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全国を飛び回っているイメージがあるのか ぼくが実際に店に立っているのをご覧になって お客さまはかえって感動してくださるんです あ 本物だ! って ( 笑い ) でも実際 店に居ることの方が多いんですよ という三國清三シェフ 多忙な日々を送る中でも 一貫して オテル ドゥ ミク

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Academic year: 2021

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オテル・ドゥ・ミクニ開業 25 周年

温故知新が開く未来への礎

日本フランス料理界が世界に誇る現代の名工・三國清三シェフがオーナーを務める

「オテル・ドゥ・ミクニ」(東京都新宿区)が、1985 年の開業から25 周年を迎えた。料理人としての強い志と

卓越した感性のもと、食の世界におけるパイオニアとしてさまざまな新境地を切り開いてきた三國シェフは、

創業四半世紀を経てなお「温故知新」を体現する食の伝道師として精力的な活動を進めている。

(企画・構成 本誌 松沢良治 取材・文 福嶋美香 撮影 林 正、山路ゆか)※関連記事:55 ページ 三國清三シェフと厨房スタッフの皆さん。全国のグループ店の料理長もたびたび研修にやってくる 三國清三シェフとサービスや営業担当の皆さん。四季折々の植栽が美しいエントランスで

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「全国を飛び回っているイメージがあるのか、ぼくが実際に店に立っているのをご覧になって、お客さまはかえって感動して

くださるんです。『あ、本物だ!』って(笑い)。でも実際、店に居ることの方が多いんですよ」という三國清三シェフ。多

忙な日々を送る中でも、一貫して「オテル・ドゥ・ミクニ」の店に立つことがすべての出発点となる。「開業から 25 年がたっ

たいまも、料理人としていまだにいいものを学ぼうという本能があります。それがある以上、現場に居続けられるし、逆に

学ぶという精神がなくなったら、謙虚さを失い、傲慢になり、努力を怠るようになってしまうでしょう。現場にこそぼくの料理

人としての軸がある。現場には素材があり、素材は毎日触ってみないと語りかけてこない。毎日見ているからこそ変化が分

かる。毎日365日素材と向き合うためにも、現場に立つということは本当に大切なことなんです」

温故知新を

心技体を磨

精神を具現化

料理人

日 本 が 誇 る フ ラ ン ス 料 理 界 の 名 シ ェ フ ・ 三 國 清 三 。 そ の 半 生 は 波 乱 万 丈 そ の も の だ 。 北 海 道 の 小 さ な 漁 村 ・ 増 毛 町 で 半 農 半 漁 の 家 庭 の 三 男 坊 と し て 生 ま れ 、 幼 少 の こ ろ か ら 家 業 を 手 伝 う 多 忙 な 日 々 を 送 っ た 。 北 の 海 か ら 上 が っ た ば か り の 海 産 物 や 、 土 の 香 り が す る 取 れ た て の 野 菜 。 そ う し た 自 然 の 恵み を 理 屈 抜 き に じ か に 触 れ な が ら 過 ご し た こ と は 、 す で に 清 三 少 年 の 未 来 を 決 定 付 け て い た の に 違 い な い 。 中 学 校 卒 業 と と も に 札 幌 の 丁 稚 奉 公 へ 。 仕 事 の 傍 ら夜 間 学 校 に 通 う 中 、 奉 公 先 の 食 卓 で 出 会 っ た ハ ン バ ー グ の お い し さ に 心 を 奪 わ れ 、 15歳 で 料 理 人 の 道 を 志 す 。「 札 幌 グ ラ ン ド ホ テ ル 」 の パ ー ト の 米 炊 き か ら 始 ま り 、 18 歳 で さ ら な る 飛 躍 を 求 め て 上 京 。 当 時 “ 料 理 の 神 様 ” と も 言 わ れ た 「 帝 国 ホ テ ル 」 の 村 上 信 夫 料 理 長 に 入 門 す る が 、 不 況 下 で 2 年 間 は 皿 洗 い と い う 下 積 み の 日 々 を 送 る 。 人 生 初 の 挫 折 を 感 じ て い た 20歳 の と き 、「 塩 ふ り を み て 才 能 を 見 抜 い た 」 と い う 有 名 な 逸 話 に 彩 ら れ た 村上料理長 の 大抜擢 に よ り 、 ス イ ス ・ ジ ュ ネ ー ブ の 大使館付き料理人 に 就任 。 そ こ で 出 会 っ た フ レ デ ィ ・ ジ ラ ル デ 氏 の も と で 働 い た 約 5 年 間 が フ ラ ン ス 料 理 界 へ の 道 標 と な り 、 そ の 後 フ ラ ン ス の 3 ツ 星 シ ェ フ の も と で 修業 を 重 ね 、 28歳 の と き に 帰国 し た 。 三 國 シ ェ フ は ヨ ー ロ ッ パ 修 業 時 代を こ う 回 想 す る 。 「 ま ず ジ ラ ル デ さ ん の も と で 本 物 の す ご さ に 触 れ ま し た 。 レ ベ ル の 高 低 で は な く フ ラ ン ス 料 理 を 皮 膚 感 覚 で 、 理 屈 抜 き に 作 業 す る す ご さ で す 。 そ し て 最 終 的 に シ ャ ペ ル さ ん の と こ ろ で 料 理 と は 行 き つ く と こ ろ 精 神 論 な の だ と 痛 感 し ま し た 。『 あ あ 、 心 が 大 切 な ん だ 』 と 。 も ち ろ ん そ れ ま で 大 変 の 連 続 で し た が 、 そ う

