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市町村長の声 1 移してきた人口 は 林業の衰退 や 1963 年のダム 建設に伴って減 少し続け 現在 約 1,300 人 35 年 間で 72% 減少し た典型的な過疎 の村となりました 1994 年に推計した将来人口では 2010 年に 748 人になると予測され 村は大きな危機感 を抱きまし

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宮崎県 西米良村

村民の心に根づく“菊池精神”

 西米良村は、宮崎県の中央部最西端、九州中央山地 に位置し、熊本県境と接しています。村中央部を清 流の一ツ瀬川が流れ、総面積271.56㎞2のほとんどを 森林が占めるなど、豊かな自然環境に恵まれていま す。人家や耕地は急峻な谷沿いに点在し、農林業を 主産業に静かに発展してきました。  降水量が多く、夏季冷涼で、昼夜の温度差が大きい のが特徴です。この特性は、林木の生長や農作物の 味や色に好影響をもたらし、「米良糸巻き大根」「伊 勢いも」などの西米良独特の農産物を生みました。 また、花卉栽培に適した条件が揃っています。  近年は林業不振に伴って村経済は活力を失ってい たものの、中 山間地域の見 直しによる農 業振興が図ら れ、花卉や柚 子などに積極 的な投資が行 われています。 特 に 花 卉 は、 【プロフィール】 1948年8月10日生まれ。 宮崎県立妻高校卒業。 70年西米良村農業協同 組合に入り、西都農業協 同組合西米良支所長、西 都農業協同組合企画課長 等を経て、96年西米良村 助役、98年4月西米良村 長に就任。現在3期目。

「カリコボーズの休暇村・米良の庄」

づくりを推進

九州中央山地に位置し、熊本県境に接する宮崎県西 米良村は、地域資源を活かした元気な村づくりとし て、「カリコボーズの休暇村・米良の庄」づくりに取 り組んでいる。豊かな自然を次世代に伝えるととも に、交流の輪を広げ、定住人口と交流人口の増加を 図っていくのがねらいだ。全国に先駆けて導入した 「西米良型ワーキングホリデー制度」をはじめ、様々 なイベントを展開している。全村民一致協力して進 めている豊かな地域づくりの手応えと成果について、 黒木村長に語ってもらった。 狭い耕地を有効活用した苗物を中心に、その品質は高 く評価されています。中でもほおずきは西米良の新 たなブランドに成長し、県内外に出荷されています。  アユをはじめ、カワマスとエゾイワナをかけた西 米良サーモンなど、清流がもたらした味覚にも恵ま れ、多くの観光客の舌を楽しませています。  古くは日向の国に属し、壇ノ浦で敗れた平家一族 が隠れ住み、平安中期から室町時代にわたって九州 一円に勢力を誇った菊池氏が、南朝の公達を米良山 中に逃がしました。それとともに菊池一族も入山し、 名を米良氏に変えて、500年にわたりこの地を治め てきました。この間、神楽や焼き畑農耕、食文化など の優れた山村文化が形成・伝承され、また、「てごり」 「仲間倉」など米良特有の相互扶助の社会システムが 形づくられてきました。「貧しさに耐えながらも文 武を怠らず、礼節を重んじ、国家社会に尽くす」とし た教えが脈々と受け継がれ、いまも“菊池精神”とし て村民の心に根づいています。  1889(明治22)年5月1日の町村制施行によって 西米良村が誕生。1989(平成元)年には村制100周年 を迎えました。  木炭生産日本一を誇るなど林業で栄えていた時代 のピーク時には8,000人に達し、その後5,000人台で推

