように中世の第二 期に入ってギリシア思想が移入される。それによって知の地平は拡大するが,

その場合,その拡大は,理性的学問としての形而上学による思考が宇宙に関し て適合しうるかという問題となる。

ⅲ) 超越的世界の合理的基礎づけ  ディルタイはまず,次のように始める。

  「中世の形而上学の中心は神の意識にあり,人々は神から世界や人間を考 察したので,この理性的学問は,西洋哲学の第二期のあいだ,すべてを思 考の必然性に従わせようとする努力に従って,まず神が現に存在すること を確証しようと試み,次いで神の諸特性を展開し,神によって創造された 精神的存在者へと拡大していった」(I303)。

 ここに見られるように,中世形而上学の中心は「神の意識」にある。そし て,形而上学は,理性的学問であるがゆえに,神の意識を「思考の必然性」に 従わせるしかたでとらえることになる。それがすなわち,「神の存在証明」で ある。とはいえ,ここまででは,先の中世第一期のときに見た論理展開と同じ である。しかしここからが異なる。第一期の場合には,出発点は「神に対する 人間の意志関係」にあった。しかし,第二期にあっては,この関係は異なる。

上で見たように,ギリシアの 宇ヴェルトアール宙 に関する知識の移入ゆえに,理性的学問

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の地平は拡大しているのである。理性的学問としての形而上学が,宇宙に関す る知を取り入れ,かつ思考適合性を得なければならない。ここで問題にされる のが,神の存在証明である。中世においても,たとえばアヴェロエス主義やシ チリアのフリードリヒ二世に見られるように,キリスト教的な信仰に対する懐 疑はあった。しかし,そこですら神の存在そのものはけっして疑われることは なかった。そこで中世の第二期において求められたのは,第一期のとき中心的 テーマとなった「存在論的証明」ではなく,「自然の知識の当時の諸状態にも とづいて,あまたの天体の規則的相互に調和のとれた軌道や,自然の諸形相を 支配している合目的性から神へと遡及する推論」(I306)であるところの,目 的論的証明,ないしは宇宙論的証明である。これらの証明の特徴は,ひとつに は,宇コスモス宙から,その創造主たる神へ向かって推論が進むという点にある。した がってふたつには,その推論プロセスに,世界についての知を媒介させている 点にある。ただし,そうすると,この証明は,その証明が遂行される同時代の 自然観に依存することになり,したがって,「宇宙から神の存在を厳密に証明 することは,自然の諸概念からなる完結した体系の客観的妥当性がこの証明の 根底におかれることができないかぎり,不可能である」(I308f.)ということ になる。加えて,この宇宙から神へ進む証明は,世界の創造者を推論すること をゆるさない。ディルタイは,カントの表現を引いて言う。「ただ「自分が手 を加える材料に適う有用性によって,その仕事がつねに著しく制限されている ような世界建築師」(I309)を推論することを許すだけであろう」(I309)。神 の存在証明が到達できるのは,世界の創造者ではなく,せいぜい世界建築師に すぎない。以上のような議論を踏まえてディルタイはここで思考適合性につい て言及する。というもの思考適合性という言葉で言い表されている意識は,神 の存在証明によって示されるものより一段深いところにあるからである。思考 適合性は,「神意識の一側面」であり,これこそが理性的学問である形而上学 が遂行する存在証明を生み出したのである。

 そしてここからディルタイは,心理学的証明とでも呼ぶべき,神についての 内的経験の分析からの心理学的な推論を付け加える。この推論によって,すべ ての自然認識から独立に,敬虔な人に神の存在が保証されるのである。ディル タイは次のように言う。

  「こうして,自分を自身の創造者と見なすことができないにもかかわらず,

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自分自身を犠牲にできるほど自由な存在者の道徳性は,この存在者に対し てすべての自然概念を超出させるのであり,道徳性の条件として神の意志 を措定するのである」(I309)。

  わたしたちは,自らのうちに無常や,不完全さを感ずる。それは心理学的 には,これらすべてを超える尺度が存在することを示しているのである。

この証明においては,「抽象的な神概念のなかにではなく,神の思想と心 的生全体との生き生きとした連関のなかで,宇宙に関する学問から独立し た神の確実性が基礎づけられているのである」(I310f.)。

