平 城 宮 跡 の 整 備 (2 )
平 城 宮 跡 発 掘 調 査 部
1971年 度 宮跡 整 嚇は 前年 度 整備 の継 統 工 事と し て, 境 界土 塁 造 成, 推 定 第 2次 内 裏整 陥 , 水 路 改 修, 仮設 道 路 の造 成を お こ ない , 今 年度 新 規 工 事と して 高 圧 線・ 通 信線 埋 設 , 照 明 設 陥, ボ ーリ ン グお よび 草 園 整備 工事 をお こ な った 。
境界土塁工事 宮 の四 而 大垣に 相当 す る西 側土 塁を 前年 度に 引 き 続 き 延 長し た。 土 塁 は 高 さ1.5m 総 延 長136m で 県 道 側に 高さ1.2m の 凝灰 岩りj石 債を お こ ない , さらに 土塁 上 に 値 拉jをお こ な った( 第11ヌIA)。
今年 度 施 工 部に は第25 次 調査 に よっ て確 認 され て い る佐 伯門( 西而中 火門)が 含 まれ , 門 基 丿穴お よび 脇門 を 復 原表 示 し た。 門 基壇 は鳥 さ0.99 m 延長29.4m の 規 膜 であ り , 石J,iと 同 質凝 灰 岩 切石に より 葛 石お よ び 羽日 石を 復 原整 備 した 。 しか しIIljの 西半 分 は現 在県 逆 に よっ てりJ ら れ て い る ため 基壇 全 部 を 復原 する こ とが で きず ,そ の 復 原幅 は5.15m の みに とど ま っ た。
県 道 に よ って 切断 され た 基壇 の断 而 は凝 灰 岩 板石 仕 上げ と した 。 なお 基塊 上 而は 三 和 土 仕上 げ と し, 表 示 可能 な 6 ケ所 の 哇 位置に は 人造 礎石 を 布設 し た。
内 裏 整 備 内 裏 盤 嚇は 第10 ・11・20 次調 査liJ或約9300n 召こつ い てお こ なっ た。 今 川 の 整 陥1覡域 に は 建物 , 築地 , 柵 等 の遺 尉が 倹出 され てお り ,そ れ ら をい ず れ も盛 土 張 芝に より 表 示 し た。 建 物は 5 棟 検出 さ れて い るが , うち 2 陳は 礎 石を 川 い た 建物 で, 他31 東は 鋤泣 柱 姓 物で あ る。 そ れ ら の表 示 は 従 来どお り 前 者に つい て は人 造 石 で 礎石 位 置を , 皎 去に つ1.ヽて は 灌 木( ツゲ)陋 找に より柱 位 置を 表 示 した。 築 地 は 復原 幅を コ ン ク リ ート境 界 ブ ロ ツ クで 示 し, さ らに 中 木( サザソカ)の 陋 栽をお こ な った 。
また 下 層遺 俳と し て当 区 域 を 東 西 方向 に 横 切 る市 庭 古墳 前 方 部周 濠 が 重 複し て 検 出 さ れ てい るた め ,そ の 葺 石 下端 を 玉 石 に よ り表示 し 化 粧 砂利 の 色質 を 違 え る こと に よ り濠 の内 外 を 区 分 した( 第1図C)。
水路改修工事 第 2 次 刺堂 院を 囲 う築 地 の外 船 よ大 正時 代に 石hl菠 岸 工事 が 片 ㈲( 部 分的には両 側) 施 工 され て い た が, 近 年そ れ と 接 す る市 道 荒
池{公本 線 の 交通 部:の増 加 に 伴 第 1図 平 城 宮 跡 整 陥 閥
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平 城 宮 跡 の 整 陥 (2)
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第2図 平 城 宮 西 而 中 り川 レ叺 仞凵叫 打コンクリート 清を延長245 mに 渡り布設した。
廴ヽ崩壊 あ るい は そ の危│倹 性が生じ始め た。そ の た め これのilli修 並び に未 施 工 部 分 の聞 知 石に よ る,卮 岸 工 小を お こ なっ た。ま た市 逆 西 側 部分に つ い て も車 輛丿邨1;:の増 加に よ る 路Xljの崩壊が著 しく,こ れを 防lllす るため に現場
従来 実施 してきた割 石 債溝は橲 定 第 1 次朝 堂院 中央を流 れる水路に ついて│副 卩を施 丁端 よ り近 鉄 線までの 延長450m に ついておこ な った 。 また佐紀池 東 部に おいて1968 年度 文 化 庁11( 営で布設 さ れたU 型コンクリ ー ト満がンljl 度 奈 良市の上流 部 水路改修工・ji:に より,そ の拡 幅 の必 要を 生じ た た め延べ98m につ い て水 路拡 幅二ll小を お こな った。さら に草 園 整備にf≒ て│ 佐紀 池 放 水時 の 流 路 確保 のため 県道 に沿い 改 修済ゐ,の水路 まで の 延 妊170m に ついて素掘 排 水 路を設けた(第抃 く│点線)。