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ズ」はちょっとしたいたずらもしますが、決して悪さ はしません。地元では、山仕事をするときは塩や米、 焼酎を供えて仕事の成就を山の神様に祈る習慣があ り、これを怠ると「カリコボーズ」が家をガタガタと揺 すって驚かせることがあると伝えられています。  村は1996年度に、自然を守る村民の敬虔さを象徴し た「カリコボーズ」をイメージキャラクターとし、ホイ ホイと鳴くことから「ホイホイ君」と名づけました。  第3次長期総合計画の基本コンセプトは、単なる キャッチフレーズではなく、行政と村民一人ひとりが 常に認識して村づくりに取り組むための目標として 掲げたもので、現在の第4次長期総合計画にも引き 継つぎました。その際、村の 精神的バックボーンとなって いる「菊池の教え」も盛り込み、 「菊池氏の薫陶・生涯現役元 気村『カリコボーズの休暇村・ 米良の庄』」としました。

8つの庄づくりを展開

 村では村づくりの目的を、①美しく魅力的な住環 境づくり、②新しい西米良村の文化づくり、③観光の 振興、④地場産業おこし、⑤村・商店街の賑わいづく り、⑥若者たちの定住-としました。それらを有機 的に関連づけ、誇りを持って住み続けられる西米良 づくりをめざし、具体的事業に着手しました。その 大きな柱になったのが、戦略プロジェクト「8つの庄 づくり」と「西米良型ワーキングホリデー制度」です。  8つの庄づくりは、各施策に物語性を持たせて事 業を継続することで、将来にわたって西米良を発信 移してきた人口 は、林業の衰退 や1963年のダム 建設に伴って減 少し続け、現在 約1,300人。35年 間で72%減少し た典型的な過疎 の村となりました。1994年に推計した将来人口では、 2010年に748人になると予測され、村は大きな危機感 を抱きました。  そこで、「ないことを悔やまず、あることを活かす」 精神で、村民総参加で地域の資源を見直して磨きを かけ、活かしていく村づくりを開始しました。

「カリコボーズ」をイメージキャラクターに

 村は、1995年度に第3次長期総合計画を策定し、 基本施策として「定住人口の増加と併せて緊急に交 流人口の増加」を図ることとしました。  そして、西米良らしさを打ち出し、基本施策を着実 に実行していくため、「九州中央山地・一ツ瀬源流・ 生涯現役元気村『カリコボーズの休暇村・米良の 庄』」を基本コンセプトとしました。①「カリコボー ズ」の住む豊かな自然や個性的な風土と共生する村 づくり、②村民が健康で長生きし、高齢者も現役とし て社会に参加していきいきと暮らせる、生涯現役元 気村づくり、③全村を休暇村として、多くの交流人口 を迎え入れ、村内のいたるところで交流の花が咲き、 双方が笑顔で暮らせる村づくり-が基本コンセプ トのねらいです。  村には豊かな自然と個性的な風土が残り、古来よ り「カリコボーズ」が住んでいると言い伝えられてい ます。「カリコボーズ」とは、春の彼岸から秋の彼岸ま では川を、秋の彼岸から春の彼岸までは山を住処と する精霊です。全国的に存在する河童伝承のひとつ とみられています。昔から西米良の自然を守る、山の 神、水神として、恐れ崇められてきました。「カリコ ボーズ」の「かりこ」は、猟をするとき獲物を狩り出し て追う「狩子」のことです。山の尾根から尾根を「ホイ ホイホイ」と鳴いてまわるという言い伝えが、山で声 を張り上げて獲物を追う狩子の姿に似ているところ から、この名が付いたものと思われます。「カリコボー

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市 町 村 長 の 声 湖遊びの庄の物販販売所「湖の駅」 (写真提供:西米良村) 村中央部を流れる清流の一ツ瀬川(写真提供:西米良村)

