LA-NY Footrace 2011 完走報告
ロサンゼルス~ニューヨーク
(5139.2km)
2011年6月19日~8月27日
越田 信
Makoto Koshita
目 次 LA-NY Footrace の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 渡米前 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 6月15日 出国前日の準備 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 6月16日 出国、ロサンジェルス到着 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 6月17日 開会式 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 6月18日 ステージ1のコース下見 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 第1週 6月19日~6月25日
Huntington Beach (CA) - Needles (CA) 483.9 km (300.7 miles) ・・・ 5 第2週 6月26日~7月2日
Needles (CA) - Birdspring (AZ) 473.2 km (294.0 miles) ・・・10 第3週 7月3日~7月9日
Birdspring (AZ) - Abiquiu Lake (NM) 515.5 km (320.3 miles) ・・・16 第4週 7月10日~7月16日
Abiquiu Lake (NM) - Guymon (OK) 540.6 km (335.9 miles) ・・・19 第5週 7月17日~7月23日
Guymon (OK) - Pawhuska (OK) 509.0 km (316.3 miles) ・・・22 第6週 7月24日~7月30日
Pawhuska (OK) - KS - St Robert (MO) 524.8 km (326.1 miles) ・・・25 第7週 7月31日~8月6日
St Robert (MO) - New Berlin (IL) 466.5 km (289.9 miles) ・・・29 第8週 8月7日~8月13日
New Berlin (IL) - IN - South Vienna (OH) 567.9 km (352.9 miles) ・・・33 第9週 8月14日~8月20日
South Vienna (OH)- Hancock (MD) 564.1 km (350.5 miles) ・・・39 第10週 8月21日~8月27日
Hancock (MD)-PA-MD-PA-NJ-New York(NY) 493.7 km (306.8 miles) ・・・42 休養、観光、帰国 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47 レースを振り返って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49
LA-NY Footrace の概要
2011年6月19日から8月27日までの70日間にわたって、LA-NY Footrace 2011 が開催さ れた。主催者はUltraRunning Association (URA)で全員がフランス人。当初は五大陸横断走 を行った Serge Girard が企画の中心だったが、大会直前に彼は自らがランナーとして参加す ることを決めて、彼のパートナーである Laure Magnan に運営を任せた。 URA は彼女を中心 にRene Girard が全行程の運営にかかわり、前半は Bertrand Plaquevent 、 Anne Plaquevent 、 David Antonine が加わり、中盤の中継ぎ役に2名、後半は Berengere Courant と Emilie Carion が加わり、最終盤にはBertrand と David が再登場した。
コースはロサンゼルス近郊のHuntington Beach ハンティントンビーチから New York ニュー ヨークまでの約 3,200 マイルで、コース変更が何度かあり、最終的な距離は、 5,139.2 km (3,193.4 マイル)になった。走った州は、カリフォルニア州(CA)、アリゾナ(AZ)、ニューメキシコ (NM)、オクラホマ(OK)、カンザス(KS)、ミズーリ(MO)、イリノイ(IL)、インディアナ(IN)、オハイオ (OH)、ウェストヴァージニア(WV)、ペンシルバニア(PA)、マリーランド(MD)、ニュージャージー (NJ)、ニューヨーク州(NY)の 14 州だった。参加者はランナー14名、サイクリスト1名、キックバ イカー1名だった。 No. 氏名 報告での表記 国名 備考 1 James Adams ジェームズ イギリス スパルタスロン、サハラマラソンなどを完走 3 Gerard Bavato ジェラード フランス ニジェール横断 1 位、 Badwater 世界記録 4 Philippe Grizard フィリップ フランス トランスガウレ、バッドウォーターなどを完走 5 Patrick Malandain パトリック フランス Le Havre - Istanbul 2007 miles in 53 days 6 Rainer Koch ライナー ドイツ TE-FR 2009 1 位、 PB: マラソン 2:39:28 7 Markus Mueller マルカス ドイツ(米国) Trans Australia Footrace 2001, ロー ドブック作成協力者
8 Italo Orru イタロー イタリア サハラマラソン、アタカマ横断 9 Yoshiaki Bando 坂東 日本 アフリカ大陸横断(ケニア-カメルーン)5500km 10 Makoto Koshita 越田 日本 Run Across America 2002 完走
11 Yoshiaki Ishihara 石原 日本 スパルタスロン、サハラマラソンなどを完走 12 Yoshimi Tanaka 田中 日本 4倍トライアスロン、日本アルプス縦走ランなどを完走 13 Serge Girard セルジュ フランス 5大陸横断完走(40979km, 551日)
14 Jenni De Groot ジェニー オランダ TE-FR 2009 (3300km)
16 Alexandro Bellini アレックス イタリア ボートで地中海・大西洋、ペルー-オースト ラリア単独横断
00 Peter Bartel ピーター ドイツ キックバイカー、TE-FR 2009 完走 14A Anneke Kuiper アンネケ オランダ サイクリスト、ジェニーをサポート
70日間のレースのうち初日から13日目まではサポートクルー帯同が義務づけられていた。 日本人ランナー4名は、菅原強さん、浪越保正さん、井口章司さんの3名に全行程を、岩田智 さんには第28ステージまでをサポートしてもらった。
8名のランナーと1名ずつのキックバイカーとサイクリストが完走。2日目に1名、4日目に3名、 8日目に2名のランナーがリタイアしたが、ステージランナーとしてニューヨークまで走った。
渡米前 ランナーとクルーの相談は、メールのやりとりで主に行ったが、4月5日には愛知県一宮市の 岩田邸にランナー4名と菅原さんと岩田さんの6名が集まって相談会を行った。4月9日には大 阪で石原さんと私が浪越保正さんと延賀浩二さんに会い、サポートクルーに加わることを依頼 し、浪越さんは全行程のサポートを、延賀さんは7月11日頃から8月初めまでのサポートを引き 受けてくれた。しかし、延賀さんは都合が悪くなって辞退された。5月15日には菅原さんから 「井口さんがサポートクルーに加わることが可能」との連絡が入り、6月10日に東京で菅原さん ・井口さん・田中さん・越田の4名で相談会を行った。 4月20日には、イタリアのイタローから「日本人クルーにサポートしてもらいたい」という主旨 のメールが、分かりにくい英語と意味不明な日本語で届いた。ランナーとクルーで相談した結 果、「大歓迎ではないが仕方なく認める」ということになった。しかし、サポート費用についてや りとりしているうちに返事が来なくなり、渡米前に確認したら、「日本人によるサポートは不要」 という返事で一安心した。 米国内でのホテルの6割くらいは自分たちで予約することになっており、4月7日からはメー ルまたはホームページで予約を開始した。メールを出してもなかなか返事が来なかったり、返 事が来ても確認メールのやりとりが必要で、手間がかかり、思い通りに予約は進まなかった。1 3日目までくらいは予約しておきたかったので、渡米が近づいてからは、坂東さんにも予約を 分担してもらった。最初の1ヶ月近くまでは宿泊先の大部分が確定したが、残りは渡米後に予 約する必要があった。 上記のような準備を行いつつ、2005年から呼びかけ人あるいは事務局長を務めている広島 -長崎リレーマラソンの実行委員会開催、参加呼びかけと要項のメール送信、コース地図修正 なども行ったので、装備の準備は後回しになった。 シューズは気に入ったものがなかなか見つからなかった。5足持参したシューズのうちの新 品は2足。1足は出発前日にようやく入手した。これは使用経験のあるシューズなので安心し て使えるものだった。もう1足は某有名芸能人が地球一周した時に使用したタイプということで はあったが、自分では使用したことがないもので、自分に合うかどうかは分からないものだっ た。3足目は少し使用したもの、残りの2足はかなり前から使っており、足には馴染んでいたが 老朽化著しいしたものだった。帽子は日除けの付いた物を準備したかったが、良いのを見つ けられなかった。 GPS(Garmin 社 foretrex401)を使用して、ベース確認とコースアウト防止に活 用するつもりだったが、1月に故障したままで、修理できなかった。