食と創造の原点は、

   すべて現場にある。

1 「農家出身だから子どものころから一日で素材ががらりと変わるのを何度 も見ていた」という三國シェフ。素材を理解するには日々の積み重ねが 欠かせない 2 落ち着きのある個室。商談や接待、子ども連れの会食などに周囲に 気兼ねなく利用できる 3 定休日にはたびたび全国や世界各地に赴き自ら市場や畑に足を向け る。「畑で土がずしっとぬかるむあの感覚を忘れてはならないですね」 と三國シェフ 4「キュイジーヌ・ナチュレル」=自然と同化した料理はミクニ精神のか たちの一つ 5 産地が素材の味を決め、風味を決める。地産地消、スローフードがモッ トー 6 木のぬくもりを生かしたバー。カウンターにはアフリカ産のブビンガの 一枚板を使用

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5 ‐2010.4.23‐ 悟 っ た と き に 、 い い 料 理 を つ く る た め に な ぜ 産 地 と 素 材 を と こ と ん 吟 味 す る の か 、 そ の わ け を 素 直 に 肯 定 で き る よ う に な れ ま し た 。 そ し て ぼ く は ぼ く自身 の 、 好き な 料理 を つ く れ ば い い の だ と い う地点 に 戻 れ た ん で す」

料理界

ちょうじ

ス イ ス に 向 か う 直 前 、 三 國 シ ェ フ は 村 上 料 理 長 か ら こ う 言わ れ た 。「 10年 間し っ か り と 修 業 し て き な さ い 。 そ の 先 に 必 ず 君 た ち の 時 代 が 来 る 」。 日 本 か ら ス イ ス へ と 旅 立 っ て か ら ち ょ う ど 10年後 。「 ビ ス ト ロ・ サ カ ナ ザ 」 を 経 て 30歳 と な っ た 三 國 シ ェ フ は 、 東 京 四 ッ 谷 の 迎 賓 館 に 程 近 い 場 所 に 、 一 戸建 て の レ ス ト ラ ン 「 オ テ ル・ ド ゥ・ ミ ク ニ 」 を オ ー プ ン し た 。 営 業 を 開 始 し た 1 9 8 5 年 は 、 料 理 界 に と っ て 大 き な 意 味 を 持 つ 年 だ っ た 。 ヨ ー ロ ッ パ で フ ァ ス ト フ ー ド が 登 場 。 世 界 で う ま 味 と い う 言 葉 が 認 知 さ れ 、 イ タ リ ア で ス ロ ー フ ー ド 運 動 が 起 こ り 、 フ ラ ン ス で 食 育 が 行 な わ れ て い た 。 翌 86年 、 日 本 で は 「 1億 総 グ ル メ 」 の 言 葉 が 流 行 し バ ブ ル 経 済 が 花 開 く と 、 日 本 フ ラ ン ス 料 理 界 に 彗 す い せ い 星 の ご と く 現 れ た 三 國 シ ェ フ は 、 賛 否 両 論 を 浴 び な が ら も時代 の 寵児 と し て 大き な 脚光 を 浴 び た 。 新 し い 時 代 の 幕 開 け の 象 徴 的 存 在 と さ れ た 三 國 シ ェフ は 、 当時 に つ い て こ う語 る 。 「 ぼ く 一 人 が や っ た 仕 事 で は ま っ た く な く 、 す べ て は 先 人 た ち が 築 い て き た 礎 の も と に 起 こ る べ く し て 起 こ っ た こ と で す 。 