仮設道路 仮設道路は寓を貫 皿す る市 逆 荒池1公本線 よ り 南端 沿い に叫に向かい杤 定秋 隍 坤 数に 沿 って北 西に折 れさら に西 側コミ予門 南 脇門力│郤こ延長7,10m(什湘 μ しlm 砂利 舗装)を 造 成し た(第IMI))。
高圧線等埋設工事 従 来おこ なっ て 廴ヽた宮 内 架空 配 線が見せる数 多くの電 柱 景観 は宮 城 恠 陥の進 行と共 に そ の異 和感を増し始め た。そ こで これを 解 消する[│的で発掘箴械電源川 の6
K Vi; XIE電 線の埋 設(1300m), 資 料館 と覆 屋, 管 川 図を 結 ぶ通信線(880m),讐報 川ケ ー ブ ル(1223 m)の 埋設 , 照 明 設 備(水銀灯12圸)]こ事を実施した。なお 電線 川 設 起点 付 近の受 電 盤 取 り 付け川キ ュ ーピクルを はじめその 他 5基 の 分電 川キュ ーピクルを 設置した 。 これら につ い て も宮 域 景 観 上の要 請から出来る だけ 小型 の ものとし││隠し に1111{找を お こな っ た。
照 明 灯は第 2次 内裏 既 整 備区 域を 中 心に宮 内12か 所 に設置した。
地質調査・地下水位観測 のためのボーリングエ事 宮 川辺 にお け る丁場 等の 建設 にj`11う深 井 戸 の 影響と考 えら れ る地 下 水 位 の 低下 が当研 究 所 の調 査に より│リjらか に され ,ま た寓 内あ る いは宮 川 辺を流 れる河 川の 汚 染 が 日立 つ こ とな ど から木 簡等 の埋 蔵 遺 物へ の影 響が唆 慮さ れ る よ うにな っ た。この ため水 位 跖 則, 水 質, 土質 置¢,ミお よび花粉 分 析 調 査を そ の内 容と し た ボ ーリ ングエ 事を お こ なっ た 。掘 削孔の内訳は50m 孔 1 基, 5 m孔23 基の計24 基を宮 内 に 分 散設置 した。 なお50n 可Lに は自 動 水 位 観測 計を設け た (第11刈の数字は ボーリング地点)。
草園整備 宮 域国有 地 のうち整 陥工事 の完 了して い る区 域は,まだ全体の約 2割 程 度 に 過 ぎ ず, 他地区 は 多種の 側草が 繁茂して・。ヽる のが現状 で あ る。従来そ の草地は年 3回の 関城
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奈良国立文化財研究所年Ⅲ
に よ る刈 り 取 りを お こな っ て きた が, 近 年帰 化叭物(特に セイタカアワダチソウ)の繁 殖 が 日立 つ よ うに な った。そ こで1970 年 度 秋 季お よび 本 年度 春 季に お こ なった 植生 調 査を 基 にし, 在 来 插の 育成 を 計 る 仮整 陥 事業 と して 草 園の 逃成 を お こ なっ た。対 象 地域 とし ては , 従 来お こ なっ て き た盛 土 張芝 に よ る整 嚇 工 事の 不適 地あ るい は近 い 将来 繋 陥 着 手の 及 ばな い と 考え ら れ る な ど の点 か ら 佐紀 池 の池 尻 区約20,000 ㎡を 選 ん だ。こ こは 宮 造 営 以前 に おい ても谷筋 で あった と 考え ら れ 現在 も 周辺 部に 比 し 低湿 地 となっ てい る。また セ イ タ カ アワ ダチ ソウ が湿 気に 弱い こと , 水源 と し て佐 紀 池を 持 つこ とな ど から この 湿地 を 拡 大 し湿 生 航物 の 育 成 救培 を 計 った(第1図B)。
湿丿也を 拡 大 す るた め 現在 こ の地 区 の 南側を 走 る 仮設 逆 路を 利 川 しそ の側 而を 捕強 す る こ と に よ り 水を 溜 め, そ の 汀線 沿 いに 園 路を 造 成し そ の両 側に ア ヤj , ノ ハナ シ ョ ウブ , ミゾ ソ バ , ヨ シ。 ガ マ。 チ ゴ ザ サ, イダサ 等の 湿生 植 物を 主 体 とす る 陋 找を お こなった。
(Ill中哲栩・渡辺康 史)
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