6月15日 出国前日の準備 登山用ザックにウェア、シューズ、テント、寝袋、塩熱サプリ、石原さんが入手してくれた粉 末CCDなどを詰め込み、ディパックにはパソコン、ビデオカメラ、大会関連の資料などを収 納。その後、広島-長崎リレーマラソンのコース地図を完成させ、コンビニでコピーし、封筒詰 めして就寝。すでに日付は出国日になっていた。 6月16日 出国、ロサンジェルス到着 朝、目が覚めてメガネをかけようとしたが見つからなかった。予備のメガネはテンプルが壊 れかけていたが、それをかけて渡米用荷物を確認・補充した。メガネをもう1回の探したが、や はり無かった。予備の腕時計(高度計・コンパス付き)を持って行きたかったが、それはバッテリ ー切れで止まっていた。 中部国際空港13:00発の便(台北経由)でロサンゼルスに向かうため、10:00少し前に名古屋 の自宅を出発。広島-長崎リレーマラソンのコース地図をメール便で送付し、日焼け止めクリ ームを買い、電車に乗車した(10:24)。 中部国際空港駅に到着し(10:48)、空港カウンターに向かっていると、クルーの岩田さんと 見送りのモミさんが歩いているのを発見。エバー航空のカウンターで航空券を入手し、荷物 (登山ザック)を預けた。まだ時間があったので、年会費無料のクレジットカード(ゴールド)を利 用して第2プレミアムラウンジでビールを飲んでから、モミさんの見送りを受けて、岩田さんと一 緒に出発口へと向かった。 台湾桃園国際空港に15:00に到着(時差1時間)。ロス行きの便まで3時間40分あったので、 空港内を散策し、メール送受信を行った。18:40に台北からロスに向けて出発。ロサンゼルス 到着は同日の15:25。時差が日本とは16時間(台湾と17時間)あるため、見かけ上は名古屋か らロスまでたったの2時間25分(実際は18時間25分)で行ったことになる。 ロサンゼルス空港付近のレンタカー会社で、岩田さんにレンタカーの手続きをしてもらい、 ハンティントンビーチのホテルへと向かった。このホテルは9年前に宿泊したホテルと同じだっ た。私たち以外は、すでにホテルに到着しており、チームジャパン総勢8名が揃った。 6月17日 開会式 開会式はホテルの別室で行われ、これも9年前と同じだった。主催者 Laure ロールは、それ を知ってたいへん驚いていた。多くの注意事項が説明され、ランナー紹介、ランナー代表選 出(ライナーに決定)、参加賞のTシャツ配付などが行われた。 距離を主にマイルで表示するか km で表示するかが問題になり、 km を基本とすることにな った。米国では道路標識も車のスピードメータもマイル表示が基本なので、米国内で走るとき にはマイルを使用したほうが便利だと思ったが、参加者の大部分はヨーロッパ勢であり、私た ちの考えは少数意見だった。
6月18日 ステージ1のコース下見
初日のコースが複雑であることがわかったので、チームジャパン全員でコースの下見に出 かけた。コースは複雑だったが、難しいところは車からおりて現地確認し、クルーとランナーが 別の道を走る箇所もしっかりと確認した。6月19日に宿泊する Norco のホテル Regency Inn は 2部屋しか予約しておらず、もう1室増やす必要があったので1部屋の追加予約も行った。 午後、浪越さん・岩田さん・越田の3名は、約$25 で AT&T の電話も購入した。 夕方になってから、イタローから日本人クルーにサポートしてくれるように要請があった。渡 米前にメールで依頼があったが、その後に不必要との連絡を受けていたし、開会式では他の ランナーのクルーにサポートしてもらうと紹介されていたので安心していたが、サポート依頼の 要請は予想外で戸惑った。明朝5:30スタートのために、装備の準備をしなくてはいけないの に、それを後回しにして、急遽チームジャパンで相談開始した。大会規則で13日目まではサ ポートクルー確保が義務づけられているのに、イタローはそれを行わずに現地入りしたことに なる(14日目以降は、クルーがいないランナーは主催者がサポート)。サポートクルー不在のた めに出走できないのは気の毒でもあり、相談の結果、クルーの交通費やレンタカー代を考え て1日$50 、13日間で$650 を支払えばサポートを引き受けることを告げた。しかし、$650 をまと めて支払えないという。「政府からの支援があることを期待しているが、まだなので現金が手元 に少ししかない」とのことだ。外はだんだん暗くなり、こちらは早く準備を整えて休みたいので、 「$50 を支払えば明日(6月19日)はサポートする」ということで妥協点を見いだした。クルーの宿 泊費や食費も必要だから、これは後日精算とも伝えていたが、これは有耶無耶にされた。サポ ートについて不本意ながら一件落着し、翌日の準備をしようと思ったら、今度は「部屋に泊め てくれ」と言い出した。宿泊ホテルは各ランナー(またはクルー)が予約することになっている(一 部ホテルは主催者が予約)。スタート前日のホテルすら予約せずに渡米し、「ホテル代を支払 ったら、エイド費用を出せなくなる」と言うのだから呆れたが、「外にテントを張ろうかなぁ」とか 言い出すので、岩田さんと相談して私たちの部屋の床に泊まることを不本意ながら了解した。 走る準備も不十分なまま就寝。初日から睡眠不足でスタートすることになった。
6月19日~6月25日
Huntington Beach (CA) - Needles (CA) 483.9 km (300.7 miles)
D1 6月19日 Huntington Beach - Norco 73.5 km (45.7 miles) 関門13:00
ニューヨークを目指してスタート 10:46:57 (11 位/14 名完走) 午前5 時 30 分、 Huntongton Beach をランナー14名とサイクリスト1名、キックバイカー1名が スタート。コース説明は3頁あり、難しい5個所の地図も付け加えられていた。曲がり角が20個 所もあり、自転車道を通る時はサポートカーは別の道を走るなど複雑なコースだったが、前日 のコース下見が役に立ち、ランナーもクルーも道に迷うことなく Norco まで進むことができた。 1位は予想通りにライナーでダントツのタイムだった(6:52:06)、ジェラードが2位(8:06:02)。坂 東さんは3位(8:12:46)、パトリックが4位(8:26:15)、イタローは5位(8:43:16)だった。私は途中ま ではジェニーと自転車のアンネケとほぼ同じペースで走っていた。信号機があるとアンネケが 先に進んでジェニーのために押しボタンを押して緑に変えていたので、何度も恩恵を被った。 ジェニーのペースは速く、そのまま同じペースで行くとつぶれると思い、中盤から意図的にペ ースダ ウンした 。ジェニー はセル ジュとと もに 6位でフィニッシュ(8:44:43)。アレックスは8位 (8:44:43)で、5~8位は大接戦。ジェームズは9位(9:36:26)、マルカスは10位(9:56:54)だった。 私は11位でマルカスよりも50分遅れの10:46:57 で Norco の Regency Inn 前にフィニッシュした (16:16)。その約50分後に石原さん(11:35:47)と田中さん(11:36:17)が相次いでフィニッシュ。最 終ランナーはフィリップ(12:10:46)だった。
D2 6月20日 Norco - Hesperia 78.7 km (48.9 miles) 関門 14:00
カホン峠越えとフィリップのリタイア 13:52:13 (11 位/13 名完走) スタートは午前5時30分と規則で決まっていたが、朝のミーティーグと写真撮影が終われ ば、すぐにスタートした。 2002 年には3日目に Cajon 峠を越えたが、山火事のためにコース変 更があった。峠越えのおもしろいコースなので、全行程をビデオカメラで撮影しながら走った。 その他の日はスタート時だけビデオ撮影した。 日本人ランナー4名は傷んだ牛乳を飲んだせいか、全員が下痢気味で苦戦。初日に好調 だった坂東さんは熱中症にかかってペースダウンし10位。私と石原さんと田中さんは、終盤に 一 緒に な り、 関門 の 約 8分 前 に3人 揃っ て11位 で Hesperia の Motel 6 前にフィニッシュ (19:21)。私たちの次にフィリップが完走すると思っていたが、彼はリタイアしたので公式ランナ ーが13 名になった。
