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芸術教育とは何か?── 教育と芸術そして科学:岡﨑 乾二郎

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芸術教育とは何か?

── 教育と芸術そして科学 岡﨑 乾⼆郎 https://kagakuukan.org/jpn/texts/art_education_science (2020.3.29 取得) リベラルアーツと芸術教育について、2013 年 7 ⽉に⾏な われたインタビューです。教育の基本的なあり⽅につい て、のみならず今後の教育がありうるかの⽅向も⽰す、 基本的な視野が語られているので、ここに再掲載します。 1 歴史的に考えてみる 諸学部のカテゴリーと哲学、芸術 ─岡﨑さんの関わった四⾕アート・スデュディウム (Yotsuya Art Studium)は、週に 4 つから 5 つのゼミが あるだけの、通常の学校で考えるなら、⼆つくらいの教 室で成⽴しているような規模の、とても⼩さな学校です。 [*1]⼀⽅で、ゼミで⾏われる演習は、領域の多様さ、扱わ れる技術の幅の広さ、そしてその分析と探求の深さで知 られています。[*2]美術、⾳楽、パフォーマンス、映像、 ⽂学、評論、哲学とさまざまな学⽣たちがこの⼩さな規 模の学校に集まっている。同時に、つねに何らかのイベ ントが企画され、その成果が発信されつづけている。[*3] この学校を契機にうまれた芸術運動や企画、批評の動向 は多く、それは雑誌や出版物の成果ともなっています。 [*4]そこで今回お聞きしたいのは、このように世界的に みても希有な芸術学校である四⾕アート・スデュディウ ムが、どのような設計思想のもとでつくられたのか?と いうことです。あるいは、四⾕アート・スデュディウム の学習の現場、⽣産の現場において、芸術はどのように 位置づけられていたのでしょうか? 岡﨑│四⾕アート・ステュディウムは、2001 年近畿⼤学 に作られた国際⼈⽂科学研究所の市⺠講座という枠から はじまりました。ご存知のように初代の所⻑は柄⾕⾏⼈ さんでした。僕は最初、その講座の中の芸術理論の枠を 任され担当していました。ところで、国際⼈⽂科学研究 所は、英語で普通「ヒューマニティ Humanity」とすると ころを「ヒューマン・サイエンス Human Science」とあ えて誤訳しているのです。この訳は「⼈⽂科学/⾃然科 学」、あるいは平たく「⽂系/理系」と分節された諸領域 を、脱構築的に組み⽴て直そうという意図が含まれてい たのだと考えています。かつて⼈⽂系の学問が⾃らを正 当化するために、正確ではない科学的な⽐喩を使う悪弊 が暴かれたソーカル事件がありましたが、⼀⽅で理科系 の学問もそれを正当化するために、今度は反対にかなり 曖昧な⽂学的、美学的⽐喩を多く使うことは⾒慣れた光 景になっています。つまり専⾨化、分化し、互いに孤⽴ した諸学問は、それ⾃⾝の正当性を⾃らの知によってだ けでは訴えることができなくなってきた、ということで すね。けれど単に⽐喩として、多領域の表現を安易に使 うことは誤解を⽣み出すばかりか、それぞれの専⾨領域 が形成してきた、各々の⾃律した判断基準の信頼性それ ⾃体まで、裏切ることになりかねない。ではどうすれば いいのか? 内側から突破する、つまり徹底して諸領域の 探求、議論を掘り下げ、内側、根底から外部へ突破する、 などというのは抽象的すぎ、また簡単すぎます。 ヒント となるのは「市⺠講座」の「市⺠」という⾔葉です。市 ⺠とは何か? 市⺠はどのように可能か? 市⺠とは社会 の形成を積極的に担い、それに責任をもち判断する主体 である者、すなわち社会に対して主権をもつ者です。主 権とはこの社会がどのようにあるべきか、国家はどうあ るべきか、最終判断をする⼈々だということですね。そ れを市⺠と⾔う。学問の諸領域の分化、⾃律的な発展が 進んでいくとき、それを結びつけるものは何か。それに 正当性を与えるものは何か。この問題を考えることは、 この「市⺠」というものが成⽴する条件を考えることと、 必ずつながってくるのです。「⽂系/理系」という分節は、 例えばさらに「虚学/実学」という分節に絞り込まれて、 純粋科学ですらときに虚学に位置づけられ、まして芸術 や哲学は役に⽴たないものとされてしまう。しかし「市 ⺠」という概念を、その条件というものを考えようとす るとき、哲学や芸術こそ基本的な知になるということが あるのですね。 ── ⼤ 学 の 最 ⾼ 学 位 で あ る 博 ⼠ 号 が 「 Doctor of Philosophy」と呼ばれていることからも、それがわかり ますね。では、そもそも⼤学というのものは、どのよう な場所であり、何を学ぶところだと考えられてきたので しょうか? 岡﨑│⼤学の起源を、とりあえずよく⾔われるように中

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世においてもいいでしょう。⼤学とは必ずしも実践的な 技術だけを習得する場ではありません。技術だけならば、 今で⾔えば専⾨学校、つまり技術研修の場、徒弟制度的 な⼯房の⽅が、効率よく学べるからです。だから⼤学と は、かなり特殊な起源です。⼤学で⾏われるのは、それ らの技術についての判断もしくは評価、そして、その判 断基準の吟味、論理的な位置づけです。つまり理論を研 鑽する場所であると。イマニュエル・カントは最後の著 作『諸学部の争い』で、中世モデル以来の⼤学を、法学 と医学そして神学の上級学部と哲学の下級学部に分けら れているその意味を、批判的に分析しました。上級学部 の三つは、いわば国家システムが社会を統治する三つの 基準を⽰している。⼈間社会を統治し計る基準は法学。 ⾝体を統治し管理する基準は医学。⼈間社会を越えた世 界を統御するのは神学。例えば、何かの技術がある。そ れが何の役に⽴つのか、良いか悪いかと問うときに「健 康によい」とか「精神にうるおいを与える」とか⾔えば、 社会的な合意が獲得される。となるとこれは、最終的に 医学の領域となるわけですね。あるいは「泥棒してはい けない」というのは法学の領域である、と。これらの三 つの分野は、国家があらかじめそのシステムに組み込ん でいる正当化の三つの領域を代表している。⼤学はそう いう正当性を与える理論や権威を勉強する場所なのです。 しかしながら、下級学部として位置づけられていた哲学 は――そこに芸術も⼊れていいでしょう――そうした社 会のプログラムに組み込まれ得る⽬的に基づいていない。 ではそれは必要でないか? という論争があった。それに 対する応答が、カントの『諸学部の争い』です。 簡単に ⾔えば、以上の法学、医学、神学という三つの学部は、 既存システムに対しての合⽬的的な判断、つまり合シス テム的な判断しかできないということです。すると、こ のシステムそれ⾃体の良し悪しの判断はどのようにやる か? そのシステムが機能不全になったときにどうする か? 法学、医学、神学は通常の技術(学部)よりも上位 ではあるけれど、規定的判断を前提にしている。であれ ば、規定的な技術を習得させる専⾨学校の理論編くらい にすぎないことになる。ところが哲学は、こうしたそれ ぞれの技術内の都合、規定的判断、すなわち突き詰めれ ばそれぞれのシステムの効率、エコノミー、利害に作⽤ されない。いかなるシステムの都合からも離れて判断で きる。反対に⾔えば、下級学部としての哲学は、すべて の技術の基礎を学び直すことで、それを問い直すことが できる、哲学部のなかにはすべての専⾨領域が含まれて いるというわけですね、⼤学の中の⼤学だと。哲学だけ で⼤学であると。 それ以外の上級学部、法学部、医学部、 神学部は既存の制度を前提として、それを成り⽴たせる 概念から規定的に延⻑される規定的な判断しかなしえな い。それだけだと、どうなるか。例えばサッカーチーム が固定したメンバーによって戦略が⾏き渡り、完成度が あがった途端に機能不全を起こす、ということがある。 システムが完成した途端に。そのときにどうするか。控 えの選⼿がいる、いや、新しいメンバーを投⼊して、シ ステムを⼊れ替える。では、この外部性はどこで確保さ れるのでしょうか? いわばカントはメンバー全体の配 置を変え、チームシステムそのものを組み替えることが 反省的(総合的)判断だと考えたわけです。メンバー個々 の差異の総合から、別の概念、別のシステムが導き出さ れる。下級学部としての哲学は、このシステムにとって の外部性を維持し、育てる場所、既存の場所に位置づけ られない場所なのです。それが哲学であった。そして芸 術というカテゴリーは、この哲学を補佐するものとして 現れたと⾔ってよいと思います。例えば哲学には⾃然哲 学も含まれます。⾃然科学において⾃然を観察する。そ こで重要なのは⾔うまでもなく、観察から法則、理論を 導き出す反省的(総合的)判断⼒です。それでは、観察 =知覚に⼊ってくるその特殊な経験が、必ず、いまだ把 握されていない普遍的な法則に則しているという直感は、 何によって与えられるか? これが美的判断⼒に位置づけ られます。その意味で芸術というカテゴリーは、哲学を 補うものですが、しかしそれだけではない。 ──アンチノミー展 [*5]で扱われた主題ですね。岡崎さ んのテキスト「準備と注解」では、アルブレヒト・デュ ーラーが『⼈体均衡論四書』で、「美」という唯⼀の基準 によって作画するのではなく、その変形パターンを網羅 的に洗い出し、奇形という例外に着⽬したことなどの例 が挙げられていますね。 メタ技術としての芸術と美術⼤学が抱えるアポリア 岡﨑│それぞれの表現ジャンルはさまざまな個別の技術 で成⽴していますが、それらの技術が社会的な場⾯で役 に⽴つという役割を⼀時的に失効してしまったとき、そ

