1.はじめに 2011 年 3 月の東京電力(株)福島第一原子力 発電所事故により大気中に大量の放射性物質が 拡散した。放射性プルームが東京に初めて飛来 した 2011 年 3 月 15 日に,筆者は東京大学の本 郷キャンパス(文京区)にて,徹夜で屋外の空 間線量率の測定を連続的に行っていた。その 際,スギ花粉対策として市販の不織布製マスク を着用していた。そのマスクに付着した放射性 物質を Ge 半導体検出器で定性定量分析し,ダ ストサンプルの定性定量分析結果と比較するこ とで,事故直後の放射性プルームの吸入による 内部被ばくに対して,マスクによる低減効果を 確認して報告した1)。特に,放射性セシウムは ほとんど全てがマスクに捕集された。その後, 2011 年 5 月までには福島第一原子力発電所か らの直接の大気への放出はバックグラウンドレ ベルにまで減少したことが,様々な研究機関の 測定で明らかになった。 福島第一原子力発電所事故によって環境中に 放出された放射性物質の中で人体への影響が大 きいのは,大気への放出量が多く,半減期が比 較的長い放射性セシウム134Cs 及び137Cs であ る。大気中に放出された放射性セシウムは,大 部分が雨などによって土壌表面に沈着する。セ シウムは 1 価の陽イオンとなりやすいため,沈 着当初は有機物や粘土鉱物構造末端の持つ負電 荷に保持される。しかし,時間の経過とともに シート状の構造を持った 2:1 型層状ケイ酸塩 鉱物の層間に保持されるようになり,より強く 固定されることが知られている2)。一旦固定さ れてしまうと,雨などが降ってもイオンとして 溶出する割合は極めて小さくなる。また,森林 では,放射性セシウムは表面積の大きい葉にも 沈着する。土壌や葉に沈着した放射性セシウム は経根吸収などによって植物体内へ分配され, その後,植物体内での再分配が起こる。日本は 国土の 2/3 が森林であり,特にスギによる花粉 症は国民病の 1 つである(筆者も重症患者であ る)。そのため,2012 年春に放射性セシウムを 含んだスギ花粉(いわゆる“セシウム花粉”) が大気中に再拡散され,一般市民が吸入して内 部被ばくする可能性があるとの懸念があり,社 会的な関心事となった。林野庁は,2011 年 11 月〜2012 年 1 月に福島県ほか 15 都県のスギ林 182 か所からスギの雄花を集めて,含まれる放 射性セシウム濃度を調査した。この調査での雄 花の放射性セシウム濃度の最高値は,福島県浪 江町の 253 kBq/kg であり,花粉に含まれる放 射性セシウムの濃度がこの値に等しいと仮定す ると,人が吸入した場合の花粉飛散時期の被ば く線量率は 0.553 mSv となる試算を発表した3)。 しかし,一般市民が日常生活を送る中で,呼吸 によって放射性セシウムをどの程度取り込むお それがあるのかは不明であった。 そこで,筆者らの研究グループでは,2012 年 2 月 19 日〜4 月 14 日の 8 週間にわたり,東 日本在住の一般市民に市販のかぜ・花粉用不織 布製マスクを日常生活と同様に着用してもら い,マスクに付着した放射性セシウムを測定し
“セシウム花粉”の
内部被ばく影響は砂埃に比べて
無視できるほど小さい
桧垣 正吾
Higaki Shogoて,一般市民の吸入による内部被ばく線量を推 定し,スギ花粉による放射性セシウムの再飛散 の有無を調べた4)ので,紹介する。 2.調査と測定手法 本調査の被験者は,福島県及び東京都在住各 10 名,青森・ 岩手・宮城・秋田・山形・茨城・ 栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川・静岡の各県 在住各 4 名の合計 68 名で,年齢は 20〜59 歳, 68 名のうち男性 27 名,女性 41 名であった。 なお,福島県以外の各県在住の被験者の測定結 果は,東京都在住の被験者と同様の傾向であっ たため,福島県及び東京都在住の被験者合計 20 名の調査結果から得られた内容に限って紹 介する。 被験者に着用してもらったマスクは,市販の 不織布製マスクであり,直径 3 mm の粒子を 95 %以上ブロックする性能を持つ(メーカー調 べ)。着用に際しては少なくとも 1 日ごとに新 品のマスクに交換してもらい,1 枚ずつチャッ ク袋に密閉して返送してもらった。マスクの着 用時間も記録してもらった。着用時間の平均値 は福島県在住の方で 76 時間/週,東京都在住の 方で 70 時間/週であった。 