D3 6月21日 Hesperia - Barstow 76.3 km (47.4 miles) 関門 13:30
暑さと疲労の中での激走 13:16:17 (9 位/13 名完走)
Run Across America 2002 では、初日は Huntington Beach を8時にスタートして 47.41km を 走り、それ以降は6時スタートで2日目は 67.62km 、3日目は 58.36km 、4日目は 64.72km を 走 っ て Barstow に 達 し た (通 算 238.11km)。 今 回 は 、 こ の 区 間 (228.5km)を Trans-America Footrace (1992-95 年)と同様に3日間で走った。最初の米大陸横断レースである International Trans-Continal Foot Race (1928 年)では、ロサンゼルス郡 Gardena 市にあった Ascot Speedway から Barstow までの 214.2km を 4 日間で走った。今回の大会では 1928 年の大会で1位にな ったAndrew Payne が走った道を辿ろうということが唱われていたから、序盤の距離も踏襲して ほしかったが、各ステージを決定するのは主催者権限なので致し方ない。
Victorville のT字路(左折地点)ではロールが道案内してくれた (15.8km, 7:44)。ルート 66 博物館Route 66 Museum の前を通過(7:46)。時間があれば立ち寄りたいが余裕はない。貨物 列車がコースの右側を通っていき、私のすぐ後ろを田中さんと石原さんが走っていた(8:07)。 Helendale に入った(11:30)。沙漠地帯は湿度が低く、熱中症対策には水浴びが有効だっ た。ペットボトルのキャップに小さな穴をフォークで開けて、暑いと感じたら水を入れたペットボ トルを逆さにして水を頭や腕にかけて体温上昇を防いだ。衣類はすぐに乾いたので、頻繁に 水浴びした。坂東さんに追いつき(12:20)、石原さんもすぐ近くを走っていた(12:31)。
私はマルカスと一緒に9位でBarstow の Ramada Motel 前にフィニッシュ(18:45)。関門の約1 4分前だった。その約7分後に坂東さんが11位でフィニッシュ。かなり疲れている様子だった。 関門時刻が迫ってきたが、石原さんと田中さんがまだ来ない。レースディレクターのロール が「2~3分であれば、関門時刻から遅れても完走と見なす」と言う。 猛スピードの田中さんの姿が見えた。右折してモーテル前にフィニッシュするのだが、右折 地点を直進し、遠回りしてフィニッシュ。11秒のタイムオーバーは問題なし。続いて石原さんも ラストスパートしてフィニッシュ。1分46秒のタイムオーバーも当然OKとなった。しかし、田中さ んと石原さんはフィニッシュ前の激走により、熱中症にかかったようで、翌日の走りへの悪影響 が懸念された。 暑さと疲労に苦しむのはランナーだけではなかった。井口さんが体調を崩し、翌日のサポ ートが難しくなった。翌日は Ludlow まで走ってホテルに宿泊し、翌々日は Amboy まで走り、 Ludlow に戻って同じホテルに連泊することになっていた。 そこで、 Ludlow のホテルがチェックインできる時刻になったら、井口さんを Ludlow のホテ ルに連れて行き、6月22日と23日の2日間は Ludlow で休養してもらって体調が快復すること を期待することになった。 D4 6月22日 Barstow-Ludlow 81.9 km (50.9 miles) 関門 15:00 4日連続の長距離で3名リタイア 14:33:14 (7 位/10 名完走) 第4ステージは今までで一番距離が長い日。3日間で疲労が蓄積しているので、かなり辛 いステージだが、これを乗り切れば、距離が短い第5ステージにつながる。 スタート前の説明で、ロールが「今日は厳しい一日になるので、クルーとランナーがあまり離 れないように」と注意し、関門時間が予定より30分延長されて15時間になった。
4.7km 地点で海兵隊兵站基地 Marine Logistics Base に入り、基地内を 2.7km 走った。歩道 がない場合は、左側を対向車に向かって走ることになっていたが、基地内は右側を走るように 指示があり、写真撮影は禁止された。基地内では海兵隊員から給水のサポートを受けた。基 地を出たところで、隊員から許可を得て写真を撮った(6:28)。サポートカーは基地に入れず、 基地の南側のインターステート Interstate 40 (I-40)を迂回した。なぜ基地内を通ったかと言う と、基地内をルート 66 が通っているからで、主催者が通行許可を得たからだ。 2002 年のコー ス説明には"Turn Left into gravel parking lot just before Marine Corps Logistics Base."と なって おり、基地の北側の道を迂回した。
ルート66 の名所である Bagdad Cafe に到達(35.3km, 11:08)。屋根の庇の陰でアレックスと ジェニー、アンネケが休憩していた。
んがリタイアしたという連絡が入った。前日のラストスパートの影響が大きかったようだ。この日 さえ乗り切れば、翌日はたったの45.5km だから、何とかなったと思うので残念で仕方ない。
右前方にAmboy Crater を眺めながら走り、 Ludlow Motel 前にフィニッシュ(20:02)。当初の 関門時間のままだと3分14秒のタイムオーバーになるところだったが、関門時刻延長により関 門の26分46秒前に完走できた。 私の16分後には暑さが苦手のマルカスがフィニッシュし、その7分後(関門の4分50秒前)に は坂東さんがフィニッシュして倒れ込んだ。初日は 2 位だったジェラードは約20分のタイムオ ーバーでフィニッシュしたが完走と見なされた。 石原さんと田中さんだけでなく、ジェニーもリタイアしたので、公式ランナーは3名減って 10 名になった。 規則では「レース開始7日以内に撤退・失格になったランナーは、レースにとどまることはで きない」とされており、規則通りであれば石原さんと田中さんは帰国しなければいけないが、 「帰国指示」は出されなかった。規則には「8日目以降に撤退・失格になったランナーは、レー ス参加者に迷惑をかけないのであれば走ることができる」と記されており、この規則が拡大適 用されたようで、石原さんと田中さんはステージランナーとして走ることが容認された。
D5 6月23日 Ludlow - Amboy 45.5 km (28.3 miles) 関門 8:00
モハーヴェ沙漠深部へ 7:42:12 (8 位/10 名完走)
距離は70日間で2番目に短く、ルート 66 を進むだけで曲がり角が一度もないので迷いよう がない。コース説明の本文は10行だけで短く、文字の大きさもRun Across America の時と同 じ
14
ポイントくらいで読みやすかった。コース説明は通常は8~9ポイントで書かれていて、補 足説明は7ポイントの場合もあり、しかもインクジェットプリンタを使っていたので、水で濡れると文 字が滲んで読みにくかった。 主催者は田中さんについては復調していると判断して走ることを認めたが、石原さんにつ いてはまだ体調が悪いと判断し、走ることに否定的で、石原さんは残念ながらスタートを見送 ることにした。Ludlow Motel 前をスタートし、 Mojave 砂漠の深部である Amboy に向かう。お昼が近づけ ば猛烈な熱風が正面から吹き付けて、全ステージでの最高気温に達することが予想された。 Amboy まで 13 マイル地点(23.8km)の少し手前で歩いているジェニーを追い越した(9:13)。 彼女はまだ不調のようだ。 10 時を過ぎると、気温がどんどん上がっていった。 2002 年には熱 風が正面から連続して吹き続けたが、今回は断続的な熱風だったので、相対的には楽だっ た。しかし、気温は50 度くらいまで上がったと思われる。 セルジュが乗った車が 11:40 に、ライナーとピーターが乗った車が 12:05 に Ludlow に向か って走っていった。 Amboy Creater の標識 (42.6km)をとクレーターを右に見て進む (12:37)。残りの距離は 3km で、関門時刻まで 50 分以上あったので楽に間に合いそうだ。 フィニッシュ地点は 2002 年の 6 日目と同じ Roy's Cafe 前。その少し手前には踏切があり (44.8km)、 2002 年には長い貨物列車が近づいてきたので急いで渡ったが、今回は列車の気 配はなく、ゆっくりと走ってフィニッシュした(13:09)。 2 分半後にマルカスが、その 1 分後に田
