社会概念の再検討
近年の動向と展開への手がかり1)
左古輝 人
0.本稿の課題と概要
欧米では1980年代後半から散発的に、日本では2000年代に入ってからまとめ て、社会の研究に携わる者なら誰しも無関心ではいられないだろう〈社会(so−
ciety)〉の概念を、抜本的な再検討に付そうとする動きがみられるようになっ た。2008年2月現在この動向と深く関係すると思われる社会学的論考のうち主 要なものだけを数えても、欧米、日本あわせて20点にのぼる(本稿末尾の文献
リスト1を参照)。2}
このように言うと直ちに《社会学はこれまでにもかなり頻繁に〈社会〉につ いて検討してきたではないか》という声が聞こえてきそうだ。なるほど古典か
ら最新作に至るまで、社会学の研究書を開いてみれば、その冒頭付近に〈社会 とは…〉という具合に定義が検討されるのが珍しくないし、〈社会〉を研究す るにあたっての方法や前提についての議論も、継続的かつ活発におこなわれて きたと言える。じつは近年〈社会〉の抜本的な再検討を提唱している論者たち 自身ですら、こうした従来の〈社会〉諸検討と自らの主張とのあいだの違いを うまく説明できずにいる。この主題をめぐる諸意見が、それぞれ言いっ放しに 終わってしまっており、なかなか対話にならないことも残念ながら事実だ。
しかしそれでも、近年の動向にはこれまでと顕著に異なる諸特徴があるよう にも思われるし、その異なりのなかには積極的に深化させるべきものがあるよ うにも思われるのである。本稿は、まだ産まれたばかりで、およそよく組織さ れているとは言いがたいが、この動向が確かに持っている意義深い諸側面を、
①定義志向への懐疑、②全体性の相対化、③概念史の展開という3つの観点か ら要約し、その更なる発展のための手がかりを探索する。
1. 〈社会〉とは何か、は、なぜ問題か
〈社会〉という語がたいへん多用されているわりに著しく多義的だという事 実は、これまでにもよく指摘されてきたところだ。こんにち〈社会〉の抜本的 再検討を要求する論者たちもやはりこの事実に着目している。しかしこの同じ 事実に対してこんにちの論者たちが抱く関心には、かつてなかった特質があ
る。以下たくさんの引用を列挙するが許されたい。不判明な事態を少しでも理 解可能にするためには、まずはとにかく手がかりになりそうなものをすべて目 の前に並べて眺めてみることが近道になるケースがある。このケースがまさに そうである。
…「社会」という語は、あちこちで使われていることばではあるけれども、社会 学的な言説のなかでは、全般的に、それほど分析されないままに使われている
…。 (ギデンズ1987=1998:41)
実際のところ、「社会」という言葉によって何が意味されているのかがまったく 不明確なのである。…これはまさに皮肉なことである。というのも、もし社会学 の中心をなす概念が存在するとすれば、それはまさしく社会という概念にほかな
らないからである。 (アーリ2000=2006:9−10)
現代の社会科学のなかで、社会ほど普及した概念はないし、その定義に無数の紙 面が費やされてきたにもかかわらず、何の反省もなく自動的に用いられている概 念もほかにない。 (ウォーラーステイン1987:315)
社会学にとって究極の問いは「社会とは何か」である。…これまでさまざまな理 論がこの問いに答えようとした。現在の私たちはその蓄積、というより残骸の上 にたっているのだが、そこに何かの「革新」を見出すとしたら、この問いが置か れた平面への気づきであろう。 (佐藤2000:37)
或る意味、社会学とは予断(preconceptions)を解明する科学である。…予断は透視
図法における焦点のようなものだ。それは我々の知覚の基本的枠組を決定してい るにもかかわらず、それを説明する言葉がない。…社会学にとって、社会学的透視図法を可能にしている焦点は、社会の概念にある。 (Sako 2006:1)
まずギデンズとアーリの指摘に対して《社会学における〈社会〉は、多様に
定義されてきたとは言えても、不明確なのではない》という異論があるだろ う。社会学者は〈社会〉を、〈進化する有機体〉や、〈下部構造と上部構造か らなる構成体〉、〈諸行為からなるシステム〉、〈集合表象〉、〈意味的に境 界付けられたコミュニケーション〉などなどとして明確に定義してきた。〈社 会〉の諸定義は並立することによって互いに比較され明確化され、論理的一貫 性を高めたり適用範囲を拡大したり、適用条件を厳密化するなどしてきたので あって、決して何を意味しているか不明確なまま放置されてきたのではない
と。
しかし一般にごんにちの社会学者たちが〈社会〉の定義についてかなり違う 捉え方をしていることを見逃すべきではない。彼らは自ら用いる〈社会〉の意 味をおのおの規約主義的に定めると、それが互いにどんなに異なっていよう
と、或いは矛盾していようと、ほとんど意に介さない。彼らは〈社会〉を定義 するとすぐに、そそくさと自ら定めた規約から見えてくる対象の観察へと向 かってしまうのが常なのである。いわんや社会学者が用いるく社会〉の諸概念 が自然言語における〈社会〉とのあいだに持つ関係についてなど、管見する限 り一度も考察されたことがない。3)こんにち定義は議論を整理し誘発するた めでなく、議論が成立しないことを互いに了解しあうために用いられていると 言わざるをえない。多くの社会学者がこのことに格別の驚きも憤りも感じてい
ないのを見ると、この規約主義的シニシズムがいかに広範に根深く蔓延してい るかが知られよう。
定義に対する規約主義的シニシズムの蔓延という状況を踏まえたうえで、
ウォーラーステイン、佐藤、左古の指摘を読んでみれば、論者たちの主張のな かに傾聴すべきものがあることが少しわかってくるのではないか。3人が言う には、問題の焦点は〈社会〉の明確な定義が欠如してきたことにあるのではな い。明確な定義はありすぎるほどあったのである。これまで欠けていたのは、
