北アルプス山行の記−1
(燕岳編 1日目) 7月 22 日
2001 年7月 22∼26 日 川崎 茂 小さな穂高駅の待合室で登山の支度を始めた。これから登山口の中房温泉に行くのだ。 なかふさおんせん 早朝の6時過ぎの待合室には私だけで、駅前のタクシー乗り場には 4人の大学生が大きなリュックを 横に置いてのんびりとタクシーを待っている。 北アルプス表銀座の登山駅は、多くの登山客で賑わっていると思っていたが、夏休みの日曜日というのに静 かなものだ。こんなものかな∼と思いながら、登山靴を履き、荷物の点検に取りかかる。 入り口から大きな声が近づき、3人の中年女性が賑やかに現れた。私の前の長椅子に腰掛け、おしゃべりを 続ける。途切れない。大きな声なので、自然と耳に入ってくる。仲良し4人でつばくろだけ燕岳 ∼大天井岳∼常念岳∼おてんしょうたけ 上高地への山行らしい 私を含めてだが、この中高年が現在の登山者の主流をなして、山小屋の経営等に大きく貢献している。 間もなく遅れた一人が合流し、私に挨拶をして、タクシーで中房温泉へ去って行った。 いつの間にか大学生もいなくなり再び静かになった。 駅の窓口では駅員が一人仕事をしている。年輩の男性。駅長さんかな? 私が乗り合いタクシーの時間を尋ね た後に、 「今日から縦走ですか」と問い、彼はホーム越しに、雄大にそびえる新緑の常念岳連山を見ながら、控えみ に、四季の眺めを自慢した。贅沢な職場だなと思った。 良いことばかりでは無いだろうが、都会人よりもゆっくりとした幸せな人生を送っているのだろうと思った。 しばらくして乗り合いタクシーが到着。これから中房温泉へ、乗客は私のみだ。若い運転手は早朝の一便で は15人を乗せたと言う。二便は私のみ、貸し切りだ。何だか申し訳ない気がする。 車は安曇野の田園を通り、観光バスの風情だ。運転手の、次々と変わる風景、登山客の事、車の運行等々、あずみの の話を聞きながら、中房川に沿って新緑の渓谷に入った。離合不可の小道を走り、数カ所の防災トンネルを 抜けて、くねくねとした道を辿りながら、高度を稼いで行く。 同時に私は何故か高度の上昇と共に気持ちの高揚を感じ出した。登山口を前にして登山欲が沸き上がってく る。 中房温泉に8時 30 分到着。北アルプス表銀座の出発点だ。ここは、穂高駅の静けさとは異なり、数台の観 光バスが駐車しており、多くの登山客で賑わっている。 登山口の右手には、陽光の緑の中に、数棟の温泉館が収まっている。中房温泉は、江戸末期の開業らしく、 日本アルプスの名づけ親、ウエストンも投宿したそうだ。 広場では、バスで来た夏期登山の中学生だろう200名くらいが、集合をして、出発を待つだけになってい た。何故か、先に行かれると大変だ。これだけの集団を追い越して行くのは至難の業だと、私は勝手に思い、 一息を入れる事なく、急ぎ、中学生よりも先に登山を開始した。 中房温泉より今日の目的地のえんざんさんそう燕山荘 までは、約1300m の高度を稼ぐ、参考時間約5時間の道程だ。 気持を集中し27kg のリュックを背にして2本のストックで、樹林の急登をぐいぐいと登って行く。 この道は北アルプス3大急登と言うだけに、手強い、丸太で土止めをした階段もリズムを狂わす。 樹林に囲まれて小鳥の声がする森林浴は、気持ち良いが、汗がいつもより流れる。ペースを落として進み、 立ち止まって、水を飲んだ。 それを数回繰り返して第2ベンチにやっと辿り着いた。1時間くらい経過したのだろうか、やはり疲れる。 そして、頭がボーとしているのだ。気力で登るのもこれまでだ。これから先は休憩をとって、ユックリと行 こうと思った。先は長い。時間はたっぷりあるのだ。と、高揚を続ける気持ちを落ち着かせた。 私の、ここまでの足取りは、昨日の朝8時に北九州を車で出発をし、JR 大糸線 穂高駅を目指して2日間の 計画で観光も予定し、疲れることなく行こうと考えていた。しかし、何かの“ちから”に惹かれるように約 1000kmの道のりを一睡もせず走り抜けた。 22 時間で穂高駅に達し、そして今ここにいる。 何故か自然と湧き起こる気持ちの高揚は、押さえることが出来ず、眠りたい欲求を無視してやってはいけな い、無謀登山を決行してしまった。 この山行は4年前に計画をし、やっと実現しただけに気持ちが空回りをしているのだ。 リュックを降ろして、やっと開放感を得た。そして大きく深呼吸をして、側の石に腰を掛けた。 時折、涼しい風が木立の間を通り抜け気持ちがいい。私の前を登山客が数人ずつ登って行き、家族連れの小 学生たちも混じる。元気に「こんにちは」と挨拶をしていく。可愛いいものだ。 我が家の小1の末娘と山に行けるのは何時の事かな。帰って低山にでも行ってみようかなと思う。 やがて、下の方から賑やかに中学生の集団が近づいてきた。来ることは予想していたので、先に行ってもら おうと、休憩を続けた。 可愛いい中学生は元気に「こんにちは」と、声をかけて行く。私も「こんにちは」を返す。初めのうちは 微笑みを交えていたが、元気な“こんにちは”が、200回以上である。個性の強い「こんにちは」に等し く対応をして疲れてしまった。彼らが去って、暫く休憩を続けた後、ユックリと登り始める。 10 分程登ると、今度は中学生の集団が休憩をしている。各々に木の根っこや、石に腰を掛け、おしゃべりと、 お菓子で賑やかだ。 此処でも、挨拶を交換し、逃げるように先を急いだ。しかし、疲れと不眠には勝てず、息が切れて1時間程 進んで、再び休憩をした。 暫くすると再び中学生集団の来襲だ。今度は“又逢いましたネ”の親しみが加わっており“こんにちは”が 更に強力になっている。目の輝きが違うのだ、その“こんにちは”の集中攻撃を浴び続ける。この親しみの “こんにちは”は今の私には、凶器にも感じる。 枯渇したエネルギーを吸い取られるように「コンニチハ」を返して、もうここで寝ようと決断とした。 登山道の傍らに申し訳なく横になり、木漏れ陽の中で“あごの日乾し”を肴に、ビールを飲み、吸い込まれ るように至福の眠りに就いた。 その至福の睡眠では楽しい夢を見る事無く、2時間ほどで、登山者の声で現実に引き戻され、睡眠は切り上 げとなった。 登山道には燕岳に向かう人が、点々と続き通り過ぎる。意識は相変わらずぼんやりとしているが、 今日は燕山荘まで行かなくてはいけないのだ。再びスローペースで登り始める。 しばらくして、“合戦小屋”と勇ましい名前の小屋に着いた。ここには評判の長野産の西瓜があるのだ。 二十人くらいの登山客で賑わっている。私も休憩を兼ねて食べることにした。 一口ほおばると、甘さと冷たさが、口の中より疲労の貯まった身体全体に発信され、生き返る気持ちになる。 汗を流して此処まで登って来た人は、“何を食べてもおいしい”モードに切り替わっていて、 そこに飛びっきりの、冷たく甘い西瓜を出されては“心も、体も”無条件にうれしくなり、参ってしまう。 西瓜が、この小屋の名物になったのも必然だと頷ける。 西瓜によるリハビリが終わって、登山再会だ。これより1時間登れば、幕営地の燕山荘だ。 もう少しかかるかも知れないな? 気負わずゆっくりと行くと、あたりが急に開けて明るくなった。森林限界を超えたのだ。前方には背の低い 草地が広がり、これからは高山植物の楽園だ。道端に沿って多くの花が咲き、美しさを競い合っている。