 さらに,この心理学的な存在証明の特徴をディルタイの思想を念頭に置きつ つ,敷衍してみよう。まずその特徴のひとつめとして,この心理学的証明が内 的経験を介してなされている点があげられる。この「内的意識」とは,中世思 想を問題にしているこの文脈では,神への意識のことである。もちろんこの意 識が,このまま世俗化したディルタイ自身の時代にも生き続けているはずはな い。そこでディルタイ自身は,これを,中世の形而上学という時代的制約を外 し,永遠なるものとしての「超メタ- 自フィーズィッシュ然 的 意識」(I386)というようにとらえ 返すことになる。そしてふたつめは,この内的経験を媒介とする心理学的証明 が,(ディルタイが言うところの)精神科学の領域でなされているという点で ある。ここでの問題は無論,中世における神の存在証明であるが,ディルタイ 的問題圏のなかで書き換えてみれば,心理学的証明は精神の知,すなわち「精 神科学の知」を手がかりにし,他方で,宇宙論的証明,目的論的証明は世界の 知,すなわち「自然科学的な知」を手がかりにしていると言える。しかも後者 の,この創造主と世界の知である自然の知とを媒介しようとする神の存在証明 は破綻しているのであり,さらに言えば,この,アリストテレス的な宇宙論を 内実とする「自然科学の知」は,数世紀後には,科学革命によって無効化され ることになる。中世における 世ヴェルトアール界 についての知は退潮する,しかし他方で,

「精神科学の知」はそうではない。これを宗教的生についての知,と言い換え てもよいだろう。これはどのような経緯をたどってゆくだろうか。

 ただし,この心理学的証明そのものは,つかの間の意義しか持ち得なかった とも指摘される(I320)。なぜなら,この証明は,内的経験の分析から始まる ものの,その叙述は普遍妥当的とはなりえないからである。というのも,ここ で叙述される対象は,人ペ ル ゼ ー ン リ ヒ

格的-個人的で,かつ実践的な信仰から生ずる「神を

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生きる」ことのなかから生ずるものであり,理論的叙述からは独立している。

これがすくい取られるのは,プロテスタンティズムの信仰を待たねばならな い。

ⅳ) 神学と宇宙に関する学問との結合から生じる中世形而上学の内的矛盾  結果的に中世の第二期の知は,「宇宙論的命題の体系」に関しては不完全に 展開しただけで終わった。その代わり,別の二律背反が出現した。次に見るよ うにそれは,ひとつは「神の知性という表象と神の意志という表象とのあいだ の二律背反」であり,もうひとつは「世界の永遠性と時間のなかでの世界創造 とのあいだの二律背反」である。歴史的な展開を先取りすれば,この二律背反 は,後に,世界の知,「自然科学の知」にかかわる表象作用・認識作用と,精 神の知,「精神科学の知」にかかわる内的経験とのあいだの二律背反,すなわ ち,「自然の連関と道徳的-宗教的世界秩序とのあいだの矛盾」として現れる

(I317)ことになる。ここではそこへと連なる,神の知性と神の意志の二律背 反について見ることにしよう。

神の知性という表象と神の意志という表象とのあいだの二律背反

 まず,この二律背反の定立のほうを見てみよう。この定立は,アリストテレ スの理性的学問による思考適合的な連関に由来する。ディルタイは,これを次 のようにまとめる。すなわち「外的経験に与えられている世界は,思考にふさ わしい連関,すなわち思考適合性,調和,合目的性として認識され,最高の知 性へと還元される連関を形成しているという定立」(I318)である。

 この定立をさらに展開させたのが,イブン・ルシュド(アヴェロエス)であ り,その「知性単一説」(14)である。ディルタイはこれを「純粋認識において働 く知性の統一」(I318)ととらえる。この主知主義は,「精神的世界に対して は,個体化の原理を欠いている」(I319)。したがって「個々の思想家の登場 は偶然にすぎず,知性自身は永遠である。統一的知性は,多くの個人のうちに ある理性真理が同一であることに対応する」(I319)。後に,これは,スピノ ザにおいて神の無限の知性として,またドイツの思弁哲学では世界理性として 現れる。

 かくして,以上のようなイブン・ルシュドが展開した定立に対し,反定立と なるのは「神は現実に意志をもつ」(I321)とする説である。ディルタイは,

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定立と反定立に作為的な均衡を作り出したトマス・アクィナスではなく,ドゥ ンス・スコトゥスを引き合いに出す。スコトゥスは,「世界における知性的な 連関と,知性には気づかれない自由の支配とが,同じ強さの精神の鋭さによっ て承認されている」(I322)とした。スコトゥスは,「自己規定する自発性」