マスクに付着した放射性セシウム及びスギ花 粉は以下の手法で定量した。まず,各被験者が 各 1 週間に着用した少なくとも 7 枚のマスクを 1 試料とし,Ge 半導体検出器により放射性セ シウムを測定した。測定時間は 1 試料当たり 6 時 間 で, 検 出 下 限 値 は137Cs,134Cs そ れ ぞ れ 0.20 Bq であった。 放射性セシウム測定後に,スギ花粉の定量を 行った。スギ花粉は,直径 30 mm 程度の球に 円錐が 1 つ生えている特徴的な形状をしている ため,光学顕微鏡を用いた計数が行いやすい。 しかし,不織布は表面の凹凸が大きく,そのま まではピントが合わせづらく計数が難しいた め,マスク 1 枚ごとに濾紙上に集塵したものを 計数試料とした。また,着用後のマスクの輸送 によって花粉が脱落する可能性があるため, チャック袋の内側を流水によって内容物を濾紙 上に集めて計数試料として,マスクから集塵し たものと合算した。この手法により,スギ花粉 の全てを濾紙上に集めることができた。さら に,光学顕微鏡による計数を行いやすくするた め,ヨウ素デンプン反応によって,スギ花粉を 紫色に染色後に計数した(図 1)。 3. 放射性セシウムの定量結果と内部被ばく 線量 137Cs が有意な値で検出されたマスクの 9 割 程度から134Cs も検出された。また,調査時期 (2012 年 2〜4 月 ) に お け る134Cs/137Cs 放 射 能 比は約 0.73 となり,2011 年 3 月 11 日現在に減 衰補正するとほぼ 1 となる。これらのことか ら,付着した放射性セシウムは福島第一原子力 発電所事故由来であるといえる。 福島県在住の被験者 10 名のうち,9 名から 放射性セシウムが検出された一方で,東京都在 住の被験者で放射性セシウムが検出されたのは 4 名であった。福島県在住の被験者で検出され た方 9 名の平均値は,8 週間の合算で137Cs が 6.6±0.21 Bq,134Cs が 4.5±0.12 Bq で あ っ た。 東京都在住の被験者では,8 週間の合算で最大 で も137Cs が 0.58±0.06 Bq,134Cs が 0.33±0.05 Bq であった。 検出された放射性セシウムが最大となった被 図 1 実際に着用したマスクに付着したスギ花粉(矢 印)の光学顕微鏡写真(濾紙上に集めてヨウ素で着 色したもの)
験者は福島県郡山市在住の商工自営業の 50 歳 代男性で,8 週間の合算で137Cs が 21±0.36 Bq, 134Cs が 15±0.22 Bq であった。図 2 にこの被験 者の週ごとの137Cs 放射能の変動と福島県在住 の被験者の平均値の変動を示す。この被験者の 調査期間 8 週間における吸入による内部被ばく を算定する。ICRP Publ. 68 によると,一般公衆 の内部被ばくを算定する場合,放射性物質の正 確な粒径が不明な際には,粒径 1 mm と仮定す ることが推奨されている。さらに,セシウム は迅速に吸収されるシナリオ(半減期 10 分で 吸収)の実効線量係数である,137Cs に対して 4.6×10−3 [mSv/Bq],134Cs に 対 し て 6.6×10−3 [mSv/Bq]を用いて算出した。さらに,マスクを 着用していない時間でも同じ割合で放射性セシ ウムを吸入すると想定して,この被験者のマス ク着用時間の割合で除した結果,調査期間 8 週 間で 0.494 mSv の内部被ばく線量となった。仮 に,この放射性セシウム量の付着が調査期間以 外も継続するとして,年間の内部被ばく線量を 見 積 も る と,0.494 mSv÷8 週×52 週=3.2 mSv となった。これは,公衆の年間被ばく限度であ る 1 mSv の 310 分の 1 である。 4.スギ花粉の定量結果 スギ花粉は,測定した全てのマスクから検出 された。福島県在住の被験者 10 名の平均値は, 474 個/週,最大値は 6,114 個/週であり,東京 都在住の被験者 10 名の平均値は 595 個/週,最 大値は 18,272 個/週であった。図 3 にマスクに 付着した放射性セシウムが最大となった被験者 (福島県在住)の週ごとのスギ花粉量の変動及 び福島県在住の被験者の平均値,東京都在住の 被験者の平均値の変動を示す。この被験者のス ギ花粉量の変動は,福島県在住の被験者の平均 的な変動とほぼ等しかったことが分かる。