高山植物に無知な私でも花を愛でながら行くのも楽しい。息が切れて足も動かないので結果的に、左右を眺 めて、ゆっくりと、ストックを頼りに花々を楽しみながら進む事になる。 この花は何?「キバナシャクナゲよ」あの花は?「ミヤマキンポウゲ」さっきもあったわね。 「アッあそこにミヤマトリカブトが咲いている」と、花の鑑賞会を楽しみながら女性達が私よりもゆっくり と登っている。 後ろについて、繰り出される花の名を聞きながら、凄いな∼。と感心しつつ顔を拝見すると、穂高駅で 会った仲良し4人組だ。燕岳までの一日を急ぐことなく充分に楽しんでいる。 私にはこんな優雅な山行は出来ないなと思いながら、女性の偉大さを感じた。 「あら、お兄さん速いわね。もうすぐ燕山荘だからご一緒にどうぞ」の言葉で鑑賞会の仲間入りをさせて頂 いた。 しかし、次々と繰り出される花の名に、ボーとしている頭は、多くを記憶出来ず「ブルーベリー」の花名で 4種の花を記憶し、貧弱なメモリー回路はクローズした。 どの花も瑞々しく可憐ながら強く存在を示している。天空の花の美しさ、たくましさには感動させられる。 長い冬を耐える強靱さは、どこにあるのだろうか。 燕山荘に近づき砂礫の中にピンクの小さな花が点々とある。「あれは」と、尋ねると「コマクサよ、この燕岳 の代表的な花ですよ」と教授され、かろうじて5種の花名が頭に残った。 燕山荘に着き、小屋泊まりの“動く花図鑑”の先生方と別れ、幕営地に行った。 既に20張り程のカラフルなテントが設営され、スペースが少なくなっている。私は、西側斜面の最下段に スペースを見つけてテントを、設営した。 テント内に荷物を置き、燕山荘にテント使用許可と飲料水の確保に行く。 幕地使用料:500 円 水-2リットル:400 円 也りだ。 自宅への定時連絡を携帯電話で試みるが無情にも通話圏外。九州の山では威力を発揮したau の携帯電話 だったが、残念だ。燕山荘でテレホンカードを買い求め、無線電話にて連絡をする。我が家は平和、異常な し。 この携帯電話は300g位あるのかな、日常では大した重量でもないが、しかし、今は重さが気にかかる。 登山の快適さは、軽さも重要な要素なのだ。 泊地に戻り、上段の住人、単独行のN 氏を燕岳への登山に誘う。返事はOK。 早速、上着を羽織って花崗岩のかこうがん 砂礫を踏み、スリップに注意をしながら頂上を目指した。 されき 群立する奇岩を抜けて、コマクサを楽しみながら行く。やがて、燕岳の頂上(2763m)に達し、 三角点を触って燕山に挨拶をし、登頂の確認した。 尾根に付いている燕山荘を見ると、その前には今にも動き出しそうに花崗岩が群を成して突き出ている。 躍動するイルカの群だ。 夕方の斜光が花崗岩にコントラストを与えイルカの動きが、いっそう効果的に見える。写真とは違い実物に は圧倒される。ダイナミックで飽きない眺めだ。 ふたたび燕山荘を見ると、尾根の東に濃い霧が発生し、西より適度の風が吹いている。太陽は力強く輝く。 ブロッケン現象を体験するには、又とない条件だ。急いでテント場に戻る。 尾根に立って、霧をみると、自分の影が濃く映り、その周りを薄い円形の虹が囲んでいる。そして、両手を 鳥のように上下をすると、影も動きだす。こんなにもはっきりとした現象は初めてだ。 槍ヶ岳、開山の僧、ばんりゅうしょうにん播隆上人 が槍の穂先で“後光に浮かぶ観音様を見た”と言ったのも頷ける。 すぐ下にいた二人の高校生に「ブロッケン現象が見えるよ」と、声をかけ、先ほどの作法を伝授した。 テントに戻る途中、尾根を見ると10数羽の男女の若鳥が羽根を広げ、奇声をあげながら、せわしく羽ばた
いている。健やかに育てと思う。 テントに戻り夜食をカレーライスとコーンスープで軽くすませた。 そして、上段のN 氏とささやかな宴を私のテントで行う。 ホットウイスキーを飲みながら、まずは自己紹介。N 氏は長野市在住の35才の会社員で、久し振りの登山 に来たと言う。今回の山行に備え体重を4kg減量して挑んでいるのだ。エライ。 趣味はスキーで直滑降が得意らしい。私の知らない世界だ。 彼の予定は、明日、大天井岳まで行き、常念岳方向に進むか、槍ヶ岳に行くかを決めると言う。休暇は一週 間とっているそうだ。 私の予定は、大天井岳・槍ヶ岳・大キレット・北穂高岳・奥穂高岳より・からさわ涸沢に降りて上高地へ、 北九州から往復を含め10 日の休暇を使えると話し、出来れば一緒に行動しないかと誘う。 酔った勢いか、彼は「それもいいですね。前から行ってみようと思っていました」と言う。 それから長野県の冬期オリンピックは成功したが、その後、施設は余り使われず運営は大変だとか、 田中康夫知事の誕生は降って涌いた選挙で驚いたが、これからが正念場だねとか、 川崎さん途中で寝ていましたねとか、おみやげは何がいい等々を話していると、 ラジオから山のニュースが流れた。“今日、北アルプス北穂高岳、直下の岩場で2人が滑落し、 一人は死亡もう一人は重体“と報じる。明日の天気予報は晴天。 「北穂高岳はルートに入っていますよね」とN 氏「一応ね」と私。 500m リットルのウイスキーは一夜で空となる。単独行の者同志で飲む酒も又、楽しいものだ。 テントの外は、気温が下がり10℃近くになっている。息を吐くと白い。火炎を吐くゴジラの状態だ。私は、 「槍ヶ岳まではいこうね」と約束をして宴会をお開きにした。 私のテントの下には、けもの撃退の電気柵がある。その横には立て札があり 「熊や狐が来ます。ゴミや食べ残しは捨てないで下さい」と記されている。今夜の来訪だけはご勘弁願いた いものだ。 明日は槍ヶ岳まで行けるかな∼∼。荷物は重いし、ゆっくりと行こう。今日はいろいろあったな∼。体は疲 れたが楽しい刺激がたくさんあったな∼。 それにしても、この燕岳は通過点くらいに思っていたが、荷物が重いとはいえ、身体が動かない、これが実 力だな。明日もゆっくりと楽しもう。時間は有るのだ。 しかし、燕岳の花崗岩の造形美は独特の美で感動させられた。他に比べられる山域はあるだろうか。 ブロッケン現象も体験出来たし、高校生も可愛く素直だった。 と思い返しながらPM9:00 寝袋に入ってすぐに熟睡をした。 ――――― つづく ―――――
北アルプス 山行の記−2
(燕岳∼西岳
2 日目
)