中さんが、さらに 5 分半後には坂東さんがフィニッシュ。坂東さんは初めての最終ランナーに なった。 ホワイトボードに記された速報によれば、パトリックが1位、ジェームズが2位、セルジュが3 位で、ライナーはイタローと同着の4位となり、今回のフットレースで初めて1位を逃した。そし て、ニューヨークに着いてみれば、1位を逃した唯一の日となった。スタート地点の Ludlow に 戻って宿泊。
D6 6月24日 Amboy - Fenner 64.0 km (39.8 miles) 関門 11:30
Kelso 分岐を直進し、ルート 66 を進む 11:15:56 (9 位/10 名完走) 井口さんがサポートクルーに復帰。まだ熱があり、体調は万全ではないように見受けられ た。あまり無理しないように願ったが、炎天下でサポートすること自体が無理難題だ。石原さん はステージランナーとして復帰した。 距離が 64km と平均距離よりも 10km も短く、 55.4km 地点で左折するだけの分かりやすい コースで、ルート 66 をひたすら進んだ。 スタートしてから 3km ほどの所で、ジェラードは足のマメをフィリップに手当てしてもらってい た(5:59)。 Kelbaker Rd が左に分かれる地点を通過(9.3km, 6:54)。 2002 年はここで左折して、進路を 北東へと変えて Kelso に向かい、ラスベガス、セントジョージへと進んだが、今回は東へ進む ことになり、 2002 年とは完全に異なるコースに入った。初めての道なので新鮮ではあるが、気 温が高いまま続くことが予想される点は気になるところだった。 Cadiz Rd を横切る(18km, 8:23)。たまにはなだらかなカーブはあるが、周囲は沙漠で、所々 に壁だけが残る家を眺めながら走った。 Essex という人口 100 人の町に入った(51.9km, 14:30)。ペースは時速 6km を下回ってきた が、残りの距離は約 12km で時間は2時間半あったので、慌てる必要はなかった。この日唯一 の曲がり角で左折してGoffs Rd に入り(55.4km, 15:10)、 Fenner の Sahara Oasis - Gas Station にフィニッシュ(16:40)。坂東さんは7分後にフィニッシュした。
翌日のフィニッシュ地点であるNeedles の Needles Inn へ I-40 を利用して移動。
D7 6月25日 Fenner - Needles 64.0 km (39.8 miles) 関門12:00
マルカスが大幅タイムオーバー 11:04:34 (8 位/10 名完走) 前日のフィニッシュ地点まで戻ってスタートし、Goffs Rd を走る。 午前 7 時過ぎ、道路と並行した線路を長い貨物列車が通り過ぎた。周囲に人影は見当たら ないが、椅子が道路脇に転がり(7:20)、車のタイヤが路肩に立っていた(7:53)。 Lanfair Rd が 左に分岐(16km, 8:12)。T字路で右折して US95 に入った(38.7km, 12:21)。主催者スタッフのレ ネRene が、水を入れたスプレーを手にして車から降りて来て、水をかけてくれた(12:29)。 49km 地点で I-40 の跨道橋を渡り、左折して I-40(US95 と重複)に入り(49.1km)、 約 10km は高速道路の右端を走った。途中、水浴び用の水が無くなりかけたとき、未開封のミ ネラルウォーターのペットボトルが転がっているのを発見。貴重な水なので拾うと、「水」ではな く、「お湯」になっていた。タオルやバンダナをお湯で濡らしてビュンと振り回すと、気化熱の効 果で一気にひんやりしたタオルとバンダナに早変わり。それで顔や腕を拭くと冷たくて気持ち
が良かった。
高速道路の途中にはやや拾い路肩があり、そこで1回は短時間のエイドを受けることができ た。クルーは車外に出ず、車の窓から水とジュースを受け取った。
高速道路を人が通るのは本来であれば認められない。しかし、主催者は木曜日の午後に Needles で California Hwy Patrol をしている Vergal McCallister 巡査部長から口頭で許可を得 ており、そのことがコース説明下部に記されていて、もし高速道路走行に関してトラブルが発 生した場合は、それを見せるように主催者から言われていた。 高速道路を走っていると、遙か前方にランナーの姿が見えたような気がしたが、錯覚かもし れないとも思った。高速を出て右折してHistoric Rd 66 に入ると(59.6km, 15:51)、前方に坂東 さんの姿が見えた。残りの距離は 4.4km 、時間は 100 分なので、ゆっくり進んでも確実に完走 できる状況になった。坂東さんとの距離は少しずつ縮まり、時間内完走を確信してゆっくり走 る坂東さんを追い越した。Needles Inn 前にフィニッシュ(16:36)。坂東さんは 14 分後にフィニ ッシュした。 主催者が心配していたマルカスは、 14:27:48 でフィニッシュ。約2時間半の大幅タイムオー バーだった。
6月26日~7月2日
Needles (CA) - Birdspring (AZ) 473.2 km (294.0 miles)
D8 6月26日 Needles(CA)-Kingman(AZ) 82.5 km (51.3 miles) 関門 16:00 特例ルールも空しく2名がリタイア 14:49:12 (7 位/8 名完走) スタート前のミーティングで、ロールは「70日間のうち1日くらいは体調が悪いときもありうる ので、1回だけはタイムオーバーしても完走と認める」と述べ、ランナー側もそれを了解した。 この決定により、マルカスはこれ以降のステージで時間内完走を続ければ、最終的にも完走と 認められることになった。この日の関門時間は、 82.5/5.7=14.47 なので、 14:30 になるはずだ ったが、暑さと距離が長いことが理由だと思うが 16:00 に設定された。東に進んでいることもあ り、フィニッシュが近づくと暗くなることがありうるので、その場合は蛍光ジャケットとライトを使用 するようにコース説明に記されていた。 2.1km 地点で、カリフォルニア州からアリゾナ州に入った(5:51)。 エイド中のマルカスを追い越したが(6:19)、カジノ前で追い越された(8km, 6:39)。スタート後 しばらくはゆっくり走るセルジュにも追い越された(6:42)。
右折してUS95 から Boundary Rd = Road 153 に入る地点では岩田さんからエイドを受けた (14.8km, 7:42)。 Mohave & Milltown Railroad Trails の標識があり、ここで菅原さんと井口さん からエイドを受けた(10:44)。
Outman という町に入った(35.1km, 11:46)。ここはルート 66 の趣を残した町で、幌馬車を置 いてある家、刑務所博物館 Jail Museum 、レストラン、革製品店などが並んでいた。 Outman の中心街に近づくと、人だかりが見えた(12:06)。それは「決闘シーン」の再現ショーだった。見 物人の前を歩きながら、デジカメで動画撮影。保安官の合図で決闘が始まった。結果は相撃 ちで、観客は大喝采していた。このショーは道のど真ん中で行っていたので、岩田さんはショ ーが終わるまで、待機せざるを得なかった。 Outman の町を過ぎると長い登り坂が始まり、金鉱を横に見ながら歩いた。路肩がほとんど ない道だったが、車はたまにしか通らないので危険を感じなかった。 午後1時頃、エイドで大休止し、遅めの昼食を摂り、靴底の修理を行った。持参したほとん どの靴のアウトソールがすり減ってしまい、修理が必要になったが、ステージ距離が長いため フィニッシュ後に修理する時間は取れないと判断したからだ。関門時間が予想よりも90分延長 されたので、時間的な余裕もあった。 なぜ靴底が減るかというと、私が摺り足走法を採用しているからだが、ルート 66 の路面がヤ スリ状になっていることが、それを加速した。 ルート 66 は、1926年11月11日に米国初の国道として創設され、カリフォルニア州サンタモ ニカとイリノイ州シカゴとを結び、全長は3,755km(2,347 マイル)だった。 1928年 3月 4日 か ら 5月 26日 に か け て 、 C.C. Pyle が 最初 の 米大陸横断レー スで ある International Trans-Continal Foot Race (通称 Bunion Derby)を開催したのも、このルート 66 が 開通したことが契機となった。
ルート 66 は Interstate(州間高速道路)が発達したことにより、 1985 年に廃線となった。現在 でも集落のある所では残っているが、路面にひびが入ったり、舗装のコンクリートが剥がれる などの傷みが激しい区間、消滅した区間もある。