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の技術はもう役に⽴たない、無⽬的なものとして破棄さ れるべきでしょうか? もしそうであれば、技術の合⽬的 性も整合性も、それを使う側のニーズによってそのつど 変わってしまうことになる。例えばソロバンとか摩擦で ⽕を起こす技術などは、すでに現在の社会では役に⽴た ないとしても、その技術を成⽴させている固有な組み⽴ て、その整合性や合⽬的性が変わることはないでしょう。 ソロバンが電卓に代わっても、ソロバンの技術を成⽴さ せる固有の技術のロジックは、消去されることがない。 つまり、それらの技術が合⽬的的だと⾔われるとき、そ の⽬的は外からのニーズにあるのではなく、それぞれの 技術、具体的には道具に内在化していると考えられるべ きなのです。 ⼀端過去のものとなった技術が、思いもか けないところで復活して、新しい発明に結びつくことが ある。例えばデジタル時計はカレンダーから発展したも のであり、アナログ時計は⽇時計から発展したものであ り、そもそも起源も違うし組み⽴てが違うのです。本が 電⼦書籍に置き換わるかという問題で本質的なのは、⾴ をめくることとスクロールで読むことという表⽰の違い です。「⾴をめくる」という表⽰の仕⽅は、スライドショ ーに近いのですね。デジタル時計にも近い。⾴から⾴へ ⼀挙に⾶ぶ。本はデジタルな表⽰⽅法だったということ です。それゆえ電⼦書籍が⼀般的になっても、その本に 由来する表⽰⽅法までは消去できない。むしろ電⼦書籍 は⾴による表⽰⽅法を復活させたゆえに書籍と称してい るわけですね。このように、さまざまな特殊な技術があ り、それぞれが固有の原理、論理、価値基準をもってい る。この特殊を保存、担保しながら(つまり現実のユー ズ、都合にしたがって消去したりせず)、つまり特殊を特 殊として認めながら、そこに普遍的な価値を⾒い出すこ と。つまり、他の技術と連携しうる可能性を⾒い出すこ とが重要です。すなわち、役に⽴たないが、きっと役に ⽴つ、と。その普遍を⾒い出すことが、芸術というメタ 技術の役割として期待されるものでした(美が特殊から 普遍を導き出す判断⼒であることと平⾏しています)。そ してそれは、⾃分の⽬的に沿って道具を作るのではなく、 道具をその特性にしたがってどう使いこなすかという知 とも、つながっている。 ──芸術がメタ技術だとしたら、芸術⼤学における学部 の区分は、どのように決められているのでしょうか? 岡﨑│そうですね、では先ほどの⼤学の分析に沿って、 芸術⼤学というものを考えてみましょう。芸術、少し絞 って、例えば「美術」は技術と⾔えるかどうか? もちろ んその表現を⽀える個々の技術、例えば鋳造、⽊彫、油 画などはそう⾔えるでしょう。しかし先ほども⾔ったよ うに、⼤学というものの意味を考えると、こうした技術 の習得のみならば、⼤学よりも(職業)専⾨学校などの ほうが、はるかに効率よく教えることができるはずです。 あるいは⼯房に徒弟に⾏ったほうがよい。とりあえず⼤ 学とは単に技術の習得施設ではない(その発⽣において も)。では、芸術⼤学とは何か。芸術⼤学は諸技術の判断 基準を探求するものだ、と⾔ってもよいでしょう。しか しその基準の位置づけは、法学部や医学部、神学部のよ うな上級学部的に権威づけるやり⽅なのか。それとも哲 学のような下級学部のようなやり⽅なのか。そこで議論 は錯綜してきます。今話しはじめたのは、哲学を補完す るものとしての芸術のことなのですが、それは⼤学にど のように位置づけられるのか、という問題があります。 実際、美⼤の歴史は、これまでに述べてきた⼤学の問題 を反復しているとも⾔えます。美術⼤学では、彫刻科、 絵画科(洋画、⽇本画)、版画、デザインと分野に分かれ ています。さらに芸術⽂化学科などというものもある。 専⾨学校であれば、この分節は意味があるかも知れませ ん。けれどこの分節が社会を構成する重要な諸技術を反 映して設けられているだけであったら、新しい技術が⽣ まれるごとに、組み替えられなければならない。版画科 というものとグラフィックデザインの分節は適切かどう か、ということになります。時代に応じて増設したり、 減らしたり、もちろん美⼤だけの問題ではありません。 技術の習得、マニュアル習得、資格の習得が⽬的であれ ばこうなります。そしてそうであれば専⾨学校のほうが 断然効率がいい。写真やイラストや映画の習得や建築⼠ 免許をとるための勉強だったら、今はそうでしょう。 技 術習得を⽬的として学部を編成してしまったとき、美⼤ の各部⾨が膠着するのは今にはじまったことではありま せん。東京美術学校(東京藝術⼤学の前⾝)ですら、絵 画修復などの科⽬を除いてすぐこうなってしまう。もし 美術⼤学が特権的に芸術を定義する、オーソライズする 機関であることに失敗してしまうならば、すぐに学部の 編成も空転をはじめてしまうというわけです。端的に、 美術⼤学は美を定義する権威をもつ機関である、と少な くとも国⽴⼤学としての芸術⼤学では考えられる。けれ