7 月 23 日 2001 年7月 22∼26 日 川崎 茂 ぼんやりと明るくなっているテントの中で目が覚めた。時計は5時10 分だ。寝袋から出ると、 盛夏と言うのに寒い!下界は本当に熱帯夜が続いているのかな。 早速ガスストーブを点火し、お湯を沸かして朝食の用意をする。昼食を含め2食のご飯をボイルする。 献立はご飯に、メザシ、海苔、みそ汁だ。それで、山での始めての朝食をした。 荷物をリュックに収納し、テントを出て、昨夜、同行の約束をしたN 氏のテントを見る。既にテントは 消えて、N 氏は早立ちをしていた。嫌われたのかな? テントの撤収にかかる。テントは朝露に濡れて冷たい。露を丁寧に切り払い、折りたたんで収納をした。 リュックを背にして尾根まで登ると、既に昨日の霧は晴れ、赤い太陽が輝きを強めている。自然と手を合わ せる。えんざんさんそう燕山荘 の、道標前広場に来ると、多くの登山者が、記念写真を撮ったり、景色の素晴らしさや、 今日の予定などの話をしている。いつもの山小屋の、朝の賑やかさだ。 おてんしょうたけ 大天井岳に向かう尾根道を見ると、左右を新緑の低木に挟まれた砂礫の中に、細く長い下り道が延びている。 その上を点々と、今日の目的地を目指して登山者が歩み、次第に小さくなってゆく。 今日は槍ヶ岳まで行ければいいな∼と思いながら、6時40 分に私も出発した。 凛とした空気の中。歩みを進める。下りだけにリュックの重さは気にならない。調子はすごく良い。 ルンルンの気分だ。 眺望も、透き通った空気の中に、正面には大天井岳が迫り。左には常念岳、右には槍ヶ岳が聳えている。大 きな山体だ。深い感動を覚える。どの山も初対面で、その中に自分が居るだと思うと、昨日と同様、気持ち が高揚してくる。砂礫の登山道をスリップに注意して、這松帯に入った。 はいまつたい 腰ほどの高さで這松が登山道の近くまで生え、その間からピンクのはいまつ 石楠花が所々に咲いている。見慣れた花しゃくなげ だ。九州で見る石楠花より背は低く葉は小さいが、可憐に咲いている。見知らぬ所で知人に会った気分で少 し心強くなった。 先行する幾つかのパーティーを追い越して、始めての小さな登りで、大型リュックを担いだ4人の大学生 パーティーに追い付いた。 「お先にどうぞ」と道を空けられたが、「あなた達の後ろでペースを作りたいので同行させてくれませんか」 と言って、後ろに着いた。暫くして彼らは、為右衛門吊岩付近で休憩。私も、一緒に休憩をした。 彼らは長崎大の学生でワンダーフォ−ゲル部だと言い、これから、西岳∼槍ヶ岳∼やりさわ槍沢∼横尾∼涸沢∼奥穂からさわ 高を目指すと言う。途中まで私と同じだ。 私は「出来れば槍ヶ岳までの同行をお願いしたい」と言って、パーティーの後ろに着く事になった。 彼らの休憩は、水を飲むだけではなく、クラッカー大の乾パンを食べている。休憩は適時に、10 分程度を取 り、特に昼食はしないと言う。部の伝統だろう。又、地図を出して目視でルートの確認している。 食事の取り方は、歩きながら食事を摂る方法と似ている。こまめにエネルギーを供給するのは合理的な 考えで結果的に行動時間を短縮できる。 来た道を振り返ると、燕山荘が遠くなり、左に燕岳だ。あのイルカに似た、躍動する花崗岩は白く小さく成かこうがん っている。 そして前方には、大天井岳が大きく近づいた。山小屋大天荘への登山道がだいてんそう 30°の急傾斜で山腹に細い線を描 き、尾根まで延びている。高度差は300mくらいかな? 小休止の後、歩き始めた。太陽は高度を増し、もう寒さは感じない。暫くして、パーティーの一人が、“雷鳥がいる”と指を指す。砂礫と小岩と草の混じった傾斜地に、母親と2羽のひな雛が餌を探してせわしく動 いている。 なるほど。うずくまって動かなければ、うずら色に似た、夏毛の雷鳥は、見つけるのが困難だ。さすがは 保護色の代表 選手だ。 写真を撮ろうと近づくと、5m ほどの距離を保って、母親が移動をして雛がそれに急ぎ足で可愛くつづく。 茂みに入られてはと思い、遠かったが深追いをせず、シャッターを切った。 余り離れていない所で、ギャーッ、ギャーッ、と鳴きながら、鳩くらいのホシガラスが、飛んでいる。 雷鳥の雛の天敵かな?雷鳥の天敵は鷲、鷹、狐と聞くがこの高地でも弱肉強食の食物連鎖は現実なのだ。 この雛には無事育って欲しいと思った。 程なくして、道が消えた。小さな崖だ。5m位の鉄の梯子がある。その先を見ると、早立ちをしたN 氏が休 憩をしている。 彼の横の岩には、レリーフが嵌め込んであり、それは、今度の山行で是非見たかった小林喜作のレリーフだ。 こばやしきさく 私は、彼のファンなのだ。少しでも速く近づこうと、梯子を下り、側に行った。 N 氏に“やあ”と挨拶をして、 レリーフへ行く。“広い額に、鉢巻きをした、丸顔の、はにかんだ喜作”が、「よく来たね」と言っているよ うだ。 写真で見る優しさと同じだ。レリーフの彼に触ると、ひんやりとしているが暖かさも感じる。 私は、懐かしい友人に出会ったような気持ちで、レリーフの写真を撮り、N 氏に喜作と並んだ記念写真を撮 って頂く。 小林喜作は、穂高町牧の出身で、伝説のスーパー猟師なのだ。彼は、近代登山のブームを予測し、従来4∼ 5日を必要とした日程を、燕岳より1∼2日で槍ヶ岳に達するバイパス道を息子と作った。これが喜作新道 だ。そして、槍が岳の直下に殺生小屋を作り営業を始めた。快適に、少ない日程で登山が出来る。 当然、多くの登山者を殺生小屋へ導き、多くの利益を手にする事が出来た。 従って既存の山小屋は、盛況から閑古鳥の鳴く状態に至った。そして、因習の中で暮らす人々にとっては猟 師らしからぬ才覚も疎まれ、理解されない事も多々あった様だ。 しかし、自ら創造をし、新道を作ること で、北アルプスの山行の常識を変え、敏感に時代の変化を読んだ。これも彼に取っては猟の、創意工夫と同 じで、自然な事だっただろう。 その彼は喜作新道と殺生小屋を残して、完成の翌年。大正12 年 3 月に猟師小屋で雪崩に遭い、なだれ 49 才で息子、 一男と共に亡くなっている。昔の事だが、山本茂実さんの著書“喜作新道”の中で彼は、主人公として生き 返り、読むほどに親しみが涌いてくる人物になっている。 先を行く長崎大パーティに追い着く。登山道は既に大天井岳の登りに掛かっており、本格的な30°の急登が 続いている。登りの中程で多くのパーティーが休憩しており、我々も狭い登山道を空けて、斜面に休憩をし た。 早速、長崎大の彼らは水と乾パンを口にしている。気温は20℃位だ。熱した体に、涼風が気持ち良い。 やがて尾根の大天荘に着き、リュックを置いて頂上を目指した。 大天井岳(2922m)に立つと、絶景だ。まわりで歓声が起こっている。尖った槍ヶ岳の左には、穂高の山々 が、幾筋もの谷に雪渓を抱えて連なり、右には多くの登山者をのんだ、難所の北鎌尾根が延びる。 眼下には、これから行く喜作新道が延びて、槍ヶ岳より続く東鎌尾根と繋がっている。大きく清潔な山体だ。 学生達は陽気で、記念写真をいかにパロディーにするか、知恵を絞る。繰り出す他愛ない、パフォーマンス でお互いを笑い合っている。槍ヶ岳を題材に、手のひらに乗せたり、頭に載せたり、両手で抱えたりで、 撮影を楽しんでいる。槍ヶ岳までの山行は楽しくなりそうだ。