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していこうというものです。①街づくりの庄、②健 康づくりの庄、③湖遊びの庄、④語り部の庄、⑤花づ くりの庄、⑥川遊びの庄、⑦匠の庄、⑧交流滞在の庄 -の8プロジェクトを推進しました。  その結果、1997年に湖遊びの庄の物販販売所「湖 の駅」を開設したのをはじめ、温泉を掘削して1999年 に交流と健康づくりの拠点施設「西米良温泉ゆた〜 と」をオープン、2005年に川の駅「百菜(歳)屋」を開 設するなど、観光・交流拠点を続々と整備しました。 「百菜(歳)屋」では、平均年齢70代のおばさんがとれ たての野菜や手づくり加工品、郷土料理を提供し、都 市住民に好評を博しています。生活環境の向上や自 然環境の保全を目的に、下水道や若者定住住宅など の建設も進めました。歴史的に伝えられてきた民話 や伝承を活かした語り部の庄づくりでは、語り部 フェスタなどを開催して西米良の文化発信や都市住 民との交流に成果を挙げています。  村はこれら事業推進に先立ち、1995年に第三セク ター・株式会社米良の庄を設立しました。村づくり を進める実働部隊を担うとともに、雇用促進を図っ ていくのが目的です。  第4次長期総合計画では、この「8つの庄建設プロ ジェクト」を再構築し、交流人口増加の起爆剤となっ た「西米良型ワーキングホリデー制度」との2本柱で 「ワーキングホリデービレッジ構想」を村づくりの指 標に位置づけ、取り組みを深めているところです。

ワーキングホリデー導入の背景

 一方、西米良型ワーキングホリデー制度は、「カリ コボーズの休暇村・米良の庄」づくりのソフト面の 施策として導入したものです。  この制度は、国と国との契約に基づき、若者が外国 で働きながら滞在するワーキングホリデー制度の “西米良版”として全国に先駆けて創設しました。西 米良村全域を対象とし、利用者や時期を特定するこ となく、西米良村内の農家等の仕事を手伝いながら、 仕事で得た賃金でゆっくり村に滞在して休暇を楽し んでもらおうという試みです。  この制度を企画した背景には、都市側の要件とし て、①日本の経済を支えてきた世代が職を退き、生き る目的感を喪失していること、②元気で定職を離れ た高感度な中高年がどんどん増えていること、受け 入れ側の要件として、③西米良には豊かな自然や個 性的な生活文化が多く継承されていること、④季節 的に人手が不足する仕事があること、⑤交流人口の 増加によって村内がいきいきとすること、双方の要 件として、⑥過疎の地方と過密の都市住民双方がそ れぞれ新しい交歓を求めていること-などが考え られました。それら都市と山村のニーズを満足させ る交流の仕組みとして発想されたものです。  当初は、高齢化社会のニーズを睨んだ「シルバー ワーキングホリデービレッジ構想」として考えてい ましたが、このような企画で果たして人が来てくれ るのかとの疑問からなかなか踏み切れないでいまし た。しかし、「カリコボーズの休暇村・米良の庄」づ くりの推進に伴う、次なる交流の仕掛けとして取り 組むことになったのです。

取次・調整は㈱米良の庄に委託

 制度創設に当たっては、国内で初めての試みで あったため試行錯誤を重ねました。  まず、1996年から村内の仕事量調査や宿泊調査な どを開始し、1997年に農家等への趣旨説明や調査を 行って具体的な実施要領づくりを進めました。 とれたての野菜などを提供する川の駅「百菜(歳)屋」(写真提供:西米良村) 占めている(写真提供:西米良村)