を明確に把握しようとする。たとえば,世界の過程が偶然的であることは明白 なことである。そもそも,すべてが必然であるならば,偶然が必然になった り,必然が偶然になったりすることはない。しかし偶然は明白にある。だとす ればその偶然性は,ある自由な原因を指示しているのである。ここに,神の意 志である自由意志がある。したがって,「神のうちなる思考と意志は,ふたつ の最終的な説明根拠であり,そのいずれも他に還元することはできないのであ る」(I322)。

 この二律背反の定立は,イブン・ルシュドによって徹底して展開され汎論理 主義となり,スピノザやヘーゲルに至るが,他方で,反定立は,ウィリアム・

オッカムによって押し進められ,オッカムは形而上学を破壊し,内的経験,お よびこの経験のうちにある意志に場を与え,それゆえ神秘主義者や宗教改革者 に受け入れられる。ディルタイは,オッカムを,アウグスティヌス以降中世の 最も傑出した思想家だとし,次のような言葉で締めくくる。

  「外的世界の思考適合性は学問の根本前提であり,理由律に従って現象を 体系化することは学問の理想である。しかし,意志や心情の経験が始まる ところでは,こうした認識が占める場所はもはや存在しないのである」(I 324)。

世界の永遠性と時間のなかでの世界創造とのあいだの二律背反

 上述の二律背反は,中世形而上学の核心にある神の知性と意志をめぐって立 てられたものであったが,ここでの二律背反は,神の世界に対する関係の把握 においてある。定立は,「世界は,宇コスモス宙に関する学問からすれば永遠である」

というものである。これもまたイブン・ルシュドによって展開された。他方 で,反定立は「世界は,意志の経験からすれば時間のなかで無から創造された ものである」(I324)というものである。ディルタイは,これを「自然秩序に 対して意志が超越しているという内的経験を分かりやすく表現したもの」(I 325)であると説明する。この二律背反はさらに,世界は永遠であるか,それ

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とも時間のなかで生じたか,また,世界は質料から形成されたか,それとも無 から創造されたか,といった対立としてとらえられる。この二律背反の定立 は,イブン・スィーナー以来のアラビアのペリパトス派,そしてイブン・ル シュドによって主張され,他方,反定立側は「キリスト教哲学」(I326),ト マス・アクィナスやアルベルトゥス・マグヌスらによって主張される。

 ここで興味深いのは,次の二点である。一つめは,アラビア人たちによる,

自然的世界観の連関のうちでは創造を考えることはできないとするのに対し て,アルベルトゥスやトマスが,自然的運動系と超越的原因を区別することに よって(I326)おこなった弁明である。ディルタイはこれを次のようにまと める。「ここではわれわれは,超感性的なものから自然過程へと移行している のであり,この移行は表象能力を超えている。こうして,トマス以降,創造は 信仰に委ねられ,形而上学からは排除されたのである」(I326)。注目したい のは,「表象能力」という言い回しである。すでに随所に,この表現は見られ たが,ここではっきりと表象能力と,「信仰」とが対置させられている。表象 能力は,自然的世界である宇コスモス宙に関する学問を対象とする能力である。ここで は超感性的な領域での,その無効性が告げられている。私たちはこの点に,

ディルタイの思想のなかでの「表象」と,それと対置させられるもの,すなわ ち「感情」あるいは「意志」を想起すべきであろう。とくに感情は,「覚知」

あるいは体験の論点に結びついてゆくものだった。

 ふたつめは,ディルタイがわずか数行で,次のように「もうひとつの二律背 反」を付け加えることである。

  「もう一つの二律背反は,以上の二律背反と結びついているが,精神科学 を形而上学的に取り扱うことにすでに通じている。現実は,神の知性のう ちで永遠の真理のなかに,また普遍の形式のなかに与えられ,神の意志の なかでは歴史として与えられている。そして歴史の連関のなかで個々の人 格が神の意志に関わるのである」(I326f)。

 すなわち,定立と反定立とは,現実が,永遠の真理のうちに与えられている 場合と,意志のうちに与えられている場合とである。興味深いのは,後者の場 合それが「歴史」というかたちをとるということである。そして,ここに精神 科学の成立の鍵がある。これについてのもう少し立ち入った論点は,次に見