長崎大の隊列はトップK 君(1年)、セカンドは紅一点の U さん(1年)そして、サブリーダーの S 君(3年) しんがりは、リーダ−のN 君(4年)と続く4人組だ。山行の基本的なフォーメーションで、セカンドに 弱い人を置いている。 大天井岳をジグザグに急降下をして大天井ヒュッテに着いた。山小屋の影で休憩だ。大天井岳からの道中は、 日陰が無く、真上の太陽からジリジリと乾いた熱射を浴びせられ続けた。下りなのに疲労を感じた。 暫く涼んでいると、50 年配の登山者が、赤岩岳からやって来た。槍ヶ岳までの登山道の状況を尋ねると、 「アップダウンが続き、少しきついが問題は無いですね」との返事。そして「途中、滑落で血を出している 人と会ったが、怪我の程度は軽く、自力で歩いていた」と言う。問題は無くは、無いのでは、まあ、疲労に よる事故は誰でもあり得る。集中しなくてはと思う。 彼は、吊り尾根、大キレット、槍ヶ岳を通って、これから燕岳を下り、明日は勤務に就きたいと言う。 ハードな山行だ。お互いに、「気を付けて下さい」と言って別れた。 15 分間涼んで出発。高度を下げた為、樹木が頭を越えている。小さいが森林帯に戻ったのだ。木陰の中を やや快調に進む。 赤岩岳に入り、少し広くなった登山道で、私は昼食をとる為、4人に先へ行ってもらった。N 氏は何故か姿 が見えない。ここで今日も疲労が蓄積し始めてきた。 昼食は“しこしこ麺”の美味しいラーメンを作った。しかし、食が進まない。ご飯と一緒に無理に詰め込み、 35 分遅れて、長崎大の後を追う。 再出発をして、又、急に足が進まなくなった。昨日と同じ状態だ。こまめに休憩を取りながら進む。 そして、難易度の少し高い鎖場に着き、その前で休憩をした。木陰の中で風を受け、気持ちが良い。暫くす ると、3人の中年女性がやって来た。くさり場を、“どうして登るのか教えて欲しい”と言う。「“三点確保 をして、最初の手はあの岩角を持って、足はあの窪みに置いて”」と、話すが要領を得てくれない。「手本を 示して欲しい」とおっしゃる。仕方なく動かない体でゆっくりと登り、その後、彼女達をサポートした。彼 女達は無事に登りきり、礼を言って、私を置いて先を急いだ。 私は、一人、ゆっくりと進み、樹木の間から、赤岩岳の頂上が見えた。長崎大のパーティーが休憩している。 彼らも苦戦している様子だ。やがて赤岩岳頂上を過ぎて、下りに掛かり、西岳(2758m)の麓を進んだ。する と3個のリュックが置いてあり、持ち主は居ない。 先ほどの、3人が西岳の頂を目指したのだ。元気だな。短時間で往復出来そうだが、私にはその気力、体力 は無い。大きく曲がった道を過ぎて、ヒュッテ西岳が目に入った。そこを、今日の泊地に決めた。 ヒュッテ西岳に2時45 分着。 山小屋で手続きを済ませ、水を確保し、我が家に安全連絡をして、泊地に着くと、長崎大はテントの設営中。 その横には、なんと、N 氏がテントの前で、夜食の準備をしている。追い越された記憶はなく、 「どうしてここに居るの」と、尋ねると「大天井岳を巻いてショートカットをした」と言う? ルートが理解出来ず、疑問の残るまま、テントの設営にかかった。 夜食は、カレーライス、大和煮の缶詰、たまごスープの献立を、2本のビールで流し込んだ。 長崎大より今夜のワインパーティーの誘いがあったが、仲間入りをしたい気持ちを抑え、おつまみと缶詰の 差し入れをした。今日は早く寝たいのだ。 食後、寝るには明るく、ヘリポートの広場に夕日を見に行こうと、皆を誘う。あたりは既に寒くなっており、 上着を着て行く。東に今日の道中を見守ってくれた単独峰の様に聳える常念岳、西に又一段と大きく成り、 雪を抱いた槍ヶ岳。落ち着いて見ると感心するほど雄大だ。 夕陽が落ち始めて来る。静けさの中で美しい。みんな、無言で眺めている。明るい天体ショーだ。 夕陽がゆっくりと山々を赤く染めながら傾き、そして、槍ケ岳の左に隠れた。日没を確認して、あたりが騒が
しくなった。 我々はヒュッテに行き、使用料¥100 也のトイレを済ませ、ビールと水を買った。 テントに戻る途中、ヒュッテの西斜面を見ると、黄色い百合の花が群生している。 紅一点U さんに“ニッコウキスゲです”と教えられた。ここにも花図鑑がいた。 リーダ−のN 君と二人で、すぐに忘れそうだからと“ニッコウキスゲ”を復唱しながらテントに戻った。 明日も楽しい山行になりそうだ。 N 氏に「明日は槍ヶ岳から南岳まで行こうね」約束をしてテントに入った。 寝入って、9時頃だろうか、雨が激しくテントを叩きだした。いい音だ。好天時の時雨だろう。気にせず雨 音を楽しみながら眠りを続けた。 ―――――つづく―――――
北アルプス山行の記―3(西岳∼南岳3日目)7月
24 日
川崎 茂 テント場のまわりが賑やかになり目が覚めた。4時 30 分。山の朝は早い。温度計を見ると8℃。昨日同様 寒い朝だ。早速ストーブでお湯をわかす。朝食はみそ汁、めざし、海苔、で 味ごはんを食べる。お茶を飲み、 体が暖たまると次第に気持ちが落ちついて来た。入り口を開けると上空には金星と木星がまだ残っており、 正面には、朝焼けに包まれた常念岳が鎮座している。清らかで端正な山だ。表に出ると長崎大の皆が にこやかに、ご来光を待っている。リーダーのN 君が、私に「富士山が見えますよ」と指をさす。成る程、 北アルプス連山の、山の端の奥に富士と南アルプスが薄く見えた。富士は小さく見えてもその存在は大きい。 そして目に映ると、いつも幸せな気分になる。 教えてくれたリーダのN 君は、この表銀座は1年生以来2度目の山行との事。今回の様にいろんな事を教え てくれる。始めて北アルプスに入った私には心強いガイドだ。同行をさせてもらって正解だ。迷惑かも知れ ないが。 赤く染まった空の元で、ご来光が始まり、黄金色の輝きが山の端から発せられると、グループ毎にいろんな 歓声と拍手が起こる。 今日の行動人員は、長崎大の4人と単独行N 氏と私の6人で5時 50 分に出発。まずは東鎌尾根を進み、憧 れの槍ヶ岳を目指す。 さあスタートだ。皆、重いリュックを背負っているが、足どりは軽い。睡眠で回復した体力と、これから の山行の期待で一杯だからだ。 低木の中を歩き出して下りの梯子があり、これから水俣乗越まで下降を続ける。薄暗い灌木の中を進む。 やがて水俣乗越を過ぎると、登りに転ずる。30分程で、森林限界を越え、明るくなった尾根に出る。 九州では得ることのない大きな山体だ。いくつかのアップダウンを繰り返えす。同時に槍が岳が見え隠れを しながら次第に大きくなってくる。道中で幾つかの梯子のお世話になりながら最長の垂直梯子(20m位)に 達した。上から覗くと、充分に高度感があり、しかも下りきった所は痩せ尾根で左右は100m 以上切り落ち ている。 危険な所だが強風が吹かなければ問題は無い。そして、その痩尾根が終わった時、右側に小さな票識が有っ た。 それには“北鎌尾根”が記されていた。ここが貧乏沢分岐だ。この地点から天上沢へ下ると、北アルプスき ってのバリエーションルート“北鎌尾根”へ通ずるのだ。私はこのルートに憧れるが残念ながら実力が伴な わない。 このルートは鎖や標識は無く、自立した登山者が自らのルートファイニングで、カムやロープ等を使い自ら の安全を確保して槍が岳へ達する上級者の登山道なのだ。 