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市 町 村 長 の 声  農家等が受け入れ主体となりますが、林業の不振 や新たに始まった花卉栽培に追われる農家に余裕は なく、受け入れ方法や報酬などの設定に苦心しまし た。人を雇用し報酬を支払う関係で、職業安定法や 労働基準法の規定をクリアする必要もありました。  報酬については、実質労働時間が7時間になるこ とから、最低賃金をクリアする時間給に基づき1日 当たりの賃金を設定しました。  受け入れ農家と参加者の取次や調整は、㈱米良の 庄に委託しました。作業の内容は軽作業としました が、当然ながら労災保険には加入します。健康保険、 旅行保険、傷害保険などは自己責任としました。  実施要領と設備が整い、花卉栽培農家2戸、柚子栽 培農家2戸、柚子加工所1社の5者が受け入れてく れることとなり、1997年9月から12月までの4か月 間を試行期間としてワーキングホリデーの受け入れ を開始しました。  PRとして、1983年から始めていた「ふるさと村民 制度」の会員720名に案内を出したものの、ほとんど 反応はありませんでした。しかし、地元紙が第一面 で報道したことをきっかけに全国のメディアで取り 上げられ、大きな話題を呼びました。その結果、多く の問い合わせが寄せられ、試行期間中に29名が参加、 関西から来村した人もいました。  試行期間中の参加者アンケートでは、「宿泊施設 に冷蔵庫がほしい」「移動用の乗り物がほしい」など の要望があったことから、本格実施までにワーキン グホリデー専用の自転車や冷蔵庫などを整備しまし た。また、受け入れ農家等と参加者の取次・調整に かなりのエネルギーを要することから、㈱米良の庄 には取次費や通信運搬費などの事務費を基準にした 委託料を支払うこととし、1998年から本格実施に踏 み切りました。

ワーキングホリデーのねらいと仕組み

 西米良型ワーキングホリデー制度のねらいと仕組 みについて説明します。  ①西米良村に来てもらう人に少しでも長く滞在し てもらう、②滞在する中で西米良の良さを知っても らい、西米良ファンになってもらう、③この制度を通 じ西米良を発信する、④将来的には不足する働き手 の確保につなげる-というのが西米良型ワーキン グホリデー制度導入のねらいです。  単に西米良村で休暇を過ごすのではなく、西米良 特産の柚子や花卉栽培など季節的に人手が不足する 農作業を手伝い、汗を流してもらうことで報酬を得 て、同時に村民との交流を深めることによって、西 米良の良さを体験してもらおうというものです。参 加者が受け入れ側に料金を払って「体験プログラム を買う」一般的な農業・農村体験型グリーンツーリ ズムの手法に対し、受け入れ側が参加者の労働体験 に対して報酬を支払っていくのが特徴です。経済行 為を伴うので無償ボランティアと性格を異にしてい ますが、単なる季節アルバイトとも違います。お金 を稼ぐだけでなく、休暇を楽しみ交流することに比 重を置いているからです。海外でのワーキングホリ デーと違うのは、年齢や滞在に特別な条件を付けて いないことです。  そして、参加者と受け入れ側の農家等の相対の契 約となります。仕事を手伝ってもらうわけですから、 当然報酬はきちんと支払います。仕事は、安全を考 慮し、軽作業を準備しています。仕事は常にあって 参加者を待っているというものでなく、受け入れ側 の農家等が人手を必要とする時期と参加者の余暇が 合致したときに成立します。  制度の案内や農家等との連絡調整は、運営主体で ある㈱米良の庄が当たっています。受け入れ農家か ら提出された仕事調査票に基づいて仕事の状況を確 認しながら、参加希望者に人手を必要とする農家等 を紹介します。  受け入れ期間は、原則として休暇を含めて3日か ら1週間以内としています。例えば、1週間滞在す る場合は、4日間仕事を手伝い、残りの3日間は西米 良の豊かな自然の中でゆっくり休暇を楽しんでもら います。「米良の庄の売りは、豊かな自然です。フィ トンチッドの森、すみきった空気の中、山や川に遊び、 吸い込まれるような星空を眺め、騒音も光もない、自 然と一体になれる時間も必要ではないでしょうか」 とPRしています。  勤務時間は原則、午前8時から午後4時30分まで で、午前と午後に各15分ずつと昼食時に1時間の計 1時間30分の休憩があります。この中には通勤時間 を含んでおらず、実働時間は7時間です。  報酬は、宮崎県の最低賃金である時給611円で設定