約1時間遅れていたが、長い登りを歩き、靴底の修理をしたのでやむを得ない。下り坂になり、 ペースを上げて走りたかったが、景色が良くて写真撮影が増え、予想外に時間がかかった。 STOP の標識のある交差点で右折して Shinarump Rd に入った(73.8km, 18:52)。 I-40 の跨 道橋を渡ってからT字路で左折して、 I-40 の側道 Frontage Rd に入った(74.6km, 18:59)。 "Welcome to Kingman"の標識を見て進む(76.6km, 19:23)。周辺の山の陰が路面に長く延び 始めた。 2002 年には、 6:00 スタートで距離が 90km を越えた日でも暗くなったことはなかった。今回 は 5:30 スタートなので、走っている途中で暗くなるはずがないと思っていたが、残り 2 ~ 3km のところで薄暗くなってきた。交通量はさほど多くはなかったが、スピードを出して走ってくるの で、サポートカーに預けていたライトを使用して、車が走ってきたときはライトを点けて、存在を 知らせた。
坂東さんを20:00 に追い越し、 Kingman City Limits を越えた(81.3km, 20:08)。
Kingman の Motel 6 前にフィニッシュ(20:20)。私の2分後に坂東さんがフィニッシュした。し かし、残念なことにマルカスは 17:11:30 と大幅なタイムオーバーで失格となり、ジェラードはフ ィニッシュできず、2名がリタイアとなり、公式ランナーは8名になった。特例ルールと関門時刻 延長は二人には役に立たなかった。 1928 年の米大陸横断レースでは、 Kingman には 10 日目に到達していた。 83 年前のペー スであれば、全員がここまで走り続けられたかもしれない。
D9 6月27日 Kingman - Truxton 68.1 km (42.3 miles) 関門 12:00
無理せず、ゆっくり 11:44:16 (7 位/8 名完走)
スタートして 0.2km 先にあるT字路で右折すると、あとは曲がり角がない。 Kingman の町並 みを眺めながらルート 66 を進む。車を扱っている店の壁にルート 66 の道筋が描いてあり、 Kingman のところに"YOU ARE HERE"と書かれていた。陶器店、骨董品店などもあった。
周囲が沙漠に変わり、鉄道と並行した道を進む。"Flagstaff 149"の標識(21.6km, 8:47)、 "Flagstaff 139"の標識(37.7km, 11:40)を通過。時速 6km を目指しているので順調だ。坂東さん とはエイドで何度も会った。所々に店があり、観光客の姿も見えた。"Grand Canyon 158"の標 識を通過(49.7km, 13:44)。 道端にはサボテンが生えていたが、背の高い木はないので暑い。関門時間に気をつけな がら、ペースを落とし(実は自然に落ちて)、関門に間に合う範囲で無理せずにゆっくり走り、 関門の約16分前にフィニッシュ(17:12)。坂東さんは関門の 3'13"前にフィニッシュ。これが坂東 さんにとっては、一番ギリギリのフィニッシュとなった。
D10 6月28日 Truxton - Seligman 73.9 km (45.9 miles) 関門 13:00 Route 66 をひたすら進む 12:43:14 (7 位/8 名完走)
曲がり角がなく、ルート 66 を進む。 Hualapai Indian Reservation に入った(2km, 5:47)。 Peach Spring に入ると(13km, 7:38)、 Grand Canyon 観光に向かう Jeep Tour の黄色い車がたく さん並んでいた(7:44)。 Hualapai Indian Reservation を通り過ぎたが(28.2km, 10:20)、ネイティ ブアメリカンの方とは一度も会わなかった。海抜 5400 フィート(=1646m)の地点を通過(66.8km, 16:58)。
Seligman(1886 年設立、海抜 5250 フィート)に入った(72.9km, 17:59)。南北戦争が終わって か ら 21 年 後に 、上 高 地よ り も 標 高が 100m 高 い 位 置に 町 が 作ら れ たと い う こと に なる 。 Seligman には、ルート 66 らしい町並みが残り、骨董品が店の前に並び、土産物店やレストラ ンが並んでいた。その一角にあるCanyon Lodge 前にフィニッシュ(18:10)。坂東さんは 10 分後 にフィニッシュした。 フィニッシュ地点で休憩していると、日本人女性が赤ちゃんを抱いて現れた。夫(米国人)と 一緒に観光旅行に来ているということだった。 私たちはフィニッシュ地点の斜め向かいにあるDeluxe Inn に宿泊。 夕食をとったレストランで、Route 66 のロードマップを購入した($6.40)。
D11 6月29日 Seligman - Ash Fork 49.4 km (30.7 miles) 関門 8:45
靴の修理は大人気 7:53:43 (7 位/8 名完走) 背の低い木が周囲に見えるようになった。"Elevation 5700 FT"の標識の横を通過(16.5km, 8:06)。海抜 1737m だ。 I-40 の跨道橋を渡り(28.8km, 9:48)、 T 字路で左折して I-40 の側道に 入 っ た 。 こ れ が ル ート 66 の よう で、ルート 66 の マーク が入った古い橋を渡った(33.5km, 10:34)。路面は未舗装または舗装がかなり剥がれていた。岩田さん・浪越さんからエイドを受 けてから完全なトレイルに入った(10:55)。車はこの小道には入れないので、ランナーは 7km の間はエイドを受けられない。クルーは I-40 跨道橋があった所まで戻り、 I-40 などを通って迂 回し、ランナーを待ち受けることになる。 トレイルには分岐があるたびに、小麦粉で矢印が描かれ、時にはリボンが木の枝に付けら れて迷うことはなかった。モーバイルハウスには犬がいるとの話だったが、私が通ったときには 姿が見えなかった(37.1km, 11:14)。その先では主催者メンバーの Bertrand が雨が降れば川に 変わるという石がゴロゴロした地点で通過確認をしていた(37.9km, 11:22)。そこから約 1km 先 には発泡スチロールの箱が置いてあり、その中には氷で冷やした水の PET ボトルが入ってい たので1本いただいた(11:34)。 白い教会が右に見えたら(42.3km, 12:10)、クルーとの合流点は近い。まず、レネが出迎えて くれ、井口さん・岩田さん・浪越さんが待っていてくれた(42.6km, 12:12)。ここから先は舗装道 路となり、T字路で左折してルート89 に入った(44.8km, 12:42)。 13:19 、 Ash Fork に入った(49.2km)。海抜 1568m にあり、 1882 年に設立された町だ。 Copperstate Motel 前にフィニッシュ(13:21)。猛追してきた石原さんが、 34 秒後にフィニッシュ した。ホワイトボードに記されている記録を見たら、私の 36 分前にジェームズとイタローが同 時フィニッシュしていた。この日の朝、イタローは$50 を支払わなかったので、日本人クルーは 彼をサポートしなかったが、ジェームズのサポートクルーがイタローのサポートも行ったようだ。 距離が短く、早い時間にフィニッシュできたので靴の修理を行った。靴の修理はヨーロッパ 勢には珍しかったようで、ランナー・クルーから何枚も写真を撮られた。 夕食のためにホテル近くのレストランに向かう途中、2002 年に Huntington Beach で購入し たサンダルが壊れた(17:04)。運良くすぐ横に店があったので、粘着テープを買って応急修理 を行った。ついでにルート66 の絵はがきも買った。 睡眠時間もようやく6時間は確保できそうだった。今までは4~5時間しか睡眠時間を確保 できない日がほとんどで、走っている時も眠たいことがあった。
朝のミーティングで、「タイムゾーンが変わるので、時計を1時間進めるように」という指示が あったように思ったので、フィニッシュ後、時計を1時間進めた。
D12 6月30日 Ash Fork - Williams 48.8 km (30.3 miles) 関門 8:45