そのルートで多くの著名の登山家が命を落としている。“単独行”の加藤文太郎、“風雪のリヴァーク”の 松潯明いずれも厳冬期に各々2 人のパーティーで果敢に北鎌尾根に挑戦し、そしてアクシデントに見舞われ て壮絶な遭難。彼らの山行と遭難時の日記は書籍に残っている。 遭難をした彼らに想いを馳せながら、我々パーティーは安全な東鎌尾根を進む。 そして這松帯へ入った。環境保護だろう。這松帯の緑の上に傾斜20∼30°のアルミの白い梯子が点々と長く 続いている。総長100m 位あるだろうか。その梯子は中途半端な傾斜で登りづらく、10分程梯子を登り、 砂礫の東鎌尾根に戻った。視界が広がると、相変わらず、左には遠のきながらも、まだまだ雄大な常念岳が鎮座している。その谷から雪融水の音が風に乗り時折かすかに届く。その香りまでも届く感じだ。 縦走の水は、出発の中房温泉から、中岳までは従走路上では確保出来ない。多くの山小屋の水は、数百米の 下の谷から雪融水を高性能ポンプで汲み上げ使用している。登山者はそれを分けて貰っているのだ。その貴 重な水で、登山者は命をつないでいる。 縦走路の右には益々迫力を増す槍が岳が迫る。槍の穂の登山者が確認できる迄になった。やがてヒュッテ大 槍の前を過ぎる。左下には小林喜作が建てた“殺生小屋”がある。名前からして猟師小屋だ。 北アルプスは近代登山の黎明期より、多くの山岳生活者と多くの果敢な冒険者たちが活躍をし、そして数、 多くの文献を残している。山行をしていると、様々な現場で、その本に書かれた場所で登場人物に逢えるよ うな気がして成らない。 10時30分に槍岳山荘に到着。予定通りだ。槍の穂の挑戦する前に、小休止をとった。 小休止をしていると爆音がして、ヘリコプターがやって来た。太いロープで作られたメッシュの入れ物に 沢山の食料・燃料・ETC が入る。それを手際よく地上へ置くと、パイロットがフックを操作してロープが離 れた。 そして、山小屋の若い人が、前に使った空の入れ物のロープを再びフックに取り付けると、爆音を轟かせ去 って行った。その時間は一分とかからない。見事な連携プレーだ。プロの手さばきを見て、みんな、感慨ひ としおだ。運び揚げた食料は、今晩、小屋で調理され、大勢のお客さんが山小屋の料理を楽しむのだろう。 さて、ご褒美のショーの次は槍の穂への挑戦だ。高さはどれくらいだろう。80m は有るかな? 早速登りにかかる。岩を手にすると、冷やりとして気持ち良い、勢い良く三点確保をしながら高度を稼ぐ。 背中はサブザックで軽く、快適だ。中程まで登ると、登り専用と下り専用の一方通行が始まる。人気の槍が 岳では安全上の措置だ。私の前は、登山者が少なく、渋滞の心配は無い。高度感を楽しみながら順調に登る。 岩はいいな。 最後の堅牢な鉄梯子を越えてピークに辿り着いた。槍が岳(3180m)の頂上は意外に広く10坪は有るかな。 ゴツゴツした岩の頂きだ。程なく全員無事に登頂を果した。そして、祠に集まり記念撮影をする。 みんなは達成感も伴い、満面の笑顔。疲労はなく、元気だ。いつものように長崎大組はたわいのない パフォーマンスを繰り広げる。 展望は絶好だ。縦走をしてきた東鎌尾根が燕岳へと続き、荒々しい北鎌尾根も有る。北穂高岳、奥穂高岳、 ゴジラ背の前穂高岳とジャンヌダルムも綺麗だ。感動をしていると、ゴトンゴトンとにぶい音をたて、 岩の落ちる音がする。誰か落としたのかな? ここでは故意にそんな危険なことする人はいないだろう。 すると自然崩落? 背筋が凍る思いだ。登山ルートでなくて良かった。一撃されると終わりだな。 山の怖さを改めて感じた。一方通行を下り槍岳山荘で水とビールを求め槍沢側のテラスで、晴天の眺望を満 喫しながら昼食を楽しんだ。 長崎大組は、槍が岳で今日の山行は終わり。ここでキャンプをする。この次は横尾あたりでの再会を約束し てお別れだ。N 氏と私は南岳を目指す。 南岳は大キレットの北の起点で、そこを縦走4日目の出発点と決めている。大キレットを無事に通過する為 に充分に時間を確保して安全に備えるのだ。槍岳山荘を後にして大喰岳(3101m)を通過中、振り返ると、 槍が岳のテント場に長崎大の赤いテントが設営中。小さな4人が動く。今日、あのテントで彼らは 3000m の天空の宴会を楽しむだろうな。 そして今、私たちは3000m の天空散歩中だ。視線を前に戻すと、先を行く N 氏が左の斜面に消えた。 急いで行くと、彼は雪渓の雪を食べていた。「汚れた部分を削れば美味しいですよ」とおっしゃる。私もそれ に習い食べてみる。ロケーションも手伝い、ザラメの氷で殊のほか美味だ。そしてN 氏は、小豆餡があれば 氷金時も楽しめるともおっしゃる。山はいいね。自然はいいね。
左には未だ常念岳が鎮座し我々の安全を見守ってくれる。右には対座するようにいつの間にか、笠が岳が鎮 座している。槍が岳開山の祖“播隆上人は笠が岳の開山を遂げ、後に、苦労をして槍が岳の開山を成功させ ている。(新田次郎:槍が岳開山) 播隆上人像は槍岳山荘にあり毎年播隆祭が行われている。槍岳山荘に入 り、拝ませて頂ければ良かったな。今となっては残念だ。 やがて大喰岳を越え中岳(3084m)に近づくと右斜面に大きな雪田が見えてくる。登山道横に雪融水が流れ、 6x6のカメラを持ったラクビーウェアの男性が水筒に水を入れている。私も水を手ですくって味わうと、 冷たい。先ほどのザラメ氷の味がする。槍岳山荘で買った水より数段うまい。躊躇なくボトルの水を捨て、 水を入れ替える。そして久振りの豊富な水で、顔・上半身を洗う。良い気持ちだ。 男性は1週間の予定で北アルプスの写真を撮るだと言う。撮影器材だけでも相当な重さが有るのにテントも 携行している。頭が下がるほどのタフな人だ。道中、気を付けて下さいネ。 PM4:00 に赤い屋根の南岳小屋(3033m)に到着。早く着いた人たちが各人テラスでくつろぐ、談笑をして いる人、裸で寝ている人、様々だ。太陽が昼の勢いを落とし、あたりは涼しく静かに収まっている。早速、 受付へテント設営許可証を取りに行く。真夏の小屋の中は既にストーブが焚かれ暖かい。ビールとおつまみ を求める。展示しているポテトチップス等の袋は低い気圧でパンパンに膨らみ、袋同士押し合っている。 さすが3000mを越えていると実感する。 ここの小屋は、風力発電機が3台と実験中のバイオトイレ等が有り、近代化の取り組みが行われている。 勿論、電話は無線電話だ。その電話で定時連絡をすると我が家は異常なし、可愛い愛娘の声も聞けた。 明日の大キレットは集中しなくては。なにより無事が一番だ。 テントを設営し、N 氏とささやかな宴会をする。しかし私は軽い高山病で食欲が沸かない。そこで、今日の 昼食より、苦肉の秘策で、その難局を乗り切ろうと考えた。 栄養はビールとカロリーメイトそしておつまみ。その方法を簡単に言えば、ホワグラ作戦だ。固形物を口に 入れ、そしてビールを飲んで、無理矢理、胃に流し込む。私の夜食はビール3本・カロリーメイト2袋・鯖 の缶詰1缶、スナック菓子2袋。これで何とか明日は、持つでしょう。若いN 氏は元気に、ビールを飲み、 ご飯もしっかり食べている。 明日は6:00 出発。時間厳守。を、約束してお開きにした。 暗くなって風が強く吹き出した。テントがバタつくのでヘッドライトを着け固定ロープの石をより大きい物 に交換。天気予報では雨の心配は無いと言う。予報が外れないよう願う。風力発電機が騒がしく絶好調だ。 PM8:30 就寝。