ウォーラーステインによれば「反省」、佐藤によれば「この問い[社会とは何 か】が置かれた地平への気づき」、左古によれば「社会学的透視図法を可能に
している焦点」の探究である。問題は《〈社会〉をどう定義するか》ではな く、《〈社会〉が定義できるもの、定義すべきものになるとはどういうことな
のか》にある。《〈社会〉とは何か》が答えうる、答えるべき問いとして認識 されるためにはどのような前提条件が必要か。過去におこなわれてきた〈社 会〉概念の検討には、このように問う観点がほとんどなかった。こんにちの社 会学は、確実にこの観点を持ちはじめているのである。
《それは何も新しいことではない。20世紀前半に、いわゆる社会唯名論の立 場からしばしばなされた社会実在論への批判と同じではないか》との指摘があ り得る。しかしそれも違う。いわゆる社会唯名論者たちが主張したのは、それ が実在論者の定義するような意味においては〈存在しない〉ことであり、〈社 会〉がく諸個人やその相互行為の集積〉として、あるいは〈コミュニケーショ
ンの様式〉などとしてならば〈存在する〉ことだったのだから。というか、そ うでないと言い張ろうとすると非常に厄介なことになる。
気づかれにくいが、社会唯名論には平凡な才能一一例えば私のような一に とってはかなり危険な罠が潜んでいる。これに気づかないで弄んでいると、唯 名論における〈社会〉の存在措定は、実在論におけるそれよりもむしろ根深
く、自覚されにくくなる。というのは、社会実在論が〈社会〉という語とその 指示対象とのあいだの関係に操作可能性を認めにくいのに対して、社会唯名論
は原理的に、どのような対象であれ〈社会〉と呼び得てしまうからである。
唯名論によれば、〈社会〉という語がどのような対象を指示するかはこの語 を用いる者が与える定義、規約に全面的に依存する。社会実在論ならば、特定 の指示対象の実在性が完膚なきまでに否定されれば、〈社会〉という語を、使
うべきでないとして放棄し得るかもしれない。しかし社会唯名論においては定 義、規約を改変することがいくらでも可能なため、いかなる対象であれ〈社 会〉という名で呼び得てしまう。
規約主義的唯名論がはらむ危険はこれに尽きない。じつは歴史的事実とし て、じっさいに重要な術語の放棄を推奨してきたのは、実在論ではなく規約主 義的唯名論だったのである。その分かりやすい実例は20世紀の政治科学(politi−
cal science)における概念分析に見える。特に1930年代から60年代にかけて、政 治科学は自身を制度的経験的科学として確立しようとする努力のなかで、〈ス テート(国家,state)〉の概念に手を焼き、多くの論者が繰り返しその放逐を試み
てきた。その代表的な唱導者デヴィッド・イーストンによれば、
国家とは何か。…ひとつの術語について、これほど意見が一致しないというのも 珍しい。現在の国家概念をめぐる混乱はあまりにも大きいので、この問題が、さ
まざまな形で過去2500年以上にもわたって論じられてきたのだということや、そ してそれにもかかわらず、ある程度の意見の一致さえも見いだせなかったのだと
いうことが、ほとんど信じがたいぐらいである。 (イーストン1971=1976:112)
…国家という術語を慎重に避けたとしても、どのような表現上の深刻な困難も生
じない…。 ・ (イーストン1971=1976:113)
〈ステート〉が術語として明確に定まった指示対象を持たない、つまり共有さ れた規約を持たないことを根拠に、イーストンはそれが名目的にさえも用いる には値しないと断じる。そして、用いるに値しないなら用いないようにすれば よいと主張するのである。4)
本当に《〈ステート〉という語を使うと混乱するなら、使わないよう規約に よって取り決めればよい》などと言えば済むほど事態は容易だろうか。イース
トンは偉大な碩学だから、それに付随する罠のことなどもちろん承知なのだろ うが、このような誘いに、注意の足りない平凡な才能が乗ってしまうと大変で ある。研究者たちがいくらくステート〉を研究の術語から排除しようと、それ が自然言語の語彙から消えてなくなるわけではない。彼ら自身いくら〈ステー
ト〉を規約によって排除したところで、またそろ同じくらいに不判明で混乱し た諸観念や、雑多で勝手な諸規約を欲してしまうだろう。そして、そのような 不判明さや混乱を一挙に克服しようとするとき彼らを待ち構えているのは、実 在論の誘惑であろう。イーストンが〈ステート〉の替わりに〈政治システム
(political system)〉という概念を提唱するところを見ると・これが杞憂とは思え
ない。(バーテルソン2001=2006:1−7)
〈社会〉についても同じことが言える。規約主義的唯名論に立つと、何であ れ〈社会〉と呼べてしまうだけでなく、何も〈社会〉と呼ばないことができる
ように思えてきてしまうのである。
社会は、それ自体の概念史を持っており、それゆえ根深くきわめて紛らわしい諸意 味を含んでいるため、廃棄したほうがよい術語である。 (Wallerstein・1987:315)
〈社会〉に新しい意味を付与しようとすると、過去の用法・用例を尊重する概 念史研究者にうるさく噛みつかれる。ならばいっそのこと使わないように規約
によって定めてしまえばよい。ウォーラーステインはそう断じた上で、イース トンが〈ステート〉に替えて〈政治システム〉概念を提唱するのとまるでそっ くりに、〈社会〉に替えて〈世界システム〉を発見し、その分析を提案するの
である。