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どその組織化はうまくいかなかった。芸術は法学部や医 学部や神学部のようには位置づけられない。例えばアカ デミー、フランスのボザールは、美術を規範として法の ように位置づけようとした。あるいは芸術を医学のよう に位置づける、もしくは⼯学的そして数学的に位置づけ て形式化しようとする試みが広がる。いずれにしてもそ れらは、規定的判断として成り⽴つように組織しようと したということですね。東京美術学校の設⽴に関与した アーネスト・フェノロサは美を哲学に位置づけようとし たように⾒えるけれど、詳細にみれば彼も(彼のいう哲 学も)、美を規範=法として扱おうとしたと⾔えます(芸 術を神学的には位置づけようとする試みは、近代国家に おいては、おおよそ歴史主義にもとづく象徴形式まがい のものへと転位し、やがて破綻します)。ここでようやく カントの論じた話につながるかもしれません。芸術学校 において、芸術は国家の秩序にもとづく上級学部(すな わち法学部、医学部、神学部)には位置づけても、膠着 してしまうだけである。というのも芸術は、あらかじめ 確定された規範から演繹されるものではないから。特殊 から規範を導き出すための⽅法だからです。 つまり、芸 術が法学や科学、数学に位置づけられるのではない、実 際は逆なのだ、というのがカントの考えであり、また東 京美術学校で講演した夏⽬漱⽯の考えでもありました。 法学こそが実は美学、芸術に位置づけられる。漱⽯が考 えたように、なぜ美⼤の学⽣がほとんど独学的にであれ 「芸術とは何か」という問題に直⾯し、ひきこもりにな り、そのとき「現実とされる社会とは何か」という問題 を考えはじめることになるか。このある種、本能的にも みえる反復される⾏動パターンは、こうした問題に由来 します。実は個々の学⽣の問題ではなく、美術⼤学とい う存在⾃体が「芸術とは何か」という定義を要請する(⼤ 学である以上、それは絶対に迂回できないのです)。しか しこの原理をもとに構成された学校はなかなかありませ ん。 ジョン・デューイの教育プログラム ──学校という教育機関は近代において、国家における 国⺠をつくり出す⼀つのシステムであったとも思うので すが、教育の歴史についてどのようにお考えですか? 岡﨑│近代国家が成⽴する過程で、規律訓練型の、いわ ば近代国家がその技術的な基盤(インフラ)とする OS を、個々の国⺠の⾝体に植えつけるという教育が、制度 化されていきます。確かに義務教育というのはそうした ものでした。けれどこれが浸透していく過程で、⼗九世 紀の終わりに、新しいタイプの学校が⽣まれはじめます。 代表的なのはジョン・デューイがシカゴにつくった実験 学校をモデルとする、新しい学校ですね。⽇本の⼤正⾃ 由教育を代表する⽂化学院や⾃由学園、⽟川学園あるい は明星学園などの学校は、デューイの影響を強く受けて いる。デューイは⽇本に 1919 年に来⽇もしています。例 のブラック・マウンテン・カレッジも、設⽴は⾃由学園 などよりむしろ遅れていますが、デューイの影響を受け ている。 デューイの実験学校の最⼤の特徴は、⼯房そし て実験室というものを教育機関の中⼼に置くことにあり ました。よく知られているようにデューイの学校では、 裁縫や料理、⼤⼯仕事などの具体的な仕事=オキュペー ションを、さまざまな学科のカリキュラムを相関させる 仕掛けとして⽤います。教える側がノルマ(教科)とし て考える、数学、物理、地質、⽣物、芸術、⾔語、歴史と いう科⽬のカテゴリーを、教わる側のこどもたちから⾒ 直すと、それらは、1. ⼯作すること――コンストラクシ ョン、2. 実験すること――料理、3. 物語ること――記録、 伝達、という 3 つのカテゴリーになる、と考えるのです。 芸術は 1、2、3 のすべてに関わる。1 は裁縫や⽊⼯など、 すでにできている技術を、こどもたちが実際に体験して みるということに近いけれど、2 は与えられた条件のな かで何ができるかを考える作業です。あるいは、何かが 現象したことを、なぜそうなったか仮説をたて、その仮 説が正しいかどうか実験し、何度でも再帰できるような 条件を考える。つまり、不安定な現象を安定した技術に なるよう、試⾏錯誤していく。これは⾃然科学における 観察という⾏為の基本でもありますが、⾯⽩いのは実験 が料理と結びつけられているということです。こどもた ちにとって実験室、理科室での演習は台所で料理するこ とに近いということです。これは本当にその通りだと思 う。3 は⼈に伝える、表現すること、そして表現されたも のを理解することです。ということで芸術は 1、2、3 す べてに関わっている。このデューイの学校の建築をみて みると、学ぶ側からの 3 カテゴリーに応じて⼯房、実験 室、そして教室と三つに分かれている。ここで重要なの は⼯房の役割が⼤きいのはもちろんですが、実験室の割

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合が⼤きいということです。ミニマムでこの三つの部屋 が必要。研究室、ギャラリー、教室のミニマムな四⾕と 同じです(笑)。 デューイの本のタイトル(『経験と教育』 『経験としての芸術』など)からもわかるように、デュ ーイの教育モデルで重要なのは、経験から何かを学ぶこ と、つまりあらかじめ答えが与えられていない場所で、 こどもたちが試⾏錯誤をして、そこにある理論、法則を 発⾒するということです。まさに規定的判断ではなく反 省(総合)的判断⼒の能⼒を育てることが重要視されて いる。そのための装置として実験室というのは⼤きな役 割をもっていた。ただ実際の活動、仕事(オキュペーシ ョン)を通して、さまざまな科⽬を横断するというので はない。その横断をするには、そのつど仮説を⽴て実験 を繰り返し、実証し精度をあげていく試⾏錯誤の過程が、 必要だということですね。哲学そして芸術にカントが託 した役割、反省(総合)的判断⼒の育成⽅法が、もっと 実践的に装置化されている。つまり、個々の特殊な経験 から普遍が引き出される⽅法が、実験であると。芸術で 「実験主義」とか「実験芸術」という⾔葉がありますね。 実験芸術と呼ばれるものが、予定された確定的な結果に 異議申し⽴てするものであるのはもちろんですが、かと ⾔って、ただ特殊な出来事を引き起こせばいいというわ けでもない。その特殊からいかに新しい認識、普遍を引 き出すか、その過程にこそ価値を⾒い出すのが実験芸術 の核⼼であったことで、これもデューイの実験教育のプ ログラムから引き出されてきた考えであるとも⾔えます。 つまりデューイ流のプログラムにおいて、芸術は新しい 概念発⾒、創出のプロセスであると考えられたというこ とです。 ──「実験芸術」と⾔うと、かつて四⾕で開催されてい た連続イベント、エクスペリメント・ショーの宣⾔⽂[*6] を思い出しますね。「芸術において実験は、ほんらい、⾃ 分の実感、感覚を信じないところからこそ⽣み出された。 すぐれた芸術家で⾃分の感覚を信じた⼈間はいない」と もおっしゃっています。 岡﨑│このように考えれば、デューイの教育は、たとえ オキュペーションとよばれる⽣活実践が核⼼にあったと しても、そして、裁縫や料理や農業や⼯作などの作業を いかに多く含んでいたとしても、よく勘違いされている ような共同体、コロニーまがいのものをつくろうという 運動ではなかったことは明らかだと思います。そういえ ば⾃由学園のスターが村⼭知義であり、ブラック・マウ ンテンのスターがロバート・ラウシェンバーグであって、 この⼆⼈の⽅法が似ているのは決して偶然ではないです ね、⼆⼈とも裁縫仕事が⼤好きだったし。教育とは、⽣ 産⼿段と個々の主体(こども)との関係を、具体的で⾝ 体的な関係、つまり⼿で直接触れ経験できるもの、試⾏ 錯誤、変更可能なものとすることです。その試⾏錯誤を 通して、⽣産⼿段とこどもたち(主体)との関係を可塑 的なものへと開く。ひいては主体⾃体(⾝体所作そして 認識)の可塑性をつくりあげる、鍛えるということにな る。経験に開かれた主体をつくる。あるいはそのつど新 しい特殊な経験から、そのつど新しい認識、技術を引き 出すことのできるような主体を確保する。規律訓練型の 教育が与えられるシステム、⽣産⼿段に⾝体を適合させ る、マニュアルを植え込むことだったとすれば、そこで 主体を決定するのはシステムです。⼀⽅デューイ⽅式で は、⽣産⼿段と主体との関係を偶有的なもの、可塑的な 関係に再度開く。その装置として重要なのが実験室、オ ールマイティの⼯房だった。そこで何でも⾃分でつくっ てしまう。[*7] 実験室と市⺠の条件 岡﨑│近代の条件は産業⾰命だったと⾔われます。産業 ⾰命は⼯場制機械⽣産によって成し遂げられますが、し かしその条件は、それに先⾏するマニュファクチュアつ まり⼯場制⼿⼯業によっている。⼯場制⼿⼯業における 変⾰とは、従来の⽣産技術そのものではなく、それに対 する⼈間の関わり、組織を変更することによって成し遂 げられた。つまりマニファクチュアの時代の⼯房とは、 ⾃由にプログラムを組み替えることのできる実験場だっ たということです。主体の可塑性がそこで⾒い出された。 これが⾃由に判断する、市⺠という概念が⽣まれる条件 ともなった。デューイの実験室は、ここに直結していま す。⾔うまでもなく、啓蒙主義と産業⾰命、そして市⺠ ⾰命は連動しています。資本主義、産業⾰命の条件は、 ⽣産システムの構成員つまり労働者を⼊れ替えられるこ とであり、それを切り捨てたり⼈数の増減が⾃由にでき るということです。労働者はいつ失業者になるのかわか らず、また別の仕事につく可能性がある。冷酷な条件で すが、労働者は主体として特定の⽣産⼿段には固定され