北アルプス 山行の記 −4
(南岳∼涸沢 4日目) 7月 25 日
AM4:50 目覚める。やはり朝は冷える。N 氏のテントを見ると、彼は几帳面な性格で既に食事中。 「おはよう」の挨拶をして、ストーブに火を入れ食事の準備にかかった。南岳の朝は燕山荘や西岳とは違い 静かな朝だ。北アルプスきっての難所のルート入り口だけに、登山客が少ないのだ。 今日は集中して行かなければ“堕ちる”ことに成りかねない。ビールは無いが、みそ汁で例のホアグラ方式 で美味しい?食事を終えテントの撤去をする。今日も晴天だ。N 氏と獅子鼻へ大キレットの偵察へ行く。 既に太陽は昇っているが、あたりは凛とした静けさが漂っている。ルートを望むと、獅子鼻より一気に切り 落ちて底の登山道が続く。所々にナイフリッジが有り、大キレットは2km ほど伸び終着の北穂高岳へ続く。 左は長野県で右は岐阜県。氷河が削りだした造形美だ。岩陵の北穂高岳はどこから登るのだろう、 N 氏と眼を凝らして探すが分からない。不安がよぎるが、「確実に3点確保で浮き石を確認して自分の ペースで行こうね」「絶対に一か八かやらない」「飛び跳ねる事はしない」の約束をし、自分自身に言い聞か せた。さあリュックを背負って出発だ。AM6:10。岩陵の道を進む。大キレット上に人影はなく、我々の貸 し切り状態だ。しばらく進むと立て札が有った。 「近年これより先の大キレットは重大事故が頻発しています。難易度、スケール共に日本屈指のハードな ルートが続きます。今一度・天候・体調・装備を確認の上、気を引き締めて無事に通過される事を願います。 南岳小屋」と、今まで目にした事の無い文章が書かれている。出来れば引き返しなさいの意味だろか? しかし我々は行くのだ。獅子鼻横から岩を下る。高度感は最高だ。一気に100m は落ちている。岩の感触は 良く懸かりはOK だ。浮き石は無い。やがて、頼りない 10m くらいの鉄梯子を降りると、傾斜がゆるやか に成った。所々に緑が混じり出した。これから暫くは安全地帯。堕ちる事とは無縁の山行を、写真を撮りな がら進む。最底部をAM7:10 に過ぎ北穂高岳が近づいてくる。再び二人で北穂高岳への登山ルートを探すが よく分からない。 やがて大きな三角柱を横にした登り勾配の難所、長谷川ピークに取り付く。一片が100m 以上の岩の塊だ。 堕ちれば痛いでは済まされない。良くても重傷だろう。N 氏と「慎重にね」の合い言葉で、集中をして手懸 かり足懸かりを確実にし、時折、鎖を頼りにして進む。長谷川ピークの中程で私は 60 ㎝くらいの岩に手を して、いつも通り前後に力を入れ浮き石の確認をすると、軽々と動いた。この岩を信用して不用意に、身体 を預けていれば、この岩と仲良く落下する事になった。危ない危ない。N 氏にこの事を話し「慎重にね」の 合い言葉を再び交わした。長谷川ピークを通過して、AM8:00 に小休憩と取った。 水を飲んでいると、北穂高岳の方向からヘルメットを着けた二人の 30 代の女性が現れ、軽く挨拶を交え、 スパイダーマンよろしく軽快に岩陵を通り抜けて行く。小さなザックを背にして岩遊びを楽しみ、この難易 度の高いルートで遊んでいる。 彼女らに見とれていると、これまた二人の40歳くらいの男性が大きなリックを背に現れ、「前が飛ばすので 追いかけるのが大変です」と、楽しそうに話して行く。街のフリークライミング教室のような雰囲気だ。 滑落事故だけは無いように、無事の通過を願います。と南岳小屋の立て札を思い出す。 彼らが去った後、昨日、中岳の雪田であった、ラガーマンスタイルのカメラマンやって来た。大きな体に大 きな荷物。「今度の山行は天気がいいので帰ってからの現像が楽しみです」と力強く歩み、追い越して行った。 カメラマンは承知しているだろうが、荷物が重くなると、バランスが悪くなり疲れと共にそれに一層拍車が かかる。足の上げ下げも知らず知らずに小さくなり、普通ならば何でもない小さなつまずきが、岩場では 滑落を招き、大怪我や遭難に結びつく。より安全に集中をしなければ。 この山域でも人の往来が激しくなった。と言っても4人と3人のすれ違いだが。AM8:30 に A 沢のコル通過。是より難易度の高い飛弾泣きに取り付く。N 氏とこれからが本番。「慎重にね」を交わした。登り、 登り、100m 以上の、岩の登りが始まった。白いペンキで記された○や→を見逃すことなく高度を重ねて登 る。長谷川ピーク以上の深い切れ落ち200m 所によっては 300m 以上と下を見れば底が見えない。しかし、 自分の位置から上を目指せば恐怖感は起こらない。しっかりと確保が出来ている事が安全につながる。三点 確保・三点確保で、高度を上げていく。鎖もしっかりと三点の一つに入れる。ここに来て二人とも少し疲れ を感じ出した。一気に進めないのだ。スピードが落ち出した。飛弾泣きを半分以上過ぎた頃、黄色のヘルメ ットを着け、小さなリュックを背負った。小学5年か6年の男の子が小猿のように降りてくる。それに続い て同じリズムで中学生の女の子が降りて来た。エー。この場所に子供が。そして40代のお父さんであろう 男性が、70歳前かなお爺さんと思わしき男性が後に続いている。ひとつ踏み外せば死につながるこのルー トに、訓練を積んでいるのであろうが、凄いファミリーが軽い挨拶を交わして降りていった。N 氏と私は目 を合わせるばかり。「何なんだろうね。凄いね」とにかく我々は慎重にね、と更に高度を稼ぎ難所と言われる “飛弾泣き”を越えた。 さて、いよいよ山頂へのアプローチ。北穂高岳への取り付は長野県側の東斜面。N 氏とあの勾配は遠慮した ねと言っていた斜面だ。ここから高度差は100m ある。歩みは遅いが兎に角登る。後ろから声がして60歳 くらいの痩せた男性が追い着き、抜いて行く。小さなリュックでの山行。小屋泊まりの山行だな、快適だろ うな。 男性は「私が落石を作るかも知れませんから気を付けて下さい」と先を急ぐ。我々は落石対策の為、歩みを 緩め距離を開けて進んだ。右にはクライマーの聖地、滝谷が切り落ちている。いよいよ北穂高岳だ。追い越 した男性に続き最後の階段を登る。登り詰めると、「おめでとう」の歓声が上がった。そこは小さなテラスが 有りテーブルには老若男女がビールや食べ物で談笑をしている。ラガーマンスタイルのカメラマンも混じる。 歓声は大キレットを踏破した人への祝福だった。AM10:30 到着。小屋の売店へ、ビールとカロリーメイトを 求める。朝食から5時間。タイムリーな昼食だ。ここでもホアグラ方式で完食。荷物を置き、北穂高岳(3106m) の山頂へ、登山客が展望を楽しんでいる。