そ し て 当 時 こ そ 分 か ら な か っ た け れ ど 、 85年 の 時 点 で す で に 地 産 地 消 や う ま 味 、 安 心 安 全 や 食 育 と い っ た 、 今 日 語 ら れ る 食 の す べ て の 要 素 が 内 包 さ れ て い た ん で す 」 か つ て 日 本 の フ ラ ン ス 料 理 界 に は 、「 帝 国 ホ テ ル 」 の 村 上 信 夫 総 料 理 長 、「 ホ テ ル オー ク ラ 」 の 小 野 正 吉 初 代 総 料 理 長 、「 ホ テ ル ニュ ー オ ー タ ニ 」 の 古 谷 春 雄 総 料 理 長 ら 偉 大 な 料 理 人 たち に よ る ホ テ ル 全盛 の 時代 が あ っ た 。 一 方 、 町 場 の 独 立 型 フ レ ン チ レ ス ト ラ ン は 依 然 と し て 珍 し い 中 で も 、 六 本 木 「 オ ー ・ シ ュ バ ル ・ 7 プライバシーを確保した、特別なもてなしに最適な「特別 室」。結納や商談などに 8 「素材一つ一つの個性には訳があり、それを根底から自然 に理解して料理することの難しさや大切さをヨーロッパ修業 で学びました」と三國シェフは語る 9 メインダイニング。アラカルトからコースメニューまでリラック スした雰囲気 10 料理からサービス、タイミングまで、すべての要素におい て最高のもてなしにこだわる 11 地下ワインセラーで。ボルドーのボイヤック村から取り寄せ たワインなどが充実する

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6 ‐2010.4.23‐ ブ ラ ン 」 の 当 時 の 総 料 理 長 で あ っ た 鎌 田 昭 男 氏 、 西 麻 布 「 ク イ ー ン ・ ア リ ス 」 の 石 鍋 裕 氏 、 京 橋 「 ド ゥ ・ ロ ア ン ヌ 」 の 井 上 旭 氏 の 三 巨 匠 が 、 ホ テ ル の フ レ ン チ と は 一 線 を 画 し た か た ち で 存 在 感 を 増 し て き て い た 。 三 國 シ ェフ は こ う振 り 返 る 。 「 技 術 の 鎌 田 、 人 気 の 石 鍋 、 ソ ー ス の 井 上 。 こ の 三 巨 匠 は ぼ く よ り だ い た い 10歳 年 上 の 先 輩 で 、 本 当 に 偉 大 な 存 在 で した 。 開 業 した て の こ ろ よ く 話 を 聞 き に 行 き ま し た が 、 皆 さ ん は ぼ く を 弟 分 の よ う に か わ い が っ て く れ ま し た 。 な ぜ 先輩方 の も と へ た び た び 赴 い た の か 。 そ れ は い い も の は す べ て 吸 収 す る こ と が 相 手 に 勝 つ 正 攻 法 だ と 思 っ た か ら 。 い か に 先 輩 方 を 凌 しの ぐ こ と が で き る か 。 そ の た め に は 彼 ら か ら い い も の は す べ て 学 び 吸 収 し よ う 、 戦 う に は 己そ し て 敵を知 ろ う と 思 っ た か ら で す」