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ていない、ということでもある。 先ほど述べた規律訓練 型の近代教育、つまりシステムに合わせて⾝体も精神も 型にはめる、⽣産システムに規定された主体に反して、 むしろ、いつ放り出されるかわからない労働者にとって、 特定の⽣産⼿段に規定されず、いかなるシステムにも適 合できるような可塑性が能⼒として必要となる。資本主 義という制度側からみても、それはつねに所属する組織、 システムを特定化しない余剰の⼈員があることを条件と しているとも⾔えます。それは端的に失業者のことであ り、いずれ「システムを特定化しない」のは、産業⾰命 以降の労働者の条件でした。⽣産⼿段そして⽣産過程か ら疎外された主体、ゆえに⽣産システムに⽀配され規定 される主体。確かにそうとも⾔えますが、同時にこの主 体は、いかなるシステムにも特定化されない可塑性をも 備えていなければならない。「システムからの疎外」を積 極的に捉えれば「可塑的である」ということです。けれ どもその「積極性としての可塑性」はどうやって確保さ れるのでしょうか。機械制⼯場⽣産に先⽴つマニファク チュアの時代には、システムと主体との関係を組み替え る可能性に開かれていた。技術⾰新を、⾃らの⾝体を介 ⼊させて⽇々開発することができた。これが機械化され ると労働者はただ、いかなる特定された機構にも所属し ない者になってしまう。機械⽣産つまり産業⾰命後に、 この可塑性を維持する実験室はどのように確保されるの か。デューイはそれを教育の場にもとめた。教育の場は その意味で、つねにオルタナティブな開かれた実験⼯房 である。これがいかなるシステムからも⾃由に判断する、 「市⺠」の条件であるとすれば、教育というより学習、 実験は、⻘年期までだけで完了するというものではあり えない。 啓蒙主義の時代すなわちマニファクチュアの時 代に、私塾が世界中で⽣まれました。⽇本でも懐徳堂や 本居宣⻑の鈴屋、杉⽥⽞⽩の天真楼、あるいは千葉周作 道場のようなものまで、さまざまな私塾ができました。 慶応義塾も同志社も、もともとは私塾です。⾔うまでも なく塾はそろばんや習字などの稽古だけをするところで はない。むしろ私塾は同時代のカントがいった意味での 哲学(⾃然哲学を含む)や芸術こそを教えたのです。懐 徳堂で⾔えば富永仲基という天才が現われた。あるいは その少し前には三浦梅園や平賀源内という⼈もいた。ほ ぼ同じ時代です。彼らの特徴はみな恐ろしいほどの博覧 強記であるだけでなく、むしろ体系への志向があったこ とです。ほとんどは制度の中で学問をやったのではなく 私⼈、町⼈として、つまり「市⺠」として、学問をした のです。そしてその時代、こういう学問を必要とする⽀ 持者たち、多くは町⼈、あるいは上層階層から外れた者 が⼤勢⽣まれていた。彼らには、既存の⽣産体制のほう が個々の⼈間=労働者よりも⼀過的であり、変化するも のであるという⾃覚があった。また、ある技術に習熟し ても、この技術はすぐ使い物にならなくなり、新しい適 応を求められることが必然になった。いつでも失業する 可能性に直⾯している労働者つまりプロレタリアートに カール・マルクスが期待したのも、あらゆるシステムに も特化されず、反対に⾔えばいかなるシステムにも適応 できる、みずからの可塑性をむしろ⾃覚できる可能性を もっていたからでしょう。この可塑性こそが啓蒙主義の 要にあったと僕は思います。いかなる規定的判断もきっ と無効になる、その必然を⾃覚している者。そしてそれ が「市⺠」ではないか。 「市⺠」の条件は、その可塑性 からくる過剰な活動、すなわち好奇⼼=勉強です。そし てそれを可能にするのは、彼がつねにそれを鍛えること のできる実験場、⼯房に出⼊りできているということ、 あるいはそれを⾃前でもっているということにある。カ ウンターカルチャー的に⾔えば、「ガレージ」が重要(ち なみに四⾕のギャラリーは、もともとガレージだったの を改造したものです)。それはそのガレージから⽣まれた ガレージ・パソコン=マッキントッシュの発想にも、そ のままつながります。パーソナル・コンピュータは、す べての既成の技術をアプリケーションとして実験できる ためのものだったのですから。すなわち、誰もが⼿にも てる実験室。持ち歩くことのできる実験室、⼯房です。 ──『芸術の設計』[*8]という本で、個々のジャンルの歴 史とパソコンのアプリケーションとの相関関係が分析さ れていますね。 岡﨑│つねに実験とともにあること、実験室を維持する こと。これが社会システムに内属した判断、合理的で効 率的判断ではなく、その外部に出て判断することを可能 にする、市⺠が社会の主権たりうるための条件です。ジ ョン・デューイの教育システムからブラック・マウンテ ン・カレッジが⽣まれました。バウハウスからウィリア ム・モリスのアーツ&クラフトに遡っても同じことが⾔ えるでしょう。モリスたちの運動でも「⽣活と芸術を結 びつける」とか「思想と⽣活実践をむすびつける」とい