大キレットの延長には南岳・中岳・大喰岳・槍が岳と続く。長崎 大のパーティーは今、何処かな?左は笠が岳。もっと左にはこれから行く涸沢岳・奥穂高岳・ジャンダルム・ 西穂高岳・前穂高岳が続く。それから蝶ヶ岳・常念岳・大天井岳・燕岳と限りない。荷物を取りに行く途中、 小屋の屋根は天日干しの布団がびっしり並ぶ。今日の小屋は太陽の香りだ。宿泊客も幸せな睡りをして、 明日の足どりは軽やかだろう。 さあ是からハイライト第2弾だ。涸沢岳に向かう。相変わらず岩陵帯は続く。難易度は大キレットに、ひけ を取らない。小便をチビルようなスラブ岩も有る。涸沢岳(3110m)のそう難しくない岩場で、高校生男子 3名が立ち往生している。彼らを既に通過した女子が上を見ながら、男子をからかっている。高校の夏期合 宿だろうか。安全に下山をと願う。PM2:30 通過。確かに涸沢岳ルートは中・上級者向きとなっているが距 離も大キレットにひけを取らない。やがて疲労を溜めながらヘリポートを過ぎPM3:45 に穂高山荘に着いた。 この小屋は尾根の上に有る割には大きな小屋だ。収容人数は300 人だそうだ。東のテラスの敷石は立派で広 い。サロンの雰囲気だ。今日の行動を終えた人々が仲間同士でビールやコーヒーを楽しみながら笑顔で歓談 している。 我々は、遅くなったがこれから奥穂高岳を目指す。リュックを置き、サブザックで登る。いきなり鉄梯子で 急登が始まる。しかし、背中は軽く、息は乱れない。N 氏が目ざとく3羽の雷鳥の親子を教えてくれた。 カメラを取り出したが残念にも、雷鳥の親子はそそくさと遠ざかり、カメラの領域を越えた。 今までとは違い、快調に進むスピードは心地よい。前を行く母親と妙齢の娘さんを追い越して、奥穂高岳 (3190m)の頂上に着いた。大きなケルン状の上に穂高神社の上宮が収まっている。縦走の安全と此処まで来 られたお礼でお賽銭を納め、二礼・二拍・一礼。
N 氏と記念写真を撮る。周りは、手が届きそうなジャンダルム。吊り尾根から繋がるゴジラ背の前穂高岳。 その左奥には梓川が流れ、緑の中に上高地が静かに収まっている。ここで縦走 3000m の天空の旅は終わり だ。 これから下りに転じる。急降下で穂高山荘へ戻り、リュックを背負い、N 氏が白出コルより涸沢を目指した。 岩陵帯のザイテングラートを下る。この時の二人は下降モードに切替わっており、絶好調に下るに下る。 背中の重さは気にならない。やがて勾配は緩くなり、残雪の道を行く。アイゼンを使う迄もなく時々キック スッテプをして涸沢小屋へ着いた。小屋の入り口には既に宿泊の登山客がくつろいでいる。雪融水の流れる 水槽には、清涼飲料やジュースがあり、林檎ジュースのディスカウントもある。¥150 也。3本購入してテ ント場へ急ぐ。PM5:15 テント場着。リュックを置き安堵した。N 氏と縦走の感激を分かち合う。握手。握 手。 今日は永く、そして濃厚な時間を過ごした。重いリュックを背負っての11時間だ。N 氏とお互いに励まし あいながら岩を登り、緊張と感動を共有した。単独行とは違うパーティーの意味を考えさせられた。 涸沢の200 張程のテントに混じり、テントを設営した。窓を開けばロッククラミングの屏風岩だ。今日は緊 張も興奮も無く眠れそう。 N 氏とテント場の使用許可と食事に涸沢ヒュッテに行く。まずは、水の確保。ここには日常の蛇口がある。 おいしい雪融水が飲み放題。ボトルにも詰め放題だ。しかも無料。ここは良いところだ。「水はうまいし、姉 ちゃんは綺麗かな」 N 氏が「ここのカレーは名物ですから注文しましょう」と言う。しかし、残念にもカレーは売り切れ、ごは ん類も無く。「ラーメンでしたら出来ます」とTV でお目にかかった支配人風の人がおっしゃる。 生ビールと鳴門入りのラーメン・おつまみで、雪渓の残る涸沢カールを見ながら、乾杯。 さっき降りてきた穂高山荘からのルートを目で追いながら又、乾杯。 N 氏は「今日のルートは行くか止めるか、少し迷ったが槍が岳に登る前に行こうと決めた」と言う。「ここ まで来ると、すごい達成感ですね。良かったですよ」お互いにね、2杯目のビールで又、乾杯。乾杯。 明日は下りのみだ。長崎大のパーティーとはどの辺で逢うだろうか。今日は横尾あたりだろうから登山道で の再会だろうね。明日はAM6:30 に出発しようね。と約束をする。 小屋の電話で我が家に無事の連絡。我が家も平和で異常なし。 ビールを買ってテントで再び食事。大和煮とごはんを食べ、ジュース2本で満腹状態。PM8:00 に就寝。 外は大きなテント場だけに、賑やかだ。テントの壁布にヘッドライトであろう光が映り動く、時折歓声も聞 こえる。 平和な夏休みのひとときだ。心地良い。
北アルプス山行の記−5(涸沢∼上高地 5日目)7月26日
ざわざわと人の往来する気配でAM5:00 に起きた。布をめくると屏風岩。井上靖氏の小説 氷壁の舞台だ。 燕山荘や西岳小屋に比べ、通路を行き交う人に若い人が多い。ポピュラーな涸沢で岩陵を主体とした登山を、 ロープ等を使って、登山をするロッククライマーが多いのだろう。 ストーブで水を沸かし山での最後の食事をとる。ホワグラ方式ではなく、歯でしっかり噛んでの普通の食事。 高度が下ったのか、山に慣れたのか、緊張が解けたのか、違和感は無く食べ物がのどを通る。美味しいとい う、味覚は今一つだが、朝食はしっかり摂れました。 テントの撤去にかかる。すぐ下に有ったN 氏の黄色いテントは既になく。彼は座って「おはようございます」 と手を振る。いつでも出発の準備は出来ています。の挨拶だ。 テントのバラシをしていると通路の左から70歳を越える小柄な老紳士が、お洒落な山着姿で帽子をかぶり、 腰を曲げ、杖をついてゆっくりと歩いて来る。その後から3人のTV クルーが追いかける。誰なんだろう。 撤収作業をしながら見ていると涸沢小屋の方へ進んで行った。 後日、TV でその老人を拝見にした。局は違うが、片岡鶴太郎氏と一緒に出演をされていた。名前は小山義 治さんでクラシック音楽や山岳の絵を描くのが趣味と紹介された。小山さんはクライマーで戦後の1945 年から北穂高岳の滝谷に通いつめ、自力で仲間と苦労の末、北穂高小屋造ったという。伝説の人だ。戦後の 1947年から一年をかけ翌1948年に3106mの高嶺に小屋を完成させた。又、多くの遭難者救助も 弟さんと共に積極的に活躍されている。 小屋では「客様への食事は質素だが暖かい物を心懸けている」とおっしゃる。現在は息子の義秀さんが切り 盛りをしている。 あの頼りない足取りで岩陵帯を高低差800m の北穂高岳まで登って行ったのだ。通い慣れた登山道だろうが、 スゴイ! 約束通りAM6:30 に N 氏と涸沢を出発。石の階段の細い登山道を下る。そうして小さな雪渓に出た。左には 所々に窪みがあり雪の下を川が流れる。梓川の源流だ。右は低木が、なぎ倒された様に横たわっている。 冬の雪崩だろうか? 振り向くと奥穂高岳。名残惜しく写真を撮る。山々には白い筋の雪が残るが8月中に は消えてしまうだろう。