精神

体現者

「前例 な き と こ ろ に 行く こ と が ぼ く の 主義」 と い う 三 國 清 三 シ ェ フ は 、 こ れ ま で 先 駆 者 的 試 み を緩 む こ と な く 続 け て き た 。「 オ テ ル ・ ド ゥ ・ ミ ク ニ 」 開 業 か ら 25年 が た ち 、 い ま や 日 本 を 代 表 す る フ ラ ン ス 料 理 レ ス ト ラ ン と し て の 地 位 を 確 立 し て い る 。 か つ て 先 人 た ち を 追 い か け た 青 年 は い ま 55歳 。 逆 に 追 い か け ら れ る 身 に な っ た い ま で も 、料 理 人 、 実 業 家 そ し て 食 の 伝 道 師 と い う 顔 を 持 ち 、 学 び の 精 神 を も っ て 新 た な 境 地 を 切 り 開 く 。 村 上 料 理 長 か ら 受 け 継 ぐ 「 温 故 知 新 」 の 精 神 は 、い っ そ う 円 熟 味 を 増 す ば か り で あ り 、 そ の 根 底 に は あ く ま で も 、 人 が 生 き る た め に 不 可 欠 な 食 の 基 本 を 見 つ め 、 伝 統 を 守 り 、 次 の 時 代 へ の 橋 渡 し を し よ う と す る 強 い 思 い が あ る 。 現 在 、 全 国 各 地 に 直 営 や プ ロ デ ュ ー ス 、 コ ン サ ル テ ィ ン グ に よ る グ ル ー プ 店 を 9 店 展 開 し て い る 。 三 國 シ ェ フ は グ ル ー プ 店 の 在 り 方 に つ い て こ う 語 る 。 「実際 に 厨房 に 立 ち 、 レ シ ピ を 起 こ し 、 料理 を す る の は 四 ッ 谷 の み 。 グ ル ー プ 店 に は 必 ず 料 理 長 が 立 ち 、 彼 ら が 上 げ て く る レ シ ピ を ぼ く が 監 修 し ま す 。 料 理 の 技 術 は 誰 で も 10年 も 経 験 を 積 め ば 必 ず で き る よ う に な る 。 そ れ だ け に 心 が な い と い け ま せ ん 。 精 神 が ミ ク ニ 的 で あ る こ と が 大 切 な ん で す 。 そ し て そ の 体 現 者 と な る の が ぼ く 自 身 。 だ か ら こ そ 直 接 農 家 に 行 き 、 地 産 地 消 を 進 め 、 子 ど も に 接 し 介 護 食 や 離 乳 食 も 手 掛 け る 。 そ う し た こ と が い わ ば ミ ク ニ 精 神 の 具 現 化 に な る 。 現 場 に 立 つ と い う こ と は 、 お 客 さ ま そ し て こ れ か ら の フ ラ ン ス 料 理 界 を 担 う 若 い ス タ ッ フ た ち に と っ て 重 要 な こ と だ と 思 っ て い ま す 」