1時間の損失 7:54:18 (8 位/8 名完走) 5:15 にスタート地点にチームジャパンのメンバーが集合。しかし、主催者はもとより、他のラ ンナーやクルーが現れなかった。「時計を1時間進める」のは、どうやら数日後の話で、私が聞 き間違えたようで申し訳ない。仕方ないので部屋に戻って、ベッドの上で1時間近く休憩した。 スタートしてから写真撮影のために前方に出たが、 10 分くらいのうちに、ほとんどのランナ ーに追い越された。 11.3~43.5km は未舗装道路だった。サポートカーも通れたのは良かったが、ほこりっぽい 道だった。コース説明にはランナーと車のタイヤのために、徐行運転するようにとの注意書き があり、サポートカーは徐行してくれた。しかし、トラックがたまに通ると、ランナーへの配慮な しに通り過ぎるので、土埃がしばらく消えなかった。 送電線の下を通過したら、ジリジリジリ…と大きな音が聞こえた(30.8km, 10:19)。今度は、パ ーン、パーンと言う音が前方から聞こえてきた。近づくと、道の左側の空き地で、男性が標的 を狙って射撃していた(11:36)。誤射があると嫌だなと思いながら、銃口が自分のほうには向い ていないのを確認しながら通り抜けた。 Holden 湖を右に見て進む(41.9km, 12:18)。久しぶりに 大量の水を見た。 舗装道路に変わり、Williams の町に入った(47.9km, 13:18)。海抜 2055m の地に 1881 年に 設立された町だ。 Comfort Inn の前に8位でフィニッシュ(13:21)。 前日に続いて距離が短く、坂東さんは痛めていた左足が復調したようで、5位でフィニッシュ (6:38:40)。ジェームズとイタローは同着6位(6:49:11)だった。 相対的には遅いフィニッシュだったが、時刻としては早かったので。まだホテルのチェックイ ンはできないとのことで、先に着いていたランナー・クルーはホテル敷地内で休憩していた。 私も足をアイシングしたり、ビールを飲んで時間を潰した。 ようやくチェックインができ、シャワー・洗濯の後、石原さん・田中さん・岩田さん・浪越さんと 私の5名はグランドキャニオンの見学に出かけた。坂東さん・菅原さん・井口さんは出かけずに ホテルで休息をとった。 グランドキャニオン国立公園の入場料は車1台$25(7日間)だった。しかし、夕食を摂って、 ゆっくり休みたいので。観光見物は1時間で切り上げてホテルに戻った。慌ただしかったが、 期待通りの雄大な渓谷を眺めることができ、時間と体力を使って行った甲斐があった。
D13 7月1日 Williams - Flagstaff 65.1 km (40.5 miles) 関門 12:00
複雑な道 10:42:47 (7 位/8 名完走)
距離は比較的短いが、コースが複雑で曲がり角が15箇所もあり、悪路もあり、クルーもラン ナーもコースアウトする可能性があって要注意の1日だった。
最初の曲がり角は4.3km 地点で右折して Bearizona Blvd に入った(6:02)。曲がり角には大 きな電光掲示板があり、その横には木に登る熊の像があった。 0.4km 先で未舗装道路にな
り、そこから 2.6km 先の左折地点が厄介だった。「左折して舗装道路に入る Turn left on pavement road 」と言うが、「舗装道路の名前はない Pavement Rd - No name to see 」という説 明だ。ここで左折するかもしれないと思う道があったが、先ほどまで見えたランナーの姿が見 えず、他のランナーのサポートカーがまっすぐ進むのが見えたので直進した。間もなく、その サポートカーが土埃をあげながら戻ってきて、「コースを間違えた」とのこと。振り返ると、坂東 さんも左折地点を直進して走っている姿が見えた。少し戻って右折するように合図したつもり だったが通じず、合流してから説明した。他の人も間違っていれば、私たちが1位、2位を走っ ていることになるのだが、そんな都合の良い話があるはずもなく、ダントツの最下位争いとなっ た。 9.1km 地点からも未舗装道路となり、目の前を牛が数頭横切っていった(7:02)。牛たちが道 路を進めないような仕掛けCattle Guard をこの日はあちこちで見かけた。舗装道路に変わり、 T字路で右折してルート 66 に入った(15.1km, 7:36)。 27 ~ 32km 、 39.7km 以降も未舗装道 路で、特に 42km ~ 47.8km は悪路で車は通れないので、クルーは 38.1km 地点まで戻って I-40 を通り、 47.8km 地点まで迂回するようにコース説明に記されていた。 42km 地点では主催者スタッフのダビッドが道案内してくれた(12:00-03)。岩田さんがサポー トしてくれ、写真撮影しているうちに、せっかく追いついていた石原さんが先行した。石が所々 に転がった道を進み、T字路左折地点に行くと、レネと Bertrand が通過チェックをしていた (43.9km, 12:24)。「石が多くて大変だったでしょう」と言われたが、「日本にはもっと歩きにくい 道があり、問題なかった」と答えた。後日、主催者が撮った写真を見たら、ほとんどのランナー は走っていたので、彼らは足元が不安定で疲れたかもしれない。 47.8km のT字路左折地点 にはアンネが待っていてくれ(13:05)、菅原さんからエイドを受けた。 0.5km 先からはまたも未 舗装道路が約10km 続き、 Cattle Guard を何度も渡った。 15:15 、左折地点に Bertrand とアンネが待っていて、「左折」と教えてくれるとともに、「坂東 さんと石原さんが直進した」と教えてくれた。ランナーの私が探すわけにもいかず、コース通り に進んでいると、坂東さんが逆走してきた。間違った地点まで戻ると言う。車に乗ってもよいと 思ったが、規則かどこかに主催者に無断で車に乗ることは違反と書いてあったように思ったの で、戻っていく坂東さんを止めなかった。先ほど Bertrand と会ったときに、車で戻ることの許可 を得ておけば良かったと悔やんだ。 石原さんを心配しつつ、曲がり角に注意しながら進んでいると、石原さんが正しいコースに 復帰したとの情報が入った。
Flagstaff の Days Inn 前に 7 位でフィニッシュ(16:11)。石原さん、田中さん、そして坂東さん もフィニッシュした。
ジェームズとイタローはこの日も同着だった(5位, 9:19:27)。14日目からは、サポートクルー が義務づけられておらず、サポートクルーのいないランナーは主催者からエイドを受けること ができる。したがって、ジェームズとイタローの共走は、この日が最後だろうと予想した。
食事が終わってから、罰則規定の18 番目に"Riding in a moving vehicle without having previously notified the organizers""Immediate suspension!"と 記されているのを見つけた。坂東さ んがコースアウトした地点まで戻ったのは正解だった。
D14 7月2日 Flagstaff - Birdsprings 85.4 km (53.1 miles) 関門 15:00 テント内でシャワー 12:34:30 (7 位/8 名完走) ここまでの最長 距離のステージだったが、 0.1km 地点で左折し、 4.4km 地点で右折し (6:00)、 17.3km 地点で左折したら(7:35)、後は曲がり角がないというコースで、前日とは違って 迷うことなく安心して走ることができた。ルート 66 とは D37(7 月 25 日)までお別れとなり、ルー ト66 の北側の道がコースになった。
"Mile 0"の標識を通過し、道路名が Rd 505 から B.I.A. N15 に変わり(10:59)、 Navajo Reservation に入った(41km, 11:00)。後で分かったが、ここがタイムゾーンがパシフィックからマ ウンテンに変 わった地 点 だ った 。土が 固 まっ たような岩がゴロゴ ロした横 を通り(13:31-36)、 Leupp Boarding School 寄宿学校前を通過(64.1km, 14:35)。 Emergency Medical Service 救急 車がコース脇に待機しており(14:41)、これ以降数日間、私たちランナーに「大丈夫か」と声を か け て 何 度 も す れ 違 う こ と に な っ た 。 ほ と ん ど水 の ない Little Colorado 川 を渡り(65.1km, 14:44)、砂漠地帯を進んだ。 Birdsprings Chapter House にフィニッシュ(18:04)。小型テント内で シャワーを浴びて洗濯。アンネなどが調理した食事をご馳走になった。時計を1時間進め、マ ットを敷き、シュラフに入って就寝した。
Week 3 July 3 - July 9
Birdspring (AZ) - Abiquiu Lake (NM) 515.5 km (320.3 miles)
D15 7月3日 Birdspring - Indian Wells 65.8 km (40.9 miles) 関門 11:45 1,000km 通過と砂嵐と竜巻 11:04:56 (7 位/8 名完走)
1,000km 地点を通過。 Navajo 族の方々から応援してもらった。フィニッシュが近づいた頃、 前方の舗装道路が赤茶色に染まってきた。砂嵐だ。右横から強風が吹き、身体に砂粒が当た って痛かった。
Indian Wells Chapter House にフィニッシュ(16:34)。石原さんと坂東さんのフィニッシュを待っ ていると、竜巻が発生して空高く砂が舞い上がっているのが見えた。
Navajo 族の方々が何をしているのか様子を見に来た。
D16 7月4日 Indian Wells - Kinlichee 77.2 km (48.0 miles) 関門 13:45
独立記念日 12:48:48 (7 位/8 名完走)
米国の独立記念日。