平均 値の変動傾向は,気候条件やスギ花粉源の違い を反映しており,東京都では,調査の第 3 週目 (3 月 4〜10 日)福島県では第 6 週目(3 月 25 〜31 日)にピークを迎えていた。 図 2 マスクに付着した放射性セシウムが最大となった 被験者(福島県在住)の137Cs 量の変動 点線は福島県在住の被験者の平均値の変動,太線は検 出下限値の 0.20 Bq を示す 図 3 マスクに付着した放射性セシウムが最大となった 被験者(福島県在住)のスギ花粉数の変動 点線は福島県在住の方の平均値の変動,二点鎖線は東 京都在住の方の平均値の変動を示す 図 4 マスクに付着した放射性セシウムとスギ花粉数と の相関 福島,東京ともに中程度の相関の強さであった
マスクに付着した放射性セシウムとスギ花粉 数との相関を図 4 に示す。相関係数は,福島県 在住のグループで 0.35,東京都在住のグループ で 0.41 となり,中程度の相関の強さであった。 5.放射性セシウム源の特定 検出された放射性セシウムがスギ花粉由来で あるかを以下の手法によって確かめた。 ① イメージングプレートでマスク上の放射性 セシウムの分布を観察し,スポットがある 部分を光学顕微鏡で観察して花粉の有無を 確認 →放射性セシウムがある部分と花粉の位 置は一致しなかった。 ② スギ花粉を集塵して,その濾紙を Ge 半導 体検出器で放射能測定 →検出限界値以下であった。 ③ 集塵して花粉が除去されたマスクを再度イ メージングプレート及び Ge 半導体検出器 で放射能測定 →①と同様にスポットがある画像が得ら れ,1 枚のマスクから137Cs が 1.1 Bq,134Cs が 0.81 Bq 検出された。 ④ このマスクのスポットがある位置を,再度 光学顕微鏡で観察 →図 5 に,実際に被験者が着用したマス クとマスクに付着した放射性セシウム源の イメージングプレート像との合成像と,そ の部分の光学顕微鏡写真を示す。マスクへ の付着物のうち,スギ花粉は全て集塵され るが,砂埃とみられる不定形の物質は,不 織布繊維に引っかかるか,高密度のため集 図 5 被験者が実際に着用したマスクとマスクに付着した放射性セシウム源の イメージングプレート像との合成像と,その部分の光学顕微鏡写真 各写真の右下のスケールは 50μm の長さを表す
塵されないため除去されず残る。イメージ ングプレート像でスポットが観察された部 分には,全て砂埃とみられる不定形の物質 が存在しており,これが放射性セシウム源 であるといえる。 これらのことから,一般市民に吸入による内 部被ばくを引き起こす可能性のある放射性セシ ウム源はスギ花粉ではなく,砂埃とみられる不 定形の物質によるものであることを示した。こ のことは,砂埃の吸入を防ぐことにより,内部 被ばく線量を低減できることを示唆している。 6.今後の計画 マスクに付着した放射性セシウム量が他県に 比べて有意に高かった福島県では,継続的な調 査が必要と判断したため,本調査は,2013 年 春,2014 年春にもそれぞれ対象者 20 名,期間 4 週間の規模で継続している。継続調査の詳細 は割愛するが,マスクに付着した放射性セシウ ム量の経年変動は,物理学的減衰よりも速く減 少しており,住環境の除染が進行していること がうかがえる。 【謝辞】 本稿の内容は,ITEA 東京環境アレルギー研 究所の白井秀治氏,信州大学ヒト環境科学研究 支援センターの廣田昌大助教,東京大学アイソ トープ総合センター(当時)の矢野有希子氏 (現・カリフォルニア大学バークレー校大学院 博士課程),ユニ・チャーム(株)の武田英輔氏, 柴田彰氏,三嶋祥宜氏,山元ひろみ氏,宮澤清 氏との共同研究の成果である。ここに記して感 謝を申し上げる。 参考文献
1) Higaki, S. and Hirota, M., Health Phys., 104, 227─ 231 (2013) 2) 日本土壌肥料学会,土壌・農作物等への原発 事故影響 WG,原発事故関連情報 (2):セシウ ム(Cs)の土壌でのふるまいと農作物への移 行(2013 年 改 訂 ),http://jssspn.jp/info/nuclear/ cs.html (2013) 3) 林野庁,スギ雄花に含まれる放射性セシウム の濃度の調査結果について,http://www.rinya. maff.go.jp/j/press/hozen/120208.html (2012) 4) Higaki, S., et al., Health Phys., 107, 117─134 (2014)