これはイーストンやウォーラーステインのような大学者の著述だけにみられ る傾向ではない。一般に社会学がこんにちでも〈ネットワーク社会〉、〈グ ローバル社会〉、〈情報化社会〉、〈リスク社会〉などの新しいく連辞符社 会〉を次々と、奔放に生み出し続けているのは、見た目こそ穏やかだが本質的 にはこれと同じことである。社会学はそうすることによって、術語としての
〈社会〉の諸規約どうしの、また術語としての〈社会〉と自然言語における
〈社会〉とのあいだの、そして〈社会〉と、〈社会〉に代わる等価諸概念との あいだの不透明な諸関係を、吟味しないまま更新し続けている。
佐藤が言うように、
社会学者はごくあたりまえに「社会がある」と言うが、それが何を意味するかに は鈍感であった。…より正確にいえば、この鈍感さは表面的には容易に反省され
るがゆえに、頑強に反省されないのである。 (佐藤2000:46)
こんにち必要なのは、既にありすぎるほどある〈社会〉の諸定義を批判しつつ もう1つの規約を作り出すことではない。分からないからといって〈社会〉を 捨てれば済むはずもない。もちろん素朴な実在論に復帰するわけにもいかな い。そのような意味において、私たちの眼前には、かつてなかった深度で〈社 会〉を再検討することの可能性が、ぱっくりと口を開けているのである。
左古によれば、
それ[社会学者の予断における社会]を解明しようとするならば、何かしら組織さ れた諸技法と諸方法が必要だろう。 (sako2006:L[]内引用者)
私たちが本当にこの可能性を追究しようと欲するならば、《私たちがどうして も何かを〈社会〉と呼びたいのはなぜなのか》の問いを、組織化された特殊な 諸方策によって分析的に解明することが必要となるだろう。
2. 〈社会〉の希少性
1980年代後半以降の社会学的言論において、〈社会〉の抜本的な再検討を主 張する論者たちの多くがその必要性の論拠としてしばしば言及するのは、これ までの社会学が総じて〈社会〉を国民国家(nation state)と、或いは国民国家に よって与えられる人間関係の諸単位と同一視してきたこと、および20世紀末以 降、そのような同一視がもはや容認しがたいと思われるほどに、国民国家を超
えた人間諸関係が多くの人にとって重要性を増してきたことである。
近代の世界において、「社会」とは国民国家のことであり、それは、世界システム のなかで他の国民国家によって境界づけられている。 (ギデンズ1987=1998:41)
社会学の自己規定の核心に位置する「社会」は、国民国家のイメージのもとにつ
くりあげられている。 (Billig lgg5:53)
社会学と国民国家のあいだの結びつきはきわめて広範であり、「近代的」な、組 織化された諸社会のイメージが…それ自体、絶対的に不可欠の概念として、古典 的な社会科学者たちの草創的な仕事のなかに貫徹している。…社会と社会学はと
もに、社会と国民国家を同一視する「領土の罠」に陥っている…。
(Beck 1997=2000:25)
こんにち国民という語は一般に、文化、言語、宗教などの共有属性に基づいて 形成されていることを、存立の主要な正当性根拠の1つとする主権国家(sover−
eign state)の、主権者、被治者、あるいはその両方を指すだろう。論者たちは、
社会学がその本質からして、〈社会〉を国民国家と同一視してきたと主張して いる。しかし少しでも史実を顧みれば、これが容易に支持できる主張でないこ
とはすぐに分かる。
一般的な観念としても人々の行動を規制する制度としても、国民国家なるも のが西ヨーロッパで確立したと言えそうなのは早めに見積もって19世紀半ばの ことだ。それによって地球と人類を覆い尽くすことが現実的な目標として意識 されるようになったのは明らかに20世紀以降のことだ。5}19世紀前半にまで は確実に遡ることができることについて誰からも異論がないだろう社会学が、
その本質からして総じて〈社会〉を国民国家と同一視してきたと主張すること には無理がある。
19世紀前半オーギュスト・コントが〈社会〉と呼んだのは、18世紀の道徳的 政治的科学(science morale et politique)が教えるような〈望ましい規範〉から区
別された、人々の暮らしに〈現実にあるはずの秩序と歴史の趨勢〉だった。コ ントの判断によれば、産業化と政情不安のもたらした大混乱のなかで、旧来の
〈望ましい規範〉の権威は完全に失墜した。この大混乱を耐えるために、ある いはそれを克服するために必要なのは、権威者の発する道徳的、政治的金言を 復興することではなく、人々の暮らしのなかにすでに存在するはずの秩序と趨 勢を発見することだ。
コントはこの判断に基づき、実証主義を方法論的手がかりとした探索のすえ に、静的秩序としての家族、動的趨勢としての進歩を発見した。しかし重要な のはそのことではない。学説史的事実としてもコントのこの発見そのものが社 会学全体に共有されてきたとは言いがたいだろう。社会学にもしビリッグの言 うような「自己規定の核心」やベックの言うような「絶対的に不可欠の概念」
があり、それがコントの思考にも映りこんでいるとすれば、それは、《存在す るはずなのに、まだ発見されていない秩序と趨勢がある》という確信であり、
その確信に賦与された名としての〈社会〉である。コントにとって人々の共有 属性とは、そのような、存在するはずだがまだ発見されていない何ものかで あって、こんにちの批判者たちが言うような、前反省的に措定された国民国家 なるものでは到底あり得なかった。存在するはずなのにまだ発見されていない からこそ、コントはその発見のために社会学というかつてない科学の創始を必 要としたのである。(左古1998:109−111)