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 宿泊施設は、公設の滞在施設である双子キャンプ 村のコテージや小川城址公園の民話の宿を用意して います。ログハウス造りで、和室、台所(炊事用具一式、 食器類完備。ただし、包丁や布巾などは持参)、水洗 トイレ、夜具(布団上下)を完備。浴室はありませんが、 管理棟に温水シャワーがあり、近くには「西米良温泉 ゆた〜と」があります。  宿泊料金は、双子キャンプ村、民話の宿とも、寝具・ 炊飯器・食器類すべて込みで、1泊5人用1部屋 3,000円で提供しています。これはワーキングホリ デー滞在者料金であり、一般利用者はシーズン料金 で5,000円〜1万2,000円(寝具・炊飯器・食器等は別 料金)なので、かなり格安な設定といえます。  昼食として仕出し弁当を500円程度で用意してい るものの、食事は自炊が基本。自炊できない参加者 には村内の民宿を紹介しており、農家民泊はしない こととしました。多忙な農家が参加者の食事や宿泊 に気を遣っていると、本来の仕事ができなくなるか らです。あくまでも仕事を手伝ってもらうのが本制 度の趣旨なので、特に農家の働き手である女性に負 担がかからないように制度設計しました。  1週間(6泊7日)滞在して4日間働いた場合、報 酬は1万7,120円(4,280円×4日)、宿泊費は1万 8,000円(3,000円×6泊)。2人で参加すれば宿泊費 は半分になるので、宿泊費を払ってもそれぞれに 8,120円の報酬が残ります。滞在費用をかけずに1 週間の余暇を楽しむことができます。ですから、1 週間滞在し、3〜4日間仕事に充て、残りはゆったり と村での休暇を満喫する人が多いようです。

年間30〜50人が参加し、平均5.4日滞在

 1997年9月からの試行期間を含めた2007年3月31 日までの約10年間の参加者は延べ359人で、年間30〜 50人参加しています。平均滞在日は5.4日で、8日以 上滞在した人は52人に上っています。  年齢別では20代が156人で最も多く、全体の44%を 占めています。続いて30代 59人(16%)、50代 53人 (15%)、60代 35人(10%)となっています。男女別 では、男性125人に対し女性234人。地域別では、宮崎 県内165人、九州・沖縄83人、関東・東海53人、近畿32 若い世代の独身女性が半分以上を占める結果となっ ています。そのような中、京都から来た女性が受け 入れ農家の男性と結婚に至ったうれしいニュースも ありました。  リピーターも49人に達しており、リピーターが友 人を連れてきたり、ワーキングホリデーではなく、夏 の花火大会や冬の夜神楽など各種のイベントに遊び にくるケースも増えています。  2000年度から実施しているワーキングホリデー交 流会には平均16人が参加し、遠くは広島、神奈川、千 葉からの参加者もいます。2001年度には友の会を発 足。四半期ごとに現在60人の会員に村の広報を送付 し、西米良村との絆を深めています。  参加者の迎え入れに不安を訴えていた農家も、制 度が始まると参加者とはすぐにうち解け、歓迎会や 送別会をはじめ、村の行事に一緒に参加するなど、雇 用関係以上の交流の場に発展しています。現在、花 卉栽培農家5戸、柚子栽培農家2戸、柚子加工所1社 の8者が受け入れています。

新たな活動や様々なイベントを活発に展開

 8つの庄づくりやワーキングホリデーの進展に伴 い、村では新たな動きが始まっています。  「西米良温泉ゆた〜と」では、早朝に温泉を掃除す る「朝風呂会」と閉館後に掃除をする「夕風呂会」が発 足。若い人から高齢者まで約70人の会員が西米良温 泉を地域の温泉施設として支えています。また、「ゆ た〜と」や「湖の駅」等での土産物販売や特産品づく りに営農グループの平均年齢70代の高齢者が活躍し ています。  年間数人であった若者の定住者も、最近は年間20 人近いU・Iターン者があり、若者の活動も活発化し ています。  若者グループ「ふるさと研究会」は、西米良特産の ほおずきを使った「ほおずきアート」の講習会を開い たり、西米良村民と同数のほおずきを使った「ほおず きクリスマスツリー」や十数メートルにもなる大七 夕飾りを登場させる取り組みを進めています。  西米良村商工会青年部は、2001年から鮎釣り大会 「鮎カップ in 西米良」を開催。6月上旬に実施して