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る,これまでの中世的思考をめぐる考察の総括のうちに見出すことができる。

ⅴ) これらの二律背反はどのような形而上学でも解決できない

 ディルタイはここで,これまでの二律背反についての総括をおこなう。ここ には,私たちにとって極めて興味深い論点が示されている。ディルタイが,こ の二律背反において選び取ろうとするのは,反定立の立場である。まずはその まま引用しよう。

  「こうして中世形而上学の内的矛盾に満ちた性格が成立する。客観的で思 考必然的な世界連関は,神のうちなる自由意志と対立しており,歴史的世 界,無からの創造,社会の道徳的-宗教的秩序は,この自由意志の表現で ある。ここでわれわれが出会うのは,形而上学を内側から破壊し,自立し た精神科学を自然科学に対置させなければならなかった対立のまだ不完全 な最初の形式である」(I327)。

 思考と意志という二律背反において,後者の意志が取り上げられる。その意 志の表現こそが,「歴史的世界」や「社会の道徳的宗教的秩序」であって,

それらが,(後に)精神科学を自然科学から自立させるさいの,糸口となる。

そしてこれを踏まえて,ディルタイはここに三つの論点を加える。ただし注意 したいのは,もちろんここで立てられる論点は,中世思想に向けて問われてい る問いである。しかしながら,私たちは,その問いの背後に,ディルタイ自身 の問題関心である,精神科学の成立への問いを透かし見ておくべきだというこ とである。

 ひとつめの論点は,前者の理性的な連関が,意志のなかにどのように位置づ けられるべきか,という問いである。ディルタイ自身の言葉を引こう。

  「個々の事実に先行し,その意義を無時間的に表現しているような理念連 関の客観的不変性は,意志のなかでどのように持続するのであろうか。す なわち,意志は生きた歴史であり,意志の摂理は個別的なものに向けら れ,意志の行為は個別の実在となるが,こうした意志のなかに,どのよう に持続するのであろうか」(I327)。

(24)

 ここでの問いは,単純に意志と理性との関係を問うているのではなくて,意 志のなかでの理性の位置づけであって,その逆ではけっしてない。ここで問わ れていることを,後のディルタイ自身の術語を用いて言えば,歴史的精神的 世界において,理性はどのように位置づけられるかということになろう。神の 意志によって牽引される歴史において理性はどのようにあるか。ここで私たち は,ディルタイの歴史的理性批判のなかにあった,「事象に関わる理性」(I 26)を想起してもよいだろう。

 二つめの論点は,次のように言われる。

  「神のなかにある知性と意志という相対立するこの抽象概念を,心理学的 連関のなかに据えようとする課題が生じる場合には,こうした考え方が当 然密かに人間の意識との不適切な類比によって導かれていることにわれわ れは気づく」(I327)。

 ここでの思考と意志を心理学的にとらえようとするとき,どのようになるか という問いである。とはいえ,そのような企ては,夢想的であり十全には遂行 できない。なぜなら,そのように心理学的にこの関係を捉えようとすること自 体が,神における関係を,人間における関係として縮減してしまうことだから である。しかし,これを逆に言えば,人間において心理学的に思考と意志をと らえるなら問題はどのように立てられるべきか,という問いを誘発するだろ う。

 三つめの論点は,理性による世界連関と,神の自由意志によって導かれる世 界とを切り離し,それぞれ単独で押し進めようとすることによって生ずる過ち である。理性の連関における法則や理念は,「客体が生成消滅するなかで変わ らずに残るものの表現にすぎない」。逆に,これらの理念や法則を,神の意志 の行いのうちに引き寄せてしまうならば,意志によって理念や法則が作り出さ れるということになってしまう。そこでディルタイは,自ら解決の方向を提示 する。それは,いままで二律背反をとおして見てきたような「形而上学的解 決」ではなくて,「認識論的解決」である。

  「私が事物や現実と呼ぶものの由来は,私が概念や法則として,したがっ て思考のうちで真理として展開するものの由来,この現実を説明するとい

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う目的のために展開するものの由来とは異なる。私は,心理学的起源のこ の相違から出発することによって,諸困難を解決することはできないが,