コントに続いて19世紀後半から20世紀初頭、社会学の主流となった社会有機i 体進化説が、種族(race)を単位として形成された集団が支配の諸制度を発達さ せながら成長してゆく社会進化の物語を描いたのは事実だ。また当時の社会有 機体進化説が国民国家を、社会進化の現段階あるいは直近の未来にふさわしい 支配制度として、しばしば肯定的に評価していたのも本当だ。
しかし当時、社会有機体進化説がそのような観点から重視されたのは、主権 的国民国家と産業資本制の体裁を整えることを課題としていたドイッや日本、
ロシアなどにおいてであって、先行してそれを達成していたイギリスやフラン スにおいてではなかった。社会有機体進化説は〈社会〉と国民国家の同一化を 望ましい模範と見倣し得たとは言えるだろうが、決して総じて既成事実と捉え
ていたとは言えない。それだけではない。第1次大戦に前後する時期になると 社会有機体進化諸説のなかには、社会進化の次の段階において、〈社会〉が国 民諸国家の連合一国力の相違に応じた階層序列的な連合、あるいは主権平等
の国際法原則に基づく平等主義的連合 を求めたり、国民諸国家の上位に新 たな単一の支配制度を生み出してゆく可能性を主張するものもあった。(左古
2001)
社会学が総じて〈社会〉を国民国家と同一視していた期間が本当にあったと すれば、それは、学説史的には機能主義社会学の興亡の時期、制度史的にはア メリカの大学で社会学が確立され、いわゆる先進諸国に伝播してゆく時期、つ まりざっくり言って1955年を挟む約30年間のことだろう。そこでは確かに〈全 体社会〉に相応する経験的な対象として、現に〈ある〉国家の領域内に現に
〈いる〉国民が措定され、社会学はその〈全体社会〉と、〈全体社会〉に内在 するサブシステムとのあいだの相互作用、およびサブシステムどうしの相互作 用の観察に専念すべきものとされていた。(ギデンズ1987=1998:41)(アーリ
2000=2006: 10−11)
とすると、こんにちの〈社会〉の再検討は、現代社会学史の1コマの次に、
学説史をよく踏まえていないぶんもっと小さく心もとない1コマを描こうとす る、つまり〈抜本的な〉という形容には全く値しない一過性の動向にすぎない のだろうか。少なからぬ論者たちがく社会〉の歴史的、理論的な再検討を本格
的に展開することよりも、魅惑的なく社会〉の新概念を提起することのほうに 心を砕いているらしいところを見るにつけ、そう言われても仕方ないようにも 思えてくる。
諸社会は力の社会空間的諸ネットワークの、多様な重なり合いと交わり合いに
よって構成されている。 (Ma1m 1986:1)
世界社会は、国民国家の政治に組み込まれておらず、それによって決定されても
いない社会的諸関係の全体性を指し示す。 「世界社会」という場合の「世界」と は…差異と多様性を意味し、 「社会」とは非=統合を意味する。
(Beck 2000:10)
…社会学は、人間「社会」という中心的概念を喪失しつつある学問分野のための 新たな課題を展開することができるかもしれない。その新たな学問分野は、ネッ
トワーク、移動性、水平的流動性をめぐって組織されることになるのである。
(アーリ2000=2006:2)
〈諸力のネットワーク〉として、〈世界社会〉として、はたまた〈モビリ ティ・流動性〉として、新たな〈社会〉諸概念を提起し、その魅力を伝えるこ とが専らの眼目なのだと捉えてみると、彼らは、国民国家と同一視された〈社 会〉の旧式の概念なるものを仮想敵として担ぎ出し、激しい攻撃を浴びせか け、反撃してこないのを見ては凱歌をあげているだけのようにも見えてくる。
じっさい社会学には、これに似たようなこっぴどい仕方で古い学説を葬り去っ てしまった前例があるから要注意である。
社会有機体進化説の辿った運命をみればよく分かるはずだ。20世紀前半、社 会進化有機体説は《政府を脳に、交通を血流に、個人を1つ1つの細胞に、とい うふうに社会を生物個体になぞらえた、幼稚な想像の産物》として嘲笑され断 罪された。これは周知の事実だろう。しかし社会有機体進化論者たち一少な
くともその最良の部分 が、社会を生物に〈なぞらえて〉などいなかったこ とを知る者はこんにちでも少ない。社会有機体進化論者たちは社会が化合体
(compound)、機制体(mechanism)、有機体(organism)のうちどれなのかを吟味し た結果、有機体〈である〉と言ったのである。有機体に〈似ている〉などとは
言っていない。(左古2001)
社会有機体進化説を誠実に正当に批判するとは、社会を〈化合体である〉あ るいは〈機制体である〉とするほうが、〈有機体である〉とするのに比して認 識利得が高いことを示すことであるはずだ。残念だが、そのような批判がなさ れた実例を、私は1つも知らない。さもなければ、直後に説明するように、
〈社会〉を、いかなる意味であれ〈体(body)〉一現代用語でいえばシステ ムーとして捉えることを全面的に批判できる立場を構築する道しかない。
今回もまた20世紀前半と同様のことが起っているだけなのだろうか。しかし こんにちの論者たちが提起しようとしている新たなく社会〉諸概念を、彼ら自 身が強調する国民国家批判から一旦切り離して別の議論と接合してみることも できる。そのほうが彼らの〈社会〉諸概念にもっと積極的で重要な意義を認め ることができる。
〈社会〉の抜本的な再検討の必要性の主張のなかには、その主張を状況論的 に正当化しようとするものだけでなく、〈社会〉が概念として持つ特異な性質 への疑念の提起や、それへの分析的な解明を伴うものもある。
単一でまとまりのある「社会」というものが存在することへの信頼は、…ほとん ど疑われることはなかった。そのことは、さまざまな社会学者が「社会」の概念
に定義を与えようとしてきたことからもわかる。 「社会」が存在するという信念