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うよりは、⽣産⼿段と主体との可塑的な関係を取り戻そ うとした点こそを、改めて再考、評価するべきだと思い ます。つまり可塑的な⼯房を取り戻すこと。モリスにし てもその後のバウハウスにしても、近代社会になってバ ラバラに分化してしまった諸技術、⼯芸技術を、かつて の中世教会をモデルに建築において(として)再統合し 直すという理想主義だけだったら、ただ新しい安定した 秩序、制度をつくろうとしていただけにみえる。スタテ ィックで時代錯誤なモデルにしか⾒えない。けれどモリ スの⼯房がそうでなかったように、バウハウスの議論の 中でも⼀番重要なのは、造形物ではなく、造形を通して 主体の可塑性をいかに取り戻すか、あるいは主体の可塑 性という仮説をいかに建築や舞台を通して実現するか、 ということにあった。 こうして教育と芸術の関わりを改 めて⾒直してみると、芸術が、何であれ何か新しい事象 にぶつかってそれにフレキシブルに対応し、そこから新 しい概念、新しい⼿法を学習できる能⼒、つまり学習す る⽅法=能⼒それ⾃体を習得する⽅法として位置づけら れてきたことがわかります。可塑性それ⾃体を確保し、 維持する装置として芸術実践はあった。いわば美術で造 形されるのは主体である。主体の可塑性を確保し、実験 しつづけることが芸術であった。例えば現在、巨⼤なア パレルメーカーにみられるように規律訓練型そのままに、 マニュアル通りの⾏動を労働者に刷り込み、それ以外の ⾏動の誤差をなくすという⽅法が増えてきている。けれ ど⼀⽅で終⾝雇⽤制という⽅法は滅びつつある。企業は かつてより、たえまなくシステムを⼊れ替える必要があ る。労働者はいつ放り出されるかわからず、新しいシス テムにすばやく適合できる能⼒がもとめられてもいる。 企業にとって、たえず⼊れ替わり⼊ってくる労働者に対 し、マニュアル刷り込みは効率がいいのでしょうが、そ のたえず新しい刷り込みに対応できる⼈員はどこで確保 するのか。主体をマニュアルで固定すればするほど、主 体の可塑性は硬化してしまう。たえず⼊れ替えられる場 所では、⼈は互いにライバル関係におかれますから、職 場が学習の場になることは難しいとも⾔えます。システ ムの⼊れ替えが早くなればなるほど、システム内の教育 では、それに対応できる⼈員も能⼒も確保できなくとな るという⽭盾が出る。システムの⼊れ替えが前提となる ならば、労働者も経営者もそれに対応する技術、能⼒を システムの外で会得する必要がある。社会に出てもつね に⾃らを鍛錬しつづける必要がある。啓蒙時代の塾、デ ューイなどが考えた⼯房、実験室モデルは、現在でこそ 有効だと思います。 ──四⾕アート・ステュディウムの募集要項には、こう 書かれていましたね。「四⾕アート・ステュディウムは、 まったく新しいシステムの芸術の学校です。ここで⾏な われる全ての活動は、それ⾃体が具体的な⽣産を⾏なう 実践の現場であり、研究、⽣産の成果を社会へ発信し、 異なる世界を結びつけるメディアとして機能するよう構 成されています。社会の⼿前のぬくもりに待機する学校 ではなく、社会が⽣成するひとつの⼯場であること。こ れが四⾕アート・ステュディウムのコンセプトです」。こ こでは「⼯場」と書かれていますが、これは今⽇話され たような実験室、⼯房として設計されていた、というこ とですね。 註1 1.四⾕アート・ステュディウムは、近畿⼤学国際⼈⽂科学研究 所を⺟体に、美術家、批評家、詩⼈、⾳楽家などの講師陣をむ かえて、2004 年に設⽴された芸術の学校(2014 年閉校)。カリ キュラムは「制作ワークショップ」を中⼼に、ワークショップ と 連 動 す る か た ち で 基 礎 技 術 訓 練 「 SKILL 」、 理 論 講 座 「 THEORY 」 が あ り 、 こ れ ら 3 つ の 柱 で 構 成 さ れ て い た。 http://studium.xsrv.jp/studium/index.htm 2.四⾕アート・スデュディウムで⾏われた演習の⼀部は、以下 の 講 義 録 で 読 む こ と が で き る 。 http://studium.xsrv.jp/studium/archives/

3.教室や併設ギャラリーGallery Objective Correlative、学外で ⾏ わ れ た イ ベ ン ト は 、 以 下 の サ イ ト を 参 照 の こ と 。

http://studium.xsrv.jp/gallery/index.html http://studium.xsrv.jp/studium/report.htm

4.四⾕アート・スデュディウムが制作した出版物は以下。

http://www.artstudium.org/infomation/2009/05/post_14.htm

5.2003 年に Gallery Objective Correlative オープン時に、その こけら落としとして開催された展覧会。詳しくは以下を参照の こ と 。 http://studium.xsrv.jp/gallery/exhibition/antinomie/index.htm l 準 備 と 注 解 | 岡 崎 乾 ⼆ 郎 http://studium.xsrv.jp/gallery/publishing/jyunbi.html 6.芸術とは実験である(科学には《この経験》こそが必要であ

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る ) | 岡 崎 乾 ⼆ 郎 http://studium.xsrv.jp/studium/2007/experiment/about.html 7.主体の可塑性については、『美術⼿帖 2008 年 8 ⽉号 特集 現 代アート基礎演習』の INTRODUCTION「BE A SUPERMAN ! プ ラ ス テ ィ ッ ク な タ マ シ イ な ワ タ シ 」 を 参 照 http://studium.xsrv.jp/studium/news/2008/07/20088.html 8.http://studium.xsrv.jp/studium/news/2007/05/post_1.html 2 実験モデルによる演習とその⼿法 https://kagakuukan.org/jpn/texts/art_education_science /2 (2020.3.29 取得) 閉じた実験室がなぜ有効なのか ──前半のお話では「可塑性」、そして「実験室」がキー ワードでした。要約すれば、⼯房、実験室をもつことで、 ⽣産⼿段と主体との可塑的な関係が保持される。実験室 としての教育装置をもつことが、システムに従属し規定 されるだけではない、旧来のシステムが硬化し機能不全 を起こしても、あるいはシステムから外に放り出されて も、新しいシステムを準備しそれに対応できる可塑性を 保つための条件になる。その可塑性を獲得させる術こそ が、芸術である、と。それは振り返ってみれば、さまざ まな具体的な演習が掲載された『美術⼿帖』2008 年 8 ⽉ 号の「現代アート基礎演習」の特集で岡崎さんが掲げら れていた、芸術の定義でもありました。ちなみに、その イントロダクションの副題は「プラスティックなタマシ イのワタシ」。そこにはこんなふうに書かれています。 ──「芸術は⼈間に魂を⾃覚されるための⽅法」である。 あらかじめ「魂がない⼈間という⽣物のための」。では「魂」 とは何か?「魂というものは不定形である」「これを芸術 の端緒とする」。不定形とは⾔い換えれば「可塑的な状態、 プラスティックということ。芸術はプラスティック・ア ートという」が、「実は魂がプラスティックだった」。 後 半では、こうした実験室としての四⾕の演習の特徴、わ けてもその⽅法的な特徴について、具体的にお聞きでき ればと思います。 岡﨑│はい。おさらいすると、産業⾰命以後、ますます 分裂が加速してしまった諸領域、諸専⾨技術の有機的な 連関をいかに取り戻すか、という問題がありました。分 裂してしまった諸技術をいかにまとめるか。その統覚を いかに取り戻すか、というような。ウィリアム・モリス からバウハウスに⾄る流れも、そういう問題設定で理解 されてもきました。「統覚」というと、ついすべてをまと める中枢のように考えられてしまうけれど、むしろ重要 なのは、もっと唯物的な、実験装置としての⼯房の役割 です。この⼯房は⽣産⼿段として考えると、ママゴトの ような⼩さな規模のものです。けれど、機械による⼤量 ⽣産に到底対抗できない規模のものでもいい。この⼯房 の意義は、実験室として機能することこそが、重要だか らです。実験室をもつことによって、⽣産⼿段を奪われ、 そこから疎外された労働者は、能動的に⽣産過程に介⼊ できる。というよりも、正確に⾔えば、機械⽣産によっ てブラックボックスになってしまった⽣産過程の変更可 能性を⼿にできる。すなわち、試⾏錯誤し⽣産過程を組 み替える、その可塑性を⼿にできる。 ⽣産⼿段から疎外されるということは、いかなる⽣産⼿ 段によっても規定されないということであり、それは⾔ い換えれば、労働者に、いかなる⽣産⼿段からも離れる ことのできる、⾃由な主体をもつ可能性を与えるもので もあった。だがそれだけでは可能性に留まる。失業者で あることに留まる。このどこにも所属しない宙吊りの状 態に、教育ないし鍛錬装置としての、可変的な実験室の ような⼯房を設置するわけです。いかなるシステムに所 属しても、あるいは失業しても、この⼯房は個々の⾝体 につねに実装され携⾏されているものとする。可塑性を 維持するための装置として常に内在化させる。⽇々の研 修の場というのは、この実験室、⼯房として位置づけら れるべきだと。 このように実験室モデルは、(哲学に期待されがちな役割 のような)上からの超越的な視点から諸領域を統覚する のとは、まったく異なるものです。もちろん、すべてを 包摂する建築のような、全体的モデルを考えるのともま ったく違う。実験室の基本的条件はむしろ、個々の状況 をその特殊性に則して隔離することにある。実験室は閉 じ込もる場所でしょ(笑)。外部の全体状況と離れて閉じ 込もる場所をもつこと。それが実験室としての教育モデ ルの特徴でもある。実験室の中は、実験ごとに外部の状 況から遮断された別の状況が組み⽴てられている。実験 は、厳密に条件が絞り込まれていなければならない。「他