Indian Wells Chapter House 前でスタートし、未舗装道路を 1.1km 走った後、 2.1km 地点で ルート77 に入り、 6:32 に太陽が昇ってきた。 6.8km 地点で Rd 15 に入ると、ジェラードと彼の クルー、主宰者スタッフのレネが応援してくれた(6:37)。 周囲にはテーブルマウンテンの小型版のような山が並び、牧場が多く、牛たちに時々見つ められた。彼(女)たちには、ランナーが近づくと、じっーと見つめ続ける習性があった。右折し てRd 15A に入り(13:34)、浪越さんからエイドを受けた。 13:59 に未舗装道路に入った。 C413 に入って間もなく、雨がパラパラッと降ってきたので、 せっかく持っていた傘を差して走った(14:19)。遠くには黒い雲があったが、雨はすぐに上がっ た。C427 に入って間もなく、石原さんに追いついた(15:42)。 "STOP"の標識があるT字路で右折し、 Rd 264 に入った(16:35)。路側帯がないところが多 く、車が来たときには砂利や草の上に避難した。 17:23 に坂東さんに追いつき、田中さんの姿 も前方に見えるようになった。Fish Wash とい川を渡った(17:53)。「川」」には水はなかったが、 子犬が立っていた。 駐車スペースのある道路脇に、石原さんと一緒にフィニッシュ(18:28)。 フィニッシュ地点では、ロールが星条旗をまとってランナーを出迎えていた。
ホテルはNavajoland Inn & Suites で、約 32km 離れており、 Hwy 264 を利用して移動した。
D17 7月5日 Kinlichee(AZ)-TwinLakes(NM) 71.7km(44.6miles) 関門 13:00 アリゾナ州からニューメキシコ州へ 11:47:01(7 位/8 名完走) スタート地点への移動時間を考慮してスタートは午前 6 時頃に変更。スタート直後の道は 路肩がほとんどなくて、交通量が少ないとはいえ危なかった。ライナー、セルジュ、私などは、 車道ではなく、草むらの中を走った。日の出は6:14 だった。 路肩がある道に変わり(9:17)、歩道がある道に変わった(10:46)。前夜泊まった Navajoland Inn & Suites 前を通過(30km, 10:53)。
プレードッグを左に見て走り(11:40)、石原さんと一緒にアリゾナ州(AZ)からニューメキシコ州 (NM)に入った(11:59)。少し遅れて坂東さんも NM に入った(12:01)。
岩山がキノコの形など珍しい形をしていたので、写真を何枚も撮った。遠くに雨雲とそこか ら降り注ぐ雨が見えた(15:46)。左折して Hwy 491 に入った(62.1km, 16:14)。この日唯一の曲 がり角だった。
Twin Lakes の Chapter House 前にフィニッシュ(17:44)。 Gallup の El Rancho Motel まで約 18km 移動して宿泊。 Gallup はルート 66 沿いにあり、 1928 年のレースでは 20 日目に到達し た町である。
D18 7月6日 Twin Lakes - Crownpoint 66.4 km (41.3 miles) 関門 11:45
ジェームズがタイムオーバー 9:52:38 (6 位/8 名完走)
5:30 前にスタート。 3km 地点で右折してルート 9 に入った(5:49)。早朝は涼しいので、やや 速く走ったが、右折してからは日本人以外のランナーに次々に追い越された。
Crownpoint Shopping Center にフィニッシュ(15:19)。再び、 Gallup に移動して El Rancho Motel に宿泊。
この日、ジェームズには追い越されなかった。ジェームズは大幅タイムオーバーの 12:16:32 でフィニッシュした。胃腸の不調が原因だとのこと。「一回のタイムオーバーは認める」という8 日目に作られた特例があり、翌日の復調が期待された。
D19 7月7日 Crownpoint-Pueblo Pintado 64.4 km (40.0 miles) 関門 11:30
雨の七夕 10:34:32 (8 位/8 名完走)
6 時前にスタート。 0.6km 地点で左折してルート 371 に入った(5:57)。 6:04 に太陽が昇って きた。砂漠地帯を走り、交通量は少なかったが、道路工事は多かった。
Pueblo Pintado Chapter にフィニッシュ(16:28)。
シャワーは少し離れた建物の中で浴びた。男性用・女性用が1個ずつあるだけで、男性用 が空くのをしばらく待っていたが、なかなか空かなかったので、建物を管理している女性職員 の承諾を得て、女性用のシャワーを利用させてもらった。この日も靴底を修理。洗濯物を外に 干していたら、雨が降り出したが、すでにほとんど乾いていた。
前日不調だったジェームズは 10:14:53(6 位)でフィニッシュ。体調不良から快復したようだ。
D20 7月8日 Pueblo Pintado - Cuba 87.2 km (54.2 miles) 関門 15:30
水のない川 14:04:04 (7 位/8 名完走) 距離が長いので、午前5時頃にスタート。道路工事が多く、何度も犬と遭遇した。 水が全く流れていない「川」に架かる橋を渡りながら、「川」をのぞき込むと、トラックに砂をス コップで積んでいるカップルがいた。自分たちで使うということだった(12:07)。 森岡さんの応援を受けた(16:36)。彼は東京~京都をバスケットボールをドリブルしながら走 ったことがあると言い、数日前からロールを通じてメール連絡を受けていた方だった。
Cuba の Frontier Motel にフィニッシュ(19:07)。ジェームズは緑茶を飲んでいた。
坂東さん(20:01)に続いて石原さんがフィリップと一緒にフィニッシュ(20:07)。森岡さんはフィ ニッシュ地点にも応援に来てくれた。20日間で最長距離だった。
D21 7月9日 Cuba - Abiquiu Lake 82.8 km (51.5 miles) 関門 14:30 キャンプ中止 13:46:37 (6 位/8 名完走) 5時頃にスタート。地層が露出した山が多い。2002 年に St. George に向かったときのような 景色だ。ジェームズ、フィリップ、坂東さん、越田の4名が一緒に走る機会があった(11:33)。ス タート直後ならばいざ知らず、6時間半も走ってから4名のランナーが一緒になるのは珍しいの で記念撮影した。 午後3時半過ぎから遠くに雨雲が見えるようになり、局地的な大雨が降り始めた。
海抜 2,400m を越える峠を越え、 Riana Campground に入り、 Abiquiu 湖畔にフィニッシュ (18:46)。
日本人ランナーが全員フィニッシュしてから、主催者が調理した食事をご馳走になった。当 初の予定では、ここでキャンプするはずだったが、夜間の悪天候が予想されたため、 Espanola まで車で移動してMotel 6 に泊まった。
Week 4 July 10 - July 16
Abiquiu Lake (NM) - Guymon (OK) 540.6 km (335.9 miles)
D22 7月10日 Abiquiu Lake - Velarde 62.0 km (38.5 miles) 関門 11:00
パンク! 9:33:25 (6 位/8 名完走)
暗いうちにホテルを出発し、スタート地点(公園入口)に移動。キャンプグランドの出入口に は、「警告 (出口から)入るな タイヤに深刻な損害」"Warning, Do Not Enter, Severe Tire Damage"という警告が出ていることに前日に気づいていた。しかし、私が助手席に乗っていた 車が、逆走防止のツメに引っかかりパンクしてしまった。まだ暗い中で、他のランナーとクルー がだんだん集まり、ミーティングが開始。その間もクルーの方々はタイヤ交換を続行した。 5:30 頃にスタート。短い下り坂に続いて登り坂になったが、すぐに長い下り坂になったの で、しばらくは先頭で走った。初めて大量の水が流れる川が見え、背の高い木を久しぶりに見 ることができた。 平坦路になると失速し、ライナー、パトリック、セルジュに追い越され、イタロー、ジェニー、 アレックスにも追い越された。 正午頃、小さな女の子二人が何か叫びながら走ってきた。応援だと思っていたら、"Candy, Candy"と叫んでいた。これでは戦後の日本の子供たちと一緒だ。 Velarde の Shamrock というガソリンスタンドにフィニッシュ(15:06)。マルカスは応援に来てい た奥さんと一緒にフィニッシュした(15:47)。17.5km離れた Hotel Resort Casino Ohkay へ移動し て宿泊。
2002 年には、 29 日目に大陸分水嶺の Rabbit Ears 峠 (海抜 2,873m)と Muddy 峠 (海抜 2,673m)を越え、 31 日目に大陸分水嶺の Berthoud 峠 (海抜 3,445m)を 越え、そのたびに "Continental Divide"の大きな標識があった。今回は Cuba から Velarde までの間にロッキー山 脈を越えたはずだが、山脈の最南端部だったため、標高はせいぜい2,400m 程度だった。