があるからこそ、それがどういうものであるかを記述ずることができると思われ ていたのである。 (盛山2005:20)全面的に縫合された社会とは、…閉ざされた象徴秩序の透明性とみずからを同化 したような社会にほかならない。社会的なもののこのような閉域化は…不可能で
ある。 (ラクラウニムフ 1985=1992:142)
社会には斉一性などない。それは社会システム…でもないし全体性でもない。…
そこにはシステムも全体性も存在しないから、「サブシステム」や、全体性の
「諸次元」や「諸水準」などというものも存在し得ない。 (Mann l 986:1)
社会概念にかんして根本的に誤っているのは、その強固さではなく、その流動性 や順応性が真に重要である社会的な現象を、社会概念が具象化し、したがって結
晶化してしまうことである。 (ウォーラーステイン1991=1993:101)
これらによれば、〈社会〉はこれまで、それ自体として内的本質を持ち自己完 結的に存在する何物かとして概念される傾向にあった。しかしそのような概念 化は機能主義的なアプローチだけに限らず、どんな概念化であれ不可能であり 誤っている。なぜそのように主張できるかと言えば、〈社会〉がときに、あた かもそのような自足的閉域のように現象することがあるのは事実だとしても、
それはきわめて多様で変化しやすい〈社会的(social)なもの〉の結果ではあって も、原因であるとは言えないからである。平たく言えば、〈社会的なもの〉は
〈社会〉なしにも常に存在するが、〈社会〉は〈社会的なもの〉なしには存在
しえない。
〈社会〉と〈社会的なもの〉の区別が言危弁的に響きかねないことについては 暫くおくとして、まずはこの思考法に立つ批判がきわめて強い歴史的貫通力を 持つことに注目すべきだろう。この批判は〈全体社会〉にあたる経験的対象と して国民国家を措定する機能主義社会学に妥当するだけでなく、19世紀的な社 会有機体進化説にも、また17、18世紀的な社会契約説にも同程度に妥当する。
社会契約説は〈社会〉を、参加者たち自身が明示的にか暗黙にか結んだ約束に よって形成する自足的サークルとして想定している。そこでは〈社会的なも の〉は極力排除すべきものとして扱われるか、さもなければ或る〈社会〉が別 の〈社会〉に取って代わられる局面にあらわれる特異な状況としか解されな い。社会有機体進化説のく社会〉は環境との相互作用という〈社会的なもの〉
によって内部と外部の区別を時々刻々と更新し続けるシステムだから、社会契 約説におけるほどの自足性は前提とされていない。しかし〈社会的なもの〉の 意義はシステムの境界を維持することに求められるのが常であって、それが境 界を生み出したり消し去ったりすることについて必ずしも多くは語られない。
また、この思考法は、80年代後半以降提出されてきた〈社会的な諸力のネッ トワーク〉、〈世界社会〉、〈モビリティ、流動性〉などとしての、新たな
〈社会〉諸概念ときわめて親和的である。なかでも特に親和的に見えるのはマ ンの〈社会的な諸力のネットワーク〉である。マンによれば、人間の歴史は政 治的、軍事的、経済的、観念的という刻々と興隆しては衰退し、交錯しては散 開してゆく4種の〈社会的な諸力〉の相互作用として要約可能であって、それ
ら諸力の近代における最も成功した結晶化の形態こそが国民国家という名で呼 ばれるものだった。マンの診断によれば、その結晶化は「長い19世紀」 (マン 1993=2005:355)の道行きのなかで少しずつ進行し、20世紀前半に完成を迎え た。しかしそれ以降は再び方向付けを欠いた〈社会的な諸力〉の動態がさまざ まなコンフリクトを生み出すようになっている。こんにちに至るも国民国家に かわるような明確な結晶化の形態は現れていない。
ベックの〈世界社会〉は国民国家と〈社会〉の同一視を単純にひっくり返し ているだけで、彼自身が批判の対象としているところの伝統的な諸思考にむし ろ忠実であるように思われる。アーリの〈モビリティ・流動性〉も、固定性、
静態性との対比においてしか意味を持たない点で不徹底に見える。これらに比 してマンの〈社会的な諸力のネットワーク〉は、人間の経験においては〈社会 的なもの〉の不定形な流動のほうが常態であって、むしろ〈社会〉のような結 晶化が生ずることのほうが特殊で希少である可能性さえ想起させてくれる。こ の思考法からもたらされ得る最良の展望の1つは、社会有機体進化説と同程度 の歴史的射程を持つ、〈社会的なもの〉の自然誌であろう。
3.概念史から考える
以上によってかなり判明になってきたように、こんにちの〈社会〉再検討に は、①《〈社会〉とは何か》が答えるべき、答えうる問いとして認識されるた めの諸条件の探究、②〈社会〉という希少な出来事の、〈社会的なもの〉の自 然誌への組み込みという、かつてなかった積極的で意義深い特質がある。これ
ら双方と呼応し、これら双方を深化させるのにたいへん役立つと思われるのは
〈ステート(status, state)〉と〈市民社会(societas・civ・ilis, civil society)〉の概念史研
究のもたらす知見である。
古代ローマ以来、〈社会〉という語は、それ自体単独で格別の意味を負わさ れてはいなかったようだが、〈市民社会〉という成句としてはきわめて重要な 役割を果してきた。〈市民社会〉は〈公共(res publica, republic,共和国)〉と同 義であって、生物としての下劣な欲求と家長の暴力によって支配された〈私事
(res privatum)〉の秩序としての〈エコノミー(家政, oeconomia)〉と対照され、自
由で対等な市民たちが営む、より高尚で理性的な秩序と目されてきた。(リー デル1975ニ1990)(エーレンベルク1999=2001)
〈社会〉という語は、〈市民社会〉を中心とする古代ローマ以来の諸概念の 布置連関が、14世紀末以降〈ステート〉概念の変質を契機として基底的な水準