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の実験とこの実験は異なる」。異なる実験ごとに実験室は 異なる実験室になる。外部と遮断されているだけでなく、 異なる実験を⾏う実験室と他の実験室の状況は相互に切 断されている。にもかかわらず、実験室において領域の 横断性が得られるとすれば、すべてを⾒渡す超越的な視 点によるものではなく、場所の条件の限定性を、そのつ ど可変的に変化させることができる、その状況を作り出 せるということによります。つまりいかなる状況も可塑 的である。それが「実験」ということの意味です。 ──以前、国⽴国際美術館の 30 周年記念シンポジウム などでおっしゃっていた「C 系列」をいかに確保するか、 という問題ですね。[*1]哲学者ジョン・マクタガートの 時間論の A 系列、B 系列、C 系列という区分を応⽤し、 ⼤きくまとめると、現在性に依拠する「A 系列」(美術館 における「展⽰」という機能に相当する)でもなく、単 線的な歴史展開に陥らざるを得ない「B 系列」(同じく「収 蔵分類」機能に相当)でもない、それぞれは閉じててお り独⽴している、つまりそれぞれ別の時系列をもち、ひ とつの場に通約も還元もできない、複数の⾃律した事象 の集合を考えることを「C 系列」という概念で⾔われて います。そこで「C 系列」にもとづいた第三の時間のあ り⽅、そしてそれに基づいた美術館モデルを提⾔されて いました。 岡﨑│ええ。「C 系列」の考えで重要なのはそれぞれの⾃ 律した事象空間では、同じ出来事が何度でも起こりえる のですね。出来事の⽣起の順番の必然はあるけれど、そ れは⼀般的な時間に還元も回収もできない。つまりそれ ぞれの事象空間では状況が揃えば論理として必ずそれは 何度でも起こりえる。いわば「何度でもそれができる」 という再帰性をもっている、保持しているのです。ゆえ に⼀⽅でこの閉じたそれぞれの状況は、アプリオリに固 定されているのではなく可塑的であるとも⾔えるわけで す。 この可塑性を確認し、また維持できるのが、実験室モデ ルだということです。実験室は隔絶されているが、同時 に可塑的である。実験室ではこれを実践的に試⾏錯誤で き、経験することができる。統合するのではなく、さま ざまな差異を、差異のアンサンブルを作り出せる。いか に隔離され限定されてみえる状況も可塑的である、つま りは限定⾃体が変更可能であることが、実験室によって 経験できる。それがこのモデルの有効性です。それは前 半にも⾔及した、古い技術をアプリ化し、その組み換え や接合を⾏えるようにデザインされていたという、パー ソナル・コンピュータがそもそももっていた可能性とも つながります。けれど、単に「実験室があればいい」と いうわけではありません。いま⾔ったように、実験を実 験として成⽴させる条件というものがあります。きちん と条件画定する必要がある。とすると⼤事なのは、演習 を実験として、つまり実験を実験としてどのように組み ⽴てるのか、ということですね。 仮説としての問題 岡﨑│実験が実験として成⽴するためには、ただ漠然と した経験から、いかに問題を明確に引き出すかにかかっ ている。その特殊を⽣み出したはずの条件を再帰可能な 「問題」としていかに明確に把握するか。つまりそれは、 仮説としての問題を引き出すことです。仮説を⽴てると は、特殊に⾒えた出来事を、他の場⾯でも繰り返されう る事柄として、再把握することとも⾔い換えられる。仮 説を実証すること、実践してみることで、それはやがて 技法に変化する可能性をもつ。別の状況であってもこの 条件が揃ったとき、同じ問題が成⽴し、その出来事は再 帰するとみなされる。こうして問題は問題として他者も 共有できるものともなる。つまり問題が問題であるため には他者と共有できるかどうかが条件となる。そうでな いと吟味ができない。演習が成り⽴つためには、問題が 共有される必要がある。カントにならって、特殊から普 遍を引き出す、反省的(総合的)判断⼒、と⾔いました が、美術演習の現場に当てはめれば、「特殊」とは、例え ば⾃⼰表現とみなされるような作品でも、他者と共有で きる問題として把握し直す、ということにもなるでしょ う。⽣得的なものと⾒なされがちな個性のようなもので も、可塑的なものとみることが前提となる。あるいは⽣ 得的な個性さえ、可塑的なもの、変換可能なものにして しまうことが、造形演習、表現演習の役割です。 こういう実験をモデルとした演習で、問題を共有するた めの⽅法は、とりあえず 3 つ考えられます。1 つ⽬は、 教師が課題を提出し、それを参加者みんなが共有する。 これは通常のやり⽅ですね。⾃由課題にはしない、とい うこと。2 つ⽬は、共有すべき状況を与え、その状況内で 得られる解決をみんなで考える。3 つ⽬は、学⽣(参加

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者)が問題を提出し、それをみんなで解く。この 3 つは もちろん関連しますが、うまく機能しないのはむしろ 1 つ⽬。課題を講師が与えるかぎり、参加者=学⽣は答え があらかじめ決まっている規定的な演習として応じてし まうからです。いわば中学、⾼校と慣らされてきた学習 スタイルの延⻑で、あらかじめ答えが確定されている問 題と予測し、問題の裏を読む悪弊が作動してしまう。 2 つ⽬は⼀般化された既成の⽅程式だけではうまく答え がでないような特殊な状況、すなわち、さまざまな条件 によって多重に縛られた状況を設定して、そこで最適解 を引き出すことを求めるという課題です。まだ答えが出 ていなくてもいいし、また得られるとしても特殊解であ る。つまり、答えを解く⽅程式が単⼀に絞れない。⽅程 式が異なれば答えは異なりますから、どのような⽅程式 を選択するか、⽴てるか、ということが問われる。ここ で提出される状況を拘束する条件は、予算であるとか、 ⼈的関係であるとか、スケジュールとか、どのような素 材があるか、道具、使える技術は何であるか、いくつ作 らなければいけないか、⼤きさはどれくらいか、どれく らい保たれなければいけないか、というようなもので、 表現メディアが与える規定ではなく、いわば社会的な拘 束です。そういう条件が噛み合わさったときに、むしろ いかなる表現メディアが重要かという、選択も可能にな るのですね。 E.A.T.を主導したビリー・クルーヴァー[*2]の講演は、四 ⾕アート・ステュディウムの最初のイベントでしたが、 科学者、エンジニアと芸術家が⼀緒に仕事をするときの 条件というのは問題を共有することなんですね。アーテ ィストがビリーに電話してくる。そのときに彼が質問す る。その質問に答えられば恊働作業は可能になるんだと。 で、その質問はまず「その⼤きさはどれくらいか」とい うことだと。まあそれだけではないんでしょうが、いわ ば、彼は実験が成⽴するための条件画定を⾏えるかどう かを聞いているわけです。作品のアイデア⾃体は、どん なにタワケた希望でもいい。しかし、そのアイデアの実 現を束縛する設定条件がどのようなものか、アーティス トが⾃覚していることが条件になる。 選ばれる状況は、「ゴジラと⼀緒に体育館で⼈間が暮らす にはどうすればいいか」とかいうような仮想問題の場合 もありますし、あるいは過去の作品を選び、その作品が 産出された状況を再現するということも多い。そうです ね、例えば、カジミール・マレーヴィッチが考え出した 建築モデル「シュプレマティスム・アーキテクトン」【図 1】の問題設定とは何だったのか。マレーヴィッチが当時 直⾯していた状況、彼を拘束したはずの⽂化的、歴史的 問題が多様に絡み合った何重もの条件を、遡⾏的に復原 し問題設定として再把握して、改めて解き直してみる。 読み込んでいくと、アーキテクトンの問題設定は、⼤地 のみならず空間すらないところで建築はどう建てられる かだったことが理解されます。例えば宇宙空間、あるい は地下で構築される建築のように。なぜこのような問題 構制が⽣まれたのか、それを課題として捉え直してみる。 当然、そこには政治的なファクターも含まれるし、絵画 や彫刻などの諸ジャンル間の相互の布置関係も含まれる。 マレーヴィッチの問題を受け継ぎ、制作してみるのです。 ⼤地も空間もないところでいかに建築をするか、そこで 建築はどのような意味をもつか。通常建築は、経済的に も法律的にも、⼟地に規定されています。しかしその⼟ 地を外してみないと、逆転して考えてみないと、むしろ 建築の本質はわからない。⼟地に規定されている建築で はなく、建築から反省的、実践的に別の場所、⼟地が現 れてくるようにする。アーキテクトンのみならず、マレ ーヴィッチの絵画においても、こうした問題設定は通底 しているのがわかります。 図 1 ──2007 年度の基礎ゼミで実際に⾏われた「四⾕アー ト・ステュディウム校舎をマレーヴィッチがつくったら どんな建築になるか」という課題ですね。[*3]地の部分 にまで⽩絵具が塗りこめられている《⽩の上の⽩》など の絵画作品は、すべてを図として扱う、あるいはキャン バスという地⾃体が主題であるような作り⽅をしており、