三 國 シ ェ フ の 胸 の 内 に は 、 ヨ ー ロ ッ パ 修 業 時 代 か ら 続 く 一つ の 思 い が あ っ た 。 そ れ が 、 当 時 か ら 仲間 た ち と 語 り 合 っ て い た 食育 の 普及 だ 。 子 ど も の 食 育 の た め の 「 K I D S シ ェ フ 」 活 動 を 始 め て 10年 。 当 初 は 日 本 で は 食 育 と い う 言 葉 す ら 珍 し く 、 世 間 の 反 応 も 芳 し く は な か っ た 。 し か し 徐 々 に 地 道 な 活 動 が 奏 功 し 、 約 5 年 前 に は つ い に 「 食 育 基 本 法 」 が 発 布 さ れ て 全 国 的 に 活 動 が 活 発 化 し 、 時 代 そ の も の が 動 き 始 め る 中 で 、 三 國 シ ェ フ の こ れ ま で の 活 動 に 再 評 価 の 声 が 高 ま っ て い る 。 三 國 シ ェ フ の 考 え る 食 育 は す で に 次 の ス テ ー ジ に 進 み 、 子 ど も か ら 親 子 三 代 の 家 族 ぐ る み の 食 育 へ と 視 野 を 広 げ て い る 。「 確 か な 味 覚 を 持 つ 世 代 が 育 つ こ と は 、 結 果 的 に 未 来 の 食 文 化 、 フ ラ ン ス 料 理 界 そ し て 外 食 産 業 の 発 展 に も つ な が る 」 と 三 國 シ ェフ は 考え る 。 このほか食のプロとしてその活動の幅は広 い。 5年前にはセコムと共同でレストラン 「ミ クニマンスール」を立ち上げ、タブーであっ た料理人による病院食の可能性の突破口を開 いた。さらにうま味成分の特性を生かした離 乳食も手掛けるなど、あらゆる人々が生きる うえでの根源である食について真摯に取り組 んでいる。 座 右 の 銘 で あ る「 温 故 知 新 」 を 極 め、 「 心 技体」に磨きをかけるという三國清三シェフ は、これからの 10年についてこう語る。 「もう 25年も言い続けていることですが、 10 年後の 65歳になるまでに、プロがプロを育て る料理学校を設立する。つまり教育者になり たいと思っているんです。日本の料理業界で 最終的に一番弱いのは教育。だからこそプロ がプロを鍛える、教える学校をつくっていく ことが最終的なビジョンです」 三國シェフの頭の中には、すでにこんなイ メージが広がっている。気候のよい海が近い 場所にオーベルジュがあり、宿泊施設もレス トランも、 パティスリーやベーカリーもある。 朝はジープで海に買い出しに行き、その帰り 道に畑に立ち寄り、素材を持ち帰り、献立を 立てて料理をつくり、 お客さまにお出しする。 そういった自分の得意分野を通し、全国から 料理人や支配人を呼び、実践を通して生きた 教育の場をつくる。 「 食 は 人 が 生 き て い く 上 で 欠 か せ な い も の。 それを扱う以上、料理人として人に食べて喜 んでいただく、うれしいというところに自然 つながっていく。人間、突き詰めれば自分の ルーツに戻るんです。北海道の漁師町で農業 漁業の家に育ったぼくだからこそできること を伝えていく。それがぼくのライフワークで す」 そしてもう一つ、こんな願いを語る。 「恩師である村上料理長は、 84歳で亡くなら れる直前まで、現役で各地に赴き、料理を教 えていました。だからぼくは村上料理長より も1歳でも長く現役で頑張る。それが恩返し であると思っています」 三國清三氏のプロフィール みくにきよみ。東京四ッ谷のフレンチレスト ラン「オテル・ドゥ・ミクニ」オーナーシェフ。 1954 年に北海道増毛町で生まれ、「札 幌グランドホテル」「帝国ホテル」を経て、 74 年にスイス・ジュネーブの日本人大使 館の料理人に就任。フレディ・ジラルデ 氏との出会いをきっかけにフランス料理へ の道へ進み、その後ポール・イーベルラ ン氏、ジャン&ピエール・トロワグロ氏、ル イ・ウーティエ氏、ロジェ・ヴェルジェ氏、ジャ ン・ドラヴェーヌ氏、アラン・シャぺル氏ら フランス料理界を代表するシェフたちのも とで修業を積む。83 年に帰国し、85 年 30 歳で「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープ ン。2000 年九州沖縄サミット福岡蔵相 会合の総料理長を務める。03 年フラン スの農事功労章シュヴァリエを受勲。07 年に「現代の名工」に選出。料理人の 育成や味覚教育、スローフード活動などに も精力的に取り組む。 日本のオーナーズ・レストランを代表する「オテル・ドゥ・ミクニ」 初夏には富山県氷見市と静岡県の 清水港に新店を開業予定

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●オテル・ドゥ・ミクニ 25 周年記念メニュー ランチ 1 万 3000 円 ディナー 2 万 3000 円 (2010 年 1 月 6 日~ 12 月末まで提供・クリスマス時期を除く)

Alain Chapel

Filet de boeuf rôti, mille-feuille de foie gras et navet, sauce au Côte du Rhone.