において解体され再編されていった果てに、19世紀になってようやく単独で自 律的な意味を持つようになった。
〈ステート〉はもと〈事物の状態〉と〈人物の地位〉を指す言葉だった。そ れが〈国家〉すなわち統治諸制度あるいは統治体制を意味するようになってゆ
く過程で重要な役割を果したのは、中世イタリア自治都市の経験だった。大幅 な自治権を得た諸都市では、都市の首長をどのように決定するか、就任したも のの政治に不案内な素人首長や、首長となるべく定められた人物に、政略をい かに教えるかが重大な課題となった。
そこで14世紀末以降成長をはじめたのが、後にニコロ・マキャヴェリにおい て洗練の極致に達することとなる政略指南書(advice−book)だった。政略指南書 は都市のさまざまな側面 農業、軍備、通貨流通、商業、娯楽、工業などな
ど それぞれの〈ステート(状態)〉を解説し、その適切な運営のハウッーを 記した。また、さまざまな有力者一高僧、貴族、豪商などなど一との関係
における首長の〈ステート(地位)〉と、その適切な関係の結び方を記した。都 市が発展し交通が促進されるほどに指南書が扱うべき諸〈ステート(状態・地 位)〉の項目は増加してゆく。
政略指南書の伝統において、諸〈ステート(状態・地位)〉の複雑性の増大 は、そのまま放置されはしなかった。まず、よく調整され統合された都市の諸
〈ステート(状態)〉の全体を指して、単数形で〈ステート〉と呼ぶ語用法が始 まる。16世紀には、単に諸〈ステート(状態)〉がよく調整され統合されている というだけでなく、その錯雑性の背後で統合を可能にしているモノリシックな 原理の存在が想定され知的探究の対象となる。その端的な表現がいわゆる国家
理性(ratio status, reason of state)だった。
首長の諸〈ステート(地位)〉の錯雑性は、共和主義者たちが、特定の生身の 人格の徳性に依存せずに維持できる首長の制度を探究するなかで、主権(summa
potestas, sovereignty)へと要約されていった。共和主義者たちは首長を定期的に
選挙することによって、首長が都市の諸法と諸慣行に従属し、代表権を持つ構 成員たちの意志に従属することを制度化できると考えた。その延長線上で、首 長の力を、他の有力者たちとの関係のなかで強くなったり弱くなったりするも のではなく、被治者による投票という正統な手続きによってのみ付与される独 占的で排他的な最高権力、すなわち主権とみなしていった。(Skinner 1989)
(フーコー2004=2007:283−385)
かくして国家理性と主権によって基礎付けられた〈ステート(国家)〉の概念 は、16、17世紀のフランスやイングランドへと移植され、例えばユグノー戦争 下のジャン・ボーダンにみえるように、あるいはイングランド大内乱下のトマ ス・ホッブズにみえるように、危機の時代における新秩序探究の議論を主導
し、その後の政治的秩序と政治的言論の趨勢を決定づけたのだった。
さて、〈ステート〉の上述の変質過程は、骨子をとりだしただけでも実にさ まざまな意味で興味ぶかいのだが、ここで私たちの主題にとって不可欠的に重 要なポイントを3点だけに絞って取り出しておけば次のとおりである。第1に、
近年の社会学者ならば〈社会的なもの〉と呼ぶだろうものは、ルネサンス以 降、不定形で多様で変化しやすい諸〈ステート(状態・地位)〉の乱立と交錯と
して、長らく言論の対象であり続け記録され続けてきた。第2に、そのように 記録された諸〈ステート(状態・地位)〉の錯雑性は、近代の壁頭に向けて、国 家理性と主権という内的本質を持つ〈ステート(国家)〉としていったん知的な 結晶化を経験していた。
そして第3に、諸〈ステート(状態・地位)〉を〈ステート(国家)〉へと結晶化
させた言論は、ひとたび自身を確立すると、〈ステート(国家)〉が予め本質を 内在させ、自己完結的に存在していたかのように扱い、諸〈ステート(状態・
地位)〉の錯雑性を言論の周縁に追いやった。既に明らかなようにじっさいの 発生順序は逆である。まず諸〈ステート(状態・地位)〉の断片群が言論におい
て記録され蓄積された。その複雑性が耐えがたいものとして感受されるように なることが単一の原理への渇望を生んだ。このことがあってはじめて、理性と 主権を持つ〈ステート(国家)〉の存在を仮定し、それを探究の主題とすること
が意味をなすようになった。結果、何らかの程度において首尾一貫した言論が 構築されていった。
17世紀に頂点を迎えた〈ステート(国家)〉への探究熱は、しかし、その後18 世紀の道ゆきのなかでは意外なほどに冷めてゆく。それとちょうど入れ替わり
に始まったのが中産階級による都会的な道徳の秩序を〈市民社会〉として再定 義し探究する動向、および、同じ階層が広域の分業において確立した財貨の循 環と増大の新しい秩序を〈エコノミー(経済,economy)〉として再定義し探究す る動向だった。言わば諸くステート(状態・地位)〉がくステート(国家)〉へと 結晶化していった果てに、18世紀、〈ステート(国家)〉に回収し尽くされな かった古き良き〈公共〉の残津が〈市民社会〉と呼ばれるようになり、それと 同時に〈公共〉という対立項の抑圧から解き放たれた〈エコノミー〉が、〈家 政〉から〈経済〉への劇的な変質と躍進を遂げたのだった。
この18世紀の過程は、対極的な2つの解釈を誘う。1つには、再定義され、新 たに見出されたこれら2種の秩序の存在が主張され、その主張が信頼を得てゆ
くにつれて、〈ステート(国家)〉の「大いなる過剰統制的な内政」(フーコー 2004=2007:436)は時代遅れとみなされていった、とみることが可能だろう。つ