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市 町 村 長 の 声 いる大会には、年を追うごとに九州各県から多くの 参加者を迎えており、村を代表するイベントに成長 しています。  小川地区「語り部の庄」では、2000年から5月の ゴールデンウイークに「カリコボーズの山菜まつり」 を開催しています。地元で採れた山菜を味わっても らおうと、村が仕掛けた自治公民館主催のイベント で、いまでは地元主導の取り組みとなり、1,000人を 超える参加者を迎えています。  民間主導の新たな組織も立ち上がり、2002年10月 には「西米良村語り部の会」、2003年4月には「西米良 村ふるさと交流の会」が発足しました。「西米良村語 り部の会」は、村に伝わる民話を後世に伝えるととも に、観光資源として発信することを目的としています。 12月に開催している語り部フェスタ「民話語りと神楽 の夕べ」をはじめ、精力的な活動を行っています。「西 米良村ふるさと交流の会」は、熊本県菊池市、岩手県遠 野市との住民レベルの交流から生まれた団体で、相互 の交流促進活動を進めています。  こうした自主的な取り組みが次々と生まれたのは、 厳しい生活条件の下、西米良の長い歴史の中で培わ れた相互扶助の社会システムがいまも息づいていた からではないかと感じているところです。

「菊池の心」に学んで西米良づく

りを推進

 ワーキングホリデーや様々なイベ ントの結果、村への入り込み客数は、 1994年の約4万5,000人から、2003 年には約14万3,000人へと大幅に増 加しました。その後、大型台風の襲 来によって落ち込んだものの、10万 人以上の入り込み客数で推移してい ます。  また、2002年に再度行われた人口 推計では、2030年には現在の人口の 約1.6倍である2,511人になると予測 されました。  しかし、主産業である林業の低迷、 高齢化、脆弱な財政基盤、市町村合併 など、多くの問題を抱え、村は依然厳 しい状況に置かれています。  今後村が生き残っていくためには、地域や村民そ れぞれが自立する必要があります。そのカギを握っ ているのが、地域の特性を活かした特色のある村づ くりにほかなりません。「カリコボーズの休暇村・ 米良の庄」づくりをベースに、西米良の伝統や文化、 食材などを活かした地域づくりに知恵を絞り、磨き をかけていく必要があります。  2003年4月には「神話・伝説のふるさとツーリズ ム特区」の認定を受け、農家民宿の導入などの新たな 取り組みの模索も始まりました。西米良村固有の生 活スタイルであった「作小屋」を題材にした「平成の 桃源郷づくり」の計画も進んでいます。  いまこそ、郷土を愛し、現実を直視して問題解決に 挑み、大地から湧き出る気迫と勇気を持って事に当 たらなければなりません。村民一人ひとりが地域 リーダーとしての意識を持ち、パイオニアとなる。 「菊池の心・教え」に学び、知恵と力を出し合い、相互 扶助の精神で住み続けられる西米良づくりを進めて いきたいと決意を新たにしています。 ■黒木村長には、平成19年7月の「地域経済の振興と雇 用対策」研修において、『地域経済活性化の取組』の講 義をいただいております。 上左:交流と健康づくりの拠点「西米良温泉ゆた〜と」 上右:特産のほおずきでつくったクリスマスツリー 下左:12月に開催している「民話語りと神楽の夕べ」 下右:6月上旬に開催している鮎釣り大会「鮎カップ in 西米良」(写真提供:西米良村)

参照

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