雪渓を靴の底でキックをして下る。横になった低木から小さな黄色の芽吹きが見え る。細い流れになった梓川には雪渓の端が割れて傾く、厚さは30㎝位か。ここにもやっと春がきた。7月 末の遅い春だ。8月の夏。9月の秋。10月の晩秋。11月は雪の着く冬になる。動けない植物はこの時期 から短い季節を情熱の限りの命を燃やす。だから高山植物は清潔で、可憐で、美しいのか? やがて屏風岩のクライマーゾーンが見えてくる。垂直の柱状節理。200m の壁だ。クライマーならば涼やか な目でルートを追うだろう。双眼鏡も必要だね。氷壁の世界だ。 AM7:40。細い吊り橋の本谷橋を渡る。梓川はやや広くなり、透明の清流が底に連なる岩の上を、空気を抱 きながら踊り、白くなって勢い良く流れる。急流だ。橋の小さな広場ではツアー登山だろうか30人程の登 山者が休憩をしている。我々は記念撮影を終え、再び並木の細い登山道を下る。ここが横尾谷?ゆっくりと 下る、3組の登山者を追い越し、「もう長崎大のパーティーと出会ってもいいのだけれどもね」と話しながら AM9:10 に横尾橋を渡り、横尾山荘に着いた。売店でおみやげを物色した後、ベンチへ向かうと、長崎大の 紅一点のU さんが近づいてくる。 「どうしたの?」と尋ねると、「天気図を作るためラジオの感度良い場所を探しています」との由。 他の人はと尋ね、テント場へ行き、声をかけると、テントの中からゴソゴソと3人が出てきた。 リーダのN 君が「昨日は此処で泊まり、今日は停滞。是からの天気次第で明日、涸沢へ行くか、松本へ下るかを決める」と言う。 横尾山荘のベンチへ移動をし、お互いの昨日の行動を話し合う。「大キレットから奥穂高までの縦走は憧れま すね」と一年生のK 君とリーダの N 君。30分程の再会で我々は上高地をめざす。丁度、天気予報の時間 らしく、紅一点のU さんは、横尾橋の吊りワイヤーの基礎部分に移りラジオに集中をし、ノートにメモを始 めた。 確かにワイヤーがグランドをしていなければアンテナの役目は有効。50m の長大アンテナだ。電界強度は大 きいだろう。明日は良い天気で、涸沢から穂高の雰囲気を楽しめば、より北アルプスの魅力が増し、 長い人生の糧に成るだろう。無事に長崎へ帰れるようにと願う。 AM9:50 彼らと別れ上高地へ。これから登山道は 3m 程に広くなり、ハイウェイの気分だ。気持ちの余裕か らか高山植物が目に入り出す。袋状の紫色の花を持つホタルブクロ。10 個くらいの黄色い花をつけた背の高 いトモエソウ。雲の様に沢山の白い花をつけ、スーと立つシシウド。平尾台でも目にする、群れて咲く紫色 のソバナ。等々が、登山道の左右に現れる。歩みを進める毎に「ここにいますよ」訴える。次第に観光客も 増えてくる。先行するの高校生グループを追い越すと、彼らが追い越す。ペースを変えず、追い越し徳澤園 に着いた。玄関には氷壁の宿とある。井上靖氏の常宿だったと言う。長野産の青りんごを求め、N 氏と 丸かじりをする。久振りの酸味で歯応えも上々である。2個目を求め、青りんごを堪能する。又、ここには 立派なキャンプ場があり、水は懐かしい手押しポンプだ。早速ハンドルを、上下して水を出す。顔と腕を洗 い、タオルに水を浸し、首を拭く、熱くなった体が冷えて行く。疲れが消えるようだ。昨日までとは違い、 ここでは文明の香りがする。しばらく進むと、たくさんの綿毛が浮遊して来た。梓川に沿って自生する化粧 柳の綿毛だろうか、風情のある出迎えだ。 ここまで来ると梓川は、上流とは随分と表情を変える。河床は50mに広がり白い小石が敷き詰められ、その 中を2mほどの本流が、清く、勢い良く波打ち流れる。美しい。 しかし、土木工事の後が点々しており、やんちゃな暴れ川の様子が伺われる。 この風景を目にして多くの人は、絵を描きたい、写真を撮りたい。と、衝動を起こす。この景色は、幾度と 無く荒れた自然の姿なのだ。激しく荒れ狂った後の景色は美しく、人の心に感銘を与える。 やがて、明神に到着。ここは登山客、観光客が多くなり、観光地に着いたのだ。明神館のベンチでは二人の 若い女性がソフトクリームを食べる。ここの名物かな?右には、赤い明神橋が見える。穂高神社に続くのだ な。 穂高神社は山の神と思われているが、実は、穂高見神、綿津見神が祭られる海の神社なのだ。海人族の 安曇氏が穂高に移り神社を造った。“安曇野”文字も、響きも美しい。登山前に、穂高駅近くの穂高神社で知 った受け売りです。 又、明神池には日本の山を世界に紹介した、ウォルター・ウエストンのガイドをした猟師、上條嘉門次の 嘉門次小屋がある。今も山小屋として宿泊が出来る。岩魚の塩焼きが名物らしい。 そして嘉門次に師事した。内野常次郎さん。彼は酒が好きで、イワナ釣りの名人で、そして底抜けに人が良 く、登山客から「上高地の常サ」と呼ばれ、登山客。特に学生達に慕われ、彼らに尽くした。 山本茂実さんの著書“喜作新道”に彼が描かれている。黎明期の登山を支え、自然の中で気ままに生活をし、 欲のない生活を過ごしたが、最晩年は寂しい。涙を誘われる。最も逢ってみたい人かな。 穂高神社への参拝は次の機会として上高地へ、 途中、上高地ビジターセンタに寄る。中には特別に感じる物はなく、リサイクル品として“カッパの涙”が あり、2袋買い求める。中身は色とりどりの瓶を3mm 位に砕いたガラスが入っている。娘へのお土産だ。 それから、有名な河童橋へ。観光客と渡る。ホテル街とウエストン碑へ行こうと思ったがミーハーのようで 今回はお預けにして、バスターミナルへ食事に行く。途中、N 氏が“オヤキ”が美味しいですよと誘われ、 野沢菜入り、を食べたが感動は得られなかった。
しかし、バスターミナルの山菜定食は、(岩魚の塩焼き、麦ご飯、とろろ、山菜、煮物、蕎麦)のセットだが 質素な山の食事が5日の後だけに、美味しゅう御座いました。蕎麦の盛りを一枚追加。信州の生蕎麦はうま い。30年振りの信州生蕎麦の感動でした。 おわり 後記 今度の山行は4年前に計画をし、今年の梅雨明けと、仕事の都合のタイミングが合い、うれしい山行が 出来ました。 又、長野の中沢さんと、長崎大のリーダの永田君、サブの進藤君、一年の河野君、そして一年の紅一点、上 里さん達の出逢いが、幸運に恵まれ、より楽しく、安全な山行に繋がりました。そして、中沢さんと、挑戦 をした、大キレットから奥穂高岳までは、体調を万全にし、時間の余裕をもって、三点確保をしっかりと実 行し、浮き石も慎重に対処すれば、そんなに難しい事は無いとルートと思います。 北アルプスは貴方を待っています。是非。体験をすれば、人生の濃厚なエポックとして刻まれるでしょう。 この稿は10年前に帰った後に感動を残そうと2日目迄書きましたが、根気が続かず、パソコンの中で眠っ ていました。10年を経た2011年に鮮烈に残っている記憶と写真とアルバムに挟んだ資料を元に続きを 書いて見ました。
1049 レリーフと一緒に
1113 出発
2139 絶景の 山頂
2125 輸送ヘリ-1
2183 北穂岳に尾根が延びる