まり人々の暮らしに対する〈ステート(国家)〉の影響力が弱まり、そのような 人工的で強権的な秩序に替わって〈市民社会〉と〈エコノミー〉の自然的で自 治的な秩序が成長したのだ、と。しかし逆の見方も可能だろう。〈ステート
(国家)〉への探究熱が冷め言及されなくなったのは、〈ステート(国家)〉が議 論の余地なく存在するものとして人々の認知枠組のきわめて深い水準に沈潜し 定着したことを意味するのであって、〈市民社会〉と〈エコノミ・一〉はそれを 重層的に補強する役割を果している、とも考えられる。
〈社会〉が〈市民社会〉からはっきりと区別され、自律的な意味を付与され 始めたのは19世紀前半のことだが、その前段階、18世紀半ば以降の諸過程のな かで、ちょうど14世紀末以降の〈ステート(国家)〉にとって諸〈ステート(状 態・地位)〉が果したのとたいへんよく似た役割を果したのは、〈社会的(social,
s㏄iale)〉という形容詞だった。例えばマルキ・ド・コンドルセがわざわざ〈社
会的数学(math6matique sociale)〉および〈社会的科学(science sociale)〉という成
句を掲げて新たな知的立場を築こうとしたのは、18世紀の道徳的政治的科学が 扱ってきた道徳つまりく市民社会〉と、政治つまり〈ステート(国家)〉には還 元されることのない、人々の暮らしの現実のなかの錯雑とした、しばしば混沌
とした諸相に注目したためだった。(Baker l 975:388−395)こんにち社会学者が
言うところの〈社会的なもの〉の概念、つまり人々の暮らしの現実のなかにあ るきわめて多様で変化しやすい諸関係としての〈社会的なもの〉の意味が形成 されはじめたのはこの時期だった。
19世紀に入ると〈社会的問題(social problem, probl6me sociale)〉という新たな
成句があらわれ、言論全体に共有される流行語となる。これはコンドルセの局 面で生み出された〈社会的なもの〉の概念の顕著な普及を示していると考えら れる。〈社会的問題〉は、産業化の進展とフランス革命がもたらした混乱、特 に都市に爆発的に増大した賃労働者およびその予備軍たちの、無知、貧困、不 潔、粗暴などの諸特性、およびそうした諸特性に起因すると目されるさまざま
なコンフリクトの総称だった。
〈社会〉の探究は、19世紀における〈社会的なもの〉の普及、浸透の過程に 勃興した。それは〈社会的なもの〉の苦悩の背後に、いまだ殆ど気づかれては いないがきっと〈存在するはず〉の、〈存在しうる〉、あるいは〈存在すべ
き〉、本質や秩序や規則性への希求だった。すでに述べたように、コントをは じめ社会学は〈存在するはず〉の〈社会〉の探究へと結晶化していった。その 双子の兄弟である社会主義はく存在すべき〉〈社会〉の探究へと向かったと言 えるだろう。(リーデル1972=1990:101)いわゆるロマン主義は〈存在しうる〉
〈社会〉の探究へと向かったと言えるかも知れない。いずれにせよ重要なの は、19世紀、《〈社会〉とは何か》の問いが浮上し、多くの言論人がそれを意 味ある重大な問いとして認識したことが、〈社会的なもの〉の混乱が意識され 記録され、苦悩として感受され言論の的となったことを主要な条件としていた と考えられることである。これ以降今日に至るまで、〈社会〉はこのような意 味における〈社会的なもの〉なしには存在しえない。6)
4.補遺 社会的なものの諸相
18世紀以降、〈社会的なもの〉の概念には、既にコンドルセを例に説明した ような《道徳と政治に還元できない人々の暮らしの現実のなかの混沌とした諸 相》という以外に、少なくとも2つの重要な側面がある。最後に備忘のために 整理しておく。
第1に、人間の平等性の理念としての〈社会的なもの〉がある。社会的民主
主義(social democracy)や社会的福祉(social welfare)などと言う場合の〈社会的な
もの〉である。
「社会的」という言葉が、一九世紀に獲得し、今日も消失したわけではない独特
の意味…[がある。それは]…経済的自由主義=資本制がもたらす様々な弊害や歪
みをあぶりだし(「社会問題」!)、かつ、それらを是正していく諸実践の地平 を切り開く、すぐれて規範的な概念だったのである。…「社会的」なものの概念 は、人間の平等を前提としながら、さまざまな格差や不平等を是正するための諸実践を紡ぎ出す。 (市野川2000:36−37.[]内引用者)
〈社会的なもの〉のこの用法は、18世紀後半の ジャン・ジャック・ルソー やドニ・ディドロらにおけるような 〈市民社会〉を広範な身分層へと一般 化した、自由で対等な人々の自発的協働の理念としての〈soci6t6>をドイッ語
に翻訳する際、〈das Sozial>を当てざるを得なかったことの結果とみると整理
しやすい。
ドイツ語には〈Soziedit>という語彙が存在しなかったわけではないが、結局 定着しなかった。〈Geselle(仲間)〉から派生する〈Gesellschaft>という語はも
ちろん存在したが、余りに広くあらゆる集団を意味してしまい、18世紀後半フ ランスにおいて持った特異な意味を伝えるのには適さない。そこでドイツ語で も馴染み深い形容詞〈sozial>を名詞化し、〈das Sozial>としたのだろう。そ う考えてみると、これは、おおむね直前に述べた〈存在すべき〉〈社会〉探究 の一種一ただし出自は18世紀末から19世紀初頭における〈社会的問題〉より
も、18世紀的なく市民社会〉にある とみてよかろう。
第2に、自然的なもの、所与のものと対比された作為的なもの、改変可能な
ものとしての〈社会的なもの〉がある。近年では社会的構成(social・construction)
という成句における〈社会的なもの〉がしばしばこれである。