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同様にアーキテクトンは、敷地に依存せず、つまり場所 を前提とせずに場所そのものになるように組み⽴てられ ている、という問題の共通性について、そのとき講義さ れていたと思います。 岡﨑│いまは要約して抽象的に語りましたが、こうした 問題設定は抽象的に語らなくても、⼦どもでもわかるも のなんですね。海に漂流している⼈が筏を作ろうとする と、流れている流⽊にまずつかまり、それを⾜がかりに (つまり⼤地代わりにして)、徐々に流⽊をつけたしてい く。宇宙ステーションもそうやって作りますね。マレー ヴィッチのアーキテクトンはそういう問題設定を知らず に⾒ると、デ・スティルなどと⽐べて古典的に⾒える。 中⼼性をもった量塊が強調された、フランク・ロイド・ ライトまがいのシンボリックな建築のようにも感じられ る。けれど、この建築が宇宙空間にあると考えると、理 に適っているのです。⼀番⼤きく重い塊に、次々と⼩さ い塊が引きつけられていったような、つまりブロック型 をした⼤⼩の磁⽯が、互いに引きつけあって形成された ような形態になっているのがわかる。難しい⽤語よりも、 問題の把握が重要だということです。 あるいは、もっとはるかに具体的な現在の問題も課題に なりえます。特定の事件が選ばれ、それを映像や写真、 あるいは絵本でいかに表現するか、という課題になるこ ともある。[*4]けれど、いかなる場合であれ、複数の拘束 条件の重なりとして状況が規定されていると理解するこ とは同じです。いずれにせよ芸術表現の課題であるとい う限定は意味をもちません。課題を解いていく過程は、 みんなで社会的なモデルを探求、考察していく作業には るかに近いものです。とは⾔え、使える技術、技法を検 討することなしに状況画定はできないので、表現技術か ら離れることもないのです。ともかく実験室モデルは社 会モデルの構築と平⾏しています。実験室で必要なのは 反省的(総合的)判断ですが、こうした多重拘束による 判断が総合的判断であるとも⾔い換えられる。つまり重 層的な決定=overdetermination です。このように課題演 習の 2 つ⽬の⽅法は、多重拘束を導⼊し、特定の限界状 況を作り出し、みんなで共有するという⽅法だと⾔える でしょう。 3 つ⽬は、いまの 2 つ⽬を前提にして考えてもらえばわ かると思いますが、⾃由課題のように学⽣たちがもって きた作品を問題群として捉え、みんなで解いてみる。そ の可能性を展開してみるということです。けれど作品を もってきた当の学⽣が、⾃分の作品に含まれる問題を正 確に把握できていない場合があります。むしろその⽅が 多いかもしれません。どういう限定条件がそこにあり、 問題を構制しているか。そこで作者本⼈による最初の 10 分から 30 分くらいのプレゼンが終わると、作者本⼈に よる発⾔は禁⽌して、まるで作者が死んだあとの過去の 作品を探査し分析するように、つまりマレーヴィッチの 作品と同じように、みんなでこの作品を分析し、そこに 含まれている問題群、仮説の可能性を引き出し、それを 演繹し試⾏錯誤して、その可能性を吟味、展開してみる のです。場合によっては、2週間に渡って⾏なうことも ある。 ──このような過程で、学⽣と教師の差とは何なのでし ょうか? あるいは卒業というのはありえますか? 岡﨑│1 つ⽬の課題と 3 つ⽬の課題の⼀番の違いは、教 師と学⽣の関係が逆転していることですね。3 つ⽬の課 題は学⽣こそが問題を提出する。ここで学⽣と教師の差 異は、与えられた状況を分析して問題を引き出し、そし てそれを解き可能性を展開するという、能⼒の差異にし か求められません。これは教師にとって⼤変なことです が、ここで教師はむしろ勉強の機会を与えられ、⾃らを 鍛錬する機会を与えてもらっているとも⾔えるのです。 その都度、異なる意味不明な(笑)作品を解いていくこ とは、すごい緊張がありますし、ゆえにすばらしい訓練 になります。最初、学⽣は、問題を引き出すことができ ず、議論に参加できないことも多い。けれど数年経過し、 まして研究員レベルになれば、この場は、⼀緒に問題、 仮説を提出しては議論するという、まさに実験室での探 求に近いものになります。そうなれば、もう学⽣と教師 の差異は乗り越えられていると⾔えるでしょう。 ──ある意味で、卒業に値する段階に達したと? 岡﨑│とも⾔えますが、ここからようやく恊働で研究す る体制になるので、やめてもらっては困ります(笑)。⼀ ⽣とはいかないまでも。ようやく同じ議論する態勢を共 有、つまり⽂脈を共有したチームができる。実験モデル というのは、こう考えれば、実践(経験)→仮説(理論) →実践(経験)→仮説(理論)→という、たえずフィー ドバックし修正、⽅向展開し、進⾏し続けていく過程と も⾔えます。これは途中で必ず複数の道へ分岐もします が、ゆえに制作を技術として吟味し、確実に成⻑させて