アラン・シャペル

北海道白老町の阿部さんが育てた黒毛和牛三歳雌のフィ レ肉のロティ、フォアグラとカブの柚子味噌風味 ミフィユ

仕立て、コート・ド・ローヌソース

小カブ、ラディッシュはシャペル氏の最も好んだ素材だった

Hôtel de Mikuni Vinqt-cinquième Anniversaire 2010

オテル・ドゥ・ミクニ 25 周年記念メニュー

La cuisine en hommage à mes grands Maîtres

シェフ三國清三が出会った

グランシェフたちに捧げるオマージュ

「オテル・ドゥ・ミクニの 25 周年記念メニュー シェフ三國清三が出会ったグランシェフたちに捧げるオマージュ」 は、繊細で華やかかつ自然の味を生かした逸品。三國清三シェフを帝国ホテルからスイスへと送り出してくれた 村上信夫料理長をはじめ、ヨーロッパで出会った偉大なる恩師たちに対する感謝の心が込められている。 Louis Outhier

Salade de langouste à l’orange et au pamplemousse, aux trios poivrons.

ルイ・ウーティエ

伊勢海老のサラダ、オレンジとグレープフルーツ、 三色ピーマンのロアジス風

ウーティエ氏は当時から隠し味にしょうゆを使用

Frédy Girardet

Laitue farcie de Saint-Jacques au safran, caviar rouge.

フレディ・ジラルデ

帆立貝のレタス包み、イクラ添え、サフランの薫り 「手長エビのキャベツ包み キャビア添え」はジラル

デ氏のスペシャリテ

Paul Haeberlin

Mousseline de grenouille et volaille, au beurre de Riesling.

ポール・イーベルラン グルヌイユと地鶏のムースリーヌ

「アルザスのサーモンスフレ、カエルのスフレ」はポー ル氏の代表的な料理

Jean and Pierre Troisgros

Escalope de saumon poêlée, sauce à l’oseille.

ジャン&ピエール・トロワグロ サーモンのエスカロップ、すかんぽ風味

世界に知られる「サーモンのすかんぽ風味」。トロ ワグロと言えばこの料理

Roger Vergé

Fromage blanc maison à la provençale.

ロジェ・ヴェルジェ 東京牛乳で創った自家製フロマージュブラン、ア・ラ・ プロヴァンサル 南仏で初めて香草の使い方を学んで以来、香草と いえばミクニに Mauduit

Surprise de trois sorbets et glace (framboise, vanilla etmangue), sauce au chocolat.

モデュイ 三種のシャーベットとアイスクリーム(フランボワーズ・ ヴァニラ・マンゴー)、びっくりショコラソース パリで修業した名店パティスリー。ここで三國シェフ はお菓子の基礎を学んだ Jean Delaveyne Mont-Blanc à la truffe. ジャン・ドラヴェーヌ モンブランとトリュフのアンサンブル、そのトリュフの 泡添え ドラベーヌ氏は MOF を二つ持ち、トリュフの博士だった Nobuo Murakami Café et cannelé de Tokyo.

村上信夫 コーヒーと東京カヌレ 三國清三シェフの一生の恩師 料理写真はHOTERESWEB で紹介しています。 http://www.hoteresweb.com/

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「オテル・ドゥ・ミクニ」DATA

所在地=東京都新宿区若葉 1 - 18 03・3351・3810 開業= 1985 年 営業時間=火曜日~土曜日 ランチ 12:00 ~ 14:30(L.O.)、ディナー 18:00 ~ 21:30(L.O.) 日曜日 ランチ 12:00 ~ 14:30(L.O.) 定休日=月曜日 席数= 80 席 経営=㈱ソシエテミクニ www.oui-mikuni.co.jp ミクニグループ ミクニヨコハマ、ドメイヌ・ドゥ・ミクニ、ミクニ マンスール、ミクニ マルノウチ、ミクニ ナゴヤ、 ミクニ サッポロ、ミクニ タカマツ、オーベルジュましけ、ミクニ(日本橋三越本店)

国連 WFP よりメッセージ

三國清三シェフ

当協会顧問として WFP 国連世界食糧計画の活動

に多大なるご支援をいただきどうもありがとうござい

ます。25 周年を新たなスタートとしてさらなる発展

をお祈り申し上げます。



認定 NPO 法人国連 WFP 協会

バンケットルーム。着席で 60 人、ブッフェスタイルで 100 人ほどを 収容できる

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参照

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