…社会(科)学は相対化という行ないを続けてきた。…既にあるもの/作られるもの という対を置いて、そこにあるものは作られたものであることを述べてきた。その 作られたものが社会的なもの、構築されたものなのである。 (立岩2005:332)
〈社会的なもの〉のこの概念はイマニュエル・カントと関連させると整理しや すい。7)社会的科学をコンドルセの文脈におけるように道徳および政治との 対比ではなく、自然科学(Naturwissenschaft)との対比において理解する構図を確 立したのは、19世紀後半以降の新カント派である。新カント派は、カントが改 変不能で唯一の〈感性的直観の純粋形式〉とした空間と時間を、文化の異なり
に応じて多様に可能な思考と行動の諸様式として捉え、その究明をおこなう知
的営為を〈精神科学(GeistWissenschaft)〉或いは〈社会的科学(Sozialwissenschaft)〉
と呼んだのだった。20世紀、特にその終盤以降の社会学に顕著な《自然な所与 と思われている○○は、実は作為されたものである》という言論のパタンは、
本人たちが自覚しているか否かにかかわらず、コンドルセ的というよりは新カ ント派的な意味におけるく社会的科学〉の延長線上にある。
なお、この言論パタンは新カント派的であるだけでなく、カント的な進歩の プログラムにも沿っている。
…相対化という作業は倫理的な作業でもある。…構築されざるものがある、あっ
てよいという直観があって、そこから発していることがある。 (立岩2005:332)
作為性の漸次的な相対化は、真に自然な所与、「構築されざるもの」への漸近 と両立し得る。作為性を1つまた1つと発見し克服してゆく果てには、結局カン
トが構想したようなく感性的直観の純粋形式〉が待っているのではないか。そ こに至って人類に残される行動様式が並列的でシンメトリカルな人間関係とし てのく社会(das Sozia1)〉ではないと言い切るべき積極的な理由があるとは、目 下思われない。自然な所与と対比されたく社会的なもの〉も、人間の平等性の
理念としての〈社会(das Sozial)〉と同じく、19世紀に生成した〈存在すべき〉
〈社会〉の一種であると言えよう。
註
1)筆者は目下、社会、国家、公共、経済という、こんにちの社会学および社会科学に とって最もベーシックな諸概念の歴史的および論理的再検討をおこなう総合的プログ
ラムを開始している。本稿は(Sako 2006)、(左古2006)と併せ、このプログラムの全体
像を素描するパイロット・スタディーである。
2)J文献リストHに掲げたように、実は日本でも1980年代から現在まで〈社会〉の再検 討が継続しているとも言える。これらの思想史的研究は明治期以降の日本における 〈社会〉の概念が辿った遍歴について、きわめて興味深い諸事実を明らかにしてい る。本稿がこの動向に紙幅を割かなかったのは主に2つの理由による。まずこれらは 〈国家からの社会の区別〉を詳細に論じているものの、それが可能となるための前提
条件であるはずの、日本における国家の思想史・概念史については、まだ同程度の検 討をおこなっていない。第2に、〈国家から区別される社会〉以外の〈社会〉概念の形
成についてほとんど検討していない。(織田2004)(織田2007)(左古2007)いずれにせ
よ更なる発展が待望される、たいへん重要な研究動向である。3)社会学における〈社会〉は自然言語における〈社会〉とほぼ同じだ、とする意味深
長な指摘がなされた例ならひとつある。(松田2003:45)
4)後に概説するように、〈ステート〉が〈国家〉と翻訳すべき意味内容を得たのは約 350年前、長めに数えてもせいぜい約600年前のことである。イーストンも直後にその ことを認めている。(イーストン1971=1976:114−118)
5)Nationの概念が古代ローマ以来こんにちまで辿ってきた遍歴の概要については
(Greenfeld l g92:3−26)。18世紀以降のフランスにおけるnation概念の変遷過程について
は(フーコー1997=2007:143−237)。
6)この角度から捉えてみると、19世紀末から20世紀初頭の社会学を賑わわせた〈公衆
(public)〉と〈群衆(crowd)〉をめぐる議論が、たいへん的確な概念史的総括を提供して
いたことが分かる。そこで言われたく公衆〉とは18世紀に再解釈されく市民社会〉と なった〈公共〉であり、〈群衆〉とは18世紀後半に発見された〈社会的なもの〉の別 名である。この議論の主導者の一人だったガブリエル・タルドが〈社会〉を、自足的な 閉じたサークルとしてではなく、膨大で一貫性のない思考・行動諸様式の断片群、す なわち〈社会的なもの〉の偶然的な同居のありさまとして捉えていたことも、記憶にとどめられるべき事実である。
〈社会〉に関する言論は、しかし、20世紀における制度化の道行きのなかで、自ら の可能性の条件であるところの〈社会的なもの〉を、〈社会〉からの逸脱や偏奇とし て扱うに至った。ちょうど16世紀、〈ステート(国家)〉に関する言論が自身と諸〈ス
テート(状態・地位)〉のあいだの関係を転倒させたのと同じようなことが、20世紀、
〈社会〉と〈社会的なもの〉のあいだにも起ったのである。
7)ここで述べているのは、〈社会的なもの〉の驚嘆すべき多義性を整理するための拠
点としてカントは適切だ、という以上のことではない。(Geck l 963)18世紀における
〈市民社会〉とく社会的なもの〉と〈社会〉、およびそれら相互の諸関係はたいへん 複雑で、容易な整理を許さない。カントは18世紀の諸議論を踏まえつつ、そのような 複雑さからはっきりと脱している点で、指標としてたいへん役立つ。文献リスト1 〈社会〉の再検討に直接かかわるもの
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