それらが解決不可能であることを説明することや,これらの困難を生み出 した問題設定そのものの不適切さを証明することはできるのである」(I 328)。

 むろん,この認識論的解決が具体的にどのようなかたちをとるのかは,「歴 史的理性批判」第四部を待たねばならないだろう。ともあれ,ここまでの考察 で明らかになったのは,抽象概念の戯れにすら見える形而上学的解決がもはや 有効ではないということである。

 ひとまず以上で中世的思考についての考察は終わりをみるように思われる。

ディルタイは,中世的思考を二律背反のかたちでとらえ,結論としては自らの 力点を,反定立の側,すなわち神の意志を重視する側に置く。先の稿(15)で言 えば,それはアウグスティヌスの立場であり,中世後期でいえばオッカムの立 場である。だがしかし,ディルタイの中世に関する思索は,ここで終わりでは ない。意志の側に立ち,かつ形而上学的解決が不十分であることが分かり,か つそれが精神科学成立の手がかりになることが分かった上で,あらためて,精 神科学の主戦場たる,「歴史」および「社会」が,中世形而上学においてどの ようにとらえられるかを考察するのである。

⑤ 中世の歴史の形而上学と社会の形而上学

 まずディルタイが確認するのは,中世形而上学によって人間の魂が不死の実 体であることが証明されたということである。次いでこれを踏まえて,神を頂 点とした形而上学的王国が形成されているということが確認される。この王国 は,神を頂点として,天使・悪魔・人間からなるヒエラルキーを形成してい る。そして,この精神的で社会的な世界へと形而上学的な論証が拡張される。

かくしてこの論証は,精神的実体の形而上学となり,その本質は,精神的実体 論にもとづく歴史哲学と社会哲学にある。

 この精神的実体の形而上学における人間の歴史的生は,被造物としての人間 の精神的実体の意欲や力と神の摂理との協力のうちで形成される。この摂理に よって,これらの全ての実体は,その目標へと導かれるのである。これは古代 の世界とはとらえ方が大きく異なる。ギリシアにおいては宇宙に即して神がと

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らえられ,そこでは世界連関が思考適合的なものであった。それに対しここで の中世形而上学においては「神が歴史のなかに現われ,自らの目的を実現する ために人々の心を導くのである」(I330)。ここからして,歴史や社会の形而 上学は,神のうちにある「理想的な内実」が,神の啓示のうちで告知され,こ れまで神の計画に従って人類の歴史のなかで実現され,またこれからも実現さ れるであろうという意識に根拠をもつものとなる。したがってここでは,「思 考適合性」という概念も「世界のうちでのある計画の実現」(I330)という概 念に置き換えられる。

 ただし,ここからは二律背反が生ずる。これは,先に見た,思考に必然的な 連関と自由意志のあいだで生じた二律背反に対応するものであり,「人間を規 定する客観的な世界連関」と「自由」とのあいだに生ずる,あるいは「創造し 保持し指導する神の意志」と「人間の意志の自由,罪,不幸」のあいだで生ず る。このような二律背反があるものの,中世ヨーロッパが古代より進歩してい る点もある。それは,この歴史過程や社会組織に関する形而上学によって,

「文化の諸体系のなかで展開され,社会の外的組織を通じて活動する人類の目 的生活が,統一的体系として認識され,その生活を説明する一つの原理へと還 元された」(I332)という点である。そして人間の生活は,この形而上学によ る一つの理想的内実が,人間の本性と行為との諸条件のもとで実現されること によって,その生の形式において多様なものとなる。

 ここには,精神科学の端緒がある。つまり,歴史的生の理想的内実が,地上 において実現されるさいの諸条件を探求することに,精神科学的な問題提起が あるからである。ただしそれは,神学的図式を描くにとどまった(I333)。か くして法や倫理などの普遍的特性の研究は,その形而上学的研究ということに なる。

歴史の形而上学

 ここでディルタイは歴史の形而上学に議論を進める。歴史の形而上学すなわ ち,私たちがアウグスティヌスに代表される救済史として知っているものであ る。周知のようにここでは,歴史は目的論的にとらえられ,歴史的経過の部分 は,因果系列の部分ではなく,ひとつの計画の部分である。ここから,キリス ト教的精神が本質的に歴史的な性格をもつ,ということが言える(I335)。こ れによって「前の段階がそれぞれ後の段階を必然的に条件づける段階秩序にお

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