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いく⽅法でもある。そして当然のことながら、これは同 時に批評を批評として成⽴させるための条件であるとい えるとも思います。もし批評がただの⾔語表現としてで なく、実際の制作にフィードバックされるものであろう とする限りは、この過程は必須でしょう。よく⽇本の美 術には批評がないといわれ、また⽂脈形成⼒がないとか ⾔われる。つまり歴史的展開、継承性がないと。しかし、 このような実験モデルにおいて、それはありえない。問 題群も仮説も必ず共有され、受け継がれ展開していくか らです。つまりスクールが必ず⽣まれる。そういう意味 で、四⾕アート・ステュディウムは、⽂脈を形成する場 になってきたとも⾃負しています。 3 つの技法 岡﨑│いままでお話したことは、演習でどのように課題 を共有するか、というおおまかな設定についてでした。 実際の演習ははるかに具体的で多様ですが、詳しくは具 体的な記録などを参照していただければと。もちろん実 際に演習に参加してもらうことがベストですが(笑)。実 験を⾏う主体が可塑的に変化していく過程はやはり、体 験してみないとわからないものですから。実験モデルは、 語ってきたように、参加者に問題解決的な態度を要請し ます。実験は、問題解決的な態度によって、はじめて機 能する。そして、この問題解決的な態度を育成する、つ まり精神の可塑性を育成するプログラムが、学習プロセ スだということです。 ──課題をいかに共有していくかについて、お話いただ きましたが、特殊から仮説を引き出すためのコツ、技法 のようなものはあるのですか? 岡﨑│B ゼミの頃から考えると 30 年近く、四⾕アート・ ステュディウムで本格的にカリキュラムを組んでから 10 年を越えました。試してきた技法は数限りなくありま すが、振り返ってみると⼀番有⽤だと思える⼿法は 3 つ くらいに絞られます。1、アッサンブラージュ。2、⽐例 ─⽐喩。3、サイバネティックス。この 3 つです。 1 つ⽬の〈アッサンブラージュ〉は、先ほどの多重拘束と も通じています。異なる⽣産過程で作られたな事物をど のように組み合わせるか、という⽅法です。正確には、 異なる事物をただ並列するのではなく、異なる時間軸を もっている⽣産過程をどのように出会わせるか、と⾔っ たほうがいい。その意味で、アッサンブラージュの核⼼ をもっともよく⽰すのは、⽇本⽂化の数寄屋造り、その 「数寄」という概念だと思います。これは料理のすきや きの「すき」の語源でしょう。数を寄せる。例えば、北 ⼭絞り丸太は確かに貴重な材ですが、重要なのは個々の 材料の貴重さそのものよりも、まずは規格も⼯法も⼀元 化できない異質の材料を、いかに組み合わせるかという その都度の⼯夫、調整にある。それぞれの材料を貴重に しているのは、個々の材料そのものというより、異なる ⽣産現場で異なる時間スケジュールで⽣産された、互い に滅多に会うことが適わぬものの数々が、そこで⼀同に 遭遇しているという、その機会の希有さにこそある。そ ういう意味で「数を寄せる」とき、⼀番⼤変なことはむ しろ⼯程の調整です。例えば、⽊組みと⼟壁の⼯程をど う合わせるか。⽊は組んでも乾燥させるのにときには数 ヶ⽉かかる。それぞれの制作⼯程が違う。職⼈も技術も ⽣産地も違う。こういうものを、いかに種類を多く多彩 に組み合わせるか、それが数寄屋の妙ですし、すきやき の妙ともなっている。これは互いに多忙な⼈々を多数集 めてミーティングしなければならないときの、⽇程調整 の難しさに似ています。 このように、アッサンブラージュは異なる⽣産過程、つ まり互いに⾮同期な多数の時間軸、⽣産過程をいかに編 み合わせるか、という⽅法です。いわゆるコラージュと 呼ばれる⽅法のように、異なるイメージを出会わせ並列 するというのとは、根本的に異なります。サッカーのゲ ームが、11 ⼈の異なる個性のそれぞれが⾏なう、基本的 に⾮同期な運動を組み合わせて、組み⽴てられることと も似ている。多重拘束の状況で何かを作るには、こうい う時間と場所の隔たり、⾮同期な進⾏をいかに組み上げ ていくかという課題を、解かなければならない。この複 数の時間軸で進⾏する過程をいかに組織するかという課 題において、建築はむしろ舞台芸術と問題を共有してい る。建築のほうが時間枠ははるかに⻑いけれど。実は、 建築設計には計画として台本あるいはスコアが必要。も ちろんこのスコアには、建築の建築以外のものとの関係、 絡みも含まれているし、また建築ができる前の出来事、 建築ができてから⼆⼗年、百年という先までに起こるだ ろう出来事も組まれていなければならない。 ──授業でもよく参照されていた、ジャドソン・チャー チ派のタスクの⽅法論を思い起こさせますね。

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岡﨑│2 つ⽬の〈⽐例─⽐喩〉は、事物の⽂法を読み取る ⽅法です。例えばペットボトルは⼀体成型で作られてい て、キャップと本体にしか分節されていないように⾒え ます。ところが、例えば底を⾒ると凹みがある。茶碗で ⾔えば⾼台ですね。この凹みの上から容器がはじまる。 このボトル部分は折り曲げられ、襞をもっている。その 様は、ギリシャ建築以来の柱の形態にも似ている。その 上でキャップを⽀える半球上の形態は、ローマ建築のド ームのようにも⾒えます。これらの形態は、⼀⾒ただの デザイン的な装飾にも感じられます。ですが、ペットボ トル本体の襞の凹凸は、構造的な強度をもたせるための 仕掛けです。底の凹みは容器が破損しないために⼤地か ら隔てつつ、ペットボトルを安定して⽴たせるために必 要です。⽔平に襞が⼊っている箇所も含めて、すべて構 造的な意味がある。ゆえに、このように⼀⾒、⼀体に⾒ えたペットボトルに含まれていた(襞で⽰している)分 節が、ローマ建築の古典的な構成に似ていることは偶然 ではない。そう考えるのです。たとえばペットボトルは 端的に、古典建築のエッセンスをルネサンスのブラマン テがまとめたテンピエット【図 2】にそっくりです。この 類似=⽐の発⾒が反対に、古典建築の構造的必然こそを 発⾒させる契機になります。基壇、柱、屋根(ドーム)。 すべて構造的な必然があった。⾵や光を建物内に取り⼊ れていたドームの上の開⼝は、ペットボトルのキャップ の開⼝とまさに同じでしょう。 図 2 「⽐」というのは、このように、ある事物や事柄に含ま れる部所と部所の関係(a : b)を、他の事物や事柄のな かにある関係(c : d)に当てはめてみることです。すな わち、a : b=c : d。それでは、ペットボトルの構造を⾃動 ⾞に対応させても成り⽴つでしょうか? もちろん成り ⽴つ。絵画に対応させても成り⽴つか? それも成⽴する と⾔えます。⾼台はおそらく⽀持体、⽊枠の構造であろ う。とすると、ペットボトルの内部に対応するのは、も ちろん、絵が描かれる画⾯それ⾃体ということになる。 では、そこに⽔を注ぐ、あるいは、そこから⽔を外に注 ぎだす開⼝部はどこに相当するのか?「⽐」と⾔いまし たが、ある事物を構成する部所と他の事物の部所、ある 事柄や事物の集合と他の事柄や事物の集合を対応させる ことは「マッピング(写像)」とも⾔います。[*5]これは 構造を形成するための出発点ですが、ペットボトルと絵 画の対応の例でわかるように、繰り返していくと、概念 の⾶躍に必ず結びつくことになる。通常の概念の延⻑で はない、概念の⾶躍。つまり、⽐喩となって概念が練り 直され、事物のあり⽅が再組成されると⾔ってもいい。 「絵画空間は、外部空間への開⼝、開放性をどこかにも たないと、必ず淀む」。この⽂は、単なる⽐喩にとどまる かもしれません。ですが、仮説として制作過程を変更し うる、具体的な⽰唆ともなりえます。 さらに捕捉すれば、a : b という⽐は、分数に置き換える と明らかですが、⾮対称的な順序をもっています。すな わち、a/b と b/a は値がちがう。2/3 と 3/2 の値が違う ように。これは、⽂章における主語/述語の分節に対応 しています(⽐においては、分⺟が主語であり、分⼦が 述語である)。「a : b=c : d」とは、b にとっての a は、d にとっての c に等しいことを意味している。つまり⽐、 ⽐例あるいは⽐喩の核⼼に⽰されているのは、a は c に、 b は d に対応しているという個々の項⽬の対応関係だけ ではなく、むしろ「b にとっての a」「d にとっての c」と いう視点の対応関係、そしてそれが演算可能であること が⽰されている。端的にいえば、視点が交換されうるも のであることこそが⽰されているといえます。反対に、 ⽐喩が視点の交換であるということは、⽐喩が、それを 理解するためには、主体を移動すること、⼊れ換えるこ とを要請する、ということです。いずれにせよ、この 2 つ⽬の〈⽐例─⽐喩〉の⽅法は、仮説を創出するための 有⽤な⽅法となります。 1 つ⽬の〈アッサンブラージュ〉という技法からよく意

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