D23 7月11日 Velarde-Palo Flechado Pass 75.5km (46.9miles) 関門 13:30 Palo Flechado 峠(標高 2783m) 12:52:28(7 位/8 名完走)
4時に起床。スタート地点(Velarde)に移動し、 5:30 にスタートし、ルート 68 を進む。川を左 手に見て坂道を登っていくと、7:59 にリオグランデ峡谷"Rio Grande Gorge"という標識を見つ けた。 マルカスによれば、この川は彼が住んでいる町(Eagle)の方角から流れてきているという。リ オグランデは米国とメキシコの国境を流れる川という認識だったので驚いた。 1997 年の年末 から 98 年正月にかけて、友人と二人で米国南部をレンタカーで旅行した時、テキサス州のビ ッグベンド国立公園を訪れ、すでに時効だと思うので告白するが、単独でリオグランデ川を渡 ってメキシコに密入国したことがある。そのリオグランデが、コロラド州のロッキー山脈に源を発 していることを全く知らなかった。マルカスが暑さを苦手とする理由の一つは、彼がロッキー山 脈の中にある町に住んでいるからなのだろう。マルカスは8日目にタイムオーバーで失格にな ったが、3日間の休養後にレースに復帰し、12日目以降のステージは全て完走した。実力が あるだけに惜しかった。 Taos の町を通り抜け、右折してルート 585 に入り(46.8km, 13:08)、T字路で右折してルート
64 に入った(50.4km)。いよいよ Palo Flechado 峠 (海抜 2783m) への登りになった。路肩がな い道があり、車が来ると草むらに避難した。 プレーリードッグが多く、写真をアップの写真を撮りたかったが、近づくと素早く逃げられてう まくいかなかった。彼らは車には警戒心が無くて交通事故の犠牲者にあちこちでなっていた。 車が後ろから走ってきて、大きく私を除けて追い越したと思った途端、パーンという音がした (17:17)。その音を聞いた牧場の馬2頭が車を追いかける方向に突然走り出した。パンクした車 は路肩が広いところに停車し、ドライバーは途方に暮れ、同乗女性は不機嫌だった。 Palo Flechado 峠(海抜 9101 フィート)にフィニッシュ(18:22)。 1000 マイルにも到達した。宿 泊地はAngel Fire の Community Center で、ポートカーに乗り、峠から翌日のコースをしばらく 進んだ後に、コースから分かれて向かった。ほとんど毎日、睡眠不足で走っているため、ラン ナーもクルーも疲労が蓄積してきた。
D24 7月12日 Palo Flechado Pass-Cimarron 66.4km (41.3miles) 関門 10:30
最初の下りだけは1位 8:16:24(7 位/8 名完走) 6:00 スタート。パロフレチャド峠からの急な下り坂がしばらく続き、速く走るつもりはなくても 自然とスピードが上がって先頭に立った。時々振り返ると、数十メートル後ろをライナーが走っ ていた。やがて下り坂がなだらかになってペースが落ちると、ライナーにあっさりと追い越され た(6:18)。次に私を追い越したのは坂東さんだった。気持ち良いくらい次々に追い越された。 Eagle East の町は西部劇に出てくるような雰囲気だった(8:38 ~ 8:46)。 9 時頃には右手に 大きなEagle Nest 湖を眺めながら坂道を登った。下り坂になると、左手に小さな川(急流)が流 れ、その左手には切り立った崖が続いていた。この Cimarron 渓谷も美しかったが、花も蝶もき れいだった。キャンパー・ハイカーなどの休憩所があちこちにあったが、"Area Closed"という看 板が全てに貼り付けられており、閉鎖されていた。山火事の危険性が高いためだ。そのおか げで、クルーはサポートカーを休憩所に停めてエイド物資を出していると、パトロールしている 人から文句を言われて苦労した。
Cimarrron の Canyon Inn にフィニッシュ(14:12)。
帰国後に地図を見たら、サングリデクリスト山脈Sangre de Cristo Mts. を横切っていたはず だったが、川沿いの下り坂が多い道で、 15 マイル付近に小さな峠があっただけで、山脈を横 切ったという感覚はなかった。
D25 7月13日 Cimarron-Point of Rocks Area 86.3km(53.6miles) 関門 15:15
激戦! 13:20:13(8 位/8 名完走)
5:00 前にスタート。道路脇には牧場が多く、牛だけでなく、馬も多かった。
海抜 5857 フィート(1785m)に ある Springer という町に入った(11:10)。町並みを過ぎてから Santa Fe Trail の標識を見た(11:53)。
View of the Rockies の説明板があり(17:28)、ロッキー山脈の恩恵が記されていた。坂東さ んが道路脇の空き地にフィニッシュするのが見え、坂東さんに1分08秒遅れてフィニッシュした (18:14)。 Springer に戻り、 Oasis Motel に宿泊した。
D26 7月14日 Point of Rocks Area-Clayton 88.2km (54.8miles) 関門 15:30 スピード違反 12:15:06 (5 位/8 名完走) ホテルからの移動があったのに、午前 5 時前にスタート。ライナーがマルカスとドイツ語で おしゃべりしながら走っていたので、先頭に出て Gladstone Mercantile という店までは先頭で 走った(6:17)。大部分のランナーはここに立ち寄って店を見学し、ライナーはアイスクリームを 買い、私はアイスクリームとコーヒー豆を買った。買い物に 10 分かかり、外に出ると田中さん が通り過ぎるところだった。 ライナーは店を出た途端にペースを上げた。パトリックには 6:59 、イタローには 7:31 に追い 越された。ジェームズには 10:45 に追い越されたが、主催者スタッフから彼がエイドを受けて いる最中に追い越した(12:01)。この段階で公式ランナーの中では4位に浮上した。今までは6 位が最高だったので、7時間も走って4位というのは信じがたいことだった。そのうちに追いつ いてくると思っていたセルジュは 14:28 になってようやく追いついてきて「今日は、速いなぁ」と 言って追い越していった。平坦な道では、それほど差が開かなかったが、登り坂になると一気 に差が広がり、再度4位に浮上するのは無理になった。 Clayton が近づくと、後方にアレックス の姿が見えてきた。しかし、あと数 km しか残っていなかったので逃げ切って5位で Clayton の Best Western Kokopelli Lodge にフィニッシュ(17:09)。
ビールを飲みつつアイシングしていると、アレックスがフィニッシュし、目をまん丸くして、「ス ピード違反で刑務所行きだ!」と私に言ってきた。
D27 7月15日 Clayton(NM)-Boise City(OK) 78.9km(49.0miles) 関門 14:00
ニューメキシコ州からオクラホマ州へ 12:40:19(7 位/8 名完走)
5 時半の少し前にスタート。
"You Are Leaving New Mexico"と赤字と黒字で書かれた黄色の背景色の標識があり、ニュ ーメキシコ州からオクラホマ州 に入り、タイムゾーンがマウンテンからセントラルに変わった (19.5km, 8:30)。 9:44 、浪越さんの車に石原さんが乗って追いついてきた。石原さんは州境で リタイアしたという。8日目以降はずっと完走を続けてきたから、残念な結果だった。
新しい主催者スタッフ2名(Berengere とエミリー Emilie)がアンネと Bertrand と一緒に応援し てくれた(13:10)。 Boise City に入った(16:34)。遠くから見えた Red Cabin の横にフィニッシュ (18:05)。 Boise City の Townsman Motel に移動して宿泊。タイムゾーンが変わったので、時計 を1時間進めた。
D28 7月16日 Boise City - Guymon 89.8 km (55.8 miles) 関門 15:45
岩田さんサポート最終日 15:14:07 (7 位/8 名完走)
時計を1時間進めたばかりだというのに、オクラホマ州は暑いので、午前5時スタートするこ とになった。前日のスタート地点Clayton では、まだ午前4時だ。
周囲の畑はほとんどが枯れていた。気温が高く、風も熱い。
Guymon の Ambassador Inn にフィニッシュ(19:41)。坂東さんは 20:02 にフィニッシュ。
岩田さんのサポート最終日であり、本来であれば、レストランで岩田さんの送別会を開きた いと思ったが、距離が長かったためフィニッシュが遅くなり、夕食はテイクアウト料理となった。